第三章六十二節「去來者達」
―――西部異相次元境界域。
「いつになったら、仕事場に就くんだ?」
そう先も見えない虚空を進む宙域航行艦。
真空の海すら渡る船の艦橋で愚痴ったのは新しい任務を受けたばかりの男。
「止めなさい。その歳で誰かに当るなんて、立派な老害よ」
咎めたのは新作の蒼いバッグを手にウットリしている新しい任務を受けたばかりの女。
「そう、カリカリしても何ら得るところが無いぞ。ああ、やっぱり孫の笑顔は最高じゃのぅ♪」
ホクホク顔で家族から送られて来たらしい孫の映像データを虚空に読み出して眺めているのは新しい任務を受けたばかりの老人。
三騎将。
“最果ての詰め所”より召喚された(という事になっている)【騎師団】の元団長。
否、再結成後の現騎師団の長達。
『前々から言おうと思っていた事ですが、どうしてそこまで纏まりが無いのか』
溜息を吐いたのは彼らの手前に浮かんだ通信先の壮年。
頭の禿げ上がった七教会の筆頭文官。
マディクト・ナシエだった。
「聖女様方も纏まりは無いでしょうよ」
「こら、あからさまに言わないの!」
「まぁ、あれはあれで纏まっていると言うべきだと思うが」
頭痛を抑えるような仕草で頭に手を当てたマディクトが事実なので反論も出来ず。
しかし、一々咎めて艦橋の人員に裏付けを与える事もせず。
静かに話を続けた。
『現在、再編制した【騎師団】の訓練は88%を消化。後半月を待たずに全盛期の勘も戻るでしょう。そうなれば、異相の大規模探査のルートが必要……故に周辺を満遍なく通ってもらっている。そう教えたはずですが』
「で、何処の誰とガッツリやり合って来ればいいんだって話だ。いい加減、教えろってんだよ」
男が退屈にグッタリとした様子で三つある艦長席の一つに深く背中を沈み込ませる。
『事が事である為、今まで情報を制限していましたが、もうそろそろ出会っても不思議は無い頃合……いいでしょう。敵は外なる神々。あるいはその眷属です』
一瞬。
本当に一瞬。
艦橋の人員達の気配が凍り付いた。
が、その中でも特段身構えた様子も無い三人の将達が肩を竦める。
「まだ戦った事が無いけれど、強さで言ったら邪神のランクでどれくらいかしら?」
女の声にマディクトが内心頼もしく思いながら端的に事実だけを告げる。
『今までの分析から言って、本体の能力は最高位の邪神が二体か三体分。と言っても、この宇宙内部へ伸びている顕現部分のみに限った話です』
「お~結構楽しめそうだな」
「格上相手に愉しむのはお前の悪い癖じゃな」
男が口笛を吹いて喜色を浮かべ、老人が嗜める。
「それで、それがこんな次元の狭間も近い場所に巣食ってる理由は?」
『……五年前、大陸東部で発生した事件において、とあるエルフの兄妹が七聖女様達の話題に上がりました』
「エルフ? エルフって、あの長耳の連中か?」
男の問いにマディクトが頷く。
『兄の方は外なる神々の影響で変質し、邪神のような高位存在になっている可能性が非常に高い。そして、妹の方は……過去、何者かが行なった契約の類で外なる神々が顕現する為の拠り代になっていると思われます』
「つまり、オレ達の目的はそいつらの排除なわけか?」
『ハティア様はお助けになる事を望まれました。それに他の方達も同意しましたが、現在聖女様達の殆どが宙に上がられ、残っているのは直接戦闘にはあまり向かない姉妹様方だけです。現場の命が最優先な関係上、もしも出来ないと判断した場合は各自で対処を』
「で、いきなり現われるもんなのか? そいつらは」
「いえ、先日起きた大規模な西部の異相変動の観測時、五年前に妹の方と共に消失した地方都市が発見されました。特殊な空間が折り重なっているようで瞬間的な情報しか得られませんでしたが、位置は特定出来た」
「つまり、私達が向かっているのは其処って事でいいの? マディクト」
女の声に通信先から頷きが返される。
