※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

236 / 318
第三章百二十八節

第三章百二十八節「取り戻した日常Ⅷ」

 

 本日貸し切りにより閉館-月兎亭-。

 

 そんな張り紙が早くも業務を再開して数ヶ月経った娼館の正門にされていた。

 

 再建されたばかりの建物は何処も小奇麗に掃除されており、手入れが行き届いている。

 

 小門を潜れば、広い庭の先に館の正面玄関が見えて。

 

 左右にズラリと娼館の主役達が女給姿で待っていた。

 

『お帰りなさいませ。ご主人様』

 

「え?」

 

 目と鼻の先まで来た時。

 

 一斉に掛かった声に思わず目を瞬かせた少年に右側から苦笑が零される。

 

「あ、気にしないで。新しい接客業の一環なんだ。近頃のお客さんには名前よりもこっちで呼んで欲しい人も多いらしくて」

 

「あ、サイカ!!」

 

 パタパタと少し小走りで璃社が耳の長い【賢兎(レポレム)】の少年の傍へと寄っていく。

 

「久しぶり、じゃないね。あはは、毎日見てるし」

 

「うん。でも、此処で会うのは久しぶりだわ」

 

 頭を撫でられて擽ったそうに身を捩った璃紗が目を細めた。

 

「サイカ。今日はどうしたの? いつもは奥で決済してる事が多いのに」

 

「ああ、家もね。そろそろ店仕舞いらしくて。お客さんに付いて行く子の送り出しが終わったから、今は暇なんだ」

 

「え……」

 

 初耳の話に思わず璃紗も少年も思わず目を丸くする。

 

「どういう事なの!?」

 

「ああ、元老院が近代化モドキな政策を進めたいからって、ウチへの援助を打ち切ってね。その代わり、新しい職に就く場合は優先的に支援してくれるって話なんだ。で、お客の人が見受けしたいって言ってくれる子は今さっき全員、お嫁に行って貰った。ちょっと、泣いちゃったよ」

 

 あははと明るく振舞うサイカの様子に「どうして呼んでくれなかったの?!」という璃紗の言葉が口内でシオシオと萎んだ。

 

「別に除け者したわけじゃないんだ。彼女達の住む家は例え時が過ぎてもこの月兎亭さ。ただ、此処も再開発って事で立ち退かなきゃならなくなって。今、次の物件を探してる最中なんだ」

 

「………サイカ。みんなは幸せそうだったの?」

 

「ああ、勿論!! 僕が見受け先の全員と面接して、背後関係を国家機関とウチと伝手のあるギルドに頼って資金面や国家的な法制面で安全が確保されたと確信出来る場合だけにしたから」

 

「うん。そっか……サイカがそう言うなら、きっとみんな幸せになれるよね?」

 

「いいや、それは本人達次第だ。もう彼女達はウチから巣立った。そこから先は此処で学んだ事が活かせるかどうか。そんなの僕が疑うわけないじゃない」

 

「サイカ。無理してない?」

 

「無理はしてる。してるよ。でも、残った全員の人生を僕が背負ってるんだ。笑わないとね」

 

「……サイカ。昔より強くなったみたい」

 

「身体はヒョロヒョロだよ?」

 

「イクスの次くらいに恰好良いと思う」

 

「彼と比べられたら、さすがに、ね」

 

「あはは……君程立派な男を早々知らないよ。僕も」

 

 少年が言えば、友人たる長耳はポリポリと恥ずかしそうに頬を掻いた。

 

「それで次の場所は決まってないの?」

 

「ああ、此処も何かと秘密が多かったから、無くなってくれた方がいいと思う人もいるだろうって話で……少し前途多難かも……」

 

 サイカの言葉を聞いていた少年が僅かに考え込んでから、こう訊ねた。

 

「ウチに来る?」

 

「ウチって……もしかして」

 

 その言葉の意味を璃紗が逸早く理解し、パッと顔を耀かせた。

 

「ハルトゥムかい?」

 

「うん。土地だけは余ってるって話だから」

 

「君がよく実家に帰ってるって璃紗からは聞いてたけど、そんな簡単に言っていいのかい?」

 

「一応、僕の所有物って事になるから」

 

「へ?」

 

「あ、イクス?!」

 

「あ……」

 

「所有物って………そうか。君が……あはは……まさか、僕の友人。いや、親友が魔王様だったとは……魔王の館……聖娼館ハルトゥム……まさしく本場へのご招待だね」

 

