第一節「麗しき逃走者」
港にはいつも物語が交錯する。
それは出会いであり、別れであり、新たな新天地での人生かもしれない。
だが、世の中には必ずしも平穏な時間だけが過ぎているわけではない。
もし、彼が運命の神様というものを信じていたなら、きっと今現在の状況に文句を言っていただろう。
何せ。
『おい!!? 其処の坊主!!! 手を上げて、ゆっくりとこちらを向け!!』
彼、イルト・イナーシタは密航者だったからだ。
それも発見されたてホヤホヤの、である。
「は、は~い……」
さすがに軍艦の貨物に紛れるというのは無理だったかとイルトは言われた通りの行動を取った。
それなりに肉体の瞬発力に自信はあったものの、背後からしたガチャリという音を聞けば、まったく致し方ない話だ。
近頃の大陸で出回っている拳銃というやつは教会の流通管理下とはいえ、中央諸国の軍人なら必須の品であり、殺傷能力は満点だ。
一発で死なない事も多いが、大きな血管を傷付けられれば、あっという間に失血死もあり得る危険性を秘めている。
「あ~~その~~」
巨大なコンテナが詰め込まれた広大な空間。
その最奥。
鉛色の扉の前でイルトは自身の前にいる男を見つめつつ。
直感的に『話して分かる相手じゃない』と理解した。
「この七教会謹製の艦に密航したところまでは褒めてやろう。どんな方法でセキュリティーを突破したのかは知らんが、見事なものだ」
それなりに成長期なイルトより僅かに背が低い壮年の男。
厳つい顔と左頬から眉間へと続く刃傷。
制服は迷彩色の野戦用のものだ。
アンデリット陸軍の腕章が男の地位をかなり上の者だと教えている。
『こちら貨物倉庫D区画。現在、不審者を発見し拘束中。ただちにMPを回せ』
『こ、こちら、通信室!? ゴーガン大佐?! そのようなところで何を!?』
『ゴチャゴチャ言ってないで人を寄越せ!! こちらは七教会の要請で機密捜査中だ!!』
『りょ、了解しました。ただちに保安部に通報し、人員を回します!!』
『よろしい。三分でだ。以上』
襟元の小さなピンに怒鳴り付けた男が再びイルトに視線を向ける。
「記録開始。密航者の容姿に付いて。肩まで伸びた光沢のある緑色の髪。身長は180前後。細身だが筋肉質で何かしらの武術の鍛錬をしていると推測される。顔は……まぁ、いいか」
「おい!?」
イルトが思わず声を上げたが無視された。
「衣服は非融解型の外套と灰色の作業着。作業着には内側からの魔術具による補修を確認。空間制御魔術式の形跡有り。基本的な北部錬金術師の衣装である」
イルトが一目で殆ど見抜かれた事に感嘆を隠せなくなる。
「おっさん。あんた只者(ただもの)じゃねぇな」
「こちらの探していた方では無さそうだが……」
「人の話聞い―――」
ガチャリと再び拳銃が鳴らされて、イルトは口を噤(つぐ)んだ。
「馬鹿そうに見えて案外利口ではあるか。では、さっそく質問に答えて貰おう。ちなみに沈黙には死あるのみだ。軍艦への密航は重罪。無期懲役か死罪であるのを忘れるな。此処で反抗的な態度及び妙な素振りをすれば、即刻射殺対象になる」
「オ、オーケー大佐」
「犯罪者に官位を呼ばれると足ではなく……心臓辺りに狙いを付けたくなる」
「分かった!? 分かったから撃つなって!?」
「なら、さっさと喋れ」
「あ、ああ。オレの名前はイルト・イナーシタ。十七歳。アンデリットのエルフェンテ出身」
「ほう。真偽の程はともかくとして我が国の民か。それが何故こんな場所にいる?」
「そ、それは……」
無言で拳銃の照準が眉間へと定められる。
「オレ、人を追ってきたんだ!!」
「人だと? この艦が何処に向っているのか分かっていて言っているのか?」
「あ、ああ、オレの師匠は錬金術師なんだ。その前は探索者か何かしてたらしくて、近頃になって軍のお偉いさんに復帰するよう言われたとかで、オレを残して行っちまった。それで……」
「師の名前は?」
「い、言わなきゃダメなのかよ?」
「取調べですぐに割れる。その前に協力しておけば、酌量の余地程度はあるな」
「う……リュオ。リュオ・クルミナスだ」
「リュオ? その名、何処かで……」
「師匠は若い頃は名うての迷宮探索者だったって話だからな」
「そうか。あの……」
男が目を細めた。
(だが、我が軍の募集には喰い付かなかったはず……どういう事だ?)
