第五節「失われしもの」
ヤスイヨ。
ヤスイヨ。
カッテッテ、オネイサン。
「うふふ。あらあら、どうしましょう」
天蓋蒼星第一層【夜の帳】は比較的商業が盛んである。
この惑星規模の迷宮とも囁かれる世界にあって、比較的人智の及ぶ場所であるとされているからだ。
一攫千金を夢見る【潜星者(アイム)】達にとって第一層は第二層以降での傷病や精神疾患を治療する安全な保養地や補給場所として重宝されている。
最初の民間逗留者達が入ってからというもの、第一層各地から下層に向けて順次商業が解禁され始めており、自前の補給基地や補給部隊を持つ七教会も何かと便利に利用している。
そういった商業に携わる一般企業やギルドとも違う怪しい人間やら荒くれ者が居留者に多いのは最初に【天蓋蒼星(メイズ)】に潜った七教会の方針である。
天蓋蒼星の物流、人的交流を掌握する教会にしてみれば何かあっても問題ない人間しか入れないというのが暗黙の了解なのだ。
故に大陸で食い詰めるような者達ばかりがやってきた各地の商業区画は混沌としている。
道端では効果も定かでは無い薬が平然と売られているし、使えるかどうかも分からない魔術具も多い。
それでも黒い市場に体を売る娼婦はいないし、大陸地方では珍しくも無い孤児や浮浪児もいない。
教会の検疫で引っ掛かるのは妊婦と娼婦と子供だけだと皮肉げに言われる程度には規律というものが猥雑な大通りにもある。
だからこそ、自分達は日陰者ながらも此処にいられる人間だと開き直った者達は教会の関係者を恐れない。
魔王との大戦から十年以上。
史上最強の超越者である聖女を七人も抱える七教会が大陸で裏社会から蛇蝎の如く嫌われているのとは対照的に良くも悪くも軽く扱われるのは天蓋蒼星ならではかもしれなかった。
「一つくださいな」
「へい」
まだ二十代。
若い修道女(シスター)が道端で麺麭(パン)を買って、通過代わりの【密碑(キャラクト)】を炉辺の屋台で財布から手渡した。
夜とはいえ。
迂闊に道端で財布を開くというのも気が抜けている。
それが何処だろうと人間がいるなら犯罪は起こるのが常だ。
一部の者達はその財布に詰まっている密碑(キャラクト)の量に目を疑って、一部の者は見なかった事とした。
おずおず出来立ての麺麭(パン)を受け取って。
ホクホク顔で去っていく女の背中は無防備。
その背後を尾行する者達がいたとしても責められた話ではない。
基本的に不干渉を貫く潜星者(アイム)の掟も犯罪行為に走る人間には関係がない。
お祭り気分でやってきた馬鹿な教会関係者から金の代わりをせしめようなんて、からかい半分だ。
「~~~♪」
大通りを抜けた先。
自らが生まれ育った大地を空に一望出来る街の門の上。
出入り自由の風が強い場所で。
落ちれば大怪我必至の出っ張りに腰掛けた女がさっそく懐の麺麭に齧り付こうとした時だった。
「へへ、ねぇちゃん。いいもん食ってんな」
皮製の旅装姿。
数人の男達が左右から修道女を取り囲んでいた。
「うぁ、綺麗だねぇ!? 此処には何しに来たんだい?」
「ああ、お腹でも空いているのでしょうか? 麺麭なら……そうですね。半分程差し上げますよ。一緒に食べませんか?」
カカカッと男達が苦笑する。
碧眼で別嬪(べっぴん)。
嫋(たお)やかで優しげ。
食事を分け合おうなんて常識をこの後に及んで言う呆(とぼ)けた返答。
どう見ても鴨が葱を背負っている図である。
財布を取り上げたくらいでは眉を八の字にされる程度だろう。
世間を知る高い見物料だと思って諦めろ。
そんな台詞が彼らの中に浮かんだ。
