※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第四章「炸裂!!? 触手道奥義の真髄?!!!」

第四章「炸裂!!? 触手道奥義の真髄?!!!」

 

 触手の変化《へんげ》。

 

 アーシェリアを隊列に加えた一行はその足で色街の大門から小さな通りへと抜けて歩き始めていた。

 

「君達にはまだ言っていなかったが、どうして我輩がこの歓楽街を重点的に探させていたのかと言えば、被害者の共通点に気付いたからだ」

 

 殿をジャンビットが務め、前衛はクストスが務める総計六人と一匹?は天に掛かる巨大な蒼き星明りに照らされながら、粛々と道を往く。

 

 その光景を行き交う人々が見ていないのはクストスの後ろにいる彼女。

 

 アーシェリアの機能らしく。

 

 藍は仄かに魔力の燐光を纏う見た目エルフの触手少女に複雑な顔をしていた。

 

「共通点……老子は一体、何に気付かれたのですか?」

 

 影近の問いにクストスが立ち止まり、振り返って掌を全員に見えるよう胸の前に掲げる。

 

 すると、一枚の地図。

 

 京州の市街地が浮かび上がった。

 

「行方不明者達は基本的に年齢も仕事もバラバラでまったく関連性に欠ける。情報を一見しただけでは気付けないだろう。しかし、彼らの日頃の生活に着目すると一つだけ同じ要素があった」

 

「同じ要素?」

 

 琉風にクストスが頷く。

 

「そうだ。頻繁という程ではないが、彼らは花街に行っていた」

 

「……共通点としては弱いんじゃない?」

 

 藍の指摘は最もだ。

 

 都市の男で花街に行かない男という方が珍しいのだ。

 

 特に貧しいというわけでもなければ、通う事くらいあるだろう。

 

 仕事上の付き合いで向かう場合だってあるはずである。

 

「そうだな。だが、もしも彼らが同じ区域にある店の常連だったとしたら?」

 

「……その近くにいるって事?」

 

「生活圏自体は重ならない被害者達の唯一の共有出来るものが場所であるという時点で我輩は黒だと睨んだ。何故なら、着包野郎《サンドイッチマン》の顕現は多くの場合、情報の過多に拠る。つまり、一定空間内で特定の情報の入出力が増えた時に顕れる速度が増す。被害者達は奴に繋がる情報がある区画にある店の常連だったから襲われた。と、考えるのが自然だ」

 

「なる程……」

 

 藍が一応筋の通った説明に納得した。

 

「じゃあ、その店を特定をすればいいの?」

 

「いいや、店そのものは全員が別のところを使っていた。どちらかと言えば、奴の情報が溜まっているのは何故かを突き止める方が早い」

 

「具体的な突き止め方は?」

 

「そこでこの子の力が役に立つ」

 

 クストスが視線を向けるとアーシェリアが指先を数cm程伸ばしてウロウロし。

 

「!!」

 

 何かを感じ取ったのか。

 

 その指で小道の交差路の一角を指し示した。

 

「アーシェリアへ積んだ能力には触手関連情報の密度を観測する、というものがある」

 

「情報を観測って、どういう事? “あーしぇりあ”が見たり聞いたりしたって事?」

 

「いや、あくまで特定の情報の密度だけを観測するものだ。古典的な因果律観測法によって特定情報の増大に反応する魔眼の能力を擬似的に再現……あぁ、済まない。分かりやすく言おう。彼女は触手の情報が増えた場所が見聞せずとも具体的に分かる!!」

 

 藍の胡乱な瞳に申し訳無さそうに言い直したクストスが地図に小さな光の点を浮かび上がらせた。

 

「さっそくだが、最も情報の多い場所が明らかとなった。その周辺に情報源となる事物があるはずだ。それを探し出せば、相手が現在は一体何を拠り代としているのか分かるだろう。さっそく往くぞ。付いて来たまえ!!」

 

 クストスに全員が頷いて、走り出す彼の背中を追って動き出した。

 

 この一週間の間、長距離走をしてきた成果か。

 

 あまり息を切らさず。

 

 彼らは花街の一角。

 

 うらぶれた明かりの少ない場所へと辿り着く。

 

「この地点の情報に奴へ繋がるものがあるはずだ」

 

 グルリ周囲を見渡せば、平屋の戸は全て閉められており、明かりが付いているのも数件。

 

 遊女や芸者達は見えず。

 

 客引きの姿も無い。

 

 こんなところにどうして触手の情報が凝っているのだろうかと四人が首を傾げた。

 

「?」

 

 そんな時だ。

 

 手掛かりを探し始めようとした藍は小道の奥。

 

 井戸の置かれた場所に立つ雨避けと滑車を付ける為の櫓に目を奪われた。

 

「ねぇ、あの屋根のところ」

 

 すぅっと彼女が指差した先にあったものが周囲の明かりの揺らぎに照らされ、浮かび上がる。

 

「―――触手。いや、大蚯蚓か!?」

 

 櫓の屋根に描かれていたのは巨大な黒い蚯蚓。

 

 うねる姿は雄々しく。

 

 何かしら井戸の護り神として描かれたのだろう事は疑いようが無かった。

 

 クストスが瞳を細め、その画にしか過ぎないものを睨んだ時。

 

 ボッと周囲の木戸の合間から漏れていた明かりが一斉に途絶する。

 

「総員警戒態勢を取れッ。来るぞ!!」

 

「え!? こ、こんなところで!?」

 

「藍!! とにかく拳銃のツマミ!!」

 

「う、うん!!?」

 

 慌てて拳銃を取り出した藍は言われた通り、安全装置を外していつでも撃てるようにと琉風と背中合わせで周囲を警戒した。

 

 新火は息を僅かに切らせながらも、その両手に【東匠文字《イースタン・キャラクター》】が浮き出た陰陽方陣。

 

 光の円環を握り締めて、僅か半身に構える。

 

 最も落ち着いていた影近は懐から抜き出した拳銃を右手に、袖の中から取り出した筆を左手に持った。

 

「諸君。よく聞いてくれたまえ。これから侵蝕された相手が襲ってくるかもしれないが、倒そうだとかトドメを刺そうとは考えないで欲しい。君達に無用な罪を背負わせる気は無いし、相手は根本的に多勢と考えていいだろうからな。とにかく生き残る為にいなし、避け、身を守りながら時間稼ぎを頼む」