『現地の国家に戦力持込みを働き掛けましたが、素気無く断られました』
「で、オレ達がこっちから出向く事になった、と」
男が皮肉げに笑うとマディクトが自身の落ち度に額をポリポリと指で掻いた。
『本来、旧教会派の管轄する地域。大規模に戦力を派遣すれば、問題になるのは必至です。故にその国を治める元老院側へ直接働き掛けましたが、旧教会派との関係を言い訳にされました。彼らの言い分によれば、もう間に合っている、そうです』
「任務はつまり極秘裏にその妹と共に消えた都市に侵入して、ルートを確保する事なわけじゃな?」
『その通り。如何に貴方達でも、四体の神々を相手にしては分が悪い。地上からの侵入ルートを統治する国家はアルヴァス亜人国と言いますが、その国で先日大きな転機がありました。異変が起こった現地に向かわせた最新鋭の【高格外套(ソーマ・パクシルム・ベルーター)】が三機とも情報の送信と同時にロスト。さすがに貴方達程ではないにしろ。上位操縦者が扱う最新型がいとも容易く消え失せた。相手を過小評価していた事は否めません』
「そういう事か……」
男が渋い顔をした。
『幸いにして異変を押さえ込む為にオペレーション・ワンダリカが発動され、【神賽(デウス・アレア)】が投入された為、大事には至りませんでした。ハッキリ言って、今回は本来聖女様方総出の仕事です。ですが、そんな時に限って【天蓋蒼星(メイズ)】での大変動が発生。愚痴になりますが、事態を担える人材がまったく足りません』
「苦労してるのね。色々……」
ちょっと可哀想なものを見る視線で女がマディクトに同情する。
「それにしても、神の賽やワンダリカまで発動されるとは……随分と重大事じゃのう」
老人がいつも苦労人な友人の話に少し真面目な顔をする。
「消えた最新型の方は探さなくていいのか?」
『そちらはフルー様曰く。帰ってくるまで放置でOKだそうです』
「おいおい。あの方の装備を使ってる身だから、そう強くは言えねぇが……放っておいたら、この星亡ぶんじゃねぇか? いや、真剣に」
『あまり人に聞かせたくない類の話ですが、いざとなったら、【破壊者(ワンダリカ)】があります。宙の異変と地上の異変。天秤に掛けて、どちらが致命的か。よく考えた末の決断でしょう。心配はしていません』
「どうにかなる。どうにか出来る。そう言われたら、信じるしかねぇが、もし敵になってたら……考えたくねぇ……」
『軽く旧型一万機分の戦力が全力で貴方達を殺しに来る、くらいの脅威と考えておいてください。最新鋭の極秘機関が載っていて、奇蹟を使ってくる事も考えられますが、貴方達ならば……逃げる事くらいは出来るでしょう』
「おいおい?! サラッと流したが、奇蹟だと?!」
『載せているのはハティア様と戦闘に向かない姉妹様方の奇蹟だそうです。そう問題無いでしょう。運用可能時間も極短い。限界まで使っても三分が限度だとか。調整もされていない、限界機構(リミッター)も働いているとなれば、連続発動は長くて五秒か十秒。それも回数は三度が限界と解析班から報告がありました』
「やれやれ。苦労しそうだのぅ。今回も」
「この歳で奇蹟相手に大立ち回りするのは出来れば避けたいわね。お肌的に……」
「ハティア様の奇蹟ってアレだろ。マズイだろ。この歳で星が割れる攻撃とか防ぎたかねぇよ」
『防げる人間代表である貴方達にしか出来ない仕事です』
冷徹に仕事人の顔で言い放ったマディクトがそろそろ会議の時間だと早々に通信を切り上げて映像を切った。
残った三人は諸々聞いてはいけない会話を聞いてしまったという顔をした艦橋の人員を眺めて。
「おい。お前ら、逃げ出すなよ?」
「とりあえず、守ってあげるから安心なさい」
「いや~~緊張感がある任務というのも久しぶりじゃのう。ははは」
そう慰めにもならない言葉を投げ掛けたのだった。
*
―――アルヴァス亜人国首都ハガス東部。
