※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第三章~西部「夏祀影絵編」~
第三章七十九節


第三章七十九節「祭忌禁交Ⅰ」

 

 ようやく。

 

 夏の日差しが最高潮に達した日。

 

 明日の祭りに向けてアルヴァスは多くの観光客でごった返していた。

 

 遠方からの来訪者は何も亜人達だけではない。

 

 名誉亜人となった周辺各国の要人。

 

 人間の一般旅行客。

 

 何処からともなく現れる異種の群れもまるで置物のように人の群れと混ざっている。

 

 誰も歩いているのが指先一つで人体を粉々に出来るヤバイ生物だとは思っていないのだろうが、事実は奇妙な程に危険な存在が隣人として溶け込んでいた。

 

 巨大過ぎる猛獣みたいな異種が亜人達に気を使って空をヒョコヒョコ歩いているし、鯨みたいな異種が散水用の噴水がある公園上空で風船のように浮かんでいる。

 

 首都近くではもう縁日の飾り付けも終った屋台が軒を連ねていて、石版みたいな異種がヌボーっと前日から並んでいたりもする。

 

 正に人間にしてみれば、仮装大会の会場か。

 

 はたまた珍獣、猛獣、その他諸々が屯する魔窟か。

 

 しかし、危険とまるで無縁な気配が漂うのは集う者達が祭りを楽しみにいしているからだろう。

 

 寿命の長い異種辺りなら、ついこの間出来た新興国の恒例行事に参加し、人間に混じり愉しむ為に色々な事を弁えている。

 

 無闇に魔力を吐かないだとか。

 

 無闇に身体を動かさないだとか。

 

 異種が混じっても大丈夫で大規模な祭りという奴は大陸規模で見ても殆ど無いので観光客として人間よりマナーが良いのは当たり前なのだ。

 

 出入り禁止を喰らうのは楽しみが減る事を意味する。

 

 人が創造した世界において、文化とは最大の被造物であり、異なる存在を強く惹き付ける財産だ。

 

 意思、肉体、魂、精神、意識、何もかもが違おうと共通して理解出来る娯楽。

 

 それこそ、亜人達にも受け継がれる人という血統に連なる者が持つ強みだった。

 

「………」

 

 今日は無礼講だと。

 

 アルヴァス・カレッジの校庭にはいつもハガスを守っている“一人の姉妹”が連れ歩く異種が大きな首輪とプレートを下げて鎮座していた。

 

ソラ・アヴィス。

 

 巨大な白き獣。

 

 嘗て、神々すらも喰らったと言われる太古の異種。

 

 緑炎テロの時は学園内に迫ろうとしていた複数の屍蝋の仮面達を雷で焼き払った実力者。

 

 ソラちゃんと姉妹達に親しまれる彼はかなり大柄な方だが、その頭脳と思考は大抵の文化人より上だ。

 

 その上、百年以上前に存在した【大皇】と呼ばれる大偉人と幼少の頃からの知り合いにして親友という間柄だった特別な個体でもある。

 

 沢山の人間の生死を見届けてきたし、多くの敵と戦い抜いた実力は高位の魔族や神格と戦っても引けを取らないだろう。

 

 遥か過去から受け継がれる血統の記憶も含めれば、大抵の事は知っている。

 

 博識と読んで差し支えない。

 

 そんな彼は初めて見る自分以外の異種達の気配や波動の感触に僅か驚いていた。

 

 彼程のものは殆どいないが、それでもかなりの実力を持つ異種達が都市には混じっている。

 

 随分とアルヴァスという国が大きな後ろ盾を得ているのだと大半の国民は知らないだろう。

 

 その中で最も強い気配をさせているのは首都東部の奥まった場所にある館。

 

 ゼオ家本邸に住む輩である。

 

 その周囲にだけは十分に巨大な気配を有する異種達も近付かない。

 

 一種の空白地帯は定住している主の縄張りが絶対不可侵である事を暗示する。

 

 本来なら、こういう日にこそ、彼を借り受けている姉妹達の仕事は大変だ。

 

 首都の監視を密にするべき状況である。

 

 しかし、今は不在。

 

 それもそのはず。

 

 二日前に館の主。

 

 巨大な乳房を持つ黒い服の未亡人。

 

 アルゥ・ゼオが姉妹達の下へやって来たのだ。

 

 何やら話す事、十数分。

 

 帰っていく背中は物静かだった。

 

 どうやら協力を打診されたらしく。

 

 本日は出掛けるのでしばらく監視を頼むと言われてしまった。

 

 そういうわけで彼ソラちゃんは預けられた赤鬼宗家の長女エンシェン・イル・フォイルの好意でアルヴァス・カレッジの置物と化していたのである。

 

 周囲には目を閉じて狗のように身体を丸めて眠る彼を珍しがる人間と亜人達がウロウロしていた。

 

 観光客の声は主に二つ。

 

 大きいな~~。

 

 何て種類の異種なの~~。

 

 もしも、学術名を教えたら、大陸中央諸国のそれなりに博識な者は顔を真っ青にするだろう。

 

 水晶や【電子噐械学(エレクトロニクス)】製の記録装置で写真や映像を取ろうなんて、とんでもない。

 

 一歩間違えば、機嫌を損ねて、腹の中。

 

 十分に有り得る話だ、と。

 

「………」

 

 まるで置物のように静かな彼は予感のようなものを感じて、僅か世界の匂いを嗅いだ。

 

 混沌とした臭気の中に混じるのは安穏とした気配だけではない。

 

 何かを恐れ、何かを焦る者の馨(かおり)も混じっていた。

 

 一体、何が起こるのか。

 

 それはまだ分からない。

 

 それでも、一つだけは確かだろう。

 

 祭りは熱くなる。

 

 それが心意気なのか。

 

