第三章八十七節「祭忌禁交Ⅸ」
ジリジリと焦がされていく肉の熱さが今はその空間を統べる者達の全てだった。
祭り一日目。
本日のデダル印の屋台が出す一品は牛肉の炙り、氷菓のソースを添えて。
軽やかに火が入れられ、仄かな温かさを宿した桜色の牛の様々な部位に香味液を凍らせてパウダー状にしたものを掛けた代物だ。
「………」
香ばしくも力強い匂いを放つ屋台。
宵も深まった頃合。
周囲は人集りで賑わっていた。
一息付いたアイクロソス・デダル。
小柄な老人は後を自分の家の若い者達に任せて周囲の亜人や人間、異種に混じって時折見え隠れする影絵のような何かを視線で追いながらブラブラしていた。
誰も気付いていない異変。
いや、気付かないという事も含めて何かが起こっているのだろうと彼は考える。
何故、自分がそれに気付けたのか。
思い当たる節は三つ。
生来の複眼を用いる蟲人《ベルミ》の中には時折、魔眼に近いものを持って生まれてくる者がいる。
そして、若い頃から戦場に立っていた彼は武芸術者として、戦者としても一流であり、肉体と精神を磨く事に余念が無い。
この二つの点を押さえ、経験を積んだ素質ある瞳は何かしらの能力を持つ魔眼にこそ劣るが、瞳そのものがかなり高性能な感覚器として所有者の脳に変革を齎す。
つまり、高度な情報を認識し、取り扱えるようになる。
故にそういった認知を弄られるような状況でも少しは違和感を持てるのだ。
(ふぅむ。また、厄介事になっとるのう)
屋台で麺麭一つ買ったアイクロソスは近頃祖国を襲う怪奇事件の数々を思い起こして、平和の儚さと脆さに瞳を細めつつ、時代の移り変わりに沈むはずだった我が身の長命に複雑な心境となった。
祖国が抗い難いものに侵され、それを防ぐ場所に自分がいない。
何もかもを後生の人間に譲るというのは生き物として正しいのだろう。
が、彼は武人であり、自らの力で何事も切り開いてきた男でもある。
だからこそ、若者にただ教えて自分は高みの見物、というのがどうにも割りに合わない。
かと言って、今頑張る現役世代達の中に混じるというのも旧い者としては足を引っ張ると分かっている。
長生きも考え物であると彼が思うのはそういう葛藤故だ。
安らかな心地で全てを任せて旅立つ。
そんな日が来るのを待っている老人にしてみれば、次から次にやってくる異変にウズウズする自分を止められないのは人生という名の修練の不足であるが、男はいつでもやんちゃなものだという思いもある。
昔から武勇と敵の血肉に塗れて生きてきた堅物となれば、それは更に顕著だろう。
手を出してみたい。
だが、それで良いものか。
ううむ。
そう悩むアイクロソスは上がり出した花火で空を見上げる者ばかりとなっても、視界の端でチラチラする影絵のような物体を追っていた。
「ん?」
すると、周辺の小道に影絵が消えていく。
それも彼が視認する全てが一斉にだ。
「………」
興味には勝てなかったのは祭りの夜だからか。
無礼講という看板を国が掲げているのだから、自分も久しぶりにそういうものを傘に来て行動してみようかと。
幾多、人間国家との戦争で相手国の将を震え上がらせた傑物は決心した。
出来合いの死地、かもしれない世界へと足が歩み始める。
小道の左右には祭りの夜とあって、まだ灯りの点いた家々が立ち並んでいた。
薄ぼんやりと翳る石畳。
人々の空を見上げた笑い声。
熱気と穏やかな気配。
風情があると本来ならば思うのだろうが、生憎ともう其処は異界だった。
人の合間を縫うようにチラチラしていたソレの全景がようやく彼の視界に納まる。
それは獣人だ。
それも影絵の癖にお茶をしていた。
同じ色のテーブルと椅子とティーセット。
