※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第三章五十六節2

第三章五十六節「閑話休題者達Ω2」

 

―――新教会暦、現在。

 

「……リ……」

 

 何処かで音がする。

 

「…シ……ア」

 

 それをようやく自分の意識の繋がりとして聞きながら。

 

「フェシリアッッッ!!!!」

 

 彼女は十秒足らずの喪失から舞い戻る。

 

「ッ」

 

 落下中。

 

 その荒野ばかりの盆地から遥か頭上へと投げられる凍て付いた青い魔力の塔(やり)。

 

 彼ら六人のいる空が唸る烈風と弾幕によって強制的な上昇気流へと叩き込まれる。

 

「状況は!!?」

 

 乱流に揉まれながらも彼女達が何とか無事に纏まっていられるのは夜の闇に紛れる透明な魔術方陣を全員の前にいるエムントが張っているからだ。

 

 三次元式のそれはさながら彼らを運び守る船。

 

 しかし、それも一発の直撃弾。

 

 盆地を埋め尽くす数百mの巨人達が投げる魔力投擲で半壊していた。

 

 彼らが遥か上空からの急降下で近付いていたのは既にバレている。

 

 蒼い天蓋の光が振る盆地に佇む巨影達はまるで競技選手。

 

 手の中へと発現させた魔力を槍状にして投げ続け、大げさ過ぎる持て成しを演出した。

 

「「大丈夫? お母さん」」

 

「ええ、貴女達も問題ない?」

 

「「うん」」

 

「そう。ならいいわ。それにしても……随分と立派な衛兵じゃない」

 

 空一面を埋め尽くす魔力の槍。

 

 一発一発が攻城魔術にも等しい一撃。

 

 それが百本以上続け様に放たれるのだ。

 

 その光景なさながら逆流する流星。

 

 空へ向かって放たれた殆どの槍は大気圏上層で散逸している。

 

 が、そのせいか。

 

 アルヴァス周辺の大気魔力濃度は異常な値を示し、飽和魔力の自然転化で空は電光で彩られつつあった。

 

「ッ、下方からの槍が止んだ!? このまま地表へ落着するんだ!!」

 

 観測役のフラウツからの報告。

 

 商業用の飛竜が出せる限界高度二万mからの死のダイブ。

 

 一時的に空が大人しくなったのを確認して、エムントが方陣に包み込んだ全員を降下させる。

 

 が、さすがに何もせずに陣地に踏込ませる程、魔王も甘くは無かった。

 

「や、やつら!? 槍が止んだのは地面の土を握っているからだ!? マズイ!!? 石礫が来るぞ!?」

 

 フラウツの焦った声にアルヴァートがエムントの肩を叩いて前に出る。

 

「全員、一列に!!」

 

 言われるまま全員が巨躯の後ろへと隠れるようにして退避する。

 

「鍛え続けて数十年。ようやく身体を使う日が来た……こんなに嬉しい事は無ぇな」

 

 外套の下。

 

 背中に革製のベルトで括り付けられていた巨大な斧が片手に持たれる。

 

 銀金(ミスリル)の光沢はその得物が伝説級の代物だと教えていた。

 

 内側に反り上がる刃。

 

 分厚い鋼の塊はまるで四方に引き伸ばしたような独特の形をしている。

 

 柄こそ樹木で出来ているが、その表面に描き込まれた【意匠】が全てを教えてくれる。

 

【荒斧神(ラブリュセス)】

 

 人が樹を切り倒して生活に使うようになって数十万年以上。

 

 古くはあるが、億年よりも昔より存在する神々とは違う新興神。

 

 その力が宿る斧は正しく巨山の如き四肢を持つ者達を前にして切り落とすに最適。

 

「来るぞ!! 着弾まで八秒!!!」

 

「よっしゃぁああああああああああああああ!!!!」

 

 アルヴァートの全身が膨れ上がる。

 

 外套の内側から上半身を覆っていた衣服が弾け飛ぶ。

 

 その体表には恐ろしく緻密な方陣がビッシリと全身に褐色の螺旋釘(ビス)で埋め込まれている。

 

 大地の力を宿した魔術触媒と神の魔力を圧縮して焼き固めたソレがゆっくりと赤熱し、全身を焦がすように紅へと変化していく。

 

 後ろにいる者達がその熱さに目を細めた。

 

 突入中の彼らに地表の巨人達が投げた土砂の雨が音速を超える速度で襲い掛かる。

 

 空一面の“土砂降り”に斧が振り被られた。

 

 一線。

 

 大地がそのまませり上がってきたような面が切り裂かれ、彼らの方陣をその最中へと突入させた。

 

 その間にも二線、三線、四線。

 

 斧が渾身の力で振られ、凝集された単一魔力結合体。

 

 最小単位で揃えられた概念魔力による空の刃が赤い転化光を引いて大地を瞬間通り抜けた。

 

 僅かな静寂。

 

 しかし、彼らが土砂の中を潜り抜けた時にはもう変化が起きている。

 

 数体の巨人達が、その断面をズラしながらバラバラになり、地面へと落下して血肉の海を形成していく。

 

「落下地点確保ぉおおおおおおおおお!!!」

 

 アルヴァートの雄叫びが方陣内部に響く。

 

「よくやった!! アルヴァート!! このまま続いて行くぞ!!」

 

 フラウツが巨躯の横手から地表に対して掌を出した。

 

 キュムン。

 

 そんな可愛らしい音がして。

 

 小さな黄色い花弁が大量に突き出した手から溢れていく。

 

 それは方陣を素通りするとまるで花吹雪の如く空へとばら撒かれ、キラキラと天蓋蒼星の光りを反射して雪の如く降り始めた。

 

 地表において仲間の死に一時混乱していた巨人達だったが、相手の位置を大まか把握した事もあって、魔力の槍と大地の散弾を交互に落下中のフェシリア達に集中させ始める。

 

「しゃらくせぇええッッッ!!! 二番煎じが通じるかよぉおおおおおおおッッッ!!!!」

 

 そのどれもがアルヴァートの全ての魔力と物質を断ち割る斬撃に切り裂かれ、途中で爆裂した槍の余波で消し飛んでいく。

 

 方陣の外部は死の領域。

 

 滅茶苦茶な有様は大気を掻き回し、盆地内部はさながら最大級の嵐に巻き込まれたような有様だった。

 

「着陸まで残り四十秒!! 衝撃に備えて下さい!!」

 

 エムントが激烈な周辺環境にも関わらず方陣の落下地点を巧みに誘導して、巨人達の死骸の上を目指す。

 

「フラウツ!! 残り五秒で切りなさい!! 分かったわね!!?」

 

「分かっているさ!! 自分の魔術ながら、巻き込まれたくはないからな!!」

 

 両手に双子を抱いたフェシリアの声にニヤリと唇の端を曲げてウィンクが返る。

 

「残り十秒!! 九、八、七、六、五―――」

 

「今よ!!」

 

 フラウツの掌から花弁が途絶えた。

 

 ドボォオオオオオオオオオオオオオオオオオオン!!!!

 

 方陣が血肉の海に落着し、血柱が吹き上がる。

 

 其処かと巨人達が我が身の拳で押し潰そうと動き出そうとした時。

 

「起爆ッ!!!」

 

 今の今まで散々空にばら撒いた全ての黄色いソレが真の力を発揮した。

 

 最初の一点は高度1万mより上の最も高い位置にあった花弁。

 

 その周囲が急激に歪むと1m程の黒い真球状となって、空間を抉り取るようにして収束、内部の空気を取り込んで瞬間的真空を残し、途絶えた。

 

 しかし、その次に高い位置にあった花弁が連鎖的に同じような状態へ移行すると事態は変わっていく。

 

 球体内部が僅かに明るくなっていたのだ。

 

 盆地の上空で無数に撒かれていた花弁が変化し、下に落ちる毎に明るさを宿していく。

 

 それは俯き加減に咲いた巨大な花の如くも見えた。

 

 そして、ついに巨人達の天辺。

 

 500mの高度まで来ると夜空一面を埋め尽くす光の玉の群生となる。

 

 巨人達がこんなものと手で払おうとした時、花弁の付いた巨人の全身が、光の玉に構成する血肉の数%を抉り取られて。

 

 オォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ?!!?!!

 

 苦悶の呻きが上がる。

 

 花弁が一体何の魔術なのか巨人達が知ろうはずもない。

 

 それは高度な空間制御魔術の産物だ。

 

 花弁と見えた物は全てフラウツが編んだ魔術中核を予め仕込まれた座標印(マーカー)入りの触媒。

 

 起爆と共にそれらは周辺の物質を一点に空間圧縮で超過圧し、核融合並みのエネルギーを放出させる。

 

 黒い真球に見えるのは内部の物質や波を全て空間内部に閉じ込めているからだ。

 

 光すらも脱出出来ない小さな牢獄。

 

 本来ならば大魔術師が己の手で数個生み出すのがやっとの代物。

 

 それを彼は一瞬で数百億枚上空へばら撒いた。

 

 普通ならば制御不能になって全ての力が暴発。

 

 無差別の破壊を撒き散らす事になるだろう。

 

 だが、フラウツの魔術は常識を凌駕する。

 

 肝は高度と転移だ。

 

 本来、後は爆裂するだけの黒の真球が収束して消え去るのは制御して消しているのではなく。

 

 超短距離転移によって真球そのものを低い高度で起爆する花弁内部に移動させているからだ。

 

 故に内部で発生した“膨大なエネルギーを保持したまま”、花弁は次々に高度を落して収束し、強大な力を保有した塊となっていく。

 

 光の玉に見え始めたのは花弁の生み出す空間で封じ込められる光や熱の限界が迫っている故。

 

 あまりにも重くなった物理量(エネルギー)は最終的に空間すらも捻じ曲げてしまう。

 

 高度を落しながら加算されていく力の総量は今や巨人達の絶対的質量すら消滅させるに足るだけのものとなって―――最後の一枚、フラウツの掌にある小さな一片に集約された。

 

「ふ……」

 

 ニヤリと笑って。

 

 彼が血肉の海から真上に突き出した手の上で最後の仕上げをする。

 

「発射」

 

 大魔術ですら制御出来ないだろう力の塊が爆発する寸前。

 

 小さな光の玉となった全ての物理量(エネルギー)が彼の掌上に奔った小さな魔術方陣の中心にある一点に集約、消費された。

 

 そこから起きた出来事を記すなら簡単だ。

 

 盆地内部に“亀裂”が奔った。

 

 彼が今まで花弁の起爆でマーキングしてきた位置に開けられた小さな経路(チャンネル)。

 

 その全てが異相に通る力の通路となり、道が描き出す図に今の今まで起爆して封じ込められて来た物理量(エネルギー)が全て逆流したのだ。

 

