※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第一章二十二節

第一章二十二節「青嵐」

 

 今日も今日とて学徒憲兵隊の隊舎にて大いに学び疲れた少女達は天御門分家の門を潜っていた。

 

「つ、疲れた…足が震えて…ぅ…」

 

 プルプルと震えながら、イフィミスラは今日一日の出来事を反芻する。

 

 朝から血の気が引くような事件があった。

 

 たぶん、戦っていたはずだが、そんな気配は微塵も見せず。

 

 隊舎に登校する時間までに戻ってきた紅亜と少年は何だか妙な雰囲気を醸し出しながらも無傷だった。

 

 今日は学校に行ってくると四人で告げると家に一人取り残される烙南が不安そうな顔をしたのをどうにかしてやりたいと思ったのか。

 

 少年はお守りだと言ってイフィミスラやナーリャに与えていた玉をエフィリム等にも一緒に与えた。

 

 その使い方をひそひそレクチャーされて烙南が嬉しそうな顔をしたのはどうしてだっただろう。

 

 行ってらっしゃいませ。

 

 そう心地よく全員を送り出した少女。

 

 その笑顔は何だかイフィミスラには輝いて見えた。

 

 それから隊舎で通常の講義を受け、それが終わったら憲兵隊としての通常業務の雑用をこなし、三人の少女達はヘトヘトになるまで働いた。

 

 少年は疲れている少女達を励ます係りと言っても過言ではなかった。

 

 同じ作業をしているというのに疲れた様子も無かったのだから。

 

 その日最後の作業が終わった後、監督者である青嵐にお疲れ様と言われた少女達はそうしてようやく地獄のような業務を終えた。

 

 一人青嵐に呼び出された少年は夜には帰ると言い残して隊舎に残っている。

 

 先に帰ってきた三人は少年の事が気がかりではあったものの、肉体の休みたいという誘惑には勝てず。

 

 離れの部屋に入った途端に三人はバッタリ倒れ伏した。

 

 幼いエフィリムはもうそのままスヤスヤと寝入っている。

 

 ナーリャは“妹達”にきつい作業が回ってこないよう率先して働いていた為か。

 

 エフィリムの横で胡乱(うろん)に意識が在るのか無いのか分からないような状態で放心していた。

 

 一人まだ何とか歩ける気力があったイフィミスラは二人に部屋に常備されている掛け布を二人にそっと掛けて、幾分かの休憩の後に本邸へと向かう。

 

 御簾のある部屋。

 

 烙南の私室へ。

 

 部屋に付くと確かに人影があった。

 

「入るぞ」

「あ、どうぞ」

 

 気付いた様子で御簾の横から烙南が顔を出した。

 

 その姿に少し感じ入るものがあって、イフィミスラは客用の座布団にそっと座って主を待つ。

 

 嬉しそうに御簾から出てイフィミスラの横に烙南が座った。

 

「イフィミスラ様。お勤めご苦労様でした」

 

「う、うむ。烙南殿も変わりないか?」

 

「はい」

 

 朝、少年と紅亜がいなくなった後。

 

 少女達の間を取り仕切り、心配しても仕方ないと互いに自己紹介し合ったのはまだ数時間前の事。

 

 まだぎこちないイフィミスラに対して烙南はもう友人にでも話すように淀み無かった。

 

「その、一つ聞きたい事があって、来たのだ」

 

「何ですか?」

 

 イフィミスラの言葉に烙南が首を傾げる。

 

「あの、あのな……烙南殿は……ティアの事をどう思っているのだ?」

 

「兄様の事?」

 

 ピクリとイフィミスラの身体が反応した。

 

 兄様。

 

 出会ってからちょっとしか経っていないはずなのに少年は烙南からそう呼ばれている。

 

 その手の早さというか。

 

 信頼関係を築く早さ。

 

 それがイフィミスラの内心にまたもやもやとしたものを発生させた。

 

「兄様は……とても好いお人だと思います」

 

