第三章六十節「その御手を満たすもの」
―――五年前ディミトリア公国首都地下坑道。
土砂に埋まった瓦礫。
元々、緊急避難通路兼重要機材の退避場所として設計されていた空洞は其処を基点とする大崩落に巻き込まれ、跡形も無かった。
その最中、僅かな隙間で男が一人浅い息を吐き出している。
下半身は土砂に殆ど潰されており、いつ上半身が千切れてもおかしくはない。
だが、空気すらも尽きようとしている地下の底で朽ちる事を男は一欠けらも後悔していなかった。
激痛に苛まれながらも思い起こすのは愛する人々の事。
家族は辛うじて逃がせた。
追手たる魔族は彼の発揮した思わぬ力を前にして敗走。
たぶん、七教会の部隊とやり合いながらの撤退戦に移行しているだろう。
少なくとも外の状況をほぼ正しく予測出来る程度には未だ男の頭脳は明晰で、後何分持つかも分からない意識を辛うじて繋ぎ止めている。
『よく助かったなぁ。ぼかぁ、こんな友人を持って幸せかもしれない。魔族の部隊長相手に生き残る研究者なんて恰好良いじゃないか。クルス』
「―――ドクトルか」
光が一切入ってこない場所。
しかし、彼のいる空間を遮る瓦礫の外側にはまだ空間があるのか。
男の声が響いた。
『ああ、そうさ。君の一番の親友だよ』
「……助けてくれ」
『残念だが、こっちも手負いでね。さすがに魔力も無しに最上級魔族四体に一個師団相手は無理だったらしい。この肉体は限界……まぁ、自業自得ではあるが』
「今回の件はお前の手引きじゃないのか?」
『はは……そう思いたい気持ちは分かるが、ぼくも悪魔じゃぁない。今回のは純然に君達の実験が原因と見ていい』
「【OEDS】欲しさにいつか裏切ると思っていたのは杞憂だったか?」
『いや、そっちは杞憂じゃないさ。ただ、本来の目的に使うその前に少しだけ貸して欲しいと思っていた』
「そうか。だが、生憎とアレは三つに分解してもうバラバラだ」
『そのようだ。それもご丁寧に魔術ではなく機構の力で封印されてる……ぼくも嫌われたもんだなぁ。ははは』
「魔術で封印したところでお前ならどうにでもなる。だが、あの機構本来の力なら、そうじゃない。あれは総主教様に引き渡されるまで此処へ封印させてもらう」
『七教会が来ているようだが、厳重管理地域になるだろう場所に旧教会派の手が伸びるとは思えないなぁ』
「それは数年や数十年で見た場合の話だ」
『家族に預けた方をぼくが取りに行くとは思わないのかい?』
「少なくともあの力は全てが一つにならない限り、手に入らない。必要なら何千年何万年待てるお前がわざわざ手に入るものを壊される危険性を冒してまで掴もうとはしないだろう?」
『お見通しか。さすが親友』
「もう一度創ろうとしても、その時は七聖女様方が障害となるのは確実。なら、全てが揃う機会(チャンス)を待っていた方が利口だ。少なくともお前ならそう考えるだろう? ドクトル」
『さすがあのフルー・バレッサが認めた男だ。痛いところを付いて来る。だが、一つ見落としてる事があるなぁ』
「何……?」
『君の家族がぼくにあれを譲渡する可能性も無いとは限らない』
「そんな事があるわけ―――そうか。そういう事か……」
『理解が早くて助かるよ。実際、そろそろ身体が持ちそうになくてね』
「……いいだろう。だが、記憶を探ってもどうにかなるとは思わない事だ。安全装置(セーフティー)は正式な相手のみを承認する。それはクルス・エス・トリアじゃない」
『構わない。時間ならまだある』
「そうか。なら、最後に一つだけ」
『うん?』
