※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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三箇日連続投稿もこれでひとまずお終い。エロになるまでバトル進行は続きます。結末はまだ少し先……では、次回。


第三章三十二節

第三章三十二節「緑炎の葬列Ⅵ」

 

―――今日も一日が始まる。

 

「イクスさ~ん」

 

 瞼を開けると少女が一人。

 

 星のようにしてきた瞬きの数よりも見つめているかもしれない相手がいた。

 

「あ、エストリア?」

 

「はい。イクスさんの大親友。エストリアですよ?」

 

 冗談めかして制服を着崩した少女がベンチの横に座る。

 

「今日も良い天気ですね。この間の嵐が嘘みたいです♪」

 

「うん。確かにポカポカしてて眠くなっちゃうかも……」

 

「あはは。イクスさん。ほっぺに麺麭屑が付いてますよ?」

 

「え…」

 

「取ってあげますから、じっとしてて下さいね」

 

「うん……」

 

 そっと白い指が頬に伸びて、少し照れながらも少年は受け入れる。

 

「ん、ちゅ……はい。取れました」

 

「エストリア。えっと、その……」

 

 少し上目遣いの少女は訊ねる。

 

 嫌、でしたか?と。

 

「そんな事無いけど、誰が見てるか分からないし」

 

「うぅ~いいじゃないですか。イクスさんはわ、私のコイビト、なんですから」

 

「恋人?」

 

「い、今更無しとかそれこそ無しですからね!! もう母さんに今度連れて行くって言っちゃったんですから!!」

 

 慌てて言い張る少女の必死さに微笑んで、少年が頭を撫でる。

 

「うん。分かってる」

 

「そ、それならいいんです」

 

 特別校舎の上。

 

 昼時の長閑な風を感じながら、春の陽光に眩んだような錯覚。

 

「……」

「イクスさん?」

「ん」

 

「どうかしたんですか?」

 

「何でも無い。それよりそろそろ戻ろっか?」

 

「はい……」

 

 立ち上がると。

 

 少年は自分の手をちょこんと握る指先を感じる。

 

「ダメ、ですか?」

 

 はにかむ笑みに手を握り直して。

 

「途中まで一緒するよ」

「あ……はい!!」

 

 満開の花のような笑顔の横に口付けする。

 

「イ、イクスさん!?」

 

「早く行かないと遅れちゃうよ?」

 

「ぅ…は、はぃ」

 

 二人で階段を下りていく。

 

 そうするようになってどれほどだろうか。

 

 告白されて、付き合うと決めて。

 

 春の新入学の時から数えて二ヶ月目。

 

 貴族と言っても貧乏一人身。

 

 家族も無い自分が大切な人を得るなんてカレッジに通い出すまで少年自身思ってもいなかった。

 

 初めての出会いは子猫を偶然救った時。

 

 それから自然に惹かれ合ったのは必然かもしれない。

 

 年中帰ってこない母親がいるとか。

 

 昔は優しい兄がいたとか。

 

 学生の集う屋台のテーブルで話をして。

 

 いつの間にか付き合うようになった。

 

 きっと、どちらも寂しかったに違いなく。

 

 毎日、共に食事をしては夜もどちらかの部屋に往く。

 

 そんな日々。

 

 帰りの小道に夕焼けを見ながら手を繋いで進む。

 

 たった、それだけの事が嬉しいのだと少年は知った。

 

「イクスさん。今日はわ、私のお部屋に来て下さい…その、いいです、よね?」

 

「えっと、部活が」

「部活?」

 

 廊下を歩きながら怪訝そうな顔をされて少年はそんなものに入っていない事に気付く。

 

「……何でもない。じゃあ、今日は一緒に食事を市場から持って帰って、二人でディナーにする?」

 

「ディナーって言う程、豪勢じゃありませんけど。賛成です♪」

 

「じゃあ、ね」

「ぁ…はい」

 

 何処か惜しむような笑顔。

 