「良い人?」

 

「はい。何も知らないわたくしによくしてくださいました」

 

「烙南殿は良い人に自分の大切な場所を見せるのか?」

 

 意地悪な質問だとイフィミスラにも内心の自覚はあった。

 

 それでも言わずにはいられなかった。

 

「兄様は信頼出来るお人で……それで、その……上手く言えませんが、わたくしを導いてくれるように思えます」

 

「……そうか」

 

 イフィミスラにも覚えがある感覚。

 

 少年と共にいるからこそ理解出来る事。

 

 少年は誰と触れ合う時も何処か導き手のような事を言う。

 

 諭すような優しい口調で話されて、何だかそのように思えて。

 

 そして、いつの間にか、道を示されたような気がするのだ。

 

「烙南殿はティアに……その、昨日は……」

 

「?」

 

「ふ、触れられたのであろう?」

 

「はい。穴に触れて頂いて。とても良く解して貰いました」

 

「ん、んむ……」

 

「ぁ…イフィミスラ様もですか?」

 

 恥ずかしがるどころか。

 

 まるで仲間を得たように烙南の顔が明るくなる。

 

 その様子に面食らったイフィミスラの方が赤くなった。

 

「そ、そうだ……」

 

「兄様はやっぱり好い人、です」

 

「どういう意味なのだ? それは……」

 

「わたくしは兄様のお子は孕めません。でも、イフィミスラ様や他の方はきっと、兄様のよい子を孕めます」

 

「な!?」

 

 その直球な表現にイフィミスラは思わず固まってしまう。

 

「その、もし、良ければ。今度は一緒に兄様に穴を解して頂けるよう。お願いしてみます……」

 

 少しはにかんだ顔で烙南が友好の証だと言わんばかりに両手を軽く握った。

 

「そ、それは……」

 

「それでもし、良ければ……イフィミスラ様が兄様のお子を孕むところ……見せて頂けないでしょうか。わたくし、まだ穴を使う事しか知らないので……」

 

 フシュゥ。

 

 イフィミスラの頭は完全に上(のぼ)せた様子で脳裏の妄想を開始する。

 

(ティアの子……我が、この胎で……孕む? ふぁ?! な、何を考えているのだ!!?)

 

 一瞬脳裏に過った光景。

 

 何も身に着けない自分と少年が睦み合っていて、それで胎が膨れている様子。

 

 お腹の子を優しく腹の上から撫でる手が容易に想像できた時点でイフィミスラは正気に返った。

 

「ら、烙南殿!!」

 

「ひゃ!? な、何ですか?」

 

 イフィミスラの声に驚いた烙南が目を丸くする。

 

「そ、そういうのは……」

 

「そういうのは?」

 

「そう、いうのは……」

 

「?」

 

「……」

 

「イフィミスラ様?」

 

 ゆっくりとイフィミスラの身体が横に倒れた。

 

「え……」

 

 ハァハァと苦しそうに息をしながら、その意識が薄れていく。

 

「ど、どうされたのですか?」

 

 返答は無い。

 

 烙南は慌ててその身体を起こそうとするものの、すぐに声を上げた。

 

「だ、誰か! 誰か!! イフィミスラ様が倒れました!? 誰か!」

 

 少年と紅亜が火急の知らせに本邸に駆け付けたのは数十分後の事だった。

 

 *

 

「結果は?」

「少し来い」

 

 夜。

 

 倒れたイフィミスラは天御門お抱え医の診察を受けて本邸の一室で休ませられていた。

 

 ナーリャやエフィリム、烙南はその様子を代わる代わる見に来ては近くの部屋で沈んだ様子になって座っている。

 

 看病は返ってきた青嵐が下人達に任せ切りにはしておけないと買って出て、付きっ切りとなっている。

 

 医者の話を聞き終えた紅亜が部屋の前で待っていた少年を連れて庭へと出た。

 

 小さな池の傍で振り返った紅亜の様子に少年は最悪の事態を想定する。

 

