※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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閑話休題者達Ωの投稿となります。今回は非常に長く。非常に重たい話になりましたが、後味は左程悪くないかと思われます。ちなみにこの1話が実は今までの連載で一番長いものになりました。従来の五倍。読み応えと反応も五倍だったら嬉しいな(>_<) 現実はそうもいかないのでしょうが、これでかなり三章の話を圧縮したと思います。目標は三章を百話以内で完結して四章へレッツゴーです。ヒロインの一人と四章の布石。他にも昔話が沢山出てきましたが、こういう話はまた四章でも出来ればいいなと思います。では、次回。PSめっちゃ長かったDEATH(´・ω・`)

*四万字以上だったので分割しました。


第三章五十六節1

第三章五十六節「閑話休題者達Ω」

 

―――旧暦????年??月??日

 

 鮮やかに萌える若葉が眩しい。

 

 そんな穏やかな山深い渓谷。

 

 昼時の炊事に煙が上がる集落から凡そ三里。

 

 山側に寄せた狩場で彼女フェシリアは喜びの声を上げていた。

 

「やったぁ♪ フラウツ!! 縄!! 縄!!」

 

「はいはい。まったくお嬢は狩りの天才だなぁ。はは」

 

 草臥れた風体の男がイソイソと窪地で倒れた猪に縄を掛ける。

 

「アルヴァート!! さっそく運んで!!」

 

「お嬢。長の言い付けを守らなくていいのか? オレはあんまり気が進まねぇ」

 

 海の荒くれのようにも見える巨漢がボリボリと頬を掻いた。

 

「何気弱な事言ってんのさ。これから産まれてくる子に祝いの一つもやりたいじゃないか。父さんもどうして許可しないんだか。ようやく私達の氏族に出来た新しい子なのにさ」

 

「まぁまぁ、お嬢もその辺で。祝ってやりたいって気持ちは皆同じ。ただ、長も長で色々とあるんですよ。ええ」

 

「そりゃ、子供だけじゃなくて、姉さんも祝ってやりたいってお嬢の気持ちは分かるけどよ。後でどんな叱りを受けるか……」

 

 少女フェシリアはまだ十代。

 

 アルヴァートは三十に入った頃合。

 

 フラウツは二十後半。

 

 それぞれに歳はバラバラであるものの、彼らの間にある連帯感や結束は固い。

 

 それは三人の気安い様子を見れば一目瞭然だろう。

 

「ふぅ。そろそろ引き上げるよ。いつ生まれてもおかしくないんだから」

 

 獣皮を使った北部特有の衣装は春を迎えた今、そろそろ衣替えの季節。

 

 全員が白い髪を項に張り付かせて、額に汗を浮かべていた。

 

「分かりました」

 

「おう」

 

「生まれたなら、どんな話をしてあげようかしら。騎士の話もいいし、お姫様の話もいいわね。でも、騎士なら黒騎士の話がいいかしら?」

 

「お嬢は気が早ぇな。ははは」

 

「本当だ」

 

 アルヴァートとフラウツが苦笑した。

 

 三人が村落に向けて歩き出す。

 

 アルヴァートの肩には大きな猪が背負われていた。

 

「出発♪」

 

 数十年前から森の奥深くで見かけるようになった彼ら白い体毛の一族を地域の猟師達は白様(しろさま)と呼んでいる。

 

 何故、様なんて付けられるのか。

 

 それは彼らがとても魔術に長けた一族であるからだ。

 

 交流を持つ者はよく外界の情報や工芸品、娯楽物と引き換えに魔術での助けを受けた。

 

 故に猟師達は極力相手の事を詮索せず。

 

 持ちつ持たれつの関係を続けている。

 

(姉さん。喜んでくれるよね……)

 

 いつも優しい姉の微笑みを思い浮かべて、フェシリアの顔が綻ぶ。

 

 一族が二つ目の祖国を追われて数十年。

 

 彼女達の一派は大陸を周遊する本家筋から分派した一家だ。

 

 ただ、普通の分派とは違って、今も血筋を薄めずに山奥で暮らしている。

 

 時折魔術で齎される長への手紙が今も本家との繋がりが色濃い事を彼女にも理解させていた。

 

 三人が森から一時間程掛けて自分達の集落へと戻る。

 

 森に隠された一角。

 

 ひっそりと聳える丸太と煉瓦を組み合わせた北部では立派な部類に入る家屋の群れ。

 

 それが十数軒。

 

 森との境は曖昧なように見えるが実際は魔術で監視されていて、入れる存在も制限されている。

 

 野生動物が入り込む事は無いし、人間にしても見つける事は彼らと同等以上の魔術師でなければ不可能に近いだろう。

 

 イソイソと門を潜った先。

 

 フェシリア達は最も奥に位置する家屋というよりは屋敷と言うのが相応しい場所を目指して進んでいく。

 

 すると、屋敷の木製の大門が開け放たれている事に全員が気付いた。

 

 いつも彼らが使うのは大門の横に置かれた小門ばかり、フェシリアもそれが開けられた記憶は生まれてこの方無い。

 

「誰かお客さんのようだ。ふむ……」

 

 フラウツが考えた様子になって立ち止まった。

 

「おい。フラウツ。何ボサッとしてんだよ?」

 

「いや、長らく此処が空けられた事は無かったんだ。君だって、僕と同じで子供の時以来のはずだ。アルヴァート」

 

「あん? そうだったか? ま、んなのはどうでもいい。さっさと捌かねぇと鮮度が落ちる。厨(くりや)の裏を借りるぞ」

 

「うん。お願いね。アルヴァート」

 

「任しといてくれ」

 

 ニカリと笑んで、これからが自分の仕事だと巨漢が屋敷の裏手へと消えていく。

 

「フラウツ。分かってるわよね?」

 

「え? いやぁ、長に色々と言い訳するのは出来れば御自分で為さ―――」

 

「分かってる、わ・よ・ね?」

 

 ガシッと肩を掴まれてフェシリアがズイッとフラウツの瞳を覗き込む。

 

「……はぁ、分かりました。お取り成しはしますよ。ええ、お嬢を諌められなかったですから」

 

「ありがと。ふふ」

 

 二人が玄関に入る。

 

「おや? これは……」

 

 すると、本来毛皮や外套を掛けておく場所に見慣れぬ褐色のマントがあった。

 

「やっぱり、誰か来てるみたい。家の者に聞いてみましょう」

 

 靴の土を猛獣の剛毛を使ったブラシで落とし、フェシリアが早足で内部へと駆けていく。

 

「あ、ちょっと待ってください。お嬢!!」

 

 その素早い動きに付いていけず。

 

 モタモタしていた彼は一分程遅れて後を追った。

 

 廊下を進んだ先。

 

 彼がフェシリアの姉が横になっている一室へ向かっていると叫びが聞こえた。

 

『お父様!!』

 

 これは何かあったと慌てて彼が部屋の前まで行くとドアが開きっぱなしになっていて、中から喧騒が聞こえてくる。

 

「どういう事なの!? 何で!? どうして、そんな事になるのよ!?」

 

「落ち着け。フェシリア」

 

「どうかなされましたか?」

 

 柔和な笑みでフラウツが親子の間に割って入ろうとした時、ドアの内部にフェシリアと長、それから彼女の姉以外の人物を認めて……ようやく彼は事態を飲み込む。

 

 彼ら一族と同じ白い体毛。

 

 細い身体の眼鏡を掛けた青年。

 

 何処か学者の卵のようにも見える男の細腕には生まれたばかりの赤子が肌着に包まれ、抱かれていた。

 

 気を失っているらしきフェシリアの姉は出産後だからなのか。

 

 あるいは意識を強制的に落とされたのか。

 

 汗を掻いてグッタリとしている。

 

「フラウツか。フェシリアをこの場から連れて行け」

 

「お父様!?」

 

 長い顎鬚を伸ばした初老の男。

 

 魔術師として一族最高の力を持つその壮年の相手こそフェシリアの実父にして長を務める存在。

 

 一族の誰にも彼の意見を曲げる事は出来ない。

 

 が、フラウツも何があったか察した手前、心得ていた。

 

 このまま連れて行ったところでフェシリアの気が済む事は一生無いだろうと。

 

「畏れながら。長よ」

 

「フラウツ。お前も意見するか?」

 

