※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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新年明けて二回目の投稿となりました。ようやくバトルらしいバトルが(涙) パソコンも新調したし、バリバリ執筆していますが、他の連載やら長編やらにかまけて、こちらの更新は一週間を中々切れません。とりあえず三月中までには何とか第三章も終われそうなので、第四章を書くのが楽しみでもあります。第三章終了後に幾分か外伝や番外編を挟むかもしれません。では、次回。


第三章~西部「仮面絶神編2」~
第三章百十一節


第三章百十一節「无儚餐爾Ⅲ」

 

 人の生存という目的の為に人類自身が掛かる全ての要素を己の技術と知識で生み出そうとすれば、それが個人であろうとも大概、恐ろしい社会資源(リソース)が消費される。

 

 人間というのは自分達で思っている以上に世界へ依存している生き物だろう。

 

 生まれて死ぬまでに必要な量の酸素を個人で賄えないし、社会的な制度や秩序、法体系、その他諸々の支援が無ければ、まともな文明的人生なんて送れはしない。

 

 環境が大事だと言う話はそれが自然であろうと社会であろうと変わらず。

 

 自らの生命線と言える

 

 此処まで言えば、分かる通り。

 

 大陸各地の光の帯が出現した地帯は人間の生存に必要な全ての要素が軽くレッドゾーンに突入していた。

 

 湧き出す霧による自然環境の激変。

 

 光に当てられた者達の精神変調から来る惨劇。

 

 それに伴う社会制度の根本的な崩壊。

 

 これが時間経過で範囲を拡大しながら、状況の悪化を現地の犠牲者が再生産している。

 

 今や徘徊する暴徒は人の形をしてない事も珍しくなく。

 

 意味も無い殺戮と狂気が人を本質的なレベルから蝕んでいた。

 

 吸い込む空気はもはや酸素でも窒素でもない何か。

 

 人を構成する基盤たる螺旋(DNA)すら、その歪みの前に形を変えてしまっている。

 

 だから、相対的に霧のみが視界と世界を支配したアルヴァス亜人国は各国と比べても恐ろしく静かな凪の状態にも近しかった。

 

 大陸全土での大混乱に比べれば、至ってマシな部類。

 

 精々が霧の中から現れる化け物の群れに襲われる程度で済んでいるのは彼らにとって心底に幸運だったと言える。

 

 数ヶ月前から続く異変によって耐性が出来てしまったと言うべきか。

 

 国民の殆どは文句も言わず。

 

 ただ固唾を呑んで兵達に従い。

 

 我が身を縮めながら、自らが避難所で課せられた役割を全うするか。

 

 静かに祈っていた。

 

 街はもう化け物が徘徊する魔窟。

 

 前回の魔族の進軍程の物量ではないにしても、湧き出す仮面達の量は馬鹿にならない。

 

 明かりの消えた街や村の合間。

 

 山間部から荒野まで。

 

 揺らぐ霧の合間には多眼の月が僅かに魔力の傘の合間から照らし出した影の群れが蠢いている。

 

 発狂した者を取り押さえ、猿轡を噛ませて縛り上げるのを民間人がやっていたおかげで軍の手間は減り、現在は防戦中。

 

 いつ避難所となった地域内部に化け物が侵入しても対応出来るよう。

 

 付かず離れずの距離で防衛線を敷いていた。

 

 その一つである保養地エゼ・デシェの街では軍の中でも大きな派閥を有する蟲人(ベルミ)達の一派が乱れる各地との通信を何とか確保しながら、今も態勢を維持している。

 

 山の斜面に設営された街並みは護るに易い地形だ。

 

 平野部からの攻撃には位置差を利用した攻撃が有効で視界もよく。

 

 高所からの攻撃には簡易に設営された【崩燼武装(ソルヴァス・アームズ)】の対空陣地が容赦なく応射する。

 

 街内部に沸く化け物の殆どは多眼の種族の特性を生かした即座の発見と魔術による遠距離狙撃で対応しており、銃器の弾丸は少なからず彼らが数ヶ月ぶっ通しで戦える分は貯蔵されていた。

 

 そんな戦線を維持する野戦司令部の一角。

 

 老人が一人鎮座している。

 

「………」

 

 首都防衛は放棄して国境域において全国民を護り切るという選択を元老院が下して早数時間。

 

 全ての蟲人の頂点に君臨するデダル家当主。

 

 アイクロソス・デダルは瞳を全て開いた状態で街と戦線。

 

 そして、各地の防衛地域の現状を監視し続けていたのだ。

 

 年が明けるまで数日という日に起こった。

 

 いや、起きると分かっていた災厄がとうとうやって来た。

 

 彼らデダル家は各地の軍の中枢を預かる者が多く。

 

 軍と半ば一体化していながら、独自の情報網で今もやり取りを行っている。

 

 状況はと言えば、最悪とは行かないまでも、軍人も関係なく狂気に犯され、霧に巻かれて屍蝋の仮面と化した者がちらほらと出ており、予断を許すようなものではなかった。

 

