※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第三章四十一節

第三章四十一節「朝、とある少女の場合」

 

―――???

 

 小さな館の大きな居間。

 

 屍蝋の面を付けた極彩色の人形達が整列する最中。

 

 音頭を取るのは時計の中から飛び出た音楽隊。

 

 ポヨヨンと間の抜けた音がして時刻を知らせる鐘が鳴った。

 

 機械仕掛けの正確さ。

 

 時を告げる喇叭吹き。

 

 目覚める時だと誰かが語る。

 

「嘆きの門は開かれたり」

 

 眠り姫の如き女。

 

「第一の贄。その名は強欲」

 

 黒のエルフ。

 

「罰するは誰か」

 

 少女の唇は意思無きまま舌を躍らせる。

 

 すると、人形達が燃え盛った。

 

 揺ら揺らと筋肉を爆ぜさせ、関節を曲げながら、やがて互いの焦げた手を繋げて、輪を形成する。

 

 それは燈すべきものを置く場。

 

 命だったものを焦がし、黒く黒く塗り込めながら、命ではない色が猛っていく。

 

「―――萌ゆる炎」

 

 ひひひ。

 

 そんな声がして。

 

 黄金の仮面が扉の隙間から覗いていた。

 

「連れて行く♪ ナーリヤ。連れて行く♪」

 

 楽しそうに嬉しそうに白布が舞って。

 

 虚空の果て。

 

 巨大な何かが無数に回遊する都市の奥。

 

 小さな館から暖炉の緑火が消えた。

 

 *

 

「?」

 

 朝、口元をムニャムニャさせながら奏璃紗はムックリと寝台から置き出していた。

 

 彼女の朝は早い。

 

 起きて、顔を洗い、髪を櫛で梳り、身嗜みを整えて、少年の下へ。

 

「……」

 

 抜き足差し足忍び足。

 

「(寝てる寝てる♪)」

 

 そろっと横に付いて自分の主人の顔を見つめて。

 

 その寝顔に少しドキドキする自分も感じて。

 

 いつまでもそのまま傍で佇んでいたい衝動に駆られながら。

 

 それでも少女は少年の体を優しく揺すった。

 

「……おはよう。璃紗」

 

 目を擦る少年の言葉。

 

 朝に初めて呟かれるのが自分の名前だという優越感。

 

 僅か弾む心が彼女を笑顔にさせる。

 

「イクス。今日も良い天気だよ」

 

 窓の外からは陽光。

 

 霧が殆ど無い世界は鮮やかに輝いていて。

 

 空に【崩燼機関】の蒸気と朝餉の煙が立ち上る様子は穏やかな一日を感じさせた。

 

「うん」

 

 頭を撫でられて。

 

 胸の優しい疼きに喜びを感じながら。

 

 少年の着替えを寝台まで運ぶ。

 

 着替えを本当は手伝いたかったのだが、ゼオ家に来て以来手伝った事が無い。

 

 やっぱり、少し恥しいしと笑顔で少年に断られたのでしょうがないとはいえ。

 

 それでもやっぱり璃紗としてはせっかく使用人になったのだから、手取り足取りお世話がしたかった。

 

「ありがとう。じゃあ、アルゥさんの方を手伝ってきて」

 

「うん。あ、昨日制服の予備が届いたから、後で着替える時に持って来るから」

 

「よろしくね」

 

「は~い」

 

 床の扉を閉めて。

 

 その足で一階の台所へ。

 

(やっぱり、ウルさん……もう出たのかな?)

 

 ウルがゼオ家で間借りするようになって一日目。

 

 自室に物を置きっぱなしという事は前日の夜にも言っていた。

 

 生活に必要な品を幾つか取りに朝はいないというのは何も不思議な事ではない。

 

(……イクスのお部屋の前にいた、よね?)

 

 少しだけ思い出されるのは銀の髪が一本少年の部屋の下。

 

 階段の板に落ちていた事。

 

 何も言わずに行ったのだろう。

 

 まだ遠慮があるのか。

 

 それとも少年の事を思ってか。

 

 たぶん、どちらも正解に違いないと璃紗は思う。

 

 二人の間にどんな事があったのか知りはしない。

 

 でも、想いの強さだけは自分にも負けていないのだと彼女はウルを理解していた。

 

「ぅう、何かモヤモヤする……」

 

 言っている間にもナイフが俎板(まないた)を叩く音が近付いてくる。

 

 貴族というのは基本的に下級でも使用人やお手伝いを雇っているものだが、台所にいるのは常にゼオ家の当主。

 

 アルゥ・ゼオただ一人。

 

 今日も朝から食事を作っている後姿は正にゼオ家のお母さんである。

 

 毎日見ていても目を奪われる巨大な乳房が自分の頭くらいの場所に見えれば、彼女はもうシャンと背筋を伸ばして完全に使用人モードへ突入する。

 

「おはようございます。アルゥ様」

 

「ええ、おはよう」

 

 とても優しい人。

 

 少年の事を毎日のように報告している書類上での保護者。

 

 彼女にとってアルゥはゼオ家でのベルンの立ち位置にいる存在と言える。

 

 基本的にゼオ家での命令に対する優先順位はイクス→アルゥ→シルルゥという順になっている。

 

 だから、少年の不在時や少年が講義を受けている間にアルゥの指示で動く事は多い。

 

 今日も自分の手で食事を作るアルゥに麺麭を買ってくるよう言われて、璃紗は言われた通りのお使いへと出た。

 

 それから十数分。

 

 食堂に戻ると少年が普段着の黒いワイシャツにスラックスという姿で食卓に付いて。

 

