※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第三章九十八節

第三章九十八節「武芸術部校外活動Ⅶ」

 

―――???

 

 世界が一色に染まるだけの情景ならば、其処にはどんな感動があるだろう。

 

 黒が在り、物は輪郭を得て。

 

 蒼が在り、人は空海の尊さを知る。

 

 緑が在り、生命の躍動を感じて。

 

 赤が在り、情熱というものを意識する。

 

 違うという事の価値を理解すれば、どんな望まれる情景にも無数の色がいる。

 

 鮮やかに朽ちる丘の上の七つの剣が間延びする影を産み。

 

 少年は一人。

 

 ただ一人。

 

 全ての影に貫かれる。

 

 それもまた誰かが望んだ情景。

 

 何処かで鐘が潰れるような音がして。

 

 空を見上げれば、黒い箱が一つ。

 

 虚空に鋼の糸で縫い止められた正方形の上に誰かが座っていた。

 

「久しぶりだね。元気だった?」

 

「……どうかな」

 

 少年はその何処か冷たく涼やかな声に頬を掻く。

 

 斜陽に背から照らされて貌も見えない相手。

 

 しかし、彼女を少年は知っている。

 

 いや、正確には知っていた。

 

 だから、今は分からない。

 

 けれども、言葉が尽きる事は無いのだろう。

 

 何故か。

 

 それだけは今の不自由な身体のイクス・ゼオにも理解出来た。

 

「相変わらず。可愛い女の子を捕まえて優しくしてるんだ」

 

「優しくするのは普通じゃない?」

 

「そういうのは普通じゃないって昔言わなかったっけ?」

 

 声は怒っているわけではなかったが、呆れていた。

 

「ごめん……」

 

「本当に変わらないね。そのいつも謝るところも」

 

「そう?」

 

「そうだよ。女の子を不幸にする事に掛けて君の右に出る奴はいないね。絶対」

 

「断言される程じゃないと思いたいけど」

 

「断言します。君はオンナノコの敵。しかも、本当の意味で一番の敵。全人類が牝だったら、君のせいで戦争が起こるって断言出来るもん」

 

「そ、そう……かな……」

 

 少年がさすがにどんよりした。

 

「ふふ、苛めるのはこれくらいにしておこうかな。君もきっと大変だったんだろうし、ね?」

 

 貌は影になっていて分からない。

 

 それでも懐かしい気持ちに胸を僅か見て。

 

 少年が視線を戻す。

 

「それで一体、何の用なのか訊いていいかな?」

 

「昔、愛し合った女の子が会いに来たのにその言い草。酷いなぁ……って言いたいところだけど、今日はね。この子の力を借りて忠告に来たの」

 

「忠告? この子?」

 

 首を傾げる少年にふふふと声が笑う。

 

「いつか、君が出会うかもしれない、君が愛するかもしれない誰かへ。趣味のついでに仕掛けをちょっと。この子がいつの時代のどれを見たのか聞いたのか分からないけれど……君はこの子を愛した。好きになった。守ってあげたいと思った。それが引き金……振られちゃった身としては羨ましいな。でも、貴方の事ちゃんと好きなようで良かった……貴方が一人ぼっちじゃなくて良かった……」

 

「君は……」

 

 遮るように声が続ける。

 

「本当に会えるのはいつになるのか分からないけど。私は信じてるよ。君が自分の願いを叶える事を……君がどんな相手にも負けたりしない事を……だから、私も書き続ける……みんな、みんな、君が主人公なんだから……知らなくてもいい。分からなくてもいい。それでも愉しんでくれればいい。そして、君の出会う誰かが、君を愛してくれるなら、私はそれだけで嬉しいんだ」

 

「……ごめん。僕は君の事を……」

 

「ふふ、いつかまた思い出してくれればいいよ。それまでは其処の怖~い黒猫さんにでも守ってもらって」

 

「?」

 

「マヲー」

 

 いつの間にか。

 

 本当にいつの間にか。

 

 黒猫。

 

 クヲン・クラウゼン・イストリア・ニェハエルが少年の頭に本体の姿で乗っていた。

 

