※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第三章百十八節

第三章百十八節「无儚餐爾Ⅶ」

 

―――アルヴァス亜人国首都ハガス東部アルヴァス・カレッジ裏山。

 

 鳥居の前で少女達が祈っている。

 

 中心にいるのは東部の着物姿で白鬼と化したエンシェン・イル・フォイルだ。

 

 方陣の三方にいるのは其々が少年と今まで情を交し合った少女達。

 

 奏璃紗(リーシャ・ハーモニア)。

 

 シルメイア・ゼオストス。

 

 ウル・エイフォン・バーゲル。

 

 彼女達の誰もがその瞳を閉じ、我が身を依り代に異界との境界の中心たる門を方陣と同調させ、その力を解放しようとしていた。

 

 中心で静かに立つエンシェンはその腹部にそっと手を当てる。

 

 其処にいる我が子こそが門たる鳥居の主の資格を有する者。

 

 今はまだ意思も無い小さな命。

 

 始まってしまった物語は最初から過酷。

 

 しかし、彼女達の誰も終わらせる気など無い。

 

 無限のように光が乱舞した空。

 

 多眼の月が消え失せて。

 

 侵食が消えた刹那。

 

 目を開いたエンシェンは我が子に聞かせるよう声を響かせた。

 

「聞いてくれ」

 

 門を前にして彼女は薄っすらと微笑み、我が子のいる胎を見つめる。

 

「私は、このエンシェンは……母としてお前の命を必ず護り切る」

 

 それは母の誓いか。

 

「語り合う事はまだ出来ない。けれど、たった一つだけ約束しよう」

 

 それとも大切な者の無事を願う家族の願いか。

 

「生まれてきたら、きっと……きっと、楽しい時間を過ごすぞ」

 

 にっこりと少しだけ強く笑んで。

 

「父親はあの通り、浮気ばかりだし、女を放っておけない性分だし、何処に行くのか知れたものではないが……でも、お前が生まれて来てくれるのを心の底から願っている……家からは勘当されているが、親父殿も母もきっと喜んで飛んでくるはずだ……お前はこのエンシェンと……世界一優しくて傲慢で強くて……誰よりも、誰よりも……熱い気持ちを内に秘めた男の子だ……だから!!」

 

 白き左右の角に両手を掛けて、彼女がソレを優しく手折った。

 

 鬼。

 

 悪鬼。

 

 ラルヴァ。

 

 人型魔族の中でも一際大きな力を持つ一系統。

 

 その力と依り代である角は当人にとって第三の心臓や魔力倉庫にも等しい。

 

「これくらいの修羅場、潜り抜けてみせろ!!」

 

 両手の中の角が緩やかに白い炎のように揺らめき。

 

 解けて方陣の中に注ぎ込まれていく。

 

 エンシェンの両手に小さな紋章が浮かび上がる。

 

 それは一本の線に四つの点が穿たれたもの。

 

 手首の先から青、赤、黒、白と色を変えていく。

 

「門に接続!! 異相側からの全干渉を遮断!! 光の柱以外の全てを押し込める!!!!」

 

「「「了解!!!」」」

 

 国土全域の概念魔力を牽く結界が流し込まれた四人の魔力を前にして地中から姿を現し、その全貌を浮かび上がらせていく。

 

 黄金(こんじき)ではない。

 

 麦穂の如き優しい耀きが描き出したのが、もしも禍々しいものならば、やはり魔王と人は言うだろう。

 

 しかし、その洒落者が国に施した形は雄々しくも無ければ、美しくも無かった。

 

 命の数だけで、涙の数だけ、耀いては散りゆく人の性……争いや国防の礎に男が求めたのは時間が経とうと誰にも理解出来る笑みだったのか。

 

 儚く消えていきそうな光はただヘタクソな集合写真のような絵を映し出していた。

 

 まるで子供の落書きだ。

 

 中心にいる髪型も乱雑な男の周囲には巨大な鬼に小さな狐のような人。

 

 蟲っぽい瞳の男や黄金の鬣持つ無頼、尾っぽをピチピチさせている女の人魚までも描かれている。

 

