第三章「新隊員!? 触手なりしモノ!!?」
『城砦崩壊!! 多数の死傷者の原因は新型火砲の連続暴発か?!』
さっそく朝刊に載った昨夜の異常事態にズズズッとお茶を啜りながら、藍はジットリとした視線を二人の男子学徒、影近と新火を指導している紳士へ向けた。
昨夜、突如として彼らの行方不明者捜索は打ち切られた。
と、言うのもクストスが途中で消えてしまったからだ。
市街地で固まってどうしようかと立ち尽くしていた彼ら特捜は突如として都市から程近い場所で上がった光を夜空に視て、何事かとそちらに向かった。
すると、二十分程でその方面から戻ってきたクストスが本日は解散すると言い出したので仕方なく初日の捜査は立ち消えとなったのである。
何分、軍都だ。
そういった新型兵器の事故はそれなりにある。
半年に一回は城砦で起こった事が新聞に載るので、都市民達は慣れてしまっている感があるのだが、それにしたって今回の大事故は彼らにも驚きだった。
城砦が粉々になったというのだから。
関所の役割も果たしていた場所でもある為、周囲の街道が封鎖されて商人達は困り顔。
北東部との物流は別の国境域と接している遺宗《いそう》という都市側から行なわれる事が既に決まったと新聞は書いている。
都市のお偉方や役人達は右往左往していると既に今朝方には耳聡い学徒達から周囲に噂が広まっていたが、だからと言って彼らがそのまま軍人として徴用されるかどうかは微妙なライン。
未だ何処でも情報が錯綜しているらしく。
決まっている事は緊急を要する防衛力の穴を近辺国境の部隊から抽出してくるという事のみだった。
(……何か関わってそうだけど、聞いてもまともな答えが返ってくるかどうか)
結局、藍は前日の夜に何をしていたのか。
クストスに聞けないまま。
藍と琉風は二日目の講義と相成っていた。
(とりあえず、今は勉強に集中しよう……)
現在、男女四人は座学中。
触手道《テンタクリス》の基礎的な知識を修めている。
本日のお題は主に一般的な触手の内部構造に付いてだ。
一般的なって何だとか。
じゃあ、一般的じゃない触手もあるのかとか。
そういう事を藍は思わないでも無かったが、初めて一日目でどうにか出来るような学問でもあるまいと配られた用紙《プリント》を読み込んでいた。
(結構ちゃんとした構造なんだ。触手って……)
基本は昆虫のような太い神経節と柔軟な筋肉と血管。
それらが基礎となってウネウネ動く。
また、神経節によって一本一本がある程度の自立性を備え、斬られても何分かは独自に行動が可能。
表皮、真皮の頑丈さは用途によって違い。
汗腺のような穴が粘液を常時吐いて表皮の乾き動きが遅くなるのを防いでいる。
変形が可能な触手の場合は表皮の頑丈さは人間とは比べ物にならず。
内部の筋肉自体が一部急激に硬化して骨となり、造型も自由自在。
ついでに細胞単位での融合能力を秘めたものに付いては通常よりも高い形状の自由度があり、分裂や集合で通常の触手よりも複雑な形を模る事が出来て、バリエーションに富む。
「……凄く知りたくなかった事を知っちゃった気がする」
「そうね。此処は同意とだけ」
藍の愚痴に琉風が頷いた。
触手は強いんだぞ。
カッコイイんだぞ。
最強なんだぞ。
と、目をキラキラさせてクストスが真面目に書いたのだろう用紙には懇切丁寧に図解と説明文が載っていた。
文章の途中からワンポイントアドバイスなる行が小さく隅に書かれており、『触手は友達!!』とか『触手は怖くない!!』とか『触手と直に触れ合おう!!』とか『触手は貴女に心地良い一時を提供してくれるかも!!』とか。
一人の婦人としてはあまり納得も頷きも出来なさそうな言葉が簡略化《デフォルメ》された女の子と触手が握手している図と共に盛り込まれている。
「で、一通りの構造は理解出来たかね?」
「ひゃっ!?」
藍が気配もなく後ろから言われて、ザザザッと真横に倒れるようにして後ろを向いた。
「お、驚かせないでよ!!」
「おお、済まない。誰かの後ろに近付く時は気配を消すのが慣わしでね」
「何処の慣わしよ!! もうっ!! しょ、触手の構造に付いては大体理解したわよ!?」
「そうか。ならば、良し。では、最後に歴史を軽く学んだら、さっそく今日から戦闘訓練と行こう」
「せ、戦闘訓練?」
「ああ、そう言えば、まだ言っていなかったが、触手道は元々、大陸の魔術師が自分のとある作品を撃滅する為に生み出した対触手の完全格闘戦《フルグラップル》技術……つまり、武芸術なのだよ」
「え、え? 何にも聞いてないんですけどっ、あたし!!」
藍がいきなりの暴露に目を白黒させる。
「ははは、今言ったからな!!」
「笑い事か!?」
思わずツッコミを入れた藍が襟元を正して再び座るとクストスが四人に注目するように言ってジャンビットを呼び出す。
一声で何処からともなく顕れた老執事が四人の前に再び数枚の紙を渡した。
「では、触手の歴史的起源から紐解いていこうか」
クストスが全員に一枚目を見るように促す。
其処にはまるで蚯蚓のような蛇のような生き物が一匹描かれていた。
「元々、触手の形は随分と昔の時代に出来たもので、その古さだけを語るならば、数十億年前にまで遡る事が出来る。まぁ、少なくとも人類の発生前から当時この惑星を支配していた【基幹異種《バルバロス》】や魔族、神格達の始祖が生まれた頃には存在していたらしい」
「ちょ、ちょ~~~っと待った!!?」
藍がいきなり飛躍した話に思わず声を上げる。
「何かね?」
「じ、人類の発生前とか。“ばるばろす”とか何なのよ?!」
「むぅ。人類史における高等教育には未だ前時代の事は載っていないのかね? 新火君」
今までジッと聞き入っていた新火がクストスの問いに頷いた。
「あ、はい。クストス様の思っていらっしゃる通りです。高位魔術師の一部や異種に関連した遺跡を発掘する者、大陸中央諸国の先史研究の方でないと、起源前関係の話は分かりにくいかと。一応、それらを扱う大陸中央諸国の大学相当機関で先史時代の科目を受講出来ますが、まだまだ認知度は低いものと思われます」
「そうか……では、分かりやすくやろう。つまり、人類が生まれる前から、触手の原型はあったのだ。それがこの名も亡き“外なる神々”だ」
「外なる、神々?」
藍がやはり首を傾げた。
「む、これもダメか……単純に言うと我々の大陸にいる神とは違う。世界の外からやってきた神の事だよ。まぁ、そういうものがいた、とだけ覚えておけばいい」
「ふ、ふ~ん」
言っている事は何となく分かるが、相当に噛み砕かれているのだろうと藍が思わぬところで触手道の奥深さに汗を浮かべる。
彼女は基本的に学問が好きだ。
が、それはどちらかと言えば理数系。
文系、それも歴史学はあまり得意ではない。
「これらの形が現在の大陸や天界、酷界などに生息する触手達の始祖の原型。形を似せる事で生存領域を確保した生物達の大本なのだ。そして、その触手達を培養したり、それに似せて魔術師や魔族、異種、亜人、その他諸々の存在が自らの手足、下僕や道具として触手を開発してもきた」