「いえ、これは上申だと思って頂ければ」

 

「……分かった。何だ?」

 

「此処はフェシリア様に落ち着いて頂く為にも経緯をお話するべきでしょう。勿論、そちらの本家の方も交えて」

 

 顎鬚を撫でて仕方なさそうに頷いた長が家の使用人達を呼ぶと赤子とフェシリアの姉を預け、一端応接間へと移動する事を了承した。

 

 全員が応接間に座る。

 

 フラウツとフェシリアの対面には長とナヨナヨした青年。

 

 彼女の険しい視線は専ら、その赤子を連れ出そうとした相手に向けられていた。

 

 そこで長から話された事は彼女達の一族の宿命。

 

 本家筋の数が減少した場合に分家筋の中でも血統を保ち増やし続ける家から赤子を譲り受けるという契約。

 

 それが彼ら一族の分派が許された理由。

 

 大地に根を下ろして生きる為の条件だった。

 

「そんな……そんなの!? 姉さんがどれだけこの子が生まれるのを楽しみにしてたか!? お父様だって知らないわけじゃなかったでしょう!!」

 

 出生率が低いラグナロクの氏族は今までもそうやって大陸中に分派した一族から養子を取る事で血筋を保ち続けてきたのだと長が説得しても頑としてフェシリアは納得しようとはしなかった。

 

 それを見かねてフラウツが助け舟を出す。

 

「長。まだお話されていない事があります。それをどうかフェシリア様に」

 

「黙れフラウツ!! それは言うな!!」

 

「何よ!? フラウツ!? 貴方も何か知っているの!!?」

 

「フェシリア様。今回の赤子が連れて行かれるのは―――」

 

「フラウツ!! それ以上言えば、お前を追放する!!」

 

 一族内の不和を見かねて青年が肩を竦める。

 

「フェシリア様でしたか。今回赤子を連れて行く事となったのはそもそも貴女のせいなんですよ」

 

「え……!?」

 

「エムント殿!?」

 

「長。此処で長く足止めされると転移での移動に支障が出ます。此処はこちらが責任を持って納得させますので。しばし、黙っていて頂きたい」

 

「く……」

 

 長が俯く。

 

「ねぇ!? どういう事!? 私のせいって、何なのよ!?」

 

「ラグナロクの一族はそもそも出生率が低い。純潔を残す分派には掟があり、その一つとして一家族に二人目の同性が生まれた場合は本家へ預ける事が義務付けられているんです。ですが、前回この集落へ伺った時、長は我々に二人目を預ける事を拒否した。その代わり、次の代では産んだ子を二人本家へ養子に出すと契約したんです」

 

「そんな、じゃあ……」

 

「ええ、貴女が養子に出されなかった代価を今長は払おうとしているわけで、さすがに本家も二回目の拒否は許容しないでしょう」

 

 フェシリアが泣きそうな顔になった。

 

「私、私が……」

 

「お嬢……此処は耐えて下さい。我々にはどうしようも……」

 

 フラウツが倒れそうなフェシリアの肩を持つ。

 

「では、そういう事で。あの赤子は養子として受け取り、本家において然るべき養育を―――」

 

「……く」

 

「?」

 

 呟いたフェシリアに眉根を寄せたエムントが首を傾げる。

 

「なら、私が行くわ」

 

「フェシリア!?」

 

 驚いた長が止めようとするも、すぐさまに燃えるような瞳で彼女が立ち上がり、エムントを睨み付ける。

 

「本家としてはちゃんとした養育を小さな時から行なうのが筋だと思っています。分派に染まった貴女では我々が望むだけの働きは出来ないでしょう」

 

「なら、試せばいい」

 

「……本気ですか?」

 

 エムントが僅か正気を疑ったように問う。

 

「ええ、それでもダメなら諦めるわ。でも、もしも、試して本家に入る資格有りと見なせば、あの子の代わりに連れて行きなさい」

 

「どうやら、本気のようですね。分かりました。では、さっそく試してみましょう」

 

 エムントと共にフェシリアが部屋の外へ出て行く。

 

 それを長は何も言えずに見守る事しか出来なかった。

 

「フラウツ」

 

「何でしょうか。長」

 

「あの子を、よろしく頼む」

 

「お任せを。フェシリア様は我らの宝なれば」

 

 頭を下げて二人を追ってフラウツが外へ出ると。

 

 既に館の中庭で二人一定の距離を取って対峙していた。

 

「では、こうしましょう。私に一撃でも入れる事が出来れば、貴女を代わりに連れて行くよう本家に口利きする。もしも、ダメならば潔くあの赤子は諦める。いいですか?」

 

「ええ」

 

 戦いが始まって終わったのは二時間後。

 

 明らかに格上のエムントに対して意地と気力と意思で立ち向かった彼女は一矢報いた。

 

 結果として本家との協議で決まった事は二つ。

 

 赤子の代わりにフェシリアが本家入りする事。

 

 そして、もう二人長と子供以外の者を本家へと渡す事。

 

 彼女は何度も何度も感謝と謝罪を繰り返す姉に微笑み。

 

 勝負から四日後、本家へと旅立った。

 

 彼女に同行したのは彼女のお目付け役と彼女の子守役。

 

 フラウツとアルヴァート。

 

 彼らは我が身を省みる事無く。

 

 その力と技をフェシリアの運命に預ける事となった。

 

 そうして、彼女達の旅は始まり、時代は暗黒へと突き進んでいく。

 

―――旧暦????年??月??日

 

 フェシリア、フラウツ、アルヴァート。

 

 彼女達三人が本家に養子として向かってから数年。

 

 時代は新たなる時節を迎えていた。

 

 時の中央諸国同盟の盟主。

 

 アルヴィッツ。

 

 教会との連携によって、巨大な権勢を誇り、南部の帝国や北部の主要三国、西部、東部の国々にすら異名を轟かす【稀代ノ王】(クラーレ・スペェエス)マシア・ミクニス・アルヴィッツと【総主教(パトリアルヒス)】の連盟にて大陸にお触れが出された。

 

 それは次なる魔王の到来という報。

 

 西部の貿易要衝の一角にして諸国の大部隊が駐留していたガウスを滅ぼした前代【堊腕(あくわん)】は数十年の時を掛けて一人の騎士が討滅した。

 

 だが、再びの魔界からの侵攻は軍を用いず。

 

 ただ一人の魔王が疫病の如く諸国へ災難を降らせる形で行っているらしい。

 

 そんな凶報は大陸を周遊するラグナロクの一族にとって、あまり意味を持つものではなかった。

 

 彼らの第一義は血統と新たな魔術階梯へと至る為の研鑽の維持だったからだ。

 

 しかし、不穏なものを時代に感じてしまっていたのも本当のところではあった。

 

 それというのも親交のあった同じ【稀呪(ヴィクス・マギア)】の大血統ウェスティアリア家が廃滅してしまっていたからである。

 

 魔王再臨の報より二年前の事。

 

 本拠としていた大陸中央東部、交通の要衝地域に攻め込んでいた複数の国の謀略で一族郎党全て殺されたのだ。

 

 元々、朗(ほが)らかで争いを好まない性質の一族だった事もあるが、何より彼らが“不運”だったのは憎み合っていた大国間の縁を最後まで取り持とうとしていた事にあった。

 

 如何に大魔術師を複数抱えていたとはいえ、和議を結ぼうという場で一時邪魔な家を潰そうと画策した国々の連携による不意打ちを食らったのだ。

 

 とても抗し切れるものではない。

 

 皮肉な事にウェスティアリアを潰すという目的だけは国々にとって一致した見解であり、縁を持つに値する事柄だったのである。

 

 戦いは凡そ二十八万人の犠牲者と小国一つ分にもなろうかという十四の地域を灰にして終結。

 

 結局、戦に参加した国々も力を削がれて十年単位での停滞と復興を余儀無くされてしまった。

 

 顛末を聞けば、同じような力を持つ血統の者達が取る方策は二つに一つ。

 

 何処かの大国に身を寄せて軍事へ先んじて関わり、己の地位と立場を確保するか。

 

 何処の国にも所属せずに身を隠して戦乱の世をやり過ごすか。

 

 ラグナロクの血統は後者を選択し、その姿を眩まそうとしていた。

 

「行きますよ!!」

 

 小さな雷が地面を走り、山林の奥、開けた場所で草を焦がした。

 

