第三章百五節「最後の準備」
―――首都ハガス北部浮遊大陸ハルトゥム仮設アルヴァス陸軍駐屯地。
「では、これより本部隊の設立に際して三つ貴官らに対する情報開示を行なう」
【麒麟(パンゼーラ)】
アルヴァス亜人国内でも稀少な特異な異種との混血で生まれた血統。
人型でありながら、神獣とも呼ばれる存在と瓜二つ。
厳しい顔に長いアギト。
黄金の鱗と縦に割れた虹彩。
竜とも違う蜥蜴とも異なるその長い髭を蓄えた男は12000人の部下達を前にして一人。
重要な事項を伝えようとしていた。
巨大な白亜の演台。
彼等新設部隊の並ぶ平地は全て黒曜石のような輝きの石畳が敷かれていた。
「アルヴァス亜人国成立期より幾度と無く繰り返されてきた祖国の危機。これに際して一度とて退かなかった我ら陸軍は今魔族の侵攻を退けた事により、大陸でも有数の強さを示す事となった。だが、内実は諸君が知る通り。我らには力が足りない。圧倒的な強者に抗う力が、絶対的な敵に立ち向かう力が、新たなる戦場を駆け抜ける力が、足りないのだ……」
仮にも一個軍を与る将の言葉とは思えない弱きな発言。
だが、その声にどよめきは起きず。
静かに白い外套を纏う兵達が自らの将に視線を向ける。
「我らが敵の正体を今、明かそう。この国土に攻め入ったのは何も先日の魔族達だけではない。この数年の間、我らが土地の裏側、異相内部には狂気と不合理の塊たるソレが存在していた」
麒麟の男はその長い左の髭を片手でゆっくりと扱く。
「不可思議な失踪事件や疫病が流行っているという事実や噂は君達も耳にした事があるだろう。これは全て我らが戦うべき敵によるものだ。その敵は……外なる神々。つまり、この大陸において最古の存在にして人類に味方する神々よりも尚旧い巨大な力を持つモノ達だ」
ざわめきは一瞬。
だが、相手が神であるという事実に動揺こそするが、誰一人として震える者は無い。
あの地獄の如き血潮の海に浸りながら魔族達と戦った兵達にしてみれば、敵がどんなに強大だろうともはや驚くには値しなかったからだ。
最初から自分達の相手が手に余る存在だろう事は薄々誰もが理解していた。
春先の緑炎騒動。
その後も続く事件に慣れ切ってしまったのか。
麻痺しているというよりも、実感として恐ろしい敵に対する感覚が既に閾値を越えてしまっている。
敵わない。
勝てない。
だから、何なのだと。
それで諦められるわけでも無ければ、怖気付いて逃げられるものでもない。
祖国を守るのは自分達しかおらず。
守り切れないモノを自分達ではない誰かが守ってくれた。
その屈辱と後悔と懺悔にも似た怒りが亜人の兵達を何者にも抗う牙として研ぎ澄ました。
強くなりたい。
抗えるだけの力が欲しい。
状況はそうしろと彼等に要求し、彼等はそれに応える以外の己を持たず。
ならば、其処にいるのは如何なる格上の相手に対しても退かない歴戦の兵(つわもの)に違いなかった。
故に鉄の兜よりも、鋼の盾よりも尚硬い決意によって彼等は団結し、その言葉を受け止める。
「その神々は今も着々と力を蓄えつつある。期が熟せば、我らが国は狂気の霧に呑まれ、国家国民国土全てを失う事になるだろう。これに対して元老院は異相に赴き戦う事を選択した。神殺しを持って我らは次なる時代へと向かう。これは我らアルヴァス亜人国が亡国となるかどうか。その瀬戸際の戦いだ」
麒麟の男が語る神殺しという単語に多くの兵達が思い浮かべたのは御伽噺だ。
大陸各地に存在する数多くの伝承。
その中には邪悪なる神々を倒す偉人英雄達の伝説が残っている。
知られる限り、この一世紀の間。
七教会と大陸三千余の国家の内、数カ国でしか起こっていない“邪神討伐”を成せば、それは生ける伝説と同義という事。
アルヴァスは真に歴史へ名を記される国となるだろう。
「この異相宙域防衛部隊は神を戮(りく)し、亜人の楽園を守り抜く希望。奇蹟を起こすのは我々なのだ。その為の力は既に在り、その為の技を今我らは彼等に習う事となる」
