※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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また遅くなりました。リアルが忙しい+この間の触手紳士が結構評判良かったので新しい企画をガリガリ書いている最中です。残りこの話も一節。次回は男達と女達の決意の話になるでしょう。ようやく秋編に凸ニュウ出来る……長かったです(汗) では、次回。


第三章九十一節

第三章九十一節「祭忌禁交ⅩⅢ」

 

―――ハガス中央【千願】付近。

 

 世界には須らく哀しい出来事がある。

 

 悲劇。

 

 誰もが逃れられない宿命にある世の常。

 

 何処にでも転がっているソレは正しく物語の王道を紡ぐ要素だろう。

 

 神話(マイソロジー)というやつは大概にして多くがそのようなものの集合体だ。

 

 亜人の国もまた成り立ちからして、そうではないと言い切れるものではない。

 

 沢山の多種多様な種族と魔王が築いた理想郷。

 

 それが今は亜人の国となった。

 

 それでもやはり昔のように祭りの最中は異種も亜人も人も無く。

 

 楽しみ馬鹿騒ぎに興じる事が出来る。

 

 時が移ろっても変わらない分かり合えるという価値を民の殆どは気付いていないにしても享受しているのだ。

 

 その様子が影絵に呑まれるのを見つめながら、赤い猫耳の青年は、現在の王は、アルデルト・エスラ・ウィム・アルヴァスは、巨大な鐘楼を虚空から見下ろし、背後に凝る気配に振り向いていた。

 

 其処には人型サイズとなった紅の鱗に鎧われた竜の像が結ばれており、彼は肩を竦める。

 

「お父様でしたか」

 

『お前は一体何をしている……王の役目も果たさず。この事態を解決せずに放置しておくとは……怠慢だろう。如何にお前が自らの力を疎んでいようと。王たる身ならば、責務を果たせ』

 

「果たしていますよ。ドゥーズやデダルの御爺様が何とかしてくれます」

 

『……相変わらずだな。今入ってきている人間達を許したのもお前か? 起源の魔術師が張った結界に守られていたとはいえ、あの階梯の人間を安々入れて、何を考えている?』

 

「あはは……彼ら。おっと、彼女達には役目を用意しています。それが終れば、すぐにでも退場願いますよ」

 

『いいだろう。今の王位を継ぐのはお前だ。ただ、あの女達はどうした?』

 

「聖女の事ですか?」

 

『お前の家臣の小娘もだ』

 

「聖女は今、こちらの結界に隔離して眠らせています。エンシェンには……振られてしまいました」

 

『情けない。意中の相手くらい、本来のお前ならば落せるだろうに……』

 

「お父様も酷な事で……それじゃあ意味が無いんです。愛というのは近頃複雑なものなんですよ」

 

『お前の口から愛とは……ふ、あの小娘を宛がった事、無駄ではなかったか』

 

 青年が常のエンシェンに見せる顔とは裏腹に皮肉げに笑んだ。

 

「いつまでも愚かな王として“君臨するとも統治せず”を続けていければ、それに越した事は無かった。でも、時間は待ってくれない……これが悲劇でなくて何なのか」

 

『お前には力がある。義務がある。権利がある。だが、お前は義務を時間に埋れさせ、権利に手を出さない。その在り方は世の王の模範とはなっても、統治者としては失格だ』

 

「今更、王が全てを動かす時代でも無いでしょう」

 

『せめて百年早く生まれていれば、お前は稀代の名君として頂かれ、我が国は今の国土を数倍まで増やしていたのだろうがな……』

 

「旧いですよ。この時代、土地は国ではありません。人こそが国なのです。我ら亜人もそれは同じ。いつかそれが当たり前の時代が来ます。我らはその時代まで民を導くだけでいい。そこから先に転がる石ころを退かす時、少し力を貸してやれば……そういうのが今風です」

 

『……好きにやれ。お前の国だ』

 