 

「そ、そんな事言ったって!? だ、大丈夫なの!?」

 

 藍は蒼い星明かりに照らされた周囲の建物の中から僅かに蠢く陰影を見つけて、ゴクリと唾を飲み込む。

 

「心配ない。その為に今まで君達を鍛えてきた。また、これ程に大規模な侵蝕が起こっているという事は誘い込まれた可能性が高い。前々から住人達が取り込まれていたかもしれん。下手な追撃や攻撃は“育った相手”の気を引いて逆に危険だ。我輩が大本を断ち、雑魚を狩る余裕が出来るまで耐えてくれ」

 

「分かりました。老子」

 

 影近が頷き。

 

「クストス様はこちらに気にせずお働きを!!」

 

 新火が自分の周囲に掌大の陰陽方陣をゆっくり増やしながら拳を握る。

 

「皆様へ直撃する致命傷はこちらで迎撃します。とにかく縁日の射的だとでも思って撃って下さい」

 

 ジャンビットが彼らの後ろで何やらギュッギュッと手袋を嵌めていた。

 

 紫の下地に金糸の刺繍。

 

 煌めく黄金の燐光を吐き出す幾何学模様が耀きを増していく。

 

「では、始めるぞ!!」

 

 クストスが櫓の方へと大地を踏み締め加速する。

 

 その前傾姿勢は地面に顔が付きそうな程だ。

 

 動きを察知したのか。

 

 怪紳士を止めるべく建物の戸や裏口、様々な隙間から灰色で斑模様をした触手が刺突する槍や剣の如く湧き出した。

 

 だが、追い縋る事は出来ても高速で左右に移動する背中を捉え切れず。

 

 30m以上あったはずの櫓とクストスの距離は一秒半で半分に縮まった。

 

「?!」

 

 しかし、最短ルートを最速で突破するという考えは読まれていたのか。

 

 櫓から10m手前で加速した肉体がほぼ直角に真上へと跳躍する。

 

 一瞬遅れてその鼻面を地面の下から湧き出した壁のような触手の槍が掠《かす》め。

 

 虚空を自らの紫紺の魔力で蹴ったクストスは左側の屋根へと着地した。

 

「来ますぞ。皆様方!!」

 

 ジャンビットの声とほぼ同時に周囲の通りから無数の触手が五人と一匹に襲い掛かる。

 

 誰もが暴漢くらいなら刃物を持っていたとしても、一人で抑えられるだけの訓練は受けている。

 

 学徒憲兵隊の基礎的な能力があれば、平均的な陰陽や魔術を使う輩も何とかなるだろう。

 

 しかし、四方八方から彼らを襲うのは純粋な物量。

 

 数えるのも馬鹿らしい乱杭歯や牙、吸盤状の刃。

 

 刺々しい事この上ない触手達は明らかに手に余る数に違いなかった。

 

 それでも恐怖に抗い。

 

 藍と琉風がこの数日教えられた通り、拳銃を発砲する。

 

 乾いた音。

 

 本来なら当ったとて、せいぜい触手の一部が抉れる程度なのだろうが。

 

 彼らに与えられた回転弾倉式のリボルバーに込められた弾丸は特別製だった。

 

「キシャ―――」

 

 ドガァアアアアアアアアアアア!!!!

 

 まるで見えない大槌で叩かれたような打撃音と共に幾本かの触手が凶器を刃毀れさせながら吹き飛んだ。

 

 薬莢が地面に落ちるよりも早く2発目、3発目が発射され、次々に敵を撃ち落し、押し返していく。

 

 その感激を縫うように精確な急所を射抜こうとする触手達はジャンビットの拳が迎撃していた。

 

 虚空に向けて素早い拳打を見舞っているようにしか見えない。

 

 が、四人の周囲にまるで見えない壁でもあるかのように近付いた触手が片っ端から打撃音と共に潰されていく。

 

 魔力による見えない打撃というやつだろうと琉風も藍も理解していたが、それにしても自分達の後ろからあらゆる方向に拳を見舞い続ける原理は謎だ。

 

 藍、琉風、影近の三人が銃弾を撃ち終えたと同時に新火の周囲で今までずっと増えていた陰陽方陣が独立して高速回転し、後方の全員を取り囲むように広がった。

 

「鋼《ゴウ》、千《ゼン》、連《レン》、反《タン》、殖《ショク》、焔《エン》、振《シン》、散《サン》、朽《キュウ》」

 

 呟きが零される度にその一文字を鏤められている方陣が虚空に溶けていく。

 

 だが、それは力を失ったのではない。

 

 通常の空間内から消えただけだ。

 

 経路《チャンネル》を辿って異相に潜り、目的の場所で現実に向けて発現する下準備。

 

 全ての言葉が終ると同時に彼らの周囲にある建造物内部で巨大な炸裂音と爆光が弾けた。

 

 触手が鋼の小さな珠《ボール》に潰され。

 

 相手への直撃と共に弾けて分裂した数百では利かないソレに穴だらけとされ。

 

 続けて打ち込まれる同じ攻撃に押し込まれ。

 

 多数の方向から見えぬ壁で跳ね返るソレに砕き散らされ。

 

 その度に増殖する攻撃の手数に引き千切られ。

 

 攻撃と攻撃のぶつかり合いによる熱量によって発火し。

 

 空気の分子振動が局所的に増大させられて白く燃え上がり。

 

 周辺へと散じて拡大し。

 

 肉体の大半から水素を強制的に分離させられて。

 

 ゴォォオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオ。

 

 超火力の白炎内部で無数の触手達が断末魔の悲鳴すら無く。

 

 次々に萎み形を失っていく。

 

「―――え、えげつなッ?!」

 

 顔を引き攣らせてドン引きする藍と仲間達にも気付かず。

 

 新火は周囲の地獄のような有様にも動じない様子で爽やかな笑顔となった。

 

「クストス様の敵は僕の敵です!!」

 

 彼らの周囲にある建造物が白い業火の拡大で呑まれていく。

 

 しかし、それでも触手の本体は健在。

 

 炎の奥には未だ巨大な図体をした肉の塊が炙られながらも蠢いている。

 

「でかしたぞ!! 新火君!!」

 

