※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

110 / 318
第三章二十二節

第三章二十二節「再開」

 

 今日も不健康そうに細い青年アーギスト・エス・トリアは一人国立図書館の奥の机に座っていた。

 

 黴の生えたような古書の棚が並ぶ場所だ。

 あるのは百年から約一千年前までの比較的“新しい”ものばかり。

 青白い顔は友人達にからかわれる通り妹と似ていない。

 

 漆黒のローブを着込んで古本を捲る姿は尋常に見えないという点で正に数百年ものの大魔術師だが、視点を変えると時間でも越えて来た過去の人である。

 

 機能性の欠片もない麻の服なんて着ている時点で変人なのだから仕方ないとはいえ、現在の高位魔術師が着るような衣装では無かった。

 

「……ざぼいど……ざぼいど……」

 

 ブツブツと呪文の詠唱でもしているのかと疑うような気味の悪い呟きを漏らしながら、アーギストは頁(ページ)を捲り続けている。

 

 古書の装丁は比較的古く。

 写本と堂々名付けられている辺り、貴重とは程遠い代物。

 読まれる事も無く死蔵されていたのか。

 染みの一つも無い。

 

「…………あった。やはりか」

 

 眼鏡の下で目が細められる。

 

(国がこの名前を付けているとしたら、消される理由になるか。いや、まだ断定は出来ない……)

 

 殺された情報屋の一件から三日が過ぎていた。

 報告を受けた当日の夜から調べを初めて四日目の徹夜。

 そろそろ夜が明ける時間帯。

 

 当直の司書達が来る前に見付かった情報を元手に彼の脳裏で様々な推測が浮かび上がっていく。

 

(霧の症状を国が理解しているという事は表面的な部分で怪物化が露見するのも時間の問題だな……症状が出た連中の中にどれだけ【崩燼貴族(ソルヴァス・ノーブル)】のような奴らがいるかによっても状況は……)

 

 頁を閉じたアーギストが立ち上がると本を書架へと戻した。

 

「進むべきか。退くべきか」

 

 溜息を漏らして朝の図書館から靴音を響かせて退出していく。

 

「まずは諸々の実態調査から、か……」

 

 早朝にさっそくやってきた司書達が見つけたのはカウンターに置かれた貸し出しの旨が書かれた書置きと正式な【貴族連名登録者(パリス・ホルダー)】からの書類一式。

 

 彼らが首を傾げたのも無理はない。

 

 三日も篭っていた魔術師の借りていく本が普通書架にあるものばかりだったのだから。

 

 本の題名は四つ。

 

【歴代魔王事典】

【お茶戦争】

【異相干渉魔術理論Ⅴ】

【魔力形質大全】

 

 アーギストが図書館から帰って後。

 自宅で妹から白い目で見られたのも当然の結果だろう。

 三日も唐突に消えた挙句。

 

 大量の本に埋もれるようにソファーで眠っているなんて、これで呆れない方がどうかしている。

 

『兄さんは本当に変人です……』

 

 そんなありがたい愛妹(あいまい)からの忠告は夢の彼方の青年に届きもしなかった。

 

 *

 

 ファルティオーナの現代国家群にとって大きな括りでの家族形態は一般的に一夫一婦制が比較的多数を占めている。

 

 比較的、というのはこの場合半数程度という事であり、一夫多妻、もしくは一夫複妻、または一婦多夫、あるいは多夫多婦、一婦多婦、という具合に後の半数の形態は様々だ。

 

 男か女かに関わらず。

 

 一人の男か女に対して伴侶が複数いる場合をハーレム、またはハレムと俗称する。

 

 有名なところでは大陸南東部武帝での部族ハーレム。

 

 非一般的には北部三国と称される大国の一つベリアステルの女系ハーレム。

 

 西部にも砂漠ばかりの後進国アルディジャランが養子ハレムという制度を敷いている。

 

 これらのハーレムの共通点は全て制度が戦後処理の過程で築かれた伝統である事だ。

 

 戦に若い男達が借り出されて後。

 戦死者の多くが家族を養えなくなる。

 保険という概念が出来たのは未だ千五百年程前の事。

 

 それまでは戦に勝った国も戦後処理の過程で扶養者不足によって大勢が貧困に喘いでいた。

 

 これらの事から寡婦やその子共を救おうとしたのがそもそもハーレム制度の始まりとされる。

 

 ただ、アルヴァス・カレッジに近頃現われたハーレムは一風変わっていて亜人国家ならではの呼び方だろう。

 

 生徒達曰く。

 

【人間ハーレム】

 

 そう呼ばれている。

 

 “九十対十(ナインティ・テン)”ばかり集めた四五六(ジゴロ)。

 

 人間少年(イクス・ゼオ)の悪評は留まるところを知らない。

 

 周辺女性陣の殆どが人間基準で見れば見目麗しいのだが、容姿の価値基準が亜人は人間以外の部分に偏っている為、何だかパッとしないと評判の集りだ。

 

 例えば、同じような人間姿のシルルゥ・ゼオは一角獣(ユニコーン)だと言うものの、足も体付きも人間そのものであり、額の角以外にそれらしい亜人の部分が無い。

 

 ハイダル・エス・トリアは【崩燼機関】の開発者である母方の亜人の血が流れていると言われているが、何の亜人かはさっぱり分かっていない。

 

 旧き大貴族出である奏美紗は一度捨てられていながらの“出戻り”で、一応は亜人らしい姿なのだが、顔がせめてもう少し獣寄りならなぁと獣型の亜人達からは惜しまれている。

 

 近頃ハーレムに入ったらしいと噂される落ちぶれた大貴族の一人娘ウル・エイフォン・バーゲルは貴族の子女として申し分ない容姿なのだが、尻尾以外は人間過ぎて食指が動かない亜人が多数。

 

 ただ、ここ数日で大幅に胸部装甲(おっぱい)が超大増量されたので非常にけしからんと血の涙を流す者もいる。

 

 新入りの従者らしき黒い小獅子リーシャ・ハーモニアに付いてはメイドとは一風違う女給姿と微妙に亜人っぽい瞳や長い眉の部分が可愛いと評価する向きもあるが、そもそも貴族ではない。

 

 少年の後見人が学園の理事を勤める大物であるのは大体の生徒が知っているので、あまり表立って噂こそしないが、今やイクス・ゼオという名はアルヴァス・カレッジにおいて、色魔と=になりつつあった。

 

 つまり、結局のところ、一体何が言いたいのかと言えば。

 

 少年だって人目が無い場所で生き抜きが必要(女性陣の視線も含む)なのだ。

 

 厠(トイレ)の中にまで付いてきそうな勢いの璃紗をエストリア達に一時預けて。

 

 今日も今日とて少年は一人寂しく学校の裏山の一角で燻製魚のサンドイッチを咀嚼していた。

 

 頭にはいつもの黒猫付きである。

 海神の巻き起こした下水道の騒動から時間も経っている。

 火精の流れは正常に戻りつつあるらしく。

 涼やかな風が周辺には吹いていた。

 