 竜が息子の言葉に微妙な顔をした後、溜息がちに肩を竦めた。

 

「いえ、僕の国である前に此処は僕の大切な人々の国だ。守りますよ。必要とされる限り……」

 

 やがて、竜の姿が糸のように解けて消え、残った青年は静かに加速していく時間の中で黒い太陽を見上げる。

 

「魔王、聖女、秘儀の箱、外なる神、これが世に言う神話なら、僕はきっと端役なんだろう。まったく、鼠より怖いのはエンシェンの拳だけで良かったんだけどなぁ……」

 

 父以外に見せた事も無い聡明な瞳が細められ、太陽が僅かにその周囲から夜空を侵蝕する炎の筋を鈍くした。

 

「君臨するとも統治せず。我が名はアルデルト・エスラ・ウィム・アルヴァス・ゼオストス。この国の守護者にして王也。旧ぶるしき者共よ。我が腕にてしばし遊べ。汝等を払うのは我が臣下にして国民。そして、この世全てを敵に回して尚気高きもの……最後の天なり」

 

 北と南から鐘楼へと向かってくる足音の主達を感じながら、いつも気弱な青年は静かに名乗り、北部から近付いてくる相手にそっと頭を下げる。

 

 王にのみ継承される秘密。

 

 創成期から続く真実は誰にも知られず。

 

 また、ゆっくりと歴史の闇に埋れていく。

 

 魔王を下す事で成立した亜人の国は今もその王が亜人に残した血筋によって守られ続けていた。

 

 *

 

 彼らがその鐘楼の下で合流した時。

 

 老人の手に持たれていたチープな玩具の剣を見て。

 

 獣人の男は、家族を探していた男は片手に持った粗末な人形を握り締め、ポロポロと涙を零していた。

 

「……これは……オレがあの子に……っ……っ」

 

 再生する城の化物。

 

 屍蝋の仮面を退けた少年とドゥーズ、璃者は戦闘の熱も冷めやらぬ内部で戦っていた二人の男達。

 

 獣人と老人のコンビと遭遇した。

 

 ようやく剣で貫いて破壊した人形は中央の動体を切っ先で貫かれてこそいたが、保存状態は良く。

 

 それを見つけた男は何も言わずに物凄い勢いでソレを持っていた少年から奪い取った。

 

 それに思わず手を出し掛けたドゥーズを止めたのは老人。

 

 一応、顔見知りという事で五聖騎士の制止で止まった彼は大の男がみっともない程に同様しながら震える手で人形を掴む様子を見て、危険は無さそうだと力を抜いた。

 

 それからの数分で話された事は簡潔。

 

 老人と獣人の男の目的。

 

 少年達の目的。

 

 その為に何をするべきかという目的意識の相互確認。

 

 ミゲール・リニャンは虎の男が握り締める人形がどうなっていたのかを知って、やはり関係者だったかと肩を竦め。

 

 ドゥーズはこれで色々と見えてきたと脳裏での推論を組み立て終えた。

 

 今回の一件。

 

 都市そのものを侵蝕する化物の根源。

 

 それは一体、誰だったのか?

 

 戦闘寸前に聞こえた声や状況、人形に「オレが買ってやったんだ」とブツブツ呟く男の声。

 

 全てを総合すれば、事態はもう見えていた。

 

 そうして、璃紗が鐘楼への道が開かれたと告げられれば、彼らが全員でその下へ向かうのも道理だろう。

 

 家族がいる。

 

 その場所にいる。

 

 化物と関わり合いがある。

 

 そう聞いた虎男は彼らへの同行を望み。

 

 それを誰も止めはしなかった。

 

 ドゥーズの跳躍と魔術による飛行で砂の海と化した都市を渡れば、数分で鐘楼の下。

 

 其処に今度は蟲人(ベルミ)の老人と警官のコンビがやってきた。

 

 その手にある剣はやはり虎男の家族の記憶に関連するという。

 