 一地域という破格の広範囲が、空間の破砕に飲み込まれて歪み砕けていく。

 

 景色が映った鏡を割るような。

 

 罅の入った硝子で世界を透かし見たような。

 

 そんな光景に盆地が飲み込まれていく。

 

 異相側からの力の流出で破砕した罅の間から漏れ出す光熱が全身を罅割れさせた巨人達を融かし切っていく。

 

 どんな大質量構造体だろうと空間の捻れや破砕には無力だ。

 

 何処とも知れぬ虚無へと粉々になって倒れ込んでいく様子は奈落へと堕ちていくと形容するに相応しい。

 

「【国葬華(ファヌス・フローレ)】……自分で使っておいてなんだが、使用はこれっ切りにしたいな」

 

 【攻国魔術】にも迫ろうかという威力。

 

 それを魔術師一人で行なうのだから、フラウツのレベルは稀有と言える。

 

 もしも、其処が無人の荒野でなければ、都市や村落を含む地域なら、どれ程の被害が出ただろう。

 

 磨き続けた己の牙が普段持つには持て余すものだと自覚して、彼が溜息を吐くのも致し方なかった。

 

 空間の崩壊がまるで風景に塗り潰されるように薄らと透けて元へ戻っていく。

 

 集めたばかりの兵隊が全滅の憂き目となっても、その最中で平然と空に浮遊していたイーギルフィストが血肉すら消え失せた剥き出しの大地にある白銀の球体を見つけて降り立っていく。

 

「中々どうして。やるじゃないか」

 

 彼の声にその空間の隔絶を持って外部からの影響を完全に防ぐ防御魔術を彼が褒めた。

 

「それも神の力か?」

 

 銀幕が剥ぎ取られ、内部から六人の復讐者達が出てくる。

 

 その手には其々の得物があった。

 

 アルヴァートは神の斧。

 

 フラウツは銀金の短剣。

 

 エムントは黒い杖。

 

 フェシリアは透明な宝玉。

 

 双子達は黄金の宝冠。

 

(こいつ……巻き込まれても平然としていたって言うの!)

 

 フラウツのほぼ最大範囲の攻撃を受けても傷一つ無くピンピンしている様子にフェシリアが内心唇を噛んだ。

 

 相手の指定した場所を偵察した彼らが対策を練ったのは数時間前。

 

 盆地内部で偽装していた巨人達を発見して、顔が引き攣ったのは言うまでも無い。

 

 それ全てと全うな方法で戦えるわけが無かったし、戦力差は歴然。

 

 結局、飛竜で盆地上空の限界高度から死の強襲(ダイブ)となった。

 

 元々は対ベリアステル軍用に開発していた低予算(ローコスト)で高効果(ハイリターン)の一撃を相手の大きさに漬込んで通したわけで、二度同じ手がイーギルフィスト相手に通用しないだろう事は彼らも理解していた。

 

「【励起(エクスィテイティオ)】」

 

 フェシリアの声に同調して、瞬間六人の頭上に巨大な混沌と虹色が交じり合う浮遊球体が浮かび上がる。

 

 同時に彼らの肉体を常識外れの魔力と加護が包んだ。

 

 球体の正体は顕現した神の一部だ。

 

 その力を受けて彼らは空間飽和限界以上の魔力を積層化する事も無く体内に巡らせている。

 

 それで平然としている姿はイーギルフィストにも覚えのある神々の手先や普通以上の魔族とも劣らないものだった。

 

(神の力と気配が強くなったな……それに桁外れの魔力を取り込める肉体の親和性……どういうことだ?)

 

 彼が知る限り。

 

 人間が神の力を使うには二つの条件がある。

 

 一つは神の力と肉体や魂、精神が上手く適合する事。

 

 これが出来ない場合は空気を入れ過ぎた袋の如くパチンと人の体は弾ける。

 

 もう一つは魔力の容量(キャパシティー)の大きさ。

 

 どんなに相性が良くても流れ込んでくる膨大な力は常識的にセーブしていてすら、人間を内部から蝕む。

 

 器が小さければ、溢れ出した力を制御するだけの能力も求められるし、実際に神の力を使うと言っても多数の誓約があるのだ。

 

 六人が彼の知る常識以上。

 

 殆ど神の魔力の三割近くの魔力を受け取っているという状況は彼にしても驚くべきものがあった。

 

 本来の神格契約者はどんなに頑張っても受け取れる魔力量が精々神格の有する魔力の0.00001%以下。

 

 それが普通なのだ。

 

「面白い。どんな手品だ?」

 

 主神級の魔力を30%近く。

 

 これは例えにするなら、呆気なく星を焦土にして沈められる力だ。

 

 高々人間が制御出来る範疇を超えている。

 

 六人がそれぞれに分担しているとはいえ、それでも溢れ出す事なく静謐に彼らの肉体に馴染む力の質と量は自身を神の化身としている。

 

「今更語る事なんか無いわ!!」

 

 殆ど思ってもみなかったが、負ける想定もしつつ、イーギルフィストが唇の端を歪める。

 

「なら、存分に遣り合おう!!」

 

 合図をするまでもなく。

 

 彼らが静かに構築していた魔術が同時に抉られた大地に導線を奔らせる。

 

「封結陣、潔ッッ!!!」

 

 最初にフェシリアが発動したのは周囲の空間を内向きに閉じて特定の能力や魔力を励起出来ぬように封じる結界術の一種だ。

 

 盆地を丸々一つ取り込む魔術方陣が大地に描き出されれば、不用意に誰も出入り出来ない。

 

 史上最も魔王との戦いで使われてきた常識(セオリー)。

 

 相手に本気を出せない環境を作る魔術は無論、普通の大魔術師が使ったところで魔王クラスなら軽く内部から突破されるものでしかないが、今回は神の力がふんだんに注ぎ込まれている。

 

 足元に描き出された方陣が何層にも渡って上昇しながら自分を固定化していくのを黙ってイーギルフィストは受け入れた。

 

「行きなさい!!」

 

「「「了解ッ!!!」」」

 

 左右の双子から魔術的な援護を受けているのか。

 

 フェシリアと手を繋いだ二人の顔には大地に奔ったのと同じ魔力導線が奔り、幾何学模様を幾重にも刻んでいた。

 

 その三人の援護を受けてフラウツとアルヴァートが前に出る。

 

 棒立ちの魔王に向けてエムントは彼女達の数m前で術を紡いでいる最中。

 

 後衛による封殺と前衛による攻撃。

 

 中衛によるダメ押しという黄金パターンだ。

 

(実際、まともに動かん事には剣も振れないか)

 

 大概、魔力刃をざっくりと振れば、相手が消し飛んで来た為。

 

 あまり理論だった戦術を意識しないイーギルフィストはさてはてどうしたものかと悠長に考える。

 

 力を入れれば、無駄に死人を出すかもしれず。

 

 かと言って、何もせずに攻撃を受けるのも癪に障る。

 

「素手で行くか」

 

 アルヴァートとフラウツが神速の踏込みを見せ。

 

 左右から首筋を狙ったが、刃先がガキリと両手に止められていた。

 

(この陣の中でもやはり動くのか!?)

 

 フラウツが最初から予想していたとはいえ。

 

 それでも驚きを持って、イーギルフィストに捉えられた刃先を確認する。

 

 二人の得物はどちらも伝説級の武具だ。

 

 神の力を得て、それは現在大きな能力を開放している。

 

 アルヴァートの斧は今なら当たれば全ての物質を断つだろう。

 

 フラウツの短剣も刃で切り付ければ、相手の魂魄にダメージを与えられる代物だ。

 

 しかし、魔力、能力、動作の全てを抑制する結界術の中心でまともに捕らえられていながら、魔王の脅威は聊かも衰えてはいない。

 

「ああ、一つ言っておくが、お前らが最初に陣を張ったのは正解だ。こう見えてオレは結構素早いからな。こういう場で人間並みの速度を出すのは随分と久しぶりだ」

 

 アルヴァートとフラウツは渾身の力を込めて圧していたが、刃先がビクともしない。

 

 指先で挟まれるようにして留められていた得物が軋むのを感じて二人とも同時に後ろへと跳躍する。

 

「遊んでやろう」

 

「「?!!」」

 

 二人が自分の背後から聞いた声にゾッと背筋を凍らせる。

 

 彼らの現在の五感は常人を遥かに超える。

 

 だが、背中に食らう肘の感触に自分達以上の速度で相手が動くという事実を前衛の二人はしっかりと理解した。

 

 ボグッと肉体が内臓に届く程の衝撃に揺れて弾かれたボールの如く吹き飛び。

 

 遠ざかろうとした二人の得物が何も無い空間に突き刺さるようにして勢いを殺した。

 

(早くも幾つかバレてるな。こいつは……)

 

 アルヴァートが次々に自分達の開陳される手札にまったく動揺もしない余裕のイーギルフィストを冷静に見つめた。

 

 激高しやすいと思われるような言動や体格をしている彼だが、実際敵との戦闘となれば冷静そのものだ。

 

 敢えて、そういう風に見せているところがある。

 

 だが、彼らの外見や“見せ掛けの戦術”に何ら“掛かる”様子も無く。

 

 魔王は追撃も掛けずに彼らを見つめるのみ。

 

 全員が思っていた。

 

 今まで戦ってきた敵の誰よりも目の前の男は危険だと。

 

「あら、攻めて来ないのね」

 

 今も陣の中心として術の維持に専念するフェシリアの挑発にイーギルフィストが肩を竦める。

 

「お前ら全員隠してるつもりなんだろうが、全員が全員同じ神の力を得て、同じだけの能力を得てると考えれば、不用意に後衛攻めなんてしてもな。どうせ、同じ技能で全員固めてるんだろう?」

 

「さぁ、どうかしら? 自分の目で確かめてみれば?」

 

「こういう場合の常識(セオリー)は範囲のある攻撃で全部叩き潰すか。あるいは―――」

 

 一発の打撃音が同時に彼を取り囲む形の男女、双子以外の頬から響いた。

 

「重要な任を司る連中を全て落すか、だ」

 

 魔力の殆どが励起出来ず。

 

 肉体も能力も大きく制約を受けているはずの男の拳が、双子以外の頬を打ち抜いていた。

 

 空撃左官陣。

 

 デダル宗家に伝わる全方位波動置換打撃術。

 

 習ったわけでもなければ、今考え付いたわけでもない一撃をまったく息をするような自然さで行いながら、彼は視線を双子に向けていた。

 

「「……」」

 

 神の魔力を宿した者に生半可な攻撃や打撃が通じるはずもない。

 

 だが、しっかりと大人達の頬は撃ち抜かれている。

 

 その最大の理由はイーギルフィストが瞬時に編んだ魔術の特性にある。

 

 大き過ぎる魔力は制御するのが難しい。

 