「マヲ~~~」

 

 涼しい事は素晴らしいと言わんばかりに他人の頂点で堕落する黒猫はご機嫌らしく。

 

 テシテシと前足で生え際を叩いては遊んでいる。

 

「?」

 

 さすがに此処へは誰も来ないだろうと思っていた少年が近付いてくる気配に首を傾げたのはそれが知っている者だったからだ。

 

「おぅ。こんなところにいやがったか」

「ジルムス先輩」

 

 藪を掻き分けてやってきたのはジルムス・デダルだった。

 

 改造制服に付いた葉を払うと横までやってきて、どっかりと少年の横へ座り込む。

 

「アーギストさんから何か?」

「話が早くて助かるぜ。ああ、その通りだ」

 

「それってこの間の情報屋が殺されたっていうのを関係ありますか?」

 

「さぁ、な。ただ、あの野郎の口ぶりからしてそいつを判断する為の調査ってところだろ」

 

 血生臭い話は境界踏破の仲間内でもエストリア以外には少なからず伝えられている。

 

 少年も美紗とジルムスが出会ったという事件のあらましは聞いていた。

 

「今日はあいつの指示で反七教会派が仕切ってる店で情報収集だ」

「ちなみに“あっちの先輩”の方には?」

 

 美紗の事も一応は先輩と呼んでいる少年の言葉にジルムスが首を横へ振る。

 

「女子共を連れてける場所ならそうするはずだ。あの野郎はああ見えて一応はへんた……紳士だからな」

 

 言い直したものの。

 ジルムスの内心が透けて見えて。

 少年は半笑いとなった。

 二人の上には薄曇の空。

 暗い話題も相まってか。

 一度か二度。

 体感温度は下がったかもしれない。

 

「ちなみに何の情報を?」

 

「あの野郎が言うには化物化の前段階。つまり、お前が言っていた化物になる部分が生成された連中には一定の症状が出る、らしい」

 

「一定の症状?」

 

「ああ、そいつの詳しい内容と霧や化物化の関連情報を掴んだってのが情報屋の話だったらしくてな。消された理由を追っていけば、誰が消したか。誰が情報を止めたかったのか。“釣れるかもしれない”だとよ」

 

「……国がやったかもしれないとしたら、無駄骨かもしれませんけど」

 

「その線も有力だから、今回の件からあの獅子女は外されてんだろ」

 

「まぁ……」

 

 現職の警官。

 捜査権は剥奪されているとはいえ、元々美紗は公僕の側である。

 

 国が情報を隠蔽する為に一般人を殺したとなれば、大きな葛藤を抱くのは想像に難くない。

 

「ちなみに場所は?」

 

「南部から都市を出て程なくの場所にある物資集積倉庫群だ。殆ど街みたいになってんだ。反七教会派も大手を振ってハガスは歩けねぇからな。今じゃ連中の庭、非合法な店の経営で潤ってる魔窟だ」

 

「微妙に詳しいような」

「喧嘩上等なんて掲げてると色々詳しくなっちまうのさ」

 

 それ以上、少年は何も聞かなかった。

 

 何やらその手の話に詳しそうなジルムスに薮蛇な質問をする理由は無い。

 

 そもそも本来なら少年は平和主義万歳な性格だ。

 争い事が好きでもない。

 喧嘩上等で済めばいいが、相手は仮にも非合法組織。

 

 銃器や違法な魔術具、魔術触媒、生物、その他諸々を持っていてもおかしくないのである。

 

 荒事になれば、化物ではなく亜人相手の大立ち回り。

 

 個人や化物を相手にするのとは違って、組織に対して個人が有効な手立てを打つ場合、組織を潰してしまえる実力を示すのが最も早い。

 

 だが、それは目立つ。

 否、目立ちまくる事と同義だろう。

 

 名前が裏社会で売れて嬉しい輩ではない少年にしてみれば、自分の周辺に迷惑を必要以上に掛けたくないという事情から言っても穏便に解決するのが最も望ましい。

 

 厄介事はあまり背負い込みたくない性質なのだ。

 

「あの獅子女には“あっちの方”を任せておきゃいい。少なくともまだ危険って程じゃねぇんだろ?」

 

「えっと、可愛いだけの女の子にしか見えないというか」

 

「可愛い、ねぇ。そいつは心の中だけに仕舞っておけ。まだ女の骨肉の争いなんぞ知りたくねぇ」

 

 ジルムスが愚痴る。

 

 アルヴァス・カレッジの中にいるなら否応無く聞こえてくるイクス・ゼオのハーレム情報。

 

 その内実をそれなりに知っている身からすれば、見知った女子の黒い姿は彼にとって目の毒だ。

 

 半笑いになった少年がそろそろ切り上げようと立ち上がる。

 

 するとジルムスが片腕の時計を見て慌てた様子となった。

 

「やべぇな。そういや、センコウに呼び出し喰らってたんだ」

「じゃあ、詳しい話は放課後に」

「ああ、場所は此処だ」

 

 懐から小さな手書きの地図を取り出して渡すとジルムスがその場を後にした。

 

「ふぅ……」

 

 早めに戻っていった背中を見送って。

 少年は不意に近くの林に視線を向ける。

 

「あの~」

 

 呼び掛けにビクッと林の葉が震えた。

 

『ひ!? に、人間に見付かった!? また人間に見付かっちゃった!? どうしよう!? どうすればいい!!? た、食べたって美味しくないんだから!!?』

 

「普通に人間が亜人を食べたりしないと思う……」

 

 この間も謎の声から同じような事を言われたので少年が冷静に返す。

 

『う、嘘!! だ、だってお爺ちゃんが言ってたもん!! 昔は戦場で人間の食料にされた仲間がいるって』

 

「それは……」

 

 少年も亜人国家の詳しい戦史に付いては知らない。

 ただ、そういう事があったとしても驚きは無かった。

 人間と亜人の間には差別以上に根深い垣根がある。

 

「ちなみに自己紹介すると人間じゃなくてイクス。イクス・ゼオって呼んでくれれば」

 

『ひぁ?!!! 人間が自己紹介する時は狩りに来てる時だってお爺ちゃんが言ったんだから!!!? 戦場で自己紹介されたら生きて戻れないって!!? に、人間怖い!!!?』

 

 ガサガサガサガサッ。

 

 慌てた様子で声が遠ざかっていく。

 

 一人残された少年は聞こえていないだろうとは思いつつ、少しだけツッコミを入れた。

 

「それって“名乗り”なんじゃ……」

「マヲーヲ?」

 

 戦場の礼など露知らず。

 黒猫が『そうなの?』と首を傾げた。

 

 *

 

 まだ部長の体調不良で武芸術部が再開されていない。

 

 それを休み時間の校内で出会った赤鬼女(エンシェン)から聞いた少年は放課後。

 