 司令部に設置された円卓の上には蒸気を吹き上げる軍のみに支給された崩燼機関製の情報機器や魔術具が所狭しと並び、虚空にリアルタイムの情報を地図と共に吐き出している。

 

 この一ヶ月で導入された全ての兵士をオンライン上で計測管理する新型の情報共有システムは上手く機能しており、ほぼ最短で状態を悪化させる芽は摘まれ、被害は大きくなっていない。

 

 しかし、中には部隊内で仮面化した身内を処理した者達もいて、入ってくる情報には悲劇の数が積み上がりつつあった。

 

 現在、軍全体での霧からの侵食率は0.0003%以下。

 

 誰も彼も対霧用装備を持っていなかった者ばかりが犠牲となっている。

 

 負傷者と死傷者の数は数時間で凡そ42人が帰らぬ人となり、120人以上が戦線復帰不能と判断されていた。

 

「まだ、大規模な崩壊が起きた防衛線は無いが……こりゃ、大物が来てないからだな。さて、此処からは状況の維持。つまりは時間との勝負になる。我が一族にも四人の犠牲者か……終わったら、弔ってやらんとのう」

 

 アイクロソスの背後には副官らしき壮年の男が一人。

 

 他には情報のやり取りを維持する魔術師や実際の支持を出す司令官達が忙しく対処を行っている。

 

「御当主。予定では艦隊がそろそろアイウィス内部に突入する頃です。あくまで事前の観測結果からの推測ですが」

 

 副官の声に老人が地図上で死亡扱いとなった兵士の光点が消えていくのに瞳を細める。

 

「大魔術師の大半はこっちだから、まだ当分は持ち応えられるだろう。だが、問題は我が国ではない」

 

「一体、どういう事ですか?」

 

 老人が溜息を吐く。

 

 そして、そっと副官の男の前により大きな地域の地図。

 

 西部全体のものを表示した。

 

「此処の連中にはまだ教えてないが、国境域の外。隣国は阿鼻叫喚の図になっとる」

 

「そういう事ですか」

 

 渋い顔をした男が地図の中でも隣国で赤い色で塗られた地域に渋い顔をした。

 

「情報は混乱しとるが、正規軍の半数が割れて、一気に内戦だとか。避難場所内部で発生した暴動の鎮圧で虐殺だとか。政府や貴族なんかの中枢人材がゴロゴロと仮面になって首を落とされとるとか。あちらが全滅すれば、こちらに来るのは必至。明け方前が正念場になるだろう」

 

「………数は?」

 

「今、正規軍が大量に化け物と化した民間人とやりあっとるらしい。同数相打ちならば何とか五分。しかし、死体も起き上がっとるとの話も聞くと総数で我が方の四倍強。皮肉な事に最貧国や人が少ない小国程に被害の規模が小さいようだな。人がいない。動物資源も少ないと侵食される存在自体がいないわけだ」

 

「本当に皮肉ですね……」

 

「発狂程度なら問題ないが、仮面になると手の施しようが無いからの」

 

「ですが、一応、仮面から人間に戻す研究が最終段階に来ていたはずでは?」

 

「間に合ったのか分からん。殆どの研究員を艦隊整備に突っ込んでいたからな。元に戻す研究をしてた連中もこの混乱の中で今どうしとるのか……」

 

『アイクロソス様。第四軍団の司令部から緊急入電です』

 

「繋げ」

 

 魔術師の一人がアイクロソスに国境域を統括する軍団本部からの映像と音声を繋いだ。

 

『こちら、第四軍第六師団所属第32特務歩兵中隊、中隊長であります』

 

 老人は特務という言葉にピクリと反応する。

 

「中隊長。こちらに直接の連絡とは何があった?」

 

『現在、我が隊は首都の研究室より、屍蝋の仮面を剥がす研究をしていた研究者達を同行し、国境域に向かう途中なのですが……囲まれております』

 

 映し出されたのは狐に似た獣人の男だった。

 

「転移での移動は?」

 

『符を持っていた者が脱落。術者は仮面化後にこちらで処理しました。その時の戦闘で生き残った部隊の半数が動けません』

 

「ふむ。それで?」

 

『我々は見捨てて構いませんが、研究者達はどうやら仮面を剥がす方法に辿り着いた様子で……現在、首都南方にある物資集積所付近の廃屋に退避しています』

 

「それを証明出来るか?」

 

『ええ、これを』

 

 経路(チャンネル)経由で情報が送られて来ると老人の前に映像が浮かび上がった。

 

 音声も付いた情報の中では仮面達の猛攻に倒れた隊員達が映っている。

 

 だが、その仮面達が一斉に動きを止めたかと思うとボタボタと口元から黒いものを吐き出しながら、仮面を掻き毟り、最後には仮面が霧と化して剥がれていく。

 

 そのまま倒れ付して動かなくなった者達に寄った映像にはまだ呼吸する亜人や動物の姿がハッキリと記録されていた。

 