「イフィミスラ様の病状に関してお前から聞いた情報や環境の変化。様々な事を考慮して医者に伝えた。それを総合して医者が言うには……あれは“魔力負け”の状態に近い症状、だそうだ」

 

「“魔力負け”って……イフィミスラにそんな身体に負担が掛かるような魔力なんて無かったはずだけど……」

 

 大陸において稀な病気の一つを俗に“魔力負け”と言う。

 

 大概は強大な魔力や超常の力に肉体が適応し切れずに変調を来す病の総称。

 

 しかし、少年が知る限り、イフィミスラにそんな過度な能力や魔力は無いはずだった。

 

「お前がどれだけ知っているか知らないが、大皇の血は時に変質する事がある」

 

「変質?」

 

「ああ、単純に言えば環境やその他の要因で血に含まれる螺旋が、我々の肉体の構造を決める血筋の情報が劇的に変質するんだ」

 

「それって……」

 

 チラリと少年が朝の事を思いだす

 

「今日の朝の事が引き金とは思いたくないが、現段階ではまだ分からない。それよりも問題なのは今のままではイフィミスラ様の身体が耐え切れないという事。このままでは過剰な飽和魔力に肉体がボロボロになるという事だ」

 

「……」

 

「魔力を肉体から抽出しようにも魂魄内部で劇的に膨れ上がっている魔力を引き出せば、その瞬間に“爆ぜ散る”可能性が高いと……そう先生は言っていた」

 

「そう」

 

「そう、だと!? 貴様、イフィミスラ様が今どういう状況で苦しんでいるのか分かっているのか!!?」

 

「君はどうにか出来るの?」

 

 紅亜が少年の言葉に一瞬で頭を冷やした。

 

 叫んだところで何にもならないと知っているのは紅亜自身だ。

 

 同じ血を引く者だからこそ冷静に対処しなければ、判断を謝るわけにはと、一息吐いてから再び冷静な顔となった。

 

「―――話を続けるぞ。問題を解決する方法は二つだ。魔力を継続的にゆっくりと引き抜くか。肉体を強化して耐え忍ぶか。天御門家にはどちらの方法も存在している。そもそもが神門を産む家だからな。途中でそのような症状を訴えて死に至る者が少なからず歴史上はいた。故に私は先生が魔力負けだと言った時、その方法を使おうと考えた。だが」

 

「だが?」

 

「先生はお抱え医だ。だから、その方法をご存じだったが……止めるよう言われた」

 

「どうして?」

 

「イフィミスラ様の―――」

 

 歯を食い縛った紅亜が少年を真っ直ぐに見る。

 

「イフィミスラ様の肉体は幼過ぎると。恐ろしく増加した魔力で体内に陰陽や魔術を打ち込めば……助からないと」

 

 少年は目の前にいる無力を噛み締めた少女がその言葉をどんな心境で吐いたのかを思った。

 

 旅で失われる事なんて無いと。

 

 自分と同じ血を引く少女を助けたいと。

 

 そう言って家に留め置いた。

 

 その結果、旅をしていれば助かったかどうかは関係なく、そうなってしまった。

 

 自分がこの家に留めなければ、そう弱音を吐かなかった事を少年は確かに受け止める。

 

 そして、治す方法があるはずだと希望を捨てず。

 

 少女を見捨てない想いに感謝した。

 

「私はこれから土御門の家を当たってみようと思う……」

 

「協力はしてくれないんじゃない?」

 

「分からないだろう。間違いなくイフィミスラ様には“利用価値”がある。それをむざむざ捨てるか拾うか……」

 

「君の口からそういう言葉が出るとは思わなかったよ」

 

「ふ……ああ、私も自分がこんなに無力で……下種の考えが理解出来るとは思わなかったさ。だが、今は命を……何としても命を取り留める事が、先決だ」

 

 紅亜が少年に背を向ける。

 

「行ってくる……」

 

 もう何も言わず。

 

