第三章六十五節「凶界手引Ⅴ」
闇の底。
揺蕩う子等の誰かが気付いた。
生きてる、と。
緩慢にささくれた身体の節々が痛み。
顔も分からない誰かの気配を感じ。
震えが自分を支配していく。
その奇妙な感覚が規則正し過ぎて。
最初、心臓の音だと思っていた彼等は……一際強い衝撃と言うべきものに倒れ込んで。
ようやくそれが鼓動ではないと理解する。
『大丈夫なのか!?』
『ああ、この二十年開発し続けてきた特別製の箱舟だ。持つさ。持たせてみせる』
――――――。
それは子供達がよく知る声だった。
『罪を償うには及ばないかもしれないが、今はこれに掛けるしかない。信じろ……我等の二十年は決して無駄では無かった……彼に言われて、気付いたよ……帰りたくて、泣きたくて、でも……我々は大人だったんだと」
今にも声を上げようとした子供達が声の響きに篭るものを感じ、押し黙った。
『……随分と時間が掛かった。随分と遠回りをした。だが、私は……今も“人”として、この子達の親でありたい。だから、もういいんだ』
『そうか。お前が決めたなら、我等に異論があろうはずもない』
『あぁ?! 彼がッ!!』
『もう、持たないか。ならば―――聞こえているな?』
【!!!?】
暗闇の中に沈む誰もが、その苦しみを、哀しみを、痛みを、願いを湛えた声に唇を引き結ぶ。
『時間が無い。一人ずつという事も不可能だ。だから、どうか聞いていてくれ』
それは決死の声だった。
『世界で一番可愛い子達!!!』
『魔術、教えてやれなくてごめんな。立派になれよ!!』
『私の子供達……いつまでも健やかに!!』
『死ぬなよ。生きろよ。約束だ!!』
『私達の本当の子供よ。貴方達は!!! だから、何処でも胸を張りなさいッ!!!』
『苦しい時も悲しい時も笑顔だけは忘れずにね』
『行ってこい!! 本当の世界は此処なんかよりずっと広いんだからな!!』
『いつ何時も貴方達の前途に幸在らん事を!!』
『夢、叶えなさいよ!! 諦めなければ、道はきっと開けるから!!』
『済まない。ありがとう。さよならだ』
『怖がらないで。きっと、助かるから、絶対助けてみせるから!!!』
『旅立ちの時だ!!! 胸を張れ!!!』
『忘れるな。お前達は……自由だ!!!』
無数の言葉が飛び交って。
雫が無数、闇に落ちる。
『座標確認!!! 持ち堪えてくれよ―――我等の希望は此処にあるッッ!!! 発射!!!!!!!』
全員が急激な慣性に一瞬、自分達がどうなっているのか不確かになった。
しかし、刹那の沈黙が支配した後。
激しい光が彼等の目を眩ませた。
細められた瞳が周囲の状況を確認した時。
ようやく全てをダークエルフの少年少女達は知る。
透明な液体に満たされた球体。
そして、それを包むように抱く樹木。
【宇宙樹(ユグドラシル)】その最後の一粒を持って作られた彼等の培養槽たる揺り篭。
今、それは彼等を包み込み、崩壊しつつあるアイウィスの空へと撃ち上がっているのだ。
お母さん。
お父さん。
そう叫ぶも全てがゆっくりと下に遠ざかっていく。
四方を大樹で囲まれた研究所の中央は既に大地ごと引き裂かれていて、その虚空で縦横無尽に飛び交う耀きと人影が燐光を零して踊る。
二つの力の中央。
鋼で鎧われた人型の生物の如き何かが一体。
虚空にも関わらず。
小揺るぎもしない仁王立ちで静止していた。
『あの人だ!?』
そう透明な壁際に彼等が集まるも、すぐその光景も見えなくなっていく。
上昇し続ける箱舟の横を大地の欠片が、街の一部が次々に通り過ぎた。
いや、それに混じるモノがカタカタと壁際に引っ掛かり始める。
『ひっ?!』
全員が中央に下がる。
それをまるで嘲笑うかのようにソレが壁にゆっくりと張り付き増え始めた。
仮面の化物達。
人型のモノもあれば、獣型のモノもある。
蟲のようなモノもあれば、植物状のモノまで種類は多種多様。