 だが、それよりも印象的なのは彼らの周囲に沢山の人々の顔が書き込まれている事か。

 

 人も亜人も誰もが笑っていた。

 

「ははは……魔王が残した力の正体がこんなものとは……」

 

 エンシェンは思わず苦笑し。

 

「これがオジさんの……ぷ、ふふ……あはは……」

 

 母の兄たる男の生き様を感じられるようでシルメイアは思わず噴出した。

 

「きっと、この人もイクスと同じ……人間が好きだった……」

 

 璃紗が少年の中にいるだろう男の思いに僅か胸へ手を当てて笑む。

 

「これは……デダル家と奏家と……バーゲルの?」

 

 ご先祖が不機嫌そうな顔をしているのを見て。

 

 今の子孫であるウルは真実それが事実なのだろうと胸が熱くなるのを感じた。

 

 刀を持って、中心にいる魔王なのだろう男の手前にいる狐は何故か少しだけ嬉しそうだと感じたのだ。

 

『まったく、あの人は……本当に……困った人……』

 

 恥ずかしいやら。

 

 嬉しいやら。

 

 未だ傷も治り切らぬまま。

 

 屍蝋の仮面を退けていたアルメイアが涙混じりに笑んで空を見上げる。

 

『ご主人様……エルイ・アンサルの絵……こんな事に使ってたんですか。あはは……本当にあなたは……死んでからもこの国を……』

 

 絵に描かれた当人たる人魚の女が涙を零しながら、命の危険があるのも構わず。

 

 空の見える避難テントの外で笑顔を浮かべた。

 

「大陸全域から霧を排出する!!」

 

 エンシェンの声と同時に異相側から漏れ出した霧が轟々と音を立てて、首都の上空へと高速で渦巻くようにして集まっていく。

 

 倒された屍蝋の仮面の残滓も残さずだ。

 

 ソレが鳥居の上空で竜巻のように巨大化した。

 

 だが、途中で霧の集合体は鳥居内部への吸引を拒むかの如く。

 

 一瞬、その中心部に小さな仮面を形成し。

 

【救われたる者々の涙は夢(ゆめ)塵(ちり)の如くなり!!! ひひひひ♪】

 

「そんなの知らない!!!」

 

 完全に生まれる寸前、半壊する。

 

 ソレは方陣から飛び上がったシルメイアの翼が掠めた為だ。

 

【ひ―――】

 

「パーパは!! イクスは!! みんなを笑顔にしてくれるヒトなんだから!!」

 

 声が膨大な魔力の耀きに掻き消される。

 

 月夜に太陽が出現した。

 

 ソレは明るく明るく世を照らし出し、顔を俯けていた人々に上を見上げさせる。

 

 アルヴァスだけではない。

 

 周辺国やその先にまで届く光は悪夢に沈んだ大陸に再び、沸々と湧き上がるような感情を思い出させた。

 

 星すら砕く超高位魔族の魔力が畏怖でも、恐怖でも、絶望でもなく。

 

 人に熱を思い出させる。

 

 その温かな陽の耀きは未だ七教会の歴史改変より零れていた者達に燃え上がるような抵抗の炎を再び灯す。

 

「消えちゃえ!! みんなとイッショのゴハンは誰にも邪魔させない!!」

 

 祈る者は見た。

 

 見上げる者は見た。

 

 それは確かに人の情が通う力だった。

 

 人に何かを思い出させる力だった。

 

 広げられた翼は閨の時よりも広く広く。

 

 天使の如く神々しく。

 

 魔族のように雄々しく。

 

 終わりも見えずに高く高く昇っていく。

 

「パーパが戻ってくる場所はシルメイアが護るんだからぁあああああああッッッ!!!!」

 

 多眼の月。

 

 無限の霧。

 

 虹の星座。

 

 光の瓢。

 

 空の絵。

 

 世を照らす灯火。

 

 今まで大陸を覆ってきた人の手にはどうしようもない力の数々。

 

 その先で母譲りの炎を翼に纏い。

 

 少女は感情のまま。

 

 己の意思が命ずるまま。

 