麒麟の男の左右に複数の人間達が登壇する。
誰もが人間だ。
亜人は一人もいない。
だが、それに不満を持つ輩なんて1人も居はしなかった。
友邦よりの使者。
自分達の国に助力を願い出る者達の存在は既に多くが知るところだ。
「南部大帝国イグニシア・クルシスより来訪した異相突破用車両【春雷(トニトルイ)】エキスパート・クルーの方々だ……彼等の下で今より我々は最短2ヶ月の訓練を経て、神々との決戦に臨む」
ザッと敬礼した数十人の人間達に一糸乱れぬ統率で誰もが敬礼を返した。
「これに関連して我らの部隊は主に三つの系統に分岐する。二つ目の情報を開示しよう。お二方お願い致します」
その麒麟の声に演台の背後から二人の女。
いや、一人は少女が出てくる。
その片割れを見て、新設部隊の半数以上の男達が驚きながらも納得した。
「彼女達は我らアルヴァス亜人国に力を貸してくれる恩人にして、これより貴官らの将として働いてもらう事になる。自己紹介を」
頷いた左の女。
尻尾も翼も角も露わな魔族である事を隠さない彼女がその豊満な胸を震わせながら進み出る。
「アルメイア・ゼオストス。私はこの国に身を埋める事を望む者です。その為にこの力をアルヴァスに預けましょう。異相宙域防衛部隊所属……遊撃聯隊の長として」
麒麟の男が頷き。
続いて二人目の少女“達”が進み出る。
瑞々しい蒼い肌に漆喰のような黒い角。
黒い眼球に赤い虹彩。
縦に割れた瞳も麗しいアルメイアと同じように広い翼を広げた彼女。
「わたしたちのなは」
「エフィリムとエーネ。一つの身体に二つの魂を宿す者」
「われわれ」
「【聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)】は友好国たるアルヴァス亜人国の危機に際し」
「みずからのちからをていきょういたします」
「異相宙域防衛部隊所属……邀撃師団の長として」
「これは組織の総意であり」
「われわれのおさであるまおう……しんあ・ざ・くりてぃかるあんらっかーのいしです」
エフィリム・エーネ。
2人で1人の姉妹の姿に魔族と真直で戦い生き残った彼等すら圧倒されるような気配を感じていた。
侮る者は無く。
異形の姿でありながらも美しい高位魔族達に誰もが息を呑む。
「彼女達は其々に旗艦である超弩級戦艦の二番艦と三番艦の長として艦隊の総司令たる赤鬼宗家ドゥーズ・スィール・フォイル閣下の両翼となってもらう事が決まっている。ゼオストスの名が再び我らが土地に舞い戻り、この大地を守護するとは奇縁だと思う者もあるだろう。魔王の側近である彼女達に戸惑いを隠せない者も多いかもしれない。だが、今はそれを論じている場合ではない。そのような時期は既に過ぎ去っている。君達にはただ祖国を守る同志。祖国を守ろうとしてくれる友邦の使者として彼女達に尽して欲しい。私はこれを命令しない。亜人貴族として、亜人国の国民として、彼女達に救われた者の一人として、それは君達一人一人が理解するべき使命と己の心に問うべき問題だからだ」
麒麟の男の声に誰もが甘さ無く三人の魔族の女達を見つめた。
気高い大翼を抱く者達の瞳に宿る光。
それは特別な力ではなく。
誰にも訴えかける意思を湛えていた。
「………では、最後の情報を開示しよう。これが我々が乗り込み。命を掛け操る……我が国の叡智と技術の全て……多くの者達の支援によって建造された艦隊……ドゥーズ艦隊旗艦ヴォルヴァドルである!!!」
男達は演台の向こう。
深き大地の底から莫大な蒸気と共に浮上してくるソレを目にした。
七教会の真空や異相を進む戦艦と遜色無い鋼の戦船がその全長700mを超える威容を露わにしていく。
巨大な長槍を思わせる細長い滑らかな船体。
前方と後方の左右先端に取り付けられた4つの碇。
艦橋は半ば船体内部に埋まっており、その真下から延びる只管に長い4連装の主砲と左上、右上、左下、右下の四方向に据え付けられた4門の七角錐状の砲身を持つ副砲。
