第一章十五節「祭壇」
天御門紅亜(あまみかど・こうあ)が夜の特別巡回警備から己の家に戻ったのは学徒庁舎での手続きを終えた後の事だった。
捕らえた【不審者(がいじん)】の取調べと拘留を申請し、許可が下りたのは朝日が完全に昇った時間帯。
それから拘留者より助け出した【一般人】を引き取り、然るべき待遇で持て成すと紅亜が言い出した時にも、他の学徒達から意見は出なかった。
多少の融通が効くのは紅亜の家柄が乂羅において大きな発言力を持っているというのも理由としてあったが、その清廉な人柄に人望が集っていたのも大きな理由の一つではあった。
幌付きの荷馬車を危うげなく操った紅亜が家に帰ってきた時には家に仕える下人達が驚きこそしたものの、すぐ大門が開かれた。
奥手にある馬小屋まで数分の道程。
イフィミスラにしてみれば、嘗ての我が家であった王宮よりは小さいものの、夏などに出かける離宮程はあろうかという大きさであり、紅亜の裕福さが知れた。
「「「……」」」
朝から何故か見知らぬ者が御者台に乗っていて、更にその横で少年が両手を縛られているという状況に驚いた三人だったものの、少年の「ちょっと待ってて」とのいつもの笑みに何となく事態が悪い方向には行っていない事を感じ、引き離される時にも大人しくしていた。
当のティアは今頃、取調べの真っ最中。
あまり駄々を捏ねて心象を悪くする意味も無いとイフィミスラは沈黙を保ちながら、自分達を連れていく少女を横目に観察する。
引き離される際「二人を頼むよ。お姉さん」とイフィミスラとエフィリムの姉認定されたナーリャは大そう張り切った様子で頷き、今も二人を自分の両手でギュッと抱き締めている。
何が起こったのかよく分からなかったエフィリムは最初こそ少年との別れに不安そうな顔をしていたものの、大丈夫だからと頭を撫でられた時から、何か決意でも固めた様子で事態を静観していた。
「では、離れで少しお話を聞かせて頂きたいので。付いて来てくださいますか?」
馬車を馬小屋の横に止め下人達に任せて。
紅亜は降りた三人に丁寧に問い掛ける。
ナーリャに対応は無理だろうとイフィミスラが進み出た。
「我も話を聞きたい」
「分かりました。では、他の方は本邸の方へ」
「いや、二人とも一緒に往く事を我は希望する」
紅亜が一瞬だけ逡巡する。
「分かりました。では、三人とも離れへどうぞ。先導します」
歩き出す黒い制服の背後に三人が互いに頷き合って付いていく。
道往く途中。
庭の管理をしているのだろう下人達が紅亜を下げては作業に戻っていく。
古式ゆかしい東部式の庭は広大。
初めて見るナーリャとエフィリムは少しキョロキョロと辺りを見回した。
やがて、別邸のような離れの玄関前にやってきた紅亜が手を前に翳す。
何かの結界か。
一度周囲の音が消えたかと思うとまた戻った。
「では、どうぞ。上履きを脱いで上がってください」
朗らかな笑みで振り向いた紅亜に言われ、イフィミスラは笑顔が自分に向けられているのだと感じた。
三人が靴を脱いで玄関へと上がる。
先導する紅亜は危うげない足取りで一番奥まで歩いていく。
襖が開けられて部屋へ招かれた。
三人が無言で入っていくと畳みには座布団が三つ。
椅子もない低いテーブルの横に並んでいた。
エフィリム、イフィミスラ、ナーリャの準に座布団の上に三人が座る。
ナーリャは足を少し横に崩して。
イフィミスラは東部式の正しい正座で。
