第三章百九節
第三章百九節「无儚餐爾Ⅰ」
―――事態発生より3時間後。
その日も変わらず。
亜人国家アルヴァスの日常は問題なく回っていた。
学校の旧い校舎の部室で薪を暖炉に焼べながら、雪のちらつく窓の外を尻目に弁当を突付く。
本日の昼食は自前だ。
学食の店員も涎を垂らしそうな極上の霜降り肉をローストして、パンに様々な野菜や果物と共に挟んだビーフサンド。
珈琲でもあれば、最高なのだろうが。
武芸術部の主。
ウル・エイフォン・バーゲルの厳選した一斗缶内部の茶葉が暖炉の上のポットで濃い目に煮出されているので、今の所は誰の口からも文句は出ていない。
亜人国が抱える国土の大半は稔りが少ない荒野だ。
昔から貴重な嗜好品は亜人貴族の嗜みではあったが、学生の身分でお気に入りの茶葉を大量に買い込めるようになったのはここ数年の話。
それも茶葉を煮出して砂糖とハーブで味付けする冬の定番飲料を学生が個人的に入れようと思ったら明らかに小遣いでは足りない。
それを数人分、茶葉も大胆に入れて作るとすれば、まったくその学生は大金持ちか。
またはこれから重要な一席でも開くのか。
というのが、常識的なアルヴァスでの見方だろう。
無論、世界中の光景が高位魔術師ならば、同胞のネットワークで簡単に覗けるご時世。
遠方の阿鼻叫喚の地獄絵図を七教会の検閲無しに見られるとすれば、気付け薬と豪華な紅茶は然して変わらない意味合いかもしれなかったが、それにしてもこれから死にに行くというのでもない限りは必要無さそうな濃さが……その場にいる全員に大きな石でも飲み込ませたような重圧を与えていた。
「さて、状況の確認は終わった。位相側の観測もな。反転現象はどうやら七教会の細工と聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)側の工作で遅延しているが、時間は無いと見ていい。アルヴァス陸軍は既に準備を終えつつある。後一時間後には艦隊が出航。国境沿いに再び全国民の避難が始まるだろう」
苔の生えた魔術師ルック。
灰色のローブ姿のアーギストがビーフサンドを口にしつつ、境界踏征(オーバー・フラタニティー)の面々に最後の予定が来た事を告げた。
「兄さん。アルゥさんは?」
「ああ、彼女なら既に艦に搭乗していると母さんからの情報にあった」
「そうですか。母さんは……言うまでも無いですよね」
兄に話し掛けていたエストリアが研究所だろうと肩を竦めようとしたが、アーギストは首を横に振る。
「今回は現地での復旧作業が予測されるという事で艦隊旗艦に同乗しているそうだ」
「え……」
「母さんも分かってるんだろう。これがたぶんは最大の試練だと」
「でも、連絡無いですよね」
「嫌いな娘と息子の為にわざわざ今まで自分が関わった全ての研究データを国家反逆罪だって知ってて送ってくる母親はいないだろう」
「……私達が、生き残れるように?」
「ああ、母さんだって戦ってる。それは確かな事だ。この件が終わって無職になったら、今までの不満を並べ立ててやるといい。泣いて喜んでくれるさ」
「っ、はい!!」
エストリアが僅かに目頭を袖で拭った。
「七教会に潜り込んでる連中からの情報だと宇宙の爆縮連鎖現象とやらが進行してるそうだ。まぁ、このまま何もせずにいれば、アイウィスに呑み込まれるまでもなく。外なる神々が引き起こしてるんだろう宇宙規模の崩壊でこの星と星系全体が終わりだな。ちなみに絶対的な一線があるとすれば、太陽とこの星、どちら
かが崩壊した時点だ。さすがに現在の七教会でも恒星を気軽に生み出すとかは出来ない……と信じたいな」
アーギストが自分で言っても怪しい教会の実力に溜息を吐く。
「いや、それ信じられた方がいいだろ」
冷静に突っ込みを入れたジルムスが呆れた様子になる。
「言っておくが、そこまでの力を見せ付けられたら、この星がこの破滅から生き残れても人類の発展が歪むぞ。簡単に言うと絶対逆らえないレベルの神すら超越する存在が現れたって事だからな。そうなれば、諸々の柵で実力を隠してきた教会が遠慮の無い政策をやって、反七教会派に属する勢力が全滅させられる可能性が高い」