 また、器物に戻った剣だの槍だの椅子だのテーブルだの、侵食されて動き回っていたものがただのガラクタと化している様子も映っている。

 

「方法だけを伝える術は?」

 

 酷な事を聞くと副官は内心思ったものの。

 

 助けに行く価値が無いと判断すれば、現状飽和するかもしれない対処能力をを救出に割くのは愚の骨頂と老人が判断するだろうと彼にも分かっていた。

 

『詳しいところは研究者の方にお聞き下さい』

 

 すぐに映像の向きが変わり、まだ若い海洋類系の亜人。

 

 トド顔の男が話し始めた。

 

『研究主任です。簡潔に申し上げます。仮面を下に戻す方法は単純に真名を唱えるのみならず。経路経由での契約の解除が必須だと言う事が分かりました』

 

「契約?」

 

『仮面化のプロセスを検証した結果。仮面化時、その対象存在は経路を伝って、異相側と複雑な情報を一瞬やり取りしている事を突き止めました。仮面化する理由はたぶんですが……神格クラスの何かと瞬時に存在の有する魂が結びつく事で発生する力の譲渡のようなものなのではないかと研究班は考えています』

 

「力の譲渡……外なる神々か?」

 

『分かりません。ただ、ソレとの契約はこの大陸最高の契約神である番神(デミス)のものとは異なり、破棄自体は非常に簡単な方法で行える事が分かりました』

 

「ならば、すぐにでもどうにかなるのか?」

 

『いえ、此処からが問題でして。破棄自体は出来ますが、真名が無ければ、個体認証。つまり、ソレ側からの破棄のやり取りに必要な情報が揃えられないのです』

 

「契約者が誰か分からなければ、破棄が完了出来ないという認識でいいかの?」

 

『ええ、それで間違いありません。研究班は今までずっと簡易に真名を探り出して、自動的に契約を破棄する魔術中核を作成していたのですが、非常にデリケートなものなので霧の侵食から守る為に体内に直接埋め込む形で持ち出しています』

 

 トド顔の男が自分の胸元を肌蹴た。

 

 其処には掌大の水晶玉が埋め込まれている。

 

『研究者仲間で残っているのは私を含めて4名。他は全て途中で亡くなりました。その死体から術式中核を取り出しても使い物にはならない。我々の中の魔術具が侵食される前に後方の軍団の防衛地まで辿り着ければ、大型機材を用いて術式のコピーを侵食無しで全世界規模に拡散する事も可能でしょう』

 

「分かった。出来る限り早期の救出を約束しよう。仮にだが、お前さんらが生存可能だと思う時間を教えてくれ」

 

 その言葉に再び最初の男が答える。

 

『持って四十五分。ただし、大物に目を付けられなければ、という但し書き付きです。現在、押し寄せてくる敵をこちらでコピーした術式中核で元に戻していますが、侵食を防ぐ為に近距離での直接注入。要は打撃で行っています。弾頭に込める方式も試してみましたが、侵食率が高い状況下では効果が無く。現状、動ける隊員達が身体を張って防衛に当たっています。また、人型の仮面を元に戻した後に回収している為、死体以外に現在14人を共に匿っており、この数が増え出した場合、防衛に支障が出る可能性も……』

 

「あい分かった。経路は此処と繋げておけ。これから二十八分後に会おう」

 

 老人が椅子に掛けてあった白い外套をカーキ色の軍服の上に纏い、歩き出す。

 

「御当主!!? 自ら出て行かれるつもりですか!?」

 

 副官、自分の甥の息子に苦笑を返しつつ、司令部の幕屋から出たアイクロソスが付近に控えていた自分の血筋、転移の術式が使える四十台の女に歩き去りながら指を五本立てる。

 

 すると、すぐにその衣服のベルトに五つのケースが転移でぶら下げられた。

 

 転移の術符が刻印された紙束だ。

 

 魔力を込められたソレは老人の意のままに起動し、可能な限りの力で別の空間へと運ぶだろう。

 

「後は任せたぞ。これでもまだまだ現役―――」

 

「そうですね。貴方ならきっと大丈夫ですよ」

 

「!?」

 

 思わず振り向いた老人の前には一人の少女がいた。

 

 首筋にえら持つ人魚の女。

 

 今は月兎亭の娼婦達を引き連れて避難している彼女。

 

 幼き娼婦達の寮長。

 

 ベルン。

 

「こんなところで出会うとは……運命を感じていいか?」

 

「冗談は下半身事情だけにして下さい」

 

「はははは、このアイクロソス・デダルも坊や扱いか……まったく、若い頃を知られとるとやり難くて適わん」

 

 肩を竦めた老人が立ち止まり、僅かな逡巡を持って女に視線を向ける。

 

「この老いぼれはもう物語の主役にもなれない程度の、ロクな活躍も出来ん身体だ。だが、最後まで戦うぞ。お前さんが知っている誰かのようにな。このアルヴァスは滅ばん。いや、滅ばせん。肥やしになる姿を見せられて嬉しく思う。我らが国母(こくぼ)よ」

