※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第三章二十七節

第三章二十七節「開演」

 

 約千年前。

 

 ファルティオーナ西部における国家間のパワーバランスは多くの場合、歩兵戦力の過多に拠らなくなった。

 

 亜人国家成立期に東から持ち込まれた東部式武芸百般。

 

 つまり、アルヴァス伝来の武術と魔術が周辺の国々へ流出した事による一大変革。

 

 これを持って、それまでの西部の状況は一変した。

 

 その頃から武具の輸出が盛んだった西部において、魔術はどちらかと言えば最後の手段。

 

 大方の戦力比というのは優秀な武具を造る為に不可欠な稀少金属の精練と鍛造の技の差だった。

 

 相手の剣や鎧よりも優秀な武具を持つ事がそのまま国家間の力の差だったのだ。

 

 それが亜人国家建国時に東部から来訪した武芸術者達の持ち込んだ戦闘大系の伝播と共に大きく変化した。

 

 相手の武具が優秀ならば、相手よりも強い戦闘術を学べばいい。

 

 このような論が成り立つようになったのである。

 

 そもそも東部では西部程に技術的な革新があまり進んでおらず。

 

 一部の例外を除いて粗末な武具が大半だった。

 盾と矛の優劣は歴史上、常に矛が勝ってきた。

 

 ならば、その矛に対して対抗する術は道具ではなく己の肉体のみと、戦乱で磨かれた武芸術は西部にとって激震を奔らせるに十分な劇薬。

 

 アルヴァスの成立後。

 

 亜人国家に見切りを付けた人間達の一派が広めた東部式の戦闘思想は肉体も技術も優位に立っていたアルヴァスを窮地に陥れる程に拡大したのである。

 

 やがて、西部では武具と戦闘術の密接な融合が大きく進んだ。

 

 例を一つ取って見れば、剣術が上がるだろう。

 

 アルヴァス成立前の西部における剣術というのは大概、流派というものを持たなかった。

 

 というのも、武具の質で戦闘の勝敗が決していた為、戦者の多くが膂力と瞬発力を鍛える程度だったのだ。

 

 相手の攻撃を避けるだとか。

 そういう思想も無い。

 あくまで剣で打ち合い、盾で防ぎ、鎧で受け止める。

 この動作の反復と速さの鍛錬が剣術と呼ばれていた。

 

 東部式の戦闘術が広がるに連れて齎されたのは相手の攻撃を受け流せるしなやかさや攻撃の手を速める軽さを主眼とした軽装備と魔力形質を武具と一体化して運用する剣術。

 

 魔術師ではなくとも、己の魔力形質を武具に宿して戦う術(すべ)だった。

 

 魔力刃。

 

 東部では当たり前のようにあった戦闘技能は西部において優れた武具の恩恵を受け格段に進歩を遂げた。

 

 特殊な鋼材を用いて、魔力を運用する武具を鍛造。

 

 その使用者は魔術師並みの戦闘力を保持しながら、従来以上に高性能な武具の恩恵に肖(あやか)り、更なる戦闘技能を開発して流布する。

 

 正に戦力を底上げする好循環が生まれたのである。

 

 剣術だけではない。

 打撃術。

 弓術。

 体術。

 

 様々な武具武術の玄人(スペシャリスト)が西部では戦乱の度に繚乱跋扈した。

 

 彼らは独自の武具の鍛造と魔力形質の戦闘技能への融合を進め、その流れを大陸全土へと波及させていった。

 

 大陸三千余の国家。

 

 その数割が西部式の戦闘大系を有しているというのは如何に彼らの理論が優れていたかの証左だろう。

 

 超常の力とは違って、魔力形質には個人の資質によるものと純粋波動魔力のような誰もが運用する事の可能なものがある。

 

 例え魔術の才覚や魔術を学べる場が無くとも、広く流布された武芸術は多数の者が学べ研鑽出来た。

 

 魔術や超常の力を忌み嫌って排斥した国家だろうとも、優秀な武芸の流派は重宝した事実もある。

 