 シルルゥがテーブルでウツラウツラしていた。

 

 本当は使用人と一緒に食事を取るというのは貴族の風習には無い。

 

 でも、当主の言い付けで璃紗もまた給仕をしながらとはいえ、食事を共にする。

 

 朝は茹で卵に厚切りの塩漬肉(ベーコン)。

 

 それから香草に香料(スパイス)を加えたサラダ、焼き立ての麺麭という献立となった。

 

 頂きますとの東部式の挨拶で食事を始めれば、シルルゥは厚切りの肉にハッと目を覚まし、少年は苦笑しながら麺麭を齧る。

 

 あまり会話は無いが、それでもシルルゥの口に付いた食べかすを少年が取ったり、少年のコップにアルゥが直接水を汲んだりと温かな空気は途切れない。

 

(いいな……こういうの……)

 

 娼館に居た時とは違うかもしれない。

 

 けれど、その食卓にある心地良さは同じ。

 

 こんな場所に居られる自分はとても幸せ者だと彼女は心底に思う。

 

 食事が終われば、皿を片付けて少年の下へ制服を運び。

 

 登校の準備をする。

 

 使用人として少年の為にするべき事はそれなりに多い。

 

 体を動かす時の運動着の準備。

 

 筆記用具の代わりを揃えたり、講義後の短い休みには次の講義の準備までに必要な資料や教科書、プリントの受け取り、諸々を使用人無しでやっていた少年をサポートして早一ヶ月以上。

 

 もう流れ作業で璃紗は全てをこなせるまでになった。

 

 女給姿で片手に鞄一つ。

 

 少年との登校は愉しい一時だ。

 

「行って来ます」

 

「ハハサマ。行ってくる」

 

「アルゥ様。行って来ます」

 

 ペコリと頭を下げて玄関から飛び出せば、まだ再建中の街並みがあちこちで工事中の看板を下げている。

 

 それでも日常を取り戻した世界は瑞々しく。

 

 霧に滲む事もなく鮮やかに過ぎていく。

 

 途中、いつもの顔。

 

 きっと、毎日のように道の脇で待っているのだろうエストリアが加わり、お喋りに花が咲く。

 

 近頃、顔を見せるようになった黒猫も咥えて四人と一匹の道中。

 

 ふと顔を上げれば、少年の視線が虚空に向かっていて。

 

「(……イクス)」

 

 少しだけ不安になる。

 

 きっと、沢山秘密がある。

 

 きっと、知らない事が山程ある。

 

 けれど、それを感じさせないように配慮してくれている。

 

 もっと、教えて欲しい頼って欲しいと思うけれど。

 

 どんな時も待っている人が、探しに行く人も必要なんだと心の何処かで感じてもいて。

 

(イクス……璃紗はイクスの事、ちゃんと見えてる? イクスをちゃんと此処に繋ぎ留められてる?)

 

 聞かなければ答えはない。

 

 でも、何一つ聞かなくていい。

 

 あの緑炎に彩られた夜以来。

 

 色々なものが見えたり、見えなかったりする。

 

 アルゥの下に訊ねてくる魔術師らしき人々の前で力を使うようにもなった。

 

 あんな夜をもう起こさない為に君の力が必要なんだと来訪する誰もが言う。

 

 それでもまだゼオ家に居られる。

 

 本当なら娼婦なんて国の一存でどうにでもなる。

 

 あの夜を繰り返さない為なら、偉い人が娼婦一人の意思に構うはずもない。

 

 少年には世間知らずと思われているかもしれないが、娼館に来る大勢の客を見ていれば、璃紗にだって自分が今どういう立場にいるのか理解出来た。

 

 あの化物を人々に戻す方法。

 

 それは大きな力に他ならない。

 

 もしも国を思うなら、親しい人を守りたいなら、訊ねてくる誰もが言うように国の研究施設に行くべきなのだ。

 

(これは璃紗の我侭? イクスの傍に居たいって思うのは……)

 

 あんな地獄のような場所から奇跡的に帰ってこれた。

 

 それだけでも十分なのかもしれない。

 

 少年に分かれを告げて、研究所に行くべきなのかもしれない。

 

 けれど、奏璃紗の瞳には映っている。

 

 ずっと、ずっと、少年が。

 

 どんな事があっても、傍で笑っていてくれる。

 

 輝かしいばかりの未来が。

 

 どんな事があっても、誰かを守り続ける。

 

 傷付いてばかりの優しい姿が。

 

 国が滅ぶかどうかの瀬戸際。

 

 それでもたった一人の為に自分の力を使うなら、それはきっと罪で、大きな大きな過ちに違いない。

 

(でも、イクスの未来を変えてあげられるのはきっと璃紗しかいない……だから……)

 

 沢山のお喋りをしながら。

 

 多くのものを視線の端へと消しながら。

 

 彼女は、奏璃紗(リーシャ・ハーモニア)は、あの夜の決意を新たにする。

 

 それは男と女のありふれた想いで。

 

 たぶん、どんな時代だろうと変わらない。

 

 世界で一番強い愛する者を守りたいという、たったそれだけの力だった。

 

 *

 

 放課後。

 

 ウルに帰宅するように伝え、武芸術部を出た後。

 

 魔術による通信で先に璃紗をエストリア達と共に帰らせた少年は裏山へと入っていた。

 

 霧の境界を繋ぐ鳥居。

 

 あの夜の観測以降、アイウィスとの接続は断たれているらしく。

 

 今は単なる門にしか過ぎない。

 

 それでも少年がそれを見に行ったのは単なる酔狂ではない。

 

 あの事件が終わってからの二週間。

 

