第三章三十四節「緑炎の葬列Ω」
薄暗い羊水に満たされた場所。
まるで胎児のように身を縮めている少年の姿に少女が―――否、少女達が叫んだ。
緑炎の獄。
七分前に到着した【聖王同盟】の使者たる悪魔は己の全ての力を注いで緑炎の壁に空く巨大な退路を維持し続け、近寄る化物達を瞳で見つめるのみで行動を停止させていた。
六分前に到着した境界踏破部隊は黒い小獅子を中心に次々襲い来る化物達を人へと戻し、即座に敷いた圧縮空間に続く方陣内部へと回収している。
五分前に到着した黄金の獅子は群がる化物達を双刃の畸形カタールによって撫で斬りにしていく。
四分前に到着した魔術師と拳師と黒き機構を持つ少女は衣装を襤褸としながら、煤けた顔で無限に湧くかと思われる化物達を蹴散らしていた。
三分前に到着した赤鬼の女は我を止めてみよと言わんばかりに赤き魔力の貫頭衣(ベール)を纏い、吼え猛る本能のまま一陣の悪鬼と化す。
二分前に到着した赤鬼の長は娘に手を出さんとした愚劣極まる化物達を全身から立ち上る黒き炎の如き魔力で押し潰し、最前列の【姦淫者】を薙ぎ倒しつつある。
一分前に変化のあった巨大な黒き球体。
【恋人(ドミナ)】達の上半身が数十本にも渡って生える子宮の最中。
粟立つ液体を気泡が覆い尽していく。
「イクスさん!!!」
あらゆる敵を貫通する光の槍を無数周囲に乱舞させる少女は握り締めた黒き機関を少年に向けて道を作る。それを補佐するのは空間を歪める兄と無限とも思える拳撃を盾にする青年。
「イクスぅ!!!」
化物達の名前を呼んで枯れそうな声のまま、瞳を赤く染めた少女は己の命を掛けても守りたい者の為、前へ前へ部隊に守られながら前進する。【崩燼武装】の一糸乱れぬ一斉射、金色の狐が刃を振れば、無数の首がパーティーで開けられるコルクより軽く飛んで。
「イクス・ゼオ!!!」
如何なる敵の攻撃も己の柔肌に触れさせぬ黄金の獅子は恩を返さんと命掛けの遊撃をこなす。何処の誰だろうと進む者ならば、これ仲間であると背中を預けての突撃は化物達に隙を与えない。
「イクス・ゼオォオオオオオオオオオオオ!!!」
己を省みない突撃を敢行する鬼女は大通りの緑炎に巻かれた建造物をも巻き込んで粉砕し、化物達を無数に跳ね飛ばしては漏れる呼気に紅を宿した。彼女の前を更に往くのは重く重く空間すら単なる魔力の自重で歪める羅刹の如き父親。亜人貴族の街を守り切れなかった己の無力と娘に降りかかろうとする火の粉を魔力を伴った眼光のみで吹き飛ばす傑物は如何なる者を前にしても豪腕と鉄柱の如き大剣を持って退けた。
「にぃさま」
「とと様」
彼らを見守りながら、彼らをこの死地に送り込んだ小悪魔は全ての翼をはためかせ、今にも閉ざされようとする領域を己の肉体を頚城として固定化し、真っ直ぐに少年を見つめる。
世界は正に地獄。
それでも彼らの瞳には諦めの文字は無かった。
『無駄な努力を……くくく』
くぐもった笑い声。
緑炎に巻かれ、【恋人】達の集合した腹部、少年の真上に乗った男。
【革命者(ロトゥンダム)】
生者を冒涜し続けるダークエルフの青年アーフル・ナーシムは尽きぬ手駒の海でもがく者達の憐れさに苦笑を禁じ得なかった。
『想いだけで何かが変えられると本気で信じているのか?』
「助けます。絶対、絶対、助けますから。イクスさん!!!」
ハイダル・エス・トリア。
彼女の周囲に一際激烈な閃光が奔った。
「グフッッ?!!?」
「グゥゥ?!!?」
「兄さん!? ジルムスさん!!?」
二人がようやく自分の前に並んで攻撃を受け止めたのだと少女は知る。
二人の腹部を貫いて【罪人(ペッカート)】と刻まれた屍蝋の槍が彼女に触れる寸前で止まっていた。