船体の腹には左右に幾何学模様の亀裂が規則正しく奔っており、艦全体の装甲が一種の曼荼羅。
魔術方陣の一種である事が兵達にも分かった。
一件してシンプルな形でありながら、その大きさと異様な程に長い砲身は一際目を引く。
鈍色の全体像を把握した兵達の間から感嘆の声が上がった。
「当初予定されていた能力値(スペック)はこの短い期間で全て見直しが図られた。イグニシア・クルシス側からの大規模な技術者派遣と技術提供。【聖王同盟】側からの魔術の直接供与。あの魔族侵攻において共に戦った魔術結社の者達から齎された新式攻撃用大規模魔術方陣と艦隊整備における自動化技術……全てがこの艦と艦隊を形成する艦船に使用されている。宣言しよう。この艦は現在この大陸。いや、惑星上に存在する如何なる船をも上回る。それは七教会が要する最新型の新造艦とすら互角以上で戦う事が可能という事だ。一重にその力を引き出せるかどうかは君達の腕に掛かっている。今は当然ながら未熟以下である君達だが、これより魔術による主観時間の引き延ばしと魔術結社から提供された学習用プログラムにおいて数年分の経験と智識を頭へ叩き込んで貰う。出来るか出来ないかではない。出来なければ滅ぶのだ。出来なければ守れないのだ。理解しているならば、やらねばならぬ。遣り遂げねば、我々に未来は無い……私が命令するのはただ一点だ。君達の全てを尽してくれ。以上を持ってアルヴァス陸軍異相宙域防衛部隊結成式の結びとする」
兵達が一斉に敬礼した。
誰もがそうだ。
麒麟の男もまた同じ。
そうして、亜人、魔族、魔王の側近による混成部隊結成の報は七教会に激震を与える事となる。
それは聖女達が憂慮していた少年とそれを取り巻く社会が確かに団結した事実であり、今まで七教会が摘んできた新たな秩序の萌芽に相違無かった。
*
―――ハガス東部エス・トリア邸。
大広間。
人が集まるにはお誂え向きだろう場所。
今は所狭しと外套と武装。
専門用途の【崩燼機関(ソルヴァス・エンジン)】が並ぶ部屋。
魔術によって壁から滲む陽光に照らし出された室内は現在【境界踏征(オーバー・フラタニティー)】の面々によって占められていた。
「調査の結果だけ言うぞ。今年の年が明けるその時にアイウィスの最終膨張速度が固定化される。それと同時に異相側から迫り出した世界が霧によって全ての生物を屍蝋の化物化した後、この惑星は異相の完全な反転を持って“別の何か”になる」
部屋の主。
アーギスト・エス・トリアが先程から壁に映し出していた映像。
ハガスの大地を押し退けて迫り出したアイウィスの球体周囲から霧が溢れ出し、惑星を覆い尽すシミュレーション結果を簡潔に説明した。
「現在、アルヴァスの上層部にも情報は送ってるが……まず間違いなく。前々からの事件や異相の変化で事態が早まった可能性が高い。猶予は然程無い。アイウィス内に突入して探索する為の時間を考えると最低でも年が明ける3日前には突入していないと間に合わないと思われる。一応、膨張していても、内部構造自体は変わらない為、アイウィス内に遺してきた魔術中核の信号さえ拾えば、最終層に辿り着くのは何とかなるだろう。というか、ならなくても何とかする。これは完全に僕の領分だからな。其処は心配しなくていい。問題は三つ。敵戦力が少なくとも僕らの数千億倍以上である事。傍に七教会が駐屯し、アイウィスに上陸して何かしている事。そして、敵の親玉というか。敵の中枢にいるだろう敵……外なる神々が倒せるかどうかだ」
そこで手を上げたのはエストリアだった。
「兄さん。えっと、あの……敵って、あの黄金の仮面を顔半分に被ったダークエルフの事ですよね?」
「ああ、そうだ。それと同じ反応が他にも幾つかある。今まで因果関係を調べてたんだが、分かったのはアレがアイウィスの膨張する時に発する波動と同じ類のものを発している事。それと尋常な方法では滅ぼせない事だけだ」
「滅ぼせない?」