エフィリムも娼婦達に仕込まれていた作法通り正座で。
一人、自分が違うのを見たナーリャが慌てて同じように座る。
「お茶をお持ちします。しばらくお待ちください」
丁寧に頭を下げた紅亜が部屋を出ていくと三人は少し安堵した様子になった。
「ティア。助けに行く?」
ナーリャの一言をイフィミスラが嗜める。
「馬鹿者。そんな事したらティアがしてくれた事が無駄になる」
「?」
「いいか。ナーリャ。ティアはわざと掴まったのだ」
「わざと?」
ナーリャが首を傾げる。
「この乂羅は街へ入るにもかなり関所が多い。我々のような部外者はすぐに目を付けられる。あの混乱でこちらに臨時の関所が幾つか設けられたと思っていたが、それを全て越えられた。たぶん、あの女のおかげだ」
「でも、ティア……」
ナーリャが心配そうな顔になるもイフィミスラは笑って答える。
「すぐに来る。今まで一度でもティアがお前を悲しませた事があったか?」
ブンブンを首を横に振るナーリャを見つめて。
エフィリムは少女達と少年の繋がりを羨ましく感じていた。
身体を重ねたとはいえ、未だ少しの付き合い。
これから沢山少年の事を知りたいと思っていた少女は……心の奥で少年の無事を願わずにはいられなかった。
「お茶をお持ちしました。どうぞ」
静かに足音さえ立てずに戻ってきた紅亜に三人が佇まいを正す。
目の前に出された緑色のお茶をイフィミスラだけがそっと口にして、戻した。
「まず、始めに」
最初に切り出したのは紅亜だった。
「突然の無礼をお許しください」
「それは何に対しての詫びなのだ?」
「貴女のような位の方を犯罪者の如く連行した事。そして、此処まで礼を失した態度で応対しなければならなかった事に付いてです」
ハッキリと言われて。
イフィミスラはほんの少しだけ眉を顰めた。
権威というものを痛い程に知っている身。
人の上に立つ者に対しての礼。
そんなのは少女にしてみれば、当の昔。
少年に出会う前から棄てていたものに等しい。
人の上に立つ事は望まれず。
ただ血筋だけを欲されて産まれた。
貴人としての振る舞いこそ身に付けたものの、本人にしてみれば、そんなのは他の王位継承者から舐められない為の小道具の一つに過ぎない。
目の前の名前も知らない学徒が何を見ていたのか分かって、イフィミスラは紅亜を何の感情も篭らない瞳で見つめる事にした。
「我の事はいい。それよりも謝る相手がまだ二人此処にいるのではないか?」
「……確かに、二重に礼を失していたようです」
正座のまま、紅亜はエフィリムとナーリャに二度頭を下げた。
「では、自己紹介させてください。私は天御門紅亜。紅亜と御呼び下さい。そして、此処は天御門分家の離れ。私の私室のようなものです。お名前を伺っても良いでしょうか」
イフィミスラが二人の背中をポンポンと後ろ手で叩いた。
「ナーリャ。ナーリャ・ナーシム。だよ?」
「えふぃりむ・えーねともうします」
「ナーシムさんにエーネさんですね」
紅亜がイフィミスラに視線を向ける。
「イフィミスラ。イフィミスラだ。そう呼んでくれ」
「姓をお伺いしても?」
「姓は既にもう必要ない。故に我の事はイフィミスラと呼んでくれ」
「分かりました。イフィミスラ“様”」
ピクリと眉を動かしたものの、イフィミスラは内心をそれ以上は晒さなかった。
「では、此処からは学徒憲兵隊の分隊長としてお三方に質問を行います。よろしいですか?」
