第四節「風の行方」
イルト・イナーシタは高い場所が得意だ。
主に建築現場でバイト三昧の日々だったからである。
かなり智識もあるが、別に大工を目指しているわけではないので、その技能が生かされる事は日常生活で殆ど無い。
無い場所に生きてきた。
三日前までは。
「崩れるぅうううう!? いや、崩れるってぇえええええええ!!?」
主に測量技術とか地盤の地質調査とか。
そういうものに詳しいイルトにとって、少女イフィー・ファサルトスの進路は絶望がゴールにしか見えなかった。
「何を騒いでいるのだ? こんなに頑丈そうな足場なのだから、崩れるわけがないだろう?」
アルファ・ヴィレッジを離れる事、四時間。
歩き通して辿り着いた場所は巨大な渓谷だった。
【大流空壁(グレート・ダウナー)】
半径数十kmにも及ぶ竜巻は一つの山脈より大きい。
その力で周辺の岩盤が削れ、長大な円形の渓谷となっているのは一大スペクタクルと言っても過言では無い。
(師匠。こういうのは観光で遠目に見たいです)
暴風で削れる岩盤の音があまりにも生々しく。
今にも崩れ落ちそうなルートを通って渓谷内部へと侵入したイルトは半ば恐怖心に半笑いだ。
人の足跡らしきものを見つけたのが一時間前。
それを追って渓谷に侵入する坂道を見つけたのが三十分前。
その坂道の途中から道幅が狭くなったり、崖下から吹き上がる強風で落ちそうになったりと、イルトは生きた心地がしていない。
それでもスイスイ前を進むイフィーの胆力は相当なもので、男として肝が小っちゃい気がした彼の矜持(プライド)は半分以上粉々だ。
「それにしても凄まじいものだな」
イフィーが道の反対側。
渓谷の数km先にある渦の壁を見上げた。
不思議な事に【大流空壁(グレート・ダウナー)】は周辺に暴風圏を持つものの、ある程度離れるとそこまで大きな力を持たない。
渓谷を生み出した力は今や無いとされているが、それでも人が歩くと危なっかしい、くらいの風力で治まっているのは天蓋蒼星七不思議の一つでもある。
「うぅ……こういう地層の岩場は衝撃に弱いんだぜ? せめて、そろそろ歩かないといつ崩れるか……」
涙目のイルトに大げさなという顔をして。
イフィーが道をガンガン足で踏み付けた。
「なッ?!」
「大丈夫ではないか。心配性過ぎるのは男としてどうかと思うぞイルト?」
そのまま平気な顔で墜ちたら即死だろう深い深い渓谷を降りていくイフィーにイルトは声も出なかった。
彼が何とか付いてこれているのは主に岩壁へ鉄杭で打ち込まれた縄(ロープ)のお陰だ。
それだけでも人が通っている事は確認出来る。
こんな渓谷で一体何をするのか解らなかったが、それにしてもそんな場所を命綱無しに平気で歩くイフィーの神経は尋常で無かった。
(近頃のオンナノコはテロリストで鋼の肝っ玉を持ってるのか……うぅう……)
主に身体の一部分が縮み上がっているのを自覚しながら、イルトはそろそろ後を付いていく。
それから十数分。
ようやく折り返しながら下っていく道の先が二人にも見えてくる。
渓谷の底は思ったよりも温暖。
風の影響が少ない場所のように見受けられた。
周辺の岩場には何やら掘削した後が有り、遠方には大型の【電子噐械学(エレクトロニクス)】製の大型重機の姿もある。
【電子噐械学(エレクトロニクス)】
それは聖女の一人が創設した法則と事象を合理的に探求する学問。
今やあらゆる魔力と超常の力を究明し、その大半をただの物理的な機関や回路という形で再現する総合科学。
そんな学問の徒である新進気鋭の碩学者(せきがくしゃ)は錬金術師百人よりも価値がある。
魔力を純粋なエネルギーとして変換し、内燃機関の動力源とする工業機械の発達は彼ら無しには在り得ず。
多くの面で人々は【電子噐械学(エレクトロニクス)】によって大きな恩恵を受けているのだ。
「おお!? ありゃ最新の運搬機材に掘削ドリルじゃねぇか!! こんな場所にどうやって降ろしたんだ?!」
