第三章百四節
第三章百四節「動き出す世界」
「イクスさ~ん」
ブンブンと手を振った道の先の少女。
ハイダル・エス・トリアに少年が手を振り返した。
その笑顔はいつものように眩い。
いや、いつもよりも明らかにニコヤカさ三割増しくらいだろう。
左隣を歩く黒髪女給。
奏璃紗は何か良い事があったのだろうかと。
その友人のテンションの高さに首を傾げ。
右隣を歩く銀髪とも違う不思議な光沢の少女。
シルルゥ・ゼオ。
現在はシルメイアと自分を呼ぶ彼女は声の後、麺麭屋方面から香り始めた小麦の焼ける匂いを視線で追っていた。
朝、合流したばかりの通りにはいつものように荷馬車や自動馬車の姿がある。
人々は平穏な様子で朝の通勤通学に勤しんでおり、その様子からは一ヶ月前の騒動。
魔族侵攻の名残は表面的に見て取れない。
「おはようございます。イクスさん」
「うん。おはよう。エストリア……それで、何か良い事でもあったの?」
「あ、分かっちゃいますか? 兄さんがようやく普通の身体に戻ったんです」
「ああ、それで……」
蒼い空。
白い雲。
しかし、この一ヶ月。
エストリアの兄。
苔生した魔術師ルックなローブ姿の青年。
アーギスト・エス・トリアが半ば“人外”というか“化物”というか“明らかに人間のバラバラ死体”みたいな姿で過ごしていた事は仲間内では周知の事実だ。
高位魔族との近接戦闘で細切れにされても生きているというだけで凄まじいが、面倒な儀式を行なわないとその状態が解けないからとそのまま事後処理に当たる精神も相当だろう。
分割された身体のパーツの断面を空間制御で接続し、物理的な距離が離れた状態からでも生態機能を維持する。
神経や血管、リンパ、その他細胞の連結を高度な手腕で遣り遂げた手際は高位の大魔術師にも中々難しい芸当だろう。
「ようやく朝に兄さんのバラバラ死体が浮かんでご飯食べてるのを見なくてよくなったって考えたら、嬉しくて嬉しくて」
ニコニコ言われた内容のアレさに驚きを少しも感じない自分も随分と毒されているような気がしないでもなかったが、少年はとりあえず良識的な判断で声を潜めた。
「あ、うん。分かるんだけど、声はもう少し小さい方が」
『………』
「あ……は、はぃ……」
通学中の学生達が“特殊な事情を抱える家”の内実の怖ろしさに何やら戦々恐々、興味深々、桑原桑原、そういった様子で三々五々に知らぬ存ぜぬと耳だけ欹(そばだ)てて過ぎていく。
「早く行かないと校門閉まっちゃうよ」
「静かに行きましょう……うぅ、兄さんが悪いんです……」
三人の少女達に囲まれて。
アルヴァス・カレッジの人間ハーレムの主。
イクス・ゼオはこの一ヶ月で随分と復旧した日常の事を思い。
このすぐに順応する亜人達の逞しさこそが国の原動力なのだろうと感じて歩き出す。
魔族達の侵攻を退けた直後。
アルヴァスは大混乱の有様でとても普通の生活に戻れるような雰囲気では無かった。
さすがの亜人貴族も事態が収拾されるまで半年以上は掛かるかと思っていた者が大半だろう。
何せ。
絶望と奇蹟の二重奏。
ついでにオマケの如く厄介事が三重層。
折り重ねた小麦菓子の分厚い生地を思わせる不協和音は直接的な危機が去っても国家存亡級のものだった。
小国たるアルヴァスの人口の約7分の1がまず侵攻の余波で死んだ。
そして、その全ての死人が春の緑炎騒動の時と同じく甦った。
魔族達は退けたが、あくまで追い返したに過ぎず。
国内に魔族を匿って戦力化していた事が周辺諸国に露呈。
その上、国を救ったのは魔王の娼婦と綽名される【聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)】とされた。
巨大な首都北部の異相に続く大穴を埋める形で今まで幻とされてきた魔王の側近集団達の本拠、浮遊大陸が落着。
周辺の人間諸国からの武力による圧力を退ける為にアルヴァス陸軍は国土内の魔族調査と国境警備に出ずっぱりで1週間は殆ど睡眠も取らず任務へ当たった。