 講堂への分かれ道で―――唇が触れ合った。

 

「エストリア。あんまりこういうのは……見られちゃうと思うんだけど」

 

「誰も見たりしてません!! ふふ」

 

 元気な笑顔で手を振って駆けていく背中。

 

 幸せとはそういうものかと少年は僅かに唇を指でなぞった。

 

 それからの講義時間なんてあっと言う間だったのは言うまでも無い。

 

 フワフワと空に浮かぶような心地。

 

 それこそが恋か。

 

 まるで百年の逢瀬の如く大げさに放課後の校門で抱き付かれて。

 

 さすがに少年も恥しかった。

 

「えへへ~。じゃあ、今日は何処で買っていきますか? イクスさん」

 

 ご機嫌に腕をベッタリと組まれながら、少年はさてどうしようかと街を眺める。

 

「偶には甘いものでもどう?」

 

「甘いもの? イクスさんにしては珍しいです。何処か新しいお店でもあるんですか?」

 

「確か、こっちに……」

 

 放課後の帰り道。

 中央北部の市場街。

 

 少し洒落た店が立ち並ぶ一角に出るとすぐに店は発見出来た。

 

「中央諸国式の店舗とか何とか」

 

「あ、これ知ってますよ!? 友達が言ってました。今、すっごい人気なんですよね!! よく知ってましたねイクスさん。いつもあんまり甘いものは好きじゃないって言ってるのに」

 

「前に此処で買った事があって」

 

「え……」

 

 店は満員御礼とは言わないまでも空いているのは数席に過ぎなかった。

 

 少年が少女を伴って入店すると『いらっしゃいませ』との声。

 

「……イクスさん。誰かに買っていってあげたんですか?」

 

「え……誰だったかな……」

 

「あー!? ごまかしましたね!? ごまかしたでしょう!! イクスさんがこんな可愛くて素敵なお菓子屋さんを知ってるなんておかしいと思ったんです!! 白状して下さい!! 一体、誰に買ったんですか!! 買っていったんですか!?」

 

 ジト目のエストリアに少年が苦笑いになる。

 

「忘れちゃった……って言ったら、怒―――」

 

「怒ります!! イクスさんはもう女の人に近付くの禁止なんですから!! いっつも見境無く助けて!! この間も助けた子にお菓子を貰ったの知ってるんですよ?!!」

 

「そうだったっけ?」

 

「うぅ~~今度は私がお菓子を上げるまで誰のも貰っちゃダメなんですからね!!」

 

 嫉妬で不満顔の少女の頭をポンポン叩いて。

 

 少年は色々誤魔化した。

 

 それから店で夕食分のお菓子を買って、大きな紙箱一つと少女に両手を塞がれながら、北部の高額労働階級(ミドルクラス)の家々が立ち並ぶ一角まで足を運ぶ。

 

「そう言えば、良い紅茶の葉が手に入ったんですよ。今日は私が入れますね」

 

「それって錻力(ブリキ)の大きい缶に入ってたりする?」

 

「はい。母さんがこの間、買ってきたんです。二人しかいないのにあんなに大きな缶を買ってくるなんて、うっかりし過ぎだって言ったら、その……二人で毎日飲めばいいじゃないって……」

 

 少し顔を赤くしてエストリアが顔を俯ける。

 

「じゃあ、一杯貰わないとね」

 

「は、はい。今日は沢山入れますね。甘いものばかりですから、イクスさんは濃い目のストレートで」

 

「エストリアはミルクと砂糖を控えめだっけ」

 

「覚えててくれたんですか?」

「一応、彼女の好みだから」

 

 きゅっと少年の片腕が僅かな膨らみに押し付けられる。

 

「……嬉しい、です……」

 

 身を預けてくる少女を受け止めながら、もう見えてきた家を見上げて。

 

「もう虫歯になっちゃいそうな気がする……」

 

 少年はそう言った。

 

