第三章三十三節「緑炎の葬列Ⅶ」
『ようやく大人しくなったか』
全てが緑炎に染まった東部の大通りの一角。
まるで迷宮のように入り組んだ化物の徘徊する世界。
その大きな噴水の前で【革命者(ロトゥンダム】アーフル・ナーシムは足蹴にする化物【恋人(ドミナ)】の集合体の中を繁々と見やった。
巨大な球体に生えているのは化物達の上半身が数十体。
彼女達の下腹部。
黒い透明な子宮内部は今や一人の存在を格納する為だけに使われている。
イクス・ゼオ。
更なる境界反転現象を引き起こそうと神格召喚を行った者を探索がてら力を溜めていたアーフルの前にやってきた存在。
今や囚われた少年は意識を失っている。
周囲の数百からなる化物達の群列は激戦の傷痕も生々しく戦い始めた頃からすれば半壊の有様となっていた。
戦いを挑み無尽とも思える化物をたった一人で切り裂き続けたところまでは良かったが、敵の数は圧倒的。
アーフルは境界反転の最終段階を中断しながらの戦闘だった為、多くの力を使えない状態ではあったが、粒揃いの駒は豊富だったのが幸いした。
有象無象の鳥獣や蟲を使い捨ての兵器に。
歩兵と壁役を【黒逝者(レウス)】と【罪人(ペッカート)】に。
小隊指揮を【姦淫者(アダルテラーレ)】に。
更にその小隊を束ねた中隊指揮を【新劇者(ノブム・ルディオ)】に。
全ての司令塔たる彼【革命者(ロトゥンダム)】は親衛隊たる【恋人(ドミナ)】の統率に。
こうして今まであらゆる場面で各個の本能に基いて動いていた化物達は統制の利いた部隊として運用された。
如何に強者だろうと一人。
何者をも拒む緑炎の牢獄へ誰が助けに来るはずもない。
となれば、消耗戦で最後まで残るのはどちらか解ろうというものだ。
波状特攻による足止め。
化物の群れに身体を縫い止められた時点で勝負は最初から詰んでいた。
一瞬の隙を穿つのはアーフルの【再顕(エフィンゲレ)】によって概念を付与された化物の槍。
その力の名は不動。
【要素(エレメント)】の【本質(イデア)】。
つまり、概念は世界の外にありながら、密接に世界そのものと結び付いている。
新たなる概念の創造は宇宙に波及する一大事。
だからこそ、その“外”より世界の内部へと齎される力は常に優越し、莫大なものとなる。
普通のエルフ達は世界の表層、知的生物達が認識するソレを僅か運用しているに過ぎない。
漆黒の棺に納められたアーフルにはもう、その更に奥までも扱う技量があった。
己を概念域に保存した時から、彼が自らの技量にて操れない概念はほぼ無くなった。
それを戦術単位で敵にぶつけるならば、敵の圧倒的な特性を殺す事に費やすのは正しい判断だ。
不死者たる少年。
しかし、それならば攻撃を避ける事や防ぐ事に意味は無かったはずで。
相手を押し潰す最良の手は物量戦の方程式が成り立つ状況を用意する事だった。
動きを止めるという最も単純な方法。
だが、その単純さ故に切り札を必ず当てるという目的は達せられた。
身動き出来ない少年を包んだのは【恋人】達。
神だろうが異種だろうが亜人だろうが不死者だろうが聖女だろうが、当たれば一撃で無力出来る能力をまともに喰らって無事なわけもない。
『さぁ、続きを始めよう』
勝利の感慨も程々にアーフルが半端となっていた境界反転の為の力を己の身に集約していく。
もう誰も止める者は無い。
入ってくる事が出来ない以上、近付く事も倒す事も敵わない。
となれば、もう誰にもアルヴァスの崩壊は止められない。
『【革命者(ロトゥンダム)】か……何とも皮肉な名前じゃないか……くくく』
生温い旧きエルフ達を駆逐し、今や新たなる地平を築こうとする彼にしてみれば、亜人も亜人国家も自分の革命には必要ないもの。
【罪過(メギド)】を起動した日。
人間種を淘汰する為に集った亜人達を贄に捧げたのも、彼らが結局はあまりにも“人間臭かった”からに他ならない。
人に裁きをと大声で言いながら、占領政策を練っていたのだから、その心根は傲慢な支配を望む人と寸分違いはしなかった。
アーフルが求めた革命はエルフを新たなる種として繁栄させるものだ。
人を根絶して初めて生まれるものだ。
人が人を犯す病を根絶するように。
エルフが人を根絶する時代の到来。
それこそ彼が願って已まない本当の平和と幸福への片道だった。
『……?』
勝利に酔い痴れ、後は全ての状況が整うまでの辛抱だと思っていた矢先。
ダークエルフの青年は大通りを封鎖する緑炎に揺らぎを見る。
(この侵蝕を更に犯す力? ようやく聖女が動き出したか?)
