第三章百三十節「鉄決者達」
夢のように鋼のように。
とある国の宰相は言った。
隣国は滅ぼさなければならない。
何故ならば、それが我らが民の総意であり、これが我らの意思だからだ、と。
世に言う悪が我々であるならば、何故に我らはこれ程までに救われないのだ、と。
三文小説の悪は貪るべき益があるではないか。
衣食住に困る事なく。
仕事に困る事なく。
子供は肥え太り。
何一つ未来に憂いなど無い幸せを謳歌しているではないか、と。
彼に続く者達は言った。
夢のように鋼のように。
我々は断じて歩みを止めぬ。
さぁ、砲門を開け。
村々を蹂躙せよ。
街々は炎に没せ。
国々よ恐怖せよ。
燃え上がる戦渦。
砕けゆく灯火。
限りない行軍。
殺戮ですらない蹂躙。
肥え太れ。
家を薪に変えよ。
虐げし者達に教えてやれ。
悪を産んだのはお前達だと。
罰する者がいるならば、教えてやれ。
我が国の惨状を見よ、と。
敵の街が一つ消えれば、我らが無念が千人救われる。
敵の城砦が一つ落ちれば、我らを虐げた者達が千人消える。
全てを見てもまだ我らが悪だと言うのなら、貴様らは人間等では断じてない、と。
適者生存。
弱肉強食。
いつか追い落とされるまで。
我らが悪だと言う者を世から追放せよ。
赤子から老人まで。
棺桶から墓場の先へと。
凱歌を響かせながら謳え。
我らは世に言う悪徳者。
ならば、世は悪を産む大罪人か。
大地に落ちた涙を振り返らぬ者達よ。
しかと、その目で見よ。
これこそが世に言う正義の後に残る成果である。
大人は死に絶え。
子は死に絶え。
残るのは腐り落ち行く者達が産んだ最後の軍団。
死者の軍勢よ。
屍の群れよ。
これぞ栄華無き祖国の成れの果てである、と。
―――ああ、世界が終わる。
―――私達の世界が。
―――夢のように鋼のように。
―――聖典のように歴史のように。
―――最後の審判者がやってくる。
「これが……北部一笑みが多い国の成れの果て……痛ましい事だわ」
宰相に続く者達は言った。
我々を裁きに来たのはお前か、と。
もう赤子一人すら亡くせない我々を終わらせるのはお前か、と。
「あたしはただの娼婦よ。この世に生を受けた誰とも変わらない。一つだけ他と違う事があるとすれば、それは……貴方達を終わらせられるってだけ」
彼らは訊ねた。
怪訝そうに。
皮肉を解して。
これが我々に下される罰なのか、と。
「貴方達を追い詰めたのは確かに貴方達の祖国を壊した者達よ。子供の一人すら残らなかった。それも全て貴方達の敵のせいだわ。けれど、また始める事だって出来たじゃない。それを拒んだのは貴方達自身……だから、これは罰じゃないわ。決して罰なんかじゃない……ただのお節介よ」
涙を零した者達は言った。
ありがとう、と。
崩れゆく身体を大地に横たえて。
百万と十八人の兵士達が土くれに還っていく。
「此処に任の完了を申し上げます。クソッたれの神々よ」
蒼穹の下。
雪原を覆い尽す人災。
亡国の用いた最後の大儀式術。
自存する死者の群れ、だった者達を背後に彼女は弾劾するように雲一つ無い空を見上げる。
「あたしが知る限りの事を述べますれば……彼方達は助けを求めた者達の嘆願を無視し、周辺国の干渉を黙認し、彼らが朽ちゆくのを傍観し、狂気に取り付かれたのを静観し、隣国を四カ国程滅ぼしたのを座視し、我が国の自衛領域に入った時点での撃滅を求めた。相違ありませんか?」
空は何も応えない。しかし、百万余の屍すら残らない染みを背に彼女は紡ぐ。