 *

 

 部屋に上がって、エストリアが紅茶を入れてくるまで待っている事になった少年は室内を見回す。

 

 亜麻色の壁紙が張ってある室内にはテーブルと椅子がニ脚。

 

 大きなクローゼットと天蓋付きの寝台。

 

 それから鏡台が置かれていた。

 

「?」

 

 鏡の下。

 

 小さな木箱が開かれていて、幾つかあるアクセサリの中心に赤銅色の小さな指輪が収まっていた。

 

『出来ましたよ~』

 

 視線を扉に向けると少女が紅茶のポットの乗った盆(トレイ)を持ってくるところだった。

 

「どうかしたんですか?」

 

 視線が今まで向いていた方向が小箱の方だと気付いて。

 

 エストリアがポットを置きつつ傍に座って訊ねる。

 

「あの指輪って前から持ってたかなぁ、と」

 

「何言ってるんですか? イクスさんがくれたものなのに……」

 

「そうだった、かな?」

 

「むぅ~彼女へのプレゼントだって言ってたのに……もう忘れちゃったんですか?」

 

 哀しげな顔で言われて少年がごめんと素直に謝る。

 

「……いいです。もしかしたら、イクスさんが忘れちゃうくらい私達が一緒にいるって事なのかもしれませんし」

 

「今度は忘れないようにする。うん」

 

「イクスさん。イクスさんは頑張り過ぎなんですよ。少しくらい休んだって誰も責めたりしないんですから、お勉強や人助けは程々にした方が……」

 

 満たされていく琥珀色に白が混じり、白が溶けてゆく。

 

「そんなに人助けなんかしてたかな……」

 

「忘れたんですか? この間だって、黒い猫ちゃんを助ける為に馬車の前へ飛び出していったじゃないですか。私、凄く心配したんですから」

 

「…ごめん」

 

「あ~また。イクスさんは彼女にくらいドンと構えてていいんです! すみませんとか、ごめんなさいとか、もうしないとか、悪かったとか、謝罪ばっかりしてると暗い気持ちになっちゃいますよ?」

 

「あはは。謝るような事しかしてない気がして」

 

 苦笑いの少年はそっと目の前の紅茶を喉に落す。

 

 ふんわりと立ち上る香気が身体の芯まで暖めてくれるような心地。

 

 誰が言ったのか。

 

 心の中を何かが過ぎていく。

 

―――謝らないで!! 謝ったりしないでッッ!!!? しないでよぉッッッ?!!!!

 

「………」

「イクスさん?」

 

「やっぱり謝らないといけないみたいなんだけど」

 

「え、どうかしたんですか?」

 

 立ち上がった少年が急用を思い出したと言えば、エストリアに否と言えるはずもなかった。

 

 誰よりも誰かの為に生きている。

 

 そんな少年が嘘を吐く理由なんて無いのだから。

 

 とても残念そうな顔を見た少年のささやかな口付けに僅か微笑んで。

 

「いってらっしゃい、です。イクスさん」

 

 そう手を振る少女に頷き。

 

 少年は夜闇と生活の明かりに溢れる街へと繰り出した。

 

「………」

 

 世界は穏やかに過ぎ去る。

 

 何処までも続く平和の象徴は黒き塊。

 

 蒸気を吹き上げて、街を彩るソレは繁栄を齎す力。

 

―――お前が、お前さえ、お前…さえ……どうして、どうして私達は出会って……ッ!!!!!

 

 蒸気に紛れ都市を往く。

 

 帰る家も通り過ぎ、馬車の轍も無い通りを往く。

 

 市場には学生が溢れていた。

 

 楽しげに愉快げに世界は回る。

 

 明日の期末試験はどうしようか。

 

 今日の遊び場は何処にする?

 

 笑顔の溢れる姦しい一角を彼は過ぎた。

 

―――やだよぅ…こんなのぉ…ずっと!! ずっと!! 僕はただ君とッッ!!? ただッッッ!!!!!

