第三章九十節
第三章九十節「祭忌禁交ⅩⅡ」
その場に辿り着いた時。
少年が見たのは塔の屋上。
その紫色の屋根に転がる小さな木製の人形だった。
関節は曲がった釘で出来ていて、お粗末にも人の形をしているだけという感じのお手製感が滲み出た品。
しかし、その各部を見れば、ささくれで怪我をしないようにと腕や足や顔や動体が丁寧に鑢掛けされている。
釘にしても抜けないようにと少し熱を加えて継ぎ目の部分を溶かしており、子供の力では壊す事でしか四肢がもげたりはしないだろう。
一目で少年にはそれが誰かにとっての想いの形なのだと分かった。
不恰好でも丁寧に誰かへ贈られる為に作られた代物。
その温かさは時間が経とうとも変わらない思い出だろう。
「そこの人形、でいいのかな?」
「うん。繋がってたのはきっとソレだと思う」
傍らの腕に璃紗を抱いて。
少年はその言葉に瞳を細めた。
如何に誰かの想いが詰まったものだろうと。
今は事態の中核。
このままでは明らかに都市は破滅へと向かうと分かっているならば、それを破壊するのに躊躇は無い。
片腕の手の甲に方陣が浮かび、手の中へと剣が現れる。
一瞬、高速で振られた剣先はしかし、人形を断ち割る事無くバキンと弾かれて少年の腕に僅かな振動を伝えた。
それとほぼ同時。
落ちていた人形がまるで生きているかのように動き出すと見えない障壁もそのままに立ち上がってフワリと浮遊し、城の頂点。
その円錐形の塔の頂点に遠ざかっていく。
ピタリと城の真上に付けた人形が軋み。
その釘の関節部分から白銀の杭の群れが無限とも思える濁流となって湧き出し、壁面にしなやかな鞭のように絡んで一体化していく。
それと同時にグラグラと城が揺れて、周辺の区画では剥落した落下物によって建造物に多数の被害が出た。
巻き起こる粉塵。
いつの間にか本来は見えないはずの月が昇っている。
思わず都市の全景に目を向けた少年と璃紗はその大半がまるで光りの中に映し出された影絵のようなものに置き換わっているのだと理解して目を見張った。
「イクス?!! こ、これ!?」
「どうやら早くしないとマズイ、かな」
ゴギギギギギギギギ。
巨大な尖塔が埃を落としながら建材を軋ませ、生物のように蠢き自分の近くにいる二人を見下ろす。
そう、まるで人形に描かれた顔のような暗黒が三つ。
目と口になって彼らの10m程前に晒された。
「ひっ―――」
観察されている。
相手が城そのものと化したのならば、事態は思っていた以上に深刻だ。
ついでに言うなら、此処がハガスであり、現実であるという事を加味するなら、最悪都市の数分の一が破壊される事も覚悟するべきだろう。
だが、最も少年にとって憂慮するべき事態は相手が再生能力というよりは復元能力を持っている事だった。
単発の大威力技で相手を完全に消滅させるぐらいしか倒す方法が無い。
しかし、その範囲が広過ぎる。
大き過ぎる。
個人でもやれない事は無いが、それをするにはまず内部にいるドゥーズと合流しなければならないし、それが現在可能かどうかで言えば、不可能だ。
下の階層から不規則に振動が襲ってくるものの。
未だ内部から赤鬼宗家の当主が出てくる気配はない。
それは城の内部が復元し続けているからだろう。
階層をぶち抜く程の威力を受け続けて瓦解しないとすれば、敵を倒すには明確な弱点。
人形を潰すしかないのは明白だった。
「璃紗。今も人形の在る場所はそのまま?」
「う、うん……」
「じゃあ、ちょっと待っててくれないかな?」
「ま、待ってるって、何処で?」
「いる?」
『います』
「?!」
紫色のメイド服を着た誰かが少年の傍らに立っていた。
今まで気配すら無かった相手に璃紗が思わず少年の腕の中で縮こまる。
「だ、誰?」
「僕の使い魔?みたいな感じだと思ってくれれば」
「そう、なの?」
『周辺状況を報告します。現在、ハガス全域で物理法則の大幅な書き換えが行なわれており、内部の人的資源が変質しつつあります。変質は完了と同時に不可逆となる可能性があり、これを止める場合は中核となっている法則干渉体を消滅させるか。あるいはハガス内部の特異点を破壊するかの二択となります』
