※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第三章二十九節

第三章二十九節「緑炎の葬列Ⅲ」

 

 舌打ちが大通りの一角に響いていた。

 

「クソ……やっぱり、アーギストの野郎と通じないか」

 

 ザリザリとノイズだらけの通信に白いコート内で魔術が待機状態となる。

 

「兄さん。大丈夫でしょうか……」

 

「あの野郎が早々簡単にくたばってたまるかよ。そこらの大魔術師クラスの連中にだって引けを取らねぇ研究中毒。あの境界踏破だって、あいつの力が無けりゃ出来なかったんだ。心配するだけ無駄だろ」

 

「そ、そうですよね。兄さんが簡単にやられたりするはずありませんよね」

 

「ああ」

 

 自分の守護者にエストリアは何とか笑顔で頷き返す事が出来た。

 

(兄さん……どうか無事でいてください……)

 

 緑炎が周囲を染める最中。

 

 百五十人近くの貴族達にジルムスとエストリアは混じっていた。

 

 エルフの少女を探し初めて少し時が経ってからの事。

 

 東部が騒がしい様子になり、逃げ惑う人々が右往左往する段に至って、彼らは本来境界内部でしか見ないはずのものを確認してしまった。

 

 通常の領域に存在してはならない者達。

 

 緑炎と屍蝋の仮面。

 

 途中で危険だと警告を発したアーギストとの連絡は途切れ。

 

 夜闇を照らすのは建造物を侵蝕した炎ばかり。

 

 今や他の仲間達がどうなっているのか定かでは無い。

 

 だが、それよりも問題は彼らの周囲に大勢の人々がいる事だろう。

 

 老若男女。

 

 エストリアよりも若い少女もいれば、着の身着のまま逃げ出して来たと思しき老婆もいる。

 

 人間奴隷や使用人達は己の主達の傍で励ますやら嘆くやら。

 

 一握りの戦える者達が四方から散発的に襲ってくる屍蝋の獣達を魔術や【崩燼武装】で追い払っている。

 

 其処以外に生き残っている者達がいるのかどうかすら分からず。

 

 それでも彼らには戦う術が少なからずあって、混乱と暴動に向かう空気は危ういバランスの上に留まっていた。

 

『おぉおおおおおい!! 帰ったぞおおおお!!!』

 

 周辺にどよめきが走る。

 

 彼らの下へ大通りの曲がり角から駆けて来たのは周辺の様子を見に行ってくると買って出た軍務経験のある亜貴族の一人だった。

 

 【鳥人(オルニス)】の男は低空を滑空してきて集団の前に降り立つ。

 

『ど、どうなってたんだ!!?』

『あ、あっちの通りには誰かいたのか!?』

『に、逃げ道は在ったのか!!?』

 

 今にも掴みかからんばかりの誰もを押し退けて。

 

 冷静な顔に汗を浮かべた三十代の鳥男が首を横に降る。

 

「あちらの通りには誰もいなかった。だが、更に先の通りから悲鳴が多く聞こえた」

 

『な、何だって』

『一体、どうすれば!?』

『助からないの!?』

『私達助かるんだよね!!?』

 

 動揺する者達が喚き始める。

 

「何とか戻って来たが、東部を出られそうな道が全部炎で寸断されてる。所々、壁が狭い場所や大通りもあの緑色の炎に覆われていた」

 

 絶望的な状況。

 

 それを理解した者達の悲鳴のような驚愕。

 

 命掛けで情報収集してきたのだろう鳥男自身も唇を噛んでいた。

 

『おい。何とか為らないのか!!?』

 

『クソ!! クソ!!? 何なんだよ!? あの怪物?!!』

 

 集団に不安が伝播するのは早い。

 

 だが、それよりも問題は既に貴族達を守る護衛達の精神疲労が限界に近付きつつある事だ。

 

 誰も彼も玉のような汗を浮かべて武器を持ち、魔術を紡いでいる。

 

(ちっ……まずいな。このままじゃ……)

 

 散発的に突撃してくる仮面達を退けられていられるのも時間的にはもう長くないとジルムスには分かっていた。

 

「(おい)」

「(ジルムスさん?)」

 

 ヒソヒソと話し掛けられてエストリアも声を潜める。

 

