第三章百節「武芸術部校外活動Ⅸ」
それは静かで厳かな葬列を思わせた。
まるで英雄が荼毘に付されるのを見つめるような。
不思議な程に澄んだ感覚。
宵の凪いだ海に沈む戦舟に敬礼する者達の如く。
誰もが小さな松明を振って、送り出す。
生きては戻れぬ旅路。
帰ってくると信じる事しか出来ぬのは皆同じ。
七教会本部地下に広がる広大な領域。
巨大な陸地が浮遊しながら行き交う最中。
その最下層域のマントルと接触する巨大ドッグ。
係留された全ての軍艦が出港した時。
延べ6000人の親族達はその真空すら渡る鋼の戦艦の群れの背を見つめ。
多くの感情に耐えていた。
彼らがその一面の硝子のようにも見える透明な壁の先に自らの親、子供、恋人、親類を見送る事となったのは一週間前の事だ。
黄昏の悠久戦争。
大戦後初となる大規模な軍艦の集結。
常の任務とは違う。
命を掛けた戦闘になるのは確実と言われた戦域に向けて、全ての艦のクルー達は志願して向かう。
総計300の船団。
従来は大陸の空を航行していたそれらは新型の艤装を施され、今やあらゆる空間を征く異相突破型艦として生まれ変わっていた。
従来の古びれた火砲や巨大な艦橋は鳴りを潜め、全ての船がまるで虚空を貫く鏃の如き流線型を模り。
如何なる方向からの攻撃にも対応する全方位観測、オールレンジ攻撃に対応した空間制御式の転移爆撃砲を備えている。
唯一、その船達の上下を教えているのは側面の紋章。
黄昏の丘に突き立つ七つの剣のみ。
溶鉱炉より尚熱きマントルへと突入した大艦隊がその前方に巨大な魔導方陣を描き出すと。
開かれていく漆黒にマグマが流れ込み始めた。
その濁流へと吸い込まれるように続く船団の中央。
艦隊旗艦。
一際巨大な12000m程もあるだろう蒼い月を思わせる装甲に覆われた船の中心。
メインブリッジの艦長席で慣れぬ事をさせられている老人は静かにこれから起きるであろう戦いに思いを馳せた。
ハイネシア・ダール。
本来、魔王追討師団において、これが自らの最後の任務だと思っていたはずの彼は……いつの間にかやった事も無い艦隊指揮を任される重要人物となってしまっていた。
五年前のマロウ・ブレステンド失踪から始まって魔王追討師団の事実上の消滅と改編。
その後に起った七教会の統治を揺るがす大事件の数々。
人手が足りないとの理由で死に掛けの老体を引っ張ってこなくてもいいじゃないかと思わなくも無かった彼だったが、聖女不在、不穏な大陸南部の政情、西部における反七教会派の台頭などの事態において一人お茶を煤って老後を暮らせもしないとマディクト・ナシエの要請によって今や大艦隊を率いている。
気心の知れた戦友達は今や散り散りで聖女の娘の護衛に付き続けている者もいれば、最新火砲の性能試験をやっている者、マディクトの後継として事務方の階段を駆け足で昇っている者もいる。
しかし、誰の心にもあるのは今ある平和を守りたいという事だろう。
それを揺るがす西部異相の大異変。
そして、亜人の国が再び五年前の西部での惨劇。
魔族の襲撃による廃国という憂き目に合いつつある。
この数ヶ月で不可解な状況や事件が立て続けに起こった要地を裏側から守れるとすれば、それはもう彼と彼の率いる艦隊……聖女のみだろう。
七教会が元々異相側の大異変の元凶。
アイウィスを叩く為に用意していた戦船は今や救国の為の切札となった。
「………往くぞ。諸君」
短く。
しかし、覚悟を試すように彼は艦隊の隅々にまで伝達される声で告げた。
事前の幾度かの戦闘によって予想される魔族側の戦力は極僅かでも大陸全土を覆い尽して余りあるだろう数。
その物量という一点において彼等が勝利する事は無い。
しかし、異相の海を渡る事が出来る。