安全の確保された地域に再び住民が帰り、生活を始めて経済活動を再始動させるのに10日余り。
各国からの問い合わせや非難声明や救援物資や援助の受け入れ態勢を整えるのに2週間。
国が保有する金融市場の再開に伴って複数の国への支払いに追われる事、3週間。
閉鎖経済へと移行し、敵対的な国家からの輸出入の停止、債権の大量売りで現金と外貨を確保し、各種の国内に存在しない必要物資を数年分買い付けるのに一ヶ月。
人間諸国からの貿易路封鎖、経済封鎖を受け、それでも戦時体勢に移行した亜人国の官僚は優秀を通り越して神業の主としか思えない。
それも元々は周辺国との戦争を睨んで国内整備をしてきた準備の賜物であったが、それにしても最大の国難の時にあって団結し、国内の安定を取り戻させた事は亜人国が吹聴する“人の愚かを学ばざるが亜人”というスローガンを如実に顕していた。
「イクス」
クイクイと袖を引っ張る璃紗が視線を向けた方角を向いた少年が通学路の先から黒猫が歩いてくるのを見つける。
「……いきなり降って来ないってところが逆に斬新に見えるとか……」
少年が半ば半眼で愚痴った途端。
シタタタッと地瀝青(アスファルト)を駆けた肢体がひょいと少年の頭に載った。
ズッシリと言う程ではないにしても、数kgの重量に少年が首に疲労を感じる。
しかし、何かと世話になっているというか。
重要な事件の度に何やら裏から支えてくれているらしいマヲッと鳴く物体を邪険にも出来ず。
少年は仕方なく生え際と首の危機を呑み込んだ。
「おはよう」
「マゥヲ~~♪」
「一ヶ月ぶりだけど、元気にしてた?」
「マーヲ」
頷く黒猫が頭の上で生え際に腕を添えてダラ~っと頭部にへばり付く。
まったく悪びれもせず。
ダラダラし始めた学校では精霊扱いの物体は「あ~生き返る~生き返る~」と爺むさい感じに顎を頭頂部に付けて涎まで垂らし始めた。
「ふふ、黒猫さんもきっと疲れてるんですよ。イクスさんもそんな嫌そう顔しないでナデナデして上げればいいんです」
エストリアがそんな聖人にしか不可能だろう言葉を投げ掛けるも、少年は半笑いで受け流し、とりあえずは登校だと再び歩き出す。
「黒猫さん。良い子。良い子」
「良い子にしてる、よ? ね?」
ナデナデナデナデナデナデナデナデ―――。
璃紗、シルメイア、エストリアの三人から撫でられまくった黒猫が極楽にいるような心地なのか。
もはや猫とは思えない……だらしない至福の表情で置物と化した。
忘我の境地に到った為か。
しばらく意識が現実に帰還する事も無いだろう。
「そう言えば、今日はウルさん。一緒じゃないんですね?」
「え? うん……ちょっと病院に行ってくるって」
「ああ、いつもの?」
「うん」
エストリアが武芸述部や学業の用事以外では結構少年と登校しているはずの相手。
ウル・エイフォン・バーゲルの姿が無いのを思い出してキョロキョロした。
「あ、そう言えば、昨日はいたのにエンシェンさんも……」
「エンシェンは【聖王同盟】の人と何だか話し合う事が沢山在るって言って昨日の夜から出掛けてて」
「そうですか……みんな、まだ大変なんですよね……こうやって登校してると忘れちゃいそうになりますけど」
「アーギストさんも、エストリアのお母さんも、ドゥーズさんもこの国の為に色々としてくれてるから」
少年の言葉にその場の全員が少しだけ遠い瞳となる。
この一ヶ月、まるで馬車馬の如く働く人々の姿を其々に様々なところで見ていた。
いつも集まる市場の人々や学校の教師陣。
忙しそうに懸命な姿で働く多くの人間奴隷達。
誰もが同じだ。
亜人も人間も貴族も民も無く。
多くの者が国家の危機に立ち向かっている。
日常を取り戻そうとしている。
本来ならば、この国の惨状を悲観して出て行く者が大多数になってもおかしくはない。
だが、公官庁からの発表では国籍を離脱する者も国外に移住する者もこの一ヶ月で100人にも満たないと発表がなされていた。