 ぱぁあああっとクストスの声に少年の顔が恍惚と耀く。

 

 彼らが後ろで戦っている間にも何度か別角度での突撃を掛けていたクストスは自分を阻む触手の量が減ったのを見計らって距離を3mにまで縮めていた。

 

 だが、此処に来て井戸が爆発する。

 

「な、何アレ!!?」

 

 彼らの前で崩壊した櫓の絵が真下から突き上げてきた数mはあるだろう太い図体の中へと消えていく。

 

 パクリ。

 

 まったく擬音にしてしまえば可愛いものだろう行為はされど相手の巨大さから笑えない。

 

「大蚯蚓……侵蝕された大本はコレか?!!」

 

 影近が拠り代を取り込んだうねる巨体を前にして筆を振り上げる。

 

「老子!! 例の技を試させてください!!」

 

「いけるか!? 影近!!」

 

「はいッ!!」

 

「ならば、我輩はこの巨体を止める!! 二十秒だ!! やり切ってみせろッ!!!」

 

「了解しました!!」

 

 一体、何の話をしているのかと彼らが尋ねるよりも先に影近の筆が奔った。

 

 炎に照らし出される筆先からは何も付けていないはずなのに液体が滴る。

 

 ガッと力強い線が虚空に刻み込まれ。

 

 その鮮やかな紅《くれない》が、周囲の業火の色にも匹敵するだろう色彩が、空間に描き込まれていく。

 

「むぅぅぅぅんッッッッ!!!!?」

 

 ギギギギギギギギィイイイイイイイイイイイイイイ。

 

 筆がギチギチと悲鳴を上げながら画板に見立てられた世界に擦り付けられ、その度に引かれる強い線が幾本も幾本も巨大化し、重ねられていく。

 

 その合間にも巨大な蚯蚓の肉体の至るところから放たれた超高速の触手を徒手空拳でクストスが迎撃し、時に引き千切りながら相手を押し返していた。

 

「こ、れでぇええええええッッッ!!」

 

 最後の一筆が虚空に横一線引かれ。

 

 たった三十秒にも満たない描画が終った時。

 

 柄が折れ、影近は叫んだ。

 

「解錠ッッッッ!!!!! 【羅城門業鬼《らじょうもんごうき》】!!!!!!!!」

 

 描き上げられたのは乂羅においては伝統的な朱塗りの大門。

 

 そのたった数十秒で虚空に描き出された紅の出入り口が彼の声に鳴動して、開いた。

 

 ガッッッッッッ!!!!!!!!!!

 

 突き出された怖ろしく太い何か。

 

 数十mはあるだろう倒れた塔の如き隻腕が何かを探して指を蠢かせ。

 

「今ですッッ!!! 老子ッ!!!!」

 

「了解だッ!!! ゆくぞ。はぁあああああああああああッッッッ!!!!!!?」

 

 大蚯蚓が自らより尚太きものに怯んだ瞬間。

 

 その根元にようやく触手を掻い潜って到達したクストスが腕を振り上げる。

 

「触手ッッッ!!!! アッパァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――」

 

 彼の袖から噴出した筋繊維を模した真白き塊が巨大化、数倍以上にも膨れ上がった。

 

 ガゴォオオオオオオオオオオオオオオオン。

 

 抉れこそしなかったが、白い巨拳の打ち当たった大蚯蚓の体が上空へと吹き飛ばされる。

 

 土埃を上げながら舞った巨躯がガッチリと白蝋のような爪と赤い指に掴まれ、悲鳴を上げる間も無く。

 

 門内部へ引き摺り込まれていく。

 

 何とか抵抗しようとした大蚯蚓が指の間から触手を無数を放ち、地面や掴めそうなものを片っ端から貫いて自らを縫い止めようとしたが。

 

「無駄だ。中位神格を滅ぼせるだけの実力が無い限り、その腕からは逃れられないッ!!」

 

 影近の無慈悲な言葉通り。

 

 僅かな土を手にしたのみで。

 

 何処とも知れぬ門の奥に引き込まれ、彼らの前で消えていった。

 

「閉《ヘイ》ッッッ!!!!」

 

 バンッと影近が両手を目の前で打ち鳴らす。

 

 すると紅の門がブチブチと触手を引き千切りながら閉め切られ、闇へ融けるようにして失せた。

 

 周囲の炎の先で揺らめいていた触手達が霧となって溶け。

 

 それを確認した新火が指を弾くと周囲の建造物を跡形も無く燃やした業火もすぐに途絶える。

 

「え、か、勝った、の?」

 

 思わず。

 

 本当に思わず。

 

 現実感の薄い壮絶な状況に自失していた藍が呟く。

 

 そこへパンパンと衣服の埃を払ったクストスが戻ってきた。

 

「諸君。初めての戦闘。ご苦労だった……影近、君の技と“背負った覚悟”に敬意を表する」

 

「いえ、自分が成すべき事をしたまでですから。それに先程から見ていて分かりました」

 

「?」

 

 クストスが何の事かと訊ねるより先に影近は何が触手の情報を増大させていたのか。

 

 その原因となったものは何だったのか。

 

 ハッキリと口にする。

 

「アレは、あの大蚯蚓の絵は……そして、たぶん周囲の人々を侵蝕させる要因になった原因を作ったのは……俺の家です」

 

「何だと? 一体、どういう事だ」

 

 思わず訊ねた師を仰ぐ紳士に影近は僅か視線を落として告げる。

 

「この一帯で触手……精確には蛸や烏賊と女体が絡み合う様子を描けた画家は家の人間くらいのもんです。たぶん、昔から書いてきた春画の一部を拠り代として【着包野郎《サンドイッチマン》】は活動してます」

 

 彼らの前で明かされた衝撃の事実に女性陣は目を丸くし。

 

 新火は影近の言うものを想像して、頭から湯気を出し、クストスは「むぅ」と唸った。

 

 クイクイ。

 

「?」

 

 まるで水を差すように金髪のエルフ少女が、今まで四人の間でウロウロしていたアーシェリアが袖を引いてから片手を影近に差し出した。

 

「ああ、お前もお疲れ様。かりんとう。食うか?」

 

 コクコク頷いた少女は先程までの戦闘の余波で程よく熱くなった菓子を口にして―――指先の触手で大きな○を作る。

 