「か、開発?」
思わぬ言葉が出てきて藍が訊ねるとクストスが頷く。
「ああ、そうだ。開発だ……人類が本格的に触手を生み出し始めたのは魔術師の始祖である一人の男が人々へ魔術を説いて回った頃からと言われている」
「魔術師の始祖って……えっと、何だっけ? 御伽噺の人だったわよね?」
藍の耳元に琉風が横からヒソヒソと呟く。
「そうそう。ファウストよ。ファウスト」
クストスが頷く。
「精確にはファウストス。近年はドクトル・ファウストスと呼ぶのが一般的だな。彼はそれまで神格達や異種、亜人などに占有されていた魔術を蒐集編纂《しゅうしゅうへんさん》し、他者へ教える事で人類の発展に寄与した人物だ。同時にそれは法術師などの主に神格達へ仕えていた者達しか知らなかった技術が急激に伝播した事も意味した。その頃の大半の術者が使っていた使魔《ファミリア》や被造物達は複雑な構造のものが多く。当時の術者としては新米な人類には真似る事が難しかった。結果、彼らは自らの手足として最も構造が単純な触手を創造する事としたのだ。これが現在、大陸に存在する触手達の七割を占める祖先とされる」
「え? つまり、その、天然物じゃないって事?」
藍の言葉にクストスが大きく首肯した。
「ソレらはその後、魔術の伝播と共に数を増やし、時に術者の死亡や脱走で野生化。現在は数千年の間に進化適応して、住み着いた場所で自生するようになった。比較的人里に近い場所でも触手を探せばいるが、野生動物とそう大して違いはなく。また、彼らの食事事情から鑑みて、人間に接触する事は極稀だ」
「食事事情……ちなみに何食べてるの?」
「彼らの殆どは雑食だが、主食は生物の分泌物や生体維持に必要な蛋白質、水分。まぁ、そう人間とは違わないな。ただ、基本的にこの分泌物というのが重要で自己の身体で作り出せない為、多くは何かしらの生き物に寄生して共生関係となるか。あるいは宿主と融合する場合もある」
「うぇ……」
触手に乗り移られた自分を想像してゾッとした藍が嫌そうな顔をする。
「まぁ、今の触手達の大半は魔術を齧った商人達が昔に逃がし、世代を重ねた物が多いから人間に直接牙を剥いて害を及ぼすようなものは稀だ。そう脅威ではない」
「どういう事? それに商人て?」
「子供達にあまり大人が教えたくない事実とやらなのだが、そういった野生化した触手の大半は【禁断蟲《エクソティシス》】という生体改良、生体改造の為の道具であった事が大半なのだよ。この傾向は人間の傍に生息する触手程、ある意味で安全という事を示す」
「??」
歯切れの悪そうなクストスに事情が見えた琉風が助け舟を出した。
「藍。つまり、商人はたぶん奴隷商人なのよ」
「へ?」
思わず目を丸くした藍にクストスが頷く。
「飲み込みが早くて助かる。そう、簡単に言えば今言った禁断蟲というのは奴隷商人が特に性風俗の為に買った男女問わずの奴隷を売り安いように“改造する為の道具”だったのだ」
「―――」
思わず閉口した藍にクストスが続ける。
「青少年の君達には詳しい説明を省くが、人の近くに生息する触手の大半が安全なのは元々最初の個体がそういった人間を傷付けない用途で開発されたものだからだ。腹を空かせても“人間の分泌物や体液しか喰らわない”ので命に別状も無い」
「で、命以外には別状アリまくり、と」
半眼になって、やっぱり触手は婦人の敵だと再認識した藍が呟く。
「だが、それ故に触手道は貞操の危機に陥ると不味い身分の人間がこぞって修めた武芸術でもあった」
「そんなに触手が危ないと思ったんなら、普通に狩っちゃえば良かったんじゃ……」
「それが出来なかったのだよ。神格を有する階梯に上り詰めた個体が現れたからな」
「か、神様になったの? 触手が?」
思わず唖然として藍が聞き返す。
「ああ、神格は信仰によって概念魔力《がいねんまりょく》を得て階梯を上がるのだが、それを発生させる感情は畏怖や畏敬でも構わない。要は人々の意識にどれだけ根ざした存在になるかどうかだからだ。当時、触手道が開発された時に野へ放たれてしまった固体は恐ろしく強く、また特異な能力を持っていたらしい。討伐前には神格へ上り詰め、滅ぼすのは恐らくかなり難しかったのだろう。当時は神を殺す事は最大の禁忌の一つであって、攻撃するのは“不敬”とも考えられていた。屈さずに貞操を護り切るには相手をいなす格闘戦しかなかったわけだ」
「無茶苦茶じゃない!? 神様になったからって、有害な相手に敬意を払うとか!?」
藍の最もな言葉にクストスは頷く。
「そうだな。今の近代的な国家の価値観で思考するなら、それが普通だろう。だが、人類がまだ他者の力に依存しなければ、大自然や他種族の中で生き残れなかった時代は現代式の価値観が根付いた時間より、ずっと長い。七教会が進める近代化《レボリュション》において大陸の人々の意識は大きく前進したと言われているが、未だ倫理的な向上が十全と言える国家は大陸でも中央諸国くらいだ。この国とて“謂れのある”差別や排斥はあるし、人権という言葉が社会的な旧い伝統や規律、習俗や国家利益よりも上には位置していないだろう?」
「ぅ、うん……それは……」
言い淀む藍の脳裏にあるのは婦女子が進むべき道。
そう今もこの国で説かれている常識だった。
女性は男性を立てるもの。
女性は男性より前に出てはならない。
女性は男性に仕えて家を守るべき。
勉学に打ち込むよりも裁縫や家事炊事、家の切り盛りこそが仕事である。
毎日毎日毎日毎日、そう教えられてきた。
家を出る前日。
たった一人の味方だった母は旧い伝統を守る人間として、静かに彼女へ幸福が何かを問い掛けた。
それはどうしてだっただろう。
娘の往く道の険しさがきっと賢婦人と親族達から讃えられた人には見えていたからだ。
『藍。わたくしはお父様のように家の為に嫁げとは言いません……言えません。でも、貴女が不自由無く暮らせるようにしたいとは思っているの。先方はしっかりと調べましたが、酒癖や女癖が悪いという事は無いと断言出来る……人柄も誠実だし、家の方達も明るい……たぶん、この家よりは貴女のやりたい事が出来る場所だわ。だから、少しだけ真剣に考えて欲しいの……』
新しい生き方もあるだろう。
だが、それよりもしっかりとした生活を送ってくれる方が親としては嬉しい、と。
そんな当たり前の親としての願いを口にして。
けれども、押し付けたりはしなかった。
選ぶのなら、真っ直ぐに。
決して後悔の無いように。
そう思っての言葉だったはずだ。
「藍?」
琉風が何処か内側に沈み込みそうな少女に声を掛け、現実に引き戻した。
「あ、う、うん。大丈夫聞いてる聞いてる」
クストスは複雑な表情をする少女の瞳の色には何も言わず。
ただ、事実を告げる。
「どんな社会にも言える事だが、人間は効率だけを追い求めているわけではない。善意、綺麗事、倫理感、大いに結構。だが、不合理や無駄、猥雑、そのようなものこそが人にとっては重要という事もある。無論、どんな事にも限度というものはあるがね」