だが、もう遅いと告げるべきか。
もはや自分を滅ぼせはしないと教えるべきか。
あの武帝での再戦すら可能となった男は口の端が裂けるのも構わずに笑む。
しかし。
緑炎の揺らぎが巨大な円環。
門へと変容していく最中。
その虚空に彼は想定とは別の者を見る。
『魔族……今更、そんなものがこの地に何の用だ』
明らかな落胆。
だが、それは相手を侮ってのものではない。
単に自らが滅ぼしたい相手では無かったからだ。
人相手なら追い詰め殺す事に何の躊躇も無く。
愉悦にすら浸る余裕があるアーフルにとって、まったく関係も無さそうな相手を縊り殺すのは唯の煩雑な作業でしかない。
「……にぃさま」
「……とと様」
六対十二翼。
「もうすぐ」
「彼らが来ます」
紫の肌。
「あなたをとめるために」
「貴方が何者かは知らずとも」
漆黒の角。
「にぃさまを」
「返してもらいます」
アーフルとその下の化物に囚われた少年にキロリと瞳が細まる。
『彼らだと?』
アーフルの視線一つで神速の行動を開始した化物達が開いた緑炎の出入り口へと殺到していく。
『貴様等がこの男の何かは知らないが、その門を開いた事、後悔するがいい』
押し寄せる屍蝋の仮面、黒の怪物。
だが、その全てが門の周囲に到達した時、停止した。
(これは……)
アーフルにも覚えがある。
低位のものなら人間の魔術師も持つ者はいる。
しかし、化物となり、生殖本能というべきものが完全に失われている存在に作用させるには明らかに最上位のものがいるのは確実。
その姉妹の“魅了の魔眼”は何者をも虜にする最上級魔族の証だった。
「彼らが」
「きました」
身動き出来なくなった化け物達が重粒子線の放射に薙ぎ払われた。
「イクスぅぅうううううううううううううう!!!!」
大声を張り上げたのは門を潜り抜けた一団。
その中心にいる少女。
奏璃紗はようやく見つけた少年の姿に顔を歪めて。
それでも助けるんだと俯かなかった。
「あの男がこの境界異常の中心か!!」
金色の狐顔。
ライル・エイフォン・バーゲル。
瞬間的にアーフルを見て状況を看破した彼の勘は観測していた部隊員達の数人に肯定される。
「ライルさん!! イクスをッ、イクスを助けて下さいッ!!」
「了解した。お嬢さん。この狐老が命を掛けて約束を果たそう!! そこの物の怪!! 彼女の大切な人を放して貰おうか!!!」
半壊したとは言っても化物達の群列は未だ多数存在する。
それに真っ向から喧嘩を売った愚かな亜人達に失笑すら禁じえず。
『この身をこの哀れな連中と一緒にしてくれるとは亜人の愚劣も極まったか』
「貴様の如き魔が亜人を語るなッ!!!」
『その門を開きし魔族の女に言ったらどうだ?』
「姿も形も関係ないッ!! 共に何かを守る為、その身を投げ出す者こそが、我らが朋(とも)であり、家族なのだッ!!! 今一度言うッ!! 貴様の如き魔が亜人を語るなッ!!!!」
【崩燼機関】が火砲の根元から排出され、新たなるカートリッジが装填される。
「通信の方!!! 我らが帰り道をよろしくお願いする!!!」
ライルの声に「「はい」」と二つの声が揃った。
「往くぞッ!! 【崩燼武装】出力最大!!! 全騎この一戦に全てを賭けろッ!!!」
―――オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ。
勝ち鬨が上がった。
エーネ達が門を開く十数分前。
