※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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本作品はファンタジー要素大で時折ダーク、グロ、触手、NTR他その他の要素がてんこもりです。基本がファンタジーなので毎回エロ描写が入らないのはご了承ください。


第一章~魔王再臨編~
第一章一節


聖娼館ハルトゥム

 

第一章一節「晴嵐」

 

 勘弁してくれと酒場の主人が思ったのは何も街を仕切る組織の人間にあからさまな喧嘩を売らなくてもいいだろうという思いからだった。

 

 大通りから幾分近い王宮認可も受けた酒場だ。

 

 普段なら酔っ払いの喧嘩程度笑って賭け事にもする。

 

 しかし、今や店の中は大荒れだった。

 

 飴色の年期が入った長大なカウンターから次々に客が引いていく。

 

「で、言い残す事はあるのか兄ちゃん?」

 

 悪漢というものは何処にでもいるものだったが、酒場の誰もが声に顔を顰めた。

 

 一帯の娼館と賭場を仕切る組織の筆頭【ガランス】は地域一帯を治める宰相とも縁のある組織。

 

 良くも悪くも周辺地域での影響力は大きい。

 

 下っ端とはいえ、仕立ての良い羅紗の服を来て忠誠の証である鉄の指輪を嵌めた人相の悪い巨漢というのはどう見ても関わってはいけない類の人間だった。

 

「そ、そのお詫びします。お詫―――」

 

「黙ってろ女ぁあああ!!?」

 

 厳つい面相の組織の男の剛腕が裏拳を放った。

 

 その標的にされたのは細い体の未だ少女と言える年齢の子。

 

 気の弱そうな整った顔立ち。

 

 くすんだ色をした髪は震える身体と一緒に縮み上がっている。

 

 粗末な麻布を編んだ服が申し訳程度に体を胸から膝まで覆っていた。

 

「ひぅ!?」

 

 奴隷。

 珍しくもない。

 

 未だ七教会の威光が届かない自治州が多数ある。

 

 戦後に出る焼け出された難民達の成れの果てに同情する者はいるが、救おうとする者なんていない。

 

 特に奴隷売買を行う組織に買われた商品。

 

 それに手を出す馬鹿は。

 

「――――――!!?」

 

 自分の「荷物」を殴り飛ばそうとした男が固まった。

 

「う…ぁ?」

 

 今正に殴り飛ばしてやるはずだった腕が自分の前に見当たらず呆けたのは一瞬。

 

「大丈夫?」

 

 平静な声が傍らの男を無視して床で震える少女に掛かった。

 

「あ、その…!?」

 

 少女はその声に何とか返そうとして、我が目を疑った。

 

 ゴトンと何かが落ちる音がして、男が視線の端に自分の一部を見つける。

 

「う…ぁ…うあぁああああああああああ!?」

 

 男の絶叫に酒場へ戦慄が走った。

 

「少し黙っててくれない?」

 

 まるで迷惑だと言わんばかりの顔が男を振り返る。

 

「ひッッ!? ぎぃ!?」

 

 巨漢はその視線に凍り付く。

 そこには何もなかった。

 いや、表情はある。

 迷惑そうな顔をしていた。

 

 しかし、今正に自分が何をしたのか。

 

 まるで理解しないかのような平静さがあった。

 

 そう、たぶん、男に自分がしたはずの事に対して何の感慨も無かった。

 

 プシュプシュと床に吐き出される赤い飛沫を引きずって。

 

 男が後ろへと下がっていく。

 

 その顔には恐怖という感情以外浮かんでいなかった。

 

「あ…あ…そ…その…」

 

 自分を助けてくれたのだろう人を前に当事者である少女すら、僅か震えていた。

 

「困ってるなら、ごめん…本当は穏便に済ませてあげられれば良かったんだけど、何か無理になったみたい…かな」

 

「え?」

 

 それなりに大きな店の外が騒がしくなっていく。

 

 原因は一つ。

 

 たぶん、男が揉め事を起こしている事を誰かが組織の人間に通報した為。

 

「ちょっと、片づけてくるから、待っててくれない?」

 

「あ、は、はぃ…」

 

 消えそうな声で少女がコクンと頷いた。

 

 相手の心配をするとか。

 自分の心配をするとか。

 

 そういう事すら少女の頭の中には無かった。

 

 あまりにも目の前で起こっている事が非現実過ぎて。

 

 本当は自分を助けてくれる人なんていなくて、今此処で起こっている出来事は自分が見ている幻なんじゃないかと、そんな風に思えてしまって。

 

「もし…その…迷惑じゃなかったら、ちょっと教えて欲しい事があるんだけど」

 

 そう言い置いて。

 

 男の腕を“飛ばした”者は少女に笑い掛けて、そっと頭を撫でた。

 

 *

 

 ヒィヒィと組織の人間が涙と鼻水を垂らして無様に酒場から転げ出てくる時点で、酒場を囲っていた数人の組員、そしてチンピラ達は自分達の相手が死ぬ事を悟った。

 

 真夜中にはまだ早い時間帯。

 

 ようやく大陸の端にも普及し始めたガス灯に照らされて。

 