 この滅亡の前で傍観する同じ超越者達へ。

 

 未だ人は先へ行くのだと見せ付ける。

 

 シルメイア・ゼオストスは魔王の姪で、世を救った母の子で、少年の娘だが、何よりもアルヴァス亜人国に住まう“人間”なのだ。

 

 普通の人とは違う。

 

 異種とも違う。

 

 亜人達とも違うかもしれない。

 

 それでも生活し、時に笑い、時に泣き、時に楽しい時間を誰かと共に過ごした。

 

 少年と、仲間達と、恋敵と、何処までも進んでいく事を望む。

 

 そんな少女の力はもう世界を壊すものではなく。

 

 ただ、己の居場所を、自分の傍にいる人達の生活を、これからも生きていく時間を護るもの。

 

 灰火が色を変えていく。

 

 塗り換わる色は虹にも見えたが違う。

 

 ソレは光速で、文字通り、全ての色を過ぎ去らせて、最後には全てを透過する。

 

 見えない揺らめく何か。

 

 それは大気圏を登っていく彼女の背後から広がり続け、大陸を優しく包んでいく。

 

 正しく空気のように浸透し、熱くもなく。

 

 其処にあるのに掴みどころの無いもの。

 

 これは何だと誰かが呟いた。

 

 確かに人々が感じたのだ。

 

 煌く意思の力が大陸に住まう者達に注がれていくのを。

 

 大気圏上層で地表を振り返った少女の瞳が多重の虹彩を収縮させて、今も悪さをしようとしているソレを確かに見つける。

 

 本来、概念側の存在。

 

 何処にでも在り、何処にも無いという矛盾した有無の世界の住人たる相手。

 

 だが、彼女の瞳はあらゆる魔眼を複製する。

 

 それは如何なる物も例外はない。

 

【棺眼(スクリニオ・イリス)】

 

 本来の力とは少し違う。

 

 写し取り、他に内臓する魔眼の性質が付与されて変質した魔眼は既に璃紗が持つ力とは別物だ。

 

 彼女の友人が過去視の魔眼という過去の全ての情報を網羅するものだとすれば。

 

「見付けたッッ!!!」

 

【?!】

 

 今、シルメイアの瞳が宿すのは全てを見つける魔眼。

 

 ずっとずっと少年を探し、己を探していた彼女らしい力だった。

 

 ズルリと黄金の仮面も被らないダークエルフの姿を象った神が少女の前に引きずり出される。

 

 全て見つける瞳が過去を見る瞳と違うのは焦点の合わせ方だ。

 

 璃紗が無限に映り込む情報を取捨選択して、現在から過去に掛けての全情報を選り分ける必要に迫られるのとは違い。

 

 彼女の魔眼は見つけたいものにピントが合わせられる。

 

 それが如何なるものだろうとも、見られるという事は現実に存在するという事。

 

 確認出来るという事。

 

 干渉出来るという事。

 

 それならば、例外があってはおかしい。

 

 それが概念側の存在だろうとも、現実に干渉するならば、其処には実態が無ければならない。

 

 現実へと干渉する媒質が無ければならない。

 

 外なる神々の一部が顕現しただけだとしても、その一部は現実の何処にあるのか?

 

 概念域。

 

 概念魔力を産出する未知の領域のような何か。

 

 その奥にソレはいた。

 

 現実に干渉していた。

 

「這い寄る混沌!!!」

 

 少年に存在抹消レベルの攻撃を受けようが、聖女の奇跡に肉体を同化されようが、存在を保ち続けた理由。

 

 それは概念側からの干渉で現実に自己を保存していたからに他ならない。

 

 自分の元の構成物質に近い霧が素粒子1つ以下だろうと微量でも存在すれば、其処から現実の物質を侵食し、自己を構成させていたのだ。

 

 物質側の自分が存在を抹消されようと概念側の自分にはまるでダメージが無い。

 

 霧という媒質さえあるならば、無限に己を複製可能。

 

 世界中へ散らばった霧を完全に消し去る事は出来ない。

 