「甘いわよ!!」

 

 魔術での浮遊、滑空で距離を詰めて、フェシリアはエムントへと突撃を掛ける。

 

 間にある防御方陣は約七枚。

 

 旧い物から新しい物まで大陸標準(スタンダード)では中々見ない複数の古代言語や象形文字を使った代物がズラリと学者の卵を囲っていた。

 

 近頃フェシリアを中心とした若手達が即席での魔術行使を可能にする大系を構築し、その実用試験が戦闘という形で行われていた。

 

 事前準備をしたエムントに対して触媒や事前に編んでいた術は5分の1以下というフェシリア。

 

 魔術師同士の戦いにおいてはどちらが勝つかは自明である。

 

 だが、しかし、その常識は彼女の突撃が方陣を次々に割り砕いていく事で覆されていく。

 

 本来、正しい解呪方法や複数の触媒や簡易儀式、同系統魔力での方陣中核への侵入や一定以上の損耗を覚悟し負荷を掛ける事でしか破壊出来ないはずの防御の円環が既に六枚割れていた。

 

 それだけでも従来の魔術師達には驚くべき事だ。

 

 だが、彼女はそれをやってのけるだけの階梯に到達していない。

 

 それでもエムントに対して優位にも見えるのは一重に彼女の構築した魔術大系に寄るところが大きい。

 

 たった数年で本家の誰もが一定の能力を認めるようになった彼女は今や本家若手達の敬意を集める存在だ。

 

 それでも未だ発展途上なのか。

 

 あるいはエムントの戦い方が鮮やか過ぎるのか。

 

 最後の方陣を割り砕こうとした彼女は突撃中に横手から見えざる衝撃を受けてドシャリと地面に激突して、体勢を立て直す間も無く首から下を隆起した土砂に埋められてしまった。

 

「お嬢!!」

 

「今日もお嬢の負けのようで」

 

 近くで戦いを見ていたのは法衣姿のアルヴァートのフラウツだった。

 

 巨漢が近くまでやってくると手が汚れるの構わずに彼女の周囲の土を掻き分けて、まるで萎びた大根のように負けた悔しさで脱力する主を救出する。

 

 近頃、更に草臥れた風体になったフラウツはエムントの方に近付いていくと手加減してくれてありがとうと礼を言って、救出されたばかりのフェシリアの方へ向かっていく。

 

「ぅ~まだ、ダメなのね……」

 

「お嬢は気が早すぎたかもしれません」

 

「どういう事よ? フラウツ」

 

 身体中の土をパンパンを払いながらフェシリアが訊ねる。

 

「あれ、後十秒くらい押し合いをしていたら勝てましたよ」

 

「え、そう?」

 

「ええ、傍目で見ていましたが、防御方陣を割ろうとし過ぎて、魔力の分配が適性値ではなかった。それに前方へ集中したせいで周囲の観測が散漫になり、エムントはそこを付いた。いや、実に惜しかった」

 

「おい。フラウツ。テメェは黙れ。お嬢の悪口はそこまでだ」

 

「これは失礼」

 

「いいのよ。アルヴァート。フラウツの言う通り。貴方の方が一枚上手だった。そういう事よね?」

 

「そう言いながら、実際反撃が一発通りましたから、着実に完成は近いですよ」

 

 周囲に張った魔術を解いてやってきた青年にフェシリアが言うも、肩が竦められた。

 

「ほうほう。何処に?」

 

 フラウツがマジマジと見つめるもエムントの法衣には傷も見えない。

 

「此処に……」

 

 エムントが衣装の腹をペロンと上げて、腹の小さな痣を見せる。

 

「お嬢。これはどうやって?」

 

「食らう寸前にね。方陣の歪みで一番薄い場所を魔力針で少し抉じ開けたの」

 

「さすがお嬢!!」

 

 アルヴァートの持ち上げように彼女は苦笑するしかなかった。

 

「さて、帰りましょう」

 

 音頭を取って四人が現在逗留している森の一角へと帰っていく。

 

 数年前、エムントに敵意しか持っていなかった三人にとって、彼は今や仲間と言うべき存在へとなっていた。

 

 それと言うのも何かと本家で孤立しがちだったフェシリア達の世話を青年が殆ど引き受けていたからだ。

 

 最初、分派からの養子組。

 

 しかも、赤子からではないという事も相まって、彼女達は厄介者扱いされてしまった。

 

 だが、フェシリアを試す戦いを通して、その才能を見出したエムントは魔術を磨くよう三人に働き掛けた。

 

 例え、本家の英才教育を受けていないとしても、自らの資質を開花させるのに不自由など無い。

 

 全ては努力次第だという彼の薫陶を受けて、彼女達は自らを磨いた。

 

 途中で分かる事だったが、まだフェシリアと同じくらいの歳とも見えたエムントは実際、彼らの十倍以上を生きるラグナロク古参の一人。

 

 大魔術師と言う肩書きを持つ真なる探求者でもあった。

 

 分派の長、フェシリアの父の物腰が低かったのも若い頃からエムントを知っていたからに他ならなかったという話を聞いて、彼女は内心父に抱いていた弱気な性質という思いを訂正した。

 

 老人とは程遠い容姿。

 

 気軽に声を掛けられる存在。

 

 厳しく掟に五月蝿いお歴々とは違い。

 

 後進の育成を手掛けていた彼との出会いはたぶん三人にとって望外の話だったのである。

 

 四人の向かった先は森の中にひっそりと置かれた古びれた館だった。

 

 無論、大陸を周遊している一族が何処かに居を固定化する事は無い。

 

 空間制御を行なう魔術で館が持ち運ばれているのだ。

 

 周囲もただの林に見えて実際は観測魔術による複数の監視網が敷かれている。

 

 全員が玄関を潜ると外側からでは想像も付かない程の広いロビーが出迎えた。

 

 一つの宮殿程もあるだろう広さ。

 

 複数の魔術様式で意匠も荘厳な柱と壁。

 

 七色に耀く壮大な図画は天体を中心に遍く存在を記号化し、伽藍を聖地へと変えている。

 

「汚れちゃったわね。お風呂にでも行こうかしら……」

 

 自分の土で汚れた姿を鏡のように耀く床に写し見て。

 

 フェシリアが湯殿へと向かおうとした時だった。

 

 彼らの前に小石程の碧銀の球体が現われる。

 

「珍しい。呼び出されましたね」

 

 エムントが滅多に無い事だと眼鏡を直して球体を見つめた。

 

「これって……?」

 

 フェシリアが今まで見た事もない物体に首を傾げる。

 

「全員での出頭要請ですね」

 

「……今じゃないとダメかしら? エムント」

 

「お歴々は許容しないでしょう。実際、恰好は魔術で幾らでも治せますし、綺麗にも出来ますから」

 

「まぁ、そうだけれど」

 

 渋々と湯殿を諦めたフェシリアが指を弾いた。

 

 すると瞬間的に衣装に付いていた土や汚れが失せ、パリッと糊が利いた卸し立てのものになる。

 

「あんまり好きじゃないのよね。これ」

 

「此処は我慢してもらうしか」

 

 青年が肩を竦める。

 

「お嬢はいつでも綺麗だ。な? フラウツ」

 

「ああ、それに関しては同意する以外無い。アルヴァート」

 

 苦笑するエムントに溜息を吐くフェシリアが先導する形で全員が球体を追った。

 

 まるで迷宮のような館を歩いて十五分。

 

 明らかに外観からは想像出来ない長く広い館の奥にある広間まで彼らは出頭した。

 

 華美な装飾が一つも無い簡素な白壁と硝子窓のみの一室。

 

「フェシリア・ヴァール・ラグナロク。ただいま参じました」

 

 その最中、紫に金糸をあしらったフードで顔を隠した数人の男女が立ったまま待っていた。

 

「フェシリア。よく来ました。急な用件で悪いのですが、貴方達三人。いえ、エムントも合せて四人で貴方の故郷に向かいなさい」

 

 若い女の声。

 

 しかし、フードの誰が喋ったかも定かではない不可思議な響きが四人の耳朶を振るわせる。

 

「どういう事でしょうか?」

 

「我らの情報網に不穏なものが掛かりました」

 

「不穏?」

 

「ええ、新しい魔王のせいで諸国に騒乱の火種が撒かれたのは知っていますね?」

 

