第二章「会敵!! その触手危険につき!!!?」
【触手道《テンタクリス》】
それらを学ぶ為に用意された本部は何と月齢館《げつれいかん》の旧校舎。
つまり、恐ろしく旧い史跡扱いされる昔ながらの貴族の邸宅だった。
一般公開こそしていないが、凡そ千年前に建て替えた切りで今も大陸中央諸国風の新校舎から1km程離れた竹林の中に存在している。
建造物自体は昔から陰陽の術による保存がなされているのでまったく問題ないのだが、如何せん旧過ぎるという理由で今は使われていない。
本来なら結界で封鎖されている竹林はクストスに渡された紅のお守りを身に付ければ、出入り自由。
一度も入った事の無い二人は呆気なく抜けた先の建物に圧倒されていた。
「これが、校舎……」
「確か、千年前の様式だとか歴史の講義で言ってたはずよ」
平屋一階建ての木造建築。
大きな庭と広い敷地内には幾つかの建物を繋ぐ黒光りする回廊が敷かれている。
笹から笹へと張り巡らされた糸と板。
鹿威《ししおど》しが周囲に結界を張っている事が二人にも分かった。
玄関で靴を脱いで上がった一行はひんやりとした床を踏み締めて奥へと向かう。
すると、廊下の先。
目的の部屋と思われる場所の障子戸が開いていた。
「もう来ているようだな」
「え? って事は新火君?」
「いや、もう一人の男子だ」
藍の声にクストスが首を横に振る。
部屋の前で二人が内部に一面の新聞紙が敷かれているのを発見して驚く。
その上で一枚の画板が衝立のようなものに立て掛けられており、手前で胡坐を掻く男子学徒が上着を脱ぎ捨てて、裸で墨の付いた筆を掲げていた。
「ッ、へ―――」
思わず『変態!!』との罵倒が出掛かった藍の口が次の瞬間には閉ざされる。
女性のような長い黒髪が振り乱され、筆が一心不乱に板へ墨を描き付けていく。
板に直で描くとするならば、如何なる修整も利かない。
だが、その男子学徒の筆が躊躇で止まる事は無かった。
ものの一分。
乱雑に描いていたかと思われた板の上には墨で見事な―――ウネウネとしたものが描き出される。
「何で触手なのよ!!? 期待したのに?!!」
「ん?」
思わず喚いた藍の声にようやく自分の後ろに誰かいると気付いたのか。
少年が立ち上がって振り向いた。
「どうやら順調なようだな」
「ああ、老子《ろうし》でしたか。これは拙いところをお見せして」
ペコリと半裸で頭を下げた学徒が横に脱ぎ捨てていた大陸中央式のシャツを着るとその上からボタンの無い制服を袖も通さずに羽織った。
「で、そっちが新入りの?」
「そうだ。紹介しよう。杉野世藍君と神酒谷琉風君だ」
「俺は【左楼影近《さろう・かげちか》】。老子に“すかうと”された画師《えし》だ」
その十七程の顔は二枚目と言っていい容姿だった。
ムッツリと何を考えているのか分からないというか。
影があるというか。
顔にあまり変化が無いものの。
鋭い獣のような顔付きとそれなりに引き絞られた肉体は同年代の男子とあまり親交の無い二人には心臓を拍動させるに十分な姿。
(お、おとこのは、はだかとかで動揺したりしてないしッ?!)
誰にしているのかも定かでは無い言い訳を脳裏で繰り返す藍がガン見する前でザンバラ髪が後ろ手でザッと紐に結わえられる。
「え、画師?」
何とかそう聞いた彼女に影近が頷いた。
「家は代々、画伯を輩出してきた家だったんだが、このご時勢、職が少なくてな。俺みたいな小僧が画で食ってくのは至難なんだ。軍付きの絵描き。要はお偉方のお抱え画師になりたくて此処に入ったんだが、老子に頼み込まれて、此処でお前達と同じ触手道《テンタクリス》を修める事になってる。よろしくな」
顔付きは変わらないが、悪い人間では無さそうだと藍が差し出された手を握って握手した。
琉風もまた同じようにすると影近がクストスに向き合う。
「それで老子。今日からですか?」
「ああ、そのつもりだ」
クストスが頷くと影近が画板を持って二人の横を通ると縁側の下に置かれた草履に足を通して広い庭の一角。
僅かに煤けた場所に書いたばかりの絵を放った。
「嗚《オン》ッ」
声が発された瞬間。
ボッと画板に火が付いてあっと言う間に燃え上がっていく。
「え?! 燃やしちゃうの!?」
「そうだ。これが俺の此処での仕事だからな」
影近がパンと両手を閉じて、炎の前で一礼する。
すると、燃えた画板の炎の上に爆ぜる火の粉で陰陽の方陣が描き出された。
そうして炎を吸い上げ始める。
地面の上から完全に熱量が消え去ると未だパチパチと燃える方陣が地面に降り、焼き付いて。
「その御姿《みすがた》を現し、我が名の下に参《さん》じよ。なれば、凶厄《きょうやく》は祓《はら》われん」
ギュィイイイイイイイイイイ。
炎とは違う燐光が地面の焦げ跡から溢れ出し、金属を擦り合わせるような音を響かせたかと思うと何かが円環の内部からゆっくりと迫り出してくる。
「!?」
それは紛う事無く。
肉肉しい桜色をした触手だった。
「はッ?! 何で触手!!? 何で出てきてるの!!? ちょッ」
藍がビクッと前日の経験から来る警戒心も露にして左の脇差に手を掛ける。
触手の塊は円環から完全に抜け出すとポヨンと弾んで影近の傍に寄ると、平伏するように地面へ頭《こうべ》?を垂れた。
彼がその上に腰を下ろすとクストスが拍手を送る。
「どうやら、完全に手懐けたようだな。素晴らしい働きだ。影近」
「いえ、これも老子の教えがあってこそです。これからもどうぞご教授を」
二人の微妙に分かり合った会話に何が何やら分からない女性陣がポカーンと口を開いて呆ける。
「ふむ。そう言えば、言っていなかったが、影近は召喚の才能がある。単純に言えば、君達の触手慣れを手伝う重要な役割だ。触手をバンバン出して貰うつもりだから、そのつもりでいてくれたまえ」
「召喚……陰陽の?」
琉風の言葉に影近が頷く。
「ああ、家は昔から封印だの召喚だの顕現だの身代わりだの、画《え》で出来る陰陽は一通り使える一族なんだ。老子の下で触手を呼び出すのが俺の仕事。そして、君達は触手に慣れるのが仕事。分かりやすいだろう?」
「「………」」
覚悟してきたとはいえ、そのあまり嬉しくない事実に二人が微妙な顔をした。
此処は感謝するべきなのだろうが、明らかにそうしたくないと彼女達の心は言っている。
『クストス様~~』
遠くから間延びして聞こえる声に琉風と藍が庭の端を見ると竹林の先から見覚えのある少女。
否、少年がやってくる。
「新火君が来たようだな。では、全員会議室に集まってくれ。これから我々の活動の指針と説明、それから幾つかの支給品を渡す事になっている。各員、最大限の努力を期待する」
「了解です。老子」
あうっと竹林に散らばる枯れ葉に滑った新火がコケて、ズダンと額を地面に打ち付けた。
『クストス様ぁ……』
藍が大きく溜息を吐く。
言うまでも無く。
前途多難に違いないと悟ったからである。
*
怪紳士曰く。
触手とは心と心を繋ぐ架け橋である。
決して、色が内臓っぽいとか。
ヌメヌメしているのがキモチワルイとか。
オマエなんてキエチャエとか。
そういう悪口を言ってはいけない。
触手は友達。
触手怖くない。
触手こそ人類を導く云々。
「とりあえず。慣れてくれたまえ」
