※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第三章八十八節

第三章八十八節「祭忌禁交Ⅹ」

 

―――アルヴァス亜人国首都ハガス北部~~~地帯。

 

 この世に偶然など無いと言い張る者達がいる。

 

 何もかもが必然なのだとしたり顔で語る者達がいる。

 

 運命。

 

 よくよく人間が生み出した言葉の中で最も彼ら自身を縛った言葉。

 

 だが、全ては予定調和なのだと言う者達にも可能性という反論が為された。

 

 何もかもが決まっているわけがない。

 

 未来という言葉が、まだ来ぬ時間という想像が、人の思考を誘えば、全ての事象は確率によって語る事が出来ると言う者達もいる。

 

 不確定である事。

 

 未確認である事。

 

 それは大いなる未知であり、人はこれを既知に塗り替えて進む生き物なのだと。

 

 認識が現実を確定するのならば、其処に在るモノを決めるのは観測者当人に他ならない。

 

 運命、確率、認識。

 

 そんな事象を語る上で使われる全ての言葉が今は混沌としてしまう程に其処は“空白”であった。

 

「………」

 

 何も無いという事をもしも形而上で表現するならば、とてもではないが人間の思考では足りない。

 

 本質的に無い事を証明する事は出来ない。

 

 何故なら、相対的な認識によってしか、人間は物事を測れないからだ。

 

 だから、仮にその“空白”は透明ですらなく。

 

 また、認知にも苦労するようなもの。

 

 強いて強引に言葉とするならば、彼らの前にあったのは“左と右の間に何か認識出来ないという認識だけがある”……そのような“状態”であり、五感において感じられる領域と領域の合間を抜ける際に生じる空間的な認識の誤差から間接的に辛うじて存在すると理解出来るものでしかなかった。

 

 思考上では確かにそれが領域としてあるという事は認知出来る。

 

 しかし、観測出来ない為、実際にはそれの内部を歩いていても次の瞬間には目的地に移動している(ように感じる)わけだ。

 

 その誤差を詳しく測る為に歩き回る事数回。

 

 今現在、老人と虎の獣人は特別な能力を何一つ使わず。

 

 何も無い場所を大まかに見つけていた。

 

「面白い。この北部の地図を見る限り、此処には何も無いが、認識出来ない空白が存在するわけか」

 

「おい。納得してねぇで、今何が起ってるのか教えろ。これで家族が見付かんのか?」

 

 老人が納得し、獣人の男が訊ねる。

 

「普通なら絶対に見付からない場所にいるかもしれない。と、考えるのが自然だろう? 我らはそれを確かめる方法が無い。だが、無いという事を認識出来るならば、空白というものを見つける事は出来るわけだ」

 

「何言ってんのか分かんねぇぞ。ジジイ」

 

「考える必要は無い。感じればいい。誤差を認識し、その内部に入れば、後はこっちでどうにかする」

 

 老人が男に付いて来るように言って、祭り囃子の響く道から薄らと蒸気に煙る小道へと入る。

 

 そして、一定程度進んでから後ろを振り返った。

 

「今から三歩進んだら止まれ。そして、叫べ。自分は誰で、今何を探しているのか。全力で」

 

「それで見付かるのか?」

 

「まずは入る事が先決だ。確定した言葉で認識を組み立てる。とにかく自己紹介だ。それで全て言い終えたら三歩後ろに下がる。これである程度は認識の切っ掛けが出来るはずだ。それをこの槍で保持する」

 

「うぉ!?」

 

 何時の間にか老人の手には人を一突きで殺せそうな槍が握られていた。

 

 いや、そもそも両腕が無かったはずの老人に何故腕が生えているのか。

 

 思わず訊こうとした男だったが、ピタリと人差し指で唇を閉ざすジェスチャーをされて押し黙る。

 

「とにかく実践しよう」

 

 言われた通り。

 

 男が踏み出しながら叫んだ。

 

「オレの名前は―――」

 

 何かを喋っている。

 

 いや、喋っていた。

 

「?」

 

 その時にはもう虎の獣人は後ろに三歩下がった後。

 

「どうなってんだ?」

 

 俯いた顔が前を見た瞬間。

 

 思わず驚いた彼の足が後ろに跳躍した。

 

「な、何なんだよ!? これは!!?」

 

 老人が上手くいったと上機嫌でソレを見上げている。

 

「上出来だ。これならば、このまま突入も出来るか」

 

「おい!? さっきから人の話を聞いてんのか!?」

 

「ああ、聞いているとも。これが我等が向うべき場所。認識の外に置かれた世界なのだろう」

 

 虎の男は思わず自分達の前に現れた禍々しい塔を見やる。

 

 超巨大な高層建築。

 

 螺旋くれた竹のように折れ曲がり、絡み合ったソレは屍蝋と緑炎、そして金文字に彩られた極彩色の魔城とも見える。

 

 何処からか鐘の音が響く。

 

「まずは突入しよう。お前さんの用事が此処で済めばいいが」

 

「この先にオレの家族が……」

 

「知らぬなら、知ろう。見付からぬなら、見付けよう。全ては想い一つ。そう、だからこそ、お前さんの前にコレは現れた。此処からは死地。何が在るか分からぬ以上、気を抜かない事だ」

 

(クソッ!? オレの頭はどうにかなっちまってるんじゃねぇのか?!!)