次元を超える事が出来る戦力は限られていると思われているのだ。
艦隊の第一目標は敵補給路の寸断と異相側陣地への速やかな打撃となれば、彼等は正に魔族達を縫い止める一本の槍だろう。
「これより第1艦隊より第20艦隊までの異相突入始まります!!」
オペレーター達が物凄い勢いで流れていく莫大な情報を各セクションへ有機的な的確さで割り振りながら、艦隊を一個の生き物のように見せられる程に取り持つ様子は虚空に吐き出された数列や文字列が瞬く間にスクロールされて消えていく事から順調と分かる。
ハイネシアがやる事と言えば、必要な偶像(アイコン)としてクルー達を鼓舞し、適宜船に積まれた解析機関から吐き出される情報と最適な戦術を取捨選択していく事くらいだろう。
今も彼等の戦場は有機的だが、その中で行われる判断は合理的でなければならなくなっている。
最善手を疲れなく打ち続け、それが与えても問題ない命令であるかどうかを考えるのが今の彼の役割となっていた。
現在、アイウィスの周囲に建造された中継基地から通常異相に向かって偵察部隊が動いている。
その情報が異相に入った途端、艦隊の全てのブリッジに流れ込んで来た。
「………この映像の縮尺は?」
ハイネシアがざわつくというよりは凍り付くブリッジのオペレーター達に尋ねる。
「本映像はアイウィス監視中の三騎将貴下所属の小隊からのライブ映像です。縮尺は………約大陸四個分」
一人のオペレーターが答え。
魔導方陣内部の異相に入り終えた艦隊の各艦の艦長達が乾いた笑みを浮かべた。
映像は言い表すならばこうだ。
巨大な灰色の鯨の如き化物が尖った鼻先の頂点部分を“ほんの極々少し”何処かへ突き出しており、その周囲には巨大なソレを覆い尽す程の水。
いや、揺らぐ波があった。
その波の粒、画面を形作る三原色の素子以下だろう敵の数は残念ながら推測不能。
まったくナンセンスだろう事態はとても純粋に彼等の手に負える規模を超えていた。
馬鹿馬鹿しいにも程がある。
敵は大陸数個分にもなろう化物とそれを取り巻く無限とも思える兵隊。
艦隊が一秒間に何千、何万、何百万殺そうと何年掛かるかも分からない規模の……それは魔族達の世界で言うところの大隊だった。
*
「マゥヲ」
「?」
目を開けた瞬間。
少年は思わず……その間の抜けた声に自分の状況を知った。
黒猫はプラプラとその身体を頭の上にへばり付かせている。
樹に背を凭れさせるような恰好で周囲には他の少女達も座らせられていた。
「あ!! イクスさん!! 起きたんですね!!? 良かったぁ~~!!」
エストリアが元の大きさに戻したハンマー。
【OEDS】を煌々と輝かせながら美紗に何やら飲ませた小さい器を置いて小走りに駆け寄ってくる。
「パーパ。大丈夫?」
「イクス!! お薬効いたみたいで良かった……」
他の少女達に其々白い器で何やら飲ませていた璃紗とシルメイアが同じように近寄ってくる。
「どれくらい寝てた?」
「数時間くらいです。黒猫さんがイクスさんの、その……欠片とか名乗る相手を連れて来てくれて、その人に作って貰った薬で……」
エストリアが自分で言っても要領を得ない話に眉根を寄せる。
「そう……」
「驚かないんですか?」
「え、いや、まぁ……魔王とか昔の話も色々あるから、別にそういう関連なんだろうなぁって……」
その言葉に集まってきた少女達は何処か苦笑気味だった。
「イクスさんはやっぱり変わってます」
「うん。イクスはもっと自分の事に興味持った方がいいと思う!!」
「パーパはパーパだから」
三人の少女達に一様の反応を返されて、頭を掻くしかない少年だったが、すぐ自分以外の少女達も目覚め始めたのを察して立ち上がった。
「あ、ら? 此処は……」
「う……酷い寝起きだ。このエンシェンの口に何を流し込んだ?」
