第三章百二十六節「取り戻した日常Ⅵ」
―――大陸西部アルヴァス亜人国新統合技術省第一研究部門。
【崩燼機械工学(ソルヴァス・クラフト)】
この国に豊かさと崩壊を齎した技術。
ゼオ家との契約により、アルヴァスは全ての【崩燼機関(ソルヴァス・エンジン)】の生産工場を停止解体した。
また、全補修保全の禁止が技術者達には言い渡され、燃料である【源理粒子(イデアル)】の供給も全て止まった。
諸外国との間にあった工業製品の貿易額は現在最盛期の10分の1以下。
仮面絶神戦争と呼ばれた事件の最終盤。
殆ど鎖国状態に近い状態となったが、それは現在も継続中であり、新時代を迎えたとも囁かれる大陸の中にあって、ようやく彼らはその所業を責められ始めていた。
廃国域を生み出した魔族隠匿の首謀者。
魔族の亜人としての受け入れ宣言を出したならず者国家。
ついでに魔王の娼婦【聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)】の本拠地たる浮遊大陸ハルトゥムを国家として承認し、彼の地への移民受け入れの出先機関が置かれたというのだから、役満である。
どう考えても人類国家に渾名す悪の枢軸。
周辺国はこの数ヶ月諸々の国家の重大事をようやく片付けつつあり、その坊主憎けりゃ袈裟まで憎いと言わんばかりの罵詈雑言が近頃何処でも飛び交っている。
が、それとは反対に反七教会勢力の雄として大陸では持て囃され。
今も周辺国からの物流封鎖に伴う転移での貿易が少しずつ増えていた。
主な取引は医療品だ。
種族の頚城を超えて、多種多様な者達が集う事となった国家において、異種、亜人、人間に対する総合医療と統一された規格やマニュアルの策定が急務とされた為である。
食糧事情は現在、回復しつつあり、工業製品の生産事情も五年で蓄積したノウハウから魔力を動力源とした新式設備の新規採用が決まって、早くも全土に新規工場の建築と生産が始まっていた。
一年後には自国内で消費される全ての工業製品を賄う事が出来るようになるだろう。
このような一連の流れの中で発足した新統合技術省は魔術と技術、叡智の粋を集めた学者と研究者の園だ。
外なる神々との事件において培われた全ての技術。
反七教会派の国々から齎された技術。
国内の魔術結社や移民してきた魔導に追い落とされた魔術師達の叡智。
この全てを一括管理し、融合を進める。
これがアルヴァス元老院の意思であり、国王からの勅命であった。
白い大理石の床には無数の意匠。
室内の壁には魔術に用いられる絵物語が溢れ。
施設内の空気は何処か清々しく甘い。
幾つかある棟の一つ。
全技術者と魔術師を統括する第一研究部門。
其処に彼らは居た。
多種多様な見た目は正しく、ごった煮だ。
白衣姿の研究者。
ローブ姿の魔術師。
異種も魔族も人間もいる。
巨大なフロアの中央。
集まった彼らは自分達の統括者たる女性研究者。
白衣の彼女を見た。
年輪が刻まれてこそいるものの。
若い頃ならば、美人だっただろう。
何処かハイダル・エス・トリアに似ている。
『皆さん。お集まり頂きありがとう。本日、今、この時より、我らアルヴァス亜人国新統合技術省第一研究部門は施設の完全な稼動と同時に全ての研究人員充足を完了しました』
その報告に歓声が上がる。
『これより我々は我が国の未来と全ての同胞の為、本格的な研究開発へと乗り出します。ですが、まずは言っておかねばなりません』
彼女がマイクをスタンドに置いて、簡易の演台の上で一歩前に出る。
「此処にいる全ての人々がこれから共に手を携えていく為の忠告です」
ざわつく事なく。