「は、はい。魔王に対抗するという名目で各国の軍事が活発化しているとか」

 

「その通り。何処を回っているかも定かではない凶事。これに対抗するという名目で各国が軍事力に傾斜し始めて数ヶ月が経ちました。どうやら、その流れに我々も巻き込まれてしまったようです」

 

「まさか……」

 

 フェシリアが顔色を変える。

 

「どうやら大魔術師と【稀呪】の獲得競争が始まったようです」

 

「―――そう、ですか」

 

「各地に分派した者達へはもう既に知らせて地下に潜るよう伝えましたが、純血統を保つ幾つかの氏族には更に護衛が必要だと我々は判断しました。我ら本家にしても大国と渡り合う事は出来れば避けたい。貴方達には故郷の者達の避難を行なってもらいたいのです」

 

「分かりました」

 

 一族の危機。

 

 これを聞いて黙っていられるような柄でもない。

 

 お歴々の話にフェシリアが頷いた。

 

「貴方達三人はすぐに出立の準備を。長距離転移方陣は既に準備が出来ています。事態が落ち着くまで何年掛かるか分かりません。本家の蔵から好きなだけ必要な物を持っていきなさい。出立は二時間後。それまでに万全を期すように」

 

「分かりました。フラウツ!! アルヴァート!!」

 

「了解だ。お嬢!!」

 

「物資の方はこっちでやっておくから心配しないでくれ。お嬢」

 

 二人が頷いた。

 

「エムント。貴方には話があります。しばらく此処に残ってください」

 

「ええ、それは勿論」

 

「じゃあ、私達は先に。後でね。エムント」

 

 ヒラヒラと手を振って足早に準備へと向かう三人を見送った青年が扉の閉まった事を確認して、フードの男女に向き合う。

 

「で、実際のところ。我々ラグナログが滅ぶ確率は?」

 

「ふふ、貴方にやはり隠し事は無理ですか。エムント」

 

「好きなだけ必要なものを持っていけとは普通じゃない」

 

 男女の中から一人が進み出た。

 

「星読みが出来る神々三柱と我らの占術儀式を合わせた結果。純血統は彼らと貴方以外壊滅。分派して血が薄まった者達は逃げ延びるでしょうが、その年月で秘伝も血統の力も喪失、だそうです」

 

「……原因は?」

 

「東部【乂羅(がいら)】と北東部の諸国が早々に大規模な激突を起こし、それに乗じて北部三国が西部の数国を用いて南下。南部は帝国が残りの虫食いを埋め始め、中央諸国は教会による平定に乗り出す。更に魔王がそれを掻き回してくれるそうです。最短で三年。最長で十五年。我らの生存限界の時間です」

 

「……それで?」

 

「現在、一族の消滅に際して全ての秘儀と財を彼らと貴方に集約出来るよう儀式準備を始めました。二年で全て終えられるでしょう」

 

「諦めが良過ぎるというのも考え物ですね」

 

 フードの女が唇の端を歪めた。

 

「この流れは変えられないと既に結論は出ました。因果律導線の流れが一方向へと引き込まれている事は貴方も知る通り、これが魔王の力というものなのでしょうね」

 

「運命には抗えない、か。分かりました。あの三人の事はお任せを。それでこの老いぼれを指定した理由は?」

 

「フェシリア。彼女が将来、三つの光りを産むだろうと。そう、占術に出ました」

 

「そういう事ですか?」

 

「ええ、我らの再興が叶うかどうかは彼女に掛かっている。護衛と彼女の産む光りに我らの全てを与えられるのは貴方……全てを看取りし者だけですから」

 

「分かりました。彼らの事は必ず」

 

 頭を下げたエムントに男女が背を向けて歩き去っていく。

 

「我々はこれから分派の血統を出来る限り散逸させる為に動きます。では、頼みましたよ」

 

「お任せを」

 

 フードが空間に解けて消えた。

 

 一人残された彼エムントは三人の準備を手伝うべく部屋を出る。

 

 もう、彼らの間には話す事も談ずる事も残ってはいなかった。

 

 魔王の存在がお触れで大陸中に公表され一年目の春。

 

 各地で起こり始めた紛争は終わる気配も見せず。

 

 少しずつ戦火は拡大していく。

 

 戦力となるだろう能力と技を持つ者達が狩られるという日常が始まり、その魔手はあらゆる魔術師と超常の力を持つ者達、武芸術者を襲い、泥沼の戦乱へと引きずり込んでいった。

 

―――旧暦????年??月??日

 

 

 ラグナロク本家から四人が出て既に七年。

 

 教会が戦乱の平定へと乗り出し、確実に戦火が失せてはいたものの。

 

 それもまだ大陸に平穏を齎すには到らず。

 

 大小の国々を問わず戦力となる者達の狩り出しは未だ続いていた。

 

 時には間諜が。

 

 時には民間人が。

 

 稀少な戦闘能力を保有する者達を求めて跋扈する。

 

 金になると言う事から、人間狩りと奴隷売買は花盛り。

 

 多くの武芸術者の血統が使い潰されていく。

 

 それを黙って見ているのは何もフェシリア達だけではなかった。

 

 力を持つ者達の三割程は自ら力を誇示して、戦乱の世を勝ち抜こうと台頭し、又三割程の者達は狩られて使われて潰されて利用されて、襤褸屑のように捨てられ廃滅、残る四割程の者達は逃げて隠れて自らを無かった事として生きている。

 

 ラグナロクの氏族達も人里離れた山奥や秘境に身を潜めるようになり、何とか戦乱の収束を待っていたが、次々摘発され、純血統の半数が発見されて氏族を各国の軍に組み入れられて消滅。

 

 残る半数も今やいつ狩り出されるかと戦々恐々という有様。

 

 そんな中で辛うじてフェシリア達の氏族は危うい均衡の上に平穏を築いていた。

 

 彼らが現在いるのは大陸中央諸国にも程近い不毛山岳と呼ばれる一帯の端。

 

 元々が人の立ち入れぬ異種と亜人達の領域ではあったが、魔術に長けた氏族はその人より格上の相手すらも欺いて、地下生活者となっていたのである。

 

「フェシリア。食料の調達は済んだ。引き上げよう」

 

「そうね。それにしても酷い……」

 

 不毛山岳より200km程離れた一帯。

 

 未だ戦乱に飲み込まれている一角。

 

 粗末な小屋が群れて出来た村の最中で彼女フェシリアを中心とした四人は食料調達を行っていた。

 

 数日前に野党が壊滅させたらしく。

 

 村の粗末な小屋の内外には到る処で蠅が渦巻いている。

 

 血飛沫はもう腐肉と腐汁と泥で変色しており、此処数日は雨続きだった事も相まって色彩を失っていた。

 

 手際の良さと無駄に破壊や荒らされた跡が無い事から元々兵士だったのだろう事が手口から窺い知れた。

 

 足跡は数件の民家の食料貯蔵庫である地下蔵に続いていて、無駄に何かした様子も無い。

 

(こんなのが今の時代だって言うの……こんなのが……)

 

 井戸のある村の中央。

 

 未だ曇っている空の下。

 

 煙る霧雨に肉体が重くなるのを感じながら、彼女は集まってくる三人の顔を見つめる。

 

「何て顔してるんだ。今は君がこの食料調達部隊の隊長なんだ。しっかりするんだ。フェシリア」

 

「ああ、そんな顔。似合わねぇぜ?」

 

 フラウツに続き、アルヴァートにまでそう言われて。

 

 彼女は自分がそれ程に酷い顔をしているのだと知った。

 

「どうやら毒を入れていないようです。これなら幾らか汲み上げて持っていくのもいいかな」

 

 エムントが調べ終った結果を報告し、小さな皮袋を井戸に投げ込んだ。

 

 すぐに大量の水が容積以上に吸い込まれ、転移の燐光を伴って彼の手の中に戻る。

 

「野党達はどうやら地下蔵に気付いたようだが、隠し畑の方は気付かなかったようだ。これでまた一月、一族も食べていけるだろう」

 

「そう……」

 

 フラウツの言葉に頷いて。

 

 しかし、彼女の顔は晴れない。

 

 大量の収穫。

 

 それも死人の畑から奪ったもの。

 

 人の尊厳を死後踏み躙っていると感じながら、そんな感傷と綺麗事では何も守れないと彼女は村の惨状から視線を俯けた。

 