特別捜査隊の略称である特捜の文字が入った白い腕章と本日から装備は刀の代わりにコレだと渡された黒光りする回転弾倉式の拳銃が一丁。
それが藍と琉風に渡された全てだった。
「「………」」
四人がいるのは会議室からほど近い奥まった場所にある大広間。
元々は剣術の道場か何かだったのだろう場所だ。
ひんやりとした床板はピカピカに磨き上げられており、顔が映る程で。
男性陣は新火と影近が二人で何やら触手の絵に付いて意見を交わしており、初日の藍と琉風はクストスから言われた取り合えず慣れろという命令に背筋が嫌な汗で湿っていた。
「二人とも。準備はいいかね?」
「はい! クストス様!!」
「老子。もう準備は出来ています」
「よろしい。では、さっそく触れ合いといこうではないか。藍君。琉風君。出番だ」
「ぅ……」
「……ふぅ」
藍は僅かに腰を引き気味に後ろを振り返り、琉風は溜息を吐いてから、同僚に倣う。
すると。
ズモモモモモ。
そんな擬音が出ていそうな触手の塊が道場の中央に蠢いていた。
影近の召喚したものが未だに帰っていないのだ。
「触らないとダメ?」
クルッと振り返って訊ねた藍にクストスは大きく頷く。
「ぅう、この歳で触手に触るのが仕事とか。これって婦人に対する嫌がらせなんじゃないかと思う」
ブツブツと呟いて精神的な安定を図る相棒の様子にまずは自分がお手本を見せるべきな気がした琉風は恐る恐る中央に摺り足で近付いて、ジリジリと絶妙な間合いで手を伸ばし、人差し指の先を蠢く物体Xの表皮に触れさせた。
ニュルルン。
「!?」
ゾワッと背筋の悪寒に従って後ろへと下がった彼女はまるで俊敏な猫のようだ。
初めて見る生き物にとりあえず触ってみたが、ダメだった。
そんな感じの光景がピッタリ当て嵌まるだろう。
「だ、大丈夫!? 琉風!!」
駆け寄った藍に指先の感覚をどう伝えるべきか悩んだ琉風が今も蠢く触手に視線を向ける。
「何か、心太《ところてん》みたいだった……」
「と、ところてん?! で、でも食べ物じゃないわよ!! アレ、触手なんだから!!」
「でも、心で心太だと思えば……いけるような気がしないでもないような……」
その同僚の言葉に藍が無理があると訴えるものの。
そう思わなければやっていられない。
という同僚の顔にそれ以上何も言えず。
額に汗を浮かべながら、自分もやらねばと片手の人差し指が前にそろそろと近付いていく。
(コレはところてん。ところてん。ところてん。ところてん。ところ―――)
呪文のように内心で呟きつつ、指先がうねる触手の一部に触れた。
ピト、ニュルルルン。
「ひゃう!?!」
思わず口から常からは考えられない愛らしい悲鳴を漏らして、藍もまた飛び退く。
「うぅうううぅぅ!?! あ、餡蜜掛けたところてん!!? 餡蜜掛けたところてん!?」
指先の滑りを思わず服の袖で拭いながら、生理的な拒否反応に抗ってはみるものの。
やっぱり触手は触手だ。
ブツブツ呟いている様は不安定な人にしか見えない。
藍は自分の前に立ちはだかる強敵?をジッと睨み付けた。
「あ、クストス様。次に召喚する触手の草案を考えてみたんですが、これでどうで―――ッッ!!?」
どうやら草案が出来たらしく。
いそいそ怪紳士のところまで歩いて行いく新火が床の上で思わずズボンの裾を踏んでツルッと滑り、藍の背中に思わず手を付いた。
「え?」
触手の感触に何とか打克とうとしていた彼女は無防備だった。
そして、1m手前には触手の塊。
踏み止まろうにも、指先に付いたヌルヌルに何だか身体の力が抜けてしまうような感覚を覚えていたので、思うように踏み止まれず。
藍は顔から、その揺ら揺ら蠢くものに五体投地《ダイブ》した。
ブリュチュムリュウウウウウウウウウウウウ。
「――――――ッ」
「ら、らぁあああああああああああああああああん!!!?」
「?!?!?!?!?!!!!???!!」
まるで待ってましたとばかりに触手が藍の肉体に絡みつくと布団のように首から下を包み込んで、デロデロとした分泌液で制服を塗れさせていく。
「(ぷくぷくぷく)」
もう、その時既に藍の脳裏は真っ白であり、白目を剥いた彼女の口からは泡が吹き零れていて。
「ふむ。これは中々時間が掛かるかもしれん。我輩が正しく導かねば!!」
「老子になら出来るかと」
「はい。クストス様ならきっと!! それとすみません。藍さん」
男性陣は至極問題無さそうな顔で二人を見つめ、琉風は思わず手を出して触手の中からズボァアアッと引き抜いた意識の無い相棒に呼び掛け、まったく平和に初回講義は過ぎて行く。
それから十五分後。
「うぅう。酷い目にあったわ……」
「大丈夫?」
「う、うん。ようやく落ち着いてきた。陰陽であのヌメヌメも取れたし」
藍はようやく目を覚まし、一息付いていた。
先程の道場ではなく。
小さい机が複数ある座学をする場所での事だ。
「どうやら回復したようだな……で、どうだったかね?」
「な、何がよ」
男子達は何やら白い紙に触手の絵を描いており、クストスが筆で手直ししつつ訊ねる。
「心を通わせる事は出来たかね?」
「何でよ!?」
思わず藍が喚くのも無理は無い。
「あの状況で心を通わせてたように見えるっての!?」
「むぅ……あの個体はそれなりに君へ懐いていたように見受けられたが……やはり、触手との触れ合いが足りなかったか」
真顔で思案するズレた紳士に新火が首を横に振った。
「いえ!! クストス様のご慧眼は間違いありません!! あの触手と彼女の魔力親和性が高まった事を先程しっかりと観測術式で確認しました!!」
「おお、そうか!! それは幸先が良い」
「い、一体、何の話してるの?」
藍が思わず訊ねる。
自分の知らない間に何かトンでもない事が進められているように感じたのだ。
「何、先程の個体と君の魔力が和する領域が少し広がっただけだ」
「え!? え!? 何言ってるの?!」
混乱した様子で藍が後ろに下る。
「ああ、そう言えば、まだ教えていなかったが、この学び舎には一つの魔術が掛かっていてね。魔術の初心者の君達にも分かり易く言えば、この館の領域内で接触すると互いの【経路《チャンネル》】を繋ぎ易くなる」
「経路って、確か……」
琉風が陰陽の講義の講義で習った内容を脳裏に思い浮かべる。
「魔術師というのは多かれ少なかれ、空間を区切る事で力を高めるものだ。魔術、この国での陰陽もそれは同じ。経路は空間に開ける穴の事なのは知っていると思うが、それに魔力を通す事で術を自分から遠い場所でも発現させたり、空間の仕切り、分割で結界を張ったり、概念域との交信を行なったり、別の場所と情報をやり取りしたり、色々と融通が利くようになる。今回は触手に対して経路が開き易くなり、同時に触れ合った事で自己の魔力形質や【大源《マナ》】とは異なる肉体の精気、つまり内在する生体魔力の相互変換によ―――」
「クストス様。お二人にはまだ早いかと。その内容は最上級履修科目相当の智識です」
チョイチョイとその触手教師の袖が引っ張られる。
「ああ、そうか。新火君。二人とも済まない。では、簡単に教えよう。君達とあの触手は友達としての関係を築き易くなった。無論、呼び出しにも応じてくれるだろう!!」
素晴らしい!!