「気持ち、悪いです。璃紗?」
ウルはゆっくりと、エンシェンは口の中の苦味に渋い顔をして、美紗は妹の名前を呼びながら。
「おはよう。って言うか。たぶん、こんばんわだけど」
ようやく少年の下に少女達が集まった時。
キリキリと何か大工道具のノコを引くような音が周囲に響き始める。
「あ、イクス。もう此処の結界が持たないみたい」
璃紗が瞳を僅かに輝かせ、周囲を見回して少年へ告げる。
「もしかして、魔族に追われてたりして此処に?」
「うん」
璃紗に続いてエストリアとシルメイアが頷いた。
「何だか凄く小さいのや見えないのが一杯なの……普通の人は分からないだろうけど、ハガスに溢れちゃってる……」
「アーギストさんとは?」
「兄さんとは音信不通です。どうにか通信を試みてるんですけど、魔術的な経路だと通信強度がまったく足りなくて……相手の妨害を突破出来ないまま……」
「事態は切迫してるって事でいいのかな?」
「はい。【OEDS】を使って周囲を探ってみたり、お二人の魔眼で探索してみましたけど、今現在あの区域の上空と地上でハガスの防衛師団と魔族側の軍が屍蝋の仮面を挟んで戦ってます。今は攻勢が小休止して、三者が陣を張ってる場所の周囲に溢れ出してる魔族達がハガス側の大規模魔術方陣の結界に攻撃してます」
エストリアが僅かに眉根を寄せていた。
今の現状では亜人側が不利なのは否めない。
魔族達の戦力は圧倒的。
それに何とか拮抗しているのは屍蝋の仮面がその陣の中央に陣取り、被害を出し続けているからと理解していたからだ。
「此処の周囲の結界は後どれくらい持ちそう?」
璃紗とシルメイアから短い答えが返る。
後15分と。
「………」
思案した少年の瞳が鳥居に向いた。
「何を考えている。イクス」
エンシェンの問いは半ば答えを想定してのものだった。
「エンシェンが今考えてる事と大体同じだと思う」
「その……悪いが、まだ“この子”は……」
申し訳なさそうに目を伏せる鬼女に少年は優しく笑んだ。
「分かってる……でも、エンシェン自身は一度この国に張られてる概念結界に触れたよね?」
「あ、ああ、お見通しか」
まだ少年に詳しい事を伝えていなかった。
なのは全て理解されていた事に隠し事は出来ないなと彼女が頬を掻く。
「エストリア」
「は、はい。何ですか?」
「確かえっと……貴族連盟登録者(パリス・フォエドゥス)関係の徽章(バッチ)持ってたよね?」
「はい。基本的に制服の内側に」
「そういう、事ですか」
今までふらついた頭を振って意識をハッキリさせていた美紗が少年のやろうとしている事に気付いた。
「此処にある鳥居。門は異相に干渉する為のもの。そして、概念結界は国土全域に張り巡らされてる。それに一度でも接続した相手がいて、此処には三人も立場上の亜人貴族がいる。干渉媒体である徽章も在る」
ウルがようやくエンシェンと少年と美紗が何を考えているのか理解した。
「イクス。まさか、貴方……」
狐娘の尻尾が僅か緊張に毛羽立った。
「うん。今から此処で異相を閉じる結界を国土に張ろうと思う」
「そんな事……出来るの?」
ウルの最もな問いに少年がエストリアを見た。
「普通なら此処にある魔力を全て掻き集めても無理かもしれない。でも、【OEDS】の出力なら……どう?」
「ちょ、ちょっと待って下さい!!? 今、計算してみます!!」
少年の言っている事を理解した少女が自らの持つ秘儀の箱を見上げて、片手で【視宝泉(ジェミス)】の浮かび上がる瞳を押さえた。
「確か兄さんに貰ったもしもの時の計算式が……ええと、異相側の時空からの干渉遮断するなら、物理的な封鎖から初めて分子間引力操作と。えっと、一旦量子演算器の方に保存されてる解から――」