「……一応、埋葬の準備をしてある。簡易にではあるが、畑に人数分の穴も掘った」

 

「え?」

 

 思わず顔を上げた彼女にアルヴァートがニッカリと笑う。

 

「せめて死んだ後くらいは安らかにってな」

 

 死人の為ではない。

 

 自分の為に穴を掘ったのだろう二人に彼女はただ「ありがとう」としか言葉を続けられなかった。

 

「さすがに石や十字架の類は怪しまれるでしょうが、種ならば問題ないはずです」

 

 彼女の手にエムントがいつの間に用意したのか。

 

 小さな掌に納まる袋を渡す。

 

 その中には黒い小さな種が数十個納まっていた。

 

「埋葬したら行こう。皆、君の事を待ってる」

 

「……ええ、ええっ……」

 

 何度も同じような村を見た。

 

 中には襲われて、今にも壊滅しそうな場所も。

 

 それでも存在を秘匿する為に魔術の一つも使わず。

 

 逃げ出した自分達。

 

 それにきっと誰もが負い目を感じていた。

 

 口にする事は無くとも。

 

 やはり、彼らもまた人間である事に変わりは無く。

 

 良心というのは傷むのだ。

 

「そうしましょうっ。やるわよ。フラウツ。アルヴァート。エムント」

 

「「「御心のままに」」」

 

 もう彼女を“お嬢”と呼ぶ者はいない。

 

 この数年で名実、氏族の実質的な指導層になったのだから。

 

 魔術で遺体を移動させ、穴に埋葬した後。

 

 彼女は種をザッと魔術の風に流して畑へと撒いた。

 

 すぐに彼らのいる近くに軍の動きがあると知って転移で跳躍。

 

 三日程を掛けた短距離転移と徒歩の移動で全員が無事に不毛山岳の地下へと帰り付く事が出来た。

 

「お帰りなさい!!」

 

「お帰りなさいませ」

 

「お~よく帰った!」

 

 完全に外部と遮断し、換気と出入りは転移のみで行なうという地下洞窟。

 

 中は地脈から吸い上げる魔力によって温度と湿度が保たれ、魔術具の明かりに照らされていた。

 

 丁度、大きな村一つ分はあるだろう空洞の壁際には戸もあれば、厠もある。

 

 魔術に長けた一族だけあって、何もかもが自作だ。

 

 生存する以外でも暇を持て余す者は外に出られないストレスを内部の装飾や加工に向けていて、神々の【意匠】が天蓋どころか壁中にビッシリと掘り込まれている。

 

「ただいま。食料は確保してきたからこれでまた一ヶ月は大丈夫よ」

 

 もう慣れた様子で出迎える人々に微笑みながら、フェシリアが報告の為に円形状の村の奥へと向かう。

 

 道すがら子供達や大人達が頭を下げてくる。

 

 それに手を振り替えしながら三人を連れた彼女は最奥の一室。

 

 長の部屋まで辿り着いた。

 

 食料調達の成果を報告しに一人扉をノックして「入れ」の言葉と共に内部に至ると。

 

 この数年で随分と老けたような印象のある椅子に座った父親へ彼女は片膝を折った。

 

「戻りました」

 

「そうか。首尾は?」

 

「村全体で一ヶ月程の食料を確保しました」

 

「ご苦労……」

 

 その声にいつもよりも張りが無い事を感じ取って、彼女は下がらずに訊ねる。

 

「何か、ありましたか?」

 

「……どうしてそう思う?」

 

「何となく、です」

 

「実の娘に見抜かれているようでは、もう隠居した方がいいかもしれんな」

 

 何処か自嘲気味に呟いた父にフェシリアは嫌な予感を感じずにはいられなかった。

 

「何が、あったんですか?」

 

「―――残っていた純血統の四氏族の内の二氏族が北部で捕まったらしい」

 

「そんな?!」

 

「安否確認をしたが、捕まった相手が悪かった」

 

「一体、何処の国ですか!?」

 

「……たぶん、ベリアステルだ」

 

「?!」

 

「まだ何とも言えないが、今のベリアステルは北部の諸国から同盟拒否を理由に攻められる側となっている。国力自体に余力はあるだろうが、他の二国とのパワーバランスが崩れるのを恐れて大きな戦はしないだろうと言うのが大方の見方だ。が……彼らにはアレがある」

 

「……もう?」

 

「分からない。だが、同盟を断られた諸国の数カ国が他の二国との裏取引を受けたとの情報もある。もし、この事実がベリアステルにも知られているとすれば……」

 

「使われる可能性がある?」

 

 父親が静かに頷くのを見て。

 

 彼女は捕まった者達が生き残る事はたぶん無いのだと知った。

 

 北部の女系魔術国家ベリアステル。

 

 彼の地は十数柱の上位神格を有し、崇める事で成り立った法術師達の国だ。

 

 その中にはラグナロクと同じく【稀呪】の血統が複数存在する。

 

 国父ニェハエルに仕えるより前。

 

 彼らはそれらの家と交流を持ち、多くの取引や血統の維持に関する研究を共同で行なっていた経緯がある。

 

 しかし、藩落の大本となる国が立ち上がる時、それらの家々にベリアステルへも招かれた一族は大きな決断を迫られる事となった。

 

 ニェハエルの国を共に支えるか。

 

 ベリアステルへと赴くか。

 

 前者を選んだ彼らとベリアステルの家々の関係には終止符が打たれ、その手切れ金代わりに共同研究していた多くの魔術がそちらへと渡った。

 

 その中には大きな犠牲を伴うモノや【攻国魔術(リトゥラ・レギオレム)】の類まであったとされている。

 

 最も彼らが憂慮したのは大規模な敵軍撃破の為に犠牲を強いるモノの開発だ。

 

 【生贄魔術(サクリファイス・マジック)】による殲滅戦は史上多くの国家が使ってきたスタンダード。

 

 それらの特性は贄(くもつ)が稀少で多ければ多い程に威力を発揮するという点にある。

 

 彼らとラグナロクが共同で開発していたのは彼ら自身の防衛を兼ねた代物。

 

 となれば、その贄がどんなものになるのかは想像の範疇。

 

 もしもの時の備えとして開発された【稀呪】の血統を犠牲にする大魔術は一人単位で一国を滅ぼすに足る出力を備えた恐ろしい代物となった。

 

 一族の歴史を習った大人なら誰でも知っている事実。

 

 フェシリアと父親が思わず脳裏に過ぎらせたのも無理はない。

 

「今は……休め。我らに出来る事は何も無い……」

 

 一族の救出等、夢の又夢。

 

 彼らが追われる立場である以上、出来る事は実際に皆無。

 

 身を守り、自分達の氏族を生き永らえさせる。

 

 唯一。

 

 出来る事があるとすれば、祈る事のみ。

 

 余力を裂けるようなものではない。

 

 それを裏付けるように外部からの情報を定期的に仕入れている彼らの下には有名な魔術血統から没落した超常の力を持つ一族まで数多くの技能者達が使い潰される報だけが集まっていた。

 

「分かりました……」

 

 頭を下げて扉を潜れば、フェシリアを三人が待っていた。

 

 随分、親子としての会話をしていないと彼女が気付いたのは自分達が調達してきた食材の料理が食堂で出てきた時。

 

 今度、落ち着いたら明るい話題を持って合いに行こうと誓って。

 

(また外に出られる日はきっと来るわよね。きっと……)

 

 フェシリアは出された薄いスープに口を付けた。

 

 数日後、再び彼らは食料調達に向かい。

 

 三日の内に地下集落へと舞い戻ったが、既にその時誰も伽藍の中には無く。

 

 風の噂に【稀呪】百人を使った【対国魔術】によってベリアステルが宣戦布告した北部諸国全土と大国二つの一部を焦土にしたという報を聞いたのは、全てが終わってから一週間後の事であった。

 

―――旧暦????年??月??日

 

 一部、大陸の人間国家が全て滅ぶのではないかと実しやかに噂された戦乱が潮の引くような速度で静かに沈静化へ向かい始めて十数年。

 

 七教会の紛争介入が続く中。

 

 その間隙を縫うようにしてフェシリアを中心とした四人は北部の国々を渡り歩いていた。

 

 結局、純血統の氏族は彼ら以外全て諸国の戦乱に組み込まれ、消えていった。

 