「そういうめんどくせー話は生き残ってから言えよ」
「そうですね。政治も未来も我々が生き残ってからでいいでしょう」
紅茶を早くも飲み干した獅子少女。
黄金の鬣っぽい髪も雄々しい奏家の一人娘。
奏美紗は自分の目の前で展開されている地獄絵図。
アイウィスから噴出しているとされる光の帯が地下から出現した大陸各地の様子に硬い顔で拳をきつく握り締めた。
「それで転移の算段は?」
「残り行程は数百。それを完了させれば、一気にアイウィスの複雑な歪曲空間をすり抜けて、直接オリジナルの至近まで行けるはずだ。単純な階層に直せば、1層か2層程度と考えてくれていい」
「いよいよ。神と直接の対決……我々に倒せる……いえ、倒しましょう。自分の守るべきものの為に」
美紗が弱音を捨てて、自らを奮い立たせるように辺りを見回せば、仲間達の誰もが頷いていた。
「わたくし達はこちら側で待っていますわ。屍蝋の仮面に決して我々の国を、家を、明け渡しはしない……よくって? イクス」
「え? あ、うん。出来れば、逃げてて欲しいんだけど……」
そう今まで黙って虚空に浮かぶ映像を見ていた少年はウルの『絶対、戦う』という断固とした瞳に頷く以外無かった。
境界踏征の持つ全情報を既にウル、エンシェン、璃紗、シルメイア、この場にいる少女達には伝えている。
知らないよりは知っていた方がいい。
そう思った故に話す事にしたのは少年自身だ。
それで自分達も何かすると言い出すだろう事は分かってはいた。
だから、彼から言える事は二つだけ。
「気を付けて。それと自分一人の体じゃないんだから、無理しないで」
「わ、分かってますわ……それくらい」
「おい。このエンシェンにも言うべきではないのか」
ウルが頬を染めてコクリと頷くのを見ていた鬼女。
赤鬼宗家長女エンシェン・イル・フォイルが唇を尖らせて、少年を半眼で睨んだ。
「勿論、エンシェンだって大事な体なんだから、そう言いたいけど……ウルより無茶しそうだから、其処は璃紗やシルメイアに頼むって事で」
「な?!」
自分より小さな少女達に頼まれる事になるとは思っていなかったか。
固まったエンシェンだったが、すぐにその両手を左右からシルメイアと璃紗が捕まえた。
「任せておいて。イクス!!」
「パーパ。任せて」
「このエンシェンが小さい子扱いか……はぁ、やれやれ」
自分でも自分が一度振り切れたら何処までも行ってしまう性質だと知る故に強く反論出来ず。
鬼女は溜息を付いて仕方なさそうに頷く以外無かった。
「みんなの事、頼んだよ。二人とも……怪我しないようにね?」
少年の手が二人の頭を撫でる。
どちらも足元にまで付きそうな長髪。
不思議な色合いの銀と何処までも深い黒。
撫でられた二人が擽ったそうに身を捩り、僅かに甘えた声で笑みを浮かべた。
「こちらは四人で裏山の門の封鎖を試みる。上手く行けば、異相側からの干渉を完全に遮断出来るはずだ。準備は万全だからな。必ずやり遂げてみせる」
エンシェンが現実に残る自分達の使命を口にし、少年へ頷く。
「本当は側にいてあげられればいいんだけど……」
「それではアイウィス行きに支障が出るのだろう? 気にするな。お前が選んだ我らが早々簡単にやられてたまるか。それに鬼はしぶといのが売りだからな」
「それは貴女だけの気もしますけど」
ボソッとウルが呆れた様子で呟くのも何のその。
エンシェンは自信有りげに豪快な笑みを浮かべた。
その場に世界の終末を前にしては似つかわしくない弛緩した空気が流れる。
『イクス・ゼオ』
アーギストがその最中、誰にも気付かれないよう脳裏に話し掛けた。
『何ですか?』
『全員の名前はまだ憶えているか?』
『はい……』
『戦い方は?』
『それはたぶん最後まで問題ないと思います』
『では、五感は?』
『……いつもに比べると視覚が七割、触覚が八割、聴覚が六割、嗅覚が九割』
『そうか……』
もう味覚が殆ど働かなくなっている事を確認して。
アーギストが少年の脳裏に感覚補正用の魔術を術式中核ごと流し込む。
『精神の薄弱化や魂の摩耗はある程度既に補強してあるが、進行の遅延しか出来ない。戦闘中の頭部破壊や全身の大規模な消失は出来る限り避けろ。こちらでやれるのはそれくらいだ。それから、お前にだけは話しておかなければならない事がある』