数人で円卓を囲んで何を食べているのか。
それを確認して。
ああ、全く見なきゃ良かったと老人は溜息を吐いた。
ケーキのように切り分けられたソレは屍蝋の仮面。
霧にもならず。
引っ付いている“皮ごと”……影絵のフォークがソレを刺し、獣人達の口に運んでいた。
「まぁ、塵くらいは掃除しとかんとな。ウチの孫の情操教育には悪そうだから、お前さんら消えてくれ」
ボッと影絵の獣人達の首から上が抉れた。
瞬間、まるで間欠泉でも噴出すかのように身体から影の本流が吹き上がる。
「む?」
しかし、霧と化して消えるはずの敵がまったく消える様子もなく。
ケタケタと何処からか嗤い声を上げ続けるのを見て。
老人はその様子を観察する。
すると、肉体から溢れ出した影が再び頭部を形作り。
何事も無かったかのように食事が始まった。
「……これは本体を殺(や)らんとダメなタイプかのう」
肩を竦め。
その場をフラリと通り過ぎても、影絵の獣人達は何ら反応しなかった。
老人は背後に遠ざかっていく朧な光に包まれた食宴を後にして。
何か見つけようと幼心によくやった探険の気分で都市の危うげな気配がする方角へ歩み出した。
*
獣人の男は一人夜空に咲く大輪も見上げず。
大通りとは掛け離れた小道をフラフラと彷徨っていた。
家族なんていなかったのだと。
自分の頭がおかしくなってしまったのだと。
何処か褪めた自分と。
そんな事はない。
自分には確かに家族がいたのだと激する自分。
不安定な両天秤に身を預けながら、彼は何を探しているのかも定かではなく。
何処に向かっているのかも知らぬまま。
ただ、ただ、答えを求めて先に進む。
夢幻《むげん》と現《うつつ》。
境界も曖昧な都市に蔓延る影絵のような何かが彼を見守っている。
それに気付かず。
ドンと壁にぶつかって。
ようやく男は自分がいる場所が何処なのかを理解した。
「学校……」
良い思い出など無いと消えた息子の顔が甦る。
沈んだ娘の顔が脳裏に焼き付く。
だが、それもまた幻影だと誰かが囁いた。
何故ならば、彼にそんな家族はいないからだ。
「………」
校門の固い鉄格子に頭をガシャンとぶつけて。
また彼はフラフラと別の場所へと向かう。
そんな時だった。
彼の背後に数人の男達が近付いてくる。
そして、大きく振り上げた細い棒で頭部を思い切り殴った。
一瞬で意識を刈り取られ、前のめりに倒れたのを男達は確認して。
陰気な顔で担ぎ上げると祭りの夜の騒がしさもまるで寄せ付けぬような沈黙を保ちつつ、西部の外れにある廃工場へと運んでいく。
そうして、ドサリと彼は饐えた臭いのする固い床に棄てられて。
ようやく意識を取り戻し、僅かに顔を上げた。
既に襲撃者達はその場から消えている。
しかし、ガラクタの詰まれた山には数人の男達が何やら包帯を巻いた姿で片手に武器を持って佇んでいた。
そう、夕暮れ時。
彼がボコボコにした貴族の子弟達だ。
結構な重症を負っていたはずだが、今はもう魔術で殆ど傷は塞がっているらしく。
動くのに支障は無いらしい。
きっと、男ならば受けられないだろう高度な医療を施されたに違いない。
そう脳裏の何処かが理解するだけで何故か彼の脳髄には怒りという感情が湧いていた。
だって、不公平だろう。
亜人の屑はご大層な治療が受けられるのに彼の愛した人は満足な治療も受けられずに死んだ。
何たる世の理不尽。
いない家族の記憶が甦れば、全身が燃え立つような心地となる。
その何よりも強い衝動。
諦観に沈んでいた怒りという激情。
復讐してやろうとニヤニヤしている貴族の若者達は気付かない。
自分達が知らず踏んでいるのは男の鬼門。
人を真に駆り立てるものなのだと。