「(さっきからやってる作業は後、どれくらいだ?)」

 

「(兄さんが高純度の【源理粒子(イデアル)】を装填してくれていたおかげで連続反応臨界までもう少しです。道を開ける事くらいならたぶん……でも、前方の建物の先に人がいないか確認しないと……)」

 

「(ジルムスの野郎から外套の使い方はレクチャーされてる。探索モードに切り替えて建物を崩しながら進むしかねぇ。やれるな?)」

 

「(はい。臨界域で反応さえしていれば、出力はある程度持続出来ますから。臨界まで後三十秒下さい)」

 

「(了解した)」

 

 頷いた白い巨躯がのっそりと貴族達を掻き分けて今しがた帰ってきた鳥男の前へと進み出る。

 

 ジルムスの巨躯と威圧感に誰もが下がる中。

 

 死地を潜り抜けて来た男が顔を上げた。

 

「何かな?」

 

「ちょっと野暮用で出るところだったんだ。少し特殊な装備と【崩燼機関】をオレ達は持ってる。建物を崩す事くらいは出来ると思う。あんたは周辺を見てきたはずだ。状況を教えてくれないか? 必要な情報があれば、脱出路を作れるかもしれねぇ」

 

『何だって!!?』

『本当なの!!?』

『君、それは本当かい!!?』

 

 周辺から有象無象の声が響くもジルムスは動じず。

 

 鳥男の返答を待った。

 

「君は……もしかして、デダル宗家の方じゃないかい?」

 

「あん? 家の事を知ってんのか?」

 

 ジルムスに首肯が返る。

 

「軍の三割は君の家の流派だからね。そうか。ならば、心強い」

 

「おいおい。オレにジジイや親戚連中みたいな化物具合を期待されちゃ困るんだが」

 

「はは、それでもだ。【崩燼武装】の粒子残量もそろそろ底を尽く。この中に大魔術に詳しい方は見受けられない。となれば、最後に頼りとなるのは己の力と技のみ。それがデダル宗家なら正しく天の助けだよ」

 

 舌打ちしたものの。

 

 自分の家がどういうものか自覚のある青年は疲労に座り込んでいた鳥男に手を差し出す。

 

「まず欲しいのは現在の通れそうな地形と人の少ない方角。それから周辺の化物の数。話はそれからだ」

 

「ああ」

 

 鳥男とジルムスを中心にして数人の戦闘技能と軍務経験を持つ者達がすぐさま状況を取りまとめた。

 

「じゃあ、これからアルヴァス・カレッジの方角に逃げる。まだ裏手の山が無事って事なら、逃げ場所には困らねぇはずだ。いいか?」

 

 汗と埃に塗れた顔達が頷く。

 

 それと同時に集まっていた全員が周辺の貴族達に誘導を掛け始める。

 

「話は決まった。行くぞ!!」

「はい!! ジルムスさん!!」

 

 エストリアが己の胸元の黒き正方形を握り締めて頷く。

 

「通してくれ!! それと周辺の警戒を!!」

 

『こちらだ!! さっそく始めてくれ!!』

 

 貴族達の外縁へ少女を片腕に抱いたジルムスが駆ける。

 

 到着と同時に周辺へ四人程の【崩燼武装】を持った者達が集まってきた。

 

 弓、剣、鎖、短剣。

 

 其々にまだ緑炎の侵蝕は無いが、蒸気を上げて過剰な連続運用に焼き付き始めている武器は限界が近い事を示している。

 

「準備はいいか?」

 

 エストリアが頷いた。

 

「はい。射角仰角入力完了。機関出力オールグリーン。出力物理量、運動エネルギー及び魔力波動。限界機構(リミッター)正常。これより対象の破壊に入ります。下がってください!!」

 

 ジルムスが構えた次の瞬間。

 

 パゥン。

 

 彼らの正面の炎に覆われた巨大な鉄門と後ろの館がエストリアの掲げた【崩燼機関】から先、一直線上に抉れるようにして吹き飛んだ。

 

 爆風や熱量すら発生していない。

 

 ただ館の中央がまるで重機でも通ったかのように消え失せ、緑炎の存在しない安全な道となって人々の前に現れていた。

 

『おぉおおおおおおおおおお!!?』

 

 どよめきも束の間。

 