「お嬢さんよ。ここらじゃ見物料取ってんだよ。オレ達の縄張りなんだ。出来れば、財布の中身を頂戴したいんだが、幾らか払ってくれるかい?」
男の一人があまりの善良さに半分くらいで許してやるかと良心を働かせたのは、彼らも一応は弁(わきま)えている人間だったからだ。
七教会を怒らせれば、それは即ち人生の終わり。
命や貞操まで奪う程の儲けでもない。
ならば、せいぜい吹っ掛けて困らせ愉しもうという趣向である。
「そうなのですか? では、どうぞ」
「え?」
手を出した男がすっかり毒気を抜かれた様子でポンと渡された財布を見る。
「どうせお金も入っていませんし。施しは世の為、人の為、己の為と聖典にもありますから」
にっこり。
男達は一瞬呆けた。
馬鹿とか阿呆とか間抜けとか。
修道女に対する言葉なら幾らでも出そうなものだが、彼らは世間知らずでは済まない善性というものを前にして狼狽している感すらあった。
「お、おうよ。な、なら、貰っておくぜ」
チクチクと良心の呵責が彼らの心の内に沸き上がる。
「そのお心を大切にしてください。それと寄付は悪事ではなく生活や人々の為にお使いを」
そう言って麺麭を頬張り始めた修道女に男達は何も言えなくなった。
こういうのが本当の聖人なのかとの想いからである。
「あぁ、そういえば一つ。お尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「な、何だい?」
何とか財布を受け取った男が応える。
「他の街には壁がありませんでしたが、どうして此処にだけ立派な壁が?」
「あ、ああ、そんな事か」
男が何を訊かれるのかとドキドキしていた事も忘れて咄嗟に素で返す。
「此処【アール・ヴォイド】は第二層に降る迷宮が近いんだよ」
「そうなのですか?」
「ああ、それで近頃は【剣獣(ソーディアス)】の動きがおかしいとか何とか言われててな。ついこの間、七教会の補給部隊が降りていく際に防衛用にってこの壁と門を拵(こしら)えたんだ」
「何と、何という事でしょう。七教会の威光。いえ、七聖女様達の御光はこんな場所にまで届いているのですね。うふふふ……」
「ず、随分と嬉しそうだな。ねぇちゃん」
「ええ、それはもう。貧しき人、病める人、悲しき人、寂しき人、怒れる人、苦しき人、迷う人、そのような全ての人々と、この世の全てを救済する事こそ、七教会の目標であるのですから。その一端を真直で見られる以上の喜びなんて在りはしません」
ゾッとする程にウットリした表情でお題目を唱える女が何か自分達とは違うモノに見えて。
男達の顔は引き攣っていた。
「そ、そうかい。それじゃ、オレ達はこれ―――」
「ああ、もう一つ。何故、あの壁の下を【剣獣(ソーディアス)】がウロウロしているのでしょうか? 確か、街には入ってこないという話を聞いたのですが」
「そ、それはほら、言っただろ。動きがおかしいって。近頃、妙に街の近くまでやってくる事が多くなっててな。壁があれば大丈夫だからって、今も放置してるらしい」
「何と言う事でしょうか!?」
「へ!?」
修道女がガッと立ち上がり、ゴッと壁を蹴り付けて、宙を跳んだ。
『ッッッッ?!!!』
男達が思わず壁の下に首を突き出して飛び降りた修道女を目で追う。
「ああ、何という事でしょうか。どういう事なのでしょうか。何故、街の防衛部隊はこんなにも危ないものをそのままにしておくのでしょうか。如何なるつもりなのでしょうか。民が不安に思っているならば、金輪際近付く事すら儘為らない程の衝撃で斬撃で刺突で切り裂き貫くべきではないのでしょうか。それとも剣ぐらいでは不足なのでしょうか。銃器? 銃器でなければやはりダメなのでしょうか? それならばワタクシに言ってくだされば良いものをッッッ!!!!?」