 

 こんな禍々しい場所に失ったモノがあるのだろうかと。

 

 疑問と疑念を抱きながらも、彼の足は前へ踏み出す。

 

 その衝動こそは、恐怖すら払うもの。

 

 男が従うべき心の底から湧き上がる力。

 

 孤独を埋める他者への渇望だった。

 

「さぁ、鬼が出るか蛇が出るか。分からずとも征こう。我等の目指すモノを求めて」

 

 老人と虎の男は互いに名も訊かぬまま。

 

 その魔境へと歩き出す。

 

 譲れない決意を灯火として。

 

 その先に何が待ち受けているのかも知らずに。

 

 *

 

 夜に苛まれる病と言えば、悪夢というのが相場であるが、ゼオ家を出発した彼らに見えていたのは凡そ人間の感性では悍しいとしか表現出来ない世界であった。

 

 祭りの花火の下。

 

 人々は気付かない。

 

 少しずつ変質している多くの事柄に。

 

 建物の色がおかしい。

 

 飲んでいるモノの色がおかしい。

 

 一瞬後には移り変わる薄暗い耀きは気持ち悪い虹でも見ているかのようだ。

 

 影絵達が人々の合間に蠢き。

 

 空は紫雲と闇が斑模様と交じり合う。

 

 それでも陽気な声は上がり、乾杯は続き、何処かで度を越した悲鳴のような絶叫にも似たけたたましい笑声が上がるのだ。

 

 地面が湿っているのはどうしてか。

 

 まるで生物の体内にでもいるような、そんな滑り気を帯びて赤黒い。

 

 少しずつ侵蝕されつつある都市に響くのは鐘の音。

 

 遠方に見える摩天楼は畏れというものを普通の人間にならば、精神を軋ませるように呼び起こした事だろう。

 

「………」

 

 結局、彼らは三人。

 

 赤鬼と少年と少女。

 

 それだけのパーティーだった。

 

 ゼオ家で認識の改竄を受けていなかったのは当主であるアルゥ・ゼオと娘のシルメイア、少年と璃紗の四人。

 

 ウルとエストリアは認識出来ていないという事を認識出来ず。

 

 彼女達を守る名目でゼオ家の母娘は自宅に残っている。

 

 璃紗を当てにしてきたドゥーズに対し、アルゥは少年を共に往かせる事を条件に外出を許可した為、今現在の二人はリーダーのドゥーズに付き従うようにして歩いている。

 

 本来、【境界踏征(オーバー・フラタニティー)】の出番だと思っていた少年にとって予想外だったのはアーギストとジルムスが今回の異変に呑まれてしまっていた事だ。

 

 エストリアは祭りを愉しむ気満々で戦闘行動が不可能。

 

 だとすれば、もう少年に手段を選んでいる暇も無かった。

 

 璃紗は自分の力で都市が救われるならとドゥーズの申し入れに頷き。

 

 少年は少女を守りながら、都市の異常の中心へ向う事と決意した。

 

 こうして編成された凸凹な三人組はまず比較的近い巨大な鐘楼に近付こうと道を急いでいる。

 

「認識を書き換える敵、か」

 

 ドゥーズが僅かに呟く。

 

 今までの屍蝋の仮面の方がよっぽどに分かり易くてやり易かったのは間違いない。

 

 少なくとも、敵を認識すら出来ずに侵蝕の餌食になるとしたら、武人でもある男には納得出来ないものがある。

 

「あの……」

 

「ん? どうかしたか。お嬢ちゃん」

 

 璃紗が少年の横で立ち止まり、近付いているように見える鐘楼を見上げて、片目を押さえた。

 

 すると、全員の周囲が普通の祭りの景色に早変わりする。

 

「あの鐘楼。あっちに無いみたいに見えます」

 

「どういう事か聞いても?」

 

 コクンと頷いた璃紗が少し人の空いている屋台の一角にある席へと向かった。

 

 そうして座るように二人に言って、テーブルの上にゼオ家から持ってきた地図を広げる。

 

「璃紗の瞳で見えた鐘楼はあっちが見えている限り、たぶん行けないんじゃないかって」

 