「特異点?」
少年の言葉にメイドが頷く。
『現在の観測結果によると特異点は三つ。ただ、現在のハガスでは因果律導線の混線が酷く。特定するには近付く必要があります』
「……ちなみに判明しているのは?」
少年はとりあえず聞く。
一つはもう既にほぼ分かっている。
『現在、目の前に展開する塔の中核部分に特異点の反応を検知』
「……璃紗を頼む」
『了解』
少年が璃紗をディアコノスに渡して、走り出す。
敵は城そのもの。不定形の足場はいつ死地になるかも分からない。
虚空へと離れたディアコノスを追うようにして城の各地から触手のように建材の鞭が複数伸びた。
それを許さず。
少年が片手の剣を高速で振ると鞭が途中から途切れて脱落し、再び復元して今度は自身の上を走る相手へと向けられる。
自己打撃。
自らを傷付ける事も厭わない爆裂が城の頂点へと向かう壁を打ち砕き、復元し、その爆砕された建材の煙の中に然して大きくも無い背中が消えた。
「イクス!?」
『問題ありません』
少女の瞳が自らを抱いて遥か頭上へと逃れていくディアコノスの言葉に虹彩を変化させ、不思議な虹色とも見える色彩を宿した。
「良かった……」
胸を撫で下ろす少女の瞳には何もかもを透かして、煙の中を疾走する姿が見えていた。
少年の足を掛けた部分から建材が変化して槍衾の如く突き出すが、それを置き去りにしながら垂直に近い壁が昇られていく。
鞭による追撃が幾度となく降り注ぎ。
道行を砕き散らすが、少年の速度は明らかに人類も亜人も超えて、一切の減速も無く。
音速近い鞭そのものにすら手や足を掛けて複雑な軌道を最短距離で描いていく。
やがて数十秒程で少年は虚空へと跳び上がった。
復元能力によってどんな無理矢理の攻め方も可能な城が今度は表層の全てを少年が上ってきた場所に出来た剣山の如く突き出し、高速で伸縮させた。
それは物理的な光景には見えない。
硬い金属や建材の全てが意思を持ったように莫大な運動を行なうのだ。
その針山の切っ先が音速を遥かに超えれば、周囲には空気との摩擦熱と断熱圧縮で焼き付く針山が発する熱量が発生する。
圧倒的な上昇気流。
僅か1秒毎に繰り返される幻の如き残像。
刺突の雨が空に降れば、生き物という括りの相手なら、大抵殺してしまえるだろう。
しかし、そうはならない。
虚空に僅かな魔力の残滓を残して、少年が跳ぶ。
跳び続ける。
音速よりも早いのならば、それよりも早く動けばいいという無茶な方法。
自らの全身を串刺しにするだろう先端を軽やかに回避し、その合間に肉体を滑り込ませ、剣が振るわれる。
建材の針山の表層が数十mに渡って剥落して、根元の地表が爆撃でも受けたように大質量の直撃にクレーターを作って消し飛んだ。
ガギガイガギギギギギギギギギギィィィッィイイイイイイイイイイイ。
学習したのか。
次なる一手は少年に対して伸ばされ続ける。
丸みを帯びた剣山が突き出されれば、距離が伸びる程にその隙間は大きくなる。
しかし、その伸び切った棘の表面から更なる棘が連鎖反応的に間を埋め尽くしながら相手を追うならば、敵に逃げ場等無い。
空が白く埋まっていく。
まるで超高速で吹き伸びる白い樹木。
上に行けば行く程に広く広く敵を追い詰めていく城は二十秒もしない内に都市の空全域を蔽う程に成長した。
「こんな?!!」
影と光と城に彩られた世界。
悪夢の如き光景。
地表に一瞬の転移で退避していたディアコノスの腕の中で璃紗があまりの事に絶句する。
何もかもが今までとは違い過ぎる。
今までこんな敵はいなかった。
世界を塗り替える敵。
“橋の上でも、亡郷の最中でも、无の海に浮かぶ大樹の里でも、無かった”。
少女は自分がずっと見続けていた少年の事を無意識に思い出しながら、敵の怖ろしさが能力にあるのではないと知る。
問題は相手が少年の守るべきものを既に手中としている事だ。