それは身分的な抑留を強いられる人間奴隷達ですら、だ。
逃げ出す者は殆どおらず。
入ってくる者こそ少なくなったが、それにしても奴隷身分を離れてすら、国内から出ていく者は稀だという。
国家の奴隷に対する良心的な雰囲気。
自分達の取り扱いの丁寧さ。
それを弁えた亜人国家は確かに通常の人間諸国よりずっとマシなのだと改めて多くの者が知ったらしい。
その最たる理由はあの魔族侵攻の時にも奴隷だからと亜人達が自分達を見捨てずに守った事だとされる。
軍は亜人も奴隷も等しく守るべき国民として扱った。
普通の人間国家ならば、中央諸国以外に奴隷へそんな事をする者は無い。
人権が……人権を説かれる国よりも、奴隷を廃した国よりも、配慮されている。
これこそが人間達の知った現実だった。
故に不満で奴隷達が決起する事も無ければ、仕事を停滞させる事も無い。
それは大半の人間諸国にしてみれば、摩訶不思議な亜人と人間の共栄関係。
亜人貴族の高潔主義が再度人社会に対して見せ付けた未だ埋め得ない差だった。
「そう言えば、美紗さんも今は官憲のお仕事を臨時に再開してるらしいですよ。昨日、こうやって迎えに行こうって言ったら、朝から北部の方で警備任務に就くとか何とか」
「いつ帰ってくるのか分かる?」
少年の問いにエストリアが頷いて璃紗に聞いた午後の予定を伝えた。
「じゃあ、帰ってきたらみんなでお疲れ様って労ってあげない?」
「あ、はい。そうですね。じゃあ、放課後に市場でお菓子や食事を買って行きましょう。兄さんやエンシェンさん、ウルさんにもこっちから連絡しておきます」
「って事で放課後はいいかな?」
璃紗とシルメイアが少年にコクコクと頷いた。
「マゥヲ!!」
黒猫が片腕でテシッと生え際を叩いた。
「うん。君も来ていいから……頭から退いてくれれば、だけど」
「ま~~~を~~~♪」
緩んだ声で応えた黒猫の鳴き声が正門前に響き。
少年達は取り戻した日常の中。
再び学び舎へと向かっていった。
そんな小さな慶びこそが、彼等の守った大切なもので、彼等の望んだ日々に違いなく。
その誰の顔にも温かな笑みが浮かんでいる。
「「………」」
それを空の上から見やる一つの影がポツリ。
「にぃさま。うれしそう……」
「行きましょう。七教会の偵察部隊がまた侵入してきたようです」
「……こうあねぇさまにていきれんらくを。われらのほしはいまだかがやく、と」
「はい」
その二つの声が零れる一つの口の主はそうして空色に溶けていった。
己の大切な人の日常を守る為に。
艶やかな紅葉の舞う山々の先に向かって………。
*
―――首都ハガス中央行政区画城砦内部第一会議室。
「では、続きまして。今回の総括の一部で陸軍の戦術が首都防衛戦において、どのように働いたかを説明致します」
その暗い一室の壁際で。
黒豹型の獣人が壁面に水晶型の魔術具で映像を投影していた。
「まずは我が軍の変遷からお話しましょう。前回の一件で未だに病院から出て来られない方もいます。代理の方の何人かは話に付いて来れないでしょうし」
最初に映し出されたのは五年前の情報。
周辺諸国に配備された師団の状況とアルヴァス陸軍との差。
複数の数値を地図上にグラフとして視覚化したものだった。
「魔族側からの侵攻による本土への強襲、国土失陥。これらは五年前の廃国事件から軍が最も憂慮していた事態です。元老院上層部の方々も知っている通り、当時の我が軍は周辺の人間諸国と比べてもザッと二倍以上の戦力差がありました。その人間達の国々すら敵わない相手に我々が敵うわけもないのは自明。しかし、その状況は廃国域事件後、二人の女性と彼等の接触によって大きく変わったのです」
二つ目の映像には顔写真が二枚。
「まず一人目。アルゥ・ゼオ。彼女が廃国事件の主犯である七教会に追われる魔族達を連れてやってきた。これが全ての始まりでした。彼女は自分達を匿って欲しいと元老院に接触を持った。この時、廃国騒動の混乱で周辺国の諜報活動が滞っていた事。また、そのままなら確実に人間諸国と衝突していた事から、我が国はこれに様々な議論を持った。議論の変遷は省きますが、隠せるか。隠せないか。そして、隠せたとして我々にどれだけの利益があるか。肝要な点だけを言えば、我々は互いに利害が一致していた。これに尽きるでしょう」
