第三章インタールード2
第三章インタールード2「黒猫姫譚」
コポコポと音がする。
深海から世界に昇っていくような。
あるい温かなものが発するような。
煮詰められる魔女の釜に沸騰する黄金を入れた時のような。
とにかく熱さを感じて。
バッと目が醒めた彼女は全身がグツグツ茹でられている事を悟り、ドボッと薬液の入った巨大なフラスコから飛び上がって、佳麗に着地する前に天井で頭をぶつけ、地面に投げ出された読み掛けの本に足を取られてツルリと滑り、そのまま頭部を積み上げていた本の塔の角に再度打撃され、撃沈した。
ビクビクッと一瞬痙攣した後。
気を失ったせいで身体がパタリと倒れ臥す
「あ、済みません。今日、体液採集すると事前に言っていたのですが、寝ておりましたので時間の関係で睡眠中に始めさせて頂きました。えっと、これでいいのかな? あ、いっけない!? 温度が一桁間違ってる!? す、すすす、済みません!! だ、大丈夫ですかクヲン様!? クヲン様!!」
この世の中にドジと間抜けは殺してもいいという法律が欲しいと切に願ってもいい、“驚愕!!! 当主代行茹で釜事件?!!”はそうして幕を閉じた。
―――十分後。
「マゥヲ~~~フゥ~~フゥ~~~」
魔術具の光で照らし出された大工房。
今は亡き父の実験場の中央で彼女は自分の尻尾を息で冷ましていた。
半径200mの半球(ドーム)状施設。
クラウゼン公爵家の擁する地下研究棟より少し離れた場所に併設された場所。
そこには古代語で描かれた無数の書籍と先祖伝来の魔術触媒の精製器具。
それから精練済みの稀少鉱物や稀少触媒の数々が天井付近まで続く湾曲した棚一面に詰め込まれている。
基本的には大魔術師の工房である為、魔術関連の物品が多い。
その中央にあるのは彼らクラウゼン公爵家が数百年前より建造した秘儀の一つ。
【大玻璃壜(グラン・ウテルム)】がある。
大陸中で硝子の製造技術が飛躍する以前。
当時手に入れられる最高の触媒と石英、魔術の成果を不断(ふんだん)に取り入れたソレは半径3m、直径6m琥珀色の液体を入れた正に“賢者の釜”だ。
今現在、其処は一人の少女の住処となっている。
「マゥヲ!! ママヲヲヲ!!? マーヲ!!」
ようやく身体を冷まし終えた彼女が大きな声で“やらかした”相手を責めた。
「すみませんすみませんすみませんすみませんすみま―――」
頭を下げ続けているのは近頃、彼女のお付きになった新人だ。
今まで彼女クヲンの世話をしていた家の筆頭侍従達は姉である当主と共に地域の復興資金を稼ぐという名目で蒼い天蓋の星へと赴いている。
更に現在クラウゼン公爵家が治める都市国家アーズトリテは優秀な人材程に外回りに出て行かなければならない理由を抱えており、使用人一人満足に用意出来ない有様だった。
反七教会の機運が高まるご時勢。
内乱が収束し、復興が加速する藩落には多額の資本が必要だ。
元々優秀な魔術師を多数輩出し、魔術具製造の下請けとして国外地域と貿易していたアーズトリテにとって、国の再興と再統一において課された義務は正しく外貨獲得であった。
七教会と敵対しながら、複数の国と貿易を行う為には今までよりも深い相応の商業的知恵が必要となる。
なので、多くの優秀な人材が智識の習得の為に国外へと研修中。
クラウゼン公爵家が藩落の金策の矢面に立っているのはそういった重商主義に耐え得る輩が彼らしか国内にいなかった故であり、これを断る事は再び内戦の引き金にすら成りかねない。
そんな諸事情により、何とか再建した本拠地のピカピカな館はその内実……人が殆どいない幽霊屋敷と化していた。
当主不在という事も相まって、残ったクヲンはまだ仕事にも為れぬ貴族の末っ子を押し付けられるという、藩落の窮った部分の非合理を諸々被っているのである。
毎日毎日判子押しと学問に明け暮れる彼女は言わば、国家の人的資源枯渇という悲劇に直撃された可哀想な被害者と言えなくもない。
基本残っているのが性格に難有りとか、何をやらせてもダメだとか、妙に失敗ばかりするとか、そういう対外的な仕事どころか、国内でもちょっと眉を潜められる“使えない輩”しかいないのだから、彼女の苦労はかなり切実だ。
それが愛嬌とか、個性と呼ばれて尊重されるのは平時の話であって、未だ都市復興中の有事であるアーズトリテでは残った人材の中で“最も優秀な者”が“面倒を見る”必要に迫られている。
「マヲ? マゥヲヲ」
「え? 名前何だっけ? ひ、酷いですよクヲン様~~この間、四回も間違えたじゃないですかぁ!!」
「マゥ……マヲヲ」
「まぁ、いい。とりあえず朝ご飯? わ、私の名前よりご飯ですか!?」
「マヲォヲヲヲヲ!! マヲヲ!!!」