ブツブツと呟いて1分程ああでもないこうでもないと悩んでいた顔がパッと明るくなった。
「やりました!! 兄さんが残してたデータと今観測してるデータを合わせて答えが出ましたよ!! とりあえず、此処にある異相側への扉を概念結界に直接接続し直して、干渉する“場”を変更。OEDSの出力で一時的に開いているハガス北部の異相から同調する空間を閉ざすって感じになるかもしれません。ただ、直接概念結界に干渉する徽章とそれを発動出来る亜人貴族、それからOEDSよりも細かく現場を観測出来る機器が無いとダメみたいです。兄さんがいれば、このまま出来たかもしれませんけど、さすがに私の付け焼刃の知識だと……」
「じゃあ、問題は解決かな」
少年が最年少の少女コンビ。
璃紗とシルメイアを見つめる。
すると二人が大きく頷いた。
「では、概念結界と此処の門の接続時にはこちらから手を貸そう」
エンシェンが頷く。
「亜人貴族として一応は徽章の力を使えるはずですわ」
ウルが凜と少年に瞳を向けた。
「本来なら当主等が受けられる力ですが、緊急時には家人や数人の血縁者で力を引っ張ってこられたはず。赤鬼と同列に旧い家柄である奏家とバーゲルの家ならば、引き出せる魔力も多いはずです」
美紗が片手で剣の柄を手を預け、キュッと握った。
「ん……ゼオ? 部長……此処は?」
「あ、起きたんですね。ユアルさん」
エストリアが一人起きるのが遅れていたユアルの傍まで言って手を差し出し、立ち上がるのを手伝う。
「全員起きれたみたいだし、とりあえずやれる事をやろう。僕はみんながやってる間、結界を守るから」
「イクスさん。大丈夫なんですか? さっきまで昏睡してたんですよ……」
少し不安そうに尋ねてくる元不良っぽい少女に少年が苦笑した。
「エンシェンもウルも美紗もユアルだって同じだよ。僕にはこういう事しか出来ないから」
少年が手の甲を魔術方陣に輝かせて、虚空からいつものように諸刃の剣を取り出す。
「ゼオ……何だか分からないが、手伝おう」
「えっと、出来れば、全員が儀式に集中していられるように結界内で守っててくれないかな。ユアル」
「……分かった。武運を」
ユアルが頷き。
静かに拳を胸の手前で掌に包むような所作。
東部式の礼を持って答えた。
それに少し以外そうな顔をしてから、少年が頷く。
「じゃあ、後は任せるよ。僕は外でちょっと結界を壊そうとしてる魔族を相手にしてくるから」
「お前が言うと今日の夕食の献立でも語るようだな」
肩を竦めて、そんな冗談を言ったエンシェンに少女達が同調して笑みを浮かべる。
「本当ですわ……」
「まったくです」
「イクスは……何事にも動じない人だから」
「パーパだから」
「これは否定出来ませんよね? イクスさん」
「ゼオはその……強い、からな」
酷い言われようだと本当に心の底から嬉しそうな笑みを浮かべて、少年は何も言わず彼女達に背を向ける。
歩き出した背中にはどんな言葉も掛からない。
危険な戦いになるだろう。
だが、少年ならば、どうにかしてくれる。
どうにかしてきた。
だからこそ、誰もが特別な言葉なんて伝えはしない。
きっと、帰ってくると信じられるから。
「マゥヲ~」
「えっと、一緒に行く?」
「マーヲ」
黒猫が頷いた。
尻の毛まで毟られたわけだが、今は再び化身姿。
しばし、シクシクしていたのも何のその。
クヲン様は強い子ですねと地下研究棟の古株達から持て囃されて育った究極生物は二十分程前の惨事なんて無かった事にして尻尾をフリフリ少年の頭上で戦闘準備した。
「あんまり構って上げられないと思うから、自分の身は自分でお願いしていいかな?」
「マゥ・ヲ・ゥヲ~♪」
当たり前ですと言わんばかりに、ようやく楽しく遊べると言わんばかりに、とりあえず少年の頭皮に爪を立てつつ、黒猫は何やら短く鳴いた。