「神々よ。クソッたれの神々よ。聞こえなかったようだから今一度、言うわ。この全能者気取りのロクデナシ共。人間を舐めるんじゃないわよ。我が国の糧として鉄血の生魂が欲しかった? それとも同盟諸国の力を削ぎたかったのかしら? いい加減、傲慢が過ぎるそのお綺麗な顔を抉り飛ばすわよ」
空は雲一つ無く。
しかし、既に夜となった。
移り変わる時間の流れ。
渦巻く次元の裂け目。
遠吠えが闇の奥から木霊して。
紅の瞳が無限に空を覆っている。
「あら、怒ったの? おほほ、ごめんあそばせ」
ギリギリと空が軋み、剥がれていく。
神の力が打ち負けて。
世界の景色が塗り変わっていく。
剥がれ落ちた世界の燐光が夕暮れ時の空を飾って。
後には何一つとして変わらない静かな雪原と染みだけが残った。
娼婦と名乗った皺枯れた声。
それがゆっくりと祖国の領土に向けて歩き出す。
無限にも続くかと思われる雪原。
元々の隣国の成れの果ての上を進んでいく。
(……これだけ因果律導線が乱れるなんて……如何に彼(か)の国がもう亡国だったとはいえ、これほどに道を誤る……どうやらまだ外なる神々に匹敵する何かが闇に潜んでいるようね。七教会の影響力が低下した今、北部で本格化しているこの嫌な流れ……調べてみなければ……彼の為にも……)
声の主が考え事をしながら歩く最中。
不意に目前へと小さな空間の亀裂が生まれた。
ズルリと。
その中から身体が一つ飛び出してくる。
赤黒く染まる雪。
まだ瞳に光の差さない小奇麗な死体を前にして老女の顔が驚きに染まり。
小さく……小さく……あぁ、と笑みを含む吐息が零された。
「運命ってやつがもう滅んでいるとしても、信じてみたくなるわね。この偶然……本当に偶然じゃない。何兆分の一? いや、何乂分の一の確率なのかしら……この歳で籤に大当たりした気分になるなんて。人生何があるか分からないものねぇ」
声の主が今もまだ死体である世界一美しいと称される顔を見つめる。
たぶんは……自分が最も憎悪するべきなのだろう相手。
それがこうも容易く手の内に転がり込んだ。
これを幸運とするならば、次の一手は確かにもう定まったも同然。
「―――っ」
ビクンと死体が僅かに硬直を解いた。
いや、最初から死んではいないのだ。
死という概念そのものが無いのだから。
ただ、それでも停止させられる事はある。
また、無防備な状態となる事も在り得る。
ついでのように全ての守護が消え失せているという幸運。
先程の一件で神はもうこの場を見ていない。
これで取り得る選択は決まってしまった。
「ぁ―――ぁ、ぁ……」
「あら、お目覚め?」
「―――っ」
「その傷……背中から刺されたの? 随分と怨まれてるわねぇ。でも、それも仕方ない事なんじゃないかしら?」
「ッ―――」
「だって、貴女のせいで不幸になった人間が偶然此処にもいるもの」
その死体だったはずの瞳が僅かに見開かれ。
「貴女には絶望が必要よ。少なくとも彼が感じ、耐えてきた分くらいは……あたしは……まぁ、おいおい話してあげるわ。そうね。昔話を一つすれば、貴方がいたせいで人生における一番大きな魚を逃がした女ってところかしら?」
吐血。
まだ傷が塞がらない。
それどころか。
彼女の纏っていた全ての魔導が動き出さない。
それは本来ならば在り得ない事。
例え、因果を極限まで切断された状態だろうとも、だ。
だから、もしもそうであるならば、新たな原因があるという事に他ならない。
「運んであげるわ。あたしの祖国に……クソッたれな神々がいる沢山の人の命運が掛かった大陸最後の最前線よ」
浮かび上がる半死体が血を零しながら見たのは空の彼方までも続くかと思われる光の円環が回る空と大地。
「ようこそ……【ベリアステル聖神使国】へ」
北部三国の一つ。
女系法術師国家ベリアステル。
