※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第三章三十節

第三章三十節「緑炎の葬列Ⅳ」

 

「ぐぅッ!? こいつら!!?」

 

 刃の響く炎に巻かれた通りで。

 

「中距離を保て!! 奴らの間合いで決して戦うな!!」

 

 ライル・エイフォン・バーゲルは部下に適切な指示を出しながら、屍蝋の仮面達に相対していた。

 

「【幇刃(リシーラー)】!!!」

 

 狐顔が吼える。

 バーゲルの家に伝わる刀術の一つ。

 

 魔力刃の技の冴えが防戦一方となっている隊員達の背中を抜けて戦闘中の敵を薙ぎ払う。

 

 物質透過斬撃。

 

 これらの高等技能は魔術師としての能力(スキル)も必要とする積層魔力の高度置換技法である。

 

 透過物質内部を傷付けぬよう積層魔力を密度の薄い非活性状態で通過させ、物理量(エネルギー)として対象に命中した時点で置換する方式は斬撃を如何なる壁も通り抜ける刃と化す。

 

「隊長!! 助かりました!!」

 

 バタバタと倒れていた仮面達がむっくりと立ち上がった。

 

 その表面に刻印された名は【姦淫者(アダルテラーレ)】。

 

 今まで男達が戦って来た化物達の中で最も戦闘に長けた存在。

 

 通常の【罪人(ペッカート)】や【黒逝者(レウス)】とも違うのは肉体の強度もそうだが、何より仮面の堅さとあらゆる攻撃に対する危機察知能力、致命打に対する圧倒的な回避能力。

 

 人体の可動範囲を大きく越えた柔軟な体捌き。

 

 戦巧者の集まりである境界突破部隊の精鋭を持ってしても、容易には倒せない難敵としてたかだか数体でありながら【姦淫者】は彼らを追い詰めていた。

 

「魔力の抑制も効いている様子がない!! ただちに後退!! 遠距離武装に切り替えろ!! 魔術は常時三つ以上待機状態にして、不意打ちと接近時に備える!!」

 

『了解!!』

 

 強攻偵察の為に部隊を分けたのは戦略的には必要な事だったが、彼のような手慣だけで編制したのには意味がある。

 

 と、言うのも敵の緑炎による攻撃で倒された場合、相手に戦力を吸収されるのが予想されていたからだ。

 

 如何に霧の影響を遮断出来るようになったとはいえ。

 

 緑炎の強制的な化物化は脅威以外の何ものでもなく。

 

 故にライルが取った方策は近接戦闘を行う可能性のある部隊を極力精鋭で固めるというものだった。

 

 強者を取り込まれる事に難色を示した赤鬼(ラルヴァ)の長を説得したのも彼だ。

 

 犠牲者が出るならば、出る犠牲者の数を少なくする事を第一に考え、戦力吸収時には意識と連動する自爆用の魔術を体内に仕込ませもした。

 

 隊員に自らの死を覚悟させたのは彼が率先して己の体内に魔術を仕込む様子を見せたからだ。

 

 今や出会ったばかりの隊員達は短い時間の中で彼の手足となり、十分以上に素早い連携を取るようになっている。

 

「隊長!! 周辺に敵反応が密集しつつあります!!」

 

 周辺状況を観測していた男からの言葉にライルはその黄金の髭を撫ぜ潮時かと撤退の合図を出そうとした。

 

「巨大な反応を検知!!! 急速接近中!!! 数1!!!」

 

「何!?」

 

 全てが霧と萌ゆる炎に侵蝕された世界。

 

 警察機構の署長宅。

 

 一際大きく高貴を現す蒼で塗った煉瓦の壁。

 

 その一部が破砕し、通りの角から莫大な土埃が辺りに吹き付けた。

 

「周囲警戒!! 防御方陣連携!! 距離を最大の15mまで延長!! 射撃用意!!!」

 

 化物達に戦術的な戦い方があるかどうか等、未だ分かりようもないが、その撤退合図を出そうとしたタイミングで乱入してきた大物が押しの一手である可能性を考慮に入れて、ライルは陣形を取る隊を下がらせる。

 

 数人の前衛。

 

 防御方陣の連携で遠距離攻撃や高速での接近を防ぐ者達が額に汗を浮かべ、緊張に顔を強張らせた。

 

 彼らにも相手の恐ろしさが伝わっていたのだ。

 

 強烈な気配。

 

 まるで獰猛な獣を思わせる。

 

 防御方陣を連携で適時重ね、周囲を移動させながら囲み、戦闘の要として常に仲間を守り通して来た彼らだからこそ、絶妙なタイミングで戦場へ突撃してきたソレを侮りはしなかった。

 

 が、硬質な方陣の連続破砕音が男達の顔色を変えさせる。

 

 瞬間の圧力に耐え切れず罅割れた輝く円環の層は十四層。

 

 残り五層の方陣の前で仮面らしきものが男達を見据えた。

 

 距離12m。

 

 ほぼ限界まで押し込まれた方陣は今にも外部からの圧力で砕け散りそうになっている。

 

「今です!!」

 

 名前も確認出来ない内から隊が左右に割れた。

 

 火砲型の【崩燼武装】を持つ者が三人。

 

 左右持ちのグリップを握り締め、射撃を開始する。

 

 紅の閃光。

 

 重粒子線の束が続けて三つ大型の敵へとぶち当たった。

 

「やったか!?」

 

「いや、まだだ!! 気を抜くなッ!!」

 

「アイツ?!! 額に角があるぞ!?」

 

「あ、ありゃぁ、崩燼機関!!?」

 

「何だと!!?」

 

 火砲からの粒子線を大量に受けながら、それでも肉体の構成物質を崩壊させる様子も無く。

 

 額にある左右にある黒い長方形から通常の蒸気とは違う、漆黒の煌めきが吹き上がる。

 

「隊長!!? あれは何かヤバイですよ!!」

 

「―――これにてこの地区から退避する!! 撹乱用の煙幕と身代わり用の魔術中核をばら撒け!! 新種の敵の能力が分からない内はまともに相手をするな!!!」

 

