※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

190 / 318
第六章「絶望?! 触手の見た世界!!?」

第六章「絶望?! 触手の見た世界!!?」

 

 その明かされた事実。

 

 そして、現在自分達の身に何が起こっているのか。

 

 それを端的に説明された特別捜査隊の面々は巨大な塔の展望スペース。

 

 都市全域を見渡せる硝子張りの壁の中。

 

 重苦しい空気を醸し出し―――ていなかった。

 

 ○。

 ○。

 ◎。

 

 触手状態のアーシェリアが現在『かりんとう』からかなりグレードアップした食料。

 

 羊羹(ようかん)を影近から貰い至福?の様子で○を作り続けていたからだ。

 

 近頃、軍用食の一つに常温でも保存が利く菓子が出ており、非常食代わりにと無事だった学生寮の食料庫から持ってきたのが数分前。

 

 ジャンビットが携帯式のティーセットを何処からか持ち出してきてお茶を入れてくれた為、深刻な事態を告げるはずの時間は深夜過ぎのティータイムと化していた。

 

「それで分かってもらえたかね?」

 

 クストスの問いへ真っ先に応えたのは新火だ。

 

「つまり、クストス様と僕の敵は神様で、クストス様は輝かしい触手であり、同時に昔は旧教会派にも在籍していた事のある実力者であり、その知り合いの方による【多重投影写連結界《マルチプレス・ファヌム》】が都市周辺の空間の連続性を解消しつつ、特定の対象を異相側の空間へ可能性紐として括り付けたんですね!!」

 

「ああ、そういう事だ」

 

 大仰にクストスが肯定する。

 

「うん。全然分かんない。ねぇ、新火君……分かるように言ってくれない?」

 

 藍が呆れた視線となる。

 

「さすがに陰陽とか魔術初級者には厳しいと思うの……」

 

 琉符が頬に手を当てて、分かりませんという潔い笑顔となる。

 

「え? 分かり易くなかったですか? 皆さんの階梯に合せて、これでも東部にある時空間連続体の結節点をどうやって見つけ出したのかとか。結界維持用の特異点なんてものをどうやって生み出したのかとか。結構、省いたつもりだったんですが……」

 

「済まん。新火……さすがに本職のことは俺にもさっぱりだ」

 

 影近がポリポリ頬を書く。

 

「そうですか。僕の専門は方陣設計なので、かなり本職の方から見れば、知識量で劣ってるはずなんですが」

 

「馬鹿にしてる?」

 

「え? え?」

 

 半眼の藍の言葉に新火がオロオロした。

 

「で、では、皆さんにも更に分かり易く……ええと」

 

「このようなもので良ければどうぞ」

 

「あ、ありがとうございます。ジャンビットさん」

 

 一枚の真っ白な用紙に黒炭の粉が入った袋を渡されて、新火が全員の中央に紙を置いて上に黒炭の粉を流し入れる。

 

「では、三十分くらいで全部分かるようにお話しますね」

 

 他の三人は絶対に三分じゃ分からねぇんだろうな、という遠い瞳をした。

 

「まず、都市全体を現在特殊な結界が覆っています」

 

 ザラザラと黒炭が白い紙に付く事もなく都市の全景と半円状の結界を描き出した。

 

「この結界の効果は幾つかあるので一つずつ説明を。まず、効果領域内部に存在する可能性を整理して別の空間に配置し直す。つまり、内部で起こり得る全ての事柄を別空間内で実現出来るようにする事が出来ます」

 

 藍が手を上げた。

 

「ええと? どういう事」

 

「此処はもう一つの現実だと思ってください」

 

「それにどんな意味があるのか分からないんだけど」

 

「では、藍さん。貴女が現実の都市で銃を撃ったとします」

 

「うんうん」

 

「で、その銃弾で高価なものを破壊してしまうとします」

 

「う、うん」

 

「普通ならこの時点で弁償ですが、この結界内から転写された可能性の紐付けられた空間での出来事ならば、無かった事に出来ます」

 

「う、ん? 今、凄い事言わなかった?」

 

「ええ、無かった事に出来ます。此処でならば、何が起ころうと何を壊そうと死のうと朽ちようと消滅しようとほぼ例外なく無かった事に出来るんです!」

 

 どうです?

 

 凄いでしょう!!

 

 そんな顔で何故か新火が誇らしそうな笑みを浮かべる。

 

「……やっぱり、此処あたし達の京州じゃないんだ」

 

 何となく感じていた事を藍が呟き、新火が肯定する。

 

「ええ、結界が生み出したもう一つの都市と言えばいいと思います」

 

「じゃあ、こっちで負傷したり、死ぬような事があっても、あっちの世界に戻れば生きてるって事?」

 

「その通りです。こんな感じですね」

 

 都市全域の下にまるで反転したような図が黒炭に溝を付ける事で描き出される。

 

 更に都市の幾つかの建物に罰印が付けられたが現実はそのまま。

 

「異相側の空間に転写されたのは現実ではなく可能性。そして、その再構築による幻影。ですが、この内部で起こった事は全て可能性扱いで投棄が可能。僕達は現実の僕達が持つ可能性が結界によって内部に顕現した姿と言えるでしょう」

 

「え、本人じゃないって事?!」

 

「いえ、この結界が凄いのは此処からです。通常、この手の大規模な因果律制御系や可能性制御系なんて術は時空間干渉系と合せて“失敗しちゃう系”なんて言われてるんです。成功率も低いし、そもそも成功しても融通が利かない事の方が多い。で、この系統の術は一時現実から切取った可能性を貼り付けておく事しか出来ない。つまり、今藍さんが言ったように本人と呼ぶには聊か問題がある程度の密度の薄い情報量しか持ってこられないはずなんですが……」

 

「で、ですが?」

 

「この結界は時間差0で現実から全てを写し取り、同時に結果を現実へと反映して双方向のやり取りをしてます。つまり……こう、なるわけです」

 

 表と裏。

 

 双方の都市の間に双方向の矢印が幾つも描き出された。

 

「ふ、ふ~ん。で、結局。此処にいるのは本人て事?」

 

「ええ、現実に投げる結果に対しては“ふぃるたりんぐ”してるので幾分か現実へ戻らない情報もありますが、その分は現実からの可能性がその都度埋め合わせる形になるのでほぼ相互互換です」

 

「つ、つまり?」

 

「現実の藍さんが生きている限り、こちらの藍さんが怪我や死亡するような怪我を負っても瞬時に回復します。ただ、現実にそれらの情報が戻されないので、結果が現実に結び付かないロスが起きて、【因痕《キカトリクス》】が発生します」

 

「キカ、何?」

 

「単純に言うと原因と結果の齟齬による因果律の歪み、ですかね」

 

「因果律……ぅう、もう頭が知恵熱寸前なんだけど」

 

「あ、此処から聞いておかないと後で大変な事になるので真面目にお願いします」

 

「う……ど、どうぞ」

 

「この今言った因痕の値が高くなると……怖ろしい事が起こります。例え、この場所で死ななかったとしても、現実で不幸が襲い掛かってくる可能性大です」

 

「ええ!? 何か話が違うんじゃ……」

 

「因果律の歪みというのは元々の運命を捻じ曲げるものですから。例えば、健康な人は病気になる。大金持ちが貧乏に、寿命が長ければ、早死にという事も」

 

「……つまり?」

 

「此処で怪我をし過ぎたり、死に過ぎたり、延々と重症を負い続けるような状況となった場合……現実の自分が極大の因果律の歪みに晒されて、即死。あるいはそれよりも酷い生き地獄を味わうかもしれません」

 

「やっぱり、あの白いの極悪!!?」

 

「白いの?」

 

 クストスの触手云々の話は仲間達にもしていなかったので藍が愛想笑いで誤魔化した。

 

「建物の破損などの通常の“ふぃるたりんぐ”に引っ掛かるような軽いロスは建物の構造が不安定になるとかボロボロに崩れるとか、その程度の歪みなので構いませんが、生物の死や重症みたいな重いロスは可能な限り避けるべきです。現実への影響は自分だけではなく。周囲にも広がりますから。此処で僕達に有利な状況は三つ。僕達以外の人間が居らず、如何なる邪魔も入らず、触手を討伐出来る事。相手の死という結果を掴んだなら、その場で結界を解いて結果を強制出来る事。そして、限定的ながらも死なない事」

 

「じゃあ、不利な点。あるいは気を付けなければならない事は?」

 

「幾つかあります」

 

 藍の言葉に新火が返す。

 

「あまり建物を壊すとその建物が因痕が原因で倒壊や一部破損する恐れがある事。人間の場合も同様でその副作用が重い事。そして」

 

「どうかしたの?」

 

 新火の滑らかだった口が言い淀むのを見て、藍がそっと訊ねる。

 

「此処は可能性の再編成の場。故にこの場で出会ってしまった相手とは現実でも必ず引かれ合う。つまり、此処でもしも倒せないような敵と遭遇した場合……」

 

「現実で出会う可能性があるって事?」

 

「いえ、それよりも悪いかもしれません。たぶん、僕達の周囲に集中して相手が事を起こします。そうなれば、近くにいる人々に被害が出るでしょう」

 

「な、って事は?!」

 

 新火が頷く。

 

「此処で出会った敵は全て倒さなければなりません」

 

「全戦全勝……」

 

 藍も自分が言っている事の難しさを知っている。

 

 たった一本の専用の触手にすら敵わないのだ。

 

 そんな状態で勝てない敵と出会ったら、それだけで周囲に被害が及ぶ。

 

 そんなのは誰にとっても許容出来る事ではない。

 

「先程、クストス様と塔内部を見回った結果。この結界を解く権限はこの場にいる特別捜査隊全員が持っていると判明しました。煉瓦造りの塔自体が結界の要である陣の中核。ですが、此処だけは破壊されたとしても現実には無い場所なので被害が出ません。ただ、中核なので破壊されてしまえば、結界も途絶えます。その時に死ぬような重症や死亡状態でいた場合……安全の保証は出来かねます」