ガラガラと瓦礫が自分を飲み込み始めるのを感じながら、クルス・エス・トリアは、少しだけ息を吐いた。
「感謝する。家族を守ってくれて……」
『―――ぼかぁ、そんな感謝されるような存在じゃぁない。君が知る通りの男だよ』
「それでも、だ……お前が下で戦っていなければ、此処は戦場にすらなっていなかったんだろう?」
『人型の貴族が来るのはまだいい。だが、最上級の連中は一個体で主神級。今の大陸の絶妙なバランスを崩壊させるには十分な圧力だからなぁ。こっちの都合だ』
「……そろそろ意識が遠のいて来た。やるなら早くしてくれ」
『そうさせてもらおう。こっちも限界のようだ……君の魂が安らかである事を心から願うよ。クルス』
「生憎と地獄で待ってる約束だ。最後に話せて良かった……親友」
周囲の瓦礫が軋む。
それは地上で低位の魔族や魑魅魍魎の類が七教会の鎮圧部隊と激突する音色。
男達は最後の言葉を交わした後。
何も言わず。
ただ、自らの為すべき事をして。
生と死を分けた。
その日以来。
彼は親友の体を拠り代として現実に留まり。
今も自らの目的の為に蠢き続けている。
アイウィス。
降って湧いたような災厄の根城もまた彼にとっては天恵にも等しい研究材料の一つ。
そんな最中で彼の求める物を持った友人の兄妹がやってくるとすれば、失われたはずの運命というものを感じるのも致し方ない話だろう。
虚空で受け止めた相手の顔に確かな面影を見つけながら。
ドクトル・ファウストゥス。
魔術師達の祖は懐かしい感慨に囚われていた。
「っ、こ、こは……ッ?!」
「やぁ、久しぶりだね。アーギスト」
月明りの下。
自分を抱き抱えた男の顔に青年の表情が引き攣る。
「父、さん……?」
突然の再会に声も無い様子で。
「いや、残念ながらぼくだよ。ドクトル……ドクトル・ファウストゥス……君に魔術を教えたオジサンだ」
静かに邂逅は果たされた。
*
―――アイウィス南部田園地帯。
「ってーな……クソ、バラバラになっちまったか」
ジルムスは周囲に誰もいない事を頭部の全ての瞳で確認しながら、警戒を解かず立ち上がった。
「市街地じゃねぇな。こりゃ……」
月明りの下。
彼がいたのは腰まである麦畑の最中。
遠くに建物が見える為、アイウィスの端の方だろう事は分かったが、同じ階層に落ちたかどうかすら分からないという事実が彼の気を重くさせた。
全員がもしもの時の為に軽く三か月分の水と食料を空間制御を施された懐の衣嚢に持っている為、すぐ餓死するという事は無いが、それよりも先に化物との連戦で餌食になる可能性の方が高い。
今のところ誰一人として発見出来ない穂波の中。
溜息を吐きながらジルムスは進む事とした。
風も吹かない静かな世界に音を立てるのは自らの足と外套に擦れる麦のみ。
しかし、油断も隙も無く。
青年は通信が復帰するよう願いながら、まだ来た事の無い階層をマッピングしつつ、周囲の探索へと移る。
(まるで無人。静か過ぎる世界ってのは現実感が極端に薄れやがる……常人がいたら一週間で精神のバランスが崩れるじゃぇか? 此処……)
瞳に移る荒涼とした世界。
いや、幾らも物はあるが、見せ掛けだけで生物や風のような事象が発生しない為、どうしても漠然とした喪失感が現実との乖離を意識させるのだ。
アイウィス。
嘗ては人の息吹に溢れていたのだろう場所も今は化物の住処になって久しい。
内部の時間差を考えれば変質と同時に二十年以上ほったらかしにされているのだから、麦も自生しよ―――。
(おいおいッ?! 洒落にならねぇ?!!)