「帰る前に銭湯へ寄ろう。煤けたままでは幾恵さんに見咎められるからな!!」

 

「何よ、それ……はぁ」

 

 気の抜けた藍が命掛けの戦いに身を投じた緊張からようやく開放されて溜息を吐き、これからどうなるんだろうとまだ見えぬ未来に思いを馳せる。

 

 彼らが去った後。

 

 巨大な魔力と熱量を感知して飛んできた再編中の防衛部隊及び官憲達は跡形も無く消滅した花街の一角を色役目と共に呆然と凝視し、京州で起こっている恐るべき事態を肌で感じる事となったのだった。

 

 そして、その中には法衣を着た教会関係者の姿もあり。

 

「ようやく見つけた……機関長に報告せねば」

 

 彼はそそくさとその場を後にした。

 

 *

 

―――数日後。

 

 ようやく長距離走にも慣れ、触手道に必要な基礎体力を身に付けつつある四人は竹林の中、ジャージ姿で座り、クストスの講義を受けていた。

 

 大蚯蚓の一件が終ってから何やかんやと彼らは忙しかった。

 

 それは特別捜査隊の活動報告書類の作成だとか。

 

 使用した消耗品に関する書類だとか。

 

 触手道に対する感想文や指摘だとか。

 

 そう言ったものの提出を求められたからである。

 

 その為、彼らの顔には一様に隈が浮き出ており、疲労が濃い。

 

 だが、それも仕方ないだろう。

 

 仮にも花街の一区画を消滅させてしまったのだ。

 

 完全に侵蝕され切った化物の群れが襲い掛かってきたから、とはいえ。

 

 正当防衛だとしても元人間を“殺した”のは事実である。

 

 まぁ、決め手は侵蝕の大本である大蚯蚓を倒した影近の召喚であったので、特に彼だけは提出する書類の多さに追われていた。

 

 触手が書き込まれた春画が【着包野郎《サンドイッチマン》】の拠り代として使われているという彼の推測がその多忙さを後押ししたのは間違いない。

 

 その後の予備調査、周辺への聞き込みや実家からの聞き取りで彼の推測は裏付けられたのだ。

 

 となれば、また別の書類の作成が必要になるのも仕方ない話だろう。

 

 そういった裏付けする書類の提出も重なって、今や影近が最も講義中の寝落ちに近い。

 

 クストスの助言で学徒憲兵隊の上層部が動き、現在出回っている春画の検閲が京州では既に開始されている。

 

 触手の描かれたものは貴重な文献として国外の“展示会”に送られるという名目の下に回収がされており、とにかく返すから貸してくれという問答が警察機構や御政体の役人達とその手の収集家や一般家庭の成人男性との間で問題になっているという。

 

 それ持ってると化物になるよ、なんて事をぶち上げれば、一気に恐慌状態にもなりかねないし、それで侵蝕活動が早まるのも頂けないと現場の人々には何も知らされていない。

 

 故に『よりにもよって触手の描かれた春画の展示会だなんて物好きな……』と。

 

 不審に思いながらも問答をする当事者達は上層部からの命令を執行している。

 

 苦しい言い訳であったが、新聞にはもう手が回っているらしく。

 

『我が邦の性風俗が海外の倫理・道徳事情を変える?!!』

 

 という見出しが近頃は人気の記事となっていた。

 

「ねむ……眠過ぎ……」

 

 本日は夜の三時まで書類提出。

 

 ここ数日続いていた仕事がようやく終わったとはいえ。

 

 すぐに体調が戻るわけでもない。

 

 クストスの声を左から右に聞き流さぬよう気を張りながらウツラウツラしていた藍はついに限界を迎えつつある睡魔との格闘を諦め、バッタリと枯れ笹の上に倒れ込んだ。

 

「むぅ。さすがに寝不足か」

 

 クストスは今までの講義を一端止めて、今までよく起きていたものだと藍の根性に感心しつつ、やはり同じようにもう寝てしまいたいとの誘惑に駆られている三人の姿を見て、しょうがないと頬を掻く。

 

「では、これより三時間の昼寝休憩とする。各自、そこで眠っていてくれ。枕が必要だと言うものは申し出るように。アーシェリア!!」

 

 呼ぶと竹林の中からガサガサと這い出してきたのは“本来の美しい姿”をした新隊員。

 

 幾本か土塗れとなった触手の塊だった。

 

 その頭?には掘って来たばかりらしい筍《たけのこ》の入った籠《かご》が載っている。

 

「彼らの枕代わりになってやってくれ。警護は任せたぞ。ジャンビット」

 

「はい。我が主の頼みとあらば」

 

 寝落ち寸前の三人の後ろで老給仕が片腕を曲げて頭を下げた。

 

「では、我輩はこれから少し所用で出てくる」

 

「いってらっしゃいませ」

 

 ジャンビットの横でブンブンと触手の何本かを降ってアーシェリアがクストスを送り出した。

 

「もう、ダメ、だッ……」

 

「ぅぅ、ありがとうございまふ。くふとふはまぁ……」

 

「おやすみなさい。あ、枕は要らないから……」

 

 バッタリと影近は倒れ臥し、フラリと新火はギブアップして顔面から俯けとなって落ち、唯一触手枕を拒否した琉風が笹の葉の中で身体を丸めて瞳を閉じる。

 

 男子は粘液の出ていないフニュフニュとしたアーシェリアの触手に頭を乗せて就寝。

 

 女子は断固触手拒否……もう寝ているはずの藍すら枕になろうとしたアーシェリアの触手を無意識なのか手で押しやりながら眠るという器用な事をしていた。

 

「……ふむ。来ましたな」

 

「?」

 

 何が来たのかと先達であるジャンビットの声にアーシェリアが触手の一部を?の形状にする。

 

「世の中、そう上手く事は運ばない。そういう事ですよ。運命の消え失せた世にも柵は残る。我が主も人の織り成す過去という頚城からは逃げられない。いや、だからこそ、立ち向かってきた……」

 

 分からない様子の後輩に老給仕は肩を竦めた。

 

「まぁ、我々のような部外者には応援する事しか出来ません。人が何処まで往くのか。それは……きっと、今を生きる人々が決める事なのでしょう。我が主にもその一人であるという自覚を持って貰いたいものですが、それはこれからに期待、というところでしょうか」