ドズン。
妙に重い激突音。
男達は何かを喋りながら落ちた修道女を星の明かりに照らし―――見てしまった。
「ああッッ!!? 主よッッッッ!!!!!」
激音。
それは火砲にも似た火薬の弾ける音色。
「主よッッッッ!!!!!!! このような剣なんだか獣なんだか分からないものに怯える魂達に安寧齎す力をッッ!!! どうか、この手に宿してくださいッッ!!!! どうか、この非力な身体に宿してくださいッッッッッ!!!!!」
ドゴォォォ。
拳銃のマズルフラッシュにしては激し過ぎる閃光が夜の世界を瞬間的に焼く。
地響きにも似た激発を奏で始めたのは修道女が何処からか取り出した一丁の拳銃だった。
いや、それを銃と言うには聊か大き過ぎる。
自分の細腕よりも太い砲身。
吐き出される人差し指より長い薬莢。
二メートル強もある、どう見ても鈍器にしか見えない鋼鉄の塊。
銃と言うよりは火砲。
火砲と言うよりは鈍器。
分厚い砲身内部で膨大な魔力が発射時、比例してみれば小さいとも思える銃口内部を飛び出す弾丸に尋常ではない威力を与えているのだ。
明らかに常識的ではない鋼の塊は男の性を刺激して止まない暴力で満ち満ちている。
「ああ、獣よッッッッ!!! 卑しき、撃滅するべき、教会に仇成す、須(すべか)らく滅びるべき、まったく役にも立たない、塵にすら劣る、聖女様達の行いに叛く、憐れなる、本当に愚かなる、剣達よッッッッ!!!!!」
街全体がまるで戦争でも始まったかのように静まり返っていた。
壁の遠方。
軽量鎧(ハーフプレート)を付ける治安維持部隊も驚天動地の様子で門へと全速力で駆け付けていく。
「ワタクシがその悪辣なる肉体を砕き終わるまで静かに待ちなさい」
街の近くで大人しいはずの剣の獣達が世闇からまるで湧き出る如く溢れながら女を取り囲んで―――砕き散らされていく。
一つの号砲で十の獣が貫通された。
「待つという概念が分からないのですね。何と蒙昧なるもの達なのでしょうかッッッ!!!!」
殺到する剣山が素手で薙ぎ払われた。
バキバキと剣が拳と肘で折れて削れて火花を上げては崩れ去っていく。
「ああ、ワタクシにもっと力があれば!!!? こんな糞蟲にも劣る非力では主の先槍にして師たる【聖征者(クルセイダー)】様達に申し訳がありませんッッ!!? う、ぅうう、どうすればいいのでしょうか……」
悲嘆にくれながら、正確無比な暴虐となって剣獣(ソーディアス)達を蹂躙する修道女の姿に駆け付けた誰もが言葉を失って呆然とするしかなかった。
終わり無く続く破壊が治まったのは世が明ける頃。
第二層へ向う迷宮の街【アール・ヴォイド】はその日、特需に沸いた。
壁から溢れる程に堆く積もった密碑(キャラクト)の山が取り放題というお触れからだ。
しかし、その千載一遇の大機会(チャンス)へ飛び付かない者達もいた。
それはずっと門の外を見ていた者達。
理解不能の怪物修道女。
弾丸が尽きても拳と鈍器で戦い続け、最終的には全ての剣獣(ソーディアス)を平らげて、日々の細々とした労働に感謝するような笑みで迷宮の方角へ進んでいった彼女を見て、それでもソレを拾おうとする者は誰一人としていなかった。
その日の内に教会へ中身がまったく減っていない財布が届けられたのは一重に彼女の熱心な信仰と活動の賜物であると教会の誰一人として知る事は無く。
七教会の特務戦技官。