 

「結局、此処も守らなきゃならないって事?」

 

「完全崩壊するような攻撃でも無い限り、ある程度は無視しても構いません。でも、あまり破壊されると“ふぃるたりんぐ”の効果が薄れて現実に対して直接的に内部の結果を押し付けてしまう事になります。敵がこの都市内部に入ってきた場合は此処から離れずに迎撃する形を取った方が利口でしょう。それと此処は元々仮にも準軍事施設用の寮だったので敷地内は防御用の方陣が展開出来ます。相手を塔の手前で迎撃して、攻撃を後ろに通さなければ然程問題にはなりません」

 

「何だか、厄介事が増えたような気が……」

 

 藍は頭痛がしてきた新火の説明に情報を脳裏で整理していく。

 

「ですが、この結界都市の構造は僕が解析した限り、かなりの高性能です。都市に触手が発生した瞬間に相手を引き込んでくれるので現実での被害を抑えられると思います」

 

「引き込んでって。現実にも本体がいるんだから、被害が出るんじゃないの?」

 

「いえ、此処と現実の時間の速度は数万倍も違うので、仮に超音速で動く触手みたいなのが出てきても動き出すまでに一秒在れば、確実に十日以上の時間が楽に稼げます。また、僕達が都市内部にいる限り全員が同じように取り込まれるので総合的な戦力が削られる心配もありません。問題は現実で取り込まれる場所が遠いと集合に時間が掛かる可能性がある事。また塔が無防備になる可能性を考慮するとあまり遠い場所には出かけるべきではない事くらいですかね」

 

 今まで聞いていた三人が何とか新火の説明を飲み込んで噛み砕く。

 

 その間にも今まで説明された情報が白紙の上では箇条書きにされ、同時に簡略化《デフォルメ》された絵で分かり易く欠点が書き出されていく。

 

 建物と内部の人はあまり壊されたり、傷を負うのは危険。

 

 塔は術の要なので無防備に出来ない。

 

 塔から遠い場所に出向けない。

 

 一人になるのは戦力が分散され危険なので勧められないetc(エトセトラ)……。

 

 最初に結論を出したのは琉風だった。

 

「全員で団体行動を心掛けて、絶対に一人とはならず。出来れば、寮と学園の周囲にいるのが望ましいって事でいいのかしら?」

 

「はい。その認識で間違ってないと思います。そもそも僕達は学生なのでほぼ団体行動。今は勉学も触手道一つなので学生寮や月齢館からも遠ざかる事はない。お使いであれば、ジャンビットさんに頼めばいいですし、最大戦力であるクストス様が僕等との距離をあまり離さないよう気を付けて下されば、然程問題無いかと」

 

「もう一杯一杯なんだけど。あたし」

 

 頭を使い過ぎて疲れたと言わんばかりに藍がガックリと俯いた。

 

「大体は理解出来た。それで結界を解くにはどうすればいいんだ?」

 

 影近の疑問に新火が答える。

 

「塔の中央階に設置された中核方陣に合言葉がありました。【光在れ(フィアト・ルクス)】と念じながら唱えれば全員が取り込まれた場所に戻れるはずです」

 

「確か……聖典の一行目だったか?」

 

「はい。やっぱり、旧教会の御技という事なんでしょう」

 

 今まで口を挟まずに見守っていたクストスがその皮肉に僅か口元を緩めた。

 

「じゃあ、そろそろ解散にして早く戻らない?」

 

「だな。ハッキリ言って、出来ればそろそろ寝たい」

 

「そうね。今は敵も来ていないみたいだし」

 

 藍がそう提案すると琉風も影近も同意する。

 

「ですね。クストス様。このような形で纏まりましたが、何か指摘してくださる事があれば、どうぞ」

 

「いや、説明しなければならない事は全て新火君が言ってくれた。本格的な触手道の修練も始まっているのだから、そろそろ特捜のリーダーを決めておこうと思っていたのだが、必要無さそうだな」

 

「え?」

 

 新火が言われた事に目を丸くする。

 

「そうだな。新火が的確な指示を出してくれるなら、俺は問題ないと思うが」

 

「あたしはリーダーなんて柄じゃないし、難しい事考えるのはそれが分かってる奴でいいと思うわよ」

 

「私も新火君なら、資質的にも大丈夫だと思う」

 

「あ、あの……僕が?」

 

 ジャンビットと羊羹に夢中なアーシェリア以外が全員頷く。

 

「わ、分かりました!! ふ、不肖この蔡導新火!! ぜ、全力で頑張ります!!」

 

 パチパチと藍が拍手すると続いて全員が同じように手を叩いた。

 

 さて、そろそろ解散しようとクストスが全員に指示を出そうとした。

 

 その時―――。

 

 グラリと彼らは船酔いしたような感覚に襲われ、その空間の歪みの如きものの出所へ思わず視線を向けた。

 

「ま、魔術方陣に反応在り?! これ―――」

 

 新火が常時展開型の探査方陣から送られてくる脳裏の数値に顔を青褪めさせる。

 

 同時に今まで大人しかったアーシェリアがまるで畏れるかのように震えながら、影近の後ろへ身を隠した。

 

「どうやら……来てしまったようだな……こんなにも早く。我輩の予想より一ヶ月早い。いや、この波動……そうか。そういう事か。“可能性の再編成”だものな。彼女も人が悪い……」

 

「な、何一人でブツブツ言ってるのよ?! あ、あれってもしかして?!!」

 

 藍の思わず上げた悲鳴のような声にクストスが頷く。

 

「本体ではない。だが、限り無く本体の影響を受けた最大級の個体だ。ジャンビット!!」

 

「はい。何でございましょうか。我が主」

 

「周辺の敵を漸減させ、彼らが守れるよう高位の浸食体を狩れ。いいな?」

 

「畏まりました」

 

「ちょ、まさか一人でやる気?!!」

 

 立ち上がったクストスが展望フロアの横に併設された大きな鋼鉄製の扉へと向かいながら頷いた。

 

「我輩が大元を倒すまで君達には塔の守りを任せる。だが、気を付けたまえ。奴の最大顕現時には複数の高位侵蝕体。人型魔族並みの個体が随伴するのが通例だ。先日の大蚯蚓と大差無いのが複数同時に襲ってくる。絶対に無理はするな。そして、出来る事なら全力で相手を“殺せ”」

 

「「「「?!!」」」」

 

 僅かに振り返ったクストスの顔を見て、藍を筆頭に誰もが息を呑んだ。

 

 その険しい瞳。

 

 本当に今まで彼らに触手道を教えてきた人物と同一の存在なのかと思われる程の殺気が彼らを凍り付かせる。

 

 少なからず。

 

 今までクストスは侵蝕された犠牲者を彼らに殺させるような発言はしなかった。

 

 それどころか。

 

 自分がやると言っていた。

 

 その発言が180°変わったのだ。

 

 それが相手の強さを知っている故の事ならば、彼らには選択の余地など無い。

 

「此処では君達の死が薄くなると言っても、限界がある。ならば、躊躇もするな。同情もするな。相手は全てを浸食する邪悪な肉塊だ。少なからず割り切れないまま戦って、君達が死ぬ事を我輩は望まない。もしも、それに忌避や罪悪感を感じた場合は我輩のせいにしたまえ。ソレを背負うのは君達を、この都市を、今まで多くの人々を巻き込んだ我輩の責任であり義務だ」

 

 ガンと鉄の扉が軽やかに開かれる。

 

 無風の都市。

 

 天候は曇り。

 

 灯りが付いたとて、都市の端までは見渡せない。

 

 しかし、確かにその敵を彼は睨み付けて。

 

 背後の生徒達に伝える。

 

「今までの講義を思い出せ。触手がどう向かってくるのか。どんな悪辣な技で迫ってくるのか。智識の方はもう教えたはずだ。新火君。相手が何に当て嵌まり、どう動くかは君が見て即座に判断、指示を出せ。君の命令の間違いが仲間の死を招く。いいか?」

 

「は、はい!!」

 

 新火が拳を握って大きく叫んだ。

 

「影近。君はとにかく最大火力の術を書き続けろ。それ以外はしなくていい。下手な攻撃力の小細工は通用しない。全て今君に出来る全力の画で挑め。筆が折れたなら、指だろうと腕だろうと構わず使え。それが勝利への道だ。出来るか?」

 

「全てを退けて必ず援護に向かいます!!」

 

 影近が敬礼で返す。

 

「琉風君。君は支援向きだ。何でもそつなくこなすが、何もかもが足りない。しかし、そのそつのなさが君の持ち味だ。仲間達が出来ない事をしてやってくれ。どんなに小さな事も大きな事も、君以外に出来ない事が必ずその時になれば“やってくる”」

 

「……分かりました」

 

 何かを覚悟した様子で琉風が静かに首肯した。

 

「藍君。我輩が君に言える事は一つだけだ」

 

「え?」

 

「触手を愛したまえ」

 

「な、ぐ、具体的なところが皆と違って抜けてない?!!」

 

「では、行ってくる。再会する時は共に此処から生きて帰る時だ!! 諸君!!! 戦え!!! 戦場に正解は無い!!!」

 

 ザッとクストスが外套《マント》をはためかせ。

 

 颯爽と虚空へと飛び出した。

 

「触手ッッ!!! ウィンンンンンンングッッッ!!!!」

 

 服の首筋から這い出した真白き二本のソレが急激に皺を増やし、蛇腹の如く開くと40m程にもなる巨大な翼となって空に舞い上がった。

 

「な!? 何でもアリなの?!」

 

 思わず藍が突っ込むものの。

 

 都市の端を目指してクストスは翼に魔力の燐光を纏わせ、滑空で急速に遠ざかっていった。

 