 ライルの掛け声と共に隊員達がそれぞれの白いコートの内側から白布で巻かれたボール状の物体を前後左右に投擲した。

 

 緑炎や地面。

 

 壁にぶつかって破裂した球の中から大量の噴煙が噴出し、目暗ましとなる。

 

 内部に入れられていたのは魔力形質の媒質を変化させる言わば、魔力の感知を撹乱する微粒子。

 

 隊員達の魔力形質に合せて造られた特注品は彼らの魔力を隠蔽し、同時に複数の観測方法を幻惑する。

 

 射撃が相手を押し留めている間に隊員達が一斉に動き出した。

 

 火砲からの粒子線照射が終わると隊員達は重い武装をコート内部に空間制御による魔術で消した。

 

 殿(しんがり)達と共にライルが街中を疾走する。

 

 噴煙が一区画を覆いつつある中でも、決して油断は無かった。

 

 相手が追ってくるかどうか。

 

 それによっては相手の観測方法も推測出来る。

 

 相手が単なる生物ならば、ほぼ追跡は不可能なはずだったが、化物が化物たる所以はその能力にこそある。

 

(撒いた、か?)

 

 走り出して二十秒弱。

 

 緑炎のせいで走る場所が極端に減っているとはいえ、逃げ出せただろうかとライルが殿の隊員達へ次の指示を出そうとした瞬間。

 

『うぁあああああ!!!?』

 

「何!?」

 

 前方に迫ってくる隊員達の悲鳴に彼は走る速度を上げた。

 

「く、先程のは誘導か!?」

 

 先行していた撤退中の隊員達の半数が吹き飛び、倒れ付している。

 

 残りの半分は緑炎に触れそうなくらい後退しながら建造物や壁を背にし、道の先に待ち構えていたモノを遠巻きに魔術を準備していた。

 

 二重の仮面を付けた同じ巨躯がもう一体。

 

 彼らの前にで道に立ち塞がっている。

 

 額に崩燼機関が無いものの、巨大な身体は間違えようもなく。

 

 粒子線を喰らってもピンピンしていた化物と同質。

 

(最初から逃げ道に伏兵を……こいつ知能があると見るべきか? 偶然にしては出来過ぎている……)

 

 ライルは刀型の崩燼武装の柄に手を掛けた。

 

(粒子線の攻撃が通らないか。あるいは効いていないとすれば、特殊な魔術や超常の力で肉体を防護しているか。概念的な防護や原理的な干渉を無効にする守りを持っているか。または細胞そのものが粒子線に耐えるか。どれだとしても厄介極まりない。我が隊に大魔術師クラスが要れば……)

 

 国の要請で今や国家お抱えの大魔術師は地方のパトロールを任として出払っている。

 

 今回の境界突破部隊に大魔術師をと赤鬼に進言してはいたが、無いモノねだり。

 

 敵の強さが常識的な範囲から大きく逸脱している場合、彼ら程度の部隊では歯が立たない事は十分に考えられる事態だった。

 

 ライルには境界突破部隊を任された時から戦う相手によっては自分達が役不足かもしれないという懸念が常に在ったが、その悪い想像は最悪のタイミングで現実となってしまっている。

 

「こいつは引き受ける。お前達は下がり、転移方陣の準備を。手が空いた者は下がったまま、防御方陣で援護を頼む」

 

「隊長!!? 一人でおやりになるつもりですか!!」

 

 隊員の一人が思わず制止した。

 

「出会って間も無い隊員を此処で減らすわけにもいかないだろう」

 

「で、ですか!?」

 

「敵の能力は未知数だ!! 此処は最も強い者が引き受けるべき場面!! いつ後方から二匹目が来るとも限らん!! 出来る限り戦力を温存、情報を収集し、次に当たった時の為に備えろ!!」

 

「わ、分かりました!! 観測用意!! 防御方陣展開用意!! 転移方陣の敷設開始!!」

 

 まだ仕掛けてくる様子も無い化物の前へ。

 

 黄金の狐が出た。

 

 倒れていた隊員達も各々自力で立ち上がり、後方へと退避していく。

 

「化物よ。貴様の相手はこのオレだ!!」

 

 柄に手が掛かる。

 

 鞘が握られる。

 

 抜刀の構え。

 

 魔力刃の真骨頂は圧倒的な速さと一太刀に込められる威力だ。

 

 火砲が刃物や魔術に取って代わり全盛となって以降も、刃に特異な能力や魔力を乗せて使う輩は時に砲撃以上の力を発揮した。

 

 戦場では集団戦法と冷徹無常な数の論理が全てを埋め尽くす勢いだが、その効率化、最大化された姿である七教会の紛争介入部隊も時に力及ばず。

 

 強大な個人の前で屈した事がある。

 

 神や魔族。

 

 不死者。

 

 種族の頂点存在。

 

 強大な力を持つ一握りの超越者達はあらゆる戦力差を覆す教会への理不尽(マストカウンター)だった。

 

 そのような相手を最後に打倒したのは最新式の魔術でも、最高威力の火砲でも、最大級の罠でもない。

 

 単なる超絶の御技。

 

 人の織り成した刃。

 

 技の冴えであったと言われている。

 

 七教会としての体裁を取り始めた頃から戦場へと投入された【高格外套】を最初に運用した超人達。

 

 【騎師(ミリス)】も単に能力や兵器の質だけでゴリ押しする輩では無かった。

 

 如何なる存在であろうと、邪神すら狩る者。

 

 彼らが真の意味で最後に頼ったのは兵器の威力ではなく。

 

 研鑽の末に到達した術理だったのだ。

 

 嘗て戦乱に沈んでいた大陸東部において人以外を斬る為に編み出された流派は数多い。

 

 神も魔も人も物も事も等しく斬り分けたとされる一太刀は人智を越える人智。

 

 それこそ西部において新たなる革新を齎したものではなかったか。

 

(此処は我が死地………)

 

