第六節「旅の始まり」
風の音に紛れて。
遠く遠く間延びする響き。
―――麦の家に住んで春を待とう。
―――土の音に抱かれて蟲を共に。
―――泣き錆びた瞳で君と暮らそう。
―――歩んでくる旅人が声を運んで。
―――死の風がこの原を吹き抜けても。
『君と伴ならば、この世の果てまで』
詩篇の最後を謳い紡いで。
ピアリが楽しげに音色を口ずさんだ。
「なぁ、ちょっといいか?」
「はい? 何でしょうかイルトさん」
イルト・イナーシタは出会ったばかりの桃色髪の少女イクスピアリが少し苦手だと自覚した。
それと言うのも彼女が基本的に能天気というか、天然というか。
有り体に言えば空気をまったく読まないからだ。
「どうしてこんな時に謳うんだ?」
「何だか謳いたい気分だったので」
三十分前。
イルト達はピアリを連れてアルファ・ヴィレッジまで戻った。
さっそくギルドで情報収集でもしようと全員で扉を潜って三秒後。
四人の頭に突き付けられたのは拳銃。
完全無欠に強盗の真っ最中だった。
人質に時限式の爆薬やら融解の魔術が起動一歩手前で仕掛けられているのを見てイフィーとリュオはあっさり捕まる事を選び、ピアリとイルトも乱雑に縄で巻かれて転がされた。
他の潜星者(アイム)達の大半もイルト達と同様に恐怖こそ表情にないが、困った顔で顔の下半分を黒い布で覆った強盗達に呆れた視線を向けている。
そんなリアクションの最たる理由は天蓋蒼星内における治安維持部隊。
七教会の守備隊の実力に拠る。
世界最高の戦力を誇る教会の装備は並大抵の術者や技能者、超常の力では対処出来ない。
人質事件ともなれば出張ってくる部隊は専門技能に秀でた最精鋭。
どう頑張っても並みの潜星者(アイム)には手も足も出ない。
「なぁにゴソゴソ言ってやがる!!!? テメェ死にてぇのかッ!!!?」
「あ、ごめんなさい。強盗さん♪」
今正に怒鳴られているというのにピアリの回答は空気をガン無視。
強盗も怒ろうというものだろう。
「おいおい」
肝が据わっていると言うべきか。
何も考えていないと言うべきか。
イルトは近頃の女の子の肝っ玉事情はインフレしているのだろうかとガックリ項垂れる。
「お、おめぇらぁ!!?」
イルトとピアリのやり取りに同時に強盗の一人がブチ切れた。
「おうおうおう!!? 何か言いたい事があるなら言ってみろやぁッッ!!」
頭部に拳銃を向けられながら三日前の繊細な自分は何処に行ったのだと思わなくもないイルトが静かに溜息を吐いた。
「なぁ、【獣人(ベスティア)】のおっさん」
「な、何でバレ―――」
銃を向けていた男がビクッと反応する。
強盗達は誰も彼も粗末な探索者御用達、皮製の旅装束姿。
顔の半分を布で隠して、褐色の外套を頭から被っていれば、容易に姿なんて分かりはしない。
しかし、だ。
物事には常に例外がある。
「いや、だって、んな毛深い人間いねぇって」
引き金に掛けている指の毛深さまでは隠せていなかった。
イルトが冷静なのは軍人達と違って情が通じる手合い。
それも七教会の事を知りながら反抗に及ぶ“頭の弱い連中”と読み切った末の話である。
「ぐッ!? 毛深いんじゃない!!? ちょっと他人より体毛が濃いだけだ!!」
「犬っぽいからアンタ、たぶん南部の【灰獣(ハイエナ)】だろ?」
「イルトさんの言った通り、よく見るとワンちゃんそっくりかも……」
「だ、だったら何だって言うんだよッ!? オメェ、この状況が分かってねぇのかッッ!?」
ゴリッとイルトの額に拳銃が押し付けられる。
「落ち着けよ。どうせ、金庫開けてとんずらするんだろ?」
「ぐッ、餓鬼が舐めやがって!?」
『おい』
強盗団の一人が拳銃を向けていた獣人(ベスティア)の男に注意を促した。
それもそのはず。
まだ事が露見していないのに銃声で仕事を台無しにされては敵わない。
「ちッ、命拾いしたな」
捨て台詞を吐いて男が下がっていく。
「クソがッ、中央の連中はこれだから遣り難いんだ」
「オレおっさんに自己紹介したっけ?」
獣人の男が横目でイルトを見るとぺっと床に唾を吐き捨てた。
「分かる。分かるとも。テメェらの大半がどいつもこいつも七教会の御託(ゴタク)塗れだって事くらいな。怖がりもしねぇ、アホみたいに自分達が助かると思ってるんだろ?」
「え、いや、まぁ。だって、教会治安維持部隊の業績くらい知ってるだろ?」
「けっ、胸糞悪りぃ」
男が唇の端を曲げた。