 此処まで来れば、誰の目にも影絵と化す世界の只中で事態を解決する方法が見えていた。

 

 つまりは屍蝋から男の家族を解放すればいいのだ。

 

 倒す以外でそれを可能にする力が璃紗に在るとなれば、やる事は一つ。

 

「……あんたらには、感謝してる……だが、あの子は、あの子はッ、本当に……ッ」

 

 2つの玩具を握り締め、男は巨大な鐘楼を見上げる。

 

 その後ろで知己である老人二人が互いに目でチラリとコミュニケーションを図ってから、身体を曲げ伸ばして、次の戦闘へと備えていく。

 

「大丈夫です。近くまで行けば、璃紗の力できっと助けてあげられる……ですから、どうか希望を捨てないで下さい」

 

「お嬢ちゃん……」

 

 振り返った男の顔にはもう何処か憑かれたような鬼気迫るものは無くなっていた。

 

 その代わりに在るのは哀しみと震える程に胸の痛み。

 

 それが全て“見えてしまう”少女が男の中から今も何かを消そうとする力を見つめながら、続ける。

 

「きっと、見付かります。助けられます。絶対……だって、家族ならきっと待ってるはずだから……」

 

「―――ぁあ、そう、だな……」

 

 男が顔を泣きそうな程に歪めた。

 

 黒い太陽の下。

 

 その光景を見ていたドゥーズとヴァルが同じように鐘楼を見上げる。

 

「フォイル家の御当主。これが……貴方達の隠してきた現実って奴ですか」

 

「済まないとは言うまい。我輩は最善を尽してきた。これからもそう在る。信頼と信用は無いかもしれないが、このフォイルの当主が約束しよう。最後まで我輩は諦めんよ」

 

(……屍蝋の化物……これがあんたらの立ち向かってきた破滅……その本当の力……一官憲の手には余る……でも、前に進むしか無い。ふ、まったく上司もその親も何でこう同じ顔しやがるのか)

 

 ヴァルの脳裏にはいつも泰然とした現在の上司の横顔があった。

 

 祖国を救うと嘯いた彼女。

 

 どうにかしたいから動いているのだと言っていた。

 

 その眼差しが今は横に在る。

 

「では、諸君。休憩は此処までにしよう。此処から先は死地だ。幾らかでも事前の取り決めをしておいた方がいいだろう。お二方もよろしいですか?」

 

「ああ、そっちは任せた」

 

「お前さんなら、リーダーとして十分だろう」

 

 アイクロソス・デダルはドゥーズに現場の段取りを委任し、それにミゲールも頷く。

 

「では、まず戦闘時の陣形から。ご老体お二方には先陣を切って頂きます。その後ろに頼めるかね?」

 

 今まで黙って鐘楼を見ていた少年が「はい」と頷く。

 

「では、君とその子はお二人の後ろ。その後ろに貴方だ」

 

「オレか?」

 

 虎男が頷く。

 

「そうして、その後ろにヴァルトレード警部。殿に我輩。この隊列で突入し、鐘楼の中枢を目指す。誰かが脱落した場合は我輩かお二人の何れかが救出する役に付き。その他の者達はそのまま進む事。あの黒い太陽が出てから何か胸騒ぎがする。この都市の状態がいつまでも続くとは思えない。時間が有限である以上、敵中枢を速やかに制圧する必要がある。そうして、敵を捉えたら……頼む」

 

 ドゥーズが今も少年の傍にいる璃紗に瞳を向けた。

 

 それにシッカリと頷き返した少女は少年の片手に再び抱かれる。

 

「では、出発しよう。扉は開くんだな?」

 

 璃紗がその瞳で見通した通りならばと大きく頷いた。

 

「……我々の今、共通する目的は一つ。日常を取り戻す。その為に戦う。至って単純で簡素な答えだ。各自、生きて再び祭りを愉しもう。では、お二方よろしくお願いします」

 