 そのまま大門へと向かおうとした紅亜が、途中で片膝を付いた。

 

「紅亜?」

 

「ッ…ぅ…馬鹿な…こんな、時に!? 私も、だと?!!」

 

 ゆっくりと立ち上がろうとして、倒れ込もうとした身体を少年が咄嗟に支えた。

 

「紅亜……」

 

「こんな、今、立たずしていつ立つと言うのだ!? こんな、こんなに私は!? 天御門紅亜は!! 情けない奴だったのか!! クソッ!!! クソッ!!!」

 

 涙が、その顔を濡らす。

 

 肉体が熱を帯びている事に少年は紅亜もまた同じ症状に陥っているのだと即座に判断した。

 

「力、入らない?」

 

「動けッ!! 動けッ!? 私はイフィミスラ様を助けるのだッ!! まだ、女には成らない!! 成らないッ!! 私はッッ!!?」

 

 完全に脱力した肉体に絶望の表情を浮かべながら、それでも何とか指先を震わせて腕を上げようとする紅亜がボロボロと涙で顔を濡らしながら必死の形相で叫ぶ。

 

「大丈夫」

 

 その声が心の奥底まで入り込んできて、自分の身体を憎々しげに睨んでいた紅亜が顔を僅かに上げた。

 

「イフィミスラは責任を持って僕が直すよ」

 

「そんなッ、デタラメ!!」

 

「信じられない?」

 

「あたりまえ、だろ、う!! はぁっ!? ぅくッ!!?」

 

 息が切れた様子の紅亜の頭を少年が撫でた。

 

「君より強くても?」

 

「そ、れは!?」

 

「僕は嘘を言わない。昔、そうしようと思ってから、そうしてる。そして、約束したなら、それは必ず守る。守ってみせると決めた」

 

「ティア……」

 

 少年の顔を。

 

 朝、相対する事が無ければ分からなかっただろう感情を。

 

 紅亜はその笑みに見た。

 

「例え、それがどんな内容だろうと理不尽ならば理不尽で覆してみせる。無理も道理も全て押し通す。君との約束はまだ有効だよ。半月、僕達は君の家で世話になると言った。だから、僕は必ずそうする」

 

 全てを慈しむ心。

 

 そんな人間には過ぎた色。

 

 何故か。

 

 少年の顔に思い浮かぶのは教会に置いてある泣いた聖女の像。

 

「待ってて。明日にはちゃんと連れて帰るから」

 

 少年は紅亜の背中と膝を裏から持ち上げて本邸へと向かった。

 

 女のように自分を抱く男を。

 

 何もかも曖昧な笑みに隠す少年を。

 

 紅亜はジッと見つめる。

 

「必ず、だ」

 

「うん」

 

「必ず、だからな」

 

「うん」

 

「もし、もし、救えなかったなら、貴様を、お前を八つ裂きにしてやる」

 

「知ってるよ」

 

 少年が柔らかく紅亜に微笑んだ。

 

「――――――ッ」

 

 動かない身体の中で大きく拍動していた心臓がズキリと痛む程に大きく鳴って。

 

 紅亜は自分もどうなるか分からないなと場違いな感想を持った。

 

 そして、必ず明日まで生き延びて、結果を確かめてやると、そんな事を思った。

 

 その動悸がただ全て血に負けた反動だと確信しながら。

 

(もう、この男が助けてくれると信じるしか……私には……)

 

 お抱え医に少年は紅亜を渡して、三人の少女を連れて転移した。

 

 転移先。

 

 それはエルフの女オーレムが住まう場所。

 

 今は魔王の庭となった街の外れにある娼館の名残。

 

 その地の名はハルトゥム。

 

 もう殆どの人々の中から消え去った忘却の場だった。

 

 *

 

 天御門青嵐にとって姉は誰よりも何よりも優先されるべき人である。

 

 嘗て天御門分家の当主と妻が同時に亡くなり、天涯孤独となった二人の兄妹の片割れである妹は天御門本家の意向にそって土御門の家に嫁ぐ事となった。

 