 

 都市中央。

 行政区画。

 

 人気も失われた静かな公園。

 

 噴水の脇の長椅子には小さな猫達の姿。

 

 光る街灯の下。

 

 屯して。

 

 光る瞳を少年へ向けていた。

 

 足音の度に耳が震えて。

 

 それは敵かどうかと怯えを見せる。

 

―――っく…ぅ…っ……貴方の傍に……っ……そう、私は……ッッッ!!!!!

 

 歩は進んで。

 東部へと向く。

 多くの館。

 

 道を照らす光は無数。

 

 静かに静かに馬車すらかくれんぼする誰かの如く。

 

 揺らと萌ゆるのは若草色の衣装を着た誰か。

 

 パーティーをしているらしき屋敷からは歓声が響く。

 

―――さようなら……大好き……これだけはきっと、本当だったから……。

 

 歩みは止まらない。

 

 世界は不幸も無く幸せのまま。

 

 誰にも降る雨のように眠りへと誘う。

 

 今日はもうお休み。

 

 また、明日会いましょう。

 

 まるで学校の先生が生徒達に微笑むような善良さで、人々は安寧にある。

 

 少年は思った。

 

 ずっと、こんな日々が続けばいいと。

 

 誰も傷付かず、誰も傷付けず、この世の果てまで幸せであれと。

 

―――いつだって、助けてくれたね……でも、謝れるのはこれでお終い……だよ。

 

 アルヴァス・カレッジ。

 

 彼の母校。

 今も通う学び舎。

 

 開いている無用心な校門を抜けて。

 

 いつも実技を行う校庭も抜けて。

 

 古びれた木造の旧い校舎の裏へ。

 

 鬱蒼と茂る樹木の間を通れば、獣道かと人は言うだろう。

 

 けれども、そこには足跡がある。

 

 少年が残してきた確かな足跡が。

 

―――助けるって!! 絶対、絶対、助けるってッッッ!!? なのに、私はッッ!!!! 私はッッッッ?!!!?

 

 開けた場所に出る。

 

 少年はどうしてこんなところに来たのだろうかと己に首を傾げた。

 

 けれど、来なければならない、行かなければならない。

 

 そんな気がしたのは事実。

 

 どうしてか。

 

 思い出せはしない。

 

 いや、しかし、それでも知っている。

 

 幸せだから。

 分かってしまう。

 苦しくないから。

 分かってしまう。

 痛くないから。

 分かってしまう。

 哀しくないから。

 分かってしまう。

 

 例え、脳髄に魂に心に身体にソレが残っていないとしても、少年は約束したのだ。

 

 彼女達に。

 

 彼女達の涙する姿に。

 

 彼女達の心の声に。

 

 彼女達のいる未来に。

 

 己の全てを賭けて、ただ我が身に……約束したのだ。

 

―――此の世の全てに阻まれても、彼女達の存在を勝ち取るのだと。

 

 少年は其処にいた。

 何も無い原の中心に。

 振り返るまでもなく。

 それは少年自身の後姿。

 

 一部であり、嘗ての敵であり、現在の己であり、最後の審判者であり、少年の未来を確約していたモノ。

 

 ソレを人は沢山の名で呼ぶが、少年と同じ目的において生まれたソレを古の誰かはこう言った。

 

 “人の翼たる天”

 

 遥か太古。

 

 全ての異種に祝福を齎したもの。

 

 遥かな現在。

 

 全ての人に祝福を授けたもの。

 

 故に彼の者を唯一神と人々は呼ぶ。

 

「行くの?」

 

 訊ねるは少年。

 

「うん」

 

 答えるも少年。

 

「いいの?」

 

 黒い外套。

 

「それが約束だから」

 

 不折の剣。

 

「帰っても辛い事ばかりなのに?」

 

 不屈の微笑。

 

「それが僕の選んだ道だし」

 