ジルムスはザッと自分の周囲にある麦畑の広さに戦慄を覚えた。
アイウィスで今まで自分達が散々アーギストに聞かされて来た事ではないかと。
“この都市に生物は存在しない”のだ。
それは動物や蟲だけに留まらない。
植物すらもそうだ。
もう、世界を偽装していた巨大な放送局は消えてしまっているのだから。
郊外に麦が自生しているはずがない。
「……」
ジルムスは立ち止まり、自らの踏み締めて来た跡を後ろに確認して、納得する。
(厄日か。跡がもう確認出来ねぇ。視界で見えなくなるくらいの時間で立ち上がってやがる)
『そう言えば、まだ出会ってはいないが、生物が仮面化すると仮定した場合。植物もその範疇に入る可能性がある。重々、気を付けてくれ。日常では常識だからと言って違和感を見逃せば、大きな失敗に直結するぞ』
この境界踏破を進めて以降。
アーギストが何気なく彼ら仲間達へ忠告していた事が現実となった瞬間だった。
ジリジリと精神を炙られるような焦燥に駆られながら、ジルムスが一呼吸で肉体をリラックスさせ、親友に先程までとは真逆の感謝を告げた。
「ありがとよ。親友―――ッ」
跳躍。
同時に放たれた八十発の全方位波動収束打撃。
空撃左官陣が彼の着地地点半径5m以内の麦を尽く折り散らし―――霧へと変えた。
ザワリと落下よりも先に周辺の気配が変質する。
今まで何の変哲も無い麦畑だったはずの場所が急激に禍々しい気配を放ち始める。
「?!」
それと同時に青年が見たのは何処までも何処までも市街地が遠退いていく光景だった。
(空間制御?! 戦力の分断か?!)
着地と同時に前方の屍蝋と化した穂を見えざる打撃で霧と化しながら、ジルムスが駆ける。
しかし、市街地は遠ざかるばかりで一向に辿り着く気配が無い。
一度周囲の穂を大規模に霧としてから止まった彼は仮面の観察へと移った。
アーギストならば、こんな時どうするか。
手持ちの札を最大限に活用して打開策を練る前に相手を見る事から始めるに違いないと。
(こいつらの能力が空間の拡張や隔絶、幻覚の類だとしてもオレには対処するだけの能力が無い。短距離転移を試してみてもいいが、失敗した時のリスクがデカ過ぎる。この優位な状況でも今のところ仕掛けてくる様子は無い。何らかの絡め手を持ってる可能性があるな。あるいは空間制御のみに特化したタイプという事も……この場合はオレが持久戦で消耗するまで待つか。消耗し尽くして死ぬか。化物にされるかの三択。ならば、すぐに何か異変が察知出来ない類の能力も視野に入る……)
ジルムスが自分の瞳に映る外套からの情報の全てをくまなく見る。
その中で唯一ジリジリとだが、普通よりも早く消費されている数値があった。
(霧の浸食を食い止めてる機関の残存【原理粒子(イデアル)】が減ってるようだな……まずい、か。こいつのいる空間では仮面化が早まると見て間違いない。このまま消耗し切る前に打開策が無けりゃオレも晴れて化物の仲間入り……笑えねぇ)
近頃はメッキリと少なくなっていた足の震えを拳の一撃で止めて。
青年はゆっくりと深呼吸する。
(アーギストの野郎が迎えに来るのは期待出来ねぇ。もしも妹と離れ離れなら、そっちを優先するに決まってる。他の連中は一人でも何とかなるが、活動時間が短くなってるイクスの野郎は行動不能になる可能性もある。自分でどうにかするしかねぇか)
事態は悪い。
最悪、化物になって仲間を襲う事も考えられる。
となれば、取れる方策は二つ。
限界まで打開策を考えて間に合わない場合は自害するか。
周辺に展開される果ても見えない麦の穂、仮面を破壊し尽すか。
「やれやれ。今回は疲れそうだ……」
ジルムスの選択がどちらか。
言うまでも無かった。
その両腕が構えられ。
孤独な戦いの幕が上がる。
穂に刻まれた銘は曰く。
【一死生最(ル・グランドゥ・ブレ)】
嘗て、異邦の聖人が残した説話。
