※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第三章四十九節

第三章四十九節「夜明け前の黄金」

 

―――アルヴァス亜人国首都ハガス国立中央図書館。

 

 高位魔術師のみが閲覧を許可される禁忌書庫。

 

 その最奥にて十年に一回あるかどうかの許可が下りた。

 

 その若者の事を噂する職員は多い。

 

 何故なら出自にしても魔術師としての技量にしても、特異な者と評価されていたからだ。

 

 【崩燼機関】の生みの親を父母に持ち。

 

 公式な国内魔術師のランキング上位に数年前から名を連ねている。

 

 殆ど表舞台に出てこないとはいえ。

 

 それでも彼がとても貴重な真の高位魔術師。

 

 それも空間制御における国内最高峰の研究者であると知れば、納得も出来るだろう。

 

 それ以外の分野でも語られる事は多い。

 

 自前の怪しげな教義を広める宗教団体まで保持しているのだ。

 

 実態が殆ど無い事から、裏社会では税金逃れや他多くの窓口としてのダミーだろうと言われているが、それでもひっそり活動を監視している者達は多い。

 

【空飛ぶ麺類教団】

 

 ふざけた名前だが、実は正式な準国教の一つとして国から認められていて、補助金すら出ている事実を多くの者は驚きを持って知る。

 

「………」

 

 パタンと持ち出し厳禁の禁書を元の場所へ戻して。

 

 彼アーギスト・エス・トリアは目的の情報を得た後の予備調査を終え、いそいそと三十四層の多重多連結界。

 

 一つ一つがまったく別の方式で編み込まれた隔絶空間内部から外へと向かう。

 

 光源の一つも無い暗闇。

 

 飴色というよりは樹木の朽ちたような色の本棚が数列。

 

 そこから抜け出すのに十五分掛かった彼がようやく普通の世界へ舞い戻る。

 

 カシャン。

 

 出てきた巨大な黄金の扉が閉まり、壮大な【意匠】を施された書庫の門が地面にある転移方陣内部へと沈み込んでいく。

 

 数秒で辺りは大理石製の白い床と壁のみの簡素な一室に戻っていた。

 

「ご苦労様でした。アーギスト様」

 

 書庫の管理者である紺のローブ姿の男が頭を下げて、歩き出した青年を見送る。

 

 図書館の最奥から常識的な本が存在する場所までの道程は五分程。

 

 ようやく彼が一般開放されているエリアに入ると其処には学校の制服を着たコスプレ鬼女。

 

 否、一応は学生なエンシェン・イル・フォイルがいた。

 

「フォイル女史。ありがとうございました」

 

「いやいや、色々とイクスには世話となっているからな。それにこの間の一件で学園内部の化物退治までさせた。貸しを返したと思ってくれればいい。このエンシェンに出来る事ならば、協力は惜しまん」

 

 頭を下げたアーギストがしばし現在の境界踏破に付いて軽い進捗を話す。

 

「そうか。こちらは境界踏破部隊の編成こそ済んでいるが、色々と装備の更新と侵入ルートの策定に手間取っているらしいからな。羨ましい限りだ」

 

「あちらの絶対座標が確保出来ていない内に霧が止んだからですか?」

 

「その通り。親父殿は大魔術師の連中と軍部の調整、諸々の準備に毎日睡眠時間が削られてる有様でな」

 

「……では、これを」

 

 小さな水晶球がエンシェンの手に渡された。

 

「これは?」

 

「マーキング済みの最も安全に転移が可能な場所の一覧です」

 

「……いいのか?」

 

 渡された物が現状どういう意味を持つのか理解したエンシェンが訊ねる。

 

「一つだけ約束して頂ければ」

 

「何だろうか?」

 

「こちらはまず何よりも先に進む事を優先しています。ですが、そのせいで未探査の領域がかなり多い。出来れば、我々が探していない地域を探索するルートで領域を進んで欲しい」

 

「そういう事か」

 

「ええ」

 

 アーギストが眼鏡の蔓を押し上げた。

 

【境界踏征(オーバー・フラタニティー)】の事は伏せているとはいえ。

 

 それでも多少の連携が取れれば、未探査の場所で何かが見付かるかもしれない。

 

 僅かな希望ではあったが、青年は自分達以外の可能性を育てるという選択を取ったのだ。

 

「分かった。親父殿にはそのように伝えよう。無論、その意見がそのまま採用されるかは分からないが、何も問題ないだろう。あちらはゼオ家が上手くやっているとでも言っておくさ」

 

「……一つお聞きしてもいいですか?」

 

「?」

 

 背を向けようとしたエンシェンがアーギストを振り向く。

 