緑炎テロと巷では言われる破壊活動で街並みの半分を失った貴族達の住処に実は隠れた麺麭(パン)の名店がある。
アルヴァス・カレッジに通う学生達の通学路。
その脇にひっそりと立つ一件の店だ。
店員は亜人と人間奴隷が勤めているが、店主だけは亜人なのか人間なのかよく解らないという事でも周辺貴族の使用人達からは知られている。
何と言うか。
人間のように見えるのだが、明らかに人間離れした風体なのだ。
まるで剃刀のようなキレッキレな顎から鋭角な頬骨、鋭い目付き。
武術の達人かと思うような恐ろしく武道派な相貌。
それでいて麺麭(パン)を優しく赤子でもあやすように捏ねているというのだから、周囲の貴族の屋形に使える使用人達は訝しがっている。
麺麭屋をするより、兵隊として働いた方が給金もいいだろうに、と。
店主の年齢はまだまだ男盛り。
隠居するような年齢でもない。
まぁ、それは変わり者という事で脇に置いておくとしても朝にしか営業していないところもおかしい。
何でも人件費が嵩むからと常連客は聞いているらしいが、本当のところは誰にも解らない。
ただ、昼から夜中に掛けて店主の姿が店に無い事から、大方の予想では南部の赤線街で遊んでいるというのが定説となっている。
だからか。
店主の男が礼服姿で朝から道を歩いている姿を目撃した常連客達は一様に噂したのだ。
きっと、あの道の先にいる主が昼と夜に麺麭を焼かない理由に違いない、と。
朝から芳しい小麦の焼ける薫りが漂う通りは学生の間で通称“幸せ通り”と綽名される。
そんな通りから小道へと入れば、館が一つ。
誰が来ても小鐘(ベル)すら付いていない玄関に不審を抱くだろう。
そう、ゼオ家本邸である。
「………」
紅茶が予めお湯で温められ、ミルクを先に注がれていたカップに満たされていく。
コトリとリビングのテーブルへ置かれたカップが取られ、麺麭屋の男は薫りを嗜んだ。
「前回の一件で我らの事が七教会、旧教会派に露見したようです」
剃刀のような顎の男は開口一番そう言った。
「現在、偽装中の人員から後持って三ヶ月程が限界だと連絡がありました」
紅茶を入れたゼオ家の家主たる女は窓の外を見て一言も発さない。
「今後の進展次第では偽装解除の上で帰国も視野に入りますが、どうなさいますか?」
深刻そうな話の間も声は返らない。
「過去の侵攻時の門が残っているようですから、外神の侵食を強引に押さえ込めば、一定時間あちら側と繋げられるかと思いますが」
普通、此処まで無視されたら怒ってもいいはずだが、男の顔には怒りどころか。
悲壮な気配すら漂っている。
「イーギルフィスト様の事はどうかお忘れ下さい」
初めて、ゼオ家当主アルゥ・ゼオが振り返る。
「出過ぎた真似を申しているのは重々承知しております。ですが、この地はもはや我らにとっても危険地帯となりつつある。亜人達との盟約など幾らでも改定して構わない程度の代物のはず」
顔には出さないものの。
男は殆ど命掛けの諫言をしているつもりだった。
「お子様の事に関して一切お聞きするつもりはございません。ですが、あの年頃になった以上はお相手が必要となる。【ザヴォイド】の効力は有限……帰国後、速やかに力ある候補を選出するのが妥当かと」
何も言わない瞳に気圧されながらも男は言葉を続ける。
「言いたくはありませんが“あの方”が天使達との戯れからそろそろお帰りになる頃です。本来、我らは“あの方”が結んだ盟約により、大陸に顕現してはならぬ身。どうぞお考え直しを……このままでは多くの者が怒りに触れ、消されます」
「……家族の団欒がこんなにも気持ちよいものだと……過去の私は知らなかったの……」
「家族?」
訪ねる男に女は微笑む。
「ハーシュ。あの子の相手はもう決まっているわ」
「まさか?」
「……あの子はきっと何を知らなくても感じ取っている。自分にとって本当に必要な人が誰なのか。昔の私が惹かれたように……あの子もまた惹かれた……それはきっと運命と言って構わない」