「五年前の“惨劇”以来、中央でテロが成功したなんて話。此処には無ぇんだろうさ」
イルトが男の言葉に違和感を感じて、再び話しかけようとした時だった。
『おい。開いたぞ。合計十二分三十秒。ずからる』
ギルドの奥から戻ってきた仲間の声に全員がカウンターの目の前に集合する。
『5…4…3…2…1…0』
フワリと風がギルド内部にそよいだ。
そして、不意に強盗達の姿が掻き消える。
人質全員の前で手品よろしく空間転移で飛んだ強盗達は姿を暗ませた。
ホッと息を吐いた全員が互いに声を掛けて安全を確認し合う。
「イフィー。師匠。ええと、イクスピアリさんでいいか?」
「イルトさんはピアリを助けてくれた人です。ですから、ピアリの事はピアリって呼んでください」
「あ、ああ、分かった。ピア―――」
爆薬の類を解除しようと互いに縄を解き始めた時だった。
『てめぇら手を上げろッッッ!!!?』
その場に一瞬、戦慄が奔った。
また強盗達が戻ってきたのかと。
「オウオウ!! この拳銃が目に入らねぇか!!?」
颯爽と駆け込んできたのは獣人の男だった。
それも壮年を越えて顎が弛み始めたくらいの中年である。
「声が聞こ―――え、どうなっ、え?」
強盗達の危険な置き土産を解除しつつある潜星者(アイム)達も何が何やら分からず固まっていた。
「何とも珍しい事があるものだな」
「ええ、僕もさすがに強盗が同じ場所に立て続けに入るとは驚きました」
イフィーとリュオが半ば感心したような憐れむような視線を新たに現われた獣人の強盗へ向ける。
「なッ?! わしの前に強盗だとぅ!?」
どうやら肉食系、たぶんは豹辺りの獣人であろう男が一部禿げ上がった頭を抱えそうになった。
「ええ、さっき金庫を開けて転移方陣で逃げ出したんですよ。というか、そろそろ七教会の部隊がギルドの定期連絡無視を怪しんで人を送ってくるはずです」
「はぁああ!?」
思わず目を剥いた獣人の男がサッとギルドの扉から外に首を突き出して周囲を確認し。
「じょ、冗談じゃねぇッッ!!?」
ダダダダッとギルドから一目散に逃走していく。
遠方に七教会の人員を見つけたのか。
必死の形相だった。
「そう言えば、我らも身元照会されてはまずいな。とっとと、退散させてもらおう」
イルトとピアリの縄を解きながらイフィーが逃走の算段を立てようとした瞬間だった。
『速やかに投降したまえ。君達は完全に包囲されている』
リュオは仕事は早いものの間が悪い七教会の部隊をギルドの窓越しに見て。
(……ご丁寧に【高格外套(ソーマ・パクシルム・ベルーター)】ですか)
すぐ三人のところへと戻る。
「一歩、遅かったようですね。どうしますか?」
「まずいな。出来るなら、此処にいたこと自体も知られたくないのだが……」
額に手を当てて考え込むイフィーを前にして縄を解かれたイルトがビビッと脳裏に直感を得た。
ヒシッとイフィーの両手が握られる。
「何だイルト?! 暑苦しいぞ!? 我は今考え事に急がし―――」
「自首、しよう」
キラキラと目を輝かせた健全なる青少年イルト・イナーシタの結論はこうだ。
七教会に捕まる→七教会の自治権を盾に天蓋蒼星内部で裁判を受ける→情状酌量の余地があると裁判官に訴える→歳若い少女がテロに奔ったのは教会にも一定の責任がある→執行猶予付きの判決が出る→数年後、二人で一緒に晴れて自由となる。
「……お前は本当に残念な頭をしているのだな……」
イルトの脳裏の大半を見透かした少女の言葉だった。
「酷ッ!?」
「どうせ、祖国ではなく七教会での裁判なら、反七教会派にも情状酌量の余地が認められるとか、そんな甘い事を考えていたのだろう?」
「う、大体合ってるぜ」
イルトの手を振り払うとイフィーがまるで幼い子供に言い聞かせるように話し始めた。
「言っておくが、我の罪は七教会の司法で裁けば、ざっと見積もっても懲役で、ひいふうみぃ、ふむ。まぁ、三千万年程度だ」
「さ―――」
イルトが絶句する。
「七教会で懲役刑を受ける場合、高確率で主観時間の加速や遅延を用いる。故にどんな凶悪犯も必ず死ぬ前には刑期が終わる。だが、廃人御用達の精神病院で呻きながら余生を過ごしたい奴向きの刑と言えるな」
少年は自分が甘かった事を悟った。
「そうですね。確か、敢えて死刑にせず、常人には耐え切れない過酷な徒労系労務を主観時間で千年単位やらせる、というような刑罰が近頃のアンデリットにも導入されるとかされないとか」