「それで師匠を追いかけようとしたら、丁度良さそうな船があって、ちょっと乗せてもらおうかと」
「ふぅ。やはり、馬鹿か」
「な、何でだよ!?」
男の溜息にイルトが食って掛かると“やれやれ”と肩が竦められた。
「お前は軍の募集を見ていなかったのか? 大々的に広告を打っていたはずだが」
「え?」
「ちなみに条件らしい条件は年齢十五歳以上である事。以上だ」
「そ、それって……」
「人生を棒に振ったな。坊主」
「の、のぉぉぉぉぉ……」
グッタリと身体を弛緩させて、床に両手が付かれる。
タタタタ。
足音が近付いていた。
イルトが扉の先に見たのはカーキ色の軍服を着て、小銃を脇に下げた数人の軍人だった。
「探索者もピンキリ。こちらとしては優秀であるならば、誰だろうとこの機会に受け入れる用意があった。しかし、犯罪者までは雇用対象外だ。本国との定期航路が確立している以上、次の本国行きの便で強制送還。然る後に法廷で裁きを受けて貰う」
「ぅ……すげぇ正論」
「世の中、そういうものだ」
『大佐!!!』
男達がイルトを取り囲み銃を向ける。
「不審者はコレだ。まぁ、次の便に乗せるまで独房に突っ込んでおけ」
『了解しました!!』
男達がイルトを立たせようとした時だった。
『圏域突入まで後1分。各員、位置に付いて下さい』
大佐と呼ばれた男が艦内アナウンスに舌打ちする。
「各員。安全を優先する。ウェストロックで壁際に身体を固定だ」
『了解しました』
男達が軍服のベルトに備え付けられていた鉄の鉤を壁際の手摺に繋いでいく。
「な、何してんだ?」
小銃も拳銃も横の安全装置(ツマミ)をロック状態にして退避する背中にイルトが不吉な予感を感じつつ訊いた。
「軍の船に乗った代償だ。まぁ、死にはせんだろう」
「どういう事か訊いてんだけど!?」
「これから圏域に突入する。自転と重力偏差の関係で猛烈な慣性が働くからな。正規の乗組員の制服には全て腰を内壁に固定する仕掛けが付いてるわけだ」
「おいおい。まさか、それって!?」
『突入します』
「ぬぁあああああああああああ!!!?」
強烈な慣性がイルトの身体を一気に天井まで持ち上げて張り付ける。
「ぐ、ぬぬぬぬ!!?」
『圏域慣性離脱まで後三分』
内臓を引っくり返されたような吐き気を堪えながら、20m近くあるだろう天井と床の距離に「絶対死ぬだろ!?」という渾身のツッコミを入れつつ、イルトが外套の懐(ふところ)に手を入れた瞬間だった。
バガン。
鉄が弾ける音。
コンテナの一つがまるで吃驚箱(びっくりばこ)のように開いたかと思うと黒いものを慣性のまま天井へと吐き出す。
「な、何だぁ!?」
イルトが思わず舌を噛みそうなまま叫ぶ。
黒い塊がギュルギュルと変形すると中身を見せた。
肩まで伸びた灰金(アッシュ・ブロンド)。
見えたのは人の頭部だった。
「?!!」
張り付いたイルトと珍しい髪の持ち主の視線が一瞬だけ交錯する。
「「――――――」」
白いというより青白い肌。
華奢な身体は今にも折れそうな茎を思わせ、吊目気味の瞳はイルトの姿に大きく見開かれている。
よく命掛けになると人間は時間が遅く感じられるようになると言われているが、イルトはそれを真実だと思った。
俗な言い方でよければ、とても簡単だ。
めっちゃ、好みだった、のだ。
「やはり潜んでいたか!!? 全員構え!!! 目標はあの女だ!!!」