『愚かしい。何故、その力を己の為に解放しない。他者の為に自らを犠牲にし、制する徳……あのエルフの風上にも置けない腐り切った連中と同じ。反吐が出る』
「イクス!! イクス!! 起きて!! 起きてよ!! お願いだから!!?」
奏璃紗。
幼き娼婦の周囲で白いコートの部隊員達が一斉に燃え上がった。
「くッ?! 一体、何処から攻撃を?!! ッッ!!!?」
黄金の狐は咄嗟に少女を抱いて地面から跳んで離れる。
途端、その地表に液状の屍蝋がへばり付いているのを発見した。
【黒逝者(レウス)】の文字が崩れながらも確認出来る。
「抜かった!?」
「いや!? こんなの!? イクス!! イクス!! イクスぅ!!!!」
『他が為に命を捨てるか。しかし、己を消してまで貫くものが最後まで残るとは限らんな』
奏美紗。
官憲たる獅子は次々に劣勢へと陥っていく仲間達の様子に歯噛みしながらも、気を抜けばやられると悟り、只管に増大する化物達の相手で忙殺されていく。
(こんなところで!!? まだ!! 私は!! 死ねないのに!! くッッッ!!!)
『強者は強者に下るが定め。闘争の権化たる魔族にそれが分からぬわけもあるまい?』
「何を寝ている!! さっさと熾きろ!! お前はこんな所で油を売っているような輩だったのか!!!」
地面から建物から屋根から。
沸き出した巨躯が十数体降ってくる。
【新劇者(ノブム・ルディオ)】
二本の黒き角から漆黒の粒子を吹き上げて鬼の親子は防戦へと追い込まれていく。
如何な強者も超重量級の化物達に群がられては押されざるを得なかった。
『理解に苦しむ。今更、この場から退去させると思うか』
その声を遥か後方。
化物達が山と連なる緑炎の門の上。
集られ、埋もれるように聞きながら、エーネ・ファサルトスと名乗る姉妹は更なる侵蝕の圧力に外界と彼らのいる領域を隔絶させまいと気を張った。
仮にも彼女達が押し留めているのは外なる神々の力だ。
その圧力は凄まじく。
単純な魔力と侵蝕の力比べをしているだけでも奇蹟に近い。
その均衡を保つ事は並みの神々にも出来はしない事に違いなかった。
「にぃさまは」
「必ず目覚めます」
信じている瞳。
誰が悲嘆だけに暮れるだろうか。
涙を見せても、命を失おうと、枯れる事無き想いの丈が、強く、強く強く、彼女達を、彼らを、踏ん張らせる。
『貴様等の如き有象無象を平らげて。これより、この地は我らが世界となる』
高らかなる宣言を鼻で嗤う声。
「まだ勝ってもいないのに勝利宣言とは甘い野郎だぜ」
今にも傷口からの侵蝕を受けて化物になろうとしている者の声では無かった。
「ああ、何処の誰かは知らないが、貴様のような輩を愚劣と言うんだ。そんな事は僕達を倒してから言って貰おう」
傷口。
槍が直撃する直前。
無理矢理に貫通するはずの部位の空間を相棒ごと螺旋曲げた青年が共に吼える。
『天に轟くは人の声に在らず。神も異種も等しく価値を失え。消え失せるがいい!! ははははははは』
「イクスは貴方みたいな奴に絶対、絶対負けたりしないんだから!!」
涙は零さず。
唇を引き結んで。
小獅子の紅の破れた瞳が変化していく。
全てが紅に染まった魔眼の中心に浮かぶのは白。
何者をも映し込む燃えるような純白。
「亜人貴族を舐めるなッッ!!!」
金色の狐が猛れば、緑炎に燃え上がった部隊員達もまた応える。
『おぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッ!!!!』
弾け飛ぶ衣装と皮膚。
侵蝕領域を強制的に肉体から剥離させる魔術によって隊員達が紅に濡れながら、再び刃を振り始める。
「その通りです!!! 我らは化物を刈り、必ず都市を、国を、民を、守ってみせるッッッ!!!!」
黄金の獅子が双刃に魔力を込めて大地に突き立てる。