 

 クエチョンマークを触手で増やしながらアーシェリアは結界の外で大きな激音が響くのを観測した。

 

「では、そろそろ七厘などを取り出しまして。はい。どうぞ」

 

「?」

 

 鉄箸を渡されたアーシェリアが不思議そうに触手を揺れさせる。

 

「食材は持ってきました。調理器具は鉄箸があれば十分。主と皆さんの昼食時までに済ませてしまいましょう」

 

 暢気この上ないジャンビットが小さな炭入りの七輪に魔術で指先から火を入れ、団扇でパタパタ扇ぎ出す。

 

「まずはコレを炙って……」

 

 ひょいと何処からか取り出された一匹そのままのスルメが網の上に乗せられた。

 

「ああ、何か焼きたいものがあれば、どうぞ」

 

「………」

 

 ひょい。

 

 アーシェリアが何処からか取り出した粘液塗れの油紙の中から黒く細いものを取り出す。

 

「かりんとう、ですか。ふむ……斬新だが、塩辛いものだけというのも何ですからな。やってみましょう」

 

 触手が四本、器用に二つの箸を繰り、七輪の端で菓子を炙り始める。

 

 老給仕と触手の塊が七輪でスルメとかりんとうを焼くという怖ろしく奇妙な構図が出来上がったものの、ツッコミ役は不在で夢の中から帰ってくる様子もない。

 

 数分後、再びの激音が竹林内部に響いてくるも、誰一人として起き上がる者は無かった。

 

 *

 

 まだ昼時には早い時間帯。

 

 学徒達も新校舎で学業中という状況。

 

 竹林からすぐのところにある運動用の小山の裏手にクストスは出向いていた。

 

 月齢館の部外者監視用の陰陽は鳴っておらず。

 

 そういったセキュリティー類は欺瞞されているのだろうと怪紳士は相変わらずの手際にさてどうしたものかと悩む。

 

 その微妙な表情にフードを脱いだ彼が剃り上げた禿頭を晒して呟く。

 

「五年ぶりか」

 

「まぁ、君と我輩も彼是百年近い。男女ならば添い遂げていてもおかしくない時間だ。しばらく離れていた事はそれなりに評価していい事ではないかね? 時間とは最良の融和策だよ」

 

「気色悪い事を言うな。この化物め……私はお前の如き世の悪を封殺する為、我が身の時を封じているのだ。貴様が何千年前からいるのか知らないが、【異端神絶官《インクィシスト》】を舐めるな」

 

 にこやかならば、二枚目で通るだろう男の顔が尋常とは言えない様子で歪む。

 

 その怒気と共に法衣に浮き出る筋肉が彼の鍛え上げられてきた年月を顕しているようだった。

 

 実際の圧力を伴う僅かな衝撃が彼の肉体の周囲にある草を揺らしていた。

 

 魔力だの魔術だの超常の能力だのではない。

 

 単なる筋繊維の震えが大気を震わせ。

 

 否、叩いているのだ。

 

「ルクス。これは提言なのだが、しばらくの間……停戦しないかね?」

 

 ビキビキと男の、ルクスと呼ばれた彼の額に怒りの為か血管が浮かぶ。

 

「何の為にだ。まさか、貴様の追っている存在を倒すから、などと言い始める気か」

 

「そうだが。何かおかしいだろうか? 人々を守る為だ」

 

「その口で今までどれだけの者を丸め込んだ?」

 

「君とて【着包野郎《サンドイッチマン》】の被害は知っているだろう」

 

「だからと言って、貴様が今まで行ってきた事を正当化出来ると思うな」

 

「人の世を守る為、無垢なる魂を狩り続けてきた事は……遺憾に思う。しかし、それもそろそろ最後としたい」

 

「今まで何人の子羊を手に掛けてきたか言ってみろッ!!!」

 

「四万五千六百三十二人だ」

 

「―――ッッッ」

 

 ギリギリとルクスの歯が毀れそうな程に軋む。

 

「一人とて顔を忘れた事はない。彼らの魂《たま》を次の未来に送ったとしても、我が罪は世の終わりまで積み上がり続けるだろう。だが、報いる事は出来る。それが我輩に出来る唯一の事だ」

 

「……化物め。やはり、貴様は死なねばならないッッ!!!」

 

 その顔の歪み切った男。

 

 いや、鬼の如き者を前にしても怪紳士はただ悲しげな顔をするだけだった。

 

「君相手に優しくしてやれる程、我輩も時間が然程残っているわけではない。我が“聖堂”を前にして前回のように敗北する事は覚悟の上かね?」

 

「上等だ化物……」

 

 ゆったりとした法衣が全て筋肉に張り詰めた。

 

 尋常ならざる肉体。

 

 しかし、単なる鍛えただけの肉体。

 

 それが産み出す力など魔術や超常の力に比べれば微々たるものだろう。

 

「貴様が殺してきた者とて、救われるだけの可能性を持っていたはずだ。それを否定した貴様に人間の進歩する可能性というものを教えてやるッ!!!!」

 

(ああ、まったく……これだから、やり難い……)

 

 ルクス。

 

 今や筋肉の化身と化した“若者”の怒気に老紳士は思う。

 

―――顎を何時の間にか拳で打上げられながら、想う。

 

(昔の自分を見ているようで……嫌いになれないな……フィアト・ルクス……最後の【異端神絶官《フィニーラー》】よ)

 

「ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッッ!!!!!!!」

 

 巨大な筋力が産み出す純粋物理打撃。

 

 それがクストスの肉体を常識的には在り得ない速度で加速させ、その衣装ごと大気層との摩擦熱と断熱圧縮で焼き付かせた。

 

 が、肉体が竹林の外へと吹き飛ぶより先に黒い靄のような空間が彼の背後に出現し、内部へと肉体を引き込んでいく。

 

 それを追ってルクスは地面を蹴り付け、地表を爆裂させて一歩でその内部へと踏込んだ。

 

 二人が消えた靄はすぐに閉じられて霧散。

 

 後には突如として爆発した小山の裏手を確認しようと走ってくる警備員の姿だけが残されたのだった。

 

―――キリキリキリキリキリキリキリ。

 