 全てを燃やし尽くす災厄なのか。

 

 知る由もないが……。

 

「あ~~まま~~おおきいわんわんさんがいるよ~」

 

 人間の幼子がキャッキャッとはしゃぎながら、腕に触れていた。

 

 さすがに触るのはNGだろうと大急ぎで両親達が引き離して恐る恐る彼を見上げる。

 

 が、我関せず。

 

 静かな置物ソラちゃんは微動だにしなかった。

 

 ホッとする両親の横で自分を見上げ続ける人の子にパチリと一回ウィンクして、彼はまた素知らぬ顔で周囲の監視へと戻る。

 

「まま~わんわんさんいいこだね~~」

 

 主の言い付けで数十年間薄暗い洞窟で暇を持て余していた彼はまだまだ若い個体であり、そのハガスという国の祭りに何処かウキウキする自分を押さえられない……実はそんな“少年”だった。

 

 *

 

 祭りへと向けて上がっていく都市の熱量。

 

 それが吹き込んでくる部屋の中。

 

 一人、少女が眠っていた。

 

 室内には涼やかな東部の風鈴が吊るされ、窓が開きっぱなしになっている。

 

 外は快晴。

 

 吹き込む諒は優しく頬を撫ぜ、ドアから抜けて行く。

 

 部屋の中には愛らしいデフォルメされた異種の縫い包みが置かれていて。

 

 日替わりで部屋の主の抱き枕となっていた。

 

 今、抱かれているのは小さな獅子の子。

 

 穏やかな寝顔で、シルルゥ・ゼオは夢を見る。

 

 小さな頃から何度も見てきた儚い幻。

 

 音の無い、色の無い、記録。

 

 それは何もかも失って、亡霊の如く世を流離う女の話。

 

 自分が守ったはずのものが、自分の大切なものを奪って、最後には掌から多くが零れ落ちていく話。

 

 迸っていたはずの炎も今は無く。

 

 笑みを失って、もう随分と経つ。

 

 そんな、生きる事に疲れた女の物語。

 

 街角で謳う吟遊詩人の横を抜けて。

 

 荒野に朽ちる剣の上を跨ぎ。

 

 人の愚かさに打ちのめされる旅。

 

 絶望の深さに死ぬ事も出来ず。

 

 帰る場所など当に無く。

 

 自分が今までしてきた事は無駄だったのかと。

 

 こんなものを守る為に自分は戦ってきたのかと。

 

 復讐すらも朽ち果てて、眠る事すらない日々。

 

 そんな時だった。

 

 女は旅先で本当なら見過ごすはずの命を目に留めた。

 

 ソレは無残な敗者だった。

 

 川辺で奇妙なくらいに傷付いていた。

 

 生きているのが不思議なくらいの裂傷。

 

 真冬の川に浸かった青白い肌。

 

 刺されたのか。

 

 心臓を後から二箇所、一突きにされて、生きてはいないはずの肉体。

 

 それなのに顔は笑っていたのだ。

 

 微笑んでいたのだ。

 

 衣服はボロボロで彼の横には古びれた外套が一つ切り。

 

 彼女は……何て無様な姿だろうかと、訊ねた。

 

 本来ならば、そんな事をする必要も無かったのに……あまりにもその姿が、まるで自分のように朽ち往く姿が、嗤えて……問うたのだ。

 

 どうして、貴方はそんなに幸せそうなのかと。

 

 死体寸前の身体でソレは顔を上げて。

 

 澄んだ瞳で女に尋ねた。

 

 どうして、そう思うのかと。

 

 そうして、ようやく。

 

 女はソレが己の顔もどうなっているのか分からないのだと気付き。

 

 哀れ過ぎて、再び訊ねた。

 

 そんな風にした者に復讐したいと思わないかと。

 

 もしも、そうなら自分が協力してやろうと。

 

 まるで“良い悪魔”のように嗤って嗤って、訊いたのだ。

 

 けれど、ソレは首を横に振って。

 

 女へ微笑んだ。

 

 これで、良かったのだと。

 

 女は初めて驚いた。

 

 いや、怒った。

 

 怒って、怒って、ソレに捲くし立てた。

 

 殺せと。

 

 死なせてしまえと。

 

 不幸にしろと。

 

 呪ってしまおうと。

 

 それはお前に許される当然の想いだと。

 

 まるで自分のように朽ち果てるソレに怒った。

 

 なのに、ソレは笑うのだ。

 

 微笑むのだ。

 

 苦しい癖に、痛い癖に、悲しい癖に、平然と言ってのけるのだ。

 

 まるで、そう、まるで……あの日、あの時、あの場所で、女の前を通り過ぎていった誰かのように。

 

 その想いを口にしたのだ。

 

 あの子達が幸せなら構わないと。

 

『―――――――――!!!?』

 

 女は必死になって憎悪を煽った。

 

 お前は棄てられたんだと。

 

 お前は殺されそうになったんだと。

 

 憎めばいいと。

 

 苦しませようと。

 

 そうすれば、少しは自分の気持ちを相手に思い知らせられると。

 

 そうして、我が事のように世の理不尽を憎み、人を貶めた女にソレはやはり笑った。

 

 笑って、苦笑して、襤褸切れのような身体を横たえながら、呟いた。

 

『ありがとう……僕の為に怒ってくれて……』

 

 それが女とソレの出会い。

 

 七つの裏切りを知り、全てを失った魔王と呼ばれる少年と。

 

 人の世を救い、人の愚かさに全てを失った女の。

 

 どうしようもなく似通った男女の……始まりだった。

 

 *

 

 焦げる皮。

 

 炙る炎。

 

 串刺しにされてアルコールをぶちまけられた肉が爆ぜ、音を上げる。

 