このままでは“また”少年が傷付く。
死んだような姿でボロボロになりながら、戦い続ける事になる。
思った途端、胸に浮かぶのは言葉。
必要ならば、呼べ。
そう、言われた。
異相の奥に連れて行ってもらえない自分が今この時この場所で願わないとしたら、嘘だ。
璃紗は不意に口に昇る言葉を紡ぎ。
自ら何も無い虚空にまるで本を握るように手を伸ばす。
其処には何も無い。
だが、見えている。
全ては与えられたものに過ぎなくとも、彼女は無力ではなかった。
その見えざる名鑑(めいかん)。
連ねられたる者達は決して只力を貸すわけではない。
決意無き者は代価を支払わされることになる。
瞳は全てを教えてくれる。
時が来たとすれば、彼女が望み願う事は一つ。
そうして、少女は今現在、少年に必要なのだろう名を自らの魔眼の内に浮かび上がらせた。
もう大陸では廃れて久しい。
魔族達の文字。
遥か過去。
人の姿を得た始祖達が生んだ人型魔族【血族種(ブラッディー)】が齎したソレ。
織り成されるのはこの大地に降り立った者の一人を顕す通り名だった。
真名でもなく。
呼び名でもなく。
どうして、人々に畏怖された名なのか。
言うまでも無い。
それを何よりも彼が大事にしていたからだ。
数千名に連なる一人。
4321年前。
大陸に勇名を馳せた魔王。
真の超高位魔族達からすれば、路傍の石程の技能しか有さなかった男。
その場に一石を投じた者の名は―――。
「【大壊匠(インテリトゥム・ドゥミヌス)】」
城の針山に埋め尽くされた空の中。
周囲を高速で切り払い続けていた少年が自らの周囲にある全ての物質が罅割れ、砂状になって解けていくのを驚きを持って見つめる。
超常の力。
魔力を伴わないものも多いが、それにしても相手が復元する様子が無いのを見れば、その能力が尋常のものではない事が分かるだろう。
「汝、淘汰されし同胞。謀り無き世を待ち、念残す者也」
空に声が響けば、強く強く。
少年の内側より力が沸き出す。
しかし、その男の姿を捉えるのは本人ではなく。
ただ、璃紗の瞳だけだった。
少年に重なるのは長髪のように背中側に伸びた複数の褐色の角。
漆黒の肌に業火のように燃え盛る色を宿した瞳。
纏われたのは擦り切れた赤い襤褸布。
古の王と呼ばれし存在がキロリと少女を見て。
フッと口元を歪ませた。
「遊べよ遊べ。我が名において汝を顕す。黒き暴虐働く輩(ともがら)、その手翳さば、死すらも壊さん!!!」
―――我が力、今は小娘に託すか……クカ、クカカカカッッ!!!
けたたましい嗤い声。
それを聞くのは少女のみ。
少年は下にいる守るべき相手から守られているのだろうと理解しつつ、己の力の限りで城の中核へと突撃を開始した。
ォオォォオオオオォオオオオオォオオォォオオオ。
砂の如く崩れた身体。
その復元も効かぬ場所が本体の壮絶な揺すりで剥落。
再び根元から一瞬で復元していく。
しかし、砂となった城の一部は地表を打撃する前に完全な粒子状となり、雨の如く街に降った。
少年が剣を高速で振る。
それに合わせたかのように少女の瞳には魔王が自らの力を少年の一撃に重ねたのが分かった。
剣圧のみで構成された空気の凝集体。
それが全てを粒子と化す能力を得て、吹き伸びる鋼と建材の鞭を解き。
頭上から降ってくる槍衾をも砂雨と変えた。
虚空を魔力を蹴り付け加速していく少年の斬撃は相手の本体を捉えずとも、復元の為に一瞬だけ剥落する作業を敵に強いる。
この致命的な時間が約1秒。
その間に少年が繰り出す斬撃による見えない剣圧が三十数発。
加速度的に城が砂と化し、崩壊を食い止める為に剥落し、復元しても復元しても復元し切る前に体積が失われ、街全体が埋まっていく。
「これなら!!!」
少年が城の頂点を目指す。
今は大樹とも呼べるモノの中心にある人形へ。
一撃。
それで終ると少年の手から剣が放され、魔王が指を弾いた。
その途端、璃紗が見ている世界が静止する。