今や住処を追われた者達。
その視線が上昇していく箱舟に向いたとしても何ら不思議は無い。
犠牲者を出せる限り、化物達の活動が止まる事は無いのだ。
蠢く黒、黒、黒。
屍蝋の不気味さと狂気だけが彼等の心を不安定にしていく。
しかし、其処で誰もが震える己の姿を、手を、見つめて。
最後に送り出してくれた家族達の事を思い出す。
「―――怖いけど、お前達なんかに屈したりしない!!」
「そうだ……皆、私達を信じて送り出してくれた!?」
「ああ、だから、お前達なんかにッ、怯えた顔なんか見せてたまるか!!?」
「そうよ!!」
「そうだッ!!」
次々に挙がる決意表明。
しかし、そんなものを意に介する仮面達ではない。
ゆっくりと確実に増え続ける固体の数に箱舟がミシミシと軋み始める。
それでも決して弱気は見せまいと誰もが自分達が対峙するモノを睨んだ。
その表情に宿るのは憎しみではなく。
彼等を送り出した者達が灯した光。
人の心が生み出す篝火に他ならない。
軋みがやがて限界に達し、まだ現実に辿り着いていない箱舟の壁に罅を入れた時、誰もが覚悟しながらも、その決意を翻さなかった。
仮面が、罅に侵入しようとし―――吹き飛ぶ。
『え!?』
奇蹟、そうは呼ぶまい。
仮面達が急激に箱舟の周囲から剥がれ落ちて奈落へと消えていく。
何事かと全員が固まった。
それは無限の虚にも耀く小さな一輪の華だった。
小さな小さなソレが燐光を発し、幻のように儚く砕け散っていく。
「これって……」
「あの光、この樹と同じ……【宇宙樹(ユグドラシル)】の……」
「見た事あるよ!! アレ!! 研究所のアーカイブに載ってた!! 大樹の株固体は木だけじゃなくて、植物の形なら何でも模るって!?」
「でも、そんな?! 株が産まれるには凄く沢山の命―――ぁ?!」
再び仮面達がしつこく壁際に集まっていた。
しかし、やはり弾かれて周囲に散る。
すると、彼等の眼前に再び同じ一輪の花が落ちてきて、砕け散っていく。
「……あの人が言ってた。この花、きっと……」
本来、多くの命と魂を自らに還元し続ける事で【宇宙樹ユグドラシル】は自らの分身を生み出し、眷属たる森と生態系を広げていく。
だが、異相の只中にあって、樹が自らへと取り込んだのはほんの一握りの人間の魂と肉体のみ。
「助けてくれてる……皆!! 助けてくれてるんだよ!!!」
次々に集まってくる仮面達を追い払うように小さな花が彼等の前に流れてきては儚く散っていく。
それは単に親株に等しい固体を守る為に働く株固体の防衛機能かもしれなかったが、本来生まれるはずの無い株固体が存在しているという時点で奇蹟に違いなかった。
「うん!! うんっ!!」
研究所において毎年のように所員達は自らが犠牲にした者達の為、弔いの礼拝を欠かさず行なっていた。
子供達に今は亡き者達との思い出を語って聞かせ、最後にはいつも彼等のおかげで今自分達は命を繋いでいるんだと口にした。
後ろめたさに口を噤んでいれば良かった所員達の懺悔。
それは生き残った者の身勝手にして自らに課した義務。
けれど、子供達の中には確かにまだ見ぬ人々の形が息衝いている。
自分をずっと見守ってくれていた。
感謝を捧げるべき御姿が。
「ありがとう!!」
そう叫んだ誰か。
「忘れませんから!!」
そう涙した誰か。
花が一輪、また一輪と散っていく様子にもう仮面の事など彼等の頭の中には無くなっていた。
やがて、仮面達が集まらなくなった頃。
十分か。
一時間か。
感覚すら麻痺した彼等の天井に光が差す。
それは【宇宙樹】が生み出していた太陽ではない。
本当の陽射し。
『何だと?! これは―――【宇宙樹】なのか!? こんなものがどうして?!! 花が!!?』
彼等の間に響く声。
それが誰の者なのか誰も知らない。