 如何に魔術が優れようと人は人。

 

 不意打ち、裏切り、人質、人間の悪知恵と残酷さには歯が立たなかった。

 

 唯一逃げ延びた四人はもはや定住地も持たない流浪の民であったが、それでも北部を中心として移動を続けていたのは彼らの氏族を何処かへと連れ去った襲撃者達を探していたからだ。

 

 最も怪しいベリアステルは出入国が極端に厳しく。

 

 また女系国家の名の通り、国民の九割以上は女という事で調査活動には適さない地域。

 

 そんな理由から最も最後に調査される事となった国だった。

 

 焼かれた国や周辺諸国の情勢と動向、噂の把握。

 

 使い潰されそうな技能者や武芸術者の救出活動。

 

 自分達以外の犠牲を少しでも少なくしようとフェシリアが言い出してから十年以上の月日が流れていた。

 

「行きます。三人は裏手で周辺に誰かが潜んでいないか見張りを」

 

「エムント。本当に一人で大丈夫なの?」

 

 フェシリアが雪の舞う雪原に立つ嘗ての軍工廠跡。

 

 廃墟の入り口で青年に心配そうな顔を向けた。

 

「あちらが送ってきたリストは間違いなく。あの日、いなくなった全員分……今度こそ“本物(アタリ)”です。何があったのか。彼らがどうなったのか。全てを必ず……」

 

「分かったわよ。ただ、一つだけ条件があるわ」

 

「条件?」

 

「必ず生きて戻って。もう……もぅ、一族の誰かが消えるのは嫌なのよ……」

 

 今にも泣きそうなくらいに顔を歪めた少女。

 

 いや、女性を前にして。

 

 随分と大人びたと青年は思った。

 

 出合ってからもう二十年以上。

 

 今や一族最後の一派を率いるまでに成長した彼女の事を彼ですら主として認めるようになった。

 

「明日の夕食は熱いシチューにしましょう」

 

 ニッコリと最年長の男がそう笑って、他の二人の男達が苦笑する。

 

「ぐす……ん……必ずよ? 必ずだからね!!」

 

「勿論!! では、行って来ます」

 

「「「……」」」

 

 何も言わずアルヴァートもフラウツも見送った。

 

 フェシリアが目元を拭って周囲の監視へと視線を外へ向ける。

 

 その瞳には決然とした光りが宿っていて、信頼が背中を振り返らせなかった。

 

 彼らがいるのはベリアステルの内部。

 

 国境沿いの厳重な監視を掻い潜った先にあった放棄された軍施設。

 

 本来、全員の力を持ってしても入国は殆ど不可能と思われていたが、法術国家内部から四人に対して接触があったのである。

 

 その手引きの手際と入国の方法を見てもまず間違いなくベリアステル内部の人間からの招待。

 

 貴重な魔術血統を誘き寄せて捕獲する為の策ではないかと最初に疑った彼女達だったが、それでも相手側が送ってきた名前のリストに動かざるを得なかった。

 

 あの日、消えた一族の名前が一人も余すところなく記載されていたのだ。

 

 リストには当時ベリアステルの陸軍を統括していた者の名があった。

 

 色褪せた紙には走り書きで日時と場所と入国方法が幾つか指定されており、彼らに自分達の運命が動き出した事を伝えたのだ。

 

 相手が指定した情報の受け渡しの人員は一名。

 

 最初はフェシリアが行こうとしたが、エムントがそれを制した。

 

 彼らの中で最も機知に優れ、経験が豊富な人間が行くべきだと。

 

(どうなる? まだ、フェシリアは光りを産んでいない。だが、此処で何かがあるとそう脳裏が囁く……)

 

 エムントが指定された通り。

 

 軍施設の最奥。

 

 何かの研究室らしき場所に入った時。

 

 バツンと灯りが点灯した。

 

 最初、身構えていた彼は左右に硝子張りの部屋があるのだと理解したが、その部屋の壁に掘り込まれたものを見て、身体を硬直させた。

 

 何故か。

 

 通路の両側に延々と続く部屋の中には彼らが不毛山岳の地下に築いた集落の壁にあった意匠と同じものが彫り込まれていたからだ。

 

 コツコツコツ。

 

 そう対面の通路から歩いてくる者がフードを被っているのを見て、彼が警戒する。

 

 いきなり軍の部隊が殺到してきてもおかしくない。

 

 そう覚悟したのは彼が如何に大魔術師でも、同じクラスの相手を四人も五人も相手に出来ないと知る故。

 

 しかし、そんな杞憂を意に介した様子も無く。

 

 彼の数m手前でフードの相手は止まった。

 

『失礼。あたしがあんたらにリストを送った者だ。仮にAとでも呼んでおくれ』

 

 声は何か特殊な加工をしているのだろう。

 

 まるで男のような、女のような、珍妙な声音だった。

 

「分かりました。では、Aと呼ばせて貰います。それで我々に渡したい情報というのは?」

 

『済まなかったとは言えないね。この国が彼らに救われたのは事実だから。でも、全部封印しちまうってのも寝覚めが悪いんだよ』

 

「寝覚めが悪い? 一族を根絶やしにしておいて、それはあんまりな言い草ですよ。A」

 

『これが事の顛末だ……誓って嘘は無い。当時の調書と報告書。それから……』

 

 言い淀むAが、少しだけ溜息を吐いた。

 

『遺言だ。受け取っておくれ』

 

 フードの懐から一冊のファイルが投げられ、エムントが受け取る。

 

「今、見ても?」

 

『構わないよ。見ながら聞いてくれればいい』

 

 周囲の警戒を解かないまま。

 

 ファイルが開かれ、中にスクラップされた紙の切れ端の文字が目で追われ始める。

 

『当時、ベリアステルは北部三国の他二国。そして、同盟を断った北部十四の国の陰謀に巻き込まれた』

 

 一枚目の紙には当時の軍情報部が出したレポート。

 

 それには確かに諸国と二国の裏取引の情報がしっかりと主導する者達の実名入りで書かれていた。

 

『諸国の反ベリアステル同盟を潰す事は簡単だった。だが、それには戦力をそれなりに集中させなきゃならなかった。領土が小さいベリアステルは現在人口過密状態。軍が管轄する地域を一歩出れば、どんな田舎だろうと道を人が通らない時間帯は無い。大国が手薄になった国境を突破して大規模な攻勢を掛けてくれば、それなりの被害を覚悟しなきゃならなかった。勿論、避難その他の対策は出来ただろうが、国土が小さい分、何処か一箇所でも押し込まれたらすぐに首都は目前……軍部は禁じ手としてベリアステル御三家、【稀呪】の血統が封印していた【攻国魔術(リトゥラ・レギオレム)】の発動と承認を国主に求めた』

 

 二枚目の紙には超大型の儀式術による相手国の被害、賠償その他多数の予想される数字。

 

 だが、自国の損害という部分は、その笑ってしまうような数は、戦争というものから程遠かった。

 

 16人。

 

 ある程度大きい事故なら簡単に出てしまうような死傷者数。

 

『だが、16人の犠牲を国主は良しとしなかった。それと言うのもウチの【稀呪】の一族達はあんた達以上に人数を増やすのが困難な血統でね。当時、三つの家に十五人しかいなかったからだ』

 

 三枚目の紙には代替となる者がいるかどうかの予備調査結果が示されている。

 

『最初、あたし達ベリアステル軍は大魔術師が出る血統を代わりにしようとした。だが、生憎と封印から百年近く経過したせいで術を精確に紐解くには時間が無かった。贄(くもつ)に指定出来るのは御三家の人間とあんたらラグナロクの一族のみと分かった』

 

 四枚目の紙には居場所の発見と捕獲作戦の二つが進行しているとの経過報告書がある。

 

『偶然にも北部の別の国であんたらの一派が発見されて、陸軍はその国の収容施設を急襲、そいつらを贄に使おうとしたが、あんたらは純血統でありながら、こちらの御三家と違って贄としての純度が薄かった。それはあんたらが自分達のあらゆる知識と技能と財産を子供に受け渡す事で一人前にするからだ。あの戦乱の中で智識や技能の受け渡しが出来ていない者は贄としては不適当だったのさ』

 

 五枚目の紙には問題を解決する為に軍参謀本部が考え出した方法が載っている。

 

