第一章十節「壊乱」
三人が東の街道に入ってから凡そ二十日が過ぎていた。
エルデナンドの地を離れてから十七日。
極東の乂羅との往来が激しい街道沿いでは少しずつ煉瓦造りの建造物が失せ、樹木によって建てられた家々が多くなっていた。
その中で増えていく赤い壁は東の様式が混ざり始めたから。
行き交う人の姿に草履や羽織の者が増えたのは乂羅から流れてくる人が多くなっているという事に他ならない。
街道沿いに点在する茶屋が小麦の菓子ではなく米の菓子を出すのも少女達にとっては十分遠くに来た証左だろう。
やがて、剣ではなく刀を帯びる者が多くなると嘗ての経験から知っていた少年はようやく到達した一帯、猥雑な気配が集う大門より少し前で馬車を二束三文で売った。
ディシグニア国境。
無法地帯を取り囲む壁。
その中央に開く門は地獄の門と呼ばれて久しい。
朱色の柱と煉瓦造りの壁と。
“これより先に入る者は出る事能わず”
そんな落書きの傍で柄の悪い男達が屯している。
勿論、ただ少年は危険な場所へ少女達を運んだわけではない。
途中で道端の草木や石ころで造った視線避けの護符は十分威力を発揮している。
美しい顔を晒す少女達が何者にも咎められず、あっさり門を潜れたのはつまりそういう事だった。
「ふあぁ……」
「おっきい……」
猥雑な街並み。
活気と混沌が入り混じる眠らない世界を前にして。
イフィミスラとナーリャは同時に声を上げた。
日干しの魚を売る者。
絞めたばかりの鳥を売る者。
路上に立つ化粧の濃い女達。
怪しげな包みを無言で通行人に手渡す売人。
炉辺に広げた装飾を高らかに喧伝する商人。
複雑な刺青を肌に持つヤクザ者。
道行く雑踏には人間もそうでない者も混じる。
傭兵が、ゴロツキが、商人が、羽織姿の男達が、渾然一体と生き物のように歩いていく。
褐色の翼を背負う者。
肌に鱗を帯びる者。
獣の耳や尾を持つ者。
人とは違う瞳の所有者。
誰も彼もあまりお目に掛からない少数派の人型の他種族。
要は亜人だ。
「ティア。此処は大勢の者がいるのだな」
感心した様子で雑多な街並みを見つめるイフィミスラに少年はその混沌を前にして、人々が集まる理由を述べつつ頷いた。
「普通はどっちかしかいない場所が多いんだけど。此処は戦後沢山生まれた失業者が種族の境無く流入したって話だから」
そうなのかと。
目新しい玩具を与えられたようなイフィミスラは興味深そうに周辺を見渡す。
「こんなに他の種族を見たのは初めてだ」
「そっか。逸れないようにね」
少年は宿を取らねばと好奇心旺盛な少女に苦笑しつつ宿屋を探す。
(あれは……)
途中、気になるものを見かけたものの、少年は努めてそれを無視し、路地裏へと向かった。
大通りから抜けて裏に回れば、街は汚れ切っている。
黒い沁みがあちこちに、吐瀉物のような臭いの水溜りも多い。
路地裏で阿片を煙管で吹かしながら屯する男女の間を抜けて、少年は宿屋を探しながら今日明日にも起こるかもしれない混乱を思った。
『お兄さん。可愛いお姉さんは如何?』
クスクスと少年に対して甘い女の声が四方から掛かる。
私娼等は周辺に乱立する組織が統括する為にいないが、上納金を払う名目で娼館に所属する者が路地で客を取る事もよくある話。
「機会があれば」
そう返して、少年は治安の悪さに安全な宿がないかと辺りを見回した。
『お゛ぅ!!? お゛ぉ、あ!? ぎぅ!!? ひあぁああああああああああ!!!!』
突如として聞こえてきた嬌声に少女達がビクッと身を竦ませる。
路地の奥で身体を売る娼婦の声。
繁華街では珍しくも無い。
イフィミスラは顔を赤くし、ナーリャはキョロキョロしながら、少年にそっと寄り添った。
急に怖くなったのかもしれない。
ようやく今いる場所がそういうところなのだと実感を持って。
少年はそんな少女達の初々しい反応に微笑んだ。
「な、何を笑っているのだ!!」
「何でもない。行こう」
三人が路地を回る。
少年に色目を使う娼婦達を何人か通り過ぎ、ようやく宿屋を見つけた時にはもう門を潜ってから一刻程が経っていた。
寂れて奥まった場所にある宿屋は看板が出ていなければ、人がいないかと思うような静けさで。
カウンターに銀貨を置いた少年に店番をしていたと思しき若い女は少し驚いた様子になりながらも部屋の番号を鍵を渡す。
食事は無し。
一泊で銀貨二枚。
まぁ、妥当な値段。
こういう場にある宿屋という事を鑑みてもかなり良心的と言える。
宿屋ぐるみで追剥をしていなければの話ではあったが。
「ねぇ。あんた若いのに旅してるの?」
「あ、はい」
いつも通り。
人当りの良さそうな笑みで少年が応える。
それに何故か内心でムッとしたイフィミスラは少し強く少年の袖を握った。
「へぇ……」
ジロジロと少女を少し過ぎたくらいだろう女がニカッと笑った。
八重歯が覗いて、健康的な小麦色の肌がカウンターから乗り出す。
「ちょっと、あたしを買わない?」
ピキッとイフィミスラの額に青筋が浮かんだ。
「あ、えっと」
「ふふ、その様子じゃそういう経験ってまだ? そうだったら、おまけして銀貨一枚でいいよ?」
「あの、そういうのは……」
「これでも結構大きいんだけど、君くらいの子はこういうの好きじゃない?」
袖を引っ張られている手とは反対側が取られて、女の胸に当てられた。
「ッ!?」
ジロリと半眼になったイフィミスラが少年を睨む。
「此処では若い男の子って珍しいから一杯奉仕しちゃうよ? 胸とか使うのは自信あるから、何なら挟んであげようか?」