「ああ、構わない。ただ、他の二人では答えられない事もあるだろう。その場合は我が代わりに答えさせてもらう。それでいいか?」
「分かりました」
紅亜が頷いた。
「では、一つ目にお聞きします。貴女達があの男に勾引(かどわか)されたかどうかに付いて」
ナーリャもエフィリムも首を横に振った。
「見当違いも甚だしい。ティア、お前の言うあの男はな。我ら全員を救ったのだ。誘拐したのでも奴隷として扱ったのでもない」
「嘘偽り無く述べていると言えますか?」
真摯な瞳だった。
三人の何処かに違和感は無いかと探す瞳だった。
しかし、フッとイフィミスラは笑みを浮かべて他の二人を見る。
「ティア。ナーリャのご主人様、助けてくれた人、自由をくれた人……」
「てぃあにいさまがいなければ、えふぃはきっとおきゃくさまをとるか……しんでいたとおもいます」
その二人の笑みに僅か鼻白(はなじろ)んだ様子で紅亜が唇を湿らせた。
「で、ですが、それは貴女達のよ―――」
「それ以上言ってみろ。如何にお前が偉かろうと、我はお前を軽蔑の対象としてしか見ない」
イフィミスラが鋭い目付きで紅亜を睨む。
「―――失礼しました」
思ってもいなかったイフィミスラの静かな剣幕に紅亜は冷静さを取り戻した様子でコホンと咳払いを一つした。
「つまり、他のお二人、いえ、貴女達はあの男に無理やり連れ去られたのではない。そういう事でいいのですか?」
「ああ、そうだ。この世に捨てられ、この世に壊され、この世に売られた。それが我ら……あの男はそんな我らを救ってくれた。そういう、男なのだ……」
紅亜は自分の前にいるのが、自分が思っていたような被害者ではないと知って安堵する。
最悪の場合は男をどうやって処分するか悩んでいたのだから、少女達が意に反して何度も凌辱されていなかったという、それだけでも紅亜には喜ぶべき事だった。
「そう、ですか。分かりました」
「そうか。ならば、ティアと我らを解放するがいい」
「それとこれとは話が別です」
「何?」
思いの他頑固な紅亜にイフィミスラが眉を顰める。
「イフィミスラ様。貴女に関してだけは、そうはいきません」
「何故だ?」
「貴女の血統は特別なものなのではありませんか?」
紅亜が痛いところを付いてきた瞬間、イフィミスラは内心で舌打ちした。
「何の事だ?」
顔色の一つも変えず。
イフィミスラは惚ける。
「昨日の夜に、荷馬車の中で、な、何をしていたのかは訊きません。ですが!! 貴女の身体に見えた魔力。あれは確かに特別な血統だけに現われるものだった!!! 見間違えるはずがない!!!」
「何を言っているのか分からぬが、寝ぼけたようだな。そなたは」
「いえ! いいえ!! 私が知る限り、この地方にその血統を継ぐ者は僅かしかいないはずです!! そこらの王族よりも余程に少ない!!」
「我がその血統だという確証はお前の記憶便りのようだが?」
「分かりました。そこまで言うのなら」
口に指を含んだ紅亜が犬歯で指の腹を切る。
ツゥッと一筋の赤が指先に滴った。
「手を出してください」
「な、何をする気だ!?」
「いいですから。これで貴女がどういう方か分かります」
まずいと感じたイフィミスラだったが逃げ場などない。
逃げたところで意味も無い。
仕方なく手を差し出した。
「では」
ゆっくりと堪った血の一滴を紅亜が差し出された手の上に垂らす。
(これは……魔術的親和性の高い血統の者の血は感応するというが、こういう事なのか?)