「良かったぞ。それでこそ我が弟子」

 

「若者が育つ光景はいつ見てもいいものだ」

 

 少年の三倍はありそうな年齢のドゥーズが思わず困った顔になった。

 

 未だに若造扱いされるのは勘弁して欲しいという顔に場の他の者達がクスリと微笑む。

 

「では、開くぞ。何か在っても自分で避けるようにのう」

 

「5、4、3、2、1、開放ッッ!!!」

 

 鐘楼の真下。

 

 鋼にも見える鈍色の扉が左右から内部へと押し開かれた。

 

 その時、攻撃される事は無かったが、内部の壁に無数の蝋燭が並べられており、誰もが僅かに顔付きを引き締める。

 

「突入じゃ!!!」

 

 一斉に隊列のまま全員が内部へと雪崩込んだ。

 

 とりあえず走り出した彼らの往く手には明らかに鐘楼内部だけでは足りないだろう広大な道行が螺旋を描くように広がっている。

 

 空間の歪曲。

 

 蝋燭に照らし出された無骨な石造りの壁と通路は広く。

 

 二人の老人に先導される形でその中を誰もが走る。

 

『ふむ。敵は見当たらんのう。こういう場合はどっかで待ち構えとるのが定石じゃが」

 

 魔術で繋がれた通信でアイクロソスの脳裏の思考に返答が返される。

 

『待ち構える必要が無いのか。あるいは待ち構える余裕すら無いのか。どちらかだな』

 

 ミゲールの言葉にドゥーズが訊ねた。

 

『余裕が無い? あれ程の敵を揃えられる相手がですか?』

 

『ああいう物量任せは何度もやれないし、やるとタネがバレた手品並みに威力が薄くなる。ああいうのを真顔で乱打出来るのは非の打ち所が無い程に強いもんだが、敵が無限でも絶対でも万能でも無い限りは何処かに急所が在るというのが相場だ。特に空間を操るタイプは資源《リソース》の集約が大規模な分、消費も早い。一気に力を使って、次の策が間に合わないというのは十分に考えられる。無限に魔力が沸く相手も無限の魔力を制御しとるわけじゃない。そういうのと同じ理屈だ』

 

『なる程……』

 

 走りながら、ゆっくりと左曲がりの通路を上がっていく彼らが途中で踊り場のような場所へと出た。

 

 其処は明らかに建造物の中とは思えない光景が広がっている。

 

 床以外の全てが無限に続くとも思われる明るい夜空となり、風すら吹いていた。

 

 遥か上を見上げれば、塔の如き螺旋の頂点が遥か頭上へと続いている。

 

「止まれ!! 何かおる!!」

 

 アイクロソスが踊り場の中央まで来ると手で後方を制した。

 

 その判断は正しく。

 

 踊り場の周縁。

 

 巨大な螺旋構造へと続く道の上に何か黒い靄のようなものが広がって、その下からズブズブと漆黒の人型が迫り出してくる。

 

 その姿、大きさは4mもあるだろうか。

 

 屍蝋の色を宿し、開かれた肋骨と翼を生やす背骨。

 

 闇で肉付けされた人型は大きな帯剣を一振り持っていた。

 

「イクス!! アレ、人みたい!! それに玩具の剣と何か、繋がってる!!」

 

「と、言う事は……」

 

 ミゲールが瞳を細める。

 

 それと同時に虎男が俯いている顔に向かって叫ぶ。

 

「『アーベル』ッッッ!!!!」

 

『ッ』

 

 その顔がゆっくりと上向けられた。

 

―――その時、その場の誰もが一言だけを思う。

 

 酷(むご)い。

 

 屍蝋の面が所々、肉ごと剥がれ落ちていた。

 

 顔も分からない誰か。

 

 しかし、その瞳は憎しみと哀しみと驚きに歪んで、両手が顔面の瞳を貫いた。

 