 数年前までアルヴァスの軍にも一定数いた。

 

 バーゲルの家が司る流派。

 

 【承剣(パーペトゥオ)】は魔力刃と居合い術。

 

 そして、伝来の技法によって打たれた刀の三位一体を持って魔王にすら一矢報いた秘伝刀術だ。

 

 今や戦場の術理が魔導と火砲に占領されていようと、それらでは倒せないものを倒す為、彼は嘗て死闘を演じた赤鬼の長に教会突破部隊の部隊長として招かれたのである。

 

(一死三殺では足りないか……)

 

 敵の体格や気配、姿、隊員達の傷の具合を見て。

 

 ライルは敵と己の戦力差を冷静に推し量る。

 

 擦り切れた礼服の残骸。

 

 顔を見せない二重の仮面。

 

 そして、何より崩燼機関たる黒角。

 

 まるで鬼のようにも見えるが、その程度のはずもない。

 

 一死三殺。

 

 一つの死を得る為に自分が三回以上殺される。

 

 これが彼の見た化物と自分の間にある溝だった。

 

『オ、ヲオヲおお? ばーゲる? あ、アぁ、バーゲル?! ばーゲ、げggegeeruuuuuuuuuuッッッ!!?』

 

 巨躯が吼えた。

 

 そのあまりの音量に周辺の建造物から硝子が粉々になって降掛かった。

 

 無論、緑炎に塗れたままで。

 

「喋ったぞ!?」

 

「こいつ隊長の事を!!? 意識があるのか!!?」

 

「た、退避ぃいい!! 道の中央に集まれぇええええ!!!」

 

 すぐ後ろに迫る危機に隊員達が転移方陣を敷設した道の中央へと急速に集う。

 

 それを待っていたか。

 

 巨躯が動いた。

 

 まるで猛牛。

 

 猪突猛進の先には転移方陣と降掛かる火の粉を何とか避けた隊員達。

 

「言っただろうッッッ!!! 貴様の相手はこのオレだとッ」

 

 高速の踏み込み。

 

 相手に歩幅を悟らせない足捌き。

 

 本来は東部の衣装である袴(はかま)を想定した歩法。

 

 所謂、数多くの流派における間合いを征する奥義。

 

 【縮地(クラウダ・テラ)】

 

 足裏の積層魔力で道を敷いた彼の移動速度は純粋に平らな地面を約0.04秒で20m進む。

 

 秒速500mの音速を遥かに超えた肉体から繰り出される斬撃はその肉体速度を更に置いてけぼりにして。

 

 化物の頭部を正確に捉えていた。

 

 衝撃が来るのは一瞬後。

 

 完全に止まったかと思われた静寂を破ったのは化物だった。

 

「Gaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!?」

 

 化物の直前で全ての速度を斬撃の威力として太刀に伝え切った無防備な身体が、宙に舞った。

 

 腕の一振り。

 

 辛うじて死なずにいるのはライルの部下達が魔力を彼の肉体に張り付け、防御方陣を見事に展開してみせたからである。

 

(まず一殺)

 

 ライルは虚空を吹き飛ぶ勢いのまま、相手を凝視する。

 

 化物の仮面。

 

 その一枚目が完全に斬れ落ちていた。

 

 角の面を失った下。

 

 次の面が現れ、その名が読み取れる。

 

【新劇者(ノブム・ルディオ)】

 

 納得も出来よう。

 

 新しいという言葉がどれだけバーゲルの運命を翻弄したか。

 

 骨身に染みている者からすれば、化物の中身は容易に想像出来た。

 

 角は【崩燼機関】で出来ていたのだから。

 

「【崩燼貴族(ソルヴァス・ノーブル)】か!?」

 

「Baaaaaaaaaaaゲッゲgげるrるrrぅううううううううッッッ!!!」

 

 化物が跳んだ。

 

 恐ろしい事に踏み込みんだ後ろの館の一つが巻き起こる衝撃に薙ぎ倒される。

 

(来たッッ!!!)

 

 ライルは己の刀が刃毀れにボロボロの有様である事を自覚していたが、腰の刀型の崩燼武装へ持ち替えない。

 

 替える暇が無かったのではない。

 

 己の流派。

 

 その真骨頂に現代アルヴァスの工学技術の粋では不足だと知っていたからだ。

 

 流派とは西部において武具と一体のもの。

 

 長年研鑽を積み、自らの流派が使う武具を鍛造してきた一族は数多い。

 

 彼らの研鑽する技もまた彼らの鍛造する武具に合せて洗練されてきた。

 

 それが時代の潮流。

 

 一気に【崩燼武装】の登場で片隅に追いやられてしまったのは致し方ない話だろう。

 

 だが、流派の奥義に現代の武具では再現不可能なものがあると知るからこそ。

 

 威力や強度に劣ろうと彼は自らの一族が打ち鍛えた一振りで崩燼武装すら効かない化物を相手にする。

 

「駆けよ。【梁塵秘抄(はしばみ)】」

 

 欠けた刃文が波打つ。

 

 その内部に崩れた文字が無数織り込まれている事を知るのは斬られて閃きの内に死する者のみ。

 

 魔術方陣を何千層と織り込み鍛えた当代一の業物は過去から伝えられて来た代々の家宝にも勝るとも劣らない真打。

 

 砕けた刃であろうとも輝きが曇る事はない。

 

「往くぞ!!!」

 

 高速で迫ってくる【新劇者】の腕がライルの首を刎ねるより先に刃が虚空で奔った。

 

 ただの斬撃ではない。

 

 その動きも、もはや人体の繰り出すものではない。

 

 常識的には刃というのは振る動作に伴い一線を引く。

 

 複雑な動きをしようとも手で持っている以上、人体の可動限界以上の軌跡は描けない。

 

 だが、彼の刃は明らかに手で持つ以上の軌道を進む。

 

 曲線を描き、時に慣性を無視して逆側へと跳ね、子供が乱雑に描く線の如き定まらなさで高速の残像を残していく。

 