 風が生まれ、扉の内部へと吹き込んでくる。

 

「では、皆様。扉の方にお集まり下さい。緊急時ですのでこちらで降ろさせて頂きます」

 

 ジャンビットがすぐに扉の前までやってくると軽く腕を“塔の真下まで伸ばした”。

 

「しょ、触手なんだ。ジャンビットさんもやっぱり……」

 

「他の何だとお思いで?」

 

「そ、そうよね。あいつの給仕だもんね」

 

 藍を筆頭に全員が立ち上がり、頷き合う。

 

「皆さん!! クストス様の向かった方角から斥候を思われる敵の反応が三つ。それ以外にも都市の端に強い反応が……たぶん、百単位です」

 

「ひゃ―――」

 

 新火の報告に藍が度肝を抜かれた。

 

 大蚯蚓レベルの敵が百体以上。

 

 明らかに前回とは戦力の桁が違う。

 

「殆どの敵はクストス様が引き付けて下さると思いますが、数値の異常さから言って、塔を破壊するなら反応が10も在れば十分なはずです。とにかく今は下に降りましょう。それから影近さんは画を平行して描きながら、完成寸前で貯めて下さい。僕が塔を守る陣を強化しつつ、時間を稼ぎます。ジャンビットさんは僕等の前衛を!!」

 

「了解でございます」

 

「では、行きましょう!!」

 

 新火が先頭を切ってジャンビットの前に立つと長く伸びた腕の肌色の部分が分岐して胴体を巻くとそのまま塔の下へと高速で移動していった。

 

 影近、琉風と続き。

 

 藍がゴクリと唾を飲み込みながらも胴体を巻かれる。

 

「あ、その」

 

「何か?」

 

 ジャンビットにひっそりと藍が告白する。

 

「実は高いところ……ダメなの。だから、少しゆっくりめにお願いを……」

 

「畏まりました」

 

 肌色の触手が更に胸部と脚部に巻き付くと僅かに速度を緩くしながら藍を塔の上から下ろしていく。

 

「では、私はこちらから。扉を閉めて中を通って来て下さい」

 

 ○。

 

 最後に残ったアーシェリアがそうOKサインを出した後にジャンビットが躊躇無く塔の上から飛び降りた。

 

 ガチャン。

 

 扉が内部から閉められ。

 

 そうして、結界に写し出された可能性の集う都市に戦いの火蓋が切って落とされた。

 

 *

 

 ソレは穏やかな落ち着きようだった。

 

 黒き蠢く珠。

 

 遅々とした動きで都市を目指していた列は今や止まっており。

 

 都市の端。

 

 一本の小さな川に掛かった橋の袂を通る道の中央に鎮座している。

 

 その周囲には黒き守人《もりびと》。

 

 今も触手を零す者達が其々円陣を組むかの如く周囲360°を囲んでいる。

 

 10°刻みで一人ずつ。

 

 更にそれが少しずつズラされて十段ともなれば、真上から見られるなら綺麗な模様となっているのが確認出来るだろう。

 

 其処に参加しない者は306。

 

 17×18の群列となって動き出した。

 

 先行は3。

 

 もう人であった頃の服装も無く。

 

 単なる黒き触手で出来た人型。

 

 それが今正に空から近付いてくる敵を視認した途端。

 

 その手に細長く触手が構築され、硬化した。

 

 速度を殺さず加速した彼らの片手に握られた黒槍が投擲の瞬間を待ち侘びて内部から幾何学的な罅割れを奔らせ、赤光を漏れさせる。

 

 ズグンズグンズグン。

 

 脈動する光の高まりが最高に達した瞬間。

 

『【速やかなる死よ。在れ】』

 

 正確無比の一撃が道の中央で踏み切られ、打ち放たれた。

 

 バゴォォオオオオンッッッ!!!

 

 彼らの足元から10m先の地面があまりの衝撃に岩盤の一部ごとせり上がり、隆起する。

 

 ィィィィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!!!!

 

 高周波を響かせながら飛翔した煌々と光を漏らす槍が途中でガギャッと罅割れを大きくし、空気抵抗の力を借りて破砕。

 

 しかし、その勢いのまま散弾となって巨大な白き翼へ穴を開けんと迫る。

 

「その程度!!」

 

 超高速で迫る一本一本の破片が全て致命傷を与える為のもの。

 

 少しでも傷付けば、耐性の無い生物を即座に死へと至らしめる慈悲《のろい》の雨。

 

 だが、クストスはそれを避けるどころか。

 

 地上でもう片方の手に更なる槍を生んだ相手を無視した。

 

 直撃。

 

 散弾が薄く白い翼をズタボロにするかと思われたが、それは杞憂か。

 

「確かにこの身体だろうとその力なら麻痺くらいの効果は望めるだろう。傷付けば、だが」

 

『?!』

 

 視認した人型が僅かに動揺する気配。

 

 散弾がポロポロと空の上から真下へと降っていく。

 

「我輩の粘液は生憎と摩擦抵抗を0にする程度、造作も無い」

 

 翼には弾力が有り、同時に薄くだが、通常の触手と同じように液体が分泌されていた。

 

 翼を蔽うソレはあらゆる物体との間に生じる抵抗を0にして、どのような剣も槍も滑らせる。

 

 三体が槍から即座に滞空防御用の方陣。

 

 魔力によって超高温の火線を生もうとした。

 

 だが、それよりも早くクストスが彼らの上空を通り過ぎた。

 

『?』

 

 腕を掲げようとした途端。

 

 人型達が自らの敗北すら自覚せずに消え失せる。

 

 彼らが霧となる一瞬前。

 

 もう彼らは縦に膾《なます》切りとなっていた。

 

「奥義、触手スラッシュ流し」

 

 クストスの足元から数本の触手が下に向けて棚引いていた。

 

 その先からはキラキラと僅かに光る極細の糸が何本も垂れ下がっている。

 

 上空から高速で彼らの間を通り抜けたソレの威力は一方的なまでに理不尽だ。

 

 しかし、シュルシュルと糸を回収し、地表の敵の動向を確認していた彼は散開陣形を取りつつある敵に違和感を覚えつつあった。

 

(おかしい……追撃が飛んでこない? それだけではないな……我輩を囲い込む様子も無いとは一体どういう事だ……何を企図して我輩への攻撃を―――)

 

 クストスが訝しんだ途端。

 

 キィィィンと僅かに耳鳴りのような音が周囲に響き。

 

(そういう事か?!! 緊急降下を!!)

 

 翼が瞬時に折り畳まれ、まるで槍の如く尖り。

 

 ギュルギュルと肉体を包み込んで勢いのまま落下した。

 

 刹那、彼の0.02秒前にいた空間の周囲が爆光に飲み込まれる。

 

(空間転移爆撃。このような攻撃方法を奴が取ってくるはずがない。ならば、侵蝕された者達の中にそれ等の技能か兵器を持つ者達がいるはず。まさか、先日の一件で取り逃がしたか? そう仮定するならば、留まるのは拙いな。遮蔽物も意味を成さない以上、動きを止めた瞬間に狙い撃ちにされる可能性がある)

 

 近年。

 

 軍事分野で目覚しい進歩が起こっている。

 

 その内の火砲分野で注目されているのが空間制御魔術を使う威力の直接投射だ。

 

 今まで重火器と言えば、戦場では魔術を追い越す勢いで発展する攻撃速度と長距離攻撃の代名詞だったわけだが、これが現在は逆転しつつある。

 

 兵器の高度化によって、大魔術師やそれ専門の術者が行なっていた空間制御魔術を兵器として一般人も使えるように転用するという発想は怖ろしいものを生み出したのだ。

 

 空間転移爆撃砲(くうかんてんいばくげきほう)。

 

 異相側へと送り込んだ火砲の攻撃力を特定の空間に発現させる特殊火砲は既存の火砲とは比べ物にならない威力と射撃精度を兼ね備えた現代の最新鋭兵器だ。

 

 大陸三千余の国家の内。

 

 これを開発し実戦配備した中央諸国以外の国家は現在までに四つ。

 

 それに続けとばかりに京州で開発されていた試作品は合計で数十門。

 

 量産化の目処が付いたばかりだと言うソレの前ではどんなに強固な装甲も厚い壁も意味を成さない。

 

 方式にもよるが最もスタンダードな相手のいる空間そのものに攻撃を送り付けるタイプは魔術による守りを置かない場所では一方的な攻撃となる。

 

 突如として送り込まれるのが爆弾や火薬の類ならばまだやりようはあるが、直接的に光や熱、衝撃そのものを送り込まれると対処していたとしても守勢に回らざるを得ない。

 

 ドガン。

 

 散開した化物達の中心部に“着弾”したクストスは瞬時に自らを覆っていた皮膜状の触手を萎ませ背中に収納し、先程確認していた敵陣へと一直線に走り始める。

 

 チリッ。

 

 肌に感じる感覚で転移爆撃の予兆を感じ取った瞬間、左に跳んだ彼を待ち受けていたのは小道の脇から飛び出してきた人型達。

 

 その肉体から這い出る触手の殆どが粘液過多タイプ。

 

 足止め役だと悟って、彼は相手の戦術を一目で見抜く。

 

(空間転移爆撃と観測兼足止め用人型の連携。ああ、そうだろうな。我輩のような対軍殲滅戦の得意な者には少数を犠牲にして足止めし、最大火力を集中させるのが正しい。だが!!)

 

 クストスがその場で立ち止まった。

 

 前後左右の木造家屋から一斉に数人の人型が跳躍し降り注ぐ。

 

「往くぞ!! 我が触手の技の冴え!! 受けてみるがいい!!」

 

 ギャラァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッ!!!