誰もが静かに女を見上げていた。
「まず、我々は種族が違う。次に出身国家が違う。また、信じる神や宗教、属する組織、派閥、共同体が違う。肉体の強靭さや特質、性別、それ以外も諸々の違いがあるでしょう」
確かに彼らには統一感というものがない。
だが、確かにその瞳に宿っている者は一緒だった。
「違う事は違うままでいいのです。次の世代がそういう問題をどう解決し、一つとしていくのか。此処はそれを考える場であり、今を生きる人々へ新たな回答を提示していくのが仕事なのですから」
女の言葉に誰もが聞き入る。
誰一人として異議を上げる者は無かった。
「私は七教会の人間でした。また、今、この演台の上で少し居心地が悪そうにしている後ろの部下の方々は七教会の研究者として生きてきました。今、私の目の前にいる方々のプロフィールを考えるなら、現在この国にとっての脅威や仮想敵と呼べる組織や共同体から此処に参加したという方も多いはずです」
何が言いたいのか。
何を言おうとしているのか。
それは誰もが分かっていた。
子供達と生き別れ、ようやく再会した彼女の部下達は……娘息子達が自由に生きていける……離れたくないと愛着を持った国家に骨を埋める覚悟で研究部門に参加している。
「相手に寛容を求めるのではなく。相手に寛容になる事から始めましょう。どうしても譲れない事があるなら、多数決で変えるのではなく、当人の改善と周囲の寛容に期待しましょう。無論、それでも駄目ならば、去る事も選択肢の一つです。ですが、覚えておいて欲しい。我々はこの国をより良くと願い此処にある。個人の目的も個人の意思も大切ですが、最大の理念をどうか大切にして欲しい。妥協を知り、打算を考え、理想を目指し、現実を受け入れ……最後に……意思を持って……我々は国家の進むべき道標となりましょう。ご清聴ありがとうございました」
ワッと盛大な拍手と先程よりも大きな歓声が上がる。
偉い人の話が終わり、司会が次々に式典のプログラムを進行。
最後には職員全体での立食式パーティーとなった。
彼女の周囲には部下と比較的若い研究者達が輪となっている。
「良かったですよ。先程の話」
初老の男がグラスを片手に彼女へそう囁く。
「いえ、説教臭かったでしょう?」
さすがに少し恥ずかしそうに笑みが零される。
「エス・トリア博士。貴女はこの国にこれから必要なものが分かっている。だから、此処の責任者に選ばれた」
「………そんな、買い被りです」
「貴女の生み出した力があってこそ、彼らはこの世界を救った。その技術にまつわる沢山の犠牲や悲劇もあったでしょう。ですが、それでも貴女は前に進む事を止めなかった。貴女の娘さんが、貴女の預けた力を使った息子さんが、彼らがいたからこそ、我々もあの異相から死んですら帰ってくる事が出来た」
大樹を用いた結界により永らえ、十年単位の時を異相で過ごしてきた白衣の者達にとって、彼女は間接的にではあるが、自分達を救ってくれた相手に違いなかった。
「感謝しているんです。彼にも彼らにも。勿論、貴女にも……我々が一度残してきた家族に会う為、大陸中央へ戻ったにも関わらず、此処に雇用されたのは貴女の説得もあったからだと聞き及んでいます。もし貴女の口添えが無ければ、我々は慣れぬ肉体労働をしているか。無駄に材料を詳しく計量する麺麭屋になっていたかもしれません」
そのジョークに周囲の者達がドッと沸いた。
それに笑みを零して、彼女も思わず口元を手で隠した。
「真面目な話。これから我々は七教会に対抗する為の力を開発する事になる。それに戸惑いや複雑な心境はあります。ですが、貴女の演説で霧は晴れました」
「そうですか。それなら、良かった……」