 不死の躯体。

 

「君に負けた僕が言えた事じゃないけど、君は弱いよ?」

 

 硝子の心。

 

「知ってる……」

 

 永劫の苦痛。

 

「此処には全てがある。例え、無いものもやがて全て訪れる」

 

 虚無の徒労。

 

「そうかもしれない。でも、それは僕が掴んだものじゃない」

 

 粉々の夢。

 

「もう楽になれって言ったら、きっと君は言うんだろうね」

 

 全て抱いて。

 

 少年は己へ頷いた。

 

「「そろそろ皆が心配するから、帰らないと」」

 

 振り向いた少年には顔が無い。

 

 能面は輝くものに満ちて。

 

 ただ【主(ドゥミヌス)】とのみ綴られていた。

 

「なら、いいよ。今は僕が君で」

 

「君が僕だ」

 

 合わせ鏡の少年は互いに近付き。

 

 そして、同じ方角を向く。

 

 そこには元凶がいた。

 世界を揺らしたもの。

 

 全てを不確定としたもの。

 

 取り込んだ者を幻想へ誘うもの。

 

 混沌により世界を座標とせしめるもの。

 

 全ては在(ある)か虚(なし)か。

 

 観測者を不確定事象として喪失させ、新たなる世界(ざひょう)へ再固定する様は世界を歪める詐術。

 而して、その確定を生じさせる者の名は【恋人(ドミナ)】。

 

 雌雄一対なる化物。

 

 カチカチカチカチ。

 

 鳴るのは巨大な青い望遠鏡。

 

 今も少年を見る屍蝋の薄い仮面(レンズ)には無限に等しい少年が重ね合わせに映っている。

 

 幸せな世界に人を送る。

 

 まるで、その能力は聖典に語られる天国の門だ。

 

 けれど、しかし、少年にとっての現実は今も昔も一つに違いなかった。

 

 無限の苦痛に永遠の哀しみを背負っても。

 

 大好きな人々に殺され続ける運命だろうと。

 

 自分で手に入れてきた世界でなくて何故、価値が在ると言えるのか。

 

 全ての因果を引き込む特異点。

 

 少年の認識を使えば、確かに宇宙すら変わるだろう。

 

 何もかも無かった事にして誰とも幸せな世界を築けるだろう。

 

 今までの世界は泡沫となり、やがては消えゆく幻となる。

 

 だが、今までの努力は報われたと言えるのか。

 

 今まで受けて来た痛みも苦しみも無かった事だからと斬り捨てられるのか。

 

 答えなんて分かっている。

 

「「少しだけ感謝するよ」」

 

 それでも、分かっていても、少しだけ浸っていたかったのだ。

 

 化物によって不確定化され、送り込まれた先にあった世界がとても穏やかだったから。

 

 少しだけ疲れた身体を横たえたかった。

 

 午睡みに揺蕩う時間を愉しんでみたかった。

 

 きっと、これからそんな日が来る事はたぶん無いと知っていたから。

 

「「でも、休暇はそろそろ終わりにしよう」」

 

 少年の手には剣。

 

 まだ、折れも欠けもしていない刃が双(ふた)つ。

 

「「閃剣が秘奥義の一つ」」

 

 構えは腕を手前にして剣先を真下へ。

 

『――――――?!!?!?!?!?!?!?!!?』

 

 【恋人】が混乱したのも当たり前だろう。

 

 彼の能力は化物達の中でほぼ最強に近い。

 

 己が観測する者に不確定を生じさせて、無限の可能性の中から己に都合の良いものを見つける。

 

 そして、再度事象として相手を再構築する事で相手そのものの運命を決定付けるのだ。

 

 無論、その能力は非常に高度な半面有限であるが、たった一人の相手に対して一千通り以上の可能性を見る事が可能な存在にしてみれば、攻撃を回避する事など容易い、はずであった。

 

「「繋がれ!!!」」

 

