※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第三章百三十一節

第三章百三十一節「取り戻した日常Ⅹ」

 

 今日も少年と少女達が行き交う館の屋上。

 

 何者をも俯瞰しながら、その瞳達は全ての状況に認識を凝らす。

 

 気温、湿度、気圧、水圧、光度、重力、音波、魔力、境界、その他諸々。

 

 人が日常に必要とする全てを彼女達は見逃さない。

 

 些細な事の一つまで。

 

 蟻の巣から雲の動きまで。

 

 全てだ。

 

 網羅された情報に何か一つでも異常があれば。

 

 統計的に取られた“日常”を複数の要因が超過すれば。

 

 その原因の解明に向けて動き出す。

 

 これが【紫影の従者】と呼ばれる並列稼動中の全【最従者(ディアコノス)】の本質的な機能だ。

 

 システム・カーネルに刻まれし、最重要優先命令。

 

 少年を守るという点において、この数十年間得た情報を軸に融通を利かせるのは彼女達の専売特許。

 

 そう、ただの高格外套の原型。

 

 マントの類であった頃からその命令は守られ続けている。

 

 死を超越した少年を守るというのがどういう事であるか。

 

 それを学習する時。

 

 其処には意思一つ無い無機質な歯車の如きプログラムがあるだけだ。

 

 だが、それこそが彼女達にとって少年を真の意味で支える力でもある。

 

 世界一安い命を自称する魔王様が使い潰せる相手。

 

 いや、使い潰せない道具が二つあるとすれば、それは七聖女フルー・バレッサによって作られた彼女達とその創造主の父親である男が生み出した永劫不変の剣だけだ。

 

 彼女達と無尽の一振り無くして、少年は現在まで立っていられなかったかもしれない。

 

 立てていたとしても、その道行きは更なる修羅の道程に違いなかったはずだ。

 

 剣は物言わぬ器物。

 

 だが、彼女達は物言う器物。

 

 故に少年は彼女達の方を大切に扱うが、それこそが彼女達にとって最大のリスクであるとは……何と皮肉な話である事か。

 

『イクスさ~ん♪』

 

「ハイダル・エス・トリア、合流」

 

『イクス!! くっ付き過ぎですわよ!?』

 

「ウル・エイフォン・バーゲル、嫉妬」

 

『にぃさま!!』

 

「エフィリム/エーネ、挨拶」

 

『イクス。は?! どうして私にだけ笑みではなく苦笑なのですか!? そんなにこの化粧が可笑しいと!? いい加減、そういう顔をしていると逮捕しますよ!?』

 

「奏美紗、不機嫌」

 

 今日も今日とて騒がしい少年の周囲。

 

 朝からアルヴァス・カレッジへと向かう人間ハーレムな彼女達に混じった少年は何一つ変わらず。

 

 彼女達と同程度には変わらず。

 

 そのいつもの笑みで輪の中心にいた。

 

「異常無し」

 

 少年の新たな日常を影の中に沈んで支え続ける。

 

 それこそが彼女達にとって現在の仕事なのだ。

 

 静かに彼女はそのハーレムの住人達の動静を観察し続けた。

 

 やがて終わる平和の先に過酷な戦いが待っていると知る故に………。

 

 *

 

「お嬢様。お荷物はこちらでお持ちします」

 

「さあ、こちらにお任せ下さい」

 

「ご主人様とどうぞ良き朝を」

 

 そう言って、少年の子を身篭った少女達の後ろから侍女。

 

 いや、女給姿の女性達が次々現れては疾風の如く自分の主の手荷物を奪い去っていく。

 

 魔王イーギルフィストが買い取ったまだ年若い人間奴隷。

 

 一人一人が少年と関係を持った少女達に付き従っており、命が無い限りは大抵何処にでも付いてくるというのが事件後に彼らの日々に加わった一幕だ。

 

 唯一、奏璃紗だけが少年の従者なのに従者が付くのはおかしいと固辞したせいで仕事が少なめな彼女達は奴隷解放が元老院から言い渡されて後も少年を雇い主と定めて雇用を嘆願。

 

 雇用主はどうせ使いもしない金だからとあの事件で【境界踏征(オーバー・フラタニティー)】の構成員として貰う事になった生涯年金を丸々彼女達の給料に当てている。

 

 そのような一件があってから実は少年が大金持ちどころか。

 

 一国の主にも等しい土地と資産を持っていると知らなかったアルヴァス側の少女達は……『これから何かと物入りだが、少年にお金の話をしても大丈夫なのだろうか? ダメそうなら自分達で何とかしよう』とか。

 

『ここは貰った年金に素直に頼ろう』とか。

 

『いやいや、やっぱり働いている姿を子供に見せたいから、自分達で商売を始めよう』とか。

 

