第三章百十二節「葬送よりもまた聖者の唄を」
それは救いの無い時間だった。
まだ幼い少女は屋根裏部屋の中で一人。
唯一の出口である床の扉の上に何とか動かせた鏡台で蓋をして。
母に張ってもらった魔術の方陣の端で窓からの景色を見ていた。
隣のおじさんはもう狗のように吼えて、庭の樹に齧り付いていた。
向いに住むおばさんは包丁で薄暗がりの中、何かを庭で嬌声を上げながら切り刻んでいる。
通りを歩く人には思えない何か。
正気を失った人々。
血だらけの何か。
全てが欠けてしまった誰かが、誰かの腹を貪っていた。
涙は既に枯れ果てた。
街は何処も燃えている。
お気に入りの公園も。
いつも通う学校も。
毎日祈る教会も。
小さな街に一つ切りの井戸も。
時々、飴を買いに行くお店も。
必ず夕暮れ時には前を通る大きなお屋敷も。
―――絶対に扉を開けちゃダメよ。
人はもう人じゃない。
ならば、いつそうなってもおかしくない。
だから、と。
少女の母は笑顔で扉を閉めた。
沢山の荷物を部屋の出入り口に置いて。
魔術で施錠した。
自分がいつ化け物になっても良いように。
いつでも死ねるように。
死ぬ準備すらして。
「お母さん」
世界は変わってしまった。
いつも出ていた蒼い星は消えて。
空に昇ったのは多眼の月。
薄気味悪くて。
心が凍えて。
このまま、死んでしまうんじゃないかと。
少女は覚悟していた。
泣きべそを掻きながら、それでも怖いものから逃げ出そうとはしなかった。
少しずつ、自分が自分ではなくなっていくのが分かる。
外でおかしくなってしまった誰かと同じになっていくのが幼くても理解出来た。
押し潰されていく心。
それでも何とか正気を保っていたのは……お母さんも頑張っていると知っていたから。
でも、その時間にも終わりがやってくる。
床の扉が何度も何度も叩かれて。
声がするのだ。
母の声だ。
開けて、開けてと泣く声だ。
苦しい、苦しいと言っている。
でも、絶対に開けてはダメだと言われていた。
きっと、自分もおかしくなってしまうだろうから、と。
開けてはダメ。
開けてはダメ。
だから、開けなかった。
開けられなかった。
だから、少女は最後まで母との約束を守ったのだ。
扉を炎で焼き切られただけで。
光り輝く方陣の上。
少女は見てしまった。
首が逆さになった顔を。
折れてしまった血が流れ続ける狂気の笑みが張り付いた顔を。
ケタケタと笑いながら、それは折れ曲がった身体で四足の動物のように方陣に飛び掛り。
破裂する筋肉にも構わず。
ギチギチと方陣を軋ませて。
ゆっくりと破壊していく。
それでも良かったのだ。
少女にとっては。
恐ろしさに正気なんて、もうこれっぽっちも残っていなかったが、母親の腕の中で死ねると理解したのだから。
そうして、家もまた炎に包まれていく。
燃え上がる屋根から何処までも焼き尽くすだろう熱さを感じながら、少女は瞳を閉じ、全てを受け入れたのだ。
――――――なのに、どうしてか……終わりはやって来なかった。
少女は前を見上げて。
首を傾げる。
今までいたはずの母の成れの果てが、笑っていた。
普通の笑顔で涙を流していた。
ああ、まったく何も変わらない様子でギュッと自分を抱き締めてくれた。
きっと、死ぬ前の幻影だとそう思っていたのに温かくて。
燃えていない屋根裏の中で母親と2人抱き締め合った。
そう、いつの間にか。
街からは狂気に狂える人々が消え、家は燃えておらず。
ただ、平穏とは少し違いながらも屋内で震えている誰かだけが取り残されていた。
ふと小さな瞳が遠くから聞こえてくる声に窓の方を向く。
『こちらは、七教会、広報部門です。全ての住人の方は、戸締りを行い、決して外に出ないようお願い致します』
ゆっくりとした声が響いて。
彼女は天蓋を見上げる。
其処には先程と変わらず。