アイネス・ラッシュバルト。
今年で三十二歳になる美しき未亡人は歩く【密碑製作者(キャラクト・プロデューサー)】の称号を得た。
「さて、あのテロリストは何処にいるのでしょうか?」
彼女が追うのは灰金の少女。
イフィー・ファサルトスに他ならず。
蒼き天蓋の星はゆっくりと新たな混沌の因子を覆い隠していくのだった。
*
一人の修道女が迷宮に赴いた頃。
一晩を荒野で過ごしたイルト達は朝を迎えていた。
「ん、んぅ……」
三人は既に起きている。
イフィーは発見した水源から汲んできた水を小さな鍋で沸かしていた。
鍋の中には干し肉と香辛料と野菜がコトコトと煮込まれている。
「んゃぁ♪ うんにゅ……」
イルトはそんなイフィーの横で天然の触媒である野草やその辺の小さな石ころでスプーンやらフォークやら皿を練成していた。
基本的には魔術方陣に触媒を撒いて土中の鉄分を集め収斂する地味な作業だ。
「……んゅ……」
その横でリュオは水に濡らした布を傍らの額に置いている。
無論、自分のではない。
「んにゃんにゃ……」
四人目の額にである。
「ふぁぁぁぁぁぁ……」
リュオの横。
ムクリと起き上がったのはイルトと同じ年頃の少女だった。
緩く巻かれた桃色の髪。
粗末な村娘風の衣装は妙に煤けているが内側を獣皮で補強する元来の丈夫さからか破れ一つ無い。
足を出すなんてはしたないとばかりに足首まですっぽりと覆うスカートは旧い北部の伝統手芸の技で花柄をあしらい。
彼女が大陸でも北よりの場所で生まれた事を暗示している。
全体的に見れば凡そ天蓋蒼星(メイズ)には似つかわしくない少女、という事になるだろうか。
その全体的に垂れたお人よしそうな目元と寝惚け眼で幸せそうに起き上がる姿は怪我人だったとは思えない。
「目が醒めましたか?」
「ん、あ……おはようございます」
「え、ええ、おはようございます」
そっと桃色髪の田舎娘の背中を起こしたリュオが朝の挨拶に戸惑う。
「あれ? ピアリはどうして此処にいるんでしょう?」
惚けた事を言いながらキョロキョロと辺りを見回す視線が困惑に染まる。
「覚えていませんか?」
「覚えて……んん?」
ハッキリしないやり取りをしながら少女が首を傾げる。
「そう言えば、どかーんと来て、ぐるぐるぅうってなって、ひゅーばふん、みたいな事になったような……」
「……どうやら何となくは覚えているようですね」
「何がですか?」
本気で分からなそうな顔で少女がリュオに尋ねる。
「貴女は一瞬発生した【大流空壁(グレート・ダウナー)】の支流に巻き上げられてきたんですよ」
「ぐれーとだうなー?」
「アレです」
リュオが指差した方角には今日もノースポール・アガスタの象徴とも言える巨大な竜巻が渦巻いていた。
「ふぁ?! で、ででで、でっかいぐるぐるが!?」
驚いた様子で尻餅を付いた少女が目を回した。
地面に敷かれた布にまたパッタリと倒れ込む。
「最初は助からないかと思いましたが、どうやら大丈夫そうですね」
「あの、先生がピアリを助けてくれたんですか?」
「あはは、先生ですか」
「あ、ごめんなさい。何か、そんな感じがして……」
リュオが苦笑する。
「いえ、そう言われるのは慣れてます。確かに僕は一時期先生でした」
「あ、ありがとうございます。先生」
再び身体を起こして頭を下げる少女にリュオが首を横に振る。
「いえ、本当に貴女を助けたのはイルト君です」
「いると君?」
リュオの先でイルトが慌てた様子になる。
「いや、オレはただ師匠の真似してギリギリ地面を練成しただけだぜ?!」