普通の子女から見れば豊満な胸。
その感触に困惑しつつ、少年は手を引いて「考えておきます」と当たり触りの無い言葉でお茶を濁し、二階の部屋へと向かった。
借りた部屋の内側に入り、パタンと扉を閉めて鍵を掛けた瞬間、不機嫌な声が少年に掛かる。
「ティア。お前はああいうのがいいのか?」
少年が横を見るとイフィミスラが少し怒った顔でふてくされていた。
「ああいうのって?」
部屋の椅子に腰掛けた少年の前。
寝台に腰掛けたイフィミスラが視線を俯けた。
気にした風もないナーリャは寝台を見るとそのまま寝転がり、猫のようにゴロゴロしている。
「あ、ああいう……大きいのが、好きなのか?」
それが胸の事だと気付いて、少年は愛らしい事を言う少女の頭を撫でた。
「な、何をする!?」
「いや、可愛いなって思って」
「ば、や、止めろ!! わ、我はお、怒っているのだぞ!!!」
「どうして?」
「あ、あんな牛みたいな乳に触れて、さ、さぞかし心地良かったのだろう!!」
「女の子の胸を基準で見てる男がいるのは否定しないけど」
「や、やはり心地良かったのか!?」
「え、まぁ。でも、それで女の子を買ったり売ったりとか。そういうのは……」
首を横に振る少年の本心。
そうイフィミスラには分かっていたが、それでも内心のもやもやは晴れない。
だから、少女は少年の手を取って、頬を赤くしつつ自らの胸の上に置いた。
「イ、イフィミスラ?」
「さ、触るなら、我のをさ、触ればいい……ではないか」
そんな少女の嫉妬に何だか微笑ましくなってしまって。
「それじゃ、夜にはそうしようかな」
「ほ、本当か?」
一気に不機嫌も何処へやら。
乙女の顔になった皇女はおずおずと少年を上目使いに見上げる。
「あの宿屋に行ってから、そういうのを二週間以上我慢出来るようになったみたいだし。今日は見ててあげるから……」
「ん、んむ……」
その言葉に嬉しいような物足りないような、そんな複雑な感情を覚えながらも少女はコクリと頷いた。
「それじゃあ、二人は此処で少し待ってて。はい。コレ」
「「?」」
二人の少女が同時に少年が差し出したものを見つめる。
「コレは……何なのだ?」
「僕がいない間のお守り」
「お守り?」
ナーリャがそれを繁々と見つめて受け取った。
小さな。
そう掌に収まってしまう大きさをした透明な球形の結晶。
水晶の塊とも見える。
ナーリャに渡した分とは別にイフィミスラの手にもそれが置かれる。
「二人の事を守ってくれるものだから」
「護符の類なのか? で、何処に行くのだ?」
ちょっと疑った様子で、さっきの女の話に乗っかるのではないかという疑念をちょっぴり抱きつつ、少女は少年の反応を伺う。
「そろそろ路銀が尽きるから、稼いで来ようと思って」
「仕事を探しに往くのか?」
「不健全な方法で稼ぐのが魔王の嗜みって事」
「まおうのたしなみ?」
ナーリャが分からないという顔をしてコロンと寝台へ再び横になる。
「昔から賭け事は負けた事が無くて。まぁ、殆ど力を悪用したイカサマみたいな感じではあるけど」
「と、賭場に往くのか? なら、我も」
「今日はそろそろ日が暮れるし、明日なら連れて行ってあげるから。今日のところは、ね?」
宥められて「そうか」としか言えなくなったイフィミスラがシュンとなる。
「おみやげ。買ってくるから待ってて」
「うむ…早く戻ってくるのだぞ」
「それじゃ。行ってくるから」
少年が部屋を後にする。
扉が閉まる瞬間、その背中に何かを言い掛けて、何を言っていいのか分からず、イフィミスラは出かけた言葉を喉の奥に呑み込んだ。
(何故、こんな……)
内心に掛かるもやもやとしたものよりも暗いものが少女の心を覆っていた。
自分の内心を覗き込んだ少女はそれを言語化しようとして「ああ」と気付く。
(そうか。我は不安、なのか。そうだな……考えてもみれば、ずっとお前は我の傍にいてくれた。一人になった事など無かった……)
「イフィミスラ」
「?」
振り返った少女をダークエルフの少女が後ろからガバッと抱き締めた。
「ふぇぁ!? な、何をするのだ!!? ナーリャ!!」
「一人じゃないよ?」
「え……」
「一緒、だからね?」
近頃、少し物言いしっかりしてきたのは記憶が戻り始めているからだと少年には聞いていた。
それでも少女はナーリャがそんな風に人の表情から何かを感じ取り、慰めようとするなんて思ってもいなかった。
「ご主人様。ティア。帰ってくる」
「どうしてそう思うのだ?」
「ティア。約束は絶対に破らない」
「……そうか」
「うん!」
飛び切りの笑顔で頷かれて、イフィミスラの心の奥から暗さは消えていった。
(お前には敵わないな。ナーリャ)
信じる事とは一点の曇りもない鏡。
ダークエルフの少女が浮かべる笑みのようなものだと、そう確信して。
少女達は知らない。
少年がどうして自分達を置いてまで外に出たのか。
少年が雑踏の先に何を見たのか。
雑踏の奥、誰にも気付かれず聳えるもの。
空から皇国領へと近付く無数の船団。
ある噂から人々の間に渦巻く不穏な空気。
全てを繋ぐ一本の線(ライン)にいる少年の真意を。
二人の少女が少年を迎えたのは深夜になってからの事だった。
*
「ぉ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛♡♡」
人ごみが行き交う最中。