 

 今まで無数の男達を見てきた彼女はニコリと笑って、老人の前に立った。

 

「全ての子がそうはなれなかった。貴方のようには……でも、それでいい。貴方は誰もと同じ道を歩いてきて、今誰かと違う道を行く。それはきっと続く命に道を示すことになるでしょう」

 

 スッと口付けが為され、ブツリと何かを噛み切る音。

 

 舌先の肉がスッと老人の喉の奥に消え、解けていく。

 

 彼女が口元を僅かに血で塗らして、相手の頬を拭う。

 

「大人の口付けです。奥方様には秘密ですよ?」

 

「……この歳で浮気は出来んよ。次の輪廻に出会いがあれば、また」

 

 頭を軽く一度下げて。

 

 颯爽と歩き出した男の背中に今までのやり取りをたぶん墓の下まで持っていくだろう副官が驚く。

 

 その背が高くなっていた。

 

 削げ落ちたはずの筋が再び隆起し始める。

 

 軟いはずの骨は固まり。

 

 もう然して機能していないはずの内蔵は活力と色と張りを取り戻し。

 

 その体内から漏れる熱量に一際大きく。

 

 崩燼機関の蒸気にも似て吐息が上がる。

 

 全ての戦線を見渡せる丘の端。

 

 其処に立っていたのは二十台前半の男。

 

 敢えて表現するとすれば、数歳の時を経たジルムス・デダルだった。

 

 あまり背丈こそ高くないが、その肉体に秘められた力は正しく戦場を駆けた当時と変わらず。

 

 ジルムスよりも表情が柔らかい分、幾分か優男と見えた。

 

「往こうか。我が懐かしの戦場へ!!!」

 

 駆けた男が虚空に燐光を残して消え去った。

 

 後に残ったベルンをアイクロソスに符を渡した女が僅かに見つめる。

 

 その今正に我が子のような相手を見送った瞳には優しげな光と一雫の涙が零れていた。

 

 *

 

 太陽。

 

 つまり恒星を物理的な見地で見れば、ソレは巨大な核融合そのものと言える。

 

 エネルギーを恒常的に生み出す原理。

 

 幾多ある無限機関も最初は太陽のように不滅なるものを人々にと望まれて生まれてきた。

 

【崩燼機関(ソルヴァス・エンジン)】

 

 命を崩す事で得られる粒子。

 

【源理粒子(イデアル)】を増やす事で無限の駆動を可能とするソレも結局のところはそう他者への新たな太陽として産み出された代物だ。

 

 七聖女の創造した叡智を元にした黒き秘儀の箱。

 

 その汎用量産品は最初期の研究における根底思想を忠実に志向していたと言える。

 

 そういった意味で言うのなら、彼女ハイダル・エス・トリアが持つ【崩燼源動機関(ソルヴァス・オリジナル)】は性能と意味を付加された不純な品という事になるかもしれない。

 

 一部の人間達がより多くの者を救おうと産み出したソレはエゴの塊。

 

 だが、そうであったとしても、今は全てを覆す最後の切り札となっている。

 

 旧教会派の求めた救世主無き世を救済する押し付けの善意ではなく。

 

 開発者が己の家族を守る為に遺した絶大な力を振える道具でもなく。

 

 ただ、誰かを守ろうという意思の下に使われる彼女が持つ親の形見として今はあるのだ。

 

 例え、如何なる能力を持たずとも、ハイダル・エス・トリアはそれを持って死ぬかもしれない探索に出ていただろうし、それ無しには今まで戦ってこれなかっただろう。

 

 いつだって、首に掛けられていた。

 

 心の何処かで亡き父を、遠くに感じる家族を、感じていた。

 

 絆。

 

 その証として今は受け入れる事が出来ている。

 

 それを産み出すまでに流された血と罪に押し潰されそうな時、支えてくれたのは今まで出会ってきた、自分を強くしてくれた、仲間や知り合い達だ。

 

 何一つ余分なものなどない。

 

 良い事も悪い事も全て受け止めようとする時、背中にある温もりが、脳裏に浮かぶ多くの記憶が、彼女の足を震わせずに歩き出させる。

 

 だから、今までの比ではない。

 

 惑星すらも粉々にしてしまうだろう。

 

 粒子の昇華光と蒸気の嵐の最中にも仲間達の先頭で戦えていた。

 

「定数の規定値を変更。サブクッション拡大!! 異相と現実を遮断!! 領域確定……時空の平坦化開始。光子レベルでの物質粒子の再形成阻害開始……目標アイウィス本体外の異相全域【極温停止域(ビッグ・フリーズ)】生成!!!」

 

 異相。

 

 そう呼ばれた空間が、遥か現実と別世界を隔てる領域が、無限とも思える広さの中にそれを埋める空白自体を満たしていく。

 

 余白空間(サブクッション)。

 

 崩燼機関においてはあらゆる事象、外部からの干渉や自己の影響を隔絶し、安全を確保する為の領域が必須だ。

 