「ゼオ家。精確にはイクス・ゼオの後見人たるアルゥ・ゼオに付いて」

 

「―――」

 

「……あの家がアルヴァスに存在する理由を知っているなら……教えて頂きたい」

 

「怖いな。まさか、そんな事まで調べているとは……西部の魔術論壇において神童と謳われた事だけはある」

 

「僕は最初、あのイクス・ゼオの方にばかり気を取られていた。故に多くは調べなかった。ですが、僕らエス・トリア家と同時期にアルヴァスに現れたゼオ家が僕らの家と立場こそ真逆だが、殆ど同じような境遇で亡命していたと知った時、疑問が生まれた」

 

「疑問?」

 

「僕らに匹敵する何かを平凡に見えるゼオ家が持っているのかどうか。その理由が何かと推察した時、そこにある理由へ繋がる単語は一体、何になるのか」

 

「そこまでにしておいた方がいい。此処は仮にも公的施設だ」

 

 アーギストの瞳に溜息が一つ。

 

「解った。どうせ大方の調べは付いているのだろう。いや、“調べて来たか”」

 

「……」

 

 エンシェンがふぅっと肩を竦めた。

 

「我がフォイル家は最初から亜人と認められていたわけじゃない。そして、ゼオ家当主は全てを知っていて、それでも尚我らと同じ道を歩む事と決めた。それが……ゼオ家を我が国が迎えた理由だ」

 

 アーギストがその答えを思案するより先にエンシェンは手をヒラヒラと後ろでに降って天蓋の硝子から透ける中天の陽光の下を歩いていく。

 

 やがて、彼女の姿が見えなくなった時。

 

 何かに気付いた様子の青年は深く。

 

 本当に深く溜息を吐いて、眼鏡をそっと外した。

 

「そういう、事か」

 

 いつも妹に向けているものとも、仲間達を指揮する時のものとも違う。

 

 ゾッとする程に怜悧な顔が青空を見上げる。

 

(………これがエス・トリア家に与えられた罰だとするなら、甘んじて受けても良かった……母もきっと僕と同様のはずだ……どうすればいい……どうすれば……ゼオ家がイクス・ゼオを保護する理由は理解出来た。だが、“彼ら”がエス・トリア家を許す事は絶対に無い……僕らの罪であの子を“二重に傷付けなければならない”のか……ハイダル……兄さんはお前に何をしてやれば……)

 

 青年が歩き出した。

 

 万年氷のように透き通った横顔。

 

 見る者の心に凍て付いた風を思わせるアーギストを目撃した数人の図書館利用者達が新たな噂を囁くのはそれから数時間後。

 

 彼らは一様にこう見掛けた人物の事を評した。

 

 まるで懺悔する罪人のような顔をした男を見た、と。

 

 *

 

―――赤鬼宗家本邸地下エンシェン私室。

 

 アルデルト・エスラ・ウィム・アルヴァス。

 

 猫っぽい耳が付いただけの弱々しい青年。

 

 くすんだ赤髪に顔を隠す前髪。

 

 獣人(ベスティア)型(タイプ)の“九十対十”の容姿を持つ亜人国家アルヴァスの王。

 

「エンシェェエエン!!? 鼠が!? 鼠がいたよぅ!? さ、さすがにこういう部屋は王としてアウトな気がするんだけど!!?」

 

 猫っぽい癖に猫とは無縁の気弱な性格が祟ったか。

 

 ガタガタと寝台の上に避難した彼は只管に虚弱女々しい金玉付いてんのかと蔑まれるに相応しい様子で涙目のまま、現在の保護者へ直訴した。

 

「五月蝿い。黙れ。どうして、お前はそんなに惰弱なんだ……これが我ら亜人貴族の王だとは世も末か。帰ってきて早々に気疲れするとは思わなかったぞ。内憂の徒とはお前の事じゃないのか? 我らが王よ」

 

 ベチリと頭を叩(はた)いて。

 

 所用から帰ってきたばかりのフォイル家長女が小さなテーブルの上に積み上げていた資料に再び顔を向ける。

 

「うぅう!? 僕って結構これでも繊さ―――」

 

 ギロンと睨み付けられ、シオシオとアルデルトの口内に言葉が失せた。

 

「いいか。お前の頼みを聞いたのも、親父殿の目を盗んで逃走中という偽装に手を貸したのも、お前がこのエンシェンの計画に荷担すると契約したからだ。それでなければ、誰が好き好んでお前のような奴を私室に匿うか」

 

「そ、そんなぁ!? 酷いなぁ……昔はあんなに可愛かっ―――」

 

 ゴドンッと壁際に叩き込まれた拳の跡からパラパラと埃が出るのを見て。

 