強いて言うなら、反七教会派と目される者達の最大規模の派閥。
その一つであった。
「歓迎するわ。往年の恋敵さん」
仮面絶神戦争より一月後の夜。
世界一密入国の難しい国家に一人の少女が入国した事を誰も……その国家を司る神々すらも知る事は無かった。
*
―――大陸北部大樹の里。
この世界における定理とは常に小さなものの寄せ集めだ。
少なからず。
彼女はそう思っている。
それは人々が身を寄せ合い。
歯車のように社会を回すが如く。
理すらも一つではないという事実。
砂漠の国でまだ幼い頃から大神官を勤め。
神々の座す場所の防人として過ごした十数年。
全てが星の加護だと夜天を幕屋として過ごした日々は既に過去。
自分はあんなにも真面目に日々、小さな善行を積んで人生をより良きものにしようとしていたというのに……どうしてこんな事になったのだろう。
と、褐色の肌に民族衣装全開で真冬の寒空に腰と足と背中を大きく見せる涼やかな衣装を身に付けた彼女は思った。
砂漠とて夜は極寒だが、世界は広い。
いつ身に付けていても涼やか音色を愉しめるはずの純金の装飾具は今や肌に張り付きそうな程に冷えており、肉体に何一つとして良い影響を与えているとは考えられない。
追放。
否、他の大神官達から神々の寝所を荒らした不届き者(七教会の頭の人)を相手に何も出来ずにいたという事を咎められて、体の良い厄介払いだと政治が働いた挙句の“留学”。
神の加護があるから大丈夫だろ(ゲス顔)と嬉しくない理由で大人達が神々の加護厚き若者を無一文、地図一枚で放り出すのも……これも世の儚さよと彼女は涙目で受け入れた。
砂漠を歩いて一路北へ。
大陸北西部。
痩せて枯れた土地の多い小国の群れを渡り歩いて数ヶ月。
下手に最初馬車に便乗で乗り込んだら、身包み剥がされそうになってからというもの。
人間不信気味な彼女はようやく目的地の近く。
北部に二本ある宇宙樹(ユグドラシル)の一つの麓に一人歩き辿り着いていた。
無論、未だ氷も融けない春の遅い里は豪雪に閉ざされており。
辿り着くのに峠を越えるだけで十日掛かった。
胸まで埋まる冷たい白い悪魔を掻き分け進み。
崖から足を踏み外して真っ逆様。
ようやく元の道に戻ったら上から雪崩。
埋もれたのも束の間。
再び崖下へ。
このような事があっての到着である。
が、勿論のように異国の人間なんか御呼びじゃないエルフ達は人間。
それも神の匂いがする妖しげな術師の呼び掛けになんて応えず。
どうぞお通り下さいとの立て札だけが屋根の上から落ちてきて。
今日も今日とて彼女の旅は何もせずに村から離れるのみであった。
「うぅ、どうしてこんな事に!? ぜ、絶対、あの白衣の人が悪いんですよ!!? それに蟲の人も!! 騎士の人も!! 私、二ヵ月後までに留学先へ辿り着けるんでしょうか……神々よ」
彼女の独り言は確実に単なる独り言だ。
だって、加護は与えられているが、彼女の信じていた神々の恩恵は砂漠の端までしか効力が無い。
何とか生きて歩いているのは大神官として仕えていた彼女に与えられた守護の力。
要は神々から託された能力に拠るところが大きい。
樹木の中に住まうエルフ。
その大樹の下にある巨木集落を後にして。
彼女はトボトボ歩く。
大陸の中でも特に東部美人と並び証される西部美人。
その特徴は切れ長の相貌に幼い頃から目元に施される美しい黒と藍の化粧だ。
一生落ちない染料で毎年施され、褐色の肌にエナメルのように張り付いたソレは魔術方陣の一種でもあり、他者の魅了や真実を見抜く力を得られるとされる。
そんな普通に見れば、西部でも指折りのお姫様みたいな見目麗しい容姿。