 まるで鋸を引くような音と共に暗闇を通り抜けたルクスは巨大な教会の中にいた。

 

 藍と琉風。

 

 二人が初めてクストスと出会った場所だ。

 

 音色の中心は巨大な柱の一つ。

 

 まるで天井が見えない為、闇の奥で一体何が行われているのか。

 

 落ちてくるものが無ければ、分からないだろう。

 

 白い粉。

 

 それは切り出された大理石の屑だ。

 

『我が聖堂にようこそ。これで三回目となるな。此処に三度入った敵対者は君で二百五十人目だ』

 

 クストスの声が響く。

 

 しかし、その姿は見えない。

 

 それでもルクスは周囲を警戒し、過去多くの前任者を退けて来た男の手練手管を反芻していた。

 

 遺された情報は幾つもある。

 

 戦う度に相手の強さを思い知らされた者達は打倒する為の機会とヒントを幾つも後任へと引き継いでいる。

 

 それでも未だ倒せない真の化物の実力は正に底が知れないものだ。

 

(不用意に動くな。此処は奴の領域。感覚を研ぎ澄ませて、物質の流れを読み切れ。此処にあるモノの動きには全て意味がある。己《おの》が身一つだけが対抗する術。空気の一欠けすら信用するな)

 

 ジリッと足先の指が僅かに床を踏み締め。

 

 腕がいつ如何なる時も反応するべく前に構えられる。

 

『良い構えだ。その歳でその階梯に到達する若者は今の旧教会にも極僅かだろう』

 

「貴様が教会を語るか」

 

『語るとも。我が聖堂に三度入った者には事実を授ける事となっている。これは【降臨機関《アドヴェンテ》】の機関長たる彼女とも合意した事だ』

 

「―――何故、貴様と機関長が合意などする!? どういう事だ!!」

 

 初めて。

 

 ルクスの瞳の色が僅かに揺らいだ。

 

『七教会に追いやられたとはいえ。旧教会派の主力組織は未だ健在。そもそも教会の人(・)間(・)が(・)治(・)め(・)る(・)部(・)分(・)を聖女達に平和裏且つ合法的手段で奪われただけだからな。【叙事詩機関《エピコス》】【天領査察機関《ドミネーツ》】【異郷観測機関《マーナ》】【降臨機関《アドヴェンテ》】全ての機関において人的損害も無かった。彼らが我輩との合意に手を加える必要性を感じられなかったのも仕方ない話だ』

 

「一体、何を言っている……」

 

『ルクス。君は我輩を単なる触手の化物だと思っているようだが、それは半分正解で半分間違いだ。その証拠を見せよう……君から見て左にある八番目の長椅子に刻まれているモノを読んでみるといい』

 

「………」

 

 クストスの意図がまるで分からなかった彼は……しかし、未だ姿を見せない相手の言葉に慎重に対応した。

 

 ザッと飛び上がって言われた場所を凝視し、すぐに地面へと着地する。

 

―――EX.DOME.C。

 

「まさかッ?! 本当に此処が“聖堂”だと言うのか?! いや、そんな事はッ?!! 貴様が自ら掘り込んだ“まやかし”ではないとどうして言える!!?」

 

『ならば、周囲の椅子なり柱の下なり、何処でも好きな場所を見てみるといい。勿論、刻まれ方から列記法、発される気配から力まで……全て我輩の作ったものだと言うならば、それはそれで構わない。あくまで思考の片隅に置いてくれるだけでもいい』

 

「くっ」

 

 ルクスが長椅子の並べられた中央の道を歩きながら周囲の柱や椅子に刻まれた文字を見つけていく。

 

―――EX.TUNICAE.PP。

―――EX.VESTE.REG。

―――EX.INDUMENTIS.D。

 

 一体、彼が何にうろたえているのか。

 

 “元教会関係者”だからこそ、クストスには手に取るように分かった。

 

 今、彼が見ているのは歴史に名を残した者、そうでない者、また闇に葬られた者達の名も無き証。

 

 爪で刻まれたモノもある。

 

 血と指で刻まれたモノもある。

 

 聖なる短刀で彫られたモノもあれば。

 

 朽ち果てた劔《つるぎ》の錆が付いたモノもある。

 

『それが見えるようになったのは君が信徒としての階梯を上がり、人間として、存在としての高みへと入ったからだ。また、彼らの名が記されていないのは、古くは彼らそのものに名が無かったからでもある。己で刻んだ者もあれば、自らの証を立てられぬ者を不憫に思い、此処で暮した者が描いたモノもある。人は人自身の真名《まな》を名付けるようになるまで多くの時間を要した。人類の記する有史が教会と共に始まったのは五千年前。それ以降も本当の名を持つ者は“野の聖”には少数だったのだよ』

 

 ルクスが厳しい顔で凝視した柱の一角にようやく名前と共に記された文字列が見付かる。

 

「馬鹿な……これは……二百年前のッ?!」

 

 明らかに狼狽した様子の彼を見て。

 

『ああ、彼は良い男だった。息子に全てを託した事を気に病んでいた。最後は【総主教《パトリアルヒス》】ではなく。一人の人間として生きる事を望み。病で息を引き取った……』

 

 ふわりと遥か頭上の闇からクストスがその背後に降りてくる。

 

「時代時代の折に出る社会から見放された者達の一部もこの聖堂において命を終えてきた。此処は彼らの墓標であり、同時に全ての犠牲者達を弔い続ける安息の地でもある……若者よ。見るがいい……これが我輩の戮《りく》してきた命達……そして、我輩を頼り、頼られた子羊達の寝所だ」

 

 バツン。

 バツン。

 バツン。

 バツン。

 バツン。

 バツン。

 

 十二本の巨大な柱が二つずつ左右から灯りによって遥か頭上まで照らし出されていく。

 

 今まで全てを覆っていた闇は天の頂にまで遠ざかった。

 

 そうして、ルクスはその柱に見た。

 

 見て、しまった。

 

「―――――――――」

 

 安らかな者もいた。

 

 悍しい者もいた。

 

 幼い者がいた。

 

 老いた者がいた。

 

 欠けた者がいた。

 

 余った者がいた。

 

 歪んだ者がいた。

 

 捻れた者がいた。

 

 潰れた者がいた。

 

 焼かれた者がいた。

 