 実際、背に腹は代えられないと暗黙の了解として黙認していた場合も多々有ったのだ。

 

「………」

 

 彼、ジルムス・デダルもそういった玄人(スペシャリスト)を無数に輩出してきた一族。

 

 先祖伝来の流派を今に伝える一人だ。

 

(魔力陣を連動。【意匠】は【韋駄天】及び【門神】)

 

 一族が要する鍛練場。

 

 巨大な十二枚の石壁(せきへき)に囲まれた霧すら入り込まない硬い大地の上で。

 

 構え一つ無く目を閉じた状態のジルムスは制服姿だった。

 

(経路確定。大動脈と大静脈を積層魔力で保護。方陣と連動)

 

 神々の力を借りながら、魔力方陣を己の肉体へ一つずつ敷設していく。

 

 両膝、両肘、首。

 魔力光は見えない。

 また、陣の形も見えない。

 

 もしも確認出来たなら、小さな赤い扉の【意匠】を組み込んだ二層式の円環が緩々回転していると分かっただろう。

 

(打撃変換時の波動生成率増幅。焦点領域縮小)

 

 コサージュ付きの帽子が岩壁の隙間から入り込んだ風に吹かれて後ろに飛んだ。

 

(関節制御。衝撃減殺率上昇。筋力制御。姿勢安定。拍動制――御―――ぐ………)

 

 ジルムスの体内で心臓が今までに無い緩やかな律動(リズム)へと変化した。

 

(弛緩………拍動まで伍、肆、参、弐、壱―――零)

 

 急激な緊張に全身の筋肉が備えた。

 

 ドクン。

 

 心筋が今までに無い強さで血を打つ。

 自律神経下の内臓を自らの意思で動かす人体制御。

 

 たった一回自らの意思で心臓を動かすだけでも相当に危険な行為だろう。

 

 だが、同時に肉体の制御を自らの意識下で行えるメリットは戦者にとって限りなく大きい。

 

 血が巡り、体内を駆け、最も筋力が最大となる刹那。

 

 拳が放たれた。

 

 最高の瞬間に己の限界に近い打撃を放ち、方陣で変換。

 

 従来ならば拳の打撃をそのまま伝えるだけの波動を五体の方陣から一つの焦点へと集約。

 

 途端。

 

 ピシリッと目前にある岩壁の中央に罅が入る。

 

「ふぅ……」

 

 額の汗を拭ったジルムスは飛ばされていた帽子を拾い上げると巨大な岩壁の隙間から外へと出た。

 

 彼を待っていた数人の人間奴隷。

 

 今は使用人として雇っている男達が頭を下げて使用後の掃除へと入れ違いに入っていく。

 

 デダル宗家の中枢。

 

 隣接した東部式の道場の裏口から土間内部へと入ったジルムスは板張りのひんやりとした床に腰を下ろした。

 

「おぅ。ジルムス。修行嫌いのお前が一体どういう風の吹き回しだ?」

 

 背後から掛かる声に振り向かず。

 人の目以外も開かず。

 ジルムスが溜息を吐く。

 

「ジジイか。近頃、遊び歩いてるのに何で此処にいるんだ? あぁ?」

 

「昔、北でやりあった知己が尋ねてきてな。社交界でちょっくら、一緒に女を引っ掛けてたのさ♪」

 

 舌打ちした青年は自分の祖父のニヤケ面を想像してげんなりした様子となる。

 

「あんたと同じ血が流れてると思うと不安になるぜ」

 

「お前は真面目過ぎじゃのう。チョー真面目過ぎて、逆にやる気無いんじゃなかったか?」

 

「今更、戦争だの何だの起こるかよ。暗殺術紛いの特技一つ有ってもな……」

 

「然り然り。だが、それは仕方ない。お前、アレ以外の才能0だからのう。ははは」

 

「オレを無駄に凹(へこ)ませてぇのかジジイ」

 