 思わず少年の口を両手でペチャリと押さえようとした璃紗だったが、自分の友人にして兄のような存在であるサイカの発言に固まっていた。

 

「……サイカ。怒らないの?」

 

「怒る? どうしてだい?」

 

「だって、イクスは……」

 

「ああ、みんなの意見を聞くべきだとは思うけど。別に問題ないさ。元々、魔王は娼婦の間じゃ色々と伝説もあるし、歴史的にも僕らの職種に貢献してくれてる。この大陸で唯一魔王に好意的な職業があるとしたら、七教会と娼婦だってのは業界じゃ笑い話だしね。七教会は魔王がいなきゃ成り立たない。娼婦は魔王がいなきゃ、未だに大陸全土で奴隷扱いだったかもしれない」

 

「どういう事?」

 

「それは君のご主人様が一番良く知ってる」

 

『そうなの?』と璃紗が少年を見上げた。

 

「いや、まぁ……昔色々と……」

 

「月兎亭は旧い娼館だけど。魔王が大陸全体の娼婦達に影響を及ぼす前と後じゃ扱いも色々と違うんだ。ベルン辺りなら詳しく教えてくれるよ。ま、聞く前に璃紗は身受けされちゃったから、知らないだろうけどね」

 

「イクスは何をしたの?」

 

 少年はポリポリと頬を掻いた。

 

「昔、北部で娼婦の子達と知り合いになって……それ以来、大きな私娼窟とかで色々教えてたんだ……時々はそういう国のお偉方を脅したりして……近頃はみんな七教会がやってくれてるから、この二十年くらいはやってないけど」

 

 そこで正面玄関の扉が開いた。

 

「イクス様」

 

「ああ、ベルン。こっちこっち」

 

 サイカが呼ぶとすぐに首筋に鰓を持つ蒼い髪の少女が近くまでやってくる。

 

「すみませんでした」

 

 頭を下げるベルンの横でサイカが「まぁ、許してやって欲しい」と微笑む。

 

「今まで泣いてたんだよ。仲間が一杯巣立っていくからさ」

 

「お、お坊ちゃま?!」

 

「ほら、化粧が少し今日は厚いだろ?」

 

「あ、ホントだ」

 

 思わずベルンの顔を見て呟いた璃紗が本人からギロリと睨まれて、思わず口を塞いで少年の背後へと隠れる。

 

「すみません……」

 

「いや、別に謝られるような事はされてないから、そんなに畏まらなくても」

 

「それで今丁度話してたんだ。この月兎亭の事を……それでなんだけど、どうやらイクスがハルトゥムに土地を用意してくれるらしい。色々国内での再出発はゴタゴタしてどうなるか分からないだろ? だから、お世話になろうかと思ってるんだけど。どう思う? ベルン」

 

「イクス様が?」

 

「一応、所有者だから」

 

 それを聞いて、ベルンは頷いた。

 

「よろしいと思います。仲間は全員、大陸全土に散らばりました。奥様は元々、もう引退しておられます。全てはお坊ちゃま……いえ、サイカ様の一声でしょう。ハルトゥムはこの数十年の話を聞く限り、大陸各地を回遊しているとか。今はこの地に留まっていますが、月兎亭が共に在れば、各地へ会いに行くのも可能なはず。それに……」

 

「それに?」

 

 璃紗が少年の背中から僅かに顔を出して訊ねる。

 

「此処にいる誰も七教会の世話になった事はありません。また、主人となるべきお方は見付かってもいない。その上、娼婦としての生き方を変える事がまだ出来ない子ばかりです……月兎亭の現状は国の支援が確約されているとはいえ、主に私のせいでよくありません……各家の秘密を握ってしまっている私がいる限り、国内での営業も覚束ないかもしれない。それを思えば……」

 

 コクリとサイカがその意見に頷く。

 

「じゃあ、本決まりではないけれど。それで元老院には掛け合ってみよう。まぁ、友好国に移転するって考えれば、然して大そうな話じゃないさ。僕も友人が国主様となれば、心強いしね」

 

 少年が逞しい兎と人魚、二人の言葉に頷く。

 

「それじゃあ、こっちは後で話を通しておくから」

 

「分かった。長話になっちゃったね。ベルン。後はよろしく。こっちは残務を片付けてくるよ」

 

「はい。では、お二人ともご案内致します」

 

 館の裏手にそう言って消えていく主を見送って、人魚の少女が二人を先導する。

 

「本日は貸し切りとなっております。愉しまれるのでしたら、何処でも可能ですが。どうなさいますか?」

 