 そういう諸々の現実的で真面目な実際問題どうした事かと思っていた悩みを即座に解消されてしまい、むくれた。

 

 こう、何というか。

 

 新婚生活の大切な二人の共同作業になるはずだった“悩み”を取り上げられたような……複雑な気分だったらしい。

 

 それからと言うもの。

 

 誰もが自分の夢というか。

 

 こうしたいという未来像に向かって進むのと子育てを共に両立するという大陸中央諸国なら普通だろう“働く女”になる道を選んだ。

 

 自立を目指す亜人貴族の子女達からなら羨ましがられる話だろう。

 

 だが、その想いの後ろには必ずしも光ばかりがあったわけではない。

 

 少年が魔王であり、何処かへと向かっている。

 

 そう確信する故に誰もが自分の夢を追い掛けるとは言いながらもアルヴァスやハルトゥム内で出来る事から始めていたし、初めての子育ては少年に頼れない……そう思っている節があった。

 

 それは彼女達の誰もが少年に子育てを手伝って欲しいとは言っても、具体的で長期の育児プランを話していない事から明らかだろう。、

 

 フラリと風の如く消えてしまう。

 

 誰もが心の底でそう思っているのだ。

 

 そして、それは今のところ杞憂として終わっているが、何処まで続く幸せな状態か分かっているわけではない。

 

 少なからず予感は其々感じているに違いなく。

 

 そうでなければ、少年の自由時間を押し合い圧し合い奪い合う事もなかっただろう。

 

 それを示すかのように本日も少年の周囲ではイクスさんはティアはこっちあっちそっちどっちと引っ張りだこの状態だ。

 

 白熱しつつある戦いにはハルトゥム組も加わっており、少年との合理的な活動時間の確保理由の開示は舌戦の様相を呈していた。

 

 彼女達の後ろではニコニコしつつ、女給達が乙女の争いを面白そうに見つめている。

 

 これぞ『女給は見た!! 魔王のハーレム!! その内実をッッ!? 秘密のベールに隠された世界一悪い男と女達の愛の日常?!』という三流雑誌の見出しみたいな実話であった。

 

「イクスさんは本日、家に来る事になってるんです!! つまり、此処で今日の放課後の予定を話し合うのは正に自然な流れ!! という事でちょっとイクスさんの身柄をこっち側に……」

 

 エストリアがとりあえずは確保だと少年の左腕を持つ。

 

「イクス。放課後とはどういう事ですか?」

 

「え、あ、その、お母さんに紹介したいとか言われ―――」

 

「?! そ、そそ、それなら私だって紹介したいです!!? 家の両親は魔王云々は知らないので、少し……いや、かなり驚かれるかもしれませんが!?」

 

 アルヴァス側は父母に魔王な彼氏を連れて行って紹介するという人生のビッグイベントを軸に内紛中。

 

「にぃさま!! こういうときこそ、まおうのけんりょくをつかうべきだとえふぃはおもいます!! にぃさまがいないあいだにこくみんのみなさんのなかから、こくぼうしょうがとくしゅこうさくちょーほーぶたいをえらんでいたので!!」

 

 それに油を注ぐのは人間のような肌に偽装して学生姿となったエフィリム・エーネだ。

 

 少年に再会するまでの五年でハルトゥムの内外で活動していた幼子は今や【聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)】の重要人物であり、難しい話も積極的にする大幹部。

 

 魔王の娼婦と渾名されているのを良い事に色々と用意していた彼女の一声があれば、それこそハルトゥムに近年新設された役所を動かす事など造作も無い話なのだ。

 

「え、いや、あの、エフィリム? 僕の知らない内に何か知らない役所とか人の集まりとか作っ―――」

 

『旦那様~~』

 

 少年が思わず後ろを振り向くと。

 

 ドドドドッと走ってくる黒い東部風の制服姿の麗人が一人。

 

「紅亜?」

 

 立ち止まった少年にようやく追い付いた男装の少女は僅かに額の汗を拭って息を吐く。

 

「あの皇帝から今すぐ来るようにとのお達しだ」

 

「えっと、どういう事か聞いていい?」

 

「あ、ああ、この数ヶ月お前の体調やら聖女の監視やらハルトゥムの国家化やら諸々で言い忘れていたのだが……」

 

「いたのだが?」

 

 少年が首を傾げる。

 

「セイリ。いや、女王ともう呼ぶべきか。彼女が藩落でお前との婚姻の日取りをもう詰めている。殆ど姿を見せなかったのはそのせいだ。ようやく藩落内の懐柔工作、説得工作、根回し諸々が終わったらしい。あの皇帝もあれはあれで、ハルトゥムの国家化と合わせて魔王国連合の樹立宣言準備に追われていたが、そちらも完了したとの話。後は全部合わせて発表と実際の式の内容を決めるだけ。そこでお前の意見を会議で聞きたいと」