「行けない? 見えているのにか?」

 

 ドゥーズに肯定が返される。

 

「えと、今璃紗の視覚を投影して二人に見てもらってる時はこの普通の場所とはズレたところにいるみたいな感じで、でも……あの場所は現実にあるから、距離を詰めても意味が無い……そんな感じです」

 

 言葉に困った様子で眉根を寄せた璃紗の言葉に二人が何となく理解した。

 

 霧が出ていた頃の事を思い出せばいい。

 

 現実に異相が侵蝕してきた時、認識出来ない者にとって、屍蝋の仮面は隣にしてもいないも同じ。逆に認識出来る者は侵蝕された領域に引っ張られ、実際の現実からは消失するという事が起っていたのだ。

 

 今回は塔や鐘楼そのものは現実に存在するが隠蔽され、逆にそれを認識した状態だと異相側へと引っ張られている為、現実での距離自体が詰まらない。

 

「近付いてから現実に戻ってもダメだろうか?」

 

 ドゥーズの問いに首が横へ振られる。

 

「たぶん、ズレてるから、別の場所に出ると思います」

 

「現実の方から探さないといけないって事かな?」

 

 少年の言葉に少女が頷いた。

 

「じゃあ、その方法を考えないと」

 

「しかし、どうする? 彼女の視界でなら、場所は探せるが、距離が縮まらない。だが、現実で距離を縮めても、場所が特定出来ない。明らかに相反した状態だ」

 

 ドゥーズの言葉に璃紗が少し考え込んでから璃紗が地図にある北部の何かある場所の方を示した。

 

「こっちはそのまま入れると思います」

 

「つまり、そちらの塔がある方はズレていないと?」

 

 璃紗が大きく頷いた。

 

「では、そちらから攻略していくべきか。少なからず鐘楼に入る為の手掛かりがあるかもしれない」

 

 赤鬼はチラリと今まで不気味な世界を見続けて顔色が僅かに悪い少女の方を慮り、周囲を見回して珍しい果実の果汁を売っている屋台から小銭で子供用のサイズのカップを買ってくると璃紗に渡した。

 

「今はこれで我慢して欲しい。済まないな……」

 

「い、いえ!!」

 

 ゼオ家で偉い人だとドゥーズの事をアルゥから紹介されていた手前、恐縮した様子になる璃紗だったが、すぐに頭を下げてそっと氷の浮かんだ果汁に口を付け、笑みを浮かべた。

 

「ありがとうございます。ドゥーズ様」

 

「もし今回の事件が終ったら、食事に誘わせて貰おう。それを飲み終わったら、出発だ。二人とも我輩の肩に乗れ。一息であちらの塔……いや、悪趣味な城に向う」

 

「はい!!」

 

 璃紗がニコリとしたのを確認して。

 

 赤鬼を束ねる男は祖国の為に犠牲を強いる二人の姿に己の罪深さを思った。

 

 やがて、少年の下へ娘がやってくれば、そこからは修羅場。

 

 少女が自分に笑顔を見せる事も無くなるだろうと想像は出来たが、今はそれでも二人の力を借りるしかない。

 

(我輩はロクな死に方が出来ないだろうな。親友を国の為に屈辱に塗れさせ、娘に友人を虐げさせ、その友人を化物との戦いに借り出し、まだ幼い少女を絶望の前に動員する。我ながら、全く酷い男だ)

 

 だが、それでも、遣り切らねば、国が滅びる。

 

 祖国を、故郷を、自らの手で守り切ると決意したならば、形振りを構っては要られない。

 

 璃紗が果汁を飲み干したところでドゥーズは身を屈めて、少年と少女に告げた。

 

 さぁ、行こうか、と。

 

 祭りの夜。

 

 巨大な打上げ花火が大輪を咲かせる空を赤鬼が肩に人を乗せて跳ぶ。

 

 その跳躍力は凄まじく。

 

 たった一蹴りで幾つかあるメインの大広場の石畳を全てガタガタにしてしまうくらいに撓ませ、時速数百kmの高速で上空数百mにまで昇った。

 

 魔術で肩の上の二人を風圧から保護しながら、男は一路、悪趣味な城へと向った。

 

 無論、敵の城にワザワザ城門を見つけて入る必要は無い。

 

 地面に着地する事、四回。

 

 五回目の跳躍で最大の力を見せた男は誰もいない小道と周辺の人気の無い家屋を犠牲にして上空700m程までも駆け上がり、その分厚い何で出来ているのかも分からない塔の壁をブチ抜いて内部へと押し入った。

 

 迷宮のように入り組んだ塔内。

 

 明らかに屍蝋の化物。

 