「敵を構成する実体は超重元素と呼ばれる宇宙内部では自然発生しない恐ろしく重い物質だ。これが侵食を始めると周辺の物質やエネルギーを自らと同質のものに近付けていく。霧の浸食作用は基本的にコレと同様の事象だと推測される。一番の問題はその超重元素が常識的な破壊という事象に対してほぼ無敵。別空間に投棄する等の対策は持っての他。ついでに長く触れていると侵蝕されてお終いという厄介な性質を持っている事だ」
「物凄く危ないのは分かりました」
「概念魔力を有する術体系や物質そのものの消滅を指向する魔術。そういう無駄に高度な消却系の一撃を使えば、対抗出来なくもないんだが、戦闘中にそこまで大規模な儀式術を当てられるかという問題に行き着く」
「当てられないんですか?」
「当てられたとしても、その術式そのものが侵蝕され切る前に効果を解決させなきゃならない。また、敵の存在が一欠けらでも残っているとすぐに復活される可能性が高い。そもそも、こちらにいるのはたぶん存在の一端であって、世界の外側に存在すると言われる本体とは程遠い規模のものだ。まぁ、単的に言えば、髪の毛先だな。相手が本格的に攻めてきたら……良くて僕達の住む星がある銀河とその周辺の星々が侵蝕されるか壊滅するくらいの被害が出る」
「何だか一気に想像付かなくなりました……」
眉根を寄せる妹に青年は頷く。
「だが、事実だ。未だ外なる神々に付いては分かってない事の方が圧倒的に多いというのが実情。どうしてアイウィスにいたのか。アイウィスはどうすれば止まるのか。敵を倒せば止まるなんて話なら良かったんだろうが、楽観した意見でしかないだろう? 結局はアイウィス膨張の原因を突き止めて、その原因を除去するしか現在の状況に対処する方法が無い。その為の最終層踏破だ」
「分かりました。それじゃ、やる事はいつもと変わらないって事ですよね?」
「ああ、敵は倒す。倒して進む。進んで事実を探り当てる。これは今までと何も変わらない。ただ」
「ただ?」
「最終的に解決方法はハイダル。お前の【OEDS】に頼る事となる。高位の術を即興で紡げて、同時に相手へ当てられるとしたら、その力しかない。魔族侵攻の時に分かっただろうが、ソレは主神を一時的に超える事すら可能なものだ。救世主創造という目的の為に生み出された人造の奇蹟とも言える究極の工作機関(ツール)。この国を人々を助けられるかどうかはそれを使うお前とサポートする僕ら次第だ」
「………頑張りますよ。頑張るしかないじゃないですか。だって、私は皆さんと一緒に過ごす日々を終りになんかしたくないんです」
エストリアが僅かな沈黙の後、にこりと笑った。
それを見た他の誰もが、此処からは自分達次第とのアーギストの言葉を胸に刻む。
ジルムスと美紗が神妙に頷き。
アーギストがチラリと妹の横で居眠りしている少年を見た。
その頭には常のように黒猫が乗っている。
もはや人体の一部の如き納まり様で。
「ちょ、イクスさん?! こんな時に居眠りって!?」
気付いたエストリアがさすがに起こそうとした。
しかし、アーギストは構わないと言い置いて話しを進める。
「こほん。とりあえず最終局面に向けてもう事態は動き出した。魔族側の強襲はさすがに想定外だったが、此処からは速度がモノを言う。装備はさっき渡した新式崩燼機関の中に空間制御で圧縮して一式揃えてある。出来れば、肌身離さず。就寝時や入浴時などでも持っていて欲しい。いつ何時でも出られるよう各自心構えだけはしておいてくれ」
「分かりました………ふふ」
頷いてから少し自分の肩に凭(もた)れ掛かり始めた少年に嬉しそうな笑みを零して。
エストリアが自らも少し少年の方へと寄り掛かる。
「(…………はッ?!)」
それを羨ましげにじ~~っと見つめていた美紗が首を横に振って雑念を振り払い。
何やら決意を新たにした様子で再び少年に視線を注いだ。
(やれやれ、この恋ってのが世界を救う力になるかもしれねぇんだから、世も末だな。ま、オレ達らしいって言えば、そうなのかもしれねーが……)
ジルムスが苦笑し、アーギストもまた眠り込んだ少年に寄り添う妹を見て、僅かに相好を崩す。