 先日、エストリアと来た時は不断に大人の玩具が用意されていたが、それはそういうのが実は好きなエストリア向けであって、また別の趣向を月兎亭が用意する事は簡単だろう。

 

 だが、大浴場は誰かと来る時は大抵使っていたし、部屋もそれなりに回ったのは自明。

 

 そう言える程度には少年は利用回数的に常連だ。

 

「あ、イクス……えっとね」

 

 璃紗が正面階段の前でどうしようかと考えていた少年の耳元に何やらヒソヒソと呟く。

 

「………璃紗はそういうのがいいの?」

 

「ち、違うの!? 璃紗が幸せだよって、その……みんなに……」

 

「?」

 

 ベルンが二人の様子に首を傾げていると。

 

 少年は少女の想いを汲み取って、そっとベルンに耳打ちした。

 

「―――そうですか。璃紗もそういう年頃……いえ、過去にもそういう趣向の方はいましたし、これからお世話になるイクス様の事をよく知りたいと思う子も多いでしょう。分かりました。では、それ用の部屋もありますので。そちらに……」

 

「あるんだ……」

 

「ええ、此処は娼館ですから……」

 

 思わず少年がそう呟くと人魚の少女は薄っすらと妖しく笑んだ。

 

 *

 

―――大陸中央聖凱王都アルヴィッツ七教会本部第一聖堂礼拝室。

 

 包帯塗れで顔もロクに分からない男と女と老人が十畳程の礼拝室の中。

 

 長椅子に三人仲良く座らされていた。

 

 無論、何かの罰ではない。

 

 だが、それに等しいという事はその歳で“座らされている”事からも明らかだ。

 

 まぁ、しょうがないだろう。

 

 三騎将と呼ばれ始めてから初めての大失態。

 

 ついでに部下達は半死半生で療養中。

 

 安定してはいたが、未だ安静にしていなければ、異相において受けた外神からの影響が出て、どうなるか分かったものではないという状況。

 

 最大の汚点は聖女の失踪を止められず。

 

 また、その手掛かりすらも掴めていなかった事である。

 

 これで責められない方がどうかしているわけだが、そんな生易しい“責める”なんて話は個人の呵責を軽くしてしまうという事で彼らを痛罵する者もない。

 

「ふぅ。この歳で廊下に経たされる学生気分を味わえるとは……また若返ってしまいそうだ」

 

「ソレ、間違ってもマディクトの前で言わないでよ? 一日中あいつの正しい精神攻撃(わるぐち)とか聞きたくないから」

 

「………待たされるってのは案外辛いもんだな」

 

「穴を掘って埋めさせられるよりはマシな嫌味じゃろう」

 

 男が溜息を吐き。

 

 老人が肩を竦め。

 

 女は胡乱な視線で天井を見上げた。

 

 そんな微妙な空気の中。

 

 奥にある扉が開いて、小礼拝室の演台の前に頭のツルリとした壮年。

 

 フルー・バレッサのお付にして七教会最大の文官。

 

 マディクト・ナシエがやってきた。

 

 聖女からツルぴかと呼ばれて久しい彼は現在、あの大事件後の後始末に追われており、一日15分の睡眠で数ヶ月間働き詰めであるらしい。

 

 それと言うのも七聖女の大量失踪から来る士気の低下のケアや情報統制、各地の支部、師団の統括と再配備諸々をトップダウンで全て処理しているからだ。

 

 その仕事量は並みの超人なら知恵熱と過労で倒れている事だろう。

 

 優秀な部下や独自に様々な案件を処理してくれる部下がいて、尚仕事量が膨大過ぎるのだ。

 

 現在、七教会が把握している限り、ハティア、ソィラ、クラル、ユアン、メルフの5人は行方不明。

 

 無事なのは大海洋において仕事をしていたミュルトのみでフルーは心身共に重症を負っており、治療中である。

 

 この国難どころか星難の時において、七教会の最大戦力が軒並みいないというのは人心掌握の点においてまったく頂けない状況なのは言うまでもないだろう。

 

 ミュルトは元来が政治向きではなく。

 

 フルーは指示を出せるまでに回復していない。

 

 となれば、屋台骨の重圧は全て、目の前のつるっ禿げ壮年に掛かっている事になる。

 

「大変そうね」

 

「ええ、誰かさん達のせいで睡眠時間が本日10分になりましたが、聖女様方が帰ってくるまでは持たせるつもりです」

 

「現代病理を一身に背負っているのがヘルスだの健康だの説かなければならん七教会のトップとは皮肉が利いとるな。うむ」

 