すると、その頭上に僅かな空間の歪が出来て、ボトボトと何かが落下し、その肉体に装着されていく。
それは宝飾をあしらった鎧。
しかも、猫用という意味不明な代物だった。
不思議な色合いの黄金にも近しい金属。
それが首と足を覆う輪となり、肩当てや爪となり、尻尾の先を槍と成し、額を飾る宝冠となる。
「あの……痛いんだけど」
「マーヲ」
必要経費とでも言いたげに金属爪を頭皮に微妙な力加減で食い込ませ。
準備が完了した黒猫はテシテシと少年の頭を叩いて戦場へと促した。
「じゃあ、行くよ」
少年が内側から外側に抜けようと走り出し、アーギストから結界の鍵を預かっていたエストリアが僅かにそれを胸元で握り締めた。
フッと樹木の先に少年の姿が消える。
それと同時に結界内に響いていた音が僅かに減衰した。
「では、我々は我々に出来る事をしようか。各自、最善を尽くそう。このハガスと其々の未来の為に」
エンシェンが音頭を取った。
そうして、二つ目の戦端が首都において開かれる。
新たな戦いは確かに国の行く末を左右にするに違いなかった。
*
畢竟(ひっきょう)とはようするに詰まるところ、という事だ。
結局である。
そう、結局、その黄金の獅子は傍観者の一人にしか過ぎない。
お膳立ては出来るだろう。
重要な裏方を担う事も可能だ。
聖女達にすら秘密を持ち、聖女達よりも真実に近く、彼女達が知らない世界の裏側の事情に手を出す事もある。
しかし、しかしだ。
何もかもが主体的ではない故に自らの望むところまで事態を持っていくのは至難に近い。
その結果が今現在の状況の根本的な問題。
そう認識するからこそ、彼は自らの若い頃を見ているようなアルヴァス亜人国の国王。
赤い猫耳の青年を少し羨ましく思った。
その世界を動かす主役として輝く姿が僅かに眩しかったのである。
『前々から思っていたが、我々は似ているのかもしれないな』
今現在、荒野の最中。
獅子は腰を下して前足で立っており、遥か遠方の空に時折上がる輝きの束。
戦場の光を見つめていた。
その背後の地面には暗がりにもハッキリと分かる魔導方陣が描かれ、内部から一人ずつ仮面を被った学校の制服姿の女子。
聖女を産み出す学び舎の生徒達が空間を飛び越えては獅子の後ろに直立不動で整列していく。
「買い被りですよ。僕は彼方のようにはなれません」
「野心も野望も王ならば、一度は抱く対価だ」
猫耳の青年は自分よりよっぽど長く世界の穢さや哀しみと対峙してきたはずの元国王へ静かに呟く。
「僕には大き過ぎる。望む望まずに関わらず。あちら側からやってくるとしても、本当に大切な事は極々狭い部分、小さな幸せに過ぎない。人間てそういうものじゃありませんか?」
「亜人が人間を語るか。いや、亜人だからこそ、かね?」
「そこまで奢っているつもりはありません。人間の愚かを学ばざるが亜人と言っても、また別の愚かしさを我々も持っている」
「随分と謙遜しているが、こちらからすれば嫌味のようなものだ。未だ大陸中央においての犯罪率は亜人国より余程に多い」
「……罪も罰も人間が決めた規範に過ぎません。それは亜人も同じ。新たな規範と旧い規範が争うのはより良い明日を求める時だけにしたい」
青年の言い分にマシア・ミクニス・アルヴィッツ。
大陸中央最大の名士にして元国王は肩を竦めた。
「旧い規範が人の未来を束縛するとすれば?」
「新しい規範が素晴らしいと証明出来ても、旧い規範に従ってきた人々は納得しないでしょう」
「その通りだ。しかし、進み続け、昇り続けるのは人の性だ。それが例え、善意の制止であろうとも止められるものではない」
「……もしも立場が逆なら、良かったかもしれません」