「もう運命を司る神はおりません。お相手の事を聞いても?」
「ええ。いつも横にいる子……私の愛した人……この世の最後を看取る者」
「―――いつも店の前を通る彼がッ!?」
すぐに察した男が驚きに目を見張る。
自分が見つめていた学生の正体にようやく思い至ったからだ。
それを見て、女が微笑む。
「あの侵食を遠ざけたのは彼の一部。嘗て、運命を司った存在……」
「………そういう事、ですか」
視線を俯けた男ハーシュが静かに溜息を吐いた。
「【三極会議(トレス・コンベントゥス)】にバレれば、どうなるか。解った上での事、なのですね?」
「ええ」
しっかりと頷いた女をしばし見つめて。
「分かりました」
男が立ち上がる。
「もう戻るつもりが無いという事であれば、我らからの諫言はもう何もありません。嘗ての上司であったイーギルフィスト様も再び消え失せた。貴女の気持ちがこの大地から離れないのならば、我らもまた大義を失う」
「今までありがとう……」
「何を感謝される理由がありますか……これからこの地で何が起こるにしろ。現在の会議では“あの方”を動かす為の動議が進行中です。可決されれば、如何に“あの方”とはいえ、旧き盟約に従わざるを得なくなる。その時になれば、盟約は破られ、この大陸に“新たなる魔王”が降臨されるでしょう。それを持って再び人類種との戦も再開される。その先に何があるのか。貴女程には存じませんが、確実に……この大陸は混沌へと沈む」
その声には忸怩たるものがあった。
「次は誰になるのかしらね」
「誰になろうと、今度の侵攻が大攻勢となるのは間違いない。今まで此方側を圧し留めていた大陸の主戦力たる主神や超越者達の大半がもう存在しないのですから。今までのようにお茶を濁してきた時とは注力される戦力も争いの規模も桁が違うはず」
「それでも、私は此処にいる。いえ、居たいの……家族をいつまでも見守って生きて行きたい」
「……変わられましたね」
男の声に混じったのは憧憬のようなものかもしれなかった。
「女は恋をすると変わるものよ。そして、子を持てば、更に変わっていく」
「昔の貴女は理想と兄の復讐に燃えて、愉悦に餓えていた。その様は我らにとって怖くもあり、同時に尊敬の対象でもあった。三系統の一角、我ら【血統種(ブラッディー)】の多くが人の血を、意思を引いているとしても、確かにこの身は魔なる者……我欲を人の如く否定出来ない。そのはずです」
「そうね。でも、それすらきっと変わっていく。変わらずにいる事は誰にも出来ない。例え、億年を生きる【自生者(アウトゲネス)】達だろうと。例え、全てを見た【大母子(フィリー)】達だろうと。変わらぬのは唯一人。そう、彼だけなのよ」
「“彼(アレ)”を人が魔王を呼び始めて数十年。我らにすれば瞬きの時に等しい。大戦に加わらなかったのは“あの方”の采配。次の侵攻に介入してくるとしても、会議の総力があれば封印出来ると大勢の方が思っているはずです」
「ふふ……」
「間違っていますか?」
「人の一生は短い。人の血を引く我らもきっと他の二極からすれば、寿命は羽虫同然……でもね。ハーシュ」
女がこの世の何者も怖くないと言いたげな微笑みを浮かべる。
「人はこの一世紀で世を変えたわ。我らの世界が万年掛けて進む時代をほんの少しの時間で変えてしまった。あの女達の事もあるでしょう。彼が導いた世界だからかもしれない。でも、全ては意思故……進み続けるという想い故……彼はその頂にいる……旧き世界の理に抗って、自分の大切なものを守る為に運命すら擲ってみせた。それは決して力の大きさだけで出来る事じゃないのよ」
女が、母が、アルゥ・ゼオが、立ち上がった。
「力の差も重ねて来た刻の差も全て覆していく時、会議の方々も知るでしょう。彼が本当に強い理由は特別な生まれや運命のせいじゃない。誰よりも、何よりも、強い意思。世界の果てですら果てない想い故なのだと」