 

 彼の両手両足から放たれた四本の触手が硬質な音を響かせながらうねり、その先端を先鋭的な螺旋状に収斂させた。

 

「触手ッッ!!! ドリルゥウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウ!!!!!」

 

 一斉に放たれた先端部分の下。

 

 まるで内部にファンを備えるリングのような形状の部位が形成され。

 

 その中央、白い硬質な芯が回転を始めた。

 

 チュィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ!!!

 

『?!』

 

 人型達が駒のように回転して振り回されたドリルの先端に触れた部分を超高速回転及び振動+遠心力で液状に飛び散らせ、真っ二つとなった。

 

 しかし、クストスが懸念していた通り。

 

 技の発動と同時に肌を焦がすチリッとした感覚が強まり、彼の周囲20m圏内を瞬間的な爆発が埋め尽くす。

 

 カッ。

 

 周辺の建造物が灰となって消え失せ、その周囲の木造の平屋に引火。

 

 メラメラと炎を上げ始めた。

 

 即座に次撃を叩き込もうとした人型達だったが、目標であるクストスが抉れてクレーター状となった場所にいないと気付き、索敵を強化する。

 

 すると。

 

 人型の一体が気付いた。

 

 風も無いのに街道沿いの石塚が揺れている事に。

 

 次の瞬間。

 

 ドボァアアアアアアアアアアアア!!!

 

 地下からせり上がってきた無数のドリルに地表にいた人型達が脳天まで抉り割られて霧と化す。

 

『我輩の触手は攻防一体!! 何人も阻む事|態(あた)わず!!』

 

 響く声。

 

 次々に撃破されていく人型が地中からの攻撃を何とか防ごうと建造物の屋根に上がって、相手の触手が命中するまでのタイムラグを狙って迎撃しようとする。

 

 その手には先程の槍とは違って今度は黒い剣が硬質化されていた。

 

『【塩の山は御手を翳すと崩れ。民は大いに富みを分かち合い。彼を労った】』

 

 地表へと黒剣が放たれる。

 

 複数突き刺さった場所を中心として一帯の岩盤や地質が結合を失い。

 

 サラサラとした砂のように崩壊した。

 

 本来、水分を含んで泥になるはずの地表部分すら、パウダー状となり、更に下の地層は砂礫と化していく。

 

 地中から相手の陣地を目指そうとしていたクストスは地表へ即座に脱出した。

 

 無数の珪素の塊が怖ろしい剣からの振動で細かく砕かれた後。

 

 人型達の触手の一部から吐かれた超高温の炎が全てを焼結させていく。

 

 炙られた空気による上昇気流で雲が発生し、突風が周囲に吹き抜ける。

 

 炎に嘗め尽くされた地表の中でクストスは相手の陣地までまだ4km弱ある事に瞳を細めた。

 

 人型達が炎に身を沈めて相手の観測をやり過ごそうとした彼の周囲に集まってくる。

 

『【弟子達が言った。先生……どうして、貴方は炎の中にもいるのですか】」

 

 自らの吐いた揺らぐ紅の壁に突入する人型達は其々触手に複数の特色を備えていた。

 

 まるで肉屋の解体作業に使うような多種多様の刃物。

 

 強化された打撃一つで家屋を倒壊させるだろう強靭な筋繊維。

 

 周囲の熱量を吸って、紅に染まりながら自らの内に溜め込む甕。

 

 砕け散った仲間達の破片を霧と化す前に取り込み。

 

 まるで化合獣《キメラ》のように腕や頭を増やす表皮。

 

 全てがたった一つの触手によって生み出された力。

 

 まだまだクストスに抗う力は十分に全ての人型達が持っている。

 

(楽に通してくれんとは思っていたが、さすがに厚いな。侵蝕先の者達の力も使っているか……)

 

 まだ居場所を精確には確定していないのだろう。

 

 転移爆撃が一時止んではいたが、それでも圧倒的に数の上では彼が不利だった。

 

(何体かいない。あちらに向かったか……生き残れよ……我が生徒達ッ!!)

 

 クストスが燃えも汚れもしない帽子を僅かに深く被って。

 

「さぁ、そろそろ本気で行こう。等しく霧に還るがいい……汝等に罪無し。我が触手にて、その頚城を断つッ!!!」

 

 自らを囲う炎の壁を突破してくる人型達に向かって吼えた。

 

『【貴方の守るところは此処に無い。だが、その刃で産み出す事は出来るだろう】』

 

『【何故、己が肉体を打ち棄てようというのか。人々の盾は常に足りていないと言うのに】』

 

『【これは火を溜めるものである。貴方もこれのように耀けるものを持っているのだ】』

 

『【病める者にも止まる者にも等しく在る事を大いなる父は教えてくださるだろう】』

 

 力を読(・)み(・)上(・)げ(・)る(・)人型達に構わず。

 

 次の一撃が叫ばれる。

 

「触手ぅううううううッッッッ!!! スマァアアアアアアアアアアアアッシュッッッッッ!!!!!」

 

 数百mに渡って炎上する一角で炎が巨大な衝撃に押し返され、集まりつつあった後方の人型達を呑み込んでいった。

 

 *

 

 炎の波濤。

 

 それに晒されながら、蠢く黒い卵は思考する。

 

 都市に齎された結界に何の意味があるのか。

 

「【預言者は知らざる者に与えん。我が父の叡智を】」

 

 人型の一人が呟き。

 

 結果たる情報が齎される。

 

 人の都を守る為。

 

 触手のみを排撃する可能性の再編成。

 

 誰が設置したものか。

 

 余計な事をしてくれたのは全ての中心であるモノにも理解出来た。

 

 だが、それは同時にこれからゆっくりと起こるはずだった事象が加速する事を意味する。

 

「【倉に入らぬ麦は世に広く別けよ。友の歓心を買う事は万の麦を買うより難しいからである】」

 

 人型達の一部が地表に溶け。

 

 その内部からヌルリと人型が湧き出し始める。

 

 可能性を弄るという事は在ったかもしれない出来事までも持って来ることが出来るという事。

 

 幻影だとしても、それは確かに在る人型達が描き出す未来の一つ。

 

 都市住民386000余人。

 

 呑み込むはずだった可能性は無限の如く湧き出す。

 

 1秒で4人。

 

 10秒で40人。

 

 100秒で400人。

 

 抗い切れるものではない。

 

 自らが望んだ戦場で自らの最大の壁と戦わざるを得なくなった者達は如何なる顔をするのか。

 

 敷かれた陣の中心でソレは思考する。

 

「【最も哀しき今を見据えよ。その先にこそ、父は新たなる道を築いて下さる】」

 

 陣が起動する。

 

 360の人型が中央から溢れる黒き魔力の波に揺らめき、その耀きを内部に取り込みながら、ゆっくりと形を変えていく。

 

 腕は融け。

 

 頭は融け。

 

 胴体のみが円筒形と化して硬質化し、墓の如く並び、魔力へと共鳴しながら罅割れ、内部から紅の耀きを零し始める。

 

「【思い煩うな。何故ならば、それは全て御心が求める克己への道程だからである】」

 

 読み上げられる力。

 

 それこそは黒き卵の能力。

 

 いや、権能。

 

 此の世のあらゆる書物の中で最も人々に読まれ、愛された旧き聖典。

 

 時の教会の長。

 

 【総主教(パトリアルヒス)】が時代時代の大司教達と共に編纂し続けたソレは未だ人類史におけるベストセラー。

 

 時に人々を救い。

 

 時に人々を虐げ。

 

 時に人々に希望を与え。

 

 時に人々に絶望を生んだ。

 

 そう、長い長い刻を刻み続けてきた聖なる書物。

 

 生活の規範であり、争いを起こす理由に利用され、個人が神を己の心に見出し続けたソレ。

 

 捧げられてきた感情。

 

 編み上げられた概念。

 

 更新され続ける救世の御言葉は如何なる魔術具にも勝る。

 

「【観よ。新たなる世の夜明けを……我が前に続く輝かしき幸いは彼らと共に在る】」

 

 卵の頭上。

 

 浮かび上がっていくのは映像。

 

 それは未来か。

 

 それとも今ある現実か。

 

 はたまた分岐した可能性なのか。

 

 解らない。

 

 だが、確かにそれは京州という都市の影の中で蠢く真実の物語に違いなかった。

 

 今、暴かれるものこそが全てだと言わんばかりに断罪《きゅうさい》の言葉が続く。

 

「【憐れなる者よ。それもまた大いなる父は救って下さる。唱えよ……我が御名を】」

 

 最初に映ったのは狐顔の少女。

 

 そうして、物語は始まる。

 

 *

 

―――結界中枢塔前。

 

 昔から。

 

 神酒谷琉風《みきたに・るふ》は此の世をこう考える。

 

 天国の形をした掃き溜めだと。

 

 それはよく母親がこの世界は天の御国なのだと言っていた事に起因する。

 

 不幸自慢という程ではないが、幼少時代から彼女の周囲には反吐が出るような事実ばかりが転がっていた。

 

 生い立ちが貧しいという言葉すら危うい場所であった事も、母親が教会の教義を真似た似非宗教に被れて蒸発した事も、然して特別な事とは思えない。

 

 世の中には少なからず不幸が転がっており。

 

 その一つに躓いてしまった、というだけ。

 

 だから、その頃の事を思い出しても、感慨よりは苦労を思い出して溜息が出るばかりだ。

 

―――琉風!!?

 

 幼い時。

 

 母が消えて、彼女の中にあった不安は一つだけ。

 

 これから、どうやって食べていこうか。

 

 それだけだった言っていい。

 

 自分という持ち物を得た時から、彼女は既に親の愛等というものとは無縁で育った。

 

 僅かに残る最初の記憶は焦げ付いた竈の中を漁る自分。

 

 母親とは抱いてくれる存在でもなければ、助けてくれる存在でもない。

 

 最低限の食い残しを与えてくれる誰かだった。

 

 排泄の仕方は覚えさせたのだろう。

 

 何故なら、借家を汚される事を嫌ったから。

 

 最低限の身の清め方は教えたのだろう。

 

 何故なら、生活する場に薄汚いものを置くのを嫌がったから。

 

 似非宗教に被れた彼女の母は一人身で父親などいなかった。

 

 恵まれた家庭でないのは確かだったが、それよりも子供に感心を払うような意識が欠片も無い人間の屑だったのは間違いない。

 

―――琉風さん?!!!