建築現場でバイト三昧だったイルトにしてみれば、憎い商売敵の精粋だが、宝の山でもある。
大きな鉄の塊に引かれる男の性(さが)は、過去なら極大の浮遊要塞を浮かべた魔王、果ては山脈の如きゴーレムを生み出した皇帝まで、病気のようなものだろう。
「ふぅ。これだから男というのは……」
呆れた様子で視線を向けながら、イフィーが周辺を見渡した。
その瞳の中には小さな幾何学模様が奔っている。
極小の魔術式。
それも波動、魔力、気流、その他諸々の現在情報を観測する最新の探査術式だ。
重力の視覚化から周辺に凝る分子の比重まで観測出来る優れものには渓谷の奥の建造物まで見えていた。
「往くぞ。たぶん、あそこだ」
「見付かったのか?」
「いや、まだ分からないが、少なくとも人のいる様子はある」
「あ、奥に何か立ってるな」
「竜巻に放り込まれていなければ芽もあるだろう」
「おいおい」
助けに来たはずの少女から飛び出した物騒な言葉にイルトが額へ汗を浮かべた。
そのまま二人は身を隠しようもない渓谷の底を歩いていく。
すると。
キィィィン。
突如として音響装置が起動する際に発する独特の音が響いた。
『おい!! お前ら何もんだ!! 此処は【アルドストリアル・ガデッソ】の掘削地だぞ!!』
イフィーが聞いた事もない名前に「まぁ、いいか」とズンズン進んでいく。
『なッ!? 止まれッ!! 止まらないと防衛用の魔術式を起動する!! こちらは大陸中央諸国の最新式魔導。天下無敵の攻勢防御方陣!! ただの魔術師程度なら灰に出来―――』
ボジュン。
渓谷の横に幾つか備え付けられていた音響装置(スピーカー)が融け落ちた。
指を弾いた仕草からイルトはイフィーが思っていた以上に魔術師として高位にあるのだと知る。
「お、おい!? 大丈夫なのかよ!!?」
慌てて止めようとする声も聞き流した様子で少女は進んでいった。
「心配ない。それより問題は人質を取られたりする事だ。こちらが連れて来られた者の関係者だと知れれば、そちらの方が危ない。これで交渉のしようが無いわけだから、被害は及ぶまい」
「いや、でも、思いっきり何か魔導っぽい光が建造物方面に見えるんだが」
「ふむ。七教会の型落ち。それも公開されて一年も経った汎用防衛術式ではないか。あれで最新とは片腹痛いにも程がある」
「……え、それ大丈夫じゃなくね?!」
「最大出力で低位魔族に当たれば、焦げ目が出来るくらい、だったか?」
「その例えが凄いんだか、凄くないんだが、オレには分からない!!?」
しばし、考えたイフィーが閃いた様子で威力を表現する。
「所詮、二十年以上前に前線部隊が使っていた代物だ。威力で見れば、現役の部隊が使う最新式の数百分の1にしか過ぎない。この渓谷を一瞬で溶鉱炉にするくらいか」
「それ、絶対大丈夫じゃないよなッ!!?」
「と、言っている間にも来たな」
「ッッッ!?!?」
建造物の周囲で膨れ上がった幾何学の魔術方陣。
巨大な紋様から六つの光が吹き伸びた。
思わず目を瞑ってイフィーを後ろから抱き締めたイルトだったが、いつまで経っても熱を感じないという事実に「オレ、もう黒焦げになってたり……」という嫌な汗を背中に掻き、ギュッと身を縮める。
「何を抱き付いているのだ!!? ええい!? 鬱陶しい!!!」
顎の下を頭で打ち上げられて、尻餅を付いた彼が見たのはムスッとした顔で背後を振り返るイフィーと、その手前に展開されている複雑精緻な防御方陣。
魔術方陣の精度はそのまま出力の上限に関わる。
魔術の基礎を修めているイルトにもイフィーが展開する方陣の構築密度の高さが容易に理解出来た。
「す、凄げぇ……」
「お前のせいで半分構成し損ねたではないか」
「え、あ、ごめん」
「まったく。それ程、我は非力に見えたのか?」
「いや、まぁ、その、有り体に言えば……」
目の前で起こっている事を鑑みれば、庇うまでも無く少女は無傷。
イルトは自分の目が節穴だと認める以外なかった。