 複雑な物理量の変換、置換を繰り返す為、あらゆる物質、エネルギーを安定的に運用する為にはどうしても互いを区別して運用出来る領域がいるのだ。

 

 それが無限を埋める程に広がりつつあった。

 

 それも領域内部のあらゆる重力の消失、時空の平坦化、熱量的死を引き起こす程の加速を持って膨張している。

 

 宇宙の死。

 

 そのシナリオの一つである超低温、極限まで全ての物質からエネルギーが失われる世界。

 

 こういった領域の中では殆ど物理法則に即した一個人が肉眼で観測出来るマクロの事象は結実しない。

 

 要は存在を保てない。

 

 異相から溢れ出さんばかりに数を増やしていた、銀河一つを覆い尽くすかもしれない屍蝋の仮面達がゆっくりと引き伸ばされ、実態を失い、霧すらも薄く薄く広がっていく。

 

 内部にいるあらゆる存在を許さない絶対的な空間の膨張と静寂を生み出した【OEDS(エデス)】。

 

 少女の振り上げる巨大なハンマーの周囲には魔術方陣にも似て0と1の円環が無数に回っており、周囲に蒸気の海を形成して、内部から輝きを放っていた。

 

 アイウィスの内部。

 

 最終層付近と目される都市の二階建ての一軒家の上。

 

 彼女と仲間達は静かに化け物達が消えるのを目撃していた。

 

「兄さん。艦隊の方は?」

 

「ああ、そっちならもう内部だ。それとやはりあの光の帯は物理法則に縛られていないようだな。光波を発していないはずなのに観測出来るから、もしやと思っていたが、非実在や概念的なものに近いんだろう」

 

「じゃあ、やっぱり、外の方も?」

 

「ああ、まだ異相反転は止まってない。だが、沸いてくる化け物はいなくなったはずだ。屍蝋の仮面化するのは止められないが、あちらの負担がこれで少しは減っただろう」

 

「よかった、とはまだ言えませんよね……」

 

「ああ」

 

 アーギストが白い外套の表面に魔術方陣を複数浮かび上がらせながら、周囲の警戒に裂いていた魔力資源(リソース)を全て再び抑留(プール)し始めた。

 

「ジルムス。周囲に敵影無いな?」

 

「ああ、今日はお前がくれたコンタクトレンズだったか? アレ付けてきたが、呆れる程よく見えるぜ。周囲100km圏内に敵影無し。だが、本当に此処で間違いねぇのかよ? 最終層が近いって話にしては敵もいねぇし、異変一つ起こってないぞ」

 

 ジルムスはいつもは閉じている全ての瞳をキョロキョロと動かしながら、五感を総動員して警戒に勤めていたが、常に自分達が潜ってきたアイウィスと然して変わらない事を確認し、肩を竦める。

 

「確かにここまで抵抗が無いと逆に不安になるのも分かるが、最終層に敵の外なる神々が布陣している事も考えられる。気は抜くな」

 

「布陣ねぇ。そんな知性あるのか?」

 

「少なからず。屍蝋の仮面を増やそうと暗躍しているかもしれない。この中でもジルムスお前と僕は仮面化した場合、致命傷だ。絶対に侵食は避けろよ」

 

「オレが致命傷?」

 

「……親友を処分するのを躊躇って、どっちも死ぬ。あるいは仲間をどうにもできずに全滅。こういう場合は最悪のパターンを考えておくものだ」

 

「その時はサックリやれ。誰もが命掛けなんだ。少しでも可能性のある方に賭けるのが賢いだろ」

 

「ああ、言われなくともそのつもりだ」

 

 二人のやり取りにいつもならば口を挟むだろうエストリアが黙り込んでいるので少年が横顔を覗き込むと僅かに笑んでいる事に気付いて驚く。

 

「いいの? 何も言わなくて」

 

 少年の問いにエストリアがコクリと頷いた。

 

 今も一面の空。

 

 いや、異相の広大な範囲全てに化け物の存在を許さず。

 

 産み出される危険を排除し続けている少女は静かに囁く。

 

「アレが兄さんとジルムスさんのコミュニケーションなんだって、近頃は分かりましたから」

 

「そうですね。ジルムスさんがいなければ、アーギストさんも安心して己の仕事を全う出来ない。私達の中で一番信頼し合ってるのは二人かもしれません」

 

 美紗が外套の下。

 

 腰から双振りの畸形カタールを引き抜いて、此処からが正念場だと気を張った。

 

「何か、大人になった? エストリア」

 

「あ!? 今サラッと私の事を子ども扱いしましたね?! しましたね!? こう見えて女の子は早熟なんです!! イクスさんと出会った時の私より今の私は一皮も二皮も向けた状態なんですから、イクスさんもちゃんとそうやって扱ってくれないとダメなんですからね!!」

 

「あはは、留意しておく」

 

「何ですか!? その政治家みたいな対応!?」

 

 ガヤガヤとやかましい妹とその周辺を見つめて。

 