パッチリとした二重の瞳。
ショートの少し日に焼けた褐色の髪を後ろで団子状に纏めた彼女。
そんな元巫女は極寒の藪を掻き分け、雪の結晶に押し固められそうな道行きに青ざめている。
「ああ、天よ。星よ。どうぞ糧をお与え下さい。この恵まれない一匹の魚に祝福を……」
食事時の文言を唱えれば。
すぐ彼女の道行きの先に小さな樹木が一本見えてくる。
その雪の中でも赤々と大きな身を茂らせる樹木は宇宙樹の恩恵ある大地だからこそ育つ特有の種類だろう。
偶然。
いや、特定の必然を呼び寄せる超常の力。
神々のお気に入りであった彼女が大神官を拝命して後。
毎日のように使っている能力である。
重労働の後の一杯が格別なのと同じ。
今日も雪と氷の中を進んだ彼女はヘトヘトになりながら、そのまだ凍っていない実をシャクリとやろうとして、ガチンと歯が凍て付く氷の如き皮の上で衝撃に震えた。
ついでに顎までも痛める。
「……うぅぅうぅぅう!? ああ、天よ!! 星よ!! どうぞ糧をお与え下さい!! この恵まれない一匹の魚に祝福を×4!!」
彼女の能力は基本省略諸々を受け付け、比較的人間の曖昧(ファジー)さを汲み取る。
とりあえず。
彼女の顎と歯は氷雪の冷たさに癒え。
赤い果実の皮は柔らかくなり。
ついでに種は無くなった、はずだ……。
シャクシャクシャクシャクシャク。
甘く爽やかな酸味。
爽快な気分となるに相応しい美味さ。
だが、彼女はようやく其処で気付く。
食べ終わった途端に腹がギュルギュルと言い出した事に。
「あ、ああ、聞いた事があります。宇宙樹(ユグドラシル)から分化した樹木の実は特定の方法で加工しないと大抵、色々な薬の効能をッ、をおッッ?!! ふっぐ?!! もぅやだぁ~~~~!?!!?」
彼女はその日、涙目で……祖国において超常の力の通称である“お祈り”を合計18回程も使う事となる。
そうして、眠る頃には顔に白衣は敵、騎士は敵、蟲は敵、偉そうな神官は敵という明確な復讐心に染まる凄絶な笑みが浮く事となった。
そんな調子の彼女が数ヵ月後、辿り着く事となるのは遠い遠い留学先。
神々が治めるという繋がりで友好国の一つであるという稀有な国家。
北部三国の一つ。
ベリアステル聖神使国であった………。
*
行進曲というのは元々が軍隊の行進に使われるものだ。
だから、日々、世界の軍人は行進曲を聞いているに違いない。
そう、違いないと子供の時分には思っていた。
騎士。
この世の果てまでも救い尽くす唯一の職業。
己はそれになるのだと彼は子供心に疑いすらもしなかった。
だから、人生は行進曲だと彼はその歳になっても戯れに思う。
守るべきもの。
祖国を失い。
国民を失い。
部下を失い。
軍団を失い。
家族を失い。
人生を失い。
それでも彼の行進曲は止まらない。
西部における外なる神々と人類の前哨戦。
それを戦い切った者達は亜人であっとされる。
ならば、次に来る危機には自分が立ち上がるべきだろうと彼は七教会本部跡。
更地となったアルヴィッツの天界と繋がる逆様の門。
地の底へと昇るソレの虚空で感じていた。
天使達は七教会に押さえられたものは全て機能停止の上、封印されている。
天界に存在する者も大半は天界そのものの防衛任務から外されていない。
だが、大陸にもまだ天使は存在するのだ。
それこそ、天に属さぬあぶれ者達が……。
「今代の聖征者(クルセイダー)は異種の天使を使うのか」
「はい」
バルガ・レオノトルテ。
大陸における現代騎士物語の原型にして源流。
そして、未だ現役。
英霊とも称される今、七教会に身を寄せた男。
七教会本部の瓦解によって各地の支部が慌てふためく中。