しかし、境界域において妹を待っていたアーギストは突如として下層域から浮上してきた巨木とその内側にある樹液の中にエルフの姿を認めて、懐に持って来ていた花が一体何なのかをようやく知る。
『こちら【境界踏征(オーバー・フラタニティー)】!! そちらの所属を名乗られたし!! 当方にはそちらを保護する用意がある!! 繰り返す!! こちらは―――』
自分達がようやく現実に帰る……否、出られる場所まで来たのだと子供達は理解した。
だが、その口から零れたのは命が助かった安堵でも無ければ、連れて行って欲しいとの催促でも無くて。
『戦ってる人達がいるんです!! 私達を送り出してくれた優しい人達がッッ!!! どうか、あの人達をッ!! 私達の大切な人達をッッ!!! 助けて下さいッッ!!!』
その言葉だけで何もかもを、何が分からずともきっと戦っているだろう男を思い浮かべて。
美紗とアーギストとジルムス。
大樹に寄り添うように近付いた彼等は頷いた。
『何があったのか。何が起こっているのか。今は聞いている暇もないが、一つだけ約束しよう。我々は決して見捨てないッ!! 君達も含め、誰だろうと決してだ!!』
『―――!!!?』
全員が次々に今アイウィスの下層域で何が起こっているのかを語り始める。
其処にもう悲壮さは欠片も残っていなかった。
*
「―――」
少年は虚空で戦っていた。
いや、戦っていたというのは本質的には違うかもしれない。
彼は突如として現れた鎧と耀く光の玉。
どちらからも発される余波を未然に防いでいたのだ。
仁王立ちで崩落する世界に佇む鋼の生物のようにも見える高格外套。
そして、たぶんは天使なのだろう輝く一柱。
争う二つの存在が引き起こす攻撃の応酬。
結果として生じる瀑布の如き力の残渣を崩壊しつつある研究所の前で減殺していたのだ。
例えば、光が放った幾筋かの魔力波動の収束弾。
それを飲み込む鎧の関節部に設けられた円盤状の僅かに突き出た防御兵装。
これらのぶつかり合いが齎すのは人間を蒸発させるに足る魔力の爆風。
相手の制御する空間に呑み込まれる寸前で爆破している為、鎧は攻撃へ移れずにいるが、下で研究所を守っている彼にはいい迷惑だ。
細胞の一つ一つが沸騰して崩壊する波動を積層魔力刃を高速で振って散らしているが、それでも受け切れない力は肉体の表皮から内臓まで酷く浸透し、細胞をグズグズにしてしまう。
外套や衣装こそ【最従者(ディアコノス)】が生み出した物である為か。
形を保ってこそいるが、肉体は急激な崩壊と再生で既に限界。
それすら、後何度も持たないだろう。
しかし、少年は約束を果たす為、まったく下がる気配も無く。
二つの存在がぶつかり合う傍で刃を振るい続けている。
その姿を研究所内部で見続けていた所員達が子供達を何とか送り出したのは数分前。
中央から裂けた研究所内で彼等は最後の仕事に移ろうとしていた。
『あちらの解析状況はどうなってる!!』
『今、やってます!! やはり、二十年前。いえ、五年前の統合技術審議会で出されていた新兵装案の資料と一致します!! あの鎧はたぶんフルー・バレッサ様の新型で間違いありません!!』
『【空間換装防御機構(アイギス・バックラー)】確認。【粒化合金組織化装甲(インプレグナブル・アーマー)】確認。更に新型の【高速異相跳躍機関(エグゼスト・ドライブ)】と思われる反応を検知!! ですが、それと同時にやはり化物と同じ反応があります!!?』
『救援が取り込まれたか。あるいは新型が奪取されたか。どちらにしろ。最大の敵という事だな』
観測機材を総動員して。
今も自分達を守ってくれている少年を何とか逃がそうと事態の究明と手段を探っていた所長は所員達から次々に上がってくる情報から、天使と化物に汚染された高格外套の戦いという全容をもう把握していた。
(我々の事など、連中は見ていないようだが、この状況で何が出来る……我々にはもう主要な物資は何も……っ?!)
