その女勇者(魔王)、勇者に溺愛されています。 作:白千ロク(玄川ロク)
外に繋がるガラスドアを閉めれば、横の壁に凭れていたイルガが「あらぁ……」と怪訝そうに呟いた。
「連れ戻さなくてよかったの?」
「ああ。キーエルの好きにさせる」
「あ、そう。珍しいこともあるのねえ。明日は槍が降りそうだわ」
「お前はいつも一言余計だな。イルガには解らないだろうが、魔王城にも戻れないいま、頼れるのは俺だけだ。戻ってこないわけがない」
「そうだといいわね。アンタはキーエルを苛めすぎだから解らないけど」
「だから一言余計だと、何度言えば解るんだ。それにお前は馴れ馴れしいんだよ。俺より先に仲良くなるな」
「それはほら、誰かさんが意地悪なんだからしかたがないでしょう?」とにまにまと笑うイルガの頭に拳を食らわして、レガルドは歩み始める。
『好きにすればいい』と放った言葉は本音ではあるが、限度はあった。騎士団を出る気でいるのなら、寝台に縛りつけてでも留まらせるつもりだ。たとえ蔑まされようが、どうあっても手離すことはできない。
優しくしようとしても、イルガやイエバと口を聞いていたと考えただけで平静が保てなくなってしまう。もちろん、自分以外には恋愛感情がないことを深く深く理解しているというのに。
「どうすればいいんだか……」
許容が狭いことをきちんと自覚しているが、質が悪すぎだと舌を打つ。
どうしたらもっと柔らかくなれるのか。どうすれば妬まなくなるのか。
「え、なななっ、なにっ!? どうしたのっ?」
背後から聞こえるイルガの慌てた声に振り返れば、キーエルが腕を掴んでいた。耳を貸せと言わん張りにイルガの躯は傾き、耳元では何事かを囁かれているようだ。
瞬時に頭の中が冴え、『羨ましい』とどす黒い感情が湧く。なぜイルガなのかと。
「え、えぇ……、それを言うの? 私が?」
困惑するイルガを「早く」と急かすキーエルは、レガルドを睨んだ。刹那、いーっと拗ねるように歯を見せてから、舌を出して顔を逸らす。どうやらまだ怒っているのだと言いたいようである。
「か……」
怒り方が完全に小さな子供だ。可愛いその姿に、芽生えたどす黒い感情が溶けつつある。なんとも単純だなと、レガルドは自身を
「えーっと……、『ちょっと風が強くなったから戻ってきた。文句はないよな。オレはまだ怒ってるんだから、それを忘れるなよ。けど、短剣はありがとう』ですって」
「……そうか」
キーエルは怒っている相手にも感謝の言葉を述べるほど誠実なようだ。よく教育されていると感心する。そのまま見据えていれば、またイルガの耳元へと顔を寄せた。
「『部屋の場所が解らないから、さっさと案内しろ。こっち見んな、変態勇者』だとさ」
「そうか」とだけ短く返したレガルドは、キーエルの腕を掴む。勢いがよすぎたあまり、抱えていたホルダーが床に滑り落ちて鈍い音を上げた。
「うぇえっ!!?」
ずるずる引き摺られながらイルガに助けを求めるが、ホルダーを拾い上げただけであった。
「大丈夫よ、着いていくから」
「そうじゃないだろ、助けろよ!」とキーエルの大声が廊下に響く。「離せ」と暴れ始めたのだが、腕を掴む手に力を込められてしまい早々に諦めた。レガルドから「危ないから暴れるな」と釘を刺されたのもあるが。
連れてこられたのは資料室と書かれたプレートが飾られた部屋であり、その名が示すとおりに、みっちりと色とりどりのファイルが並んだ本棚が所狭しとある。だからか、テーブルもふたつしかない。
レガルドはとある本棚で止まり、ファイルをひとつ取り出してそこに広げる。何度が捲ったあと、なにやらを取り出した手が伸ばされた。
「騎士団の建物配置図と見取り図だ」
差し出された三枚の図面を受け取ったキーエルは、イルガの耳元に唇を寄せてゴニョゴニョ話す。
「『ありがとう』ですって」
「ああ」とイスではなくテーブルの上に腰をかけたレガルドが背後から抱きしめたことも気づかずに、キーエルはそれを凝視している。
「やっぱり広すぎるだろ……」
建物配置図は広大な土地に建てられていることを示していた。騎士団の上部を扇状に囲むようにして、畑や温室、飼育小屋や倉庫が並べられている。建物右横は鍛練所で、左横から下部は広場兼正面玄関になっており、配置図だけでくらくらしてくるようだ。