 空に溶けるのは死物の匂い。

 

 しかし、それが無くては生きられぬ。

 

 それが無くては歩いていけぬ。

 

 それが人間だと彼は炭火の上に掛かる鉄板で鳥の切り身を焼く。

 

 皺枯れた小さな老人。

 

 今日は上半身裸で額に捻り鉢巻を付け、屋台のオヤジとなった男。

 

 名をアイクロソス・デダル。

 

 ジルムスの祖父である。

 

 常に柔和な笑みを浮かべる好々爺も今日だけは真面目な顔で熱心に料理へ邁進している。

 

 【蟲人(ベルミ)】特有の多眼も今はクワッと皺の奥から見開かれ、鳥肉の脂の落ちる様を凝視中だ。

 

 シャンと伸びた背筋や浅黒く皺枯れた肌が汗を浮かべながら恐ろしい速度で多数の肉をフライ返しで躍らせる様はもはや芸術。

 

 くすんだ緑銀の髪が撓る度、周囲の観光客達の間からはどよめきが上がっていた。

 

 デダル印の屋台と言えば、前夜祭と夏祭り期間中、行列の途切れる事の無い屋台の中でも1、2を争う人気店だ。

 

 その秘訣は当日〆たばかりの新鮮な肉と取れたての野菜。

 

 そして、食材の状態を極限まで見極める瞳と調理する肉体の俊敏さだ。

 

 最適な焼き加減。

 

 最適な煮込み加減。

 

 最適な蒸し加減。

 

 それらを産み出す“見極め”は如何に多眼の種族が多いアルヴァスにおいてもデダル家くらいしか出来ないだろう。

 

 完全作り置き無しで食材が切れたら即終了。

 

 出来立て熱々だけを出すのも客達には受けていた。

 

 本日の出し物は鳥の香味焼き小さな麺麭を添えて。

 

 焼きたての小麦の香りと手早く漬けられた鳥に移る香草の香り。

 

 その二つが出会う時、屋台の前はもはや硬貨(コイン)が弾丸のように飛び交う戦場である。

 

 一族総出の催しであるらしく。

 

 ズラリと並んだ屋台は実に二十五軒。

 

 十人の客の注文を聞き分け、出来上がった料理を五秒で売買する超絶スキルの売り子が八十五人。

 

 その客を高速で捌く様はもはや打撃の代わりに料理を配布する奥義の如し。

 

 ぶっちゃけて、人智を越えていた。

 

 あまりの速さに手元が見えない売り子達は誰もがデダル家の血統だ。

 

 軍の機甲化と銃器の導入の煽りで近頃はあまり権勢を誇っているとは言えないものの、それでも各地に流派と門弟を多数抱え、一族は総勢で二千人に近い。

 

 元々、昆虫に近い異種との混血で生まれた彼らは多産だが、それでも繁栄するのは経済基盤が恐ろしく固いからだ。

 

 今も軍部に席を置く者は多く。

 

 また、複数の軍人の家に嫁ぎ、嫁がれ、その関係で軍に武器を卸す商人達にすら血統は入り込んでいる。

 

 各地から優秀な人材を掻き集めれば、一個大隊出来そうだなんて冗談は正しく冗談では済まされない話だ。

 

 故に現在の宗家当主。

 

 アイクロソス・デダルの号令があれば、そこには超人しか集まらない。

 

 亜人の中で超人と呼ばれる者達は真に人間からしてみれば、化物の類。

 

 反射速度、思考速度、肉体強度、智識、経験、どれもこれも練達の玄人(プロフェッショナル)なのである。

 

「ふぃ~~ジルムスや~~い」

 

 食材切れと同時にガタンと下ろされた“本日午前の仕込み分終りました”の文字にまだ買っていない客が悲鳴と絶望の二重奏を奏でる店先から後ろへと下がり、孫を呼んだ老人は……返る声が無い事に気付いて、ようやく相手がその場にいないのだと理解した。

 

「ふぅむ。あいつ何処行ったんだ?」

 

 簡易の幕屋には疲れた様子の料理人もとい彼の血統を継ぐ男達が屯していたが、当主の言葉に首を横へ振る。

 

「ああ、ジル君なら、何でも友達の付き合いで今年は抜けるとか何とか」

 

 売り子をしていたおとなしめの衣装を着た売り子が手を上げた。

 

「ジルがこの祭りに出ないなんて珍しい。あいつはこういうので小遣いを稼いでたと思ったが」

 

「いや~そうなんですけど、ジル君にいいの?って聞いたら『今回は野暮用で友人と回らなきゃならねぇ』とか何とか言ってましたよ」

 

「ジルも、もうそんな事言う歳か~~いや~~ホント、時が経つのは早いなぁ~~」

 

「そうね~~ジルちゃんも何だかんだで丸くなったって聞いたわよ」

 

「うんうん。良い事だよ。友人と祭り……昔なら考えられなかった話だ」

 

「あいつ……いっつもウチの身内戦で負けるもんだから、喧嘩上等なんて看板掲げてたけど。そうか。ちゃんとした友人が出来たのか」

 

「それどころか~~。この間、友達と一緒に旅行に行ってたってよ~~」

 

「え? 本当に? そんな、ジル君……良かったわ。本当に良かったわ」

 

 本人が聞いたら、恥しさのあまり死のうと思うかもしれない気の回しようでウンウンと親戚一同ジルムスが丸くなった事を喜んでいた。

 

 老人は近頃厄介事に首を突っ込んでいるのだろう孫が今や事態の中心に関わっている事を何となく赤鬼宗家の当主から聞いていたが、何も言わずに出されたお茶を飲み干す。

 