「は、はぃいいい!? ご、ごめんなさぁあああい!!? お願いですから、姉様達にはどうか言わないで下さいませぇええ」
垢抜けない雀斑を顔に持つ十五、六の少女。
黒い袖長のメイド服を着た侍女は怒る当主代行の声に即座逃げ出し、もとい食事の準備をしに行った。
「マーヲ……」
嘆息した彼女が濡れたはずの本をパッパッと払うと水気が全て抜けて、本が元に戻る。
そうして欠伸をしつつ、指を虚空で動かせば、すぐ周辺に散乱していた本が彼女の寝床の横へ綺麗に積み上がっていく。
「ま~~ぅ~~~」
背筋を伸ばして身体を左右に振って水滴を飛ばした後。
彼女は全裸のまま。
ヒタヒタと館のある上に向かって壁面の螺旋階段を欠伸がてら歩き出した。
「マゥ~~~あふ」
海月に食われたような頭部。
ヒラヒラと頭部から生える細い触手のような交接器。
大陸東部で年始に食される餅を引き伸ばしたような丸みを帯びた尻尾。
まるで袖のように腕から垂れ下がったヒレのような翼。
そうして、何処のお見合いに出しても恥しくない天真爛漫な愛らしい顔。
水性系亜人と思われるような真黒の彼女。
クヲン・クラウゼン・イストリア・ニェハエル。
目を擦ってムニャムニャしているのはいつも西部で黒猫気取りに少年を助ける少女。
その佳麗なる?日常が今明かされる。
*
―――クラウゼン公爵家新館食堂。
「あむ」
モッシャ、モッシャ、ゴクリ。
朝っぱらから茹で蛙寸前にされた当主代行は変わらず全裸で食事を摂っていた。
下半身は現在、浮遊する薬液の入ったフラスコに浸かっている。
テーブルの上には全権を預かる人間にしては質素な朝食が置かれていた。
塩豚(ベーコン)の厚切りステーキ。
骨付き乾肉(ジャーキー)の丸ごと煮。
牛と野菜の揚げ物北部風。
質素とは何か。
色々と考えさせられる話であるが、全てが地域の普通の店で売っている最安値の食材ばかり。
手間隙掛けた値段と質がお高いものを好む貴族にしてみれば、大人しい方だろう。
まぁ、食事の量が成人男性四人前くらいである事を除けば、であるが。
「けぷ……まーを……マヲヲ?」
おくびを漏らして、お腹を擦ったクヲンは後ろで控えていたダメ侍女(名前は忘れた)に問い掛けた。
「え? 今日の朝は何を食べてきたか? あ、はい。今朝は北部から取り寄せたお野菜と南部から取り寄せた地鶏の蒸したものを頂きま―――」
「マヲゥヲヲ?! マヲヲ!! マーゥヲ!?」
「何で当主代行より良いものを食べてるのか? あはは、そんな。クヲン様ったら、お忘れですか? これから藩落の貿易で物を売り込む際は現地の食材も買い込むって話だったじゃないですか~~アレの第一陣が今朝から来てまして。それでイスト、メンゼルの家には優先的にお裾分けが」
「マゥヲヲ!? マヲ!?」
「普通、当主が最初じゃないのか、ですか? あ~~昨日、お出掛けしている際に四家の実務者が決めちゃったので。クヲン様惜しかったですね♪」
えへへ、と笑みを浮かべる侍女(とりあえず変えて欲しい)に軽く淀んだ瞳をしつつも、食事を終えて。
彼女はイソイソと立ち上がり、執務室へと向かった。
後ろでは『後でお伺いします~~』と暢気な笑顔で侍女(切に変えて欲しい……大切な事なので二回言った)が皿を下げ始める。
その(皿の破砕)音を聞きながら、彼女は溜息を吐いた。
「マ~~ゥ……」
人手不足。
これ程組織にとって深刻な懸念も他にあるまい。
何をするにも上に立つ者は下に立つ者がいなくては話にならない。
何でもかんでも仕事を一人に押し付けると基本的にロクでもない事になる。
侍従と給仕くらいは普通に一人ずつ欲しいとは思っても、現状そう上手くはいかない。
人材を外から雇えばいいじゃないかとの話も殆どは蹴った。
それ程に内部人材に拘ったのはクラウゼン公爵家の血統に対する意地のようなものがあったのは否定しないが、それ以上に苦難を共にする相手を選んだからでもあった。
五年前アーズトリテが崩壊して後。
七教会から莫大な賠償金がクラウゼン公爵家には送られていたが、その貨幣の一枚とて、彼らは使っていない。
街の復興も、人々の生活も、全て己と友好国からの支援だけで賄ったのだ。
隙を見せず。
藩落で勃発した内戦にも殆ど関与せず。
只管に五年間を金策と人材育成に当てた。
その苦しみは当面の生活を確保する事で達成され、今はその最終段階。
もう少しすれば、組織に人も物も戻ってくるだろう。
クラウゼン公爵家が賑やかになれば、彼女とて理不尽な(侍従の)暴力(ドジ)に晒されなくて済む。
そう分かっていても、無いモノねだりをするのが人の性か。
しょうがないと更なる溜息一つ。