 起用に爪先で頭の天辺に堂々といるが、まったく重さは感じられない。

 

「あの、降りてくれない?」

 

「マヲゥヲゥ~~」

 

 嫌、と。

 

 そっぽを向かれて、少年が半笑いになる。

 

「此処から忠告だから、訊いて」

 

「うん」

 

「昔ね。一人の女の子が願ったの。この世界の救済を。そして、それは成就されつつある。けれど、それは何もかもが失敗した時の保険。そして、それはその子も分かってた。だから、あの子は幾つもの道とそれに通じる選択を教会へ遺した。ううん。彼と彼に続く人達へ託した。けれど、この道はもう捻じ曲がってしまって、どんな選択がどんな道に通じるのか。本当のところ誰にも分からなくなった。貴方がいる限り、黒い太陽に泡沫は弾けて消える運命だから……でも、その絶対の必然にもブレ幅がある」

 

「ブレ幅?」

 

「貴方があの女達に分割されてしまった事でその幅が拡大した。最終的な結果が同じでも人類種が消滅したり、沢山の犠牲者が出たりするかもしれない。そういう諸々を知ってる連中は自分の都合の良い結果を引き出そうと躍起に成り始めた。貴方とあのお方の契約すら反故にして、会議のお歴々も尖兵を立てた。聖女達の大半は空の貴方に首っ丈。旧教会派もそろそろ本格的にあの連中……四魔の使役に入る。きっと、この地の門を廻って、大きな戦いが起きる。外神は……きっと、あの子の保険としてもう機能してない。うぅん、状況が既に五千年前に見たものと大分違ってるんだと思う。だから、この世界にとって良い選択肢には成り得なくなっちゃったんじゃないかな……」

 

 半分以上意味が分からない様子の少年に苦笑する声が笑った。

 

「覚えておくだけでいいよ。いつか、分かる日が来るから。貴方へ本当に伝えたいのは一つだけ……絶対に守り切ってよ? 貴方が守り、育み、願った今を……貴方を愛し、愛されてる子達を、その子達が笑って過ごせる未来を……」

 

「一つじゃないみたいだけど、うん……分かった」

 

「あはは。恰好良いよ。さすが私の王子様」

 

「……そんなんじゃないと思うけど」

 

「ふふ、そろそろ時間みたい。この子にも迷惑掛けちゃったし、少しサービスしておこうかな」

 

 薄らと光景が遠退いていく。

 

 世界が暗く暗く一色に染まっていく。

 

 その最中もクヲンは欠伸をして暢気にしていたが、少年は平衡感覚を失い。

 

 ゆっくりと意識が落ちていくのを感じた。

 

「きっと、これからの数年で全てが大きく変わる。貴方が愛した人達も貴方がこれから愛するだろう子達も沢山の人との出会いが訪れる。だから、最後に一つ」

 

「?」

 

 少年の耳が早口で大きな声を捉える。

 

「もしも、次に会ったら、絶対引っ叩く!! この浮気者!! 女の子の価値は胸じゃないって言ってた癖にあんな大きい子の胸で幸せそうにしちゃって!? それから、お尻だって小さい方が可愛いよって言った癖に大きいと気持ちイイよとか!! 他にもあの巨乳女に手を出して孕ませて、その実の娘に手を出したり!! 女の子一杯のハーレムは男の夢だからって可愛い子ばっかり選んじゃって!? その上、あの子達を全員一緒に味わい尽くしますとかコレもう絶対中央だったら、犯罪者って卵投げられて牢獄に入れられて裁判で被告人は人の皮を被った淫獣!! いや、淫魔王って言われるの間違いなしなんだから!!」

 

 キィィィンと怒鳴られた耳が麻痺して後半が聞こえぬかと思えば、脳裏に響く声はクリアーに過ぎて。

 

 少年はとてもぐったりとその事実の連呼にごめんなさいと土下座しそうになった。

 

 決して、一つじゅないとか、昔の自分の女性関係にビクビクしたりとか、そういう事は思わなかった……たぶん。

 