「おい。とりあえず両手両足からだ。砕いてやる!! お前ら、やっちまえ!!」
まだ倒れている男を叩きのめそうと複数人が同時に動いた。
その手にある古びれた角材が一斉に振り下ろされる瞬間。
今まで死んだように俯けだった男の体が跳ね上がり、左側にいた男の顔をその鋭利な爪で引き裂いた。
「あぎゃぁあぁあああああああ?!?! オレの目ぇええ!? 目がぁあああああ!!?」
一瞬の後。
悲鳴を上げて顔を抑えて倒れ込んだ男がバタバタと床でもがく。
ガンッと何も無い床を叩き付けた角材からの衝撃に腕が痺れていた他のメンバーは背筋を凍らせる気配に思わず腰が引けて、咄嗟に背後へと跳躍した。
ドスンと四足で地面に着地した男の気配に誰もが息を呑む。
「こ、殺して―――」
黒い正方形を柄の内部に鋼の導線で縫い止めた近接用の【崩燼武装《ソルヴァス・アームズ》】をリーダー格の青年が背後から取り出して男へ向けようとした時にはもう決着が付いていた。
ガランッとガラクタの山に剣が突き刺さり、純粋な腕力で横に吹き飛ばされた身体が数回固い地面をバウンドしてから血反吐を吐いて気を失う。
「ひぃ?!」
青年達はガラクタの山に一直線に向かってリーダーを殴り飛ばした獣。
人の血が混じっているとは思えない程に獰猛な顔をしたソレを前にしてガタガタと身を震わせ、大きな咆哮が上がった瞬間、何とか倒れている仲間を連れて廃工場から逃げ出した。
今にも後ろから襲われて死ぬかもしれない。
そんな恐怖は肉体を酷使させ、狩り立てられる得物の心地を彼らの背筋に叩き込む。
「ほう? 意思で眠れる血を揺り起こせるとはまだ獣人にも中々どうして気骨のある奴がいるものだ」
ギラリと【黄虎(ティグリス)】の男は声のした方向を睨み付けた。
廃工場の入り口には両袖がブラブラと揺らす大陸中央式の礼服(スーツ)に身を包んだ老人がにこやかな笑みを浮かべていた。
「人間……」
「ああ、そうだ。お前さんのような獣人が嫌う人間とはこの私の事だとも」
「消えろ。今、機嫌が悪い……死にたくねぇだろ」
「ははは、これでも旧き戦者よ。虎に怯むようでは戦場の殿も務まらんて」
「………」
「ただ意思のみでこの現状に異議を唱える気概。まったく、ウチの連中にも見習わせたいものだ。お前さん何かを探しているようだが、もし良ければ一緒に探さないか?」
「な、に?」
「今、この都市には正常な者が殆どいない。それどころか。疑問すら持てない連中が五万といる。そのどんな特異な力にも屈さない意地があれば、もしかしたら、お前さんが探すモノも見つけられるかもしれない」
「オレは……」
消えた家族。
そんなものはいないと主張する脳髄。
頭を掻き毟りたくなる苦悩に歪んだ顔が老人を見つめる。
「明けぬ夜が在るならば、それを拓くが男の道理。失くしたものを探すなら、敵対する者とて使えばいい。感情と功利の区別が付くなら、それは獣ではない。虎の人」
学も無い。
戦っても何も守れて来なかった男は老人が何を言っているのか本当のところは分かっていなかった。
が、一つだけは分かる。
少なからず。
一人で探すよりは二人の方が可能性は高い。
たった、それだけの利害の一致。
「……オレが探しているのは」
男は確かに呟いた。
それが酔っ払った自分の戯言であると心の何処かが叫ぶのを感じながら。
家族だ、と。
そうして、老人と虎は出会い。
夜の街へと繰り出していく。
それがどんな道中となるのか。
まだ、彼ら自身も知らずにいた。
【五聖騎士(ファイブ・ラウンズ)】
北部最強の騎士と謳われた美麗なる槍の操手ミゲール・リニャンはそうして行動を開始する。
祭りの夜に無粋を働く化物退治。