イフィミスラは自分の無智を嘆いた。
知っていれば、何とか隠しようもあったかもしれないが、いきなりではどうしようもない。
「光ってる……」
ポツリとナーリャが呟く。
血が落ちたイフィミスラの手が薄ぼんやりと発光していた。
「やはり、貴女は【大皇】の血を引いている。私と同じように……」
イフィミスラが紅亜の顔を見上げる。
「そなたは何者だ?」
「私は天御門紅亜……【神門(みかど)】に封ぜられる天神門家の分家筋長兄。大皇の血を引く者です」
まるで死んだ家族に会っているような喜びの表情を浮かべた少女が、イフィミスラに微笑んだ。
*
三人の少女達が丁寧に客人として持て成されている頃。
少年は一人。
格子の中で取り調べを受けていた。
ガタイの良い男性学徒が三人。
縄は解かれたものの、三方から少年を取り囲むように威圧していた。
「貴様は昨日、少女を三人誘拐した。そうだな?」
「更に貴様はその少女達に陵辱の限りを尽くし、口では言えないような事をした。そうだな?」
「その上、貴様はそんな恰好で天御門分隊長に対峙して破廉恥極まりない行為に及んだ。そうだな?」
学徒達の圧力に少年が汗をたらりと浮かべた。
「何とか、言わんかぁああああああああああ!!!!!」
「えっと、誘拐とかした覚えはない、かな」
「誘拐は否認するのか?」
「ぅ、うん」
「では、次の姦通罪と強姦罪、更には公序良俗に反した事に付いては?」
「……ノーコメントで」
かなり、アウトっぽい事をしていた事は否めない。
「貴様ぁああああああああ!? 大陸中央式な諧謔(かいぎゃく)で誤魔化せると思うなよ!!!? やったんだな!? やったんだな!? くぅぅぅうううう!? 乂羅人っぽい癖にそんな羨ま、否!? 何と残酷な事を!!!! 貴様には婦女子に対する愛情はないのかぁああああああああ!!!!?」
「今、羨ましいって……」
「何を言っている!? 貴様、此処で虚言罪も課してやろうかぁああ!!」
(いつも理不尽な目にはあってるけど。こういうのはなんだかなぁ……)
少年が少し嫌気の差した様子でグッタリすると男達が更に筋肉を膨れ上がらせ暑苦しく詰め寄った。
「では、三つ目の罪状に関してはどうなんだ!!」
「え、まぁ。裸は見られたような。暗かったけど」
「「「……」」」
「な、何か?」
急に押し黙った男達が少年を見つめた後、調書を書き始める者、部屋を出て行く者、冷たい視線で眺めてくる者に分かれた。
『おい。今すぐ他の連中を集めろ。あの犯罪者、天御門分隊長に粗末なもんを見せやがった。私刑の準備を今すぐだ。ああ、ああ、そうだ。五十人は集めておけ』
部屋の外から物騒な声が漏れてくる。
『被告は少女達を誘拐し、強姦、陵辱の限りを尽くした事を自白。尚、その際には天御門分隊長への極めて遺憾としか言いようの無い行為に及び、その心身を酷く傷付けた』
調書に今までの質問など意に介していない文章が綴られていく。
「大丈夫だ。お前が法で裁かれる事はない。何故なら、此処で死ぬからだ」
哀れみの視線を向けてくる学徒の一人は少年の肩をポンポン叩いた。
「み、皆さん!? 何をしてるんですか!?」
ガチャっと東部では珍しいドアノブが回され、慌てた様子で女性学徒が部屋へ入ってくる。
「「「は、取調べであります!! 天御門上級曹長殿!!!」」」
「此処はいいですから!! とにかく、こういう思いっきり学徒憲兵隊の威信に泥を塗るような行為は厳に慎んでください!!! 私刑とか持っての他!!!!」
「「「はッッッ!! 承知いたしました!! 済みませんでした!!!」」」
三人の男達がそのまま退出していく。
フゥッと溜息を吐いた女性学徒が取り繕うように少年に愛想笑いを浮かべた。
そっと椅子に座って、少年と対峙する姿には男達のような怒った様子は無い。
「その、すみません。いつもはとても冷静な者ばかりなんですが……」