「ま、家は子沢山じゃから、アレ以外のは全部他の奴にやってしもうたし。実際、出来の悪いお前に伝授するのがアレしか無かったという事情もある……」

 

「出来が悪くて悪かったな」

 

「そう拗ねるな。家は大貴族でこそ無いが、最も旧い家の一つ。アレが千年前から伝わる秘伝の一つであるのも事実じゃて。高等技能だが今や学ぶ者も少ない宴会芸としちゃ少しくらい誇れる技じゃろう?」

 

「宴会芸じゃ困るんだよ……」

 

「何が困る? 平和な世の中に必要無い時代遅れの秘伝なんぞ要らんと言うたのはお前じゃろうに」

 

「……ジジイ。一つ聞いていいか?」

「何じゃ」

「人体の完全制御つーのはオレにも出来るか?」

 

「止めとけ止めとけ。ありゃ、人外魔境の技じゃ。それと長年の経験から言わせてもらうが、あれを使える連中はみぃーんな死に急ぐタイプじゃぞ? お前のキャラじゃないだろう」

 

「出来るのか?」

 

 再度の声に背後の声は僅か沈黙してから答える。

 

「……今のお前ならば、臓器の三割が限界じゃろう。本当の完全制御は臓器のみならず。全ての細胞にまで影響を及ぼす魔技。実際にはそれ専門の魔力形質を使わなければ、ほぼ不可能。ちなみに意志力と神経のみで全て行う場合は……ま、一度使えば精神が擦り切れて死ぬか廃人になるのが関の山。稀に神掛かった意志力で使っても死なん奴もいるにはいるが、何百万に一人以下の資質がいる」

 

「オレのダチにそんなのがいるんだが、オレより強いんだ……」

 

「で、お前も使ってみたいと?」

 

「オレが不適格なのは分かった。ただ、何か強くなれる材料が欲しい。武具じゃなく、オレ自身を強化する術が」

 

「……アレか? 年頃の男(おのこ)にありがちな強くなりたい病か?」

 

「そんなとこだ。切実な問題ってのが若者にだって少なからず在るんだよ」

 

「ほうほう。修練なくして強さ無し。近道は無いってな正論が欲しいわけじゃないんだな?」

 

「ああ、今すぐにでも必要になるかもしれねぇんだ」

 

「此処で普通の爺なら、普段の修行もせずにチンタラ喧嘩に現を抜かす馬鹿者め。お前なんぞが早々強くなれるわけあるか。と、諭すところじゃが……ワシもそういうのは覚えがあるからな。一つ授けるか」

 

「何かあるのか? 方法が」

「ああ、有るとも。お前自体を強くする方法が」

「教えてくれ」

 

「お前さんに授けた技には三つ四つ秘奥がある。ぶっちゃけるが、今の高等技術化された波動置換なんぞ比べものにならん威力になるぞ」

 

「本気(マジ)かよ……」

 

 微妙に信じられないような顔となったジルムスに背後の声は太鼓判を押した。

 

「なぁーに、そう固くなるな。楽して魔王の心臓抉りたいってなご先祖の無茶ぶりの結果じゃよ。同じ技能が使えるなら、誰だろうと実戦出来る」

 

「はぁ?! 魔王の心臓ってのはどういう事だ?」

 

「昔、異種や神様連中が魔王を滅した時、その切っ掛け作ったのが家のご先祖なんじゃ。当主伝来の秘密って奴じゃな」

 

「教えていいのかよ……んな事」

 

「まぁ、いいじゃろ。そんな秘密に今の時代価値なんぞありゃしないしのう。ははは」

 

 カラカラとした笑い声が道場に響く。

 

「で、どんな技なんだ? その秘奥ってのは」

「つまりな―――」

 

 ゴニョゴニョと耳打ちされた言葉を聞いている内にジルムスの顔は曇っていった。

 

「………そういう事か」

 