それは何処かの御伽噺のような奇奇怪怪なる真新しき英雄譚に違いなかった。
*
あらゆる認識が捻じ曲げられた都市の最中。
それでも己を見失わない者は少なからずいる。
そんな一人として男は都市中枢たる白き城砦。
その保管庫から【崩燼武装《ソルヴァス・アームズ》】をまるで鎧の如く四肢と背中にスーツの上から括り付けて、異常事態を認識しない部下達を置いて祭りの夜へと歩み出していた。
赤鬼宗家当主。
ドゥーズ・スィール・フォイル。
このような時にこそ立たねばならない彼の私設部隊は全て無力化されている。
で、ある以上は彼が動く以外無い。
前日、娘に一生許してもらえそうにない命令をした彼は明けない宵に気付いた瞬間から、自らの意識を総動員して忘却に抗い、現在の認識の一部を常に意識へ上書きする魔術を自らへ施してようやく落ち着きを取り戻したばかりだ。
現在、政治中枢である城砦内部は麻痺状態。
殆どの者が祭りに繰り出しており、一部では酒盛りが始まっている。
どんなに彼が言っても、異常事態を認識しない相手ばかりで手駒を失った彼は自ら動き出したわけだが、問題はそれだけではなかった。
この三日間の内に複数の最重要案件が立て込んでいたのだ。
それが全てキャンセルされるとなれば、国の最後の大公共事業となるだろう異相突破艦の完成も間に合わなくなる可能性が非常に戦った。
せめて、それだけは死守しなければと一度研究施設に赴いたのも無駄足。
前日、エンシェンの一撃で半壊した施設は固く魔術で閉ざされ、セキュリティーは跳ね上がっており、無理矢理突破すれば、施設そのものを壊しかねないという事態。
こうして彼は孤立無援で一人祭りへと向かったのだ。
(ゼオ家とは音信普通。エス・トリア博士とも連絡が取れない。我輩が動く以外にないとはいえ、さすがにこの都市全域をどう探したものか)
一応、彼にも鐘の音は聞こえていた。
本来、都市全域には響かないはずの音色が一定時間毎に鳴らされていると知れば、探そうというのは道理であるはずだ。
しかし、祭りに賑わう通りを見ても、中央区画の路地を見ても、目的のものは見付からない。
これは何か特別な知覚が必要と悟ったはいいものの、生憎とそんな機器や魔術を彼は持ち合わせていない。
それを持っていそうな相手ならばいるが、その最たるリヒス・エス・トリアとはまったく連絡が取れない。
ゼオ家に向かうという選択肢はあったが、それは最後の保険として残すべきものだと彼はとにかく周囲の現状把握に努めていた。
政治中枢である中央に近い大通りは大賑わいの様相を呈しており、誰もが呑めや歌えや大騒ぎ。
しかし、怪しい者は誰もいない。
問題となりそうなのは騒ぎ過ぎの若者と吐瀉物を道端で垂れ流す酔っ払いくらいのものだ。
異種も人間も何ら怪しいところはなく。
祭りを愉しんでいる様子は毎年彼が見てきた光景と聊かも違わない。
(このままでは埒が明かない。だが、どうする? この姿を見ても誰も騒がない……せめて少しでも認識の全うな者を集めなければ……)
戸惑う者がいないかと目を凝らしながら、喧騒の中に佇む彼が不意に背後の気配に思わず裏拳を放とうとして、ビタリと当る寸前で止めた。
「……ベルン」
「十八年ぶりですね。ドゥーズ……随分と物々しい恰好で」
「貴女はこの状況が!?」
驚いた彼に娼館の生ける伝説は頷く。
「長く生きた因果でしょう。私にも分かります」
「そうですか。我輩の他にもこの現状を理解出来る者がいて良かった」
「原因はこの鐘の音、ですね?」
何処からか都市全域に涼やかな音色が響く。
「これを止めなければ、たぶん怖ろしい事になるでしょう」
頷いた彼女がいつもの女給姿で周囲を見渡す。