「それ以上剥げる事も無いだろうし、ま……聖女様方が帰ってくるまでゆっくりやれや」

 

 三人のいつも通りの様子に溜息を一つ。

 

 嫌味を言う気力も勿体無いとマディクトは指で演台の一部を軽く叩いた。

 

 その途端に室内が完全な暗闇に閉ざされる。

 

 防音、防光、防諜、諸々の魔術とフルーの技術による複合的な外界からの隔絶だ。

 

 そして、マディクトの背後。

 

 本来ならばハティアをモチーフにした聖母子の聖硝子(イコン)がある壁に映像が映し出された。

 

 それは大陸と惑星、星系の3D式のマップだった。

 

「ある程度の予想と観測が終わりました。結果だけを端的にお伝えします」

 

 マディクトが眼鏡を外して大きく息を付いた。

 

「まず、ソィラ様ですが、過去への時空転移の可能性を鑑みて、調査を進めた結果……」

 

「結果?」

 

 女の声にマディクトの背後で大陸の北部に光の点が穿たれる。

 

「北部三国の何処かの地層に埋まっているらしき事が判明しました」

 

「埋まってるってなんだよ。埋まってるって」

 

 男の疑問に壮年は何とも表現し難い微妙な顔となる。

 

「十六万三千年程前の石版に……しばらく、美味しいお酒飲んでから帰ると私宛のメッセージが記されていました。現代の大陸標準言語で」

 

「じゅ―――」

 

 さすがに唖然とした様子となった女が思わず言葉を失う。

 

「古代考古学の権威達がこの数ヶ月で掘り出した代物です。ついでに場所は大雑把に北部の何処かだと記されており、年代と出土場所と美味しい酒というヒントから亜人集落に残る太古の言い伝えなどを諸々検証した結果。北部三国の場所辺りに埋まっているとの結論が出ました」

 

「……あのさぁ」

 

 男がもはやいつもの口調も忘れて、うわばみ聖女のいい加減過ぎて付いていけない状況に額へ片手を当てた。

 

「言いたい事は分かりますが、黙って聞くように。美味しい酒というのはたぶん太古の異種達が嗜んでいた【霊酒(ソーマ)】の類だと推測されています。原料となる植物はもう既に人類の歴史が始まった五千年前には滅び去っており、地層から化石が発掘されるだけに留まりますが、当時の亜人達が台頭した時代にはまだあったと仮定されている。昔呑んだ事があるという魔族に訊ねたところ、色々な生命を保存するに適した薬の類だったらしく。精神までも完全な状態で残っているだろうとの事です」

 

「「「………まぁ、ソィラ様なら」」」

 

 三者の声が揃った。

 

 それくらいはいつもの事だ。

 

 さすがに今回は怖ろしく遠過ぎる過去に飛ばされたとは思うものの。

 

 まだ、帰還の見込みがあるだけマシだろう。

 

「次にクラル様ですが、観測部門がやってくれました。因果律導線から宇宙の終わり辺りまで光学とその他諸々魔術と技術のあわせ技で観測した結果。こちらもやはり大陸標準言語で「もうすぐ帰る。天使は使うな」という“星座”が確認されました」

 

 壁に大陸標準言語の星座がザックリと表示される。

 

「………あのさぁ……」

 

 男が更にゲッソリした表情となっていた。

 

「言いたい事は分かりますが、黙って聞いて下さい。どうやら、クラル様は宇宙の果て。要は外なる神々の領域からの帰還途中であると考えられます。まだ、その先を既存の技術で完全に観測する事は出来ませんが、どうやら宇宙の外で小競り合いをしながら、帰っているという状況のようです。時間は掛かるでしょうが、十年以内には戻ってくるだろうと星読み系の人材から報告は上がっています。星座は見つけ易いように我々の本星から見える位置に……と言っても390億光年程先ですが……置かれていました。あの方の事です。魔術で適当にサイン気分でやったと思われます」

 

「それ……どうやって文章作ってるんだ?」

 

「○はブラックホール。線は中性子星の粒子線バースト。曲線は恒星の超新星爆発の半径だとの事です。それが現象の途中で“固定”されており、不自然過ぎる星座扱いの大規模事象として本日、大陸の星座学会に登録されました」

 

「宇宙弄り過ぎ、時間戻り過ぎ……常識って大事だよな。こういう時だけオレ達が一般人面するのも何だが……」

 

 男の言葉に老人と女はさすがに視線を逸らした。

 