多眼の月が在って。
けれども、それはいつの間にか半月となって世界を見下ろしていた。
*
七教会の組織構成を言い表すなら七聖女が権力を委任する頂点の人材を基軸として系統樹的に広がる複数の部門がネットワーク化された代物だ。
聖女そのものが管轄する部門は然して多くない。
それでも七聖女が上手く組織を統括出来ているのは高度技能を持つ人材を直接掌握し、彼らを一貫して運用する事を任された七聖女筆頭フルー・バレッサが最適解としてのプランニングを施した最新の組織構造を常に生み出しているからだ。
極めて精度の高い情報収集、情報操作、情報統制、情報分析の出来る機器(システム)。
合理的で人の情にも対応する緻密な内部法規。
人材の配置、人事の見事な編成。
これら全てを行う人智(ノウハウ)の組織内共有と拡散。
組織自体の自立性の高さも語るべきだろう。
内部での細々とした問題を自己解決へと導くのは聖女ではなく。
彼女らの教えを受けた部下達だ。
彼らの理知と知性は巨大組織を遍く制御するに足りており、あらゆる面での保守点検に不備は無い。
だから、彼らは自分の仕事に疑問も持たず。
与えられた仕事内容を完璧にこなしてみせる。
それが世界崩壊の瀬戸際だとしても、やれと言われれば、何でもやってのける。
それが満足な装備もなく。
大陸のあらゆる都市、街、町村、果ては個人の家の周囲を特定の機材を持って回る、という仕事だとしても。
七教会広報部門。
大陸の情報操作を一手に担う情報インテリである部門の人々が自分の身を守る武装一つ持たずに現場に借り出され、ただただ只管に見回りをさせられるというのも、変な話であった。
大陸規模の大異変で大小無数の国家が破綻、もしくは破綻寸前なのだ。
それなのに自分達は一体何をさせられているのかという疑問も持たず。
彼らは大音量のスピーカーで音声を数km先までも響かせながら空中散歩と洒落込んでいる。
彼らの大半は思った。
比較的、軽微な被害しか出ない地域を回っているな、と。
それがどんなに桁外れた異常事態なのかをまるで理解せずに。
いつも情報を操作する側の極々一部。
その中でも聖女に近しい者達だけが、彼らの前に現れる“比較的軽微な被害地域”の現実に違和感を覚え、本当の意味で戦慄したのは聖女の偉大さが身に染みたからだ。
彼らの持たされた機器は単純に言えば、莫大なセンサー群だ。
あらゆる人が捉えられる限りの情報を観測し、蓄積する八面ダイス状の物体。
たった、それだけの機器だ。
持ち帰らなければ、中身を見る事も出来ないブラックボックス。
どうしてそんなものを持たせられたのか。
彼らの一握りは知っている。
オペレーション・ワンダリカ。
聖女ソィラ・ミクラの奇跡による歴史破壊。
いや、もっと状況は細かいかもしれない。
全ての情報を未来で精査し、全ての破滅を、危機的状況を、破壊する。
無かったことにする。
人は蘇り。
建物は元通り。
一般人どころか。
超人や超越者と呼ばれる者達にすら殆ど気付かれる事無く。
静かに救済措置が進行していたのだ。
それもたぶんは何度も破壊して現実を塗り替えている。
死んだ人間が蘇り、未来に情報を残せば、その情報を頼りに更なる破壊を繰り返して状況を改善していく。
大陸のほぼ全ての国家に派遣された単なる情報を集める部門の職員達は情報を未来で得る為の端末なのだ。
たぶん、惑星上の全情報の精査と分析が未来では行われている。
それを効率的に破壊しながら、延々と過去を修正する。
そのような気の遠くなる歴史の創造にも等しい作業がたった一人の聖女の力によって行われているとすれば、驚嘆に値するのも当然だ。
化け物の闊歩する地獄が少しずつ少しずつ“大陸規模で緊急屋内退避警報が出た日”として塗り変わっていく事を殆どの者は知覚しなかった。