「じゃあ、触手道《テンタクリス》はそういう無駄な部分って事?」
「当時は正統性もあり、それなりに合理的でもあった。要は価値基準の問題なのだ。人の進歩はあらゆる種族の中で最も早い。同じ時代を生きてすら産まれが十年違えば、根本的な価値観に僅かだろうと差異が出る事もある。また、旧いものだからとて、全てただ悪かろうはずもない。その時代時代の前提に立てば、最適解が毎回必ずしも同じにならないのは当然だ。事物の視方、物事の捉え方は常に一様ではなく、揺れ動くものと言える」
しっかりとしたクストスの言葉に四人が思わず同じような感想を抱いた。
それは確かに目の前の男が何かを教える存在。
教師、というよりは……賢者の類に見えたからだ。
「話はズレたが、今言った事はそう的外れでもないつもりだ。触手道《テンタクリス》が今も我輩のような存在によって受け継がれている事は傍目から視たなら、非合理的でしかないだろう。が、現にこうして今、この場で、捜査の為に必要となっている。これは一面の事実として、合理性は絶対の真理ではないという事だ。君達にもどうか覚えていて欲しい……」
クストスが笑みを零す。
「この世には何一つ必要無いと断じられるものなどない。我々は皆、誰も同じ。誰かから何かから必要とし、必要とされ、選び、選ばれ、そのようにして続き、終っていくのだ」
藍が。
「必要とし―――」
琉風が。
「必要とされ―――」
新火が。
「選び―――」
影近が。
「選ばれ―――」
瞠目する。
「ああ、そうだ。我輩のような終っていく者にとって、始めたばかりの君達は……眩い卵と言える。だから、君達が望むのなら、それを解決する術を授けよう。鍛えもすれば、学ばせもしよう。これは触手道だけの事ではないぞ。人生の先達として、君達が進む道にあるものを照らし出し、我輩なりの進み方を伝えたい」
「進み方……」
藍にクストスが頷き。
その手が頭をまるで幼子をあやすように撫でた。
「共に在る奇蹟を分かち合う限り、人は如何なる壁をも越えてゆける宿世《さだめ》にある」
其処には確かに人間というものを信じる瞳があった。
「そう、我輩は人間という生き物を確信しているのだよ」
何だか良い話で言い包められている気がして。
けれど、その手の感触に、その笑みの優しさに、婦人としての自分も、学徒としての自分も何一つ言えず。
子供のように扱われている事に不満すら覚えられず。
「このような触手《カラダ》になって人間を語るのは業腹ものだとは思うのだがね」
藍はとりあえず。
本当にとりあえず。
呟く。
「じゃあ、教えて……あたし達が勝てるように……」
手を引いた男は愉快そうに頷いた。
「ああ、歴史の授業はこれくらいにして、此処からは険しくゆこう。決めた覚悟を胸にして、張った虚勢を食い縛れ。我輩の訓練は厳しいぞ?」
「そんなの構わないわよ。だって、あたしは……こうしたいから、こうするべきだと思ったから、此処にいるんだもの!!」
その藍の瞳にクストスが了解だと障子戸を開ける。
「では、これより触手道の実技を始める!! 全員、表へ!!」
「「「「はいっ!!」」」」
迷い無き四人の生徒達の声に彼は、クストス・ハリ・マーシー・アッハは確信した。
きっと、この子達ならば、長い戦いに終止符を打つだろうと。
そうして十分後。
完膚なきまでに基礎体力の足りなさを露呈した学徒達は毎朝の早朝長距離走を言い渡されるのだった。
*
修行と言えば、人は何を思い浮かべるだろうか。
厳しい鍛錬と言っても、それは修めるものによろう。
武芸術ならば、肉体と肉体を操る心、そして技の冴えを養うだろうし。
これが文化芸術の類ならば、頭を働かせて、閃きを得る為に試行錯誤し、多くの叡智を覚え、時に狂気に取り付かれてみるというのもアリかもしれない。
が、彼ら特捜が修めるのは尋常なる道ではない。
触手道。
武芸術であるとクストスは言ったが、それは同時に触手を愛する行為でもあると彼らは教えられた。
要は其処にある物を肯定し、違和感ではなく愛着を持って事に望めという話である。
だが、それには一にも二にも基礎体力。
武術は無論そうだが、智識や教養を身に付ける事にも肉体の基礎的能力はいるらしい。
健全な精神は健全な肉体が養うもの。
精神力の別名は努力と根性と体力というまったくもって非合理的な体育会系指導である。
触手の道も一歩から。
今日も早朝から基礎体力を養えと長距離走を行なった彼らは汗だくだった。
「心地良い朝だな。諸君……」
こんな時でもまったく服装が変わらない怪紳士は礼服が着崩れた様子も無く。
歳若い男女と同じ距離を走っているというのに息切れ一つしていない。
城砦の崩壊から本日で一週間が経過。
その間、毎朝毎朝彼らに課せられた長距離走は確実に肉体へ筋肉と疲労を蓄積させている。
誰も彼も紫雲のたなびく明け方の下、制服は来ていない。
全員がジャージ姿であった。
「はぁはぁ……っ」
豆腐屋の前には魔術具による明かりが付き。
新聞配達の配達員達は浮遊しながらスイスイと都市を回っている。
煉瓦造りの街並み。
柳の植えられた水辺には鯉がちゃんぽんと跳ねていて。
涼しげな風の中。
既に開いている麺麭屋からは香ばしい小麦の焼ける薫りが煙混じりに空へ昇っていく。
「休憩を挟んだら往くぞ。朝食はすぐ其処だ」
紫尽くめの怪紳士が汗も見せずにいる姿は四人の疲労困憊な生徒達から見ると驚きだ。
しかし、まだまだ未熟な彼らにとって、それは目指すべき頂ですらない。
クストス曰く。
息を切らさず走れるようになってからが本番、らしい。
「はぁはぁ……きっつい…・わ……」
「そう、ね……」
藍と琉風の息は荒いが、まぁまぁ付いてこられている。
「ふぅ……」
影近は画家と言う割りには体力があるようで道の横にある塀に手を付いて呼吸を整えつつある。
「はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、はぁっ、ごほ、うぅ……」
問題は基本的に文学少年である新火だった。
バッタリと道端に倒れ、もう走れない様子で息を切らして休む様子は学徒憲兵隊として最低ラインの体力すらあるかどうかも怪しいレベルだった。
「ふむ。どうやら、今日は此処までのようだな。新火君」
「は、はひ……す、すみまひぇん。クストスさ、まぁ……はぁはぁはぁ」
手を取って少女のような顔の少年を立たせると。
怪紳士はその腰を方にひょいと担いだ。
「では、諸君。最後の直線だ。呼吸を整えながら向かおう。朝食の準備は既に出来ている。シャワーを浴びたら制服に着替えて食堂に集合してくれたまえ。行くぞ」
三人の先頭を走り出すナイスミドルはまったく歳を感じさせない様子で軽々と新火を抱え先頭を走っていく。
「あの元気、何処から来るのよ」
ボソッと愚痴った藍の瞳は触手の癖に自分より速いなんて、と言っている。