 それも人間が変化したとは思えない人形や椅子や家具などで一杯の通路。

 

 本当の城の如く豪奢で色合いのオカシイ調度品が室内全体に物理的に融け込んでいる様子。

 

 それらを目にしたドゥーズが最初に行なったのは時間の短縮だった。

 

『少し後ろに下がっていてくれ。その子を頼む』

 

 筋力×加速×衝撃×魔力×技術。

 

 純粋な体術。

 

 拳一つに全身のバネを使って凝集した力を込め、床を全て破砕する勢いで踏み抜き。

 

 魔力を用いて肉体の発する全ての物理量(エネルギー)を乗倍化させた男の一撃は天井と全ての階層を頂点まで打ち抜き、巨大な孔を最上階にまで開けてしまった。

 

 崩落する階層(フロア)。

 

 雪崩を打って床ごと下層に飲み込まれていく敵。

 

 今にも階層そのものが潰れてしまいそうな状況の中。

 

 男は驚きにただただ固まっていた少女とその身体を抱き締める少年を振り向いてニヤリとした。

 

「さて、敵がもしもいるのなら、さっさと倒しに行こう」

 

 それを見て。

 

 ああ、と少年は思う。

 

 男は確かにエンシェンの親だと。

 

 その極めて合理的で強力(ごうりき)で超力(ちょうりき)な発想。

 

 全てを筋肉と拳で解決しそうな勢い。

 

 正しく赤鬼の本分とは迷宮なんて頭を使う代物とは無縁。

 

 通れないなら壁をブチ抜けばいい。

 

 敵がいるなら、全部力ずくで倒せばいい。

 

 時間が無いなら建物なんて登る必要すら無い。

 

 シンプルにして駄々を捏ねる子供のような発想は親娘というものをヒシヒシと感じさせた。

 

 今度は両手に抱き抱えられるようにして少年と少女はドゥーズと共に最上階へと孔を通り抜けて昇っていく。

 

 まったく脳筋なる一族は苦もせず敵の中枢へと辿り着いたのだった。

 

 *

 

 地表で幾多の思惑と人々が交錯し始めた頃。

 

 異相、その奥で久しぶりに丸一日近く外に生身で出ていた黒猫。

 

 その本体たるクヲン・クラウゼン・イストリア・ニェハエルはもうそろそろ限界を迎えつつある自分の肉体を意識して、これからどうしたものかと悩んでいた。

 

 遥か太古に生きた異種の始祖。

 

 それとほぼ同等たる姿は今現在無く。

 

 既に黒猫へ戻っている。

 

 いつもと違うのはそれが魔術の化身(アバター)ではなく。

 

 本人そのものの変身である事か。

 

 屍蝋の仮面達。

 

 拷問器具に拘束具の類を模した【憤怒(イラ)】の群れは既に最後のイタダキマスで再びゼロ近くまで減衰していたが、その内にまた増える事は確定的。

 

 相手を直接叩くのでもなければ、彼女には実質的な撤退という選択肢以外に手は無い。

 

 そもそも彼女が食べ続けていた時からそうだったが、その数は倍々ゲームの要領で増し、増えれば増える程に敵の増加率も高くなっていた。

 

 怖ろしい事実だが、その増加は決して止まらず。

 

 物量という一点であれば、ある程度の時間で惑星や恒星すら飲み込むだけの暴威となるに違いなかった。

 

「マゥヲゥ~~」

 

 一息入れてお茶でも飲みたい少女であったが、未だ周囲には四桁くらいの敵は残っていた為、おちおち異相にのんべんだらりとしているわけにもいかない。

 

 スイスイと通常の異相とは異なる“无の海”を猫掻きで泳ぎながら、彼女は助っ人になりそうな体を間借りしている同居人達。

 

 高位魔族の成れの果てに訪ねてみる。

 

 ちょっと、アルバイトでもしてみない~~?と。

 

 しかし、こんな時に限って、いつも無駄な時に出てきて、無駄に喋って奥に帰っていく喧しい連中の声は聞こえず。

 

 応答無しの現実にクヲンは溜息を吐く。

 

「マヲ?」

 

 遠方に反応。

 

 それも屍蝋の仮面ではない何か。

 

 微妙に視線を細めた猫の瞳が捉えたのは一秒後に自分の鼻先を音もなく通り過ぎる時速数万kmの速度を出していた船体。

 

 亜光速でその場へと突入してきた巨大な鯨に目を丸くした途端。

 

 彼女の周囲に群がっていた全ての屍蝋の仮面が急激に自分の中心で弾けた圧力に爆裂して、火の玉と化す。

 

 転移爆撃。

 

 それも超精密なピンポイントでの狙撃と言うべき精度。

 