「あ、いや、別に……助けてくれてありがとうございます」
「ふふ。お優しいんですね。本来なら厳正に処罰されるくらいの規律違反なんですけど」
「まぁ、あんまり言い訳出来ない身の上なので」
話が分かりそうな少女の登場にホッとした様子で少年は胸を撫で下ろす。
あまりにも酷い事になりそうなら、非合法的にさっさと脱走しようと思っていたのだが、指名手配の憂き目にならないなら、それはそれで有り難かった。
「えっと、あの人の妹さんですか?」
「はい。天御門紅亜は私の姉です」
その顔は確かに似ているなと少年は目の前の少女を観察する。
紅亜と名乗った学徒を背一つ分小さく、髪を短く、更に吊り上がっていた目元を垂れ目にすれば、大体同じのように見えた。
姉と違って、親しみ易い笑顔や全体的な雰囲気が柔らかいおかげか。
随分と印象が違っていて、名前を聞かなければ少年にも姉妹には見えなかった。
胸のボリュームが二段階程違う事も初見で姉妹とは見えない要因かもしれない。
「それでその、姉さんが貴方の調書その他の事はわたしに任せると一任しました。これから色々とお聞きしますが、答えたくない事は黙秘してもらっても構いません。不正に供述を得たり、自白させたりもしませんから安心してください。ですが、もし貴方の供述に矛盾があったり、紅亜姉様の報告との食い違いが合った場合は送検するかどうか決める際、悪い判断材料として扱われる事を最初に伝えておきます」
真面目な顔で言われて、男子学徒の方が実は扱い易かったかもしれないと少年は思った。
長年教会と遣り合っている身にすれば、真面目なこの手のタイプは本当に正義というものを信じ、法の番人のような自負を背負っている事を知っていた。
信義に厚く、情にも流されない。
全身真っ黒間違いなしの少年にとっては好ましくも厄介な人格。
「では、始めましょう。そういえば、まだ名乗っていませんでした。わたしの名は天御門青嵐(あまみかど・せいらん)と言います。【東象文字(イースタン・キャラクター)】的に言うと青い嵐と読みます」
「よろしくお願いします」
少年は内心で思う。
未だ降りかかった嵐(さいなん)は遠ざかる気配も無く。
それどころか大きくなったのかもしれないと。
最終的に少年の罪に関して的確に青嵐が書き連ね指摘した罪状は三つ。
未成年者との婚姻を前提としない性交渉による姦通罪×2。
竹林で不法に焚き火した指定区域内の危険行為。
保護者無しでの若年者の馬車運転による道交法違反。
これだけだった。
「最初の二件に付いては本人達の事情も聞く事になりますが、本人達の置かれていた立場や特殊性、更に本人側の了承があった場合には殆ど罪になりません。竹林での焚き火は違法ですけど、初犯という事で注意だけで済ませられます。最後の一つは荷馬車を使わざるを得ない事情がある場合には慣例的に見逃されています」
パンパンと書き終わった書類を整理した青嵐が少年ににっこり微笑んだ。
「良かったですね。まだ最終的な確定ではありませんけど、ティアさん。貴方の罪状の重さから言って刑は相当軽いと思われます」
「えっと、本当に?」
「はい。これなら学徒憲兵隊の裁量権内。せいぜいが一ヶ月の強制奉仕活動で済ませられるはずです」
少年は一時はどうなるかと思ったものの、物分りの良い子で助かったと内心少女に貼っていたレッテルを剥がした。
「あ、でも十倍にしておきますから」
「え?」
「ティアさん。貴方が顔に似合わず女の敵だと言う事はよく分かりました」
「あの……」
弁明する時間すら与える気がないのか。
青嵐がニッコリと笑った。
「女性というのは自分だけを愛して欲しいと思う生き物です。優しさのフリをして誰にも良い顔をするのはただの外道です。世の婦女子の皆さんの為、例え教会の神が許しても学徒憲兵隊女性隊員はそんな輩を許しません」
正論。
しかも、心にグサグサと刺さるクリティカルヒット。