「ま、君がそういう人だって言うのは分かってるから、いいんだけどさ。でも、次に会う時は絶対可愛がってもらうからね? いい? 分かった?」

 

「……うん」

 

「その間は何?」

 

「僕の知らないところで過去の女性関係は一体どうなってるのかなぁって……」

 

「大丈夫。この数年で何だか物凄く増えたみたいだし? もし次に会う事があったら、その全員に君の性癖を沢山暴露してあげるから」

 

「……ごめん……」

 

 意識が落ちる寸前。

 

 笑い声と共に。

 

 ふわりと薄紫色の髪が少年の横を抜き去っていった。

 

「久しぶりに会えて嬉しかったよ……これでまた劇が一つ書けそう。もし覚えてたら、見てね。私の名前は―――」

 

 プツリと少年の意識が途切れたのを見計らって。

 

 クヲンが未だ頭の上に乗りながらイソイソと声を上げる。

 

「マヲゥ~~」

 

 声に反応してか。

 

 ガラガラと闇の帳が罅割れ、その合間から漏れる強烈な閃光の中に何もかもが白く染まっていった。

 

―――ん……む。

 

 思わず少年が覚醒した意識で眼を開いた途端。

 

 唇には柔らかな感触。

 

 そして、頭上には黒猫の重さ。

 

 ついでに耳からはマシンガントークよろしく。

 

 少女達の驚きと嫉妬の声が怒涛となって押し寄せてきていた。

 

『な、何してるのんですの?! 何してるんですの?! どうして!? 何で!? いきなりく、口付けしたりして!? エストリアさん!? イクス!! 説明!! 説明なさい!!』

 

『イクス。したくなっちゃったなら、璃者に言ってくれればいいのに!? どうしてイクスはそういきなり何でも始めちゃうの!? 璃者もする!!』

 

『な、何を?! エ、エストリアさん!? イクス!! イクス!! いきなり口付けして浸りっぱなしとか。貴方には常識というものが無いんですか?! 今すぐその唇を離しなさい!! それから璃紗もこんな大人になっちゃダメです!!』

 

『パーパ? 誰と話してたの?』

 

『ゼ、ゼオ……そそ、そういうのは今の状況では相応しくない行動なのではないかと私は思う、ぞ?』

 

『ぅ……人前でそうされると昨日の自分を見ているようで恥ずかしいな。きょ、今日は帰ったら、するのか? イクス? このエンシェンはいつでもお前を……』

 

 順にウル、璃紗、美紗、シルメイア、ユアル、エンシェンの言葉が全て脳裏に叩き込まれる。

 

「ん、ぷぁ……アレ? 凄く気持ち良くなって、って?! ええぇええ!? イクスさん!? な、何してるんですか!? 今まで私は何を!? あぅ?! 皆さんどうして睨んでるんですか?! イクスさん!! 説明して下さい!!? それと出来れば、もう一回しましょう!!」

 

 最後、我に返ったエストリアがサラリと少年に全ての罪を押し付けつつ、更なる口付けを要求したが、さすがに女性陣から止められた。

 

 とりあえず。

 

 ガヤガヤザワザワしている彼女達に少年は引き攣っているものの。

 

 犯人を告げる。

 

「えっと、たぶん……売れっ子な劇作家的な人のせい、だと思う」

 

 女性陣の視線が思い切り胡散臭いものを見るようなものとなった。

 

 ついでにその言い訳はないだろうと口付けした本人であるエストリアすらジト目だった。

 

 四面楚歌の状況で一人。

 

 否、一匹。

 

 怖い黒猫扱いされたクヲンが少女達の輪にも加わらず。

 

 森の先。

 

 自分達が潰すべき化物がいるだろう地区の最奥に視線を送り。

 

 何やら今日はお客さんが多そうだと尻尾をふりふり。

 

 急激に噴出し始めた魔力を感じ取って、ぺロリと舌舐めずりした。

 

「マゥヲ~~」

 

 基本的にクラウゼンの姉妹は揃って大食い。

 

 そして、本質として魔力というものを時々大量に摂取する必要に駆られる。

 

 何かと究極生物も大変なのだ。

 