 璃紗と共にゼオ家へ帰ってから外套を着てすぐ合流地点へと急いだ。

 

 『イクスの従者だから…』と付いてこようとする璃紗に此処数日している言い訳。

 

 外に用があると言い置き、頭を一撫でしての外出である。

 

 毎日のように“夜のお世話”を想像していたらしき璃紗がショックを受けたのは初めてゼオ家でいたした日の翌日。

 

 シルルゥの不満顔と璃紗の寂しそうな顔は少年にとって近頃の悩みの種だ。

 

 しかし、境界から溢れる霧と化物と化した人々の観察は少年のライフワーク。

 

 早々止められるものでも無い。

 

 一度、アイウィス内部への侵入を果たしたとはいえ、【欺瞞(フラウデム)】崩壊後の内部情報はまったく分かっていないのだ。

 

 化物が明らかに増えているという事は無いが、境界において減っている様子もないのは少年がアイウィス脱出後に夜の戦闘をほぼ毎日こなしている事からも間違いない。

 

 アーギストによる第二次侵入計画は既に境界踏破組の全員に通達されており、二週間後に時期は迫っていた。

 

 空間制御と異相干渉にやたら詳しい青年はアイウィスの何処からでも帰還出来る機構を作っているらしく。

 

 今しばらくの時間が欲しいと少年へ伝えてもいた。

 それからも逐一境界に関する情報は渡され続けている。

 

 次回侵入に向けて新調した鉄剣も幾度かの実戦を経て慣らしと調整は終了。

 

 後は待つばかりだ。

 

(………やっぱり、連れて行きたくないんだろうな……)

 

 アーギストの顔を思い出して少年は内心の複雑な諸々を呑み込んだ。

 

 ハイダル・エス・トリア。

 

 彼女が傷付く事を一番恐れているのは境界侵入に反対していた兄である青年だ。

 

 今回の調査も妹の知らなくてもいい残酷な真実が含まれているからこそ、自分とジルムスが抜擢されたのだと半ば少年も理解していた。

 

「そろそろ……」

 

 霧も深くなり始めた夕暮れ時。

 

 馬車が止まる定期行路の一角で少年は霧に紛れてやってくる巨躯を認める。

 

 境界踏破に使用された真白の外套。

 

 内側に装備をビッシリと搭載したソレはジルムスを一種の拠点と化す。

 

 念の入れようはいいが、二回り大きくなったジルムスの姿は他の馬車を待っている客達をギョッとさせていた。

 

 明らかに悪目立ちこの上ない。

 

「よう。準備はいいか? って、聞くまでもねぇな」

「普通の定期馬車で?」

 

「野郎がオレ達用に貸し切ったのがそろそろ来る。二時間ちょいで付く―――言ってる傍から来たな」

 

 四頭立ての頑丈そうな馬車。

 

 と言っても【崩燼機関(ソルヴァス・エンジン)】付きの馬のいないものが貸切の板を下げて馬車の乗り合い場所へゴトゴトとやって来ていた。

 

 無理やりに足回りを強化したらしく。

 石畳に止まった車輪の音は重い。

 

「行くぜ。後輩」

「はい。先輩」

 

 呆気に取られた他の客達を置き去りにして。

 二人は蒸気を上げながら無人で走り出す馬車へと乗り込んだ。

 

 席で揺られながら二時間弱。

 

 ハガス南部より更に南。

 

 物資集積所たる倉庫が乱立する一帯。

 

 そこは都市の心臓のような役割を果たしている。

 

 元老院御用達の公用倉庫から民間大手の貸し倉庫まで。

 

 名義も大きさもバラバラな倉庫群では管理者や輸送業者の寝泊りする施設が付随し、その付随した施設の利用者目当てに開業する店が生まれ、という具合に日々人々の生活に不可欠な場所が増設され続けていた。

 

 結果として倉庫群としか地図上明記されなくとも街のような様相を呈している。

 

 しかし、だからと言って街のような自治権があるわけではないし、町長のような者がいるわけでもない。

 

 故に公僕は巡回していようと派出所も無く。

 

 あくまでただの倉庫が密集する区域としてのみ行政的な扱いを受けて、大っぴらな政治活動は無い。

 

 表上はそういう事になっている。

 

 ただ、そういう行政の目が届き難い都市機能を持つ場所が放って置かれる事は無いのも道理で。

 

 事実上、多数の裏社会の勢力が入り乱れる場所として“倉庫街”と人々はその場所を呼んでいた。

 

 人間奴隷の流通。

 魔術で創造された生物の取引。

 未だアルヴァスに根城を置く魔術結社の出先機関。

 

 娼館だってあるし、街娼、私娼、男娼、その他諸々の奴隷まで買う事も可能だ。

 

 貴族達にしてみれば、出向くまでも無い粗野な場。

 そういった理由から出入りする貴人はそう多くない。

 ただ、倉庫の密集という機密性の高い場所のせいか。

 

 犯罪率は元より、倫理面で貴族達が嫌悪するような事件や事故、未だ表沙汰にならないアルヴァスの裏の部分が積み上がっているのは確かで。

 

 実しやかにいつか国からの厳しい監査が入ると囁かれている。

 

 四方1km程の場所に密集する黒い倉庫群は傍目には巨大な工場のようにも、あるいは要塞のようにも見えるだろう。

 

 流通の要という事で露天や居酒屋が通りに酔っ払いを量産しているが、賑やかな表の顔とは違って、少し入るとアングラな店が立ち並ぶ。

 

 街の外で馬車を降りた二人はまず裏手に回って小さな通りから目的の店へ向かう事とした。

 

 道端に浮浪者や乞食はまったくいない。

 

 だが、流し目を送ってくるほぼ全裸に毛皮だけの女達やら、客引きを任せられている人間の少女やらはチラホラと二人の視線の先にいた。

 

 珍しい“客”に遠目から視線が集るものの、誰も近付いてくるような気配はない。

 

 少なくとも堅気(かたぎ)の人間には見えていないのは確かだ。

 

「どれくらい先の店に?」

「ちょっと待て」

 

 ジルムスはアイウィスでも使用した視覚に情報を投影する専用の魔術を起動する。

 

 すると、すぐ二人の位置と目的地がジルムスの瞳へ地図と共に浮かび上がった。

 

「ここから通りを三つ跨いで左の四件目。どうやら酒場兼娼館兼食事処らしい」

 

 ジルムスの後に付いていく少年は周辺からの視線が薄くなっていく事に気付く。

 

 向かう先が分かった為に関わりたくないのだろう。

 

 つまり、これから出向く場所はかなり現地の住人達から畏れられていると思っていい。

 

 一分後。

 

 さっそく見えた目的地の店には【崑崙亭(こんろんてい)】と書かれてあった。

 

 外見上は何処にでもありそうな飲み屋兼食事処だ。

 

 大きな看板が掛かっていて、木製の扉と硝子窓からは洋光(ランプ)の光が漏れている。

 