「まぁまぁ。それにしても本当に人一人抱えて走ってるとは思えないのよね。魔術も使ってる様子無いのに……やっぱり、触手だからかしら?」
琉風は元気過ぎる教師の背中にそんな感想を抱いた。
「触手じゃなくても、普通に走ってそうな気がする……紳士よりも体育教師が似合うんじゃない。アレ」
げんなりした様子で藍は背筋も遠ざかっていくピンと張った男の背中にそう呟く。
「早めに行こう。疲労も抜けた」
影近がそう言うとクストスを追い掛けて走り出し。
二人の少女も同じく学生寮に向かう。
それから玄関に到着した三人が見たのはヨロヨロと扉を潜る新火と汗一つ掻かずに厨房のある裏手へ消えていく快活な背中だった。
数分後。
汗だくの全員が自分の部屋へと戻り、着替えを持って集団で使うシャワー室の一角に入る。
男女別にある脱衣所の入り口は蒼と紅に塗られており、未だ使われている様子は無い。
数百人が暮す予備憲兵隊の寮は常人より朝早いのが当たり前だが、彼らはそもそもその起床時間から更に一時間早く起きている
普段は寮生の多さもあって顔見知りと顔を合わせる事も少ないが、数日前からは毎日のように四人全員が朝食の席で顔を付き合わせていた。
と、言うのも食事も修行、クストスが言うには鍛錬の一つであるから、らしい。
「え~本日の献立はコレでございます」
そっとお品書きの書かれた半紙が並んで食堂の端に据わる四人の前にそれぞれ置かれる。
いつの間にか後ろにいたジャンビットに何かを渡される事にも慣れたのか。
誰も驚かない。
「何々、本日のお品書き。『垢鳥《あかどり》の酒蒸し香草サラダ』」
藍が何だ良さそうじゃないと笑みを浮かべる。
「ええと、次が『大蓮根《ダイレンコン》のマンドラゴラ詰め』……魔術の触媒だったかしら? 毒があったような気が……」
微妙に琉風が怪しくなってきたお品書きに瞳を細める。
「これは……『柄樹《トネリコ》の樹液、水禍《スライム》寄せ』……食べ物、なのか?」
まだ視ぬ劇薬の名前を呟くような声で影近が遠い瞳になる。
「最後が『烏賊《いか》と蛸《たこ》の林檎漬け』……やっぱり、烏賊と蛸……クストス様を僕は信じます!!」
キリッと何処までも触手紳士を信じ切った瞳の新火が汗を浮かべながらもチャレンジ精神を発揮する。
「諸君。さぁ、食事の時間だ。ゆったり食べるといい。ジャンビット」
「はい。お任せを。我が主」
老給仕が四人前の膳を両手と腕の上に乗せて大道芸よろしく少しも零さず置いて行く。
四人の前にホカホカと湯気を上げるのは炊き立ての白米と四つの器。
サラダはともかく。
穴の大きなレンコンに詰められた毒々しい練り物や明らかに緑色をした半透明なゼリー状の物体や大きな海産物の触手《てあし》が二本丸々串に刺されて甘酸っぱい匂いをさせている。
四人の誰もがゴクリと唾を呑み込むに十分な威容だ。
「まぁ、食べながら講釈を聞いているといい。今回の品は主に魔術素養の養成を軸に調理して―――」
誰も聞いていない。
フルフルと口に運ぶのも命掛け(気分的に)な食卓は全員が流したはずの汗を再度浮かべて進める正に修行であった。
カチャカチャカチャ。
器が微かになる音。
「………」
鶏肉のサラダ。
普通に美味しい。
レンコンの毒々しい詰め物。
少し舌が痺れるものの、味付けは十分に普通。
樹液と水の化物を固めた何か。
意外と普通の煮凝りと大差ないが、風味が少し苦い。
(でも、これはちょっと無いと思うのよ。ええ、これは……無い……)
藍が全てを諦観した様子で視線を上向け、食べる様子を見つめていたクストスへ尋ねる。
「この蛸と烏賊の足ってまだ出るの?」
彼ら全員が毎日取る朝食。
そのお品書きには必ず二種類のゲソが出る。
「ん? ああ、烏賊と蛸の林檎漬けは無論前日、前々日と同じく。二本丸々の姿で出させて貰っているぞ。触手に慣れてもらうには形に付いても身近であらねばならない。毎日喰していれば、どんな触手にも早々動じたりはしなくなるはずだ。無論、形が大事な以上、見た目は変えられない。が、味は別だ。昨日は葡萄味だったが、今回は林檎味。期待してくれて構わない」
『触手はいいぞ……』と。
恍惚とした笑顔で語り出すクストスを視界から遮断して。
藍が二本のゲソを見た。
数日前から同じ物体を毎日出されているのだが、毎回味が違う。
調理した本人は毎日毎日同じ味では飽きてしまうから、という理由で手間と謎の技術を使って、烏賊でも蛸でも無い味のする触手《ソレ》を供しているが、逆にそれが藍には不気味だった。
だって、そうだろう。
蛸なのに齧ると甘酸っぱいジューシーな果実そのものなのだ。
他にも大陸南方で取れる果実の味がこの数日で次々に再現されてきた。
甘瓜《メロン》。
菴摩羅《マンゴー》。
茘枝《ライチ》。
一回も食べた事の無い未知の果実。
それでも間違いなくソレだと分かるのは毎日食べたゲソが一度とて同じ食感ではなかったからだ。
実は果実そのものを魔術で加工していると言われた方がしっくり来るのだが、調理者当人が厳然と生きの良い蛸や烏賊を捌いているところを時折目撃していた為、全ては謎である。
問題は二つ。
形と食感や味が符合しない食物を食べた時の何とも言えない違和感。
そして、学生寮の寮生達が毎日必ずゲソ以外の部分を調理したものを食べさせられる事だろう。
まぁ、後者は何故か夜間巡回をするようになった学徒達の夜食と言うか、軽食として振舞われている為、高評価+巡回する者が他の寮生達に羨ましがられるという事態になっているが。
(とにかく。林檎味の蛸とか烏賊とか!! そんな、冒涜的な食品がこの世に存在していいはずがな―――)
“シャクシャクシャク”。
「あ、“やっぱり”!! 美味しいですね!! クストス様!!」
「そうだろう。そうだろう。我輩独自の仕入れルートによって北部三国の法術国家から取り寄せた果物を使っているからな!!」
喜ぶ新火の横でゲソを口に入れた藍が固まって、琉風がどうしたのかと訊ねる。
「………美味しい」
近頃、本格的に自分は毒され始めているのではないかと真剣に彼女は蛸と烏賊の罪深さを食事時に想った。
結局、数日前から同じく。
米粒一つから吸盤一欠けらまで、器に料理が残される事は無かったのだった。
*
―――京州外縁部田園地帯。
軍都と言うと殺伐とした心象《イメージ》があるかもしれない。
人々は暗く。
また、何事も軍が中心となる為に自由とは無縁であり、畏れられている。
最前線ともなれば、いつ物資の徴発や軍務への動員が掛けられるか。
そういう場所が想像されて然るべき理由は歴史上無数ある。
が、現在の京州は国家要衝の一つとして、そういった薄暗さは殆ど無い。
都市部の発展と拡大、流通の効率化は日々躍進しており、周辺諸国や国内からの転居なども増大の一途を辿る人気の都市と言えば、随分と賑やかな事は想像が付くだろう。
その全景は未だに郊外へと広がり続けており、沢山の人々が新たな住人として名乗りを上げている。
複雑な市街地構造は迷路のように混沌としているが、慣れれば苦でも無い。