 羅紗服を赤く染めた男が仲間の下へとやってくる。

 

「あ、ああ、あいつを殺してくれよぉおお!? 兄弟!!!?」

 

 男はきっとその時点で色々と失念していた。

 

 組織の顔に泥を塗るような者に組織がどう対応するのかを。

 

 乾いた銃声が響いて、最初から組織に名を連ねていなかった男は沈黙した。

 

 未だ出回るのは珍しい手乗りの拳銃が褐色狼(フォックス)の意匠の付いた外套に仕舞われる。

 

「良かったんですかい?」

 

 背の低い四十代の小男が外套の主に聞く。

 

「何の事だ? 此処には組織に楯突く流れ者を見に来ただけだろう」

 

 小男が出っ歯をキシシと鳴らして「違いありません」と嗤った。

 

 外套の主は最初から組織の人間に問題があったなんて話は知らない。

 

 そう言ったのだ。

 

 周りの者達も外套の主の声に内心の恐怖を飲み込んで沈黙を持って答える。

 

 カラン。

 

 酒場のドアが開いた。

 

 その場を取り囲んでいた者達の多くが物騒な大小揃った刃を引き抜く。

 

 そして。

 

「子供…ですかい? いや、十四くらいか?」

 

 拍子抜けした様子で小男が間の抜けた声を出す。

 

 酒場から出てきたのは黒い外套を纏った何処か中庸な顔立ちの少年だった。

 

 その体はまるで女だと言われれば納得出来てしまいそうなくらいに細い。

 

 しかし、酒場には不釣り合いな少年を真っ直ぐに見て、外套の主が目を細める。

 

「お前がこの“ゴロツキ”に傷を負わせたのか?」

 

 少年は至極平静な顔で男達へと近づきつつ、外套の主の横に転がっている肉塊を見て、眉を寄せた。

 

「何も殺さなくても…お姉さんがやったんですか?」

 

 外套の主。

 

 二十代前半と思しき女が笑う。

 

 その表情は努めて他者に畏怖を抱かせるものだった。

 

 切れ長の獣の如く鋭い瞳。

 

 赫い腰まで流れる髪。

 

 まるで肉食の獣のような眼光。

 

 よく鍛えられた肉体は誰が見なくとも気配だけでそれを悟らせる。

 

 女を主張する外套越しでも分かる胸元が無ければ、女は良く躾けられた走狗と何ら変わりないのかもしれなかった。

 

「質問に答えろ」

 

「勝手に襲い掛かってきて、勝手に腕が飛んだって酒場の人は言ってる頃じゃないかな」

 

「襲い掛かった?」

 

「女の子を殴ろうとしてたって言えば解ります?」

 

(そうか。そう言えば、今日は入荷の日だったか。馬鹿め…組織の商品をちょろまかしたな…)

 

 赫毛の女が内心、死んだ男を罵る。

 

 相手の力量も見極めず、無暗に仕掛けて返り討ち。

 

 しかも、その理由が勝手に持ち出した奴隷だと言うならば笑う以外ない。

 

「そうか。なら、問題はないな。では、中の商品を回収させてもらおう」

 

 女がそう言って手下達に号令を下そうとする。

 

「あ、あの子に聞く事があるので、ちょっと待って貰えれば」

 

「お前の言う事を聞く理由が何処にある? 少年」

 

「訊いてくれませんか?」

 

「ああ、正当なる理由が無い限りは」

 

「…今日此処で貴方達の命と人生が助かる。では?」

 

 小男が何事かとギョッとした。

 

 耳を疑うのでなければ、今正にこの場で少年は“お前らを皆殺しにしない事も出来る”と絵空事をぶち上げた事になる。

 

「ほぉ…」

 

 それも相手が誰であるのかまったく知らない様子で。

 

 【ガランス】の中でも若手の筆頭。

 

 ゆくゆくは新しい組織のトップとの婚姻まで取沙汰されている相手。

 

 キリア・ユエト・セマネ。

 

 獰猛さは折り紙付きで一帯の組織統合に駆り出された時には戦闘で多大な功績を上げもした。

 

 理の無い相手には如何なる者だろうと喰らい付く性質に狐どころか狼ではないかと陰口も叩かれる。

 

 そんな女に対してまだ世間も知らない少年が言う言葉ではないと小男は脂汗を浮かべた。

 

 ふざけた物言いをすれば、その不興は何処に飛んでくるか分からない。

 

「この数を前にして怖気ないところは買ってやろう。だが、私はそういう冗談が嫌いだ」

 

「冗談はあんまり好きじゃないんです」

 

「私もだ。ゴロツキの腕を一本飛ばした程度では引く理由にはならないな」

 

「じゃあ、どれくらいの事態なら引く理由になりますか?」

 

「今正に私が死に掛けた時だ」

 

「なら、話はお終いだと思いますけど」

 

「戯言は好かん」

「それじゃあ」

 

 話がまとまった。

 

 そんな控えめの笑顔で少年がクルリと背を向けた瞬間。

 

 キリアは外套の中で手に掛けていた短刀を少年の腕へと振り抜いた。

 

 外套の上からでも肉は絶つが骨までは届かない。

 