彼女は交配実験にも参加していた筆頭侍従達の顔を思い出していた。
クラウゼンを支える大貴族の子女達。
何事も卒なくこなすお世話係り達は彼女にとって今や遠い日の幸せそのものであった。
近頃は監督役であるクヲンの雑務が激増している。
判子だって、押す回数が十五倍程に増えている。
それは今はいない優秀な人材達が彼女に上げるまでに様々な案件の重要度を確認し、自分達で処理出来る分は全て事前に終らせていたからだ。
それが今では家の窓拭き業務の裁可から、魔術師の飼う牝猫と牡猫の喧嘩の仲裁という、もう明らかに彼女の職権でどうにかする話ではない案件まで、何でもかんでもゴミ箱にゴミを捨てるような当然さで書類が上がってきている。
本来なら匙を投げて逃避し続けてもいいのだが、クラウゼン公爵家の柱は現在彼女であって、もしも裁可が止まれば、一気に物流や人々の生活にまで支障が出かねない。
故にクヲンはその多忙を極める書類と判子と確認の輪舞から逃げ出す時、事前に全ての仕事を終わらせる。
常人には不可能な芸当だろう。
一日の裁可案件二百三十件。
各種、会食・会議・会合はまとめてぶっ通しにして七十八時間。
真夜中に当てられる案件は全てその時間帯に回して、二十四時間休み無く戦い続けるのである。
これを終らせて至福の場所(あたま)で就寝する時、彼女は生まれてきて良かったと沁み沁み思うわけだ。
「マヲ……」
何もせずダラダラしていられた遠い日の幸せな思い出へ浸るのもそこそこにクヲンが執務室の扉を開けようとした時だった。
『クゥ、シュシュシュシュ♪』
『クゥ、ルルルルルルル♪』
『クゥ、リュリュリュリュリュ♪』
何やら騒がしい声が室内から聞こえていた。
バタンと開いた扉の中でハッと劇画チックな顔で固まったのは、三人の白い肌に菫色の瞳をした亜人。
五歳程になるだろう彼女の妹達だった。
二人は獣人(ベスティア)のような獣型の顔、耳、腕、体毛をしている。
一人は一部を除いては人間と言ってもいいだろう。
三人ともに共通しているのは肌と体毛と瞳の色。
そして、その尾てい骨辺りから生える餅を伸ばしたような尻尾だ。
現クラウゼン公爵家当主にして彼女の姉。
マヲンの娘。
五年前、交配実験によって生まれた命。
まだ小さな彼女の姪達は……散々に読み散らかした本に視線を向けると、疾風の如く逃げ出した。
「マゥヲオオオオ!!!?」
「「「♪」」」
こらぁ!!と怒ったクヲンの横を笑顔で擦り抜けていく姿はレース地のノースリーブ姿。
親であるマヲンのものを真似た代物だ。
スカートを閃かせて逃げ去った後に残されたのは開かれっぱなしの本の山。
すぐに魔術で片付くとはいえ。
それにしても彼女の気は重かった。
「………マゥ……」
姉だって小さな頃悪戯は沢山していたが、此処まで酷くなかったとクヲンは疲れた様子で執務室を見やる。
暗澹たる溜息で散らかされた本を自分が片付けるのかと肩を落とした彼女の背後に足音。
「あ、クヲン様。お仕事の事なんですがって?!! また本をこんなにして!? お片付け下さい!! 当主代行なんですから、それくらいはして貰わないと下々の者に示しが付きません!!」
「マ、マゥヲ?! マゥヲヲ!!」
「は、違う? 何が違うんですか? とにかくお片付けが終るまでは仕事になりません。さぁ、片付けて下さい!!」
「マ」
「ま?」
「マゥヲヲ~~~~ッ!!?」
「あ、ちょ」
自分じゃないのにぃ~~ッ!!と叫びつつ、クヲンは再び館の地下へと駆けて行った。
世の中に理不尽は五万とあろう。
が、それに慣れている程、擦れてはいないお嬢様であるところのクヲンは再び自室の巨大フラスコに飛び込むと内部で三次元式魔術方陣を展開して、目の前に出てきた三つの動物の姿。
鳥、犬、猫の内の猫を選択し、自らの意識を世界の外へと飛ばした。
*
あらゆる血統を収斂した先。
偶然に生まれた存在。
それがクヲンと呼ばれる彼女だ。
姉であるマヲンが【基幹異種(バルバロス)】と呼ばれる遥か太古に死滅した原初生命体を目指して創造されたのとは違い。
彼女は姉を生み出す際に同じ母体から一年遅れで生まれた変異体。
どうやら分裂した受精卵が再び卵巣内部に戻って母体の負荷を減らしていた云々。
姉と同じ姿形を持ちながら色は真逆で身体も弱い下位互換生命。
そんなクヲンは本来ならば、姉を使った実験が失敗した場合の予備検体だった。
それでもフラスコ暮らしが長い中、彼女はよく教育された。
小さな頃から活発な姉を羨ましく思っていたものの。
だからと言って、怨む事は無く。
ただ、世界の外を夢見たのだ。
そんな彼女はとある時、己の能力を使い世界に飛び出す方法を手に入れた。
化身(アバター)。