(才能無い才能無いと言われて育ったあやつが、誰かの為に戦う、か。まったく……“平和な時代に必要な才能が無い”のは本当に良かったのか悪かったのか。我が一族【蟲人(ベルミ)】の才に愛された事……知らずに暮らせれば良かったんじゃが、この状況下では無理か……)

 

 老人は近頃、真面目どころか。

 

 死を覚悟するような目付きで倉から奥義書だの秘伝書だのを諸々取り出して見つめていた瞳を思い出す。

 

(このような時だからこそ、お前なら辿り着けるのかもしれんな。空撃左官陣の先へ……)

 

 お茶を啜りながら、孫が無事帰ってくることを願い。

 

 午後の仕込みへ向かう為にアイクロソスは立ち上がった。

 

 祭りは夜が本番。

 

 それまでに昼の四倍の仕込みが待っている。

 

「往くぞ。我が子らよ」

 

『応ともよ!!』

 

 男達も女達も共に立ち上がり、追い掛けるようにして仕込み現場へと向かっていった。

 

 *

 

 今年は祭りに音楽を取り入れようと至るところで吟遊詩人の野外コンサートが行なわれていた。

 

 前日から始められた試みは好評を博している。

 

 まだ人混みはそれ程でも無いが、夕方に掛けて最後の準備に追われていた者達も少しずつ屋外へと繰り出していた。

 

 祭り当日に祭りへ参加出来ないという者もいるにはいる為、そういう人々にとっては前日こそが祭り当日と言って差し支えないのだ。

 

「兄さん!! 見て下さい!! あんなところに北部名物の氷菓(アイス)が売ってますよ!? ちょっと、行ってきますよね?」

 

「行くのは僕なのか?!」

 

「当然じゃないですか!? 何驚いてるんですか?!」

 

 逆に驚かれた彼、アーギスト・エス・トリアは家計を預かる身分として一応は正論を言われているような気がしたので、いそいそと路地の屋台へと買出しに行った。

 

 まだ、妹は色気より食い気か、なんて思わなかったのは……無理をする妹の顔が必要以上に明るかったからだ。

 

 公園近くの道端を薄着で歩く者が多い中。

 

 黴の生えた魔術師ルックのアーギストは半ば変質者を見るような視線を受けている。

 

 が、高位魔術師にとって、外套や衣服というのは人体を保護する機能が満載された一種の城砦のようなものなので、脱ぐに脱げない。

 

 都市部全域をカバーする探査魔術の網や周辺異相を隔離する結界陣を単独で起動、維持するには彼の外套は必須装備なのだ。

 

(……はぁ、心配掛けないようにって思ってるんだろうが、我が妹ながら……そういうのが下手だな。いや、全部僕や母さんのせいか……あの子に今まで何も教えてこなかった……ぶつかり合ってすら来なかったんだから……)

 

 屋台で売り子に氷菓を一つ注文し、それでは妹が気を使うだろうかとやはりもう一つ注文してから、アーギストはこんな時こそ、妹の傍にいてくれなくては困る少年の現状を思った。

 

 旅行の最終日程途中、シルルゥ・ゼオが倒れて、現地の病院に担ぎ込まれた数日前。

 

 日付が変わったと同時に急遽呼び出された彼はその足で転移してシルルゥと仲間達をゼオ家本邸へと移送した。

 

 少年が気を失った状況を話すと当主であるアルゥ・ゼオは娘を部屋に安置し、看病を開始して少年達に心配ないと微笑み掛けた。

 

 ただ、目覚めるまで数日の時間が必要だと伝えた後は何の病気なのか。

 

 あるいは異常なのか。

 

 何も語らなかった。

 

 毎日放課後になるとエストリアはお見舞いに行っていたが、一向に目覚める様子は無く。

 

 少年も学校には往くが、授業が終るとすぐに帰ってしまう為、武芸術部も休止状態になっているらしい。

 

 そうして時間が過ぎて祭り前日。

 

 公的な休日という事で少年は付きっ切りで看病すると言い出し、それに彼の妹は同意するしかなかった。

 

 初めて好きな人と過ごす夏。

 

 思い出の一つも作りたかっただろう。

 

 だが、それは状況が許さず。

 

 また、少年の事を理解する故にエストリアが思い切って誘えなかったのは致し方ない。

 

(アルゥ・ゼオの言い様からして、原因は分かっている感じだった。血筋に特有の症状なのかもしれないな……)

 

 そういう事で妹に今までのような寂しい祭り期間を過ごさせるわけには行かないと。

 

 アーギストは本来仲間達に任せようと思っていた同行を決めた。

 

 が、恋人に敵うはずも無く。

 

 妹も何処か無理をして明るく振舞う様子に兄として彼は何処か申し訳なさを感じている。

 

―――足りるを知らず。

 

―――知らずを良しとせず。

 

―――故に扉を開き見て。

 

―――汝は夢みたる事も無し。

 

 公園の中央からは歓声が上がっている。

 

 どうやら、有名な“天謳”と呼ばれる老女達が歌っているらしく。

 

 ガヤガヤと周囲では人の流れが出来つつあった。

 

「……さて、と。後は……」

 

「アーギストさん?」

 

 後ろを振り返った彼は其処に銀の巻き毛と超大な乳房、フサフサの尻尾を見付けて。

 

「ウル嬢。ハイダルならあちらです」

 

 少年と同居している銀髪ドリル超乳部長にエストリアのいる方角を指し示した。

 

「そうですか。では」

 

 頭を下げて、本来なら少年の傍にいるだろうウルがイソイソとそちらへと向かう。

 

 すると、すぐに「ウルさん!!」と明るい声が上がった。

 

 その響きに今までのようなわざとらしさが無い事にホッとして。

 

 そんな自分があまりにも兄として情けないと気付いて。

 

 彼は氷菓の注文を三つに訂正した。

 