 現実に外なる神が干渉不能なレベルまでとなれば、世界を再構成する程度の能力が無ければ不可能だろう。

 

「もう誰もカメンなんか被るヒツヨウないんだから!!」

 

 今の彼女ならば、概念域側の未知(X)を確定し、見つける事で引き出せる。

 

 限界まで拡張された経路(チャンネル)。

 

 その先から現れたソレの腕を少女は掴む。

 

「帰って!!」

 

 彼女の左目虹彩の一つが緑色に染まる。

 

 概念域から引き出された少女の笑みが引き裂けるようにして渦を巻き始める。

 

 能力が一つ発動し、相手の投棄先を作ったのだ。

 

 時間と空間。

 

 分かち難いもの。

 

 そこに穴を穿ち、世界の外へ繋げる放逐の魔眼。

 

【果穿浪(オネラリアム)】

 

 引き込まれていく姿が内部の虚無を溢れさせ、ギチギチと空間を軋ませながら抵抗する。

 

【どうして? みんな救われる♪ これでみんな幸せ♪】

 

 ゆっくりと逆戻しで世界の中に戻ろうとする神は言った。

 

 だから、少年の娘であり、少年に恋する少女は告げる。

 

「もう、みんな幸せなんだから!! みんな、助けてもらった!! 救ってもらった!! だから、今度はみんなでパーパを助ける番なの!! 幸せは“ナル”ものじゃなくて“キヅク”ものなんだって!! きっと、みんなならそう言うはずだから!!!」

 

【―――】

 

 片方の瞳だけを何とか復元したソレが僅かに少女の瞳を覗き込む。

 

 シルメイアはその何も映さない瞳が、自分に向けてニコリと細められた、ような気がした。

 

【ひひひ♪ お終い♪ これでお終い♪ またね?】

 

 一瞬でソレの全体が崩れ去って、世界の果てへと吸い込まれていく。

 

 そうして、瞳の虹彩が元の色に戻った瞬間にポワンと何かが弾むような軽い音と共に空間が歪んで波が発生し、少女は重力に引かれて地表へと落ちていく。

 

「ぅ……」

 

 無茶をし過ぎた。

 

 魔眼の連続使用と概念域の観測。

 

 その後、外なる神を直視して、同時に現実へと引き出した。

 

 まったく異なる世界を認識した生物が精神を破壊されるのは常識だ。

 

 それを気力と意思と魔力で肉体を強化して成し遂げた。

 

 精神の侵食にこそ耐え切ったが、心を消耗させ過ぎて擦り切れる寸前。

 

 彼女生来の能力の高さが人間なら即死のところを数日の眠りという状態で肉体を推移させるだろうが、今そうなってしまっては困るのは確実。

 

(パーパに……約束、した……のに……みんな……まも……る……の………)

 

 墜ちていく少女の翼が大気圏との摩擦熱の中で焼き崩れていく。

 

 彼女を最後まで視認していた仲間達が現在起動中の方陣とは別の魔術を紡ぐ余裕も無く叫んだ。

 

 例え、滅多な事では死なないとしても、まだ大陸の霧は排除され切っていない。

 

 未だ、鳥居の上空で渦を巻いている。

 

 屍蝋の仮面も活動しているのだ。

 

 どうなるか知れたものではない。

 

「シルルゥ!!」

 

 璃紗が陣から動けずに叫んだ瞬間。

 

 彼女の前に本が一冊現れる。

 

 朧で透明で輪郭しか分からない。

 

 しかし、それは確かに彼女が師匠イーギル・フィストから貰ったものに違いなかった。

 

 開かれた本が少しずつ欠けていく。

 

 それが少年の状態を表しているのだとすぐに察して尚、璃紗は今墜ちていく仲間の方を向いた。

 

 どれだけ少年が追い詰められていようとも、約束したのだ。

 

 帰ってくる。

 

 そう信じたのならば、今自分に出来る事を全力で行う以外に彼女が相手へ報いられる事は無い。

 

「誰でもいい!! お願い!! シルルゥを、璃紗の友達を助けてッッ!!」

 

 本の最中から何かが現れる。

 

 それは透明でやはり輪郭しかない。

 