多くを育むのは地に落ちた一粒の種であるという教会の説法にも使われる逸話だった。
*
―――アイウィス北山間部。
(まさか、全員と逸れるなんて……)
奏美紗は一人。
禿山を警戒しつつ下っていた。
植物すら無い土肌は乾いていて。
一歩毎に埃を立てる。
その黄金の鬣も縦に割れた虹彩も今は何処か翳っている。
いつかこういう事態は来るかもしれないと事前の準備は怠っていなかったとはいえ。
それでも仲間達がいないというだけで数回も潜り続けて来たアイウィスという都市は寒々しかった。
(誰かが傍にいてくれる。それだけでこんなにも世界は違って見える……一人でも潜ってみせるだなんて、過去の私はどうかしていたようです……)
既に二本の畸形カタールは抜き放たれている。
何時何時(いつなんどき)化物が襲ってこようとも迎え撃てるだけの状態。
しかし、彼女の決意は肩透かしを食らった。
(何も出て来ない?)
化物の一匹も目の前に現れる事無く。
市街地への侵入は果たされ、ついには美紗の前にアーギストが残したと思しき魔術中核が現われたからだ。
通常は見えないソレも現在は事前に渡された術式が瞳に奔っている為、容易に判別可能だったのである。
市街地の中でも巨大な穴が開いた中心部に程近い通りの壁。
其処に小さな蠅程の大きさの幾何学模様が光っていた。
その中心には4の刻印。
アーギストの事前説明からそれがどんな意味かは彼女も知っている。
四回目の踏破をした時に巻かれた術式中核の一つという事だ。
(このまま【崩燼機関】を使えば戻る事も出来る。ですが、進むと為れば……)
ハガスに戻るか。
このまま進むか。
または待機してアーギストの連絡を待つか。
美紗に提示されたのはその三択だった。
(二次遭難のような事にも為りかねない。けれど、この悩んでいる時も誰かが化物に襲われているかもしれない。アーギスト・エス・トリアやジルムス・デダルはともかく。今のイクスやエストリアさんだけでは……)
一人だけ別の場所へ跳ばされたと考えるよりは最悪の方向で全員別々の場所に振り分けられたと考えるべき状況。
事態は一刻を争うかもしれず。
迅速に選ぶ必要があった。
「ふ……最初から決まっている事を悩むのは私の悪い癖かもしれません」
どんな状況下でも生き延びられるよう幾つもアーギストの作った行動基準は暗記した。
照らし合わせてみても答えは一つしかない。
(行こう……例え、帰れなくなったとしても)
懐に仕舞われた特別製の【崩燼機関】。
短距離転移能力を備えたソレはアーギストの術式中核(マーキング)さえあれば、一度通った階層を跳ぶくらいのことは出来る仕様だった。
無論、それを使えば、単独での帰還は不可能となるだろう。
しかし、一度失った命。
救ってくれた仲間達の為に使うのならば、美紗としては本望だった。
死ぬ気は無い。
だが、覚悟は別物だ。
今は現実的な判断ではなく。
己の決意を示す時だと彼女は懐から取り出した【崩燼機関】の突起を押し込んだ。
「璃紗。私は貴女の姉として、仲間達をきっと守ってみせます……」
転移の燐光が舞い。
次の階層にある術式中核のところへ美紗が跳ぶ。
この広大なアイウィスという一つにして無数、何十何百あるかも分からない世界の中から四人の仲間達を一刻も早く探し出す。
砂漠の中から砂金一粒を見つけるような作業だとしても、彼女はきっと遣り遂げてみせると。
そう両手の柄を強く震わせた。
*
―――大陸南部地下秘密駅構内。
五人の踏破者達が境界に迷い込んだ頃。
現実の地下深くにある駅で列車の出発時刻が迫っていた。
長い隧道(トンネル)の端は左右どちらも暗闇に包まれている。
止まっている車両は十両以上の編制だが、車体には硝子が一枚も使われていない為、内部はまったく見えない。
全容も分からない鋼の塊は何処までも永遠に伸びているようにも錯覚できるだろう。