 アーギストは妹がもう自分の下を完全に巣立った事を感じずにはいられなかった。

 

 確かに大人になったのだろう。

 

 この数ヶ月で起きた出来事は全て命懸けの事件ばかりだった。

 

 しかし、ようやく此処まで辿り着き。

 

 最初は不安しかなかった妹の様子は見る見ると変わっていった。

 

 それが何よりも嬉しく。

 

 兄として寂しく。

 

 しかし、仲間として頼もしく。

 

 だが、家族としてはまだ心配で。

 

「ふ、儘ならないな」

 

 そんな言葉で青年は妹の輝きを増した笑顔へ眩しそうに目を細めた。

 

「最後にテメェが守るのは妹だろ。なら、それまでは甘やかしたっていいさ。こういうのは今まで見守ってきた奴の特権だ」

 

 ジルムスがボソリと呟く。

 

「お前が言うと以外だな」

 

「これでも家は子沢山。兄弟姉妹従兄弟には事欠かないからな。本家の生まれってのも大変なんだよ。実際」

 

「お前から家族に関してそんな愚痴を聞くのは初めてかもな」

 

「今頃、分家も本家も死人出てるだろうからな。此処から帰って親父と爺がいなかったら、一気にオレも大人の仲間入りって奴だ。憂鬱にもなる」

 

「お前らしい。心配などしないか」

 

「死んでも死なねぇような連中ばっかりだ。だが、死んだとしても、悔いの無い人生を。爺が孫、曾孫、玄孫に言ってる事だ……そして、それは正しい。別れの席は当の昔に済ませてきた。後は各々が最善を尽くすのみってな」

 

「よくよく考えてみれば、お前も家柄に縛られてる方だったんだな」

 

「今頃、気付くのかよ」

 

「……こうして話してみなければ、分からないことも沢山ある……こんな時間を守る為に僕達は命を賭けるんだろうな……」

 

 アーギストがようやく会話の合間に行っていた魔術中核による探索を切り上げて全員を方陣の中央に集めた。

 

「いいか。よく訊いてくれ。此処から最終層に至る為にはたぶん、後一層を潜り抜けなきゃならない。だが、この高侵食状況下だと次の階層に出た途端に術式が破綻する可能性が高い。侵食の大本に近づいてるんだ。それは覚悟しなきゃならない。だが、この侵食を一時的に減退させる方法がある」

 

 アーギストが虚空に都市を何層にも重ねた地図を産み出した。

 

「アイウィスは縦横に未だ膨張を続けてる。これを逆手に取り、各階層の閉鎖性を破壊、完全開放させる。これによって侵食の大本の階層から侵食自体が溢れ出して軽減されるはずだ。侵食する媒質密度が減るだけでもだいぶ違うだろう。僕はこれからこのアイウィスの全階層の開放と連結、空間の一時的な膨張に入る。しかし、その場合、術式の侵食を防ぐ為に大本へ近づけなくなる」

 

「つまり、どういう事ですか?」

 

 妹の訊ねに兄が答えた。

 

「僕の役目は此処までだ。ここから全員のバックアップに入らなきゃならない。つまり、四人で戦わせる事になる」

 

「ああ、そういう事ですか。兄さんが深刻そうな顔するから、今から死ぬとか言い出すのかと思いました」

 

「ハイダル。何があっても僕を助けには来るな。それと必ず脱出手段と退路は備えておく。お前は最終層の解析とアイウィスの止め方を探ってくれ。そして、必ず生還しろ。これが兄としてお前に出来る僕の全てだ」

 

「分かりました……兄さん」

 

「そうか。分かってくれ―――」

 

「じゃあ、私からも言いますね。私は何があっても必ず兄さんを迎えに来る。絶対に見捨てたりしない。皆さんも絶対に死なせない。全員で帰りましょう。だから、兄さんを信じてます」

 

「―――ああ、本当に……お前は立派になった。兄として誇らしく思う」

 

 その兄妹のやり取りに僅か美紗が感じ入った様子で涙目になっていた。

 

「敵影確認!! こいつは……誰だ? 刀?」

 

「どうしたジルムス!!?」

 

「今、東から近づいて来てやがる。敵は人型。仮面の名は―――【強欲(ボラシターテ)】だ!!」

 

「転移か……それともあの宇宙終焉シナリオの中を抜けてきたのか。時間は無い、か。分かった。こちらで対処する。転移方陣の出力を開始。各員、自らの役目を果たせ!!」

 

「はい!! 兄さん」

 

「言ってきます。アーギストさん」

 

「任せておけ。テメェからあの篆刻写真を奪い返すまでは死ねねぇ!!」

 

「気を付けて」

 

 エストリア。

 

 美紗。

 

 ジルムス。

 

 イクス。

 

 四人の仲間達の顔にしっかりと頷いて。

 

 アーギストが全員を最終層の前階層へと跳ばした。

 

 全員の姿が見えなくなったところで彼の観測術式が瞳に相手の姿を捉えさせる。

 