事件後、真っ先に重軽傷者の救出に乗り出したのは何を隠そう彼が席を置く半ば解体状態の魔王追討師団……いや、その元人員であった。
彼が即座召集し、彼らはそれに即応してみせた。
複数の支部に分散していた人員の全てが十分もせずに直接転移で現地に再結集したのである。
彼らを中心とした救出部隊はやってくる傍からまずは死人を出さないのが第一だと次々に数十万人を空間凍結式の結界に放り込み。
周囲を封鎖。
到着する即応師団に現場指揮権を主張して、重軽傷者の中からテロ直後の案件処理に使えるお偉方を蘇生して膨大な仕事を押し付けた。
七教会の屋台骨であるマディクト・ナシエは未だ重症。
肉体を蘇生、復元させたはいいものの。
精神の傷までは完全に手が回らず。
意識の回復までには数ヶ月を要すると診断された。
この状況下では全ての権限が聖女に集中する事になるが、最初からミュルトにそんな事が出来ないのを承知していたバルガは連絡を取った聖女に言質を取って、一時的に七教会の指揮系統を全て掌握。
実際、七教会に彼以上の戦闘経験や人生経験を持つ実力者は殆ど無く。
各支部は渋々ながらもその内にある超越者達からの忠告。
「あの男にやらせておけ」との言葉に耳を貸して、そのバルガの豪放磊落な独裁に従った。
そうして右往左往する事、数日。
彼は何処から呼んできたのか。
旧教会派の船を召集し、その総主教の剣たる存在。
聖征者(クルセイダー)を従えて、その地表施設最後の残存部分。
天に繋がる門(ゲート)を下に見ているのだ。
「ならば、良し。お利口な奴らよりも信用は出来る」
「……バルガ・レオノトルテ。一体、何をさせるつもりで我々を? 総主教(パトリアルヒス)様からは彼方が天使の力を必要としているとしか聞いていません」
たるんだ身体。
古き鋼の鎧を身に付けて。
槍一つを手にした武士(もののふ)がニタリと唇の端を曲げる。
「あの代行者気取りの聖女がいなくなった時点で天使共は役に立たんどころか。何者かに使われれば、害悪の類となる。だが……この大陸にはまだ貴様以外にも“天”から外れた者達がいる」
「“天”から外れた?」
「貴様の存在はそれだけで呼び水なのだ。天使は生物の先にある昇華された姿というのは貴様も分かっているな?」
「は、はい」
「だが、その昇華された者達の中には生前の魂、元の生物の業を決して手放さぬ者もある」
「業を?」
「そうだ。奴らは酷界との戦や大陸の守護、様々な任の合間にあらゆる力の影響を受けて、天の頚城を取り払い。自我に目覚めたと言ってもいい存在となった」
「それは……まさか?!」
「奴らは“翼の天”亡き後。大陸や酷界、天界、あらゆる場所に散らばり、息を潜めて世の成り行きを見守っているが、決して無力なわけではない。それどころか。自分達の力を誇示したいとすら、思う者もあるだろう」
「―――どうするつもりなんですか?! 彼方は……」
「昔、聞いた話だ。この“門”はな。元々が一人の天使をこの大陸から天界に送り返す為に唯一神によって創られたらしい」
「これほどに大きな門がたった一人の天使の為のものだと?」
「その前にも同じようなものはあったらしいが、事実として数百年前には同じ場所にコレが新しく現れたとの事だ。前代の聖征者ならば、当時の事変の事も知っているだろう。教会の管理する遺跡の中でも最大級の代物を送り返されるはずだった天使は奪い去り、時の盟約者たる人間達と共に逃亡して人と天使の楽園を創った。彼の者はアルヴィッツ再興の祖と言われた女王の時代。この“門”を破壊する為だけに世を混乱に陥れたとされ、オレの生きた時代でも半ば、その伝説は残っていた」