 大抵は自己の館を構える場所の地脈から吸い上げているが、食事には違いないので同じ物を食べていれば飽きるのは必至。

 

 前回来た時から話は小耳にしていたので、彼女にとって今回のピクニックは久方振りにお腹が一杯になりそうな秘境の食材探しに赴くのと然して変わらなかった。

 

 頭の中を覗いていたら出てきた見知らぬ美人の顔を思い出し、彼女は少年と惚れた晴れたのドロドロ過ぎる痴情の縺れを展開するだろう女性陣の顔ぶれに加える。

 

 食材探しに来たら、美女を出てくる不思議は少年と一緒にいれば、然して驚く事でもない。

 

 少年少女達の喧騒をBGMにしつつ、フッと大地が翳った事に気付き下を見やった彼女は。

 

「?……ッ」

 

 どうやら本日の来客は随分と豪快らしいと理解して。

 

 未だあまりの事象の大きさに察知が遅れている彼らの周囲に即興の結界を張る。

 

 その後、少年と璃紗と美紗が一瞬で彼女の意図に気付いた刹那。

 

 彼らが化物対峙と洒落込むはずだった区画が周囲の数区画分の大地と共に一斉崩落。

 

 同時に下からせり上がって来た全長数kmの灰色の丸みを帯びた大地。

 

 否、息衝く“肌の上”へと当って砕け散り。

 

 今度はそのまま巨大な山岳のように迫り出した背の上で遥か地表の国土を見る事となった。

 

 無数の土砂が周囲の区画に降り注ぎ。

 

 樹木も河も石礫も一緒くたにして何もかもを流し去っていく。

 

 阿鼻叫喚。

 

 地獄絵図。

 

 どれでも構わない。

 

 単なる超大質量の地下からの出現によって引起される災害。

 

 生き埋めになった者の大半が魔術の使える軍人やその筋の力持つ者達だった事が幸いしたか。

 

 即死した者は殆どいなかった。

 

 しかし、怖ろしい土砂と瓦礫の重量で今にも潰されそうな結界に悲鳴を上げて。

 

 多くの者が後方の救出部隊にがなり立て始める。

 

―――いったい何があったんだ?!!

 

―――助けてくれぇぇぇ!?

 

―――救援を要請する!!? 救援を要請する!!?

 

―――あ、足が?! オレの足がぁああ?!

 

―――何が?! な、何が?!!? 救出部隊!! 聞こえますか!! 聞こえますか!!?

 

―――あぁあああぁああああああぁああ?!!!?

 

―――こちら第三区画!! 土石流に仲間が流された!!? 救出部隊に救援を請う!!! 

 

―――本部!! 本部!! 救援を!! いきなり地面が崩落し、多数の負傷者が!!?

 

―――痛ぇええええええよぉおおおお!!?

 

「あ痛たた……な、何事ですの?」

 

「今のは何だ……?」

 

「悪いんだけど、すぐに退いてくれると嬉しい、かな……」

 

「え?!」

 

「あ?!」

 

 自分の尻の下で潰れている少年の言葉で思わずウルとエンシェンが起き上がった。

 

 周囲はポッカリと一面の灰色の地面と景色の良い高山の上部にいるような光景が広がっている。

 

 黒猫の張った結界が真下から浮上してきたソレに引っ付いて土砂と共に流れ落ちるのを防いだのである。

 

「ゼオ。部長。他の子達も大丈夫か!?」

 

 素早く起き上がったユアルが周囲で頭を軽く振って意識をハッキリさせようとしている少女達に声を掛けていく。

 

「こちらは大丈夫です。璃紗、あなたは?」

 

 妹を咄嗟に抱きとめていた美紗が訊ねると腕の中でコクリと頷きが返る。

 

「うん。大丈夫みたい。黒猫さんが咄嗟に結界を張ってくれてたから、衝撃も殆ど無かったし、お姉ちゃんも抱き締めてくれてたから」

 

「良かった……エストリアさん。シルメイアさん」

 

 美紗が左右に倒れていた少女達に声を掛ける。

 

