※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第三章二十四節

第三章二十四節「風雲急」

 

―――ハガス貴族警邏隊執務室。

 

「では、これからはこのような事が無いように。いいかね?」

「はッ!!」

 

 見掛けだけはと敬礼して訓告処分を受けたヴァルはようやく復帰を果たす事となっていた。

 

 庁舎署長室での事である。

 

 釈放の後、四日の自宅待機を命じられた彼は本日付で赤鬼女(エンシェン)の下僕となる事を上から通達されて、今や職場の同僚達から頑張れよと同情の視線を向けられる立場だ。

 

 仕事らしい仕事は全てアドバイザーである新しい上司から齎されるとの旨を伝えた豚の亜人たる署長は厳しい顔とは裏腹に今日は早めに退出するらしく。

 

 イソイソと彼が出てすぐ外套を着込むと鍵を掛けデスクを出た。

 

「ご機嫌ですね……」

 

 ヴァルが廊下を早足に去っていく背中へ声を掛ける。

 

「貴族には貴族の嗜みという奴がある。君も少しは社交性を磨く事だ」

 

 いつもなら苛々した様子で食って掛かってくるはずだが、今日は機嫌がいいのか。

 

 せせら笑って左曲がりの尻尾をフリフリさせつつ、署長は廊下を曲がっていった。

 

「……薄気味悪いな」

 

 呟いた後。

 

 さて、今日はどうしようかとヴァルは脳裏のリストを確認する。

 

 二日の待機中に自宅へ直接届けられた書類一式は全てアルヴァス・カレッジ関係者の名簿だった。

 

 その数、約2000人。

 生徒、教師、用務員、家族、出資者、理事etc。

 

 一人で全ての人員を詳しく調べ上げるのは不可能に近いが、実際には最初から妖しいとされる人物には参考書類が添付されていた。

 

 それでも200人近い数であるが、そこからはヴァルの仕事次第だろう。

 アルヴァス・カレッジの秘密を知る者を探り出し、門の情報を集める。

 国が消えるかどうかの瀬戸際だと言うなら、やってみせなければ嘘だ。

 彼は国の治安を預かる警察官で人々に奉仕する義務がある。

 だが、それ以上に己の職務と民を愛する国民の一人でもある。

 知った以上、見て見ぬ振りなんて出来はしない。

 

 そんな心情を見透かされ、利用されているのだとしても、ヴァルはやろうと決めた。

 

 これからの未来を担う者達に受け渡す為に。

 

(さて、まずは情報屋辺りから回るか)

 

 そろそろ昼過ぎ。

 

 馴染みの薄暗い仕事を手掛ける男達へ接触しようとヴァルは動き出した。

 

 署の前から通る定期馬車に乗る事二十分弱。

 

 ハガス北部は金融街や重工業地帯としての性質が誇張される地域だが、実際には情報が集る場所でもある。

 

 西部中の噂は商人達や個人の投資家達が詳しいし、近頃は新聞記者という連中も細々とした情報を集めているので情報源になり易い。

 

 だが、そういう者達とは違って、大昔から裏家業の情報屋という職業を生業とする者達がいる。

 

 彼らは単独で手に入れたあらゆる機密を売り捌く情報の商人であり、同時に様々な情報を売らない事でも利益を上げる玄人中の玄人だ。

 

 大貴族の大スキャンダルから元老院の秘密文書まで。

 

 何処から手に入れてくるのかと疑いたくなるようなものを掌で転がしている。

 

 無論、非合法だし、遊びが過ぎれば、悲惨な末路を辿る輩もいるが、総じて人々の生活を守る警察からすれば、手に入らない裏の事情通として重宝されていた。

 

 北東部、工業地帯へ原料を供給する資源貯蔵区域。

 

 大小様々な資源調達専門の商会が軒を連ねる一角にある小さな事務所にヴァルはやって来ていた。

 

 内部に入って事務員に手続きを取って貰う事数分。

 魔術具での通信のみという条件で連絡が付いた。

 

 不自然なくらい通路の奥まった場所にある通信用の水晶に触れると脳裏に声が響く。

 

 交渉する事数分。

 

 常連であるヴァルは通信先の相手が乗り気ではない事を感じ取っていた。

 