 大陸一般ではそれなりに上等な飯が食える場所と見えるに違いない。

 

 しかし、その周辺にだけは喧騒が届いていない。

 

 人がいない風景は暗に誰も近寄りたくない場所という事を示していた。

 

 二人が気負った様子も無く普通に入店すると。

 いらっしゃいませ~との元気な声。

 それに安普請なのか。

 上からの嬌声が混ざっているのはご愛嬌だろう。

 内部の誰も気にした様子も無く食事を続けている。

 

 カウンターに座ったジルムスと少年の前へやってきたマスターは猿顔。

 

 否、猿の亜人【申人(スィミア)】だった。

 

「何にしますか?」

 

 落ち着いた白黒(モノクロ)の制服姿。

 

 にこやかに対応する姿からは此処がそういう店だとは普通想像出来ないに違いない。

 

「そういや飯食ってなかったか?」

「いつも夕食は遅いので」

「じゃあ、【冷紅茶(アイスティー)】でも頼むか」

 

 さっそくジルムスが頼むとマスターが一分程でタンブラーを二人の前へ置いた。

 

「どうぞ」

 

 少年が奢りだろうと遠慮無く口にする。

 

 その間にも貴族として最低限の客のように振舞ったジルムスが本題へ入った。

 

「ちょっといいか。マスター」

「はい。何でしょうか?」

「此処に数日前、こんな奴来なかったか?」

 

 懐から取り出された篆刻写真を覗いてマスターが首を横に振る。

 

「いえ、見てませんねぇ」

 

 少年が溜息を吐く。

 

 教えてくれる気は無いのはまだいいのだが、背後の客達の気配が一気に変化していた。

 

「嘘付いてません?」

「は…一体どういう事でしょうか?」

 

 マスターが少年の問いに自然な回答をする。

 

「知ってますか? 人間て嘘を付く時、ほんの僅かに頷いたりするんですよ」

 

「何の話でしょうか?」

 

「他にも瞳の向きによっては何を考えてるのか分かったりもする。今、何かを思い出してから、後ろの人達に合図しましたよね?」

 

「お客様。そういう言い掛かりは……」

「ちなみに何処に座ってたかは覚えてますか?」

 

 少年の人差し指がカウンターを端から端まで指差して移動する。

 

 その指を視線で追ったマスターの瞳を見ていた少年が微笑む。

 

「此処、ですか?」

 

 自分の座っている場所を指差した少年にカウンター越しの視線が険しくなった。

 

「……お客さん。此処、何処だか分かってますか?」

 

「大体は。ちなみに此処って魔術で監視してますけど、記録って残ってますか?」

 

 男が視線を俯けた。

 

「ちなみに今、一瞬だけ視線が向いた側の逆方向に監視位置があるのは分かりました」

 

「お、お客さん。それ以上はいけない……此処は仮にも魔術結社の出先ですよ?」

 

 俯いた男の声には怒りとも焦燥とも付かない響きがあった。

 

「今の声の状態から本当に怖がってるのは分かりました。雇われなんですか? ちなみに命と雇われ店長の座。どっちが大事かって聞いたらどうします?」

 

「や、止めてください。こ、これで失礼します……」

 

 さすがに自分の意思を勝手に暴露されるのは避けたか。

 慌てた様子で猿顔が裏手へ早足に退出していく。

 

「おい。何かお前…すげーな…」

「単なる智識ですけど?」

 

「嘘を見分けるのは読心の魔術が使える奴か、能力者くらいのもんだと思ってたんだがな……」

 

『お客さん。困りますね。厄介事を起こされては』

 

 二人が振り向くと客の一人。

 蒼い体表の【獣人(ベスティア)】が歩いてくるところだった。

 

「ちなみにこういう奴を見かけなかったか?」

 

 ジルムスが写真を取り出すも、その手の写真が蒼い手で覆われる。

 

「悪いが此処は静かに食いたい連中の溜り場なんです。何も知らなかった。何も見なかった。それが出来ない者は排除させて貰います」

 

「ちなみに彼が何を調べてたのか知ってます?」

「―――お前!!?」

 

 蒼い獣男が瞬間的に読み取られた事を悟ったか。

 掴みかかろうとしてジルムスに腕を取られる。

 

「おっと、暴力はご遠慮願おうか」

「ちなみに偉い人ってこの中にいますか?」

「―――殺されてぇのか!!!?」

 

 さすがに男が恫喝した。

 

 重要情報を漏らしたとなれば、組織での扱いは恐ろしい事になる。

 

「いるみたいですけど、何方ですか?」

 

 少年が男の恐怖と瞳から読み取った情報のまま、他の客達に尋ねる。

 

 客達の中から出てきたのは五十代過ぎの九十対十(ナインティ・テン)。

 やはり、獣人だった。

 茶褐色の髪には人と獣、四つの耳。

 

 所謂亜人達から蔑まれる下から二番目【四耳(パラネーテー)】という容姿である。

 

「何処の方ですかな?」

 

「写真の男の知り合いだ。こいつが殺されちまってな。調べてんだ」

 

 ジルムスの答えにふむと男が少年とジルムスを見つめた。

 

 その視線は柔和だが、瞳は笑っていない。

 

「その方なら確かに数日前お見えになりました。ですが、何を調べていたのかは……知らない方がいいと思いますよ? ハッキリ言ってこれからの人生をちゃんと楽しみたいなら、ね」

 

 少年がジルムスに視線を向ける。

 

「何だ?」

「増援を待ってる状況みたいですけど、どうしますか?」

 

「んなのオレでも分かるぜ。これでも肝っ玉は小さい方だ。とっとと逃げたいところだが、まだロクな情報も仕入れてねぇだろうが」

 

「じゃあ、ズバリ聞きますけど、霧の影響って何か知ってますか?」

 

 ジルムスが周辺の男達を凝視する。

 一部の攻撃動作も見逃すまいと。

 

「……知りたいというのはソレですか。まぁ、何を隠し立てしたところで無駄そうなので喋りますが、御自分の身で体験されるのが一番早いでしょうな」

 

 パチンと指を弾いた壮年の男の合図で店内の男達が全員剣呑な光を瞳に湛えた。

 

「先輩」

「何だ?」

「答えはもう何となく分かりましたけど、どうしますか?」

「一応、確認しないと後で野郎がグチグチと五月蝿いんでな」

 

 少年とジルムスに冷たい視線を獣人の男が向ける。

 

「……愚かな。掛かれ」

 

 冷たい声音で男が命じると男達の姿が瞬時に掻き消えた。

 だが、ゴシャリと打撃が肉を打つ音が連続する。

 

「何?!!」

 

 男の顔色が変わった。

 瞬間的に消えたかと思われた男達が次々に男の背後。

 店の壁に激突していく。

 

 一人ジルムスの片手から逃れようと牙を剥き出しにしていた蒼い獣男が意識を失った様子で床へと倒れ込んだ。

 