とでも言いたげにウンウンとクストスが頷く。
「「………」」
二人の瞳が半眼になる。
恐ろしく遠慮願いたい話に違いなく。
しかし、触手に慣れろという仕事上は文句も言えず。
複雑過ぎる少女達はガックリと肩を落とす事しか出来なかった。
「では、今日の目標はあの触手に十五回触れる事、だ。それが終ったら、全員で被害者や化け物の捜索活動に移る。目標が出るのは基本的に大禍時である夕方から明け方までの時間帯だ。各自は課題を終了後、自由時間とする。食事は我輩特製の手作り弁当が用意してある。食べたくなったらジャンビットを呼びたまえ。我輩はこれより関係各位との打ち合わせに出てくる。では、諸君等の研鑽に期待する」
スタスタと室内から出て行くクストスを視線で追う事も放棄した藍と琉風がどんより顔を見合わせた。
「まだ、道場にいるの? アレ」
「そう、みたいね」
「こちらで待機してる。終ったら呼んでくれ。送還手続きを行なうからな」
シレッと召喚した本人である影近は白い紙に触手を書きながら、軽く流し。
「お二人とも頑張って下さい。クストス様がお帰りになるまで二時間以上はあると思いますので」
新火がニッコリ、何処か鋭い目付きで「逃げられませんよ?」と微笑んだ。
「やって、やるわよ……」
「藍?」
琉風が心配そうに俯いた相棒の顔を覗き込むとグワッと背の低い少女が吼える。
「やってやるわよ。こんちくしょおおおおおおおおお!!!!」
その自棄になった叫びにビクッと影近が筆を滑らせ、新火は笑みを深くし、琉風は大丈夫かしらと頬へ手を当てた。
*
この世界に唯一の大陸には数十年前より一つの風が吹いている。
七教会。
七人の聖女によって再編された教会組織。
彼らが大陸にある三千余の国家に齎したのは文化や道徳、技術、あらゆる分野の向上。
それは人の住まう国だけの話ではない。
大陸に住まう亜人、人外、異種、そのように呼ばれる人間とは違う生命達にとっても、それは大きな転換を強いる巨大なうねりだった。
その影響が極めて大きい大陸中央諸国は今では文化や経済、軍事において東西南北の地方を軽く凌駕するパワーを手に入れた。
全ての発展速度において両者は天地の差を抱え。
人倫の質や民度という簡単には推し量れない要素に限っては、もはや比べる事すらおこがましい開きがある。
それは大陸における幅広い知識層が認めるところだ。
奴隷制度の廃絶や人権の提唱。
技術発展による高度な工業化。
経済の発展に伴う高度な金融機能の獲得。
何を取っても、どれを比較しても、教会勢力の中心地と地方では相手にならない。
この距離を埋めようという動きが大陸に存在する大国では現在主流となっている。
一様に類型《カテゴライズ》されてこそいないが、これら地方の躍進は【大技術進展期《だいぎじゅつしんてんき》】と呼ばれ、多くの伝統を更新した。
一朝一夕には変えられない分野はともかく。
軍事や技術、資金力の差さえ埋めれば、教会からの影響力を僅かなりとも薄れさせる事が出来るという結論は間違い無く正しい。
南部の大帝国。
北部にある大国連合。
西部の技術立国。
そして、伝統と独自文化圏を有する極東の大国家。
現在、これら数カ国とそれに近しい立場の数十カ国が独自の文明化を進めている。
乂羅《がいら》は他の地域と比べても独特な雰囲気を持ち、社会の成熟度も高い地域だ。
それは伝統的で旧いながらも大陸中央諸国に引けを取らない統治機構の優秀さとそれを基盤とした他国、他地域からの文化的、人種的、技術的、諸々の“侵食”を拒絶出来るだけの下地があったからである。
元々、堅牢な社会があるならば、他の制度を真似る必要が無い。
あるいは真似なくても生きていける。
この点が乂羅は決定的に北部、西部、南部と異なっていた。
千数百年にも及ぶ統治を可能としているのは【神門《みかど》】と呼ばれる最高意思決定者の存在だ。
超越者。
極東の現人神。
時に神すら下す者。
軍を率いれば、敵軍は天変地異に沈み。
富を望めば、山を金に変える。
人の運命すら掌上にするお方。
そういった超越者《ちょうえつしゃ》を頂きに冠した事が国のそもそもの始まりであり、更にその血筋を二つの家に別け、統治者層は形成されている。
家の一つは【土御門《つちみかど》】。
家の一つは【天御門《あまみかど》】。
これら二家が代わる代わるに競い合いながら軍事経済政治を牛耳り、彼らを中心にして【御政体《ごせいたい》】と呼ばれる貴族階級から選出される役人達が現場の指揮を執る。
この四位一帯《よんいいったい》と呼ばれる体制こそが、乂羅に長らくの繁栄を約束してきた秘訣だ。
しかし、此処数年。
その統治にも大きな問題が付きまとい始めている。
最たるものは勿論、教会の本格的な進出だ。
まだ、体制が磐石ではあるとはいえ、国のあちこちに教会勢力の布教活動が相次いでいる。
それを規制するのは簡単だが、大陸最大勢力に面と向かって否定を返す為には相応の大義がいる。
現在、国の役人達に出来るのは精々が間接的な規制。
つまりは法制度上の嫌がらせくらいなもので実行力を伴う阻止活動は出来ていない。
これには相手勢力の大きさだけではなく。
もう一つの理由も存在する。
それこそ、七教会最大戦力にして最高の位に就く女達。
七聖女の一人が乂羅出身であるという事実だ。
現在も時折、祖国に顔を出す女は個人で大国を滅ぼし得る逸材。
明らかに機嫌を損ねる行為はご法度。
故に痛し痒《かゆ》しではあるのだが、渋々役人達は嫌がらせにしても、機嫌を損ねない程度の絡め手しか使わない事にしているのである。
「では、七教会からの連絡は以上になります。ご苦労様でした」
そんな烏帽子《えぼし》を被る貴族の役人達に頭を下げて。
教会の制服である白と金を基調にした【軽殻装《コート》】と呼ばれる制服姿の二十代女性が一人。
会議を終らせるとソソクサ近代的な円形議場を後にした。
眼鏡を掛けた彼女は知的な印象であったが、少し背が低い。
また大陸中央諸国の人間にありがちな金髪碧眼とは違い黒髪で顔立ちも東部風。
ニコリとでも笑っていれば、それなりに美人と評判になるのだろうが、生憎とその表情は氷のように固い。
出戻り。
裏切り者。
恥曝し。
厄事。
これが御政体の役人達や国を仕切る二つの家の者達から彼女が給わる二つ名である。
彼女の名は【天御門青嵐《あまみかど・せいらん》】。
元々は支配者層である家の分家筋の次女という肩書きを持っていた七教会の高官だ。
数年前に家を出奔《しゅっぽん》し。
その後、七教会に下って再び戻ってきた為、祖国での彼女の評判は宜《よろ》しくない。
が、それを面と向かって誰も罵倒出来ないのは青嵐が七聖女、それも乂羅出身者の副官。