新旧複数の建築様式が入り乱れるものの、伝統的な木造と近代的な煉瓦造りの折衷が都市全域において独特な外観を齎しており、国内では人気の名所でもある。
それに都市全体で見ると比較的古風な佇まいが新しい建造物にもエッセンスとして鏤《ちりば》められており、温故知新《おんこちしん》の善き景観。
伝統を重んじていて大変結構と訪れる国内の知識人には受けも良かった。
上下水道は全世帯に基本的な配管が終り、廃棄物処理についても伝統的な生活上基本的に腐らせるか燃やせるものだけが家庭からは出されるので困っていない。
旧い美観が損われる事なく共存した都市開発の成功は多くの地域が見習うところだ。。
また、先進的で実用的なインフラが整備こそされているが、国境域の最前線にあるという事で他国に運用されそうなもの程に破壊の為の仕掛けが施されている。
他にも瓦斯《ガス》や魔力を液化した燃料の供給ラインが最初から敷かれていない等々、利便性よりも要害としての設備設計がなされており、戦時の最前線としては機能性という面で国内屈指だ。
そういう細々としたところにこそ戦乱の影が感じ取れれば、京州が一種の管理社会《ディストピア》である事に気付く者もいるだろう。
他地域よりも金や人員を掛け、法制上の優位や設備の優遇、複数の特権を与えて、同時にその分だけ自由や利便性を削ぐ。
それでも十分に利があると判断する者達だけが都市においては残り、増え、共同体に組み込まれる事で防衛力を強固にしていく。
周辺諸国からの転居があるというのも、そういった外交・経済・防衛の一帯政策の一環とされている。
基本、排他的で伝統を重視する乂羅は難民対策はしても移民政策そのものを取っていない。
外国人の流入は厳しく管理されており、渡航目的や検査で肉体や魔術的資質が高い者はお帰り願う事も多々ある。
故に“外国人”とやらが普通に生活する京州は他地域からやってくる国民から見ると奇異に映る。
どうして見知らぬ人々を受けて入れているのか。
御政体の貴族達は答える際にこう定型分で返すのがお定まりだ。
自分達の同胞が生活する場所を無闇に焼こうとする者がいるならば、良い批判材料になる、と。
つまり、例外的に移民や短期の海外転居者が優遇され、ある程度密集するのは国境域において軍事的な影響力《プレゼンス》になると国家運営者達が考えているわけである。
人の壁だ!!
非人道的だ!!!
この人間の屑め!!!!
なんて言葉は人権という文字が空虚に思える戦乱の多い地方では箸にも棒にも引っ掛からない戯言に近しい。
ある面で京州が殺伐とした現実を抱えてはいるのは間違いないが、表立っては他国との貿易によって経済は好調であり、そういった経済を後押しする“善良なる外国人”との人的交流は活発であり、強大な軍備によってしっかりとした安全保障が確立されている。
それが乂羅の公的な認識と言えるだろう
「………」
そうして発展を続けている場所だからこそ、誰も彼の容姿を不思議とは思わなかった。
フードが付いた純白の法衣姿。
相手は間違いなく教会関係者。
背後に刺繍された銅色の十字架を見れば、彼が“その筋の人間”である事は火を見るより明らかだろう、と。
市街地より離れた山岳部も程近い田畑の中。
擦れ違う着物姿の住人達は男の美貌。
少なくとも二枚目で通るだろう全体的に繊細な顔付きや薄い唇、暗い銀の瞳孔、整った鼻梁に目を瞬かせ。
誰も彼も僅か頭を下げてから通り過ぎていく。
「………」
これがもしも国内の別地域だったなら、明らかに整い過ぎた感のある顔立ちと教会関係者が宵に出歩いている不自然に不審を覚えて官憲に呼び止められる事だろう。
しかし、現在七教会が本格的な進出へと動き出しているのは国民も知るところである。
布教しに来たか。
または都市への教会建立に関してやってきたのだろうと京州の人々が思ったのも無理は無い。
そのあまりにも“ソレらし過ぎる姿”が七教会の信者にとっても異様と捉えられる事を誰も知らなかったのは不勉強や無知という話ではなく。
価値観の相違と他国が中央諸国の実情をまだ真に理解していない事を意味する。
そんな仰々しい恰好で祭りでもないのに出歩くのは中央諸国においても奇異の視線を受けるに足る理由だ。
が、違和感を自分達が知る一番近い存在と混同してしまえば、地方の一般人に彼が異質であると見抜く術は無かった。
見慣れない人種の外見的特長ばかりに目がいけば、個人なんて中々区別出来ない。
彼を見逃した人々は七教会という異質の中に別の異質が混ざっても、そもそもが異質である為、別物だとは分からなかったのである。
「………」
静かに暮れゆく田園風景。
夕闇に染まる小川に映るのはこんがり焼けたパイのような鱗雲。
良い景色だと憧憬にも似た思いを周囲の景色に向けながら、彼は村に外れにある小汚い石橋と朽ち掛けた塀の先へと向かった。
「ここか」
廃屋。
もう所有者がいないのだろう。
壁際には真新しい紙が陰陽の術か何かで貼り付けられており、数日中には取り壊して更地にする旨が書かれている。
カサリ。
音を立てて、壁の一部が崩落し、内部の樹木が剥き出しとなった。
破れた戸の奥には土間が有り、その先には倒れ掛けた柱が横たわっており、茅葺の屋根は傾いて何時崩れるか分かったものではない。
しかし、臆する事もなく。
彼はイソイソとその屋内へと入って行く。
内部には黴た樹木の臭いが漂っていたが、湿り気はあまり感じられない。
周囲に家具らしいものはなく。
しかし、畳や板すらも敷かれていない基礎のあちこちが剥き出しで、その周囲には風化した紙が散乱していた。
「……これが今回の触媒か」
ポツリと呟いた彼の手が取った一枚には画が描き出されている。
妖艶な着物姿の女とそれに絡み付く一本の太く雄々しいもの。
触手。
「文化とはいえ、不用意だったな。まぁ、いい……」
彼が紙を手から落とした。
それは乂羅の伝統的な大人の嗜好品。
要は春画である。
国境域の交易において裏ルートで出回る品《モノ》は多々有るが、そういった習俗に即した異国の性風俗の一部も高値で取引される。
奴隷制が未だ完全には廃止されていない地方ではそういう画《え》等というものはお上品な部類だ。
人間一人幾らするかは国々によって千差万別だが、少なからず経済活動の一環として十分な売買益を出している場所もある。
単純労働に使うもの。
特定の仕事に従事するもの。
娼婦として従事させられるもの。
個人の所有する家事炊事全般を行なうもの。
諸々の奴隷達の“標準的扱い方”を知っていれば、その程度の商品《モノ》は逆に健全ですらあるだろう。
特に諸外国と差別化出来る文化的な品となれば、『芸術である!!』と一部の愛好家は一部の清廉潔白な自称有識者達に唾を飛ばして叫ぶかもしれない。
「出て来い。処分してやる」
彼がフードを脱いだ。
その頭が斜陽を照り返し、屋根の内部に蠢いていたソレを映し出す。
シャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!