(あいつにも来させれば良かったか……いや、今の状況では無理だな……)

 

 本来なら家庭の事情もあるだろう相手に仕事を頼んだ事を僅か後ろめたく思いながらも、人選は間違っていないはずだと。

 

 彼は出来る限りの装備を持たせて送り出した親友の反応を脳裏で確認する。

 

 此処数日、異相が不安定化する兆しを見せていて、予断を許さないのだ。

 

 最初に打てる手は全て打って置くというアーギストの方針は正しいだろう。

 

(早めに終れば、夜には間に合うはずだが……さて……)

 

 順調に仕事を終わらせつつある事をジルムスの位置から判断しつつ、いつでも戦闘態勢に移行出来るよう気を引き締めながら、彼は受け取った氷菓を手に妹達のいる方へと戻っていった。

 

 *

 

 ジルムス・デダルは人気の無いハガス近隣の荒野や山岳部を延々と回り続けていた。

 

 親友に言い渡された仕事を完遂する為、朝早くから麺麭を齧りつつの道程。

 

 グルリと都市を囲うように指定されたチェックポイントに付く度。

 

 彼は渡された握り拳大の大きな宝玉。

 

 アーギストが言うには緑炎テロのような事態に対処する為の秘密兵器とやらを地面の内部に鉄製の魔術を込めた札で次々に封印しては走り続けている。

 

 本日だけで走破距離312km。

 

 疲れがそれなりに溜まっていたが、アーギストに渡された異相でいつも使っている白い外套のおかげで仕事は夜までには終りそうだった。

 

 山肌に散る枝や若葉を舞い上げながら、ジルムスは313箇所目のポイントが視界に映し出されると、鉄札と銀が鏤められた宝玉を懐の魔術具の袋の中から取り出して、寸分違わず走り抜け様に予定している場所へ落とし、動作の正常を確認しつつ、次の場所へと向かう。

 

 外套が視界に映し出すナビは正確無比。

 

 装備を組んだアーギストの性格がよく出ている。

 

(もう少しか。ようやく終りが見えてきやがったな)

 

 前日、転移で現地に飛ばせばいいと愚痴った彼にアーギストはシレっと答えていた。

 

『転移は万能じゃない。それを転移で送ると後々問題になる可能性もある。何でもそうだが、こういう作業程地道に足で稼いだ方が何かと万全なんだ』

 

 空間制御魔術のスペシャリスト様の言葉である。

 

 従うしかない。

 

 ジルムスとて、家族をハガスに持つ身だ。

 

 緑炎テロの時は何だかんだと気にしている暇は無かったが、事態が収拾された時かなり心配した。

 

 結局、死人が甦るという不可解な事象で事なきを得たが、後々聞いてみれば、一般人を守って彼の一族の大半が死んでいたというのだから、後味は最悪である。

 

 喧嘩上等を歌っていても、彼とて学生の身分。

 

 自らの力不足に嘆くのは聊かもおかしくはなかった。

 

(このまま、負けっぱなしなのも癪だしな。あいつがいつまで戦い続けられるのかも分からねぇ以上、邪道だろうが何だろうが、強くならなきゃ……やってはいけねぇか)

 

 自分より遥かに強い少年の不安定さは傍で戦ってきたジルムスが一番よく分かっている。

 

 その強さが聊かも保身に走らぬ自己犠牲と精神の強さに拠っている事は自明だ。

 

 そういうものが欲しいと幼い頃から切に願ってきた彼にとって、時間と努力で生きている間に届かないものは眩く見えた。

 

 しかし、その脆さもまたアイウィスに潜る中で明らかになっている。

 

 自分達の相手にしているものが恐ろしく強く。

 

 また特殊な存在である事は戦い続けてきたジルムスの心を折るには十分な理由だ。

 

 【境界踏征(オーバー・フラタニティー)】内で共有された智識は敵をもう明確に定めた。

 

 外神。

 

 外なる神々。

 

 此の世の果ての先。

 

 宇宙の外からの侵略者。

 

 そして、その手先である屍蝋の仮面は人の不の側面を増幅し、人格を成り代らせる。

 

 無機質にまで及ぶ侵蝕に犯されれば、何だろうと無事では澄まない。

 

 仮面たる【ザヴォイド】はもう一人の己。

 

 自己で殺してきた自己そのもの。

 

 それはつまり弱さを抱える知的生命ならば、抗い様もないものだという事だ。

 

 敵となれば、戻れる可能性は低い。

 

 国も仲間達もどうすればいいのかは分かっていても、どうなれば、勝利なのか分かっていない。

 

 勝利条件は霧の中。

 

 蒸気に巻かれてしまっている。

 

 外神を倒せば勝ちなのか。

 

 アイウィスを崩壊させれば勝ちなのか。

 

 敵を封じ込めれば勝ちなのか。

 

 霧と異相の侵蝕を止めれば、勝ちなのか。

 

 そのどれも、あるいは複数を完了させればいいのか。

 

 分かっている事はこのままなら来年の春前には誰もがアイウィスという世界に取り込まれ、侵蝕の餌食になるという事だけだ。

 

 国が終る。

 

 世界が終る。

 

 ピンと来ない破滅の足音はしかし確実に迫っているのだ。

 

 ジルムスが一人で足掻いたとて、どうにもならないだろう。

 

 だから、彼は頼る。

 

 きっと、世界すら救うだろうと信じられる仲間達の為に汚れ仕事も肉体労働も厭いはしない。

 

(これくらいしか、今のところ出来る事は無い……だが、オレが最後まで戦い抜く為の力が必要だ。強くならねぇとな……あいつらに付いていく為にも……)

 

 もうそろそろ次のチェックポイントが近い。

 

 思考を振り払って、今は目の前の仕事に集中しようとジルムスは再び、袋から宝玉と鉄札を取り出したのだった。

 