赤鬼(ラルヴァ)の長女の名で緑炎に埋もれるように戦っていた彼らへ魔術による通信が入り、ライル達は目指す場所に事態の中心となる核が存在する事を知った。
空間制御に詳しい魔術師が言うには強まる境界反転現象はやがて都市全てを飲み込むとの事。
止める為には緑炎の源となる特異点を叩くしかないとの話に彼らは一様に決断した。
例え、死のうとも全てを退けて見せようと。
神格召喚による異相の一時的な安定で次々に東部の通信が回復し、少年の行方を捜していた璃紗は美紗から少年が事態の中心へ一人突撃していった事を知った。
彼女がライルに帯同を求め、彼もまた現実的な判断として彼女の同行を求め、彼らは共に走る事となった。
強力な侵蝕作用と空間の歪みで封鎖された緑炎の檻を突破する術。
それを持ち合わせた存在による門の生成も最初から鬼女(エンシェン)に話を聞いていた彼らにしてみれば、仲間以外の何者でもなく。
本当の敵を間違えるはずもない。
「砲は常に二列!! 近接格闘時はスリーマンセルで当たれ!! 攻撃を途切れさせるな!!」
雨霰(あめあられ)と降り注ぐのは魔術の火に兵器の光芒。
氷結する地面。
虚空を穿つ波動の衝撃。
しかし、それすら突破する【新劇者】に対しては少女の声が飛ぶ。
「アルメニオ!!」
部隊に近接し、今にも殴り掛かろうとしていた者の面が粉々に砕け散り、即座に対応した隊員達が肉体を自前に容易していた圧縮空間へと放り込んで凍結していく。
通りを埋め尽くす化物がジリジリと押されるのを見て。
アーフルが鼻で嗤った。
『では、これならばどうだ?』
彼らの側面構造物の内側からまるで濁流の如く化物が溢れ出した。
「挟撃か!?」
一方の敵を相手にしていた隊員達が即座に三方を囲む敵に対処しようとするも、さすがに火力を分散させた為、押し込まれていく。
「そう上手くいくとは思わない方がいいですよッ!!」
門を高速で擦り抜けた影が跳ぶ。
「阿毘羅吽欠蘇婆訶(あびらうんけんそわか)」
【陰陽】にも近い文言の構成。
それは亜人国家に残った最後の【儀礼魔術】。
畸形(きけい)カタールの双刃(そうじん)が着地地点の化物を見えざる魔術で薙ぎ、着地した瞬間から始まる演舞が魔力の軌跡を虚空に残して、曲線と崩れた【東部文字(イースタン・キャラクター)】を方陣に刻んでいく。
実体の無い荒ぶる祖霊や神霊を沈める一撃。
正しく邪霊と化した物達を沈める奉納舞。
「話は全て通信で聞かせて貰いました!! イクス・ゼオは返してもらいますッ!!!」
まるで魔術方陣の如く。
しかし、荒ぶる文字の羅列は豪胆にして優美。
出来上がった陣の名は。
「【死応円舞陣(しおうえんぶじん)】」
奏美紗。
緑炎の牢獄の周囲を回り、化物を倒し、入り口を探していた黄金の獅子は最後の一音を放つ。
「―――“穏”ッッッ!!!」
陣の光は穏やかで。
化物達の間を縫うように輝く導線が駆け巡り、祈祷の始まりたる“おん”の巨大文字を描き出した。
そこから続くのは小さな羅列。
思念を邪念を怨念を静める鎮護の法術。
捧げた者の心に届かば、命さえも“明らめさせる”請願。
智ある人型であった者達がそれを目にして仮面の内から涙を溢れさせていく。
刃持つ美しき巫女へ見入り、動きを止めて最後の一撃を受け入れて。
「挟撃が止まった!? 今だッ!!! 押し返せぇえええええ!!!」
ライルの声と共に左右を薙ぎ払うように重粒子線が叩き込まれ、遠距離魔術の飽和射撃が相手の陣形を穴だらけにした。