 抽象画でも描いていると言った方が納得の出来そうな斬撃の中。

 

 体表を魔力刃の減速、減衰無しの刃で撫ぜられていく化物は削れていた。

 

 彫刻刀で樹を適当に目的も無く彫れば、そういう形にもなるだろう。

 

 互いに高速で落ちていく二つの影。

 

 片方の巨躯は落下までに半分以上小さくなっている。

 

 殴り付けようとした左腕は削り滓を大量にぶら下げながら消失し、巨大だった肉体の大半も襤褸切れのような有様で漆黒の肉体内部を見せていた。

 

「ぐッッ!?」

 

 白い特製コートのおかげで内臓は無事。

 

 背中から衣装内部で起動した防御方陣が迫り出して外傷も無い。

 

 しかし、超高速の瞬間的な激突と化物を切り削った利き手は既に手刀で切り落とされた後だった。

 

 その理由は彼が落下し切る手前で落とした刀にある。

 

 もうその半ばから折れた刃は緑炎に染まっていた。

 

(関節を破壊し、筋肉のみで動かしていたとはいえ、利き手が逝ったか……ッ)

 

 肩から少し下。

 

 腕の途切れた場所は出血で染まっている。

 

 もう止血用の魔術が起動しているとはいえ、それでも戦闘中の感覚を鈍らせない為に痛みを止めていない肉体は激痛に苛まれていた。

 

【梁塵秘抄(はしばみ)】。

 

 西部に広く分布する鷹の一種。

 

 その名を冠した名刀の真なる能力は只管に速く太刀筋を読ませない複雑怪奇な高速斬撃を可能とする人体操作魔術と動魔術の無制御暴発にある。

 

 昔は鷹の名の通り。

 

 只管速さと正確さを求めた一振りとして有名を馳せた刃も時の移り変わりと戦争で正攻法の戦術(セオリー)が通じなくなっていった経緯から、今や邪道とも言うべきものへと変化していた。

 

 術者の腕を破壊して得られるのは先読み不能の一撃。

 

 暴発し続ける魔術による刃の軌道をある程度敵へ向ける為に必要なのは筋力のみで骨や関節は完全な破壊と粉砕骨折によって使用後に崩壊する。

 

 とはいえ、それも魔術での復元や回復を前提にしている為、緑炎によって利き手を失うというのは彼にとって最悪の状況に近かった。

 

 腕以外の場所に炎による侵蝕が無いかを即座に魔術で診断しながら、ライルが削れた肉体がもう回復しつつある化物から距離を取る。

 

『隊長!!』

 

 数十m先の遠方からは声。

 

 今にも駆けてきそうな勢いだったが、離れた味方への援護は難事だろう。

 

(後、一殺凌ぎ切れるか!?)

 

 スゥッと僅か一呼吸で体勢を整えた先。

 

 大通りの両側から霧と緑炎を割いて【罪人】と【黒逝者】が躍り出た。

 

 仲間を守ろうという行動では無いだろう。

 

 しかし、対応を余儀無くされたという時点で回復前に攻撃する事が出来るかは微妙な状況。

 

「薙ぎ払え【崩燼武装(ソルヴァス・アームズ)】!!!」

 

 腰の黒き帯剣を抜き放ち様に出力を全開。

 

 待機状態にしていた設定の通り。

 

 臨界を越えた機関が瞬時に内部から莫大な蒸気を発生させて剣の軌跡に沿って噴出させた。

 

 周辺の熱量を瞬時に奪って蒸気が消え去れば、半径30mの弧の内の敵七体はもう氷付けとなっている。

 

 蒸気に含まれていた触媒は敵への対応策の一つとして国が用意した代物。

 

 水蒸気内部で強力な熱量の吸収現象を引き起こして、瞬間的に蒸発。

 

 対象物から熱量の一切を奪い去る一種の魔術触媒。

 

 大魔術師クラスの者が行う分子運動制御を真似る目的で開発された切り札の一つだった。

 

 しかし、他の固体が静止する最中。

 

 霧が晴れた中央で動く【新劇者】がまだ再生し切らない腕もそのままに吼え猛る。

 

「バアアアアアアアアアアアゲルウウウウウウウウウウウッッッ!!!!」

 

 キシキシと氷結して崩れていく体表をものともせず。

 

 その巨躯が走り出した。

 

 カシュンッ。

 

 帯剣の根元。

 

 丸いリング内部に縫い止められていた機関が排出された。

 

 瞬間的な出力を強化した分、機関の寿命を極端に縮ませる新型の弱点はカートリッジの装填時間。

 

 空間制御による連続換装技術も開発されているが、機関内部に使われている空間制御に干渉してしまうとの理由から未だ実用化段階に無い。

 

「これでぇええええええええ!!!!」

 

 帯剣を投棄てて仲間達の援護が無いものを前提としたライルが片腕に積層魔力で魔力刃を組み上げていく。

 

 その形は刀というよりは結晶(クリスタル)の棒。

 

 接触するまで五秒も掛からなかった。

 

 豪腕がラリアット気味に彼を捕らえ、積層魔力の結晶体が砕け散る。

 

 ゴッ!!!