「オイ。本当に何か強くなるとか、そういうのか?」

 

「……一応、結構な修羅場を潜ってますから、先輩は強いですけど」

 

「こんな狭い店内で力を出せない、とかじゃねぇのか?」

 

「いえ、そもそも相手は魔術師って話なら、此処が吹き飛ぶくらいの魔術が使えてしまう分、戦えない、とかじゃないかなぁ、と……」

 

 二人が暢気に困惑の視線を向けると壮年の獣男が歯を剥き出しにして恫喝する。

 

「貴様等。此処から生きて帰れると思―――」

 

 顔面がジルムスの見えざる一撃に打たれた。

 鼻血を吹いて男が倒れる。

 全員が完全に気を失った店内でボソリと呟きが漏れた。

 

「オレって強いか?」

「そこそこ……」

 

 少年の戦い様を知っているジルムスは世辞とは思わなかったものの複雑な顔で溜息を吐く。

 

「とりあえず、情報を探して関連施設も片っ端から見てみれば、ちゃんとした答えが見付かって解決する気も……」

 

「それって組織に喧嘩売ってるよな?」

「もう遅いんじゃないかと」

 

 その言い分は最もだ。

 死人も出さずに全員をノックアウトした挙句。

 

 情報まで持っていかれたとなれば、相手は血眼で二人を追ってくるだろう。

 

「近頃、あいつやお前に毒されてるんじゃないかって思うんだが、どう思う?」

 

「否定して欲しいですか?」

「もういい」

 

 完全に諦めた様子で知らぬ間に危険へ慣らされてしまった哀れな巨漢は少年と共にゴソゴソと男達の懐を物色して、情報になりそうなものを片っ端から抜き出していく。

 

 出てきた物の中で最も有力なのは男達が所有していると思しき倉庫の位置を記した地図と扱っている魔術具らしきもののリスト。

 

 其処には霧の文字と共に重要やら絶対やらの文字が躍っている。

 

「まぁ、何か見付かればそれでいい。さっさと行くぞ」

 

 二人が宿を後にした。

 向かったのは最も近い倉庫だ。

 

 頭に入れた情報のまま進んで二人の前へ見えて来たのは有り触れた煉瓦式。

 

 公に表から入るには音がし過ぎると獣人達から頂戴した鍵束で横手の小さな扉を開ければ、侵入は簡単に成功した。

 

 そそくさと足音を消して通路の奥へ進むジルムス達は内部が静か過ぎる事に首を傾げる。

 

 守衛の一人や二人はいるかと思っていたのだ。

 即座に相手を気絶させる気満々で身構えてもいた。

 なのに、監視用の魔術が廊下を記録している気配も無く。

 人の出てくる気配も無い。

 

「偽(ダミー)の倉庫にでも引っ掛かったか?」

「いえ、そう判断するにはまだ……」

 

 廊下の突き当たり。

 倉庫の更に深くへと続く鋼鉄製の扉があった。

 

 鍵束から必要な鍵を探し出して嵌めれば、カチリと呆気なく開いていく。

 

 油が挿されているらしく。

 軋みもしなかった。

 

「……」

「……」

 

 互いに頷くと少年が先でジルムスが背後を守る形になり突入を開始する。

 

「………?」

「誰もいない……のか?」

「いえ、あそこ」

 

 空からの蒼い光が数枚の嵌め殺しになった窓から降る保管庫内。

 

 鎧が一つ倒れていた。

 

「おいおい。【高格外套(ソーマ・パクシルム・ベルーター)】じゃねぇか!!? 連中こんなもんまで持ってたのか?! 道理で強気なわけだぜ……」

 

「その割には内部の人が気絶してるみたいですけど」

「あん?」

 

 よくよく見れば、鎧の中から呻き声がしている。

 しかし、立ち上がる気配は無い。

 

「どういうこった?」

 

 周辺には酒樽が複数。

 

 他にも魔術で作られたと思われる生物達が重ねられた特製の檻に入れられていた。

 

「奥に机と資料も」

 

 鎧の倒れている横には少年の言う通り、机と資料らしき束が乱雑に置かれている。

 

「演技、じゃねぇよな?」

「演技する必要あると思いますか?」

 

「……だな。任せていいか。あの鎧相手に不意打ちされるのはゾッとしねぇ」

 

「分かりました。倒れている理由が分からない以上は不死者の方が何かといいと思いますから」

 

「何かあったら、すぐ援護する」

 

 頷いた少年が歩き出し、机へ接近する毎にジルムスは緊張を深めた。

 

 外套のフードはもう外されていて。

 複数の瞳が頭部から倉庫内の全方位を監視している。

 

 コツコツと一定の速度で近付いた少年はあっと言う間に資料の前まで辿り着いた。

 

 しかし、全身鎧は未だ呻き、起き上がる気配もなく倒れ込んだまま。

 

「大当たりみたいです」

「連中の言ってた通りか?」

 

「資料内部だと霧に触れていた魔術師達の一部の魔力量や攻撃性が上がったとか何とか。どうやら変質した部分をある程度魔術で固定化する事で戦力増強出来るんじゃないか云々。ただ、完全な固定化が出来ない分、限界に達した被検体を生存の為に凍結するとか書いてます」

 

「化物に関しては?」

 

「……この資料だと変質部分が大きくなると死亡するって書いてますから、結社の上層部が技量不足の末端に真実を教えてない可能性があります」

 

「そりゃそうか。化物一歩手前になってますなんて、言えるわけねぇ」

 

「それで…これは……」

「おい。どうした?」

 

「輸送運搬の資料に最重要って書かれてて。これは“NS”?」

 

「何だ。そりゃ?」

 

「どんな事があっても予定ポイントまで運搬しろって指示書が……」

 

「何かヤバイもんか? 必要なこたぁ分かったんだから、さっさとトンズラしたいんだが」

 

「これって……何処かで見たような……」

「?」

 

「この運搬書類に記されてる紋章……確か中央諸国か何処かの国証だったはず……」

 

「まさか、その鎧、中央諸国のもんか? どういう事だ? 魔術結社と七教会のお膝元なんぞ繋がってるわけが……」

 

 少年が資料を全て見終ってジルムスの下へと戻ろうとした時。

 

 硬質なものの割れる音が響く。

 

「!?」

 

 ジルムスが即座に音のした上の方角を振り向いた。

 檻(ケージ)の一部が割れている。

 

 そして、その上を走る煌めきが舞うと檻の群れが崩れ、奥に隠れていたものが露となる。

 

「誰だ!!」

 

 タタタッと軽やかな足取りで影が少年へと迫った。

 

 ジルムスの虚空を渡る拳が打ち込まれようとして、少年の制止の手に遮られる。

 

 上からダイブした人型に抱き付かれて。

 少年がゴロゴロと転がりながら保管庫内の壁に激突して止まった。

 

「おい!!? 大丈夫か!!?」

「それよりそっちの方を」

 