男が真面目な顔となる。
「……我々が異相で開発した技術。魔術結社から齎された叡智。そして、貴女の崩燼機関開発によって得られた知見。全てを重ねれば、我々は七教会や聖女様方にも匹敵する力を得られるはずだ。そんなものを生み出していいのか。今も疑問はある……しかし、我々は知っている……確かにそういった力を持つに相応しい者が七教会や聖女様方だけではないと。だから、彼らに託してみたい。七教会の語る未来ではなく。我々と貴女と彼ら……この国に住まう全ての者達と未来の為に」
「……ありがとう。その言葉、確かに胸へ留めます」
わずかにはにかんだ女に初老の男が少し照れた様子で頭を掻いた。
それに周囲からは「所長!! 再婚するんですか!!」等々の野次が飛ぶ。
そんな和気藹々とした様子の研究者達を会場の端から見ていた赤毛の猫耳青年が一人。
僅かに微笑してから、その場より歩き出す。
会場から出て回廊を進み。
その先の庁舎内部へと入った影の薄い国王様がイソイソと一室へ向かう。
途中、人と行き交う事もあったが、誰一人として彼の出自に気付く者は無かった。
会議室の一つ。
現在使用中とのプレートが下げられた白い扉を開け、内部に入った青年が其処で待っていた相手に頭を下げて対面の座席に座る。
「待たせてしまって済みません。陛下」
「余も今来たところだ。そう畏まるな。我々はどちらも国を統べる身。そう固くなる事も無い。書面では何回か遣り取りしたが、やはり……我々には近しいものがあるようだ」
エト・エイラル・エイム・イグニシア・クルシス。
片目を菫色に染めた南部大帝国の皇帝はいつものワンピースに褐色の外套という変ないでたちでテーブルの上に置かれた小麦菓子(クッキー)を齧っていた。
「あの強面の赤鬼からは粗相があってもどうかご容赦を等と暗愚扱いであったが、やはり……前国王陛下の子だけある。その力の程をどうして部下に教えてやらん?」
同じ国を統べるという身分において。
エトと青年は正反対だ。
彼女は何よりも自分を前面に立てて、全てを独裁で即決する。
片や彼は殆ど道化を演じていて、表舞台は片腕の赤鬼宗家の当主が独壇場。
互いに相手の事をそれなりに詳しく調べた彼らにとって、相手の遣り方は上手く行くのが不思議な手法に思えていた。
「僕は力があっても、人を統べる資質に欠けます。陛下よりも超越者としては上かもしれませんが、政治の手腕という点においては素人のようなもの。ドゥーズは僕が本来持っていなければならない素質、資質の全てを持っている。我が国の王家が人造のお飾りであるという事実もあります。裏方で国家を鎮護する方が向いているんですよ」
「いやはや、立派な事だ。名君になれないならば、暗愚の道化でいい、か……ふふ、まったく持って我々は正反対のようだ。だが、であるからこそ、我々は良き仲と為れるとは思わないか?」
「良き仲?」
「ああ、反七教会派の機運は事件後に更なる高まりを見せている。北部三国さえ纏まれば、七教会と本気でやり合える程度の戦力が揃えられるだろう。あの崩燼機関の叡智、魔術師の祖が齎した力、異相にて開花した星屑の可能性。これらを用いた計画は表向きと裏向き。どちらからも進めるべきだ。破壊者(ワンダリカ)……聖女の奇跡の事もある。常に歴史の目に止まらぬ者が裏で動いてくれれば、我々【聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)】も安心して戦える」
「………一つ訊ねても?」
「何だ? 余に答えられる事であれば」
「エンシェンは……エンシェンは貴女から見て、幸せそうですか?」