「こんな熱量や光の塊で我を退けられるなら、七教会はとっくの昔に我を確保していると思わないか?」
方陣が散らしていく熱量で渓谷は既に所々熱されて赤く染まっている。
「往くぞ」
渓谷の地下に満ちる熱を感じさせない涼やかな声。
イフィーの歩く場所はどんなに熱されていてもすぐに冷えて固まっていく。
おずおず後を付いていくイルトは昨日どうして時間が必要だったのだろうかと内心で首を傾げた。
*
渓谷を蒸し風呂にした迎撃方陣がイフィーの防御方陣に接触し、呆気なく砕け散ってから五分後。
中にいた七人からなる作業着の男達は身動き出来ない程ボコボコにされて建造物の外へ捨てられていた。
レンガ造りの事務所。
二階建ての狭い室内には重機を動かす積層魔力のストックが灰色の正方形状の物体としてベタベタ危険の文字の付いた札と共に無数積まれている。
他には幾つかの机と通信用の無線通信機。
家捜しの結果として何も見付からなかったという事実にイルトの胃はシクシクと痛んでいた。
「な、なぁ」
「何だ?」
「オレ達、またやらかしたんじゃ……」
「そうと決め付けるのも早いな。こういう場合、悪党が何かを隠すのは大概にしてこちらと決まっている」
イフィーの指が床を指した。
「地下?」
「ああ、この建物全体を“視て”みたが、不自然な魔力の導線が地下を伝って重機の方へ延びている」
「その先に?」
「可能性は高い」
ガラッと引き戸を開けると男達が「ひっ」と顔を青褪めさせて二人から離れようと後ろへ下がった。
「おい。此処に連れて来た男はどうしたのだ?」
男達の一人がガタガタと震えながら渓谷の重機がある方を指差した。
「あ、あああ、あっちの奥に休憩所があって、そ、そそ、そっちの地下にいる!! ま、まだ生きてる!!? だ、だから、こ、殺さないで!!?」
「どういう状態だ?」
イフィーの冷たい視線にオドオドと男が視線を彷徨わせる。
「ど、どういうってそりゃぁ、そのぉ……」
「此処で積層魔力に時限式の魔術でも仕掛けていくべきなのか我は?」
「ひッ!?」
ブルブルと男達が全員で首を横に振った。
「あ、あいつが悪いんだ!!? 此処の掘削は止めた方がいいなんて言うから!!?」
「どういう事だ?」
「此処の事を調べてたらしいが、此処を掘削すると何か大変な事になるとか言い出して、七教会に報告しに行くって話が出てよ……む、難しい事は分からねぇが、やばそうだったから金で懐柔しようとしたら、急に怒り出したんだ!! そ、それで動けねぇようにボコって寝かせたままにしてある……」
「ふむ。一つ訊く。どうして、此処を掘っていた?」
「し、知らねぇよ!!? オレ達は金で雇われただけだ!!? 言われた図面通りに掘ってたに過ぎねぇんだ!!」
「【アルドストリアル・ガデッソ】と言ったな。どんな組織なのだ?」
「第一層から第二層までを仕切ってる連中の一角さ!! 何でも一層から二層に抜ける場所がどうこうって話だったが、オレ達は此処に来て集められただけなんだ!!?」
「それで誰か此処を嗅ぎ付けてきた時には始末しろ、と言われていたわけか?」
「ぁ、ぁあ、そ、そうだ……」
男がガチガチと歯を鳴らしながら何とか頷いた。
「今から渓谷の上まで上げてやる。此処に二度と近付くな。さもなければ、次は……」
イフィーの瞳の冷たさにイルトですら背筋に震えが奔った。
「わ、分かった!! 分かったから!!? もう、此処には近付かねぇ!!」
「それでいい。欲を出すと死ぬぞ」
「ひッ!?」
「故郷の娘が大切なら、早めに帰ってやるのだな」
「―――な、何でソレを!?」
パチリと指が弾かれると男達が渓谷の上へと急浮上していく。
それを見送る事なく歩き出す背中にイルトは複雑な表情をした。
「な、なぁ、どうして、故郷の娘とか、そういうのが分かったんだ?」
「観測用の魔導を常時瞳に奔らせている。胸のペンダントに子供の篆刻写真。出稼ぎで悪事を働こうという性根は気に入らないが、家族の為に金でも必要だったのだろう」