駅構内の壁面にある僅かな洋光(ランプ)の灯りが照らし出している階段を最後の搭乗者が下りてくる。
「直にお会いするのはこれが初めてですね」
車両の扉の前で枯木のような男が慇懃無礼に腰を折って相手を出迎えた。
高貴を表す蒼の礼服(タキシード)。
もし、彼がそれに見合うだけの容姿であれば、違和感も無かったのだろうが、生憎と衣服に喰われているような印象しかない。
だが、病的なまでに細い男の風貌に頼りないという感想を抱く者は絶無だろう。
何故なら枯木は枯木でも旧く固い命を終えた巨木。
そんな情景を多くの者が彼に思い浮かべるからだ。
「ありがとうございます。本日は我侭を聞いて貰って」
階段から降りてきた穏やかな声が感謝を告げた。
草履の履かれた足が静々男の前までやってくる。
一言で言えば白い少女だった。
歳は十を超えた頃。
しかし、それよりも幼く見えるのは元来の細さと幼く人形のように整った顔立ちからだろう。
真白の体毛。
長大な髪。
着ているのは東部で言うところの着物だったが、これもまた彼女と同じ白だ。
だが、色褪せたようなものではなく。
絹を思わせる光沢を放っている。
「いえ、足を運んで頂き真に汗顔の至り。本来ならば、こちらから出向くのが筋ですから。お気遣い無く」
「そうですか……」
男が片腕で車両の方へVIPたる少女を誘導するとガコシュンッと鋼の扉が横にスライドして開く。
「長旅には為りませんが、聊か危険である事はご承知だと思います。今回の目的地に付いては事前にあちら側から送られて来た情報を下敷きにして予備調査が行なわれました。この車両はその報告を元に製作した試作機。並大抵の事では傷一つ付きませんが、相手が相手です。万全に為り得ない事はご理解を」
「はい。構いません。今回の遠征を望んだのは私ですから」
「本来なら共に行きたいところですが、上の方が騒がしい……陛下との連絡も取れない今、アウテーナム・レクレスを離れるわけにもいきません。容赦の程を」
「十分してくださいましたから」
頭を下げた男に少女が微笑んでふるふると首を横へ振った。
「では、私はこれで。後は車両内部の人員にお聞き下さい。目的地に着くまで係りの者がこの機体の説明を行いますので……使い方はお任せします」
「はい。では、御機嫌よう」
「ええ。それでは良い旅を」
少女が車両内部に踏込むと扉が閉まった。
同時に荘厳な鐘の音が周囲に響き渡る。
車両が緩々と動き出したかと思えば、一切車輪がレールを噛む音もさせず。
巨大な鋼の塊は一方向へと流れ、加速していく。
やがて何も見えなくなると男は階段を静かに昇っていった。
「………」
車両内部に連結地点から入った少女が見たのは無骨に左右を占める鋼の長椅子と車両中央に置かれた大きなテーブル。
その上には彼女が乗った列車の現在位置が大陸の詳細な三次元式の地図内部と共に在った。
赤い光点。
南部から出発した車両は順調に走行中。
その脇にはタイムラインで虚空に大陸中の情報が幾つも吐き出され、数人の紺色の制服を着た男達が指で耀く文字列を選り分けている。
室内は虚空に浮かぶ地図と情報の薄明かりだけで満たされていた。
「本車両の情報作戦室へようこそ。我らが麗しき皇帝陛下のお客人」
「どうも。こんにちわ」
「はい。こちらへどうぞ」
後ろから掛かった声に振り向くと。
白髭を生やした老人がいた。
車掌なのだろう。
金の徽章が複数付いた帽子を被っている。
その男に誘われて進むと大きな背凭れ付きの椅子が車両の上座に在った。
横目に少女が老人を見ると頷かれる。
其処が自分の席かと座り込めば、男がその傍らに直立不動で付いた。
「……」
情報を分析していた男達が全員老人と自分を見ていると気付いて。
少女が僅かに赤くなる。
「諸君。本日よりこの車両の最高責任者兼旅客として逗留する事となった陛下のお客人だ。粗相の無い様に取り計らいたまえ」
『了解しました。車掌』
一糸乱れぬ統率。