少年が思わず胸を押さえる。
「それと他人に秘め事に関してとやかく言う事はありませんが、幼い女性に望まぬ妊娠を強いるような行為を行う男は地獄に落ちて豚の餌になるがのお似合いだと思いますよ。ええ、間違いありません」
もうグゥの音も出ない完全敗北を喫した少年は既に瀕死。
しかし、青嵐は整え終えた資料を持って扉を出て行く。
そして、容赦なくトドメを差した。
「ティアさんがしっかり更正した真人間になれるよう強制奉仕活動の内容はきっついのにしておきますから、楽しみにしていてくださいね♪」
バタンと扉が閉められる。
(……姉妹なのは確かみたい、かな)
クテッと少年はテーブルの上で突っ伏して本当に逃げ出そうかどうか真剣に迷い始めた。
昔から真面目な人間とは相性が悪かったなぁと溜息を吐きながら。
*
―――乂羅北西部森林地帯特別駐屯許可地上空。
豪奢というには細やかな天蓋付の寝台の上で一面偏向硝子張りの外から漏れてくる月明かりを浴びて、聖女ハティア・ウェスティアリアは自分の失態を反芻していた。
途中までは上手くいっていた。
確かに手応えがあった。
だというのに、詰めを誤ってしまった。
その最たる理由。
それが自分の弱さだと自覚して。
けれども、それを否定しようとしても過去は変えられないのだと諦観して。
ハティアは自分が聞いたものを出来るだけ思い出さないよう首を横に振った。
(聖女への精神干渉。気付かなかったのはどうして? 周辺一帯で同じように“幸せ”な声を聴いた者が多数いると報告が上がってきた。でも、そんな魔術体系や能力の気配は一つも……)
不可解な現象。
ディシグニア国境地帯でハティアが聞いたような声を多くの者が聞いていた。
その大半が幸せな記憶を呼び起こすようなものと報告が上がってきていたものの、そんな大規模な干渉の気配を一切感じていなかったハティアにしてみれば、実態を解明するには情報が足りな過ぎた。
「あれが私の“幸せ”だなんて……私は認めない……」
誰よりも、聖女の誰よりも恵まれていると、ハティアには自覚がある。
七聖女の中で唯一婚姻し、子供を儲けた。
愛する人と共に世界の平和の為、幸福の為に働いている。
大勢の部下に恵まれ、経営する孤児院で子供達の面倒を時折見て、【近代化(レボリュション)】に伴う各国の調整の場に赴き、奴隷を女性や子供達の福祉の為に身を費やしてきた。
幸せだ。
唯一を除いて全てが上手くいっている。
そうたった一つ、たった一人。
魔王と呼ばれる少年の事を除けば、例え今死んだとて、後悔の無い人生を送っている。
(認めない…認めない…認めない…私は聖女で…マロウの妻で…教会を統べる者で……)
脳裏に浮かび上がろうとする記憶を無理やりに沈めて。
ハティアは手で祈りの形を取った。
神に祈るのではない。
誰に祈るのでもない。
その形を行う事に意味がある。
月明かりに照らされながら、一心に形を取る姿を見て、東部唯一の聖女はまた目前の仲間が多くを背負ってしまったのかと何だか切なくなった。
「ハティア」
「!?」
思わず振り向いた顔が驚きに満ちているのを確認して。
聖女ユアン・クオがその姿を部屋の影から月の下へと晒す。
「ユアン!! いつの間に来たんですか!!?」
思わず祈りの形を解いたハティアが立ち上がって、本来なら無礼極まりないはずの侵入者に笑みを浮かべて近付いた。
「ああ、ついさっき来たところだ」
「そうですか。あ、今お茶を」
「いい。そういうのはまた後で。今は聖女としてお前に会いに来た」
「その……すいません。私のミスで取り逃がしてしまいました……」
「聞いている。フルーがわざわざ連絡を寄越したからな。『ハティアを慰めに行ってきてよぅ』と」
「フ、フルーが?」
「ああ。追討師団に参加しろとでも言うのかと思ったら、まだ時期ではないとか理屈を捏ねていたな」
「心配させてしまいましたね……」