 

――――――永い沈黙が少年と周囲に降り注ぐ。

 

 知っていたらしいエフィリムだけが内部のエーネと話しているのか。

 

 とても歓んだ様子で何度も一人で頷いていた。

 

「何も聞かされてなかったんだけど……」

 

「皇帝からの伝言だ。『つべこべ言わずに来るが良い。余の魔王様である内に出来る限りの事はさせてもらおう。後、子作りの件は忘れるでない』と」

 

『………』

 

 さすがにジト目となったアルヴァス側の少女達。

 

 彼女達が何か言い出す気配を感じた少年が一時的な退避の為に思わず紅亜へ頷こうとしたのも束の間。

 

 パッカパッカと今度は馬の足音が周囲に響いてくる。

 

 其処に颯爽と大きな影が走り込んで来た。

 

「主様!!」

 

「あ、シュレディナ?」

 

 確かに其処へやってきたのは人馬の少女だった。

 

 しかし、いつもの郵便配達員のような制服とは違い。

 

 何処か民族衣装を思わせるような、人馬の身体を飾る金属の装飾が付いたの皮製の衣服に身を包んでいる。

 

 全身に付けられた銀の筒状の装飾がシャラシャラと管弦の調べの如く涼やかな音を立てた。

 

「エト様から連れて来るようにと仰せ付かりました。そ、その……ほ、本日はその……私も式の日取り決めに参加するようにと……主様の牝馬としてようやく轡と手綱と目隠しをして頂けますね!!」

 

『………』

 

 アルヴァスの少女達の瞳はジト目を通り越してもはや極寒だった。

 

 此処に銀髪ドリル女や鬼女がいないだけマシだろうが、それにしても周囲の気温が物理的に下がったような錯覚に少年は襲われる。

 

「あの、何の話、を……」

 

「人馬(ケンタウロ)は嫁入りにその三つを使ってもらうのが慣わしですから。勿論、人類種の方との婚姻も稀ではありますが、そうですし」

 

 ニコニコ言われて少年が後ろの気配に戦慄しつつ。

 

 ちょっとだけ、その主様と慕ってくれるシュレディナの耳元にヒソヒソと呟きを零す。

 

「あ、はい。分かりました。そ、そういうのは、よ、夜に致します」

 

『………』

 

 今は少しだけ時間が悪いから、詳しい事は後で……という日和見な言葉は裏側のもう喋らないで下さいお願いしますという意をまるで理解されなかった。

 

「イクスさん。ちょっと、こっちに来てから色々と説明を……」

 

 エストリアが本当に心底の笑顔で少年に言う。

 

 他のアルヴァス側の少女も同じようなものだ。

 

 これは小一時間くらい説教コースという少年の予想はまたもや簡単に覆される。

 

 シュインと刹那の瞬きの最中。

 

 魔王様の姿はその場から消えていた。

 

 転移させられた、と周囲の少女達が気付くまで三秒弱。

 

 こんな事をするのはあいつしかいないと。

 

 アルヴァス側もハルトゥム側も一斉に黒猫を探し始めた。

 

「クヲン?」

 

「マヲー」

 

 少年が転移後にいた空間は室内の白壁そのものが発光する明るい正方形状の部屋だった。

 

 正面に黒猫が器用に正座しており、腕を上げて答える。

 

「えっと……改まってる、的な?」

 

「マゥヲウヲ~」

 

 正解と言いたげな声と同時にヒョイッといつもの四足歩行に戻った黒い物体はテクテク歩いて少年の後ろまで行くとテシッと壁に手を付いた。

 

 すると部屋全体の光がいきなり薄暗くなり、壁一面に何やら様々な象形文字が下から湧き上って、天井の隅へと消えていく。

 

 そうして、少年がその様子にあちこちを見回していると。

 

 黒猫が壁の中へと通り抜けて行く。

 

 付いて来いという事なのか。

 

 そう理解して、そのまま少年も同じように壁を抜ける。

 

 何の感触も無い壁の先にはまるで横にした卵の端のような丸みを帯びた30m四方の空間が広がっていた。

 

 その巨大な伽藍堂の最上層からは段々畑のように六層にも及ぶ階層が連なっており、上から見下ろせるようになっている。

 

 少年がいた場所の中央には何やら小さな卵を入れるような器にも見える椅子が用意されており、そこへおもむろにモフリと黒猫が尻を納めた。

 

 瞬間。

 

 椅子から床一面に魔力の耀きが幾何学的に奔り抜け。

 