「どんな戦闘技能、魔術にも言える事じゃが、威力の上限というのは力の集中と、その方法の違いに過ぎん。生物、物体としての実体が存在するのなら、破壊に対する限界が大体のものにはある。所詮は蛋白質の塊。これが土塊だろうと金属だろうと限界は必ずある。ま、魔術で物理法則変わってたり、概念的な守りや原理的に破壊不可能、みたいなのには効果無いがの。勿論、同質の攻撃や重力、波動、質量の方向を歪曲するような性質の守りにも無力とは言い添えて置く」

 

「結構な弱点だな。だが、それよりも精密制御なんぞ戦闘中にやってられるのかそもそも?」

 

「そこはだから、ブレないよう肉体も固定化するんじゃよ」

 

「何?」

 

「どんな業物の刀も普通の代物なら台において槌で叩けば拉げるし、罅が入る。場合によっては折れるじゃろう。この技はつまりそういうものなんじゃ。無論、使った後の事なんぞ考えておらん」

 

「一撃必殺にしろって事、か……」

 

「いや、せいぜい相手が即死するように祈れ、じゃな」

 

「………………」

 

「臆病者には出来ん。勇ましい奴が使えば死ぬ。慎重な奴はそもそも使わん。だが、威力は大概の場合ほぼ固定値。高等防御方陣程度は楽々貫通。相手の物理強度、魔力強度も構造にかなりの流動性が無い限りは関係無い」

 

「……つまり、相手の防御の性質が分からずに使う馬鹿は死ねって話か」

 

「単純な話じゃろう?」

「……そうだな。近道は無い。なんだろ?」

 

 苦笑した青年に老人は仙人のように諭す。

 

「正道は正道故に強く。しかし、邪道は邪道故に強く。問題はいつでも一心(ひとこころ)に決意出来るかどうか。あらゆるものを背負って投げ出せる勇気。何者にも慢心せぬ怯え。期を見て察する慎重さ。どれも備えて初めて上手くゆく」

 

 ジルムスがゆらりと立ち上がった。

 

「これから用事があるんでな。行くぜ……」

「せいぜい死なんようにのう」

「次に会うまでくたばるなよ。ジジイ」

 

「おうともよ。これからまた知己と軟派(ナンパ)の旅。一々、死んでられるか。ははははは」

 

 元気な笑い声を背にジルムスは霧の出る夕暮れに向かう街へ繰り出した。

 

 強くなれるかどうかは自分次第。

 いつだって可能性は自分の中に転がっている。

 そう教えられた意味を噛み締めながら………。

 

 *

 

―――四十五分前ハガス北東部郊外。

 

『諸君!! 雄々しき報国の徒よ!! 今日、我々は大きな力を手にした!!!』

 

 もう使われていない旧い貴族の邸宅。

 

 その裏手にある倉庫。

 

 商家の真似事で一代を築いて消えた家の蔦絡まる伽藍堂に今、二十人からなる若い亜人の男達が集っていた。

 

 彼らの多くは血の気の多い【獣人(ベスティア)】だ。

 誰もが貴族の礼服(タキシード)を着崩している。

 殆どがその背後に四角い鋼色の正方形。

 

 【崩燼機関(ソルヴァス・エンジン)】の意匠を縫い込んでおり、見る者が見れば全員が【崩燼貴族(ソルヴァス・ノーブル)】だと分かっただろう。

 

『各家の出資によって結社が開発した成果が、ついに完成を見たのである!!!』

 

 どよめきとも興奮とも付かない声が男達の間から上がる。

 

 何も無い倉庫の中。

 

 一人、小さな木箱の上で演説しているのは彼らの中でも一際若い、まだ学生程の獣人だった。

 

 人から見れば誰も彼も同じように見えるかもしれないが、若々しくも力強い声はよく響いている。

 

 それがアルヴァス・カレッジにおいて旧き貴族を嫌い、兎少年(サイカ)に難癖を付けていた者と同一人物だとは苛められていた本人にも分からないだろう。

 