地表を奔った魔術方陣は周辺全ての化け物を絡め取るように無数の導線を張り巡らせて、動きを鈍く鈍く抑え込んでいく。
「仮面の者よ。貴様は我ら亜人貴族に喧嘩を売った!!!」
鬼女は黒き巨腕を受け止め、自らの体内から激烈な打撃音を響かせながら獰猛に唇を歪めた。
「そうだ。だから、教えてやろうではないか。我が娘よ!!!」
同じ笑みを貼り付けて父娘(おやこ)が互いの背中を合わせる。
「ああ、往くぞ!!! 親父殿!!!」
「応ッッッ!!!」
四つの拳が魔力も帯びずに大地に突き立った。
「【烈風(れっぷう)―――」
巨大な亀裂が無尽の化物達が湧く周囲の構造物を巻き込み。
「―――繚乱(りょうらん)】」
大地の奥底から赤と黒の巨大な魔力の腕が無数に湧き出し、化物達を掴み、浚い、砕き、潰し、全てを飲み込んだ。
「「【大(だい)・戦(せん)・魁(かい)】ッッッッッッ!!!!!!!!!!!!!」」
無数の腕より更に下から湧き出したのはもう塔と見紛うような暗き赤の両腕。
「「潰れろぉおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッ!!!!!!!!」」
左右から大通りの構造物を巻き込んで、仲間達よりも前に在った緑炎が全て二つの手に遠ざけられていく。
数百mもの更地が出来上がり、瞬間的に安全地帯と化すものの、まるで堪えた様子も無く。
【恋人】の集合体とアーフルは無傷だった。
『哀れを通り越して滑稽ですらある。己の死を受け入れ、全てを安寧に委ねるならば、何を苦しむ事も無い。その足掻きが意味無きものであると知れ』
化物達の成れの果てである霧に吹き上げられ、どちらも上空へと浮いていく。
「意味が無いから已めてしまうのなら」
「だれもまえにはすすめない」
二つの視線。
黒き瞳が化物とアーフルを穿つ。
超高位の魅了の魔眼。
神も魔も異種も人も等しく行動を奪うはずの力。
されど、それに肉体の微かな重さのみを感じただけでダークエルフはその手に緑炎を宿す。
『そろそろ終わらせようか。外なる者。邪悪なる者。虚無なる者。須(すべか)らく、等(ひと)しく、唯(ただ)、無貌(むぼう)を照らす光よ。我が【再顕(エフィンゲレ)】にて汝に容(かたち)を与えよう。そう―――汝は波。全てを崩す波也ッ!!!!』
東部一帯が震えた。
全てが鳴動の末に燃え上がろうと揺らいでいく。
発火はたぶん一瞬。
侵蝕は刹那に完了。
何をしたところでもう遅く。
何をしたところで止まりはしない。
『これが萌(も)え出(い)ずる炎(ほのお)の醒(め)ざめだ。はははははっははははははは―――』
宣言と共に全てが燃え上がった。
亜人も人も都市も全て。
完全なる反転。
境界は今や裏返り、地獄は現世となる。
*
―――第四次経過報告。
18:00時
第一次境界反転現象開始。
18:23時。
霧の侵食加速現象と思われる緑炎を初観測。
18:44時。
多数の貴族が首都東部にて孤立。
19:33時。
東部において武装の最終調整を行って居合わせた境界突破部隊が赤鬼(ラルヴァ)当主ドゥーズ・スィール・フォイルの命により出撃。
20:00時。
貴族警邏隊及び警察機構、私設警護の人員による群集の脱出が加速。
20:33時。
“排除対象”の大規模発生による孤立民の襲撃を確認。
20:42時。
新種が多数観測される事態に元老院上層部は侵食封鎖用の空間歪曲式結界による東部遮断を決議。しかし、途中入ってきた大規模地殻変動と何者かによる神格召還の報と侵食領域の大幅な消失に急遽、救出計画が立案、可決
21:02時。
主要な避難先であったアルヴァス・カレッジとの通信一時回復。支援要請を軍が受諾。