「あの鬼女の事か? うむ。まったく、余が妬いてしまいそうなくらいには幸せそうだぞ? 自分で見てこないのか?」
「いえ、恋破れた者にその権利は……いつか、また国に帰ってきた時。偶然に出くわした時。彼女が彼女のままなら、それでいいのです」
エトがさすがに何かを言い掛けたが、口を閉ざした。
「……あの女の事は心配するな。絶対不幸になどさせん。いや、あの大馬鹿者がさせるはずもない。だが、葉書の一枚くらいは送ってやるといい。もうすぐ、であろうからな」
「ええ」
聖女達への二人っ切りの対策会議はそれから数時間にも及んだ。
研究者達のパーティーが終わった頃。
猫耳の青年は庁舎で大勢と擦れ違ったが、やはり誰一人として彼が自らの国の国王だと気付く者は無く。
誰もかもが通り過ぎていく細いようでいて頼もしい背中を覚えてはいなかった。
*
「イクス!!」
「ティア!!」
「イクスさん!!」
「にぃさま!!」
アルヴァス・カレッジに春がやってきて早数日。
麗らかな正午の日差しの中。
少年はハルトゥムの館のラウンジで左右から詰め寄られていた。
片方には璃紗とエストリア。
片方にはナーリヤとエフィリム。
事の発端はアルヴァス組とハルトゥム組の二人が同時に食事へ誘った事に始まる。
毎日、交互にという事で決着は付いていたのだが、それ以外の一人で食べたい時もある、という少年のプライベート宣言でどちらの日でもない時があるのだ。
そういう時は気分次第という言質を取った女性陣は各陣営から二人くらい選んで少年を引っ張ってくる為の文句を与えるのが常だ。
本日の殺し文句はアルヴァス側「今日はイクスの好きなお魚だよ!!」に対してハルトゥム側「にぃさまはゆでむぎはですから」だった。
じゃあ、どちらも持ち寄って食べればいいじゃないと日寄った発言をしてしまった少年は現在、ラウンジの中央で味見と称した「あ~ん」大会を開催されてしまっている。
だが、どちらも美味しい。
甲乙付け難し的にまた無難な事を言った少年に……四人は同じようなジト目を向けて詰め寄っているわけである。
「イクスさんの日和見主義者!!」
「イクスはいい加減、決める人になるべきだと思うわ!!」
「ナーリヤお姉さん!! 来るの!!」
「にぃさまはきてくれます。えーねもそうおもっているそうです」
少女達に愛されて幸せだと感じるのにも時と場所と場合がある。
TPOは親しき仲にもあるべきだが、基本的に流されまくりの少年は困った笑みに汗を浮かべていた。
「えっと、とりあえずどっちも美味しかったから、今日はこの辺で……」
ガシィッと左右から腕が掴まれる。
獲物を狙った肉食動物よろしく少女達が少年を逃がすわけも無かった。
どうやら万事休す。
このまま、昼間は少女達に左右から不満と愚痴を聞かされコース。
そう諦めかけた時。
少年の肉体を燐光が包み込み。
一瞬にして転移させた。
ヒュンと跳んだ場所の虚空から地面に降り立った少年ははて此処は何処だろうかと辺りを見回す。
すると、其処には黒猫がいた。
「えっと、何か用?」
「……マヲー」
何やらいつもなら速攻頭に飛びついてくるはずの物体が静かだった。
それどころか。
何処か憂鬱そうな声で屋根の上で不貞寝し始める。
「何か悪いものでも食べたとか?」
少年が屋敷の屋根に腰掛け。
下で「何処に行ったんですかイクスさ~~ん!?」やら「イクス逃げたの!?」やら「ナーリヤ……置いてかれた?!!」やら「にぃさまのそうさくたいをただちにへんせいするようぼうえいぶたいにれんらくを」やら、大変な事になっている状況に汗を浮かべつつ訊ねる。
「マゥヲー(棒)」
「ナンデモナイヨー(棒)?」