一斉に上空から襲い掛かってきた紫色の触手の群れが、何かに打たれて弾け跳んだ。
ボヂュンッッッ。
「貴様等の如き下等生物に生存圏は無いと知れ」
ブジュゥウウウウウウウウウ。
幾本もの触手が途中から千切れて黒い粘液を噴出し、家屋の壁に張り付き、霧となって消滅していく。
「人喰いめ。一体此処で何人の無垢なる子羊を喰らった?」
未だ陽光に耀く彼はツルリと丸い。
毛根の一つも見えない頭部の下には知性の権化の如き四角い銀白色の眼鏡。
ザッと法衣の袖から取り出された分厚い古びれた教会の聖典が開かれる。
「汝に罪在り。千山万水《せんざんばんすい》護りし、我が腕《かいな》にて、疾《と》く消え去れ」
男がガンッッと一歩、その場で足踏みした。
途端、未だ屋根の一部に擬態していた触手が乱杭歯を擂鉢《すりばち》状に配列して降ってくる。
「ふんッ!!」
裏拳。
片手の聖典もそのままに男の裂帛《れっぱく》の気合を込めた手の甲。
そこから出でた衝撃波が建造物の屋台骨毎触手を細切れにして吹き飛ばした。
家屋は崩落するどころか爆散。
周囲の塀が倒壊し、辺りには化物の融けた霧と土埃が上がる。
「な、何だぁあああ!?」
突如として廃屋が倒壊した事に驚いた通り掛かった少年が見たのは舞い上がる褐色の内より出でる禿頭《ひかり》。
「……少年」
「ひぇ!? は、はぃ!? な、何でしょうか!? お坊様!!?」
自分の横を通り抜け様に手に握らされたソレを観て、更に少年は目を丸くする。
其処には一月を楽に暮せるだろう額面の外国金貨が一枚。
「それで村の者を呼んで来てくれ。それと此処に小さな墓標を立てて欲しい。私は忙しい身でね。本当なら自分の手でやりたいが、そうもいかないんだ」
「え、あ、は、はぃ……!?」
思わず頷いてしまった少年が目を白黒させる。
「よろしい。君に大いなる父の加護が在らん事を……」
去っていく背中。
「―――ッ」
その法衣に浮き出た驚くべき肉体の隆々《りゅうりゅう》なる様に息を呑む。
「お、お名前をお教え下さい!!? お坊様!!?」
あまりの出来事に呆然とした者に出来るのは見送り。
そして、訊ねる事だけだった。
「名乗れるような名は無くてね。もしも、君が信仰の道に目覚める事があったら、聖典の一行目を呼んでみるといい。其処に私は“在る”」
一歩も速度を落とす事なく。
去っていく男にもう声が掛かる事も無かった。
後にその衝撃から信仰へと足を踏み入れた少年は初めて読む聖典の一行目に書かれてある名を知る事となる。
最も世に出回る聖なる古典にはこう書かれてあった。
―――
*
―――京州南部歓楽街、宵の刻。
藍にとって、夜の街というやつは基本的に特別な日にしか覗けない賑やかな場所という認識だ。
小さな頃から商家の娘として花よ蝶よと育てられてきた彼女が夜出歩くのは基本的に羽振りの良い父親が祭りや親類の家に往く時。
または殆どが娘自慢に公の催しへ向かう時くらいだったからだ。
そういう時は夜更けまで起きていても叱られなかったし、無邪気に喜んでいられた。
それが嫁がせる相手がいないかと探していたから、なんて事に気付かなければ、ずっと感謝していただろう。
「……異常なし」
今、彼女が夜の街へ繰り出すのは単に自らの望む仕事を果たす為だ。
化物の犠牲者を少しでも減らし、被害を最小限に留める。
街中を当て所なく巡回して行方不明者にならんとする誰かを探すという行為は大海から一粒の貝を見つけるような作業と言っていいだろう。
「ふぅ。後は此処だけ……」
軍都である京州は他の地方都市よりも規律や風紀が厳しいとはいえ、それでもやはり猥雑な場所は存在する。
その象徴は南の一番外れにある大通り。
この一帯で最大の歓楽街。
伝統的に色街《いろまち》と呼ばれる場所は遊郭《ゆうかく》やら芸者の屯する置屋《おきや》が密集している。
軍に娼妓《しょうぎ》は高値の華か。
夢に見たるは君の貌《かんばせ》。
なんて、唄が流行る程度には都市の男達の世話を焼いているので、それなりに働く女達は良い稼ぎをしているのが大半だ。
勿論、その中には旧くからの文化である若衆道《わかしゅうどう》。
現代風に言えば、男色を売りにする者達もあるので一概には女ばかりがメインと言うわけでもない。
諸外国では娼婦と呼ばれる者達の境遇は悲惨の一言だと学徒達は習うが、それを実感出来ないのは色街から帰ってくる輩が陽気で機嫌の良い者ばかりだからだろう。
普通の労働者から商店の息子まで客だった者達は酒に酔ってでもいなければ、問題を起こす事は稀だ。
少し裕福な家の子ならば、ほろ酔いで帰ってくる父親の夜の土産に心を時めかせる事だってよくある話。
男子三日会わざれば、なんて言葉もある。
学徒とはいえ。
十代も後半になれば、父親から“そういう遊び方”を学ぶのも一般的な話だ。
まぁ、母親は良い顔をしないか。
あるいは見て見ぬフリをするか。
または小さく『程々にね……』と諌めるのが慣わしでもあるので、よっぽどのめり込むようでなければ身代を食い潰すという事も無い。
そういう制度が浸透しているせいもあってか。
愛人の文化が知的階層に毛嫌いされているらしい七教会影響下の国と比べても、性犯罪の発生件数は乂羅において極めて低い。
同時に大陸中央式の倫理が国の実情に合わない事も手伝ってか。
文明化を進める現在もそういった場所の撤去や法規制は検討されてすらいない。
これは伝統的価値観が七教会の文化的影響力を遮断したという事になるだろう。
そういう意味で花街は現在、性風俗だけではなく伝統的制度の成功例として大陸中の学者達に研究されている。
倫理や道徳の向上で逆に社会の影の部分に相当する人々が行き場を無くし、非合法化する事で治安や性風俗の実情が悪化するという冗談のような国も複数あるのだ。
必ずしも正しさや健全さが社会を改善するわけではないという事を身を持って知った外国から是非我が国にも同じ制度を国状に合せて導入したいと見学に来る役人や政治家も多い。
(……さすがにいない、わよね?)