21:22時。
赤鬼当主との連絡回復。東部の詳細が元老院上層部に齎されるが、状況は一進一退を続けているとの報に研究途中の対霧装備を指定機関より軍へ支給する事が決定。軍はただちに装備を更新し出撃。侵食領域の消えた東部において避難民の脱出を援護。多数の亜人貴族と人間奴隷の収容を開始。
21:32時。
アルヴァス・カレッジに大規模な襲撃が発生。民間の魔術師及び武芸術者の活躍により、これを撃退。
22:00時。
最大級の第二次境界反転現象を確認。東部中心街が完全に観測不能となる。一部の侵食領域が局所的に時空連続体の破断を開始し、異相側へと穿孔。
現時刻23:51時。
―――特定領域内部に不確定事象化した超重元素を確認。量子確定器【神賽(デウス・アレア)】の投入が決定。24:00時の起動を七教会倫理委員会が23対77で可決。七聖女3人の署名により、大陸上空にて待機状態へ移行。観測部門の特定領域における観測行為を全面禁止―――。
*
―――???
何も出来ないと思っていた。
本当は亜人の誰もが怖かった。
大好きな家族が一人欠けて。
角のある誰かを見る度に震える。
暗闇に眠るのが怖くなくなったのは思い出すら色褪せてから。
独り食事を取るのが寂しくなくなってから。
自分が無力だなんて当たり前過ぎて。
諦めたっていいんだと、心の何処かで気付いていた。
どうにかしたい。
誰かを助けたい。
そんなのはただの気分できっと嘘。
本当は自分が助けられたいと助けて欲しいと願っていた。
子猫を探したのも気紛れ。
もし見つけられたら、少しは何かが変わるかもしれない。
そんな、在りもしない身勝手な思いからだ。
自分が変われないなんて、分かり切っていた。
母はいつも家にいない。
兄はいつも何かに没頭している。
それがどうしてか。
何故なのか。
自分も同じだから、解ってしまう。
逃げたかった。
あの現実から、あの過去から、あの幸せだった日々から、遠ざかりたかった。
でも、容易に自分は捨てられないから、全てを忘れていられる場所へ其々(それぞれ)向かったに過ぎない。
『えっと、大丈夫ですか?』
子猫を探して迷い込んだ先。
小さな溝に足を引っ掛けて。
挫いた足を抱えていた時だった。
声を掛けて来たのは自分と同じ制服を来た人間。
思わず息を呑んだ。
人間みたいな亜人に向けられる視線。
それがこの国ではいつだって厳しいと知っていた。
だから、思わず身構えた。
家柄を知る誰にも苛められた事は無い。
けれど、近付かないようにと無視される事が殆どだった。
そんな自分に声を掛けてくれたのは同じ人間の容姿だからか。
少しだけ反感を感じたのは相手が亜人でしかないと知っていたから。
亜人の血が混じっているなんて嘘を身に纏って生きて来たから。
相手は結局、人間ではないのだと、そう思った。
助けられて、子猫の話をして、そのまま何処かへ消えるに違いないと思った。
しかし、そうはならなかった。
自分も探すなんて言い出して。
一緒にあちこちを見て回って。
埃に汚れながら。
どうしてだと訊ねた。
答えは曖昧な笑みで返らず。
それでもずっと探し続けて。
やがて、子猫も見付かった。
いつの間にか。
本当にいつの間にか気付かない内に二人で笑い合えるようになった。
もう一緒にいる事は無いのかと残念になった。
(だから、心の何処かで霧に関われる事を喜んでた……また独りにならなくていいんだって……何処かで……)
また兄と沢山話すようになった。
知り合った人達が仲間になっていくような気がした。
危険な事も、怖い事も、哀しい事も、あの味気ない食事をするよりはマシだった。
まるで馬鹿げた話。
きっとあの日、国が滅んで父が死んだ日に心の何処かを壊していたのだ。