 攻撃を躊躇する者。

 零。

 

 攻撃を止める者。

 零。

 

 攻撃を外す者。

 零。

 

 攻撃で自滅する者。

 零。

 

 攻撃で―――。

 

「「【喩斬(ゆざん)】」」

 

 積層魔力が瞬間、極所的に励起して空間を歪め、経路を拡大した。

 

 魔術師が空間に通す経路(チャンネル)は通常異相や別空間、別次元、此処では無い何処か、別領域を繋げるものが大半だ。

 

 しかし、たった一つだけ例外的に領域ではないモノへと繋がる経路(チャンネル)が存在する。

 

 概念域。

 

 概念魔力にしても概念魔術にしても、概念域より引き出された事象は通常の物理的定理を強弱の幅はあれ、かなり無視する事の出来る優れた力とされる。

 

 概念域はそもそも時空の連続体内部に存在しない。

 

 魔術的には“座標の外側”と呼ばれる高次領域からの視点でしか認識出来ない存在だ。

 

 時空間の外側へと続く経路の先に一体何があるのかは今だに謎が多く。

 

 殆ど何も分かっていないに等しい。

 

 それでも生物が想像した概念より紡ぎ出す力はどんなに完全な定理をも歪める真の理不尽であり、如何なる者も下(くだ)す原理となる。

 

『qp3594家御hwlpth3オ;85hm38pppppxッッッッッッッッ―――――――――』

 

 刃先に概念としか言いようのないものが宿った。

 

 それが自分の死だと【恋人】は観測する全ての重ね合わせにおいて確認してしまう。

 

 概念域より呼び出された概念(モノ)の名は【不滅(イモータリス・グローリア)】。

 

 魔王が使う【永劫不刃の大業物】に常時固定化されている力。

 

 宇宙内部において魔王にすら勝る永劫(アイオン)が、少年の剣に今だけ戻っていた。

 

『!!!!』

 

 無駄だとは知りつつ、それでも僅かな可能性に賭けた観測が始まる。

 

 剣が欠けた者。

 零。

 

 剣が折れる者。

 零。

 

 剣が砕ける者。

 零。

 

 剣が―――。

 

「「斬ッッッッッッッ!!!!!!!!!!」」

 

 狙い違わず。

 

 あらゆる可能性を探り出す歪んだ屍蝋の仮面(レンズ)が少年達の背後で四つに断ち割れた。

 

 のみならず。

 

 振り抜かれた無欠の歛(つるぎ)が放つ剣圧に構成していた質量の全てが弾け、霧となって消滅していく。

 

 音は、しなかった。

 

 *

 

 萌ゆる夜。

 

 アルヴァスの到る場所で行軍する化け物達が見受けられた。

 

 それに立ち向かうのは混乱する中央からの指示で何とか動く各地域都市の警察機構と軍の連合体。

 

 そして、国より国土に出る霧と化け物の撃退を仰せ付かった大魔術師達。

 

 小国とは言っても国土は広い。

 

 予め張られていた転移方陣のネットワークを駆使しても実際に数人で一斉に境界から湧き出した化け物を叩ける訳も無かった。

 

 次々に軍や警察機構の者達が化け物側へと取り込まれ、人々は夜霧に巻かれて知らずの内に化け物へと迫っていく。

 

 避難誘導は地獄絵図と言っても差し支えなかった。

 

 一分前に己を逃がしてくれた者が背後から襲い来るのだから。

 

 現場が何とか連帯を保ちながら抵抗出来ていたのは亜人貴族達の強固な統制と高い意識があったればこそ。

 

 だが、それももはや限界に近づきつつあった。

 

 どうすればいいのか。

 

 誰に助けを求めればいいのか。

 

 現場の混乱は時間が経つごとに悪化していく。

 

 しかし、全てが終わりを迎えるかと思われた時、彼らはやってきた。

 

 たった三騎。

 