家が傾いているのに自分の父親がこんな時まで色街に顔を出してはいない事へ安堵しつつ、彼女は提灯が下がる通りの周囲にある小道を歩いていく。
基本的に花街の建物はまだ大陸中央式のものが少なく。
木造二階建てが主流だ。
しかし、その薄明かりが紅や橙色の紙に透かされて漏れる様子は少し彼女の心臓の鼓動を早めた。
藍とて女だ。
男よりも先に花街がどういう場所かは母親から聞いている。
愛人は男の甲斐性だとか。
でも、二人は認めたらダメだとか。
正妻には正妻の特権があるだとか。
だからと言って、必要以上に色街の女や男を意識する必要はないだとか。
生き方は人其々なのだからと賢婦人は言っていた。
教会の思想が書かれた書籍から倫理や道徳の一般論を学んでこそいたが、藍が其処で生きる人々に嫌悪感を持たなかったのはやはり大好きな母の影響だろう。
「……異常なし」
予定のルートを全て通り終った彼女はそう呟くと集合場所へと向かって歩き出した。
通り一本とはいえ。
それでも100m以上ある。
彼ら特捜の腕章を付けた歳若い男女でも集まるのに数分。
通りの始点である大門の前には色街の揉め事を通常の官憲に変わって解決する【色役目《いろやくめ》】と言われる準公僕扱いな男達が集っていた。
「あ、藍さん。お疲れ様です」
新火が戻ってきた彼女を労う。
「これで一週間連続の空振りね」
琉風は何も見付からない事は良いのだが、此処まで何も見付からないのも不安だと言いたげに困った顔となる。
「でも、まだ行方不明者は出てる」
藍が悔しそうに呟いた。
未だ都市では行方不明事件が後を絶たない。
その情報の大半は特捜にも伝わってきているからこそ、彼女が歯痒く思うのも無理からぬ事だ。
「そう言えば、まだあの触手おば……来てないの?」
クストスを未だどう呼んでいいのか迷う藍が辺りを見回すも、もう来ているはずの相手はいなかった。
「ええ、さっき魔術の通信で“ヒミツヘイキ”を投入するとか何とか言ってたけれど」
「秘密兵器?」
「何でも今よりもっと効率的に目標を探す事が出来る道具だとか」
「へぇ……此処を必ず張れとか言ってから殆ど来てなかったから、その間どっかで遊んでるのかと思ってたけど。ちゃんと仕事してるんだ」
「何て事を!? 確かにクストス様はご多忙でしたし、言い付けで此処を重点的に見回ってきましたが、その間だってあの方は奮闘していたのですよ!? この一週間、アレを作る為に材料を調達していたんです!!」
クストス贔屓な新火の憤りも今では軽くいなせるようになった藍が『アレ?』と聞き返す。
「敵は巧妙かつ狡猾に行方不明者を出しています。消える場所は全て別々。時間帯や行方不明時の状況もまったく異なる。でも、だからこそ、クストス様はアレをお作りになる事を決めた……」
「だから、アレって何? 何かの魔術具なの?」
藍に新火が首を横に振る。
「いえ、強いて言うなら、魔術具と言うよりは【小人《ホムンクルス》】に近いですね」
「ほむ?」
「その、ほむナンタラってのはつまり何なのよ?」
琉風が聞いた事の無い言葉に首を傾げ、藍が訊ねた。
「人造生物の一種です。魔術師よりは錬金術師の方がそういった生命の創造には向いているので、魔術師の技能しかないクストス様には少し難しかったようです」
「そのほむナンタラがいれば、化物を追い詰められるの?」
「それ専用のものだそうですから、推測した地域を足だけで探すよりは効率的だと思われます」
「ふ~ん。じゃあ、これからは突発的な戦闘も在り得るのね」
藍の言葉に新火が押し黙る。
「何よ。怖いわけ?」
「……怖いです」
いつもクストスの前で虚勢を張るのがお約束な新火の性格はこの一週間で分かっていたので藍が意外そうな顔をする。
此処に当人がいなくても、自分を男と言い張る美貌の少年は怖いわけがないと返すに違いない。
そう思っていたからだ。
「僕は何よりあの方のお役に立てず死ぬ事が、怖いです」
その言葉に思わず二人が固まる。
「―――ねぇ。どうして、あいつに其処まで入れ込むわけ?」
藍の問いは最もだ。
傍目から観ても、新火は明らかにクストスへ特別な目を向けている。
純粋な尊敬や崇拝に近い感情をずっと横から見続ければ、その理由が問いたくなるのは道理だ。
「僕は家は昔から陰陽に精通する血統でした。其処で何も出来ず死んでゆくはずだった僕を外へ連れ出してくれたのは他ならぬあの方なんです」
「じゃあ、学徒憲兵に入る前からの知り合いって事?」
「ええ。クストス様は昔から大陸中を回っておられて、自らの活動の為に大勢の埋もれた人材を“すかうと”して来られた。僕と影近さんは同じような縁でクストス様に見出された人間なんですよ」
「影近も? そう言えば、同じような事言ってたっけ」
「藍、君付け。君付け」
思わず素で呼び捨てにしてしまった藍が愛想笑いで誤魔化す。
男を呼び捨てにするのは好ましくないというのが子女に対する乂羅での一般論だ。
そういうところをなぁなぁで済ませていると後から問題になる事もある為、自立を目指す婦人とはいえ、藍もまたそういった伝統的な慣習には気を付けている。
「ごほん。影近“君”もあなたもあいつの事慕ってるけど。それってどうしてなの? その“すかうと”ってやつのせい?」
新火が僅か唇の端を曲げて自嘲した。
「僕等のような後の生まれは家で居場所が無いですから」
「後の生まれ……それって……」
藍が封建社会における“よくある話”を想像した。
「ええ、今藍さんが考えている通りです。僕は四男、影近さんは六男、それも同じような陰陽大家の産まれです。長男や次男辺りまでなら、大事にされるのは当然ですが、基本的に兄弟が多ければ多い程、後に生まれた人間は蔑ろにされます。それでも別に食べる事に困ったり、教育を受けさせてもらえなかったり、みたいな事は無いので……まぁ、市井《しせい》からすると贅沢な悩みなんでしょうね」
長男が家督《かとく》を継ぎ。
他の兄弟はある程度の年齢になったら家を出る。
または家に仕えて暮す。
これが乂羅での一般論だ。
近頃は実力主義が優勢で、どんなに産まれが先でも能力が優れてさえいれば、家のトップに躍り出る事も夢ではなくなってきているが、それらの思想が浸透し切るまでまだ十年単位の時間が必要だろう。
ある意味では女よりも“飼い殺し”にされるわけで、そういった事が日常茶飯事な大きい家だと窮屈な人生を送るしかない者も多い。
「そうなんだ……」
「僕はそういう産まれでしたけど。影近さんは自分から自立の為に家を出たらしいので、並べて話すのはおこがましいんですけどね」
「結構、家でみんな苦労してるんだ……」
「藍さんも、何かそういう?」
藍の言い様に新火が尋ねる。
「あたしのところは商家だったんだけど潰れたの。あたしが裕福な家に嫁げば、暮らし向きは変わらなかっただろうけど、今は自由にさせてもらってるから、勘当状態」
「―――ごめんなさい」
「何で謝るのよ。誰だって、家に縛られて生きてる。でも、別にそれが全部悪かったわけでもない。でしょ?」
「……そう、ですね」
新火が藍の天真爛漫な笑みに頷いた。
「で、その自分から家を出て自立しようとしてる人が見当たらない事に今気付いたんだけど、何処?」
そう言えばと三人がキョロキョロ辺りを見回すと。
大門から少し離れた遊郭の前で学徒憲兵隊の制服に身を包んだ影近が遊女と芸者の群れに囲まれていた。