 後、クヲンを誤射しないという褒められた性能は七教会が来たと如実に彼女へ教えた。

 

「マゥ~~♪」

 

 自分の役目は終りとばかりにクヲンがそのまま転移で消えようとして。

 

『黒き久遠(くおん)の子……永く待った甲斐はあった……』

 

 そんな声を聞いた。

 

「マヲ?」

 

『……最後の鍵の片割れよ。その前途に倖在らん事を……』

 

「マヲヲ??」

 

 それっ切り、どうやら鯨の船に乗っているのだろう相手の声は途絶え。

 

 彼女は肩を竦める。

 

 近頃は呆けた老人みたいなものに好かれてる気がするなぁ、と。

 

「マァアアアアヲオオオオオオオオオ~~~~」

 

 大きな一声が空間に響き。

 

 転移の光が一瞬で彼女を別の領域へと運んだ。

 

 残されたのは白き大怪球、亡郷都市アイウィスとその内部から雲霞の如く周囲へと展開していく仮面達。

 

 それを鯨の開き始めた腹の中から見やったのは数十人の精鋭と三人の将。

 

 そして、巨大に渦を巻く龍だった。

 

「今、何か逃げた?」

 

 ボソッと女の声が呟き。

 

「気のせいじゃねぇのか?」

 

 男が肩を竦め。

 

「雑魚の掃討は自動じゃからのう。後で情報を洗い出さんと分からんかもしれんな」

 

 老人が欠伸を噛み殺すようにして肩を何度か回した。

 

『魔力波動は現在、アイウィス内部のこのポイントから発信されています』

 

 鎧に身を包んだ超越者達の共有視界(レイヤー)に今も膨張を続ける世界が描き出され、一部の領域に照準(マーキング)が行なわれる。

 

『観測終了。敵主力を撃破し、屍蝋の仮面を産み出す中枢を破壊して下さい』

 

「「「了解!!!」」」

 

 艦橋からのアナウンスに将全員が応えた。

 

 それと同時に内部から発進し、虚空へ整列するように浮かんだ三隊の誰もが久しぶりの本格的な仕事に鎧の内部で笑みを浮かべる。

 

「では、往こうか。そうだのう。十二時間くらいか?」

 

「こっちなら十時間切れるぞ」

 

「丁寧にやれば、何一つ問題なく終るわよ」

 

 三騎将のやり取りに『いや、オレ達なら九時間で』とか『いやいや、八時間切るくらいなら』等々の野次が飛んだが、すぐに誰もが静まる。

 

 そうして、十分に敵が纏めて叩くのに良い数となったのを見計らい。

 

 三人が同時に命令を下した。

 

「「「各自、行動開始。他隊に遅れを取るな」」」

 

『了解!!!』

 

 一斉に騎師達が動く。

 

 敵は怪球を蔽う程の雲霞。

 

 攻撃を外す理由は無い。

 

 照準も要らないだろう。

 

 ただ、単に数が多いだけだ。

 

 そんなものに負ける理由は彼らの中に無い。

 

 嘗て、部隊の前には多くの頂点があった。

 

 邪神に主神に蛮神。

 

 真の高位人型魔族から惑星を滅ぼし得る異種。

 

 異能の限りを持った人外に絶対に殺せない亜人。

 

 何でもかんでもお前らなら大丈夫だとばかりに押し付けられた人類存亡の危機。

 

 ソレを前にしても引かなかった彼らには気負う様子すらなかった。

 

 更に言えば、今の彼らは孤立無援どころか。

 

 後ろに砲撃支援を準備する万全の旗艦を擁し。

 

 ついでとばかりに七聖女が戦闘用にチューニングし、ブラッシュアップされたばかりの【高格外套(ソーマ・パクシルム・ベルーター)】を着込んでいる

 

 ああ、素晴らしき哉、我が騎師道。

 

 何一つ憂い無き戦闘なんてものは随分と久しぶりに違いなく。

 

 誰もが遊び場に駆け出す幼子の如く胸を高鳴らせていた。

 

 遊具の代わりにあるのは牙を向き、刃を研ぎ、拘束せんと迫る有象無象。

 

 命ですら無いものに気を使う必要も無い。

 

 だから、一瞬で彼らが広範囲に展開し、まるで魔力の推進痕を空間に飾る花の如く咲かせた時。

 

 母艦の艦橋から上がったのは感嘆の溜息ではなく。

 

 唾を飲み込む音だった。

 

 今、解き放たれた七教会の最大“一般戦力”が火を噴く。

 

 その瞬間に誰もがどうなってしまうのかと瞬きもしなかった。

 

 そして、三騎将の指示が飛ぶ。

 

「「「やれ」」」

 

 振り被られた鉄剣が斬撃を積層魔力の薄い刃として正面に飛ばした。

 