 だが、確かに男の形を奏璃紗は覚えていた。

 

「師匠!!」

 

『―――♪』

 

 キザったらしく髪を掻き上げて、男がニヤリと安心させるよう笑んだ刹那、跳んだ。

 

 実態が在るのか無いのか。

 

 燃え上がるようにして浮かび上がっていく背中が数秒もせずに堕ちてくる少女を捕まえて抱き上げる。

 

 急激にそのまま降下した男が璃紗の前に焼け焦げた衣服のままのシルメイアを置いて、大気へ融けるようにして笑みを焼付け消えた。

 

「……ありがとう。師匠ッ」

 

 今も少年と共に戦い続けてくれているに違いない相手。

 

 心からの感謝を男に捧げて、少女が最後の仕事だとばかりに鳥居の上を見上げる。

 

「やろう!! イクスの帰る場所を護らなきゃ!!」

 

「ああ、我らなら出来る!!」

 

「ええ、私達ならば!!」

 

 エンシェンとウルが頷き。

 

 共に同じように瞳を閉じる。

 

 鬼女が詠唱に入った。

 

「大いなる角の民が一人。フォイル家の末、エンシェン・イル・フォイルとその長子の下、此処に新たな制約を持って願わん。盟友たる御門(みかど)……奏の血を捧げ、全なる門よ……この地に再びの安寧をッッ!!!!」

 

 璃紗が己の親指を僅かに噛み切り、その血を陣に注いだ。

 

 アルヴァスの興国期。

 

 魔王の下に集った最古の亜人達。

 

 蟲、鬼、狐、獅子、人魚。

 

 始祖たる彼らの血筋のみに残された役目が今果たされる。

 

 轟々と渦巻いていた霧の大瀑布が全天から収束し、小さな鳥居の中へと呑み込まれていく。

 

 その風の暴力の最中も決して顔を俯けず。

 

 誰もが全て排除するまではと見上げ続けた。

 

 やがて、霧という霧が鳥居の中へと姿を消し。

 

 辺りには静寂が戻り始める。

 

 だが、それで終わったわけではない。

 

 未だ屍蝋の仮面達は活動を続けている。

 

 その数が減んじれば、その分だけ霧が生成されるのだ。

 

 その全てが排除されるまで現状維持出来なければ、敵との戦いはイタチごっこになってしまう。

 

「……やったのですか?」

 

 ウルの声にエンシェンが首を横に振る。

 

「アイウィスに動きがある。アーギスト・エス・トリアが残した魔術中核からの情報だ。異相内部からこちらに高速で運動している……接触地点である此処を死守して門の力を最大で境界を保護しなければ、アルヴァスは終わりだ」

 

「では、守り切りましょう。わたくし達の故郷を」

 

 ウルのあまりにも簡単に聞こえる目標にエンシェンが苦笑して振り向く。

 

「随分と肝が据わったようだな」

 

「当たり前ですわ。一児の母、恋する女の強さは誰よりも知ってるつもりですもの!!」

 

「はは、まったく数ヶ月前とは別人だな……いや、誰もがそうか。あいつと出会い、あいつと交し合った沢山の日常が、私達を変えた……変えてくれた……」

 

「ええ」

 

「そう言えば、言ってなかったが……一ついいか?」

 

「?」

 

「色々と有り過ぎて、お前に言うのを忘れていた」

 

「何か重要な事?」

 

「ああ、同じスタートラインだ。あいつの心は渡さないぞ?」

 

「あら……では、わたくしからも言いましょうか。こほん」

 

 ウルがそのこれから死ぬよりも辛いかもしれない状況を前にして何一つ譲る気もなく告げる。

 

「武芸では一歩劣りましたが、恋では負けませんわよ。エンシェン」

 

 二人が互いの顔を見つめ、僅かに噴出す。

 

「これで心置きなく戦える」

 

「ええ、帰ってきたら二人で競争しましょうか」

 

 エンシェンの左横にウルが並び、璃紗が右横に加わる。

 

「アイウィスの状況は?」

 

「加速している……このままならば、後数分で異相境界に衝突するな」

 