『機関出力最大ッッ!!!!』
『ジルムス!! デカイのぶちかますッ!! 援護しろッ!!』
『行くぜぇええええええええッ!!!?』
門を更に潜る者達が部隊の開けた化物達の穴に捻じ込むように自らを滑空させ、三者三様の攻撃によって追撃を掛けた。
巨大な光芒が数十mに渡って化物の大半と建造物を薙ぎ払い、特攻する小型の鳥獣が見えざる打撃で撃ち落され、歪曲した空間が“投げ付けられて”通り過ぎた場所の化物達を捻り殺していく。
「来ましたか!! ならば、こちらもッ!! はぁああああああああああああッッ!!!」
美紗が合流を果たした仲間達に続けと気炎を上げた。
掃討されていく化物の量は確実に減っていた。
しかし、それに動じる事も無く。
アーフルは余裕のまま。
自らの周辺に小規模な境界反転現象を引き起こし、地面に揺らぎを形成する。
まるで濁流の如く数箇所の地点から化物達が有象無象湧き出した。
「まったくッ!!! ようやく辿り着いてみれば、これかッ!!」
彼らへ押し寄せる黒の津波。
門の背後から跳んだ赤き魔力の帯がまるで腕のように黒の波濤を塞き止める。
「赤鬼(ラルヴァ)宗家長女エンシェン・イル・フォイル!!! 只今参上ッッ!!!!」
魔力で出来た紅の貫頭衣(かんとうい)。
ドゴンドゴンとまるで巨大な打楽器を肉に打ち付けるような音色と共に帯の輝きが増した。
【事象変換魔力形質(イベントゥス・マギシス)】
一種の行為を魔力として出力する概念魔力に次ぐ稀有な特異形質。
エンシェンの内側から外部に向けた筋肉による自己打撃に肉体が打たれる度、魔力は果ても無く高まっていく。
自己の内部から魔力で外に攻撃して魔力を得る魔力再生産。
打たれれば打たれる程に魔力を強く生み出し励起する反則染みた力が、鬼の真骨頂たる打たれ強さと相まって強大な魔力の放射を物質に近い状態で固定化していた。
「例え、無限に湧こうが雑魚は雑魚だろうがッ!!!」
獰猛なる襲撃者の蹴りが地面へと突き刺さり、周辺の化物を消滅させ、そのまま流れるような体術が虚空で展開される度に帯が乱舞する。
無数の化物が紅の魔力帯に触れて抉り消されていく光景は今も戦い続けている境界突破部隊を唖然とさせるに十分な代物だった。
「おお、エンシェン殿か!!」
「バーゲルの当主殿!! 遅れて済まない!! だが、心配召されるな!! このエンシェン、避難民は全て中央へ送り届けた!!!!」
ライルが次々にやってくる化物を切り裂きながら、その言葉に勇気付けられた様子で大きく頷いた。
『次から次へと。飛んで火にいる何とやらだな』
化物達の濁流が瞬間的に彼らの前から途切れた。
だが、その分の化物達がアーフルの周囲に堆く小山の如く溜まっていく。
『亜人も人も等しく愚かならば、この身が世話を焼いてやろうと言うのだ。素直に受け入れればいいものを……』
戦いながらも【革命者】の声を拾ったエンシェンが皮肉げに嗤う。
「人語を解するだけの化物か。ならば、潰して砕いて霧に混ぜてやろうッ!! 我が祖国に喧嘩を売った事、この世の地獄を味わいながら後悔しろッ!!!」
まるで剣の如き鋭さで数本の帯が重なり、一角の化物を真横から斬り飛ばした。
それを合図として無数の攻撃が乱れ飛ぶ。
黒の機関は敵戦列を穿つ光の槍を大通り一杯に並べて打ち放ち。
見えざる打撃が境界突破部隊の攻撃で漏れた小物を一匹残らず打撃で撃ち落して攻撃準備の整った者達の前へと誘導していく。