 それを上手く扱い馴染ませた者でも、高度な魔力を扱う作業の分業は難しい。

 

 何を言っているかと言えば、大きな魔力の使用者の大半は同時に二つの魔術を編まない。

 

 複数の魔力運用はしないという事だ。

 

 相手からの攻撃には防御魔術しか編まない、あるいは編めない者が大半だったりする。

 

 この傾向は魔力が高ければ高い程に増える。

 

 こういった弱点を本来は魔力加工作業以外、超常の力や技能、仲間、道具、予め溜めておいた魔術のストックを使って補うわけだが、強力な魔力を使う輩の殆どはどちらかと言えば、超高速の作業切り替えでこれを代替する。

 

 作業1を中断させて作業2を完了させ、再び作業1を行なう。

 

 このような事の繰り返しで相手に対応するのだ。

 

 煩雑な準備を捨て、作業を高速で終了させられる技量があれば、これ程に使い勝手の良い方法は無い。

 

 実際、自分の体に見合わないだけの魔力を使う人間なら更にその傾向は高いだろう。

 

 そも人体の物理強度が魔力に対して圧倒的に低い。

 

 その為、相手側の攻撃や干渉を気にして魔力の転化現象を完全に抑えた状態では同時に編める魔術は精々が二つ、無理をして三つが限度だろう。

 

 そうでなければ、制御が暴発して相手は爆死する。

 

 今や自分の魔力の大半を封殺されたイーギルフィストだが、そういった戦術上の機微は理解している。

 

 彼が波動打撃に乗せて頬を打った魔術の名は―――。

 

【万差交(ヌメロス)】

 

 元々は酷界で言うところの医者が使うような微弱な攻撃魔術に分類される。

 

 攻撃魔術と言っても、本来的な相手を傷付ける目的のものではない。

 

 主眼とされるのは相手がどのような攻撃用魔術に弱く、反応するのかを見る事だ。

 

 一種の検査用、試験紙的な意味合いが強い。

 

 この術の特性は相手の魔力に対して酷界に存在する即死や侵蝕など、幾つかの危険な項目以外の魔術を極小規模で試すところにある。

 

 内包される術式中核は名前の如く約一万。

 

 使われる相手にしてみれば、肉体の一部を使って自分の弱点が知れる人気の検査である。

 

 が、あくまでそれは魔族に対しての話。

 

 肉体強度が圧倒的に足りず。

 

 魔力を安定させてしか運用出来ない“脆さ”を抱えた人間相手に使えば、答えはおのずと知れる。

 

 双子以外の全員が肉体を崩れ落ちそうな程に弛緩させて、視線をブレさせて、何も出来ずに歯を食い縛っている光景を見れば一目瞭然だ。

 

「ほう? 反応があったのは二十五種。まぁまぁな値だな。人間にしては準備が万全だったと見える。やはり魔力の転化防止策の破壊系……それはそうか。頑丈な魔族と違って人間の体は自己魔力が暴発した程度で吹き飛ぶからな」

 

 蹲(うずくま)るエムントの横を通り過ぎて、フェシリアの前まで来た彼の瞳がキロリと双子を見下ろした。

 

「お前らだな? 神の力を増幅しているのは」

 

「「……そう」」

 

「ダ、ダメ、よ!? 二人、とも!?」

 

 何も出来ずに何とか立ち上がろうとする母の前に出た双子は両手を繋いでいた。

 

「こうして近付けば分かる。増幅の器として互いの魂魄を共振させているな。だが、神の魔力を一瞬で主神クラスまで引き上げて安定化させられる人間がいるはずも無い。何か手品の種があるはずだ……」

 

「「……それは」」

 

「二人とも!! いけません!!」

 

 敢えて、大人達の時間稼ぎに喋っている双子にエムントが声を上げる。

 

 秘密を知れば、最も狙われるのは二人なのだと知る故に。

 

「「神様は私達の……一族だから」」

 

 その言葉にようやく合点がいったイーギルフィストが唇の端を歪めた。

 

「そういう事か。貴様等、祖霊をこの双子を使って祀り上げたな?」

 

「く」

 

 フラウツが何とか起き上がって得物を構える。

 

 アルヴァートの方はもう少し。

 

 エムントは既に立ち上がっていたが、まだ編んでいた術の行使は不可能だろう。

 

 ならば、自分が遣るしかないと背後から二つの短剣が魔王を串刺しにしようと迫る。

 

「邪魔だ。止まってろ」

 

「―――ッ!?」

 

 フェシリアの下にある方陣の力が弱ったからか。

 

 背後に対して行なわれた魔力の波を伴った威嚇にフラウツが全身の筋肉を引き攣らせて、動きを留められた。

 

「だが、祖霊を祀るだけで此処まで急激に神格化した神が強くなるわけがない。少なくとも意思が薄れていない魂魄が大量に必要なはずだが……」

 

「「前、皆……死んじゃったって」」

 

「ああ、そういう事か。一族が亡んだのか。それ故の復讐、と」

 

「そう、よ。何か、悪い?」

 

 ようやく起き上がったフェシリアが背後から双子を抱き占める。

 

 その顔からは血の気が引いていた。

 

「【稀呪(ヴィクス・マギア)】の大魔術師クラスの魂魄が大量なら、納得がいく」

 

 男達が何とか魔王を囲んだ。

 

 その顔色が急激に回復していく。

 

「どうだ? そろそろやれそうか?」

 

 余裕も崩さずに訊ねる魔王に対してフェシリアと男達が烈火の如き視線を向ける。

 

「ちなみに突破出来るとはいえ、わざわざ罠に踏込まず待ってたんだ。愉しませてくれ」

 

 彼らは何も言わなかったが、そこまで見通されていた事を空恐ろしく思った。

 

 自分達が倒れた後も戦えるよう。

 

 双子には最後の罠(きりふだ)がある。

 

 不用意に近付いて傷つけようとすれば発動する類の代物。

 

 彼ら自身にしても命の使い時と見れば、トドメを刺しに来る相手を道連れにする術は複数持ち合わせていた。

 

 それを見越した上でのイーギルフィストの発言は一種、彼らの手札が既に使い物にならなくなり始めている事を暗示している。

 

 時間が経てば経つ程に不利。

 

 そう判断した全員がフェシリアの周囲に素早く合流する。

 

 無論、相手の打撃や動きに細心の注意を払って。

 

 もう準備の完了したエムントがいつでも魔術を打てる状態になったのも大きい。

 

 全ての条件は整った。

 

 イーギルフィストの全てを見通した上で舐めて掛かった態度に大人達は闘気を燃やす。

 

「やるわよ。アルヴァート、フラウツ、エムント!!」

 

「「「了解!!!」」」

 

 声と共にフェシリアの握る宝玉が周囲に燐光を伴った波動を発し始める。

 

 まるで鼓動のように規則正しく。

 

(お手並み拝見といこうか)

 

 興味津々の様子でイーギルフィストが身体を何があってもいいよう備えた。

 

 フラウツとアルヴァートが彼に向かって走り出す。

 

 ただの突撃とも見える。

 

 しかし、エムントが二人の接触前に動いた。

 

 杖が暗い炎に包まれ、地面の方陣を形成する線(ライン)に突き立つと、方陣そのものが一気に燃え広がっていく。

 

 陣の変容を見極める前に魔王へ斧と二つの短剣が振り下ろされた。

 

 先程受け止められたのは魔族の肉体強度と反射を限界まで引き出して反応したからだ。

 

 刃先に篭る能力も恐れず指先で白刃取りしただけに過ぎない。

 

 あまり、何度もやれる類の動作ではなかった。

 

(やれやれ)

 

 だが、今回は能力が刃先だけではなく。

 

 側面までも覆っている。

 

 取ってしまえば、指先を吹き飛ばされかねない。

 

 イーギルフィストは仕方なく回避に移った。

 

 魔力も殆ど使わずに普通の人間なら見えも聞こえもしないだろう高速で迫る刃を少し大げさに身体を逸らして避けながら、相手の出方を伺う。

 

 性に合わない闘い方だが、魔力無しでの戦闘は基本的に地味なものばかりだ。

 

 不用意に迎撃して直接殴ろうものなら、相手の魔力で肉体を融かし削られるしかない。

 

 波動打撃は一度使えば大方見抜かれる部分が多い。

 

 彼が検査した限り、四人の大人達の誰もが入念な事前準備で多くの攻撃に対しての耐性を持っていた。

 

 効く魔術は僅かであり、それも魔術を主に使う輩であるならば、対策の立てようもあるだろう。

 

 つまり、打てる手立ては殆ど無いに等しい。

 

「フェシリア!!」

 

「ええ!!」

 

 エムントの炎が周辺地域に展開されていた封結陣の殆どを燃え上がらせた瞬間。

 

 宝玉の波動が陣内部に一際大きく放たれた。

 

 双子が宝冠を両手で外すとイーギルフィストに向かって投げ放つ。

 

 虚空で消えたソレを何処に行ったか確認するより先に彼の両手首を宝冠が捕獲し、空間ごと固定していた。

 

「【多重光哭叢(アエクアンテ・フラクトゥス)】」

 

 彼の魔力の大半を励起出来ないよう閉ざしていた陣の全てが瞬間、消え去った。

 

 怪訝に思うよりも先に彼が気付く。

 

 自分の周囲から主神十体分程の魔力が向かってきている事に。

 

 それも酷く静謐で風のような速度で迫って来ていた。

 

(……そうか。あの封結陣は魔力の貯蔵を悟らせない為のものか。あの炎が陣を蓋った時、励起する気配を悟れなかった……認識の妨害をされていたわけだな。こいつらが追い詰め役の囮。本命は気を取られた瞬間に嵌る宝冠。実際、動けない状態でアレを食らったら、魂魄が砕けるな。たぶん)

 

 周囲から迫る魔力は主神級の量でありながら、励起しても何ら転化する気配が無く迫ってきている。

 

 思っていた以上に魔力が増強され、無限大にも等しく宝玉から発されていた事は明白。

 

 だが、それに気付けなかったのは彼が魔力を封じられていたからだ。

 

 周辺に満ちた相手の魔力で魔術中核を起動させ、波動打撃くらいは通せたが、相手に食らわせられたのはその一撃が最後。

 

(さすがと言うか。これだから人間てやつは……)

 

 思わず緩みそうになる唇を意図的に直して。

 

 彼は刹那の時間を引き延ばしながら、自分に迫る三つの刃と魔力に感嘆する。

 

 双子が増幅した無尽蔵の魔力を陣内部に放出し続け、相手に悟られぬよう循環蓄積制御するという常識外れの能力はもう彼にも何がどうなっているのか分からない領域の話だった。

 

(これが当たれば!! 勝てる!?)