「凄いんだな。イフィーは、さ」
「我は我が届かない人間を五万と知っているが」
「でも、やっぱ、オレにはそうとしか言えねぇよ。師匠以来かもしれない。こんな風に思うの」
「お前の師匠は凄い男なのか?」
「ああ、若くして錬金の秘奥を修めた人なんだぜ」
僅かに柔らかくなる言葉。
それに少しだけ口元を緩めて「そうか」とイフィーが呟いた。
「一つ訊きたいんだけど。どうして昨日はオレを頼ったりしたんだ?」
「時間が必要だったからだ」
「でも、イフィーくらいの強さがあれば、一人でも倒せただろ?」
「そうだな。普段通りならそれで済んだかもしれない」
「普段通り?」
「詳しい事は省くが、あの時は魔力の制御が著しく不安定だったのだ」
「不安定?」
「ああ、此処に来てから我の魔力には揺らぎが満ちている。さっきのは肉体内部に昨晩抽出していた魔力を使って術を発動させた。今、同じ事をしろと言われても出来るかどうか」
「それって……」
「術を瞬時に編んでも魔力の制御が不安定になれば、暴発。悪くすれば即死。方陣そのものを組まずに一工程で発動する魔術ですら、どういう結果を招くか。錬金を修めているなら想像は付くだろう?」
「魔力形質によっては考えたくない事になる、か……」
「そういう意味で今の我はお前が必要だ。イルト」
「オ、オレが?」
「頼りにしている」
「……おう」
頬が赤くなったのは渓谷に満ちる熱のせいだと言い訳して。
イルトは笑みを浮かべて応えた。
「付いたな」
二人の目の前には大型重機とその横にある横穴がもう見えている。
10m近い穴は魔力が妙に空間を涼しく保っていた。
奥で何かが動く気配を感じて。
「大丈夫ですかぁー!!!」
イルトが大声で呼び掛ける。
モゾモゾと動く気配。
「とりあえず。救出して外に出よう」
「ああ」
二人は行き止まりで灰色の正方形、積層魔力の束に寄り掛かるようにして倒れている人影を発見し、すぐ両脇に抱えて外へ向う。
「ぅ……すみ、ません。助けて、頂いて……」
「今は話さずとも。水は?」
「出来れば、今すぐにでも」
イフィーが腰にある袋を人影の口元へと運んだ。
「ング、ング、ングッッ!? ッ、はぁはぁ、はぁ……」
「生きている内に助けられて良かった。我はイフィー・ファサルトス。貴方が執政官の知己である―――」
「はい。僕が、リュオ・クルミナスです」
「はッッ???」
思わず立ち止まったイルトだったが、躓いた人影がベシャッと穴から出た瞬間に顔を確認し、思わず身を躍らせた。
「し、師匠ぉおおおおおおおおおおおおお!!!?」
「うごッッ?!!」
ただでさえ痛め付けられた肉体への衝撃。
男が思わず嗄(しゃが)れた声で悶絶する。
「わ、悪りぃ!! で、でも、師匠!!? 師匠だよな!!? リュオ・クルミナス!!!!」
「なッ!? イルト君!!?」
「知り合いか?」
そのイフィーの声はどちらへのものだったのか。
二人は真直で見つめ合い。
そして……正反対の顔となった。
「良かった!!? ようやく遭えたぜ!? 師匠!!!」
「何で君がこっちにいるんだ!!? 学校は!!? バイトだってあるだろう!!」
思わず一歩後ろに退いたイルトが汗を浮かべながらも何とか取り繕う。
「いや、ほら、オレって結構さ。自分の生き方とかサクッと決める方だから……あはは……」
「まさか!?」
「うん。学校辞めてきた」
「―――この大馬鹿野郎!!!?」
「うぁ!?」
思わず後ろに城持ちを付く程の剣幕。
イフィーですらも少し後ろへ退いていた。
揺ら揺らと彼の頭の後ろで蛇のように辮髪(べんぱつ)が揺れる。
「君はッ、君はッ、自分のした事が解っているのか!!?」
「うぐッ?!」
師と仰ぐ者からの叱責にイルトの全身がビリビリと痺れた。
しかし、目を瞑って、敢えて叱られようと覚悟したイルトの上にそれ以上の叱責は飛んで来ず。
「僕は……君の師匠なんだ……それがこの様……言いたい事はある。叱りたい事もある。だが、その前に人として、僕を救ってくれた恩人として、君に感謝する。イルト君」