『おい。何隠してやがる?』

『……旦那。こっちにも色々あるんでさぁ』

『売らないんじゃなく、売れないって事か?』

『まぁ……』

 

『それじゃあ、こっちとしても色々と考えざるを得ない。お前んとこの会社が流してる試料が実は―――』

 

『勘弁してくださいよ!?』

 

『今回の件は警察で扱うようなもんじゃない。そこは安心していい』

 

『…………分かりました。ここだけの話にしてくださいよ?』

 

『ああ』

『覗き屋の一人が殺されました?』

『……それで?』

 

 色々と聞きたくなった己の性分に蓋をして、何とかヴァルがそう返す。

 

『誰がやったのかは分かりませんが、アルヴァス・カレッジに付いて調べてた連中の一人です。かなり大きな件を追ってたみたいで……他の連中は途中退場したくないってんで引き上げたとか』

 

『学園関連だけで消されるもんか?』

 

『いえ、それが学園の【崩燼貴族(ソルヴァス・ノーブル)】の子弟と反七教会派の関係に付いて調べてたみたいで。何でもマズイもんの情報を手に入れたんじゃないかって話になってます』

 

『マズイもん?』

 

『これはあくまで噂、として聞いてください。いいですか? こっちも命掛けは勘弁して欲しいんで』

 

『ああ』

 

『今回調べてた反七教会派の核は魔術結社らしくて。それで貴族の子弟達がそこに一丁前に出資して何か現物を得たんじゃないかと』

 

『おいおい。学生が物騒過ぎるだろ!?』

 

『でも、だからこそ隠れ蓑としては最適だったとも考えられる。何を得たのかは知りませんが、どうやら諸々の情報を総合すると【崩燼貴族】側が融和路線の鳩派に負けた一件を覆そうって腹じゃないか。そう仲間内じゃ睨んでます』

 

『あの決定を覆そうってのか? 軍隊でも持って来なきゃ無―――おいおい。キナ臭過ぎる予想が思い浮かんで仕方ないんだが……』

 

『旦那の思ってるような事をこっちの業界の上澄み連中も思ってますよ』

 

 テロ、あるいはそれに準じる軍事行動を起こせるだけの品。

 

 政治中枢にいる者達が考えを変えざるを得ないだけの影響力の行使を可能とするもの。

 

 もしも本気でそういうものを【崩燼貴族】達が手に入れようとしているのだとすれば、それは殆ど革命に等しい。

 

『話がでかくなり過ぎだ……』

『今回はこれで勘弁してくだせぇ』

 

『ああ、これだけ聞ければ十分だ。それで話があるんだが、ちょっと連中が何処を拠点にしてるのか調べてくれないか?』

 

 ヴァルの言葉にしばしの沈黙があった。

 

『―――お勧めしませんよ?』

 

『聞いて黙ってるのはお前達の流儀だ。オレの流儀を聞かせてやろうか?』

 

『遠慮しておきます。ただ……』

『ただ?』

 

『前々から言おうと思ってたんですが、旦那って馬鹿ですよね?』

 

『逮捕はしないでおいてやるよ。後、そいつは褒め言葉だ』

 

 何処か仕方なさそうな溜息が通信越しに吐かれた。

 

『オレ達は基本的に近寄ったらヤバイ場所の情報を一々調べておくのが習性みたいになってんですが、近頃一番近付きたくない場所は―――』

 

 ヴァルは相手のお人よしさに感謝しながら場所を脳裏に刻んだ。

 

『じゃあ、これで』

『世話になった礼だ。オレから一つ情報をやる』

『旦那が情報を? はは、こいつは明日槍が降るかな』

 

『……霧が晴れるまで、この国の周囲から離れろ……これがオレの最初で最後の情報提供だ』

 

『―――まったく、旦那はお人よしが過ぎます……確かにその情報貰い受けやした』

 

 プツンと通信が途切れて。

 

 ヴァルはさっそくその足で事務所を後にして、珍しく霧が出始めた日中を歩き出した。

 

 *

 

―――ハガス東部フォイル家別邸。

 

 アルヴァスにおける貴族達の資金力というのは実のところ大きなものではない。

 