 

 一瞬一瞬に自らの精神を削りながら、フェシリアは終わりが来る事を確信していた。

 

 数十年という時を自らの魔術大系、今風に言うならば【瞬刹魔導(フラッシュ・クラフト)】に捧げてきた彼女の手並みはもう神掛かっている。

 

 風の一つも唸らせず。

 雷の一つも鳴らせず。

 炎の一つも燃やさず。

 

 恐ろしい程の速度で瓦解し続ける制御と循環と蓄積の術を其々に一つだけ。

 

 彼女はもう“数京回”も組み直し続けていた。

 

 昔から高速で術を編むのが異様に上手く。

 

 一族の若手達と共に研鑽した魔術は今も建材。

 

 完成したソレこそ彼女にしか出来ない彼女だけのオリジナル。

 

 【詠列並算(パラレリア・カントゥス)】

 

 特殊な精神の分化魔術を寄り辺として成立した大系は一言で言えば、自分を何万人、何十万人と魔術で簡単な術式中核を編む能力特化の人格として脳外に複製する。

 

 その代わり、全ての人格は与えられた命題。

 

 一つの魔術を高効率化した最短の速度でしか編めない。

 

 無論、同じ魔術を何回組もうと魔力は有限であり、根本的には複雑な術を編めない為、通常は脅威とは為り得ない。

 

 これを現実的に使うとしても、殆どは簡単な魔術を何度も何度も張り替えるような単純労働のような作業にしか向かないだろう。

 

 しかし、この大系には一つだけ得意な事がある。

 

 それは言うまでも無く魔力さえあれば、如何なる状況にあろうとその魔術が崩壊しないのだ。

 

 真髄は単純にして簡潔。

 

 魔術を完成させる時間に対して術の破壊や崩壊までの時間が長いという一点に尽きる。

 

 例えば100の魔力を制御する為には100の能力を持った魔術が通常必要だが、この理屈を彼女は超える。

 

 彼女は能力1の魔術で100の魔力を制御してみせる。

 

 無論、すぐに1の魔術は限界を迎えて消え去るが、それが消え去るよりも先に別の人格が編んだ1の魔術がこれを補完する。

 

 この連鎖を続けていく事で彼女は100の魔力を1の魔術で支え続ける事が出来る。

 

 無論、支え続けるという事は1の魔術を発動し続けるという事。

 

 同時に時間経過で100の魔術を使う以上の魔力ロスが生まれてしまう。

 

 しかし、これを逆に言うならば、支え続ける時間さえ短ければ、大幅な魔力の削減にもなる。

 

 勿論、待機している人格を魔術で構築し続けるのにも魔力は使うが、それは効率化の問題であり、使用される魔力も今では微々たるものに過ぎない。

 

 現在の彼女が行っている大魔術を超えた極限の魔力制御は時間経過のロスをも取り込んだ一撃だ。

 

 宝玉から波動の形で神の魔力を陣内部で還流蓄積制御。

 

 同時に転化しようとする分の魔力を制御魔術のロスに巻き込んで帳消しにしている。

 

 この為、本来なら完全に惑星が崩壊していてもおかしくない魔力量が周辺に渦巻いているというのに彼らは無事なのである。

 

 勿論、放出される魔力量よりも消費される魔力が多いのだから、膨大過ぎる無駄。

 

 主神級魔力が数十体分以上消え失せている計算になるが、そもそも彼女の階梯では主神十体分の魔力なんて本来制御のしようも無いものだ。

 

 それが出来ているというだけで十分剛毅な話だろう。

 

 その魔力を支え続けるのは彼女の娘達。

 

 一族の祖霊を神格へと昇華してほぼ無限に魔力を増加させる二人の巫女。

 

 彼女達は数世代に一人現われると言われた大魔術師の資質を持った本当の天才だった。

 

 六人全員が各々の役割を果たしたからこその一撃。

 

「ぅおおおおおおおおおおおおおッッ!!!」

「はぁああああああああああああッッ!!!」

 

 恐ろしい濃度の魔力波動が動けないイーギルフィストに集約する寸前、アルヴァートとフラウツの得物の刃に注がれ、威力を極大化した。

 

 三線。

 

「――――――」

 

 真っ向から魔王の身体を裂いた斧が大地に触れる直前で真下に開いた黒い空間。

 

 エムントの使う異相内部へと先端を通過させ、過剰な魔力の矛先を念入りに次元境界のある深い深い別空間に消し去った。

 

 二つの短剣が肩から肺を抜けて臓腑を絶ち、脇腹から出でて、威力の全てを魂魄へのダメージとして出力し、同じように黒い空間に刃先を捉えられて威力を殺される。

 

 それと同時に盆地の一度破砕されて不安定化していた空間がギジギジと怖ろしい悲鳴を上げて、歪み軋んだ。

 

 本来なら放出された魔力で地域の空間全てが崩壊しているはずだが、エムントの空間制御による魔力の誘導は現実から遠い世界へ向かって行われた。

 

 何とか崩壊を防いだ手腕は魔王に届き得る切り札の一つに違いなかった。

 

「終わった……これで魔王に―――」

 

 六分割されたイーギルフィストの瞳が、キロリと自分の下で恐ろしい力を振るって硬直している“敵”を見下ろした。

 

「下がれッ!!!」

 

 エムントの叫びよりも早く。

 

 物理的に繋がっていないはずの足が二人の男を道端の塵を蹴り飛ばすような無造作さで蹴り飛ばした。

 

「グッ!? あれでまだ死なねぇのか!? あいつ!!?」

 

 自分を包んでいた魔力で無事だったものの。

 

 それでも圧迫された肺から空気を搾り出されて、アルヴァートが片手の指で地面を削りながら勢いを殺す。

 

「不死身か? だが、魂魄まで復元する階梯となると……」

 

 フラウツは空中でクルリと身体を回転させると相棒の横に降り立った。

 

 ブスブスと血飛沫が焦げ付きながら黒く変色し、六つの断片となった男がダメージを受けているのは彼らにも確認出来た。

 

 しかし、まだ、動く。

 

 まるで斬られた場所が未だ接着しているのではないかと思うような滑らかさで蠢く。

 

 それどころか。

 

 襤褸切れのような身体の有様で。

 

 それでもイーギルフィストは、青年は、魔王は……一撃の為に致命必死の重ね当てられた切り札の数々を前にして、立っていた。

 

 もはや死に体。

 

 そう六人の復讐者達が侮らなかったのは相手の強さや異質さに畏怖を抱いたからではない。

 

 冷静に攻め倒そうと追撃を加えなかったのは恐怖を覚えたからでも、躊躇いを覚えたからでもない。

 

 単に相手の余裕が崩れるどころか。

 

 歓びを湛えて微かに笑んですらいたからだ。

 

 それがもしも戦いの愉悦や自己の力への自信から現われた表情なら、彼らの誰も戸惑いはしなかった。

 

 しかし、そうではない。

 

 まるで道端で遊ぶ子供を見て微笑むような。

 

 そんな、温和な表情に彼らの誰もが虚を突かれていた。

 

「何で……そんな顔で戦えるのよ」

 

 険しい表情のフェシリアが次の攻撃で完全に相手を滅ぼす為の魔力を今度は隠す事なく宝玉そのものに溜めながら訊ねる。

 

「見て解らないか?」

 

 宝冠が、至近で晒された膨大な魔力に崩れ落ち、拘束が崩れた。

 

「貴方にこの状況を喜ぶ要素があるって言うのかしら?」

 

「オレもこんな心持になったのは始めてだ。だが、そうなるものは仕方ない。ようやくこの世代までこいつは辿り着いた。辿り着いてみせた……我ながら笑うしかない」

 

「この世代ですって?」

 

 瞳を細めるフェシリアにまるで自分の有様を忘れたような危機感の無い両断された顔で彼が頷く。

 

「【幸受世代(フォルトゥナータ)】……多少歪んではいるが、お前らはそのサンプルとしては最上に近い。もしも、こいつが表に出てたとしても、お前らの為に顔へは出さないにしろ……少なからず喜んでただろう」

 

「まるで意味が分からないわね。お前らの為? 喜ぶ? サンプル? 頭でも吹き飛ばしてたからしら」

 

 あからさまに不機嫌となったフェシリアが嘲笑するも、青年の顔は崩れず。

 

「お前らの愚かしさは正しく人間として正しい在り方の一つだ。だが、お前らのような存在はこいつが手に入れたかったものを測るに都合がよくもある」

 

「何ですって?」

 

 ふわりと今まで地面に立っていた青年の身体が浮遊する。

 

 それに逃走準備かと一瞬男達が身構えたものの。

 

 高度を上げる事もなく。

 

 イーギルフィストは見切った彼らの間合い。

 

 15mまで近付き止まる。

 

「どうせ次の一撃まで時間があるだろう。お前らの復讐の理由を聞こう」

 

「……さっき言ったわ」

 

「復讐者と名乗るなら、正統な理由とやらを聞かせろと言った。今までの連中はお喋りばかりで、自分はこんなにも不幸だから、お前は死ねと口を揃えたもんだが……お前らは直接手を下したわけでもないコイツをただ一族が亡んだという理由だけで殺そうと思ったのか」

 

「無論、それが一番大きな理由だけれど。それだけじゃない」

 

「ほう?」

 

「沢山の人間が死んだ。私達の大切な人達だけじゃない。今まで旅してきた多くの国。触れ合った多くの人々。笑顔に溢れた国が一夜で嘆きと涙しか残らないなんて事もザラだった……今だってそう。大陸中央諸国以外の国々はあの大戦後も停滞し続けて……多くの悲劇に溢れていた……それを直接行なったのは魔王じゃないかもしれない。でも、歪んだ因果を辿れば、原因はおのずと知れる」

 

「典型だな。大概、誑かされた復讐者はそう言う奴らばかりだった」

 

「誑かされてなんていないわ。この復讐は私達が望み、私達が願った。その原因が誰に知らされたところで私達はこうする事を選んだでしょう。一片の曇りも無く魔王を殺すのは私達の事情よ。神だろうと超越者だろうと誰が私達に力を貸そうと、外の声は何ら関係ない。何を犠牲にしても必ずこの復讐は遣り遂げる」

 

「く、くくく、くはははははっ!!」

 

「何が可笑しいの……」

 

 思わず笑った魔王に底冷えするような視線でフェシリアが問う。

 

「そうかそうか。ああ、まったく、それでその様か。本当にこの世界は―――幸せとなった!!!」

 

 男達の得物を持つ腕に力が入る。

 

 それでも仕掛けないのは彼らの攻撃の真髄が全て同時に行なわれなければならないからだ。

 

 何一つ欠けても先程のような大規模な一撃は当たらないだろう。

 

 宝冠は既に失われている。

 

 まだ双子は健在とはいえ。

 