『僕だけに?』
『そうだ……』
怪訝そうな少年にアーギストは肯定を返す。
『たぶん、だが……高次の神々との戦闘で……我々の宇宙の規定値が変化する。もしくは戦闘という行為自体が別の何かに置き換わる可能性がある』
『置き換わる?』
『我々の世界の法則に乗っ取り、常識や行動は決定されているが、それが本格的に怪しくなる、という事だ。戦うという定義自体が我々の中から変化したり、失われる可能性すらある』
『どうしてそれを僕だけに?』
『もしも、そうなれば……どうにか出来るのは不死性と不変性を持つお前だけだからだ。無論、ある程度はハイダルの【OEDS(エデス)】でどうにかなるが、アイウィスの反応を見るに敵の神格の数は増えている。干渉力は今までの比じゃない。そもそも現在の【OEDS(エデス)】は完全じゃない。最後の希望であるアレが限界を迎えれば、後は意思の力だけがモノを言うが、人一人の力は高が知れている』
『魔王の意思が宿る僕以外は?』
『そういう事だ。最悪の場合に備えるのが僕の嗜みだからな』
『……大丈夫ですよ。みんな、守りますから』
『いいや、みんなじゃ駄目だ。お前も含めて“全員”だ』
『アーギストさん……』
『妹を泣かせたら、僕は一生を掛けてお前に復讐するだろう』
その本気の声音に少年は脳裏で苦笑を返すしかなかった。
『心に留めておきます』
『なら、いい。工程も既に終盤。後十分も掛からない。それまでは談笑でもしているといい』
『はい』
会話が打ち切られると再び喧騒が二人の周囲に戻ってくる。
「外なる神なんかボコボコにしてやります。フルボッコです!!」
息巻くエストリアが【OEDS】をハンマー状に大きくして勇ましくムフーと鼻息を荒くしていた。
闘争心に溢れている姿は心配の裏返し。
しかし、少女達はその通りと拍手喝采頼もしいと笑いながら共に頷いている。
そうして……彼らは数分後、新たなる踏破の幕を上げた。
その扉は武芸術部の出入り口に顕れ。
黒と白に塗り分けられた枠と赤い渦によって構成されていた。
残された少女達が全員の出立を見送った後。
アルヴァス亜人国の空には大きな月が滲むように掛かった。
眩く、五年ぶりに掛かる幻の月。
蒼き天蓋の星を覆い尽くしたソレは小さな星の地表に蔓延る生物達を無数の縦に割れた虹彩で覗き見て、ゆっくりと目を細め。
たったそれだけで……大陸三千余の国家において多くの精神の弱い人々が、発狂した。
*
―――アルヴァス亜人国北部浮遊大陸ハルトゥム停留地帯。
『ワイヤー外せぇええええ!!!』
『全物資の積み込みどうなってんだよ!! 目録何処だ目録ぅうううう!!』
『突入正面艦の前部特殊塗装完了しました!!!』
『給水パイプ外せぇえええ!!! 後二分で抜錨だぞ!! とろとろすんじゃねーぞおおお!!!』
『最終点検終了しましたぁああああ!!!』
『こちらも全武装の調整完了でぇえええす!!!!』
『全工員は浮遊して退避ぃいいい!! 錨が上がるぞおおおおおお!!!!』
『おおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!』
蒸気によって今までまるで見えなかった地表の中からゆっくりと巨大な鋼の船が先端から露わとなっていく。
それが一つ、二つ、まるで墓標の如く直立していく光景は外で働いていた人々に最後の希望を明確に感じさせた。
雲海より現れた四十数隻の大艦隊。
その船というよりは鋼の尖塔と見紛う姿は異様だ。
顕れた白き多眼の月。
その下で正気を削られながらも最後まで使命を全うした全ての工員達が満足そうな笑みを浮かべてバタバタと集まった着陸地点で倒れ伏していく。
一際巨大な三隻。
弩級戦艦ヴォルヴァドル級が艦隊の中央で屹立しながら、聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)によって開かれた蒸気の真下にある赤い渦。
无の海を越えて、アイウィスの中枢近くに出る門に向けて加速準備を終えつつあった。