「そっち? 檻で隠してやがった空間があるのか? こいつは……なッ?!!」

 

 ジルムスが見たのは檻の奥にズラリと並ぶ硝子製の棺。

 

 一目で分かる程に大量の【秘儀文字(アルカナ)】が掘り込まれた長方形内部には空からの光を照り返して鮮やかな金色の髪と幼い裸体が納められている。

 

「この耳…エルフだな。連中、魔術師の癖に奴隷売買してやがんのか。確か、同じ亜人に対する奴隷事項で生体活動の封印凍結措置は禁止されてたはず……こりゃ、一発で摘発対象入りだな」

 

 エルフは奴隷としての価値がほぼ最上級の種族だ。

 

 近頃は七教会の影響が薄い国から大量に大陸中へ供給されているとも言われている。

 

 亜人達の間では人間と亜人、どちらに類型(カテゴリ)するべきかと議論が分かれる存在でもある。

 

 ただ、同情的な世論もそれなりの定数いる為。

 

 新聞等ではエルフ達の惨状を支援するべきだとの社説が載り、アルヴァスでも議論が盛んに成されていた。

 

 硝子の棺内部のエルフ達はまるで彫像のように固まっている。

 

 アングラな趣味を持つ金持ち貴族達の間でなら、奴隷として以前に装飾品の類としての需要もあるだろう。

 

 反七教会派を標榜しているとはいえ、亜人の倫理感に沿えば、この扱いは正式な奴隷商認可を受けていたとしても大問題になるのは必然。

 

 ジルムスは棺の一つが空いているのを見てから少年の上に覆い被さっている相手が誰かを知った。

 

「……エルフばかり、二十人近ぇ……ざっと金貨で十万以上か。ん?」

 

 奥へと入って確認したジルムスの瞳に棺桶の更に奥に安置されているものが目に入る。

 

 正方形の鉄箱。

 そのように見えた。

 

 それが何故か厳重な封印も開いていて、中身が空っぽとなっている。

 

 小さな丸いものが納まっていたらしい台座には【NS.NO.1.LV】との刻印が打たれていた。

 

「こりゃ、通報しといた方がいいな。そっちはどうだ?」

 

『害意とかは無いみたいですけど。ただ、寝ちゃってて』

 

「何かの拍子に起きたんだな。たぶん」

 

 奥から戻って来たジルムスは髪が足元まで伸びた幼いエルフがスヤスヤと少年の腕の中で眠っているを見つける。

 

「この子の額、何か埋まってる……」

 

 少年が前髪に隠れたあどけない寝顔を見て呟いた。

 

 そっと髪が除けられるとまだ璃紗と同じかそれより年下くらいだろう少女の顔が蒼い輝きに浮かび上がる。

 

 エルフなだけあって少女は幼くも美しかった。

 

 整った顔立ちも涼やかな目元も長い睫も小さな唇も顔立ちが一個の美術的な作品として成立する造詣。

 

 彫像にして羽を付ければ天使も真っ青だろう。

 

「何か重要そうな箱が開いてたが、たぶんその額に埋まってるソレだな」

 

 ジルムスが少女の額に埋め込まれたような形になっている白い宝玉を見つめる。

 

「この子が【高格外套】を?」

 

「何かの魔術具の類なんじゃねぇか。そっちの専門はアーギストの野郎だが、魔術具の暴走に巻き込まれて寄生された奴がいるとか。そういう事例は聞いた事がある」

 

「このままだとマズイ、ですよね……」

 

「だろうな。重要な魔術具を奴隷が勝手に使用したとなりゃ、その子に連中が何をするか……」

 

「……すいませんけど」

 

「言わなくてもいい。オレも中々、これで正義漢面してぇらしい」

 

「恩に着ます」

 

「そろそろ行くぞ。今、警察機構に匿名で連絡を入れといた。後はオレ達の仕事じゃねぇしな」

 

「はい」

 

 少年が自分の外套でエルフの少女を包んだ。

 スヤスヤと眠っている寝顔は微笑ましい程に無垢だ。

 

 抱上げた小さな身体。

 その重さに少年は羽毛でも持っているような心地となった。

 

 二人が保管庫内から立ち去った後。

 

 三十分程で警察機構の捜査官、貴族警邏隊がやってくる。

 

 その場には凍結されているエルフの少女達と違法な魔術で創造された生物数十体が荒らされた現場もそのままに残されていた。

 

 ただ、全身鎧などは何処にも見えず。

 

 単なる奴隷管理違反と違法輸送の現行犯で組織の末端達は書類送検される運びとなった。

 

 捜査は魔術結社にまで及んだものの、その日の酒場での一件は誰の口からも出る事無く。

 

 全ては闇に葬られた。

 

 数日後、酒場に常駐していた末端の者達が尽く消え失せ、行方不明となるも人々は口を閉ざし、エルフが一人消えた事実もまたひっそり霧中へと没していった。

 

 *

 

―――【魔匝窟(ルドゥム・ラクム)】ディミトリア廃国域。

 

 月を隠すように巨大な蒼い星が天に昇った五年前と同時期。

 

 一つの国が実質崩壊する事となった。

 

 以来、魔界……魔族達の言葉にすれば酷界と呼ばれる異世界と繋がった区域は全土を七教会が再編していた【騎師団(ミリシェ)】によって封鎖されている。

 

 異相世界側から流出する魔力によって変質した動植物。

 

 遺伝情報を持つ存在のみならず、魂魄を持つ有機体以外の存在や様々なものが事実上の危険物体(オブジェクト)と認定されたのである。

 

 唯一の例外は人間のみであり、他のものは大気ですら一欠けらも五年前から領域の外へ流出していない。

 

 数百km単位の大結界が天と地を覆い。

 今も地下及び異相にまで強固な防壁を築いている。

 地域一帯を視認する事は容易だろう。

 

 七教会が定めた周辺国の緩衝地帯(バッファー)からはよく論理的(ロジスティック)な構築の自己相似型結界が見えるのだ。

 

 フラクタルな半円状の形。

 透明な巨大ドームは置かれた理由とは裏腹に美しい。

 周囲に駐屯する七教会の精鋭達は僅か数百人。

 

 しかし、ほぼ1km毎に置かれた彼らは装備無しでも単体で通常の治安維持部隊に勝る。

 

 それはつまり【高格外套】の群れより強いという事だ。

 それもそのはず。

 

 十数年前の大戦において七教会の主力部隊として前線へと配置され、魔王との直接戦闘こそ無かったが、追い詰める為のあらゆる大規模軍事行動を一糸乱れぬ統率で遣って退けた歴戦の兵ばかりなのだ。

 

 当時、人間の力を侮っていた若輩の超越者達や脅威を感じながらも共闘した人間種以外の者達は一重に彼らを七聖女という規格外の存在を除けば、人類最強の部隊だと認めた。

 

 あらゆる種族を瞬く間に滅ぼすに足る畏怖の対象として、これ程に相応しい悪辣なる力は無いと。

 