 それでも魔王の動きすら止めた伝説級の武具が揃いで二つ失われてしまっているのだ。

 

「戯言ね」

 

「如何にも!! だが、事実だ」

 

 青年が頷く。

 

「貴様等の十全な肉体と精神。研鑽によって研がれた刃。万全ではないとはいえ、このオレに手傷を負わせるに足りた実力。そして、その見事な連携……お前らは確かにこいつが出会ってきた復讐者の中でも五本の指に入る実力者と言える。だが」

 

 パチンと指が弾かれて。

 

 彼らが警戒する。

 

「っ」

 

 青年の背後虚空に複数の窓(ウィンドウ)が展開され、映像が映し出された。

 

 そこには彼らが見た事もない顔が無数。

 

 必死の形相で、死に物狂いで、壊れた嗤みで、苦しみ抜いた絶望で、ようやく死ねると晴れ晴れとした微笑で、戦う者達がいた。

 

 剣持つ者。

 槍持つ者。

 斧持つ者。

 盾持つ者。

 銃持つ者。

 

 左腕を落とされた者。

 右腕を落とされた者。

 左足を落とされた者。

 右足を落とされた者。

 

 ありとあらゆる方法で少年を殺さんと迫る老若男女がいた。

 

 彼らは傷付きながら、もがきながら、のたうちながら、戦っていた。

 

 強さの代償に肉体を腐らせた者。

 

 寿命を代償に老人となって戦った者。

 

 子供を代償に我が身を呪い強くなった者。

 

 信頼させて背中から裏切った者。

 

 油断させて抱き締め刺した者。

 

 他者を巻き込んで囮にした者。

 

 手段も問わず。

 犠牲も問わず。

 

 何もかもかなぐり捨てて、あらゆる人倫を廃して、それでも尚進んだ者達がいた。

 

 彼らは弱かった。

 

 とてもとても弱かった。

 

 フェシリア達に比べれば、殆どは練度も資質も努力も足りない相手。

 

 魔王を前にしては塵芥に等しい。

 

 卑怯で杜撰で怠慢に過ぎる勝ちの目なんて無い戦い。

 

 怨讐に取り憑かれた誰もが最後には倒れ伏していった。

 

「お前らには悲劇が足りない」

 

「何、ですって?」

 

 イーギルフィストが彼らに背を向けて、虚空に耀く無様な復讐者達の末路を見つめる。

 

「お前らは知るまい。自らの子供すら手に掛けて復讐を誓った者がいる事を」

 

 血涙に没した男が何度も何度も子供の名前を呼びながら、血反吐を吐いて燃え尽きる。

 

「お前らには分かるまい。もはや死した妻を守らんと立ち上がった者がいる事を」

 

 美しい屍を背にして亡鬼の相貌を宿した剣士が自らの首を刎ねて嗤う。

 

「お前らには出来まい。我が身、我が郷土、愛した者を捧げて邪神に願う愚者になる事も」

 

 悍しい汚泥と腐肉のみとなった老人が絶望を絶望で塗り潰して尚、勝てぬ事実に砕け散っていく。

 

『―――?!』

 

 彼らはその背中に攻撃しなかった。

 

 必殺の機会なのかもしれないと思いながら、そう出来なかった。

 

 それは結局、全員が分かっていたからだ。

 

 魔王イーギルフィスト・アルストス。

 

 その背中の大きさと宿る力の大きさが衰えるどころか。

 

 更に膨れ上がっていると。

 

 どんな原理で魂魄のダメージを切り抜け、頭部の両断からも生き延びているのか。

 

 あるいは死んでも甦っているのか分からないが、一つだけ確か事は……背中を向けた男は紛れも無く強者だと言う事だ。

 

「こいつはな……シンア・ザ・クリティカルアンラッカーは……お前らを慈しみ守ろうとはしても、殺そう等とは思いもすまいよ」

 

「何を、言ってるの……?」

 

 その声があまりにも物悲しい響きだったから、自分達に向けられるには場違いに過ぎるものだったから、そうフェシリアは訊ねてしまっていた。

 

「お前らは考えた事も無いんだろうな。自分達が何も失わずに此処まで来れた事を」

 

「一体、何が言いたいのよ!? 魔王!!」

 

 振り返った男は何処か目を伏せがちにして、溜息を吐く。

 

「たった一つの井戸や僅かな食料の為に人が殺し合う。それが人の日常であった頃、こいつは村間奴隷として飼われていた」

 

 大人達が静かな瞳の奥に光りを揺らがせる。

 

「こいつは誰よりも人の醜さを知っている。何故なら、この世で最も運命に虐げられたのは他ならぬこいつだからだ」

 

 復讐者達の映像が次々に途切れ、最後には七つのみが残る。

 

 その中には少女達がいた。

 

「舐められる限りの辛酸、その果てに起ち。見るに耐えない吐き気を催す謀略によって貶められ。慈しみ、愛し、育んだ者に裏切られ続ける。それでも己に死すら許さず。最後には我が身しか残らぬ悲哀を背負った」

 

 少女達は笑っていた。

 

「こいつは自分の境遇を笑うだろう。自分に挑んできた誰よりもきっと幸せだったと微笑むだろう」

 

 その視線の先にいるのだろう主へ微笑んでいた。

 

「こいつはいつも自分を世界一安い命と評してる。だがな、その命で贖われた安全と平和と幸福を享受する者達はこいつに感謝などしなかった―――」

 

 少女達の姿がいつの間にか暗い夜を背に揺らめいていた。

 

 炎の最中。

 夜の最中。

 

 少女達が顔を歪ませていた。

 

「―――しなかったんだ………」

 

 剣を執る者有り。

 

「因果を歪めし者と呼ばれても」

 

 腕に振り下ろす者有り。

 

「一体、こいつが何を歪め続けたのか考える者はない」

 

 肺を刺し貫く者有り。

 

「そんな輩にこいつを討たせるわけにはいかないな」

 

 心臓を抉る者有り。

 

「こいつを討っていいのは、こいつの願いが叶った後」

 

 首を切り付ける者有り。

 

「こいつに笑まれ」

 

 腹に突き立てる者有り。

 

「こいつの全てを理解したやつだけだ」

 

 胸を裂く者有り。

 

「神々に導かれし、最後の復讐者よ」

 

 遥か天空からイーギルフィスト目掛けて星が流れる。

 

 迎撃体勢を取った彼女達の前で真空の海より秒速57kmで突入してきた光の矢が止まり、片腕を伸ばした魔王に執られる。

 

「此処で引くなら善し」

 

 “永劫不刃の大業物”または“鳴らぬ刃”。

 

 あるいは史上最高の鍛冶が残した最後の一振り。

 

【剋滅刃(アイオン)】

 

「引かぬなら、刻もう。我は最後の魔王。終わりにして始まり。人の救済を司りし……業なる“天”……その欠片。イーギルフィスト・アルストス……貴様等、人の愚かを裁く者也」

 

 時間が経った。

 

 最後の一撃を放てる状態で六人の復讐者達は息を呑む。

 

 今までの比ではない。

 

 戦いの喜びも甘さも無く。

 

 唯(ただ)、只管(ひたすら)に巨大な気配と今にも磨り潰されそうな威圧感だけがあった。

 

 それを証明するように彼らのいる地域の地殻がゆっくりと沈んでいく。

 

 そのあまりの魔力の圧力と自重に大陸の岩盤が悲鳴を上げているのだ。

 

 魔王イーギルフィスト・アルストス。

 

 その本当の力。

 

 如何なる油断も興も持たぬ姿。

 

 嘗て、討たれた時すら本当の力を顕にしなかった真正の“上位貴族中三位”。

 

 酷界総軍八京六千兆中、四百兆の大旅団を率いた男は―――資質でも魔力でも血統でも圧倒的に自分の率いる者達に劣りながら、たった一つの能力故に頂点となった。

 

「“ザヴォイド”我が仮面―――主神【炎創者(ロクシアース)】」

 

 白滅の御手。

 

 過去、触れたあらゆるものを消滅させた武勇から名付けられた【堊腕(あくわん)】という二つ名も本来の力の一端でしかない。

 

 片腕から溢れ出した白い硬質の塊が顔の全てを覆う仮面を創り出していく。

 

 パキン。

 

 白が貌を蓋った。

 

 すると、別たれていた肉体が再び一つに接合し、その肉体と衣装が復元されていく。

 

 彼らの前でイーギルフィストの魔力が変質し、気配が別の者へと塗り替えられていった。

 

「久しぶりに愉しませて貰った礼だ。オレの能力(ちから)を教えておこう」

 

 面にはまるで写実したとしか思えない貌が一つ浮かんでいた。

 

 それは紅と橙に染まる炎性神格の一柱。

 

「この腕で触れた存在をオレは面として再生する。この面はその映し出された存在に全て等しい。それはこの宇宙の記録より参照された実物に他ならないからだ。無論、貴様等が今思っている通り―――」

 

 剣を持たない片腕が天に向かって差し出され、数秒。

 

 夜であった世界が朝を迎えた。

 

 地平より現われたのは紛れもなく陽光。

 

 だが、未だ大陸の反対側には本来の恒星が存在している。

 

 それは……地表より光の速度で上空へ打ち上げられた魔力が真空中で水素の代わりに核融合を行った代物。

 

 小さいが、確かに存在する太陽だった。

 

「面の能力は実物と同等。どれほど格上だろうとオレは本人の能力の全てを写し取る。力の制御、能力の運用、存在の本質、オレの意思以外の全ては面に写し取られた相手そのものと思え」

 

 フェシリア達の額に汗が伝った。

 

 彼ら全員が感じていた。

 

 たぶん、この地域一帯。

 

 もしかしたら、大陸全土にすら、この場にある熱気が伝播しているかもしれないと。

 

「まさか、主神級に力を引き上げられるなんて、デタラメ過ぎるわね」

 

「お前らが言えた事か」

 

 魔王が笑いもせず剣を一振りした。

 

 刹那。

 

「フェシリア!!!」

 

 エムントが全員の前に出て、自らの外套を翻す。

 

 剣の軌道を遅れて炎としか言いようの無いものが幾筋か奔る。

 

 地表から数十cm。

 

 上向きに放たれた耀く筋がエムントの外套に当たった瞬間に呑まれ、残る微かな部分が一直線に地平の先へと航跡を残して飛んでいく。

 

 そうして駆け抜けた筋は重力に惹かれる事無く加速し続け、大気圏外へと向かい、発火した。

 

 真白い閃光が朝を埋める。

 

 それは太陽よりも強い光。

 

 上空800km地点で起こった事象。

 

 周囲を漂っていた僅かな隕石か何か。

 

 そんな小さな物体に炎の筋が当たった末の爆発だった。

 

 閃光に遅れて、大規模な空震が大陸の理不尽な朝を奮わせる。

 