大きな路地の中央から聞こえる声は誰にも気付かれていなかった。
グチュングチュングチュングチュン。
リズミカルに響く水音は人々の喧噪に紛れて尚響いている。
「ぃぃい゛いいい゛い!!? ひぃいいよぉぉぉぉっっ♡」
数メートルの高みで一人の女が喘いでいた。
路地の中央に鎮座する巨大な肉の壁に埋もれて。
グニィィィッと壁から生えた触手が背を逸らせるように乳房を引っ張る。
「ひぁあああああああああ!?!」
肥大化した乳房は女の頭三つ分はあるだろう。
エルフ特有の白い肌と均整の取れた姿態は崩れている。
巨大化した乳頭は一センチにもなり、まるで一口サイズの焼き菓子のように膨れている。
それをチュウゥゥゥゥッと吸い上げる触手は乳房を扱き上げて噴射される蜜乳でテラテラと全身を光らせながら女の全身にそれを塗り込んでいた。
溢れ出る乳の下。
孕んでいると見える胎は膨れ上がっていて。
内部に大量の白濁を溜め込んでいた。
肉の壁に四肢を取り込まれ、割れ目もピッタリ埋もれている女の中には大量の繊毛、極細の触手の群れが居心地も良さそうに蠢いている。
「まらぁイクゥゥゥゥゥゥゥ♡ やらぁ♡♡ もっろぉいれてくれなきゃぁやぁああああ!!!!」
舌を出して喘ぎながら、唾液と蜜乳を垂れ流しながら、女は触手に甘えるようにねだった。
なまじ均整の取れている身体だからか。
その姿は神々しくさえも見える。
孕んだ胎と大きな乳房。
それは豊穣を司る女神の特徴でもある。
浮かんでいるのが淫らな欲望か。
子を慈しむ笑顔か。
違いはそれだけだ。
見る者が見れば、エルフの女を崇める者すらいるだろう。
「ひぐぅぅぅぅぅっ♪ ぁ゛、あ゛、あかひゃんのへやぁぁぁじゅぼじゅぼしないれぇぇぇ♡」
それ程に淫らで卑猥な宴だった。
「ひぁ゛♡ ひぁ゛♡ んぉ゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛お゛ッッッ♡♡♡」
獣欲に支配された女の悦びの声はもう牝としてしか生きられないと誰もに教えている。
「みられひゃっえぇるぅぅ♡ あかひゃんうみゅのぉぉぉ♡ みあえゆのぉぉぉ♡♡」
少女の胎が震えた。
そして、猛烈な勢いで肉の壁に埋まっていた割れ目から触手が噴出した。
ブシュァアアアアアアアアアアと淫蜜と白濁の混ざった液体というよりもはや半分固まったジュレが道端を濡らす。
『?』
パタパタと上から落ちてきたソレを被った通行人達が通り雨かと首を傾げて。
何事も無かったかのように再び行き過ぎていく。
息も絶え絶えになるまでエルフの女はそのはしたない潮吹きを続けた。
「ぁ……♡……」
心の底まで牝穴を穿られる悦びに浸った女はようやくやってくる【ご飯の時間】を心待ちにしていたように舌をダランと出して口を開ける。
そこに壁の上から生えてきた男の化身の形をした触手が容赦なく突き込まれる。
「ん゛お゛♡―――♡―――!!!?」
声も出せないくらいに喉の奥まで圧迫され、ズボズボと口淫を強制された女はそれでも悦びに打ち震えていた。
喉の奥に男の先端が、エラの部分が当たり、ゾルゾルゾルッと引き抜かれる快楽だけで何度も達し、顔は悦楽に歪んで蕩けている。
自分から長いソレを呑み込む女の肺は空気を求めていたが、容赦なく触手は一番奥で精を噴出させた。
「?!!」
バクンと女の喉が一瞬膨れて、ドポォォォッと腹が膨れ上がる。
胎の中に溜められた白濁と同じものが胃の中を白く染めた。
ミチミチと音を立てて広がる腹部はもう完全に妊娠したとしか思えない程に膨れて、女は引き抜かれた触手にもっともっととねだるように舌を突き出して白濁を啜った。
顔を汚されながら、最後の一滴まで舌と男根を繋いだ糸が淫靡にプッツリと途切れる。
それを残念そうに見上げた女の焦点を結ばない瞳から幾筋と涙が零れた。
悦楽に。
快楽に。
淫悦に。
快感に。
されど、その中に混じる最後の一欠けら。
人だけが持つ悲哀を見つけて、少年は溜息を一つ。
ようやく活動が低下した肉の壁を見上げて思案する。
その脳裏には実利的な障害や女を助ける事で生まれる多くの困難が浮かんだ。
しかし、けれども。
『ティア。これは何なのだ?』
『ご主人様。大丈夫だよ』
共に旅する少女達の笑顔が、全てを押し流した。
「ちょっと道の邪魔じゃない? それに悪趣味だよ」
少年はその肉の壁がどうやって造られたのか知らない。
どうしてこんな場所にあるのかも分からない。
だが、それを成した者には心当たりがあった。
これだけの魔を誰にも知られず。
七教会にも悟らせず。
放置しておく。
そんな悪趣味は凡そ人間の技ではない。
戯れに造って飽きたから捨てる。
その投げやりな姿勢はきっと魔族のもの。
「やれやれ」
傍にいない女男(オカマ)に愚痴って。
少年は目の前のエルフの女に肉の壁に近付いていく。
「ひぅぁあん♡」
再び再開されていく触手の動きにパタパタとまた淫らな雨が降り、牝の匂いが立ち込め始める。
「君が誰かは知らない。ただ、僕が通った後に君みたいな人は残しておきたくないんだ……ちょっと痛いかもしれないけど、我慢して……」
一歩。
少年の足が地を蹴って。
フワリと1m程滞空した少年の腰がグルンと回った。
回転した腰から伝達された力は正しく少年の足の先に伝わり。
街道にすら響き渡る激音が落雷の如く響き渡る。
ギュュァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!?