魔術の産物である肉体は何処にだろうと行ける。
それが惑星の反対側であろうとも歩いて見て触れて食して嗅いで生身の感覚のまま感じられた。
だから、彼女の娯楽と言えば、その身体で世界を歩くか。
本を読み想像を膨らませるか。
その二択だった。
それが変わり始めたのは一人の少年と出会ってからだ。
ヒョイと頭の上に着地し、今日もダラダラ幸せな睡眠時間を謳歌しようとしたクヲンだったが、転移座標に誰もいない事を確認し、地面へシタッと佳麗な体勢で舞い降りた。
「マゥ?」
キョロキョロと辺りを見回せど、其処はいつものアルヴァスではない。
それは周囲に山肌が剥き出しの山岳が広がっているところからも明らかだ。
まるで彼女の国の北。
不毛山岳ペリヲンにも似ている。
さて、どうしてこんなところに転移したのだろうか原因を探った彼女の視線に一つの物が止まった。
枯れ草と石ころくらいしかない地面に転がっているのは古びれた錆び掛けの羅針盤(コンパス)だ。
小さな掌に収まるくらいのソレから特別な何かを感じてイソイソと近付く。
すると、彼女の前に光が立ち上り、大きな地図が虚空に映し出された。
魔術による投影。
それも随分と旧い術だ。
ザリザリとノイズ混じりの地図はファルティオーナのもの。
しかし、現在普及するものとは違い。
幾つかの点で異なる。
一昔。
たぶん数十年以上前のものだと気付いた彼女の瞳に小さな紅の点が映り込んだ。
「マヲ……」
一体、何がある場所なのか。
普通では無い事象にウズウズした彼女がそっと手を羅針盤に置いた時。
カチリと音がして。
「!?」
その脳裏に幾つも映像が流れ込んだ。
長閑な白い花々が揺れる野原。
その先に顕れた無数の羽ばたき。
巨大な封結陣が描き出された大地に吸い込まれていく黒の軍勢。
無数の翼と角持つ者達と争った記憶。
それがすぐに魔族との争いだと理解したクヲンは光点が指し示す場所が封印の在り処だと直感した。
「マヲ~~?」
何がどうしてそうなったのか。
途切れ途切れの映像には剣や拳、杖や背中、そういった記憶の主の仲間らしき姿が確認出来るも、顔までは見えない。
何をさせたいのか。
その封印に何かが起きたのか。
自分の転移が誘導され、呼ばれたのだとすれば、それにはどういう意味があるのか。
「?」
彼女が手の下に違和感を感じて退けると。
パキャッと羅針盤が砕け散って最初から何も無かったかのように粉塵となって風に乗り消えていく。
「………マヲ」
今日は行き先を変更してみよう。
何か面白い事があるかもしれない。
そう思い。
彼女は何処かも分からない不毛の地から光点が示した場所へ向けて、転移を実行した。
*
―――大陸北東部とある山中。
北部特有の気候のせいで穀物類が育たず。
貧しい場所が多い中にあって、人の手が入らない地域というものが、幾つか存在する。
この数百年、打ち捨てられ、植物と動物達以外に険しい野山は来訪者を拒む天然の要害だ。
未だ測量調査も満足に為されていない空白は時に未発見動植物の宝庫であり、在野の研究者達が数年掛かりの準備で踏破しようとする秘境でもある。
クヲンが転移した場所もそういった人に棄てられた領域の一つだった。
険しい道無き山林が広がる山岳部。
僅かに残る文明の残渣は崩れ掛けた教会とはまた違った様式の寺院らしき場所のみ。
苔生した岩陰と大木が聳える世界は太古から殆ど変わっていない。
転移した一角はそんな場所の中でも白い野花が群生する野原だった。
「マゥ……?」
人の喧騒は彼女の機敏な聴覚にも届かない。
魔術中核を上空に打上げて、周辺をグルリ360度眺めても集落らしきものは地平の果てまで無く。
完全な無人の園。
クヲンは転移先に転がっているはずの封印を探して、大地から感じられる地脈に沿って歩き出した。
小枝と枯れ葉、他にも良く分からない植物の腐った腐葉土の上を歩きながら、静けさに包まれた森林を進む。
木漏れ日は薄く。
暗い為か。
僅か肌寒い。
「マゥ」
何も手掛かりの無い探険。
通り過ぎる世界は濃密な緑の匂いに包まれて、絵画のように調和が取れていた。
「?」
コポコポと音を聞いて。
そちらの方向へと歩を進めたクヲンが小川を見付けた。
近寄って、そっと湖面を覗き込むと奇妙な蟲のような魚が泳いでいる。
ちょっと、飲めるかどうか鼻をスンスンさせて嗅いだ後。
ピチャピチャ舐めて、舌先の冷たさに彼女は驚く。
どうやら何かしらの魔力が小川のあちこちから湧き出しているらしく。
水の温度は氷点下。
それでも凍らない不思議は夏に涼を取るならば、最高なのだろうが、彼女の地元は絶賛ポカポカ陽気の真っ最中であり、冷たさを求めるにはまだ早い。
「………」