「みんなで生きて帰りましょう!! イクスをお出迎え出来るように!!」

 

 璃紗の声に二人が同時に頷いた。

 

「そうだな。む? どうやら数分も要らないようだ。アイウィスの速度が急激に上がった。残り三十秒」

 

 眠るシルメイアを後ろに三人が鳥居を両の掌を突き出す。

 

「衝突時の衝撃を門に全て肩代わりさせる。だが、門自体が壊れれば、それでお終いだ。込める魔力は概念魔力から全て牽いているが、それを制御するのは我らの技量一つ。此処から死地。何一つ気を抜くな!!」

 

 エンシェンの言葉に二人が瞳を燃え上がらせる。

 

 煌く輝きはただ未来に向いていた。

 

「残り、十秒、九、八、七、六、五、四、三、二、一ッッッ!!!」

 

 その時、アルヴァス亜人国の国土全域で超大規模な地震が首都を震源地にして巻き起こった。

 

 震度17。

 

 急激な大地の隆起に首都を中心にして国土が撓み、湾曲していく。

 

 それと同時に各地の避難民を護る陣地が傾斜と共に落ちてくる土石と樹木、建造物の瓦礫の瀑布によって呑み込まれていく。

 

 世界が歪んだ。

 

 人々は悲鳴を上げ、軍の張った方陣の内部で絶叫を上げる。

 

 その中心地で三人の女達は己の全魔力を注いで門の維持に努めていた。

 

 国土そのものが拉げたせいで概念魔力を引き出す陣が機能不全を起していく。

 

「くッッ!?!!?」

 

「うおぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!!」

 

「絶対護るッッッ!! 護るんだからぁああああああああああああああ!!!!!」

 

 全力。

 

 全ての力を注いでいるのだ。

 

 しかし、それでも紙切れのように境界は異相からの超超超超超超超大質量の衝突を前にして容易く破れ始める。

 

 三人の少女達の身体が制御し切れない概念魔力の逆流に両腕を傷付け、血が鳥居から噴出す圧倒的な熱量で蒸発していく。

 

 このまま全身を誰もが燃え上がらせ、全てが終焉に向うかと思われた。

 

 だが、彼女達の横に同じように手を突き出す者が複数。

 

(誰……?)

 

 横を振り向く事も出来ない璃紗の瞳が俯瞰した視点からの映像を見せた。

 

 自分達の横に連なっていく見知らぬ少女達。

 

 黒い肌の双子がいた。

 

「「お家は護るッ!!」」

 

 灰色の髪の少女がいた。

 

「あの馬鹿者はまだあっちなのか!!」

 

 学帽を被る麗人がいた。

 

「だ、旦那様が帰るまでハルトゥムを護るのは私の役目だ!!」

 

 琥珀色の髪の乙女がいた。

 

「信じましょう。彼ならば、きっとどうにかしてくれますから!!」

 

 変な外套を着た片目が菫色の女がいた。

 

「やれやれ。聖女共の次はこっちか。二人ともよいか!!」

 

 それに付き従うお付っぽい二人組みがいた。

 

「陛下ぁああああああああああああ!!! 陛下陛下陛下陛下陛下陛下陛下ぁあああああ!!!!!」

 

「ちょ、煩過ぎ?! 集中力切れるって?!」

 

 大きな乳房に白いドレス姿のエルフがいた。

 

「ご主人様の家はお守りします!!」

 

 馬の下半身を持つ郵便配達員?の女性がいた。

 

「主様の家は壊させません!!」

 

 黒猫の本体と瓜二つな姿の白い亜人少女がいた。

 

「クヲオオオオオオオオオオオオオオオ!!! クックヲクヲオオオオオオオオオオ!!!!!」

 

 そして、彼女達の前を、鳥居へと突き進む蒼い瞳の少女がいた。

 

「あの女達の行軍を防ぎ切る事に比べればッッ!!!! この程度ッッッ!!!!!」

 

 その突き出された手が掴む何かの束。

 

 ソレが【運命糸(リネア・フェイティ)】と呼ばれる人の一生を司る因果律の具現だと分かって、璃紗が驚く。

 