 戦後、解体されたはずの部隊が再編されたのは次なる真の魔王戦。

 

 魔王との完全決着を付ける為と七教会の広報部は公式な談話を発表しているが、人以外からすれば、悪夢そのものと言っても過言では無いだろう。

 

 だが、彼らの再編後の初出動となった一件で半ば再編に反対だった者達も“今は”その存在を認めざるを得なくなった。

 

 酷界からの魔力流出と大規模な【魔匝窟(ルドゥム・ラクム)】の発生は同じ大陸に住む多くの生命にとって、リスクが大き過ぎたのである。

 

 故に今も彼らはブツブツと他種族から嫌味を言われるような立ち位置にいながらも任務を全うしている。

 

 ディミトリア廃国域首都アヴィート。

 

 半分以上が地盤毎崩落した嘗ての都市の成れの果ては今や変化した小動物と植物達の楽園と化した魔境。

 

 足を踏み入れるのは魔族研究の学術調査隊か。

 定期的に巡回する【騎師団】の人員くらいなものだ。

 

 紫や緑を主軸とした斑模様の苔や極彩色の色をした雨で溶け掛けた構造物。

 

 天を突きそうな巨大な蔦の絡まった旧街道や動物達が決して近付かない捕食植物達の森。

 

 人間が普通に足を踏み入れれば、五秒で不治の病に感染し、十秒で内臓機能が停止するだろう空気が充満する世界に今日も足音が響く。

 

 入ってきた者に群がり、即行で栄養分とするだろう意思在る細菌や齧り付いたら鉱物だろうが石の固まりだろうが貪り尽くして残さないだろう鼠達も寄り付かない。

 

 そういう者の足音だ。

 

 彼が生身という点で人類と言うのは聊か躊躇われるかもしれない。

 

【騎師(ミレス)】

 

 男は何処にでもいるような平凡な顔立ちをしているが、実際“平凡”だ。

 

 平凡という言葉が超人という言葉に置き換わる職場での話であるとしても、そうとしか言い様は無い。

 

 倍率一万倍の難関を突破した玄人(スペシャリスト)である事は彼らの間では何の自慢にもならない。

 

 そこで自慢するような人員が入れるような部隊でも無い。

 所属の為に要求されるのは武力において、準超越者。

 つまりは神様だって倒してみせるくらいの力だ。

 最低でも下級神と同等。

 それが絶対条件。

 

 人間の技能に換算するなら、生身の武術で魔族と戦えて、魔術や超常の力を使ったら物理法則の書き換え程度はこなさなければならない。

 

 無論、智識や学術的な専攻分野があれば受かり易い。

 何か一つ。

 

 現在部隊に在中の他者より抜きん出るものを持っていれば、部隊の一員と認められる事もある。

 

 エリート中のエリートもいれば、組織や機関では落第以外取った事の無い落ち零れのような者も所属しているが、戦力という点で彼らを人類という類型(カテゴリ)にしておくのは不当評価だろう。

 

 元々が高格外套を用いた紛争介入部隊の人員だった彼らは、その任を一般的な兵士に譲り渡して以降も大陸最強の部隊として君臨し続けている。

 

 大戦時、二千人に満たない人員で他種族の動員した全部隊を凌駕した逸材達。

 

 彼はその一人だ。

 七教会からの恩恵。

 

 呪いとも思える不老処理を施されてこそいるが、所属して得られる特権はただ一つ。

 

 七教会本部の片隅にある小さな碑に聖人として記録されるのみである。

 

 こんな部隊に所属したいと願い、離れようと思わないとしたら、よくよく変人だろう。

 

 それでも彼らが部隊に所属するのは人類からしたら異質過ぎる存在として排斥もされず。

 

 それどころか仲間を持ち、多くの尊敬を受ける立場にあるからだ。

 

 大戦に投入されるまで毎年のように受験者が絶えなかった部隊は今も七教会の精鋭部隊として歴史に名を残し、その隊員一人一人が中央諸国の生ける歴史資料として教えを請われている。

 

 御伽噺に出てくる騎士が中年太りの吶喊野郎という現実を見れば、英雄として教科書に載るのが彼らだ。

 

 解散されるまで約七十四の人類の敵と認定された超越者や低位の邪神を狩った腕前は今も健在。

 

 本能的に強者を恐れる魔界に染まった生き物達が避けるのも道理である。

 

「D-332クリアー。16:33時確認」

 

 半分崩落した首都の一角。

 崩壊寸前の傾いだ塔。

 崩れた瓦礫の上で男は呟く。

 

 彼の目を通してすぐさまに送られた情報は教会の情報部門で即刻解析され、脅威度の認定が戻ってくる。

 

 いつもと変わらない日常。

 いつもと変わらない数値。

 

 だが、男は何の変哲も無い世界の違和感を瞬時に感じ取り。

 己の腰にある短剣を抜いた。

 無骨な品だ。

 握りの部分に粗末な布が巻かれただけの代物。

 だが、鞘に収められていた刃の輝きは明らかに普通ではない。

 単なる二種類の鉄を炉で熱し、槌で叩上げただけの簡素な造り。

 魔術も使っていなければ、特別な材質を混ぜてもいない。

 なのに刃には吸い込まれそうな程の透明感が備わっている。

 銘はF‐111213。

 

「名を伺おう」

 

 塔が爆砕した。

 

 突如として発生した猛烈な熱量に沸騰した建材が溶鉱炉のように融け、火礫となって周囲へと飛び散っていく。

 

「戦闘行動に以降。脅威判定A。倫理規定基準をWE2に変更。対象の情報収集開始」

 

 七教会の制服に身を包んだだけの男にとって、新手の敵はそれなりに強い、高格外套より上と断定出来た。

 

 まず姿が見えない。

 

 だが、遠距離や長距離からの攻撃ではないと確信したのは一瞬で集められた熱量によって発生する陽炎の先に揺らめく者を見たからだ。

 

 単純な残影や本体そのものではない。

 

 力の発生において生じる原因、過程、結果に関する因果律の感覚的な投影だ。

 

 生身で魔術の一つも起動させずにそれをある程度見る男の知覚は常識的な範囲を超えている。

 

 その力を持ってしても原理不明の熱量が発生した瞬間しか相手の因果が見えなかったのだ。

 

 知覚不能に限りなく近い何か。

 

 魔術での隠蔽ならば鮮やか過ぎる手並みだが、男はまだそう断定していなかった。

 

 限りなく感知不能の特性を持った相手の存在は一歩間違えば、七教会を脅かしかねない。

 

 即戦闘態勢を取って抹殺まで有り得る程だ。

 

 しかし、七教会の規則に従って戦う男は悠長過ぎる上からの指示が来るまでは様子見だと情報部門に解析結果を即座に寄越すよう最速して後、意識を防戦へ切り替えた。

 

「ふっ」

 