 国の指導層だからさぞかし暮らし向きは豪勢だろうと人間達ならば考えるのだろうが、亜人国家において貴族は必ずしも裕福なものとは限らない。

 

 と、言うのも、貴族達の生活は国から支給される家禄に頼っている。

 

 しかし、実力主義を標榜する亜人達の性質上、その額は有能さを示さずには大きくならないのだ。

 

 故に本邸以外に別宅を構えるような貴族は豪商よりも少ない。

 

 ただ、国を動かすような立場になれば、勿論話は別で……別邸の三つや四つは持っていたりもする。

 

 フォイル家もその例に漏れず。

 アルヴァス各地に保養目的の別邸を持っていた。

 

 その一つが本家より程近い場所にある無骨な石造りの官舎みたいな二階建てだ。

 

 門も壁も貴族らしい典雅や風雅を解さない者が立てたに相違なく。

 

 崩れてこそいないが、周辺の貴族の邸宅と違って威圧感を放ちまくっている。

 

 その石壁に囲まれた別宅の庭に二十人近くの亜人が集っていた。

 

 男が七割で女が三割。

 

 年齢はバラバラだが、二十代から五十代までの亜人達は顔付きからして軍人や兵務経験がある者ばかりであると察せられるだろう。

 

 全員が着ているのは白い外套だ。

 

 その下は一律、其々の亜人達の特徴に合せて改造された濃い紺色の制服を身に纏っている。

 

 胸ポケットをよく見れば、小さなメジャーのような固い何かが入っていた。

 

 ソレから全身に伸びる複数の鋼の導線(ワイヤー)が超小型の【崩燼機関】を搭載する一種の防衛機構だと気付けば、大抵の者はこれから戦でも起こるのかと勘ぐるに違いない。

 

 実際、その感想はきっと正しい。

 

 だが、彼らが戦うものは少なくとも人間やテロリストの類ではない。

 

 少なくとも彼らはそう聞かされていた。

 

「整列」

 

 妖精の翅を持つ者。

 獣型の顔立ちの者。

 昆虫の触覚と甲殻を持つ者。

 褐色の翼を背に備える者。

 

 多種多様な男女が声に促されて一糸乱れぬ統率を見せた。

 全員がピシリと直立不動になると。

 彼らの前に特別製の裏口から男が一人出てくる。

 

 赤鬼(ラルヴァ)の長。

 ドゥーズ・スィール・フォイル。

 国を実質的に動かす権力者。

 大貴族の統括者の一人。

 

 その威圧感を前にして軍務経験者達はゴクリと唾を飲む。

 

 彼らが技術と智識と経験で戦闘を語るスペシャリストなら、彼らの前にいるのは血統と権力と資質で戦闘を語る根っからのリアリストだ。

 

 その差は一見して分からないだろうが、本人達には十分過ぎる程分かっている。

 

 要は何処まで冷酷非情と合理主義で争いを行うか、だ。

 彼ら一人一人の実力は赤鬼にも劣らないだろう。

 しかし、現実的な戦力差は圧倒的だ。

 

 与えられた任務を遂行する兵隊と自分で思考し自らを研ぎ澄ます戦闘狂。

 

 己の能力を限界まで引き出した兵隊とあらゆるものを駆使して争いに身を投じる戦者。

 

 前者は駒としては優秀だが、戦闘員としては二流だ。

 後者は駒としては劣等だが、戦闘員としては特級だ。

 

 言うまでも無いが、権力を使う事は並みの暴力を使うより難しい。

 

 建国以来、アルヴァスの最前線で辣腕と采配を振るって来た一族の力は伊達ではない。

 

 彼らの誰もドゥーズの下で働く事に心の底から異論無かった。

 

「諸君。君達には大いに期待している。これから君達に付いてもらう任務は国家の命運を掛けた一大事になるかもしれない。失敗は許されるが、君達の後続が出来る頃には何もかもが遅きに失する事もあるだろう。そういう事は頭の片隅に入れておいて欲しい。此処で任務の詳細説明は避けるが、君達の家族、親類に付いては君達が任務中に殉職したとしても特段の配慮が為される。これは我輩個人が確約しよう。では、作戦会議室へ移動してくれたまえ。そこで今回の任務の隊長が待っている。以後、全ての質疑応答は彼が行う。今日は宴の用意もしてある。数日後の実働に備えて大いに飲んで食べ、精気を養うよう此処に言い渡す」