 そも人間ではない者もいた。

 

 しかし、誰もが平等に柱に身を埋めている。

 

 胎児のように身体を丸めて。

 

 あるいは一部だけで。

 

 最も新しい寝所《ぼひょう》。

 

 その中には、切り出された大理石の屑が落ちてくる場所には“獣人の男”が納まっている。

 

『看取ってくれる者がいるか。あるいは葬って貰える者は置いてくる決まりだが、様々な意図から墓を暴かれる可能性がある者も出来る限り受け入れてきた。尋ねた時、自らを諦める事で他者を救おうとする者もあったし、政治的な判断で異端者として狩られた者も在る。戦乱の中で裏切りに没した王や自ら飢えに苦しみながらも水を差し出した幼子。その身を食らわせて我が子を生き残らせた母親に人々を救うべく神へ身を捧げた男《おのこ》。他にも数え上げれば、此処にいる聖人は切りがないな。感じるだろう? 彼らが為した偉大なる業、聖なる行いが彼ら自身を高めている……誰も皆、この大陸が生み出し、我輩が愛した本当の意味での聖《ひじり》ばかりだ』

 

 ルクス。

 

 彼さえ知っている教会の偉人達。

 

 それも行方不明となった者がまるで歴史の教科書に載せられるような気軽さで支柱には複数埋まっていた。

 

 同時に知る顔も知らぬ顔も、ただ一部の者さえも、例外なく力を湛えているのが分かる。

 

 理解する必要すら無い。

 

 巨大な気配。

 

 世に四百以上あると言われる個々人が持つ魔力の類型。

 

 魔力形質の全てが励起され、混沌と渦巻く様子は如何な極致に達する魔術師にも達成困難な情景だろう。

 

 無数の力と無数の能力と無数の原理に染められて、銀河の星々を思わせる魔力の耀きは一つ一つ違う色を鏤《ちりば》めて、柱を耀かせている。

 

 柱と一体化した者。

 

 魔力を滾々を湧き出させ続ける者。

 

 他者の能力を仲介し、多くの魔力を纏める者。

 

 それに形を付ける者。

 

 刃のように研ぎ澄ます者。

 

 死して尚、誰一人として無駄な事をする者は無い。

 

 誰の屍もたった一つの墓所《カタコンベ》と共に奇蹟の如く在った。

 

「此処は……此処自体が【聖遺物《レリクイア》】の集合体だとでも言うのか……」

 

「魂を失った彼らの肉体を本当なら大地に返してやるべきだろう……だが、我輩には奴を滅ぼすに足る力が無かった。この数千年で我輩が培ってきた力は我が御手による救済と引き換えに得たものなのだよ」

 

「貴様は一体、何なんだ!?」

 

 ルクスの畏れとも怒りとも付かない顔に真白き触手を身に纏う男は答える。

 

「もう見えているだろう? この地の名が……」

 

 ルクスが巨大なステンドグラスに目を向ける。

 

 今まで二度も見た事があったはずの絵の中央。

 

 触手の塊の中に掘り込まれていた文字。

 

―――EX.PETRA.B.C.D.E.F.M.PP.REG.S.OVER。

 

「………」

 

 その頭を丸めると決めた日以来だろう心底の沈黙。

 

「我輩を蔑むかね? 若人よ」

 

 その問いに彼は思う。

 

「いや……」

 

 心底に思う。

 

 目の前の過去に囚われた者達の姿に。

 

「だが、一つだけ決めた」

 

 彼らをそのままにしておく事は出来ないと。

 

「“貴方”が例え、何者だろうと。この地が彼らの安息の地なのだろうと」

 

 法衣が裂ける。

 

 その全身の筋肉が一度膨れ上がり、同時にギリギリと誡められるように細く細く密度を増していく。

 

「この行いが間違いだろうと。我が教典に叛く事になろうと」

 

 ィィィィィィィイイイイイイイイイイイイ。

 

 脈動する血管の内部で血液が高周波を出す程に早く流れ、生体が人体限界を遥かに超えて強く堅く熱く締っていく。

 

 蛋白質の塊では到底成し得ない拍動。

 

 人体内部に存在するには多過ぎる数千リットルもの血液。

 

 肉体の基礎である細胞すら重く重く人には過ぎた重量を獲得し、一つの事象を得る為に爆発的なカロリーを消費して、次の強化へと備えていく。

 

「私は信仰者であり、この身は世の為に使い尽くす器だ」

 

 フィアト・ルクス。

 

 旧教会派四大機関。

 

 大陸に生ずる神魔の調伏・監視を司る【降臨機関《アドヴェンテ》】に所属する第一級【異端神絶官《インクィシスト》】。

 

「聖なる者よ。その過去を護りし力に敬意を評する。だが、此処から先は未来」

 

 構えた左の拳が地面に向けられ。

 

 高められていく力の本流をたった一本の腕に集約していく。

 

「時代は、今は、人を求めている。故に……遍《あまね》く世で須《すべか》らく……我等は神魔《じんま》を断つ剣《つるぎ》と成りて、御夜《みよ》の禍《まが》つを打ち祓《はら》わん」

 

 光が、腕を染めていく。

 

 それは眩くも激しくも美しい。

 

 複数の光の命《らせん》を描いて始まりと終りを肘と拳で繋いだ。

 

 二重螺旋。

 

 三重螺旋。

 

 四重螺旋。

 

 五重螺旋。

 

 それは蛋白質生合成を支配する物《DNA》の顕現ではない。

 

 人が認める人とは根本的に違う者達。

 

 器質が異なる魔族血統。

 

 基盤が異なる珪素生物。

 

 原理が異なる魔力生命。

 

 真理が異なる神格事象。

 

 男が倒してきた“異なる者達”が到達した自己保存の為の羅列《じょうほう》の一部だ。

 

 高次の生命と化した新たなる神にして魔。

 

 生まれ出でる災厄は常に己の保護を怠らない。

 

 倒し、手に入れたソレは人間よりも遥かに複雑な構成情報として個人を保全する。

 

 そんなものがたった一人の肉体に上乗せされ、強制的に魔力を持って発現されていく。

 

 本来ならば、自殺行為だろう。

 

 水しか入らない硝子の器に溶岩や高温の液状化した金属を流し入れるようなものだ。

 