自分の命を何処か遠くに感じて。
どんな時も醒めた自分を持つようになって。
だから、誰の前でも友達の為に戦う健気な子を演じていたに過ぎない。
薄っぺらな自分の人生を飾り付けるように。
満たされていく自分を隠すように。
「これが仮面……私の仮面……」
屍蝋。
それが今まで意味するところを何も知らなかった。
でも、今なら解る。
それは―――他者に自らを阿(おもね)た屍。
つまり、心の奥に澱の如く積もる自分だったモノの成れの果てだ。
仮面を被った黒き者。
彼らは決して化物ではなかった。
自らを殺し、蝋になるまで放置した自分を乗っ取っただけの、もう一人の己なのだ。
「貴女が私……私が殺して何処かに置いた自分……」
能面が浮いている。
自分の前で待っている。
暗い暗い水底から浮かび上がった自分の屍に何を言えるだろう。
彫り込まれていく銘は曰く。
【憐察者(ミゼラビリス)】
憐れを見つめる者。
正しく自分。
大好きな国が、家族が、父が、あの幸せだった日々ごと失われていったのを見ていたはずの自分。
無かった事にした。
知らなかった事にした。
思い出したくも無かった。
逃げ出したから追い掛けて来た過去そのもの。
(被れば、楽になるんですか?)
答えは無い。
(疲れちゃいました……)
応えは無い。
(もう、終わりしてもいいですよね?)
手を伸ばせば、甘美なまでに柔らかな面が指に吸い付く。
それを貌に。
そう無貌として貼り付ければ、何も問題は無くなる。
自分はただの自分になる。
あの頃の自分。
泣いてばかりいた自分。
母に怒鳴られた自分。
兄に八つ当たりした自分。
自分よりも自分らしい我侭で泣き虫で懐かしくて苦しくて哀しくて辛くて怖くて弱々しい自分。
(ああ、これでもう……大丈夫……)
眠ってしまえばいい。
後は自分に全てを任せて。
そう、全てを諦めた手で、貌が一つ消え―――。
「?」
温かい手が仮面を持つ手に触れていた。
「それでいいの?」
貌の無い誰かがいた。
何処かで見たような制服に黒い外套。
剣一つを手に強さを示し続けた誰か。
「いいんです。もしかしたら、私の方が贋物なのかもしれません」
貌も無いのに誰かが苦笑する。
「贋物じゃダメなの?」
「え……」
思ってもいなかった言葉。
「君よりも贋物暦が長い人からの忠告だけど。“本物”になってもきっと、後悔も絶望も無くなったりはしないよ」
「そんなの……試してみなくちゃ分かりません……」
視線を俯かせれば、よく相手の姿が見えた。
制服も外套も襤褸のようになっていて。
何処も血が滲んでいる。
「本物も贋物も君なのに?」
「辛いんです……満たされて、笑い合ってる私は……本当の自分からずっと目を逸らしてた……無かった事にした……」
「少しだけ自慢話になるんだけど」
「?」
「僕は贋物かもしれないけど、そんな自分が気に入ってる」
「どうして、ですか?」
「本物の僕はきっと誰からも好かれて幸せになれる運命だった。友達だって仲間だって恋人だって家族だって、何だって得られた。ほんの少しの犠牲にさえ目を瞑れたなら」
「犠牲?」
頷く相手の口元は微笑んでいた。
「僕はずっと昔、否応無しに旅へ出た。でも、それは全部、最初から決まってた事だった」
「………」
「だけど、僕はそんな本物の“運命”より自分が選びたかった“人生”を生きた。それを今も心底に良かったと思える。例え、それが贋物に相応しい不幸ばかり転がってる道だとしても」
「そんなに強くなれません……私は……」
「僕は強くなんてないよ。本当の意味で強い人達は僕なんかの力を軽々と超えていく。ただ、そうだとしても譲れない事があった。絶対に叶えたい願いがあった。だから、今も僕はこうして存在する」
「記憶、戻ったんですね……」