 

 防御方陣は展開されていない。

 

 直撃だった。

 

 それでも上半身と下半身が未だ別れを告げていないのは白いコートに仕込まれた対衝撃防御用の魔術と敵の攻撃威力を減衰する外向きの動魔術が術者の生命力を吸い上げて緊急起動したからである。

 

 吹き飛ばされた肉体が血反吐を吐きながら錐揉みし、跳ね上がってから路地に叩き付けられた。

 

「カッッ、フッ?!!!」

 

 肺の前面が弾け、肋骨が粉砕骨折。

 

 胃は辛うじて破裂していないが、食道が千切れ掛けている。

 

 血で溺れるのが先か。

 

 それとも内臓のショックで死ぬのが先か。

 

 どちらにしてもまだ相手を倒していないとライルは最後の攻撃に入る。

 

 グルンと後ろを振り返った【新劇者】の肉体には無数、積層魔力の結晶が埋まっていた。

 

 辛うじて敵の表皮に燻る緑炎を身に受けなかった男はこれで最後だと浸食されつつある外套を脱ぎ捨てる。

 

「承剣が奥義―――【斬寡斬結(ざんかざんけつ)】」

 

 残った隻腕が手刀を振った。

 

 無論、それで相手を斬るのではない。

 

「ga?! gugugagugauggaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa!!!?」

 

 ゴボゴボと仮面の内側から唾液の泡が吹き零れ、巨躯が傾いだ。

 

 ドゴンドゴンドゴン。

 

 肉体内部から外側へと出ようとしたものを押さえ、もがき苦しむ様子に効いていると確信したライルが最後のダメ押しをする。

 

「結ッッ!!!」

 

 ボン―――。

 

 無数の結晶が黒い肉体を突き破り、外側へと迫り出した。

 

 しかし、それだけに留まらず。

 

 結晶と結晶の間に刃が瞬時に結晶化し、繋がる。

 

 無数の結晶の刃が体内から連結していく光景は肉体を結晶が食い散らかしているようにも見えるだろう。

 

 ビギィ。

 

 仮面に罅が入り、二つに割れた。

 

「!?」

 

 ライルはその下から出てきた顔。

 

 同じ獣人が予想外に若い事を知って愕然とする。

 

「―――お前さえ、勝って……い……れ……………」

 

 地面に落ちて屍蝋の破片が砕け散り。

 

 霧に溶けていく肉体はすぐ消え去る。

 

 残ったのは積層魔力の結晶体のみだった。

 

「我が業は深いか……」

 

 若き命が化け物となってまでも怨んだ我が身の至らなさ。

 

 それに虚無感を抱きながら、それでも彼は重症の身体を引き摺る。

 

 早く仲間達の下へ戻ろうと動き出そうとした矢先。

 

 顔を上げた時だった。

 

 遠方からの爆発音が響く。

 

(く、指揮する者がいない隙を突かれたか!!)

 

 彼が動くよりも先に霧を突っ切って黒い巨躯が現れる。

 

(追いつかれた?! だが、此処で死そうとも仲間達の一人でも生き残ってさえいれば……)

 

 いざとなれば衣服内部に仕込んである自爆用の魔術を起動するつもりでライルは外れた肩から先。

 

 もう感覚の無い手に再度、積層魔力を棒状に結晶化させた。

 

 両手を組み合わせ、ライルの頭上に飛び上がった巨躯の筋肉が、更なる隆起で倍以上に膨れ上がる。

 

 振り下ろされるだろう鉄槌に向けて棒が振り上げられ―――。

 

「“アイズラウト”!!!!」

 

「?!!」

 

 幼い声。

 

 生き残り、死ねない、このままでは背後まで攻撃が貫通する、どうすれば。

 

 そんな、正に時間を引き延ばしたような高速の思考の末。

 

 何も出来ないと悟った彼が絶望するより早く。

 

 黒の巨躯が眼前で掻き消えた。

 

「―――ッ」

 

 それと同時に全裸の蜥蜴男が力を失った様子で棒に弾き飛ばされ道端に転がる。

 

 思わず後ろを振り返ったライルが見たのは女給姿の“九十対十”の少女。

 

 まるで人間のようでありながら、その瞳の特異さが人間奴隷ではないと教えてくれる。

 

「あ、ぁの…だ、大丈夫ですか?」

 

 駆け寄って来た少女の泣きそうな顔。

 

 今、怖がられたまま死んでは死に切れたものではないな、と彼が表情を緩める。

 

「あ、あぁ…お、嬢さんは平気かな?」

 

「は、はい!! それよりもう、腕が!!?」

 

「もう止血してある…はぁはぁ、ぅ…大丈夫だ…それより仲間を呼んできて、くれない、だろう、か…」

 

「仲間の人が!? す、すぐに呼んできます!!」

 

「済まない……本来なら護衛するべきところだが、今は……無理、そうだ…」

 

 少女が泣きそうな目元を拭った。

 

「君の名は?」

 

「あ、えと、奏、奏璃紗です!!」

 

「奏? まさか、奏家の?」

 

「え!? あの!? それは…その、そ、それよりも仲間の人はどっちに!?」

 

 ライルが部下達の方を指し示すと少女がすぐに帰って来ると言い置き、走っていった。

 

 その後姿を見ながら、彼の冷静な脳裏が推測を立てる。

 

(あの瞳…何らかの魔眼……先程の名も含めて……あの子はこの状況を打破し得る要素に……)

 

 再びの吐血。

 

 薄らと意識が遠ざかっていく。

 

 ずっと、ライルは倒れ付す蜥蜴男を見つめていた。

 

 もし、自分が決闘に勝っていたなら、少なからずこんな事にはなっていなかっただろうかと。

 

 仲間達の足音がするより先に思考は緑炎の光の中へ眩んでいった。

 

 *

 

 奏美紗が最初に少年の背中を見付けたのは偶然だった。

 

 と、言うのも通信が途切れた後。

 

 まず合流しようとしていたのはエストリアとジルムスだったからだ。

 

 大きな通りにいる二人に合流してから少年を探す。

 

 一番強い者なら生き残っている確率は高いとの判断である。

 

 しかし、緑炎で所々の道が閉ざされ、化物が飛躍的に増えていく環境にあって、彼女は否応無しに迂回ルートを通るしかなかった。

 

 それで道行の先にバッタリ出くわしたのが少年の背中だったのだ。

 

「イクス・ゼオ!!」

「あ、先輩?」

 

 振り返った少年の腕の中、エルフの少女を見付けて美紗が安堵する。

 

「どうにか見つけたようですね」

 

「ええ、無事ですよ」

「良かった……」

 

 今も少年にしがみ付いているエルフの少女が美紗を見て、きゅっと腕の力を強くする。

 

「それで後ろの方は?」

 

「ぅ……此処は……」

 

 少年の足に凭れて意識を取り戻したヴァルの声に美紗が目をパチクリさせた。

 