「な!?」

 

 思わず動揺したヴァルが目を見開き、璃紗もまた口元に手を当てて、背筋を震わせる。

 

 向けられるのは剣。

 

 敵意と呼んですらいいのか分からない。

 

 何を決意すれば、わざわざ自らの視覚を潰す必要があるのだろう。

 

 だが、更に新たな人型の異変によって驚きは上書きされる。

 

 その巨体のあちこちが罅割れ始めたのだ。

 

 細かい隙間からは輝きが漏れており、誰の目にも目前の敵が崩壊しつつあるというのが直感的に理解出来る。

 

「お前……」

 

 虎男の声が震えていた。

 

「名前は見えないのか?」

 

 ドゥーズが璃紗に訊ねるも哀しそうに首を横へ振った。

 

「自分から名前を削ってるみたい、です……そんな事すれば、どうなるか本能的に分かってるはずなのに……」

 

「そうか……では、あの化物を排除する」

 

「―――ッッ?!!」

 

 虎男が激烈な反応で後ろを振り返る。

 

「我々がこの先に行かなければ、都市と国が滅ぶ。為政者の天秤は常に全てへ傾いていなければならない」

 

 静かに。

 

 しかし、断固とした声でドゥーズが断言する。

 

「だが、此処で時間を取られるわけにもいかない。我輩と少年、その子。最低限これだけでも上に昇れれば、問題ない。その“敵”をどうするかは残った者達に任せよう」

 

「なら、ワシは此方側に残ろうか。同じ亜人、同じ親のよしみという奴だ」

 

 アイクロソスが虎男の右横に付いた。

 

「騎士は如何なる悪にも屈してはならない。それが例えどんなに哀しきものだろうと」

 

 腕の無い袖を揺らしてミゲールが虎男の左に付ける。

 

「オレはこの事件を解決しなきゃならん。この都市の治安を守るのは貴族警邏隊の仕事だ」

 

 ヴァルがドゥーズの後ろで自らの崩燼武装。

 

 爪型のそれを腰から抜き出して装備する。

 

「では、諸君。最善を尽くそう!!」

 

 璃紗を抱える少年を更に抱えて。

 

 ヴァルがドゥーズの背中に片手で捕まった。

 

 赤鬼の男の全身の筋肉が隆起し、角が闇色の魔力によって燃え盛るように揺らめく。

 

 跳躍。

 

 床を砕き散らして人型の上を飛び越えた巨躯が巨大な螺旋通路の上に着地する。

 

 しかし、敵は動かなかった。

 

 見えなかったから、というわけではないだろう。

 

 単に興味を失っていたに違いない。

 

『―――』

 

 その崩壊しつつある肉体でまるで似合わないようなファイティングポーズで、特殊な能力を持っていそうな漆黒の巨躯がしっかりと虎男に向き合う。

 

「お前さんが死にそうになったら、ワシらが決着を付ける。それで良いな?」

 

 有無を言わさぬアイクロソスの言葉に虎男は頷かない。

 

 だが、分かってもいた。

 

 いないはずの家族。

 

 名前を思い出してすら、どうしてそうなってしまったのか。

 

 全ては薄く靄の掛かった記憶の彼方にある。

 

 でも、覚えている。

 

 哀しい事があったのだ。

 

 辛い事があったのだ。

 

 そして、それを察してやれなかったのは間違いなく父親の自分。

 

「……死ねねぇさ。まだ、下の子もこの上にいるんだからな」

 

「そうか」

 

 ミゲールが男の決意を尊重して一歩後ろに下がる。

 

「なら、自分の仕事。いや、当たり前の義務を果たしてくるといい」

 

「言われなくても!!」

 

 虎男が駆け出した。

 

 残った老人達にしてみれば、無駄だらけのフォーム。

 

 いつ息切れしてもおかしくないような雑さ。

 

 それでも4mあるだろう男の相手もまた剣を放り出して同じように走り出した。

 