 

 一斉に敬礼した男女が、ドゥーズの後ろに控えていた赤鬼の秘書に連れられて内部へと消えていく。

 

 それを見送って。

 

 男はようやく整った境界侵入部隊の後姿を見えなくなるまで眺めていた。

 

(……さて、これで次の手が打てる)

 

 内心、山積した課題が一つ減った程度の感慨しか湧かず。

 ドゥーズは大きく肩を回した。

 

(境界先の情報が手に入ったのは僥倖だった。何やらあの子もやっているようだが、まだ様子見でいい。今回の件に外神が関わっているとの情報も大まかには外れていないだろう。あの老人が派手な動きをする前に北部三国への根回しも完了した。後は……やはり七聖女……これが最大の難問か……アルデルト様にはもう少し逃げ回って貰わなければな……)

 

 通信用の魔術方陣を手前に展開される。

 

『どちらにお繋ぎしますか?』

 

 通信先の交換手にドゥーズが数値と番号を伝える。

 

『了解しました。十四秒でお繋ぎします』

 

 それから十四秒きっかりで通信先が変わった。

 

『ドゥーズ? ドゥーズだよね?』

『はい。アルデルト様。お加減はどうですか?』

 

『お加減はじゃないよぉ~~~ッ!!? いつまでも逃げ回ってればいいの!!? 物凄い勢いで移動ばっかりしてて、眠る時間も無いんだよ!!?』

 

 情けない声の主。

 国王たる猫っぽい若者を脳裏に思い浮かべて。

 先が思い遣られるとドゥーズは溜息を吐いた。

 

『アルデルト様。申し上げた通り、聖女に出会ったが最後。この国の未来は閉ざされます』

 

『で、でも、別に合うだけなら……』

 

『いいですか? 前も説明しましたが、あの聖女がアルデルト様に会いに来たのは正式な怪物退治。つまり、あの排除対象の親玉が何かを知っていて、それを大々的に討伐する名分を手に入れたいからなのです。もしも、そうなれば、七教会は喧伝するでしょう。この国はもうダメだと。喧伝しない代わりに何を要求されると思いますか? 無論、この国を“より良く導く為の権利”です。具体的には七教会の活動解禁辺りでしょう』

 

『で、でも、知らぬ存ぜぬで対応すれば』

 

 主の足りない頭に心底、頭を痛めつつ、赤鬼の長はゆっくりと諭す。

 

『いいですか? この状況下で聖女の話を知らぬと言えば、教会はアルヴァスの上層部は無能だと言えるのです。逆に知っていると答えれば、何故国民を蔑ろにするのだと、そういう話になります。この件は全て我ら亜人国家内で処理しなければならない。そうでなければ、これから国を維持していく事も儘為らなくなりましょう。アルデルト様。せめて後二月持たせて下さい。その双肩に掛かっているのは民と国土。そう自覚なさいますよう……』

 

『わ、分かった……出来る限りの事はする……』

 

『それでよろしい。この二本角も頑張っております故。今しばらくの辛抱を』

 

『そちらの方を頼む……何だか胸騒ぎがするんだ……』

 

『このドゥーズにお任せを』

 

『あ、ああ、信頼している。エンシェンによろしく言っておいてくれ』

 

『勿体無きお言葉です。アルデルト様……』

 

 プツリと通信が切れる。

 それと同時に男は珍しく日中から掛かった霧の最中。

 空を仰いだ。

 

「……まったく、鈍いのか鋭いのか……」

 

 肉体の奥底が何故か焦れ始めているのを理解しながら、赤鬼はポツリと呟く。

 

「嵐が来るな…」

「ドゥーズ様」

 

 秘書が建物の方から戻ってくる。

 

 横まで来るとドゥーズはその耳にヒソヒソと呟いて、新しい手配を始めさせた。

 

 何も無ければ、それで構わない。

 

 だが、為政者の仕事の何割は何が無くとも何かがあった時の為に備える事である。

 

 全てが無駄になるとしても、最低限の事態は想定して然るべきだろう。

 

「………」

 

 本能と言うべきものの高ぶりを感じて。

 

 男は自分の勘が杞憂であればいいがと、裏手に止めてあった馬車へ秘書と共に乗り込んだ。

 

 彼が消えた後。

 

 東部は誰も気付かない程に遅々として霧を濃くしていった。

 

 *

 

―――???