 霧がまったく出ておらず。

 

 同時に化物化する者も殆どいない。

 

 それどころか境界が都市を侵食してくる事もないという事態が続いているからだ。

 

 それは本来喜ぶべき状態。

 

 だが、その辛うじて保たれている平穏に少年は大きな違和感を感じ取っていた。

 

 もしも、再び霧が渦巻く魔都とハガスが化すならば。

 

 たぶん、その最初の起点は裏山の鳥居。

 

 その確信故に学校へ再び通うようになってからは常に鳥居のある裏山の気配を気にして生活していた。

 

 そんな少年が今日は何か在ると踏んだのだ。

 

 まだアーギストにも話していないが、感覚を揺さぶるざわつきが肌を撫ぜる。

 

 魔術にも魔導にも魔術具にも掛かってはいない反応。

 

 単なる気のせいならば問題は無いが、いきなり化物の軍勢が飛び出してこないとも限らない。

 

 事件後にエンシェンによる一帯の結界封鎖が行われた旨は本人から聞かされている。

 

 しかし、それだけで安心なわけもない。

 

(………)

 

 この二週間と少しの間。

 

 ずっと、平和を貪っていたように見えて。

 

 少年の戦いは続いていた。

 

 小さな事は気を張り巡らせての周辺の監視。

 

 大きな事では全て消費し切った剣の再製造。

 

 仕上がった武器はもう手の魔術方陣の中へと消してある。

 

 今まで剣一筋で戦っていた少年であるが、あの事件で剣だけには限界があると脇差のような短い太刀やナイフの類も馴染みの店に頼み込んであった。

 

 投擲武器にも出来る一品はリーチの短さで超近接戦闘にも対応できる装備だ。

 

「……」

 

 エンシェンから事前に譲り受けていた結界を解く鍵を取り出して雑木林の中を潜れば、一気に景色が開ける。

 

「やっぱり……」

 

 少年の感覚通り。

 

 いつも境界が出ていた時間よりも早いというのに夕景の中、鳥居が原に静かに顕現していた。

 

 柱の先には樹林。

 

 境界に繋がっているようには見えない。

 

 しばらくは見守っていようかと鳥居から少し離れた場所に座り込んだ少年は周囲の気配を探ったまま。

 暮れていく空を見上げた。

 

「………」

 

 あの日以来、自分の力不足は言うまでも無く痛感している。

 

 武器を揃えて戦術を構築し、脳裏で何度も繰り返してみても、やはり根本的な問題は解決していない。

 

 幾ら不死者だとしても不完全。

 

 今までの能力に頼った戦い方も現状では不可能。

 

 ならば、更に強い化け物が出てきた時。

 

 どう戦うべきなのか。

 

 答えはもう大きな括りでは出ている。

 

(みんなに頼るしかない……でも、それで本当にいいのかって僕は迷ってる……)

 

 境界踏破はそもそもが自分の思い過ごしかもしれない呼ばれたかすら定かではない感覚から行っている。

 

 エストリアが付いて来ると言い出して、その兄と親友が同行し、霧の問題を解決する為に美紗が加わった。

 

 そんな急拵えのチームでも何とか境界から帰ってこられたのは少年の力もあるが、何よりも全員の力が学生レベルでは無かったからだ。

 

 エストリアの手には軍用以上に出力が高い【崩燼機関】がある。

 

 アーギストは空間制御や魔術に関する大魔術師にも近い階梯の能力を秘めているし。

 

 ジルムスにしても全方位に攻撃可能な打撃術という非常に防御面で優れた拳技を収めた達人だ。

 

 美紗に関して言えば、恵まれた身体能力と警察機構で培われた各種の高レベル技能が化物を寄せ付けない。

 

 しかし、これから入る境界の先。

 

 都市は今まで以上の地獄である事が予想される。

 

 力が強いだけでどうにかなるとも思えない。

 

(………)

 

 誰かが犠牲になってもおかしくない。

 

 誰が化物となってもおかしくない。

 

 後悔させたくないのだ。

 

 大事な仲間になってしまったのだから。

 

(エストリアは水臭いって言うんだろうな)

 

 理不尽に抗い戦う意思。

 今まで以上に強い決意。

 

 固い団結と高い能力。

 

 どれが欠けても死人が出る。

 

(……ちゃんと話さないと)

 

 きっと、仲間達の誰も行かないという選択肢を選べない。

 

 少年に出来るのは忠告と己の全てを掛けて壁となる理不尽を打倒する事だけ。

 

 それですら一度敗北している。

 

「ッ」

 

 思考を途切れさせて。

 

 少年は手の方陣を光らせ、剣を異相から引き出す。

 

 異相との接点として今も機能している鳥居の周囲に細い光の筋が繭玉のように渦巻き始めていた。

 

「これって」

 

 ビキビキと鳥居内部の空間に罅が入る。

 

 常識的に空間の破壊というのは時空連続体の破損を意味する。

 

 周辺に大規模な変調が起こる前触れとしては十分だ。

 

 何かがあの都市からやってくる。

 

 何が来ても一撃で屠る為。

 

 剣が構えられる。

 

 左脚を前へ。

 

 右脚を後ろへ。

 

 右手の剣は逆手持ち。

 

 左手には小さく積層魔力が詰み上がり、まるで成長する樹木のように歪な剣らしきものを生成していく。

 

 パキ。

 

 軽い音が響いて。

 

 何かが黒い霧を引かせながら濁流の如く鳥居の正面。

 

 少年の方へと押し寄せた。

 

 瞬間的な一撃を見舞おうとした矢先。

 