 その耀きは段々畑のフロアを次々に奔り抜けて壁一面へと伝播。

 

 最終的には前方の空間に魔術でよく映像を出す時に使う窓が大画面で虚空に広がった。

 

 そこでようやく少年は各フロアにも黒猫が座っているものと同じ席が幾つもズラリと並んでいるのを発見する。

 

「これって……船?」

 

「マヲヲ~!!」

 

 正解と言いたげに黒猫が手を上げた後。

 

 その周囲の四隅の床が罅割れてカラカラと音を立てながら分解。

 

 小さな杖程の長さの台座が構築され、下から四つの水晶玉がせり上がってくる。

 

『くくく、成功だ』

 

『主を得て目覚めたようだな。と言っても、全体の39%にしか過ぎんが』

 

『ようやくだ。ようやく……五千年の眠りから我らの城が目を覚ます』

 

『よもや、手に入ったのがあの時の代物であろうとはな』

 

 高位魔族。

 

 現在、クラウゼン公爵家に居候中の水晶球達が邪悪な笑み?のようなものをユラリとその表面に浮かばせた。

 

「もしかして……」

 

 少年が呆れた様子になったのも無理は無い。

 

 それこそは少年が惑なる天に言われていた大陸に数千年前から眠る神器。

 

 外なる神々から世を救ったともされる救世の船。

 

 いや、城と言うべきだろうか。

 

 大陸南西部でソィラが破壊し、現在七教会がイグニシア・クルシスとの交渉によって未だ直接接収出来ずにいるソレよりも巨大な構造物だった。

 

 フルーが藩落で崩壊させたものや今も眠るものもあるが、最大級のソレは世界と外界を隔てる頚城として今も眠り続けているはずの力だ。

 

 高位魔族達は神器の所有者として黒猫を登録し、聖女の協力を得て動力源を生み出し、神を生贄に古の外なる神々を退けたソレを復活させたのである。

 

「亜人とかが人間に対する攻撃手段にコレを使うかもしれないって話を聞いたんだけど、コレって何処にあったのか聞いていい?」

 

『どうでもいい事だ。我らが末よ』

 

『それよりも訊ねたい。お前の中にいる“我らが主”は未だ残っているか?』

 

 少年のその言葉に僅かに沈黙した。

 

「………そんな事聞いてどうするの?」

 

『“あの方”は今の上に飽き始めているはずだ。だから、貴様の中でも唯一神を除けば、最大に近い欠片である主の帰還を欲していると考えられる』

 

『“我らの主”こそがコレを作った。コレを人ではなく亜人やエルフ達に残したのは世の頚城としての意味合いだけではなく。人類種への警告でもあったのだ』

 

『天(おまえ)の生誕に必要な核となった主は“あの方”にとっては無二の親友と呼んでよい存在。この数千年の退屈に主が消えた今、お前という玩具を遊び倒す為、“あの方”は次なる策へと打って出るだろう』

 

『今の上……お歴々は代替わりへと向かっているかもしれぬ』

 

『数億年に一度来る“あの方”の戯れ……全ての魔族の淘汰期だ。【基幹異種(バルバロス)】が滅び去った今、唯一神が消えた今、主神達をお前が放逐した今……残された世の雛達には試練の時が来る』

 

『この神器によって外なる神々の侵攻が退けられた時から、全てが始まった。事態の中心たるお前は救世も破滅も選ばなかった』

 

『だが、だからこそ、次なる破滅を乗り越えるには主の力が必要だ』

 

『人類種が次にこの力を手に入れる時。それは人が再び異なる者達と手を取り合った時だと主は考えていた。だが、現実は理想より未だ遠い』

 

『“あの方”の思考を先読みし、マリアの見た未来へ向かう事を良しとした主は……全ての超越者が消え去りつつある世の人に機会を与えたが、此処まで辿り着く事は想定していなかった』

 

『此処は誰も知らなかった未来』

 

『此処は誰も辿り着かないはずだった未来』

 

『此処は弱者達が夢にまで見た理想郷』

 

『此処は現にして幻の狭間』

 

『『『『万能にも届かぬ者達が見果てた“変わらぬ”楽園』』』』

 

「………」

 

『守護者よ』

 

『永久の翳りよ』

 

『我らが末よ』

 

『お前はまだ人に愛想を尽かしてはいない』

 

『ならば、戦え。お前が今までそうしてきたように』

 

『主が残っているか。その問いは本質的にそれと同義だ』

 

「………ようやく近頃、僕の力が消えてきてる理由が分かったんだけど」

 

 魔族達の言葉に近頃の不調の原因を察して苦笑が零される。

 

『大いなる母とて相手無くしては産む事も態わず。主はお前にとってみれば、父のようなものに他ならない』

 