「ま、まさかヴァルさん!?」

 

「その声は美紗か?」

 

 節々の痛みに耐えながら、ゆっくりと立ち上がり振り返った男は自分が守るべきはずの相手を見付けて驚く。

 

「こんなところで何してやがんだ?」

 

「そ、それはこっちの台詞です!? ど、どうしてヴァルさんがイクス・ゼオと一緒に!?」

 

「あ、あぁん? オレは確か…この子を…」

 

 ようやく自分が守っていた少女が少年の腕の中にいると気付いて。

 

 ヴァルが良かったと呟く。

 

「そうか。あんたが助けてくれたのか? 礼を言う。だが、どうやって地下のオレ達を?」

 

 最もな疑問に少年が半笑いになった。

 

「あ~えっと、黒猫的な友達が此処だよって教えてくれたので」

 

「黒猫的?」

 

『マゥ~~』

 

 通りの先から鳴き声がして少年が二人へ付いて来るように促した。

 

 どうやって脱出するかの算段も無い二人は頷く。

 

 ヴァルが相棒に肩を貸されながら移動を開始した。

 

 四人が10m程先の角を曲がると黒猫が道の中央に座っている。

 

「あの子ですか」

 

「うん」

 

 ひょいっと跳躍した肉体がモムッと少年の頭部へ張り付く。

 

「マゥヲ~~」

 

 至って暢気な声に気が抜ける思いを味わいながら、それでも美紗は目の前のソレがやはり普通の黒猫ではないのだと再確認した。

 

「悪いんだが、何がどうなってやがるのか説明してくれるか? 美紗」

 

「あ、はい」

 

 緑炎に侵蝕された街の風景。

 

 普通では在り得ない景色を前にヴァルの言う事は最もだった。

 

 それから手短に美紗は東部で起こっている怪奇現象を話す。

 

 緑炎に侵蝕された末に怪物となってしまう人々。

 

 逃げ惑う者達が必死に出口を探していたという事実を。

 

 出来る事なら、美紗も本格的な避難誘導を行いたかった。

 

 しかし、貴族達や護衛の者達の間に割って入ったところで自分に何が出来るかも自覚していた。

 

 彼女が途中で出来た事は緑炎に接触すれば化物になると触れ回る事。

 

 そして、貴族の護衛達が集まっている方角に避難民を導く事。

 

 何人、何十人を安全とは言い難いが、戦闘の出来る者達がいるグループまで誘導するのが関の山だった。

 

 何にしてもまずは仲間達の発見を合流を最優先にしたのはエルフの少女が心配だった事もあるが、同時に少年の強さが状況打破の可能性を秘めていたからでもある。

 

「そうか。大変だったんだな。この緑色の炎には絶対に触れるなって事でいいのか?」

 

「はい。今のところ侵蝕された部位を切取るくらいしか対処方法は無いと思いますから……」

 

「分かった。じゃあ、まずはこのまま避難民の方に合流しよう。全部、それからだな」

 

 美紗が頷いた。

 

「じゃあ、この子を任せてもいいですか? 先輩」

 

 エルフの少女がゆっくり地面に下ろされる。

 

「貴方も一緒に来るのよ?」

 

 何を言っているんだと呆れた視線を向けた獅子少女に少年が首を横に振る。

 

「何だか、あっちの方に原因があるみたいって言ってるようなので」

 

「はぁ?」

 

 少年が頭上に視線を向けて、美紗も同じく黒猫を見やる。

 

 すると、変な黒猫の前足の一方があっちあっちと一定の方角を指し示していた。

 

「……どういう事? というか、イクス・ゼオ。貴方、この黒猫の考えが分かるの?」

 

「何となくは……」

 

「何となくって?!」

 

 自分達に少女を任せて何処に行くというのか。

 

 少女にしてみれば、避難民を安全に導く為、少年の協力は必須だった。

 

「でも、この子を見つけたのもこの子ですから」

 

 エルフの少女の頭を少年が撫でる。

 

「その黒猫が特別だって言うのは認めてあげるわ!! でも、まずは今にも化物になるかもしれない人達を誘導するのが先でしょう!!?」

 

「それはそっちにお任せします」

 

「お、お任せしますって貴方!!?」

 

 思わず掴み掛かった美紗の手がヴァルに制止される。

 

「ヴァ、ヴァルさん!? ど、どうして!!」

 

「美紗。お前とこの少年がどういう関係かは知らないが、やる事が有るって言うなら行かせてやれ」

 

「ヴァルさんまで!?」

 

 思わず振り返った美紗の怒り顔が年上の相棒を前に固まった。

 

「覚悟決めた奴を引き止めるのは野暮って話だ。それにこういう場合の避難誘導は警察機構の役目であって、一般人に無理強いするもんでもないしな」

 

「で、ですが……」

 

 尚も食い下がろうとした美紗だったが、少年がエルフの少女に自分の外套を着せるのを見て、腕を下げた。

 

 少年の笑みにエルフの少女が何を説明したわけでもないのに頷いたからだ。

 

(……まだ、少ししか一緒にいないのに……この子とイクス・ゼオは通じ合って……)

 

 少年が手の甲の方陣を光らせ、湧き出た剣を手にした。

 

「避難誘導に少しだけ力を貸します。後の事は任せても?」

 

「いいのか?」

 

「今、此処で出来るものだけですけど」

 

 ヴァルが少年の言葉に頷く。

 

「じゃあ……ちょっと聞きたいんだけど、どこら辺まで人がいないか分かる?」

 

 頭上に話し掛けた少年の声に反応したのか。

 

 黒猫が微妙に考え込んでから、石畳に飛び降りる。

 

「何を……」

 

 美紗が呟いたのも無理は無い。

 

 黒猫が自分の足で石畳の上の土埃に線を引いていく。

 

 一分程すると彼らの前には東部の簡易の地図らしきものが浮かび上がっていた。

 

 最後に黒猫がポムッと地図の上に手を乗せて印を付ける。

 