「美紗さん。こっちは大丈夫です。【崩燼機関(ソルヴァス・エンジン)】の衝撃吸収フィールドが自動(オート)で張られたので」

 

「シルメイアは大丈夫だよ」

 

 エストリアが起き上がり、シルメイアは僅かにフヨフヨと浮き上がって少年の下へと向かっていく。

 

「全員無事のようですわね……この結界は貴女が?」

 

 ようやく四つの桃から開放された少年が起き上がる。

 

 その頭上で美紗に訊ねられた黒猫が軽く鳴き返した。

 

 彼らの周囲の結界は薄い半透明の膜のようで、未だに転げ落ちてくる落石やら土砂やらを弾いている。

 

「それにしても一体何が……璃紗さん。エストリアさん。何か分かりますか?」

 

「は、はい。今直ぐ視てみます!!」

 

「リーシャ」

 

 璃紗にシルメイアがチョイチョイと地面を指差して教える。

 

 見てみろ、と。

 

 その指に釣られて地面を見つめた時、少女の顔が驚に染まり、眼が見開かれる。

 

「どうした?」

 

 エンシェンを振り返った璃紗が名状し難い顔。

 

 いや、こんなものが本当にあるのだろうかという未知の存在に困惑した様子で告げる。

 

「この灰色の地面……その……おっきな生き物の上みたい、です」

 

「おっきな生き物?」

 

 エンシェンその他の事態がまるで分かっていない少女達が一度下を見て、それが遥か遠方の地表まで続いているのを見て、仄かに地面からの熱気で周囲が生暖かいのを感じ取り、自分は熱でもあるのだろうかと頭に手を当てて、たっぷりと十秒は固まった後。

 

 思い切り驚いた様子で璃紗を見返した。

 

「異種か? いや、この波動……魔力……魔族?」

 

 エンシェンが一度は神と化した事で鋭敏となった感覚を研ぎ澄まし、周囲を探って存在自体が嘘くさい大きさのソレに瞳を細める。

 

「どうやらコレが地面の下から迫り出してきたせいで地表が崩落したようですね」

 

 美紗が腰に佩いた【崩燼武装(ソルヴァス・アームズ)】を取り出す。

 

 エストリアもまた自分の胸元のペンダントを掲げて復元し、巨大なハンマー。

 

 否、全ての崩燼機関の祖にして最高の能力を持つ【OEDS(エデス)】を開放した。

 

 ウルが持っていた刀の鞘を掴み。

 

 エンシェンがいつでも動けるよう軽く拳を握り。

 

 ユアルが剣を引き抜いて片手に下げる。

 

 璃紗とシルメイアが共に自らの瞳の色を不可思議な程に煌かせれば、彼女達の戦闘準備は整う。

 

「イクス。とりあえず、このままというわけにも行きません。何が起こっているのか把握しなければ動く事も儘成らない以上、一度戻るべきですわ」

 

 ウルの言葉にコクリと頷いた少年だったが、さっそく全員を飛行させて幕屋のあった場所まで戻ろうとOEDSのランチャーを起動しようとしたエストリアを片手で止めた。

 

「イクスさん?」

 

 静かにとジェスチャーして少年は頭上の黒猫をチョイチョイと人差し指で突く。

 

 すると、何を期待されているのか理解した様子で黒猫が短く鳴いた。

 

 途端に今まで半透明だった結界に僅か黒い色が付く。

 

 そうして、少年が振り返った灰色の超巨大物体の頂上付近から黒い何かが一斉に湧き出して空を覆い尽す勢いで広がっていく。

 

「な、何事ですの!?」

 

「アレは魔族、ですか?」

 

「人型か? いや、他にも竜や鳥類系もいるようだな。しかも、魔術具の類で武装して……一体、どれだけ……」

 

 ウルが動揺し、美紗が瞳を細めて、上空の威容に僅か得物を握る手に力を込め。

 

 エンシェンが広がっていくというよりは展開されていく“航空戦力”に驚きを露わにした。

 

 その間にもエストリアがOEDSを掲げて、何やらブツブツ呟きを零し。

 