槍が門に向けられ、大きく振り被られる。
「だが、それ以降の記録は無い。いや、意図的に教会が消したのだろう。門の話は幾らか当時から創作されているとオレは睨んでいる」
「それはつまり……」
「この大陸に二十柱から三十柱程はいるだろう“堕天使”共は旧いのから新しいのまで例外なく……この地の門を注視していた。オレが“人の敵”として落とした者の中にはそいつらの眷属や“そのもの”もいたからな。この門の話は戦闘の片手間に聞いていた。コレは元々が【大天領・臥卵《がらん》】……その天使を封印して天界へと送り返す為の施設中核だそうだ。門を創る事になった曰く付きの天使はソレを奪ったが、最終的に此処へ門が置かれたという事は……どういう事分かるな?」
ようやく。
天使の力持つ彼は自分の真下にある門の内部から漂う気配に気付く。
「ふむ。あの聖女が直接封印していたのかもしれんな。気配が漏れてきている。これが大天使……いや、堕天の王ソピアー……主神すら凌ぐと謳われ、最盛期は“臥楽(がらく)の天”とすら称された大化物(だいけぶつ)か」
「そんなものを彼方は?!!」
「今の七教会はもう後戻り出来ないところまで人の世を“支えてしまっている”……これが瓦解すれば、後に残るのは七教会成立よりも前の混沌を遥かに凌ぐ地獄だけだ」
「ッッ―――」
「オオゥッッッ!!!! 貫けッッッ!!!!」
巨大な鋼の槍が投擲された。
捻れ逆巻く天と地を繋ぐ門の中心部。
その最中に万雷が奔り、溢れ出して地表を膨大な放電現象が覆い付くし、周辺を結界で封鎖していた数千の高格外套(ソーマ・パクシルム・ベルーター)達が衝撃に軋む。
だが、その甲斐あってか。
門を構成していた空間そのものがまるで罅割れた舞台の書割のように崩落して。
その漆黒の内部に巨大なものを覗かせた。
「ほう? 門だけかと思ったら、遺跡そのものを入れ込んでいたか。異相が消えた今も存在するという事は空間創生結界の類だな……」
バルガが表面を焼け焦げさせた己の愛槍を手を翳して虚空から回収し、その空間の先の暗闇に浮かぶ半壊した卵のような巨大施設。
教会が有し、数百年前に消失したとされる最大級の遺跡【大天領・臥卵《がらん》】に大声を張り上げる。
「そろそろ新しい世で遊びたくなった頃合だろう。貴様に自由を与えてやろう。対価は我らの列に加わる事。首輪はしないでおいてやる。何がまずいのか。何が不興を買うのかは自分で考えろ。それくらいの頭はあるだろう。堕天使ソピアー!!!」
ゴウン。
そう、半壊した卵が震えながら休息に門の残骸へ向けて動き出した。
即座に聖征者とバルガが上空に退避すれば、先程の雷撃の残渣が未だに地を奔る最中。
震度7程の巨大地震がアルヴィッツを襲い。
急激な地殻変動に周囲の更地が激しく波打って、地面から卵の半分が突き出した。
その振動もまた高格外套達の張る大結界によって封殺されたが、それにしても二度目の天変地異に七教会の人員の誰もがその巨大な卵へ目を向ける。
半径390m。
凡そ全景ではない頂点部分だけでその大きさ。
それ以上のものが地下に埋まっている事は間違いなく。
誰もがざわめきに呑み込まれるのも無理は無かった。
「返答は如何に!!」
そんな状況にも関わらず。
己の流儀を貫き。
答えを訊ねるバルガの耳がケラケラと笑う声を捉える。
その瞳が卵の頂点を見やった。
「?!」
其処にいる何者かの姿を捉えて、まだ年若い聖征者は目を丸くする。
「“惑ちゃん”が言ってた事って本当だったんだね~。あはは、あの翼野郎が消えて清々した世界、か。いいよ……また面白い時代に来たみたいだし、力が欲しいなら貸してあげる。騎士のおにーさん」