『皆さん!! すぐに移動を開始します。こちらの指示に従って下さい!! 縦列ではなく。五十人程ずつ固まって移動します!! 女子供を先に!!』

 

 先導する鳥男を軸にすぐさま避難が始まる。

 

「ジルムスさん!! やりましたよ!!」

 

「ああ、これで此処の連中も助か――伏せろ!!!?」

 

 青年の声に頭を抱えた少女が見たのは一足で後ろに跳び下がった後。

 

 今まで自分達がいた場所を穿つ黒い腕と緑炎の玉だった。

 

『きゃぁああああああああああああああああああああッッッ?!!!?』

 

 悲鳴が上がり、貴族達の一部で緑炎が燃え上がる。

 

『うぁあああああああ!!? 燃えてるぞぉおおおおおおお!!? 早く逃げろぉおおおおおお!!?』

 

「ちぃッ!!? 新手か!? そりゃそうだよな!!? こんな派手な事して群がって来ない方がどうかしてる!!」

 

「ジルムスさん!!!」

 

 エストリアの瞳には周辺の館や道から溢れるようにして這い出す黒い手足と仮面の群れが見えていた。

 

(こりゃぁ、背中見せたら死ぬな…)

 

 貴族達が我先にと吹き飛んだ館の道を通って逃げ出していく最中。

 

 ジルムスは仮面達が目先の得物に群がる事もせずにジッと自分達を指向している事に気付く。

 

「こいつら……狙いはまさかオレ達、なのか?」

 

「どういう事ですか!?」

 

「視線つーか、気配がこっちを追ってやがる。化物が今更弔い合戦てわけじゃねぇだろうに」

 

 エストリアが腕の中から周囲の仮面達を見上げてゾワリと背筋に鳥肌を立てた。

 

 犠牲者となった貴族達の何人かが服も燃え散った後。

 

 黒い肌を晒して屍蝋に半分以上覆われた視線を二人に向ける。

 

 恐怖と震えに全身を支配されながら、それでもエストリアは逃げ出していく貴族を追わない仮面達に心の何処かで安堵していた。

 

「ジルムスさん……」

「あんだよ?」

 

 泣きそうな顔なんて傍で守っている誰かに見せられはしない。

 

 だから、少女はただ自分を守るよう兄に配置されたナイト役にこう伝える。

 

「私の事は構いません。存分にやってください」

 

「……兄妹揃ってオレを悩ませてくれるぜ」

 

 溜息を吐いて。

 

 額に浮かべた汗も気にせず。

 

 漢は少女を下ろして帽子を投げ放った。

 

「あの野郎に一生愚痴られながら生きるなんざごめんだ。だから、構うぜ。傷一つ付けさせねぇ。その代わり、逃げ道をもう一本造れ。さすがに100体以上に波状攻撃されたら、やばい」

 

「次の動作まで五十秒下さい!!」

 

「了解だ。いっちょ、やってみるかッッ!!!」

 

 開眼。

 

 ジルムスの全ての瞳が瞼を上げる。

 

 それを合図にしたわけでもないだろう化物達が獣の連携で一斉に二人へ襲い掛かった。

 

「しゃらくせぇえええええええええええええ!!!!」

 

 少女を前にして。

 ジルムスの腕が消えた。

 超高速の打撃術。

 

 普通ならば、何体相手に出来たとしても、最後には化物達に埋もれてしまうだろう近接格闘。

 

 しかし、彼の手に刻まれた方陣が目に見えて完全なる覚醒を果たす。

 

 光り輝く陣の名はその名も【空撃左官陣】。

 

「うぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!」

 

 前方に展開された方陣に打撃を送り、波動として置換。

 

 周辺に展開された見えざる連動方陣を経由して全方向の仮面に波動が収束される。

 

 ピギ、パッキャァアアアアアン。

 

 二人を囲む半径10m内部に入った屍蝋の仮面が割れ、砕け、弾けては肉体の全てを霧に溶け込ませていった。

 

 次々に休む間もなく襲ってくる仮面達は汲めども尽きぬ泉の如く。

 

 されど、まるで壁にぶち当たっているかのように全員がジルムスの生み出す拳域を超えられない。

 

 彼の頭部。

 

 九つの瞳が高速で全ての敵の攻撃動作を見切っていた。

 

 普通の人間ならば認識が追い付かないだろう映像処理能力。

 

 判断時間も極端に短い。

 

 東部から伝わった打撃術の一つ。

 

 波動による全方位波動収束打撃陣。

 

 左官の名は正に虚空へ壁を塗っていると賞された故のもの。

 

 嘗ての戦場において。

 

 彼(か)の技能を使う者は鉄壁。

 

 如何なる状況からも仲間達を守り抜く最後の砦だった。

 

(ちぃッ?! こいつら減ってる気配が無ぇ!? 集まってきてやがる!!!)