 その数、数十。

 

 しかし、彼ら艦橋の者達が複数の観測機器から得た情報を三次元的に視覚した戦場に見たのは斬撃の雨というよりは、巨大な魔術方陣。

 

 剣から放たれた魔力の導線が無数に絡み合いながら、巨大な、ただ只管に巨大な方陣として連結され、そのまま雲霞にブチ当たり、衝き抜け、巨大化していく。

 

 それはもう純粋に酷く馬鹿馬鹿しい大きさの陣に映像が拡大され、縮尺がまるで星図の如く広がった。

 

 その中では巨大な艦すら極微小な砂にも満たない。

 

 数万km。

 

 構築された陣の大きさが映像の中で更に巨大な大怪球と比べられるようになった。

 

 数百万kmの物体と比較出来るというだけで十分にその大きさが分かるだろう。

 

 その陣がそのまま奔り続け、不意に途絶えると。

 

 陣を潜り抜けた屍蝋の仮面達が動けなくなった様子で虚空に固定され、背後から押し寄せる仲間達の圧力によってブチブチと圧縮、潰れ、霧と化して同士討ちの如き状態となっていく。

 

「「「突撃」」」

 

 閃光のように何も無い世界を数十の鎧が駆け抜けた。

 

 その先陣を切るのは三騎将の男。

 

「お前ら、知ってるか? フルー様はオレらの仕事をどうやら奪ってくれるらしい。何だか、凄い武装があるから、勝手に使えってな置手紙を貰ったんだが、どう思う? やるか? 仕事無くなっちまうかもしれねぇが」

 

「隊長。使いたいです。我らは怠惰を貪りたい!!」

 

「隊長。平和の為です。さっそく使いましょう。帰ったら、おれカミサンに仕事が無事無くなったって言います!! きっと喜んでくれますよ!!」

 

「隊長!! 明日、息子の受験日なんです!! 前にパパが連れて行ってやるって言ったら、喜んでたんです!! 是非、オレの休日を取り戻して下さい!!」

 

「隊長!!! もう待ち切れません。オレ達がゴミ箱に行きになる、平和になっちゃう兵器を使わせてください!!」

 

 ゲラゲラと下品な笑いが上がり、やんややんやと喝采が上がる。

 

「だな? じゃあ、さっそくイってみよう。取り説は……いいか。とりあえず、敵正面。正射」

 

 左右腰部の一部がガチャリと扇子のように開き、自動で折り目の付いた鋼の複数部分から紅の光線らしきものが正面戦力に正射された。

 

 途端、半径4000km内部の敵戦力が蒸発する。

 

 その刹那、霧の爆風が全てを包み込むかと思われたが、霧すらも発生した熱量によって消滅、自動照準で放たれた単なる光線は一人頭八百万近くの屍蝋の仮面を駆逐していた。

 

「おぉ、自動か。いい時代になったもんだな」

 

 相変わらず一番前で突撃し続けていた男が言うも、すぐに後ろから否定の声が掛かる。

 

「隊長。取り説読みませんでしたね? これ、ガイドラインレーザーらしいっすよ」

 

「は?」

 

「ええと、高出力の純粋なコヒーレント光がうんたらかんたら、それで高位の対象の周囲に屯する雑魚の露払いをしつつ、光線内に仕込んでいた七百億行の術式方陣の前段階部分を空間そのものに焼き付けて、それに魔力をチョイと流すと高レベルの方陣を一々造らずに連射出来るみたいです」

 

「えっと。これか?」

 

 高格外套内部では現在、瞳に直接映像を投影する。

 

 投影情報は多岐に渡る為、個人のカスタマイズに任されているが、その左上に小さなマークが付いている。

 

 それを内部で男が意識した瞬間、同じ光景が隊の共有視界に現れた。

 

「おお、凄い。まだ起動してない方陣が見える。これにちょっと魔力を流してみると。こうかな?」

 

 男の部下がそっと自分達にしか見えていない空間へ焼き付いた四千kmの大方陣に魔力を一部流した。

 

 途端、パッと光の細い円環らしきものが現実の虚空に現れ、数千kmから一瞬で数十mにまで収縮すると、続いて弾丸のように一点へ凝集、そのまま白い球体から湧き出し続ける敵に向けて発射された。

 

 五秒、十秒、十五秒。

 

 誰もが見ていたものの。

 

 次の刹那、雲霞の中央部分が最初から何も無かったかのようにポッカリと孔を開けて削れた。

 

 ちなみに現在、数百万kmにも及ぶ全長を持つアイウィスの半分程が雲霞で埋まっている。

 

 それの中央に孔が開いた。

 

 それが一体、どういう事なのか。

 