 質量が違う。

 

 体格が違う。

 

 そんな事は互いの頭にあるのかどうか。

 

「ぉおおおおおおおおおおおおおおおおッッッッ!!!!」

 

『―――』

 

 虎男が一瞬早く相手の懐に飛び込んで猛烈なアッパーを相手の顎に繰り出す。

 

 それをアーベルと呼ばれた息子は避けない。

 

 避けないどころか。

 

 顎を思い切り、拳に振り下ろした。

 

 血飛沫が舞う。

 

 虎男の拳が所々骨を折られていた。

 

 その合間にも巨体と激突し、吹き飛ばされるかと思われたが、組み付いた身体が両腕に囚われる前に力を抜いて股下を抜ける。

 

 老人達には目もくれず。

 

 振り返った巨体の顔面に今度は体勢を立て直し、一瞬で間合いを詰めた拳がぶち当たった。

 

『―――』

 

 しかし、相手の拳も虎男の脇腹を捉えており、左肋骨が砕けた。

 

 だが、同時に崩壊しつつある漆黒の拳もまた手首部分までが勢いで砕け散った。

 

「カフッ?! おおおおおおおおおおぁあああああああああああああッッッ!!!!」

 

 雄叫びを上げて、両手で掴んだ頭の下から膝が顎を打ち抜く。

 

 それを振り払おうとフラ付きながら、残った腕で虎男の背中が掴まれ投げられた。

 

 背中を強打し、肋骨の破片が肺に突き刺さった瞬間に吐血。

 

 血に溺れながら、それでも虎男は猛然と退かず突撃を開始する。

 

 飛び上がって胸を打ち吸えた拳が今度は相手のように砕けた。

 

 激痛に歯を噛み締めながらも自分より大きな巨体を押し倒すようにして男が残った拳と腕で馬乗りの顔を何度も何度も殴り付ける。

 

「馬鹿野郎ッ!! 馬鹿野郎ッッ!!! 馬鹿野郎ッッ!!!? 馬鹿野郎ッッ!!!」

 

 男は泣いていた。

 

 殴りながら、殴られたように泣いていた。

 

 まだ片腕が残っている。

 

 まだ身体の大半は残っている。

 

 それでも漆黒の巨体は動かなかった。

 

 いや、動けなかったに違いない。

 

「クソッ!! クソッ!! どうしてッッ!! どうしてッ!!! どうしてッッ!!! “お前の事に気付けてやれなかったんだ”ッッ!!!!!」

 

『――――――ッ』

 

 ようやく。

 

 相手が気付く。

 

 その罵倒が誰に向けられたものなのか。

 

「オレの馬鹿野郎ッッ!! こんなになっちまうまで気付けねぇなんて!!! 親失格じゃねぇかッッ!!!!」

 

『………ホントだよ。バカ親父』

 

 初めての声。

 

 それと同時に彼らから少し離れた床が真下から破砕した。

 

「ようやく追い詰めたぜ!!」

 

「はぁ~~まったく、手間掛けさせてくれて」

 

「女の方は確保した。問題はこっちだが、ん?」

 

「おや? どうやら、こっちも片が付きそうで」

 

 フード付きのローブに身を包んだ数人の男女が何処へ繋がっているとも知れない暗闇の中から虚空へと浮き上がっていく。

 

 その一人の手には包帯のような白布でグルグル巻きにされた人型の何かが抱えられていた。

 

「お前さんら。何処の者だ?」

 

 アイクロソスの言葉に数人の男女が何がどうなっているのかと周辺の状況に目を瞬かせてから、旧教会派の者だと名乗る。

 

「そうか。悪いが見物しとれ。こういのに水を差すのは無粋の極みだからのう」

 

 練達の超越者達にしても、二人の老人を前にしては決着を急ぐ事が出来なかった。

 

 片方は間違いなく超越者だって狩れそうな錬度。

 