 

 秒間三十連打。

 

 全方位から埋め尽くすように殺到する仮面を割り続けているというのに九つの瞳が追い付かない。

 

 脳への負荷による疲れもあるが、一番の問題は化物達の質が均一では無い事だろう。

 

 同じ速度のモノを目で追うのとバラバラな速度のモノを目で追うのでは掛かる負担が大きく違う。

 

(まだ、この量の見切りは無理か?!)

 

 一瞬、拳域を超えた緑炎に焼かれ続ける腕が一本5m弱まで近付くも、見えざる打撃に押し返されて仮面を割られ霧となった。

 

「後、二十一秒!!!」

 

(長げぇ……持つか!!?)

 

 両腕を限界まで酷使していながら、圧倒的な物量に拳域がジリジリと狭まり始める。

 

 9m、8m、7m、6m。

 

「まだか!!!」

「後、八秒!!!!」

 

 5m、4m、3m。

 

「ま、だまだぁあああああああ!!!!」

 

 血管の浮き出る額。

 拳の速度が増す。

 

 辛うじて4mへと押し戻した途端。

 

 バツンと左腕の腱が切れた。

 

 炎を上げる腕の指先の一つが少女の眼前に迫り、ジルムスとエストリアを仮面達が囲い切った。

 

「行っけぇええええええええええええ!!!!!」

 

 寸前で腰を抱いて上空へ飛んだジルムスが見たのは少女の持つ【崩燼機関】の表面に複雑な光りの導線が奔る瞬間。

 

 ゴッッッッッッッッッッッッ!!!!!!!!

 

 二人の眼前で瞬間的に成立したのは巨大な歪曲の連なり。

 

 一列となったレンズの群れ。

 

 そして、それを筒と化した砲身だった。

 

 正方形の角を中心として発生した一連の事象は彼らを砲弾に見立て、レンズ一枚に付き時速数十kmで加速した。

 

「くッ!?」

 

 目の前の空間が歪んで引き込まれるような感覚。

 

 少女を抱き締めながら時速数百kmまで加速したジルムスは後頭部の瞳で眼下の仮面達が潰れる様子までも観測していた。

 

(こいつは重力か!? 高等な【崩燼機関】には色々な現象を出力出来るもんがあるって話はあいつもしてたが、あの僅かな時間でよくこんな高等魔術並みの芸当を……)

 

 空中で放物線を描きながら移動しつつ、加速が弱まるのを待ってジルムスが叫んだ。

 

「何処に向かってる!!」

 

「に、兄さんがもしもの時は校舎裏の裏山に直接転移出来るようにしてあるって言ってたので、そちらの方に!!」

 

「はは、やっぱりお前ら兄妹だな」

 

「それどういう意味ですか?!」

 

「言ったままだ!!」

 

「あぅ!? あ、あの!! 重力ブレーキで周辺を潰しましたけど、仮面の化物はどうなりましたか!!」

 

「全部、ペシャンコだ!! 誇っていいぞ!!」

 

「素直に喜べません!?」

 

 化物達がもしも都市の住人の為れの果てだったなら、人殺しも同じ。

 

 そう思っているのかもしれず。

 

 それでも命を救われた事をジルムスは内心感謝した。

 

「このまま上手く行けば避難した連中とも合流出来るかもしれねぇ。まずは仲間の安否と位置の確認が最優先だ!! 目的地に付いたら、また化け物と出くわす可能性もある。出来るだけ準備しておけ!!」

 

「わ、分かりました!! そ、それよりジルムスさんの方は大丈夫なんですか!! さっき、凄い音が腕から!!」

 

「気にするなら。もげてないなら、どうにでもなるさ!!」

 