キランとイルトが歯を煌めかせて微笑んだ。
「さぁ、皆。一緒に脱出しようぜ!!」
呆れた視線が二つ。
ピアリだけが「とろうけい?」と首を傾げた。
「と、馬鹿をしている暇はもう無さそうだな」
逸早く縄を抜け出したリュオとイフィー以外の人質達がようやく自分達の手で自由を手に入れようとしている。
それと合せて内部の様子がおかしいと気付いた教会側の気配は内部へ突入しようというものに変わっていた。
「どうする? 此処で派手に立ち回るのは……」
イフィーが本格的に悩み始めるとピアリがポツリと漏らす。
「みんなでかくれんぼしてみるのはどうでしょう」
「はぁ!?」
突拍子もない提案にイルトの頭が一瞬クエスチョンマークで埋まった。
絶対に話を半分も聞いていなかったと思われる天然お花畑少女の提案にイフィーが瞳を輝かせる。
「それだ!? ピアリ。お前はイルトよりも余程に賢いな!!」
「ちょ、オレ一応はこれでも高等学校行っ―――」
ジトッとしたイフィーの視線にイルトが思わず口を噤んだ。
「まったく。これが七教会の集大成【近代化(レボリュション)】の成果とは、嘆かわしいな」
「何か!? オレの人格が社会批判に使われた!?!」
愕然とするイルトを放っておいてイフィーがおもむろにリュオとゴソゴソ会話し始めた。
「ここを……で……できる……可能か?」
「ああ、そういう……は……でも……いやはや、恐れ入ります」
一人ズーンを落ち込んだイルトの肩をピアリがポンポン叩く。
「大丈夫ですよ。イルトさんは残念なんかじゃありません」
「!?」
一番天然そうな少女からの慰めに打ちのめされたイルトがガックリと両手を床に付いた。
「さて、算段は立った。リュオ先生」
「では、さっそく」
「「?」」
ピアリとイルトの顔面をリュオが掴む。
「し、師匠!?」
「ひゃ?!」
「少し大人しくしていて下さい」
驚く二人を他所にリュオが何事かを呟くと緑色の輝きが二人の顔を包み込んでフッと消えた。
「では、二人ともさっそく逃げましょう」
「え?! し、師匠、なのか!?」
「ピアリびっくりです!?」
驚きに固まる二人を前にしてイフィーがさっそく悪い笑みになり、そっと窓の外。
【全身鎧(フルプレート)】の七教会治安部隊を見つめていた。
*
天蓋蒼星(メイズ)における全地域の治安維持は全て七教会に一任されている。
それと言うのも第一時調査隊を編成した当時から、教会の最大戦力である七聖女が常時何人か天蓋蒼星監視という名目で常駐しているからだ。
過去の魔王との大戦から十年以上。
大陸秩序の再編を【近代化(レボリュション)】という形で実現してきた世界最大の武装集団の長が“任せて欲しい”と言って聞かないとなれば、誰も文句の言いようが無かったのである。
惑星すら砕く超越者は大陸でも数少ないが、聖女達全員が手段は違えど同じような結果を導くに足る能力を持っているのは各国の上層部にしてみれば周知の事実。
だからこそ、大陸全国家の総代を二人も立てて新天地の解放を願い出るという荒業もやってのけた。
そんな大地でテロだの重犯罪だの目に見える形で治安が悪化したとなれば、各国にとっては教会統治を叩く格好の材料だ。
故に天蓋蒼星内部の治安維持部隊は殆どが熟練の機動歩兵で構成されている。
大陸各地の紛争に介入し、全体陸規模で三千万人程を退けた世界最強の対魔王汎用兵装。
他種族の頂点存在すら兵一千で平らげる超絶の力。
それこそ七教会の象徴と言っても過言ではない全身鎧(フルプレート)。
【高格外套(ソーマ・パクシルム・ベルーター)】
聖女が施す因果律性誘導領域、通称“加護”を与えられたソレは一機で歩兵数百人以上に匹敵する。
【魔導技術(ハイ・クラフト)】と【電子噐械学(エレクトロニクス)】。
二人の聖女が生み出した二つの技術によって生み出された鎧は今も現役。
教会の掲げる意匠。
七つの剣が突き立つ丘を何処かに刻まれて、大陸中で未だ活躍している装備だ。
そんなのが七体。
如何なる状況下でも任務を遂行せんとやってきた。
この時点で普通の犯罪者はジ・エンド。
後はただ留置所に拘留されるのを待つのみとなる。
が、駆け付けて来た第一層ノースポール・アガスタ守備隊の第三隊は既に何もかもが遅いという現実を突き付けられた。
何故ならば、彼らの突入寸前にギルド内部で閃光が奔り、彼らの動きを征するように四人の何者かが飛び出してきたからだ。
「往くぞ。金は貰った」