黒豹の男は肩を竦める。
「これで我々は互いに条件付きながらも協力関係となり、我が国は最も重要な切札を手に入れた」
二人目の顔に男が視線を移す。
「そして、二人目。エス・トリア博士……彼女は我が国の内部でも魔術結社や旧教会派が開発していた新型エネルギー機関の開発者だ。また、あの当時の廃国騒動から逃げ延びてきた当事者でもあった。我々に彼女は家族と共に亡命を希望し、保護するならば、その失われてしまったはずの新型機関の情報を供与、開発も継続、我が国の重工業に発展を齎そうと提案してきた。我が国はその時、“新型機関の危険性”に付いて理解しましたが、結論は一つしかなかった。そうして、我が陸軍は彼女の開発した【崩燼武装(ソルヴァス・アームズ)】を主兵装として運用し、従来とは完全に異なる戦術を取る事となった」
映像が切り替わり、一ヶ月前の激戦。
多数の死者と首都の崩壊の様子が映し出される。
「我が国は四年前に新型機関を一般化。これによって重工業政策とインフラの整備は飛躍的に進んだ。陸軍の武装や消耗品の質は大陸中央諸国へ肉薄し、最新の銃器開発と平行して、独自の武器である【崩燼武装】を部隊規模で運用するまでになった」
男が映像を横目に説明を続けていく。
「これが前提です。我が軍は他の先進国と同等の重工業政策によって齎される軍事的恩恵と極めて補給の容易な高インフラ地帯を舞台に柔軟な防衛戦を行なおうとしていたわけです」
その説明を聞く誰もが黒豹の言う事が理想であったのだと知っている。
実際にはそんな賢しらな理想なんて、魔族達の常識を超越した戦闘行動の前には何ら役に立たなかった。
「まぁ、東部で言うところの絵に描いた餅だったわけですが、そうなってしまったのは解析の結果。以下の条件が全ての戦術的、戦略的優位を覆してしまったからと判明しました」
映像が切り替わる。
其処に書かれていた事は極めて単純だ。
敵魔族の師団数。
完全充足の一個軍団の数。
そのアルヴァスと魔族側の戦力比をグラフにしたソレは……控えめに言っても、桁が5つ以上違っていた。
「これが現実です。我が国は確かに強くなった。だが、魔族側の物量は我が方の部隊と全て同数で相討ちになったとしてもお釣りが来る。異相側の観測結果を綿密に調査した結果。また、あの戦闘での情報と聞き取りをした結果。全ての数値を総合すると魔族側の規模は最低で我が方の一万倍以上であったという結論に到りました」
黒豹の瞳には大きな深い憂慮の溜息を付く者しか映っていない。
しかし、幾ら嘆こうとソレが事実だった。
「しかし、だからと言って、我が国の陸軍がしてきた準備が無駄になったという事も無かった。それもまた事実です。首都崩壊や魔族達の能力が想像以上である事はアルゥ・ゼオからの聞き取り結果から想定されていた。故に首都からの民間人の輸送や国境域への退避。陸軍を民の直援に付けて護衛するなどの試みは正しかった。また、キルレシオにおいては1:423という値も記録している。あの戦闘で我が国に足りなかったのは圧倒的な戦力との消耗戦を乗り切れるだけの経戦能力という事です」
ボロボロになっても尚戦った亜人の男達。
それとは別にあの戦いに参加した勢力の映像。
彼等の姿もまたブリーフィングの参加者達には印象深いに違いなかった。
誰も彼もが必死に戦い。
亜人も人間もなく。
一つの結果。
国家の存続の為に隊伍を組んだのだから。
「我が国は随分と恵まれています。彼等がいなければ、アルヴァスという亜人の楽園はこの惑星から失われていた事でしょう」
黒豹が僅かに映像に見入って、笑みを浮かべた。