 同意見である事は疑いようも無いが、一応は上司の手前、自重した形である。

 

「ユアン様とメルフ様に付いては現在、調査中ですが、たぶんは人為的に情報が隠蔽されていると見るべきです。総館長N……彼に聞いてみましたが、情報の完全な途絶。奇跡かそれに類する類の魔術が因果律レベルで働いており、弄ると元に戻せなくなるのでお勧めしないと言われました」

 

「………どうなってるのかは正しく本人達のみぞ知る、か。だが、これは個人としての考えじゃが、たぶんそう遠くない未来に姿を現されると思うぞ」

 

 老人がマディクトに意見する。

 

「そう思う理由は?」

 

「お二人が死ぬのを想像出来ん。そもそもどちらの奇跡も使い方によっては“絶対”の域じゃろう。同化然り。検閲然り」

 

「それは同意見ではありますが……お二人に付いては今後も随時、因果律を追ってくれるよう【叙事詩機関(エピコス)】側には働きかけておきました。続報を待てというところでしょう」

 

「で? 最後のハティア様に付いてはどうなんだ?」

 

「………」

 

 マディクトの沈黙に三人がようやく本題かと僅かに顔を引き締めた。

 

「何か心配事? 貴方がそんな顔するなんて、フルー様の事以外じゃ始めてじゃないかしら?」

 

 女の言葉に頷きが返される。

 

「ハティア様に付いてですが、因果律の検索から分かった事だけを言えば、もう居場所は割れています」

 

「良かったじゃねぇか。迎えに行ったのか?」

 

「迎えに行けないどころか。手出し出来ない場所でどうやら囚われているようで」

 

「手出し出来ないとは?」

 

 老人の言葉にマディクトの背後で大陸北部にある一つの国が浮かび上がる。

 

「ベリアステル内で何かしらの処置をされて、現在は御自分の事をたぶん……何も分からない状態で過ごされていると予測されます」

 

 三人が事の深刻さに気付いて、さすがに瞳を細めた。

 

「ベリアステルの国内か。厄介じゃのう」

 

「どうすんのよ? あそこは……反七教会派に入ってる上、こっちの常識なんて通用しないのよ?」

 

「まさかとは思うが……捕まえてる奴は……」

 

 マディクトが頷く。

 

「ええ、今思い浮かんだ人物で間違いありません」

 

 それに三者が本気で苦い顔をする。

 

「魔王とあの魔術師の祖を除けば、三番目に厄介な奴じゃないのよ」

 

 女が愚痴る。

 

「初めて七教会から仕掛ける戦争となるかもしれんな……ああ、まったく老体に鞭打つ未来しか見えないとは長生きも中々考えものか」

 

 老人が肩を回した。

 

「現実的にオレ達じゃ役不足だぞ。メルフ様とこっちの戦力全部乗せれば行けるか?」

 

 男が考え込んだ様子でムスッと思考に沈む。

 

「現在、あらゆる外交的努力によって働き掛けていますが、こちらとベリアステルの確執は知っての通り。辛うじて糸が一本繋がっているとすれば、ハティア様の教え子の方々があちらに帰国している事ですか」

 

 その壮年の語る希望に三者共に難しい顔となった。

 

「あの三人娘か」

 

「確か、あのお嬢ちゃん達は娘さんと一緒に帰ったはずだが……さて、そもそも繋ぎが取れるのかが問題じゃろ」

 

「あの子達が最後の希望ってわけね」

 

 彼らの様子にマディクトが更に続ける。

 

「まだ、最後の希望とするのは気が早いと申し上げておきます。一応、こちらも打てる手は打っている。彼に貸しを作る事になりましたが……」

 

「彼?」

 

 女の問いに少しだけ自分の力不足を悔いるような表情で呟きが零される。

 

「アルヴィッツの獅子は未だ健在。そういう事です」

 

 その言葉の終わりと共に礼拝室には再び穏やかな日差しが戻り。

 

 壮年は時間が来たと何も言わずに再び奥の扉の中へすごすごと去っていった。

 

「……あのジジイが出てくるって事は本気だな」

 

「マディクトがまさか、あの男に頼る事になるとは……運命とは皮肉なもんじゃのう」

 

「運命なんて無いわよ。あの老人が仕組んだって言われても、すんなり受け入れられるくらいには……この世界のフィクサーじゃない」

 

「陰謀論者辺りが一番的を射ていたりもする。さて、これから大陸は更に荒れるのは必定。ああ、あいつの剥げが眉に伝染するのも時間の問題かもしれんな」

 