 高速飛翔で迫ってくる敵は刀を一本腰に下げたアルヴァス・カレッジの制服姿だった。

 

「生徒か?! 悪いが、この状況下の上に元に戻してやれない以上、倒させてもらうぞ」

 

 未だ40km以上の距離がある。

 

 しかし、アーギストにしてみれば、キッチリと射程圏内。

 

 その指が弾けた瞬間。

 

 完全にロックオンされた敵の体内に直接、大動脈と内臓を弾けさせる程度の飽和魔力が転移し、肉体を内部から弾けさせ―――。

 

【閃剣が奥義の一つ】

 

「?!」

 

 確かにその声はアーギストの脳裏に直接響いた。

 

 空間を渡る波動。

 

 経路経由の観測全てにその声が木霊する。

 

 ジャキリと僅かに抜き出した刀が閃いた瞬間。

 

 アーギストは必要な経路以外の全てを切断し、その場から咄嗟に転移し―――。

 

 刀がスゥッと何も無い空間を薙ぎ。

 

 同時に経路から送り付けられるはずだった魔力が途中で切り裂かれて、経路に霧が侵入、侵食を逆流させた。

 

 今の今までアーギストがいた空間がいきなり歪曲し、何やら霧を漏れ出させて黒く濁っていく。

 

【裂け……『空斬(くうざん)』】

 

「まさか、お前は……」

 

 アーギストの脳裏に魔王関連の資料が思い出される。

 

 少年が魔王の一部だという話を知った後。

 

 収集していた情報には聖女と魔王の関係が一般には出回っていない焚書済みとされる書籍もあった。

 

 その中には最初期の四聖女達。

 

 その旅行者達には一人の帯同者がいたという記述がある。

 

 そして、大陸一。

 

 いや、この世界一の刃の使い手だろう聖女は己の剣技を閃きの剣。

 

 閃剣と呼んでいた事。

 

 その帯同者以外には一度も技を教えた事が無い旨が書かれていた。

 

 アーギストがジクジクと肌から1cm程内部まで切り裂かれた腕の傷を見て……不適に微笑んだ。

 

「空間そのものを削るのか。異相内部の経路を直接叩くなんて芸当。空間制御の得意な魔術師でも出来るかどうか。僕の最後の敵が貴女のような人だとは……まったくもって皮肉だが……大当たりだ!!」

 

 アーギストが今まで踏破してきた各階層の情報と現在観測したアイウィスの情報を照らし合わせ、階層の閉鎖を解く式を脳裏で組み上げながら、同時並行で戦闘用の事前計画を遂行する。

 

 敵が自分よりも強く。

 

 また、強力な空間制御を使ってくる場合のプラン。

 

 それに絶対勝てない類の近接戦闘能力を持つ場合のプラン。

 

 二つから導き出される戦い方はたった一つ。

 

 遠距離戦闘による飽和波状攻撃による足止めと封印隔離用の術を多重掛けして敵を一定時間足拘束し逃げるというものだった。

 

 無論、逃げられるわけもないのだから、破られるとしても敵を拘束封印して時間を稼ぐしかない。

 

 それを成し遂げられるのは理知に長け、あらゆる状況を想定し、如何なる敵を前にしても冷静沈着にプランを再構築し、時に無敵とも持て囃される空間制御魔術を極めた彼アーギストしかない。

 

【閃剣が奥義の一つ】

 

 刃が再び構えられる。

 

 それは真っ向からの唐竹割り。

 

 未だ距離が離れ過ぎていたが、そんなものが大陸一の刃の使い手を相手にして安心材料になるはずもなく。

 

 虚空を強く踏み込んで、刃が振り下ろされた。

 

 それはアーギストが多用する空間防御方陣。

 

 要は距離を直接伸ばして間合いを狂わせるほぼ常識の範疇にある攻撃なら如何なるものでも受け切る最上級防御方陣を素通りし、その肉体を縦真っ二つに断ち割った。

 

【空斬―――追加構成『波状剣・裂』】

 

 空間そのものを削りながら進む刃の軌跡。

 

 しかし、一太刀目を模倣して放たれる見えない斬撃は分裂し、正に波の如くアーギストの肉体を縦横斜めと容赦なく細切れにしていく。

 

 絶命。

 

 もしも、彼が魔族側の大規模攻勢を経験していなかったならば、その攻撃を受け切れず。

 

 血溜りに沈んでいただろう。

 

『既に覚えている限りの技を教えてもらっていた事が此処で役に立つとは……何事も勉強だな。高位魔族相手の戦闘経験があったのも大きい』

 

 バラバラ死体どころか。

 

 細切れ。

 

 賽の目みたいな状況に陥っていながら、その唇は動き。

 

 その断面は血の一滴すら零さずに薄っすらと魔力に輝いていた。

 

『貴女を止める。ユアン・クオ……例え、貴女が最大級の個体だとしても、此処から先には通さない!!』

 

 アーギストの瞳が、半分に断ち割られていながらも猛烈に燃え上がる。

 