双刃の勢いはもはや見切るのも苦労する程に加速して、霧を切っているのか化物を切っているのかの判別すら困難となっていた
部隊は円陣を時に収縮し、時に拡大し、各自の攻撃を弾幕代わりに本命の一撃である重粒子線の発射までの時間を稼いでは化物達の層を大幅に削っている。
空間制御を扱うアーギストが舞踏のようにステップを踏めば、呼応した周辺空間が外れるはずだった遠距離攻撃の軌道を複雑怪奇に曲げては一発も漏らさず敵へと命中させていく。
『………』
その光景は正しく一個の群体。
急場の連携というのを忘れさせる程の鮮やかさは曲芸よりも曲芸的に違いなかった。
さすがのアーフルも無為な抵抗を続ける亜人と人間達の攻防をしばし見つめて。
クツクツと嗤い始める。
(亜人も所詮は人の血か。下らん)
そろそろ終わりにしようと。
黒き手が上がる。
振り下ろすのに躊躇も何も無かった。
今や100m近い小山となっていた化物達が正しく雪崩て彼らの上に降り注ぐ。
「笑止ッッッ!!!!」
門を更に潜る者在り。
鬼女と同じ肌をした上半身裸の男が雪崩て来る黒より尚黒き魔力を立ち上らせて一直線に圧倒的物量へと激突した。
「おぉおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッ!!!!」
両腕を広げれば、魔力はその容を取る。
黒鬼。
そうとしか呼べない魔力の化身が黒山をその両腕で押し潰した。
「化物が何匹群れようとぉおおおおおおおッッ!!! 我輩一人に勝てぬならぁああああああああッッッ!!!
亜人を滅ぼす事など出来ぬと知れぇええええええええええッッ!!!!」
ドゥーズ・スィール・フォイル。
赤鬼宗家当主。
その力ある魔族そのものの姿に刀を振り続けていたライルが苦い記憶と畏怖。
そして、心よりの頼もしさを感じて苦笑した。
(ふ、あれによく立ち向かったものだ)
「ふん、ふんふんふんふんふんふん、ふんふんふんふんふんふんふんふんッッッ!!!!」
打撃。
圧倒的強大さで黒き魔の鬼がその魔力の腕を乱打する。
「これでぇえええええええええええええええええッッッ!!!!」
破砕。
爆砕。
大喝采。
化物の黒山が吹き飛んだ。
部隊の誰もが己の頭目たる赤鬼の強さに歓声を上げて、更に敵という敵を後ろへ後ろへと押し込んでいく。
『ふ、亜人風情が持つには過ぎた力だな』
負け惜しみではない。
少年の時とは違い。
余興半分で境界反転の片手間に遊んでいた青年である。
彼にとってドゥーズの参戦もようやく叩き潰し甲斐のある相手が出てきただけに過ぎなかった。
周囲にはまだ大勢の手駒が湧き出しながら増えている。
『さぁ、貴様等もこの男のように私を愉しませてみろ!!』
ガンッと足元の【恋人】を踏み付けて。
アーフルが少年をよく外から見えるよう子宮の内壁へ押し付ける。
戦いは更に激化する様相を見せ、集った少女達は決意をその顔に浮かべた。
*
―――アルヴァス南部辺境域。
緑炎に埋もれる山岳の最中。
ずっと国王を追っていた七聖女ユアン・クオは思いがけず獲物と再会を果たしていた。
人気の無い場所が幸いしたか。
山岳の三分の一が物理的に鋭利な断面を晒して削られているにも関わらず。
周辺の人的被害は零。
しかし、本体と言うべきものを持たない、侵蝕に対する抵抗である炎自体を幾ら斬ろうと無意味なのはユアンにも分かり始めていた。