 それが自分達のいる場所だと警察機構所属の二人が気付いたのは長年犯罪捜査に地図を使用していたからだ。

 

「マゥヲ~~マヲマヲ!!」

 

 地図には人のいる地域と思われる場所に爪痕が付けられている。

 

「この爪痕の部分にはいるって事?」

 

「マーヲ」

 

 頷いた黒猫に少年が微笑んだ。

 

「ありがとう」

 

「マヲゥ?」

 

 何に感謝されたのか分からなかったのか。

 

 小首を傾げた後、黒猫は少年の頭上に戻る事無く。

 

 地図の後ろへと下がった。

 

「じゃあ、全員後ろに下がってくれますか?」

 

「何をする気なの!? イクス・ゼオ!!」

 

「ちょっと道を。それよりも少しいいですか?」

 

「な、何よ?」

 

「その、物凄く悪いんですけど、僕が動けなくなったら口付けしてくれませんか?」

 

「は、はぁ?!」

 

 思わず目を白黒させた美紗に済まなそうな笑顔が向けられる。

 

「基本的に異性から魔力を貰うようにって言われてて」

 

「だ、だから、一体何の話を!!?」

 

「これから、たぶん一気に死に掛けると思うので」

 

 それ以上は何も言わず。

 

 全員から10m以上離れた少年は剣を両手で握り締める。

 

(侵蝕対象が建造物なのに石畳には緑炎が燃え移ってない。という事は境界の“面”自体には侵蝕が存在しないと考えていい。なら)

 

 諸刃の剣の中心から剣先にまで細い魔力の光りが奔る。

 

 それは積層化される様子も無く刃文以外の全てをゆっくり塗り潰していった。

 

「何をする気なの!?」

 

「これから、逃げ道を造ります。先輩は出来る限り誘導して脱出を」

 

「逃げ道を造るって一人で何が出来るって言うのよ!?」

 

 答えず。

 

 少年は内なる声を呟く。

 

「閃剣が死義の一つ」

 

 いつもとは違う。

 

 己の死を持って至る技は奥義とは呼ばれない。

 

「聞(きこ)し召(め)せ―――【震天動地斬(しんてんどうちざん)】ッッッ!!!」

 

 剣が石畳に突き立つ。

 

「淵(え)ぇえええええええええええええええええええん!!!!!!!」

 

 バキリと根元まで埋まった剣の柄から先が折れた。

 

「な、何も起こらな―――」

 

 美紗が言い切るより先に少年の全身が、燃え上がった。

 

「まさか!? いえ、この色は!!?」

 

 一瞬、緑炎によって侵蝕されたのかと驚いた彼女だったが、少年の肉体を蔽う炎の色に別の何かだと気付いた。

 

 炎の色は黄金。

 

 その煌めきに三人と一匹が目を奪われる。

 

 ガゴン。

 

 大地に埋まった剣を中心にして石畳に一線の亀裂が奔っていく。

 

 その罅が何処までも何処までも続いた。

 

 開いた大地がやがて奈落の如く全てを隔てていく。

 

 道の中央を分断して無数の館を引き裂きながら、地割れは最終的に三mもの幅となる。

 

 だが、それよりも彼らが驚いたのは本来何も無い地面の下から少年を包む炎と同じものが吹き上がった事だ。

 

 まるで爆発。

 

 天まで吹き伸びた黄金の炎が緑炎を圧倒して世界を染め上げていく。

 

「【コアトリクエ】【マァラ】【キシャル】【セドナ】【レアー】【ゲブ】【アティラ】【ガイ――グッ!?」

 

 少年が炎に包まれたまま傾いで膝を付いた。

 

「はぁはぁはぁはぁ……」

 

 黄金の壁と化した炎の中から数体の輝きの塊が少年の前に飛来する。

 

『眠りを覚ますのは汝かえ?』

 

『無茶な事をする』

 

『無礼者に死を授けよう』

 

『一柱ならまだしもいるだけ叩き起こすとは恐れ入る』

 

『まさか、貴様は……』

 

『ふ、夫の仇に使役されるとはな』

 

『やはり、この力……お前か』

 

『―――さて、その姿……お主は今、一体“どちら”なのだ?』

 

 少年を囲む姿無き問答者達の圧力に周辺にいた者で膝を付かずにいられたのは黒猫とエルフの少女だけだった。

 

「マゥヲ」

 

 鳴き声が響くと光りの主達が物静かに後ろの黒い塊を注視する。

 

 呼び出された者達に共通していたのは“厄介事”である黒猫の明らかな不機嫌に対する忌避だった。

 

『何故、“こんなもの”がいる』

 

『やらねば、消される運命か』

 

『人の子はいつの世も理不尽であろう』

 

『口惜しや』

 

『このような怨敵に力を貸す事になろうとは』

 

『一体【聖杯委員会(ペルスヴァル)】は何をしておるのか』

 

『差し当たり、知らぬ事は知らぬままでよいのだろう』

 

『さぁ、始めよう。やらなければ寝床にも帰れぬ故、な』

 

 完全に倒れ付した少年が焼かれるまま視線を動かす。

 

 黄金の炎に分断された東部が中央方面に向かって侵蝕していた地域一帯を全て沈み込ませた。

 

 一つの地域の半分が数百mも大地を下降させるのだ。

 

 その様子は地上からも空からも尋常ではない。

 

 そうして出来た巨大な穴を埋めるように地殻が変動し、横から迫り出した岩盤が街を飲み込んで新しい地上として浮上していく。

 

 だと言うのにハガス全域で観測される地震は極僅か。

 

 震度1程度だった。

 

 最終的に中央へ続く東部一帯。

 

 貴族達の街の半分は跡形も無くなっていた。

 

 全てが消えるまで約一分。

 

 何もかも冗談のような出来事。

 

 街を分断していた黄金の炎が収束し、大地の奥底へと再び沈み込んでいく。

 

「マヲ~」

 

 ご苦労様とでも言いたげな黒猫が尻尾を左右に振った。

 