『旧き貴族共が我ら新しき貴族に与えた屈辱!! 正に許し難し!!! だが、この成果さえあれば、我ら【崩燼貴族】の発言は再び日の目を見るであろう』

 

 彼の背後。

 

 暗闇の奥から鋼色のものが数枚浮かんでゆっくりと周囲を回り始めた。

 

 それは顔の上半分を覆う仮面。

 

 それも額の左右に細く黒い長方形を付けたものだ。

 

 二本の角のようにも見えるものが、何なのか。

 彼らの誰も間違えるはずがない。

 

 変則的な形をしてはいたが、それは紛う事無く【崩燼機関】。

 

 新しいアルヴァスの貴族達の象徴だった。

 

『【ザヴォイド】……嘗て、魔王の一人が産み出した何者にも成らんとする虚無の仮面。この面(マスク)は伊達や酔狂で魔王の力を冠するのではない!! 今、このアルヴァスに湧き出した大いなる力を齎す霧を取り込み。我ら新しき貴族の力を数十倍。いや、数百倍にまで高める代物なのだ!!!』

 

 仮面の一つが取られ、演説する彼は躊躇無く顔へ宛がった。

 

 ガチンと二本の角が回り、鋼の曲面が収縮した。

 

 使用者の顔の半分を完全に覆って密着すると、蒸気が仮面に空いた幾つかの孔から漏れる。

 

 おぉっと驚きの声が上がった。

 

 今日は濃い霧が倉庫の隙間から湧き出し、仮面に向かって流れ込み始めたからだ。

 

『分かるぞ!! ああ、これがオレ達の!! 我らが新しい力だ!!!?』

 

 霧の集積と共に男の全身へ漲る力が明らかに大きくなっていく。

 

 魔力だけではない。

 筋肉は増大し、飛躍的に細胞は活性化する。

 

 肌は黒く変質し、毛並みもまた同じ色を宿して、最後には鋼よりも強く硬化した。

 

『単なる生物とは比べ物にならない物理強度!!!』

 

 木箱の上から一歩下りた瞬間。

 地面に敷かれていた鉄板が拉げた。

 

『大魔術すら単騎で構成可能な魔力量!!!』

 

 全身から立ち上る純粋波動魔力が轟々と渦巻き、倉庫を内部から軋ませる。

 

『最上位の亜人達すら手に入れられない肉体能力!!!』

 

 拳が一発閉められた倉庫の扉に向かって放たれ、純粋な筋力が空気の塊を殴り飛ばした。

 

 結果、鋼の扉が内部から外へ拉げて弾ける。

 

『これこそ七教会を滅し、人の頭上に我ら亜人の火を掲げる力だ!!!』

 

 圧倒された様子だった男達の一人が拍手を始めると。

 

 やがて、全員続いた。

 

『これが在れば、あの【赤鬼(ラルヴァ)】の血統すら我々は上回るだろう!!! 【崩燼武装(ソルヴァス・アームズ)】を共に用いれば、旧き貴族達に負けるはずなど無い!!! 同志達!!! 全員分の【ザヴォイド】を用意してある!! 各々の家にコレを持ち帰り、まだ腰を上げぬ老人達に力を示し、新たなる道を共に勝ち取ろう!!! 我ら【崩燼貴族】の輝かしき未来と亜人社会の為に!!!!』

 

 浮遊する仮面が若者達の手に一つずつ納まっていく。

 

(おいおい。洒落になってねぇぞ。言ってる事は学生のお遊戯だが、持ってるもんがお遊びのレベルを超えてやがる)

 

 倉庫の上。

 

 屋根にへばりつくようにして内部を錆孔で覗いていたヴァルは若い【崩燼貴族】の子弟達の様子に舌打ちした。

 

 情報屋からアジトを聞いた足でやってきて、さっそく偵察しようと邸宅を伺っていたのがつい十五分前。

 

 続々と集ってくる若い男達を屋敷の上から観察し、何が行われているのかと見張ってすぐ大仰な演説が始まったのである。

 

 正に情報通り。

 