 やはり、アルデルトが押し黙る。

 

「言っておくが、我が家において拳より重いのは魂だけだ。この拳よりもお前の魂が軽ければ、安易に口を開かない方がいいぞ? 我が王」

 

「は、はーい」

 

 まるで子供のように返して。

 

 久しぶりに会ったというのにあまり好意的ではない幼馴染の背後で彼は小さくなった。

 

 地下室を改良した部屋は壁が全て魔術による分子組成強化を受けている。

 

 並みの打撃では傷一つ付かない灰色の壁と天井に掛かる魔術具の洋光(ランプ)。

 

 それからキングサイズの寝台とテーブルが一つに椅子がニ脚。

 

 これがエンシェンの私室。

 

 その全貌である。

 

 主の体格と反比例したように小じんまりした場所なので小心者のアルデルトには居心地の良い空間ではあったが、せめて壁紙くらいは普通に張るべきだろうというのが彼の意見だった。

 

「それにしても一体さっきから何を見てるのか聞いていいかい?」

 

「これか? 協力者から受け取った資料だ」

 

「協力者って、君の言ってた計画に必要なものを提供しているっていう?」

 

「ああ、今現在この資料の情報を元にして計画の要を産む準備に掛かっていてな」

 

「産む? 何かを造るって事?」

 

「いいや、産むでいい」

 

「???」

 

「とにかく今のお前には関係ない」

 

「……ドゥーズの娘なんだから、少しは笑ってればいいのに」

 

「親父殿の笑みが権謀術数用だと知らぬわけではあるまい?」

 

 自分の父親を正当に評価する娘にアルデルトが苦笑する。

 

「それでも結構優しいところはあるよ。ドゥーズは実力的にも元老院を束ねられる器だしね」

 

「そう思うなら、どうしてわざわざ“あんな厄介事”をこちらに持ってきた?」

 

「それは……王様の勘ってやつ」

 

「勘?」

 

「何だか“そうするべき”って気がして」

 

「……元老院に無断であれだけの事をすれば、バレた時の余波でお前の王位が吹き飛ぶぞ」

 

「そ、それはまぁ……でも、僕ってほら。基本的にお飾りだから!!」

 

「力説するな。その顔が泣いたり笑ったり出来なくなるまで殴りたくなる……」

 

「ひぃ!?」

 

 毛布を被った青年が後ろへと下がる。

 

「実際、“ユアル・ラオ”の様態はどうなんだ。どうせ御殿医を使ったのだろう?」

 

「それが傷は全て回復してるけど、どうも魂魄の方に異常があるとかどうとか」

 

「……この事を七教会の観測部門に察知されていれば、今頃はこの国が無くなっているな」

 

「こ、怖い事言わないでよぉ! これでも細心の注意を払って移送してきたんだから!?」

 

「七教会が現在何も言ってこないのはあの事件当日の異相境界の事があるからだ。今もそちらを重点的に観測しているのだろう。だが、それにしてもやがては地上へ視線を向ける」

 

「それはそうだろうけど、たぶん見つけられないと思うよ」

 

「何かしたのか?」

 

「実は父様に頼んで物凄く特殊な術をあの方に掛けて貰ったんだ」

 

「―――前国王まで巻き込んでいたのか!?」

 

「いっそ、僕のお嫁さんにして既成事実を作った方がいいんじゃないかって言っ―――へぶぅ!?」

 

 ガコンと寝台が揺すられ、転がったアルデルトの前にエンシェンの顔がズイッと近付く。

 

「手を、出したのか?」

 

 ブルブルと首を横に振ったアルデルトの反応に嘘は無いようだと確認して。

 

 再びエンシェンが椅子に戻る。

 

「それで前国王は他に何と?」

 

「父様が言うには今のユアル・ラオの状態は素に近いんじゃないかって言ってたよ」

 

「素?」

 

「よく国の近くを移動する時に探りを入れてたらしくて。何でも魂魄の感触が人間に近かったとか」

 

「……あの方はあの方で昔から色々と問題行動が多かったと聞くが、あんな相手に対して探りを入れるとは大胆不敵にも程があるな」

 

「父様は凄い方だからね」

 

「お前の万倍な」

 

「ぅ……」

 

 墓穴を掘った青年がモソモソと毛布に包まったまま寝台から降り立ち、片方の椅子に腰掛ける。

 

「そ、それよりもエンシェン。僕は一体どうすればいいんだい? この間から具体的なことは何も無しで此処に隠れてるけど」

 

「お前は一応、この国の王だ。王という事はそれだけで特権が発生する。王侯特権はそもそも民相手にだけ存在するわけではない。魔術的にもかなりのアドバンテージだ。お前には幾つかの儀式に王としての名を貸してもらう事になっている」