人智を超えた能力。
破壊者(ワンダリカ)。
その本質が情報に基く範囲であれば、未来から無限に過去を改変しえるという事実はこうしてまた殆どの者が知る事も無く闇へと消えていく。
聖女の大半が自分の任務やら義務やら責任やら使命やらに掛かり切りになって、組織をほったらかしても問題ないとされている最大の理由は聖女一ちゃらんぽらんな短髪聖女の未来の仕事量に掛かっていた。
「このブラックボックス一個どれくらいか知ってるか?」
「さぁ、分からないっすね」
空から異常の無い異常な街を眺め進みながら、四十代の男がまだ部門に来て日の浅い新米。
二十代の若者に話し掛けた。
彼らの首には拳大の情報収集集積を行う鋼のソレが掛けられている。
「正解はオレも知らない。ただ、総額は知ってる。この間、主計官が言ってたよ」
「え、それ話していい類の情報なんすか?」
「あはは、内部の人間には問題無い。本来、観測部門がしなきゃならない仕事を手が空いてないって事で引き受けてるんだ。これくらいの愚痴(おしゃべり)はいいさ」
「そ、そっすか。で、一体どれくらいなんです?」
「926兆5323億也」
「きゅ……大陸全国家の年度会計総額を2倍したくらいあるようなんですけど。後、大幅に七教会の会計もオーバーしてません? 特別予算使ってもギリギリじゃないっすか?」
「ちなみにこいつは七教会の開発部門が出した見積もりだ。実際にはフルー様が“個人的に”片手間量産して七教会に払い下げてる。意味、解るか?」
「聖女様ばんざーい」
若者はその凄いが、凄過ぎて何が何やら分からない話にお手上げのポーズとなった。
「よろしい。七教会は確かに単独でも大陸全国家とやり合えるだけの資金力と体力、組織力がある。だが、本質的な部分では聖女様一人にすら敵わない。我々の仕事はそんな聖女様方が安心して仕事を行えるよう裏方に徹する事なんだ」
「それは解ってますけど。今の話聞いちゃうと聖女様達にやってもらった方がいい気もします」
「今頃、あの月とガチンコ。おっと、タイマン。ええと……とても優雅に戦っていらっしゃるだろうさ」
年配の男が言葉を選び直してから誤魔化すように笑う。
「月規模の天体程もある何かと戦うとか。もう何て言っていいか全然分かんないっす」
「オレも分からんよ。七教会の部門は基本的に何処も超人的な連中ばかり集まってるが、上澄み層は完全に“人間の癖に超越者よりもヤバイ”のが集まっていなさる。何処の部門の長も完全に“人間なのに人間じゃない絶対”と言われてるお人ばかりだ。それでも聖女様に対しては本質的な部分で及ばない。聖女様よりも暴力的な意味で強くないというのもあるが、何よりどなたにも求心力が及ばない」
「求心力……」
「そうだ。聖女様方の下に付く師団や特殊団体、後援会、その他諸々の組織は超人よりも超人な方々と聖女様方。どちらを取るかと聞かれれば、必ず聖女様達を取る。信仰心や信心というだけじゃないのさ。何よりも一度でも聖女様方に直接出会った人々はまずその存在に心を揺り動かされる」
「喋りや学歴、物腰、教養、そういうのが勝っていてもっすか?」
「凄い失礼な事聞くな。さすが新世代。一昔前に聖女様方のファンに聞かれてたら決闘か大乱闘ものの発言だぞ。今の」
「あ、す、スイマセン。ついポロッと」
「まぁ、いい。聞かなかった事にしておこう。だが、今の答えはYESだ。何故ならば」
「何故ならば?」
「聖女様方は弱いんだ」
「弱い?」
思わず鸚鵡返しにした若者が首を傾げる。
「誰もが思うんだよ。お前はまだ直接お会いした事が無いだろうから、分からないだろうが……守ってあげたくなる。そんな方ばかりなんだ」
「女の子を守るみたいにっすか?」
「そうだ」
「自分よりも絶対強いのに?」