『幸い、と言っちゃあならないとは思う。だが、当時の軍部は幸いにもあんたらの数が多い事に着目した。仲間の居場所を吐かせて数を揃える事にしたのさ。それがあんたらの地下集落をベリアステル陸軍の特殊部隊。構成員全てを大魔術師で固めた一線級の兵達が急襲した理由だ』

 

 六枚目の紙には貴重な純血統をそのまま絶やす事は出来ないと人工的に血統を残す短期的な試み、研究にもならないような旧い方策が軍研究部門から提示されたとあった。

 

『連れて来られた連中は全員が採血、採精、採卵された。強制的に受精させて急速成長を促し、その赤子だけを使う“人道的方策”も検討されたって話だ。それが本当に当人達に受け入れられるような選択肢だったのかは……言うのも野暮ってもんだろうさ。だが、それでも短期の試みは行われ、何一つとして実を結ばなかった』

 

 七枚目の紙には採取した殆どの検体(サンプル)がダメになったとの報告。

 

 そして、残念ながら百人全員を使う事でしかギリギリ目的を達成出来ないとの結論があった。

 

『この全ての事柄を当時の試みを行なった研究者と軍情報部は捕らえた全員に伝えた。そして、もしも生き残った同族がいた場合を想定して、遺言を残させた』

 

 八枚目の紙には氏名年齢血筋と魔術の印が添付されていた。

 

 少しだけその印に魔力を込めて虚空に開いた光りの文字にエムントが目を通した。

 

 数人分の遺言を目で追った後、静かに印に込められた魔力が失せて、文字が消え去る。

 

『生活の有様と記録された映像全ては九枚目の紙に術式で添付してある』

 

 九枚目を確認してエムントは頷いた。

 

『そして、最後にあんたらへ帰さなきゃならないものがある……“この子達”は……あたしらが留め置くべきじゃない……帰す理由はそれだけだ』

 

 Aがエムントの前まで歩いてくると静かに懐から透明な水晶を差し出す。

 

 その中には三つの試験管が埋め込まれている。

 

「これは……まさか……」

 

『サンプルの殆どはダメになった。だが、辛うじて三つ。受精まで漕ぎ付けたものがコレには凍結されてる。当該の卵子提供者は長の孫となってる。精子の提供者は不明だけどね』

 

「あぁ……」

 

 彼は、エムントはようやく、自分が何の為に一族の殆どが亡んでも生きているのか。

 

 実感を持って悟る。

 

(そうか。この日の為に……未だ我が身は……)

 

 あの日、生まれた子。

 

 フェシリアとの出会いの契機に抱いた感触を今も彼の手は覚えていた。

 

『この子達は……研究者の一人が最後まで廃棄出来ずにいた代物だ。軍のお偉方が自分の罪の重さを隠したくなって、この施設と関係資料を全て廃棄するよう言っても、これだけは捨てられなかったと、そう言っていた』

 

 そっと彼の手が水晶を受け取る。

 

 まるで赤子を抱くように胸にしっかりと抱き止める。

 

『ただ、二つ。その子達を渡すのに条件がある。これは……この国の最高意思決定者の裁定。あたしとしては要らないお節介だとは思うんだが、あんたらへ全てを引き渡す条件がコレだったからね。受けてもらうしかない……』

 

「聞きます」

 

 迷い無く。

 

 エムントはAに対して訊ねた。

 

『一つは簡単な事だ。その子達にあんたらが名前を付けない事』

 

「名前を?」

 

『そうさ。言っておくけれど、嫌がらせの類じゃないよ? 契約して貰いたいという話でもない。あたしにはさっぱり何がしたいのか分からないが、そうしろと言われた以上は頷く以外無くてねぇ』

 

「もう一つは?」

 

『真実を知る事』

 

「真実?」

 

『星読みの出来る人間か神を頼るといい。あんたらが本当に戦うべき相手が誰なのか。それが分かるだろうとの話さ』

 

「………」

 

『これで渡せるモノは全て渡したよ。後はあんた達が退去する事で全て終わる。この国を怨むというなら、それはそれで構わない。ただ、その子らに怨讐なんてもんを教えないよう……祈るよ』

 

 Aが静かにエムントへ背中を向けて再び施設の奥へと引き返していく。

 

「一つ訪ねたい」

 

『何だい?』

 

「どうして、これを渡そうと思ったんですか?」

 

『何て事ないくだらない話さ。約束でね』

 

「約束?」

 

『……昔、男と指切りしたのさ。せめて死ぬ時はお互い後悔の無いようにしようってね』

 

 ヒラヒラと手を振ってAの背中が通路の奥へと消えていく。

 

 エムントは何も言えず。

 

 もう一度、周囲の硝子張りの部屋に刻まれた文様を見つめてから、足早にその場を後にした。

 

 彼ら四人はその日の内にベリアステルを無事脱出。

 

 何もかもをエムントから聞いたフェシリア達はファイル内部の無機質な羅列に怒りと憎しみを覚えたが、遺言と新たに増えた三人の血族に涙した。

 

 時に魔王の再臨から十数年。

 

 未だ復讐者は何処にもなく。

 

 しかし、芽吹いた真実を求めて彼らは動き出す。

 

 それから数ヵ月後。

 

 胎内に三人の子を宿したフェシリアが知ったのは全ての因果を歪める存在。

 

 それが偶然にも転機を迎える度に彼らの近くにいたという事実だった。

 

 深く静かに運命は回り始めていた。

 

―――新教会暦????年??月??日

 

 魔王が死んだ。

 

 その報が災害に見舞われた大陸各地に伝達された頃。

 

 彼らは東部にその身を置いていた。

 

 ベリアステルでの一件から既に数十年。

 

 真実を知り、魔王の情報を集めて追っていた彼らは時に占術を行なう神や人を頼りにしていたが、未だ相手の補足までには至っていなかった。

 

 ベリアステルへの憎しみは今も変わらず持ち続けていたが、その原因となった者も見逃せはしない。

 

 だが、復讐者となっても何ら成果が無い事に全員が焦らなかったのはフェシリアが身重であったからだ。

 

 凍結されていた為か。

 

 それとも何かしらベリアステルでの実験が影響を及ぼしたのか。

 

 三つの受精卵は通常の数十分の一以下の速度でしか成長していなかった。

 

 それでも未だ産まれる事が出来る命を根気良く愛し続けた結果。

 

 ようやく光りは日の目を見ようとしている。

 

 独特な文化を持つ東部の大国【乂羅】。

 

 その街道沿いの旅籠の一角で三人の赤子はエムントによって取り上げられていた。

 

 部屋の前でウロウロオロオロしているフラウツとアルヴァートが泣き声が上がると居ても立ってもいられなくなり、そのまま部屋に入り、目を見張る。

 

 真白の髪と肌を持つ赤子が一人。

 

 髪は白いが黒い肌を持つ赤子が二人。

 

 全員が臍の緒も切られた様子でフェシリアに抱かれていて。

 

「フェ、フェフェフェシリア!!!? 大丈夫なのか!? その子達も健康なのか!?」

 

 近頃更に草臥れたなんじゃないかと言う風体になった男は興奮した様子ながらも喜色と心配を両立させて慌てふためく。

 

「大丈夫に決まってるじゃない。母子共に健康よ。ね? エムント」

 

「ええ、心配ありません」

 

 医者の心得もある青年の頷きにフラウツが床へ座り込んだ。

 

「さ、触って、い、いいか? フェシリア?」

 

 アルヴァートはオドオドしながら、自分が触れても大丈夫だろうかと母となった女に尋ねた。

 

「そっと……そっとよ? アルヴァート」

 

「あ、ああ」

 

 正に巨漢が人差し指をプルプルさせながら生まれたばかりの赤子に差し出す光景は思わず笑ってしまう程にユーモラスで、ヒタッと白い手が彼の指を握った時、アルヴァートはドッと目から涙を溢れさせて嗚咽した。

 

「エムント。後は頼んでいいかしら?」

 

 頷いた彼が赤子達を受け取って別室へと連れて行く。

 

「良かったのかい? もっと抱いていたかったんじゃないか?」

 

 フラウツの言葉に当たり前だと返しながら、それでも産後の苦しい今、彼らを前にして当主としての顔を覗かせたフェシリアに二人は静かな面持ちとなった。

 