 大気圏内での起爆だったなら、大規模な被害が出ていたかもしれない。

 

 凡そ半径150km近くの爆発。

 

 恒星を生み出す事すら可能な主神の力に比べれば微々たる火力。

 

 エムントが防いだのは暴発していれば、一瞬でアルヴァスを焼き尽くすかもしれない攻撃だった。

 

「よく防いだ。先程の威力を逃がした手際といい。お前ら空間制御に特化しているのか。面白い」

 

 無感動な瞳でイーギルフィストがエムントの外套を見た。

 

 その布地の中には空間が続いている。

 

 別の空間に攻撃を飛ばしたのだ。

 

 大魔術師辺りが好みそうな防御方法は体の本来の主たる少年もまた使う事があるものだ。

 

 何処か親近感を覚えて男はニヤリとした。

 

「やって、くれるじゃないッ!!」

 

 フェシリアが歯を軋ませる。

 

 その理由は単純だ。

 

 彼女達は未だ舐められているのだ。

 

 奔った炎の筋はエムントが対応出来る程度の速度で放たれた。

 

 まったくイーギルフィストが本気とは程遠いのが彼ら全員にも分かっていた。

 

「手加減してるつもり?!」

 

「オレはそんなに甘くない。久しぶりに使う力の加減を確かめただけだ」

 

 魔王は諸撃を単なる牽制や力の誇示の為ではなく“準備運動”に使ったと告げる。

 

 本来なら相手に更なる手札を晒させる事も出来ただろう。

 

 だが、それを敢えてしなかった。

 

 フェシリア達からしてみれば、貴様等程度には不意打ちすら必要無いと言われたに等しいが、彼にしてみれば、自分の力がどうなっているか事前確認したに過ぎない。

 

「ちなみにさっきのを食らっていたところでこの国を守る程度は造作も無かった。だが、恒星の構築で属性を強化したとはいえ、“こいつ”の能力は本来精密制御するような代物じゃないんでな。あまり無様な防ぎ様だと、この地域や国ごと吹き飛ぶぞ」

 

 仮面が人差し指でコツコツと叩かれる。

 

 面に浮かぶ顔は動かない。

 

 なのに周囲へ噴出し始める【神話性概念魔力(ファブローサ・マギシス)】のうねりで形相は怒っているように歪んでいた。

 

「くッ?!」

 

 フェシリアが窒息しそうな程の力に自分達も神の力を此処で全開にするかどうか迷った。

 

「今すぐにお前らの神を全力で使っても構わんぞ?」

 

 まるで最初から分かっていたかのようにイーギルフィストが力の発現を誘う。

 

「余裕、じゃない」

 

「今のオレが余裕以外の何に見えるんだ? ちなみにもう決着は付いているがな」

 

「何ですって?!」

 

 吼えるフェシリアに魔王は事も無げに言った。

 

 不変の剣(つるぎ)が片手持ちで肩に乗せられる。

 

「超高位存在、主神級の攻防で一番大事なのは一部の能力を持つ奴以外は能力の開放を先に行なう事だ。普通の戦闘なら後出しの切り札か何かでお前らみたいな神力を使う奴らは有利極まりない。が」

 

 イーギルフィストがゆっくりと彼らとの間を詰め始めた。

 

「主神級対主神級の戦闘はこれが当て嵌まらない。重要なのは能力の相性ではなく。その膨大な力を動かす“時間”だからだ。何故かと言えば」

 

 未だ外套で全員の前に立って攻撃を防ぐ形となっていたエムントがジリジリと焦げていくような精神の磨耗に耐えながら、相手の足音を数える。

 

「能力発動までのタイムラグで大体の相手と決着が付く。主神の攻撃は基本的にどれも“極大”で相手を行動不能にする事はほぼどんな攻撃でも可能だ」

 

 外套が横一線、剣に切り裂かれた。

 

 あらゆる攻撃を何処(いずこ)かと消し去るマントが真っ二つとなる。

 

「当たれば終わる。だから、自分の出力を全開にする時間があいつらにとっては最大の弱点なのさ。それが一秒だろうが刹那だろうが、能力全開前に攻撃が当たれば、即消滅。防御、中和、対消滅、攻撃を攻撃で防ぐ、みたいな幻想は捨てろ」

 

 空間が焼き切れた。

 

 としか、形容のしようがない。

 

 虚空に灼熱の耀きが一線として焼き付き。

 

 これ以上は自分が時間を稼ぐしかないとフェシリアが前へ踏み出す。

 

 彼らの中で唯一魔力の圧力にも抗し切れるのは魔力さえあれば、術を発動維持し続けられる防御魔術にも長けた彼女しかいなかった。

 

「あいつらクラスになると相手の肉体や神格の特性、空間防御すら消滅させるのも容易い。人間と同じで常に槍(こうげき)の威力が先行する世界だからな。防御なんぞ力が完全に働いていなければ紙屑だ。先制する機会が全てを決するわけだな」

 

 キロリと瞳がフェシリアを見下ろす。

 

「人間が神力の行使に要する時間はお前達が証明したように言わずもがな長い。オレは今全ての能力を全開にして振るえる。お前らが出力を全開にするより先にこいつで切り捨てるだけでもいい。呼吸するより容易い話だな」

 

 剣が陽光を照り返した。

 

「随分と饒舌じゃない」

 

「大陸は酷界の一部魔族にとって遊び場だ。わざわざ大げさに兵器や武器や兵隊を持ち込むのは無粋だろ。だから、今まで誰も本気で戦ってなんてこなかった。その必要も無かったんだ」

 

「一度滅ぼされた負け惜しみかしら」

 

 まるで物覚えの悪い生徒を見るような視線をイーギルフィストがフェシリアに向ける。

 

「……人間に殺される事すら実際オレ達魔王にとっては愉快な“遊び”なんだよ。だから、わざわざ大陸や人類種を滅ぼせる手札は使わないし、持ってこようとも思わなかった。仮にそういう輩が一度でも来ていれば、人間は今の半分以下しか大陸に生息していなかっただろう」

 

「人間が魔族に生かされてるだけの存在だって言いたいわけ?!」

 

「半分は正解だ。嘗ては大勢の主神達もいた。人間を適度に減らすくらいなら、まぁまぁ許容する連中がな。そいつらの影響を考えれば減らし過ぎるのはよくないってな酷界側の抑制もあっただろう。ただ、一人も減らすなと叫ぶ人間にベッタリな下級神も多かった。遊び過ぎると連中と事を構えなきゃならなくなって、最終的にお前らみたいな奴らがよく歴代の魔王には差し向けられたんだ」

 

「自分の意思で全員が此処にいるわ。そして、貴方に勝利し、シンア・ザ・クリティカルアンラッカーを打倒してみせる!!」

 

「……その無為な復讐も……もう終いだ。神力を使う間も無く。逃げ出す事も出来ず。圧倒的な力を前にして硬直する事しか出来ない。そんな輩は戦うにも値しない」

 

「ッ」

 

「今日はこの最後の魔王が簡単に人間に勝つ方法ってのを伝授してやる」

 

 剣がフェシリアの肩にヒタリと刃先を当てた。

 

「オレはお前らを殺すのが目的じゃない。だから、オレがお前ら全員を惨めったらしく絶望しながら生きられるようにしてやろう」

 

「フェシッ、リアッッ!!」

 

 最初に動いたのはフラウツだ。

 

 主神の魔力と威圧感に全身の筋肉が物理的に断裂し、呼吸困難を併発するのも構わず。

 

 短剣が一線。

 

 フェシリアの肩越しに仮面目掛けて軌道を描く。

 

 キャシャァァアン。

 

 神格の力を受けていた白銀の刃が物理強度で負けたか。

 

 呆気なく儚い音を立てて砕け散った。

 

「仮面を狙ったのは褒めてやろう。だが、お前らの真髄はあくまで六人それぞれの切り札を重ねた一瞬にある。高々、人間が神格の力を得ただけで主神と同等のオレを斬れると思ったのか?」

 

 ボッとフラウツの両腕が瞬時に蒸発した。

 

 知覚も許さぬ瞬間的な物体の昇華。

 

 本来なら巨大彗星レベルの物体すら消し飛ばす力だ。

 

 頭部が残されているのは正にイーギルフィストが言った通り。

 

 殺すつもりはないという発言を裏付けていた。

 

「ぐッ?!!?」

 

 見えざる一撃。

 

 瞬間的な熱量の増加による空気の膨張で吹き飛ばされて。

 

 両腕の無い身体がアルヴァートに受け止められる。

 

「フラウツッ」

 

 フェシリアの叫びに彼女の前で蹲るようにしていたエムントが歯噛みした。

 

 サポートするはずの彼が未だ動けずにいるのは周辺でほぼ励起状態になっている概念魔力のせいだ。

 

 本来、魔力は個人個人の検出能力によって発現する形質が違う。

 

 四百種以上ある魔力形質はそれぞれが近いものなら、励起しない非活性状態でも干渉し得るが、励起寸前の状態まで持っていくとどんな魔力でも相互干渉が起きる。

 

 これを用いて魔術具やまったく別系統の魔力形質で編まれた魔術に対し、暴発や妨害を仕掛けるのが魔術師の一般的な技能の一つなのだが、その十八番が今は主神級となったイーギルフィストの魔力で行なわれていた。

 

 本人にしてみたら、まったくその気は無いのだろう。

 

 が、仮面から漏れ出したのは仮にも主神の力。

 

 本人にしてみれば、微々たる量でも完全にエムントの魔術を発動不全状態にしていたのである。

 

 純粋な励起魔力の照射。

 

 嘗て、エンシェン・イル・フォイルが高位魔術師達に何もさせず勝った方法と同じ。

 

 不用意に魔術が暴発しないよう押さえ込んでいるだけ、エムントは大魔術師と呼ぶに相応しい。

 

「あっという間に二人だ。さて、次は」

 

 アルヴァートが仮面の動きにぞわりと鳥肌を立てた。

 

 如何に神の加護を受けているとはいえ、瀕死のフラウツを支えている状態では何も出来ない。

 

 その肉体を打ち捨てて武器を掴んで躍り掛かる事は出来るだろうが、それでは二の舞になるのが目に見えている。

 

「―――ッ」

 

 ジリジリと額の血管が焦げ付くような錯覚を覚えて、唾が飲み込まれた。

 

「臆病者に用は無いんだ。とりあえず、その小さい勇者達の方からにしよう」

 

「「!?」」

 

 双子がアルヴァートの背後で硬直した。

 

 咄嗟にフラウツを横へ突き飛ばし、二人を抱き占めるようにして視線から庇った巨躯が、燃え上がった。

 

「カ、ヒュッ―――?!!?」

 

 熱量の操作。

 

 本来なら肉体の芯から黒焦げに出来る攻撃がアルヴァートの表皮と螺旋釘(ビス)を容赦なく燃やしていく。

 

「「アルヴァートッ?!!」」

 

 それでも双子は熱さの欠片も感じていなかった。

 

 それは巨躯が盾となって防いだのではなく。

 

 単にイーギルフィストが一緒に燃やさなかっただけの話だ。

 

「真皮の下に脂肪があれば、それも燃やして松明代わりにしても良かったが、生憎と筋肉達磨だったか」

 

 フラウツを吹き飛ばしたのと同じ攻撃で巨躯を横に吹き飛ばされた。

 

 残るはフェシリアと双子のみ。

 

(どうにかしなきゃ。どうにか、全ての可能性を模索するのよッ、くッッ!?)