「ああ、まったくその通りだが、確実に守ってあげたくなる。何かをしてあげたくなる。そうだな。聖女様方がもしも魔族なら可愛過ぎて魅了された大陸は今頃一つに統一されてるだろう」
「あの、その発言マズくないっすか?」
「うん。自分で言ってて何だが不敬だと思う。だが、事実だ。誰もが思うんだ。聖女様方の隣に何か大きな穴がぽっかり開いている。ならば、その穴を自分が少しでも埋めようとな」
「……まるで恋っすね」
「あはは、オレはちなみにソィラ様派だ。少数派だが、これでも登録会員40000台なんだぞ。あ、これ会員証」
懐の財布からサラッとファンクラブの証がサクッと開示されてから戻される。
「―――何だか歌手(アイドル)に傾倒する所謂オタクってやつみたいですね」
「うむ。間違いない。それはかなり的を射ているぞ。新人」
「何だか不安になってきましたオレ」
「そう固くなるな。ちょっとした本気とジョークだ」
半分本気なんだとのツッコミは入れず。
新人が頭を掻く。
七教会の部門に就職を目指したのはあくまで彼がそれに向いていて、同時に試験諸々をクリア出来るだけの素質があったからだ。
教会信者ではあったが、信仰心に熱いというタイプではない。
だから、聖女の名前や顔や逸話は知っていても、雲の上の人という認識しかなかった。
なのに職場でこうも熱く語られてしまうとそれに乗るだけの言葉があまり無い。
「現在、聖女様方のファンクラブ。おっと、聖女様をお慕いする会の派閥的にはハティア様がトップ、次いでユアン様、ミュルト様、フルー様、ソィラ様、メルフ様、最後に最小派閥であるクラル様って事になってるんだが、何処の派閥も総計で100万以上は確実にいる。大半は一度出会った事がある程度の関係だが、誰もが聖女様達の為に命を惜しまない人々ばかりだ」
「百万……アイドルだったら、完全にトップ取ってますね」
「まぁな。ハティア様の信奉者は年々3割増加傾向だし、他の派閥も寿命以外じゃ脱退や離脱したりする者も殆ど無い。それくらいに人々に慕われていなさるのさ。聖女様達は」
「はぁ……オレもハティア様のお顔が初恋ではありましたけど……お嫁さんにする夢は8歳までだった気がします。何かの本で旦那様と娘様がいるって知って……」
「はははは、同志だったか」
「アレ? ソィラ様押しだったんじゃ」
「それは今の話だ。幼い頃はハティア様に憧れていた。それで七教会に死ぬ程勉強して入ったんだ」
「あ、ああ、完全に聖女様フリークってやつですね」
「そうだな。世間ではそういう事になってる。だが、実際に働いてみて、一番身近に感じられたのがオレはソィラ様だったんだ」
「仕事を一緒にしたとかですか?」
「ん? そうだな。仕事と言えば、仕事だ」
「何か、歯切れ悪いっすね」
「……此処だけの話。伝説の酒の肴(ツマミ)を探しにいく大冒険時、短いが最後まで一緒に旅したんだ」
「伝説のツマミ……えっと、七教会の仕事、ですよね?」
「そうだぞ。ソィラ様の精神環境衛生保持。ご機嫌を取って差し上げる労い旅の同行者だ」
「……紛争解決とかじゃなく?」
「ああ」
「戦争を止めに国家へ潜入とかでもなく?」
「ああ」
「……何か一気に力抜けました」
「だが、ソィラ様は一見して楽しそうではあったが、やはり何処か寂しそうだった」
「寂しそう……ぽっかり開いた穴ってやつっすか?」
「だな。そして、旅をしている内に気付いたよ」
「何をですか?」
「旅をしながら、ソィラ様は……人々を救っていなさったのさ」
「おお、何か聖女様っぽい逸話っすね」
「ただ、普通に見た限りでは遠目に笑顔を浮かべているだけのようにしか思えないがな」
「どういう事です?」
「オレ達が“今やってるような事”をそっとやっていたんだろう」
「??」