 

 彼女の母親が消えた時。

 

 残されたのは家財道具一式と薄汚れた面と身体だけ。

 

 家無き子。

 

 そうは言えずとも、まだ十を過ぎたばかりの彼女にとって食事だけは死活問題だった。

 

 彼女は其処で二択を迫られた。

 

 借家の中のものを売って、見知らぬ世界へと向かうか。

 

 母親の親戚とやらを頼って身包みを剥がされるか。

 

 何とも残酷な二択だったが、そもそも人間というものを信用していなかった彼女に誰かへ頼るという選択肢は無かった。

 

 結果、家財を売り払って得た金を薄汚い身形に隠して放浪する孤児が生まれた。

 

 安定した治世と国民が三食を食べられるという大陸地方でも例外的な乂羅においても、彼女のように放浪する孤児、浮浪児は未だいる。

 

 故に路銀が尽き掛けたら物乞いをしてでも何とかなった。

 

 無論、そんな生活をいつまでも続けられるわけもない。

 

 しかし、人が信じられない彼女には“寄る辺”など存在しなかった。

 

―――神酒谷?!!

 

 だからこそ、最後に辿り着いた場所は信頼という言葉とは程遠い場所。

 

 花街。

 

 遊郭の女衒《ぜげん》に見初められた憐れな餓鬼として、彼女は三食と寝台と服の代わりに禿《かむろ》となった。

 

 太夫や花魁と呼ばれる最高級の遊女達。

 

 その従者として働く事となったのだ。

 

 彼女にとって仕える事となった者達はいつ病に掛かって死ぬか分からない。

 

 男を食い物にし、食い物にされ、愛していると嘯き、愛していると嘯かれ、まるで嘘を糧にして金を産む鶏。

 

 そういうものだった。

 

 いつか自分もそういうものになってしまうのだろうかと思っていたのに。

 

 けれども、事実はそれよりも残酷で。

 

『お前がそうか……良い瞳をしている。高く買っただけはあるな。これからしっかりと働いてもらうぞ……』

 

 初めて彼女が客を取らされた日。

 

 其処にいたのは女の体目当ての男ではなく。

 

 黒き外套を身に纏う顔も分からぬ魔術師。

 

 そう、陰陽師ではなく。

 

 国の中に本来はいるはずのない軍人。

 

 彼女は女衒に売られたのだ。

 

 祖国を内部から蝕む蟲の一匹として。

 

―――琉風!! 琉風!!? ねぇ!!! 琉風ッッ!!!?

 

 学生として学び舎に通う事一年、二年、三年。

 

 何匹もいる乂羅の内情を擦り合わせる為の害虫は名も知らぬ魔術師に言われるがまま。

 

 国内を点々とした。

 

 時に変装した事がある。

 

 時に無垢を演じた事もある。

 

 だが、それはやがてエスカレートし、肉体すらも弄る事となった。

 

 成長を無理矢理促され、身体は大きくなったかもしれない。

 

 だが、読み書きは出来ても何処か肉体に不慣れのせいか。

 

 文字や数字はまともに判別出来ない程、書くと歪むようになった。

 

 それでも遊郭で学んだ男のいなし方を実戦すれば、何か問題になるような事は殆ど無く。

 

 それなりに楽しくやって来れた。

 

 何も考えず。

 

 食事をして。

 

 寝台に入って。

 

 服を着て。

 

 時折来る情報の催促に応えていれば、何も、そう何も問題は無かったのだ。

 

『次は軍都に行ってもらう。だが、あそこは情報の取得が厳しい。内部の花街にいる【色役目(いろやくめ)】に話を通してある。そちらに行って報告しろ』

 

 初めて軍都に来た時。

 

 彼女はようやく其処が自分の故郷も近い場所なのだと知った。

 

 もう彼女の事を覚えている者はいないだろうし、一度帰ってみても良かったが、足はそちらに向く事も無かった。

 

 いつもと同じように報告して、食事して、寝台に入って、服を着て、何も問題など無い日々。

 

 人との付き合いを全て上辺で誤魔化せてしまうのが、彼女にとっての才能だったのか。

 

 寮に入って一ヶ月目まで何の問題も無く過ごせた。

 

 けれど、どうしてか。

 

 何故なのか。

 

 出会いは突然に訪れた。

 

 ほんの些細な事だ。

 

『あ、貴女。はい……ハンケチ落としたわよ?』

 

 拾って貰った小さな手拭。

 

 その別に自分で選んだわけでもない花柄の布切れに親切な少女は僅かに微笑んだ。

 

『綺麗……そういうのが似合う人って羨ましくなるわ。じゃあね」

 

 髪を短く刈って。

 

 女の命が何だと肩肘を張る少女の名前を初めて調べた。

 

 藍。

 

 自分の持っていたソレを染める色と同じ名の相手。

 

 けれども、たったそれだけの事が彼女にとっては新鮮だった。

 

 今にして思えば、その日は彼女にとって、特別だった。

 

 消えた母親が一年に一度だけ、その時だけは笑みを浮かべて自分を見ていたから。

 

 そんな風に見られて、今更に思い出したのかもしれない。

 

 ロクな事もしてくれなかった母との懐かしい頃を。

 

『あ、また会ったわね』

 

 それから、その少女と親しくなった。

 

 何故だか。

 

 本当に何故だか。

 

 一緒にいて楽しかった。

 

 人を信じる事なんて自分には無理である事は分かっていても、分かり合ったフリをして、友達になったフリをして、自分はこんなに貴女が大切なんだというフリをして、人間らしいフリをして、まるで自分があの頃に見た遊女達のような嘘に塗れながら、生きる。

 

『え? 友達? 何言ってるの? 貴女はあたしの一番の友達だよ?』

 

 ああ、本当に嬉しくて、嬉しくて、嬉しいフリなのか。

 

 単なる嘘なのか。

 

 何もかもが不確かな自分に吐き気がする程の怒りを覚えて。

 

『ほら、一緒に食べよう? ふふ、琉風とこうして食べるの……もう当たり前になっちゃったね』

 

 涙が出る程嬉しくて、嬉しくて、嬉しいフリなのか。

 

 嘘を吐くフリなのか。

 

 どちらなのかすら決められない自分に反吐が出て。

 

『その……今日は一緒に寝よっか? それで大陸中央で言う“恋愛とーく”って言うのに花を咲かせてみるの!! え? 恋愛してないから無理? う、それは……こう、恋人が出来たフリをすればいいのよ!! 理想の男子を語り合う会じゃ、ダメ?』

 

 愛しくて、愛しくて、愛しいフリなのか。

 

 苦しい嘘にフリすら出来なくなっているのか。

 

 もはや死ぬより怖い、失いたくない何かを掴んでいた。

 

【ホ・ウ・コ・ク・セ・ヨ】

 

 脳髄を虫唾が奔るような感覚。

 

 涙ばかりが溢れてくる感情。

 

―――琉風!! 行っちゃダメ!!? 琉風!! 琉風ッッッ!!!!!

 

(こんな、気持ち……知られたら、ダメ……ダメよ……だって、私、私は、あの子の、あの子の相棒で、あの子の一番で、あの子の、あの子の、あの子の、あの子の、の、のノ、ノの、のぉおオおヲ゛お゛おッッ?!!!)

 

 ようやく。

 

 壊れ初めてようやく。

 

 彼女は、神酒谷琉風は、自分が黒い人型に飲み込まれつつある事を知る。

 

 顔の半分を取り込まれて、残る視界に映るのは一番、彼女が一番目に映していたい少女。

 

 何度でも、何度でも、傍で食事をして。

 

 何度でも、何度でも、傍で笑い合って。

 

 何度でも、何度でも、寝台で睦み合いたい。

 

 そんな少女だった。

 

―――琉風?!! 頑張ってよ!! ねぇ?!!? 琉風ったら!!!?

 

 ああ、今更にこの気持ちを言葉になんてしたくないと。

 

 壊れつつある彼女は、神酒谷琉風は、後悔しながら告げる。

 

「だイすキだよ。藍」

 

 庇えた。

 

 それだけでいい。

 

 自分を染めていく黒。

 

 そう、彼女を買ったモノの成れの果てに呑み込まれながら、それでも彼女は思う。

 

 自分で良かったと。

 

 大切なあの子じゃなくて良かったと。

 

 それがフリなのかどうか。

 

 もう、彼女にはそれすらどうでも良かった。

 

 *

 

―――結界中枢塔前。

 

「琉風!!? 琉風ッッ!!!」

 

「今は無理だ!! 後ろに下がれッ?!」

 

「そんなの!!?」

 

「いいから下がれッ!!! 次撃準備完了!!! 新火!!!」

 

「は、い……」

 

 下がる仲間達。

 

 その間隙を縫って描き上がる一撃の名は。

 

「【風雷神交図《ふうらいじんこうず》】!!!!」

 

 描き出された雲間より覘く四つの瞳。

 

 その神々の視線によって周囲に吹き荒れるのは止む事なく続く嵐と無限とも思える雷撃。

 

 溢れていく圧倒的な暴力はしかし範囲圏内のみを片っ端から巻き上げて雷で打つのみ。

 

 一切後ろには変化を齎さない。

 

(クソッ?! どうする!!? 相手が多過ぎるッ!!?)