回し蹴りが一発。
肉の壁に突き刺さり、衝撃が路地の裏へと突き抜ける。
内臓を完全に破壊された触手が突如の攻撃に悲鳴を上げた。
ブルブルと震えた触手が少年へと降り注ぐ。
高位の存在から切り離されたものの為か。
触手の超常の力、能力は桁外れな値の代物だった。
七教会の【高格外套(ソーマ・パクシルム・ベルーター)】ならば十人掛かり。
普通の一般人がどうこう出来る階梯(レベル)ではない。
銃器を持ってきたとて、その触手はたぶん地域一帯を炎に沈めても表皮が焼け焦げるくらいだろう。
(欲望の喚起に特化されてる。普通の人間なら対象にされた時点で死ぬまで自慰を止められなくなって、直接触ったら快楽の衝撃で死亡……くらいかな)
下位の魔族や魔力を扱う人型の他種族でも数十人以上の犠牲を出してようやく勝てるかどうか。
そんな下等な癖に能力だけはやたらと高い触手が少年の全身を錐(キリ)のように複数貫通する。
腕、足、腹、肩。
貫通した触手の先が地面に突き立ったと同時に背後に貫通した触手の表皮が泡立ち、更に細い触手を無数に射出(はきだ)した。
再びの貫通。
内臓を粉々に貫かれながら、それでも少年は冷静で、ただ触手の意識が自分に全て向かうのを待った。
そうして、ようやく壁の上から触手の束が迫り出してくる。
完全に獲物であるエルフから気を逸らして。
ぎゅげう゛んぐら゛。
そう意味不明な鳴き声を漏らして。
「……ッ」
四肢が壁から抜け落ちた女が地面へドッと叩き付けられた。
それでも少年が破壊していた肉壁の一部がクッションとなって傷は殆ど無い。
グチュァッと束の内部が開いて壁を統括するソレが少年の顔の目の前に現れた。
どんな生物にも該当しない顔。
目も耳も鼻も口も無数に溢れる何かの顔。
甘い腐臭に咲いた華(かお)は名状し難い。
「早めに帰らないとあの子達が心配するから。じゃあね」
軽く。
そう化け物の顔に告げて。
少年が触手に貫かれて動かないとも思われた腕を容赦なく突き込んだ。
ぐじゃぁ゛あ゛。
悍ましい音と共に少年の手が化け物の“顔”を砕き潰しながら奥に潜り込む。
「これかな」
脳。
そう呼んで差支えない神経系が集まった束を見つけて。
少年は呆気なく、容赦なく、掴み潰した。
途端。
今まで少年を刺し貫いていた触手が、肉の壁が赤みがかった色を失っていく。
腐肉のような廃れた色となっていく。
宙に放り出された少年は今正に化け物を退治したとは思えない身軽さで、降り注いでくる残骸に塗れながら着地した。
「大丈夫ですか?」
「……」
エルフの女を抱き起して、身体を確認するも反応は無い。
(気を失ってるだけみたい。少し心配してたけど、外傷も無いみたい)
未だに膨れ上がった乳房も淫蜜を垂れ流す乳頭も変わらない。
今も胎の奥から後ろの穴から人間種が使うものとは比較にもならない超高濃度の媚薬・白濁が止めどなく溢れ落ちている。
膨れていた胎は今正に堕胎した如く僅か萎んでいたが、それでも女がまだ触手から解放されただけなのだと少年は気を引き締めた。
宴から解放されたとしても、その後遺症はかなりの部分手遅れ感が強い。
(内臓は全部作り変えられてる。たぶん、心の方も……これだったら、最初から身体を作り直した方が早いかもしれない……)
冷静に女の状況を手に触れた部分から解析しつつ。
自分の重症を負った身体の事なんて一つも気にせず。
少年は腐肉と白濁で汚れた身体を自分の黒い外套で包んだ。
(しばらくはこれでいい)
少年の血に塗れた外套が薄く輝き始める。
血が消え失せていく。
同時に外套にあった穴もゆっくりと塞がっていった。
(傷はいいけど、この臭い……これは一回洗わないとダメかも)
抱える者の吐息が正常になり始めたのを確認して。
少年は一帯の力が解ける前に消えようと歩き出した。
数分もすると辺りは騒然となった。
悲鳴や怒号が少年が歩いてきた道の先から飛び交っていく。
混乱の最中、女を黒い外套に包んだ少年の事など誰も見ていなかった。
腐臭も血の匂いも白濁もその地域の住人にとっては見慣れたもの。
せいぜい女を買った男が外で楽しんでいたのだろうというくらいの認識。
一々追及する者はない。
(この子をこのまま連れて行っても旅をしながらの治療は……)
人気の無い路地を目指していた少年は周囲に誰の気配も無くなった事を確認してから虚空に視線を向けて、話し掛ける。
「ちょっといい」
『はい。何でしょうか。我が創造主』
少年の唐突な声に空から唐突に声がした。
「この子をハルトゥムの屋敷に安置して凍結する余裕はある?」
『七聖女からの干渉は確認出来ず。転移及び完全凍結に掛かる【因痕(キカトリクス)】波上昇値は基準値内。偽装・隠蔽に関しても問題無いと確認します。ご命令をどうぞ我が創造主』
「近況が安定したら、屋敷の方で少し時間を掛けながらの作業になる。凍結中に精査と心体(しんたい)の復元手順を組んでおいて」
『了解しました。対象エルフを転移します』
また唐突にエルフの女の身体が輝き始め、瞬間的に消え失せた。
『東館の七号室に安置完了。長距離転移による物質の構成に問題無し。凍結を開始。終了。凍結中、対象の洗浄を定期的に行いますか?』