「………傍受完了。イクスさん。皆さん。今、周辺の魔術での連絡を聞けるようにしました。音声出します」

 

 周辺に音声が出力される。

 

 その通信の中には助けを求める声や混乱した現場の人々の生々しい悲鳴が多数。

 

 しかし、明らかにそれとは違う太陽すら翳ろうかという数の膨大な軍勢からの声もまた響く。

 

―――第39224分隊、配置完了。

 

―――第28233分隊、強行偵察に移行。

 

―――第23235分隊、地表熱源探知続行。

 

―――第34224分隊、動体反応を確認……これより降下地点の排除を開始する。

 

―――第68854分隊、魔力反応の確認を開始……目標の捜索に移る。

 

―――第11113分隊、現地人類種及び亜人・異種の反応を確認。

 

―――司令部より通達。予定通り、これより第1分隊から第32400分隊までの全部隊は第一次布陣と共に現地アルヴァス亜人国の王家及び元老院の構成人員確保を開始せよ。尚、主力第80000分隊より第740000分隊までの現着は新規の“小道”の掘削が狭かった為、予定より六時間遅れている。七教会の戦力が国境に集結する前に全布陣の完了と共に現地国家を接収する。

 

「人型魔族が大陸標準言語で話しているのは違和感があるな。だが、それよりも何よりも我が国を接収? どうやらアルヴァスをディミトリアの二の舞としたいようだな……」

 

 エンシェンが完全に据わった瞳で空を睨んだ。

 

「(あ、コレは完全に……)」

 

 少年がその静かな怒りように半笑いとなり、周囲の少女達もまた祖国の危機に得物を握り締める。

 

 唯一、そういった感情とは無縁そうなシルメイアが周囲の空気にキョロキョロしていた。

 

「ディミトリアみたいにする気なんですか!? あの地獄みたいな事をまた魔族は―――」

 

 エストリアが今まで見た事も無い程に声を震わせる。

 

 当時、その場所にいて、命辛々逃げ出し、父を失ったという話は既に少年も知っている。

 

 アルヴァスに来た時の辛さ。

 

 そして、新たな国で生きる難しさ。

 

 そんなものを感じさせないくらいに明るく笑う少女の痛みは今もその胸にある。

 

 誰にもそんな思いをさせない。

 

 その決意が今は魔族達に対して自分達の両親が強いた残酷な現実を忘れさせ、戦いに震えたり、躊躇する事もある彼女を怒らせていた。

 

「まさか、ディミトリアの悲劇を繰り返させるわけには行きませんわ!? ですが、あの数……首都目前の此処で一体どうすればッ?!」

 

 ウルが現実を前に唇を噛む。

 

「私達に出来る事をまず考えましょう。今はこれからどうするかというよりは此処をどうやって切り抜けるかを考えるべきです。一番いいのはこの状況のまま首都まで戻って情報を元老院に提供。ただちに首都防衛にアルヴァスの全軍を動かす事ですが……」

 

 先程から通信を試みようと魔術方陣を掌に展開していた美紗が通じない事を悟って遠方の首都のある方角を見つめた。

 

「どうやら転移や通信の魔術は阻害されてるみたいです。今、魔族達の通信から妨害されない方式を逆算させてますけど、遠方へ繋げるにはもう少し時間を下さい」

 

 エストリアが片目から流れる光の筋を浮かび上がらせ。

 

【視宝泉(ジェミス)】の能力を開放させていた。

 

「マヲ?」

 

「どうかした?」

 

 黒猫が空を見て首を傾げ、少年が同じ方角を見上げた時。

 

 グシャリと何かが結界に当った。

 

「ひ?!」

 

 エストリアが思わず顔を引き攣らせる。

 

 それもそのはず。

 

 結界に押されて拉げた顔がニタリと笑っていた。

 

【小鬼(コボルト)】と呼ばれる種族に似たソレがギャーギャーと金切り声を上げ始める。

 

「マズイ?! ゼオ!! 部長!!」

 

 ユアルが相手の行動の意図に気付いて、意思決定者である二人を見やる。

 

「見えなくしただけだったりする?」

 