 危険極まりない魔術具と崩燼機関を合わせたソレは量産可能というだけで一国を揺るがす武器に間違いなかった。

 

 それも使用するのが化け物を生み出す霧。

 

 普通に考えれば、事情を知った者は使用を躊躇うはずだが、そんな素振りが演説をした男に無い。

 

 その時点で霧の中で活動すると化物化する情報は知らないと見るべきだ。

 

 この状況はヴァルにしてみれば、馬鹿な貴族の子弟達が無駄に危険な刃物を振り回そうとしているようなものだった。

 

(……軍の協力がいるな。【崩燼貴族】連中の息が掛かってない奴らが必要だ……今のボスにさっそく連絡だな、こりゃ……)

 

 一目で全員の顔を覚えたヴァルが屋根から静かに下がろうと行動を開始―――出来なかった。

 

「おっと、何処に行くんだ? おっさん」

「(しくじった?!)」

 

 背後から掛かった声に固まったのも束の間。

 

 強烈な蹴りを背骨に受けて。

 

 屋根の一部を崩落させながら、屋内へヴァルは叩き落される。

 

 舞い上がる埃。

 

 地面に叩き付けられた衝撃で肺の酸素を根こそぎ奪われた。

 

(っ、ぐぅ?!)

 

 全身の骨に罅が入ったのを明滅する意識の中で感じながら、何とか上からの次撃を避けたものの。

 

 彼にもう逃げ出せる体力は無く。

 

 至近の地面で弾き飛ばされた瓦礫を喰らって、肉体が吹き飛ぶ。

 

「―――ッッ?!!」

 

 それでも呻き一つ漏らさず逃げる算段を瞬時に思考したのはさすが貴族警邏隊の中核人員と言えた。

 

 しかし、それも次々に上から拘束する手が伸びて途切れる。

 

「おい。この間の覗き屋の一件で用心するように言ったよな?」

 

 ゴキゴキと地面から拳を引き上げて。

 

 演説後に仮面を付けた男と同じ、全身を黒く染めた蜥蜴男が立ち上がる。

 

「おう。すまないな。それにしてもこいつは……」

 

 最初から警備用にさっそく【ザヴォイド】を運用していた事が功を奏したと自分と同じ面を付けた男に謝って、演説していた獣人が気を失ったヴァルを繁々と見た。

 

「まさか、軍の諜報部か?」

 

 男達の一人が声を上げる。

 

「いや、あっちは半分以上此方側だ。警察機構の線を考えた方がいい。持ち物は?」

 

 ヴァルを押さえていた男達が服を漁って、あっさりと警察手帳が発見される。

 

「こいつ……貴族警邏隊だぞ」

 

「覗き屋の一件で嗅ぎ回ってたのかもしれんな」

 

「おい!? どうするんだ!! こいつがいるって事は貴族警邏隊の本体がこっちに!!」

 

「待て!! まだそうとは決まってない」

「けどよぉ!!?」

 

 ざわめき始めた男達はお粗末にも統制が取れているとは言えなかった。

 

「静まってくれ。同志達」

 

 演説していた男が響く声が倉庫に広がる。

 

「この男がもしも部隊の斥候なら、今正に大部隊が突入してきてもおかしくない。だが、そうはなっていない。つまり、この男はまだ捜査段階だったと考えられる。それを裏付けるように周囲の気配を探っても、誰一人居ない。まずは冷静になって考えて欲しい」

 

 言われてみれば、その通りだと男達のざわめきが止まった。

 

「もし、部隊が突入してくるとしても、こちらは既に正規の警察機構程度ならば、【崩燼武装】無しでも潰せる戦力だ。全員に配った【ザヴォイド】の力は見てもらった通り。今すぐに軍の大部隊が押し寄せてくるのでも無い限り、我々が此処で今すぐ拘束されるような事も無い」

 

 確かにと納得した男達が片手に持つ仮面を握り締めた。

 

「だ、だが、この男を始末するにしろ、拘束するにしろ、このままじゃ何れまたコイツ目当てに誰かが来るんじゃないのか!!?」

 