「因果隔絶!!! それが例え太陽だろうとも!!! 我が大結界を越える事、態(あた)わず!!!」

 

 蒼い瞳の先に何が見えたのか。

 

 璃紗もまた見た。

 

 巨大な驚愕箱(びっくりばこ)が僅かに異相境界へ接触させた部分を凹ませていた。

 

「……後は頼みます。また、どうやら彼の傍に居られないようですから」

 

 駆け出した蒼い瞳の少女。

 

 その姿が解けていく。

 

 見えなくなっていく。

 

 消えていく。

 

 記憶からすらも遠ざかっていく。

 

「【終結界(コンクルーディ・ベルム)】」

 

 だが、同時にアイウィスが見えない壁にぶち当たったかの如く砕けながら弾んで、異相側へと押し返される。

 

 光柱。

 

 外なる神の顕現であるはずのソレすらも罅割れ、異相側と現実の中間で破砕し消えていく。

 

 同時に巨大な都市集合体そのものにも瓦解の波が広まった。

 

 フッと風のようなものが全員の頬を撫でて。

 

 激震が急激に収まっていく。

 

 アルヴァス亜人国最大の危機は確かに凌ぎ切られた。

 

 だが、その最大の功労者はその場において忽然と全ての情報を途切れさせ、消えたのだった。

 

 *

 

 声がする。

 

 大丈夫。

 

 さぁ、帰ろう。

 

 世界の全てが屍蝋に溶けて。

 

 それでも、深みに落ちていく最中にも。

 

 朝の光は遠く。

 

 無限の夜が迫っても。

 

 雪のように白い何かが辺りに降り積もる。

 

 少しずつ、少しずつ、その熱く自分を焦がす、冷たい結晶は増えていく。

 

 塗り潰したくても、塗り潰せない。

 

 敗北に水底へ消えて尚。

 

 まだ、其処には確かに自分を呪い、自分が求めたソレがある。

 

 結晶の中から睨まれる。

 

 絶対にお前を殺すと泣きながら、嗤いながら、身を滅ぼし続けた誰か。

 

 絶対に許さないと死を前にして尚這いずる誰か。

 

「………」

 

 そうだ。

 

 そうだった。

 

 今更に思い出す。

 

 今、この時に続いている自分が忘れていいわけも無かった。

 

 真っ直ぐに前を見て、背後に置いてきた誰もが声を上げる。

 

 それは怨嗟の時もあれば、憐憫からの慰め、救いを求める絶叫、一生懸命な笑いの事もあった。

 

 哀しい事も辛い事もあった。

 

 楽しい事も嬉しい事もあった。

 

 でも、彼らはもういない。

 

 共に朝日を迎える事は無い。

 

 その誰もに誓ったのではなかったか。

 

 全てを犠牲にしてきた自分が、涙の海と後悔の山を越えて、辿り着いた今だから。

 

 本当の己とは違う。

 

 幻にしか過ぎない自分のまま。

 

 人であるがまま。

 

 戦い続けると。

 

「………」

 

 降り積もる雪を握り締める。

 

 大丈夫。

 

 さぁ、帰ろう。

 

 誰かが言った。

 

 言ってくれた。

 

 その時、自分は何と応えたか。

 

 今ならば、言える。

 

 嬉しくて、嬉しくて、泣いてしまいそうになって、黄昏時の空の下。

 

 確かに答えを得た。

 

「行かないと」

 

 迫る闇を超えて。

 

 次の場所へと向う。

 

 剣と外套一つを携えて。

 

 まだ、自分には帰りたい場所があると気付いたから。

 

 屍蝋が己だと言うならば、これは忘れていた自分。

 

 擦り切れ掛けていた懐かしき決意。

 

「……行かないと」

 

 起き上がって、拳を握る。

 

 力の限りに目の前の屍蝋へと打ち付ける。

 

 割れない。

 

 でも、諦める必要は無いのだ。

 

 自分が魔王だと言うのならば、出来ぬ事など何も無い。

 

 全てが手遅れだと誰かが嘯いても、自分には関係ない。

 