(さすがにこのレベルの相手では本体そのものを探し出さねばならないか)
緑炎が意思を持つかのように襲って来てはそれを回避するという事の繰り返し。
ユアンの斬撃の技能は相手の特殊な術を斬る事で相手自身をも斬るが、さすがに本体ではない“余波”を斬って相手にダメージを与えられるようなものではない。
嘗て一度戦った時は緑炎の本体と言うべきものが通常空間に顕現していたからこそ、打倒の機会もあったが、今は影ばかりを追わされているに過ぎず。
外神への対策も半ば無力となっていた。
「さて、どうしたものか」
負けないが勝てない。
その間にも国が緑炎に侵蝕されていく。
人的被害を抑えるなら、すぐにでも奇蹟を使うべきだったが、彼女の奇蹟はそう都合の良いものではない。
例えば、緑炎という現象そのものを無かった事には出来る。
だが、抵抗現象である緑炎が無くなれば、侵蝕は加速度的に進み、世界は何をする間もなく无(む)へと呑み込まれてしまうだろう。
相手の本体を見つけない限りは結局のところどうしようもない。
だが、聖女中最もそういった探索活動に向いていない戦闘要員な彼女にしてみれば、それはいつも仲間達に任せていた役割で、自分だけで果たすには無理な行為だった。
「?」
攻めあぐねていたユアンの前に緑炎が集まり、容を為していく。
「これは……私のつもりか?」
揺らめきが自分の姿を取る様子を見て。
贋物相手に戦わせられるのかと辟易した様子になる彼女だったが、もう一つ揺らぎが姿を取るのを見て、僅かに瞳を細めた。
「……何がしたい。外なる神」
少年。
魔王。
彼女達の敵。
シンア・ザ・クリティカルアンラッカー。
五年前に一部を封印した男。
偽の自分と並び立つソレも相手にするのかと思考した時、彼女の脳裏に漣のような波紋が起きる。
「何だと?」
てっきり襲い掛かってくるのかと思っていたユアンは偽者達が自分を見る事も無く。
互いを見つめ始めた事に思わず呟いていた。
『ようやく体得したな』
『うん。みんなが支えてくれたから、ユアンがずっと教えてくれたから……』
『そう謙遜するな。お前は凄い。私には及ばなくとも、いつか私に追いつく程になる』
『ありがとう。ユアン』
『ふふ、まったく。可愛い弟子だな。お前は……』
自分の姿が、声が、相手に向いている。
自分の知らない幻想が勝手に喋っている。
なのに、ざわつく心を抑え切れず。
緑炎が高速の抜刀に切り裂かれ、何も無かったように元へ戻る。
『シンア。その……ハティアとは、もう……したのだよな?』
『―――えっと、その、何て言うか……』
「?!」
緑炎の像を切り裂こうと刀が幾度も幾度も秒間一千を超える速度で振られ続ける。
『隠さなくていい。別に責めているわけではないさ。ただ、その……お前に褒美をやらないと、と……そう、思ってな』
『ユアン?』
そっと少年に近付いて、指を顎に掛けた女は少年を上向かせて―――。
「こんなの私は知らないッッ!!!」
大地が鳴動した。
一線。
緑炎に侵蝕された山岳が彼女の目の前で大規模な土砂崩れとなって切られた断面に沿い崩落していく。
しかし、像には何一つとして乱れも無い。
『―――ん』
「?!!」
『ん、ちゅ……ふ…ぁ……』
『……どう、かな……私のは……ハティアに比べれば全然かもしれないが、私も一応は―――』
「止めろ……」
『比べたり、しない……ユアンはユアンで……僕の大切な人だから』