唱和した声にペコリと彼女が頭を下げる。
「では、これより説明を始めさせて頂きます。まず、本車両の概要から」
地図の上に車両の設計図らしきものが浮かび上がった。
「本車両の正式名称は多目的次元境界突破型装甲列車試作一号機。銘を【春雷(トニトルイ】と言います」
「とにとるい?」
老人に少女が首を傾げる。
「はい。開発者達が搭載した幾つかの試作機関が同時に始動すると雷のような音色で鳴く事から名付けられました。勿論、機関の同時解放を行なわない隠密作戦では静穏性能に優れますし、魔術や超常の力、魔導その他の技術に対しては幾らかの迷彩(ステルス)を備えます」
車両の足回りがクローズアップされた。
「本車両の足回りは主に純粋波動魔力を主動力とした慣性制御機構を用いています。これは超高度魔術の術式を刻印した魔術具、円柱(シリンダー)群を秒間七百回転させて生み出す恒常型の大魔術でありますが、もしもの時の為に機械式の機構も併用しています。動力源は我が国の旗艦である【貴皇(ペルソナ・ノーブリス)】にも使われている【大源高炉(グラン・フォルナシス)】の最新型。搭載された積層魔力は最大積載の場合、車両に乗載っている機関の全てを最大出力で使い続けても十日は余裕で賄えます。通常空間の移動、異相や次元境界の移動時は周囲の環境にもよりますが、数ヶ月から数年単位で走らせられると考えて下さって構いません」
「凄いです……」
少し目を丸くした少女の賞賛に口元を緩めながら、老人は説明を続ける。
「では、続いて本車両の編成を」
地図の上に今度は車両の全景が映し出された。
「【春雷】は全部で十五両編制。前から準に操縦車両、機関車両、燃料車両、作戦車両、医療車両、寝台車両、武装運搬車両、物資運搬車両となります。半分程が物資運搬車両であり、人員の衣食住を賄う寝台車両内部と医療車両に関しては内部空間の拡大を行なっていて、車両二十台分程の広さがあります。後でそちらにご案内しますので寝室の事はご心配なく」
「はい」
頷いた少女の素直な笑みに老人は少しだけ唇の端を歪めた。
「本車両の武装に関しては先頭の操縦車両に備え付けられた吶喊用空間貫通衝角が1。全車両に備え付けられた自動近接弾幕発射装置600。全車両の上下に備え付けられた転移爆撃砲30門。自己複製型防護用間接遮断幕六十二枚。他にも細々としたものはありますが、主要なものはこれくらいでしょう」
男の子ならば、目を耀かせもするのだろうが、生憎と少女は秘密の機構(ギミック)満載な鋼の塊に浪漫を感じるような存在でもない。
だが、そんな彼女にもその列車が並みの国なら財政を傾けてしまうような技術と資材の塊である事は理解出来た。
「この列車最大の特徴はこの作戦室にあります。此処の情報収集解析能力は通常の国家が七日掛けて行なうだろう事を十分で行い、同時に車両の責任者に最も高い精度で現在の状況を伝える事が出来るのです。此処にいるのは解析のスペシャリストばかり。もしも、情報がどんな意味を持つのか分からない場合は誰かに聞けば、必ず答えが返ってきますので、遠慮なく申し付けて下さい」
「分かりました」
「さて、搭乗人員の内訳を。情報分析官8人。特別武装運用官90人。特級調理官1人。高々度先鋭技能官4人。大魔術師兼先進医療技官4人。統括管理官1人。そして、特務権限保有者たる貴女を含め計109人です」
男が説明を続ける傍ら。
少女の瞳が地図の一点を向く。
彼女が目指すのは大陸西部の一国。
アルヴァス亜人国。
今も姉妹たる双子がいる先進国。
ようやく見つけた愛しい相手のいる場所だった。
(待っていて下さい。兄様……)
拳が緩く握られ、列車は一路、北へ。
無限に続くかと思われる虚空。
いつの間にか抜けた地下の先。
異相を進んで直(ひた)走(はし)る。
乙女とは前にしか進めない。
そんな生き物らしかった。
*
―――???