 男が虚空を蹴る。

 一足で体が上空へと加速した。

 魔術及び魔力及び特異な技術体系に拠らない純粋体術。

 人間の形をした人間以上が筋力のみで実現する空渡りの秘伝。

 彼の遥か下。

 蹴られた下方の空気が圧縮され、破裂するような音を立てた。

 

(熱量の発生と収束時間から言って魔術よりは遅い……超常の力…能力者の類か。多くて三人。断定出来ないが、極めて優秀な隠蔽能力を保持する。因果律計測にほぼ掛からない以上、常識的な生物から逸脱している可能性も高い。まずは足を止める)

 

 男はまだ上昇し続けている身体をクルリと反転させると大気に含まれる大源(マナ)を掴み取り、刃を延伸した。

 

 個人の魔力形質に寄らない環境に普遍的値で存在する魔力形質は基本的に魔術師の力量さえあれば、誰だろうと使用可能なものだ。

 

 周辺環境を激変させるような取り方さえしなければ、ある程度は無制限に使える。

 

 と言っても、男がしたような使い方が出来る者は一部だろう。

 

 誰もが運用出来る代わりに、そのエネルギー密度はあまり高く無い。

 

 魔力刃の使い手と言えど。

 

 土地や周辺環境との相性があるし、個人的に運用する魔力との親和性も重要となってくる。

 

 普通は個人の魔力形質に依存する方が圧倒的に多い。

 そもそも密度の低い大源は熱量の第二法則に準拠する。

 瞬間的に使うには大魔術師クラスの技量か。

 または魔力の親和性が高くなければならない。

 

「ッ」

 

 男が薄い緑黄色の結晶の如く伸びた魔力刃を振った。

 再びの熱量の爆発が直撃せずに逸らされる。

 

 突如として現われているように見える攻撃の実体が実際には空間を移動しているという証左だ。

 

 さて、どんな手品を使っているのかと男は刃を振り続けながら脳裏の智識を総浚いする。

 

 空間制御に関する魔術の線は消えた。

 

 何故なら、通常の空間にしか作用しない彼の刃が爆発を逸らしたからだ。

 

 ならば、攻撃が隠蔽されていると見るべきだが、その隠蔽手段そのものが分からない。

 

 となれば、素直に聞いてみようと外部の情報共有プラットホームに男がアクセスする。

 

 瞳の内部。

 

 薄い虹彩内部に奔っているデバイスからの応答は状況の謎を解決可能な智識が二つ。

 

 因果律制御及び遮断に関する技能。

 

 もう一つは直接的に目の前に有っても気付かない媒質を用いた熱量の集積。

 

 男は存在の隠蔽は前者。

 攻撃の隠蔽は後者と判断した。

 

 攻撃を攻撃として認識出来ていないのならば、事象における原因、過程、結果も見え辛い。

 

 あくまで因果の検知が自己認識に拠っている以上、精神の影響は観測能力に影響する。

 

「……こうか」

 

 検知不能の攻撃に対して男は現在も続行している全方位への魔力刃の斬撃を解いた。

 

 直後、直撃。

 肉体に炸裂した熱量が男の体表を炙る。

 が、それも束の間。

 

 直撃された瞬間に偏差を起こした媒質が無いかと観測魔術を起動していた男の瞳には一時的に跳ね上がった値が確認出来た。

 

「引力だな」

 

 ほんの僅かな引力の偏差。

 

 それが特定の位置に来た途端に刹那強力なものとなって、周辺熱量を一点に集め爆発を起こしていたのだ。

 

 認識をすり抜けるのも無理は無い。

 

 ご大層にも偏差がバレにくいよう周辺地域一帯の引力が男も気付かない程の絶妙さで引き上げられていた。

 

 気圧の偏差や熱量の偏差ならば肉体で直接的に捉えようもあるが、引力の偏差なんて中々に考え付かない。

 

「……」

 

 どうするべきかと男はぶち当たった熱量に産毛一本燃えていない身体を落下させながら考える。

 

 倒してしまっていい相手ならばそれでいいのだが、問題は倒し方が指定される場合だ。

 

 殺すなと言われればそうするし、戦闘不能にしろと言われればそれ以外の選択肢が無い。

 

 だが、相手は検知出来ない場所から一方的な攻撃を仕掛けている。

 

 一瞬の爆発を攻撃に見せ掛けていたが、実際の力は周辺の引力である。

 

 それも周辺一帯を纏めて操作するような強力な力を持つ輩だ。

 

 当然、それなりの強さだろう。

 魔術師なら大魔術師の上位。

 能力者ならば、かなり特異で狡猾。

 どちらにしても“殺さずに仕留めるのは面倒”なのだ。

 再びの爆発が男を吹き飛ばし、落下軌道を変えた。

 無論、衣服も肉体も無傷。

 単なる“物理強度の違い”によって傷付く様子も無い。

 

「む?」

 

 引力によって一点へと圧縮される熱量の桁が跳ね上がる。

 先程までは数千度程だったのがいきなり一万度以上。

 

 放射線が発生するような熱さに男が防護用の魔術を一先ず起動した。

 

 魔術の起動は熱量が発生する直前に行われている。

 

 相手の攻撃手段を看破すれば、攻撃の強弱程度は発動前に察知出来るのが【騎師】の嗜みというものだ。

 

 ゴッ、ガァアアアアアアアアアアアン。

 

 まるで雷光(スパーク)。

 防がれたのを悟ったか。

 立て続けに男の周辺で高熱が乱舞する。

 そんな時だった。

 遅い上からの指示が来たのは。

 内容は簡潔。

 丁重に持て成して連行しろとのお達し。

 

 男が引力偏差を引き起こす相手を探ろうと刃を落下しながら構えた。

 

 途端、パッタリと攻撃が止んで、周辺に静寂が満ちていく。

 

「……逃げられたか?」

 

 攻撃が来ると踏んだ相手の勘の良さに男は舌を巻いた。

 

 一度バレた手品が通じる相手ではないと相手も知っているだろう。

 

 だとすれば、次はまた凝った手品を携えてやってくるだろうと溜息が吐かれる。

 

 逃がした魚は大きいか。

 それとも小心者だったか。

 

 まだ分からずとも。

 

 上に任務不達成を報告しなければならない。

 

 同僚達にとっとと行動不能しておけば良かったじゃねぇかと笑われる事となるだろう。

 

 大結界内全てを切り払う一撃の為に用意していた魔力を正常な流れへ戻しながら、男は着地の動作を取る事なく盛大に地面へと激突した。

 

「……やれやれ」

 

 優し過ぎると評判な【騎師】の優柔不断が大きな事件の幕開けであると誰も未だ知らない。

 

 その日、悟られる事無く。

 

 崩落したディミトリアから、とある品がひっそりと持ち出された。

 

 喧嘩を売った相手の目的が陽動だとはさすがの男も気付かず。

 

 七聖女の大半が空に上がり、残りが西部アルヴァスに視線を向ける中。

 

 事態は緩やかに拡大しつつあった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。