罅割れた眼鏡の蔓を押し上げ苦く自嘲して。
リュオは手を差し出した。
「し、師匠ぉ……」
ウルウルと涙目でイルトがその手を取った。
「麗しき師弟愛はいいが、まずは手当てが先だ。リュオ・クルミナス」
「あ、ああ、ありがとう。優しいお嬢さん」
「お嬢さん、か。ふふ、そんな呼ばれ方はされた事がないな」
三人は事務所へと歩いていった。
その顔に笑みを浮かべて。
*
救出から数十分後。
イフィーの持っていた薬で回復力を促進されたリュオはイルトが横穴から取ってきた鞄の中にある治療器具で己を治療し、身体のあちこちを包帯で巻いて、ようやく寝台の上で人心地付いていた。
「済みません。クライアントに面倒を掛けてしまって」
「いや、これから世話になるのだ。気軽にして欲しい」
「そうですか。では、ファサルトスさんと」
「いや、イフィーで構わない。弟子が名前で呼んでいるのに師匠が苗字ではな」
「では、イフィーで」
「ああ、それでいい。こちらもリュオ先生と呼ばせてもらうがいいか?」
「ええ、命の恩人に堅苦しい呼び方を強要する理由はありませんから」
二人が笑い合うと二階からお茶を入れて戻ってきたイルトがそっと寝台横の台に陶磁器を置いた。
「師匠。具合はどうだ?」
「ああ、イフィーのおかげで半日程すれば動けそうです。痺れ薬を盛られていて、動くのも儘為らなかったんですよ」
「そりゃ良かった。でも、驚いたな。師匠がイフィーの待ち人だったなんて。吃驚(びっくり)だぜ」
「それは僕もですよ。イフィーがイルト君と一緒に助けに来たんですから」
「あ、ああ、ちょっと此処に来る時に色々あってさ。それで知り合ったんだ」
「色々、ね。そちらは後にしましょう。まずは此処の状況を説明させて下さい」
リュオがイフィーに向かい合った。
「此処が危険だと話していたらしいが、その件か?」
「はい。僕は長年潜る迷宮の下調べは欠かした事が無いんですが、此処は既存のあらゆる常識が通用しない場所です。それでも何とか攻略の鍵になる地形は無いかと探していて、此処を発見しまして……」
「教えてくれるか? 何故、此処を掘削すると危ないのだ?」
「知っていると思いますが【大流空壁(グレート・ダウナー)】は【天蓋蒼星(メイズ)】を貫いています。何処までそうなっているのか七教会はハッキリと示していませんが、たぶん……最下層近くまでだと世間では推測されている」
「ああ、だが、あの竜巻は【要素(エレメント)】を含んでいて並みの魔術師には突破不能。高位術者の殆ども歯が立たなかったとの話ではなかったか?」
「ええ。ですが、この渓谷には岩盤的に脆い場所があるようで地形の性質から行って、第二層まで直通の穴を掘れる可能性が高い」
「……そういう事か。正規ルートを通るよりも安上がりな抜け道を開拓しようとしていたのだな連中は」
「はい。だが、此処の地盤は渓谷を見れば解る通り、かなり弱体化している。下まで貫通する穴を開けたら、地域一帯の岩盤を崩落させる危険性があるんです」
イフィーが目を細めた。
「あ、あのー」
「何だ?」
イルトがイフィーとリュオの会話におずおずと割って入る。
「つまり、此処ってめちゃくちゃ危ない場所、なのか?」
「そういう事になりますね。イルト君。此処に来るまでに見た地層の感想は?」
「はは、もういつ崩れるか解らないハラハラドキドキだっ―――あ」
「?」
何かに気付いてダラダラとイルトが冷や汗を流し始める。
「どうかしましたかイルト君?」
「いや、あのさ。師匠」
「はい。何ですか?」
「オレ達、さっき……その、大規模な魔術方陣に攻撃されたんだよ」
「え……」
気付いた様子でイフィーも眉を八の字にした。
「ま、まさかとは思いますが、渓谷全体にダメージを与えるような?」
「いや、弾いてたから何とも。でも、掘削跡には直撃してた……ような?」
三人が窓の外。
遠方の大型重機がある掘削跡を見やる。