「ええ、後は逃げるのみでしょう」
「オレ、また、罪を重ねてる気が……」
「ピア、ムグ!? あうぅ~~~?!」
ガシッと三番目に声を出した男が四番目に声を出した男の口を押さえた。
守備隊にしてみれば、相手が“強盗である事は疑いようがなかった”わけだから、手加減も警告もなく制圧に動き出したのは道理だ。
互いの戦場(レイヤー)を視界で共有しつつ、超高速での機動戦。
この場合は相手の知覚圏外からの速攻。
装備されていた帯剣表面に走らせた術式による帯縛電流(スタン)。
相手の身動きを奪う基本機動戦術は初手において頓挫した。
ガキリッと全員が一瞬で動きを封じられたからだ。
『?!!!』
七人全員が一斉に静止するという在り得ない状況。
各部駆動部異常無し。
術式防御異常無し。
方陣防御異常なし。
装甲内部回路異常無し。
ならば、一体何故に彼らは凍り付いたのか。
「去らばだ」
一番最初に飛び出してきたムサイ髭の男が隊の周囲を囲うように地面を丸く周回した。
ギュリュン。
何かが刳り貫かれる音。
跳んだ髭の男が高格外套達のいる中心の大地を蹴り抜いた。
ガコン。
地面が外れる音と共に守備隊の誰もが地下ではない黒き虚無へ落ちていく。
彼らは自分達の周辺環境に絶句した。
何故なら、それは七教会が秘匿する転移形式の一つだったからだ。
空間を歪めて転移するものではない。
亜空間に突入して通常空間をショートカットする技法は未だ公開されていない。
鎧達が虚無の奈落に消えると地面に開いた暗き穴は通常の地面へと復帰した。
円場に窪んだ地面だけが後には残され、人影は跡形も無い。
「し、死んでない、よな?」
三番目に飛び出してきた男、顔を変えられたイルトがおずおずと尋ねる。
「鎧の機能を一時的に補強、防御負荷を最大にして身動きをロック、観測情報を改竄、亜空間に放り込んだだけだ。位置情報を常に発しているから、今日中には異相から引き上げられるだろう」
「最初は驚きましたが、中々の名案でしたね」
リュオがまったく別人の顔でホッとした様子になる。
「ギルド内の人質には悪い事をしたが、せいぜい数分の記憶が歪むだけだ。我らは三番目にやってきた間抜けな“強盗”扱いされるだけで済む」
「ですが、鎧の記録改竄は後でバレるのでは?」
「それまでの時間が稼げればいい。別に男が女物の服を付けていても今なら構わないのだろう? 【近代化(レボリュション)】で説かれる男女平等論というやつなら」
「そっちの方に受けはいいと聞きますが、どうでしょうか……」
「バレたところで第二層に降ってしまえば、あちらも容易にはこちらを補足出来ないからな」
リュオは素直に最強の鎧を七体も同時に退けたイフィーに賞賛の視線を送った。
「オ、オレ初めてかもしれない。高格外套が負けたところ見るの……」
大陸中央における全身鎧達は決して傷付かない英雄像(ヒーロー)として扱われる。
それがサクッと退場させられた光景は何だか悪に負ける善のような場面にも見えて。
イルトにはあまり喜べない事だった。
「負かしてはいない。戦闘らしい戦闘をしたわけでもない。光波に術式を刻んで観測情報として送り込み、機能に侵入しただけだ。二度目は通用すまい」
歩き出しながら街の端へと移動しつつイフィーがリュオに視線を向ける。
「後続が来る前に立とう。目的地は? リュオ先生」
「さすがに七人同時に退けられる使い手がいると知られては今後の情報取得も厳しいでしょう。此処は素直に第二層へ向った方がいいと判断します」
「そうだな。我もだ。と、すると後の問題はこの二人なわけだが」
「何ですか?」
ピアリが難しい話を全て聞き流しながら首を傾げた。
「イルト。ピアリ。お前達には悪いが、我にも事情というものがある。己の手で解決してやりたかったが、そうも行かないようだ。だから、もしお前達が望むなら、出来る限りの事をする。信頼出来る筋も紹介しよう。我が真に信頼し、我の代わりとしてお前達を手助けしてくれる者をな」
イルトはハッキリと道を示されて狼狽する自分を感じた。
己の師が七教会と敵対し、犯罪者になってまで何をしようと言うのか。
それを知りたい、突いて行きたいという欲求。
同時に社会を混乱させるテロリストと、それを幇助する者へ自制を促したい良心。
どっち付かずでいられる時間は唐突に期限を終えた。
後は選ぶだけだ。
帰れば、罪にこそ問われるだろうが清明潔白で不自由な人生を送る事になる。