 黄金の主達が何処か不満げな気配を漂わせながらも無言で己の世界へと還っていく。

 

 地割れが亀裂の跡だけを残して失せると残ったのは四人の背後で未だ緑炎を上げる建造物と中央方面一帯に広がる更地だけだった。

 

 今の今まであまりの圧力に地面に張り付け状態となっていた美紗とヴァルが起き上がる。

 

「い、今のは一体!?」

 

「おいおい。冗談みてぇな野郎だな。お前の知り合い」

 

 炎が消え去った跡に衣服もそのままで焦げた様子も無い体を横たえている少年にエルフの少女と黒猫が走り出していく。

 

「ど、どういう事ですか!? ヴァルさん!?」

 

「今のあの剣技…ありゃぁ、神格の召喚。要は神を無理やりこっちに顕現させる術の類だ」

 

「え?!」

 

「どういう原理だか知らねぇが、大昔に召喚術は見た事がある。こいつの場合は剣が媒体だな。たぶん、自分を贄に捧げた。大魔術にも引けを取らねぇ儀式術だよ」

 

 呆然とヴァルの声を聞きながら、エルフの少女がゆさゆさと少年を揺さぶっているのを見て。

 

 慌てて美紗が駆け寄った。

 

「大丈夫!? ねぇ!!」

 

 まったく反応の無い少年の体は糸の切れた人形のようだった。

 

 そこでようやく彼女は前回の境界踏破の最後を思い出す。

 

 エストリアは口付けをして少年を回復させていた。

 

(そういう事なの!?)

 

 誰かから魔力を受け渡す事で肉体を再生させていたのだとすれば、今此処で少年に魔力を施せるのは条件から言っても美紗以外にはいなかった。

 

(恥しがってもいられない……怨むわよ。イクス・ゼオ!!)

 

 一度だけ唾を飲み込んだ美紗が目を閉じ、そっと震えながら唇を少年に預けた。

 

 すぐに自分の中から大きく魔力が流出していくのを感じて。

 

 少女が薄目を開ける。

 

「………」

 

 少年と目が合った。

 

 思わず両手で少年を押して唇を離す。

 

 ゴッと石畳と頭の間にかなりの激音が響いた。

 

「痛いんだけど……」

 

「も、もう大丈夫なの?」

 

「まぁ、一応。先輩のおかげで何とか」

 

「そ、それならさっさと立ちなさい。この子達が心配してるじゃない!!」

 

 今の出来事をさっそく無かった事にした様子で美紗がそっぽを向く。

 

「マゥヲ~」

 

 黒猫がペロペロと少年の頬を舐めると起き上がった途端、その頭に乗った。

 

 エルフの少女も心配そうにしていた顔を僅か綻ばせて腕の中へと飛び込む。

 

「あはは、心配掛けちゃった、かな?」

 

「さっきの……あれって神様を?」

 

「まぁ、此処ら辺でも影響力がありそうな大地関係の人達を出来る限り呼んでみたんだけど」

 

「出来る限りって、そんな簡単に!?」

 

「基本的に命を持って行かれるから、誰か魔力をくれる人がいないと出来ないし、あんまり強い人も呼べないし、契約もしてないから、呼び出しても働いてくれるとは限らない……みたいな感じだから、簡単じゃないと思う」

 

「で、でも、どうやったら何柱も呼び出せるのよ!? 明らかに普通じゃないわ!!」

 

「いや、こうしたら出てくるかなぁ……って、何となく」

 

「な、何となくで神様呼び出せたら苦労なんかしないわよ?!」

 

 脱力しそうになるも、美紗は気を取り直した。

 

 何はともあれ、脱出路を確保出来たのだ。

 

 今正に化物になる瀬戸際の避難民達を退避させる機会(チャンス)。

 

 動き出すなら早いに越した事はない。

 

「じゃあ、僕もそろそろ」

 

 起き上がった少年が再び手の甲の方陣を輝かせて剣を喚び出す。

 

「この人達に付いていけば大丈夫だから。ね?」

 

 エルフの少女がジッと少年を見上げていたものの、頷いた。

 

「後は頼みます。じゃあ」

 

 三人に背中を向けて黒猫を頭に去っていく背中に声を掛けていたのはたぶん美紗にとって少年もまた仲間になりつつあったからだ。

 

「一緒に逃げる事だって出来るのにどうして?」

 

「『困ってる人達がいたら助ける』……らしいですから」

 

「らしいって何よ!! この間の貴方の家でもそう言ってたけど」

 

「約束は例え何があっても消えない……」

 

「約束?」

 

「僕が唯一覚えてるのは約束だけです。誰としたのかも分かりませんけど、その約束だけはきっと何があっても守るって決めてたみたいで」

 

「そんな……そんなあやふやな事に命を掛けるなんて?!」

 

 少年が振り向いた。

 

「例え、どんな約束でも一度したら護り切る。僕に出来る事はきっと今も昔もそれくらいなんだと思います」

 

 何も言えなくなった。

 

 奏璃紗にはようやくヴァルが言っていた事が理解出来た。

 

 覚悟を決めた人間。

 

 いや、何かを一途に守ろうとする者の顔。

 

 幾ら微笑んでいても、その想いは決して軽くなかった。

 

 いっそ、悲壮を通り越して、笑ってしまうくらい、純粋で頑なだった。

 

「後で。また」

 

 走り出して緑炎の光りを駆け抜けていく背中に何一つ声を掛けられず。

 

 奏美紗は自分の至らなさと不甲斐なさ。

 

 そして、想いの弱さを知る。

 

『マヲー!! マヲーヲヲー!!』

 

『こっち?』

 

 まるで楽しげに地獄の最中へ舞い戻る姿。

 

 その背中にもう反感は感じられない。

 

『マヲゥ~~♪』

 

 都市を覆う災厄を切り払う者。

 

 その頭は黒猫を被るらしい。

 

 背後からした『行ってやれ』の声に彼女は、走り出した。

 

 きっと、命の礼は命の恩で返すと決めて………。

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