君は知っているだろうか。
ある魔王の伝説を。
億万の軍勢を薙ぎ払い。
自分の故郷を捨ててまで。
女を愛した男の話を。
彼の事を知るならば、君もまた知るだろう。
世界の只中に幸福と不幸があるのではない。
それはきっと―――。
『魔王にも色々いたのかもしれません。ね?』
歳若い女の吟遊詩人二人組み。
小さな襤褸い酒場兼宿屋の二階。
下の喧騒はいつの間にか静まり返っていて。
仲間達が戻るまでの留守番を任された二人は夜食を摂っていた。
薄暗い獣脂の灯りが吹き抜けの店内には無数。
天井から鎖でぶら下げられた鉄皿の上に燃えている。
慣れてしまえば、臭いも気にならないものらしく。
少年は少女と共に下から吹き抜けてくるような詩を聞いていた。
灯りに照らされた金糸の如き髪。
微かにサラサラと擦れた音も今は隣にいる者にしか聞こえない。
それがとても特別な気がして。
隣を振り向く事も無く。
少年は彼女と共に耳を済ませた。
―――夢の如き幸せも汚泥の如き失望も全ては儚き泡沫。
蕾が花開き、咲き乱れ、枯れゆくように。
何もかもが巡る巡る刹那に移り変わっていく。
剣に願いを。
恋に誓いを。
尊き想いを携えて。
その男は悪となった―――。
『本当は……』
『?』
『……本当は優しい人程、誰かの為に悪を為しているのかもしれませんね』
『優しいのに悪いって事?』
『いえ、優しいから……悪い事に奔る……そういう事です』
『優しいから……』
『あはは。気にしないで下さい。ふと、そう思っただけですから』
『………』
『その、本当に気にするような事じゃ……』
『……そうなのかな?』
『?』
『優しさが全部を救うとは限らない。だから、そんな人は悪い事もする。誰かを救いたいなら、誰かにとっての悪を、誰かがしなきゃいけない事を、自分が背負う。言いたいのはそういう事だよね?』
『……はい。その……』
少女が罰の悪そうな顔で顔を伏せる。
『でも、それは本当に悪い事なの、かな』
『え?』
『善い事も悪い事も、誰かが決めた事に過ぎない。本当は……それは悪くも善くも無いんじゃないかなって』
『ぅ……でも、善悪の区別は大事だと思います』
少しだけ反論した少女の人差し指が互いに押し合う。
『きっと、そういう意見が正しいんだと思う。でも、それを決める人には成りたくないと思ったから……』
『どうして、ですか?』
『僕がいた場所で僕が奴隷だったのは善い事だった』
『?!』
『……正しい事、だったから』
『ぁ……わ、私っ』
謝ろうとする少女の唇にピタリと人差し指が当てられる。
少年の首が緩々と横に振られた。
『悪い人も善い人も善悪両方を持ってる……でも、それを決める人になったら、自分の物差しだけが全てになるかもしれない……』
少女が自分の価値観が必ずしも相手に当て嵌まらないと産まれながらに知っていた、知らなければならない環境にいたのだろう少年の声に言葉を詰まらせた。
『僕は皆から助けられて此処にいる。それが善い事か。悪い事か。今はまだ分からないけど、何かを決めつけたくはないなって……』
『その、あの……』
『あはは、そんな顔しないで? 僕は……感謝してる……凄く凄く……何をどうすれば、この気持ちに見合うだけ、報いられるのか……全然分からないくらい……皆、良い人だよ。僕から見ても……ね?』