要は雑事一切を取り仕切る権力者の地位に付いてしまっているからだ。
まだ十代かそこらだった小娘を取り上げる聖女も凄いが、それを一手に引き受けて伸し上がる女もまた凄し。
元々学生時代は学徒憲兵隊に所属し、その中でもトップクラスに有能で部下達から尊敬を集めていた才媛だった事もあって、現在は教会と祖国どちらの勢力からも橋渡し役を任ぜられている。
超重要人物として、貴族達が陰口を潜めるのも当たり前だろう。
既に青嵐は祖国の誰も手出し出来るような存在ではなくなっているのである。
そういった縁で現在、自分がいた頃よりも肥大化した学徒憲兵隊の特別外部顧問をしている彼女は実質的に乂羅の次世代戦力の中核集団を監督する教会関係者、という微妙な立場にある。
国にしてみれば、彼女という自分達側の血筋を利用して教会からの影響力を削ごうという策。
彼女にしてみれば、本国に自分の立場を認めさせて最大限の干渉を行える地位への就任。
本家筋や祖国の腐敗に嫌気が差していた青嵐にしてみれば、その内実を少しでも変えようと努力出来る場所を自分が占めた事はとても重要な意味を持つに違いなかった。
勢力図などは関係無しに自らの故郷の為、身を粉にして働く姿は学徒憲兵隊の一員として指揮を振るっていた頃と聊かも変わりなく。
彼女を人格者として信奉する貴族も少数とはいえ、ちらほらといる。
その中には【改革派《リベラル》】と近頃呼ばれるようになった彼女と近しい思想を持つ本国の貴族達も含まれており、彼らからは熱い視線も受けていた。
本人は否定するだろうし、普通とは違う形かもしれないが、紛れも無く。
彼女は大陸中央風に言えば、【愛国者《パトリオット》】の類と言えるだろう。
「ふぅ」
御政体の魑魅魍魎。
貴族達との折衝に気疲れした溜息が部屋の扉が閉まると同時に吐かれる。
これでまたしばらくは権力者達も黙るだろうという安堵の息は彼女の止めたい日課の一つだ。
そんな二十代にしては気苦労の絶えない青嵐は教会関係者に用意されている大陸中央風の部屋の中。
ゆっくりと上等な黒革製の椅子に腰を下ろした。
「……さて、これでようやく次の仕事に取り掛かる事が出来ます」
黒檀のデスクの上には綺麗に資料が積まれている。
教会の中でも極東情勢に詳しく。
また、教会に“寄り過ぎない”、偏りの無い人物として定評がある彼女の下には大陸全土に広がる教会勢力の中でも東部との貿易や周辺諸国の内情、様々な現状を知りたい者達からの接触が後を絶たない。
元々学徒憲兵隊の中核戦力として働いていた彼女に様々な力添えを頼みに来る元部下やクラスメイト達も多いので、毎日が時間との戦争。
そう言ってもいいだろう。
詰まれた資料は今後一ヶ月に渡り組まれたスケジュール表。
その全てに対して最適解を提示する用意は並大抵の人物には勤まらない。
自分を頼ってくる相手との交渉を優位に運ぶ為、昼夜問わず最新の情報を受け取って取捨選別、予定を組み直していく能力はほぼ超人の域である。
人を雇う。
秘書を付ける。
そういう話が無かったわけでもないが、清濁併せ呑む度量を持つ彼女にしてみれば、教会側の人間はあまりにも綺麗事を信奉する向きがあって融通が利かず、現地の人間は信用出来ない。
結局一人でやるのが一番楽という現状に落ち着いていた。
「……そろそろですか」
呟いたのと同時。
相手が時間ピッタリにノックしたのを不思議に思いもせず。
どうぞと扉の先へ声が告げる。
「お久しぶりだ。青嵐殿」
室内に入ってきたのは紫尽くめの怪紳士。
クストス・ハリ・マーシー・アッハだった。
「ご無沙汰しております。クストス様」
ソファーに掛けるようにとの青嵐の言葉に頷いて、腰を下ろした彼が帽子を横に置く。
対面に彼女が座るとすぐ二人は本題へと入った。
「それで、首尾の方は如何でしょうか?」
「ああ、前途多難ではるが、才能はある。そう遠くない内にあの都市で我輩も力を尽す事となるだろう」
「そうですか……もし、入用でしたら、何でも仰って下さい。すぐに用意させますので」
「そう言って貰えるとこちらとしても助かるな。我輩の活動に支援があるというのは此処数百年無かった事だ。君のような逸材が然るべき地位に付いている事は何とも頼もしいものだな」
「いえ、持ち上げ過ぎです。私は自分の為に形振り構わず戦ってきたに過ぎませんから」
青嵐がクストスの好意的な評価に瞳を俯けた。
「謙遜する必要はない。人類史に名を残してきた聖人や名も無き王達は一様に己の為に戦ってきた者達ばかりだ。人生それは誰にとっても己の戦場なのだよ」
「……ありがとうございます」
「これから報告は逐一上げさせて貰うが、現在のところ都市全域での侵食率は然程高くない。奴の顕現周期から言って、最大の山場は二ヵ月後。どうなるにしろ、大きな迷惑を掛けるだろう。出来る限りの事はするが、後は若者達次第だ。もしもの時は七教会に後詰を頼む事になる。その時は……」
「分かっています。そうなれば、職責を掛けてもご助力しましょう」
「済まないな。君のような若者に頼り切りとは我輩も随分と情けない」
「いえ、人には役割というものがありますから」
「……この身が完璧であるならば、君に迷惑を掛けずとも良かったのだが……如何せん、我輩も歳だ。気力は並み以上だとの自負はあるが、それもいつまで持つか。まったく、儘ならないな」
苦笑するクストスに青嵐が真剣な顔を向ける。
「ですが、それでも戦い続けるのでしょう? 貴方は」
「それこそ我輩が今も生きている意味だからな。過去に生きた者として、未来に厄災を残さないというのは人として最低限の責務だと思っているよ」
遠い瞳をして今を生きる女に微笑んだ紳士はゆっくりと腰を上げた。
「では、これで失礼する。次に会えるかどうかは分からないが、いつまでも健やかに」
「はい。どうか、クストス様も」
紳士が僅かに目尻を下げ、頷くと颯爽とした足取りで部屋を後にしていく。
ドアが閉まったところで彼女はこれから祖国を襲うだろう危機を思い、自らの仕事へと戻った。
まずは関係各所との連携。
そして、緊急時の打ち合わせからだ。
教会の内部にありながら、祖国の政情に配慮しつつ、近付きつつある災いに対処する。
「では、あちらの様子を彼にも聞いてみましょうか」
本来、祖国の役人達こそがしなければならない働きはひっそりと静かに彼女の部屋で始められた。
*
「じゅ、じゅうよんかい……ッ」
「ぅぅう。乙女として何か大事なものを穢された気がする」
もうすぐ夕方。
疲労困憊の様子で琉風と藍は道場の触手の前でゼェゼェ息を切らしていた。
触るだけじゃないか。
何で疲れてるんだ?