往けば、罪こそ犯すだろうが尊敬出来る人間の生き様を真直で学び続けられる人生となる。
「ま、此処でさよならってのも無いよな。オレはこれでも好奇心旺盛な錬金術師の卵だぜ?」
サッパリとした様子でイルトは選択した。
リュオが眼鏡の蔓を押さえて、僅かに俯く。
弟子を己の業に引き込んでしまった事への自責。
同時に自らの弟子にまだ教師として。
いや、人生の先達として教えられる慶び。
白でも黒でもない灰色の内心に淡い自嘲を浮かべたのだ。
「ピアリは……皆さんに付いていきたいと思います」
「それでいいのか?」
イフィーの言葉に桃色髪の少女が大きく頷いた。
「あの大きなぐるぐるの下なら、きっとピアリの記憶も落ちてる気がするんです」
「危険だぞ?」
イフィーの最もな言葉に少女は笑って返す。
「ピアリ。きっと、運の良い方だと思うので!!」
その発言にイフィーが思ってもいなかったような顔で固まり、笑い出した。
「く、くく、そうか。そうだな。あの死の竜巻に巻き込まれて生きて飛ばされてきただけでも相当な運だ。何かしらの魔術や超常の力が働いていたのだろうが、それにしても五体満足というだけで十分か」
「はい♪」
ピアリが大きく頷いた。
分かっているのかいないのか。
それこそ彼女自身にしか分からない笑みで。
「あーその、さ。ピ、ピアリ……」
「はい。なんでしょうかイルトさん?」
「えっと、オレも記憶探し。手伝うよ」
「本当ですか!?」
パッとピアリの表情が輝く。
「オレにも責任の一端があるみたいだから。それにオレ達はもう……その、仲間だろ?」
「あっ……」
ピアリが他の二人を見ると「まぁ、そうだな」「ええ、そうですね」との返答。
「よろしく。お願いします。皆さん」
頭を下げたピアリに誰もが頷いた。
「さぁ、では、さっそく行ってみようか。リュオ先生。ルートは?」
「下調べは万全です」
キラリと辮髪麗人の眼鏡が光る。
「此処ノースポール・アガスタは極北に在りますが、第二層へ向う一般ルートは三千キロ南下した迷宮の街【アール・ヴォイド】を経由しなければなりません」
カリカリと地面に何処から持ってきたのか教鞭でリュオが大雑把な地図を描き始める。
「このルートは現在の状況から推測して現実的ではありません。ですが、第二層に降りるルートは他にも幾つか在り、此処から最も近い場所にお誂(あつら)え向きの場所があります」
地図の現在地から少し線が引かれた先にグリグリと目印が付けられた。
「此処から三百キロ程南東に【イギルの森】という森林地帯が在り、其処には第二層へ降りる封鎖されたルートが存在します」
「イギルって何だ? 師匠」
「邪悪とか、極悪とか、そういう古代語の一つですよ。結局、どんなルートなのかまでは分かりませんでしたが、確かに通じているとの情報は得ました。ただ、七教会の階層突破部隊が諦めた経緯から超絶の難所である事は間違いありません」
「今更、超絶だろうが極悪だろうが、構わん」
イフィーがザッと足裏で地図を消す。
「では、出発しよう」
「此処に来た時に頼んでいた馬車を取りに行きましょう。イルト君」
「了解。師匠」
「わぁ、ピアリ馬車とか乗るの初めてです!!」
目をキラキラさせたピアリに苦笑しつつ、イルト達が歩いていく。
イフィーはこれから始まる旅が安寧の中で終わるとは思わず。
不敵に空を仰いだ。
「ふ、如何に“お前達”が阻もうと、我と“我ら”は決して止まらぬ。覚えておけ」
「イフィーさ~ん」
「ああ、今行く」
ピアリの呼ぶ声に灰金の少女も歩き出した。
*
褐色の大地の遥か上。
圏域と呼ばれる大気圏の更に先。
空気も無い完全な真空の中。
カシャンと瞳に奔る魔導がズームを解いた。
宙域航行艦。
真空の海を渡る七教会秘匿技術の一端。
その船首での事である。
「ようやく会えましたね……その言葉、覚えておきます」
真空に我が身一つ。
肉体を沸騰させる様子もなく。
生身のまま、声すら出して響かせた彼女は耳元へ入る通信に頷いた。
「分かりました。式典中の退室は確かに無礼でした。皇帝陛下には私から。ええ、ええ」
今は七教会の制服である白と黒を基調とした【軽殻装(コート)】姿で彼女は空けていたハッチへと戻っていく。
『与圧正常。五秒で内部へ出られます。お帰りなさいませ』
空気が満たされると同時に聞こえてきた声に「ありがとう」と返して。
その少女、と見える彼女は目の前の扉を開いた。
―――全員敬礼!!!