 上空から燃える市街地を越えて目的地へと落下する最中。

 

 青年は後頭部の瞳で遠方に爆炎と閃光が上がるのを確認した。

 

(生きてろよ。全員)

 

 仲間達の顔を思い浮かべ。

 

 いつの間にか、危険な境界踏破に自分が思ってもいなかった程、のめり込んでいるのだと理解して。

 

 一匹狼を気取っていた喧嘩上等の自分を思いだせない事にジルムスは苦笑した

 

(まったく。毒され過ぎだな。オレ)

 

 二人は狙い違わず小高いアルヴァス・カレッジの裏山。

 

 木々の間へと落下し、紛れていく。

 

 主戦場となった市街地を後ろとして……。

 

 *

 

 炎の中。

 

 人々が逃げ惑い黒き化物と化していく情景。

 

 普通ならば、誰が好き好んで地獄に身を落そうとするだろう。

 

 砕け散りそうな勇気を集めたとて。

 

 死と己を別のモノに返られてしまう変質の恐怖に抗える者なんて一握りだ。

 

 少なくとも、彼女はそんな存在とは程遠い。

 

 それでも諦められない事があったのだ。

 

 その為ならば、命なんて惜しんではいられなかった。

 

 だから、奏璃紗は……己の足で、己の意思で屋敷から踏み出した。

 

 通りに出れば、もう何故か黒い化物達は見えなくなっていて。

 

 それでも緑炎に包まれた街並みは幻想的で寒々しく。

 

 何処か身体の芯を震わせた。

 

(イクス。何処に行ったの!!)

 

 屋敷の中に無かった気配を探して彼女は走る。

 

 決して炎に触れぬよう注意しながら。

 

 小さな足が竦んだとしても、逃げ出したとしても、誰が咎めるだろう。

 

 屋敷に舞い戻ったとて、少年が責める事は無いだろう。

 

 けれど、少女の心は急かす。

 

 己の大切な者を守れと命令する。

 

 その気持ちは恐怖を退け、ちっぽけな勇気に火を注ぐ。

 

(イクスは私のご主人様)

 

 主を失ったなら、また造ればいい。

 

 娼婦とはそういうものだ。

 

 客にとって娼婦の代わりがいるように娼婦にもまた客の代わりがいる。

 

 例え、会員制を取る【月兎亭】でもそれは同じだ。

 

(イクスは私の所有者)

 

 身請けされたなら、娼婦は見受けたした人物の所有物。

 

 けれど、所有物は所有者が消えれば、自由だ。

 

 それを相続する者が無い限り。

 

(イクスは私の……友達)

 

 脳裏に浮かんだのは言葉。

 

 少年が与えてくれたもの。

 

 確かにそれまでも友達はいた。

 

 娼婦仲間は今も掛け代えの無い人々だ。

 

 しかし、それは娼婦と娼婦の関係。

 

 最初から定められた相手にしか過ぎない。

 

 ベルンやサイカとの間柄もそうだ。

 

 娼婦と管理者、所有者の関係が先にあった。

 

(大切な友達……)

 

 どうして客が娼婦に友達なんて関係を求めるのか。

 

 ずっと分からずに困惑するばかりだった。

 

 なのに、今ならば奏璃紗は言える。

 

 少年はきっと初めての友達。

 

 本当に“ただの友達”だった。

 

 客と娼婦ではない。

 

 ただの少年と少女として。

 

 ただの璃紗とイクスとして。

 

 彼は彼女を連れ出した。

 

 外の世界へ。

 限りなく広く。

 

 誰に指図される事もない。

 

 指標も目標も何も無い場所へ。

 

(嬉しかった。どうすればいいのかも分からない璃紗の手を引いてくれた)

 

 自分のように振舞っていいのだと。

 

 自分を押し殺す必要はないのだと。

 

 所有物に言い聞かせる主人なんて冗談の類だ。

 

(本当に馬鹿な人……)

 

 一人の女として。

 奏璃紗として。

 

 傍にいて欲しいなんて。

 

 涙が出る程、嬉しくて。

 

 抱き締めたい程、愛しくて。

 

 泣けてしまう。

 

(イクス…イクス…何処…イクス!!)