「よろしくね」
『了解しました。他に何かご要望はあるでしょうか。我が創造主』
「あ、えっと近くの川から臭いが落ちるだけ水を。後は通常稼働に戻っていい」
『了解しました。転移開始』
ドパッと通り雨の如く。
大量の水が少年を真上から濡らした。
頭を振りつつ、服に付いた様々な液体を洗い流した少年は旅人が使う標準的な革製の衣装から水気を払って、何かを着る仕種をした。
途端、黒い外套が何処からともなく表れて、まるで最初からそうだったかのように少年を再び包んだ。
「もういいよ」
『通常稼働に戻ります。現状稼働率0.223%……目下修復中』
声が途切れて少年は未だ湿っている髪から水気を絞り、目的地へと歩き出した。
繁華街でも最も賑わう場所である賭場へ。
宿屋も娼館も併設されている其処はいわゆる巨大な娯楽施設。
命の値段を高くも安くもする欲望の園。
十数分歩いた少年はもう夕暮時の空の下。
巨大な施設の入り口を見上げるに至った。
入る者は男も女も笑みを浮かべて。
去る者は大半が溜息か笑みを浮かべて。
儲けた者もいれば、全てを失った者もいた。
其処に入るのに何らかの制限などない。
必要なのは賭け事をして飲み食い宴を開き女を買う金だけだ。
それをよく知っている少年は何も言わず。
スタスタと何の感慨もなく入口を潜った。
入ってすぐに地下へと空間が広がっていく。
巨大な地下遊戯施設の中では煌びやかな賭場で多くの賭けが行われていた。
人間もそれ以外の種も熱狂と絶叫と欲望に塗れている。
カード。
賭けチェス。
賽子。
ルーレット。
多種多様な賭けの中でも最も受けているのは拳闘。
巨大な穴の中で男達が飛び道具無しで斬り合っている様子に何処も変わらないのだなという感想を得て、少年は賭けチェスの列に並んだ。
正確に時間を測る者がいて、自分の持ち時間が切れるまでに相手を打ち負かせば、掛け金が手に入る。
数人の打ち手達が実力で客達を鮮やかな手並みで打ち負かしている。
数分から十数分で交代していく客の大半が敗けた事を嘆きながらも、そう大きな金を失うわけでもない勝負に満足して去っていく。
「はい。次の方」
ようやくカウンターに到達した少年は掛け金の率を見て。
迷わず有り金で行える一番高い勝負を選んだ。
受け付け嬢が少年の若さに微笑みつつ、金貨一枚分の打ち手へと誘導する。
チェス盤から椅子まで掛け金が高ければ高いだけ。
高級なものを使用した勝負となる。
賭けチェスはそういうただの勝ち負けだけではなく楽しい勝負事、言わば賭け事をする空間自体を売り物にしている面もあった。
通された通路の先。
衝立で仕切られた場で少年は壮年の男を前にして無言のまま椅子に座った。
「お、坊主。こんなところで腕試しかい? だが、此処で金貨十枚得たいならオレを持ち時間七分で倒さなきゃならない。こっちの持ち時間は十四分。さぁ、勝負を始めよう」
店の制服なのか。
背広姿の男がニヤリとした。
横では時間を測る女が一人。
台の横で二つの時計に手を掛けている。
何も言わず。
少年は手で男に先行を差し出した。
「ふ、舐められたもんだな。じゃ、遠慮なくいくぜ。先行を渡したから、勝てれば金貨十五枚だ」
男は舌なめずりする獣のように兵を動かし始めた。
十数分後。
「馬鹿な!? どういうからくりだ!!?」
横の唖然とした女から勝利した分のチケットを受け取り、無言で少年はその場を後にする。
少年の時計は約七十五秒を使っていた。
しかし、男の持ち時間は既にゼロ。
一手一秒の早差し。
相手が考えて打っているのかすら怪しく思っていた背広の男は愕然と盤を見た。
一部の隙もなく。
キングはルークによってチェックメイトされている。
どうしてそうなったのか。
幾ら反芻してみても、男にはその理由がよく分からなかった。
(これで十五枚……次はこれで……)
換金所から受け取った金貨十五枚を携えてカード種目の一角に少年が座った。
丁度開いていたディーラーが少年を入れてゲームを始める。
ポーカーだった。
客の殆どは男女半々。
誰もがいきなり参加してきた少年に好奇の視線を向けつつ。
それでも自分の手札に集中し始める。
「レイズ」
少年は強気に行くのか。
下りる事なく常にレイズしながらゲームに参加した。
他の客達がドロップする場でも躊躇いなくレイズ。
レイズレイズレイズ。
三十回の勝負で負けたのは七回。
それでもレイズしつつ、まるで下りる事を知らない少年に他の客達がヒソヒソと話し始める。
よく下りないものだと。
少額ながらも確実にチップを増やしていった少年の前に一刻程で高額なチップが四枚積まれた。
金貨120枚分のチップ。
少額で勝ち越し続けた少年は人目を引いたのを機に台から離れて、換金所へとチップを持っていく。
全てを換金した後、今度少年が向かったのは中規模の地下闘技場。
その選手受付だった。
旅の傭兵やならず者がよく稼ぐ手段として拳闘を行うのは珍しくない。
高額の参加費用さえ払えば、一度目に払った参加費用内のランクで幾つかの試合に出る事が出来る。