 

 左楼影近にとって。

 

 世の中とは常に理不尽に満ちている。

 

 今、仲間を庇った少女が黒い人型に飲み込まれた事もそうだ。

 

 過去、まったく画の才能が無いと家族に断言された事もそうだ。

 

 毎日毎日毎日毎日、その練習に明け暮れたとしても、彼が目指すものへ辿り着く事はきっと無いだろう。

 

 それは真に天才と謳われた家族達からの太鼓判。

 

 まるで呪いの如き重り。

 

 父は言った。

 

『お前には才能が無い。だが、何も心配するな』

 

 母は言った。

 

『貴方には才能が無いわ。でも、心配する事無いわよ。芸術を真に理解する人間なんて極少数なのだから』

 

 そういう事ではないのだ。

 

 別に生活の保障が欲しかったわけではない。

 

 左楼の家の人間が描いた画なら、誰だろうと文句なんて言えないから問題にならない。

 

 そういう慰めが欲しかったわけでもない。

 

 ただ、認めて欲しかったのだ。

 

 自分の描いたものを。

 

 賢明に磨いた腕を。

 

 けれど、だからこそ、優しくて厳しい家族の誰もが彼に言った。

 

 お前には才能が無い、と。

 

 本当に素晴らしい芸術に値すると言えるモノの前では、お前の画は霞むばかりだと。

 

 だから、そんな無駄な努力はせずにいい。

 

 適当に画を描きながら、違う生き方を探せ。

 

(ああ、まったく。余計なお世話だ!!)

 

 皮肉げに嗤いながら。

 

 渾身の筆を振るう。

 

 家族に否定された画。

 

 自分が良いと思うもの。

 

 幾ら描いても届かない頂を望む一筆。

 

(いいじゃないか!! 俺がやりたいってだけだ!! 余計なお世話なんだよ!! 人の人生だ!! 口出しするなよ!!!!!)

 

 賢明に描いて、描いて、描いて、描いて、食べる時も呑む時も勉学をしている時ですら、頭の中に描き続けた無数の憧憬。

 

 神に届くようになってすら。

 

 神すら彼の下へ参じるようになってすら。

 

 ああ、それでも届かない。

 

 悔しい程に芸術ではないと。

 

 彼の目指したものではないと。

 

 誰よりも自分自身が思うから。

 

 苦悩ばかりが嵩んできた。

 

「【王霊官戯画《おうれいかんぎが》】!!!」

 

 王枢火府天将《おうすうかふてんしょう》。

 

 無数いる神霊の将の中でも一際耀くもの。

 

 紅の篭手。

 

 神柱ともされるその腕が掴む剣は苛烈にして無比。

 

 次々にやってくる人型を、描き出された腕が細く撓《しな》る劍《むち》で薙ぎ払う。

 

(筆は残り二十一本。まだまだ行ける!!! 行ってみせる!!!!)

 

 苦しいばかりだった。

 

 哀しいばかりだった。

 

 それでも、求めた。

 

 求め続けずにはいられなかった。

 

 何故なら、画が好きだった。

 

 自分にもこういうものが描ければいいと思った。

 

 誰が否定しようとも、何が立ち塞がろうとも、そうしたいと願い、望み、叶えようとするのは自由だ。

 

 その自由が人生の全てを奪っても、それに悔いなど無い。

 

 ただ、辿り着けない事だけが、無力だと突き付けられた現実が、痛いだけだ。

 

 諦観など当の昔に通り過ぎた。

 

 後は意地。

 

 求め続ける心のままに描く事しか出来ない。

 

(後、何本だ。何本……)

 

 生き残れるか。

 

 死ねるものか。

 

 戦わなければ。

 

 まだ死んでいない。

 

 砕け散るような衝撃。

 

 迸る激情。

 

 仲間達の事すらもう分からない。

 

 無心。

 

 ただ、無心に腕を動かして。

 

 ようやく。

 

 もう自分の手に筆が無いと気付く。

 

 ようやく。

 

 絵具が切れ掛けている事を知る。

 

(まだ、まだ……)

 

 空間に描き付けるのは我が身の色。

 

 神を持って来ようと言うのだ。

 

 生贄も無く、触媒も無く、陣すら使わず遣ろうとすれば、それくらいの代償が必要だろう。

 

 乾いた身体。

 

 薄れていく意識。

 

 それでも描けるのならば。

 

「ぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッ!!!!!!!」

 

 人差し指、中指、小指、薬指、親指。

 

 骨が軋しみ、指が折れようと。

 

 描き続ける。

 

 両手の指がダメになったなら、今度は腕を使おう。

 

 それもダメになったなら、頭でも、足でも、使い潰せばいい。

 

―――もう止めて!!? 影近!! 死んじゃう!!? ダメ!!?

 

 渾身にて描き上げたのは旧き言い伝え。

 

 その者、大地に抱かれて、次の乱世を待つ。

 

 未だ出ぬ英雄を人々は世の底に眠る龍に例えた。

 

「【蟄竜子《ちつりょうし》】!!!」

 

 神の召喚、ではない。

 

 仲間達。

 

 もう見えぬとも、残っているのならば、戦う術を残さずして、行けはしない。

 

 命で織り成された卵の画が花開く。

 

 それは蝉の如く。

 

 儚くも誰かを守る龍の鎧。

 

「死ぬなよ」

 

 意識が墜ちる寸前。

 

 黒いものに呑まれる。

 

 理不尽に抗って、抗って、抗って、それでもやはり届かないとしたら、どうすればいいのか。

 

 答えは誰も教えてはくれなかった。

 

 ならばこそ、見付かるかもしれないと。

 

 この話に乗った過去の自分より、今前に進めているのか。

 

 分からずとも。

 

 一つだけは確かだ。

 

(才能なんて、あいつらは気にもしないんだろうな……)

 

 小さく、小さく、ただ、笑みが、零れた。

 

 *

 

―――結界中枢塔前。

 

「はぁはぁはぁはぁはぁ―――」

 

 蔡導新火にとって、世界とは呪いだ。

 

「はぁはぁはぁはぁはぁ、んッッ、く」

 

 いつもいつもいつもいつもいつもいつもいつも、自分を追い詰める最悪の壁。

 

 毎日毎日、辛いだけの日々。

 

 飲む物はいつだって陰陽の為の薬湯。

 

 齧る物はいつだって歯が欠けそうな骨片。

 

 皆全て家の技を完成させる為に。

 

 そう育てられ、そう学ばされ、そう言われ続けて来た。

 

 親に育てられた事など無い。

 

 毎日が修練。

 

 日々が鍛錬。

 

 師というのは肉体を調整し、技能を次代へと紡いでいく為に成長させる歯車の一つであって、親しい者という意味は持たなかった。

 

 幼い頃から一人で魔と戦わされた事。

 

 絶対に勝てぬ相手を前に絶望の中で死を感じた事。

 

 技の為に贄となり、拠り代となり、傀儡《くぐつ》となり、死ぬ程の激痛と隣り合わせに弄くられた事。

 

 全てが当たり前だと思っていた。

 

 誰もがきっとこんな世界に生きているのだと信じていた。

 

 誰もがこんな夢も希望もありはしないと単なる物として生きているのだと思っていた。

 

(僕は絶望しないっ。僕は絶望しないッ。僕は絶望しない!! あの日に比べれば、こんなものは何でもない!!!)

 

 笑っていた。

 

 人々は笑っていた。

 

 初めて外に出して貰えた日。

 

 縁日の境内。

 

 舞う自分を見て目を耀かせる子供と大人。

 

 ああ、どうしてそんなに素晴らしいものを見ているような視線なのか。

 

 輝かしいものを内に秘めているのか。

 

 この舞いの為にどれだけの年月と血と痛みと苦しみが積まれているのか分かっているのか。

 

(誰も……この呪いを知らなかった……知る必要も無く生きていた……誰かの為の力……我が身も省みぬ献身……違う……これは呪い……単なる力の器……)

 

 生まれた時から母を知らず。

 

 父を知らず。

 

 家族を知らず。

 

 単なる歯車として見目麗しい形に造られた生き物がそう振舞うのは当然。

 

 所作一つ。

 

 視線一つ。

 

 全てを造る為にどれだけの歳月を掛けただろう。

 

 見知らぬ世の誰かの為に在る力。

 

 そのようなものとして生まれ付いた事こそが不幸か。

 

 何も知らずに“造型”で息絶えていたならば、味わわずにいられたものを知った日。

 

 彼は不要となった。

 

 たった一滴。

 

 たった一滴の雫。

 

 舞いに本来在ってはならない不要な要素。

 

 それを流した為に。

 

 蔡導新火は歯車として失格であるとの烙印を押されて、単なる肉の塊として飼われる事となった。

 

 全ての苦行から開放されて。

 

 何も言われず。

 

 何もされず。

 

 空気のように扱われながら。

 

 目的も無く。

 

 死に続けるような毎日が始まった。

 

 食べ物を与えられ、着物を与えられ、部屋の片隅の置物として生きる。

 

 それは―――あんまりじゃないかと彼は思った。

 

 今更、今更、今更、今更、今更だ。

 

 最初からそうだったならば、そんな気持ちになる事も無かった。

 

 父と母の愛が無くとも、無為の安寧に沈んでいられた。

 

 あんなにも過剰な教育とやらを施しておいて、必要なくなったから、放っておくと言うのか。

 

 今度は飼い殺し。

 

 学ばせたものが、学んだ者の中でどんな変化を起こしているのかすら想像しない。

 

 その浅薄、その酷薄―――万死に値する。

 

(クストス様。僕に力をっ……)

 

 あの日。

 

 家を焼き、本堂を焼き、舞台を焼き、家人を焼き、自らを焼き、それでも己の毛先すら燃やせず。

 

 強大な家の者達と相対し、その尽くを地に臥させて、命の全てを燃やし尽くす寸前。

 