男女の視線が交わる。
そこにはもう嘗ての関係とは別のものが浮かんでいて。
「アルメイア・ゼオストス……貴女は本当に変わられたようだ。唯一神や異種、亜人達と共にこの世を守った五千年前よりも、全てに絶望して復讐と狂気に取り憑かれ顕現した百数十年前よりも、今……貴女は美しい」
「もう神器たる城もこの手には無いけれど、大丈夫。この世は決して“无”には還らない。あの時とは全て違うもの。此処には彼がいる。兄様とあの人の魂を受け継ぐ……最後の使者が、あの子の――が……」
「……人も亜人も愚かだ……だが、同時に気高くもある。そして、この地に暮らして分かった。人もまた我ら魔族と同じ。大いなる極の一つなのだと」
「ふふ、そうね……」
男は初めて見た本当に幸せそうな女の笑みにもう話す事はないのだと悟って、頭を下げた。
数分後。
(イーギルフィスト様。もう大丈夫のようです……あの方はもう守られるだけの存在ではない。五年前この大地に三度来た時から……いえ、大陸よりお子様を身篭って戻ってきた時から、もう我らの庇護の手は必要無かったのかもしれません………)
帰り道を往く瞳には生まれて初めて、本当に生まれて初めての涙が一粒。
(人の力……見せてもらったぞ。人間)
五年前。
自分の前に立ちはだかり、見事家族を逃がしてみせた白衣の男の事を思い出しながら、歩く影は静かに夕闇の中へ埋もれていった。
その日。
霧も無い静かな夜。
嘗てのディミトリア公国上空に向けて一発の光が打ち上げられた。
それは攻撃や偵察、その他、軍事的な意味合いを持たない純粋な灯り。
現地を封鎖する【騎師】達や七教会の観測部門は訝しんだが、出所不明の灯りは夜明け近くまで廃国域の上空に耀き続けていた。
*
―――アイウィス中層域南部麦の園。
「くっ、そ……キリ、が無ぇ…っ……はぁ、はぁっ、はぁ……」
ジルムスが滴り落ちる汗を拭いもせず。
月明りの糧に遠ざかる世界の下。
穂の形を取った仮面を砕き散らした成果を見つめる。
絶望的と言える程、彼の周囲は市街地から遠い。
周辺数百m圏内の麦は消え失せていたが、数km以上先まで未だ穂の原は続いている。
「まさか、回復能力持ちとは、な……」
砕き散らしても砕き散らしても麦は一向に減る気配が無かった。
移動する度に彼は市街地から遠ざかり、元来た道を戻っても砕き散らした跡が消えている。
移動しながら相手を霧に変え続けても変化無し。
つまり、分かったのは彼の持つ手札では無駄に体力を消耗するだけという事だ。
半径数百mの広範囲攻撃では相手を削り切れない。
いつも大多数の相手はエストリアの【OEDS】に頼っていた為、そもそもジルムスには大規模な攻撃の用意が無かったのである。
(km単位の範囲攻撃。ったく。武人モドキに要求する条件じゃねぇだろうが)
そもそも家で伝授された空撃左官陣は一対多数から自分や仲間を守る近中距離戦闘における防衛技能。
それが【蟲人(ベルミ)】特有の複眼と相まって、一部の隙も無い防御陣地を構築する。
能力の相性はそう悪くないが、如何せんほぼ敵が無尽蔵の回復能力を持つ空間制御型というのが致命的。
相手を破壊し尽すだけの“間合い”をジルムスは持っていない。
(まずは体力の回復。次の攻撃はそれからだ……)
大きく息を吐いて深呼吸し始めようとジルムスが身体を弛緩させた時だった。
キュグィ。
そんな音が麦の原に響く。
「―――」
何かが来た。
気配は彼を取り囲む屍蝋の穂の中に隠れていて、位置は特定出来ない。
しかし、声を発するという時点で普通の仮面化した化物とは違うものだとジルムスには理解出来ていた。
今まで音声を発した敵は緑炎騒動の時に現れた話す仮面野郎のみ。
都市を飲み込む程の力を秘めた人型だけだったのだ。
もしも、相手が特別ならば、今の彼には対抗する術も無かった。
ジルムスは防御の奥義を極めてこそいるが、神に準じるような高位の存在を打倒する力は有していない。