 それは大陸において全身鎧(フルプレート)と呼ばれた全身を鋼で覆うという防具から既に掛け離れた代物だったかもしれない。

 

 全長2.23m。

 小さな巨人。

 

 否、巨人どころか。

 

 神にすら勝る鋼の覆い。

 

 鎧の如く“身に着ける”というよりは“乗り込む”と言うべきか。

 

 時に“真空中の光速”の四倍で移動する七聖女謹製の兵器。

 

 次世代型高格外套【超克(ネガティオ・セイプスム)】の更に先。

 

 悪乗りした七聖女フルー・バレッサが創り上げた最新鋭の高格外套。

 

【凱奏(トリアフォム)】

 

 継ぎ目すら無いスーツ状の形状。

 

 流体金属が多用された表層。

 

 外見的には機械の人形そのものだ。

 

 鎧としての形状こそ残しているが、もはや別物。

 

 鋼の各装甲は流動する稼動部位と一体となっており、その生々しく蠢く質感はもういっそ、そういう鋼の肉体を持つ種族と言われた方がしっくりくる。

 

 無骨に見えて全身に仕込まれた武装は無尽に近い。

 

 論理的(ロジスティック)極まる兵装は今まで七教会が運用してきた兵器の統合進化の果てにあるものばかりだ。

 

 空間制御による超大質量の保存。

 

 それに支えられた兵器と武器弾薬の無補給行動が彼らの攻撃力を保障する。

 

 破損時の回復も貯蔵された部品を使い自己診断自己修復する仕様であり、連続稼働時間はたぶん年で数える事となるだろう。

 

 現在知られている限りの魔力形質に干渉可能な媒体であり、触媒であり、躯体自体が一個の自己保全機能を持つ魔術具となっている。

 

 まるで世界の恒常性(ホメオスタシス)のように振舞う躯体は生物のようだ。

 

 貯蔵した各種の弾薬や媒質、魔力を敵に合わせて変質、配合、時に戦術や戦略に応じて敵対存在にのみ特化した兵器を生み出す能力すら持ち合わせており、それらの能力は一国の兵器開発部門を上回るかもしれない。

 

 相手を瞬間的に分析して丸裸にする解析機関。

 

 膨大な記録を瞬時に保存、検索する許容量(マシンパワー)は七教会が保有する軍艦をも上回る。

 

 単純に詰め込み過ぎだろう機能の大半がセミオートで内部の人間に負担を掛けないというのも反則染みていた。

 

 搭乗者のする事なんて攻撃するかどうかの確認くらいなのだから、もう別に人間を乗せる必要ないんじゃないかと聖女の副官も呆れる鎧は大陸標準どころか超越者達の大半もびびらせる脅威そのものだ。

 

 これで神や種族の頂点存在を倒せない方がどうかしていると溜息を吐く七教会開発部門の若手達はお披露目の際、真剣に技術者を辞めようかどうか悩んだという。

 

 しかし、三機の【凱奏(トリアフォム)】が今やっている事は単純な作業ばかりだった。

 

 いや、全ての許容量(マシンパワー)を一つの作業に集約しているからこそ、アルヴァス国内の如何なる事象も見逃してはいなかった、と言うべきか。

 

 大陸の遥か上空から全てを観測していた衛星にすら勝る情報収集能力は大気や地殻、異相、世界を構成する粒子の一粒すらも完全に記憶して膨大な情報(データ)を内部に記録していく。

 

「Lord/one。情報収集異常無し」

「Lord/two。情報収集異常無し」

「Lord/three。情報収集異常無し」

 

 三機の【凱奏】が互いの情報確度を精査しながら構築していくアルヴァスの現状はお世辞にも七教会の理念からすれば、すぐにでも緊急支援が必要な情勢だった。

 

 

 しかし、大国すら一騎で落とすだろう彼らに与えられた任務は事件の全情報の保全。

 

 そして、全てが終わった後の帰投だった。

 