 そのくらいの強さで。

 

 それが彼女にとっての優しさで。

 

 自信過剰な少年に対する大人としての罰だった。

 

「―――ッッ」

 

 振り抜いた刃の感触がおかしい事に気付いてキリアはその刃を横目に確認する。

 

「何をした…」

 

 少年は振り向かずにスタスタと酒場へ歩いていく。

 

「何をした小僧!!!」

 

 ほんの一瞬の恐怖。

 

 キリアは少年に対して恐怖して、同時にそんな己に憤怒して、我を忘れて拳銃を抜き撃ちしていた。

 

 乾いた銃声が一発。

 

 酒場の扉から外がどうなっているのかと顔を覗かせた奴隷の少女が見たのは猛獣の如き形相の女が銃を恩人である少年の背中に撃った場面。

 

 思わず扉から出ようとした少女を見て少年は首を横に振る。

 

 出てくるなと。

 

「こ、殺せぇええ!!!」

 

 小男が自分の上司であるキリアの異変に気付いた。

 

 周囲のチンピラに号令が掛かる。

 

「待てッ!!」

「キ、キリア様!?」

 

 号令を掻き消したのは銃を撃った本人だった。

 

「帰るぞ」

 

「な、何を言ってなさるんですか!? あっし達の手に掛かれ―――」

 

「節穴が。どこが“死に体”だと?」

 

 苦虫を噛み潰したようにキリアが未だ傷ついた様子もなく歩いていく背に目を細めた。

 

「なッ、何であいつ無傷で!?」

 

「流れの魔術師か。それの類だ…チンピラをどれだけ持ってきても意味はない」

 

「で、ですが!? このまま商品をみすみす!」

 

「みすみす死にに行くか?」

 

 キリアが小男に自分の短刀を見せる。

 

 刃は根本から存在していなかった。

 

「撤収だ。帰るぞ」

 

「へ、へい。分かりやした。ですが、この事は上にどう報告を!?」

 

「商品はもう売られていた。ゴロツキは処分した。それでいい」

 

「…了解しやした」

 

 小男が頷く。

 

 互いに戸惑い顔を見合わせながらも男達は刃を懐に納めて引いていく。

 

 その最中、一人扉を潜ろうとていた少年にキリアが声を掛けた。

 

「この代償。高く付くぞ」

 

「戦うのはあんまり好きじゃないので。出来ればもう関わらない方が」

 

「ふざけた物言いだな。超常の力を持つ余裕か? 我々にも貴様と同じような事が出来る人間はいるのだぞ?」

 

「僕が怖いのは七教会くらいですから」

 

「…名前を聞こう」

「ティア」

「忘れぬからな」

 

 それから数秒で酒場の前から物騒な人間達は失せた。

 

 酒場へと戻った少年は中がガランとしている事に気付く。

 

 客の殆どは裏口からもう逃げ出していた。

 

 不安そうな顔のマスターがカウンターに一人。

 

 そして、奴隷の少女が一人ポツンと床に座っている。

 

「えっと、邪魔になりそうなのは退けてきたから、ちょっと落ち着いたところで話を聞かせて欲しい」

 

「は、はい…ティア…さま…」

 

「様?」

 

「ど、奴隷…ですから…」

 

「様付されるような身分じゃないから、ティアって気軽に呼んでくれていいよ」

 

 今まで裏組織とやり合っていたとは思えない穏やかな笑みで少年ティアが少女の手を取って立たせる。

 

「あ、此処って宿屋もやってます?」

 

 ビクリとその声に震えた様子でマスターが脂汗を浮かべた。

 

 本当ならさっさと出て行ってほしい。

 

 あの恐ろしい組織の若手を追い返した相手を怒らせてしまっては大事になる。

 

 だが、二つの本心の狭間で辛うじてチョビ髭のマスターは上を指差した。

 

 銀貨を少年が外套の中から取り出してカウンターに置く。

 

「それじゃあ、話を聞かせてもらおうかな…行こうか? そう言えば名前訊いてなかったけど、君の名前は?」

 

「わ、わたし…ラタウト・ヴェルガナと言います」

 

「じゃあ、ラタウトでいい?」

 

「あ、故郷だと、その…ヴェルって皆…」

 

「そっか。じゃあ、ヴェル。行こう」

 

「は、はい。ティ、ティア」

 

 消えてしまいそうな声でコクンと少女ヴェルは頷いた。

 

 *

 

 何処にでもある酒場の部屋と言えば、家具の一つも無く。

 

 外套を掛ける衝立と寝台と枕が一つ切りと言うのが多い。

 

 壁は補修こそされているものの、殆ど日に焼けて痛んでいる。

 

 夜、個人が持てる明かりなんて規模が知れている。

 

 臭い獣油に紙を撚(よ)って浮かべ火を付けるか。

 

 あるいは蝋燭か。

 

 又は自然の星と月の明かりか。

 

 空いていた部屋には人の手による明かりは一つも無かった。

 

 あるのは窓のみ。

 

 ティアが木戸をそっと開けて月明かりを入れる。

 