 

「儀式……それって境界に関するもの?」

 

「ああ、そうだ。国土全域に張り巡らせて有る概念魔力を生み出す力の事は知っているな?」

 

「【貴族連盟登録者(パリスホルダー)】の顕彰(バッジ)を媒体にするやつの事かい?」

 

「あまり知られていないがアレは一種の【無限機関】だ。貴族の世襲に対して概念域からの魔力を抽出、その術式を動作魔力0で国土全域に固定化しているからな。今の七教会にもすぐには用意出来ない力だ」

 

「へぇ。ご先祖様って凄かったんだ」

 

「当たり前だ。神と魔。異種と人。全てが混沌とした創成期の状況。軍事力だけで言えば、西部最強に近かったはずだからな」

 

 資料を次々に暗記しながらスラスラと答える鬼女の様子にやっぱりエンシェンは凄いなぁとアルデルトが納得して頷いた。

 

「そう言えば、今日ってお祭りがあるとか言ってなかったっけ?」

 

「ん? ああ、そう言えば、水性系の連中が学園で放課後に祭りをするそうだな。二日続けてやるそうだから、仕事が終わったら、連れて行ってやってもいい」

 

「本当かい!? 僕って庶子の暮らしには疎い方だから、楽しみだよ♪」

 

 これから祖国が滅ぶかもしれないというのに重圧の欠片も感じていないような顔。

 

 エンシェンは「これはこれで大物なのかもしれんな」との感想を持ちつつ、今も学校にいるだろう少年の事を思い浮かべた。

 

(こいつにイクスの百分の一でも力が在れば、コソコソする必要も無く、取れる選択肢も増えるのだが……)

 

 無いモノねだりかと。

 

 溜息一つ。

 

 歳若き鬼女は常人なら数人で数百日掛かりになるだろう情報の解析を一人こなしつつ、息抜きでもしにいこうと学園に往く事を内心で決めた。

 

 *

 

 アルヴァス・カレッジにやってきた梅雨にしては珍しい晴れ時。

 

 水性亜人達にとってはガッカリだったのだが、他の陸上生物系の亜人達にとっては爽やかな放課後。

 

 漏れなく亜人貴族のみで構成された学生達の財力に物を言わせて。

 

 無数の出店が校庭に聳える透明な宮殿内へ現われていた。

 

 出店と言っても、亜人貴族御用達の立派な本店を持つ店舗ばかりだ。

 

 飲食、宝飾、魔術具、雑貨、武具、その他諸々多くの業界から招かれた一流店。

 

 それが通常よりも割安で買えるとあって、貴族の子弟達も財布の紐が緩みがちだ。

 

 今も昔も水貴祭のテーマは水と海洋性亜人。

 

 内部では海豚や魚や水に関する様々な生物の姿を模った亜人達がドンチャン騒ぎに興じている。

 

『おぉおおっと!! 此処で三番が早押しを征した!! お答えをどうぞ!!』

 

「ガイラの西部!! 人魚印の伏流水!!!」

 

『せ、正解だぁあああああああああ!!! これで三番のポイントがトップと並んだぁあああああ!!! 今年の聞き水選手権は波乱だぁああああああ!!!』

 

 ちなみに学生と言えども、亜人貴族。

 

 無礼講という事で酒精(アルコール)の類も今日はほぼ無料で提供されており、大陸各地から仕入れた地酒、銘酒、新興の銘柄がズラリとフリースペースと化した宮殿大広間の壁際に樽ごと置かれていた。

 

 魔術で水を固めているので基本的に背景を透過する以外に宮殿内部はあまり普通の建物と変わりない。

 

 水性系亜人達が出入りする水中呼吸出来る種族か魔術を習得した者オンリーの一角もあるが、そちらにはあまり人気が無かった。

 

 盛り上がっているメイン会場では様々な催しが行われていて、年頃らしい熱狂の渦に包まれている。

 

「じゃあ、いっせーのーで」

 

 宮殿の上層階。

 

 百貨店の出店(でみせ)内で少年の合図が掛かる。

 

 全員が持っているのは小さく魔術で封がされた掌サイズの三角紙。

 

 少し魔力を込めて特定の文言を唱えれば開封される運試しの富籤(とみくじ)だった。

 

「四等!? 当たりましたわ!! イクス!!」

 

 思わずウルが目を見開いて紙に書かれた4の文字に所狭しと景品が並んでいる壁際の棚を見た。

 

 四等の景品は女性に人気の下着(ランジェリー)セット。

 