蟲っぽい魚は食べられるだろうかと考えて。
止めようと彼女は諦めた。
と、言うのも基本的に舌が繊細だからだ。
お腹を壊しそうなものは遠慮するべきだろう。
アバターとはいえ、人間並みな五感は全てを伝える。
体調が悪くなれば、本体にだって嫌な感覚くらいは残留するのだ。
「………」
小川に流れる魔力でも辿ってみようと探険は続けられた。
地脈から漏れる魔力が変質した場所は基本的に結界を張るには絶好のポイント。
小川の水の状態からして、純粋波動魔力が励起され、温度を下げる方向で働いている。
ならば、近くにあるだろう封印は“止める”類だろう。
凍結、分子の停止、あるいは熱量の交換で存在を常に冷やし続ける。
比較的高位の大魔術師が用いる封印の様式。
そこまで強くなければ、雑魚っぽい魔族は封印が風化するまでロクに動けもしない。
「……マゥ」
小川を下った先。
彼女は目的のものを見つけた。
泉。
それも凍結していないのに真冬のような冷たい冷気を発する特殊な場所。
殆どプランクトンや生物がいないのか。
湖面から比較的浅い湖底まで驚く程の透明度だった。
そんな、泉の中央に魔導方陣が敷設されている。
魔術でも法術でも無く。
魔導と分かったのは節操の無い緻密な書き込みと多用な意匠が不断に盛り込まれていたからだ。
普通、魔術というのは基本的には一点豪華主義のような、特化型の方陣を運用するものが多い。
というか、それ以外に気を回していると術式が破綻するような繊細なものだ。
しかし、魔導はあらゆる叡智の集積による肥大化と汎用性の向上を目指した為、一つの方陣で幾つもの役割を果たす事が出来る。
その分、威力・出力は下がる傾向にあるが、並列して幾つもの方陣を使えば、それらの問題は殆ど解決される程度の話だ。
湖底に焼き付いた陣は今も封印の維持のみならず。
封印の補修や点検、更には自己を拡大して威力を強めている事が見て取れた。
その証拠に陣の中心の円から三つも途中から書き加えられたと思しき増幅の式が書き込まれている。
だが、それ故に彼女には不可解だった。
封印には何ら問題が無さそうなのである。
ならば、どうして自分は呼ばれたのか。
単に誰かに伝える為の術が羅針盤(コンパス)に仕込まれていただけなのか。
それとも時間経過を気にした術者の保険でも働いたのか。
さてはて、何が問題なのかと首を傾げた彼女がアルヴァスに転移し直そうかどうかと悩み始めた時だった。
グラリと地面が揺れた。
地震。
時折、地質が異なる断層の周囲で起こる振動現象にクヲンはキョロキョロ辺りを見回した。
「マゥヲ?」
すぐ東の空で赤い光が上がる。
木々の間からでは見え難いとヒョイヒョイ空へと走って昇った黒猫は東の山岳部の内側が煌々と煮え立つ溶岩に照らされているのを確認して、ようやく気付いた。
この一帯が巨大な火口。
km単位の高地にある窪地である事に。
周辺を山岳部に取り囲まれていると思っていたが、それは間違いで超巨大な火口跡の中に森林地帯は形成されていたのだ。
これでは人が逃げ出すのも無理は無い。
火山活動次第では小規模なものでもかなり危うい。
大規模噴火で一網打尽だろう。
これが呼ばれた原因かと空を走って、一部噴火した地点に向かうと溶岩が噴出す場所から紅の色を吹き上げる亀裂が周囲に広がり始めているのが確認出来た。
「マゥヲ~~~」
大自然の驚異。
此処で眺めていたら、数十万年ぶりの大噴火ショーを目の当たりに出来るかもしれないという期待に胸躍った彼女はしかし、すぐに気付く。
封印が解ける。
否、溶けるだろう事に。
冷やして封じているのに急激な温度の上昇が起こったら、それだけで結界に問題が出まくりだろう。
さて、どうしたものかと彼女が止まったのには主に理由が三つある。
一つ。
彼女は封印結界の類は張れない。
一つ。
彼女は何かを冷やす魔術を使えない。
一つ。
彼女は基本的に面白い事が好きである。
ぶっちゃけると。
「マウヲ~~~♪ ママゥ~~~♪」
封印が溶けてもいいから、とりあえずダイナミックな自然体験が彼女は愉しみたかった。
魔族が復活したら、さすがに七教会がザックリ駆け付けて来て、駆除するか再封印するのは確実なので、自分であくせく働く事も無い、というわけである。
しかし、そんな彼女の思考は見透かされているのか。
脳裏にもう一度、記憶が甦る。
どうやら羅針盤に掛けられていた術の一部が残留していたらしい。
その映像には封印の近くにある岩肌が映し出されていた。
夕景に照らされて分かりづらかったが、キラキラと光っている。
どれどころか。
黄金に耀いている。
いや、そのものであった。
その量たるや、かなりのものだ。