「オレが周辺情報や大陸規模での情報を確認していた時の事だ。自分の旅してきた国々がとても平和で、とても幸せで、とても穏やかな日々だった事をオレは知った。犯罪が無い日が続いたり、穏やかな天気が続いたり……まるで台風が通ったような幸せな道が出来ていたんだ」
「幸せな道。それを聖女様が?」
「いいや、情報上は最初からそうだっただけだ。もし情報を知る人々がいても殆どは偶然だと思うだろう。何だかんだ聖女様のご加護だとは言いながらもな」
「??? 聖女様がこっそり平和にしていたんじゃないんですか?」
「そうだ。こっそりしていなさったんだ。そして、オレは気付いた。“道”の外が一歩出れば修羅の世界。その上、この地政学上在り得ない程の平和と安穏とした時間は一体どうした事かってな」
ようやく若者は背筋に汗を浮かべるようになっていた。
「ソィラ様……確か歴史を破壊するとか何とか噂ありましたけど」
「そうだ。ソィラ様はそうなさっていた。だが、破壊された過去がどんなものだったのかはご本人以外には誰も知らない。だが、幾ら過去をそうしても、平和は長続きしない。犯罪を犯さない人間が途絶えないように歴史もまた繰り返す。旅をしながら、自分の快楽を追及なさっている旅だと言いながら、延々と定住地も持たずに歩き続ける理由。オレが気付いたのはその真実だったんだ」
「凄い……話っすね」
「ああ、凄いお人だよ。人生を掛けて、自分の目が届く限りの人々を救っていた。笑顔を決して絶やさずにな。最後の日は自分に付き合ってくれたからとオレに頭まで下げて……怖いでしょ。ごめんね……なんて冗談めかして、気付いちゃならない事に気付いたオレに謝るんだ。オレはその日以来……あの方が少しでも立ち止まれる日が来る事を願って已まない」
「………」
「他の聖女様達も似たり寄ったりさ。本当の意味で聖人というには人間臭いんだろう。でも、決して人々の心の中から消え去る事の無いもの。それが聖女様達の魅力、なのかもな」
「ちなみにソィラ様とはそれ以降どうなったんですか?」
「連絡も無い。音沙汰も無い。知ってるのは広報に載る情報くらいだ。だが、あの方が今もずっと旅し続けているのなら、オレが立ち止まるわけにはいかないだろ?」
ニカッと笑った上司に若者は瞠目した。
「……今度、呑みに行きましょう。時間が会ったら、聖女様関連の史跡巡りとかどうっすか?」
「はははは、残念だがオレ達の仕事は終わらない。今度が五年後が十年後か。分かりゃしないぞ?」
「いいじゃないっすか。聖女に振られたもの同士。いや、同志なんすから」
「じゃあ、まずは派閥入りからだな。あそこに入ると特典がかなり付く。ブロマイドから始まって聖女様方の様々なグッズから関連情報から何でも集まってくるし、有給とかも融通が利くようになるからな」
「マジっすか?! ファンクラブぱねぇ……」
「七教会内の95%が所属してるんだぞ? ちなみに上層部で会員になってない連中に対する視線は『え?! まだ、入ってなかったの!!?』だ」
「うわぁぁ……(汗)」
「派閥ごとに特色があってな。ハティア様なら聖女様同行の戦場ボランティア旅行ペアチケットが当たったり、ユアン様なら大陸中の剣豪が集まる大陸統一戦、要は刃術世界大会の参加権とか。他にはミュルト様と世界一周大海洋航海クルーズ乗船券。フルー様はもれなく当人から「フルー様と行く!! 二泊三日被検体合宿(何の被検体になるかは選べません)」の当選通知とか」
「あの……最後のだけちょっとその……」
少しだけ上司から暗い笑みが零される。
「あそこはハードで特殊性癖な連中が集まる魔窟だ。オレは昔、フルー様の事は好きだが、実験体にはなりたくないって同僚に泣き付かれて代行で行った事がある。その時、オレは一生分のトラウマと引き換えに滅茶苦茶疲れ難い身体にしてもらった……イマデハトテモカンシャシテイル」
「ひぃぃ?!?」
「大丈夫だ。問題ない」