一度でも負ければ費用を払い直さなければ参加出来ない仕組みだが、勝てば参加費用の何割かを取り戻しつつ、再び勝負に出られて、勝ち続ければ元を取りながら稼ぐ事も夢ではない。
無論、最低限稼ぐには四勝以上という基礎的な基準もあるし、一度参加して勝ったランクには出られないという制約に縛られもするが、それでも旅の放浪者達には拳闘といえば高い人気を誇る稼ぎ場として認知されている。
(一番上でいいかな)
少年が大金である金貨百二十枚をカウンターで支払うとカウンターの受付嬢はまるで冗談を言われたかのような顔で何度も額面と少年を確認し、それでもプロのプライドなのか笑顔で、少年の選んだランクへの受け付け書類を書き上げた。
「時間は三十分後。大人数用の猛獣拳闘です。最後に猛獣が倒れた時点で意識を残して立っていた方の総取りとなる方式ですので、どうぞその点を留意されて下さい」
自分の番が来るまで静かにしていようと指示された控室に少年は向かった。
その部屋の木戸を開けると内部には蝋燭が灯っていて。
数人の男達が座っている。
顔には一様に生気がない。
ブツブツと暗い顔で死ぬ死ぬと呟く者。
何かに祈る形で震える者。
何度も何度も歯を鳴らしながら刃を磨く者。
「ああ」と少年はその拳闘がどういうものなのか理解し、最高ランクの額面が何故支払った金額の数十倍だったのか納得した。
男達には自分より幼い少年に対しての憐憫とか。
そういうものを感じている余裕も無かった。
これから何をするのか正確に把握している故だっただろう。
彼らの殆どが借金のカタに参加させられていると少年は知らなかったが、それでも男達の様子から「よくある話だな」と溜息を吐いて。
命の値段をちょっと少し低く見積もり過ぎではないかと拳闘を主催する者の悪趣味を思った。
『時間です』
係りの男が迎えに来て、男達と共に少年は闘技場の裏手へと向かう。
盛大なショーの始まりを客に告げる声は今日の生贄云々と煽っていた。
待っている途中で支給された剣は安物だ。
最初から勝たせる気もないらしい。
半ば呆れながら。
開けられた格子を潜って闘技場の内部へ少年が一番に歩を進める。
『!!!?』
男達は唖然として、震えている者すら目を見張った。
司会の声が今日一番に出てきたのは何と少年だとか煽りに煽っている。
係りに促されて闘技場に入った男達は自分達とは反対側の格子、その奥から漏れる声に恐怖を覚えて、少年の背後で脅えていた。
『では、本日のメインカード。哀れなる生贄と我がアーカスの誇る【久竜(ドラッツェル)】ベルモントちゃんの戦いをどうぞ。退屈なる夜に細やかな血の惨劇を』
ガシャンと格子が外れて。
ノソノソとそれが出てきた時点で少年の背後の男達は悲鳴を上げて、もう閉っている背後の格子をガンガン叩き始めた。
「た、助けてくれぇええええええええええええええ!!!」
「し、死にたくねぇよぉぉぉぉ!!?」
「ひ!!? ひぎぃいい!!!?」
「だ、出せ!!! こ、ここから出せ!!! 金なら必ず払うから!!! 出してくれぇええ!!!」
悲鳴に舌なめずりしたのは竜と呼ばれる生物。
それも10m級の翼竜だった。
特徴的なのは長い首と巨大な胴体と翼。
攻城戦にも使われる種だ。
その全身を覆う鱗は鋼より硬く、大型の銃でも砕けるかどうかと言われている。
魔術だの法術だの超常の力だの持っていたとしても、大体は倒す前に人間側が殺されるだろう。
火こそ吐かないものの【久竜(ドラッツェル)】は極めて古い種であり、大別される竜という種の中でも大昔から姿が変わっていないとされている。
進化の必要すらない安定した能力。
それこそが姿の変わらない意味であり、到底普通の人間が数人で相手に出来るものではなかった。
わああああああああああああと歓声が上がる。
男達の助けの声にも容赦なくゴングが鳴らされた。
調教されているのか。
まったく可愛げの無い顔が鋭く男達を薙ぎ払うべく横に振られ、来た。
一撃。
壁際の男達がその首に薙ぎ払われ、一瞬で二十数メートル先の虚空へと吹き飛ばされた。
観客達の席まで到達する事なく。
男達が壁際の席の上空で見えない何かに当たって地面に叩き付けられる。
魔術の結界でも張られているのか。
呻き声を上げながら男達はそれだけで失神した。
折れた剣がブンブンと上から落ちてきて少年の前に突き刺さる。
誰の者だろうかと考える暇も無く。
前に出て首と胴体の真下辺りまで歩いていた少年は上を見上げた。
竜の鱗は不健康そうな褐色と鈍色の斑模様を晒している。
食糧を殆ど与えず人間を与えていれば、そうなって当然。
興業の為に仕入れた“餌”以外は食べないように調教されているとすれば酷い人生、いや、竜生だなと少年は思いつつ、その怒りに狂い、飢餓に狂い、我を忘れた獣をポンポン叩いた。
「ご苦労様」
会場からは男達が吹き飛んだ喝采も消え失せようとしていた。
早く次の生贄をと望んでいた客達が少年の方を見て、少年が無防備にポンポン竜の肌を怖がりもせずに叩く様子を見て、その場が出来てから一度たりとも無かった沈黙が客達の間に下りていく。
何をしているのか。
生贄ではないのか。