 

 少女は滝のように流れる汗も拭わず走った。

 

 走って、走って、走った。

 

 何度も心の底から名前を呟いて。

 

 そうして、ようやく、人の背中を確認した。

 

 *

 

「第三小隊放て!!」

 

 巨大な人の胴体にも匹敵しそうな砲身が三つ。

 

 握り拳大の【崩燼機関】から莫大な蒸気を噴出させながら、重粒子線を放った。

 

 可視波長を伴う光の筋が周辺から迫ってくる屍蝋の仮面達を薙ぎ払う。

 

 両手持ちの“拳銃(ハンドガン)”と言うには大き過ぎる冗談のような砲身の根元。

 

 カートリッジ代わりの【崩燼機関】が薬莢ごと排出され地面に重たい音を立ててめり込む。

 

「新型の【崩燼武装】とは聞いていたが、機関を使い捨てにするとは豪勢な仕様じゃねぇか!!」

 

 白いコートを纏った男女が数十人。

 

 円陣を組んで湧き出るように襲い掛かってくる仮面達に組織だった反撃を加えていた。

 

 砲の左右のグリップを握るようにして砲身を固定し、密着した腹部で衝撃をいなしながら撃つ火砲は優に都市の一区画の端まで届く威力。

 

 彼ら境界突破部隊の主力兵器に相応しいと言える。

 

「カートリッジ三十単位消費!! 砲身冷却に入ります!!」

 

「第四小隊前へ!! 弓兵は上空の警戒を密に!! 方陣班は地下水道及び地下避難路側の状況を探れ!!」

 

「了解!!」

 

「第五班!! 索敵どうか!!」

 

「報告します!! 敵、四時、六時の方角から三十七体!! 十二時の方角から八十四体!! 尚も三区画先から反応が多数こちらに移動中!!」

 

「第六班!! 本隊との連絡は!!」

 

「現在、術式中核の設置を使魔(ドローン)に行わせています!! 先行し強攻偵察に出向いた本隊がいると思われる四区画先まで残り500m!! いえ!! 今、通信が繋がりました!!」

 

 円陣の中央で魔術方陣を両手に頭上へ突き出していた男が自分の四方に音声受信用の方陣を展開する」

 

『―――へ。現――追わ――第14区――増――。尚、一般――保――求める』

 

 響いた音声に反応して温存していた八人程の男達が分隊長の指示に従い動き出した。

 

「これより本隊の救援に向かう!! 尚、一般人を保護している模様!! 火砲を重粒子線ではなく純粋熱量による熱線に切り替える。くれぐれも味方に当てるな!! 各員、近接格闘(クロスコンバット)用の【崩燼武装】を戦闘待機状態へ移行!! これより第一斑を先頭に第14区画に突入する!!」

 

『おぉおおおおおおおおおお!!!!』

 

 士気も高く亜人達が走り出した。

 

 向かうは巨大な反応を検知し、最も錬度の高い隊員のみで構成した部隊で強攻偵察に出ていた部隊のいる数区画先。

 

 退路確保の為に残っていた部隊だろうとやれる事はあると戦力の分割にも臆さず。

 

 彼らは全速力で緑炎に包まれる街を疾駆する。

 

 途中、建物の上から、小さな路地裏から、地下上下水道に続くマンホールから、何匹いるかも分からない仮面達が湧いてくる。

 

 しかし、索敵能力を高めた人員を軸に的確な先読みの攻撃が相手の先制を許さず。

 

 全ての仮面を一撃の下に霧へと溶かした。

 

 真っ当な拳銃型や剣型の【崩燼武装】だけではない。

 

 魔術も体術も一流の男女が途切れない敵攻勢を挫きながら進む姿は正しく曲芸染みている。

 

「残り、250m!! すぐに接敵します!! 敵密度が桁違いです!! 気を付けて下さい!!」

 

「コート内の積層魔力を開放!! 近接戦闘準備!!」

 

「了解!!」

 

 各々、短剣や長剣、片刃の劔(つるぎ)を片手に構える。

 

 隊が最後の角を曲がった途端だった。

 

「来るぞ!!!」

 

 十数体の仮面達が一斉に屋上から緑炎の塊を投げ放ち、そのまま急降下が開始される。

 

 無論、当たる、掠る、接触するだけで命は無いものを馬鹿正直に受ける隊員は誰もいない。

 