「も、問題しか無いっすよソレ」
「あ、ちなみにソィラ様はとても控えめに私の愛するツマミセットや伝説の酒カタログとかだ。疲れた身体に染みるんだコレが……」
「何だか、もう七教会の事が分からなくなってきましたオレ」
「メルフ様は確か……聖女と一緒に最高の寝具を揃えて一緒にお休みツアーとか。疲れた奴向けだったはず。クラル様のところは秘密主義なんだよ。噂ではクラル様の若い頃ブロマイドとか。ご本人とのお茶会権とか天界ご招待ツアーとかあるらしいんだが、詳しい内容が一切出てこない。まぁ、最小派閥で口が堅い渋めな人間の溜り場だ」
「と、とりあえず考えとくっす」
「ああ、そうしろ。さ、そろそろお喋りは終わりだ」
彼らが通り過ぎてきた大小無数の村々。
その先の都市部で彼らは……ようやく平和とは程遠い光景を目にする。
燃える家々。
逃げ惑う人々。
その先にいるのはどうやら地下から溢れ出した屍蝋の仮面達だった。
平和ではない。
という事は……未来において、何らかの理由で彼らの見た地域の情報が十全に聖女へ届かない事を意味している。
それを暗に教えてくれた事を上司に感謝しつつ、若者が下を向いて半身に構えを取った。
「さて、事前に言われてた通り。此処からはオレ達の仕事だ」
「はい。先輩……互いに生きて帰りましょう」
彼らは素手。
他にはブラックボックスと衣服くらいしか持っていない。
だが、だからこそ、侵食されたとしても絶対に脅威とは成り得ない。
その為の無装備である。
それでも彼らは七教会の人間だ。
武器は現地調達。
平和とは程遠い状況を改善し、広報として現場の誘導も行う。
化け物と戦うくらいは出来るし、ソィラ・ミクラが未来で情報を取得出来ない時間、場所をカバーするには打って付けの人材でもある。
「まずはあの大通りの化け物を駆逐するところから始めよう」
都市部に落ちる二つの流星。
魔力を纏い。
ステゴロで挑む優秀な凡人達は人々の盾にならんと化け物へ突撃していった。
彼らがその後どうなったのか。
それはただ未来の書類のみでしか確認出来ない。
これは七教会にとって瑣末な、その時点では同任務を帯びた399945人中の2人、その程度の出来事でしかなかった。
*
―――アルヴァス亜人国首都ハガス上空。
霧に包まれた都の上でポツリ。
二つの人影が多眼の月が垣間見える魔力の傘の下。
謳っていた。
内容は然して目新しいものではない。
いつも彼女達が民衆の前で歌うのと同等のものだ。
であるからして、聞き覚えがある者がいたならば、彼女達の声がこんな地獄のような世界に響くのを不可思議にこそ思うだろうが、不審には思わないに違いない。
「こんなところにようこそ。お二方」
赤い猫耳の青年。
現アルヴァス亜人国の国王。
いつも鬼女に苛められ気味のアルデルトが影の傍へ不意に現れるとお辞儀をした。
自国の存亡が掛かったこの時にこんな場所で何をしているのかと叱られそうであるが、彼はお飾りの国王という側面が強く。
元老院上層部が取り仕切る防衛線では然して役立たない。
それどころか。
国王を守る為に警護を増やす名目で戦力を一箇所に集めてしまいかねないという点では害悪ですらある。
それを自覚する故に安全な場所にいるという情報を部下達に渡して首都の空中にいるわけだが、そんなのは自殺行為。
普通ならそう考えるべきだろう。
無論、彼の裏の顔。
真に国を治める者としての表情を知っている者以外ならの話であるが……。
「多眼の月は聖女達と聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)の皆様方がどうにかしてくれます。下の方は我々の戦力と信頼出来る人々に任せており、問題ないでしょう」
彼はサラッとこの存亡が必ず人類の勝利で幕を閉じると宣言して、二つの影に柔和な笑みを浮かべる。