「どうかな。でも、覚えていなくても忘れていても、この世界で起こった事は何一つ無かった事には出来ない。どんなに忌まわしい過去も、どんなに素敵な記憶も、等しく抱いて進まなきゃ……きっと、寂しい」
仮面。
自分の仮面。
無かったはずの仮面。
それもまた無ければならないものなのか。
「君は僕みたいに失ったりしてない。それに全てを阿(おもね)ても何一つ変わりはしない。だから、僕から言える事は……」
手が放されて、差し出される。
「行こう。皆待ってるよ。この仮面に書かれた名じゃない。エストリアを」
「―――ずるいです。イクスさん」
手から仮面が落ちた。
自分だったものが再び心の何処かへと消えていく。
「そんな事言われたら、私頑張るしかないじゃないですか……」
手を取って。
温かくて、いつも剣を握っているとは思えない細い手を握って。
「大丈夫。エストリアなら、ね?」
「………はい」
頷けば、世界は開ける。
帰っても大変かもしれない。
それでも二人なら、自分の傍にいてくれる人達と一緒なら、乗り越えていける気がした。
きっと―――。
*
都市は緑炎に埋もれていた。
もはや全ては終わり。
新たな世が拓く。
そう、確信した彼は―――天を仰ぐ。
『これは、何だ……?!』
アーフルが見たのは蒼き天蓋と呼ばれし星。
そのはずのもの。
けれども、視線の先に在るのは星ではなくて。
「僕は君が誰か知らない」
『?!!』
もう身体を縮めてはいない。
黒き羊水の中で立ち上がり、少年は青年を見つめる。
「君の絶望も想いも知らない」
手が透明な子宮を透過して。
「でも、一つだけ解る」
緑炎に染められながら、静止した化物達の最中へ黒き外套が虚空より出でる。
「君はまだ諦めてない。だから、君は進める」
掴み取った手が衣をはためかせれば、【恋人】達が吹き飛び。
「それなのに進んだ先に何も無いとしたら、哀しいよ」
一歩。
何も無い空をアーフルが下がる。
『何を……何を、言っている?!』
天から降り注ぐ光輝。
それは柱となって、少年を照らした。
天の蒼は黄金となって、その容(かたち)を変えている。
星より尚高き柱。
いや、それが“柄”なのだと誰が知るだろう。
「僕は君を救えない。きっと、それをするのは僕じゃない。けど、此処に在る全ての命の為に」
少年が天に右手を掲げる。
「今は剣を執ろう」
煌めく柱。
天より降り来る光。
それは降臨。
世界に唯一の神が最後の審判を下し来る日の光景。
「外なる者。焉の果てより来る者。世を座して閉ざす者よ。我は天」
都市を覆う緑炎がまるで劇の書割のように動きを止めた。
「唯一天を屠り、翼たる天を墜とし、惑なる天を鬻(ひさ)ぎし者」
輝きの最中を降りてくるものを少年が掴み取る。
「世に蔓延る人の守護者也」
それは柄。
天に浮かぶ黄金の柱そのもの。
「終なき御身を終わらせよう。それが業なる天―――我が“意思”故に」
重力振に鳴動する真空が星系を震わせる。
あまりにも小さな小さな生ける者達の楽園を誰かが見た。
柄を執る者。
全てを精算する誰か。
もう失われたはずの神が使うはずだった【源型(アーキタイプ・モールド)】。
星を貫く程の長さを持ち。
全てを裁く見えざる末世の剣。
【神凪劒(かむなぎのつるぎ)】
世に英雄神魔の戦剣は数在れど。
それこそは一つの星の終を導く力。
敵を廃するのではない。
敵を滅するのではない。
相手を測り、結末を求める審判の槌に等しい。
『それはッッ?!』
本能的にその剣が拙いと感じ取って狼狽した面の下。
顔が歪む。
彼に見える世界は既に変わっていた。
塗り潰す黄金。
昇華されゆく怪物。
輝くものに満たされた都市から緑炎が剥がれ落ち消えていく。