 

 奏璃紗にとって世界は今や輝く吃驚箱(びっくりばこ)だ。

 

 今まで気付かなかったものが急に光り出して。

 

 彼女の全身を染めていく。

 

 それは少年と出会ってから、沢山の事があったからだろう。

 

 たった一人。

 

 自分の人生に登場しただけで何もかもが変わってしまった。

 

 きっと、それは時が立てば渇いて色褪せてしまう感動。

 

 しかし、供にある喜びは果てもなく、限りなく、何処までも何処まで彼女の心を舞い上げる。

 

 空は永遠ではないと書物は語るかもしれない。

 

 だが、意思と心に限界があるなんて、今の彼女には信じられない。

 

 汲めども尽きぬ泉の如く。

 

 奥底から沸き上がる衝動は愉しめと歓喜せよと命ずるのだ。

 

 イクス。

 

 魔法の言葉を呟けば、出来ない事は何も無いと思えて。

 

 いつの間にか走り出してしまいそうになる。

 

 何処までだって行ける。

 空だって飛んでみせる。

 比喩ではない。

 出来ると確信があるのだ。

 

 だから、昔ならば泣いて誰かに助けを求めていたかもしれない状況だろうと。

 

 奏璃紗は笑って、どうにかなると信じられる。

 

「ひぁ~~~~~~~~~ッッ!!?」

 

 巨大な柱が立ち並ぶ間を彼女は走っていた。

 追い掛けてくるものから逃げる為に。

 背から迫ってくるのは無数の歯車達だ。

 

 ゴロゴロゴロ。

 

 もし引かれたらペシャンコに轢き殺されてしまうだろう。

 

「どうしてこんな事になってるの!!? イクス~~~!!?」

 

 懸命に走りながら、助けを求めながら、彼女は永遠に続くかと思われた柱の先に庭を見つける。

 

 何とか歯車達が来る前に緑に染まる噴水の近くに転がり出て。

 

 彼女はゼェゼェ息を切らしながらも一息付いた。

 

「ぅう。どうして? さっきまで部屋にいたはずなのに……」

 

 天は蒼く。

 陽の光は無いのに月が掛かる。

 奇妙な空。

 

 首を回して周囲を見渡せば、襤褸なテーブルが一つと椅子がニ脚。

 

 非現実的な空間という事を覗けば、庭は美しく。

 

 咲き乱れる黄色い野花も伴って、幻想的ですらあった。

 

 何とか立ち上がった璃紗が疲れを取らなければと立ち上がって椅子へと座る。

 

「ほぅ。何やら騒がしいと思えば、これは随分と珍しい客だな」

 

 安堵の息を吐いたのも束の間。

 何故か自分の前に誰かが座っている事に気付いて。

 璃紗が思わず椅子ごと引っくり返りそうになった。

 

「おっと」

 

 腕を掴んで引き戻した者が驚きの連続に目を白黒させる璃紗の様子に笑い始めた。

 

「ははは、お前……何も分からず見てるタイプだろ?」

「な、な、何なの!!? 貴方誰!?」

 

 璃紗が自分の対面に座っている相手の顔を見上げる。

 其処には貴族然とした礼服を身に纏った長髪の男がいた。

 身長は璃紗の二倍以上あるだろう。

 しかし、男の全身には必要以上に筋肉が付いていない。

 

 細身でありながら引き絞られた身体はまるで彫刻家に掘られた石像のようだった。

 

 東部風の顔立ちと野生的な切れ長の瞳。

 その風格から言っても東部の貴族と璃紗には見えた。

 もしも、その額左に捻れた角が突き出ていなければ、だが。

 

「オレか? オレは……ん~此処はお前みたいな初心者を鍛える意味でも課題にしておこうか」

 

「な、何言ってるの?」

 

 混乱極まる少女がさすがに喚いた。

 警戒して当然だ。

 男は何と言うか。

 とても、野生的で怖かったのだ。

 