喧嘩上等。
無敵番長。
そんな風に嘯いていても、男子学生である事には変わりが無い。
(………足は震えてないが、それだけか)
必要なのは勇気ではない。
勿論、力でもなければ、技術でもない。
相手を観察出来るだけの耐久力と相手の能力を丸裸にする思考力。
格上の存在に対して抗うには感情論ではなく。
理論的な手段が不可欠なのだ。
それを嘗て彼に教えた青年アーギスト・エス・トリアはいつ如何なる時も自らの芯に理性と冷徹とも思える鋼の精神力を有する。
己の死の間際すら、敵がいたならば観察し、倒さねばならないなら考察する。
それがジルムス・デダルという男が自らに未だ足りないと自覚するものだ。
「!」
不意に身体が左へ自然と傾いた。
自分でも不思議に思う程、自然な動作で彼は何が起こっているのかを理解しようとする。
再び、肉体が右へと傾いた。
今度は首が真横に倒れる程の傾斜。
(反射……ああ、そういやジジイに昔、叩き込まれたっけな。第六感の無いオレみたいな奴は肉体に全霊を掛けて死の気配を覚え込ませるのがいいとか何とか)
腕が弾かれたように上に伸び上がり、僅か……その小指の端が削れる段に至って。
ジルムスは自分が攻撃を受け、それを反射的に避けているのだと悟る。
(五感情報から自己の精神内部に投影される多角的予想……つまり、勘が良いってやつか。ジジイ……こんな平和な時代にゃ無用の育て方しやがって……ああ、本当にお節介だぜ……生きて帰ったら、好物でも買ってってやる)
自らの内部から溢れた囁きに肉体を支配されながら、ジルムスが舞った。
まるで人体の限界を試すような角度で背を逸らせたかと思えば、背中に付くかと思うように腕が反対に曲がり、飛び上がった次の瞬間には関節が其々別方向に曲がる。
柔軟な肉体。
全霊で命が己を永らえさせようと猛って。
飛跳ね、蹲り、回転し、関節という関節を見事に曲げ続けて。
それでも僅かな血が地面にパタパタと跡を付けていく。
(見えない。聞こえない。気配だけ。五感の情報で捉え切れない。ついでに攻撃の導線も見えない……攻撃そのものがどちらから来てるのか分からない。いや、来てるというより起点を発生させてるのか? それにしては―――)
背中を逸らしてブリッジを作った途端、鼻先が僅かに削れて血の匂いが溢れる。
(攻撃を空間の一点に発生させてるなら、どうして肉体内部に直接発生させない? 物体そのものを切断する現象なら、それでケリが付くはず……)
踊り続ける中、ジルムスは自分の周囲の麦の密度が少なくなっている事に気付いた。
(空間制御型……空間、外部との距離を延長、回復力……そうか座標の固定化が困難な“外”から……)
どんな攻撃なのかも分からなかったが、その一端を理解し、しばらくは持ち応えられそうだと彼は踊る。
前衛的なくらいに激しく関節という関節を逸らせながら、歪な形に歪めて、捻れる肉体は跳ぶ。
いつまで続くか。
分かりもしない回避の連続。
精神と集中力を削りながらの地道な作業。
疲れと微々たる外傷を外套に内臓された効果で癒しながら、戦いは続く。
命掛けの守勢。
それこそ空撃左官陣を受け継いだジルムスが最も得意とするところだ。
敵との相性は悪くなかった。
本当にまったくもって悪くなかった。
それが友人やその妹、獅子女や少年だったならば、紛れも無く細切れにされていただろう。
その敵が一体かどうかは分からずとも。
味方の生存確率を上げているという事実が、肉体の奥底から力を汲み上げる。
彼は知らない。
今、自分を襲う現象を引き起こしているモノが、あの緑炎に匹敵する力を持った一柱である事を。
―――【暗躍者(ヌギル・コーラス)】。
全てを細切れとする外なる神々。
人知れず相手を襲う怪物を前にして、自分が善戦している、最大の大物を惹き付けているという事を。
【ひひ?】
ダークエルフの少女が一人。