壮年の男は研究所の四方で未だ存在する四本の大樹に視線を向ける。
『現在の大樹の状況は!!』
『結界破砕による表皮の剥離を確認していますが、まだ細胞は生きてます!!』
『―――諸君。此処から今、我々が帰る手段は無きに等しい。だが、あの厄介な訪問者にお帰り願う方法がたった一つだけある』
『所長……』
所員の誰もが、男の顔を見て、その方法が何なのかを察した。
『だが、それだけでは足りない!! 我々を此処から連れ出してくれると!! 帰ろうと言ってくれた彼をこのままにしておける程、我々は薄情な人間ではないはずだ!!!』
所員達の瞳に灯るもの。
それはもはや死への恐怖でも生への渇望でも無い。
他者を助けたいとの限り無い感謝と尊き願いだった。
『この二十年。我々が窮地において磨き続けて来た技術と叡智の全てを使え!! 彼を助けるんだッ!!?』
鬨の声が上がる。
すぐさまに動き出した彼等はたった一分の会話において、今窮地に立たされた少年を救う為の計画を立案、自らの役割の全てをおのずと心得、四方の【宇宙樹】へ散っていった。
ある者は肺に穴が開く程に走り、ある者は数m近くの虚空を跳び、ある者は散った魔力の余波に片腕を融かされ、それでもたった一人でもいいから辿り着けと誰も後ろへは下がらない。
そうして、奇蹟的に満身創痍の誰もが四方の大樹。
その中へと入り込む事に成功した。
『あなた、力を貸して……!!』
『おまえとの最後の共同作業だ』
『父さん。僕と一緒に戦ってくれ』
『親友。派手に行くぜ!!』
樹液の中。
今も壁際に取り込まれつつも残る贄とした同僚や父母、伴侶、友人、彼等の傍で数人ずつ魔術の素人である彼等が必要な作業をこなしていく。
魔術方陣の敷設。
ネットワークへの命令の変更。
己を大樹へと接続し、大樹からの侵蝕に耐えながら、自らの意思を、魂を、還元し、活力を生み出す。
それは自己犠牲なんて上等なものではない。
反抗だ。
理不尽への、化物への、今まで自らの保身しか考えてこなかった己への。
痛みも哀しみも苦しみも全てが大樹へと吸い上げられていく。
数分後には周囲の屍と化した者達と同じ。
物言わぬ空っぽの存在に成り果てようと。
何もせず。
ただ、黙って守られているような、そんな大人にだけはなりたくないと。
全員が念じた。
動け。
『『―――』』
鎧と光。
二つの存在がようやく。
自らの周囲に意識を向ける。
どちらにしても敵は目前。
しかし、決して彼等には及ばないとしても、無視出来ない力が働く。
メギメギメギメギッッ!!!!!
自らが根を張る大地から傷付くのも厭わずに四本の大樹が剥がれ、裂かれた研究所の中心へと引き寄せられていく。
限界を超え、体のあちこちからブスブスと黒煙を上げて剣を振り続けていた彼がようやく止まった戦いに安堵する事もなく。
真下で起こっている異常に目を奪われた。
(まさか?!)