しかも、周囲の山肌は削られた跡も無く。
鉱物資源が丸々眠っているとすれば、財産としては申し分無い。
「………マゥマゥヲ」
もしも、金の鉱脈が丸々自分のものになるなら、家の財政と都市の復興は大いに勢い付くだろう。
優秀な人材だって早々に戻ってくるかもしれない。
しょうがないなぁ、と。
彼女は一肌脱ぐ事にした。
此処で眺めていたら、魔族が復活→教会やってくる→国に鉱物資源状況を報告→国のもの、である。
あるいは溶岩に飲み込まれるか。
個人的には金というものに興味が無いクヲンであるが、生きていくには何かと先立つものが必要だ。
彼女の周囲にはそれで苦労する人ばかり。
少しでも役立てば、クヲン様偉い!!→クヲン様が当主代行で良かった!!→クヲン様の侍従には相応の優秀な人材を!!となるかもしれない。
「マゥゥゥ♪」
こうして人材不足による悲劇(ドジ)をもう引起さないという決意の下、彼女は行動を開始した。
まずは……面倒臭いので火口に突入する。
「マゥマゥマゥ~~~~」
ズギューンとか。
ドギューンとか。
そんな頭の悪そうな擬音が貼り付けられそうな速度で黒猫が真っ赤な溶岩の中にボッチャーンと入水。
温度は高いが、一応の魔術師である彼女は温度を遮断する術が使えた。
高感度の光学解析用の観測術式を立ち上げて、周辺の溶岩内部がどのようになっているかを視覚化する。
すると、彼女の目に普通では在り得ない類の現象が映り込んだ。
黒猫の瞳に浮かんだ方陣が捕らえたのは遥か溶岩の底。
まるで溶岩の道を塞ごうとしている黒い物体。
それがすぐ魔力の塊だと気付いて、彼女は潜行しつつ、上を見上げる。
「マゥ?」
地面のある方角には何やら黒いものが蠢きながら、グルグルと円を描いて対流していた。
それが地面内部で封印に捉えられながらもどうにか逃げようとしている対象。
封印された魔族だと悟って、ようやく今回の噴火がソレ等のせいだと彼女は理解する。
大方、自然に上がってきた溶岩を使って、封印を破壊しようと魔力でその通り道を塞き止めたのだ。
かなりの数がいるのは視れば分かった。
しかし、魔力は少しずつしか漏れ出しておらず。
溶岩を塞き止めるだけの魔力を結界外部に放出するにはかなりの時間が掛かっただろう。
よくよく、溶岩の中を伝播する振動を感知してみれば、普通の大陸標準言語で「もう少し、もう少し」と呟きが漏れている。
「マゥヲゥ~~~」
無慈悲に一撃で相手を消滅させればいいじゃない。
という彼女の思考を読んだかの如く。
対流していた魔族達の動きが止まった。
ギロリ。
そんな無数の視線が彼女の小さな体を釘付けにする。
どうやら見付かったようだと肩を竦めて。
彼女は出来るだけ穏便に魔族だけを処分する事とした。
無用な戦闘を行えば、火口が拡大してしまう。
ならば、やる事は一つ。
魔族を消し去って、とっとと鉱脈ごと転移で回収し、逃げる。
正しく完璧な計画だと彼女が自らの能力を発現させようとした時だった。
『おおう!! これはこれは珍しい!!』
『然り然り』
『あれは……まだ、生き残りがいたのか』
『ははは、どうやら、我らは付いているな』
彼女の脳裏に声が響く。
「マヲ?」
この間、彼女が回収した四つの影。
封印されていた魔族が周囲に滲む。
まだまだ開放されて日が浅いせいか。
彼ら四人は常にクヲンの中で力を養っている。
どうやら、封印された時に体を失っているらしく。
丁度良い依り代として彼女は使われていた。
まぁ、宿主に服従して力を貸してくれる云々と先日は言っていたので放っておいたのだが、こんな時になって出てくるとは思いもよらず。
影達に思考でクヲンは訊ねた。
どうしたのかと。
『あれはな。丁度、一万年程前に大陸で異種に食われた種族よ』
『そうそう。その当時の亜人共が罠に掛けて、酷界から逃げ出したあやつらを敵対する異種に喰らわせたのだ』
『面白い性質を持っていてな』
『自らを喰らった種族に己の血筋を取り込ませて、個体数を増やすのよ』
『かかか、“白の宝玉”と対にして数万年前は一軍を形成出来る程にいたのだが、お偉方があの侵蝕能力を嫌って減らしまくり、最後には追放したのだ』
『よいぞよいぞ。丁度、手頃な兵隊が欲しかったところだ』
『アレを捕らえよ。我らの手駒にしよう』
『あやつらの懐柔は簡単よ。魔力で殴り付けてやればよい』
『その質に応じて主にするか決めるのだ』
『もしも、質が高ければ、今の主を裏切るであろうよ』
『故にやつらは“黒の逆者”と言われた。喰ろうた者は現在の主にも服従する。ついでに今まで喰ろうてきた者達の能力を全て持っている』
『中々に途切れぬ手駒よ』