「この現状の情報を幾つか纏めてみたのですが、此処では人気があります。こちらへ」
「何か対策を?」
「ええ」
ベルンが頷いて、周囲にあるまだ空いている宿屋の一つに入るとカウンターに金貨を置いて、そのまま二階へとあがっていった。
そうして、何処から取り出したのか。
小さな鍵で一番奥の部屋の錠を外して、彼を内部に招き入れる。
内部は少し狭いものの。
テーブルとソファーが置かれた落ち着いた色合いの場所だった。
すぐ内部の洋光(ランプ)に魔力で灯りが灯され、壁際にあったタンスの中からインクとペンと白紙が取り出された。
腰掛けた彼の対面でベルンは都市の地図をまるで手元も見ずに詳細に描き出していく。
「認識が変化する。記憶を忘れてしまう。この症状から何が思い出せて、何が思い出せないのかを書き出していくとすぐに一つの場所が浮かび上がります」
「場所?」
「はい。本来知っているべきものが消えているならば、知っているものを配置していけば突き当たる。だから、記憶と認識に制限を受けていようと想像は出来る」
詳細に描かれた地図の一角がまるで空白となっていた。
「これが何かがある場所……」
ベルンの地図の北部にも近い一角。
其処だけが彼女の描けない場所だった。
「長年住んでいますから。隅々まで記憶しているのは嗜みです。でも、此処の事だけがどうしても思い出せない。と、言う事はそれが忘れたものの正体のはず」
「さすが、月兎亭の生き字引」
僅かに感心したドゥーズにベルンは呆れた視線を向けた。
「昔から変わりませんね。貴方に似合う女性がいた事はこの世の奇蹟かもしれません」
「嫁には感謝しています」
「ならば、この祭りが終ったら、少しくらいは抱き締めて上げてください」
「ええ、必ずそうするつもりですよ。我輩は」
「ならば、結構。話を戻しますが、この場所が何なのかは分からない。しかし、確かに存在している。問題は其処が見つけられるか、という事です」
「目の前にしても、認識出来ないと?」
「その可能性が高いと見ていいはずです。少なからず我々は認識を弄られつつも疑問を持てる。しかし、その場所が未だに思い出せないとすれば、能力の影響は受け続けている。距離によって強弱が無いと今の時点で断定出来ない以上、最悪を想定しておくべきでしょう」
「確かに」
「この状況を打破するには魔眼の類が要ります。それもこの現状を正しく認識出来る高度なものが」
「……魔術での代用は?」
「それが可能な魔術師達の大半が使い物にならなくなっている可能性は非常に高い。少なくとも中央へ見に行きましたが、大魔術師が一人もいませんでした」
「……となると、魔眼の保持者を探すべきだと?」
ベルンは僅かに視線を落とし、沈黙してから顔を上げた。
「一人だけ心当たりがあります」
「それは……」
ドゥーズも彼女の心当たりとやらに思い当たる。
娼館月兎亭から身請けされた少女の事は屍蝋の仮面達を元に戻す切り札の一つとしてゼオ家の協力を得て調査が何度も実施されている。
「あの子の力を用いれば、我々にも正しい認識が可能になるかもしれない」
「巻き込みたくない事は承知で頼む我輩は正に鬼なわけだ」
ジッとドゥーズを見つめて。
ベルンは尋ねる。
「……お願い出来ますか? あの子を」
「ゼオ家ならば、現在の安否に問題は無いはず。ならば、強力を打診し、彼女を守りつつ、現状の打破に動く事は理に叶っている。貴方の願いだけならば、絶対とは付けられない。だが、ゼオ家に保護されている以上、その安否も含めて我輩が責任を持つ事はこの国の安全保障上の問題であり、必ずと付けなければならない。そして、個人的には幼子一人犠牲にして守られる国家等というものを後生に残したくは無い」