「人生の甘いとか辛いとか大半知り終えてから知る衝撃の真実とかはちょっと……」

 

 少年が肩を竦めてから溜息を吐いた。

 

『そうか。やはりか……』

 

『あの聖女……母の力すら破るのも頷ける』

 

『分割時にやられたな』

 

『あの聖女による集積前から一定の割合で抜けていたと見るべきか』

 

 少年が何やら勝手に結論を出したらしい水晶達を飽きれた視線で見つめた。

 

「ちなみにどうしてそんなに詳しいのか聞いていい? クヲンは前に封印を解いたばかりだって話してたけど」

 

『今時風に言えば、情報端末だ』

 

『お前になり損ねた者が守る“書架”を閲覧している』

 

『これより我らは主の探索へと向かう』

 

『お前は聖女と乳繰り合っているといい』

 

 水晶玉が台座の下へと消えていく。

 

 そうして、何やら今まで神器の設定を目の前の窓に映る情報をちまちま操作していたらしき黒猫は一仕事終わったと言わんばかりに肩で息をして、席から降りて少年の傍へとやってくる。

 

「今の聞いてた?」

 

「マヲ?」

 

 『何の話?』と。

 

 自分の仕事に夢中だった黒猫は僅かに首を傾げた。

 

 その後、ヒョイッといつものように後ろから頭上にへばり付くとプラプラ尻尾を揺らしつつ、テシテシと手で頭を叩きながら明るくなった構造物内の案内をし始める。

 

 転移を多用しながらの小旅行は怖ろしく広い空間を頭の上の物体が身体全体を使って何処か表現するというクイズ大会みたいな有様となった。

 

 仕草や身体の動きから食堂やら風呂やら当てさせられた少年だったが、そろそろ帰ろうと黒猫を促そうとした時。

 

 不意に転移後の後ろからの足音に振り向く。

 

 黒猫がバーンと何かが弾けるようなジェスチャーをするのに忙しい合間にも凸凹コンビ。

 

 ユアンとメルフが白い100m近い円筒形の室内の端から早足で近付いて来ていた。

 

「シンアか」

 

「……おはよう」

 

「いや、そろそろ昼過ぎなんだけど……相変わらずだよね。メルフは……」

 

 何やら聖女達が聊か疲れた様子になっているのを見て、少年は協力というのがそれ程に重労働なのだろうかと二人に苦笑しつつも心配そうな顔を向けた。

 

「この間、帰ってくるまで此処にいたの?」

 

 その問いに二人が頷く。

 

「……ああ」

 

「其処の黒猫モドキに扱き使われてた……」

 

 黒猫がようやくジェスチャー大会を止めて、失敬なと言いたげな声を上げた後。

 

 シタタタッと高速で頭の上から駆け下りて、室内の中央に向かう。

 

 数秒で到達すると。

 

 見よと言わんばかりに上を向いた。

 

 途端、室内の明度が最初の部屋のように落ち。

 

 蛍の光のような燐光が周囲に舞い始める。

 

 それは様々な魔力の色を宿して、最終的には黒猫の頭上の虚空へと集積し、細い枝を周囲に広げる樹木の苗木のような形を取った。

 

「この気配……それって、もしかして宇宙樹(ユグドラシル)?」

 

「そうだ。その原木……この構造物の動力源だ」

 

「ずっと昔に失われた情報を現代にある種に同化させてオリジナル化したの。ユアンが世界中から奇跡で散逸した因子を集めて……」

 

 メルフがその場に体育座りで動かなくなる。

 

 喋るだけでもやたらと疲れたらしい。

 

「此処は……聖女の能力を減衰させる効果が働いている。奇跡を奪われる程ではないがな……だから、本来がお前と同じように不死身であるはずの我々も疲れるようだ……」

 

「ユアンもメルフもご苦労様」

 

 その労いに罰が悪そうな顔をしたメルフは視線を逸らし、ユアンもまた少なからず居心地が悪そうな顔をして指で頬を掻いた。

 

「お前にそう言われるような事は……」

 

「二人がこうして手伝ってくれてるから、色々と問題が一つずつ解決してるんだろうし。お礼くらい言っても罰は当たらないんじゃない?」

 

 ユアンが静かな瞳で少年を見つめ……視線が俯けられた。

 

「吹っ切れたとは思う。でも、まだお前をまともに見つめてやれないというか……その……済まない」

 

「それ……吹っ切れてない」

 

 ボソリとメルフが自堕落な姿勢で呟く。

 

「お、お前には言われたくないぞ!? お、お前こそシンアと何か解決したのか!?」

 

「………一つだけ」

 

「言ってみろ!!」

 

「もう夢は……悪夢じゃなくなったから……」

 