 濁流が少年の手前1m程で垂直に急上昇。

 

 そして、その龍の如き全身の黒き屍蝋の鱗を散らして、霧となって霧散した。

 

「?」

 

 瞳を細めた少年はたぶん異種の類が化物化したのだろうソレの最期を見届けて。

 

 未だ破砕された空間の先で輝くものに瞳を細める。

 

 暗い異相の先。

 

 まるで光の輪が解き放たれるように乱舞して。

 

 鳥居の中からズルリと純白の大きな玉が地面に落着した。

 

 そして、未だ異相に存在する輝きが何処かへと飛翔していく。

 

 すると破砕した空間の罅が薄らと背後の情景を透かすようにして修復され、最後には消えてなくなった。

 

「……卵?」

 

 楕円形の形。

 

 それはよく家庭でも使われていそうな白い食卓の主役。

 

 鶏の卵に見えなくも無い。

 

 人の大きさくらいあるという事を覗けば、だが。

 

 屍蝋の気配も無い白いソレに近付いた少年は多少躊躇った後、人差し指でコツコツと叩いてみる。

 

 何が入っているのか実に興味深いと思うのだが、明らかに怪しい。

 

 危険物でなくとも、何かしら問題になるものが入っていないとも限らない。

 

 簡易の魔力波動検査も兼ねた指先からの感覚で内部にあるものの形を少年は知った。

 

「……どうしよう」

 

 ビキッ。

 

 案外薄かった殻が罅割れていき、シャラシャラと音を立てて内部へと崩れ落ちていく。

 

 内容物が大体想像していた通りのものだった事に少年は沈黙して。

 

 とりあえずゼオ家へ連絡を入れる事とした。

 

 何かと忙しいアーギストに余計な手間を掛けさせるよりは明日の午後に来訪して事情を話した方が融通も利くだろうとの判断からだ。

 

(この子は……)

 

 中から出てきたのは全裸の人型。

 

 真珠のような色合いをした柔らかな長髪は体の下半分を埋もれさせており、ほっそりとした性別不明の体は少女にも少年にも見える。

 

「―――」

 

 気を失っている様子だが、髪に隠れた顔は見えない。

 

 また入らぬ厄介事を背負い込んだのかと呆れた視線を向けられる事を覚悟しながら、無自覚なる四五六(ドンファン)イクス・ゼオはイソイソと外套で彼あるいは彼女の体を覆い始めた。

 

 *

 

―――大海洋【観測不能回帰点(オーバー・ラング)】最下層。

 

 コツコツと仄暗い蒼に沈む世界に靴音が響く。

 

 大量生産品ではない昔ながらの一級品(オーダーメイド)。

 

 使われているのは柔らかな獣皮。

 

 基本的に外界を歩く為のものではなく。

 

 王侯貴族が使用する室内用のものだ。

 

 その足音を立てているのは七聖女。

 

 今はバカンス中の少女。

 

 ミュルト・ジオバトスだった。

 

 容姿はまだ十代前半。

 

 愛らしい顔立ちではあるが、人の上に立つには威厳の欠片も無さそうと彼女本来の姿を知らない物達は思うかもしれない。

 

 海賊を絶滅させ、人の領分に属する海の財宝と呼ばれるものを全て七教会の倉に納めたのが、その淡い向日葵色の衣装を着た少女であると信じられないだろう。

 

 今は常の染めたものではなく。

 

 不思議な光沢の地毛のままである。

 

 彼女は自分の後ろに付いてビクビクしながら付いて来る新米の秘書にクスリと微笑み掛ける。

 

「どうかした? エシュ」

 

「い、いえ……あ、あまりにも自分の場違いを痛感しているというか。その……本当に付いて来て良かったのですか?」

 

 そう訊ねたのは七教会の制服たる【軽殻装(コート)】姿の青年だった。

 

 白と黒を基調にしたソレは場の空気にポツリと浮いている。

 

 エシュ・フローネル。

 

 まだ幼さの残る童顔。

 

 薄い赤髪を後ろに撫で付けた姿は横顔だけで見れば二枚目だが、現状ではまったくその良さは見えない。

 

 それと言うのも顔の全てが不安と挙動不審に支配されているからだ。

 

「あ~また!! 出会った時みたいに話してくれて構わないって言ったのに」

 

「そ、そうはいきませんよ。これでも七聖女付きの副官。いえ、秘書としてお傍に仕えるように配属されたんですから。そりゃあ、もう礼節を頭の天辺から足の爪先まで叩き込まれてきましたから。ええ」

 

「昔はもっと気軽に話してくれる良い子だったのに……」

 

「そ、それはそもそも君―――ミュルト様が七聖女だと知らなかったからです。それに教会は一応敵の範疇でしたから……」

 

「ミュルトの手を握って『随分遠くから来たんだ? それならあんまり知らないかもしれないね。七教会ってのはいつもいつも大陸各地で要らぬ世話を焼きたがる厄介者だって』とか説明してくれたのに」

 

 サクッと自分の昔を物真似されてエシュの顔が赤くなる。

 

「あ、あの時まだまだ子供だっただけだろ!!」

 

「あ~戻った戻った♪ それでいいのに」

 

「あの頃はまだまだ子供だっただけです」

 

「言い直したりしなくてもいいのに」

 

「ケジメです」

 

「ふふ。じゃあ、その件はまた今度。そろそろ着きそうだから」

 

 クルリと前を向いて再び歩き出す今の主の背中にようやくエシュは自分の緊張を解く為にミュルトが会話していたのだと知る。

 

(……藩落。それもアーズトリテ出身の僕を取り立ててくれた七教会の度量にも驚いたけど、やっぱり七聖女って言うのは凄いんだな……)