 怯えを隠せない若者の一人が声を張り上げた。

 

 都市部重犯罪捜査を司る貴族警邏隊は彼らからすれば、旧き貴族の巣窟。

 

 明確な敵と認識出来る最大の組織だった。

 

「確かにこの男を捜してまた誰か来る。もしくは警察機構の大規模な介入が無いとは限らない。しかし、この場の誰もが知るように我々に必要なのは【崩燼貴族】側の団結と決断に他ならず。それがあるなら、今すぐにでも計画の最終段階は始められる。元老院の上部組織が旧き貴族で占められている現状。これを打破し、我ら新しき貴族の声が国政に反映され得る方法として【ザヴォイド】はある。駆け引き上の切り札がもう我らの手にある以上、既に目的を半ば達成にしているに等しい。問題は相手に何処まで譲歩させられるかであって、此処からは情報の隠蔽よりも速度が重視される。それが今までのような長期であるはずもない」

 

 【崩燼貴族】の子弟だからこそ、彼らは親や親族達の不満と心の機微をよく心得ている。

 

 彼らを半ば黙認する形で資金援助してきたのも親類縁者達だ。

 

 切り札の完成と量産化の成功という報は今まで待ちに待っていた吉報であって、もはや計画は大詰めの段階。

 

 それをみすみす自分達の決断の遅延で潰す程、【崩燼貴族】側も小さな投資はしていない。

 

 演説男の言う通り、彼らの陰謀は一週間を待たずに完遂出来る可能性が高かった。

 

「そ、そうだよな。ああ、そうだ……」

 

 弱気だった幾人かが己へ言い聞かせるように頷く。

 

「では、各自。一族の長に伝令を。矛は手に入れた。後は振りかざすのみだと」

 

「おお」

「ああ」

「任せてくれ」

 

 男達が気絶したヴァルを演説男と屋根の上から来た蜥蜴男に任せて三々五々散っていく。

 

「これで本当の文明開化。大技術進展期が始まる。あの偉そうな旧き貴族達の鼻を明かしてやれる」

 

 感動。

 

 自分がアルヴァスの歴史の分岐点に立ち会っているという感慨。

 

 それがまだ若く畏れを知らない学生たる男の身を震わせた。

 

「ようやくだな」

 

 蜥蜴男が仮面の下で頷いた。

 

「ああ。そうだとも!!」

 

 笑い合う二人は同じ身分、同じ学び舎に通う者同士。

 アルヴァス・カレッジの生徒だった。

 

「さぁ、これから忙しくな―――誰だ!!!」

 

 ヴァルの前で蜥蜴男がギョロリと開け放たれている倉庫の扉の先を見た。

 

「……何だ。エルフ、だと?」

 

 思わず目を細めたのも当然。

 

 引きずるように大きな紺色のローブを纏った存在が一人。

 

 彼らの五感には捉えられていた。

 

「…………」

 

 幼い身体。

 長い金髪。

 

 俯いている様子はまるで迷子のようだが、それよりも何よりも彼らが警戒したのは少女の現れ方だった。

 

 【ザヴォイド】の効果により、恐ろしく強化された肉体は五感も鋭敏。

 

 しかし、二人にはエルフの幼女は忽然と姿を現したとしか感じられなかったのだ。

 

(魔術の類か。何だ? 今のオレ達の知覚を容易に擦り抜けられるわけが……)

 

 演説男の靴がジャリッと地面に土埃を立てる。

 

「……い……し…」

 

(何だ? 何を言ってる?)