とか、今の彼女達に聞く輩がいれば、恐ろしい瞳で睨み付けられる事だろう。
最初、ちょっと触れて離れてを繰り返せば、すぐに終るだろうと考えていた彼女達だったが、その考えは甘かった。
何故ならば、触手が物凄い勢いで二人にそのウネウネした粘液塗れの魔の手?を伸ばしたからである。
何やら気に入られたのか。
接近すると触手が全身を絡め取ろうとするのだ。
粘液でヌロヌロと滑る癖に鋭い一撃はニュルルルルンと二人の手足に巻き付き、何度も何度もベチョベチョにしてくれた。
相棒の危機を互いがカバーしつつ、触れて身体の一部を囚われて、何とか脱出する。
という事を繰り返した彼女達の服はグッチョリだ。
とても、かなり、断固として、仕事でなければ、事件を解決したいと思っていなければ、絶対触れようとは思わないソレがテカテカと夕日に耀いている様子は贔屓目に見ても何だか生き生きしている。
「こいつ、乙女の柔肌を蹂躙して喜んでるんじゃないでしょうね?」
「あんまり、考えたく無いわね……でも、何か触り方がいやらしい気が……」
藍が愚痴り、琉風は在り得そうだと半眼になる。
二人の視線を受けてもまるで動じる様子も無く。
嬉々として?触手が少女達の前でウネウネと蠢いた。
「「……」」
「お二人さん。そろそろ終ったか?」
二人が一歩足が出ない様子で固まっている後ろから声が掛かった。
「影近……君」
藍が触手を出した張本人の登場に何とかポツリと名前を呼ぶ。
さすがに男性を呼び捨てにするのは避けた。
「今、十四回目が終ったところです」
琉風の言葉に結構と頷いて。
黒光りする細長いかりんとうを両手の指に数本挟んで一本ずつ齧っている画師は一匹と女性陣の死闘の跡。
あたりに飛び散った粘液の大惨事を見渡す。
「これはまた……随分とやらかしたな」
「?!」
そのまるで自分は関係ないような物言いにカチンと来た藍が思わず影近を睨み付けた。
「貴方ねぇ……アレ出したの貴方でしょ!? 凄っごく疲れたのよ!? 今はそれ程でもないけど……あんな凶暴な触手に立ち向かう婦人二人に対してそういう言葉しか出ないの!?」
「凶暴?」
困惑した様子で影近が藍の言葉に首を傾げ、その指に挟んでいたかりんとうを一本ひょいと触手に投げた。
すると。
ハシッ。
まるで人間よろしく指のように塊の中から飛び出した二本の触手がソレを掴んで粘液で滑る内部へと引き込んでしまう。
カチュカチュカチュカチュ。
咀嚼したのか。
少し音がして後。
触手が一斉に揺ら揺らと揺れ始める。
「美味いか?」
○。
二本の触手がそんな形を取った。
「―――ねぇ。もしかして、この触手……人間の言葉とか分かったりする?」
凍り付いた藍がポツリと訊ねる。
「ああ、話は出来ないけどな。言葉は理解するし、犬よりは賢いはずだぞ」
「「―――」」
今までずっと下等生物を相手にしているつもりで触手に触れていた二人が触手に冷たい視線を送った。
途端、ビクッと何やら藍と琉風から離れるように触手が引き気味となる。
その表面のヌメヌメも妙に多い。
「ねぇ、其処の触手君」
藍がこれは確信犯だと理解し、にっこりと笑みを浮かべた。
―――ピシッと触手の動きが止まる。
「下等生物って燃やしても凍らせても切っても大丈夫なものもいるんですってね」
琉風が口元の端を歪めて、フッと笑う。
「へぇ~そうなんだ~~此処は“触手愛”を深める為にもあたし達で“実験”してみないと~~あはは♪」
携行しているのは現在拳銃であるが、まだ道場の脇に太刀や脇差は置いてあった。
ソレをイソイソと取ってスラリと抜いた二人がキロリと触手の塊に瞳を向ける。
「ねぇ、触手ってどんな血の色してるのかな?」
ビクゥゥゥッと触手君(仮)が慌てた様子で後ろに下がる。
「そうねぇ。分からないから、ちょっと見て見ましょうか? ね、藍」
「うん。そうしよう。琉風」
何やら穏便に済みそうにない二人と一匹の様子に困った顔で影近が一言。
「あ~~何だ。一応、ぶった切っても生えて来るけど、程々にな?」
「うふふふ。当たり前よ」
「ええ、大丈夫です」
後ろに下がり、下がり。
しかし、道場の壁に背中?をぶつけた触手君が左右にうろうろする。
「もう少ししたら、来るからな。じゃあ、俺はこれで」
触手はイソイソと夜叉二人の後ろから道場を後にする主へ思わず助けを求めようとした。
が、時既に遅く。
「貴方にはお話があるのよ。触手君」
「ええ、お話がありますよ。触手さん」
ガシイイイッと左右の二本が二つの手に掴まれた。
片手に脇差を持った物騒な乙女達はとりあえず心のままに唱和する。
―――しぃいいいいいねぇえええええええええええええええええ。
その夕暮れ時、帰ってきたクストスが道場で見たのは完全に“躾けられた”クタクタな触手とゼハーゼハーと息を切らして、その上に乗った女性陣だった。
「エクセレント!!」
グッと親指を立てた講師にもう意見する気力も無く。
二人は呆れる新火と可哀想な事になった触手を見る影近に叫んだ。
触手なんて!!!