 少年から顔を隠すように背を向けた少女は何処か罰が悪そうな顔で沈み込む。

 

「ぅ……済まない……」

 

「別にいい。ユアンはハティアみたいに気が回る人じゃないし……」

 

「くッ?! 言わせておけば!?」

 

 ユアンがぐぬぬと手を出しあぐねて汗を浮かべる。

 

 聖女一の自堕落者と聖女一の善人。

 

 しかし、二人の共通点は一重に他人の気持ちがあまり分からないというところで一致する。

 

 同化の奇跡。

 

 検閲の奇跡。

 

 このまったく違う能力だが、拠って立つところは似たようなものだ。

 

 誰かと同じになる努力を厭う故の性であり、誰かのものを欲する故の性である。

 

 前者は合わせられないから同じにする。

 

 後者は自分には無いから奪いにいく。

 

 少女達はある意味で本質的に動か静かの違いしかないのだ。

 

「ふふ、あはは……」

 

 思わず二人の遣り取りに少年が静かな笑みを零していた。

 

「わ、笑うな……」

 

 ユアンが気恥ずかしそうに少年から視線を逸らし。

 

「シンア……酷い……」

 

 メルフが僅かに顔を赤くして、恥ずかしそうに身体を小さくした。

 

「……二人がそうやって仲良くしてくれてるのを見られて……うん……今、凄く幸せだよ」

 

「シンア……」

 

「別に仲良くないし……」

 

 埋められない溝は幾つもあるだろう。

 

 しかし、それでも少しずつでも歩み寄る三人の様子にこの場で自分は単なる置物なのでは?という現実を知ってしまった黒猫はシタッと一っ跳びで少年の頭へ戻り。

 

「マゥヲヲヲ~~?!!」

 

 此処の主は自分!!と主張しつつ、頬を膨らませて転移を実行した。

 

 少年が今度は別の場所へと瞬間的に連れられていく。

 

 残された聖女達は黒猫の不機嫌に顔を見合わせた後。

 

 チラリと互いを見て。

 

「後で会いに行こう」

 

「うん……付き合ってあげる」

 

 ユアンが手を差し出して、それを取ったメルフがまだ仕事が残っていると隣人を伴って歩き出す。

 

 彼女達が翌日、館に戻って後。

 

 アルヴァス派、ハルトゥム派に続く第三極。

 

 聖女派が少年の争奪戦に加わる事となるが、それは未だ少年も他の少女達も知らない修羅場の幕開けとなるのだった。

 

 *

 

「久しぶりだな。サイラー」

 

「そちらも変わりないようで」

 

 大陸中央北部オーリアス。

 

 中央諸国内部でも伝統的な陸軍国として名高い大盾の国。

 

 例外的に七教会の政治的な影響力の低い先進国。

 

 近代化の波が波及して以降は中央諸国内において七教会の兵士達の3割を輩出する正に近代歩兵の多い国として有名な地域。

 

 その首都バールグリッツ。

 

 超高層の建築群とコンクリート製の建造物。

 

 木造の洋館や煉瓦造りの街並みが同居する中央諸国でならありがちなごった煮な都市の片隅で七教会の【軽殻装(コート)】を着た周囲に文字盤(キーボード)を浮かべる巨漢と褐色の外套に身を包んだ三十代後半の男が喫茶店の奥まった場所で再会の握手を交していた。

 

「それでユヒア様は?」

 

「……ハッキリ言えば、無理してる。だが、この五年で成長してもいなさる。マロウ師団長に続きハティア様までも行方不明……気が気じゃないってのが本当のところだろう。だが、それで取り乱したりはしていない」

 

「そうか……」

 

 嘗て、魔王追討師団に集っていた連隊長の一人。

 

 フェルラス・ディオス。

 

 その容姿は然程この五年で変わってはいない。

 

 その好漢然とした佇まい。

 

 優男と武勇を誇る兵士。

 

 その両得な雰囲気を宿した男は褐色の地毛を背中まで伸ばしており、一纏めにしていた。

 

 下には普通の洋服。

 

 だが、武器携帯の免許と共に今もその腰には大陸標準の長剣が下がっている。

 

 武器の免許制が敷かれて後。

 

 中央諸国では個人の武器携帯率は下がり続けている。

 

 武器が物珍しいという平和な国でしか起こり得ない状況からすれば、フェルラスは注目されて然るべきであったが、横に七教会の制服がデンと座っていれば、そこまで目立つものではなかった。

 

 気だるい穏やかな曲が無線通信放送で流され、店内のスピーカーから直接響いている最中。

 

 彼らへ向く視線の大半は近頃のテロ活動の活発化に伴う七教会の義勇兵や師団の補充要員募集関連のスカウトと思うはずだ。

 