『視界有効。汎用知覚結界陣定常作動中。機関出力50%。熱量流動障壁(ヒート・フロウ・ディフェンス)有効。“霧”の浸食率11%以下。現状問題ありません』
『アルヴァス全土で“境界”反転現象を確認。アイウィスを中心にした半径1600万kmで霧の濃度が急上昇中』
『艦隊連携の各システムリンクオールグリーン』
『各砲座自動制御開始』
『船体防護開始。防御方陣を装甲第一層より第四十七層まで順次展開』
薄暗い艦橋の中。
空間の中央に現われた艦隊の現在情報を忠実に現す細い光のフレームで作られた模型(モデル)の装甲が徐々に内部から魔術方陣に保護され、膜に覆われていく様子が映し出された。
『全兵装の動作チェック完了。問題ありません』
『収容した全軍のバイタル安定』
『【崩燼連動機関(ソルヴァス・レゾネーター)】第二次リンク解放。各艦の増殖率90%増加。貯蔵量が予定を超えます』
各艦の中央付近の装甲の隙間から蒸気が漏れ出し、同時に装甲がゆっくりと内部から展開され、艦そのものが僅か横に膨らんだ。
内部から盛り上がるようにして亀裂が入った装甲奥から覗くのは砲身。
それも単なる円筒形のコップのように底が見える代物だ。
転移爆撃砲。
空間そのものを送って爆発のエネルギーを着弾地点に届ける大陸でも数か国しか運用していない最先端の武装が1艦に数十門。
直接【崩燼機関(ソルヴァス・エンジン)】からの動力供給を受けて待機状態となっていた。
「全艦に繋げ」
『チャンネル開きます』
旗艦の艦長席に座った赤鬼宗家当主。
ドゥーズ・スィール・フォイルが耳元の骨振動式ヘッドセットのマイクを口元に寄せた。
「諸君。刻が来た。それ以上君達に言う事は無い。もはや言葉を尽くす時期は超えた。祖国を救え。我が国は滅ばない。何故ならば、諸君等がいるからだ」
とても簡潔な声。
それに収容された全部隊が己の奮い立つのを感じた。
「往くぞ。全艦!! 主砲斉射用意!! 主砲発射と同時に弾着宙域へ我が艦隊は跳ぶ!! 索敵は密に!! 如何なる反応も見逃すな!!」
艦隊の周囲で【源理粒子(イデアル)】の昇華光が吹き上がる。
それと同時に警告音が発された。
「どうした!!」
『上空に感有り!! この魔力紋は……旧教会派の“魚”です!!!』
「―――ただちに連絡を取れ」
ドゥーズの指示が行われるよりも早く。
垂直の艦隊を見下ろす位置に一匹の魚。
もとい旧教会派の本部とも言うべき船が現われる。
今まで何処に潜んでいたのか。
艦の能力的には圧倒的優位にある彼らが見つけられなかった艦の中枢からドゥーズの艦長席に直接映像が送られてくる。
「レア・アルトス・エール猊下……」
『お久しぶりです。ドゥーズ閣下』
男の前に姿を現したのは旧教会派を束ねる少女。
現【総主教(パトリアルヒス)】だった。
「何の用でしょうか? 不躾だとは思いますが、今はとても忙しく……」
『私達を共に連れて行って下さい。これはお願いではありません』
「貴女の様な聡明な方が言うのです。理解は出来ます。ですが、我が方に資するかどうかは不明だ。浸食に対してどれほどの備えがあるか分からなければ、後ろから撃たれるかもしれない危険は冒せない」
『……其処にエス・トリア博士はいますね?』
「ええ、いますが」
『彼女に最後の鍵をお渡しします。そう言って頂ければ、受け入れざるを得なくなります』
「どういう?」
そこまで話していきなり艦長席に第3の映像通信が入る。
そこには白衣姿の女性がいた。
『まさか?! 七教会の封鎖地域から持ち出せたの?!』
「エス・トリア博士……聞いていたのですか。今は盗み聞きに付いて咎めたりはしませんが、簡潔に説明して頂きたい。提示された最後の鍵とは何ですか?」
そのドゥーズの言葉に崩燼機関の生みの親は僅かに瞳を閉じた後、告げた。
『この世を救う最後の鍵。私の娘に持たせている【OEDS(エデス)】……崩燼機関のプライマル、オリジナルエンジンのパーツです。アレがあれば、最悪の事態でもこの星の保全自体は容易となる。主神クラスの神々、数百柱以上の能力が解放出来るんです』