「さすがの僕もあんな咄嗟に練成手順を簡略化出来ませんよ」
「あはは、まいったな」
師に褒められて照れた様子になる彼を見て、少女が立ち上がる。
「もう、大丈夫ですか?」
「はい。ピアリこう見えても頑丈なので」
服の埃をポンポン払ってイルトの前まで往くと桃色髪の少女がにっこりと笑う。
「ピアリを助けてくれて。ありがとうございました。イルトさん」
「お、おう。つーか、まだ名乗ってなかったな。オレはイルト・イナーシタ。そこの師匠リュオ・クルミナスの弟子だ」
「あ、先生の生徒さんなんですね」
「ええ、では、僕も……こほん。僕はリュオ・クルミナス。今は潜星者(アイム)をしています」
「我も名乗ろう。我はイフィー。イフィー・ファサルトス」
「貴女もピアリの事を助けてくれたんですか?」
「咄嗟に減速する魔術を編んだだけだ。イルトが地面を多重構造の衝撃緩衝材にしていなければ、今頃どうなっていた事か」
師に続き惚れた少女からも賞賛を受けて、イルトの顔が得意満面となった。
「ふ……オレ、これでもちょっと出来る子だからさ」
調子に乗る少年に「やれやれ」という視線を二人が投げ掛けているのを見て、クスリと少女が笑う。
「ピアリも自己紹介しますね。ピアリはイクスピアリって言います。本当に助けてくれてありがとうございました」
「イクスピアリか。苗字は何て言うんだ?」
「苗字……って何ですか?」
「あ、えっと、師匠。これって……」
イクスピアリ、ピアリの言動の見ていたリュオが僅かに目を細める。
「いえ、まだ断定は出来ません。イクスピアリさん。少しいいですか?」
「あ、はい。それとピアリの事はピアリって呼んでください」
「はは、分かりました。では、ピアリさん。幾つか質問に答えてください。軽い診察のようなものです」
頷いたピアリにリュオが簡単な質問をしていく。
「ご自分の生年月日は分かりますか?」
「せいねんがっぴ?」
「生まれた時期の事です」
「え~と、分かりません!!」
何故か回答は偉そうだった。
「次の質問です。ご自分の出生地は分かりますか?」
「しゅっせいち?」
「生まれた故郷の場所や村の名前の事です」
「ん~と、分かりません!!」
「で、では、最後に今自分が何処にいるか分かりますか?」
「そう言えば、一体ここはどこなんでしょう?」
「「「…………」」」
逆に問い掛けられて三人が互いに顔を見合わせた。
「師匠。これって」
「ええ、殆ど間違いありません」
「まさか、このような事が本当にあるとは」
「?」
会話を聞いていたピアリは何も分かっていなさそうに三人へ微笑んだ。
「ピアリさん」
「はい。何でしょうか先生?」
「今の貴女の深刻な状況を説明させてください」
「しんこく?」
「ええ……ピアリさん。貴女は―――」
見守っていた二人の前でリュオは真剣に告げた。
「記憶、喪失です……」
しばし、沈黙が四人の間に下りる。
そして、ピアリもリュオと同様そっと真剣な表情で聞き返した。
「きおくそうしつって、何ですか?」
*
記憶喪失。
正式名称、逆行性健忘症。
そんな医学智識をリュオが話したものの。
本人にはまったくもってチンプンカンプンだったらしく。
『ピアリの記憶って何処に落ちてるんでしょう?』
と、全てはそんな言葉に集約された。
「では、ピアリ。皿にスープを盛ってくれ。こちらは茹で麦をよそう」
「はい。美味しいですよね。茹で麦」
「そうだな。我も気取った料理よりはこちらの方が食べ易い」
少女二人がきゃっきゃウフフと早くも打ち解けた様子で食事を盛り付けている横で、イルトとリュオはヒソヒソ男の会話をしていた。