 

 純粋に今の自分が歩いている場所を見渡して。

 

 つくづく聖女というのは誰も彼も度量が大きいとエシュは実感していた。

 

(それにしても此処は……)

 

 二人が現在歩いているのは海に開いた巨大な縦穴の外縁だった。

 

 どれくらい巨大なのかと言えば、半径15kmの円筒形の空間であると言ってもピンと来ないだろう。

 

 要は水平線までの距離より長い。

 

 ほぼ見えるものが奈落と左側の蒼き海だけ。

 

 現実感と距離感が狂うせいで実際には周辺の明度のみで移動距離を判別する以外無い。

 

 足場は海水が板状に横壁から迫り出しているだけで一歩踏み外せば海の底まで真っ逆さまだろう。

 

「ミュルト様。バカンス中という事で付いてきましたが、本当に付いてきていい場所だったのですか? 此処は」

 

「別に秘密でも何でもないし。そもそも立ち入り制限もしてないから」

 

「ちなみに此処は一体どういう場所なのか聞いても?」

 

「ん~【聖杯委員会(ペルスヴァル)】の円卓を置いてる場所って言えばいいのかな?」

 

「ペルスヴァル?」

 

「そっか。まだ配属されたばっかりだもんね。じゃあ、ミュルトが教えてあげる」

 

「は、はい」

 

 静かに足音を響かせながら背中を追うエシュに少女は一つずつ順番に物事を説明し始める。

 

「まず【聖杯委員会】の成り立ちからね。昔々、ファルティオーナに亜人が存在しない頃。二十万年近く前にも今で言う騎士みたいな人達がいたの。その人達はまだ魔術や魔力や超常の力とか誰も持ってない時代、異種の祖先である【基幹異種(バルバロス)】がまだ君臨していた頃の人々で、その中にパーシヴァルって言う騎士がいた」

 

「パーシヴァル?」

 

「彼は聖杯……つまり、今で言うところの魔術とか魔導とか超常の力の源である【基幹異種】の力を求めて、人類を支配してた彼らに闘いを挑んだの」

 

「ちょ、ちょっと待ってください!? 今の話の内容で幾つか分からないことがあったんですが、それは一般人が知っても大丈夫な範疇の智識ですか?」

 

「あはは。もうエシュはミュルトの秘書なんだから、別に大丈夫だよ?」

 

「そ、それならいいんですが……話の腰を折ってすみませんでした。どうぞ続けてください」

 

「うん。それでパーシヴァルはボロ負けした。それも彼の求めた力を持つ存在にじゃなくて、その下僕や配下たる異種に。彼はそれでも生き延びて一計を案じて、基幹異種達以外の存在を仲間に引き入れて挑もうと考えた。これが一番最初【聖杯委員会】の始まりなの。彼は結局、自分の造った円卓も見ずに途中で死んじゃったけど、彼の考え方を受け継いだ構成員……つまり、【基幹異種】以外の超越者や超常の存在達は定期的に集まるようになった。それが現在の【聖杯委員会】に繋がってるのね」

 

「は、はぁ……僕には到底理解出来ない世界の話のような気が」

 

「それから円卓に集う存在は色々と変わったりもしたけれど、今も構成員の五割はその頃からいるみたい」

 

「に、二十万年前から?」

 

「神様、異種、人外、魔族、亜人、それらの頂点存在となった半神様や超越者達。他にも近くの星の生物とか、この惑星より大きい何かとか、次元の狭間に住んでるとか。一杯いるよ」

 

「……もう、着任して二週間ですが、付いていけなくなりそうです」

 

 正直なエシュをミュルトがまぁまぁと宥めて話を続ける。

 

「彼らはこの星の頂点やそれに近い地位や権力、実力を持った存在なの。それで大戦なんかを主導したのは彼らの力を借りて、人類種と人型及び知的生命を代表した七教会。要はえっと……パトロン、的な?」

 

「的な?で済ませていいんですか?」

 

「まぁまぁ、それでね。彼らは大戦の当時、大きな被害を受けて上位者がほぼ全て脱落。これで集まりが悪くなって機能停止してたんだけど、何処かのお爺ちゃんが皆に声を掛けてまた集まるようになったのね」

 

「お爺ちゃん?」

 

「そこは置いておくけど、再び集まった委員会メンバーの殆どは大陸に縁のある存在。つまりは自分の庇護下の種族なんかを持ってるのが大半だったの。彼らは七教会が大戦時以上の力を必要としているのを感じて、盟約を変更する見返りを求めた」

 

 何を語られているのか。

 

 それをまだ全ては把握していなかったが、自分はとんでもない事を聞かされているのだとエシュが渇いた喉を鳴らした。

 

「その時にフルーとミュルトで盟約を交わして、フルーは見返りを渡す準備をもう終えてる。それで今は彼らにその時期を知らせる頃合になった。でも、聖女の殆どが宙(そら)に上がっちゃったから、こうしてミュルトが来てるわけ」

 

 つまり、何かしらの重大発表……実際、人類にとってかなりの重要案件に立ち会っているらしいとエシュが何となく理解する。

 

「ミュルト。五年前から“あっち”に関われなくなっちゃったから、今はこれくらいなんだ。やれること……」

 

 何処か沈んだ様子の七聖女。

 

 実際には自分よりずっと年上の背中が黄昏ているのを見て。

 

 エシュはどんな言葉も投げ掛けられなかった。

 

「さぁ、付いたよ」

 

 道の終わり。

 

 いつの間にか青年は少女と共に地面へと降り立っていた。

 