「胃薬ならフルー様謹製のを使ってるだろ。一錠で数時間も持たないだろうがな」

 

「世界一忙しい男と世界一慕われる男。さて、勝つのはどちらか。いやはや、人生とは本当に何があるか分からないもんじゃ……」

 

 彼らがよっこらせと包帯塗れのまま立ち上がり、イソイソと礼拝室を後にする。

 

 扉が閉まり、誰もいなくなった室内で静かに唸るような声がした。

 

『んぅ~~ぼかぁ相変わらず運てやつに嫌われてるなぁ。ようやく情報を掴んだと思ったら、ハティアは彼女の元か。道理でこの数ヶ月見付からなかったわけだ。まぁ、それならそれでやりようもある。愛しの聖女様の為だ。彼女とは出来る限り、敵対したくなかったが……渦中に飛び込んでいくのもまた一興。久しぶりに長期のフィールドワークと洒落込もう』

 

 宇宙樹の意匠を縫い込まれた古びれた外套。

 

 眼鏡がキラリと光って、長椅子に今の今まで座っていた四十代の研究者のようにも見える男がパチリと指を弾く。

 

 すると、周囲が再び黒く染まって外界から隔絶された。

 

 七教会本部に悠々と侵入していた魔術師の祖。

 

 ドクトル・ファウストゥス。

 

 今も逃亡者である事に変わりないはずの男は七聖女達の留守を良い事に諜報活動に勤しんでいたのである。

 

 まるで指揮棒でも振るかのように指先を奔らせれば、虚空には輝く方陣が描き出されていく。

 

 その合間にも男の長椅子の横には一人、二人、三人、四人と巨大な虹色の魔力のカーテンに包まれた人型が次々に現れて、畏まった様子で片膝を折った。

 

 陣が完成したのと同じくして全ての人型の形が魔力の内部で定まる。

 

「ちょっと、此処に保管されてる装備を頂いていきたい。任せるから適当に見繕っておいてくれ」

 

【御意……】

 

「ああ、それと【神賽(デウス・アレア)】の回収を忘れずに。どうせ待機状態で今も準備されているはずだ。そっちに三人行ってくれ。一応、フルーとハティアの防壁が働いているだろうから」

 

【【【仰せのままに】】】

 

 三人の人型が声を揃えて消えていく。

 

「さぁて、七教会も初めて自分から仕掛ける戦争というやつを体験するようだし、此処はドラマチックに行こう。派手で構わないが死人は出さずにお願いするよ。そうだな……彼女の仕業に見せ掛けておいてくれ。今一煮え切らない彼への後押しというやつだ」

 

【12分下されば】

 

「ああ、よろしく。良い報告を期待している。先に天蓋蒼星(メイズ)へ戻って準備を整えておこう」

 

 転移の燐光が消えた後。

 

 其処にはもう冴えない男の姿は無く。

 

 残された人型は魔力のカーテンもそのままに元に戻った礼拝室内部で僅かに手を合わせて、そっと地面に置いた。

 

 そうして主に言った通り。

 

 十二分後。

 

―――七教会本部地上施設は突如として内部で起こった飽和魔力の大爆発によって消滅した。

 

 荘厳な都市そのものとも言える宗教建築群は……完全にこの世界から姿を消したのだった。

 

 残されたのは爆心地から半径数kmの更地と数十万人の教会関係者、民間人、旅行者からなる重軽傷者達。

 

【これより帰還する】

 

【【【了解】】】

 

 爆風と閃光の中。

 

 誰一人として、その首謀者を観測する者はなく。

 

 四つの虹色の魔力の人型は周囲に融けて消えた。

 

 七教会施政下最大のテロと大陸中央を震撼させる大事件はそうして幕を開ける。

 

 彼(か)の男が去って二日後。

 

 七教会は正式にテロとの関連がある国家を特定したと発表。

 

 大陸でも反七教会を標榜する北部三国。

 

 その内の一つ。

 

【ベリアステル聖神使国】

 

 急速に悪化する国際情勢にアルヴィッツを中心とした大陸中央諸国は否応無く……その強大な武力を背景としたテロ国家との交戦論へ傾いていく事となる。

 

 自分達が争いの渦中へ焼べられる薪(たきぎ)だとも知らず。

 

 誰もが知らぬ間に当事者となり。

 

 未来に劫火が燃え盛る兆しは着々と世界中に広がりつつあった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定
▲ページの一番上に飛ぶ  X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。