 *

 

 ゼオ家本邸には現在、二人の来客があった。

 

 一つの身体に二つの魂。

 

 エフィリム・エーネ。

 

 未だ幼くも笑む姿には妖艶さも垣間見せる相手。

 

 【自生者(アウトゲネス)】であり、高位の魔族である彼女達は緑炎テロで少年達を手伝って以来、あまり学校で接触する事も無く。

 

 只管にハガスの監視と維持に努めてきたが、今日はゼオ家へ踏込む事となっていた。

 

 学生服姿の二人の前に家の主。

 

 アルゥが静かに紅茶を嗜んでいる。

 

 二人にして見れば、先達という立場になるのだろう未亡人は薄らと笑んで、テーブル越しに二人へと軽く頭を下げた。

 

「今日はこちらの招待に応じてくれて、本当にありがとう」

 

「いえ」

 

「いつか、話さなければと思っていましたから」

 

 一つの口から漏れる二人の言葉にフフッとアルゥは好ましそうな視線を向ける。

 

 応接間には三人しかいない。

 

 少年と璃紗は今もシルルゥを二階で看病中であり、彼女達が来た事もまるで知らない。

 

「じゃあ、まずは私の事から話さなければならないわね」

 

 静かに聴く姉妹を前にパチンと指が弾かれ、アルゥの姿が変わっていく。

 

 人間らしい色の肌はそのままだったが、頭部と背部、尾てい骨。

 

 その辺りから広がる角と翼と尻尾が彼女を正真証明の高位魔族だと示した。

 

 背後に額の左右から伸び上がった螺旋くれる角は真珠貝の内側。

 

 そんな七色の硬質な彩で直径1m弱。

 

 翼は部屋全体が窮屈に見える大きさで暗褐色の水晶のような骨格に羽根というよりは揺らめく灰色の炎が宿る。

 

 後ろから伸びた尻尾は生物というよりは武器のような形をしていて、鋭利さを持つ漆黒の蛇腹剣。

 

 その鋭く伸びる尾は身体を取り巻き、船の碇にも匹敵する大きさの先端が揺ら揺らと虚空で揺れていた。

 

「………」

 

 だが、彼女達が最も驚いたのは顔が顕になった事だ。

 

 今までも顔自体は見えていた。

 

 しかし、それがどんなものなのか。

 

 彼女達だけではなく。

 

 誰にも記憶されなかった、意識すらされなかった彼女の美貌は人というには異質だった。

 

 切れ長の瞳に長い睫。

 

 鼻梁は高く。

 

 正に彫刻のような彫りの深さ。

 

 しかし、その左目は眼球の内部に三つの瞳孔を持っている。

 

「アルメイア・ゼオストス。八万五千周期の個体よ。酷界の小規模な新興国で王族をしていたわ」

 

「……ぜおすとす?」

 

「それはこの国の……」

 

「そう、私の兄よ。この国を興した魔王は……」

 

 僅かに二人が驚く。

 

「兄は人間を面白いと言っていたわ。私が昔に屈託無く教えた事が余程気になったのでしょうね。それで自ら、魔王に志願したの」

 

「みずから」

 

「志願?」

 

「……酷界は生存競争が激しいから、新興国は余程の力を持つ個体がいない限り、万年も持たないものなのよ。滅ぼされそうな国が生き残るには巨大な個体の庇護下に入るか。または力を付けるしかない。前者を選択した王家はその強大な個体に言われるまま、生贄を欲した。それに自ら手を上げた兄は魔王としてこの地で死んだ……」

 

「どうして」

 

「貴女はこちらに?」

 

「昔、五千年程前にね。お忍びで遊びに来ていた此方側で人類を守る為の計画に参加したの。当時、魔族達はもう人間に見切りを付けていた。けれど、好奇心が強かった私は……神々や異種、亜人達が共に人の世界を守ろうとした志に惹かれた。そうして、この世を守る為の神器を司り戦う立場となった……」

 

「そんなことが……」

 

「結果は今の世を見れば、分かるわ。人は守られた。そして、私は沢山の思い出と共に故郷に帰ったの。その時から兄に沢山の事を教えたわ。それが兄の人間に興味を持った理由。兄は【基幹異種】が生存していた頃から存在していた個体だったから、人間がどういうものか知っていた。それでもまた見てみたくなったと……そう言って、此方側へ部下の一部を連れて赴任した。でも……その後、人間側に負けた事を理由に国は他国によって蹂躙され、私は流浪の身となった……」

 

「やくそくがまもられなかったのですか?」

 

「そうね。魔族の世界では人間の文化の中でも暴力に関する思想や武器が優先して輸入されたから、国内でかなり強い部類に入った兄を魔王にしたのも“計”というやつの一つだったのかもしれないわね……」

 

「すみません……」

 

「いいのよ。もう過ぎた事だから。そうして、私は酷界を彷徨い途方に暮れた……人間に怨みを抱えながら千年の間ずっと……けれど、そんな思いを晴らす機会が、もう一度この大陸へと赴く機会がやってきた」

 

 アルゥ。

 

 いや、アルメイアが遠い瞳で虚空を見つめる。

 

「ふくしゅうのためにたいりくへ?」

 

「そうよ。残った部下を連れて、私も新しい魔王軍に参加したの。それが最後の魔王イーギル・フィストとの出会いだった」

 

「たしか、にぃさまのまえの……」

 

「彼は……私達の国とは比べ物にならない規模の領土を持つ領主だったわ。けれど、彼の強さを疎ましく思った者達によって魔王として大陸へ赴くようにと圧力を掛けられていた。私は彼に同行し、兄を殺し、国を滅ぼす遠因となった人類を全て皆殺しにするつもりだった……楽しい思い出よりも、復讐する理由の方が重かったのね」