一応、言葉は分かるわけだが、それにしてもやる気が感じられない。
何かあったのだろうかと黒猫の頭から背中を撫でていると背後から声が掛かった。
「クオー!!」
グニュッ。
何やら柔らかいものが頭の上にベッタリとへばり付く。
「マヲン?」
僅かに視線を上に向けた少年が両手でヒョイと頭部の相手を捕まえて前に持ってくる。
「クゥ~~~♪」
其処には白猫がいた。
「……本当に猫になるの教えてもらったんだ……」
黒猫が「ケッ」とでも言いたげに拗ねた様子で顔を明後日の方向に逸らした。
どうやら、やさぐれているのは猫属性の姉が出来てしまった事への反駁からであるらしい。
頭の上を占領するのは自分だけの特権と思っていた節のある黒猫にしてみれば、白猫の出現はアイデンティティーに関わる重要な問題なのかもしれなかった。
あざとく可愛い子猫が二匹。
どちらからもベッタリ頭に爪を立てられる悪夢を想像して、さすがの少年の顔も引き攣る。
「え、えっと……それでマヲンはどうしたいの? その姿になって」
「?」
何を言っているのだろうと首を傾げられた後。
手の中からサッと脱出した白猫は少年の頭に乗って「クオ~~クヲ♪」と満喫した様子となる。
何やら姉と頭部を睨む黒猫の視線は怖い。
一言で言うなら、白いのはどんなやつでもやっぱり敵!!と言ったところだろう。
「マ、マヲヲーッッ!!!」
どうやら我慢出来なくなったらしく。
黒猫が瞬間の転移で白猫を押しのけ頭部を半分占領した。
「クオ?! クックオクオ!?」
「マヲヲ!! マヲヲヲー!!」
何やら言い合いが始まる。
傍目から見れば、白と黒の兄弟、否……姉妹の子猫が頭部の上でじゃれあっているような、ほんわか癒され系の図にしか見えないだろうが、仮にも彼女達はクラウゼン公爵家の擁する究極生物だ。
じゃれ合いと言いつつ、ドゴォッと風音のする猫パンチの応酬は館一つ分の体積を消し飛ばす威力が在ったり無かったりする。
かなり止めて欲しいわけだが、少年の頭上では小規模に見えて、実際凝集魔力的に家が吹き飛ぶレベルの魔力弾の撃ち合いも始まり、打撃戦が激しさを増していく。
身体の強い白猫有利かと思われたが、あの一年でそれなりに成長したらしく。
黒猫も姉対策をしていたのか。
両者の殴り合いは拮抗していた。
決着は昼飯時が終わる頃になるだろう。
しかし、それよりも早く館の下から声が掛かる。
『主様~~』
「あ、呼んでるみたいだから、悪いけど後でね」
「クオ?!」
「マヲ?!」
咄嗟に少年が頭を引っ込め。
その場から離脱し、動魔術で身体を浮遊させて玄関先へと下りる。
すると、其処にいたのは郵便配達員みたいな恰好をした人馬。
シュレディナだった。
その馬の下半身の先。
尻尾が狗もかくやという速度で振られ、小走りで近付いてきた彼女はキュッと少年を抱き締めた。
「主様。ただいま戻りました」
「うん。お帰り。シュレディナ……」
「ぁあ、主様……主様にこうしているとホッとします。シュレディナは主様にこれからもお仕えしますから、ずっとお傍に置いて下さいね」
「それは、うん……これからもよろしくね」
「はい!!」
その溌剌としながらも僅かに潤んだ瞳がニコリを微笑み。
一つ縛りにした栗色の長髪が揺れる。
「それで何か届け物?」
「はい!! 主様に紅亜様の妹様からです」
「それって……」
少年が一枚の手紙を受け取ると。
シュレディナはペコリとお辞儀をしてから気を使ってかラウンジのある玄関へと入っていった。
東部の魔術。
陰陽の呪で【封】と掻かれた封筒の蝋を剥がすと中から何の変哲も無い便箋が数枚出てきた。