結局のところ。
彼等にとって、日常とはそういう何気ない時間を共に過ごす事なのかもしれなかった。
「まぅ~~むにゃ~ぅをぅ~」
すやぁっと気の抜ける事この上ない寝言を零す黒猫はダラダラと涎を垂らしつつ。
その寝心地に付いては宇宙一だろう少年の頭にへばり付き、夢を見る。
世界の秘密と少年の約束。
この世の全てを敵に回して尚打ち勝った魔王の夢を。
「近頃、イクスさんの寝顔が黒猫さんに似てきた気がします。ふふ♪」
言われながら、誰もに苦笑される頭上の彼女もまた確かに。
少年と愉快な仲間達の一員に違いなかった。
*
……………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………黄昏の悠久戦争/絶対終焉圏中核域/時刻66億4233万8953年223日18:55分12秒。
「君が翼の天?」
蒼い空の最中。
浮いているソレは長大な力だった。
一つの宇宙と同等。
故に世界そのもの。
大きさだけを論じるならば、それは確かに天壌(てんじょう)と言うに足りる。
この小さな惑星の主神たる一柱。
唯一神。
だが、その矮小化された認識は極めて不適当だ。
翼に無限連なる翅一枚が一つの銀河と同等。
その世の終りに誰かが見る事になるのだろう姿はただ白く。
光に満ちていた。
宇宙の果てを越える一対の翼。
透き通った虹色にも見える光輝を纏い。
自らの生み出した時刻/軌跡を纏い。
頂点たる次元より全てを包み込む。
正しく天。
小さな小さな一つの地方を砂に変えて。
七つの奇蹟を耐え抜いて。
京を超える天使の群れを薙ぎ倒し。
少年が辿り着いた先。
それはいた。
宇を抱きしもの。
縮尺など語る必要も無い。
宇宙よりも大きい。
この一文で事足りる。
666次元の高みより、外なる神が蔓延る果ての先で尚、絶大と映る姿。
それがたった一つの宇宙、たった一つの惑星、たった一つの時間軸において発生したのは奇蹟と言う他あるまい。
大いなる母より出でて後。
世に蔓延りし多くの命を祝福し、今や人類を守護する事となったモノ。
来るべき日。
世を救いし者が現れる日。
それを導く運命とはその翼の事だ。
大宇の因果を爪弾く翅。
それが産まれも知らない奴隷を魔王にした。
人類種の救済。
そんな自分でしてしまえばいいだけの事をちっぽけな背中に背負わせた。
七つの奇蹟は須らく。
七つの大罪は須らく。
用意された供物。
隷として産まれ、人として生き、王として死に、神として誕ずる。
何故、そんな事が必要だったのか。
どうして自分でなければならなかったのか。
聞きたい事は山程有った。
怨みたい事は山程有った。
無限回も拳を叩き込んで。
それでも治まらない胸の内。
だが、しかし、シンア・ザ・クリティカルアンラッカーは……七つの奇蹟で尚死ねぬ魔王は……大切な誰もを失い続けてきた少年は……笑う。
「言いたい事が沢山在った筈なのに」
友から貰った剣を手に。
友から受けた力を身に
友から継いだ技を腕に。
友から聞いた歌を耳に。
「今は言葉に為(な)りそうもない」
翼の天。
その翅が震える。
世界はもう少年へ向けて落下し始めている。
全てが一つになる時が来た。
新たなる始まりの神話が創造されようとしていた。
しかし。
「でも、一つだけ決めて来たんだ」
少年の目の前には砂漠で倒れ付していたはずの少女達の姿。
剣を執って、最後の運命を選び取れば、これから先は永劫。
全てが上手く行くだろう。
全てが癒されるだろう。
何もかも許せる日が来るだろう。
糺(ただ)される事無く。
幸福と安寧に浸り。
この世の全てから祝福されて、人は彼を救世主と呼ぶだろう。
「約束だから、本当はこういう言葉って思っても言わないようにしてたんだけど」
少女達を見つめながら、その叫びを思い出しながら、少年が剣を構える。
―――謝らないで!! 謝ったりしないでッッ!!!? しないでよぉッッッ?!!!!