虚空で椅子に座るような仕草で滞空し、珍しいものを出し物を前にしばし立ち止まった。
それはまったく取るに足らない一人の男が織り成す芸術。
限られた条件の中でとはいえ、それでも人というものが神にすら劣らないと示す事例。
ジルムス・デダルは確かに己の役目を知らず知らず果たしていた。
*
―――アルヴァス首都ハガス上空。
「本当に良いのですか?」
旧教会派の僧侶。
法衣姿の老人が部下を伴って、そう後部ハッチの一角に集まっていた。
「ええ」
「ですが、【聖征者(クルセイダー)】が破れたとまでは言えません。未だに異相内で反応は有り、戦闘中という事も考えられます」
無骨な鋼の四方には男女諸々が数十人以上。
事態の推移を微動だにせず遠目に見守っていた。
「ご再考を」
「もう、決めた事ですから」
「【総主教(パトリアルヒス)】である貴女が直々に出る事態となれば、我々は……」
レア・アルトス・エール。
旧教会派最大の権力者にして最後の象徴。
その彼女が今は草花の掘り込まれた銀金(ミスリル)の鎧や篭手を身に付けて、本拠地である場所から巣立とうと鋼の床に金属の足音を立てている。
正に異常事態。
しかし、それも無理は無いと。
とある報を聞いた艦内の者達は分かってもいた。
【聖征者(クルセイダー)】との音信不通。
そして、救援要請に駆け付けて来る事も無かったという事実。
この二つが示すところはつまり。
現在進行形で彼らの力の象徴と言って差し支えない超越者は……苦戦しているに違いないという事。
そのままにしておく事は出来ないと異相側へ支援物資を届ける案が出されたものの。
現在、異相へ潜れる人材は組織に数人しか居らず。
その殆どが手を離せない任に付いていて、戻ってこられない。
旧教会派が如何に過去の遺産を引き継いでいると言っても、最盛期からすれば優秀な人材はほぼ零に等しい。
七教会派に駆逐されて以降。
転向する者。
翻意する者。
多くが去った。
故に彼らの最大戦力である【聖征者】が苦戦している、という時点で旧教会派に打てる手はあまり無い。
力を受け渡した後。
【聖征者】をしていた前任者達の殆どは無力と化す為、協力要請をしたところで無駄なのも分かり切っている。
かと言って他の組織に助力を仰ぐというのも旧教会派の機密性の高い組織大系を考えると不可能に近い。
これで動ける実力者は魚の如き飛空船には一人しか存在しない事となった。
即ち。
組織の象徴たる少女。
多くの構成員はレアが能力的には事務能力に秀でた特別な力の持ち主という認識を持っているが、その実際はとても普通の同年代とは違っている。
仮にも時が時なら、大陸の教会勢力の全てを束ねていてもおかしくない存在なのだ。
彼女は幼い頃から常識的とは程遠い英才教育を施されている。
と言っても、その殆どは教育というよりは継承というべきものだ。
過去の【総主教】達から連綿と受け継がれてきた叡智や肉体の性質、記憶、能力、資産、契約、その他、多くのものを魔術や超常の力と言ったもので直接的に引き継ぎ、存在に納めるのだ。
その魂が器だとすれば、その器に満たされる中身はとても一言で言い表せないものばかり。
多岐に渡る継承内容は実質的に【総主教】の業務を続ける為のノウハウであり、多くは直接的な力の類ではない。
が、それにしても教会が弾圧されるような時代が無かったわけでもない。
五千年続いた組織の頂点にいる者が無力であろうはずもなく。
彼女は準備さえあれば、ほぼ最上位の超越者と同等の存在と化す。
この一ヶ月程で全ての儀式を終えたレアは今正に旧教会派の最大戦力たる【聖征者】にも負けず劣らずの能力を得ていた。
「そう心配しないでください。これでも剣の稽古は欠かした事がありません。あの子と一緒に習っていたじゃありませんか」
「……レア様、貴女は争い事に―――」
ピタリと人差し指が老人の言葉の全てを圧し留めた。