『人型に近付くが、視れば今までの者達の面影もあるであろうよ。くくく』
「マゥ……」
何やら悪巧みに利用されている感が無いわけでもないが、一々魔族と戦うよりは魔力で殴り付けた方が何かと簡単だろう。
クヲンは周囲の影達の言う通りにした。
自らの魔力を化身(アバター)に流し、そのままその菫色のエネルギーの塊を肥大化させ、グーの形にすると結界越しに横殴りとした。
溶岩の中に「ヘグゥウウウウウウ」だの「アギャアアアアアア」だの、断末魔のような絶叫が響き渡る。
ついでに捕らえていた結界が破砕された。
そうして、数秒後。
翼や嘴、鰭、多脚、複眼、多頭、鱗、様々な特徴を持つ黒き人型魔族達がボソボソと恍惚とした表情で呟き始める。
「……主様だ」
「新しい主様だ」
「わーい。新しい人だ!!」
「よろしい。ならば、貴女が主人だ(キリ)」
「こ、こんなにキレのある拳見た事ない!?」
「あ、主様にしてあげるけど、か、勘違いしないでよね!!」
何やら数が多過ぎて煩雑な音声がガヤガヤと入り混じる。
しかし、すぐさま統率の取れた様子で真っ黒な魔族達が溶岩の中、クヲンの前にははぁ~~っと平伏した。
「マゥヲ……」
『ふむ。よいではないか』
『粒は良いな。だが、どうやら人間も混じっているか』
『面白い。異種と魔族と亜人と人。後は神でも混ぜれば、随分面白いだろうよ』
『くくく、そろそろ下の方が限界か。止めるなら今だぞ』
言われなくとも、そうすると。
クヲンが真下で今も溶岩を塞ぎながら圧力を高めている魔力を指して言った。
「マヲヲヲ!!」
「マヲ? マヲッと仰ったぞ!!」
「これは、我らへの新しい挑戦!?」
「マヲ、のみで意思を汲み取る。くっ、従者冥利に尽きる仕事だ」
「とりあえず、あれは魔力をどうにかしろと言っておられるのか?」
「はぁ? ばっかじゃない!! 主様はきっと爆発させろって仰ってるのよ!!!」
「そうか!!?」
「そうなのか~~」
「く、主様のマヲは一言にそれ程の深い意味が……」
「マヲ?! マゥヲヲヲヲヲ!!!?」
違う違うと首を横に振った彼女の仕草に再び魔族達は考え込み。
一致にした見解に達した。
―――分かりました!!! 大爆発させろ!!! ですね!!?
「マヲヲオオオオオ?!!!」
止めれぇえええ、と静止するよりも先に魔族達が自らの魔力を下層域に向けてぶち込んだ。
ド、グンッッ。
今まで溶岩に蓋をしていた黒い魔力の塊が一瞬で肥大化して全ての溶岩を塞き止め、急激な圧力の上昇で爆発四散した。
その勢いのままに彼らが溶岩の濁流に呑み込まれる。
「マゥヲヲヲヲヲヲ!!?!!?」
『む、そう言えば、伝えていなかったが、やつらは頭が悪い』
『侵蝕過程でお頭(つむ)が残念になるらしい』
『記憶そのものは変わらないので人格は保たれるらしいがな』
『くくく。では、復活の狼煙と行こうではないか』
地表に噴出した溶岩が巨大な火口を飲み込んでいく。
砕けた地層が焼け落ちて沈み始め、火口の大爆発でポーンと真上に放り出された魔族ご一行様は大笑いしながら、世界が終ったような黒煙に呑まれていった。
―――クラウゼン公爵家本邸庭園前。
朝から当主代行が拗ねて消えてしまったので書類の裁可が止まった公爵家の玄関前には人集りが出来ていた。
役人、商人、技術者、魔術師、錬金術師、加工業者、建設業者、商工業者。
諸々である。
まだかまだかと待っている人々にお茶が振舞われていたが、それにしても遅いと彼らは現在の当主代行を待っていた。
何分、殆ど人前に姿を現さない相手だ。
姿も見せない、日常に支障が出るのでは不満も溜まろう。
苛々した様子の人々に愛想笑いでお菓子を勧めているのはクヲンにキレられた侍女であった。
前々から地下研究棟で育っていた第三世代。
血統を掛け合わせる為の検体として育ってきた彼女は外からのお客達にニコニコしながら応対していた。
「そのぉ~~まだ、終らないのでしょうか?」
「はい。済みません。どうやらお体の調子が優れないようで」
「ですが、あまり遅いとこちらの仕事にも支障が」
「そうですなぁ。マヲン様の時はこのような事は無かったんですが」
クヲンへの不満が少しずつ吐露される様子に彼女は堂々と笑顔で人々に笑い掛ける。
「クヲン様は当主代行として毎日のように頑張って下さっています。お体を壊されるのも無理からぬ事。この場の皆様も知っているでしょうが、激務を毎日のようにこなされていました。会合、会議を二十数時間通して行なわれた事、お忘れでしょうか。何十時間も中身を吟味して御裁可し続けていた事、お忘れでしょうか。正しい判断が下された事は結果を見れば、火を見るより明らか。どうか、もう少しお待ち下さい」