「天秤が無くて悪いけど、僕が持ってるのはこれだけ……君には裁かれてもらう」
『人が!! 人が我らを戮したのではないか!! 人がッッ!!! 我らを追い込んだのではないかッッ!!! それをッ!! それをッ!!! 人が罰せるものかぁッッッ!!!!』
「罪も罰も贖も自分在ってこそ。自分が求めるものすら滅ぼす力で何かを得ても、そこに君の得たい未来は無い。きっと……」
『勝手なッ!! 勝手な事をぉおおおおおおおおおおッッッ!!!!!?』
襲い掛かるアーフルの手には断絶の概念が宿る。
斬れないものはない。
全てを無為と化して再び自らの革新を始める。
その一太刀は、手刀はしっかりと少年の左手に止められた。
『ッッッ―――』
「どうか、君にいつか安らぎが在らん事を」
小さな呟き。
それに何者をも恐れなかった青年が真の意味で怯えた。
瞬間的に背後へと跳び退った行為が結末を導く。
柄が両手で握られ、少年が虚空を蹴る。
飛翔していく姿。
龍の如く光の柱を昇天する姿。
空を仰ぐ都市民達は高く高く舞い上がる誰かを見ていた。
天の階(きざはし)昇りし、技の名は―――。
「閃剣」
呟きが終わって。
青年は、アーフル・ナーシムは、【革命者】は、己の下から声を聞いた。
超越者たる彼には止まって相手の全てが見えていた。
単なる真っ向からの唐竹割。
少年は刃の無い剣で彼の前を落下、素通りしたに過ぎない。
だが、彼の視界が、左右にズレる。
「僕に剣を教えてくれた人は跳ぶ事も加速する事も無くコレが使えた。だから、この技は……閃きの剣と呼ばれてる」
もう一分も持たない肉体が回復も復元もせず。
静かに終を受け入れていく。
(こ……の……剣……技は……)
実態の無い剣。
しかし、斬られたという矛盾。
剣の能力は青年を裁くが、剣そのものに刃は無い。
特別な魔力も概念も篭ってはいなかった
ならば、何が肉体を両断したのか。
「これは意思を斬る剣技。心を斬る更に先。君の肉体は斬られた事を“受け入れて”両断される」
嘗て天使を斬った技はこの域に到達する為の児戯。
閃きとは速度を現すのではない。
相手に斬られた事を受け入れさせる。
つまり、相手の意思を左右する事を示すものだった。
『名を……名乗れ……』
「シンア。シンア・ザ・クリティカルアンラッカー」
『次……こそ……必ず……』
「何度でも受けて立つよ。君が僕の大切なものを壊そうとするなら、ね」
霧にゆっくりと溶けていく男が唇の端を吊り上げる。
哄笑が静かに静かに流れ、途絶えた。
「……そろそろ戻らないと」
まるで夢幻。
天の蒼き星は常のまま。
もう柱は何処にも無い。
けれど、人々は見ていた。
確かに空の柱は何かを斬るように振られたのだ。
大地を傷付ける事もなく。
空を割る事もなく。
全ては一夜の夢のようで。
「えっと……名前……何だったっけ?」
紫雲が空を覆う頃。
死んだはずの人々は己の最後の場所で目覚めた。
自分がどんな結末を迎えたのかも知らず。
ただ、その夜の記憶だけを欠落させて。
まるで結末が“壊れて消えてしまったか”のような“途絶”を経験した彼らは……唯、空を見上げるしかなかった。
「さすがに無理し過ぎた……かな……もう、自分の名前も――――――」
数年振りに霧の無い朝。
【崩燼機関】が止まった都市は戦いに疲れた者を懐かしい空気へ包み込んでいく。
『あ~ら、おっもしろくないわねぇ。これからが良いところだったのに♪ ま、今日はこのくらいにしておきましょ。我らが魔王様もそろそろお目覚めみたいだしねぇ~。それにしてもいつの間に売られてたのかしら? あーはん♪』
小さな羽ばたきの音が都市の片隅で鳴って、少年少女も傷付いた戦士達も午睡みへと意識を落としていった。
とても、穏やかに……。