その答えに彼女はそっと頭を下げた。
「頭を上げてください。我輩は貴女に男として貰った日から、一度たりとも頭を下げられるような事はして来なかった。貴女に婚約を断られた時から中身は誇れる程に変わっていない。その程度の男です」
「……今だから、言いますが……嬉しかったですよ。応えられなくても」
静かに笑んで少女のように女性(にょしょう)は笑う。
「っ、本当に今更だ。だが、我輩も家族を持つようになった。だからこそ、貴女の想いが今ならば分かる。この国を家族のように想い続ける事がどれだけの苦難に苛まれる事なのか」
ベルンはしばらく見ない内に随分と頼もしくなった“坊や”の強い笑みに苦笑して。
そっと立ち上がると、その額に口付けた。
「行って下さい。自分に出来る限りの事をする為に」
「必ず生きて会いましょう。その時は久しぶりに寄らせてもらいますよ。土産を持って」
ドゥーズがもしもの時の為だと銃型の崩燼武装を一つ彼女の前において部屋に背を向けて出て行く。
「行ってらっしゃいませ。ドゥーズ・スィール・フォイル“様”……どうか御壮健でお帰りを」
「無論、我輩は国を担う者であるからして」
毎日、娘や部下達に聞かせる声で男は誇らしさに胸を張った。
関係は変わっていく。
全ては過ぎ去りし日の残影。
しかし、それでも積まれた想いは消えない。
だからこそ、彼は今の自分で応える。
「……貴女が安心して見ていられる国を必ず。我が青春の貴女(ひと)よ」
赤鬼はそうして紙を一枚携え。
ゼオ家へと向かった。
決して後ろを振り返らずに……。
*
―――ゼオ家夕方(あけがた)。
「イクスさ~ん」
祭り初日。
ふにゃ~~っと微笑んだ少女達がボケボケな感じに頭を緩ませつつ、少年に身体を擦り寄らせていた。
キングサイズの軋み一つ漏らさない寝台。
その上での事である。
「イクス……もう少し、こちらに来て?」
少年は絡み合う女体に擦り擦りと抱き枕のように抱き付かれ、男なら相好が崩れても仕方ないような感触に晒されていた。
「イクスぅ~~んぅ♡」
前日、激しく燃え盛った相手が今は猫のように甘えてくる様子に少年は笑みを零して。
時々はこういう時間も良いと両手で全員の頭や腕、顔などを撫でる。
「んゃぅ♡ ぱーぱぁ♪」
左にはウル。
右にはエストリア。
左胸には璃紗。
右胸にはシルメイア。
夏とはいえ、夕(あさ)の肌寒い時間帯。
薄布の下では人肌が少年を温めている。
その全員が未だ全裸で腹部が妊娠したように膨れているとなれば、健全なる男子学生達は血涙を流して羨ましがるだろう。
ウルは自分の胸で少年の腕を挟み込んでいるし、エストリアは少年の手を自分の腹部に触れさせている。
璃紗とシルメイアは清められた少年の裸体を撫で回しては肌の触れ合いを堪能しているようであった。
「……おはよう」
午睡みながら、幸せな時間を迎えた少年が呟くと他の誰の顔にも微笑みが浮かぶ。
昨夜の激しさが嘘のように気だるく緩やかな空気は窓辺から吹く清々しい風を受けて、本格的な覚醒へと全員を誘っていた。
夕食(ちょうしょく)も食べず
このまま爛れた時間を過ごしても一向に構わない女性陣であったが、少年にお腹の音を聞かれるのが恥しい、という理由から思い思いに寝台から離れていく。
初めに身を起こしたのはウルだ。
胸を僅か両腕で持ち上げ。
大きくなった腹部を少し撫でてから、少年に見られる事に昂揚した様子で薄ら頬を染め。
まるで強調するように身体を両手で隠しながら、背中を向けて着替えを取りに部屋を後にする。
その後姿の艶やかさは少年に唾を飲み込ませるのに十分な偉容。
他の少女達すら、その色香にまだ勝てないと思わせた。