何が起こっているのか瞬時に理解した少年の顔が僅かに歪む。
その刹那だった。
ドッ。
少年の肉体。
左半身が肩から脇腹に掛けて、消失した。
「ガッ?!? グッッ?!」
ゴボリと込み上げて来た血の塊を吐き出したのも束の間。
鎧の方から伸びていた剣の一部。
何かしらの見えざる効果を纏った細い分化し続ける糸の如きソレが肉体の消えた場所で複雑に絡まり、一気に外側へと吹き伸びた。
ザシュリと左腕が大鎌に切り裂かれ、下半身が無数の捻れたドリル状の先端に抉られて崩壊、首元が高速振動する鋸によって切り落とされ、弾き飛ばされる。
しかし、最後のトドメを刺そうとした鎧に再び光が攻撃を開始して、残った頭部が引き寄せあいながらズブズブと融合し始めた大樹に向けて落下していった。
*
―――七教会異相先遣調査隊長距離航行艦【聖輪】艦橋。
『周辺環境観測不能!!』
『装甲表面に不可解な侵蝕を確認!!』
『技術班から報告!!』
『法術防護結界七割が崩壊!!』
『観測班から入電!! 遠方944443に大規模魔力波動を検知!!』
『第三装甲内部に新型の概念魔力式の結界方術陣敷設完了しました!!』
『全艦!! 衝撃に備えて下さい!! 全艦!! 衝撃に備えて下さい!!』
『3、2、1、結界起動!! 結界起動!!』
バツン。
そんな音と共に非常電源で薄暗かった艦橋が光を取り戻した。
『侵蝕活動確認出来ず!! 侵蝕停止!! 侵蝕停止しました!!』
艦橋どころか。
他の部署からも歓声が上がっているだろう。
そんなお気楽この上無い部下達の様子にやれやれと三人の将は溜息を吐いた。
「とりあえず、観測システムを新型に切り替えろ。持たせられたやつだ。ああ、そうそう、それだよ。それ」
「まったく。通常の異相から一気に別の領域に入るなんて……これが観測出来ない“无”ってやつなのかしらね」
「そうだのぉ。まぁ、とりあえず魔力波動だけが周辺環境に左右されずに検出可能、という事だけでも収穫じゃったかと思うんじゃが」
男と女と老人。
三騎将。
七教会において七聖女やマロウ・ブレステンドを除けば、最高の武芸術者である彼等は次々に報告される状況に対応しながら、一路反応を検知した場所へと向かうよう指示していた。
「新式の加速用ブースターがあるだろ!! ありゃ、慣性制御の類だ!! 此処でも有効だろ!! 使っとけ!! 構わん!! 爆発しようが、消滅しようが、オレ達がいる限り何とでもなる!! さっさとやれ!! いいな!!」
そんな声から数秒後。
急激に艦内で横にGが掛かった。
それがゆっくりと低減されていくと再び観測班から入電が入る。
「どうやら順調に近付いているようね。さすがフルー様の新型航行システム」
「まぁ、星間航行用のものを概念魔力式に置き換えたらしいからのう。ある程度“存在”が可能な領域なら、どうにでもなるじゃろ」
女と老人が話し合っている間にも反応があった地点までの最短到達予測時間が表示される。
「後、八分……そろそろ準備しとくか?」
男が尋ねると女と老人が頷いた。
「最悪、目標地点に入る寸前に投下させて、遠巻きに観測させる手もあるわ。デッキに行きましょうか」
「だのう」
『御武運を!!』
艦橋で忙しく立ち働くクルー達が唱和するのに頷いて。
三人が背後の扉から後部甲板へのルートを歩いていく。
「で、だ。実際、いると思うか? 外なる神々ってやつが?」
「十中八九いるでしょうね」
「この領域は距離を拡張しとるようだし、被害はそう出んだろう」
女と老人が気楽に肩を竦める。
「久方振りの全力……種類は何でいく?」
「そうね……甲型で行きましょうか」
「ふむ。こちらも甲型でいいかと思うが」
「じゃあ、オレは乙型で行くか」
三人其々が自らの扱う武装を決めたのと同じくして。
彼等の往く道を封鎖していた扉が次々に開いていく。