 

 今も動けずにいる自分に絶望しそうな感情を何とか御しながら、状況を精確に把握して。

 

 剣を肩に付けられただけで動けなくなっていたフェシリアは自らの手札を点検する。

 

「何を犠牲にしても必ずこの復讐は遣り遂げる、だったか?」

 

「?!」

 

 自分の言葉を仮面の内で繰り返されて、フェシリアが直感的に相手が何を考えているのか見抜いた。

 

「じゃあ、まずは娘達の可愛らしい手足からどうだ? 犠牲にしてみよう」

 

 軽く。

 

 本当に軽く指が弾か―――寸前でフェシリアの額が仮面に激突する。

 

 神格の力によって強化された肉体だろうと主神の顔面に頭突きを食らわせて、目を付き合わせれば、どうなるか。

 

 考えるまでもなく彼女の頭は直接的な魔力の照射に晒されて耳と目から出血を余儀無くされた。

 

「させない。させないわよッ!!!」

 

「そうか。だが、残念だ。オレがわざわざ指なんぞ弾く必要があると思うか?」

 

「―――ッ?!!?」

 

「「………」」

 

「大した娘達だなぁ。ああ、本当に勇者顔負けの根性だ」

 

「なッ?!!?」

 

 自分の後ろで娘達がどうなっているのか振り返りたい衝動に駆られながら、しかし……そんな事も許されず。

 

 彼女は突き合せた額も離せなかった。

 

「次はその子達の未来なんぞどうだ? お前らみたいなのは一族を残すのが使命ってやつなんだろう?」

 

「ッッッ?!?!?!」

 

 ゾワリと声に本気を感じ取って、叫ぼうとした口がジリッと灼熱して焼き付いた。

 

 上下が張り付いた唇が瞬間的に癒着する。

 

「!?!!」

 

「「………」」

 

「まったく、だらしない大人連中とは大違いだな。悲鳴の一つも上げない娘達をお前らは誇っていい」

 

「!!!!!!!!」

 

「次はどうする? 鼻か? 耳か? それとも目か? 唇か? 髪か? 別に殺さないなら、何処でも一緒じゃないか? ん?」

 

「「………」」

 

「ッッッッッッ」

 

「残念だ。実は今言った順番をしっかり守ったところだ。大丈夫。“死んでないから安心しろ”」

 

 フェシリアの瞳が今にも零れそうな程、剥き出しになり……端から雫が一筋零れる。

 

「ああ、そうだ。しっかりとこの光景を観戦してもらおうか。この国の連中も自分達を滅ぼしたかもしれない相手くらいは見ておきたいだろう。蜃気楼の類だが、十分遠方まで届く。お前の娘達の有様はきっとその手の“好き者”が使うには十分な代物だろうからな」

 

「――――――」

 

 声が出ない。

 

 何も出来ない。

 

 振り向く事すら。

 

 身体を動かす事すら。

 

 その自らへの失望がフェシリアの首を辛うじて、辛うじて僅か後ろへと動かす。

 

 首筋の筋肉が断裂するのも構わず。

 

 彼女の瞳が娘達を焼き付けた時。

 

「ぅ―――ぁ゛……あ゛、あ、ああ、あAAaaああAaaAaaあAaaあAaあああああああああAAAああAaaaAAaあAAA、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛―――」

 

 唇が裂け、全てが、暗転した。

 

――――――――――――?

 

「フェシリア!!!」

 

「!?」

 

 フェシリア・ヴァール・ラグナロクは今正に見た地獄の光景に流れた涙で瞳を濡らしながら、思わず左右を振り返っていた。

 

「大丈夫か!!? あの仮面が被られた瞬間、エムントが咄嗟に5km程距離を取った。だが、それから二十秒も君は固まっていた!! 精神防壁を破られたのか!?」

 

「フ、ラウツ?」

 

 いつの間にか。

 

 彼女の周囲は夜に戻っていた。

 

「ああ、そうだ!! フラウツだ!! 君のお目付け役だよ!!」

 

「フェシリア。大丈夫ですか?」

 

「「お母さん。大丈夫?」」

 

 エムントと双子が全員の防壁の如く魔王のいる方角に立っているアルヴァートの背後から彼女の下へとやってくる。

 

「ッ」

 

 思わず双子を抱き締めていた彼女にエムントが何らかの幻覚を見せられたか、精神干渉を受けたのだろうと頭に手を当てて診断、即座に感情を安定化させる魔術中核を後頭部に貼り付けた。

 

「随分と堪えたようだな」

 

「「「「「「!?」」」」」」

 

 六人が上を見上げる。

 

 いつの間にか。

 

 そこに魔王はいた。

 

 貌には仮面が付けられているが、それはフェシリアが見た炎を司る主神のものではなく。

 

 暗い色をした硬質な光沢の人型。

 

 亜人よりも異種に近いだろう。

 

 鼻も耳も無い禍々しい形をした八つの瞳だけが面には描かれていた。

 

「言っておくが、ああしようと思えば、オレにはそれが出来る。そもそも、お前ら程度の存在なら、殺した後で甦らせた方が何かと簡単だ。そうしないのはオレの誠意だと受け取って欲しい。言ってる意味は分かるな?」

 

「アレが幻じゃなくなるって言うの……」

 

「ちなみにお前が見たのはオレが大陸で現役だった頃、人間が実際にやっていた拷問や心を折る為の手管。そいつを少し取り入れたものだ。魔族と人間。一体、どちらが“悪魔”なんだろうな?」

 

「フェシリア!? 聞くな!! 会話は君の精神を揺さぶる為のものだ」

 

 フラウツの言葉は最もだ。

 

 しかし、彼女はもう目の前の男から目を離せなくなっていた。

 

 やろうと思えば、相手はそう出来る。

 

 フェシリアの脳裏には確信があった。

 

「残念だが、オレは“悪い魔族”なんだ。全うに戦うのは性に合わない」

 

 六人が一箇所に集まり、空から降りてくるイーギルフィストを迎え撃とうと体勢を整え、各々の武器を構えた。

 

「だから、此処は最後の復讐者に敬意を表して、同程度でやってやろう。好きなだけ抗ってみせろ!!」

 

 剣が六人に突き付けられ、再びの戦いが始まった。

 

 *

 

「マゥママーヲマゥゥゥママママヲ♪」

 

 何か歌っぽいものを口ずさみにながら、黒猫が盆地を形成する山岳の頂点で試合観戦と洒落込んでいた。

 

 巨人の軍隊を退けた復讐者達と魔王のやり取りは全て彼女の瞳に映されている。

 

 イーギルフィストが文字通りの八つ裂きにされそうになった時は助けるかどうか迷ったのだが、彼女はしっかりと彼が自分の魂と肉体を己で分割するところが見えていた為、未だ傍観は続いている。

 

 もしも魔力をそのままイーギルフィストにぶち当てていれば、復讐者達は勝利していた可能性が高い。

 

 しかし、彼らは武具へ魔力を供給してしまった。

 

 草臥れた男の二つの短剣は魂魄を破壊する事が出来たようだが、黒猫的に言えば余計な作業だ。

 

 魔王にしてみれば間抜けな相手で助かったと思っていた事だろう。

 

 元々、魔族というのは裏切りが常套手段。

 

 後ろから刺されるなんて普通にある話。

 

 故に彼らは自分の肉体の筋肉そのもので刃を止める白刃取りの方法を持っていたりするし、呪いめいた力を宿す武具に対しては大きな労力を裂いて対策をしているともされる。

 

 今回は復讐者達が魔族をよく知らなかった事が裏目に出ているのだろうとクヲンには分かっていた。

 

 如何に高位魔族とはいえ。

 

 主神級の最大出力分の魔力を十発。

 

 これを受け切るのは不可能だ。

 

 圧倒的な魔力量に晒されれば、魂魄は砕けて解ける。

 

 如何に制御で静かなものだったとはいえ、武器に注入するまでも無かったのだ。

 

 致命的なミス。

 

 此処から挽回するのは不可能だろう。

 

「マヲーヲ~~~!」

 

 彼女の視線の先では剣を振るう魔王に何とか付いていく前衛の二人が見えた。

 

 少しずつその肉体が切り裂かれ、窮地に陥っていく。

 

 後ろから援護射撃とばかりに巨大な光弾が無限かと思われるような数に分裂して魔王を捉えてはいたが、一向に効いた様子も無く彼は闘い続けている。

 

 幾ら膨大な魔力があろうと。

 

 当たる前提の大技が使えない時点で詰んでいるのは明白。

 

 復讐者側が再び封結陣を組まないのは現在被られている仮面の能力が影響しているのだろうとクヲンは見抜いていた。

 

「ズズ、ァム……マヲゥ~~~♪」

 

 傍らの汗を掻いたタンブラーから柑橘系の果汁を細い木製のストローでチュウチュウ吸いつつ、傍らの皿にある大量の小麦菓子(ゼオ家の棚にあった上等品)を口にして、観戦は続く。

 

 復讐者達は粘った。

 

 粘って、粘って、粘って、何とか隙を見出そうと、隙を作ろうと、相手を留めて必殺の一撃を当てようとした。

 

 が、本気になってあしらっている上位魔族相手では分が悪かった、としか言いようがない。

 

 人間型の【血統種(ブラッディー)】なら尚更だろう。

 

 寿命や諸々の面で他の二系統に劣るとはいえ。

 

 それでも狡猾な知能と真の理不尽を併せ持つ相手なのは間違いない。

 

 そもそも大魔術師クラスの人間が六人ではどう見積もっても本気の魔王には少な過ぎる。

 

 遊ぶ程度に力を抑えていたならば、殺せただろう。

 

 だが、本気で“気を使われている”のだから、何が出来ようはずもない。

 

 戦い方を見ていれば分かる。

 

 特攻や死んで為すような術を発動させる事すらしない男の手際は佳麗ですらある。

 

 相手に勝てるかもしれないと思わせて戦う事が上手(うま)過ぎる。

 

 その横顔は少しだけ少年に似ているとクヲンは思った。

 

 やがて、目に見えて復讐者達が消耗し始める。

 