「イクス……お着替え持って来るね」
続いて離れたのは璃紗だ。
黒髪が揺れて、牝の笑みで少女は身体を退かせると。
柔らかな唇を少年の頬に近付けてチュッと啄ばみ、トテトテ部屋を後にしていく。
残ったエストリアが抗い難い少年の真横に宿る魔力を振り切って。
「み、見ちゃダメですよ。イクスさん……」
そう言いつつも僅かに身体をくねらせ、ドアを開けて名残惜しそうに消えていく。
最後に残ったシルメイアはまだ離れる様子もなく。
そっと少年に訊ねた。
「パーパはもう気付いてる?」
「うん」
「……付いて行っちゃダメ?」
「ダメじゃないけど、今回は大事になりそうだから、出来れば皆を守ってて欲しい」
「でも、きっと……この目なら役に立てるよ?」
七重の瞳孔を持つ魔眼。
今まで少年との愛の巣を構築する為に使われていた多重に能力を顕現する瞳を前にして少年は静かに頷く。
「でも、力を借りるだけなら、此処からでもいい。違う?」
「むぅ……」
少し膨れて。
しかし、その通りのことが出来るシルメイアは前ならば考えられなかっただろう程に積極的な様子で少年の首筋を少しだけ強く食んだ。
「返ってきて……」
「勿論」
「分かった。待ってる……」
「ありがとう。シルメイア」
僅かに少女の肩を掴んで引き離し、そっと額と額を触れ合わせて、少年は感謝を伝えた。
そうして、寝台横に腰掛けると同時に扉が再び開く。
「イクス!! 制服持って来たよ」
「ありがとう。璃紗」
さっそく着替え始めた少年の背中を見つめながら、シルメイアもまた寝台の上で起き上がるとパチンと指を弾いた。
それだけですぐにいつものアルヴァス・カレッジの制服姿となる。
その様子に目を丸くした璃紗だったが、着替え終った二人を前にして自分も着替えなければとようやく思い到り、慌ててすぐに戻ると言って自室へと帰っていく。
そんな時だった。
屋敷の扉にノックが三回。
璃紗はまだ着替えていて対応出来ず。
だが、下でたぶん全てを見ていただろう家主が扉を開けに玄関へと出向いていく。
ガチャリと開かれた扉の先に赤鬼の大男を見て。
アルゥ・ゼオは何も言わずに笑みながら、ドゥーズを招き入れた。
「―――ドゥーズおじ様?」
「そうか。そう言えば、同居しているのだったな。見違えたよ。綺麗になった。ウルお嬢ちゃん。いや、もうウル嬢と言うべきか」
「え、ええ」
「……それにしても武芸術ばかりだと思っていたが……もう、そんな歳か。おめでとう」
「あ、え!? こ、これは!?! そ、そ、その!!?」
ウルが何を祝われたのか理解して真っ赤になる。
未だ少年の精で腹部は大きく膨れていた。
いや、確かに妊娠はしているのだが、それにしても面と向かって知り合いに身篭った事を祝われるという椿事に彼女の脳裏はオーバーヒート気味で恥しさに耐え切れなくなってしまい。
こ、これで!!
と言い置いて、二階の部屋へと逃げ出してしまった。
それが無礼な事なのは間違いなかったが、ドゥーズは苦笑するのみですぐ気を取り直し、アルゥに誘われるがまま朝食がもう既に置かれている食卓の一角に着席する。
少年も璃紗もシルメイアもエストリアも全員が集まってくると巨漢の赤鬼に目を瞬かせるものの、すぐに席へと付いていく。
少年にもアルゥにもシルメイアにもドゥーズの用事は最初から分かっていた。
そして、彼にしても、もう少年の性生活にチャチャを入れる時間は無く。
単刀直入に話が切り出される。
この国を守る為に力を貸して欲しい、と。
集う者達の往く手は未だ見えず。
しかし、誰もが歩み出す。
目指すは都市北部。
地図の空白地帯。
名前も思い出せない其処こそが、彼らの戦いの場であった。