 

「どうして、おやめになったのですか?」

 

 その問いに彼女は苦笑する。

 

「人間に負けたのよ。人間の穢さに、人間の狡賢さに、人間の力に、人間の意志に、人間の魂に、何もかも形振りも構わず生き残ろうとした彼らの気高さと命としての強さに……」

 

「「………」」

 

 言葉も無い二人にアルメイアは静かに続ける。

 

「今までの魔王のように再びイーギルフィストは負け、私は帰る場所も無く大陸を放浪する事となった……虐殺、復讐の念は在ったけれど、私じゃ滅ぼせない事はその時点で分かっていた。だから、何も出来ずにまた放浪し続けた。そうして過ごす内に再び魔王の噂が人の世に出たけれど、もう争いにすら倦んでいた私は全てがどうでもよかった……何もかもを失ったし、もう自分に付いて来る者も無い。ならば、関る必要なんて無い……でも、一人ぼっちで流離う内……彼に偶然出会った」

 

「かれ……にぃさま、ですか?」

 

「とと様と?」

 

「彼は出会った時、ボロボロだったわ。何もかもを失って、後は朽ち果てるだけの私と似て……でも、何もかもが違い過ぎた……」

 

 目を閉じて。

 

 過去を見つめているのか。

 

 アルメイアは唇を僅かに歪めた。

 

 それは笑みではない。

 

 まるで痛みに泣き出しそうな顔。

 

 二人にしてみれば、そんな風に思えた。

 

「私達は似た者同士だった。私は最初、気付かなかったけれど……一緒に旅をする内に……彼が何者かを知った。彼は魔王と呼ばれていたけれど、本当は……そんなものじゃなかった」

 

「そのころからにぃさまはたびを?」

 

「ええ、夜になると、いつも話してくれたわ。故郷にいる自分の幼馴染の話。自分を守ってくれた四人の仲間の話。自分が拾い育てた二人の家族の話。そうして、いつも明るく笑うの……もう一度仲良く出来るようになりたいって」

 

「にぃさま……」

 

 少年が嘗て自分に教えた話。

 

 その一部でも他人から語られる事が嬉しくて。

 

 そして、語られない苦しみが昔から何一つ変わっていなかったのだと悲しくて。

 

 エフィリムは瞠目した。

 

「彼を殺そうと沢山の人間が、異種が、亜人が、人外がやってきたわ。中には魔族や神すら混じっていた。その内に楽しい思い出として語っていた者すらやってきて……誰もが戦い破れていった」

 

「せいじょたち……」

 

「そう、何度も傷付きながら、それでも相手を傷付ける事なく。彼は戦った。戦って、戦って、戦って、笑いながら、微笑みながら、馬鹿みたいに気を使って……相手を退け続けた」

 

 アルメイアが胸元にそっと手を当てる。

 

「見ていられなくて、何度も忠告したわ。もう戦う必要なんか無いって、誰も知らない場所に逃げて、二人で暮らそうって。でも、彼は……全てを受け止め続けた。どんな復讐にも、どんな相手にも、決して背を向けなかった」

 

 少女達を女が真っ直ぐ見る。

 

「いつの間にか。愛していたわ。もうその頃には復讐なんてどうでもよくなってたのね……だって、復讐なんてしたって、彼の眉を曇らせるだけだって、分かっていたから……そうして、私は彼に抱かれた……きっと、人生で一番嬉しい時間だった……」

 

「そう、ですか」

 

「でも、やっぱり彼は……私を大事にしてくれても、戦い続けた……」

 

「むかしから」

 

「とと様はそういう人だったんですね」

 

 二人の口ぶりにアルメイアが頷く。

 

「やがて、私は……酷界に行こうと彼を誘うようになったわ。あそこなら魔族達はいても、他の襲撃者は襲ってこられない。魔族達の間に紛れ込んで暮らせば、早々見付かりもしない。そう思って……でも、彼は首を縦には振ってくれなかった。そんな時よ。彼が実は私に差し向けられた刺客とも戦っていた事を知ったのは」

 

「しかく? ねらわれていたのですか?」

 

「ええ、その頃ね。また酷界側で国の側近達が何とか国を再興し始めていたの。残った王族と家臣、民を率いてね。酷界側から魔族が大陸へ来る事例は当時、もう殆ど無くなっていたから、驚いたわ。でも、それ以上に自分が彼の重荷になってるんだって分かった……」

 

「そんな!?」

 

「とと様はそんな事を思うような方では……」

 

「そうね。でも、事実だった。彼は私のせいで要らぬ戦いを強いられ、そのせいで何度も何度も重症を負った。すぐに直ってしまうけれど、その痛みは消えない事実なのよ。だから、私は……彼に別れを告げた。勿論、最後の賭けで一緒に自分の国で暮らそうって言ってみたけれど、断られたわ」

 

 あっさりと言ってしまうアルメイアに二人はそんなに簡単な話では無かったのだろうとすぐに想像が付いた。

 

 未練が無ければ、少年をこの国でずっと庇護し、匿おうなんて思わなかったはずなのだから。

 

 冷めた紅茶を飲み干して。

 

 女は何も無いカップを覗く。

 

「その時にはもうあの子がお腹にいた。けれど、言い出せなかった。きっと、彼は優しいから……また自分を犠牲にしても、自分の本当の願いを押し殺しても、助けてくれる……そう、分かっていたから」

 

「あのこ……むすめさん、ですか?」

 

「ええ、私のたった一人の家族。私と彼の間に出来た奇跡。この大陸に再び来る事になるとは思っていなかったけれど、ずっとあの子を守って生きていくんだと思ってた……でも、何の因果か……彼はもう一度、私達の前に現れた」

 