「分かっています。ですが、この無力な身にも、嘗ての先代様達が残してくれた技(もの)がある。決して、死にに行くわけではないのですよ」
「……ご決意は変わりませんか?」
「はい。あの子を助けられるのはこの不甲斐ない、貴方達に頼り切りの我が身のみ。ですが、それが今はとても嬉しい……ですから、どうか思ってくださるなら、祈っていただけますか? あの子と共に帰ってこられるよう」
「――――――分かりました」
その老人の言葉と共に啜り泣く声があちこちで上がり始める。
特に法衣姿の女性達。
レアを自らの子か妹かと可愛がり、尊敬し尊敬され、教え教えられ、導き導かれてきた修道女達が、拳を握り締めていた。
自分達に力が無いばかりに行かせてしまうのだと。
そう、自らの無力に嘆いた様子で、絶望した様子で。
「ありがとう。大丈夫……きっと、帰ってきますから」
滴り落ちる雫の数が彼女の今までやってきた事への賛辞に等しい。
多くを救い、救った数だけ帰依と畏敬を集め、衰退した旧教会派の勢力を現在の状態にまで数年で守り立てた功績と栄光。
真直に全てを見つめていた者達の誰もが、祈らずにはいられなかった。
この愛されるべき、生き残るべき、尊ぶべき少女が無事、己の使命と役割を全うして、我が家へ帰ってくる事を。
「ハッチ、開放」
老人の声と共に周囲が慌しい気配に包まれる。
『ハッチ開放。ハッチ開放。乗組員は指定の場所へ退避して下さい』
ガゴンッ。
ゆっくりと中天に懸かる陽光が鋼の床を照らしていく。
幾つか壁際から伸びた鈍色のアームがレアの横にゆっくりと白く巨大な十字架を運んで来る。
人間一人ならすっぽりと中に入りそうな威容。
それは【聖征者】を送り出した時に使われたものとよく似ていた。
横手から台車で移動してきた階段を昇り、彼女が十字架の中心に触れるとまるで水を触ったかのようにゆっくりと肉体がその内側へと沈み込んでいく。
「ご武運を。いや、この“家”に【聖征者】殿と共に帰還するのをお待ちしております」
『お待ちしておりますッ!!!!』
唱和した男女の数はもう既に百人以上。
スピーカーからも各セクションの声が彼女の耳には聞こえていた。
「はい……我ら皆、神の子なれば、その家で安息を得ん。“来るべき日”に全ての者が共に分かつ為に」
十字架の中へ腰掛けるよう沈み込み。
その顔が内部へ完全に埋没した。
「万分の一秒の狂いも無く!!! 送り届けるぞ!!!? 諸君!!!!?」
『応ッッッッッ!!!!!!!!』
艦の何処からか。
いや、何処からだろうと聞こえる声がレアの慕われる日常を示し。
誰もが声を張り上げた。
「射出シーケンス090!!! 異相の歪を検出次第、重力歪曲式アンカーを投下!!!!」
『異相深度-332地点に霧の事前表出現象を確認!!! アンカー投下します!!!』
『シーケンス進行中』
高空から鎖と共に投下された五望星の形をした3m程の鉄の錨がハガスの高空の一部で静止し、ギリギリと軋みながら、その姿をゆっくりと下から消していく。
別の空間に食い込んでいるのだ。
『アンカー固定を確認。周辺の結界封鎖完了。異相境界を抉じ開けます。開口時間は十二秒!!』
「射出!!!」
『射出開始します!!』
アームが離れ、天井に十字架を固定していた突起が火花を散らしてハッチの外へ加速した。
ギュアァアアアアアアアアアアア、ガチュンッ。
突起がハッチ端で十字架を離して。
アンカーが沈み込んだ上部に開く虚無としか言いようの無い世界の入り口に【総主教】を乗せた剣が突き刺さり、通り抜けていった。
バジュッ。
アンカーが鎖と共に切り離され、維持出来なくなった入り口が瞬間的に消え失せる。
しかし、異相の観測は未だ飛船体内部では続いていて、多くの物達がその観測班から齎される情報を聞き漏らさぬよう聞き耳を立てた。
「どうか、ご無事で……レア様」
大勢の祈りの中。
一人の少女は自らに課した任を全うする為、人を拒絶する世界へと足を踏み入れた。