 一応、新品のシーツが敷かれた寝台の上にチョコンと座るヴェルが緊張した面持ちで少年をずっと見つめていた。

 

「さて、と」

「ひゃ、ひゃい!?」

 

「そんなに緊張しなくても…怖い?」

 

 ブンブンとヴェルが首を横に振る。

 

「ティアさ…ティアは助けてくれました。ですから、怖いなんて…」

 

「ありがとう。ヴェルは優しいんだね」

 

「や、優しい…だなんて」

 

「それで訊きたい事に付いてなんだけど」

 

「は、はい。何でも訊いてください」

 

「此処に来る前、直前くらいにこの子を君は見たはずなんだけど、知らない?」

 

 外套の中からティアが一枚の篆刻写真を取り出した。

 

「この人、ですか?」

「うん」

 

「……あ、あぁ、思い出しました! この前にいた街で七教会が出てくる騒ぎがあって、それでこの人が港で奴隷商の船を一杯沈めてるの、見ました! あの時は戦争してた人の中にはやっぱり普通の人間でも凄い人がいたんだなって他の子も噂してました!」

 

「良かった…やっぱり…」

 

「あ、あの、お知り合い、なんですか?」

 

「うん。旅のお供…色々とあって」

 

「そうなんですか」

 

「本当は教会の印刷物の方がいいんだろうけど、生憎と手元にはこれしかなくて」

 

「その…お綺麗な人、ですね」

 

「綺麗だけど厳しいし、時々可愛いんだけど、素直じゃなかったりするから、大変だけどね」

 

「恋人、ですか?」

 

 ティアは首をゆるゆると振って否定した。

 

 何だかそれ以上訊くのはイケないような気がして。

 

 ヴェルは他に何も訊かなかった。

 

「ありがとう…それじゃ、今日はもう寝よっか」

 

「あ…」

「?」

 

「一つ、いいですか?」

「どうかしたの?」

 

 ヴェルが狼狽えつつも頬を少し赤くしてちょっとだけ自分より背の高いティアを見上げる。

 

「その、ど、奴隷がどういうものかは…知ってます。これから私が引き渡されるまで…その、まだ時間もあるようなので、その…初めてを貰ってくれませんか?」

 

 ポカンとしたティアが目の前の少女が何を言っているのか理解して僅か頬を赤くした。

 

「あ、さっき女の人に話してたのは建前だから。別に引き渡す気とかは…」

 

「え?」

 

 今度はヴェルがポカンとする番だった。

 

「で、でも、それじゃ、またあの怖い人達に…」

 

「それとあっち側ももうこっちに喧嘩を仕掛けてきたりはしないだろうし。あんまり誰かを不幸にするのは嫌だから…」

 

 ティアの表情に影が差した事に気付いてヴェルが慌てて謝る。

 

「ご、ごめんなさい!? その、私…失礼な事を!!」

 

「こっちこそ、君を色々と巻き込んじゃったから、ごめんね…」

 

「い、いえ、乱暴されそうなのを止めてくれた事忘れません!」

 

 互いに謝り終えて。

 互いの顔を見て。

 

 両者はおかしそうに笑みを浮かべた。

 

「それじゃ、今度こそ寝よう。大丈夫…君の事は七教会に頼む事にするから。この地方にもそろそろ戦後処理で部隊を派遣してくる頃だし、ちゃんと保護してくれるはずだよ」

 

 置いてあった聊か硬いブランケットの一枚を着込んで、寝台から離れた壁際へとティアが座る。

 

「君のそういうのはちゃんと大切な人が出来たらあげればいい」

 

「で、でも…何もお返しできないのはイヤ、なんです」

 

 ちょっと困った風にティアが笑う。

 

「何一つ責任なんて取れない旅人にお返しなんて。君が幸せになってくれた方が僕は嬉しい」

 

「ティア…」

「寝よう?」

 

 それでも少女は少年に何かしてやりたくて。

 

 そっと寝台から降りて傍に寄った。

 

「ヴェル?」

 

「その…お話は分かりました。ですから、そのほ、奉仕…だけ…」

 

 その言葉を紡ぎ出すのにどれだけの勇気をふり絞ったのか。

 

 外套の奥。

 

 少年の股上に手を伸ばす。

 

「僕は―――」

 

 指先が唇を閉ざした。

 

「お願い、です」

 

 それ以上、何を言えるわけもなかった。

 

 何を言ったところで恥を掻かせる。

 

 それくらいの知識は少年にもあった。

 

「その、他の子がさせられていたのを見ただけなので、上手くいかないかもしれませんけど」

 

 顔を少年の腰まで落として。

 

 優しげな手付きで下ばきをヴェルが弄(まさぐ)る。

 

 柔らかな紐を解くと、男の化身を少女は月明かりの下で見つけた。

 

「ん…とても…立派…です///」

 

「無理、してない?」

 

 その気遣いに僅か頬を染め、濡れた瞳が少年を見上げて、首を横に振った。

 

 優しげに手を添えて幹を触り、唇がゆっくりと口付けられる。

 

 まるで初恋の相手にする軽やかな、愛しいものにする穏やかな、接吻。

 