「幸いにも首都直下で建造していた異相突破艦も死者の復活と同様に復元されており。現在、赤鬼宗家の直轄により、一番艦の艤装が明日にも終了します。また、南部イグニシア・クルシスより支援として10万人の技術者陣が国内へ到着しており、首都及び周辺都市の工業地帯で必要な装備の作成にも携わっております。年を越える前には艦隊の全艦が揃う事でしょう……彼(か)の国からの要求は只一つ。化物に勝つ事、だそうです」
白亜の城砦。
行政中枢区画の地下の映像に切り替わると周囲から感嘆の声が漏れる。
無数の人間達が、イグニシア・クルシスからの援助という形でやってきた技術者達が、次々に入れ替わり立ち代り艦の傍で立ち働いていた。
其処に集まる者達も話には聞いていたが、あの事件以降の情報統制の強化は各セクションの全体像を把握し難くしている。
秘密裏の支援というのも数多く。
今現在、アルヴァスに集まりつつある有形無形の援助は全容を元老院上層部ですら精確には分かっていなかった。
「七教会から再三に渡って会談要請がされていますが、そちらはドゥーズ様に一任しており、しばらくは問題ないかと。大陸中央諸国や周辺諸国向けの宣伝活動に外務の者達も奔走しております。何かしら人間諸国や七教会が公に行動を起こすには議論の時間がいる。それが纏まるまで少なくとも今年一杯安心していいでしょう。そうなれば、我が国は……万全と呼べる状態で異相からの脅威に立ち向かう事が出来る」
アイウィス。
その今年に入ってから起こった国家消滅級の事件の元凶たる都市。
今や白くなった異相で拡大する球体の映像に切り替わり、その場の誰もが顔を引き締める。
「先日の一件で異相側に艦隊を捕捉した事は多くの方が聞き及んでいるかと思います。我が方が何とか確認を取ったところ……七教会は300隻以上の大艦隊をアイウィス付近に設営した基地に寄港させています。これが映像です」
どよめきが奔る。
白い球体の近く。
遠近感も狂う大きさの鋼色をした独楽のような物体が浮かんでいた。
その周囲には幾つも巨大な船が浮かんでおり、内部に出入りしているのが見て取れる。
「あちらの外交ルートで正式に確認を取りましたが、何かの間違いだろうと白を切られました。ですが、間違いなく七教会は異相に我々が断った大規模な戦力を持ち込んでいる。彼等にとっても異相の大異変は放っておけない問題なのでしょう。ですが、手に手を取り合い、とは往かないのも実情です。我々は自らの手で破滅を退ける為に行動するべきだ」
その声に同調する声が次々に上がる。
「それでなのですが」
男が指を弾くと周囲の者達の前に複数の資料がふわりとやってくる。
「本来、異相突破艦の所属は軍そのものである陸軍が主体となって運用する事となっていたのはご存知かと思いますが、我々には異相での戦闘ノウハウが圧倒的に足りない。また、艦の運用に数ヶ月で習熟出来るかどうかとなれば、正しく賭けです。七教会に錬度で遠く及ばないのはしょうがないとしても、これでは化物との決戦に勝つ事は出来ないでしょう。そういった事情に付いて今回、陸軍はイグニシア・クルシスに支援を扇ぎ、彼の国で同様の異相突破型の列車を扱っていた搭乗員(クルー)達を一時的に預かる事となりました」
僅かなざわつきが周囲を満たす。
「彼等は専門に教育を受けた者であり、陸軍の佐官、尉官級の現場指揮者達の一部を教育してくれる手筈です。これに伴って陸軍内に異相宙域警護を主任務とする部隊を新設。来るべき戦いに向けて戦力化を図ります。統一的な命令系統を確立する為、基本的に部隊は陸軍の命令で動きますが、アイウィスへの突入に際しては赤鬼宗家直轄として機能させ、敵中枢区域への上陸支援と回収、警護と宙域戦闘、帰還などを行わせる予定です」
新たな映像が切り替わると敬礼した人間や亜人の男や女達がイグニシア・クルシス兵の軍服。
蟲甲や翅で飾られた制服を身に纏っている姿が映し出された。
年嵩の士官達と1人の老人。
それに付き従う若者達。
誰もが軍人達から見ても鍛錬に鍛錬を重ねた精鋭だと顔付きや体付きだけで分かる。