「あれって……不潔」
藍が半眼になった視線を向けると。
『?』
それに気付いたらしく。
影近が周囲の人間に何やら愛想笑いをしてから三人の下へ早足に戻ってくる。
「済まない。ちょっと知り合いに捕まってな」
「知り合いって、遊女さんと芸者さんにちやほやされてただけじゃない……」
女の敵。
これが四五六《ジゴロ》というやつかと藍と琉風の視線は冷たい。
「勘違いしてるようだから言っておくが、本当に知り合いだ。俺の家が画師の一族だってのは言ったと思うが、此処には小さい時から画の練習によく来てたんだ」
「練習?」
藍に影近が頷く。
「ああ、家は画なら節操無く描いてきた一族だからな。人体描写から紙芝居から教会のステンドグラスの原画から、画の何でも屋なんだ」
「何でも?」
「その縁でよく此処の人達には可愛がってもらった。ほら、見えるか? あの置屋の奥に飾られてる大陸中央風の風景画やら、あっちの遊郭の暖簾先の廊下に掛かってるのとか。俺が昔描いたものなんだ」
「へぇ……そうなんだ。確かに上手―――ぶふぅ!?」
「うぉ!?」
乙女に有るまじき勢いで噴出した藍が遊郭の方を見て、顔を沸騰させた。
正面にいた影近が真横に避けて被害を免れ、バッチィなぁという顔をする。
「な、な、な、なぁっっ?!!!」
「どうかしたんですか!? 藍さん!!」
新火が思わず尋ね。
琉風がその視線を辿ってから、理由を悟ってほんのり頬を染めて視線を逸らした。
「あ、あ、あれって!? 春画じゃない!!!?」
「当たり前だろ? 此処に来て裸体を描かなかったら、何を描くんだ?」
おかしな事を訊ねるなぁ、と。
藍に呆れた視線を向けた影近はまるで乙女心とは無縁の様子で自分の作品の方を見て、照れた様子となる。
「アレなんか、まだまだ人体描写が甘いってオヤジに怒られたっけなぁ。オフクロは描くなら、もっと写実的にとか言い出すし、姉さんは美化三割増しぐらいで丁度良いとか言い出すし。やっぱり、今見ても書き直したくなるな」
その世間一般の感覚と明らかにズレた影近の言葉に『住む世界が違う?!!』と藍は大いに引いた。
「うぅぅ、薄々気付いてたけど。あんたってそういうところが婦人に対して配慮とか無いわよね!?」
「?」
何を言われているのか分からない様子で影近が首を傾げる。
「この近代化《レボリュション》のご時勢。いつ仕事が無くなってもいいように描けるものは増やしとくってのが家の方針でな。此処最近は中央諸国や七教会の統治で倫理や道徳に引っ掛かって行き場を無くした芸術家やら絵師が大量に亡命してるって言うし、競争も激しくなるだろ。昔ながらのデフォルメされた描き方、写実的な描き方、どっちも出来た方が有利だろうし、食ってくにはまだまだ修行が足りない……精進あるのみ、だな」
藍の噴出した元凶を見てしまって新火が両手で顔を隠し縮こまる。
それを横目にしながら、少女は自分の未熟さに苦笑する影近には普通の羞恥心が無いらしいと悟った。
(ほんと、変わってるわ……まぁ、あたしの言えた事じゃないんでしょうね……)
少なからず。
自分と同じような立場。
自立しようとしているのだ。
その影近を見れば、別に嫌がらせをしているわけでもないのは明白。
(それにしても天然って怖い)
ナチュラルにまったく悪意無き婦人の敵。
これ程にやり難い相手も他にいまいと思いつつも、その罵倒は彼女の口の中へと消えていった。
「おお、集まっているな。待たせて済まない」
まるで計ったようなタイミングで四人に声が掛かる。
後ろを振り返れば、其処には見慣れてしまった感のある紫尽くめの紳士がいた。
「あ、クストス様!!」
羞恥からさっそく立ち直った新火が主人を見つけた子犬のように駆け寄っていく。
「ようやく仕上がった。君達にも紹介しよう」
「へ?」
藍はクストスの背後に人影を見つけて、目を瞬かせる。
明らかに彼女達とは違う容姿。
豪奢な金髪だったからだ。
「さぁ、挨拶を」
イソイソとクストスの水路から出てきたのはまだ二桁にも満たない年齢だろう愛らしい少女。
それも見目麗しい白いエルフだった。
細長い耳を見れば、高等教育を受けている全員に出自の予想くらいは出来る。
ペコリ。
純白のワンピース姿で頭を下げた少女の愛らしさに藍と琉風の内部で何か得たいの知れないスイッチが入った。
「か、可愛い……」
「ほ、ほんとね。可愛い……」
ジリッと近付こうとした彼女達の気配を察したか。
ビクッと震えた少女が急いで影近の背後へと逃げ込む。
「お前……そういう事ですか。老子」
「ああ、この形にするまで中々難しかったのだよ。戦闘以外の魔術修養は久しぶりだった事もあって、手間取った」
何かに気付いた様子の影近にクストスが頷く。
「ね、ねぇ。御嬢ちゃん。お、お姉さん達はコワクナイヨ。コワクナイ」
今に涎でも垂らしそうなデレデレぶりで藍が片言で話し掛ける。
しかし、エルフの少女はまったく靡かないどころか。
影近の背後から出てきもしなかった。
「ど、どうしてあんたに懐いてるの!?」
その藍の問いに呆れた様子の溜息が吐かれる。
「お前なぁ。苛められた人間に懐くわけないだろ?」
「はぁ!? あ、あたしはこんな可愛い子を苛めたりしないわよ!!?」
「まさか、気付いていないのか?」
「何をよ?」
藍の本気で理解していない様子に影近がチラリとクストスを見やる。
「少し“解く”のは大丈夫ですか?」
「ああ、指先程度ならいいだろう。それ自身が隠行の結界を自動生成しているから、我々以外には見られる心配も無い。知覚歪曲型の術式を採用している以上、偽装を解かない限りは我々も怪しまれないので安心して使ってくれたまえ」
「分かりました」
「「?」」
何を話しているのか分かりかねた女性陣二人の前で影近がヒソヒソとエルフの少女に呟いた。
それに応じたのか。
後ろから指先が出されるとビュルルルルルッと伸びる。
「ひゃ!?」
「な!?」
思わずソレを身体に沁み込んだ反射から避けた藍と琉風が刹那の後に理解する。
自分達の前にいるエルフの少女。
それが一体、何なのか。
「う、嘘よ……こ、こんな可愛いのに……ま、まさか、まさか!?」
「理解してくれたようで何よりだ。君達がこの一週間の間ずっと触ってきた個体だよ。
乙女の理想とか希望とか諸々を打ち砕かれた二人が呆然とする。
「機能を幾つか追加してある。昼は美しい本来の姿で君達の触手道の習得を手伝い。夜はこの姿で【着包野郎《サンドイッチマン》】の捜索に当ってもらう。ちなみに名前はエルフっぽく『アーシェリア』と名付けてみた。ふむ……ジャンビットに次ぐ良い名になったと自負しているよ」
「はッ!! まったくもって同感にございます」
藍と琉風がその背後からの声に固まる。
二人の後ろでいつの間にか佇んでいたナイスミドルな給仕は爽やかに同意していた。
「かりんとう。食うか?」
影近が制服のポケットに入れていた紙袋から細長いソレを差し出すと。
即座に伸びたエルフの少女の指先が枝分かれして巻きつき、ひょいと持ち上げ、口の中へ運ぶ。
カチュカチュカチュカチュ。
そんな咀嚼音が響き。
○。
少し人間らしくなった表現方法は両手の人差し指と親指で行われた。
“触手君”と呼ばれていた個体はそうして特別捜査隊へと加わる事となったのだった。
主に二人の女性陣の精神衛生と可愛い物好きな心を犠牲にしながら………。