『そ、そんな事!! 気にしなくていいんです!! ただ、私は、私達は助けたいから助けた!! それだけなんですから!! 見返りを求めたわけでもなければ、貴方をどうこうしようと思ったわけでもありません!!』
『うん。知ってる……』
少年が微笑む。
『でも、いつか。本当にいつになるか分からないけど。きっと、皆が喜んでくれるように……恩返し、するよ。皆にはいつまでも幸せでいて欲しいから』
その穏やかな表情に少女が少し肩の力を抜いて、苦笑した。
『もう……いつから、そんな立派な事を言う男の子になったんですか?』
何処かおどけた調子で少女に少年は堂々とやはり笑みのまま答える。
『皆が僕を僕にしてくれた時から、かな』
『あはは……何ですか。それ?』
『ふふ、自分でもあんまり分からないかも……』
ようやく。
顔を見合わせた二人が視線を交わらせた。
片や柔和な微笑を湛えた冗談のように可憐な少女。
片や何処までも中性的で穏やかな笑みを浮かべる少年。
二つの肩がほんの少しだけ互いの重みを分け合って。
最後の詩篇に耳を済ませる。
―――億万を殺すだろう毒を受け。
抗う術無き苦痛が苛む。
それでも受けた刃を握り締め。
男は、魔王は、こう言った。
この罪深き業を生みし者達よ。
我は此処に報いよう。
この身を捧げて、死を仕ろう。
そう、お前達の勝ちだ……人間―――。
『……知ってますか』
『?』
『この世で一番強いものに名前を付けたのは魔族でも神でも異種でも無く。人間なんですよ』
『そうなの?』
『全てを産みし母さえも、それは知らじ。彼(か)の男女、それを愛と名付く……』
『それって……』
『家に伝わっていた一番旧い文献の一節です。亜人や今の異種達が産まれるずっとずっと前……何処かの恋人達が今まで在るのに名前が無かったソレに一つの文字を付けた。それが始まりなんだそうです』
『愛……』
『はい。神なる者も魔なる者も異なる者も亜なる者も全て翻弄した力。教会が謳い、男女が紡ぎ、子に受け継がれていく人の形。私の一番好きな言葉です』
『魔王の言う業って……』
『この物語の魔王はきっと幸せだったんですね……どんなに痛みを抱えても、自分を強くしてくれる言葉が胸に宿っていたから、悪者になっても、女に嫌われても、呪いにも似たソレが決して消えないと知っていたから……』
『……』
少年がそっと立ち上がった。
『どうかしましたか?』
『部屋で待ってない? もうそろそろいい時間だし』
『そう、ですね。夜も更けました……今日は帰ってこないみたいですし、寝ちゃいましょうか?』
『うん』
手を引いて。
手を引かれて。
一組の男女が並び立ち、己の部屋に歩いていく。
たぶん、それが少年の、シンア・ザ・クリティカルアンラッカーの、初めて恋した日の出来事。
『おやすみなさい。ティア』
『……おやすみ。好い夢を……』
――――――ハティア。
呟いて。
もう何処にも無い誰かの名前も忘れたまま。
少年は起き上がった。
小さな太陽に照らされた大きな樹木の下。
自分を見つめる無数の視線に貫かれながら。
境界の先でまた何かが蠢きつつあった。