 それに異を唱え、自分が子を成して分家を再興すると言い出した兄は幼くからそう育てられてきた性を捨てて、何もかもを男とした。

 

 魔術的な素養の高い家には時に二つの性を持って生まれてくる者がいる。

 

 天御門分家に生まれた第一子は半陽の身体を産まれながらに持っていた。

 

 陽とは男。

 

 半陽とは半分男である事。

 

 しかし、その子の本質は女の方にあり、やがて時が来れば、女としての性を強く顕現させ、肉体も性の象徴である幹以外は全て女となるだろう。

 

 そう陰陽師は両親に伝えていた。

 

 それを踏まえて育てられた兄は戸籍上は男でありながらも女として育てられた。

 

 本当は姉妹。

 

 それを幼い頃から知っていた妹はいつも兄をお姉様と呼び親しんだ。

 

 そんな人が一人妹を守る為に姉である事を捨てて、男になる事を決意した。

 

 家柄を使って憲兵隊の長に昇り詰め、誰からも尊敬される者となって、家を盛り立てた。

 

 家の存続の為、本家筋の歳の盛りも過ぎた女達に精を注ぎ、その男と女の醜いやり取りにいつも吐いて、妹の寝所に救いを求めてやってきた。

 

 泣きながら、自分の腕の中でジッと耐えてきた姉の姿。

 

 それを見ながら妹は育った。

 

 姉と同じ憲兵隊に入り、嫁ぐ以上の成果を持って家を盛り立てる。

 

 それが妹の決断。

 

 何よりも守りたい人を守る為に出来た精一杯。

 

 そんな日々がしばらく続いて。

 

 女である事すら忘れたような姉の秘め事を妹は知った。

 

 もしも、女になるまでに男として子を成せなければ、土御門の家の子を孕む。

 

 それを知って、最初思ったのは……このまま全て上手くいくなんて思っていた浅はかな己への絶望。

 

 好きでもない男。

 

 それどころか最悪の部類に入るだろう男の子を孕まされる。

 

 妹を守った末の末路。

 

 冗談ではなかった。

 

 狂おしい程に悔しかった。

 

 自分よりも余程に女として相応しかった少女。

 

 その笑顔が男の仮面に塗り込められるだけではなくて。

 

 女としてすら蹂躙される。

 

 どちらにも希望なんて欠片もない。

 

 そんな、そんな事を認めるくらいならば、自分が嫁いだ方がいいと。

 

 真剣に妹は思った。

 

 けれど、そんな事を言えるはずもない。

 

 家の為に妹の為に自分を誤魔化して懸命に生きている姉に言えるはずがない。

 

 だから、それならばせめて。

 

 男の顔をずっとしていなくてもいいようにと。

 

 学徒憲兵隊の長の顔ではなくて姉の顔でいて欲しいからと。

 

 妹は粉骨砕身した。

 

 切り詰められる時間は全て切り詰めて。

 

 武練と学業に打ち込んだ。

 

 憲兵隊の仕事の半分以上を担うようになった。

 

 強い組織でトップである姉の負担を減らそうと努力した。

 

 半ば、その頑張りが学徒憲兵隊の功績の大半占めている。

 

 そうなって、ようやく妹は少しでも姉を救えているように思った。

 

 本当に、愚かなくらいに自分の功績を信じていた。

 

 でも、三人の少女を不意に連れてきて離れに置くようになってから。

 

 姉が変わった事を妹は知っている。

 

 自分の功績が本当には姉を救えていなかったと知っている。

 

(そう、わたしは……お姉様の何も……救えてはいなかった……)

 

 こんなのは男のする事ではないとしなくなった料理。

 

 それを毎日のように時間があれば、朝早くから作っている姿。

 

 夜の夕食を美味しかったとそう喜ぶ少女達に笑みを浮かべる姿。

 

 少女達の制服が届いて喜ぶ顔。

 