自分よりも二歳か三歳くらい年下だろう少女。
イルトは端正な貌(かんばせ)が近付いてくるのを動悸と共に感じて紅くなる。
しかし、彼が人生最大の感慨に浸るより先に銃が構えられ、鉛弾がマズルフラッシュと共に吐き出された。
『どうしてこう我の行く先には無理難題ばかりなのだ……』
美しい少女のぼやきが彼の脳裏へと奔る。
銃弾が真直で弾ける音。
それを聞いて。
「し、死ぬって!? おい!!? おっさん!!!」
ようやくイルトは自分の顔面が孔だらけになる寸前だったと理解した。
弾丸を遮ったのは少女が着ていた黒い外套だ。
次々に着弾していく死の嵐を背中に受けながら、そのイルトにとってはか弱い女の子にしか見えない相手が言葉も発さず、彼の脳裏へ話し掛ける。
『そこの馬鹿面(ばかづら)』
「ば、馬鹿面!? 初対面で馬鹿面呼ばわりかよ!!?」
『袖振り合うも他生の縁。命を救ってやった対価に力を貸せ。お前は錬金術師か何かなのだろう?』
「あ、ああ、って言うか!? あんた誰だ!?」
『声紋は取られたくないので魔術で失礼する。我はイフィー。イフィー・ファサルトス。お前と同じ犯罪者でお尋ね者だ』
「オレ、犯罪者違うし!!」
『軍艦への不法侵入は無期懲役。あるいは死罪だ』
「う!?」
『このまま捕まって人生を棒に振るか。我を助けて逃げ切るか。二つに一つだと思うが?』
「く、それで何すりゃいい!!?」
『物分りが良くて助かる。二人通れる孔を外壁まで空けて欲しい。それが無理なら弱体化させるだけでも構わない』
「わあった!!? 命の恩人の頼みだ!! 無碍(むげ)にはしねぇさ!!」
イルトが外套の内部。
無数の衣嚢(ポケット)の一つから液体の入った試験管を二つ取り出す。
「少しだけ床の方に飛んでくれ!! でないと調合時間が取れない!!」
『分かった』
イフィーがイルトの腰を抱いた。
「ふぁ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げたイルトの内心は穏やかでない。
(や、柔らかい。女の子って良い匂いまでするもんなんだな……)
『跳ぶぞ。抜けるまで後十五秒。次はない』
古びれた皮製の旅装束姿。
細い足が天井を蹴った。
「―――はッ、分かった!!」
トリップしていたのも束の間。
銃弾の弾ける音を背中に聞きながら、イルトは一瞬の浮遊感と共に天井から数m離れた。
「いけぇええええええ!!!」
僅かな時間差で試験管が投げられ、内壁へと当たり、砕け、内部の液体を弾けさせる。
一つ目の液体が飛び散った後。
二つ目の試験管が破裂し、液体の一滴が混合された瞬間。
ギィイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイ。
急激な熱量の増加に内壁が膨張して硬質な音を立てる。
そのまま沸騰して、まるで炉に入れた鋼のように液体の飛散していた内壁が融けて爆発した。
『?!!!』
ザッとイフィーの外套が二人を包み、慣性のまま融けた壁の孔へと吸い込まれていく。
「に、逃がすなぁああああ!!!!」
兵達に声を掛けながら自分も拳銃で外套を撃っていた男があまりの事に唇を噛み締めた。
(此処で逃がしたとなれば、アンデリットに優先して配属された艦の運行も!? クソッッ!!!)