 密度の高い炎弾の群れが10m以上の上空で彼らが各々陣形を組んで張った防御方陣に弾かれ、その内側から放たれる近接崩燼武装の熱量斬撃が相手を溶かし削った。

 

 ドパンと肉体を完全に融解させて仮面達が足元に散らばるより早く霧へ還る。

 

「後、50m!! 前方に敵反応多数!! どうやら囲まれているようです!! 挟撃を!!」

 

「全員、遠距離魔術用意!! 敵の視認と同時に攻勢を掛ける!! 方陣防御の距離は限界まで広げろ!!」

 

「効果範囲指定。電荷安定。収束開始。崩燼武装による雷撃の後に引導火力として魔術を集中させろ!! 攻撃後の隙を付かせるな!!」

 

 片手に魔術方陣。

 片手に近接崩燼武装。

 

 更に腰のホルスターで銃の蒸気を噴出させながら、いつでも撃てる状態で待機状態を維持する。

 

「放て!!!」

 

 20mを切った時点で刃に込められた電荷が範囲を指定する磁場の広がりと共に放出された。

 

 狙い違わず。

 

 文字通りの黒山の人集り。

 

 仮面の群れを複数の雷撃が薙ぎ払った。

 

 突如背後から襲われたにも関わらず。

 

 肉体が消えるよりも先に黒い腕が高速で伸び、緑炎に覆われた腕からも炎弾が放たれる。

 

 しかし、魔術を留めていた片手の方陣が一斉に前へ翳された。

 

 起動したのは亜人国家において軍がよく多用した攻撃魔術。

 

 詠唱無し。

 意匠無し。

 方陣は簡素。

 

 しかし、放つ人数の上限で威力が跳ね上がる代物。

 

【貴過荒陣(ジェネレイショネム・クリエイトリックス)】。

 

 不可視の波動による衝撃破壊魔術。

 

 国の創設期に国土全体に敷かれ、今も維持されている概念魔力を引き出す陣を持って【貴族連盟登録者(パリスホルダー)】達が己の家の重ねた代毎に威力を引き出す対軍攻撃。

 

 血統の稀少さから概念魔力を引き出す者は稀少で数が少ない。

 

 しかし、何かをずっと続ける事。

 

 そして、その続ける事の難しさ故に魔力を引き出す術は亜人国家において貴族達の特権の一つだ。

 

 使用出来るのは登録者の中でも家の長のみだが、それでも貴族証明のバッジを媒体として齎される借り物の概念魔力は数が集まる事で強力な術として昇華される。

 

「弾け!!!」

 

 見えざる波濤(はとう)が腕を炎弾を吹き飛ばし、彼らの眼前の群れの中央に大穴を開けた。

 

 まだしぶとく生き残っている仮面達に腰の銃を向けようとした時、大声が響く。

 

『ダメ!!! エストル、リーデ、アライス、ファウン、シュレット、ガザン、フォール』

 

 意味不明の言葉に貴族達が手を止めたのは何も幼い声に驚いたからではない。

 

 自分達の前でまだ立ち上がる気力を保持していたはずの化物達の仮面が、罅割れたからだ。

 

 それが単純に攻撃を受けた為ではないと確信したのは彼らの前で仮面達の身体から炎が消え、黒い組織が剥がれ、バタバタと肌色や毛皮や鱗を晒して倒れた故である。

 

『大丈夫だ!! 仮面は剥がれている!! ただちに回収してこちらへ!! 転移魔術を敷設してある!! 早く!!』

 

 聞き覚えのある声に隊員達が一糸乱れぬ統率を見せた。

 

「隊長!! ご無事でしたか!!」

 

 倒れ付す化物達。

 

 否、都市民達の身体を背負い、円陣を組む本隊に彼らはようやく合流を果たす。

 

 その目に映るのは黄金の毛並み。

 

 狐の頭部を持つ壮年の獣人を筆頭とするまだ誰も欠けていない仲間達だった。

 

「援軍ご苦労!! すぐに彼らを方陣の中へ。話はそれからだ!!」

 

 元大貴族にして武の名門。

 

 バーゲル家。

 

 東部式の武術を今に伝える武門の一つ。

 

 その家長、ライル・エイフォン・バーゲル。

 