 唯でさえ、オーリアスは伝統的な陸軍国なのだ。

 

 その上、今も国民皆兵制度を敷く大陸中央では珍しい軍事に明るい国でもある。

 

 七教会のリクルーターが軍隊上がりを呼び込んでいるというのが一般的な見方だろう。

 

「今、お前マディクト様の下で働いてるんだったよな? こんなところで油売ってていいのか? 今、マディクト様が重症である以上、お前中核人材だろ?」

 

「その通りですが、今回の一件。どうも胡散臭くて」

 

「胡散臭い?」

 

「ああ、聖女様方の探索で銀獅子老とマディクト様が覚書を交されましたが……その直後に本部の消滅……どう考えても妖しいでは済まない」

 

「銀獅子……世界の中心たる国の更なる心臓、か。あの老王が色々やってるのはこっちだからこそ、よく分かっちゃいるが、元々は自分の故郷だぞ? さすがにソレは無いんじゃねぇか?」

 

「ああ、普通に考えれば……ですが、北部三国との主戦論を張るのはあの老人が議長の座から引き摺り下ろした男。今、中央諸国の亜人も異種も殆どがベリアステルとの主戦論で高揚している。あの国の態度はいつもと同じ。だが、今回はさすがに止められる理由が少な過ぎる……これを利用していると感じるのは気のせいなのか……」

 

「……お前の考えてる事は分かった。で? その妖しさ満載のご老人がベリアステルを攻める事で何か得するのか?」

 

「……ユヒア様が現在在籍される聖女養成機関に気になる情報を見つけました」

 

「まさか、ウチの学校が噛んでるのか?」

 

「護衛として一緒に花園に入っているから、分かるでしょうが……彼女達の中でも3年以降の者が去年の大陸西部で起こったアルヴァス事変の一つ。影化(フル・シャドウ)事件の時、投入された事は知っていますか?」

 

「あ、ああ、あの時はユヒア様を必死に行くなと止めたからな」

 

「その後の魔族大侵攻の時はアルヴァスに正式な協力を要請して受理され、彼女達は再び力を振るう事となった」

 

「その時も命掛けで止めさせてもらった」

 

「……止めてばかりですか……」

 

「止めなかったら、どうなってたか分からないからな」

 

「それで結局のところ彼女達の超常の力はその事件後にかなり減退しているという事が分かりました。ご存知で?」

 

「あ、ああ、それならユヒア様がご友人の話をされる時に色々と聞いたぞ。詳しい事は機密扱いで話せないって連中は言ってたそうだが、誰かに力を取られてから、返されても戻らない部分があったとか何とか」

 

「では、あの機関でこういう資料が作られたのは?」

 

 一枚の用紙がサイラーの持参した鞄から取り出されて提示される。

 

「……ベリアステルの法術に関する考察?」

 

「核心は一番最後です」

 

「……『本結果を踏まえた場合、超常の力そのものをベリアステル内の法術システムは生み出す事が可能と結論付ける』……オイオイ。つまり、あの老人は……」

 

「その可能性があると考えるべきです」

 

「手塩に掛けた次世代の聖女候補の能力を復活させる為に戦争し掛けようってのか?」

 

「あの老人ならやりかねない。そもそもベリアステルは七教会の発足後もならずもの国家、悪の枢軸、人権を蔑ろにする国、完全なる管理社会(ディストピア)と評判は最悪。ついでのように反七教会派であり、ハティア様が治めて下さったあの事件後も我ら七教会との関係は悪化したまま。その上、北部三国で反七教会派として同盟条約の改定が取り沙汰されている。第三国である大陸北東部のファサルトス皇国連合において条約の秘密改訂会議がこの三ヶ月で8回。事態は最終局面にあると推定されます」

 

「……大陸中央諸国の実権を握り、邪魔な聖女様方がいない状態で本部機能を麻痺。その上で自分が実権を握っている合間に戦争で各国の上層部までも直接制御下に置く、か」

 

「現在、南部のイグニシア・クルシスが不気味な程に静かだ。諸々の反七教会派の活動支援などは堂々としていますが、それにしても足場固めばかりしていてる。西部が反七教会派の中心になりつつある今、左手がおかしな動きをして右手は静かになっているという時点で……あの老人が何かを知っている。もしくは知っていて、それを利用しようとしていると考えるのは考え過ぎに思えない」

 

「……そうか。確かにそれは妖し過ぎる。でも、オレはユヒア様の傍は長く離れられないぞ?」

 

「分かっています。話は少し逸れますが魔王追討師団の再結集。バルガ・レオノトルテ師団長の事は聞いていますか?」

 

「堕天使の復活と懐柔の一件だろ? まぁ、昔馴染みから色々と情報は仕入れてるが、旧教会派を巻き込んだんだって?」

 