ベキリと目に見える亀裂が三人の視線の先で地面に奔った。
「「「……」」」
更にその亀裂から何やら暴風染みた突風が吹き出し、重機を横倒しにしていく。
「これって……」
イルトが半笑いで眉をヒクヒクと痙攣させる。
「逃げた方が良さそうですね」
リュオが深い溜息を付いて立ち上がった。
すると、地響きが二階建ての事務所を揺らす。
「往くぞ!!?」
慌てた三人が建物から出た。
遠方を見れば掘削跡がガラガラと背後へと崩れていく。
数km先にある【大流空壁(グレート・ダウナー)】から地下を伝って風が吹き込んでいるようで。
渓谷はもう豪風に占拠されていた。
「ど、どうする!? イフィー!!?」
「さっき男達を上に昇らせた魔術で今日の魔力は打ち止め。今の状況で三人を上げるには五分いる」
「道はッッ」
リュオが目を向けた先でガラガラと葛折(つづらおり)の坂道を落石が砕き散らしていた。
「錬金術で橋や縄のようなものを作る事は出来ないのか?」
イフィーの提案に二人が首を横に振る。
「準備がありません。基本的に錬金術は触媒を用いますが、今の持ち合わせでは」
リュオの言葉にイフィーが溜息を吐いた。
「……打つ手は―――有るな」
何かを閃いたようにイフィーが建物の中に戻っていく。
「イ、イフィー!!?」
「手伝え!! もし、上手く行けば全員助かる!!」
「わ、解った!!!」
「協力しましょう」
三人が内部に駆け戻って三分。
暴風が建造物を吹き飛ばし、地割れが渓谷を真下から呑み込んでいく。
全てが奈落へと落ちようとしていた、その時。
カッと渓谷に閃光が奔った。
『う、うぁあああああああああああああああああ!!?』
イルトの叫びが光の中から飛び出していく。
「リュオ先生!!」
イフィーの叫びに辮髪の麗人は唇の端を曲げた。
緊張と恐怖。
大地が崩落するという事態にあって、男は自分が師匠と呼ばれる存在だと硬く拳を握り締める。
「行きますッッ!!!」
急激に膨れ上がる光に押されながら渓谷を離脱する三人は大地がハッキリと【大流空壁(グレート・ダウナー)】に侵食されていくのを見た。
「積層魔力を全て練成。触媒を全投入。化合時間、十二秒。変性先を全て硬化剤に指定!!!」
リュオの左手が緑色に輝き、同期する光が閃光の中に生まれる。
キュイイイイイイイイイイイイイイイイ―――――――――。
渓谷を奔る光が急激な実態を伴って硬く硬く左右を閉めていく。
ゴガガガガガガガガ。
大地の張力に悲鳴を上げる魔力がガキガキと次々に硬化しては実態として定着していた。
やがて、微細な振動と暴風に削れていく魔力の成れの果て、山の如き白亜の塊が彼らの前に現われる。
「は、はは、はははははは!!! さっすが師匠!!?」
粘性のゴム。
パラシュートのように自分達を一まとめにして運ぶ落下傘の下。
縄で身体を吊られながら、イルトは壮大な練成結果に喝采を上げる。
「ふぅ。一時はどうなる事かと思いましたが、まさか【密碑(キャラクト)】で触媒を作るとは……」
「これはイルトが昨日【剣獣(ソーティアス)】を倒した成果だ。感謝するならイルトにするのだな」
「え!? いや、オレは、むぐ」
イフィーがイルトの口を人差し指で閉ざした。
「イルト君が? そうですか……君はもう立派に独り立ちしていたんですね」
(今はそういう事にしておけ)
耳元でそっと少女から囁かれて。
照れながらもイルトは微かに頷いた。
「では、後は七教会に通報して任せましょう」
「そうしよう。我も疲れた」
「彼らなら本格的な処置も可能でしょう」
「ああ」
全員がようやく終わったと安堵の息を吐いた時だった。
―――アウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ~~~~~~~~~~。
「「「?」」」
全員が何処からか聞こえてくる声に首を傾げ。
ボヒュン。
自分達の上から落ちてきた“何か”に落下傘を破られた。