 触れられる度に震える幹は廻る欲を増やして。

 

「ふ…ぁ…」

 

 ヴェルは己の顔の前でそそり立つ少年の形を呆けるように陶然と見つめた。

 

「気持ち…いい、ですか?」

 

「うん。ヴェルが優しくしてくれるから」

 

 頭がそっと撫でられる。

 

「ぁ…はぃ///」

 

 唇が僅かに震えて、再び幹へと寄せられた。

 

 今度は触れるだけではなく。

 

 口に僅か含むようにして。

 

 いつの間にか熱くなっている口内に招くようにして。

 

 やがて、舌で毛繕いする狗のように。

 

 舐め、熱心に、まるで飴を転がすように。

 

 先端を愛おしそうに含む。

 

 上手いかどうかは関係が無かった。

 

 それは相手を思いやる行為。

 

 いつの間にか。

 

 その口接の良さに少年は僅か息を漏らして。

 

「ん…」

 

 震えた幹を登ってくるソレが何か知っていた少女は躊躇いなく。

 

 喉の奥へと幹を飲み込んで。

 

 熱いソレを向かい入れていた。

 

「――――――」

 

 一度も受け入れた事の無い熱い塊。

 

 咽せるものを強引に呑んで。

 

 目尻に浮いた涙が僅か伝って。

 

「大丈夫?」

 

 ズルンと少年は少女の口内から幹を引き抜く。

 

 その瞬間、安堵と何故か言いようのない寂しさを感じて、少女は白く塗れる舌と唇で微笑んだ。

 

「きもち、よかった…ですか?」

 

「うん」

 

 少年はそっと自分の化身を仕舞って。

 

 少女を抱き寄せる。

 

「ありがとう。お礼しないと」

 

「ふぇ、ぁ…」

 

 束縛するような強さではなく。

 

 いつでも逃げ出せるような強さで。

 

 仄かに温かい少女の体をしなやかな手が触れていく。

 

 胸の蕾をゆるゆると服の上から弄られて、少女が小さく嘶いた。

 

「ん…く…ふ…ぅ…ティ…ア…」

 

 もう片方の手が己の下に伸びている事を少女は咎めない。

 

 それどころか。

 ああ、と期待して。

 瞳から一滴を零して。

 

 優しく潜り込んでくる手を待ち侘びた。

 

 申し訳程度の布の奥。

 

 未だ触れられた事のない秘奥。

 

 左右に割れ開かれる事無く。

 

 指先は既に蕩けていたそこを何度もなぞる。

 

「ごめ…さい…はしたない子…で」

 

「いいよ。可愛い声…好きだから」

 

「―――ぁんぅ!?」

 

 それだけで耳元でささやかれた言葉だけで。

 

 ヴェルは己が悦んでいる事に気付いた。

 

 恥ずかしいのに、体は正直に少年の手に悦楽をねだる。

 

 触れて欲しいとねだる。

 

 自分のそこが指に吸い付いた気がして少女は甘く甘く啼いた。

 

「ひぅ?! きぅ…んぁ!?」

 

 やがて、小さく膨れた場所を少年が探し当てて。

 

「一杯気持ち良くなっていいから…ね?」

 

 僅かに指を埋めて、残った指先で小さく張っているそこが優しく擦り潰された。

 

「―――?!!!」

 

 その背筋を駆け昇る衝撃に手足をフルフルと震わせて言葉も出ず。

 

 全てが去った後、クッタリとヴェルは薄れゆく意識の中、暖かな微睡へと落ちて行った。

 

 もっと、して欲しかったなと。

 

 彼女が思うのは夜が明けてからの事だった。

 

 *

 

 多くの者が急ぎ行く早朝。

 

 カラカラと回る馬車の車輪が音を立てる。

 

 未だ近代化されていない地域の実情。

 

 それを都会とされる場所の人々が見れば、この世界には未開というのがまだあるのだなという印象を受けるだろう。

 

 どれだけ巨大な勢力を有していようと、文化の遅れた地域には限界がある。

 

 【ガランス】と呼ばれる組織もまた同じ。

 

 確かに一地方において膨大な勢力を誇っていても、未だ遅れた未熟な組織に過ぎない。

 

 特に大戦が終わってからというもの。

 

 様々な者達が入り乱れ、膨大な悲喜交々の交流が世界に唯一の大陸を変えているという現実へ反逆するように、旧き教えは組織を縛っていた。

 

 それは同時に古き誇りでもあったが、現世利益最優先という世相には相反する。

 

 渋々と拳銃を導入し、戦後に溢れた傭兵や魔術師、あるいはそれに類する超常の力をを迎い入れるのも多くの場合、幹部は否定的で改革は進んでいない。

 

 そもそも七教会が戦後の大陸を統括するようになった事さえ、彼らは実態として把握し切れていない。

 

 超常の力という言葉すら、本当は文明圏たる大陸中央部が喧伝する正式なカテゴリや名称がある。

 

 田舎の世相に疎い遅れた組織。

 

 それが【ガランス】の実際のところではあった。

 

 教会が推進する“福祉”だの“人権”だのというのはたぶん嘗ての教会が説いていた“神への奉仕”や“徳”の亜種であるに違いないとすら勘違いしていた。

 