「我々はいつまで黙ってみていればいいのでしょうか」

 

 若い声が愚痴るのも無理はない。

 

 本来ならアルヴァス国内の化け物を一瞬で掃討出来る力が彼らにはあった。

 

「この一件が全て終わるまでだ」

 

 諌めたのは年嵩の男の声。

 

「そうですよ。今回の一件においては既に七聖女様方の同意の下【オペレーション・ワンダリカ】が発動承認されています。何の心配も要りません」

 

 女性の声が安心させるよう囁く。

 

「ですが、今も人々は……」

 

 何処か割り切れない様子の声。

 

「政治というやつだ。そして、今回に限って言えば、それは正しい。何故なら、このオペレーション活動が承認される事は七教会の歴史上、四回までしかなかった事だからだ」

 

「四回? 公式記録では発動自体、今まで無かったはずでは?」

 

「このオペレーションは特に上層部では部外秘扱いの特一級極秘事項だからな。それに実際、“今まで発動された事はない”んだ。このオペレーション後に変わってしまうからな」

 

「どういう事です?」

 

 女の声が静々と答える。

 

「歴史が一部変わってしまうんですよ」

 

「え?」

 

 何を言われているのかと驚きの声に年嵩の声が続ける。

 

「お前は何故このオペレーションの名前にソィラ様の奇跡の名が冠されていると思う?」

 

「それは…何か関係があるからでは?」

 

「そうだ。だから、我々は情報を全て収集している」

 

「どういう事ですか?」

 

「【破壊者(ワンダリカ)】……破壊力だけで言えば、他の聖女様方の誰にも超えられない威力を持つ奇跡。これに付随する逸話には死者の蘇生や歴史の改ざんが含まれている事は知っているな?」

 

「き、聞いた事はありますけど、本当にそこまでの事が?」

 

 半信半疑の声に女が少しだけ笑う。

 

「はは……そうですね。俄かには信じられないかもしれません。それに超越者達ですら、たぶんは出来ない事でしょう。この時空においては」

 

「?」

 

「詳しい事は省きますが、このオペレーションの全容は単純に言うとソィラ様の奇跡によって【過去を破壊する】というものなんですよ」

 

「過去を、破壊?」

 

「ええ、幾つかの例外を除いてソィラ様は過去すら破壊する力を持っています。ですが、それには過去の情報が必要なのです。手っ取り早く言うと【破壊者】の作用を限定する為の指針がね」

 

 年嵩の声が続ける。

 

「例えば、昔は情報の保全に篆刻写真や魔術具が使われていたそうだ。膨大な枚数の写真の中でいつどんな対象をどのように破壊するのか決めていたらしい。写真内部の時間にその誰かや何かを破壊する事で現実が改竄される。故に人だろうとも物だろうと変化を余儀なくされる。このオペレーションの最大の利点は“全てが終わった後”にやるかやらないかを決められる事だ。そして、やるとしても情報が失われない限り時間を引き伸ばせる。最も大切な事はこの方法が取れるのは後にも先にもソィラ・ミクラ様唯一人という事。改竄を改竄する、ような事はソィラ様がしようと思わなければ可能にならない」

 

「で、ですが、それでは過去と現在に矛盾が?!」

 

「いや、それは無い。そして、現実と史実の乖離で間接的に誰かが消える事もな。何故なら―――」

 

 そこで声が途切れたのは収集しているアルヴァスの情報に明らかな異常が顕れたからだ。

 

「神格反応を検知!!」

 

「座標はアルヴァス首都ハガス東部!!」

 

「概念結界で情報が寸断されるぞ!! ただちに東部の収集に当たれ!! 土埃一つの情報も漏らすな!!」

 

「「了解」」

 

 闘争は加速していく。

 

 終わりが近づいている。

 

 人々は未だ己の上に落ちる幕を知らない。

 

 緑炎が静かに激突を待ち侘びて、猛りつつあった。

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