床を蹴れば、彼女の柔らかな金糸の髪がふわりと浮いて靡き。
最敬礼の高格外套達が自分達の前を通り過ぎていく白磁の肌に胸を高鳴らせた。
可憐な蕾。
七聖女中、最も愛らしく美しいもの。
【魔導技術(ハイクラフト)】の創始者。
神域を凌駕する魔導聖女。
その名はハティア・ウェスティアリアと言う。
道の先まで続く左右の兵達に手を振って労いながら、自分と敵対するテロリストを見つけたばかりの聖女はもう気分を切り替えて。
道の先。
自分達、七聖女を圏域外縁で釘付けとしている存在への対応に戻った。
(イグニシア・クルシス皇帝……“彼女達”の一人……でも、今は……)
まだ十代前半にも見える少女は一人、只(ただ)独り。
続く式典(パーティー)に嫌な顔もせず。
左右から開く扉の先へと向った。
「お待たせしてすみません。皇帝陛下」
「随分と待たせたではないか。“ハティア・ウェスティアリア”」
『――――――』
大陸各国の要人三千人からなる会場。
天蓋蒼星の軌道上を一日掛けて回る全長2.30kmの母船。
宙域航行艦NO.00【極斤(ウルティマム・ポンドゥス)】。
その中央会場にて三日前から続く四十二回目の戦争(パーティー)に彼女は笑みで応える。
「“申し訳ありません”陛下」
尽きぬ泉の如く現われる要人達の歓声。
重要な折衝であると各国の大臣クラスを片っ端から連れて来る皇帝の“善意”と“親しみ”の前に七教会の最精鋭達は心魂揺らす怒気一つ漏らさず。
延々と続く果ても無い宴を警護し続けた。
エト・エイラル・エイム・イグニシア・クルシス。
南部を統べる大帝国の頂点。
“彼女達”の一人はゆっくりと何度目になるかも分からない“握手(デモンストレーション)”をハティアに求める。
下で今も下層へと向かう仲間達の為に。
それは砲弾の代わりに握手が飛ぶ真に聖女達を追い詰める“政治”という戦闘に他ならなかった。
*
―――大陸南部イグニシア・クルシス帝都アウテーナム・レクレス宮殿域。
水の都として名高いイグニシアの首都。
その超高層建築群の先。
各省庁の庁舎が立ち並ぶ中央行政区画は宮殿域と呼ばれて久しい。
というか、宮殿付近の建造物を全て現皇帝が買収し、己のお膝元にあらゆる行政組織を集中、組み入れた事で完全な中央集権制を志向したのだ。
嘗ての皇帝の時代よりもその領域は大幅に広がっている。
帝国各地の行政から重要な権利という権利を資金力と政治で粗方奪い、己の地位を磐石にした姫陛下は帝位に付いてまだ十年経っていないというのに偉業の数だけは今も絶賛更新中。
帝都は六年前から七教会統治が揺らぐのを尻目に今も拡大を続けており、その巨大さは正しく大陸中央諸国すらも及ばない化け物都市へと飛躍した。
治水と治安。
経済と軍事。
政治と宗教。
あらゆるものが七教会の統治より遅れているとはいえ。
それでも大きさと統治の仕方は旧い時代に習ったものであり、七教会に馴染めない国家や民族、様々な母集団にとって、これ程に活動し易い地域も無いだろう。
その最たる申し子とは誰かと言えば、奴隷、元奴隷という事になるだろうか。
六年前から大陸全土に波及した関税条約によって、品質管理の観点から商品に対する毀損に罰金が科せられて以降。
大陸南部では奴隷という存在自体の総数が5400分の1以下にまで激減。
大陸全土で約5000万人規模だった各種の専業奴隷や汎用奴隷は、その売買市場がまるで最初から何も無かったかのように朝露と消えた。
だが、無論のように人が消えるのは死ぬ時だけだ。
その人材は一体、何処に消えたのか?