「こ、これって、オレ達の責任……かなぁ?」
事故とはいえ渓谷崩壊の引き金を引いた自覚があるイルトは増えていく罪状にどんよりした。
イフィーが魔術方陣を半分構築出来なかったのは彼が抱き付いたからだ。
もしそれが無ければ渓谷に熱量の槍が散逸する事なく防げたとの話は昨夜の晩に聞かされている。
「ですが、結果は最善でした。過去の記憶の大部分は失われているようですが、他の一般常識の幾つかは生きているようですし、現状……彼女の身元を捜す以外に我々が出来る事は……」
リュオが責任を感じて、溜息を吐き。
情けない自分に頭痛がする有様で頭に片手を当てた。
「まずは七教会の名簿を手に入れなければなりませんね」
「名簿?」
「ええ、此処にいるという事は彼女もまた潜星者(アイム)あるいは七教会の関係者のはずですから」
「そっか。そうだよな。そうすりゃ、あの子の過去も……」
「ただ一つ問題があります」
「問題?」
「ええ、イルト君。君は彼女イフィーの事をどれだけ知っていますか?」
「え、ああ、何と言うか。テロリストっぽいなぁ、と」
「そうですか。既に幾らかは知っていましたか」
「師匠はまさか最初から?」
「彼女は友人に紹介されたんです。その時に一通りの情報は貰いました」
「師匠の友人て、まさかテロリスト?!」
「はは、まさか。どちらかというと彼はテロリストを取り締まる人の一番上にいる人間ですよ」
「え、そんな人間が何でイフィーの事を師匠に紹介するんだ?」
リュオの瞳が多少鋭くなる。
「それ以上を聞けば、これから共に往くか帰るかに関わらず君も大きな荷物を背負う事になります。それでも構いませんか? イルト君」
「師匠……」
リュオが自分を気遣ってくれているのだと知って。
イルトが親指を立てた。
「水臭いぜ!! オレは師匠の弟子なんだ!! それくらいの覚悟が無くて此処まで来るかよ!!」
「君って奴は……いいでしょう。では、お話します」
それからリュオがイルトに話したのはイフィーと彼がどういう関係であるかについてだった。
「彼女を紹介した友人は嘗ての同志。魔術結社に身を置いていた時の知己(ちき)です」
「今じゃ偉い人なんだよな?」
「そうです。彼はこの大陸でも有数の権力者。そして、同時に七教会に弓引く者でもある」
「七教会に弓引くって、それ反七教会派の事か?」
大陸において新たなる常識を確立しつつある七教会の影響下にある地域では、その善性に満ちながらも独裁の如くゴリ押しで何でも変えていく遣り方に異を唱える者達も多い。
「彼は反七教会派の中でも国を運営するような立場にいる。そして、彼女は彼とは違い公的には犯罪者として追われながら七教会の闇や不祥事に近い事実を暴く事を生業にしている」
「だから、テロリスト、か」
「七教会に全てを阿(おもね)る国々だけではないという事です。アンデリットは中央諸国の一員として疑問を持つような人間は少数でしょうが、中央を離れれば不満を持つ人間は沢山いる。革命闘士になるのが若者にとって遊び半分の流行なら、彼女はそれとは真逆。本当の意味で七教会の敵という事になるでしょうか」
「そっか。イフィーはそういう連中の一人なのか……」
「という事で、僕とイフィーが七教会に身元を確認されるような事態は避けたいんです。もし事が露見すれば友人にも色々と迷惑が掛かる事になる。そうなれば、大陸に再び五年前以上の波紋が投げ掛けられるかもしれない」
「……何か聞いただけで師匠の友人て凄い上にいるような感じなんだけど」