 笑みは笑っているが、もし何か一つ間違ったら、食べられてしまうような、そんな気が璃紗にはしていた。

 

「くくく。怯えるな。怯えるな。オレは確かに女なら年齢問わず食っちまえるが、此処に来たって事は関係者だろ? ま、まだまだ発展途上だし、見逃しといてやる」

 

 璃紗は青年の言っている事がちっとも分からなかった。

 

 ただ、怒らせたりしなければ、危害は加えてこないだろうかとおずおずと大人しく椅子の上で縮こまった。

 

「さて。落ち着いたところで何から話すかな」

「……こ、此処は何処なの?」

 

「此処か? ん~人の言語じゃまだズバリそのものを現せねぇだろうからな。ま、ただの夢の中、くらいに思っとけ」

 

「な、何だか投げやりだわ!!」

 

「しょうがねぇだろ。一々魔術用語を駆使して話したって、お前分かるか?」

 

「ぅ……」

 

 璃紗が押し黙った。

 さすがに魔術の話は分からない。

 

 彼女に理解出来る魔術なんてのは基本的に性魔術やそれに類する類の話だけだ。

 

「つー事で、だ。夢の中の優しいお兄さんが今日からお前の師匠になってやる。もし、何か分からなかったら、師匠教えて下さいと言え。そしたら、このオレが何でもお前に教えてやろう」

 

 自信満々で偉そうな様子。

 何処かの少年とは大違いだと璃紗が閉口した。

 

 娼館で色々な男を見て来た彼女だが、その手の若くて自信過剰な男は得てしてお喋りで軽薄だ。

 

「……この夢ってどうやったら醒めるの?」

「………(ニヤニヤ)」

 

 青年の態度に璃紗がムッとしつつも。

 

 渋々、何も分かっていない現状をどうにかしなければと相手の思い通り言い直す。

 

「師匠。この夢ってどうやったら醒めるの?」

 

「おう。この師匠がお答えしてやろう。醒めるときゃ醒める。ま、それまでゆっくりしてけ」

 

 さすがの璃紗もカチンと来た。

 しかし、相手はかなり変で怖げな相手だ。

 

 絵本に出てくる魔族とは違うが、紳士的というには聊か薄っぺらい。

 

 何をして怒らせてもマズイと少女は瞳を閉じて、早く目が醒めろと願った。

 

「やれやれ。頑なだな。だが、あれに掴まらずやってきたんだ。それなりには評価してやる。さぁて、何から話してやるかな」

 

 あれがいいか。

 これがいいか。

 

「ん~~」

 

 微妙に唸り声が五月蝿い為、集中が途切れた璃紗は男を睨んだ。

 

 そして、半眼になりながらそっと訊ねる。

 

「……貴方、此処に住んでるの? 師匠」

 

「住んでない。つーか、此処はそもそもお前が見てるから在るだけだ」

 

「意味が分からないわ」

 

「ま、気にするな。この領域の性質上、現在、過去、未来の区別に意味なんてねぇからな」

 

「やっぱり、分からない……」

 

「ああ、ちなみにオレはお前から見て……ふむ。あんまり遠くはないな」

 

「遠くない?」

 

「ああ、だが、そうか。お前、けったいな時代に生まれたもんだな」

 

「……何が言いたいの?」

 

「いや、お前の世界はきっと一番楽しい時期だ。何しろイベントだけ見りゃ、てんこ盛りだからな。せいぜい愉しまなきゃ損って話だ」

 

「イベント?」

 

「お前の周りでは凄い事や偉い事。諸々、激動って事さ」

 

 ウィンクする青年が笑う。

 警戒した璃紗がゾワッと背筋を震えさせた。

 

「さて、まずは名前を聞こうか」

 

 明らかな不審者に名乗りたくは無い。

 

 無い、のだが、そこで機嫌を損ねても情報が手に入らない気がした少女がポソリと名前を呟く。

 

「璃紗。奏璃紗」

 

「じゃ、璃紗。まず、初めに話しとくが、オレはお前が知ってるやつの……ん~前世、的な存在だ」

 

「前世……? それって神様が魂を生まれ変わらせるって、そういう?」

 