「彼が何を考えているのかは分からない。だが、確実に七教会は彼と老人。この二人に左右され始めている」

 

「……ミュルト様じゃ役不足か……」

 

「七教会で今、信用に足るのはミュルト様が管理を引き継いだ外宙碩学師団と月、海辺と大海洋に属する支部のみ。フルー様が戻られるのは数ヵ月後。それまで我々に出来る事は老人やあの騎士への掣肘。故に……」

 

「騎師(ミリス)、だな?」

 

「……元々、聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)の探索と追跡、捕縛の為に藩落において大規模オペレーションが発動される予定だった。その摘発の中核戦力たる騎師は三騎将含めて百名前後が現在リハビリ中。しかし、それも直に終わる。廃国域の封鎖をしている人員も通常師団と置換えている最中です」

 

「あの本部消滅時の怪我で三騎将下の部隊は更に復帰は先って話じゃなかったか?」

 

「色々と貸しを作りましたが、【聖杯委員会(ペルスヴァル)】の一部、あの老人を良く思っていない者達からの協力で回復させました。今、ミュルト様の直轄にして複数の【騎師団(ミリシェ)】を再編成。各地の支部に残っていた大戦時の遺産を全て外宙碩学師団に移送しているところです。月支部を拠点として、統合し直し……一個軍団として復活させる」

 

「オイ?! 今、物凄い事言わなかったか?」

 

「【聖杯委員会(ペルスヴァル)】とて一枚岩ではない。聖女様方との契約だけが全てでもない。無論、あの組織自体が内紛を起こす可能性もない訳ではないが、それならそれで別に構わない」

 

「……お前、実は怖い奴だったんだな。聖女様ですら、あの組織に手を焼いてただろうに」

 

「我々は人間です。人間を侮るのは超越者の悪いところだ。ついでのようにこちらは単なる普通の七教会人材……聖女様達程の警戒はされなかった。それにこれは聖女に具申出来る一部人材の“暴走”……途中で彼らが心変わりしても我らは何も出来ない、と見縊られている」

 

「はは、今度からお前を怒らせないようにするわ」

 

 汗を浮かべてフェルラスが顔を引き攣らせる。

 

「弱者には弱者の戦い方がある。舐められているからこそ、相手は嵌める事は出来ても嵌められないと信じている。だが、聖女様達が導いてきた人材の技術、叡智、成果……それは種族の頂点存在や畢竟魔境の超越者達にも勝るとも劣らない力を我々に与えてくれた。聖女様方は誠実に契約を履行しようとしているでしょうが、人間の我らはソレほど清廉ではいられない」

 

「超越者すら嵌める人間を普通って言わないだろ?」

 

「学生の時はこの大陸の古代史を専門にしていましたが、人類は異種の奴隷のような時代から彼らを騙す程度には賢かったそうですよ? いつの世も一番怖ろしいのは“普通”だと忘れっぽい超越者達には教えて差し上げたいところですね」

 

 サイラーの言葉に戦場に立つ者として奮い立つ心持ちとなって、フェルラスが僅かに拳を握り締める。

 

「それでお前の話は分かったが、オレに何をさせたい?」

 

「マロウ師団長を連れ戻します。この数ヶ月、状況が状況で棚上げにされていた案件です」

 

「棚上げ? よく分からんが……そうか。ようやくか。長かったな。この五年……で、今は何処に?」

 

「藩落。南部帝国と直結する物流の大動脈を持つ国家。いや、地域となった大辺境……双來(そうらい)……」

 

「藩落……五年前に行ったぞ其処。案外近くに居たんだな。それで封印か? それとも拘束されてるのか?」

 

「いいえ……」

 

 サイラーが僅かに瞳を俯ける。

 

「どうした?」

 

「……ユヒア様には辛い話になるでしょう。伝えるかどうかは一任しますが、個人的には全てが解決するまで伝えない事を推奨します」

 

「どういう事だ? 何があった? まさか、死んでるような状態とか言わないよな?」

 

「師団長が死ぬ姿など想像も出来ない……マロウ様は……師団長は……記憶喪失だとの事です」

 

「きおく、そうしつ?」

 

 呆然としてフェルラスが呟く。

 

「双來の存続と復興の立役者たる王女を含め四人の伴侶と八人の子供を儲けて……今、最も王に近い男……双來の仮面の英雄……マウロ……それが今のあの方の名だと」

 

―――穏やかな日常は終わっていく。

 

 それが否応無く人々の前にやってくる。

 

 世界の残酷さか。

 

 人の無残さか。

 

 何が惑わそうとも、これだけは事実だろう。

 

 裏切りこそが、人を最も深く傷付けるのだと。

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