 嘗て新しき貴族達の総代として決闘の末負けた敗者。

 

 しかし、それでも未だ亜人貴族達の間では戦争になれば、最前線に借り出されるだろう事は疑いようの無い実力者だと信じられている男。

 

 まだ出会ったばかりの境界突破部隊の隊員達は最初こそ隊長となった彼を侮っていたものの。

 

 たった数時間で命を掛けるに値する者だとウルの父親を信頼していた。

 

 厳しい顔付きの男も今は汗に塗れている。

 

 他の本隊の隊員達も同様だった。

 

 如何なる激戦を潜り抜けてきたのか。

 

 想像するまでもない。

 

 円陣の中央に設置された転移方陣に被害者達が次々と寝かせられて消えていく。

 

「隊長!! これは一体どういう事なのですか!! まさか、化物化した者達を元に戻す方法を!?」

 

 分隊を預かった蜥蜴顔の男がライルに駆け寄る。

 

「あ、ああ。偶然に、だがな。反応の増大していた地区で我々はかなりの強敵と出くわした。それでも誰一人欠ける事なく逃げ遂せたのはこの子の活躍に拠るところが大きい」

 

 ライルの背後に隠れるようにしていた少女がオズオズと出てくる。

 

「リ、リーシャ・ハーモニアと言います。貴族様」

 

「この子が?」

 

「重症か。あるいは化物になる寸前だった我々を助けたのはこの子だ」

 

「そんな事が!?」

 

 思わず目を丸くした蜥蜴男が繁々と少女を見つめる。

 

 独特な瞳以外は殆ど人間にしか見えない“九十対十(ナインティ・テン)”。

 

 明らかに凄い力とは無縁そうな少女は女給姿だ。

 

 化物をどうこう出来る存在とは普通思えないに違いない。

 

「詳しい事は分からないが、どうやら化物化した者達の【真名(まな)】を読み取る超常の力がこの子にはあるらしい。それがたぶんは仮面と化した人々を今唯一救える力だ」

 

「【真名】ですか?」

 

「ああ、今の貴族の間でも付ける風習は廃れてきているが、伴侶以外には極力教えてはならないとされるアレだ」

 

「ですが、そんなもの誰もが持っているものでは……」

 

「いや、この子の話では付いているかどうは分からないが全員に“見える”そうだ。魔術に詳しい者の話では何らかの高度な魔眼による解呪のようなものらしい」

 

「解呪? この現象は呪いのようなものであると?」

 

「そうだ。まだ推測にしか過ぎないが、解く方法はあるという事が判明した。ただ、魔術的に原理を解明するには時間が掛かる。とにかく救えるだけ救って効果を確かめていたが、敵が集まり過ぎた。だが、元に戻せるかもしれない関係上、不用意に全滅させるわけにもいかなくてな」

 

「そういう事でしたか。本隊があの数に防戦一方というのはおかしいと思っていましたが……」

 

「我々はこの場での転移方陣を解き次第合流する。この子の力があれば、限界まで都市民達を避難誘導して化物達も幾分か亜人へ戻せるだろう。その後、この都市の現状を生み出している一角へ全隊による突入を開始する」

 

「はッ!!」

 

「各員円陣に加われ!! 移動途中に襲ってくる化物がいた場合は可能な限り足止めと解呪後の回収を最優先とする!! 空間制御に長けた者は元に戻った都市民を圧縮空間に凍結!! 安全な場所まで移送するぞ!!」

 

『おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!』

 

 士気も高く隊員達が拳を振り上げた。

 

 そんな意気軒昂な者達の間で璃紗が僅かに顔を歪めた。

 

 それに気付いたライルが膝を折って、その頭を撫でる。

 

「君の協力には感謝する。心配しないで欲しい。隊の長としての判断は君を安全な場所へ送るべきだと感じるが、君が己の力を貸す時の約束は必ず果たす。無理強いはしない」

 

 璃紗が真っ直ぐに狐の瞳を見つめて、頷いた。

 

「各員!! 行動を開始せよ!!」

 

 少女はその声を頭上に聞きながら、どうしてこうなったのかを回想する。

 

 あの時見つけた背中が……少年のものではなかったという事実を。

 

 まだ、彼女の目的は果たされていなかった。

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