 これを着せて一緒に学べるとしたら嬉しいと本当に微笑ましい表情。

 

 男の象徴である制服にそんな顔をした事は無かった。

 

 妹の晴れ姿である初めての制服姿にも「済まない」と悲しい顔だったのに。

 

(愕然とした。わたしはずっと傍にいたはずのに一つもあんな表情させてあげられなかった)

 

 眠っている姉の姿。

 

 今しがたお抱え医に治療を施され数日で魔力負けも治まると言われた。

 

 何を見落としていたのか。

 

 どうしてこうなったのか。

 

 まるで分からなかった。

 

(あんな恰好で運ばれても文句の一つも言えないくらい衰弱して……一体、わたし何を見ていたんですか。何を……していたんですか……)

 

 倒れた紅亜を連れてきた少年は同じ症状の少女を連れて治療に行くと四人で転移していった。

 

 帰ってくるかは分からない。

 

 それでも姉の事だからちゃんと釘を刺したのだろうとは青嵐にも分かった。

 

 何度か意思を取り戻した姉の言葉は「今は何時だ」「ティアは戻ったか」「まだ夜なのか」の三言だけだったのだ。

 

「お姉様……わたしは、青嵐はどうやらお姉様の事を何も見ていなかったようです。こんなになるまで気付けなくて……放置したままで……妹失格ですね」

 

 数本の蝋燭に照らされながら自分を悔いる妹は呟く。

 

 もう処置された姉に出来る事は額に置いた水で濡らした布を交換するくらい。

 

 それすら実際には魔術で温度を固定する事が出来るわけで。

 

 非効率的である事は何より青嵐が一番よく分かっていた。

 

「酷い妹です。こんなお姉様に……こんな酷い事をして……」

 

 そのまま再び悲嘆に沈もうとした青嵐が襖の開く音に後ろを振り返った。

 

「ぁ…紅亜様は大丈夫ですか?」

 

「烙南様? はい。もう落ち着きましたから……」

 

 敵対すると言っても過言ではない土御門家の姫に青嵐はそう笑顔を返した。

 

 どれだけ敵対すると言っても幼い少女に罪はない。

 

 罪があるのは土御門や天御門の大人達であって、それを非難する事は当然であるにしろ、被害者であるような少女には愚痴の一つも言うべきではないと。

 

「良かった。紅亜様……」

 

 無事を喜ぶ少女の純真さに青嵐が顔を緩めようとした時だった。

 

「―――ッ」

「お姉様!!?」

 

 突如として苦しみ出した紅亜の様子に青嵐が目を見開く。

 

「だ、大丈夫ですか!? 紅亜様!!?」

 

 思わず駆け寄った烙南が手を握った瞬間だった。

 

 ボッと部屋の内部で燃えていた蝋燭が一瞬にして燃え上がり融け落ちる。

 

(これは!? まさか!!?)

 

「烙南様!! どうか、御下がりください!!」

 

「え、わ、分かりました」

 

 慌てて烙南が後ろへと下がる。

 

 それと共に蝋燭から吹き上がっていた炎が一斉に弱まった。

 

(これはお姉様の身体から噴き出る魔力に反応して……この子は……)

 

「お姉様。少し、痛いかもしれませんが我慢してください」

 

 ほんの少し青嵐が紅亜の指先を爪で引っ掻いた。

 

 ゆっくり滲んだ血を指先に取って、後ろに下がった烙南を伴って廊下に出る。

 

「少し痛いかもしれませんが、我慢してください」

 

「は、はい」

 

 烙南の指先を反対側の爪で引っ掻き、薄らと滲んだ血を紅亜と同じように青嵐が指先に取る。

 

 二つの血。

 

 それを取った指先をゆっくりと近付けて合わせた時、バチリと飽和魔力によって指先が弾け飛んだ。

 

「せ、青嵐様!!?」

 

「だ、大丈夫ですよ」

 

 笑顔で言いながら、青嵐は魔力で保護した指先に感じる痺れに確信する。

 