急激な気圧の変化で轟々を音を立てて流出していく空気の行き先。
遥か蒼い空を孔の先に見ながら。
アンデリット陸軍大佐ゴードン・ゴーガンは苦虫を噛み潰したような顔で歯を軋ませる。
「あの坊主……」
艦に掛かっていた慣性がようやく途絶えて。
兵達が身動き出来るようになった。
だが、何もかもが致命的に遅かったと言うべきだろう。
厳しい顔でMP達に命令を飛ばしながら、ゴーガンは融け落ちた天井を睨み付けて。
「この世界で生き残れたなら、また会おう。イルト・イナーシタ」
そう呟いた。
『宙域航行艦NO.021エトランゼ。ただいま【天蓋蒼星(メイズ)】に到着しました。停留地ノースポール・アガスタ。本日も【大流空壁(グレート・ダウナー)】の状態は良好。お降りの際は―――』
全長400mにも及ぶ巨大な空飛ぶ鋼の船が目的地である港へと向って降り立っていく。
21隻目の輸送艦は静かに他の同型艦達の横。
褐色の大地に聳え立つ菱形の巨大な整備型逗留港(ドック)へと接岸した。
艦の上空。
空の大半へ迫り出す蒼に染まる星が煌めき。
風景を遮る巨大な竜巻が遠方で遥か天空を貫き昇っていく。
【天蓋蒼星(メイズ)】
それは五年前突如として月と世界の間に発生した大地。
資源と繁栄を求めて集う探索者達を人々は【潜星者(アイム)】と呼んだ。
こうして、一人の少年と少女の出会いは果たされ、物語は始まる。
―――墜ちてるんですけどぉおおおおおおおおおおおおおお!!!!
叫びは澄んだ大気に溶けて散っていった。
誰かが繰る運命のままに。
*
―――浮遊大陸ハルトゥム魔王の館。
『あいつはな。最初、面白い奴に見えた』
『面白い奴?』
『ああ、我もあの頃は少し心が荒んでいたのだろうな』
『だから、面白い人が良かったって事?』
『……五年で色々な相手と戦ったが、誰も彼も苦労する相手ばかりだったのだ』
『苦労したんだ』
『そう軽く言うな。これでも七教会にはそれなりに畏れられたのだ。敵だって七教会の上から下まで聖女以外とは大抵戦った』
『傷とか大丈夫だった?』
『大丈夫だと思うか?』
『う……ごめん』
『だが、傷は治った。お前のおかげで……それだけでいい』
『イフィミスラ……』
『ほほう? それが噂のイラトか? 余にも浮気相手の事を教えてくれぬか? 親友』
『ゲホッ?! な、そ、そんな出鱈目誰に聞いたのだ!?』
『ん? 違うのか?』
『違う!!? 断じて!!』
『それにしては裸で暖め合った云々とか。色々な話が余のところには集まっているのであるが』
『うぐ?!』
『男は何も魔王ばかりではないのであるからして……見知らぬ男に気を付けぬと持っていかれるぞ? 心するがよい。ティア』
『あはは……肝に銘じておきます』
『ま、まったく!? そういう出鱈目を信じたりするな!! いいな!? ティア!!』
『は、はぃ……』
『よろしい。では、続きを話してやろう』
『その前にちょっと』
『?』
『えっと、実はユアン達にちょっと呼ばれてて。すぐに終わる用事だって言ってたから、少し席を空けたいんだけど』
『『『………』』』
『ダメ、かな?』
『君はいつもそうなのですね。はぁ……』
『ティアだからな』
『余の魔王様であるかして、仕方なかろう』
『今、物凄い勢いで何か諦められたような?』
『いいから、とっとと行って来い!! 我の怒りが爆発する前にな!!』
『い、行ってきます……何かついでに持ってくるから、ちょっと待ってて……』
『……良かったのですか? 聖女達の下に行かせて』
『あの馬鹿者を止められる者などいない。例え、それが生涯の伴侶だろうとも、な』
『ふぅ、甘いな親友……余だったら、大黒柱に縛り付けておるところであるぞ?』
『わ、我は恋人を束縛するような性質ではないのだ!!』
『しばらく、戻ってきそうにもありませんし、話の続きでも聞きましょうか。帰ってきたら、掻い摘んで話してあげればいいはずです。そもそも男性というのは女性から他の男性の事を詳しく聞きたいものではないと書物にはありました。魔王たる彼とて、それは同じかもしれません』
『むぅ……いいだろう。では、続きを語ろうか』
『そのイラトとか言うのはどういう感じの男だったのであろうか?』
『イラトではない。イルトだ……はぁ、まぁいい』
青き天蓋の下。
物語は続く。
『あいつは素直な奴だった。出会ってからずっと……きっと、我のように捻くれていなかった……だから、我はあいつに惹かれたのだろう……あの何処か抜けている馬鹿者に……』
それは遠い日の出来事ではないはずなのに。
何処か昔年の思い出のように全てがセピア色にも似て。
灰金の髪の少女の胸に思い起こされる。
確かに刻まれた足跡の記憶だった。