少年が剣を振り被る。
―――お前が、お前さえ、お前…さえ……どうして、どうして私達は出会って……ッ!!!!!
少年が瞳を閉じる。
―――やだよぅ…こんなの…やぁ…ずっと!! ずっと!! 僕はただ君とッッ!!? ただッッッ!!!!!
少年が力を込める。
―――っく…ぅ…っ……貴方の傍に……っ……そう、私は……ッッッ!!!!!
少年が息を吸う。
―――さようなら……大好き……これだけはきっと、本当だったから……。
少年が息を吐く。
―――いつだって、助けてくれたね……でも、謝られるのはこれでお終い……だよ。
少年が瞳を開ける。
―――助けるって!! 絶対、絶対、助けるってッッッ!!? なのに、私はッッ!!!! 私はッッッッ?!!!?
少年が言葉を紡いだ。
「図々しいんだよッ!! 糞野郎ッッ!!!」
振り下ろされた剣が、不滅の刃が、不欠の刃が、永劫の刃が、無銘の刃が、その大業物が、距離など関係無く。
翼の中心へと。
世界の中心へと。
宇宙の中心へと。
事象の中心へと。
時空の中心へと。
運命の中心へと。
押し込まれ、捻じ込まれ、抉り込まれ、ただ満身の力を込めて、断ち割っていく。
「お前の敷いた運命なんて知った事かッッ!!!! 僕は僕の人生を生きるッッ!!! あの子達と共に生きる未来をッッッ!!!!!!!!!」
運命糸。
因果律。
世の全てを繋ぐ原因と過程と結果。
あらゆる可能性を網羅した無限と同等の糸を編む中核。
翼の天。
その小さな小さな本体。
薄らと黄昏色を宿した菱型の結晶が、拮抗する。
刃に断ち切られまいと。
そのせいか。
破滅する世界が少年には見えた。
幾つもの銀河が全ての光を失い。
幾つもの銀河が砕けながら光と化し。
無限にも等しい命が、運命と結ばれ、約束された命が、悲鳴を上げて散っていく。
星光の本流。
時空の裂け目。
世界の終わり。
大宇の果てから雪崩込んで来る無限の風景。
その断片。
失われていく。
消えていく。
壊れていく。
それでも、その罪咎一切の全てを、少年は背負う。
全てを救済すると決める。
ならば、後はやるだけだ。
戦うだけだ。
超えるだけだ。
断つだけだ。
――――ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛――――。
無限に届かないと思われた結晶の中心を刃が通り過ぎ。
たぶん、宇宙に内在するほぼ全ての生命が、少年が住まう星以外の全ての生物が、運命を司るモノの消失と共に途絶えた。
「………これが運命(しあわせ)を投棄てた罪だと言うなら、それでもいい」
断ち割られ、散逸していく翅に破滅を見て。
それでも少年は背を向けて告げる。
「此処から先は自分でやるよ。それが業なる天……」
煌きに散る唯一神。
その残滓たる翼が少年の背に融けていく。
人々がその姿を見たならば、それを天使と呼ぶだろう。
だが、天使がそれを見たならば、彼を神と呼ぶだろう。
しかし、神がそれを見たならば、少年を人と呼ぶだろう。
何故ならば。
天使は慈悲深く涙を流すものだから。
神は憐れみ深く涙を流すものだから。
人は罪深く涙を流すものだから。
「最後の魔王である僕の戦いだ」
少年はその日、誰にも、何も、言わなかった。
―――マゥヲ。
全ての映像が流れ去り。