 故に未だ大陸中に盟約として締結されつつある奴隷解放なんて目もくれず。

 

 いつものように。

 

 組織が出来てからと同じように。

 

 奴隷を買い。

 娼館を建て。

 売上を鎬ぎ。

 

 地域を統括しているのは自分達だとの自負を背に戦う。

 

 否、戦い続けている。

 

 内心、キリアはそんな老人が多い組織を苦々しく思っていた。

 

 嫌いではない。

 嫌う理由もない。

 

 確かにその組織にこそ彼女は選ばれ、育てられたのだから。

 

 だが、もう世の中は義理と人情と鉄の掟でどうにかなるようなものではないのも確かで。

 

 人々の生活を向上安定させる確かな技術と力を手にした教会が大陸中央の王国を盟主にして他の地方を【近代化(レボリュション)】させていく話をヒシヒシと身近に感じながら、今日も報告に立っていた。

 

「それで話はもう届いているが、何か言い訳はあるか?」

 

 老人とその側近ばかりが十数人も並ぶ円卓。

 

 その傍で言い訳らしい言い訳も浮かばず。

 

 彼女は事実を述べる。

 

「あのままでは全滅している可能性がありました」

 

「全滅? 全滅だと? 高々黒い外套を被った餓鬼一人にか? ははは、いつから冗談を言うようになったんだ。女狐」

 

 野次が飛ぶ。

 

「あれは超常の力を持つ者です。そのカテゴリは解りませんでしたが、魔術師かそれの類…しかも、一対大多数を平然と行う力量があったと私は見受けました」

 

 その声に上座に座っていた好々爺然とした老人が微笑む。

 

「キリアよ」

 

「はい。何でしょうか」

 

「如何にもお前は器量が良い。だが、鉄の掟はそれだけで曲げられるべきものではない」

 

 同調の声が多数上がる。

 

「落とし前は付けなければ。このまま逃がしたとあっては【ガランス】の名折れ。いや、お前があのバーグを処分したから咎めているわけではないのだぞ? あくまで掟に従うならば、その少年一人にお前という存在が引いてしまったのが問題なのだ。解るだろう? お前の名はそう軽くないのだよ」

 

「はい。承知しております。リューグ翁」

 

「ならば、今契約している超常の者を数人連れて行けばよい。それでも成果が上がらぬようなら、その時は“お前の傷”として諦めよう」

 

 その老人の言葉は組織内での順位が下がる事を意味する。

 

 老人の言葉は掟の為というより若手の彼女が名を落とさぬようにとの配慮からのものだ。

 

 それでもキリアは何故か。

 

 あの昨夜の少年がどうにか出来るとは思えなかった。

 

 幾ら戦おうとも勝てる景色が浮かばなかった。

 

 刃は消えた。

 銃弾は消えた。

 

 ならば、超常の者でも、消えるのでは?

 

 そんな疑念ばかりが渦巻いて。

 

「分かり、ました」

 

 それでも否と言えるはずもない。

 

 リューグ翁。

 

 その言葉に他の幹部達も全員が納得していた。

 

 そうして。

 

 彼女は中天に掛かる太陽を見つめながら、十数人の組織の手の者と契約している超常の者を数人引き連れて、少年を追った。

 

 追って、今正に川船で遥か十数キロ先の岸部に行こうとしている少年と奴隷の少女を見つけた。

 

「また、会ったな」

 

 川べりで。

 

 たゆたう水に足を付けているヴェルが身動き一つ出来ず背筋を凍らせる。

 

 その服は少年から貰ったのか。

 

 周辺でよく着られる獣皮と綿の物になっていた。

 

「観光にでも?」

 

 周囲の川港労働者達が桟橋付近から遠巻きに眺めている。

 

 周辺にある建物は港の管理事務所と数件の宿屋のみ。

 

 牧歌的な光景に不釣り合いな集団が年若い少年少女を取り囲んでいる。

 

 そんな場面(シーン)とあって、人々は互いに噂し合っていた。

 

 間違っても二人を助けるお人よしはいない。

 

「ふざけた奴だ」

 

 幾つかの小型船が向こう岸から見えてくる。

 

 その光景を横目にしながら、少年は少し考える。

 

 このまま少女を、ヴェルを巻き込むのは得策ではない。

 

 だが、今から一人で行かせても少女一人で教会に合流させるのは不安しかない。

 

 ならば、どうするべきか。

 

「どうすれば、気が済むんですか? あんまり過激な事を言われても……」

 

「お前の命。そう言いたいところだが、掟は若者を殺さない。処分したのもこちらだ。お前には落とし前を付けさせる」

 

「落とし前?」

 

「手首から下。それで許そう。それがお前の罰だ」

 

「―――だ、ダメ!!?」

 

 今まで震えていたヴェルが思わず立ち上がり、少年を庇うように抱き締めていた。

 

「奴隷。お前に用は無い。この少年の手首一つで自由になれた身を祝い、存分に生きるがいい。さぁ、退け…」

 

 冷徹に、あくまで冷徹にキリアが告げる。

 