そう人々が固唾を呑んで、少年と竜を見つめる。
「そろそろおやすみ。君も疲れたでしょ?」
その声に竜の腕が振り上げられる。
客達が色めき立つ。
変な少年がこれから竜の巨体に潰されて、竜の腕に潰されて、惨劇が起きるのを期待する。
『――――――』
竜の瞳がキロリとほぼ真下にいる少年に向けられた。
脚で蹴散らす事も出来たはずだ。
腕で払い飛ばす事も出来たはずだ。
それでも竜はそうせず。
客達が見守る中。
少年の瞳を覗き込んで。
少年の何の変哲もない空っぽな瞳を覗き込んで。
ズンと一歩後ろに下がった。
不思議と会場からどよめきが漏れる事はなく。
竜の瞼が細められ。
数秒の間が降りて。
ゴゥンと。
竜が、真横へと、倒れ込んで。
一体何が起きたのかと客達は理由も分からず身体を一度だけ震わせた。
濛々と上がる砂埃。
竜の視線は倒れる最中も少年の瞳と交わっていた。
熱狂もざわめきも存在しないという拳闘の場にあるまじき空気の中。
「君の命は糧にさせてもらうから。安心して」
微笑んだ少年の顔を少し確認するように首を曲げた竜が、グルルと鳴いて、「ああ、そうか」とそんな風に鳴いて、ゆっくりと瞼を閉じていく。
最期まで竜が少年に攻撃する事はなかった。
又少年が竜を攻撃する事もなかった。
ただ、勝者も敗者もなく拳闘の場に吹いた風は砂埃で全てを隠して。
規定通り。
少年は金貨四千六百枚分のチップを得る事となった。
*
店側に落ち度は一切ない。
どれだけの例外(イレギュラー)が発生しようと運行は通常通り行われた。
それでも人々の間では何を見たのか理解せず。
思考を停止する者は多かった。
ある者は少年が古の魔術を使ったのだと囁き。
ある者は少年が見えない剣の使い手だったのだと嘯き。
ある者は少年が実は強大な超常の力を持つ者だったのだと噂した。
そのどれも事実ではなかったが、解明する者もない。
少年は規定通りのチップを払われ、規定通り換金所へと向かった。
店側が不正な手段で換金を妨害しようとしなかったのは信用が第一という観点からで、それ以上でもそれ以外でも無かった。
理不尽ではあるが、世の中にはそういう事もあるだろうと店の運営側も納得したのだ。
出来れば厄介事にならないよう穏便に全てを済ませたかったというのもあるかもしれない。
そんな訳で少年は大きな木箱に詰まった最高額チップの山を持って換金所へ訪れていた。
「お客様。お受け取りになるものを選んでください。此処では女の身請けから当地帯一のスイートまで何だろうとチップの額に応じてお渡し致します」
一人清潔感のある白いシャツ姿の換金係が鉄格子の奥から少年へ涼やかに事実を告げる。
「全て金貨で一括にしてくれますか?」
少年の言葉に換金係が規定通りの言葉を返す。
「当店では他にも有名商会が出す証券などもございますが?」
「いや、金貨で一括にしてもらえると嬉しいんですけど」
「宿の手配や夜伽相手や多種多様な魔術具その他諸々もご用意できますが、ご利用しては如何でしょうか? 人間なら男も女も子供も年齢性別問わず。異種族でもエルフから魔族の血を引く者まで千差万別取り揃えてあります。もし旅がご不安でしたら傭兵もお雇い出来ますし、自分で戦いたい方には中央諸国製の銃器各種、法術や魔術を込めた武具や物品まで幅広い品を揃えてあります」
「あの出来れば、金貨一括で……」
「……お客様。ちょっとよろしいでしょうか?」
換金係の声に少年が「?」と疑問符を浮かべる。
「何ですか?」
「この間、当店ではかなり高額な金額が金貨で出ていまして、他のお客様の為にも金貨の保有量は一定に保っておきたいという思いがあるのです。此処でお客様にお支払出来る額面はありますが、出来るなら此処にある商品の中から選んで頂ければ、店側としては大変助かるのですが、どうでしょうか?」
「いや、えっと幾らなら金貨に?」
「百枚が限度かと。それ以外は現物で支払させて頂ければ幸いです」
少年はもともと押しが強い方ではなかったし、実際かなり悪辣な商売をしている店側に文句を付けて揉め事を起こしたいわけでもなかった。
三人が当分旅するのに困らない額があればよく。
店側からの提案を蹴る理由もなかった。
別に拳闘等の場ではよくある事。
生贄にされ掛けたというのに少年は穏やかに笑って頷く。
「じゃあ、他は現物で」
「そうですか。複数の高額な魔術具をお選びにもなれますが」
「出来れば嵩張らない方が。旅の途中なので……」
「どのようなものをお望みでしょうか?」
「そちら側で適当に見繕ってもらえれば……」
「分かりました。では、単品で金貨四千五百枚分の価値を持つモノ、でよろしいでしょうか?」
少年が頷くと換金係が分かりましたと応答して、何やらボソボソと後ろに喋ってから、再び少年へ向き合う。
「今、手配致しました。再換金は出来ませんのでご了承ください。品をお受け取りになる際に多少の面倒をお掛けするかもしれませんが、男の方なら問題ないかと存じます。では、係りの者がすぐに参りますので。しばしお待ちを」
「?」
換金係からの妙な言葉に首を傾げた少年の前に一分もすると娼婦らしき女がやってきていた。