「ははは、違いない。求めるモノが逆だったなら、随分としっくり来ただろうな」
「彼方は新しい道を。僕は旧い道を。ですが、その先にある、求められる価値はきっと根本的に違いませんよ?」
「そうだな。だが、だからこそ、過程はこうであって欲しいという我が強くなる」
「ええ、それには同意します」
「……また話せて良かった。もし次があるならば、その時は政治と思想抜きに一杯やろう。若人」
「実は下戸なもので。果汁しか呑めないんです。舌が幼いとよく父に叱られますが、これだけは治りそうもない」
「ふ、お父上によろしく言っておいて欲しい。あの偉大なる竜に……あの時は世話になったと」
「確かに承りました。では、僕はこれで」
「ああ、汝に武運長久を」
アルデルト・エスラ・ウィム・アルヴァスはイソイソとその場から虚空に昇っていき。
夜空を流星のように滑って地平へと消えていった。
残った獅子は自らの後ろにいる少女達。
聖女に成らんとして自らの青春と多くの時間を掛けてきた彼女達に振り返る。
「力は、もう戻っているな?」
少しの狂いも無く。
彼女達が頷く。
その人数、数十名。
異様な程に揃えられた仕草はまるで機械を思わせる。
しかし、それが単なる規律と連携を何処までも極めて来ただけの成果だと知ればこそ、獅子はよくぞそこまで来たと自分の孫のように思う少女達に頬を緩ませ、命令を下す。
「行動開始。これよりアルヴァス亜人国を強襲中の魔族に対し、反抗を開始。作戦の計画、立案は全て一任する。30分以内に詳細を報告せよ。必要物資は何だろうと1時間以内に用意させよう」
ザッと四列に成って佇む戦闘の一人が手を上げた。
「発言を許可する。言ってみたまえ」
『七教会の三騎将下の部隊が上げた報告によれば、敵の最低小隊人数は三億騎……異相側に本陣が敷かれているとなれば、被我の戦力差はたぶん10万倍では利かないでしょう。キルレシオが10000倍勝っていても我々に勝機は無いと考えます。大陸規模の攻勢準備となれば、聖女様方の力に肉薄する者が総掛かりで全能力を魔導に注ぐか。または増幅用の高位魔術具が多数必要ですが、大陸中央諸国内にある増幅系の術具の数や質から考えて全てを使えても足りないかもしれません。現在再び復活した能力に付いて精査しましたが、能力の値は通常の5分の1以下……たぶん、魔導に力を注いでも、この国が飲み込まれるまでに間に合いません。此処はフルー・バレッサ様の直接影響下にある審議会に保存されている【源型(アーキタイプ・モールド)】の貸与を具申します』
「……分かった。掛けあってみよう。引き出したい品は?」
獅子の問いにその白い仮面の下から声が呟く。
『大戦において魔王の従者が敷いた大結界を抜ける為に使用された聖獣、神獣、魔獣、彼等との契約書はまだ保存されていたと存じています。時空間に対して優位性を保つ存在を象徴として使用、方陣を形成出来れば、ハティア様のいる階梯へ一時的に触れられるだけの力が手に入るはず……』
「銘は確か……」
『【七劫世書(セプティモ・アウテーナ)】……七体まで主神級神格と同等の相手を束ねられる【宙の契約書】の劣化改訂版と伺っています。複製後、能力を限定した時に付加された制限が重かった為、現在は封印指定されているとか』
「よろしい。すぐ用意させる。ただし、使用はこの場の全員で行なえ」
ザッと少女達から敬礼が返された。
「これより先は実戦だ。前回とは違い。完全に殺意と憎悪を込めて敵は向かってくる。怯むな。立ち向かえ。この数十年間、聖女達がそうであったように……君達はこれから背負う事を覚えるのだ」
何もかもが夜明けに向かって加速していく。
戦いは誰も知らない終りへと突き進んでいた。
多くの者達の運命を翻弄しながら………。