「わ、私がもど―――」

 

 少女がそう言い掛けた所でカクンと意識を落とした。

 

 ティアの手が僅か鳩尾付近に当てられているのを見て、キリアが笑う。

 

「受け入れるというのか? そこまでして行きずりの奴隷を救うというのか? 七聖女の真似事か? 私は好きだぞ。そのような偽善が」

 

「別に…ちょっとした償いです。偽善ではあるかもしれないけれど、ただの気紛れ。手を一つでいいなら、どうぞ」

 

「―――!?」

 

 キリアが立ち竦む。

 

 目を疑わなかったのはボタボタと少年の下に血が広がっていくのをその目で見たからだ。

 

 手品の類ではない。

 

 既に“無い方”で崩れ落ちそうなヴェルを抱き、もう片方の手がそれを握って、差し出していた。

 

「お前―――は!!?」

 

 その光景を遠目に見ていた人々は何があったのか分かっていない。

 

 キリアの後ろにいる者にも殆ど。

 

 ただ、その血を見た数人だけが何が起こったのかを理解し、全身をぞわりと得体の知れない寒気に支配された。

 

「奴隷に…そんな価値があるというのか?」

 

「価値があるかは自分次第。違いますか?」

 

「…いいだろう。これで手打ちだ。その決断を後悔しない事だな。ティア」

 

「誰かと戦うよりは、ずっと建設的な案だと思いますけど? それに貴女は…優しいですから」

 

 その言葉にキリアは少年を本当に奇異な目で見る。

 

「お前は…いや、いい。目的は果たした。これより帰還する。早めに手当をせねば、死ぬぞ」

 

 言い置いて。

 

 去っていく背中に少年は少しだけ、ほんの少しだけ、同情した。

 

 だから、終始優しいばかりだった女に告げる。

 

「もし、貴女が、絶望したその時は…待ってます」

 

「何だソレは。戯言は好かんと言ったはずだぞ」

 

 もう少年を相手にせず。

 

 引き上げていく集団の背中を見送って。

 

 人々は今何が起こっていたのかと、不安そうに二人を見つめる。

 

「……?」

 

 やがて目を覚ましたヴェルが傍らの少年を見つけて、ヒシッと抱き付いた。

 

「大丈夫ですか!? ティア!!?」

 

「え、うん。ほら、何ともないし」

 

 とりあえず落ち着かせようと少年は全身を開いて見せて。

 

 ヒラヒラと“両手”を振った。

 

「よ、良かった、です!!? で、でも、あの人達どうして…あれ…私、途中で…」

 

「あんまり緊張して気を失ったんじゃない?」

 

「ぁ…ご、ごめん、なさい…わ、わたし…ぅ…く…何も…」

 

「あ、えっと、その…泣かないで? 二人とも無事だったんだし」

 

「でも…わたし…ほんとうに…役に…立たなくて…」

 

 ポロポロと零れていく滴を指先で拭いつつ、どうやって慰めようかと思い、少年は何処かで聞いたような下世話な冗談でお茶を濁す事にした。

 

「ほら、泣くなら、昨日みたいな時の方が、男は嬉しいものだから」

 

「え、ぁ///」

 

「そろそろ船も来たみたいだし、行こう?」

 

「はい…ティア」

 

 頬を染めて、涙を少しだけ拭ったヴェルは俯きながら頷いた。

 

 少年は気付かなかった。

 

 少女が「はい…はい…」と何度も口の中で繰り返していた事を。

 

 少女は気付かなかった。

 

 自分の背後で血の跡が煌いて、まるで砂のように風へ融けてゆくところを。

 

 そして、最も大きな事を見逃した女は帰った先で全てを失った。

 

 *

 

 瓦礫だった。

 

 全ては瓦礫と化していた。

 

 【ガランス】が誇る無敵の城塞も。

 

 銃も剣も届かない巨大な堀も。

 

 美味い料理を作る料理人も。

 

 都市に溢れるチンピラも。

 

 屈強な鉄の掟で括られた親衛隊も。

 

 寵愛を受け続けた美しい女も。

 

 優雅に時に獣より厳しい長老も。

 

 必ず組織をまとめ上げてみせる頭領すらも。

 

 全てが瓦解した彼らの城の前で縄に縛られ、生気の無い顔で、いた。

 

 戦わなかったのかとか。

 

 どうして生きているんだとか。

 

 抵抗する気力すらないのかとか。

 

 あの笑顔は怒りは渇望は活気は夢は希望はあまりある熱量は、一体何処に消え失せて―――。

 

「隊長。全主要組員の拘束終わりました」

 

「これで周辺にある組織の七割は制圧が完了したわけか」

 

「はい。これでようやくこの地域一帯の人々も解放され、【近代化(レボリュション)】に向かって行けますね」

 

「ああ、ではいつも通り、矯正施設と更生施設に分けて転移方陣の準備を」

 

「了解です!!」

 

「おいおい。そう気負うなよ。早死にするぞ?」

 

「今日、帰ったら子供達に自慢してやりますよ。悪い連中を立派に捕えて、ちゃんとした人間にしてやる仕事が一段落したんだって」

 

「はは、じゃあ、さっそくだが、最後の捕り物でもしようか」

 

「はい。どうやらまだいたみたいですね」

 

 笑顔。

 

 まったくの善良な笑顔のまま。

 

 男達がこちらを振り向いた。

 

「て―――」

 

 撤収して、何処に逃げる?