鳴き声の主がフムフムと端から端まで覗いていた内容を精査する。
しかし、そろそろ時間か。
随分と掛かった数ヶ月にも及ぶ解析結果たる映像も文字列も、白の亀裂が入って崩落していく。
トコトコと歩き始めた黒猫は砕けてい情報で出来た記憶の回廊を抜け。
遥か蒼き天蓋の星。
その中枢たる場所を下に見た。
巨大な柱が地面も無い空の最中を前後左右上下なく無数に奔り、ただとある一点に向けて伸び、細く細く収束されていく。
全長で何百km。
否、何千kmもの円錐の群。
最も重要なるものを縫い止める槍。
たった一人をその天蓋に留める為の頚城。
そこまで侵入出来たのはたぶん、彼女の姉やその仲間達が封印を解いているからなのだろう。
本来、意思に記憶は混じらない。
しかし、複数の封印が消えた今。
全てが一つへと戻りつつある。
肉体に引き寄せられた意思も記憶も混沌と溶け合う状態。
意識の断絶は肉体に因子が引き寄せられる故の事象。
やがて戻って来られなくなる。
借り物の身体に宿った意思は記憶を新たに産み出したが、それも厳密には本人ではない。
それを少年は区別しないし、彼女も区別したところで意味が無いのは分かっていた。
意思が器から剥がれると同時に消えていく儚き泡沫。
それは正しく夢。
断絶と同時に零れ落ちていくものを少年は隠しているが、やがてはそれも不可能になるだろう。
本人か。
そうでないか。
幻か。
現実か。
それは然して彼にとって重要な事柄ではないのだ。
そこに自分がいて、やるべき事が、為すべき事が、約束があるならば、少年は必ずそうするのだから。
「マゥ……」
黒猫は果ての先で今も貫かれ続ける少年を見た。
それは自分の好きな少年だろうか?
区別する事に意味は無い。
けれども、彼女は自分が知っている相手でなければ、こうする意味も無いのだと知っている。
残酷なくらいにアルヴァスの少女達は知らない。
知らなくていい。
その事実を胸に抱いて。
今、自らの遥か下を進む姉や魔王の娼婦と綽名される少女達を見つめ。
彼女は一声鳴いた。
どうか、幸せな結末が待っていますようにと。
自分に出来る事を全て行うつもりで。
その願いが届いたのかどうか。
今、少年を救い出す為に歩く灰金の髪の少女は蒼き天蓋の星で出会った仲間達に怪訝そうな顔をされながらも、上空を見上げた。
『どうかしたのか?』
『いや……我の気のせいだ。往こう……これが最後の一層。我らが求めた最終地点だ』
『此処まで来られるとは。まったく、僕らは良いパーティーでした』
『そうですよ!! 私達は最高のぱーてぃーです!! えっへん』
『ふふ、そうだな。だが、どんな旅にもいつか終りが来る。しかし、あいつの旅はまだ続かなければならない。その為にこそ、我はこの身の全てを尽して戦おう』
『イフィー……』
『そんな顔をするな。それと名前はもう隠す必要も無いからな。本名でいいぞ?』
五年前より少し逞しくなった少女の顔立ち。
何度も泣いてきたのだろう彼女は求めた人がいる果てを見据えて呟く。
『待っていろ。今、往く……このイフィミスラ・ハージェット・テトス・エルデナンドが……ティア……』
西部アルヴァス亜人国において起こった一連の事件。
その最後の試練の幕が上がる。
誰の為に、何の為に、戦い、血を流し、歩き続けるのか。
それを知る為の幕が……静かに……静かに………。