「本日のご用件をお伺いしても?」
二つの影がモソモソと今まで謳っていたとは思えない声で喋る。
「来るべき日、ですか。ですが、それは解釈次第でしょう。どれが一体。我々にとって来るべき日なのかは我々が選び取るべき事。それは当事者の問題であって、外から見る分には然して面白いものでもないはずだ。違いますか?」
2人が頷く。
「我が国は今後も存続し続ける。故に今後の事をお話致しませんか? 旧教会派の言う救済が叶うにしろ。我々の求める結果が出るにしろ。その後の方針は必要だ。前々から申してきた通り。我々は七教会に組しません。また、魔王に関しては中立です。我が国の始まりがどうあれ。我々は自己の生存と繁栄を望みます。お二方……我が国の誠意は十分にお見せしたはずです。七教会からの再三の要求は全て拒否致しました。今後そちらの方針がどうあろうと。我々は教会とは別の道を往く。生存と繁栄の上で七教会に下る可能性は皆無です。そうするくらいならば、私が新たな大地を作り、引越しでもする方が確率は上です」
影達が青年を見つめ、同意するように頷いた。
「では、今後は協力する方針でお願いしたい。我が国からの条件はたった二つ。我が国を貴国が軍事力的に脅かさない事。例え、どのような状況下でも我が国との軍事同盟を維持し、全同盟諸国間での相互駐留軍を連隊規模で各国に維持する事。詳細は順調に行けば、明後日までには詰められる状況になるでしょう」
影達がゆっくりと青年から離れていく。
「では、またのお越しをお待ちしております。もし、次に機会が在れば、是非……天謳う声……神々の声をお聞かせ下さい。ベリアステルの美しい旋律は我が国でも若者に人気ですから」
二つの影がスゥッと消え去り。
残った青年は明かりの消えた都市を見下ろす。
「これが最後の賭けだ……まったく、もっと早くか遅くに生まれてきたかったよ。こんな事をしなくちゃならないなんて僕には向いてない……そう思うだろ? エンシェン」
王とは孤独であらねばならない。
何故なら決断は王の責任だから。
誰のせいでもないのだから。
愚痴る自分の弱さを笑いながら、青年は幼馴染がアルヴァス・カレッジの裏山。
鳥居の周囲で儀式の為に瞳を閉じているのを見つめる。
次の世継ぎを産ませる女性は既に決められているが、それでも第二王妃や愛人として囲う事くらいは出来ただろう。
だが、それを望まなかった。
いや、望めなかったのは……彼女の心を理解すればこそ。
「恋敵が魔王じゃ、僕なんか太刀打ち出来ないのは分かってた。君にもサヨウナラを言うべきなのかもしれない。でも、それまでは……ずっと僕が傍にいる。君が何を知らなくても……」
気弱な青年でも、力隠す国王でもなく。
ただ、一人の女に恋した男として。
彼は天を仰ぐ。
多眼の月は魔力の傘の間から見える限り、もう欠け始めていた。
何かを予告する時計の如く。
「夜会の鐘よ。この嘆きの想いに応えてみてくれ。この八つ当たり、億千万の泣き言でも足りない……僕の思いの丈だ」
青年の拳が握られ、裏から全てを見つめ続けるはずの彼は一度だけ、己の全力で夜空に叫ぶ失恋男となった。
拳から解き放たれた魔力はとても単純な術が乗っている。
それは光弾となって夜空の先に消え。
数万kmの空間を越えて一瞬の内に着弾。
背中を向けて地表へと降りていく彼の背後で、月の瞳から弾けた火の花が、幾多咲いた。
「僕だって、君とお祭りでデートしたかったんだよ。エンシェン」
そうしてパレードのように世界は騒がしく熱されていく。
青年の顔はもう気弱な鬼女の幼馴染に戻っていた。
それがもう二度とエンシェン・イル・フォイルの前で変わらない事が決まった日。
鼠が怖い国王様は少しだけ泣いた。
誰にも分からぬよう……あの優しい鬼に気付かれぬように……そっと……。