 幾ら無限に魔力を生み出せようと肉体は有限。

 

 制御する為には精神が消耗する。

 

 幾ら魔術で補うにしても限界というのはある。

 

 相手が魔王ではどんな小技を使っていても集中力は削れていく。

 

 生物学的にも人間の何万倍かという強度を持つ魔族相手に善戦しているのは否めないが、それだけだ。

 

 “種族の頂点存在を一千機で平らげる”とは、よく七教会が高格外套を喧伝するのに使う話だが、それにはちゃんとした理由がある。

 

 まず、大前提として高位存在と人間とでは手数が違い過ぎるのだ。

 

 対魔王汎用兵装たる外套は文字通り、上位魔族を狩る為の全ての対抗策が込められている代物であり、魔王相手でも劣らないだけの攻撃の手管がある。

 

 自力のまったく違う相手を倒すならば、少なくとも相手の対応限界である最低限以上の攻撃回数がいるのだ。

 

 彼ら六人の復讐者達には圧倒的にそれが足りなかった。

 

「マヲ~~~ファ~~~ン……」

 

 数時間。

 

 濃密に続いた復讐者と魔王の攻防は仮面を被り代えてあらゆる存在の力を使い倒す千貌の魔王の勝利で終わった。

 

 ムニャムニャと欠伸をしながら、そろそろ自分の出番だろうかと空になったタンブラーと皿を綺麗に何処かへと消して。

 

 黒猫が動き出そうとし―――不意に上空を見上げる。

 

 何も無いように見えるが大きな物体が浮かんでいると彼女には分かった。

 

 気付けたのはたぶん魔王が最後に放った攻撃の余波が上空に影響したからだろう。

 

 浮遊する巨大な魚の如きソレを瞳の中で輪郭として捕らえながら、何もせずに去っていくのをクヲンは見守っていた。

 

 あの日、緑炎でハガスが没した日。

 

 あの時もソレは都市の上空に浮かんでいた。

 

 そして、何かしらの攻撃を受けて都市周辺へ墜落していった。

 

 まだ居たのか。

 

 というのがクヲンの正直なところだ。

 

 見ているだけなら、何故いるのだろうか?

 

 何も一国の興亡を見たいだけでは無いだろうに。

 

 そう思いながら、瞬時に転移が実行される。

 

 座標は一人残らず倒れた復讐者達の前。

 

「ん? お前は……」

 

 既に仮面を消していた魔王の欠片が意外そうな顔をしてクヲンの前にしゃがみ込む。

 

「何か用か?」

 

「マヲーママヲヲ。マヲーゥヲゥヲ」

 

「何々……さっさと帰れ? 生憎とこいつらの処理も終わってないし、まだ契約分の日数は残ってるんだがな」

 

 明け方の紫雲が一人と一匹を照らし出す。

 

「マヲゥ!? マヲヲヲ!!」

 

「あの子が寂しがってる? オレを強制的に連れ帰ってもあいつは熾きないぞ。今も昔話の中だ」

 

「マゥヲヲ♪」

 

「心配ない? おい。何する気だ!?」

 

 咄嗟に離れようとしたイーギルフィストが体が動かない事を悟って、多少焦った。

 

「マヲヲ~~~♪」

 

「対魔王用の法則編纂に成功した? おいおい。人の魔力や能力を勝手に使う気か?! 幾らお前があの白い方の妹でも理不尽過ぎるだろう!!」

 

「マウヲ~。マゥーヲママヲヲ」

 

「問題無いわけ無いだろう!! 契約を強制的に破棄。ついでに肉体まで返還なんてオレが快諾すると思うか?!」

 

「マゥヲ。ママヲ・マヲ・ママ・ヲヲ・マヲ・マヲマヲ・マヲヲヲマヲヲマ」

 

 まるで呪文でも唱えるように奇妙な啼き声が響くと黒猫の頭上の空間が微妙に歪んだ。

 

「くッ、これだから超常の力を持つ連中は?!」

 

「マヲゥ~~~~~」

 

 青年が身動きも取れぬまま。

 

 フラリと倒れる。

 

 すると、肉体がまるで嘘のように解けて全裸の少年が彼女の前へ倒れ込んだ。

 

 いつもの如く。

 

 シタッッと飛んだ彼女は少年の頭を占拠して。

 

「マゥ~~~♪」

 

 ご満悦の表情になった後、同じように倒れている復讐者達を見つめる。

 

 このまま放っておく事も出来るが、何度も少年の命を狙われるのも面倒なのは事実だ。

 

「………」

 

 しばし、考えた後。

 

 黒猫は魔王にした時と同じように奇妙な鳴き声を上げ始めた。

 

 旭が昇る頃。

 

 盆地から少年と究極の魔術血統生物は消え失せ。

 

 辺りには地面も元通りの荒野で倒れ込む者達だけが残っていた。

 

 まるで何事も無かったかのように……。

 

―――新教会暦????年??月??日

 

 それは未来、あるいは過去。

 

 泡沫(うたかた)の日々に揺れるいつか。

 

 六人の男女に訪れた穏やかな日差しの如き時間。

 

 その日、彼らは揃って隣の小鐘(ベル)の無い館の玄関に揃っていた。

 

「はい……」

 

 出たのは恐ろしく乳の大きい妙齢の婦人。

 

 それに思わずゴクリと唾を飲み込んだ男二人の脇腹を小突いて。

 

 女が苦笑する男の前に出て頭を下げた。

 

「こんにちわ。明日から隣に越して来る事となったラクナロといいます。今日はご挨拶に上がりました」

 

「まぁ、隣に?」

 

「はい。今までずっと旅をしていたのですが、此処に腰を落ち着ける事になりまして」

 

「そうですか。あら、可愛いお子さん達ですね?」

 

 銀の髪を持つダークエルフの双子に館の主は微笑んだ。

 

 少女達も少しだけはにかんで頭を下げる。

 

 女は鳥人(オルニス)の“九十対十(ナインティ・テン)なのか。

 

 背中に翼があるのみ。

 

 男達は端から準に同じような人間の姿に其々の特徴を持つ亜人。

 

 よく冶金学に精通するという機構の作り手。

 

 地人(ドワーフ)の男は筋骨粒々だったが、少し背が低かった。

 

 妖精種の一種なのだろう男は草臥れた風体で背中に細い翅が一対。

 

 学者の卵と見える男は兎耳がニョッキリ頭部に生えている。

 

「ありがとうございます。少し人見知りですが、もしも会う事があったら、声でも掛けてやってください」

 

「ええ」

 

 ニコリと微笑んだ女の胸がフルンと揺れて、再び顔を胸部に釘付けとした男二人が肘で脇腹を突かれる。

 

「ハハサマ。誰か来たの?」

 

「ああ、ウチの子です。今、お隣に越してきた方とお話しているの」

 

「………こんにちわ」

 

 少しだけ男達を見て母の後ろに隠れた黒髪の少女がペコリと頭を下げる。

 

「ほら、貴方達も」

 

「「……こんにちわ」」

 

 二人の少女に頭を下げられて。

 

 自分より年下の相手に興味を持ったのか。

 

 おずおずと片手が差し出された。

 

「これから。ヨロシク」

 

「「はい」」

 

 その手に二人の手が重なると微笑ましいものを見たとばかりに大人達の顔が緩む。

 

「そろそろ時間ね。早く着替えて学校に行く準備を。今日は午後からでしょう?」

 

「分かってる。ハハサマ」

 

 手を離した少女が再び頭を下げて館の中に戻っていくと長い黒髪を束ねたまだ同い年程の女給がイソイソと仕度を手伝いに廊下を歩いていった。

 

「失礼ですが、何処の学校に?」

 

「ウチはアルヴァス・カレッジに……」

 

「そうなんですか?! ウチもアルヴァス・カレッジの小等教育舎なんですよ」

 

「いえ、あの子は高等教育舎で。よく幼いと言われますが」

 

「あ、し、失礼しました!?」

 

「いえ、お気に為さらず。それと無理に会わせる必要はありませんよ。実は私、移民ですから」

 

「え? そ、そう、なんですか?」

 

「言葉遣いも。堅苦しいのは窮屈なだけでしょう?」

 

「そ、そうなの? いいのかしら、一応貴族扱いなのに……」

 

 ポリポリと移民一年生の鳥人の女に館の女主がフフフと笑う。

 

「その内に慣れます」

 

「ハハサマ。行って来ます」

 

「あら?」

 

 奥からやってきた少女の横には少年がいた。

 

「お願いね」

 

 そう言われて少年が頷く。

 

「そちらは息子さん?」

 

 堅苦しさをさっそく脱ぎ捨てた鳥女の問いに超乳の婦人が首を横に振る。

 

「いえ、後見人をしてるだけで」

 

「あ、もうジカン!!」

 

「え? もう少し遅いんじゃなかったっけ?」

 

「今日、早いってセンセイ。言ってた……」

 

「じゃあ、もう行かないと」

 

 慌てて少女が頭を下げて飛び出していく。

 

 少年はダークエルフの少女達へ微笑み掛けて。

 

 また今度……と。

 

 頭を撫でてから少女を追っていった。

 

 その後ろ姿に惹かれて。

 

 思わず振り向いた六人はしばしの間、視線を外せなかった。

 

「どうしましたか?」

 

「あ、いえ。とても綺麗、いえ……印象的。いや、何て言うか。えっと……良い子だなと思って」

 

 何とか彼ら全員の心持を代弁した彼女に婦人は嫋やかに笑んだ。

 

「ええ、ウチの自慢の居候ですから」

 

 そんな声も耳に入らない様子で。

 

 ダークエルフの少女達はずっと少年の走り去っていった方角を見つめ続ける。

 

 僅か。

 

 互い以外に聞こえぬよう。

 

 小さな声を脳裏で交換し合いながら。

 

『『……戦うよりも友達になれた方が嬉しい、よね』』

 

 小さな出会いの季節は夏。

 

 蟲の声がするようになった日から、双子の“お隣さんと仲良くなろう作戦”が始まった。

 

 友達になれるのはいつとなる事か。

 

 そう遠い日ではないだろうと微笑んだ彼女達の顔には僅かな緊張と寂寥と安堵。

 

 そして、小さなトキメキが宿っていたかもしれない。

 

「………マゥヲ」

 

 塀の上から彼らを覗き込んでいた黒い物体が少年の頭を追って去れば、雲間から陽光が溢れ、ジリジリと土瀝青(アスファルト)の温度を上げていく。

 

 旅の終着点で新たな道が見付かるかどうかはたぶん歳若い少女達の双肩に掛かっていた……遺された者が願うのは復讐か日常か……全てはこれから、そうこれから……。

 

二つの選択は択一ではなかったらしい。

 

こうして三つは失われ、三つは遺されたのである。

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