「アイウィスへの突入計画は順調に進んでいますが、今回は更にお伝えする事があります」
映像がまた切り替わる。
すると、今度は学帽に学徒用の黒い制服姿の少女が1人彼等の前に現れた。
『お初にお目に掛かります。私の名は天御門紅亜……【聖王同盟】に加わる者です。どうぞお見知り置きを』
その言葉に場の誰もがようやく今回の総括の本題が来たと顔を引き締める。
しかし、それにしても彼等には名乗った少女が反七教会派の筆頭である魔王の娼婦と綽名される女とはまるで思えなかった。
それなりに情報を仕入れている元老院にも魔王の側近集団はもっと邪悪なものであると思われていたからだ。
だが、蓋を開けて見れば、映像の中の少女は涼やかな瞳をした麗人。
本当の年齢こそ分からなかったが、それにしても自分達より長生きしてはいなさそうだというのが上層部の者達の感想だった。
『まずは我らの本拠地の停留を認めてくださった事に感謝を。そして、此処からが本題ですが……我ら【聖王同盟】はアイウィスへの侵入に対して幾つか支援して差し上げる事が可能です』
少女の声に嘘は無い。
それが映像を見ている誰にも分かった。
その瞳と表情には戦う者の覚悟というものが確かに見て取れたからだ。
『現在、異相で膨張を続ける都市はかなりの大きさになっているとはいえ。周囲に大量の霧を撒き散らし、接近するのも困難。ですが、我々にはそれを超えて艦隊をアイウィス至近まで届ける方法が有る。この一件に関しては共に反七教会派という事も鑑み、一致した組織の見解として協力を惜しみません』
その言葉を信じるならば、艦隊は少なくともアイウィスに至るまでの間、安全度が増す。
誰もが紅亜の話に聞き入り始めた。
『それで、此処からが提案なのですが、協力の見返りに皆様へ頼みたい事があるのです。この提案が受け入れられない場合でも協力は勿論致しますが、もし良ければ我が方にも力を貸して頂きたい』
紅亜がスゥッと一息吐いた。
『現在、“我が国”には住人が足りません。文字通り、人が、亜人が、異種が、人外が、魔族が、主体となるべき民が少ないのです。それで頼みたい事というのは……この大陸への移住者を募っては頂けないでしょうか?』
さすがに面食らった様子の男達が顔を見合わせる。
『我らの本拠地であるハルトゥムはそれ自体が自己完結した生態系と気候風土を有する小さな世界のようなものとして存在しています。食料や水は自給出来ますし、資源は出ませんが土地は肥沃です。ですが、我々には圧倒的に民が足りない。今までも反七教会が多数派である各地で住民を受け入れてきましたが、それでもまだまだ十分な人手とは言えません』
それはそうだと元老院上層部の誰もが思った。
そもそもが大陸最強の武装集団にして宗教団体へ喧嘩を売る罪人なのだ。
それと同一視されるだろう場所に住まうというのを躊躇するのは普通の感覚からすれば、おかしくはない。
『ですが、このアルヴァスでならば、民となれる者は多いはず。無論、我々の性質上、七教会との抗争において危険である事は常です。移住する時には多くの契約や制約、入国しても大丈夫かどうか試験が課されますが、最も大きいのは七教会絡みの事に巻き込まれる事でしょう。それでも反七教会を掲げ、共に歩める者を我々は求めています』
現在のアルヴァスにとって大きな懸念は3つ。
一つは廃国事件を引起した張本人達を匿っていた事。
一つはアルヴァスの異相に存在するアイウィスの事。
そして、最後の一つが大々的に周辺の人間国家から非難される原因。
【聖王同盟】の本拠地が停留している事。
七教会は一ヶ月前の戦闘の後。
魔王の側近達を受け入れたアルヴァスに公式の非難声明を出し、周辺の人間諸国に物流閉鎖を提案。
これに飛び付いた周辺国の多くは虎の位を借りた狐よろしく。
軍こそ衝突を恐れて国境に派遣しないものの。
物流を担う業者にアルヴァスへの乗り入れ停止を行なわせた。