「ま、またかよぉおおおおおおおおおおおおおッッッッ!!!!?」
前日に続き二度目。
重力は容赦なくイルト達を地面へと吸い込んでいく。
蒼い星の片隅で世界は変わり、出会いは再び果たされる。
イルト・イナーシタの受難はまだまだ終わる気配も無かった。
*
―――大陸北東部、寂れた路地裏。
男達が喝采に沸いている。
元の付く星潜者(アイム)達の祝賀パーティーが薄暗い路地奥にある飲み屋の一角で行われているのだ。
「いやぁ、よぉ!! 一攫千金!! これでしばらくは遊んで暮らせるぜ。がはははははは」
「まったく。天蓋蒼星様々だぜぇ!!」
朽ち掛けたような色の木製のジョッキからエールを呷って、肴に舞台の上で踊る三十台過ぎの少し歳の行った踊り子の艶かしいクネクネとした姿態を眺めながら、男達は乾杯しては色の悪い乾肉(ジャーキー)を齧る。
その中に一人。
ポツリとテーブルの端でペンダントを眺めている男がいた。
「オイ!! 飲まねーのかよ!! オレたちゃお大臣様なんだぜぇ~~今はよぉ~~」
さっそく酔っ払いに絡まれながら、五十代の男は静かにエールを口にして。
やはり、馬鹿騒ぎには興じられないといった様子でペンダントを覗き込む。
「ん? おぉ、可愛い娘さんじゃねぇか。おめぇ、そういや言ってたもんな。さっさと故郷に帰りてぇって」
「あぁ……明日の乗り合い馬車で帰るんだ。手紙も貰ってる。一週間前のだが、ほら」
仲間に僅かに笑みを零して男が懐から大事そうに手紙を取り出して見せた。
「ん~~目が霞んでやがる。何々? お母さんと一緒に待ってます。近頃、家の鶏が増えました……可愛い文字じゃねぇか。帰ったら可愛がってやれよ。嫁さん共々」
「ああ、そうするともさ」
「じゃ、オレはあっちで飲む。じゃぁあな」
フラフラと千鳥足で背を向けた仲間に見向きもせず。
男は飲み屋の木戸の外に見える天蓋蒼星に顔を向けた。
仕事の失態で働いていた組織から追われるようにして二層、三層へと潜り。
其処で偶然にも男達は七教会の踏破部隊。
それも新規の道を開拓しようとしている部隊に辺鄙な所で出くわした。
男達は七教会に身柄の安全確保を嘆願。
治安維持を司る七教会は軽犯罪での処罰を受け入れるならという条件付でこれを受諾。
任務を終えるまでの動向を許した。
結果、男達は七教会が倒した【剣獣(ソーディアス)】から特別な【密碑(キャラクト)】を手に入れる事となったのだ。
それは非常に高価な代物だったが、七教会の部隊は踏破目的以外での任務は受けておらず。
男達が石ころのようなソレを集めるのに何も言わなかった。
踏破部隊の任務完了後。
第一層の支部から祖国へ送還される前に服役。
約1年と数ヶ月で刑務所から出てきた男達は回収した密碑を全て売り払い。
その多額の金を山分けして、現在祖国の路地裏で帰路へ着くまでの憂さ晴らしをしていた。
色々とあったが、収穫は大きく。
これで農地を買う者。
これで遊び倒す者。
これで商売を始める者。
諸々未来への夢に浮かれている。
しかし、男にとっては唯一、嫁と娘が待つ場所に帰る事だけが全てだったと言っていい。
出稼ぎに出て帰ってくるまでに時間が経った。
顔を覚えているだろうかと。
こんなに可愛い文字が書けるなんて、将来は学者だなと。
褒めてやりたい。
そんな思いでいた男にとって、ようやく明日は家に帰る日。
僅かな涙で薄ら暈けた蒼き星に杯を掲げて。
まるでした事もない教会の神への祈りのように。
男は丁寧に瞳を閉じた。
煌々と耀くもの。
全てを照らし出す光の下。
馬鹿騒ぎはいつまでも続いた。
やがて、何もかもが寝静まり。
白む夜明けが紫雲を運んで。
男は一人歩き出す。
仲間達に頭を一度下げて。
我が家。
あの懐かしき故郷へと。
「今、帰る」
娘の学費。
我が子の将来の為、立ち上がった男の波乱万丈な日々はそうして終わりを告げた。
やがて独り立ちするだろう愛する家族の未来を確かに……満足に学び舎に通った事も無い彼は勝ち取ったのである。