と。
*
―――京州城砦国境防衛隊官舎。
京州は軍都であるが、昔ながらの古臭い武具の鍛錬に明け暮れるような者はあまりいない。
どちらかと言えば、汗より火薬と火砲の香りに包まれている。
学徒憲兵隊は伝統的な刀を装備するのが大半だが、都市と他国の国境域手前に置かれた分厚い菱形の城砦には今も千人近くの機動歩兵や砲兵、銃兵、陰陽師、工作兵、諸々が駐屯《ちゅうとん》している。
無論、彼らとて自らを鍛えはするし、体力は人並み以上。
だが、それでも昔ながらの訓練を地道に行なうような者はやはりいない。
その理由の一つは貴族階級から徴用された者が殆どだからである。
彼らの目的は単なる国境警備だけではない。
近代化《レボリュション》によって最新の装備が必要となった軍隊。
そのモデルケースとして将来的に国民から志願、あるいは徴兵された者をしっかり戦力として運用出来るように装備の実地での開発や訓練方法の構築、教導の為のマニュアル作りをしているのだ。
彼らの業務は多岐に渡る。
大陸において軍事力というのは国家・地方によって千差万別の様相を呈するものだ。
中央諸国と地方なら彼我のキルレートだけで数千倍差。
地方でも大国と小国では数十倍差。
数世代先から数十世代先まで、場所によって持っている兵器や戦術、戦略、魔術と多くの事柄がまったく違う。
乂羅の軍事力を評価するなら、純粋に大陸で十位以内。
しかし、その内実は現在とてもではないがハリボテと言わざるを得ない。
何故ならば、軍事力の大半を神門《みかど》、現人神にして、人の守護者にして、最高位の超越者という存在に依存しているからだ。
勿論、純粋に人間が持つ軍事力でも東部では最強に近いものはある。
が、それはあくまで複数の国と戦争をしても大丈夫なだけの備えがある程度という事だ。
それでは心許無い。
この数年で七教会の治世に叛旗を翻す機運が大陸中で高まりつつあり、テロや戦乱に発展しそうな空気が醸造されている。
教会はそういった情勢から今まで穏健に進めてきた地方への政治的な介入を早めた。
それに吊られて元々不安定だった北部の国々は軍拡に走り、北東部の国境域を広く持つ乂羅との間にも緊張が高まりつつある。
となれば、戦力の強化は至上命題。
同じ七教会という明確な敵を持つ国は多いが、だからと言って伝統的に戦乱を起こしてきた他国と上手く付き合えるかと言えば、答えは否なので呉越同舟《きょうりょく》は不可能。
結局は自前で全てを用意しなければならなくなったわけだ。
この数十年で教会が怖ろしい戦力を整えたのは大陸の軍事関係者の間では周知の事実だ。
七人の聖女を筆頭にして戦乱を治める為に教会が推し進めた紛争介入で大半の既存戦力は陳腐化した。
魔術師や弓弩兵、歩兵などで編成されていた従来のスタンダードな軍隊は教会が戦場に投入した魔術と技術を一身に詰め込んだ全身鎧《フルプレート》の前に信じられない被害を被ったのである。
【高格外套《ソーマ・パクシルム・ベルーター》】
対魔王汎用兵装。
大陸における災厄の代名詞である存在を討ち果たす為の力。
その理不尽に理不尽を掛け合わせたかの如き兵装は生半可な戦力を整えた程度では絶対に勝てないと大国の軍高官に言わしめる。
無窮連戦可能な部隊。
補給も無く数千時間を戦い続ける無欠無尽と謳われた鎧は手傷を負わせるのに通常戦力の消耗が数千人という化物だ。
それが昼夜無く超高速で機動しながら戦場を駆け抜けるのである。
既存戦力の大半が紛争介入部隊の前に暴力としての価値を薄れさせていったのも道理だろう。
鎧を纏う部隊が数十人もいれば、数万から数十万にも及ぶ軍隊を征する事が出来るのだ。
神格や邪神すら狩る人間が人間以上と戦える兵装。
この圧倒的な叡智と技術力を背景とした戦力は従来から在った魔術や高速で動く生物達などを使う事で位置的優位を獲得する機動歩兵を高度に機甲化した実例となった。
前例更新《パラダイムシフト》の波に襲われた戦場に従来とは異なる先進的な兵器や戦術が必要となったのは当然の話だろう。
故に新しい兵装の開発やそれに応じた兵隊の育成は急務。
国家は昔とは比べ物にならない速度で軍事力の整備をしなければならなくなった。
剣もいるが、銃もいる。
鎧は軽く。
魔術も使う。
威力の高い火砲に人々の間に時折顕れる人間以上の能力も必要だ。
更に一瞬で構築出来る魔術の開発も欠かせない。
やる事は無限にあった。
そして、それを十全に行なえるのは大陸でも中央諸国以外は地方の十数カ国しかない大国だけだ。
自分達の最大戦力たる神門《みかど》を一瞬で狩り尽くすかもしれない七教会に対して、それに対抗する為強くなる敵対国への備えとして、乂羅もまた独自の機甲化戦力を整えなければ、未来は無かったのである。
京州はそういった流れの中で機動歩兵や陸軍ドクトリン開発の最前線として運用が開始された場所だ。
同地はこの千年近く幾度となく紛争が起こっている事から世紀単位で軍事要衝化されてきた経緯がある。
都市には軍人とそれを支える為の職が溢れ。
北の守りとして時代時代の軍事的な要人も次々に封じられてきた。
だからこそ、その流れを引き継ぎ、厳然たる封建社会が思想や共同体の理想形として旧くなりつつあるこの現在にあっても、将来の最前線に立つ将校・軍事エリートである学徒憲兵隊は集中的に投入され、その下で戦う予定の予備憲兵隊も普通の地方では考えられない程に増員されている。
これは将来の新しい旅団形成、学徒達がそのまま最新鋭の陸軍として機能出来るよう下地造りを企図している為でもあり、今後も続いていく潮流だろう。
然る後に発生するだろう国境紛争を見据えての戦力開発には莫大な資金が投下され、それらは学徒達の修学内容や進路と大いに関連しているのだ。
陰陽による各兵科の平均的機動速度の向上。
機動歩兵による三次元戦闘の戦術プランと戦術情報共有機構の創造。
新式の陰陽を取り入れた転移爆撃砲の開発。
周辺環境を整え、あらゆる極限環境下で戦闘可能な地域、作戦可能域、野営地や陣地の構築に当る陰陽工作兵。
各兵科の装備開発とそれを横断的に運用出来る将兵の教導カリキュラム。
最新の設備、兵器、戦術、運用のノウハウ、社会保障、諸々が次代の中核戦力である子供達へ受け渡される為に産み出されたもの。
軍都に生きる者は望む望まぬに関わらず、こういった戦力開発に直接的にも間接的にも携わっており、戦いに無関係ではいられない。