 もう片方は両腕が無いのに自分達を全滅させられそうな気配までさせているのだから。

 

「迷惑掛けたなら、償って、やり直そう……オレが、今度こそお前を守ってやる!!」

 

 本当に言いたかった事を息子に告げて。

 

 しかし、息子は……緩く笑って相手を突き飛ばした。

 

「アーベル!!」

 

『父さん……ありがとう。あいつの事、任せていいかな? きっと、泣いてるからさ……だから、後は……あ、ぐ、ぅあ、ッ、ッ』

 

 バギンッと一際強い音で何かが罅割れ、一瞬で4mの巨体が内部から崩落していく。

 

 そうして、その鎧の如きモノを脱ぎ捨てて。

 

 中から白い物が現れ始めた。

 

『……逃げ、て……とう、さ―――』

 

「ぁああ?!! ぁあぁああああああ!!?」

 

 男の前で息子だったもの。

 

 いや、息子そのものが崩れていく。

 

 そうして、内部から現れた真白のソレがギョロリと紅の瞳で周辺のものを見渡した。

 

 その姿はまだ成長途中の胎児を思わせて勾玉のように身体を縮めている。

 

 だが、今まで戦っていたのが人間の成れの果てだとすれば、現在目の前にいるのは明らかに人とは一線を画する何かだった。

 

「クソが、始まったか!! 神格の受肉なんて何千年ぶりだ?!」

 

「マズイな。こんな場所で……本隊が来ないと面倒事になるぞ」

 

「どーすんだよ。アルコーンだろ? 先輩に聞いたら、ヤバイって言ってたぞ」

 

 超越者達が状況の悪さに悪態を付いている間にも虎男の視線は砕け散り、床の上で風化していく息子の残骸に向けられていた。

 

 しかし、その涙さえも真白の胎児。

 

 翼と天使のような輪を頭部に顕現させた神の発する熱波に蒸発させられていく。

 

「無粋だ……無粋極まる……」

 

 ミゲールとアイクロソスが今も号泣する虎男の前に立って神を見つめた。

 

―――我、新たなる身体を経て、世に再び生まれ出ずる。

 

―――人間よ……外なる力を得た我が御姿に―――。

 

「黙れ」

 

「そして、聞け」

 

―――?!!!

 

 神が、自らを遮った老人達に怒りの視線を向けた。

 

 虎男の前で並んだミゲールとアイクロソスが壮絶な程に深く、深く深く、その瞳を深淵を覗き込んだ者特有の静かな怒りで見返す

 

―――不敬であ―――。

 

 ドズッとその紅の両目が見えざる何かに貫かれていた。

 

―――?!!!?!!!

 

「お前さんら神が如何に偉いか知らんが……人を怒らせるとどういうことになるか。身を持って知るといい」

 

 アイクロソスの両腕が焼け焦げていた。

 

 相手は神格。

 

 その体表からの熱量を完全には遮断出来ていなかったのだ。

 

 だが、神速の拳による打撃と衝撃は確かに生まれ直したばかりの神をも打ち砕いた。

 

―――我が力にてッッ!! 全てを滅ぼ―――。

 

 シャン。

 

 そう何かが鳴る。

 

 静謐な空間に響くような金属の擦る音色。

 

 それはミゲールが“両手で持つ槍”から発されていた。

 

「悪に遇っては悪を斬り。神に遭っては神を斬る。我は騎士。我は人。我が名はミゲール。ミゲール・リニャン。貴様のような悪を断じる者」

 

 超越者達が息を飲む。

 

 それは、その槍は極めて何の変哲もない幻影。

 

 両腕も単なる魔術による模造品。

 

 しかし、その刃も切っ先も細い鈍色の武具には眼を惹き付けて止まないものが宿っていた。

 

 フッと槍が回転し、両腕の中で古の神。

 

 地の天とすら言われた魂の先導者。

 

 アルコーンに向けられる。

 

「貴様が何処の神かは問わず。我が槍にて滅ぼす」

 

 シャンとまた涼やかな音色が鳴った。

 

 そして、誰もが注目する中。

 

 ミゲールの身体がまるで緩やかに駆け出し、誰も反応出来ず。

 

 突き出された槍が熱量の壁を突破し、白い肉体を貫き通して、全身を焼き焦がされながら老人はその背後へと抜けた。

 

―――人間め……人間、めぇえええええええええええええええええええええええええええッッッッッ?!!!?!