 理解した部隊の数人が喜び勇んで見える陣のあちこちで魔力を流し込む。

 

 すると、多重に形成された陣が連続で凝集、発射を繰り返し、アイウィス周辺の雲霞に着弾して、数千km単位の孔を次々に空けていく。

 

「こりゃ、仕事無くなるな。お前らは此処で楽してろ。オレは内部に行って来る」

 

「あ、はい。隊長、お元気で!! オレ、貴方の事。絶対忘れません!!」

 

「隊長が犠牲に。う……隊長の部屋に隠してある幻の原酒はオレ達で開けておきます!!」

 

「隊長!! 行かないでくれ!! オレ達にはあんたが、あんたの力が必要なんだ!! う、う……あ、ちなみにオレは隊長の一番の副官という設定です」

 

「お前ら……」

 

 男が自分達の部下のふざけように呆れたものの。

 

 肩を竦めて、何時の間にか先行した二隊を追いかけていく。

 

「帰ってきたら、美味い飯食わせてやるよ。オレのカミサンの飯をな」

 

「は?!」

 

「え!?」

 

「ちょ!?

 

「じょ、冗談ですよね?!」

 

「オレが既婚者だって、そういや教えてなかったか? 勿論、嘘じゃねぇから心配すんな。ついでに言うとハティア様には及ばないが、絶世の美女だ」

 

「マジかよ……オレ達何か人生的な部分で負けた?」

 

 部下達が呆然としてながらも、方陣からの射撃で敵陣を孔だらけにしているのに笑って。

 

 男は全ての鎧の全動力をほぼ全て加速に回した。

 

 一瞬で遠く遠く離れて見えなくなる自分達の長に手を振る男達が周囲に流れてくる敵陣から零れた仮面達にニヤリと笑みを零す。

 

「まぁ、とりあえず、ゆっくりしていけよ。お客さんは持て成すのがウチの隊の流儀だ」

 

 友人に話し掛けるような気軽さで男達が帯剣を鞘に入れたまま振り回した。

 

 鞘の周囲から仄かな赤い燐光が溢れ出し、周囲の仮面達の肉体に触れた途端に融解させていく。

 

 然して、複雑な術でもない。

 

 単なる熱量操作魔術の一種。

 

 魔術師としての力量がいるとすれば、それは燐光の一つ一つに核融合クラスの熱量が溜め込まれ、それが接触部分から均一に個体へ伝導する事くらいだろう。

 

「お前らみたいな殺しても砕いても気が咎めない相手なんてのは早々いなくてな。いつもは見せる前に終る技とか色々有るんだ。丁度、各教導隊に配布する資料も欲しくてな。だから―――」

 

 男達の瞳を隠す兜の中から赤光が僅かに漏れる。

 

「ちょっと、本気になっていいか?」

 

 黒き鯨の艦橋。

 

 そこで思わずクルーの殆どが口を手で覆っていた。

 

 数億、数十億、数百億。

 

 それでも足りないだろう相手が見えない数千kmの大方陣の端からゆっくりとその反応を消されていく。

 

 その様子は正しく地獄のようだった。

 

 飛ぶだけで相手は引き千切れ、剣を振るだけで相手は切り裂かれる。

 

 容赦も躊躇も無く単なる機械が行なっているのではないかと言う程に静かな、とても静かな行軍だった。

 

 殲滅する技は多種多様。

 

 剣が砕けて無数の破片が敵を引き裂けば、鎧の腕に振れて、ブクブクに膨れ上がり破裂する事もある。

 

 敵、その数は数万では利かない。

 

 それが常時追加され続けているというのに男達の前に全て停止していく。

 

 単なる斬撃が魔力を伴う衝撃で数km先まで敵を真っ二つにし、単なる裏拳がやはりkm単位の衝撃で相手の大半を破砕する。

 

 全ての自力が違う。

 

 効果範囲が違う。

 

 魔力量が、智識が、経験が、何もかもが違い過ぎる。

 

 普通の人間が行なったなら、普通の人間一人を殺すにも苦労する技が、それだけで百単位、千単位の敵を消滅させるだけの力と化ける。

 

 千の斬撃を一瞬で繰り出せば、それは確実に億の敵を串刺しにする理不尽。

 

 ああ、正しくそれは冗談の類だ。

 

 最新の、七聖女が設計した、防御兵装。

 

 全自動の転移爆撃砲による超精密射撃が船底の一部に陣として耀き、一度に万の敵を虚空の花と散らせている間に部隊の単なる一隊員の指を弾く行為だけで数十万単位の敵が砕き散らされていく。

 

 魔術による衝撃の伝達。

 

 たった、それだけの力が指の一弾きで最新の兵器を超えるのだ。

 