「まぁ、この大陸で最大とも言われる国家で執政官をする男です。何かと柵も多いんですよ」
『イルト。リュオ先生。朝食が出来たぞ』
『出来ましたよ~~』
二人の少女の声に男二人が振り向いた。
「では、今後の予定は食事の後に決めましょう。まずは此処から一番近いアルファ・ヴィレッジで情報収集してからという事で」
リュオとイルトが戻っていくと練成された鉄の皿にはスープと茹で麦が盛られていた。
小さな火を全員で囲むとピアリがポツリ呟きを漏らす。
「皆さんが優しい人で良かったです。えへへ」
その笑顔に釣られて。
三人は思わず三者三様に苦笑した。
もしかしたら、四人の中で一番の大物は記憶の大半を失いながらも微笑む桃色髪の少女なのかもしれないと。
そうして旅が始まる。
それが短いか長いか。
その時は誰にも分からず。
「あ、これお塩じゃなくて……お砂糖?」
全員の口からドロリと甘い肉と麦が―――そんな麗らかな朝食時だった。
*
世界には色々な仕事が存在する。
旧くは人が社会を形成した頃から存在するモノもあるし、最近になって出来た代物もある。
しかし、この世で最も新しい仕事は……旧くは迷宮探索者と呼ばれていた者達から連綿と続く新旧合わせても、永い永い時を経てきたからこそ存在する職業だ。
星潜者(アイム)。
彼らは五年前からそう呼ばれている。
だが、天蓋蒼星に潜るというのは通常の迷宮探索とは何もかも勝手が違う。
誰が最初に呼び始めたのか。
惑星規模の構造体の地下層に潜る彼らは多くの場合。
深み到達すればする程に己の技量が試されている事を自覚するのだと言う。
だから、誰もが己を探索者とは呼ばない。
今日もまたそんな彼らの一人が道を歩いていた。
数万kmにも及ぶ広大な惑星の何処か。
ヘトヘトになりながら、夜天の星を見上げて。
少女が一人。
「次の街まで……持つ……かな?」
暗闇にその顔は見えない。
だが、その背後に背負われた大きなリュック。
横にぶら下げられた鍋や箸を見れば、使い込まれた様子が分かるだろう。
擦り切れた皮製の旅装。
その下の肌は気温が低い為、汗ばんでこそいなかったが、僅か微熱を持っていた。
(これまでだって、一人でやってきたんだ……こんなの何て事ないよ。ね)
個人で天蓋蒼星を潜るというのは余程に力量が無ければ、自殺行為だ。
通常の迷宮とはわけが違う。
人にとって星が世界と同義なら、その場所は人の命を掛けても巡り抜く事の出来ない広さだ。
病気、怪我、その他諸々の事を考えた時。
個人が生き残れる可能性は低い。
「ぅ……」
トボトボと歩く少女の片腕から僅かに雫が滴る。
巻いた包帯から滲んだものが地面に吸い込まれていく。
剣獣(ソーディアス)との戦闘で退けたはいいものの。
手傷を負わされて、次の目的地まではまだ10㎞以上。
早く辿り着かなければ、餌食になるのは確定的だろう。
夜は獣の領分。
街の外に出ている人間は狙われる。
そんな星潜者の常識は間違いなく彼女を急き立てていたが、体は心に追い付かない。
「はぁはぁ……っく」
腰にぶら下げた水筒から水を一口。
また、少量の粉型栄養剤を喉の奥に水溶性の包みと共に放り込む。
これでまだ歩ける。
彼女とて、それなりに潜ってきた一人だ。
こんな場所で野宿すれば、どうなるかは知っている。
個人なら余程の手慣れか。
あるいは複数人でなら構わないかもしれない。
しかし、それ程の実力が自分に無い事を一番良く分かっている少女にとって、休む事は死ぬ確率を飛躍的に上げるのと同義だった。
(一度、帰ろうかな……もう十分、溜まったよね?)