―――知っているか……世にある全ての物質は静かに回り続けているのだ。
肉体の節々がら立ち昇るのは細い細い炎の筋。
―――我が力は全ての回転を止める事であらゆる構成を破壊する。
紅の糸が男の周囲から世界に浸透するように酷く微細に分岐しながら、煌きを宿して塔の変容した大樹を絡め取っていく。
―――故に質量が存在する限り、如何なるモノもこの糸より逃れる事|態(あた)わず。
璃紗の瞳には見えていた。
素粒子。
そう呼ばれる最小構成単位のソレが動きを止めていく。
それは如何なる異能か。
―――化物……貴様が如何なる法則の下に動こうと実態ある質量である限り、真理なる崩壊から免れる事は出来ない。
ギョロリと塔の中心部。
静止しているはずの世界の中で巨大な瞳が開いた。
その虹彩の中心には人形が存在している。
「貫けッ!!!!」
動き出した世界。
手放された剣が少年の前で薄く薄く透明になっていく。
何がどうなっているのか。
その瞬間、何か剣から煌く光りの欠片のようなものが刹那で飛び出し。
次の一瞬で塔の瞳が無数の剣に貫かれていた。
「これでッッッ、終りにするッ!!!!」
少年の手が思い切り何かを引っ張るような動作をした。
途端、先程まで塔の頂点であった場所からベキベキと罅が入って、破断した。
ズレ、傾いで落ちていく都市上空の巨大な傘。
それが砂状になって土砂降りの雨を降らせる。
パキンと今まで少年の傍にあった剣が完全に消えた。
「閃剣が奥義の一つ……【映斬(えいざん)】」
塔中枢に突き刺さっていた剣が砕け散る。
よく観れば、その内部は空っぽだった。
完全に外側の薄い部分だけが本物であったらしく。
数十本の剣が伽藍堂の内部を晒して砂と化していった。
―――クカカカッ……欠片へ実体を光速で送る、か。
「どういう事?」
璃紗の問いに今も彼女にしか見えていない魔王が答える。
―――飛ばした剣の欠片に仕掛けがあるのだろう。
「どんな?」
―――在るか無しかを送り、それに元の実体を光速で送りつける。
「??」
―――如何なる場所にも己の刃を顕す……故に映す剣というところか。
「???」
古の魔王は璃紗が頭を悩ませるのにニヤリとして用事は終ったとばかりに虚空に解けて消えた。
「璃紗」
「あ、イクス」
少年が虚空から降りてくる。
その場所へディアコノスが少女を抱えたまま歩き出す。
「大丈夫だった?」
「うん。イクスは?」
「大丈夫。何かしてくれたのは璃紗だよね?」
「う、うん」
「ありがとう。とりあえず、上の方でドゥーズさんがどうなってるか確認してくるから、それまでこの子と一緒に待ってて」
クシャクシャと頭を撫でられて、コクリと少女が頷く。
「じゃあ、行って来るから」
少年が再び、虚空を魔力で蹴りながら飛翔していった。
残された璃紗はその背中を見送ってから、自分の手をジッと見つめる。
今の自分には力がある。
それが覚悟を必要とするものだと理解し、使った。
その代償なのか。
小さな己の手に何やら薄らと浮かぶ紋様を見つけて。
「………」
それが自分の瞳にしか見えないものなのだろうと気付いて。
彼女は苦笑する。
(どんな代償だったとしても、イクスがいなくなっちゃうより、ずっといい……ね? 師匠……)
小さな身体が決意を胸に秘め、大人びた顔で強く強く想いを新たにした。
まだ、夜は次の夕方《あさ》には誰も届いていなかった。
*
巨大な塔が突如現れ、空に広げた傘。
その崩落と共に影絵の都市に降り掛かる砂の雨。
そんな異様な状況の中。
アイクロソスとヴァルは原因らしき塔までの道を諦めていた。
と言うのも、道の全てが砂で埋まってしまった為、辿り着こうにも飛んでいくしかなくなったからだ。
二人ともそれなりに魔術師としての技能はあったが、飛行専門の術を修めているわけではない。
その上、この異様な状況下では魔力の枯渇がそのまま死に繋がる可能性もある。
未だ出会っていないとはいえ、確実に影絵と化していく世界に何かいる事は彼らの本能が教えていた。
「どうする?」