これで普通の国なら食糧事情だの輸入出来ない商品や資材が大量なら窮するところだろうが、現在のアルヴァスはそれで干上がるような国ではない。
『今、この国は大きな流れの中心にいる』
五年前から進めていた食糧生産計画は万全であり、全て国内で自給可能。
遠国との転移での取引は今も続いている。
国内が事件続きで経済的に逼迫している現在、閉鎖型経済に移行している限り、海外との貿易は殆ど必要無い。
そもそもアルヴァスの輸出入の内実は【崩燼機関(ソルヴァス・エンジン)】という“物”を輸出し、それで得た対価によって技術・サーヴィス・組織改革などが出来る人材の確保……つまり“事”を運んでくる者を雇用するというものがメインだった。
この為、人間諸国程に経済的な打撃は無いのだ。
それは全ての国家資源《リソース》を化け物との決戦用艦隊整備に注込んで、二ヶ月以上立っている事からも分かる。
輸入しなければならないように思われる鉄鋼すら五年で備蓄したものが大量に存在するので困ってはいない。
『我々だけに留まらず。多くの反七教会を志す人々が此処に歩き始めた。例え、道が閉ざされようと本当の意味で抗うと決めた人々は止まらない』
生活を支える消耗品には国外からしか手に入らないものもあったが、そういったものこそを国産化し、とにかく国家の持久力という点を追い求めてきた元老院の仕事は単独で七教会に抗うだけの現在を築き上げている。
『彼等を導き、集う為の場所としてアルヴァスの力添えを頂きたい』
あの魔族との戦いの惨状を喧伝して一ヶ月。
信じられないだろう勝利という結果は映像と共に大陸中へ響き渡った。
魔族からの大規模侵略を打ち破った兵(ツワモノ)として見られるようになったアルヴァスは反七教会派として国家規模の偶像(アイコン)の地位を手に入れたのだ。
国家こうあるべしという模範。
亜人貴族主義の優位性。
力と技と命を尽せば、反七教会派でも大陸で存続していける。
それどころか。
恐ろしい魔族の軍勢すらも退ける事が出来る。
そのような思想が今まで七教会の強大さに圧迫されていた人々を勇気付けた。
魔王と手を組んだと多くの国が詰り、魔族を匿っていた悪の枢軸と謗られ、それでも彼等はそれと同等の言祝(ことほ)ぎも得たのである。
この事実こそが、今現在元老院達を忙殺する多数の国家、組織、個人の支援受け入れ準備という嬉しい悲鳴に繋がっていた。
『返答は後日で結構。数日後に折を見て伺いますので、その時に答えをお聞かせ下さい。我々は……少なからず交差する道の中央に今共に並び立つ……どうか懸命な裁可を……』
そうして映像が途切れ。
防音魔術の施されたカーテンが引かれて、室内に明かりが差し込む。
円卓を囲んでいた十数人。
会議室内の誰の顔、誰の瞳も己と隊伍を組む者への思いに猛っていた。
倒すべき敵はただ一つ。
七教会を置いて他に無しと。
「我々の見解は既に一致していると思われますが、如何しますか?」
その声に全員が頷き合った。
―――翌日、アルヴァスは“大陸国家”ハルトゥムへの移民計画を発表する。
更に七教会からの反感を買うと知りながら、それでも彼等は確かに自分達が進むべき道を見定めたのである。
それが茨の道だろうとも、合理的な理由では無かろうとも、国家とはその国民の多数から支持されるに値する理念と理想に傾注する時、情熱と民の意思に反しない限りにおいて……確かに偉大な事を成し遂げる力がある。
砕けた言い方で言いのならば、簡単だ。
彼等は大きな竜に立ち向かう槍一本の騎士。
ブリキ細工の安っぽい鎧に不合理だらけの技を身に付け。
それでも確かに人々が愛する、愛される足る大きな背中にして、浴するに値する影、なのだ。
魔王の娼婦と呼ばれる少女達にとって、少年がそうである如く。
「やりましょう。我らは人の愚かを学ばざる亜人貴族なのですから」
秋が終る頃。
確かに世界は動き出していた。
破滅と救世たる魔王の名の下に………。
もはや、乗っ取られたという言い訳を彼らが自発的にする事はなくなっていたのである。