「や、めろッ」
『凄く柔らかくて此処が温かくて……嬉しくて……』
「やめッッろッッッッッ!!!!」
『そ、そうか……ぅん……なら、良かった……で、では、この先も……する、か?』
「やめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!!!!?」
山岳が巨大な光芒に包まれた。
大地を裂く断裂が四方に伸び、光速の斬撃、文字通り秒速数万kmの速度で鞘を奔った刀があまりの速さに粒子化しながら、それでもユアンの意思のままに光速で縦横無尽に原子をバラバラにしていく。
衝撃を伴ったのは諸撃のみ。
まるで高周波のような甲高い音を立てながら、山岳が原子の粒にまで切り裂かれ、そのまま魔力の光に導かれて昇天していく。
だが、緑炎は無傷。
それはそうだ。
あくまで外神の侵蝕現象への抵抗であって、それは物理現象ではない。
光を帯びて見えるのは光波を伴っているのではなく。
物理法則外の法則に準拠した認識が適応されているからだ。
『大丈夫だ。その……わ、私は初めてで……お前もあまり経験は、無いだろう?』
照れた顔を引き締めようとして失敗したような、微笑ましい笑顔。
それに胸を鷲掴みとされて。
七聖女ユアン・クオは震える身体も押さえ切れずに奇蹟を発動しようと―――。
【ひひひ】
「仮面かッッ?!」
我に返った彼女の前にふわりと黄金の仮面で顔半分を蓋ったダークエルフの少女。
ナーリヤ・ナーシムの顔をしたソレが一枚の布を纏って顕れる。
その片手には喇叭が一つ持たれていた。
【汝の名は強欲。全てを欲する性(さが)也】
「何を言っているのか知らないが、此処で貴様を止めるッ!!!」
奇蹟。
【白刀峯真円(はくとうほうまえん)】
宇宙内部より全ての事象を検閲する最終兵器。
刃に宿る黒の刃紋。
使用者にも検閲した内容が解らなくなる。
そんな、大宇の法すら捻じ曲げる唯一が正規の手順無しに発動した。
【天が七つを越えし時、大母の願いは果たされる】
「聞かぬ。曲げぬ。貴様は滅べッッッ!!!」
光速。
秒速数万kmの刃。
粒子という時点で誰に見えるものでもない。
今や黒き無数の粒子と化した刀が相手を捉え。
全ての現実が食い違いを来たす―――。
【その“咎”貰い受けた。ナーリヤ偉い♪】
はずだった。
「なッッ、にッッッ?!」
聖女を倒す方法は幾つかある。
それをフルーから聞いている七聖女の全員がそういった事態に対処する術を一応は授けられていた。
だが、そんな事前策が役に立つ事は無く。
ユアンは自らの奇蹟が、己の一撃が雲散霧消し、自らの体が落下していく事を知る。
光が途絶え、刀は潰え、山岳の消えた上空数百mからの落下(ダイブ)。
常の彼女なら魔力を使って、浮遊するなり、着地するなりしただろう。
しかし、魔力の欠片も今の彼女には無く。
【ナーリヤ偉い♪ 偉い♪ ひひひ】
何度も自分を褒める外神はにこりとして、興味も無くなった聖女を残し、虚空から姿を消した。
緑炎の海に落ちていく女は一人。
―――【這い寄る混沌】(ナイアラトテプ)に負けたという事すらどうでもよくなるような衝撃に身体を硬直させて。
まだ続いていた緑炎の像を上空に見ていた。
『今度は僕が守るから。ユアンの事……きっと……』
「こんなの……私は……ッ……知らないんだ……ッッ」
眠る相手を前に手を重ねた少年の微笑みだけが、彼女の視界に焼き付いていった。