「ふぅむ。どうするかのう。敵を探すには時間が掛かり過ぎる。あちらの方に行けないとなれば、他の場所を捜索するしかないわけだが……」
悩む彼らが大通りのど真ん中で砂の山を前に次の行動を決めあぐねている時。
彼らの耳が劈くような雷鳴を聞いた。
「「!?」」
二人が同時に振り向くと北部とは反対方向の南部で巨大な雷が断続的に輝きながら放電している。
そうして、それが納まる前に彼らは同時に走り出していた。
何かが起きた。
ならば、それを確かめに行く。
至極単純な動機だろう。
北部に行く道とは違って砂が比較的少ない場所を彼らが滑るように通り抜けていく。
そうして、数分の疾走を経て。
その目に飛び込んで来たのは……霧。
恐ろしい程に膨れ上がった霧の海が砂の大地を覆い隠すように押し寄せてくる。
「これは?!」
「化物の残滓か。誰かが戦っているらしい。ならば、駆け付けて加勢するか?」
顔の皺の中から幾つかの瞳が開いた状態の老人にヴァルが頷いた。
更に加速した彼らは十数秒後には霧の出元に辿り着く。
それと同時に雷がフッと消えた。
同時に風が吹いて霧を周囲から吹き払っていく。
「おおう? お前さんら……ウチの国の者ではないな?」
アイクロソスが思わず目をパチクリとさせた。
彼らの前にいたのは数人の頭をスッポリ蔽う色取り取りの鮮やかな仮面とドレス状の衣服を身に付けた何者か。
その顔は外側から窺い知れないが、人間である事は匂いからヴァルにも老人にも分かった。
ただ、それが奴隷身分の発しているものとはまるで違う。
その鮮やかに吹き抜けるような鮮烈さ。
樹木の若芽を思わせる匂い立つ生命力。
明らかに国内の人間のものとは考えられない。
『………』
一様に沈黙する女。
いや、少女と言っていい年齢だろう彼女達に老人が肩を竦める。
「お前さんらが何処の誰かは知らんが、少し此処は協力せんか? こちらは元軍の高官と現役の警官。だが、この緊急時に一々身元を問うたりはせん。もし、協力してくれるならば、こちらからも地の利や情報を提供しよう。此処から脱出するのか。あるいはこの状況を解決するのか。どちらにしても、そちらに益はあると思うが」
『………』
何やら少女達の仮面が付き合わされた。
無言のまま魔術で意見でも交換しているらしいが、すぐに彼女達の一人、紫でドレスと仮面を染めた者がその手に何かを持って、二人に差し出す。
「ん? これは……」
老人が差し出されたソレを受け取って繁々と見やる。
それは玩具の剣だった。
子供が持っても大丈夫なように造られた軽い木材製。
何処にでもありそうな男の子定番の品である。
これで戦争ごっこやら騎士ごっこをするのは裕福な家から貧しい家まで子供なら一度はやった事がある遊びだろう。
『―――この市場に存在した化物の中核だったものです』
くぐもった声。
「化物の中核? 何かしらの重要物か。だが、普通の子供が使う玩具が変化した? まぁ、いい。これはこちらで与っておこう。それでなんじゃが―――って、行ってしもうたか」
品を渡したら、仮面の誰もが散開するように都市の各地に向かって飛び上がり、飛翔していった。
「行かせて良かったのか?」
「こちらとしては敵対しないだけ良しとしよう。それよりも、また振り出しに……後ろを向いてみい」
「?」
老人に言われて背後を振り返ったヴァルが目を見張った。
自分達がやってきた道の先。
北部に現れた塔には及ばないものの。
それでも十分に大きな鐘楼が存在していた。
それと同時に鐘の音色が二人の耳に聞こえ始める。
「重要な品だったようだな。アレが見えるようになった……向かうぞ」
「ああ」
影絵に呑まれた地域。
その中枢域に位置する鐘楼。
明らかに怪しい。
しかし、自分達に与えれたものの中から答えを模索する彼らに行かないという選択肢は無かった。
彼らが走り出そうとした時、都市の反対側から薄らと差し込むものがあった。
「ん? もう夕日(あさ)か。いや、これは……」