「いくす、として?」

 

「そう、この大陸に召喚されて、逃げ出した先で空から落ちてきたの。目を疑ったわ。欠けていたけれど、確かに彼は彼だった……そうして、名前を付けた。器に刻まれた銘から取って……イクスと」

 

「にぃさまはそれからずっとここに?」

 

「四年近く、欠けた部分を補う為に試行錯誤したわ。そして、肉体も器としての完成度を高めようとして予備を幾つも作った。そうして、ようやく去年……目覚めたの」

 

 虚空に数体の身体が映し出される。

 

 まるで胎児のように液体の入った容器の中で身体を丸める姿。

 

 全てが同じ顔をした少年の器だった。

 

「とと様……」

 

「この五年、話は耳に入ってきていた。【聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)】……彼が選んだ子達……」

 

「えふぃたちはにぃさまにすくわれました」

 

「とと様がいたから、私は生まれて来られた」

 

 二人の少女達に淡く笑って。

 

 アルメイアがようやく本題を切り出す。

 

「力を貸して欲しいの。あの子がこれからこの大陸で生きていけるように……」

 

 二人の前に二階で寝込むシルルゥと少年、璃紗が映像として映し出される。

 

「なにかのごびょうきなのですか?」

 

 エフィリムの言葉に緩々と首が横に振られた。

 

「もうあの子に与えた仮面が持たなくなってきてるの……」

 

「仮面?」

 

「そう、魔王イーギルフィストの能力。その力で生み出された仮面……元々は高位魔族達に嗜好品として取引されていた物よ」

 

「どういった代物なのですか?」

 

 エーネの言葉にアルメイアが掌を差し出した。

 

 すると、その上に白い無貌の仮面が一枚浮遊する。

 

「あの男は酷界でもかなり特異な存在だった。殆ど反則級の能力を持っていた弊害で多くの高位魔族に疎まれていた。けれど、それでも直接的に手を出そうという輩はいなかった。それは……この仮面が作れた故なのよ」

 

 仮面がスッとアルメイアの顔に張り付く。

 

 すると、今までの姿が嘘のように彼女がいつもの姿に戻る。

 

「この仮面は本人の能力に関係なく、使用者の記憶や精神以外を他人にする事が出来るの」

 

「たにん?」

 

「そう、どんな存在でも、仮面が写し取ったならば、魂の性質から特異な能力まで何もかも同じ」

 

「すごい……」

 

 驚く二人にアルメイアが続ける。

 

「魔族の間だと、これが重宝されたのよ。そのおかげで彼は一角の領主として私達の王国よりもずっと広大な領域を保有していた。それ程に価値があるのよ。この仮面は……そして、娘も今コレを付けているの」

 

「たにんになっているのですか?」

 

「ええ、あの子を生んだ後、能力が高過ぎて……再興した王国では手に負えなかった。無秩序に力を使えば、それこそ現在の酷界を牛耳る者達と対等なくらいに……だから、仮面で能力と様々な資質を人間の域まで強制的に落としたの……けれど、仮面の効果が切れ始めている。最初からある程度の年齢までしか持たない事は分かっていたけれど、その速度が速まってしまった……あの子はもうすぐ目覚める……そうなれば、この大陸の人類は消え失せるでしょう」

 

「え……」

 

 その衝撃の告白に二人が唖然とした。

 

「どういう」

 

「事ですか?」

 

「あの子は優しい子よ。それこそ、生まれてくる前から自分の家族の為に涙を流せるくらい」

 

 ハッとして、エフィリムが自分だからこそ分かる人類の滅ぶ理由に気が付く。

 

「―――まさか」

 

「そうよ。あの子は生まれてくる前から、全部を見ていた……人間がどれだけ穢いか。人間がどれだけ、彼を傷付けて来たか。生まれてから、あの子は明確な意思を持って、人を否定した。家族に“あんな事”をする種族なんて滅んでしまうべきだって」

 

「そんな……」

 

「あの子の能力を鑑みれば、イーギルフィストが全力で猛威を振るうような事態となる事は明らか。私はまだ生まれたばかりのあの子が……彼の敵になるのだけはどうしても避けたかったの。だから、仮面を付けて能力を落とした後、魔術で全ての記憶に封印を施した」

 

「仮面が外れれば?」

 

「成長したあの子の力があれば、封印なんて一瞬で瓦解するわ。だから、そうなってしまう前に儀式を行う必要があるの」

 

「ぎしき、ですか?」

 

「そう、あの子を魔族として服従させる伴侶が必要なのよ」

 

 ようやく。

 

 彼女は、アルメイア・ゼオストスはエイフィリム・エーネ、一人で二人の姉妹に自分の願いを打ち明ける。

 

「人型である【血族種(ブラッディー)】にとって、儀式による伴侶への服従は人との混血後に生み出された最大の枷。人間が魔族と契約するよりも固い楔となる。これに必要な条件は三つ。伴侶となる者が自分より強い固体である事。伴侶に心からの服従を許せる事。そして、自分と同等かそれ以上の個体による儀式の誓言が契約の神によって承認される事」

 

「それって」

 

「相手は……」

 

 二人が同じ体でなければ、顔を見合わせていただろう。

 

「魔術で無理矢理記憶を弄ったり、政略結婚なんて事は私としてもしたくなかった。でも、今……あの子の傍に……あの子にとって最愛の人がいる。そして、二人で一つ……稀有な貴方達の力があれば、あの子を鎮める事が出来る……」

 

 アルメイアは言った。

 

 少年と娘と交わらせ。

 

 永久の契りを持って、救って欲しい、と。

 

 それは二人の姉妹には思いも掛けなかった事態。

 

「「………」」

 

 どうやら。

 

 少年は実の娘と交わり、世界を救わねばならないらしかった。

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