ごくりと息を飲んで捲った二枚目の見取り図を見るに、地下一階の四階建てのようである。三階と四階が個人の部屋となっており、三階の一番奥にあるのがレガルドの私室らしい。そういえば階段を駆け下りたなと思い出した。足を踏み外さなくてよかったと。ちなみに、イルガの私室は四階の一番奥だ。
裏面に書かれた個室の見取り図には二人部屋だという注釈があった。風呂場は共有らしいが、個室にはトイレも完備されていて、作りはかなりいい。個室以外にもトイレは何ヵ所かあり、人数のカバーをしているらしい。
ニ階はフロアの半分を占める食堂に厨房、厨房の端には更衣室があり、談話室、風呂場と並ぶ。
残る一階には事務室、その隣が執務室であり、そのまた隣が応接室、資料室、武器庫や個室と続いている。そして地下には備蓄用の倉庫と牢屋ときていた。ここまで見てみても、いかがわしさしかない『調教部屋』というものが見当たらないが、おおかたどこかの部屋をそう呼んでいるのだろう。名前のとおりに調教をする部屋なのか、それともなにか別の意味があるのかは解らないが。
山を切り崩したわけでもないのに、どれだけの土地を持っているのかと驚くしかないだろう。魔王城でもこれほどの規模はない。
「すげぇ……」
「そうか?」
耳元で聞こえたレガルドの声にキーエルは「にゃっ!?」と猫のような声を上げる。
左隣に立つイルガを引っ張り、すぐさま耳元で話をつけた。
「『とにかく場所は解ったからもういい』だと」
「そうか」と返したレガルドの声を聞きながらキーエルは頭を働かせる。
騎士団という名前からして人数は多いだろう。そしてそれを束ねるレガルドはもしかしたら――ものすごい人物ではないのかと。勇者で変態としか知らない自分は、ダメダメではないだろうか。
謝った方がいいのだろうか。いや、しかし悪いのはレガルドだ。やはり謝るのはレガルドからでないと意味がない。
それならば、口を聞かないと言ったのを撤回した方がいいのか。しかし、ショコラの恨みはまだある。
どうしたものかと考えるキーエルは、無意識に配置図を握り潰していた。形を変えたそれを掌で丸めていく。
「キーエル」
「ふぁっ!?」
「なにをしているんだ」と言う声で我に返り、掌からぐしゃぐしゃの配置図が取り出された。
「イルガ」
「はいはい」
「ご、ごめんなさい! ……その、考え事、してて……」
「そうか」
「オレっ……オレっ」「ごめんなさい」とあわあわしている間に、イルガにより伸ばされた配置図がファイルに戻される。ついで本棚にそれを戻せば、資料室は静まり返った。
「ごめんなさい……。弁償します」
しゅんと項垂れるキーエルの躯の向きを変えてキスをすれば、「なにすんだ!」と肩を叩く。
「これで五分五分だな」
「五分五分……?」
「俺がショコラを食ったのと、お前が配置図をダメにしたのは同じだろう?」
「同じじゃないわ! オレのショコラはイエバが買ってくれたものだっ」
「そこで魔女の名を出すな。アイツは気にいらん」
「そんなの知らない」と腰に回した腕を引き剥がそうとするキーエルに対し、レガルドは「逃げるな」と腕を一纏めにした。後ろ手に。そんなことをされてしまえば、キーエルはレガルドに躯を預けるしかなく、ふたつの躯に押し潰された胸が形を変える。
「な、にする気だっ」
「なにもしない。お前が逃げ出そうとするからだ」
空いた片手が、垂れる髪を耳へと掻き上げていく。受ける柔らかい刺激に、キーエルはびくりと躯を跳ねさせた。
「ああ、そうだ。言い忘れていたが、配置図は複製だ。くしゃくしゃにしようが破こうが、不利益をこうむることはない」
「複製なのかよ! あれ一枚しかないと思って焦ったのに!」
「複製のマークがあるだろ」
「そんなの解んねーよ! 勇者のバカっ」
フイと顔を逸らしたキーエルの頭を撫で、レガルドは「口を聞かないんじゃなかったのか?」と皮肉たっぷりに言ってやる。
「オレはまだ怒ってるんだからなっ! イルガに迷惑がかかるからやめただけで、勇者が謝るまでは許さないからっ」
「解ったな!」と顔を背けたまま足をばたつかせるキーエルの腕を離してやり、抱きしめ直しながら「ああ」と頷く。
「悪かった」と一言言えば済む話だが、妬みが絡むためにレガルドはどうにも素直になれなかった。