少女。
そう言うべきか迷う年頃。
十八か。
十七か。
それくらいの歳若い街娘。
それも数百年前の衣装を着た女が……欠けた卵の縁に腰掛けて足をブラブラさせながら笑っていた。
雀斑の残る頬。
そう大きくない胸。
栗色の短い髪を白布で覆い。
身長は同年代の少年達より少し低いくらいか。
その周囲にはまるでギャップを埋めるかの如く白い翼に白いローブを纏った表情の薄い天使が十三体ばかり浮遊しており、その背中から羽を雨のように周囲へ降らせていた。
「アレ? うっそ、珍しい!? 絶滅したって言うか。“絶滅させたはずなのに”まだいたんだ。異種の天使」
「?!!」
ブルリと一瞬、背筋に言いようの無い絶望感のようなものを感じて。
聖征者はそれが自分の内部にある天使達の感情なのだと理解する。
「へぇ~~時代って進んでるのね♪ こんな子が“くるせいだー”だなんて。先代達は元気? もし会う事があったら、あの時はごめんねって言っておいて」
「……貴女が大天使ソピアー、なのですか?」
恐る恐る訊ねる少年に少女がコクリと頷く。
「今はこんな成りになっちゃったけど、昔は翼が十二対あったんだ。この身体はウチの子のを借りてるだけ。みんな~~そろそろ目覚める時間だよ~~」
卵の中に呼び掛ける少女の声を反映してか。
その内部にある苔生した石製の建造物の中にポツポツと灯かりが灯り始める。
「ああ、遠くから懐かしい気配が幾つか。それにこの数百年で生まれたばかりのも幾つか。やっぱり、天使ってのは因果な商売よね~~仲間の少なさに泣けてくるわ」
「しょ、商売?」
少女のあまりにもあっけらかんとした天使とは思えない物言いに少年が思わずツッコミを入れる。
「そうよ? だって、人間勝手に止めさせられた挙句に言いなりの奴隷になれって言われたんだから、代価くらい貰わないとやってけないでしょ? 奴隷でいたくないって考えられる奴だけが堕天使になれるんだから、強欲くらいは勘弁して欲しいわ」
肩を竦める少女の瞳は本気だ。
それにどう扱うべきかと聖征者は沈黙する以外無かった。
「それで貴様らは何をまず所望する?」
バルガの問いに少女は、堕天使達の頭目は遠方の空からやってくる様々な耀きを宿した翼の群れを確認して楽しげに人差し指を立てた。
「あ、じゃあ、とりあえずありったけの葡萄酒と麺麭。それから今の総主教を呼んで頂戴な。盟約を結ぶにしても、契約を施すにしても頭が出てこないんじゃ話にならないだろうしね」
「相分かった」
「それと……」
「何だ?」
「今夜、一戦どう?」
少女がニンマリと弛んだ身体のおっさんに告げる。
ズーンと一気に空気があらぬ方向に重くなり。
ゴゴゴゴッと男の背中から何やら擬音を聞いたような気がした少年は思わずオロオロする。
「……それは代価の内に入るか?」
「勿論。世は全て事も無しと唱える為に私達が無償で働いていたのは過去の話。これからはモチツモタレツで幸せになりたいわよね♪ おにーさん♡」
その夜、聖征者たる少年はその身体になって初めて耳が良く聞こえる事を後悔したのだった。
世が朝日を迎えるより先に総主教はもう来る事も無いと思っていた都市の土を踏み。
その惨状の中で様々な暗い色を宿した一様に強大な天使の群れを見る事となる。
それは後の歴史書において語られる総主教が得た片腕との出会い。
だが、今は単なる邪悪かどうかも定かではない突如として大陸に現れた極大の力を持つ者達との初会合にしか過ぎなかった。
行進曲に群がる者達の歩みは続いていく。
何処までも……。
例え、それが深淵の奈落に続く道へ誘う死の旋律であるとしても。