その紅亜の妹である青い嵐の名を持つ少女からの手紙に目を通し始めた少年の背後。
玄関先では他の少女達に今は静かにするよう言い聞かせるシュレディナの姿がある。
「………始まりの聖女………」
少年がハルトゥムの館から北側の空を見上げる。
日常に届いた一通の手紙。
その最中に書かれた言葉を反芻しながら、少年はこれから何かが起きるだろう大陸の果てを、嘗て歩いた国々の事を思い出し、瞳を閉じて胸に手を当てた。
ハルトゥムは元々が北部の国の一部。
確かに因縁があるのだ。
それはきっと、これから新たな波になる。
そう少年は何故か感じていた。
「クゥ~~~ヲ~~~~!!!」
「マゥ~~~ヲ~~~~!!!」
ドゴォオオオオオオオオオオオオオッと。
館の上空で花火にして過激な火花が咲き乱れる。
大陸の住人達には魔術の実験をしている旨が情報操作よろしく教えられる事になるが、それは夕暮れ時の話。
とりあえず。
我慢出来なくなった少女達が飛び掛らんばかりのウズウズした顔で背後へ迫っている事にまだ少年は気付けていなかった。
*
ハルトゥムで本日も少女達との日常を少年が謳歌している頃。
ハガスが要する裾野の一角。
都市再開発の波が再び押し寄せつつある荒野との境界で。
黴の生えた魔術師ルックな青年。
アーギスト・エス・トリアがイソイソと一人で地面に手に持った皮袋から透明な粒子を零しつつ歩いていた。
グルグルと一定の空間を忙しなく行き交っている彼の足元には大きな7m程の魔術方陣が描き出されている。
足が止まり。
その外へと出た途端。
地下から引いた地脈型の魔力が立ち上り、陣内部を暗闇で満たしていく。
それを外から覘き込んで観察したアーギストが僅かに片眉を上げた。
「………やはり、異相が殆ど消えたせいか」
暗闇の中。
彼の目に見えていたのは遠くの景色だ。
簡単に言えば、異相の果ての光景。
其処に蠢く有象無象。
黒き翼や異形の者達。
要は魔族達の様子に青年は溜息を吐いた。
(このままだとそう長くないな。殆どの空間が次元境界域に接していて、小物は出て来難くなってるが、逆に一定の空間が開いている場所は素通り出来る状態。大陸北部……この様子だとこれから荒れそうだな)
腕が軽く横へ振られると陣が消滅して跡形も無く消え去る。
荒野から何の準備も無しにフッと転移の燐光を残して消えた彼が次に現れたのはハガスの中でも大働きをしたと認められて私有地が六割り増しくらいに増えた蟲人の家。
要は親友の実家の裏手だった。
傾斜地に再建された館は新しい。
彼がペコリと裏庭側へ頭を下げると老人がヒラヒラと片手を振ってすぐ室内へと戻っていった。
其処にはどうやら客人がいるらしく。
女物らしい香水の匂いが遠くにいるにも関わらず僅かに香った。
裏手は魔術で急速に生やされた竹林となっている。
その中の石畳を敷かれた小道を歩いていくと。
周囲20m程を囲む平地があった。
剥き出しの地面には草一本生えておらず。
その中央では銀緑の髪をした大男。
アーギスト唯一の友人と言っていいだろう彼。
ジルムス・デダルが人差し指一本で倒立しつつ、瞳を閉じていた。
眠っているようにも見える程に静かな様子は他の誰かが見たら異様だと思うだろう。
しかし、青年にしてみれば、精神修養ご苦労様と言ったところか。
「来たぞ」
「……集中、乱れたんだが」
背後から声を掛けられたジルムスが天地上下を戻して立ち上がり、ゲッソリした様子でどかりとその場で胡坐を掻いた。
「お前の集中力は短期型だ。長期の集中は可能だろうが、短時間で更に集中出来るよう鍛錬した方がいいんじゃないか?」
「……そういうのは早めに言ってくれ」