 

 そんな声がキリアの中に木霊した。

 

 距離にして700。

 

 超常の力を持つ者の一人に力を使わせたのだ。

 

 それが技術か能力かは知らないが、それは大したもののはずだ。

 

 本当ならそう感じていた、はずだ。

 

 だが、簡単に700の距離の先。

 

 見通された視線はガッチリとキリアを向いていた。

 

 走り出そうとして暴風。

 

「ぐ?!」

 

 暴風ではないと気付いたのは一瞬の後。

 

 男達の前後に神々しい全身鎧が立っていた。

 

 嘗ての甲冑とは違う。

 

 まるで人間の肌の如く密着した分厚い鋼。

 

 それをものともしない跳躍力。

 

 あらゆる外傷を、外界からの干渉を防ぎ止める方陣防護。

 

 攻撃用の魔術、超常の力の悉(ことごと)くを無に帰す物理的強度。

 

 新たな教会が扱う兵装の一つ。

 

 七人の聖女。

 

 その一人が生み出した他種族の頂点存在すら一千の兵で平らげる世界最強の量産型兵装にして、聖女の扱う超常の力において聖別された汎用対魔王兵装。

 

【高格外套(ソーマ・パクシルム・ベルーター)】

 

 神の如く気高き意匠。

 

 丘に突き立つ七つの剣。

 

 それを前にして、彼女は、キリアは、怒りを、持つ。

 

「お前たちは…お前たちぁああああああああああああああああ!!!!?」

 

「隊長。こいつはリストに載っています。捕獲許可を」

 

「ああ、了解した。では、他の者は全て麻痺させる」

 

 バチン。

 

 そんな軽い音がして。

 

 己の背後で男達が抵抗も出来ずに倒れた事をキリアは知らない。

 

 目の前が全て赤く染まって。

 

 我を忘れて。

 

 あんな話をしながら、あんな軽い会話をしながら、潰されてしまった我が家を、我が家の人々を見て。

 

「それでもお前達は人間かぁあああああああああああああ!!!!?」

 

 パキンとキリアが外套の中から抜き放った新しい短刀が呆気なく、砕ける。

 

 折れる、のではなく、粉々に砕け散る。

 

「?!!!」

 

「ああ、人間だよ。そして、これから遍く人々を救う教会からの使者だ。悪いが、我々の仕事は人々を悪徳に貶める者達の掃討と捕縛。そして、矯正施設への移送だ。生憎と精神厚生(カウンセリング)の資格は無いんだ。いや、大丈夫。君は若い。きっと“まだやり直せる”さ」

 

 ぞわりと。

 

 鳥肌がキリアの全身を覆った。

 

(こいつらは!!?)

 

 目の前の男達は、違っていた。

 

 常識が違った。

 

 鉄の掟とか組織が治める地域とか関係なく。

 

 同じ人間なのに、まるで価値観が違った。

 

 ああ、と思う。

 キリアは知る。

 

 自分が感じていた危機感はこれだったのかと。

 

 七教会。

 

 その本当の怖さ。

 

 それは人類を魔王から救う戦争を遂行した力がある、というだけではない。

 

 旧き価値観を駆逐する。

 

 新たな、まったく新たな世界を構築するところにあったのだ。

 

 旧き者にとって、それはきっと自分が死ぬよりも恐怖の対象だ。

 

 年齢は関係ない。

 

 自分達が信じていた事がたった一晩で覆される恐怖に老いも若きもない。

 

 そして、何より、何より恐ろしいとキリアが感じたのは一つ。

 

「これからは身を売る女もいなくなる。これからは君のような若い女の子が戦わせられなくてもいい時代になるんだよ」

 

 目の前の鎧に身を包んだ男達は健全に十全に短剣で襲い掛かった“キリア・ユエト・セマネ”を“ただの女の子”としてしか見ていない。

 

 戦いの申し子と老人達が褒めた彼女を“敵”とは認識していない。

 

 ああ、それは何て、何て、理不尽で、恐ろしくて、己の不甲斐無さが身に染みて、どうしようもない絶望を齎すに最適な戦術だろう。

 

 いや、戦術ですらない、価値観、なのだろう。

 

「あぁ、そんな、泣かないでくれないかな。拘束が遣り難くなる。不安だったろう。だが、もういいんだ。君は戦わなくても、いいんだ…」

 

 優しくて、おぞましい、そんな何を勘違いしたのか知らない言葉が、尊厳を容赦なく食い破る強者の言葉が、力ない身を責苛んで。

 

「う、ぅあ、うぁ…うぁあああああああああああああああああああ―――」

 

 その日、キリア・ユエト・セマネは敗北し、ただの女になり、そして…本当の絶望を知った。

 

 それは自分の大好きだった場所が、容赦なく呵責なくただの善意で滅ぼされる、そんな悲哀だった。

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