「ああ、正確には違うんだがな。一番、お前にも分かりやすい言葉で言うとそうなる」

 

「一体、誰の?」

「お前が愛したやつの」

「は―――?」

 

 一瞬、呆けた璃紗が言葉を噛み砕いて、咀嚼し、青年の言葉の解を脳裏で弾き出す。

 

「う、嘘!!」

 

「嘘じゃねぇ。つーか、嘘付いてどうすんだよ。オレはお前が愛したやつの前世。まぁ、ぶっちゃけ死んだ後の話には興味なんてねぇから、どういうやつになってるかは言わなくていい」

 

「絶対、嘘!! だって、イクスは貴方みたいな人と違って、恰好良くて、優しくて、素敵なんだから!!」

 

「おいおい。ベタ惚れかよ。やるな。オレの来世……」

「信じないわ!!」

「それならそれでいいさ。で、だ」

 

 ズイッと青年が璃紗に顔を近付ける。

 

「な、何なの?」

 

 思わず璃紗は身体を後ろへ引いた。

 

「璃紗。元気の良いお前に朗報を三つ届けてやろう」

「ろ、朗報……?」

 

 警戒する少女にニヤリと青年が笑う。

 

「ああ、お前妊娠するかもしれんぞ。その兆候がある」

「え!? ふぇ!? あ、え!? な、ななな、何言って!!!?」

 

 顔を真っ赤にした璃紗が思わず目を白黒させた。

 

「オレ。いや、お前が知ってるオレの来世野郎はかなり子供を作るのが難しいはずなんだが、色々とイレギュラーな状況で枷が外れてるみたいだな。悦べ、牝として!! お前は世界で最も強い男の子を宿せるぞ!!」

 

 バチンと一撃。

 青年の頬に紅葉の型が付く。

 

「ば、馬鹿!! 最低!!」

 

「天使連中が告知する時は女は悦び過ぎで股をビショ濡れにするって聞いてたんだが……何か間違ったか?」

 

「うぅ……変態!!」

 

「変態!? オレが!? このオレが!!? 未来の女ってのは難しいな………こんな朗報を届けて変態呼ばわりされるとは……」

 

 ふぅっと溜息を吐いた青年が頬を擦りながら椅子に戻る。

 

「じゃ、気を取り直して二つ目だ。璃紗、お前はかなり優秀な力を宿してる。ま、素質ってやつだ。それを使えば、お前は……そこそこ楽しい人生が送れるだろう」

 

 衝撃的な言葉の後で殆ど少女は聞いていなかった。

 

「ちなみに使い方には気を付けろよ? 見なきゃ良かったと思うものが世の中には沢山あるからな。まぁ、使い道っつっても日常生活じゃ失せもの探しやら自分の男の素行調査やら知りたい事が何でも分かる程度だ。見たくない時はどっちかの目を片手で覆え。それで大体は見えなくなる」

 

「うぅ……イクスの赤ちゃん…イクスの……///……はッ!?」

 

「……聞いてたか?」

「な、何を?」

 

「まぁ、さっきのは戯言だと思って聞き流しとけ。どうせ夢から醒めたら忘れるしな」

 

「わ、忘れちゃうの?!」

「お? 残念か? 信じるのか? オレの言う事を?」

 

「だ、だって……その……何だか、“そうするべき”って気がしたから……」

 

「そうそう。使い方はそれでいい。勘が鋭くなると思う程度が実は一番無難な使い方だ。無意識下の処理だと無駄な情報も省けるからな」

 

「あ、あの、どういう事?」

 

「単純にお前の力は強力過ぎる。見るもの次第で精神に多大な影響を及ぼしかねない。だが、それだけ凄い能力を持ってるって事は自覚しとけ。そいつは全ての魔眼の始祖であり基礎だ」

 

「り、璃紗の目の事知ってるの?」

 

「ああ、【基幹異種(バルバロス)】の基礎能力、その一部が先鋭化した代物だからな。代が変わる度に力の基礎資質が人間の優性遺伝で落ちるようなもんでもないし。ぶっちゃけるが、お前の魔眼はその時代最強だと思うぞ?」

 

「あ、ぅ、最強? 変な瞳なのに? バルなんとかって、ご先祖様の事?」

 