密碑の稼ぎは既に十分な量。
祖国に帰る事は出来るのだ。
問題は慣れてきたからと少し遠出してしまった己の無茶。
次来る時はもっと準備と訓練をしよう。
そう、彼女は脚の重い事を紛らわせるように脳裏で考える。
だが、そんな未来への希望を打ち砕くように少女は……自分の往く手に浮いた複数のシルエットを見た。
剣が城壁の如く浮いている。
何本かを数えるのも面倒過ぎる量。
逃げる為の用意は此処まで来るのに使い果たした。
後一枚、転移の符があれば、街に辿り着けたかもしれないが、それは永劫不可能。
少なからず。
十秒後には己が死んでいるという現実を前にして、拳だけが白くなるまで握り締められた。
(こんな所で終わりかぁ……あぁ、そんなの無いよ……あんまりだよ……まだ、可愛い服だって着たいし、美味しいものだって食べたい。彼氏だって作りたいし、家族にだって会いたい……なのに……)
一筋、涙が毀れて。
嗚咽ではない。
無駄だろう短刀の刃を相手に向けて。
彼女は叫ぶ。
―――さぁ、来い。
それに呼応したわけでもあるまい。
しかし、確かに剣が一様に切っ先を少女に向け。
同時に彼女の体へと襲い掛かった。
瞳に映る最後の光景が、夜天から降り注ぐ死だなんて、受け要られず。
でも、どうしようもなく。
少女は己の死に納得出来ぬまま串刺しに………。
「――――――?」
何かの折れる音がした。
「諦めるなよ。星潜者(アイム)だろ?」
「え?」
目を開ければ、少女の前には誰かが立っていた。
その夜でも僅かに耀く外套はまるで水晶のように煌き。
蛍のような淡く温かな光を零していた。
風が吹く。
顔は見えない。
ただ、自分とそう歳も変わらないだろう若者だろうという事だけは分かって。
「そういうのは死んだ後でいい」
静かでいて、それでも春の日差しのような声。
「だから、笑って、前を向いて、楽しく行こうぜ」
今まで剣を推し留めていた得物が彼女の目にようやく入る。
それは助けてくれた何者かが掴んだ柄から無数に伸びる鞭状の何かだった。
「な?」
バキリと剣の獣達が砕き散らされ、周囲に未だ漂い警戒するよう遠巻きにしていた残存固体が一斉に標的を変えた。
即座に突っ込んでくる速度は尋常ではない。
なのに、声の主は笑ったまま。
駆け出した。
次々に地面に突き刺さる剣獣達。
それが横薙ぎの鞭で砕き散らされ、数を減らす。
だが、残った固体の一部はそれだけではなく。
遥か高空から銃弾の如く狙い済まして標的に己を打ち込んだ。
「あ!?」
思わず声を掛けようとした時。
彼女は今まで鞭のようだったソレが一瞬にして使用者の身長の数倍にもなるだろう長大な剣になった事を理解する。
燃えるような真紅の炎が刀身に揺らめき。
一振りが夜天に向けて切り払われた時。
まるで花火でも打ち上げるように砕き散らされた剣獣達が耀いて散った。
剣がその落ちてくる蜜碑の雨の中。
解けて傘になると。
終わったとばかりに背中が歩き出していく。
それに呆然として。
何とか一言をと。
彼女は搾り出して。
「あ、あの!!?」
「此処から東に5km地点に商隊(キャラバン)が止まってる。助けを求めるならそっちに行った方がいいぜ」
「お、お名前を教えてください!!」
「あはは、名乗るようなもんじゃねぇよ。ただの通りすがりさ」
「で、でも、貴方がいなかったら、私……」
少女の今更に震え始めた声にポリポリと頬を掻いて、チラリと相手が振り返った。
「ちゃんと帰るまでが遠足だ。そんなに重い荷物持ってるんだから、気ぃ付けろよ。じゃあな」
「あっ」
飛び上がった外套がまるで翼の如く左右に展開(ひら)いて。
遥か地平の果てへと消えていく。
『また、何処かで会おうぜ。可愛い同業者ちゃん!!」
夜明け前の紅雲が棚引く荒野の先。
何もかもが光に融けていった。
「あ、ありがとうございましたッッ!!!」
すぐ後に彼女は知る事となる。
己が出会ったのは近頃噂となっている天蓋蒼星の“守護者”と呼ばれる存在だと。
何処からか死に瀕した者達を救いに現れる彼。
そう、“彼”の事を少女は商隊の者にこう聞かせた。
緑銀の星潜者、と。
その日も天蓋の星は青く。
空に故郷の大地を見せる絶景で人々を包み込んでいったのだった。