そうして、巨大な格納庫に行き付くと甲板に競り上がるデッキの上にはもうハンガーの壁際から三体の【高格外套】が搬出されて内部を開きスタンバイしていた。
周囲では工員達が敬礼するでもなく。
自らの仕事に勤しんでいる。
「お前等、仕事早過ぎだろ」
「ま、イイじゃない。思考を先読みしてくれる優秀な工員なんて貴重よ」
「不満な装備を出された事も無いしのう」
自分達が装備しようとしていた武装一式が全て揃っている。
何を言わずとも思考までモロバレ。
そんな状況に溜息を一つ。
男と女と老人は通路を堂々と横切り、その体を開かれた鎧の内に横たえた。
閉じる鎧の各部が自動的にビスによって閉じられ、機体表層に壁際から伸びて来たアームが魔術の成果物たる特殊外環境用の塗料を撒布していく。
数秒で斑無く塗られた高格外套へ更に外付けの追加装甲が接続されていった。
女と老人には甲型三種。
補給用装備たる球体状の透明な追加武装が背部へ六つ。
ラックと共に備え付けられた。
高格外套の関節部にも注射針のような工具が無数に突き刺さり、液体が注入され、薄紅色へと耀いていく。
男には乙型二種。
高速近接格闘用の追加要素は巨大な刃のみ。
背部に接続された片刃の大刀は一件して玩具のようにも見える。
何故ならば、刀身の中身が刳り貫かれ、刀を構成しているのはその細い刃なのか糸なのかというフレーム状の外側だけだからだ。
まるで骸骨のようなスカスカな構造。
一振りしただけで壊れるのではないかと一見した者は思うだろう。
しかし、それこそは七教会が現行認める携行可能な近接武装の最高峰。
それ単体で乙型の一角を占める追加兵装だった。
三人が其々に機体を起こすと工員が一人駆け寄ってくる。
「お三方!! 言い忘れておりました!!」
「「「?」」」
三人の視線が帽子を被った男に向く。
「そちらの武装は今までお三方が運用していた旧式とは違いまして。フルー様がブラッシュアップした最新式になっております。全ての面において従来の八十倍近い能力差がありますので、どうぞ考慮に入れて運用下さい」
「世の中、進んでんな。いや、フルー様が進み過ぎって言うべきか」
「そうね。ま、八十倍程度なら、乗りこなすのに五分も掛からないでしょ」
「楽が出来そうで大変結構じゃな」
三者三様。
工員に分かったと掌をヒラヒラさせた後。
男を中心とした高格外套三体がゆっくりとデッキに持ち上げられて上昇していく。
艦の各装甲が一枚ずつ開いては閉じ、内部を密閉し終えた時点で最後の隔壁が開いた。
虚無の海。
そうとしか形容出来ない世界の先。
三人には黒い球体が見えていて。
高格外套のセンサーにも大規模な魔力波動が感知され、すぐに周辺情報が整理されて視界に投影、解析結果が提示されていく。
「あれが敵の本拠地か」
「魔王の城に乗り込む勇者の気分じゃのう」
「分かってると思うけど……」
「調査、だろ?」
「そうよ。誰もガチンコで神と殺しあって来いなんて言われてないの。ある程度、情報を収集したら撤退。いいわね?」
「状況次第だがな」
「と、言っている間にも何か来とるぞ」
言い合っていた男女が老人の声に視界の中でズームされる物体を確認した。
「屍蝋の仮面……事前情報通りか」
「この領域でも活動出来る……やはり、眷属の類なのかしら?」
「詮索は後でいい。まずは―――軽く狩りと行こう」
甲板から三体が瞬時に掻き消えた。
砲列を左右に揃えた【聖輪】の先端へ取り付こうとしていた人型の仮面が断ち割れ、霧と化す。
「ほほぅ? 次々来るぞ。数は……約五万」
「オレは先行する。後の片付けは任せた」
「あ、ちょっと!?」
「じゃあな」
背部の推進機関を全開にした男の機体が流星の如く流れてくる大小無数の仮面達を通常装備たる帯剣で切り裂きつつ、球体内部へと突撃していった。
「はぁ……子供なんだから」
「人間、容易に本性は変えられんという事じゃな」