 その輝きに満ちた闘志。

 

 細切れのまま。指が連動して弾かれる。

 

【!!】

 

 一瞬で事態を察した【強欲】が空間を目の前の空間に入る寸前に急上昇して、既に全方位の空間を囲まれていると悟る。

 

 何も見えないが、それが空間制御魔術の怖さ。

 

 あらゆる領域の内部に攻撃を潜ませる致死性の罠。

 

 そして、見えない、聞こえない、感じられない攻撃は避ける事など本来出来ない。

 

 その攻撃速度がもしも回避を一度でも上回れば―――。

 

『【連鎖生成砲術陣(ブラスト・チェイン)】』

 

 それは死を意味する。

 

 与えられた一撃は所謂、無限を指向した攻撃魔術の一つだった。

 

 空間内部に突如として爆撃を送る転移砲爆撃。

 

 その改変型。

 

 それ自体の威力を魔術で区切った一定空間内部で全て吸収し、爆破の度に次の発火点を多重形成して、最初に与えられた魔力が尽き、吸収した爆破のエネルギーが尽き、最後の運動エネルギー、熱エネルギーを使い果たすまで止まる事が無い一撃。

 

 最大の利点は発火点を常に敵存在内部にマーキングする事で如何なる小さな爆発も致命傷に変えるところだろう。

 

 例え、威力が小石すら傷付けられない程度の攻撃だろうとも敵の重要臓器や血管を傷つけられるなら、十分な威力となるし、細胞単位や分子単位でも破壊が継続され、完全に威力が0になるまで続くのなら、設定次第ではミクロレベルでの爆破を繰り返して、相手の気質すら劣化させる事が可能だ。

 

『弾けろ!!』

 

 連鎖する大小無数の爆発の中に【強欲】の姿が沈んでいく。

 

 しかし、攻撃は収まらない。

 

 それもそのはず。

 

 魔力はそもそも然して無いアーギストだが、今は【OEDS】の支援を受けている。

 

 持っている【崩燼機関(ソルヴァス・エンジン)】から無限に受け取れる莫大な出力の最大値を一瞬で消費する程のエネルギーが込めらたからだ。

 

 少なからず数ヶ月は継続して爆破を繰り返すだろう。

 

 しかし。

 

【廬山匡廬(ろざんきょうろ)の果てに我が刃は在り】

 

 僅かに爆破の隙間から出ていた切っ先から一滴、滴が刃を伝った。

 

【仙棲む猛き峰に一太刀の痕(きずあと)守る大岩と共に発(た)つ】

 

 聖女の使う奇蹟。

 

 それは人類が知る限り、超常の力としての最高位。

 

 この大宇(だいう)すらも従う一つ。

 

 如何なる叡智の技もそれを前にしては児戯に等しいと誰もが口にする。

 

『まずい?!』

 

 彼は響く声に相手が何をしようとしているのか悟った。

 

 止めようとしたのも束の間。

 

 まだ10km以上離れているはずの彼の左側を巨大な積層魔力で編まれた刃がいきなり出現して、高速で通り過ぎる。

 

 当たらなければ、どうという事もない。

 

 そう言ってられないのは通り過ぎた耀く刃が無数に背後で分裂し、爆発的な火山噴火の如く襲い掛かってくる時点でお察しだろう。

 

 細切れ状態のアーギストは一つでもパーツが無くなると致命傷なのだ。

 

 防御の為にリソースを裂いて、相手の攻撃を完全に防ごうとする間にも、最後の文言が朗々と歌い上げられる。

 

【抜けよ。我が意は此処に。我が技は此処に。閃剣(せんけん)は此処に】

 

 刀に起きた異変はとても小さい。

 

【六道(りくどう)寄らず、他化自在天(たけじざいてん)滅す、我が一刀】

 

 刃紋に黒色が浮く。

 

【白刀峯真円(はくとうほうまえん)】

 

『遅かったか』

 

 霧が失せていく。

 

 その中に無傷の制服姿の敵を認めて、アーギストは唇を噛んだ。

 

 自分の周囲には“最初から何も漂っていなかった”。

 

 という違和感に襲われて。

 

 自分の中から何か重要な情報の一部が欠落した事を、虫食い上の記録から青年は知る。

 

「これが七聖女ユアン・クオの奇跡……存在そのものを世界から検閲しているわけか」

 

 【聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)】から齎された情報。

 

 それは少なからず。

 

 絶望に値する能力に他ならない。

 

 少しでも掠れば、アウト。

 

 敵が奪ったものを推測しなければ、状況をまともに把握する間もなく。

 

 誰の記憶からも消却される。

 

 そのリスクは正に死ぬよりも恐ろしいものに違いなかった。

 

 だが。

 

「それでも守りたいものがあるんだ……例え、僕が消えても、妹が残るならば、構いはしないさ」

 

 そうして、彼らの距離はようやく視認出来る程までに近づく。

 

 生死、ではない。

 

 生きた証を賭けた戦いが始まろうとしていた。

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