『この鍵をお子さんにお渡し出来れば、確かに“来るべき日”に必要な能力は全て解放される。そうなれば、如何な外なる神々とて、容易にはこの世界を好き勝手には出来ない。エス・トリア博士。これは我が方からの償いだとは申しません。ですが、我々もこの世界が滅んでは困るのです。道行(みちゆき)に同行する事をどうか許して頂きたい』
「それはこちら側に言うべき話では?」
ドゥーズが少女に向けて言うものの。
『博士の承認無しに閣下がこの同行を許可するとは思えませんが』
「その通りではある、か。博士、どうお考えですか?」
その問いに近頃、メッキリと老けた感のある女は瞳を閉じ、大きな息を吐いた。
『この後に及んで、過去の因縁の為に息子と娘に迷惑は掛けられません。あの子達の安全が確保出来るなら、私の胸の内など問題では無い……許せはしませんが、帯同をこちらからお願いします。レア様……』
その言葉に深々と少女が頭を下げる。
『その言葉、胸に刻みます』
「話は決まったようだが、そちらの艦には浸食を抑制する機構は?」
『こちらはそちら程に技術はありませんが、協力関係にある各組織から人員を借り受けました。付いていくのに支障は無いはずです』
レアの言葉に偽りが無いのは無言で指示を出して走査させていた船体が大規模な防御方陣を幾重にも内包している事を知らせる数字からドゥーズにも見て取れた。
「結構。では、急場での協力と行きましょう」
『ええ、受け渡しはアイウィスに到着後という事でよろしいですか?』
「博士」
『構いません。あの子、アーギストに届けるのはこちらでしましょう』
「話は纏まったようだ。では、隊列に加わって下さい。斉射用意!!」
ドゥーズのカットされていた声が再び全艦に響き。
艦隊の主砲が全て地表にある渦の中へと向けられた。
「主砲斉射!!!」
『主砲斉射します』
オペレーター達の声と共に四十数門の火砲が光を迸らせた。
熱量と重粒子線が可視光を伴って門内部へと撃ち込まれ―――。
「全速前進!!! 最大船速!! 前衛は全防御方陣最大展開!!! 突入と同時に着弾地点周囲への全力飽和砲撃を開始!! 転移終了までの安全を確保せよ!!!」
ドゥーズの声に率いられた前衛艦隊10隻が渦に突入していく。
魔術方陣との干渉か。
鋼の装甲表面には雷撃と暴風が吹き荒れ、数秒後には消えた。
本隊がそれに続いて突入を開始する。
艦隊が全て渦に呑み込まれた刹那。
渦自体が急激に収縮して途絶。
後には何も無い蒸気が残る地表だけが残された。
それを見つめ続けていた視線の主が一人。
「マゥヲ~」
ひょいと黒猫が上空から地面に降り立つと周囲に不思議な色合いの水晶の球が四つ浮かび上がった。
いつもは姦しい高位魔族達が今日は無言。
静かにクヲンを中心にして制止する。
「マゥヲ……マヲ?」
テシテシと片手で渦があった地面を叩くと先ほどまで艦隊を呑み込む程に大きく広がっていた渦の小さいバージョンが再び浮かび上がる。
「マヲ~」
行くよ~と合図するや否や。
飛び込んだ黒猫に続いて水晶玉達も続いた。
そうして今度こそ異相への片道切符たる渦は途絶えたが、其処にまた視線を注ぐ者が二人。
「行ったか。どうやら、こちらが見ていた事はバレていたようだ」
学生服に学帽姿のツインテール。
上空で男装の麗人がポツリと呟く。
天御門紅亜(あまみかど・こうあ)。
今やハルトゥムの守護者と化した彼女が傍らの亜麻色の髪の乙女に呟く。
「ええ、ですが、あの方もまた我々とは違う道を往く仲間でしょう。ティアが選んだ……いえ、自らで選ぶくらいには気に入っているようですし」
瑠織。
藩落においての特産品たる鼈甲色の民族衣装姿で一角の主。
今は国を治める女。
セイリ・ティウアズライト・エルメトロ・ニェハエルが返す。
祖国エーデリアの復興後。
藩落の中でも一際権力を持つようになった彼女は今や容易には動けない身のはずだったが、そんな事を言っている場合でもないと遥か頭上に浮かぶ多眼の月を睨み付ける。
「今、連絡があった。どうやらアレは外なる神々の一柱の覗き窓、のようなものらしい」
「見ているだけで正気が削れているのが分かります……」
「七教会が全天の封鎖を指揮し始めたが、狂気に陥った人々の対応で後手後手らしい。我々の方でやるべきだな。天蓋蒼星(メイズ)でも同様の事態が起こっているそうだ」