 海の底だと言うのにゴツゴツした岩肌の一つも無い。

 

 完全に平面な地平だけが上空からの光を受けて仄暗く青白い輝きを周囲に照り返している。

 

「此処が円卓?」

 

「ううん。此処は入り口。でも、別に入り口があるわけじゃなくて。七教会が設置した門への結節点」

 

「結節点?」

 

「円卓にも繋げたから、行けるってだけで実際には発掘当時のまんま残してあるんだ」

 

「よく分からないのですが、とりあえず行けるという事でいいのですか?」

 

「此処から先は神様くらいの階梯でないと記憶を持って帰れないから、しばらく待ってて。あ、あんまり動くと変に別の場所へ動いちゃうかもしれないから、今の座標から5m以上動かないでね。フルーが言うには門は停止してるけど、周辺が不安定化してて、門以外の遺跡の機能が妙に働いてるとか」

 

「と、とにかく動かずに待っていればいいという事ですね!!」

 

「ちょっとは動いてた方がいいかも……前も動かずにいてって言ってたら、存在を確定する概念上の座標自体が停止したり、人間としての構成が常時動かなかった時点で固定化されたり、妙に石っぽくなったりする人もいたから」

 

「物凄く物騒な事を言われていると理解した方がいいのでしょうか!?」

 

 エシュが下がり気味に顔を引き攣らせた。

 

「一応、皆喜んでたよ? 超常の力としてはかなり優秀なレベルだったから。これで休まず寝ないで仕事が出来るとか、物騒な部署で不死身の男になれましたとか、この復元力や幽霊っぽい力でバリバリ治安維持に励みますとか何とか……」

 

「すみませんが、まったく安心出来ません……」

 

 大陸中央では何かと話題になりがちな過労死、ブラック、仕事中毒(ワーカーホリック)の文字がエシュの脳裏で乱舞した。

 

「それと後ろにあるものは外でも秘密ね?」

 

 少女がそう言い残して一歩踏み出すと急激に遠くへと移動したような錯視と共に消失する。

 

(やっぱり七教会に就職なんて母さんが言うように無茶苦茶だったかもしれない……)

 

 昔のまま。

 

 何が何やら分からないまま消えた少女のいた場所に視線をやって。

 

 青年はフゥッと安堵の息を吐いた。

 

(今頃、母さんどうしてるかな……七教会に入るって言って出てきてもう二年……あっちに一度は帰らないと)

 

 今、復興中の故郷でどう過ごしているだろうかと。

 

 親類や友人達の事を考えながら、不意にミュルトの言っていた事が気になった彼は振り向く。

 

「?」

 

 海水の壁の先。

 

 薄暗いせいでよく見えなかったが、瞳を細めると輪郭が緩々と視線の中で結実していった。

 

「これって……宙域航行艦?」

 

 小さな船の模型が壁一面に何十隻も静止しているという光景が目の前に広がる。

 

 普通の船ではない。

 

 七教会が今や事実として大陸の全国家に貸し出している宇宙を渡る鋼鉄の艦である。

 

(でも、それにしては形とか意匠とか……神々しいというか。妙に一隻一隻形も違っていて……)

 

 エシュがその背後のミニチュアの一つに指を差し伸べようとして。

 

 ふわりと優しげな手がそれを留めた。

 

「あ~いけないんだ」

 

 ビクッと硬直した彼が振り返るとミュルトが背後にいた。

 

「な、何か忘れ物でも?」

 

 何とかそう言って罰が悪そうな顔をしたエシュに聖女は苦笑する。

 

「もう三日経ってるから、帰ろうと思って」

 

「え?」

 

 慌てて腕時計を見た青年が目を見開いた。

 

「ま、まさか?!! まだ、一分も経ってないはずじゃ……ッ!?!」

 

「此処は時空間を座標の軌跡で顕すような場所だから、あんまり時間の感覚とかは意味無いとかフルーが言ってた。帰ろう? エシュ」

 

「は、はい……」

 

 思わず返事を返したものの、背後の船が気になる様子の青年にミュルトが苦笑する。

 

「それね。フルーが大戦の前に造ってたの」

 

「やはり、宙域航行艦でしたか……」

 

「違うよ。それは……神様達が使うはずだった死者の船」

 

「死者の船?」

 

 曰くありげな響きにエシュが思わずミュルトを見る。

 

「この世界において神様っていうのは魂を管轄する存在なの。それは知ってる?」

 

「え、はい。一般常識程度には」

 

「端的に言うとそれは神様が自分達が今まで貯蔵したり、還流させたりしながら育ててきた旧い魂達のお家なの。それも人だけじゃなくて人以外や知的生命の殆ども含んでる」

 

「何故、そんなものが此処に?」

 

「人類や知的生命が死滅した場合にはあれが一つ一つの世界として宇宙に旅立つ予定だったから」

 

「―――聞いてもいい類の話でしょうか?」

 

「大戦で自分達が滅んだ場合の保険は掛けてたって言えば分かりやすいと思う」

 

「それではこれは……」

 

「そう、これは知的生命のお墓。でも、魂だけは肉体が滅んでも神様達が管理してきたノウハウで助けられる。だから、そういう別世界や別次元にある神様達が作った領域……教会で言うところの天国に保存された魂達と滅んだ人類の魂、全てを救済する計画が立てられてた。お墓の形にしようって案もあったけど、やっぱり縁起が悪いから船の形にして魂を管轄する神様達に配ってたんだ」

 

「……それが此処にあるという事は計画は発動されなかったという事でいいんですか?」

 

「どっちかと言うと別の理由で再利用されてるって言った方がいいと思う」

 