 

 白き神が脳天を左から完全に抉り取られて、己の熱量に没しながら、光の粒子となって消えていく。

 

「【幻槍寡心(げんそうかしん)】……悪には過ぎた技だ……」

 

 上空の超越者達が小さな声でざわめく。

 

 神の呆気ない幕切れ。

 

 それも当然かと。

 

 人の身にて人ならざるモノに畏れられる男の姿を彼らは見つめる。

 

「ミゲールってアレかよ。まさか、五聖騎士に会うとはな」

 

「神格からのオファーが已まないってアレでしょ。うぁ……さすがの神も心を貫かれたら、まぁ、ああなるわよね」

 

「人の位にて神を超えし者。我ら超越者とは真逆だな」

 

「手間が省けた。これで帰れる……」

 

 虎男が未だ床を見つめている様子に重度の火傷を負っているはずの老人達が左右から肩を叩いた。

 

「まだ行かなければならん場所があるじゃろう?」

 

「やらねばならない事があるんじゃないのか?」

 

 その言葉に拳を握って、虎男が、唇を噛み締め、立ち上がる。

 

「ほれ、それを飲んでサッサと行け」

 

 ミゲールが半ば焼け焦げた手でズボンのポケットから何かを取り出して投げた。

 

 受け取った虎男は己の手にある小瓶を見やる。

 

「それで移動してる途中に死ぬ事はなかろう」

 

「……いいのか?」

 

「自分の分くらい持っとる」

 

「この借りは必ずッ!!」

 

 男が小瓶の中身を飲み干して、そのまま通路の先へと走り出した。

 

 残された老人達が互いに背中合わせに座り込む。

 

「ふぅ。この歳で全身火傷はキツイのう」

 

 アイクロソスに同意した様子でミゲールが頷いた。

 

「まぁ、若者の道を開くのが我ら老人の務めというもの。で、そこのお前さんらはどうする?」

 

 話を振られて、超越者達がヒソヒソと短く何やら遣り取りして二人へ向かい合った。

 

「我らの任は十分に果たした。敵機能の剥奪と崩壊はこちらでやっていたのだから、問題あるまい。協力には感謝する。これは礼だ」

 

 パチンとローブの中で誰かが指を弾くと老人達の身体にあった火傷がゆっくりとだが、消えていく。

 

「これより我らはこの都市から離脱させてもらう。健闘を祈る。古き技持つ方。騎士ミゲール」

 

 虚空で屯していた全員が一瞬の燐光を纏って転移した。

 

「……なぁ、こうしていると懐かしくならんか?」

 

「ん? そうだな……確かにあの戦場を思い出す。最後は相打ち寸前……まだ若かった」

 

 アイクロソスにミゲールが頷く。

 

「そちらの若者はどうだ?」

 

「小粒だが、良いのが育っとる」

 

 ミゲールが自分の部下や孫の世代を思い浮かべて苦笑する。

 

「そうか。ウチのは近頃は仲間が出来て、丸くなった」

 

「互いに苦労は耐えない、か」

 

「ああ、後はおっとり刀で駆け付けよう。老人の出番は少ない方がよいじゃろう」

 

 老人達は目を閉じる。

 

 それが永遠の眠りになったとしても、後悔など無いと思いながら。

 

 都市。

 

 いや、国の命運を賭けた争いは最終局面に差しかかろうとしていた。

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