答えを知る者はイグニシアの国外なら識者にも然して多くない。
皇帝が自国領土内に新設し、今も次々に開かれている大都市群や資源開発を行っている武帝国境域。
またあらゆる産業、業種に湯水の如く元奴隷達を注ぎ込み、多額の儲けを出しているのは陰口の域を出ないながらも事実だ。
奴隷達を解放する条件に借金を負わせ、教育や生活の面倒を見る初期投資は全額皇帝の私費で賄われているという。
帝位に付いてからの商売で諸々儲けた資金がそのまま転用されているのだとか。
五千万という大国が三つか四つは出来そうな人口を全て帝国内で吸収した手際は賞賛されるべきであったし、借金を負わせているとはいえ……一般人として身分を開放したに等しい状態で職業選択の自由、優秀な者の登用まで行った先進性は高く評価されるものだろう。
彼らは今や皇帝エトに酷く感謝する一般の分厚い支持層と化している。
帝都の肥大化し続ける外延はそのような新参の元奴隷層が住まう場所として開発されていたのだ。
其処から宮殿域に登庁する者達すら少なからず存在する。
旧来の統治者層たる貴族達は新参者である元奴隷達との間に軋轢を抱えながらも、その軍事、政治、経済に入り込んでくる勢いは認めており、少なからず利用を前提として沈黙を保っている。
彼らは互いに数と権利という互いに無い利点を持ち。
黙して互いに利する限りは何も干渉しないという事で何とか折り合いを付けているのだ。
「「………」」
そんな変容しつつある大帝国の中枢。
宮殿域内部。
一つの街程はありそうな無数の湯殿が集まった一角に男達が二人。
同じ巨大な浴槽に浸って、片手に書類、片手に肴を持っていた。
政務と湯浴みを同時に行っているのだ。
よく実務者達の中でも高級官僚がやる親睦を深めるついでに休息まで取ろうという貴族特有の優雅な嗜みである。
無論、それが本当に暇そうな案件に付いてであるならば、という但し書きが付くだろう。
片や病的な枯れ木みたいな男。
片や筋骨隆々な老人。
二人が帝国の右腕と左腕だと知れば、それを見た人々はくわばらくわばらと震え上がるに違いない。
現皇帝の懐が刀と前皇帝の懐刀。
D・グラム・ハイランとバルデバラン・デオ・エイルム・ソシアニア。
全ての事案の意思決定を皇帝から許される筆頭執政官と帝国の実務を実質的に取り仕切る総務局長という組み合わせだ。
彼ら二人の前に出向いていきたい輩は大陸を探しても極々少数派だろう。
新進気鋭の帝国を動かす怪人に長年帝国を支えてきた守護者。
時に意見をぶつからせながらも皇帝エトに尽くしてきた本当の忠臣である。
そんなのがどうして同じ風呂に入っているのかと言えば。
皇帝が出掛けて戻って来ない合間に仕上げておけと言っていた一大事案。
その詰めの作業で意見を擦り合せる為だった。
現在、歴史に名が残る事請け合いだろう皇帝本人は大陸西部の愛人の居城にしっぽり決め込んでおり、連絡なんて取れない。
この六年延々延々ずっと準備してきた計画は最終段階に達しており、後必要なのは皇帝のゴーサインくらいなのだ。
それでも状況は流動的であり、主が帰ってくるまで準備が破綻したりしないよう帝国の全てを微細に調整しておく必要がある。
黙々と彼らが背後に山と積まれた防水性の資料を見つめ、何も言わずに決済し、時に交換し、互いの意図と意見を言うまでもなく汲み取り、ペンで何かを書き込み、湯殿横に設置された小さな転移方陣に置いて、各部署に速達する様子はまったく怖過ぎる。
彼らの手元の書類一枚で動く金と人と物の量は小国なら軽く潰せてしまうものなのだ。
官僚ならソレを持っているというだけで震えを覚えるだろうし、貴族なら気が遠くなるに違いない。
ちなみに本日4時間ぶっ通し。
癒されながらの激務である。
いい加減体がふやけそうなものだが、其処は魔人と超人。
呼ばれて久しい名に相応しいだけ、彼らは平然と全てをこなしていた。
「それで陛下のお帰りはどうなりそうなのだ? ハイラン殿」
老人の言葉にハイランと呼ばれた枯れ木の男が静かに肩を竦める。
「当分掛かりそうです。まぁ、一年は経たない内に……とだけは言っておきましょう」
「そうか……」
「彼が戻ってきた。それだけで十分に事態は進捗している。此処からは時間よりも状況との勝負と言っていい」
「……七教会統治の揺らぎはもはや決定的な時期を迎えつつある。彼らの立て直す時間は関係無いと?」
「立て直したとしても、同じでは在り得ないというのはお分かりでしょう。ソシアニア様も」