「マーヲ」

 

 コクリと頷いた黒猫に溜息一つ。

 

「みんな、此処は強行突破するしかないと思う。エストリア!!」

 

 少年が全員へ号令を掛けた。

 

「は、はい!! 何ですか!? イクスさん!!」

 

「とにかくアーギストさんに連絡を。後、出来ればエンシェンのお父さんにも。後、全員分の移動をお願い出来る?」

 

「わ、分かりました!!」

 

 コクリと少女が頷いた。

 

「イクス……来るぞ」

 

 エンシェンが拳を握り、結界越しにも分かる程に上空から降り注いでくる黒い竜巻。

 

 否、敵の本流へ向ける。

 

「隊列は今までと同じで。璃紗、シルメイア」

 

「何? イクス」

 

「パーパ?」

 

「二人で一番敵が少ない道をエストリアに教えてあげて」

 

「うん!!」

 

「分かったよ?」

 

 二人が頷いたのを確認し、少年が今も自分の頭上で尻尾をプラプラさせていた黒猫に呟く。

 

「美紗と一緒に背後をお願いしてもいい?」

 

「マーヲー♪」

 

 今まで生え際にへばり付いていた黒猫がひょいと一瞬で飛び上がり配置換えすると尻を少年の顔の方へ向けて準備完了と言いたげに尻尾をペタリと頬に付けた。

 

 その何とも間の抜けた姿に周囲から場にそぐわない笑いが零れる。

 

「黒猫さんはいつも通りみたい」

 

 璃紗が笑むと黒猫が一声その通りと言いたげに鳴いた。

 

「じゃあ、合図をしたら、このまま地表の森を抜けて首都まで。転移の封殺が解けるか。あるいはアーギストさんに連絡が付けば、その時点で何とかなるはずだから」

 

 全員が頷くを確認し、少年が片手の方陣を浮かび上がらせ、虚空から鞘毎剣を引き抜く。

 

「3、2、1、0ッッ!!!」

 

 少年が、少女達が、自らに出来る事をしようと動き始めた様子を遥か高空より見つめる視線が一つ。

 

【ひひひ♪ お友達一杯♪ 遊ぶ♪ 遊ぶ? ひひ、いひひひひひひひひっっ♪】

 

 嬉しそうに黄金の仮面が笑みを浮かべ。

 

 ダークエルフの少女がクルリと世界を回すように自分も回る。

 

 ケタケタと響く声の下。

 

 見えない何かがサクサクと虚空の大気を切り裂き。

 

 その影響か。

 

 地表に続くまでの上空でゆっくりと風が渦を巻き始めた。

 

 そうして、その中心にキラキラとアイウィスの中心にあるはずのものが朧げに浮かび上がる。

 

 それは門。

 

 小さな都市の最下層と無限の迷宮を繋ぐ最後の扉。

 

 極彩色の彩りを備えた天使が破壊したはずのもの。

 

【『暗躍者(ヌギル・コーラス)』……『|首狩りしもの(ヒュドラ)』……遊ぼう♪ 遊ぼう♪】

 

 国を覆うようにして広がっていく黒き軍勢。

 

 その太陽すらも遮る一面の絨毯に向けて“ソレら”が落下していく。

 

 本来、無数の力の鬩ぎ合いと封印が交差する事で塞き止められていた異相の霧。

 

 それがゆっくりと朧な門の合間から漏れ出し、雲に紛れて世界に滲み出す。

 

【ひひ、ひひひひひひ♪ ナーリヤ偉い!! 偉い!! ひひひひひ】

 

 少女の周囲にはフヨフヨと何処か古びれた道具が浮かんでいた。

 

 神器。

 

 何かを繋ぎ止めておく為の頚城。

 

 それが、落下していく“ソレら”に力を与えていく。

 

 形無き、概念無き、姿無き、无に均しき有限が付与された時。

 

 それの名はたぶん……絶望と言うに違いない。

 

 約32000の個体が一瞬にして首と肉体を細切れとされ、墜落しながら、新たなる産声と共に屍蝋へ呑まれていった。

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