「………これからの事を決めなきゃいけないわ。あの子達の将来を考える上でも、今、此処で、私達が決断するべきだと思うの」

 

「オレは反対だ」

 

 即座にそう言ってのけたのはアルヴァートだった。

 

 まだ肝心の話をしていない。

 

 しかし、フェシリアの言わんとしている事をもう彼は既に知っており、受け入れるには大きな痛みを伴うものと理解している。

 

「フェシリア。確かに我々は今まで占術に頼り、多くの危難を越えて来た。だが、本当にそれだけが道なのかと考えた時、疑問に思う事もある。何より、君が一番あの話を受け入れたくないんじゃないのか?」

 

「そうね。否定出来ない……」

 

 彼らの間に重たい沈黙が下りる。

 

 やつれた彼女の顔が何処か力なく俯いた。

 

「でも、血統を遺し、次代を紡いでいくのは私の、このラグナロク最後の一党を司る私の……役目なのよ」

 

 ベリアステルとの一件からもう既に何十年と経っている。

 

 時代は波乱に満ちていたが、七教会の旗の下、確実に平和へと向かった。

 

 平穏というものを彼らが少しは実感出来る程に紛争の話題は年々人々の間でも減ってきた。

 

 しかし、その間も彼らは復讐の為の牙を研ぎ、ベリアステルと魔王、二つの大きな存在に対し、どうにか一矢報いようと復讐者としての己を保ってきたのである。

 

 もう当時の事を知る当事者達はベリアステルですら死んでいるか超高齢となっているだろう。

 

 何をせずとも天寿を全うして消えていく。

 

 それを地獄に突き落としてやりたいとの思いは未だ彼らの中に大きく燻っていたが、現実的に立ちはだかるのは当時の軍部の醜聞なんて何も関係無い若い世代。

 

 そんな相手を殺し続けて自分も死ぬなんて馬鹿げていると全員が理解していた。

 

 だが、矛先を向けられる相手である魔王は占術で幾ら近付いても霧や霞のように捉え処が無く。

 

 未だ名前と能力と姿しか分かっていない。

 

 三人の子等を産むまで大きな動きは我慢しようと四人ともが誓ったが、その間に時代は大きく過ぎてしまった。

 

 七教会と呼ばれるようになった者達が本当に魔王を打倒したのかはまだ分からない。

 

 否、殺されていてくれた方が彼らにとっては幸せかもしれない。

 

 無為な復讐に駆り立てられるまま、破滅に向かっていく理由が無くなるのだから。

 

 しかし、言葉には出さないものの。

 

 全員が魔王の生存をほぼ疑っていない。

 

 その大まかな理由は占術師や神々との対話の中で常に示されてきた啓示が今も変わっていないからだ。

 

 魔王が自分達の復讐相手である事はどんな術師や神に聞いても間違いない事だった。

 

 だが、その魔王と自分達が戦える機会は遠い遠い未来。

 

 そして、その行方すらも彼らは暗示され続けてきた。

 

 勝敗は明示されていない。

 

 だが、常に誰もが彼らの行く末をこう言った。

 

 三つを失うか。

 三つを遺すか。

 

 その何れの選択肢しかラグナロクには残されていない、と。

 

(何を指しているのかは明白。その選択を変える事は出来ないかとずっと模索してきた……でも、私達に出来る事はとても少ない……)

 

「最後の占術だとあの神は言った。だが、今一度遣り直せば、違う未来があるかもしれない」

 

 拳を握り締めたフラウツの言葉にフェシリアが視線を俯けた。

 

 魔王との大戦直前に占術を頼んだ神は彼らの願いを聞き入れ、何一つ失わない未来を模索してくれた。

 

 だが、そんな都合の良い話は無く。

 

 やはり、何かを失い、彼らが“遺す”という運命は変わらなかった。

 

「そうね。でも、分かっているでしょ? フラウツ」

 

「っ」

 

「戦わないって選択肢を選ぶにはもう遅過ぎるわ」

 

 彼らはもう胸にある憎悪を留められない。

 

 本当にそんな選択が出来たのなら、それはきっとベリアステルに入る前に行われているべきもので。

 

 何もかも忘れて暮していれば良かった。

 

 それを選ばなかった時点で全員の意思も運命も全ては既に決まっていた。

 

「……運命を変えるには、時間が経ち過ぎたのよ」

 

 フェシリア達に神から齎された最後の占術結果

 

 その大まかな流れはまったく変わらなかったが、それでも一つだけ大きな成果があった。

 

 神が今までとは違う未来を探り当てたのだ。

 

 必ず一つだけは遺す方法がある。

 

 それだけは如何なる事があっても失われない未来が存在する、と。

 

 縋るような気持ちで詳しく訊ねた彼らに神は何処までも残酷な話をした。

 

 三人の内の一人を東部の家に預け、旅をする事。

 

 それが未来を変える唯一の方法。

 

 そう……赤子の一人を養子に出せと神は占なった。

 

「クソ、クソ……オレは何て無力なんだ……壊す事しか出来ねぇ……こんな事しか能が無ぇ!!」

 

 床に膝を付いて拳を打ち付けたアルヴァートに寝台の上でフェシリアが微笑む。

 

「アルヴァート。いいのよ……その気持ちだけ受け取っておくわ」

 

「済まねぇ。済まねぇ!! フェシリア……オレはまたお前にあんな思いをッッ!!?」

 

 巨漢の背中が震える姿を彼女は数十年ぶりに見た気がして、彼女はようやく心を決めた。

 

「―――二人とも。聞いて頂戴」

 

 寝台に預けていた身体を起こして。

 

 項垂れる二人の顔をラグナロク最後の長が上げさせる。

 

「エムントに昔の伝手を頼ってもらったの……その家はこの国を二分する血統だそうよ。其処にあの子達の一人を養子に出すわ」

 

 二人が内心で納得出来ないまま。

 

 それでもその決断に拳を握る。

 

「きっと、幸せになると信じましょう。そして、後の二人にも私達で出来る限りの事をしてあげるの。失ってしまうかもしれなくても、遺せると信じて、戦うのよ。御伽噺の【黒騎士(ニグリス)】が戒めに苦しんでも、最後には大切な人を守れたように。誰に報いられる事が無かろうと最後の任務を遣り遂げたように」

 

「やれやれ。本当に君は……凄いな。フェシリア」

 

 フラウツが自分達を奮い立たせる女の信頼と笑みに頷いた。

 

「黒騎士……じゃあ、フェシリアは姫、だな」

 

 アルヴァートの発言に憔悴が見える顔に笑みが零れた。

 

「あはは。この歳でお姫様って柄じゃないけれど。そうね……きっと、出来るわ。私と貴方達なら……だって、貴方達は私にとっての騎士。黒騎士ならば【三戒士(トロス・ニグリス)】ってところだものね」

 

 其処に三人の赤子を布で巻いて自分の周囲に展開した移動式の魔術方陣に入れたエムントが戻ってくる。

 

「大丈夫だった? この子達は?」

 

「ええ、至って健康そのものです。それと相手側からの打診が来ました。引き受けてもいいと」

 

「そう……」

 

 フェシリアがその言葉に複雑なものを覚えながらも、三人の我が子に優しい視線を向ける。

 

「エムント。一ついい?」

 

「何ですか?」

 

「この子達に私達が名前を付けない。それが条件だったのよね?」

 

「はい。理由は未だに分かりませんが……」

 

「じゃあ、私達じゃなければいいのよね?」

 

「……たぶん」

 

「黒の子達は双子……引き離すのは可哀想ね……」

 

「ええ」

 

「決めたわ。この国の家に白の子を。そして、そちらの家に一つだけ条件を付けて」

 

 全てを察したエムントが頷く。

 

「一月したら、此処を出ましょう。それまでは一杯皆で愛してあげて……キシュリア・ヴァール・ラグナロク・アルト・ニェハエル……この子が、ずっとずっと……私達の温もりを覚えていられるように……お願いね……」

 

 三人の男達がフェシリアに頭を下げた。

 

 そうして、彼らは一月後。

 

 大きなものを極東の国にて失った。

 

 真名は養子先となった家に秘されるも、数年後本人には教えられる事となる。

 

 彼女の事を乂羅を二分した大地を信奉する家はこう名付けた。

 

 【土御門烙南(つちみかど・らくな)】と。

 

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