今まで昇っていたものと違う輝き。
本来、全てを橙色に染めていくはずの温かい陽射しは……何故か黒く黒く薄暗い輝きで大地に陰影を刻み始める。
漆黒の太陽。
その周囲に揺らめく輝く炎のような筋が都市を蓋うよう、半球状に延びて空を侵食し、脈動している。
「どうやら、事態は更に悪化したようだ……やれやれ、この都市で全力が必要な事態とは若いもんに任せたい事この上ない」
「異常に慣れたくはないが、此処まで来ると驚きも半減だな。さっさと元凶を探し出そう」
「んむ。違いない」
二人が再び走り出す。
二日目の夕(あさ)。
彼らは刻々と移り変わり始める事態を前に己の本分を忘れず。
自らの出来る事をする為に再び駈けていく。
鐘楼の音は少しずつ、少しずつ誰も気付かないような遅々とした速度で早くなっていた。
*
―――異相内部『无の海』亡郷都市アイウィス。
「雑魚はすっこんでろ!!!」
【高格外套(ソーマ・パクシルム・ベルーター)】
世界最高の鎧。
対魔王汎用兵装。
その脊髄部分が唸りを上げて巨大な魔力の本流を生み出し、標準装備されている鉄剣に注入していく。
光り輝く長剣が一直線状にあるものを断ち割るべく、振るわれた。
刹那で太陽のような輝きを生み出した剣の波紋から飛び出たのは純粋熱量と運動エネルギーを伴った巨大な衝撃だった。
あまりにも原始的で純粋な力。
それが彼の前に群がる無数の化物。
数百m級の屍蝋。
拷問器具や拘束具を具象化した敵を数kmに渡って切り崩していく。
そのすぐ後ろから突進して敵の中を進んでいくのは三騎将の一人。
部下達に外の兆程もあるだろう敵の群体を任せてきた男だった。
前後左右上下全てが敵ならば、全てぶった切るくらいの事を彼はする。
だが、本日の任務は敵中枢の破壊。
無限に敵が沸き出すとしても、その大半は彼らにとって雑魚であり、消耗以外で負ける事は在り得ない。
その消耗の前に敵を産み出す場所を打撃すれば、それでお終い。
物量任せの相手では彼らに苦悶すら浮かべさせられないだろう。
月が出る世界。
その地下。
何層になるかも分からない地殻に開いた大穴に群がる敵を潜り抜けて、彼はようやくその中枢があるだろう場所に辿り着いていた。
今まで無限に広がっていた無数の都市とは違う。
その階層は既にただ敵、敵、敵、敵だけで埋め尽くされていた。
街も空も見えない。
しかし、その敵で詰まった世界の只中に巨大な孔が開いている。
全長数十kmにも及ぶだろうその淵はギチギチと犇(ひし)めく敵とそれが潰された霧で覆われ。
その最中、先行していた同僚の女と老人はどうやら親玉を発見した様子で立ち止まっていた。
「お~い」
孔の最終地点。
まだ刳り貫かれていない地殻の上にいる二人に呼び掛けて降りてきた男が横に並んだ。
「遅かったわね」
「これでも部下に優しく内部の敵の六割は切り払ってきたんだが」
「ご苦労様。じゃあ、こっちもお願いね」
女が溜息がちに言った。
「ぁ~~これか。新式高格外套の無限機関……」
「お二人の奇蹟が使われていると言われていたが、同化の次は集積……さて、どうしたものか」
老人が愚痴る。
三人の前。
いや、真下の空間には巨大な円柱が形作る円形の巨大な門があった。
その中枢には前回、敵を片付けた時に出てきた巨大な重力の井戸。
重力崩壊の特異点が剥き出しとなっている場が撓みながら揺らいでいる。
今現在、その門の如きソレが回転しながら行なっているのは巨大な膨張し続ける体積。
アイウィスそのものから質量を汲み上げ、無限とも思える化物を生産するという工程。
それを顕すかのようにギチギチと孔の周囲で溢れ出しそうになっている化物達が霧に還りながらも、その数を増やして密度を更に増していた。
「あの時に貰った剣はどうした?」
「持ってきたが、おいそれと使えん。お二人の奇蹟はそれなりに強力……どう攻略したものか」
「集積……か。確か……引き寄せるとか圧縮とか、そういうのも可能だったか?」