 おぉおおおと周囲の生徒達から少しどよめきが起きる。

 

「な、ななな、何でわたくしに限って?! うぅうう、さ、先に行ってますわよ!?」

 

 恥しさに顔を染めて銀尻尾の超乳部長が1抜けたとばかりに本来の目的地へ一足先に逃げ去っていった。

 

 その手にはしっかりと受け渡された大陸中央式の下着詰め合わせ袋が握られている。

 

「当たった!! イクス!! ゴハン!! 一年分!! サントウ♪」

 

 次に目をキラキラと輝かせたのはシルルゥだ。

 

 三等の景品の棚にあるのは目録。

 

 百貨店内の展望レストラン。

 

 その無料バイキング一年分パスポート。

 

 一日一回入れるらしく。

 

 少年はその店が半年を待たずして潰れる未来を感じた気がした。

 

「あ、あ、当たりましたよ!? イクスさん!!? 見て下さい!! こ、ここ、これ!? 二等です!!?」

 

 仰天したらしいエストリアが思わず震える腕で紙を頭上に掲げた。

 

「に、二等は!? 二等は、ええと!?」

 

 ようやく二等景品の目録を見つけた少女が書かれた文字を凝視する。

 

「無担保無利息教育融資返済期限最長100年? これって……」

 

 店員がニコニコとして少女に近付いて来た。

 

『おめでとうございます。お客様~~こちらは当店自慢の四代末まで大丈夫、利息も担保も無しで最長百年を返済期間とする教育融資でございます。お客様のお子さんやお孫さんの代まで使える優れもので、当社が全額負担させて頂きます。尚、融資上限は―――』

 

「え? え? あの、ちょっと?!」

 

 生徒としてはアレだが、基本的に学業にあまり熱心ではないエストリアが店員に説明の為、店舗奥へと連れられていった。

 

「あ、八等」

 

 さっそく二人も退場した後。

 

 璃紗がおもむろに自分の等数の棚を見上げる。

 

「これって、ヌイグルミ?」

 

 棚にあったのは小さな向日葵色をした獅子のヌイグルミ。

 

 デフォルメされた姿は愛らしく。

 

 店員から籤と引き換えに両腕に納まる程のソレを受け取った璃紗が満面の笑みを浮かべた。

 

「フカフカ♪ イクス。この子、お部屋に置いていい?」

 

「僕に言わなくても。璃紗の部屋ならきっと居心地がいいんじゃないかな」

 

「うん!」

 

 シルルゥが璃紗の持つヌイグルミに触れて可愛い可愛いと燥ぎ。

 

 そんな微笑ましい二人を連れて少年がエストリアに一声掛けた後、目的地へと向かう。

 

 途中、背後から「置いていかないでください~~(涙)」と声が聞こえたものの、まだまだ店員が話してくれそうにない少女は一人脱落した。

 

「……」

 

 水の宮殿を階段で昇る傍ら、少年は周囲の気配を探る。

 

(やっぱり、来てないみたいだけど)

 

 祭りに来ると言っていたはずの美紗の姿は未だ何処にも無い。

 

 エルフの少女瑠紗も一緒に連れて来るものと思っていた少年はもう少しで暮れようとしている夕日を見上げる。

 

 水の宮殿は既に黄色へ染まりつつあった。

 

 内部は古風な造りの宮殿なので初めての生徒達は周囲を関心した様子で眺めている。

 

 金色に煌めく世界。

 

 誰もが笑顔に包まれていた。

 

 其処には亜人も人間も無かった。

 

 燦爛(さんらん)たる様は遠目にもきっと惹かれる眺めだろう。

 

 情景に感嘆の息を漏らす男女があちこちで寄り添っている。

 

 それを見てか。

 

 シルルゥも璃紗も嬉しそうに少年の両手を掴んで離さない。

 

「綺麗だね。イクス」

 

「キレイ。ね? イクス」

 

「うん」

 

 二人の声に頷きを返しながら、一時の長い夢を見ているような、そんな錯覚に陥って。

 

 少年は“意識が飛んだ”事も悟らせず。

 

 イソイソと宮殿の屋上へと上がった。

 

 校庭全てを使っただけの事はあり。

 

 その面積はかなりのものだ。

 

 本来、屋根や塔があるべき場所には恐ろしく広い水溜(プール)と荷物を預ける一角が設けられていた。

 

 既に数十人がちらほらと入っているが、未だ満員には程遠く。

 

 カウンターと黒い水が使用された更衣室だけが少し浮いている。

 

 泳いでいる者もいるが、泳がずに愉しんでいる者も多い。

 

 水溜(プール)内部は複数の区域に分けられており、公共の泳ぐ為の場所だけではなく。

 