「天蓋蒼星においてフルー・バレッサを撃破。マディクト・ナシエの不在。聖女達の大半が行方不明。今や七教会は船頭を複数抱えて迷う大船。しかし、分かれて尚……彼らの強大さは変わらない。いや、七聖女という最も“読める”相手ではなくなった時点で脅威度は上がったと見るべきでは?」
「聖女がいないからこそ、我々には七教会に付け入る隙がある……個人的には精神的柱の居ない組織程に脆いものは無いと思いますが」
「物理的な脅威は然程でもないと?」
「勿論、無視も油断も出来ませんが、最も重要なのは求心力無き七教会に人々が納得するかという点でしょう。そういった今まで聖女達が司ってきた部分が万全でなければ、支持は少しずつ失われていくはずだ」
「………」
「此処に反七教会を旗頭に別の新たな軸が出来るとすれば、これ程に分かり易い支持先は無い」
「そう上手くゆくかどうか」
「上手くゆかせるのが我々では?」
「返す言葉も無いが、常人には世の理が分かっても、人の心が解りかねる」
「だからこそ、我々が掌握するべきなのは人々の感情でしょう。それは軍事も経済も政治も変わらない」
「魔術でもか?」
「ええ、一人で為せる事など高が知れている。人の身なればこそ、魔術の研鑽と叡智を積む時、誰もが己に続く者達を意識します」
「結社出の貴公らしい言葉だ……ん?」
「どうかなされましたか?」
「東部、ガイラからの手紙だ……どうやら陛下が気にしておられた一件に進展があったらしい」
「あの触手紳士とやらの?」
「ああ……そうか……北部に主敵の移動を確認……荒れるな……あそこも」
「ん? こちらもかなりの進展が……エルフ関連……やはり、エルフ奴隷は大陸中央諸国に送っておいて正解だったようです。これを」
ハイランが魔術の小窓で映像を宙に投影する。
其処には肉の華が割いた死体のような人体が無数地面に倒れていた。
「国内でのエルフの動向は?」
「あちらからの接触を見る限り、やはり事態が切迫しつつあるのは知っているようです。南部の大樹付近は元々代々の皇帝陛下も不可侵として扱っていましたから、今更国が出来たところで然して変わりありません。肥沃ではありますが、無いものとして見ても構わない。窓口として利用し、反七教会派としての列に加わるよう現在、外交官を動員して工作しております」
「そちらは任せる。陛下には?」
「すぐにでも、こちらからお知らせを」
「分かった。存外、事態は早く動き出すな。これを見る限り……」
「固め切れていないのは北部三国と騎士国(ヴィーリア)のみ。あそこの五聖騎士(ファイブ・ラウンズ)がまた曲者揃いだと接触した連中が嘆いていましたよ」
「だが、藩落の一件で近付きはしたはずだ」
「ええ、クラウゼン公爵家の姉妹方にはしばらく頭が上がらないかもしれません」
「ミゲール・リニャン。五人の中でもムードメイカーであり、最も柔軟な対処が出来る人材と聞く。あちらから搦め手が妥当か」
「……はい。引き続き接触を。それはそれとして陛下も何かしらの奥の手があるとの話です」
「ほう? 詳細は……まぁ、聞かされておらんか」
「はい。ですが、七教会の治世を揺らがせるに足る策だとの事です。特に七教会派に下った地方には効果は絶大になるはずだとご自分で語っておられました」
「そうか。なら、我々も万全で挑まねばな……」
「六年前から陛下は計画を大幅に変更されました。成功率はかなり下がったと思っていましたが、様々な事案が起こったこの六年の内実、蓋を明けてみれば、七教会の治世はもはや限界に達する兆候が見えていた。陛下が全てを知っていたわけではないのだとしても、その先見性はやはり我々では及びも付かない域にある」
「星一つ終わろうかという事態の先で今度は何があるのやら。老骨と隠居してられない時代を嘆くべきか。新たな仕事があると勇むべきか……」
この六年で老けた感のある老人の言葉にハイランがまだ自分を置いていってくれるなと自嘲を浮かべた。
「とてもとても……回りませんよ。少なくとも寿命の三倍くらいまでは頑張って頂きたい。陛下が千年王国。いえ、永遠の帝国と臣民の未来の基礎を築き終えるまでは……」
「ははは、その頃にはあの二人が陛下の子の乳母役をやっているかもしれんな」
「笑えません。少なくとも片方は確実に陛下が好き過ぎて後宮に入るか、正妻になろうとするでしょうし……ね」
男達は互いの冗談に現実になりそうだと苦笑いしたまま。
肴を齧りつつ、酒精を呷りつつ、次の書類へと目を通す。
「仕事に戻ろうか」
「ええ……」
人が起こす新たなる動乱の時代を前にして、準備を怠らない武人の如く。
彼らもまた激動する国際政治の前夜。
その予兆に内心で気を引き締めたのだった。