そこまで先進性のある力を開発しても、まるで七教会の圧倒的な戦力には抗い切れないだろうが、進められた計画の産物は人によって神代の軍勢とも見えるだろう
が。
それでも、その全ての力が、今は無為と散っていた。
『ひ゛ぁ゛ああああ゛ああ゛ぁぁ゛ぁあ゛ああああ゛っっっっ』
『あ、あなや!!?』
『て、てったひぃいいいい!? てったひじゃぁあああ!!?』
『助けて、助けて、たすげで、だしゅげ、あばッ―――』
『誰ぞ!!? 誰ぞ!!? おらぬのか!!? て、てて、転移の呪法を持て!!? あの化物が来る前に!!!?』
京州国境域の最前線。
広大な森林地帯と其処を通る一本の街道。
戦乱時には森全域が燃やし燃やされ、その度に敵味方問わずに緑地の再生で次の戦乱の為の領域を構築してきた場所にある関所兼城砦は今や炎と黒煙に包まれていた。
周囲には遠くまで響く釣鐘が狂ったように打ち鳴らされており、その下で軍務に就く者達が事態への対処に追われ、逃げ出す者や順次城砦から京州へと撤退に動く者で溢れ返っている。
夜襲とすら言えないだろう。
下がる彼らの殿を務める者達は相手の只管に圧倒的な能力にご自慢の兵装が襤褸屑のように抉られ、貫かれ、拉げていくのを畏怖と共に見ていた。
火の粉を吹く城砦内部の官舎からは既に犠牲者の肉の焦げる臭いと醜悪な棘や乱杭歯の生えた触手《ソレ》が生えていて、内部に生存者無しである事を教えている。
ガギンガギン、ガギャァアアアアアアアッッッ。
魔力の通った太刀の溝から魔力の積層化で顕れる硬質な水晶の如き鋸刃《のこぎりば》が生え、撤退しながら再編している部隊を狙い伸びるものと壮絶な火花を散らせていた。
約十五人。
薄緑色のトレンチコート姿で二十代から三十代の男達が抜刀した刃を渾身の力にて振るい続けている。
その軍服の下には既に血が流れている者もいるが、死までは未だ遠い。
しかし、官舎から次々に湧き出てくるその細長いモノ。
鋼の如き色をした恐ろしい硬度と柔軟性を併せ持つ触手《ソレ》を前にしては、それもいつまで持つか怪しかった。
「隊長!! 本隊から殿の撤退許可が下りました。現在、4km先の仮設陣地に部隊の73%が集結中。尚、転移爆撃砲8門、機動歩兵の各種装備72着、工作用キット14、これ以外のものは持ち出せなかったと」
「了解した。すぐさま逃げに掛かるぞ。空雷を時限式で撒きながらな。一斉起爆は2分後だ。準備しろ。参、弐、壱」
男達の纏う外套の表面に複数の魔術方陣。
耀く文字と象形で描き出される円環が複数浮かび上がり、その陣の中心からポロポロと小さな金属の結晶にも似た細い菱形の物体が零れ始める。
「行くぞ!!」
三十代後半と思しき髭面の男が襲い掛かってきた触手を太刀で弾き飛ばし、そのまま部隊を引き連れて官舎前から逃げ出した。
その背後を狙うように複数の触手が恐ろしい速度で伸びるが、誰の後ろにも目が付いているかのような動きで死の猛攻を掻い潜っていく。
地面に足を付いているかも怪しいような前のめりの前傾姿勢。
止まれば死ぬと追い立てられた男達の顔には必至の形相が浮かんでいる。
それを追って伸び続ける触手の群れは細くなるどころか。
直径を太くしながら枝分かれした数千本の凶器で彼らを追い詰めていった。
「隊長!! 本隊より入電。転移爆撃砲発射準備完了。また、機動歩兵と工作兵の編成も終ったと!!」
「この短時間でよく……すぐに空雷の起爆時間を伝えろ。一斉に掛かるぞ。これで吹き飛べば良し。無理ならば周辺から数旅団必要になる。必ず陣地まで辿り着き、反撃に備える!!」
「はい!!」
陰陽による遠方との通信は未だ途絶えていない。
本隊がまだ健在ならば、まだやりようはあると男が自分達を追ってくる触手の下にばら撒かれている最後の策の起爆時間を数える。
それから程なくして。
伍、肆、参、弐、壱。
カッ。
十五人の男達が駆け抜けて来た場所の全てで地面から垂直に屹立した空雷。
正式名称【空間制御式火雷爆導針《スパティウム・メア》】が起動し、その自らの直上1m程の空間に球状の極僅かな雷撃を奔らせる。
単なる火薬にすら劣る静電気がパチリと指先に当った程度の威力。
が、それはあくまで単なる準備。
本命は周辺空間に瞬間焼き付いて消え失せる極微細、複雑極致の魔術方陣だ。
“雷撃の速度で奔る方陣”の効果が周辺領域に存在する純粋波動魔力に分類される【大源《マナ》】を励起し、金属結晶を“物理的な限界以上に強制圧縮”してから、その効果を解除した。
簡単に言うと“原子核が融合してしまうような爆縮が行われた空間”が瞬時に開放された事になる。
結果。
キュゴォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ―――。
城砦内部から彼らを追ってきていた全ての触手が真下から膨大な熱量と粒子線の雨を受けて消し飛んだ。
その光景は地面に巨大な光球が幾つも連鎖して道のようにも見える。
本来ならば、その中性子線の影響を受けるはずの殿部隊であるが、空間制御……魔術による時空間干渉が一瞬飛び出てくる粒子とエネルギーの全てを上空に空間歪曲による誘導で逃がしている為、爆発の余波による熱以外は問題無い。
彼らのいる数十m手前で打ち切られていた空雷に消し飛ばされ、千切れた様子でのたうつ触手に今度は分子停止措置、絶対零度や物体の氷結を行なう封印魔術の光弾が彼らの背後に展開された方陣から乱発され、片っ端から氷漬けにして停止させていく。
「や、やりましたよ!!? 隊長!!」
「ああ、だが、火砲の攻撃はあったのか?」
隊の二十代の男が確認し、頷く。
「はい。確かに予定座標へ打ち込んだと」
熱の余波で干上がった周辺の森林がチリチリカサカサと風に吹かれている間も髭面の隊長が未だ健在である城砦の方を見て、目を細め……ゾワリと背筋を凍り付かせて再度刀を抜いた。
「全員!! 抜刀しろ!! 方陣防護を全開ッ!!! 死にたくなかったらオレの後ろに回れぇえええ!!!」
その声で瞬時に緊急事態を悟った彼らが隊長の後ろに隊列を組んだ時だった。
城砦の中央。
崩れ掛けた大門の奥。
エントランス付近の暗闇内部からこの世のものとは思えない重低音が響いた。
キュウン。
酷く短い何かの収束音。
複数の空雷が爆裂したクレーター状の直線を細い光が通り抜け。
刹那、地面が熱で融解し、乾燥していた周囲の森林を一瞬で灰にしつつ、放たれたソレは一番前の隊長から四人目で止まった。
――――――!!!!?