 魔術で外部から内部を見えないようにしたプライベートルームまで確保されていた。

 

 少年と璃紗とシルルゥがカウンターで小さな色の付いた水製の鍵を受け取り、男女別の更衣室で水着に着替えた後、予約済みの一室へと足を向ける。

 

 璃紗は控えめな黒地のセパレートタイプ。

 

 シルルゥは水玉模様のお子様感満載なフリル付きのもの。

 

 どちらも愛らしい代物だ。

 

 可愛い可愛いと二人が互いに水着を批評し合う様子に少年はやっぱりこういうところは女の子なのだな、と口元を緩めた。

 

 途中、三人の後ろから猛烈な勢いの足音が近付いて来る。

 

「イクスさ~ん」

 

「エストリア?」

 

「うぅ。酷いです!! 置いて行くなんて!?」

 

 ゼハーゼハーと息を切らして追い付いて来たエストリアは近頃流行りの大陸中央式とは違い。

 

 薄い絹製の学校指定の白い水着姿だった。

 

 下半身を覆うのは腿を縁取るかぼちゃの様な絞りの下穿き。

 

 上は袖無しのふんわりとした羽織が紐で止められている。

 

「でも、目録の説明とかあったんじゃ……」

 

「いいんです!! 途中で家の住所を教えてきましたから!! “保護者”が何とかしてくれるはずです」

 

「保護者……」

 

 何かと便利に使われている少女の兄に少し同情しつつも、少年がエストリアをマジマジと見る。

 

「ウチの学校の水着ってそういうのだったんだ……」

 

「ぅ、こ、これは兄さんが大陸中央式みたいに無闇に肌を晒すようなものは断固認めないとか屁理屈を捏ねたからであって、私のセンスじゃないんです!?」

 

「そうなの?」

 

「そうです!! 本当なら私も璃紗さんやシルルゥさんみたいな水着が良かったのに……ぅうぅう、兄さんの馬鹿……」

 

 何処か恨めしげに罵る少女の頭をポンポンと少年の手が撫でる。

 

「でも、十分可愛いと思うけど」

 

「え、そ、そう、ですか……?」

 

 おずおずと訊くエストリアに頷きが返される。

 

「そ、それなら別にいいですけど……」

 

「先にウルが待ってるみたいだし、話は個室の方でしよう」

 

「分かりました」

 

 多少、少年の剥き出しな上半身にドキドキしつつ、少女が共に歩き出した。

 

 彼らが事前に取っていた場所は宮殿の端。

 

 周囲が一望出来る絶好の場所。

 

 プールサイドには手摺らしきものが無いように見える。

 

 が、実際は魔術による転落防止措置が取られていて、飛び降りたりする事も出来ない。

 

 外側から区切られた一角は魔術による防音と透明化によって周囲からは何も無い場所として見えるが、実際にはカウンターで渡された鍵で入ると水中にテーブルや椅子が据えられている。

 

 床に刻まれた数字を確認しながら、ようやく少年はウルが先に入ったと思われる場所を見つけて、鍵で内部への扉を開けた。

 

「ようやく来ましたわね」

 

 そのまま少年を皮切りに全員が境界を越えると姿が見えなくなる。

 

「イクス。何か変な感じで面白いかも……」

 

 さっそく水に身を浸した璃紗がまるで普通に壁の無い水溜(プール)にしか見えない室内の不可視の壁を触りながら少年に笑い掛けた。

 

「中からは外へ出られるように見えるのに……進めないんですね。あっち側からも見えてないんですよね? イクスさん」

 

 エストリアが水中の椅子に座りながら、見えざる壁の先から風が吹き抜けてくるのに驚いた様子となった

 

「一種のフィルターみたいなものなんだと思う」

 

「ふぃるたー?」

 

 パチャバチャと愉しげに水に浮かんで少年の腕に捕まっていたシルルゥが首を傾げた。

 

「空気の屈折率を変えたりする魔術って結構簡単に出来るものだから。複数の魔術を組み合わせたら、壁があるけど風は通したり、外側から見えないけど内側からは見えたり、そういうのも可能だよ。アーギストさん辺りなら、同じ事が出来ると思う」

 

「確かに兄さん辺りなら、こういうのも普通にしちゃうかもしれません……」

 

「イ、イクス」

 

「どうかした? ウル」

 

 一人待っていたウルがズイッと少年の正面まで近付いてくると水中のテーブルにノシッと巨大な膨らみを載せて少年の方へ身を乗り出した。

 

「わ、わたくしに言う事があるんじゃないかしら?」

 

「えっと……」

 