「構わない。ソィラが駆け付けて来ないだけマシだ。フルーの情報統制も時には役に立つ」
「ソ、ソィラは別に悪気はないんです!! ちょっと破壊魔なだけで……」
「魔王討伐なんてあいつにしてみればまどろっこしいだろう。壊すのと被害を大きくするのだけは天才的だからな。ハティアが先頭に立たなければ、自治州が幾つ消えたか知れたものではない」
「私はただ自分の勤めを果たしているだけで……本当はソィラみたいに聖女としての自覚が人一倍強い方がこの任には向いていると思います」
「そう気負うな。ハティア」
そっと、ハティアの頭が繊(しなやか)な手で撫でられる。
「あいつは、あの男は……強い。そう、我々全員が束になって敵わない程にな。それでも、この状況。此処まで追い詰められる程に自分から弱くなった。その好機、出来うるならば被害を出さずに収束したいと誰もが思っている。それにはあいつに全力を出させず、あいつを巧みに追い詰められる者が適任なんだ。お前のような者が……」
それは聖女としての働きに対する賛辞。
しかし、心の奥からその言葉を喜べない自分を感じて。
ハティアは内心を沈ませた。
無論、そんな内心を表に出すような事はしない。
「ありがとうございます。ユアン」
微笑んだ少女の顔に自分にしか分からないだろう翳りを見て、内心ユアンは自分は不器用この上ないなと悔しく思ったが、ハティアにそれ以上の気遣いさせてはならないと笑顔で返した。
「ところでマロウが行方不明だそうだが、そっちはどうなっているんだ?」
「あ、そっちはフルーが追跡の為の部隊を自分で編成して送ってくれるそうです。今まで以上に感度の高い【因痕(キカトリクス)】の感知機器を開発したとかで」
「【紫影の従者】対策か。近頃ずっと公の場に出てこなかったのはたぶんそれを開発していたからだな」
「【宇宙樹(ユグドラシル)】の種も掛け合わせるもの以外の全てを使わせて貰いましたから、その補充なんかも大変なんだと思います」
「まぁ、自分の好きでやっている事だ。近代化はあいつの技術的な発展とお前の福祉政策、それから議会制民主主義の三位一体で成されている。状況を停滞させない為にも、あいつにはまだしばらくは机上で頑張ってもらわないとならないだろう」
頷いたハティアが今日はどうするのかとユアンに問う。
「今日は此処に一泊する。後はまぁ、しばらくはお前に付き合おう」
「いいんですか? 今は乂羅にとって大切な時期のはずですけど」
「ああ、乂羅の事は腹心に任せてある。次代【神門(みかど)】の選定なんていうのは大概がもう【天御門(あまみかど)】と【土御門(つちみかど)】の権力闘争だ。連中は分家筋を使って勢力の拡大を図る以外では無能の集まり。わざわざ教会が介入せずともどちらかはそろそろ近代化の煽りで潰れるだろう。その内に状況が固まってきたら整理させてもらうつもりだ」
「ユアン。その、あまり手荒な事は……」
「命までは取らない。まぁ、腕や足の百本や千本は飛ぶかもしれないが」
冗談めかして言うユアンの言葉が冗談などではないと知っているハティアは笑えなかったが、それもまた近代化という自分達が生み出した波の一つであると理解して、それ以上何も言わなかった。
「あ……」
「ん?」
「もし、良かったら……昔みたいに一緒に眠りませんか?」
「ふふ、マロウが聞いたら嫉妬に駆られるかもしれないな」
「も、もう!? そういう事をした事が一度でもありましたか!!?」
思わず赤くなったハティアにユアンが悪戯っぽい笑みを浮かべる。
「さて、忘れたよ」
二人の聖女が仲睦まじく一つの寝台で眠る事になったのは夜中程の事。
まるで仲の良いの姉妹の如く。
その姿は朝になるまで続いた。
早朝、ハティアを起こしに来た伊達男フェルラス・ディオスがその光景を発見し、教会でハティアとユアンの関係が密やかに噂されるようになるのはそれから一週間後の事だった。