 

 強化された聴覚ですら辛うじて拾えるような呟きが可憐な唇から漏れる。

 

「は……い……す」

 

「お前は誰だ。此処は私有地だぞ!! 早く失せろ!!」

 

 蜥蜴男が恫喝した。

 ユラリと少女の顔が上がる。

 そうして、声がようやく二人にも届いた。

 小さく小さく。

 まるで秘密の出来事でも語るように。

 破壊します、と。

 

 *

 

―――その時、ハガス中央北部。

 

 アルヴァス首都ハガスには西部でも有数の歌劇場が存在する。

 

 実に四百年近く運営される舞台である。

 

 内部は貴族達に席を提供するに相応しい落ち着いた色合いながらも装飾は実に見事だ。

 

 遥か後ろの席からでも舞台の光に照らされた劇場の荘厳さが役者達を栄えさせる。

 

 近頃は大改修が行われ、最新の音響設備と室内環境維持用の【崩燼機関】が導入された。

 

 商業特区の中央に位置する劇場は蒸気に包まれながらも、人々に親しまれ、定休日以外は毎日のように何処かの劇団が詩に踊りにと使用している。

 

 文化革命と呼ばれ数年。

 

 都民達の間で広がる大衆娯楽は新聞を初めとして大量生産大量販売される雑誌・三文小説へと移り変わり、新たなジャンルとして音声や映像を媒体から直接読み出して虚空に投射する映像機器も発達した。

 

 それでも最新鋭の舞台装置で役者達は宙を飛び、虚空で舞い、華麗な魔術まで使ったように見せる事が可能となった為、個人宅での愉しみ以上のものを求めて人々は歌劇場に集い、連日満員御礼の賑わいを見せている。

 

 複数の市場からも近い劇場周辺は正にハガスにとって南部赤線街とは逆、昼の顔である。

 

 遠方に北部金融街の超高層建築が見え、周辺は大きく開けていて、噴水やベンチが多数置かれ、多くの洒落た商店が立ち並ぶ。

 

 若者が休みの日に恋人友人と繰り出す場所として、都市にこれ以上のものはない。

 

 今日も濃い霧に覆われながら、劇場周辺は賑わっていた。

 

 劇場のメインホールへと続く玄関先には巨大な立て看板が一つ。

 

『巨匠イルゼが描く一大スペクタクル。ゲストに天謳を加え、魔王奇譚絶賛開演中!!!』と書かれている。

 

 七教会の影響力が強い地域辺りなら、魔王関連の歌劇は検閲を受けるものだが、亜人国家にそんな縛りがあろうはずもない。

 

 カップルやら夫婦やら、主に男女ペアで劇場の入り口を潜り抜けていくのを見れば、開演している劇が魔王の悲恋を描いた代物であるのが分かるだろう。

 

【ひひひ……ナーリヤ、お腹空いた……】

 

 立て看板の上に何者かが座っている事を誰も知覚しない。

 

 白い一枚布の衣が揺れて。

 顔の半分を覆う黄金の仮面の下。

 唇がにぃぃっと歪む。

 

 中央北部から東を見れば、微かに緑色の光が空を照らし始めている。

 

 だが、しかし、そんな些細な事に気付く者は誰も無く。

 

 劇場の周辺はいつも通りの喧騒だった。

 

【ご飯♪ ご飯♪】

 

 黒い肌のダークエルフが人差し指で人混みを指す。

 

 ペキリと何かが壊れる音と共に人々が静止した。

 

 時間でも止まっているのか。

 

 それとも単に相手を凍結する魔術や能力なのか。

 

 大きく指が一度円を描くと、彼女が見る円で区切られた内部にいる亜人達が服もそのままに肌を黒く変質させていく。

 

【ごちそうさま……お腹一杯…ひひひ】

 

 ふわりと看板の上から飛び降りれば、もう其処に少女はいない。

 

 ただ、肌を変質させた亜人達の顔には屍蝋が湧き出し、覆いつつあった。

 

 乾き始めた仮面に茶色い文字が浮かび上がる。

 

 曰く。

 

【恋人(ドミナ)】

 

 円内部にいるのは誰も彼も女性ばかりと分かるだろう。

 

 静止する人々の中で蠢き出した黒き女達はまず自分の相手を探す事から始めた。

 

 遠く情熱的に燃え上がる緑炎へ惹かれるように……。

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