 ミュルトが船達の前に立つ。

 

「あの大戦で沢山の主神やそれに準じる魂の管轄者達が消え失せた。そして、その管轄下の領域、そこに保存されている魂も消える定めだった。でも、この船があったおかげで全てを保存する事が可能だったから、被害は一つも出なかったの」

 

「そ、それは僥倖でした」

 

「………」

 

「ミュルト様?」

 

「一つ聞くけど、魂を管理する神様が減った世界で死んだ魂はどうなると思う?」

 

「強い強度を持たない場合は確か……」

 

「そう、消えてなくなっちゃう。それが大陸中央諸国では一般的な智識だと思う。でも、本当は違う」

 

「違う?」

 

「正確にはその情報自体、何十年も前の話。それでも主神がいた時はマシだったけど……今、この世界で剥き出しになった魂は全て一つの存在の特異点へ呑み込まれて消えちゃうの」

 

 ミュルトが瞳を閉じる。

 

「もう唯一神がいないって言うのはエシュが来た時に話したよね?」

 

「はい。驚きましたが、そもそも僕は七教会信者ではなかったのでショックは受けませんでした」

 

「この世界の因果律の要。つまり、運命を司っていた七教会の神様が倒されて、魂の管轄者たる主神達の殆どが消え失せた後、一番問題だったのは魂が管轄されない事や神様が消えたせいでその力を必要としていた存在が被害を被った事、“じゃないの”」

 

「え……」

 

「本当に一番問題だったのは大戦で生き残った彼。世界の頚城たる彼。【因痕(キカトリクス)】の王。つまり、魔王に魂の全てが強制的に接収される事だったんだ」

 

「その……不躾で無学な事は承知でお尋ねしますが、魂が魔王に接収されるとどうなるのですか?」

 

「……知りたい?」

 

「此処まで来て知らないまま帰るのは喉に魚の小骨が引っ掛かったより余程気になりますが、そうしろと仰るならそうします」

 

 ミュルトが海水の段差に腰掛けた。

 

「魂って言うのはこの世界。宇宙を広げるものなの」

 

「宇宙を?」

 

「一部の存在しか知らない話なんだけどね。知的生命体の魂は世界という樹の根幹を為す肥料だって考えてくれれば妥当だと思う。でも、それが過剰に奪われると宇宙(き)は膨張(せいちょう)を已める」

 

 何を言われているのか。

 

 その先の言葉を読んでエシュが先取りした。

 

「魂が還元されない宇宙は収縮、する?」

 

「正解」

 

 今一何がどう問題なのか分からなかった青年にミュルトが回答を口にした。

 

「それもたった一人の存在に宇宙自体が“落ちてくる”ようになる。早くて三千年。遅くて一万年。でも、最悪の場合は時間や条件によって百年単位や十年単位になる可能性もあるってフルーが予測してる」

 

「………真実なんですよね?」

 

「嘘を言う意味が無いと思わない?」

 

 最もだとエシュは納得した。

 

「魔王が、その……特異点というやつだから、世界が終わる、と?」

 

「うん。大戦の本当の理由はね。その当時、魔王の力が強過ぎて……ファルティオーナだけじゃない。この世界の全てが魔王に向かって“落下し始めてた”からなの」

 

「つまり、天変地異はその前触れに過ぎなかったわけですか……」

 

「うん」

 

 もう何を聞いても驚かないだろうと青年は溜息を吐く。

 

 今日一日。

 

 否、都合三日で世界の知りたくない秘密をドッサリと受け取ったのだ。

 

 これで頭が混乱しない方がどうかしている。

 

「今までの話を掻い摘んで総合すると魔王のせいで世界の魂のバランスが崩れて、宇宙が崩壊する可能性がある。その崩壊でも生き延びる為の船が其処に置かれているミニチュア、という事でいいんですか?」

 

「うん。フルーの研究が進めば、魔王のせいで宇宙の全てが消え去っても、この魂の船は逃げられるようになる。そして、船を一つの世界として機能させる事が出来るようになるんだって。だから、此処にあるのは正真証明、聖典に出てくる大洪水を生き延びる為の箱舟。これがたぶん七教会の隠してる一番の秘密」

 

 全ての感情を一端脇に置いたエシュが一つの疑問を訊ねる。

 

「いいですか?」

 

「何?」

 

「では、今この大陸で死んでいく人々の魂は……」

 

「集めてる神様や超越者、頂点存在はいるよ。でも、大量の主神が消えた以上、カバーし切れない人達はいる」

 

 本来は世界に還元されるか。

 あるいは神に管理されるか。

 

 その二択だった。

 

 しかし、今は全てがただ魔王に呑み込まれてしまうだけという事実。

 

 今や神よりも七聖女に重きを置いて活動する教会の方針。

 

 彼女が何を言わなかったのか。

 

 それを見透かしたエシュの言葉は明確だった。

 

「魔王に接収された魂がどうなるかは、分かっていない。そういう事ですか?」

 

「うん」

 

「これらの事を七教会は隠しながらファルティオーナで【近代化】を進めてきた?」

 

「うん」

 

「これからも全てを隠しながら七教会は世界を保つ為、知的生命を生き残らせる為に戦うと?」

 

「うん」

 

「………無礼を承知で御聞きします。魔王に勝てなかった場合、責任をどう取りますか?」

 

「責任が取れる限りの事はするよ。フルーは船の形じゃなくて惑星規模で同じような機構が組めないかって模索してるみたいだから。もしも、そうなればミュルト達七聖女がそれを導く事になるんだと思う」

 

「………分かりました。じゃあ、最後に一つ」

 