ペコリと頭を下げる侍従に男も女も確かに……と口を噤んだ。
少なくとも、彼らの知る限り、裁可が間違っていた事は無い。
計画の不備や準備不足などを的確に指摘する内容を受け取った事のある者も多いのだ。
ただ、判子を押していればいいというものではない。
全ての案件を吟味した上で承認してきたクヲンの手腕はそれなりに都市民達にも評価されていた。
「?」
そんな時だった。
侍女がふと魔力を感じて空を見上げると。
遥か頭上に何やら小山の如き巨大な影。
そして、それに気付いて人々が振り返るより先にドガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアンと広大な庭の一角に岩山が落着した。
その衝撃でグラグラと周囲に激震が走り、復興中のアーズトリテの道に何事かと人が溢れ返る。
「ごほごほ!? 一体、何が!!?」
土埃を簡易の風を起こす魔術で魔術で吹き払い。
客達の前に出た侍女が思わず目を見張る。
煙の中から出てきたのは巨大なまだ湯気を上げる岩塊。
そして、黒猫。
「クヲン様?!!」
思わず駆け寄ろうとした時、彼女は目を疑った。
ゾロゾロ。
黒猫の群れが、まるで津波の如き大軍でダダダダッと駆け抜け、岩山の左右に兵隊よろしく座り込んで道を作っていく。
「え? ええ?! クヲン様が一杯!?!」
そんなわけもない。
マヲーと啼くのかと思われた黒猫達はニ゛ャーゴと何だか濁声(だみごえ)で自分達の主を出迎えた。
「マヲ~」
岩山の上から黒猫がトウッと佳麗に侍女の前へ着地する。
「マヲヲ!! マゥヲヲ!!」
「え? え? 子分が出来たから、後はよろしく? それと鑑定士を呼べ? ですか?」
目を白黒させる侍女にクヲンは得意げにババーンと大岩を腕で指す。
「見てみろ、と?」
「マーヲ」
ウンウン頷いた当主代行に言われるがまま。
侍女が岩に近付いて、表面がキラキラしている事に気付く。
「これは……」
「マゥヲ~~~♪」
「めちゃくちゃ価値がある岩、ですか?」
ザックリ説明した黒猫の話に半信半疑だった侍女が少し衝撃で零れ落ちた岩の破片を手に取って、太陽光に透かした。
「ふむ……確かに金と銀金(ミスリル)が含まれてるみたいですね。あ……でも、この鉱物……」
「マゥ?」
どうかしたのかと問いたげな黒猫に侍女が以外に博識な意見を述べる。
「クヲン様は知らないかもしれませんが、魔力形質を通す金属の精錬て、実は意外に難しくて、ウチにも藩落にも確か精練出来る炉は無かったはずです」
「マ、マーゥ?」
「はい。大魔術師クラスの錬金術師が居れば、話は別ですけど。この岩を見る限り、かなり分離の手間は複雑そうですね。というか、そういう精練て、実は纏まった鉱物の単価よりも高い事があるんですよ。まぁ、大規模な施設を建てて、ずっと使い続けるなら話は別ですけど」
「マ、マゥ?」
「つまり? つまりも何も、こんな岩塊を精練しようとすれば、それだけでこの岩塊の価値以上の金額が掛かります」
ガーンとショックのあまり黒い毛皮が白くなりそうな様子でパタッとクヲンが倒れ付した。
「クヲン様。元気を出して下さい」
「マ、マヲ?」
「この岩塊、中々大きいですから、原石として宝石業者とか、金属加工業者に売り渡せば、それなりな金額になるかと思います」
「マゥヲ!!?」
「ええ、本当ですとも。ですから―――」
ギラリと侍女の瞳が光る。
「お片付け、よろしくお願いしますね?」
「マ、ゥ、ヲ?」
何、だ、と?!
と、劇画チックに固まるクヲンへ額に青筋を浮かべながら、侍女はにこやかに伝えた。
「この庭の修理代くらいは捻出して頂かねばならないので。あ、それと言っておきますけど、ウチは現在黒猫をあんな百ダースも飼う余裕はありませんので、棄てて来て下さい。それが嫌なら、ご自分で餌代諸々お稼ぎになって下さい、ね?」
ふら~~~っとショック過ぎる様子で黒猫が涙目のまま意識を遠退かせる。
『かかか、愉快愉快』
『これで戦力は幾分か揃った』
『ふむ。では、これより行動を開始しよう』
『“来るべき日”はもうすぐ。さぁ、神器にもそろそろ火を入れねば。くくくく』
脳裏で勝手な事を言う影達が暗躍し始め、化身(アバター)を与えられた子分達はヒソヒソと噂し合う。
曰く。
新しい主様はどうやら、家の中では立場が弱いらしい、と。
究極生物の日常はこのようにして過ぎていく。
―――マ、マ、マゥヲヲオオオオオオオオオオオオ!!!!???
そうして。
今日も黒猫は本当に彼女を尊敬する従者達にひっそりと見守られながら……平和で愉快な日常を送る。
結局、彼女が悲鳴を上げつつ、庭の“掃除”と裁可を終えたのは不眠不休で二日後の朝の事であった。