女と老人が今も超高速で移動し続ける艦の上から光る円環。
魔導方陣を複数展開し、高速射撃戦の用意を整える。
「さて、やるか」
「ええ」
相対速度も考えれば、恐ろしい速度で艦に向かってくる化物の群れに紅の光弾が無数襲い掛かった。
*
七教会の艦が戦闘状態へと突入した頃。
その反対側の海を列車が速度を上げながら突き進んでいた。
列車の周囲には薄い魔術方陣が何層も重なって結界を構成していて、数十秒に一つずつ崩壊しては消え去っていく。
目指す目標地点に入ったかと思われたのは数分前。
其処が目標地点の周囲に展開されている別の領域だと知って、列車の乗務員達はこれからの過酷な道程を思わずには居られなかった。
現在、【春雷(トニトルイ)】の機関は全開。
国の大魔術師達が編んだ多層の防御結界を一枚ずつ剥離させながら、突き進んでいる。
普通に考えれば、引き返すのを検討するような状況と言えた。
しかし、現在彼等の指揮権を持っている少女はそれを良しとせず。
また、自らの力も使って車体を守る事を宣言し、観測出来た黒い球体へ向けて運行を続けているのだ。
白い着物の少女。
今も周辺情報を集約する作戦室の椅子で佇む彼女が今まで閉じていた瞳を開いた。
「何か、掬網(たも)のようなものはありますか?」
「たも?」
「はい。お魚を取る時に使う……」
老齢の車掌が訝しがったが、少女がスッと自分達の列車の前方。
室内の中央にある地図の一点を指差した。
「人が、流れてきています。何か途中で掛かるような網を……」
『!?』
車両の観測機器には何一つ映り込んでいない。
しかし、その少女の言葉には何一つとして疑問を差し挟む余地も無い響きが篭っていて。
その場の誰もが彼女もまたやはり特別な存在なのだと再認識させられていた。
「ただちに用意させます。魔術式で人を傷付けぬよう注意を払いますが、大きさが問題です。それと速度の方は?」
「速度は今の三分の一で……大きさは……四方十軒程で足りると思います」
「分かりました。では、そのように」
車掌がすぐさまに乗務員達に指示を飛ばす。
すると一分後には魔術方陣が先頭車両の四方に浮かび上がり、光の網がバッと周囲に広げられた。
その様子はまるで襟巻きを纏った蛇でユーモラスこの上ない。
しかし、すぐ乗務員達は網へ白い外套を着た人間を確認し、驚きに目を見張った。
『十、二十、まだまだ増えています!! ですが、この環境下で彼等を収容するのは容易な事では―――』
作戦室の男達からの報告に少女が車掌に何事かを耳打ちした。
「……分かりました。今から特殊な方陣を先端車両に張って下さるそうだ。その中でなら活動可能らしい。では、各員は網に掛かった人々を方陣の敷設後、速やかに回収せよ」
口元をもにょもにょとさせ、何事かを詠唱していた少女が両手の指を小さく組んで形を変え、複雑な図形を連続して模っていく。
すると、乗務員達に通達された通り。
戦闘車両と網を包み込むようにして巨大な方陣が瞬間的に顕れた。
「掛かれ!!」
よく分からない空間への恐れはあっただろうが、忠実に命令を守った男達が白い外套を着た亜人―――アルヴァス境界踏破部隊を回収して先頭車両のドアから内部へと次々に戻っていく。
『最後の一人を回収!! 現在、収容中……収容しました!!』
その報告に少女が頷くと方陣が綺麗に消え失せた。
「では、その人達を介抱して、お話を聞いて下さい。それと速度を現在の四倍程に」
「速度四倍!! 医療班は急げ!!」
慌しくなる車内。
向かう黒い球体は外側から観測しても何一つ変わらず。
しかし、少女の瞳にはハッキリと異変が見えていた。
「待っていて下さい……」
砕け散りそうな気配。
消えてしまいそうな命。
焦燥を自らの内に静めて。
彼女は、土御門烙南は、嘗て神門となった少女は、その手をきゅっと握り締めた。
唯一無二の人を迎えに往く為に……。