 混乱した様子で話を聞いていた璃紗の髪がクシャクシャと撫でられた。

 

「ま、言っても分からないなら聞き流しとけ。いつか思い出す事もあるだろ。必要になれば、その瞳が全て教えてくれる」

 

「ん……」

 

 自分を撫でる手。

 少年に触られているような心地。

 青年を見上げた少女が端正な顔を凝視する。

 

「何だ?」

「……ロリコン、なの?」

「何だ? その“ろりこん”てのは?」

「小さい子が好きな男の人の事」

 

「若い女がいいのは普通だろ? つーか、魔族は繋がれる年齢が今のお前より四歳か五歳は早い。オレのハーレムにもそれくらいはいたが」

 

「魔族……やっぱり、師匠魔族なんだ……」

 

 少女が昔読んだ絵本は人間みたいな顔で近付いてくる角付きの男を魔族と描写していた。

 

「怖いか?」

 

 フルフルと璃紗が首を横に振る。

 

「だって、普通の人みたいに話せるもの」

 

「はは、人型に生まれりゃ、誰だってこんな感じだ。まぁ、罪って奴は結構好きだが、人間程残酷じゃない。美的感覚はそこらの話の通じん神様や上の連中より人間に近いしな。ガッツリ万単位で命のやり取りくらいはするが、人の思考のえげつなさは見習おうとも思わん」

 

 青年が肩を竦める。

 

「……実は良い人? 師匠って……」

「実は、の部分が余計だな。それと人じゃぁない」

「良い魔族?」

 

「人間が魔族を良いなんて言ってると魔女狩りに合うぞ。一部の同族連中には大人気な行事だったが」

 

「……悪い、魔族?」

「ああ、飛びっきり悪いぞ?」

 

 笑顔で頷く青年に璃紗がジト目になった。

 

「悪人は自分の事を悪いとか言ったりしないって、ベルンが言ってたわ」

 

「悪人が悪人を自称しても信じてもらえない世の中か。随分と甘い時代だな。やれやれ……ま、それは横に置いておくとして、三つ目といこうか」

 

 璃紗の前で青年がバサリといきなり翼をはためかせた。

 

「え?」

 

 

 瞬きの内に背後へ現われた紫黒に染まる硬質な翅。

 その関節に小さな魔術方陣が浮かんで星座のように結ばれていく。

 

「気に入った。しばらくは守ってやる……まぁ、“あいつ”が傍にいるなら、必要ないかもしれんがな」

 

 テーブルの上には大きな地図がいつの間にか浮かんでいた。

 

「これってハガスの……」

 

 いきなり、ボッと地図の東側が緑炎を上げて燃え上がる。

 

「ふぁ?!」

 

 仰け反った璃紗は後ろに倒れそうになる中、炎越しに声を聞いた。

 

「色々とあったが、今日はこれでお終いだ。ああ、それから一つだけ。何で【ザヴォイド】に似てるのかは知らんが、もし原理が同じなら、仮面は真実の名と共に剥がれる。覚えておけ」

 

 遠ざかる声。

 遠ざかる顔。

 

 頭を地面にぶつけそうになった少女が思わず手を伸ばした。

 

「待って!!」

 

 汗が飛び散らせながら、璃紗は薄暗い部屋の中で飛び起きた。

 

「え……あれ? し―――えと……?」

 

 脳裏で何か言い知れぬ情動が渦巻いて。

 

 未だに動悸のする胸を押さえ、少女がキョロキョロと辺りを見回した。

 

(此処ってゼオ家にある璃紗のお部屋?)

 

 妙にカーテン越しの光が眩しく。

 もう朝なのだろうかと璃紗が寝台横の厚い布を引いた。

 

「え?」

 

 少女が見たのは炎だった。

 館を包むように。

 

 否、世界を覆うように緑炎が何処までも何処までも街を包んでいた。

 

「―――イクス」

 

 言いようの無い不安を掻き立てられて。

 

 少年の名がポツリ呟かれた。

 

 街を練り歩く黒の人型。

 

 屍蝋の仮面纏う鳥獣の戯画。

 

 そこは東部で語られる地獄の光景そのもの。

 

 萌ゆる色に彩られた夜会の幕が今、開く。

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