『君は輝かしいな。だが、その暗さは、その命は、君だけのものだ。誰の為に使い尽くす事も無い。違うかね?』

 

 救われたのだ。

 

 死ななかったのだ。

 

 この想いを言葉にしてくれる人がいた。

 

 それが無性に嬉しかった。

 

 この世界が呪いだとしても、呪いそのものである自分を認めてくれる人が出来た。

 

「琉風さん、影近さん……ごほっ、ぐ、ごほ、んく」

 

 敵は圧倒的だった。

 

 物量はどうしようもなかった。

 

 不意打ちで一人は呑み込まれ。

 

 限界で一人は捕らえられ。

 

 そして、今戦える唯一の自分に、結界を張り続ける自分に、終りが近付きつつある。

 

「新火君!?」

 

「藍さん……ジャンビットさんが迎撃に行った方角に逃げて下さい。あちらはまだ手薄、です……」

 

 雨が降り出した塔の前。

 

 未だ数体が残っている。

 

 初手にまず相手が自らの手駒を増やしたのは想定外。

 

 その数、千以上。

 

 もう、何体いるのか分かりはしない。

 

 魔術によって次々に湧き出す黒き人型の群れ。

 

 それを塔手前では迎撃出来ないと老給仕は遠ざかり、四人での戦闘となった。

 

 それでも敵の数は多過ぎた。

 

 銃弾は既に撃ち尽し。

 

 画は尽きて。

 

 今は魔力すら枯渇しつつある。

 

「そんなの!!?」

 

「まだ、藍…さんがっ、ぅ……生き残っていれば、琉風さんも影近さんも助けられる可能性が、あります! 呑み込んだ人型が下がっていったのは貴女も見ていたはず、です……」

 

「ッッ、でも、新火君はどうするのよ!!?」

 

「僕、僕は……今いるこいつらを道連れにします。魔力が尽きても我が身を贄にすれば、塔を守る結界の強化くらいは出来ますから」

 

「馬鹿?! 此処はジャンビットさんと合流―――」

 

「行って下さい。そもそも、僕の寿命はもう然程長くありません。ですから、気にせず」

 

「え?」

 

「クストス様が気を使って下さったので誤魔化せていましたが、僕は……元々、体力が無いというよりは、寿命が無いんです。ほら?」

 

「―――う、腕が?!」

 

 美しいものの寿命は儚い。

 

 “造型”は須らくあらゆる肉体的力の凝集から始まる。

 

 短くとも散り際にこそ耀く最高の術者を求めた結果がソレだ。

 

 細胞はそもそもが限界まで力を高める為に傷付き過ぎている。

 

 それを陰陽の力で無理矢理保っているだけ。

 

 だから、魔力が枯渇すれば、自然と本来の形に戻っていく。

 

 カラカラに干乾びた西部で言う木乃伊のような腕。

 

 細胞分裂限界など、当の昔に超えているのは見なくとも痛みすら遠い感覚に解ってしまう。

 

「あ、新火、君……っ」

 

「行って下さい。僕は死んだ後まで貴女を守れません。ジャンビットさんなら、どうにか出来ます。クストス様が戻ってくれば、僕も助かるかもしれませんし、ね?」

 

「―――あ、あたし、あたしはッ?!?」

 

 歪む顔。

 

 涙滲む瞳。

 

 まったく。

 

 今になって。

 

 こんなにも心配してくれる人が出来た。

 

 あの人の言う通り。

 

 あの日、言われた通り。

 

『少年。生きろ……君にはきっとこれから大切にしてくれる人が出来る。大切にしたい人が出来る。我輩が保障しよう。君は一人ではない。いや、君だけが一人ではないのだ』

 

 苦笑して。

 

 あの日、手を取った事に感謝して。

 

 この不器用な己に出来た最初で最後の仲間達。

 

 その一人に呟く。

 

「陰陽封陣結界百八層……何人も犯す事叶わず……」

 

 今まで薄く薄く塔と自分達を覆っていた半透明の結界。

 

 その全てを託す。

 

 遺された竜の鎧。

 

 世に二つと無いだろう美しき甲冑と合わせれば、たぶん戦闘時間一杯は守ってくれるはずだと。

 

「影近さんの遺したソレと一緒に行って下さい。大丈夫ですよ。僕は……」

 

「ごめんッ?! あたしッ!! 何も出来なくてッ!! 足手まといでッ!! 戦えなくて……ッ」

 

 結界に包まれながら、そんな可愛い事を言う少女に。

 

 いつもこうならいいのにと苦笑して。

 

「何言ってるんですか? 藍さんはいつだって僕達の中心でした……それだけで僕達は纏まる事が出来た……だから、行って下さい……生きて絶対に皆を助けてください……信じてます」

 

「あ―――」

 

 人型達が様子見を止める寸前。

 

 移動用の陰陽方陣を結界に縫い付け、指を弾く。

 

 高速で遠ざかっていく結界の球体の中で紅の鎧を横に何を喋っているのか。

 

 聞いてみたい気もしたが、それも叶わず。

 

 最後にこんな姿を見られずに良かったとガサついて罅割れた唇を歪める。

 

「さ゛ぁ゛、来い゛」

 

 喉も限界。

 

 陰陽を起動させる呪を紡ぐ事も不可能。

 

 錆び付いた老人の手足では一撃まともに避ける事も出来はしない。

 

 だが、最後の一撃の為に最低限の力は残してある。

 

 笑んだ頬が罅割れた。

 

 残してある舌の上の方陣を起動する。

 

 まだ瑞々しい色を失わないソレは意識上で方陣を起動するのに打ってつけの媒体。

 

 生活の中で刻み込まれてきた。

 

 無数の言葉を織り成した陰陽師の肉体の一部。

 

 だからこそ、儀式術に使う贄としては十分なものとなる。

 

(これを用意したのは随分と前だった……けれど、こうして使う事が出来るなんて……僕は恵まれてますよね? クストス様……)

 

 大きく口を開いて。

 

 顎すら外れ、頬すら裂け、陣の中心となった其処からゆっくりと円と文字が描き出され始める。

 

 黒い人型達の攻撃。

 

 複数の触手が肉体を直撃、貫通。

 

 だが、死なない。

 

 いや、死ねない。

 

 ならば、良し。

 

 ズタボロになった衣服が弾け、身体の全てが顕となる。

 

 まったく醜い。

 

 老人よりも枯れた躯体。

 

 貫かれたところで痛くも痒くも無い。

 

 何故ならば、もはや其処にあるのは抜け殻に等しいからだ。

 

 陰陽大家が極める術の幾つかには大系修練の最終にそもそも肉体を棄てるモノがある。

 

 魂魄のみという場合もあるが、国家祭儀を司る最高位術者の輩出家、蔡導(さいどう)は違う。

 

 純粋な思考能力の保持にだけは物質的な器を用いる事とした為、人としての命を終えた場合でも本体と呼べるものが現実には残る。

 

「見せ゛て゛や゛る゛……呪わ゛れ゛た゛家の゛力を゛……」

 

 肉体が朽ち。

 

 明らかに普通とは違う硬質な背骨が剥き出しとなった。

 

 頭蓋と顔は砕け散り、血の一滴すら無く。

 

 耀ける脳髄が顔を出す。

 

 そして、肉体が変色し切って剥落し、解き放たれた舌が紡ぐのは自らという方陣。

 

 命を命として廻す生命の円環。

 

 陰陽を持って己を鍛造し、本来あるべき生命の力を凝集した魔力を持って一つの陣と化さしめ、存在として新たなる階梯へと上がる。

 

 魔力が尽きれば朽ち。

 

 如何なる時の流れにも抗う術の名は。

 

「【陣化秘法《じんかひほう》】」

 

 ようやく人間を止めたからこそ、手に入る力は三つ。

 

 人にあるまじき思考速度。

 

 人にあるまじき術の強度。

 

 人にあるまじき【真理《アレーテイア》】への到達。

 

 七教会だろうが、旧教会だろうが、未だ解明していない大宙全ての諸法則。

 

 その根源への理解に達する超越者としての認知能力の向上は……あらゆる魔術を飛躍させる。

 

 魔力が無ければ、生み出せばいい。

 

 智識が足らなければ、今此処で創ればいい。

 

 到達し得ない技ならば、到達してしまえばいい。

 

 そんな、ご都合主義の脳髄と背骨と舌が嵌め込まれた陰陽方陣の化物。

 

 それが今は蔡導新火の姿だ。

 

―――【要素《エレメント》】の抽出。

 

―――砲の【再顕《エフィンゲレ》】開始。

 

―――魔力主本体を【血統性概念魔力《サングィニス・マギシス》】に指定。

 

―――意匠【虹炎女神《アルロラ》】を選択。

 

―――詠唱形態【完全並列擬似詠唱《オーバー・ディス・キャスト》】。

 

―――【半無限機関《レモン・マグナ》】構築。

 

 少しでも敵を減らさなければならない。

 

 ならば、己の命などに構っている暇はない。

 

 自らの魔力でしか駆動しない陣《じゅみょう》のカウントダウンは円環の一部消失という形で刻一刻とされている。

 

 だが、構わず。

 

 己に生み出せる最後の一撃を目指して次々に術の工程は加算される。

 

 壱工程。

 

 世界の構成を司るモノの抽出。

 

 弐工程。

 

 概念域より牽いた砲の顕現開始。

 

 参工程。

 

 術の構成魔力の指定。

 

 肆工程。

 

 神々の力を借りる象形の選択。

 

 伍工程。

 

 術構成の為の詠唱様式確定。

 

 陸工程。

 

 魔力増殖用簡易無限機関の構築。

 

 神の力を借りる象形の選択以外、本来ならば未だ到達し得ない技能であり、叡智ばかり。

 

 大魔術師ですら、これらを数十秒足らずで揃えるのは不可能。

 