 何を言われているのかは理解しつつも、途中から少し視線を逸らし気味にしていた少年が真正面から銀の巻き毛に彩られたウルを見つめる。

 

 わざと見ないようにしていたのは銀狐の彼女がまるで女神のように神々しかったからだ。

 

 艶やかに潤んだ瞳。

 

 震える瑞々しい唇。

 

 黄金の夕景に鏤めた星座のように美しい。

 

 縊れた腰も豊満な臀部も女を主張する胸部に至ってはどんな布で覆われていても眩い。

 

 水着なんて有って無いようなものだ。

 

 そもそも申し訳程度の紐で肩から胸を吊るすタイプの上、紺の布地は殆ど隠すという本来の役割を果たしていない。

 

 布から零れそうな白い肌を強調し、肥大化した桜色の乳輪が端から見えてしまっている。

 

 股間を覆う布地にしても大きな尻を全て蓋う事は出来ず。

 

 布地が食い込んだ肌が淫靡に過ぎた。

 

 端的に言うなら、室内で二人切りとなった男を誘う為としか思えない姿。

 

 少年が他の少女達がいる手前、視線を逸らしたのも道理だろう。

 

 肉体を完全にコントロール出来る少年とはいえ。

 

 魅力的なものは魅力的なのだ。

 

 肉体的にも精神的にも深く繋がった相手がそんな恰好で傍にいるのだから、並みの男達が妄想するような事を思わないわけでもない。

 

「凄く綺麗だと思う。けど」

 

「けど?」

 

「あんまり他の人には見せたくない姿、かな……」

 

 思ってもいなかった言葉を返されて。

 

 驚いていた唇が僅かに緩む。

 

「……じゃあ、わたくしの姿を貴方の影で隠して下さる?」

 

 クスリと情欲に満ち満ちた流し目でウルが少しだけ胸元を揺らした。

 

「「!??」」

 

 ふるん。

 

 あくまでそんな軽やかな擬音がエストリアと璃紗の脳裏に響く。

 

 大きいだけではない。

 

 柔らかさをも兼ね備えた女の武器の破壊力に苦戦必死を自覚した二人の額に汗が浮かんだ。

 

「イ、イクスさん!! 何、だらしない顔してるんですか!? ウルさんの胸ばっかり見ちゃダメですよ!!」

 

「そう!! おっぱい見過ぎはダメなんだから!!」

 

 半笑いにもなるだろう。

 

 何を言っても言い訳に過ぎないと理解するからこそ、少年が少し視線を逸らす。

 

「どうしたの? イクス」

 

 何をやっているのかと首を傾げたシルルゥが首を傾げた。

 

 賑やかな少女達とのやり取りに早く常識人な獅子少女が来ないだろうかと。

 

 しばしの間、待ってみても一向に来る気配が無い。

 

 そう言えば、此処数日見掛けていないと思い起こして。

 

 姦しくお喋りする女性陣の横で少年は魔術による通信を美紗の側へと入れた。

 

 しかし、応答は無く。

 

(……出ない。意図的に通信を切ってるか。出られる状況に無いか。でも、一人で境界側に行くような素振りなんて無かったはず……)

 

 そんな時だ。

 

 少年の瞳に黄金の鬣がチラリと見えた。

 

 プールの内部。

 

 水中行動可能な亜人や魔術が使える者だけの専用通路の奥にそれらしき人影。

 

「ちょっとお手洗いに」

 

 少女達にそう伝えて。

 

 イソイソと一角から抜け出した少年が離れた場所にある立て札の下まで行くと水中へと身を躍らせる。

 

 足の付かないトンネル。

 

 宮殿内部に続く道を泳ぐと数人の水性亜人達と行き交っていた。

 

 人影を追って人気の無い方へと進んで行く途中。

 

 少年がようやく気付く。

 

 僅かに白いものが水に混じり始めていた。

 

 それはまるで大気に攪拌されている時のように視界を遮る。

 

 濃くなっていく白濁。

 

 宮殿を下っていく度に現実が遠くなっていくという事実。

 

 最下層である校庭の地面まで降りれば、もう周囲に人気は無くなっていた。

 

 本来透けるはずの水は透明とは無縁となり、少年は自分が広大な宮殿の大広間にいると気付く。

 

 煙る視界の先。

 

 後姿を認めて。

 

 僅かな希望を込め、声が掛けられた。

 

「先輩」

 

 ピクリと反応した背中。

 

 黄金の鬣が震える。

 

『――――――どうして』

 

 言葉が少年の耳元に響いた。

 

『どうして、ですか?』

 

 問う声。

 

『貴方は正しくない』

 

 確信を込めた断言。

 

『正義じゃないのに……皆、貴方に惹かれていく……』

 