 傲慢だろう。

 

 それでも永劫を持って繰り返せば、絶対も永遠も打ち破る事が出来るかもしれない。

 

 その可能性だけは誰にも否定させない。

 

 殴る。

 

 殴る。

 

 殴る。

 

 罅が入るまで、その先へ突き抜けるまで、終わらない。

 

 譲れない想いばかりが溢れてくる。

 

 それは幸せだと。

 

 幸せな事なのだと。

 

 分かるから、諦めなど無く、続ける。

 

 殴る。

 

 殴る。

 

 殴る。

 

 ピシッと小さな音が響く。

 

 それはやがて連続し、罅は大きくなっていく。

 

 拳が壁を突き抜け、隔てるものが崩れ去れば、その先には弦楽が響いていた。

 

 神殿。

 

 いや、何かが鎮座する其処は永劫の混沌の中枢。

 

 何も無い場所に在る彼らの巣。

 

 左右に控えるモノだけで宇宙を幾つ滅ぼすだろう。

 

 世界の果てより先。

 

 鎮座したソレが見据えてくる。

 

 普通の人間ならば、それだけで魂毎蒸発するだろう。

 

 ようやく小さな世界から飛び出した“新人”を興味深そうに見つめるソレに囁き掛けるダークエルフの少女が一人。

 

 ソレらの様子を見て、屍蝋が何と契約した末のものなのか理解した。

 

 四柱の外なる神々。

 

 それが事態を動かしてはいたが、契約そのものは……その誰かが残した制約は、五柱目の神と為されたものなのだ。

 

「悪いけど、手を引いてもらうよ」

 

 己の腰に下げられた剣を世界とソレを隔てるように突き立てる。

 

「此処から先は僕達が自分でやらなきゃならない事だから」

 

 ソレが身動きする。

 

 それだけで神殿が、列席する全ての存在が、揺らいだ。

 

「君達の手は借りない。眺めてるといい……この世界は滅びないし、これからもきっと耀き続ける」

 

 ソレが鳴動する。

 

 嗤いか。

 

 それとも怒りか。

 

 分からないが、確かに混沌の中心で騒がしい音色が響く。

 

―――マヲ~。

 

 ポムッと何かが頭の上に乗った。

 

「こんなとこまで来たの?」

 

「マーヲマヲマヲ♪」

 

 何やら偉そうに黒猫が頭部を占領している。

 

 それはどうやら凄いだろうとか、感謝してくれと言われているような感じだった。

 

「それで何か用事?」

 

「マヲ~~」

 

 黒猫が玉座の主に向けて何やら額から光球のようなものを放った。

 

 それがソレに触れて、何かが切れる音が響く。

 

「今のって……」

 

「マゥヲ~~♪」

 

「契約完了のお知らせ?」

 

「マーヲ!!」

 

 大きく頷いた黒猫は何処からそんな術式を持ってきたのか。

 

 たぶんは屍蝋化を行う経路を介した契約の根本的な解消をしたらしい。

 

 仕事は終わったとばかりにダラダラし始めた頭部の物体に苦笑せざるを得ない。

 

 何もしていなさそうで一番仕事をしているらしい相手に当分何も言えないに違いなかった。

 

「じゃ、行こうか」

 

「マゥヲゥ~~」

 

 元来た道を辿って帰る刹那。

 

 背後から声が掛かった。

 

【またね♪】

 

「それは勘弁して欲しい、かな」

 

 一歩を踏み出す。

 

 確かにそれは自分の居場所への帰還。

 

 風が吹き抜け、陽が照らし、黄昏時の紫雲が空に広がっていく。

 

 星の海に抱かれ、孤独な夜に瞳を閉じる。

 

 そんな日々よりも随分と騒がしい時間を想像する。

 

【天が七つを超えし時、大母の願いは果たされん。なれど―――】

 

 きっと、まだやるべき事は山程も残っているに違いないと苦笑しながら。

 

【―――黒の棺、目覚めし時は七つを天に還さん。天は人であるが故に………ひひひ♪】

 

 声はもう何も、聞こえなかった。

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