「何?」

 

「どうして、僕にこんな事を言うのか聞きたい。僕は藩落アーズトリテの出身でいつ裏切るか分からないのに」

 

 出会った時のまま聞いてくる年下の“少年”に僅か大好きな人の顔を被せて。

 

 ミュルトは思わず笑い声を上げた。

 

「あはは、どうしてだろう。ちょっと、フルーが羨ましかったのかな……」

 

 何処か泣き出しそうな困った笑み。

 

 それがとある少年にそっくりである事を青年は未だ知らない。

 

「マディクトみたいに七教会より主を取ってくれる付き人がいたらいいなぁ~って、近頃はそう思うようになったからかも……」

 

「あの七教会の実質的舵取り役の方ですか?」

 

「うん。マディクトはフルーの事が大好きだから」

 

 それを聞いてエシュは何とも言えなくなった。

 

 聞こえようによっては自分も付き人。

 

 否、愛人が欲しいと言っているように聞こえなくも無い。

 

「………」

 

「あの……」

 

 何処か罰が悪そうに上目遣いになる上司に青年は背を向けて階段に一歩踏み出した。

 

 それを見て。

 

 これで青年と話すのも最後だろうかと少女が視線を下げようとすると。

 

「行きましょう。帰りくらいは先導します」

 

 手が差し出される。

 

 驚く七聖女にあの頃のまま。

 

 “少年”は静かに伝えた。

 

「迷子になるといけませんから」

 

「あ……ぅん……」

 

 そっと、その手に手を重ねて。

 

 ミュルト・ジオバトスは階段を一歩ずつ上がっていく。

 

「怒らないの?」

 

「どうして?」

 

 即答だった。

 

 青年に伝えた情報は膨大だ。

 

 七教会の隠してきた秘密の最たるものだ。

 

 それどころか。

 

 公式には七教会のやっている事が幾つか欺瞞とさえ断じられても仕方ない情報である。

 

 それでなくても藩落アーズトリテは七聖女の戦闘余波で崩壊した。

 

 その事は都市出身の住人ならば誰でも知っている事なのだ。

 

 大きな秘密を知ろうとも、その七教会への不信感や不の念が安易に消えるとは限らない。

 

「昔、言いましたよね? クラウゼン公爵家の偉い人は全てを教えてくれるって」

 

「え、そ、そう言えば、言ってたような……ぅん」

 

「実際、直接聞いた話じゃないですが、恩師が言ってました。クラウゼン公爵家の長、ランナ様のお言葉だったそうです。為政者の本当の仕事は民を道具のように使う事ではなく。民から道具のように使われる事だと」

 

「ランナって……」

 

 自分に大きな枷を嵌め、最後にはフルーとの一騎打ちで倒された男の名をミュルトは知っていた。

 

「その意味では自分よりも余程に七聖女の方が優秀だと言っていたらしいです」

 

「そうなんだ……」

 

「七教会の進める【近代化(レボリュション)】にしても、今の話にしても別にどうこう言うつもりはありません。僕はその立場にありませんし、自分が口を出すような事じゃないとも分かりましたから。ただ、ミュルト様。貴女が自分の命を掛けて、必死に自分を“使おうとしている事”は分かります」

 

「エシュ……」

 

「それが良い事なのかどうか僕は判断しません。ですが、一生懸命になって誰かの為に働く人間を放っておけるような育てられ方もしてません。それとずっと言いそびれていましたが」

 

 コホンと青年は咳払いをして少女に向かい合う。

 

「あの時はありがとう。僕を救ってくれて……僕の家族を、都市の人達を助けてくれて」

 

 配属されて二週間。

 

 ようやく。

 

 本当の意味で自分のやりたかった事を果たした男は微笑んだ。

 

「あの時の事があったから、僕は今も生きて此処にいる。君に感謝する。ミュルト・ジオバトス」

 

「―――」

 

 真っ直ぐな瞳。

 

 その何処に惹かれたのか。

 

 少女は思い出していた。

 

 名前も知らないのに。

 

 何故か気になった秘書候補一覧に乗っていた顔。

 

 出生地と年齢を見て気付いたのはそれがとても彼女にとって印象的だったからに他ならない。

 

 自分の手を引いてくれた姿。

 

 守ろうとしてくれた背中。

 

 それは彼女がきっと自分から手放して二度と出会う事の無かったはずのもの。

 

「……もぅ……ミュルトをそんなに煽てたって何も出来ないよ?」

 

 また前を向いて。

 

 背後から聞こえるグズグズと鼻を啜った声にあの時のまま。

 

 彼は応えた。

 

「教会に来た一番の目的は今、果たしましたから。後の時間は単に僕のこれからの目標を達成する為に使いたいと思います」

 

「目標?」

 

「大変そうな主がもう少しちゃんとした休息(バカンス)を楽しめるように宿泊施設諸々の手配をする事、です」

 

 悪戯っぽく答えが返る。

 

「ッ、あはは……それは大仕事になるかもよ?」

 

 何とか笑い声を上げた少女に何でもない事のように青年は肩を竦めた。

 

「世界の秘密を知るより、ずっと楽な事ですよ。ミュルト様」

 

「あ~!? また!! もぅ。ミュルトでいいのに」

 

「ケジメです」

 

 同じようなやり取りをしながら、二人が手を繋いでその縦穴を登っていく。

 

 奈落の先。

 

 果てなく広がる早朝の空は眩く。

 

 何処までも晴れ上がっていた。

 

 今日は快晴。

 

 新たな七聖女の副官は通信の魔導で近くで待つ船に回収を要請する事から始めた。

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