(これは大皇の血を増幅……触媒として融合して?! あの蛙!!!? 何て事を!!!! この症状は……この子の力に誘発されて……)

 

 噛み切りそうなくらいに唇を噛み締めて、青嵐は己の無知を呪った。

 

 それでも顔を笑みに戻して何とか“無自覚の刺客”に笑顔を向ける。

 

 少なくとも少女に罪はない。

 

 それを誰よりも知っているからこそ、姉を間接的にとはいえ傷付けた少女に、それでも青嵐は心の底から怒る事なく、いつもの表情を向けた。

 

「烙南様。一つ教えて欲しい事があるのです。大事な事で、お姉様の容体に関わります。ですから、どうか本当の事を仰って下さい。約束できますか?」

 

 今正に自分の血と紅亜の血が反応したのを見ていた少女は震えながらもコクンと頷いた。

 

「では、お訊きます。烙南様……貴方の本当のお名前を教えてください」

 

「本当の、名前?」

 

「はい。真名……いえ、忌み名と言った方がいいでしょうか? どうですか?」

 

「ぁ…はい。その、子を成した方にしか教えぬようにと教えられていて……」

 

「お聞きしてもよろしいですか? 大切な事なんです。お姉様にとっても私にとっても、イフィミスラ様にとっても」

 

 それを聞いて少しだけ躊躇して、それでも頷いた烙南はそっと青嵐の耳元に近寄って囁いた。

 

「……分かりました。そういう事ですか」

 

 ようやく事態の全てを呑み込んだ青嵐は少女を使い姉を陥れようとした男の顔を思い浮かべて、いつか必ず責任を取らせる事を誓った。

 

「烙南様。お願いがあります。どうか、今だけはこの部屋にお近付きにならないでください」

 

「そ、それは……やはり、その、わたくしの血筋が……」

 

 不安そうな声に本人すら特別とは知っていてもどうなるかまでは知らなかったのだろうと確信して、青嵐は頭を撫でた。

 

「いいんです。お姉様ならきっと、笑って許しますから。でも、それくらいお元気になって頂く為にしばし会うのは我慢して欲しいんです。お願いできますか?」

 

 少女はそれで全てを察したのか。

 

 泣きそうになりながら何度も何度も頷いた。

 

 青嵐が優しく烙南を抱き締めて、部屋へ戻そうとした時だった。

 

 ドォォォン。

 

 そんな音がした。

 

「なッ!!? 何事ですか!!!?」

 

 青嵐が屋敷内部に無数仕掛けている情報収集用の陰陽の術式を起動する。

 

 壁に手を付いただけで、屋敷内のあらゆる情報は全て青嵐の下に集まるようになっている。

 

 その術式群が収拾する映像に青嵐は目を見開いた。

 

 輝く瞳に映るのは膨大な数の人間だった。

 

 闇に紛れて正確な数は分からないものの、少なくとも数百人。

 

 その相貌の殆どは煤けていて、成りも何処か汚れている。

 

(こういう人々を使う組織と言えば“幽国の士”ぐらいしか。いえ、そんな事はどうでも、何をして―――まさか!? 正門が破られるはずッッ!!?)

 

 如何に没落したとはいえ天御門分家の屋敷。

 

 正門から周りの壁まで全て極度に硬い魔術防壁や侵入者撃退用の魔術で溢れ返っている。

 

 夜に主の許しもなく一般人が超えられるはずもない。

 

 そう、そのはずだった。

 

 屋敷が揺れた。

 

「きゃ!?」

 

 グラリと倒れそうになった烙南を抱き締めながら、青嵐は目を疑った。

 

(ただの丸太に突破された!? そんなはずは!! 何か対抗する術式か強力な魔術で強引に破られたからこそ、この反動!! 仕方ありません……下人達の方には退避を命じて。此処はわたしが……)

 

 青嵐が烙南に視線を向ける。

 