 命を削り、出来ない事を無理矢理にしている代償は魂魄すら消滅する完全なる途絶への恐怖。

 

 それでも止めはしない。

 

 止めることなど出来ない。

 

 それを止めた時、蔡導新火は自分を止めてしまうに等しいのだから。

 

 彼という陣を中核に構成される一本の塔。

 

 否、砲。

 

 それが伸び上がっていく。

 

 彼と同じ耀きで構成される根元、正八角形の台座こそは魔力増殖用の無限機関。

 

 周囲の人型達が突撃の度に弾かれている高速で回転する方陣は内部で詠唱された文言を繰り返す機構。

 

 高速で言霊が周回する毎に小難しい詠唱を複数同時に行なったのと同じ効果が得られる。

 

 そうして、砲にゆっくりと描き込まれていくのは大陸に未だ現存する神々の一柱。

 

 炎の女神を現す象形。

 

 遥か北部の果てで見られるという空の耀く布。

 

 その語源となった者は揺らめきながら千変万化する虹の如き炎として描かれる。

 

 影近ならば、どう描くか。

 

 そう思いながら刻み上げた砲の表面。

 

 薄らと燐光が漏れ出した。

 

「【虹炎大烙壌《アウロリア・シェオル》】」

 

 一直線に打ちあがった紅の一線。

 

 上空の一点に集約し、膨れ上がっていく光球。

 

 それが都市に蔓延る全ての人型を照準した。

 

 球より吐き出される無数の光線は威力も無い座標確定《マーキング》用。

 

 それが当った部分に刻まれた燃え上がる炎の象形は経路《チャンネル》を強制的に繋ぎ、如何なる速度で相手が機動しようと絶対に魔術を命中させる。

 

 言わば、死の紋章。

 

「消え・失せろ・僕・達の・勝ち・だ!!」

 

 光球が不意に消失した。

 

 別空間。

 

 異相へと流れ込んだ膨大な魔力の本流が指定された転化を終えて収束、相手のいる空間へ直接顕現、激発した。

 

―――チュッ、ゴァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッッッッッッッッ!!!!!!!!!

 

 超高速で連続する爆裂の雨が地表を嘗め尽くし、無数のクレーターを都市に刻んでいく。

 

 その爆裂する光球の表面は無数の色が混じり合い、入れ替わり、正に虹の如く美しい。

 

 もう一発。

 

 そう思考した瞬間。

 

 真下から黒きものに方陣が呑まれて行く。

 

(照準前から地中に潜ん―――)

 

 喰らわれていく魔力。

 

 萎んでいく命。

 

 途絶えていく思考。

 

 それは消滅という事実への加速。

 

「……藍さん・皆・さん・を………」

 

 蔡導新火にとって、世界とは、己とは呪いだ。

 

 精確には呪いだった。

 

 だが、今は違う。

 

 違って、見える。

 

 呪いは今や仲間を守る道具にしか過ぎなくなった。

 

 だから、彼は呟く。

 

「クストス様・僕・生きてて・良かった・です……」

 

 小さな少女みたいな少年にとって。

 

 輝かしいものを己の内に見つけた時から、それはもう大切な絆だったのだ。

 

 命の終わりに向かいながら、少年の意識は最後まで仲間達を気に掛け、途絶えた。

 

 *

 

 ジャンビット。

 

 そう呼ばれる彼は―――物語になる事を拒絶した。

 

 ザリザリとノイズが世界に奔り、ザリザリと空間が乱れる。

 

 乱発された味方からの転移砲撃が相手の増殖元を断ったのか。

 

 気配は増えていない。

 

 しかし、予断は許されず。

 

 また、彼の周囲は破壊の爪痕《クレーター》で埋め尽くされていた為、その熱気が収まるまでの猶予《インターバル》は休息に当てられた。

 

「若者達を守れませんでしたか……嫌なものだ。この身体くらい全て削り尽しても構わないと言うのに……」

 

 常の衣装もボロボロな老給仕の肉体。

 

 その内側からは触手がまるで萎れた花のように所々飛び出ていた。

 

「“貴方”にだって解っていたはずだ。いつか、こんな日が来る事は……諦める事……それこそを“彼”は学んだ。だからこそ、次代へと紡ぎ、伝えようという今に至った」

 

 空に向けて。

 

 今も自分を見ているだろう相手に向けて。

 

 ジャンビット。

 

 そう呼ばれた存在は哀しそうに声を上げる。

 

「昔々、まだあの方が貴方の傍にいた頃。貴方は知っていたはずだ……人間とは儘ならないからこそ、その先へと託して生きていく。それがいつかは貴方の求め、望んだ未来に繋がっていく。そう信じられるからこそ、貴方は人々を導き、人々を癒し、人々を守っていた」

 

 その顔に涙は無い。

 

 だが、旧い旧い憧憬がその瞳には滲む。

 

「だが、どうだ!! 今の貴方は全てを救う為に人を否定している!! 可能性を摘み続けている!! 報われぬ者に報いの手を!! そう説いた貴方がだ!!」

 

 怒りではない。

 

 苦しみを宿して。

 

 老給仕は叫ぶ。

 

 届いているはずの声。

 

 応えぬ相手に我が身の全霊を持って訴える。

 

「私は彼に付きます。力なく、及ばず、幾度と無く涙を堪えて歩いてきた、人間として、一人の旅人として、世を見つめ続け、導き、共に笑い合った彼こそが、今は貴方だ!!」

 

 未だ灼熱するクレーターの先。

 

 揺らぐ景色の中に新たなる人型を見つけて。

 

 彼は、触手に身を宿した老給仕は拳を構えた。

 

「それが答えならば、我が身は―――神魔《じんま》を断つ剣《つるぎ》と成りて、御夜《みよ》の禍《まが》つを打ち祓《はら》わん」

 

 ジャンビットの上半身を蔽う衣服が弾け跳ぶ。

 

 その体躯の隆々なる様は何処かの誰かに似ている。

 

 そして、湧き出した通常とは異なる蒼き触手が七対十四本の巨椀を産み出した。

 

 それは東部においてならば、武の神とも呼ばれる一柱にも思われるだろう。

 

「外神独立遊撃戦隊第一部隊長【神異絶葬《デウス・セプルトゥリア》】ジャンビット・AP・オーバーアーク。参るッッッ!!!!」

 

 全ての腕がその手を合せた。

 

 途端。

 

 人型達がまるで左右から押し潰されたかの如く。

 

 一瞬にして霧となって消え失せ―――無かった。

 

 潰された触手が細い触手となって枝分かれし、再び人型へと再構成されていく。

 

「ふ……つまり【我が身は何処にも在り、その手は人々と遍く繋がる】辺りですかな。“書いた当時の事”を思えば、まったく思い上がっていたかもしれません。今ならば、私はこう書きますよ」

 

 タン。

 

 軽い音と共に巨躯が唐突に消え失せ、数十人の人型達が全て射程に入る上空へと出現した。

 

「【この手は共に在る者の為に有り、人々は人々の為にこそ繋がるだろう】とねッッ!!!」

 

 巨椀の全てが瞬時に掻き消えた。

 

 ドガンッッッッッッ。

 

 一発の激音と共にクレーターが更なる上書きで巨大な一つの半球と化す。

 

 数百mにも及ぶ岩盤の粉砕で湾曲した壁の一部から水が噴出した。

 

 しかし、それでも未だ半数の人型は怖ろしい衝撃の中でも生存し、再び新たな形を取り戻すと上空に向けて防御用の方陣を数十枚も重ねて展開していく。

 

「そのようなものが、通用する戦場《いくさば》ならば、私は貴方を守れていませんでした!!!」

 

 落下。

 

 その最中。

 

 腕が再び消える。

 

 消え、続ける。

 

 無数の残像すら無い。

 

 超高速で迫る超圧力の超連打。

 

 単なる力強い打撃のみが、織り成す光景は魔力の欠片も関係なく。

 

 魔力で生み出された超常の防御方陣を割り、相手に反撃の暇も与えず。

 

 それだけの力で都市の8分の1にも及ぶ領域を衝撃によって発生する熱量で“融かし切った”。

 

―――ォォォォォオオオオオオオオオオオオオオオオオ。

 

 罪人の叫びの如き大地の沸騰音。

 

 顕れるのは聖典に曰く。

 

 全ての咎人を沈める灼熱の釜。

 

「【火獄大淵撃《インフェルナレム・アビスム》】」

 

 ゴポゴポと音を立てる地表に開いた終焉の穴の中から、それでもまだしぶとく黒い触手が焦げながら浮かび上がって形を取り始める。

 

「これは骨が折れそうだ……数千年ぶりの手合わせとゆきましょうか!!!」

 

 巨大な腕が唸り。

 

 地は獄炎に没し。

 

 そうして、宴は始まる。

 

 黒き卵。

 

 まだ孵らぬその中で。

 

 何者かがふと笑んだ。

 

 頑固者。

 

 そう呼ばれた大昔から何も変わらない男の声は教会が始まった頃、誰かに倣われたように……ただ、神と民の為にこそあったからだ。

 

 周囲にある円柱が少しずつ罅割れていく。

 

 極大の猛攻を前にして術と陣を維持出来なくなって来ているのだ。

 

 しかし、それよりも問題なのは未だ孵らぬのに敵たる男が陣の目と鼻の先に辿り着いた事か。

 

「―――【着包野郎《サンドイッチマン》】……貴様にこの都市を滅ぼさせはしない……我輩と我輩に続く者達が決して、お前を許しはしない……貴様の一部、此処で削り散らすッッッ!!!!」

 

 今まで如何なる敵を前にしても泥一つ付かなかった衣装を煤けさせ。

 

 真白き触手を甲冑の如く着込んだ怪紳士が一人。

 

 クストス・ハリ・マーシー・アッハ。

 

 奇奇怪怪なる者の決戦が始まろうとしていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。