「では、始めます。彼が戻ってきた時、哀しい顔をしなくても良いように……」
「ああ、地平線機構(システム・ホライゾン)展開開始」
今は地表に落着している浮遊大陸ハルトゥム。
その外縁で急激に魔力らしき光。
薄い紫色の輝きが立ち上った。
ハルトゥムの中心である館の上空。
並び立つ二人が手を握り、異口同音に言葉を紡いでいく。
「「形成付与(エンチャント)」」
二人の肩に外套が掛かった。
聖女が生み出し、魔王が育み、少女達が使うソレ。
大戦時には惑星内部から殆どの主神級存在を宇宙の果てに飛ばした至高の転移能力。
そのシステムそのものである機械群。
“紫影の従者”。
二人の周囲に十数体の影にしか見えない者達が浮かび上がった。
「これより“おぺれーしょん”を始める」
紅亜の言葉に従者達が頷いた。
「目標はこの星の全天を多眼の月より隔絶する事。全能力を此処に解禁する」
紫色の魔力がハルトゥムの各地から溢れ出し、アルヴァス全土を覆うように広がっていく。
その合間にも二人は遥か頭上の月に向かって上昇を始めた。
頂点である紅亜とセイリの下に幕屋の如く魔力は広がり、上に往くに連れ、大陸全土に薄く薄く魔力の帯が広がって月から発される光波を遮断していく。
だが、同時にジリジリと精神が摩耗するのを二人は感じずにはいられなかった。
「このままだと不味いか。精神と肉体を浸食から保護するなら、凍結かあるいは……」
『警告。浸食防護に避ける余力がほぼありません。前回の全力稼働時、蓄えていた動力の七割を消費しています』
従者の一つからの応答に苦笑で返し。
少年ならば、例えその身を砕いてもそうするだろうと断固とした意思で紅亜は命令する。
「やれ」
『了解しました』
「こちらは任せてくれ。セイリは地表の事態を……」
「分かりました。そちらが危なくなれば、引き継ぎに来ます。全員で再び館に集うまで、死ぬのは許しませんよ。紅亜」
「勿論。あの女ったらしな旦那様が戻ってくるまで死んでも死ねないのは我ら全員共通だろう」
「ふふ、そうですね」
二人が互いに頷き合い。
セイリは地表へと取って返し。
紅亜は上空へと更に上昇していく。
ギョロリと無数の視線が自分の下へと近付いてくる生物へと注目するも。
紅亜の周囲は既に紫色の魔力に覆われ、一切の視認を不可能にしていた。
が、瞳の一つがそっと瞼を閉じる。
すると、ツゥッと目の端から黒い何かが滴った。
それが落下し、紫色の魔力の傘。
その頂点へと直撃する。
猛烈な勢いで傘が撓み、地表側へと沈み込んだ。
大陸各地から宇宙へと飛び出している光の帯に降れた傘の一部が音を立てて崩落していく。
繭のように魔力に包まれた最中で紅亜が押し潰され、複雑骨折した右手のあちこちから飛び出した骨の様子にギリギリと歯を食い縛りながら耐える。
多眼の月が落としたのは極めて大きな質量の液体。
自然には存在しないだろうソレは純粋に重いだけだが、それ故に地表へと激突すれば、地殻を貫く程の衝撃を齎す事が簡単に予測出来た。
「っ、こんな痛みをずっと耐えて来た人がいる。その人に比べれば、私は何て恵まれている事か。妹が元気に生きている。仲間が出来た。共に戦う目標がある……本当に私は幸せ者だ」
ゆっくりと時間を巻き戻されるように骨が内部へと引っ込み、繋がり、肉が再生され、血が止まり、肌が出来上がっていく。
少年程ではないにしても、紫影の従者による支援を受けている者は容易に死ぬ事は無い。
傷付きながら、その痛みこそは生きている証だと。
自分を救ってくれた人が受けていたモノなのだと。
そう、受け入れて。
天御門紅亜は次々に多眼が閉じられ、涙が雨のように降り注ぐのを目にして、笑った。
「神に何処まで人の技が通じるか知らないが、その程度で負けていたら聖女に勝てるはずもない」
『積層魔力刃の運用支援を開始します』
その腰に刷いた刀がスラリと引き抜かれ、魔力の傘を貫いて落ちていく滴へと向けられた。
「行くぞ」
大陸の空に始まった戦闘は夜を彩り、狂乱の時間へと向かっていく。
一人の少女が正気と精神を削り取られながら、神を押し留めていられる時間は然して長くないに違いなかった。