「烙南様。今日はもう寝室に戻ってください。そうしたら朝になるまで決して自分から襖を開けぬよう。あそこは独立した防御が敷かれていますので大丈夫のはずです。さぁ、お早く」

 

「せ、青嵐様、何が!?」

 

「賊が侵入しました。下人達は下がらせます。本邸はわたしの結界で朝まで持ちますので。ご心配は要りません。どうか、もしわたしを助けたいと思うなら、寝室に」

 

「わ、分かりました。せ、青嵐様。あ、その……」

 

 烙南がポロポロと涙を零した。

 

「ごめん、なさい」

 

「いいんです。気にしていません。わたしは天御門紅亜の妹、青嵐。客人の一人くらい守り通してみせます。無論、病床の姉に逆徒の指一本触れさせる事もありません。わたしはこれでも学徒憲兵隊の上級曹長。乂羅が認めた陰陽を使う大隊千人に匹敵する人材です」

 

 もう何も言わず。

 

 ただ背中を見せて玄関へと去っていく背中にコクリと頷いて烙南は己の寝室へと走っていった。

 

 その音を聞きながら。

 

 歩を進めた青嵐は賊の第一波が来る前に本邸の玄関先に陣取る。

 

『いました。早くお救い申し上げなければ』

 

『さぁ、娘さん。わたしたちと一緒に行きましょう』

 

『無垢なる仔羊は御神と共に』

 

『恐れなくてもいいんですよ。みんな仲間です』

 

『大丈夫。怖くないですよ。傷付ける気はないんです』

 

『天御門は滅ぶべきですが、誰も人まで傷つけるつもりなんてありませんよ』

 

「……」

 

 寄ってくる群衆の声。

 

 まるで逆徒には聞こえない声。

 

 しかし、だが、しかし。

 

 それは間違いなく賊の声だった。

 

 深夜、人の邸宅に大挙して押し寄せ、門を破る。

 

 その時点で誰が何を言おうと青嵐のする事は決まっていた。

 

 スゥッと少しだけ息を吸った青嵐は、

 

「沈まれッッッッ!!!!! 下郎共ッッッッッッッ!!!!!!!」

 

 大音声と共に一喝した。

 

 その怒声に付近にいた者達の大半が失神する。

 

 同時にビリビリと震えた虚空が周辺数キロに渡って、大喝を響き渡らせる。

 

 どよめきながら迫っていた群衆は一人の例外もなく。

 

 その声に足を一歩下がらせた。

 

「我は青嵐!!! 天御門青嵐である!!! この深夜、寝静まった屋敷の大門を打ち壊し、侵入した狼藉!!! 許し難し!!!! 何人たりとも我が背後は抜けぬと心得よ!!!! 学徒憲兵隊の名において此処でお前達を検挙する!!!!! 逃げる者あらば朝より地の果てまで追い掛け、来る者あらばその手の全てに縄を掛け、牙剥く者あらば我が鉄拳の錆とする!!!!! 覚悟せよ!!!! 汝ら遍く救う者無し!!!!!!!」

 

 鬼曹長。

 

 一騎当千の兵。

 

 青き嵐。

 

 そのどれとも違(たが)わぬ者の声に群衆は恐慌を来す前より先に立ち竦む。

 

 眼光に射竦められて。

 

 群衆の後ろですら、音に圧せられて、足を動かす事すら出来なかった。

 

 燃え上がるように、本邸を取り囲むように、青嵐の魔力が立ち昇っていく。

 

 青き炎嵐を背後に立つ女は確かにその時、群衆に思わせた。

 

 救うなんておこがましい。

 

 目の前の存在は救う側、裁く側なのだと。

 

 学徒憲兵隊が駆け付けてくる時まで、誰も群衆の誰一人として立ち去る事は出来なかった。

 

 それが天御門青嵐の実力。

 

 姉にはたぶん一生見せる事もないだろう鍛え上げた力の一端。

 

 たった一人の為に捧げられる想いの形だった。

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