「ついでに惑星だって動かせるわよ。まぁ、本当は外宙碩学師団にミュルト様を推す動きもあったくらいだし。ただ、やっぱり群集団を統制するのにはミュルト様がいないと話にならないって事でメルフ様に行って貰ったわけだけど」
女が肩を竦める。
「破壊する為の武装はあるんだったら、それをぶち込めばいいだろ」
「それが、どうやらコレ制御の本体が此処にいないようなのよ」
「何?」
「コレの機能にばかり気を取られていて、制御する化物がいるかどうかまでは気が回らなかった私達のミスね。たぶん、何処かにいるんだろうけど、反応探してもまるで見付からないのよ」
「……つまり?」
「此処で制御系を放っておいて破壊すると暴走して、この惑星と周辺宙域が全部|黒天(ブラックホール)に飲み込まれるわ」
「おいおい。どうすんだ?」
「外に連絡しておいたから、そちらで何とかしてもらうしかないわね。どっちにしろ此処で数を減らしておかないと外で部下達が苦労するだろうし」
女のその場凌ぎの案に男が苦笑してゴキゴキと肩を回した。
「しゃーねぇな。久しぶりに全力でやるか?」
「ふぅむ。楽は出来そうにないのう」
「丁度いいトレーニング相手とでも思って、やりましょう。ま、数だけだし、これなら十万時間連続でも大丈夫そうだもの」
三体の鎧が互いに背中を合せて、剣を両手で高く掲げた。
「「「拘束解除―――【全武装解禁(フルドレス)】」」」
彼らの鎧のあちこちでガキンガキンと連続して何かが外れる音がして、鎧が其々に僅かに形を変えていく。
男の鎧は内部から黒い関節が現れ、膨れ上がって全体的に巨大となり。
女の鎧は鎧の腰から蒼い輝く粒子で形成された裾が広がって、複数の同じ粒子の翼が背中へと生えていき。
老人の鎧は肩から紅のマントが足元まで延びて、鎧の装甲表面の色彩が鈍色から紅に変色した。
「黄昏の悠久戦争以来か」
「使わなくて良ければ、それに越した事は無かったんだけど」
「まぁ、良いじゃろう。少なからず領域は豊富じゃ。現実に被害が出る事もあるまい」
「部下が心配だけれど。ま、自分達で避けるでしょ」
「おいおい。適当過ぎんだろ」
相変わらず緊張感の無い会話が繰り広げられ、孔を構成していた不可視の壁が消え去る。
途端、ドッと溢れ出した化物達が雪崩を打って擂鉢状に底へ雪崩込んでいく。
「下は壊すなよ。お二人さん」
「はいはい」
「では、始めよう。部下達に当てぬようにな」
そうして、その直後―――三人は化物の濁流に呑み込まれ。
その遥か後方。
双鯨のブリッジでは恐ろしい光景が見えていた。
突如。
縮尺の関係で距離が上手く掴めない巨大な惑星と化しているアイウィスの中央部から何か大きな光りがグリッと円筒形を描くように噴出して、その表層付近から真空の海にいた数も分からない屍蝋の仮面の群れを吹き飛ばした。
推定距離48万kmの長大な光りの柱が惑星を貫く勢いで伸びた後。
今度は蒼い翼のようなものが二つ迫り出し、羽ばたくようにして一度だけ動くと周囲にいた無数の化物をその表層に溶かし込んで消し去っていく。
最後に紅の細い筋が宙域をジグザグに無秩序な機動を描いて残った屍蝋を通った領域ごと消滅させていく。
すると、ブリッジに騎師団の隊員達から喝采が上がった。
『久しぶりに全開となさってるぞ!!』
『おいおい!! 隊長さすがだぜ』
『あははは、死に掛けたぞ♪ こりゃ、後で自慢しないと』
『おーい。隊長達が全力解禁してるぞ~新人良く見ておけ。あれが我らの隊長。あれが我ら騎師団の誇る最古にして最強の御三方だ』
『あ~~息子に聞かせる御伽噺のネタが増えるんじゃ~~』
『綺麗です。やはり、我らが長はこうでなくては』
やんややんやと入ってくる通信は喜ぶものばかり。
ブリッジのクルー達はそれでようやく彼らが自分達とは違う世界に生きている人種なのだと気付いた。
暴虐とすら呼べない
圧倒的な力の差に化物達が押し潰されていく。
時に主神級すら狩る者達の戦いはこうして無限に沸き出す敵を出てくる直前で叩く殲滅戦へと移行していった。