煌びやかな宝石と透けて見える薄い衣に身を窶(やつ)したケバイ化粧の女だった。
頭を下げた女から付いてくるように言われて、少年がその後ろを辿っていく。
女は姿そのままに賭場に併設された娼館の者らしかった。
曲がりくねった道の途中には衛士と思われる者が数名。
先程の拳闘を見ていたのか。
全員が好奇の視線を少年に送っていた。
やがて、娼館の一室に辿り着いた女がそのやたらに格式高そうな扉を開いて少年を招き入れる。
そこはスイート。
高級娼婦を買う貴族や王族や豪商のみしか入れないVIPルームの一角だった。
多少狭い作りになっていたが、それは娼婦を買うという背徳感を高める為の狭さなのかもしれない。
内装はかなり凝っていて、寝台はもちろん浴槽を完備し、遮るものは全て硝子。
寝台横には無数の魔術具。
性を堪能する為に女性だけではなく男性に使う者まで幅広く揃っている。
此処まで何の疑いも無く来た少年もさすがにこれから受け取る【景品】が何か分かって、嫌な予感に汗を浮かべた。
さすがに受け答えがマズかったかもしれないと。
「えっと、それで品って言うのは……」
一縷の望みを託して女に少年が訪ねる。
「金貨四千五百枚分の品はこの賭場には一つしかございませんでしたので権利を一つ。こちらで選んだとはいえ返品は出来ませんのでご了承ください」
ペコリと頭を下げた女が自分のいる隣室の扉を開く。
「では、これから貴女の受け渡しを行います。良いですね? エフィリム」
「わかり……ました。おねえさま……」
そっと、扉の奥から出てきたのは少年が想像していた通りの、いや、それ以上の結果だった。
瑞々しい蒼い肌に漆喰のような黒い角。
黒い眼球に赤い虹彩。
縦に割れた瞳も麗しい。
とても幼い少女だった。
「……」
イフィミスラより頭一つ分小さい背。
年齢も三歳程下だろうか。
まだ幼子と言っていいかもしれない。
それでもその姿を美しいと感じるのは少女が魔族の血を引いているからだ。
そして、少女の胎がぷっくりと膨れているからかもしれない。
妊娠。
孕んでいるのだと少年にも分かった。
蕾もすじも隠さない、ほぼ全裸と変わらない透ける布地の衣装はただ男の情欲を促す為のもの。
一度目にしたらたぶん一生忘れられないだろう魔性の類。
「……」
さすがに無言となった少年が女を見やる。
少女を先導して少年の前に立たせた女は密やかに笑った。
「この子は魔族の血を引いている娼館で最も高い“品”です。この子の身請けの権利。これが丁度四千五百枚となります。身請けの条件はこの子の処女を奪う事。これは同時にこの子の最大の価値を得るという事でもありますので、今後返品出来ぬようにとの配慮でもあります。どうぞ、この子の穴を心行くまで味わって頂ければ幸いです」
「あ、えっと、その、何ていうか。へ―――」
「返品は既に出来ません。この子との関係を持って頂くのは後にお客様からのクレームが無いようにとのこちら側からの要望でもあります。傷物となったこの子をどうするのかはお客様次第です。身請けの権利は娼婦にしてみれば神聖なもの。自分では一生買えないものですので。此処に再び置くという事もありません。それが此処の流儀ですので」
「……」
再び沈黙した少年の耳元で女がそっと囁いた。
「この子の胎は確かに孕んでいますが、誰かの子種ではありません。そこは心配しなくてもよいので安心を…この子は生まれながらに妹を身籠っているので」
「え……」
色々と動揺を隠し切れない少年に女はそれ以上説明せず。
「魔族の幼子とはお嫌ですか? 此処で女達に仕込まれていますから、上の穴も下の穴も後ろの穴も全てこの子は受け入れられますよ? 勿論、全て“新品”です」
もう言う事はなさそうに女がそっと頭を下げて部屋の扉の前に立った。
「その子の処女を奪う様子はこちら側で女達が確認しています。奪った後に満足するまでして頂いた後、衣服を一着お持ちしますので。それを着せてどうぞお連れ下さい。では良い夜を」
パタンと無常にも扉が閉まる。
煽情的な衣装を着る魔族の血を引く少女。
その瞳が少年を捉えた。
「ごしゅじんさま……いえ、おにぃさまとおよびするほうがいいでしょうか?」
拙くも礼儀を弁えた高級娼婦。
それを一生懸命に演じて。
衣の端を摘まんで頭を下げた少女が少年に己の名前を告げた。
「おにいさま。おはつにおめにかかります。えふぃりむ・えーね、です」
「あ、うん……僕はティアって呼んで……エ、エフィリム?」
躊躇いがちな少年の言葉に少女、エフィリム・エーネと名乗った幼き少女は顔を綻ばせて、年相応な笑顔を浮かべた。
「てぃあさま。てぃあにいさま。どうぞよろしくおねがいします」
そっと、儚く小さな手が少年の手を握る。
「どうぞ……えふぃの……まだちいさなあなを……こ、こだねでみたしてくださいませ……てぃあにいさま……」
恥じらいに頬を染めて娼婦顔負けに言う少女へ。
少年は何と返していいか分からず。
途方にくれた。
こうして深まっていく夜気に少年は波乱を感じつつ、新たな伴となる者を得るのだった。
長い夜に密事が始まる。