 恐るべきはその超越者たる男達か。

 

 それともその力をまったく完全に十全に引き出し切る高格外套か。

 

 それからの数時間。

 

 艦橋には誰一人喋る者も無かった。

 

 映像ライブラリに増えていく怖ろしき男達の絶技の数々。

 

 圧倒的、只管に圧倒的な、破壊と殺戮と静かで丁寧な工程(せんとう)の数々。

 

 一般的にはこれから高格外套を担うようになっていく新人教育に使われるだろう映像はどんなに娯楽産業が映像の加工技術を発達させようと表現するに困るであろうものに違いなかった。

 

 後にその映像の一部を模倣する形で娯楽用の映像作品が売り出され、大陸規模での大ヒットを記録するも、その持ち出し厳禁の映像を見て作品を造ろうと決意した監督はこう新聞記者達に答えたとされる。

 

―――この作品が誰からも忌避されていない時点で私の試みは失敗だったんだ、と。

 

 *

 

 戦う術持つ者達が巨大な天に掛かる塔へと向かい、異相で桁外れの戦いが起っていた頃。

 

 男が一人。

 

 その誰もいない都市の外縁部へと足を踏み入れていた。

 

 内側からではない。

 

 まるで夕景を閉じ込めた透明な殻。

 

 そんな場所となったハガスの外部からだ。

 

 その半球上の境界は一重に時空の歪み。

 

 入ろうとすれば、物体は捻じれに巻き込まれて破壊される。

 

 だが、一定以上の空間制御魔術。

 

 あるいは時空間に対して干渉する能力が在れば、超えられる程度のもの。

 

 だが、苦も無く男は境界を何ら特別な力も使わずにそのまま押し入って。

 

 僅かに皺となった灰色のスーツを気にして伸ばすだけに留まった。

 

 老獅子。

 

 男を表現するなら、そういうものだろう。

 

 鎧と剣を纏わなくとも、その威厳と満ち満ちた覇気は聊かも衰えていない。

 

 だが、柔和な表情を見れば、誰も危険等とは露程も思わないはずだ。

 

 それどころか。

 

 傍にいるのが心地良いとさえ思うかもしれない。

 

 七教会本部。

 

 その本来の持ち主にして今は無き王城の主。

 

 マシア・ミクニス・アルヴィッツ。

 

 軽やかな足取りで進む今も健在の王はそのような名前だった。

 

「諸君。本番だ。本日はこの地にて君達の試験を行なう。この老体が理事としてしてやれる最後の事だ。また、この内部で起こった出来事には自らで責任を負いたまえ。それもまた必要な資質の一つだ」

 

『………』

 

 老人の周囲には数人分の透明な歪みが屯している。

 

「現在、七教会はこの場所を封印指定するか会議中だが、それが決まるのは何もかもが終った後だろう。旧教会派は現在、この地から遠ざかり、自らの戦力を取り戻そうとしている最中。内部の事はまだ誰にも分かっていない。しかし、外なる神々の侵蝕が確認され、また異相側でも大きな異変が起きているという。諸君には次世代を担う者として、この地を救ってもらう。もし、無理だと思ったら、遠慮なくリタイアしてくれ。それもまた勇気だ」

 

 男の命令を待っているかのように揺らめく歪みの主達が静かに都市の方角を見つめた。

 

「では、これより【次世代聖女(ネクステーゼ・セイント)】最終選抜を行なう。行動開始」

 

 一斉に各々が別々の方角へと散っていく。

 

 偽の夜の中。

 

 南部の何も無い荒れ野に何時の間にか設置されていた椅子に腰掛け。

 

 男は背を凭れさせて。

 

 静かにその時を待つ。

 

「さて、この祭り……マシア・ミクニス・アルヴィッツが見届けさせてもらおう」

 

 花火が上がる。

 

 幾度となく。

 

「ユアン・クオ。君はこの破滅を前にしても消えたままなのか? 彼女達が天蓋に上がっている今、出不精の彼女だけに任せておける程、現実は甘くないぞ」

 

 夜空の大輪に目を奪われながら。

 

 男は傍らにやはり何時の間にか置かれたテーブルの上から水の入った銀杯を掲げて。

 

「来るべき日。それが現実となるか否か。見極めようではないか。人を救わんとする者と救われんとする者に抗い続ける彼……大半を知る人間として老人は旧い時代から結末を見送ろう。魔王と聖女……そして、この夜を愉しむ全ての人々に乾杯」

 

 そう、中身を呷った。

 

 一日目の夜が終っていく。

 

 次の|夕暮れ(あさ)が迫っている。

 

 誰もが選択を迫られていた。

 

 進むか。

 

 戻るか。

 

 たった、それだけの選択を………。

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