 当然、罅割れて壊れるのが定め。

 

 だが、男は例外か。

 

 灼熱する血が数千度に達し、全身が燃え上がろうと。

 

 沸騰する細胞が流入する力によって破壊と再生を繰り返そうと。

 

 構わず。

 

 力が高められていく。

 

「……天使に憬《あこが》れた者達の技か。随分と懐かしいものを……」

 

「ゆくぞ。人を護りし、過去の遺物よ……人の未来を生むのは人のみだと知れ!!!」

 

 男が走り出した。

 

 その手を染める五重の力場を引き摺って。

 

 突き出せば、山岳を幾つ貫通し、大海を宇の果てまで貫くか知れたものではない。

 

 だが、その眩い姿に嬉しそうな顔すら見せて。

 

 男は正面から突撃してくる子羊に告げる。

 

「君が今までの二百四十九人と同じ。人を信じる者だと知って、我輩は本当に嬉しく思う。故に」

 

 ザッとクストスが片腕の袖を捲くり、触手で腕を覆った。

 

 その表面には向かってくる男の腕に在る耀きと同じものが、より洗練された幾何学模様と化して顕現していく。

 

『ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッッ!!!!!!』

 

 もう人の声とは言えない雄叫びが聖堂を鳴動させ、収束する力の大きさに空間が撓《たわ》む。

 

「その想いに全霊を持って応えよう。この罪《つみ》、この咎《とが》、この罰《ばつ》、この贖《あがない》は―――我輩だけのものだ」

 

 突き出される五重螺旋の一撃は当たれば、半身を粉々とし、腕は貫徹するだろう。

 

 だが、それよりも先に振り上げられた真白き大きな腕が振り下ろされる。

 

「触手チョップッッッッッッッ!!!!!!」

 

 ゴガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!!!!!!!!!!

 

 真上から降り注ぐ腕と全てを貫こうとする腕が交差《クロス》する。

 

 膨大な魔力の爆風に本来ならステンドグラスも長椅子も消し飛んでいなければおかしかったが、あらゆる者が【聖遺物《レリクイア》】で構成された聖堂は衝撃と拡散する魔力を自らの内へと呑み込みながら、威力の全てを減衰していく。

 

 ギガァアアアアアアアアアアアアアアアアアア―――。

 

 高まり続ける両者の腕に廻る力は拮抗したかに思えた。

 

「?!」

 

 が、すぐルクスは気付く。

 

 己の纏う耀く螺旋へビキビキと罅が入っていく事に。

 

「不思議かね?」

 

「くッ!!?」

 

「同じものならば、より洗練されたものが勝つのは道理だ。だが、根本的に我輩と君には違うところがある」

 

「何、だと?!!」

 

 ガ、ギィィイイイイイイイッッッ。

 

 貫こうとする腕が真上からの力に負けて、膨大な火花と魔力の光を散らしながら下がっていく。

 

「異なる力を一つにするのは何も特別な事ではない。要はそれを如何に続けていくかだ。それに付いてはこちらに一日の長があるのだよ」

 

 ガギャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッ!!!!

 

 ついに罅割れが限界に達した腕が真上からの圧力に負けて半ばまで拉《ひしゃ》げた。

 

「我輩は“人間”だ。だが、触手を受け入れ続けている……一つになる事と共に在る事は違うのだ。全てを無理矢理に纏めようとする君と共に成り立つ我輩。一つと二つ。どちらがより安定し、強いか。自明ではないか!!」

 

「―――ッッ?!!!」

 

「これぞ触手道奥義の真髄【二者響芯《ミクスタ・レゾナンティア》】」

 

 バガァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアン!!!!

 

 ルクスの腕が半ばから断たれた。

 

 その瞬間、溢れ出した力は爆発的に膨れ上がり、両者の至近で炸裂する。

 

 耀きに呑まれる瞬間。

 

 紳士は静かに語った。

 

『出直してきたまえ。それまで我輩が生きている保障は出来ないが、待っているぞ。猛《たけ》き若人《わこうど》よ』

 

 聖堂が暴発した魔力と衝撃と熱と光と圧力によって塗り潰され―――其処で彼の意識は途絶えた。

 

 今までの249人と同じように我が身の至らなさに歯を食い縛りながら………。

 

 *

 

―――???

 

 ォォォオオン。

 

 闇の中で何かが響き途絶えた。

 

 畏れを持って称されるソレは身動ぎもせず。

 

 唇の端を曲げる。

 

 敵。

 

 そう、敵が来たのだ。

 

 誰にも分かる程に明確な力を迸らせて、追ってきたのだ。

 

 ならば、どうする。

 

 何とする。

 

 戦うべきか。

 

 守るべきか。

 

 逃げるべきか。

 

 選択肢は無限。

 

 だが、今まで逃げ続けてきたし、守り続けてきた以上は戦う事も必要だろう。

 

 何故ならば、ようやく敵は力を付けた。

 

 戦うに相応しいだけの相手となった。

 

 孤高に。

 

 孤独に。

 

 自らを高め続けた成果はたぶん長くは持つまい。

 

 遥かなる時の流れに擦り切れてしまうには惜しい。

 

 それにずっと会っていないのだ。

 

 夜を只管駆け抜けて。

 

 追ってくる者に背を向けてきた。

 

 今どんな姿をしているのかすら分かりはしない。

 

 しかし、一つだけ確信がある。

 

 きっと、敵は無様でも無ければ、老いてもいない。

 

 十全に万全にあらゆる策略を張り巡らせて。

 

 標的を仕留める為の手札を揃え。

 

 刃を研ぎ続けている事だろう。

 

 だからと言って討たれるつもりは無いし、負けるつもりも無い。

 

 狩人が獲物を得ようとするように狙われる者にも生きる理由とやらがある。

 

 譲れぬ信念と決して曲げられぬ意思がある。

 

 力が互角ならば、後はその折れぬもの同士のぶつかり合いだけが勝敗を決するだろう。

 

 その時は近い。

 

 きっと。

 

―――何処とも知れぬ闇の中で早くやって来いとソレは笑む。

 

―――人代《じんだい》を護る為に生きる彼と世を守るからこそ死ねぬ敵。

 

―――その最後の激突を永劫の黒に浸り、待ち侘びながら………。

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