「まさか、気付いてなかったのか?」
呆れた様子の青年にジルムスが肩を竦めた。
「事件が終わってからこっち修行してたが、ジジイは色ボケて家に娼婦連れ込むわ。あの歳で今更ちょっと重婚してくるとか言い出すわ。とにかく雑念しかない数ヶ月だったんでな。一人で篭ってるってのに毎日、青春を取り戻したみてぇな様子で家の方から騒音が聞こえてきたら、何を気付くことも無いと思わないか?」
かなり切実に喧嘩上等を標榜する無敵番長が頭を垂れる。
「お、お前も大変だったようだな」
「まぁ、いい。それでどうだった?」
「ああ、お前の言っていた通りだ」
「やっぱりか。あの事件の最後、かなり遠かったが一瞬だけ魔族の大群がジゲンキョウカイイキ、だったか? あれの近くに見えたのは幻じゃなかったわけだ」
「それにしても何で今更になって言い出した?」
「忘れてたんだよ。オレ達があの野郎の事を忘れて思い出した時に思い出さなかった」
「そういう事か。記憶の繋がりが薄弱化してたんだろう。どうやらユアン・クオの力は奪う事に特化していたようだからな」
「で、このままだとどうなる?」
「確実に大陸と戦争だ。ついでに言えば、舞台は大陸北部だな」
「野郎の傍にいる連中へ教えておいた方がいいんじゃねぇのか?」
「ああ、これから伝えに行く」
「そうか。なら、オレはまた修行だな」
「………鍛えるの手伝ってやろうか?」
「それは魔術師としてか?」
「あの一件でこっちも色々あったからな。聖女とやりあった経験と高みに上った自分ってのを味わった結果。今なら主神級ともいい勝負が出来るようになった。具体的に言うとお前の鍛錬の時間を増やしてやれる」
「増やせるってのはどういう意味だ?」
「呑まず食わず。ぶっ続けで十年くらいの鍛錬を数日で出来るぞ。まぁ、肉体の状況は変わらないが精神修養は可能だ。心が疲弊したら自分で止められるようにもしてやれる」
「それ確実に心が老けるだろ……」
「やらないのか?」
「やらねぇ。というか。それ先進国で年月の長い懲役刑に使う術じゃねぇか?」
「ああ、あれは基本的に一日で百年とか千年とかだが、こっちは単純にいつでも止められるし、精神修養の結果も反映されるという点で違う」
「……その時点でオレの心が老けるのは確定だよな」
「強くなりたいんじゃなかったのか?」
「強くは在りたいが、なりたいわけじゃねぇんだ。今の自分がどうしたところで聖女クラスに勝てる見込みが無ぇのは分かってるからな。ただ、あの事件で心ってやつは鍛えようと思った。野郎程ではなくてもな」
「そうか……なら、別の方法で強くなってみないか?」
「別の方法?」
「これからさっきの情報を伝えに行くんだが、彼女達に一つ提案してみようと思っている事がある」
「提案だと?」
「ああ、北部の調査だ。どれくらいの期間になるかは分からないが、異相調査も含めて危険で過酷なものになるはずだ」
「……乗った」
「まだ、決まったわけじゃないがな」
「誰もやらないなら、自分でやる気だろ?」
「勿論」
「なら、オレが付いていくのも構わねぇな?」
「無論」
アーギストとジルムスが同じタイミングで拳を相手に突き出し、ゴツリと中央で重なった。
「行こうか。相棒」
「任せたぜ。相棒」
クツクツと男達が笑い始めたのを竹林の中で見ていた老人が何も言わず僅かに唇の端を吊り上げただけで家の方へと戻っていく。
その日、ハルトゥムに持ち込まれた北部調査の懸案はただちに関係者間で共有され。
数日後にはアルヴァス亜人国主体の小部隊数人が出発する事となる。
彼らの中に二人の若者がいる事をこの時、まだ彼らの親族の誰一人として予想出来てはいなかった。