 物悲(ものがな)しい波。

 

 それは選ばれなかった悲哀を秘めて。

 

『貴方よりも力があれば、誰かの役に立てると思った』

 

 振り返る姿はまるで別れを切り出す女さながら。

 

『けど、私は何もかも及ばない。貴方の決意に在り方に届かない』

 

 コポコポと広間の水が美紗を中心として沸騰する直前の鍋底を思わせて水泡を上げていく。

 

『イクス・ゼオ。私は貴方が大嫌い』

 

「先輩……」

 

 少年は瞠目した。

 

 どうしてこんな事になったのか。

 

 分かりはしない。

 

 ただ、解っているのは……その選択が彼女自身のものであるという事だけだ。

 

 それは悪意ではない。

 

 それは闇ではない。

 

 それは影ではない。

 

 でも、絶望なのだ。

 

 深い深い何処かに彷徨う己の形。

 

『嫌い。嫌い。嫌い。大嫌い……』

 

 黄金の色をした鬣がゆっくりと萌えて。

 

 黄金の色をしたまま、炎と化していく。

 

『私の大切なものを、私じゃないのに幸せにしていく貴方が嫌い』

 

 肌は焼かれぬまま。

 

 制服は燃え散り。

 

 その肉体を黄金の埋み火の鎧で蓋っていく。

 

 あらゆる“熱量”を償却して、世界を輝かせる真正の神災。

 

 揺らぎ纏う力。

 

【サイショ、ソレハヒカリデァッタ】

 

 何処からか声が周囲を震わせる。

 

【ツヅイテカガヤキデァッタ】

 

 巨大なる意思。

 

【ミタサレタモノデァッタ】

 

 いや、もう全てが捻じ曲がったソレ。

 

【シカシ、テンヨリフリキタルモノワヒトノカタチヲトルニイタッタ】

 

 侵蝕されつつある意識を無理矢理強引に切り替えて。

 

【スベテワトウトキユイイツヲオシエンガタメニ】

 

 少年は美紗の背後で揺らぐ黄金の鬣が翼の如く広がるのを見た。

 

 その表層に無数の瞳が浮かんでいく。

 

『私の妹を幸せにする貴方が嫌い』

 

 既に相手の力が一人でどうにか出来る階梯(レベル)を超えていると悟ったところで、逃げ出せるわけも無い。

 

 連絡を取ろうにも通信は繋がらず。

 

 誰かに事情を話している余裕も無い。

 

 目の前にいる存在がどんなものか。

 

 知らなくても肉体は感じている。

 

 瞬きすら許されない相手。

 

 力の差は歴然。

 

 もし、攻撃を避け損ねれば、少年は肉体を復元させる間も無く消し飛ぶだろう。

 

 だが、攻撃を避ければ現実に実害が出てしまう。

 

 それ程の力の差である以上、如何なる一撃だろうと受け切らなければならない。

 

 でなければ、無闇に死人を量産する事となる。

 

 半ば状況が既に詰んでいる事を理解しながら。

 

 それでも少年は今にも泣き出しそうな少女の独白を静かに聞く。

 

『返して……返してよ……』

 

 屍蝋の能面。

 

 未だ、何も描かれていなかった其処に黄金の炎が文字列を刻んでいく。

 

 ジリジリと焦がされた焼き痕(あと)曰く。

 

【羨望者(インヴィディア)】

 

 その両の手に現われる剣と弓。

 

 神器(じんぎ)と教会の一部では称される【天環(ハイロウ)】を持つ者のみに許される力。

 

 ふわりと彼女の頭上に萌え盛る黄金の輪が浮かんだ。

 

 【天の軍勢】(ツェバオート)

 

 五年前に消え失せた大陸秩序を司る最終フェイルセーフ。

 

 大陸中央に存在する【天門(ゲート)】を守護してきた大天使達の力を前に少年は全てを覚悟する。

 

『返しなさいよッッ!!? イクス・ゼオッッッ!!!!!!!』

 

 激高と共に10000分の一秒以下で放たれた揺らぐ黄金の翼。

 

 その純粋物理打撃が少年の辛うじて呼び出した剣をいとも容易く消滅させて―――。

 

 凡そ一恒星にも匹敵し得る質量に競り負けた肉体の八割を跡形も無く消し飛ばした。

 

「ごめん」

 

 誰に謝ったものか。

 

 輝きが濡れる断面を晒しながら、少年は片腕と皮一枚で繋がる鎖骨、頭部のみの有様で囁く。

 

「君を―――必ず―――」

 

 全てが言い切られる前に返した翼の一撃が少年の全てを蓋うように振り下ろされた。

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