既に彼は消し炭となっており、上半身は完全に罅割れる寸前。
五人目の男は自らを襲う痛覚の閾値を上回った衝撃にただただジタバタともがき。
白く茹で上がった瞳と焼け崩れた上半身全体。
皮下2cmまでの重度の熱傷によって急速に命をこの世から遠ざけていく。
六人目から後ろの火脹れだけで済んだ男達が何とか生き残っている五人目の男を震えながらも無理矢理引き摺って、周囲の完全に焦げた森林の奥へ絶叫とも悲鳴とも付かぬ声を上げながら、涙を零して退避していく。
「退避!! 退避だッッ!?!!」
彼らにもはやまともな戦闘行動が不可能なのは言うまでも無かった。
一瞬の判断と対象から放たれた攻撃の距離。
それが生死を分け、自らの部隊の隊長と複数の仲間を刹那の時間で失ったのだ。
まだ身体を動かせるとはいえ。
それも恐怖と脳裏と肉体に刻み込まれた兵隊として生き残る為の反射的な行動を行なっているだけに過ぎない。
フシュゥゥウッと湯気を上げて揺らぐ煮え立った道の先。
エントランスの暗闇に光るのはまるで火砲の如き長大な図体を寝かせた触手の寄り集まった筒。
その周囲には城砦へ根を張るようにして絡み付く束が脈打ちながら蠢いていた。
砲身の根元近くには人間一人分程の大きさがある瘤状の部分が合計で八つ。
その内の七つは内側から僅かに発光している。
だが、光を失った様子の瘤の一つが内部からバチュンと弾け飛んで、ダクダクと粘性の黒いヘドロが滴った。
巨大な砲身の周囲がパキパキと氷で覆われていく。
触手の冷却。
それは次弾発射の準備。
僅かに照準を上向け、なだらかな道の先に布陣する京州の防衛部隊を射程に捉えたソレが再び瘤の一つから光を吸い出し始める。
その砲撃が当れば、本隊は壊滅的被害を受けて瓦解。
防衛力を失った京州は無防備となるだろう。
キュゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ―――。
初撃よりも長い収束が終り、砲身の奥で光が一点に集まる寸前。
ザグンッ。
砲身の根元に巨大な白い偃月刀《カタール》が突き刺さる。
―――ッッ?!?
触手と砲身の化物。
灼熱する地面の光に照らし出されたヌラヌラと照り光るその表皮に無数の眼球が浮かび上がった。
「一つ。請うては愛の為」
ザグンッ。
まるで砲身を地面に縫い止めるように今度は長刀が真上から突き立つ。
「二つ。強いては先の為」
ドゴォオオオオオオオッ。
城砦をまるでケーキのように切り裂いて。
長大な真白き煌めき。
数十m以上はあるだろう長い長い触手が片刃と化して砲身を根元から刈り取る。
「三つ。咲いては人の為」
キシャァアアアアアアアアアアアアッッッッ。
硬質の触手が乱杭歯となって無数地面へと突き立ち、城砦を割るようにして巨大な本体が上空へと引き上げられていく。
黒い体液を零して立ち上がる巨躯は城砦より一回り小さいとはいえ。
それでも巨大であった。
が、その体躯の後ろで終りが告げられる。
「諦めたまえよ。我輩が来た」
―――ッッッ?!!?
グルンと刃に貫かれた砲身が瞳を無数体表へ貼り付けたまま虚空で一回転して、相手を見据えた。
「遍く人の代理人たる我が御名において、汝を断ずる」
凶悪な形の歯や牙、無数の鋭利な刺々しい形状の刃が表層へ無数に突き出し、触手が剣山の如く針鼠と化していく。
「これ以上の罪を重ねさせはしない」
虚空に浮かぶ紫金の衣装。
「仇は必ず取ろう……」
その帽子が僅かに下げられる。
「だから、健やかに眠りたまえ」
固まった化物は動けず。
ただ、中心から左右にズレた。
―――触手スラッシュ。
よく視れば、化物にも理解出来ただろう。
融解した地表からの光に照らされた虚空。
その中にキラキラと光るほんの僅か耀きが揺らいでいる。
それは彼を両断したモノ。
クストスの腕から出た柔らかそうな数cm程度の触手の先端。
其処から分岐した極細の糸が風に煽られているのだ。
その結合体の接触面は単分子にも近い薄さを具えていたのである。
あらゆる分子構造を両断する鋭さは僅か働く魔力によって制御されており。
物理的な硬度がどれ程あろうと大抵のものを切断する。
本来なら斬り別けられた程度で絶命しない触手《ソレ》が嘶《いなな》いた。
発達した神経節の有する性質上。
昆虫のように肉体の一部をもがれたり、分離されても動き続ける事が可能なはずだったが、化物は両断面から毒でも回ったかのように生体機能を低下させていく。
「いつだろうと後味の悪いものだな。子羊を手に掛けるのは……」
ドロリと黒く融け崩れつつある化物の姿に哀しげな瞳が揺れる。
彼の前で全ての質量が霧と化し、散じていった。
『あれは―――何だっ?!』
その夜、隊員を大幅に減らした京州防衛部部隊の男達は仲間を援護しようとやってきて、空を見上げる背中だけを目撃し、何も出来ずに固まる事となる。
その理由は―――異形。
自分達に降り掛かる影《モノ》はたぶん、化物とすら呼ぶのもおこがましい。
そんな、悍しい“何か”であると頭より先に彼らの身体が理解したからだ。
圧倒的な引力。
空間すら揺らがせそうな、灼熱の太陽を思わせて。
彼の触手は真白く。
闇の中で服の内部から僅かに漏れ出していた。
―――たった一晩にして粉々となった城砦跡地で翌日、唯一残った“人間の死体”が下半身のみ左右バラバラの状態で発見される事となるが、それはまだ先の話。
誰何《すいか》の声が上るより先に怪紳士は消え失せ、男達は瓦礫の山を前にして呆然としながら、しばらく身動き出来ずにいた。
果たして。
自分達の見たのは敵だったのか。
味方だったのか。
答えも出せないままに………。