第九節「合流する力」
五年前。
その日の事はよく覚えてる。
まだ小さかったオレは学校が楽しくして仕方なかった。
遠足行事に舞い上がってたっけ。
母さんは手製の弁当を前の日から用意してくれてて。
オレは父さんにおやつを見せびらかしてた。
コレ美味そうだろってさ。
あはは。
今になってみれば、オレって結構可愛くない子供だったんだろうな。
それでさ。
オレはその日の朝も毎日と同じように家を出たんだ。
母さんが「鞄持ったの?」とか「忘れ物は?」とか訊いてくれて。
父さんは男の子なら、ちょっとくらいヤンチャでも構わないさって笑って。
オレは朝飯の焼いた麺麭を一切れ咥えて。
行って来ますって言ったんだ。
それからの事は言うまでもない話。
ハラハラドキドキワクワクの冒険譚さ。
馬のいない馬車に揺られて数百人が移動するんだ。
友達とワイワイやりながら、遠足先の公園まで笑いは尽きなかった。
オイお前今日は好きな子に告白するんだろ、とか。
あの担任の先生のおっぱいでけー、とか。
会話の内容はマセたガキの戯言さ。
オレは好きな子がいなかったから……。
会話に入りたくて勉強出来なきゃモテねぇって言い張ったっけ。
公園に着いたら無限にあるんじゃないかって遊び場が広がってて。
うぉーすげーマジすげーって仲間と興奮しながら陣地を作ったな。
此処から此処はオレ達のナワバリだぜッ、みたいな。
確か、あの公園の名前……。
何だったかな。
ああ、そうだ。
思い出した。
そう、公園の名前は“セイジョノソノ”。
昔々、七聖女様が大勢の騎士を洗礼した場所。
男なら強くなれる。
女なら優しくなれる。
そんな伝説がある公園の泉の前でオレ、思ったんだ。
聖女様は絵本で一番強いはずなのに。
どうして騎士を、仲間を欲しがったんだろうって。
だって、変だろ?
聖女様の前じゃ昔は沢山いた王様も貴族も騎士も兵士も軍人も何もかも形無しだったのにさ。
だからかな。
少しだけ考えて。
聖女様に親近感が沸いたんだ。
きっと、オレも同じだったから。
寂しさは誰かの温もりでしか埋まらないものだとオレは知ってたんだ。
*
「ん……」
イルト・イナーシタが目を覚ましたのは夜の事だった。
と言っても、【夜の帳】内部は基本的に朝という概念がない。
永遠に終わらない夜空には落ちない星と月が燦々と輝いている。
「ぅ……」
胡乱な思考。
何処で何をしているのか。
解らず。
それでも身体が温かい事に安堵して。
彼が月明りに目を開く。
「こ、こは……」
視線だけで周辺を見れば、妙にゴツゴツした狭い場所である。
外から入ってくる光にようやく自分が樹木の虚(あな)に入っているのだと理解して。
イルトは自分の腕の中に何か柔らかで温かいものが在ると気付く。
「んにゅ……」
「ピ、ピアリ!?」
後ろに仰け反ろうとした頭部がガツッと堅い壁に当たった。
「ッ~~~~!!?」
声にならない痛み。
それでようやく透明度を増した思考がイルトを冷静にさせる。
(お、落ち着けオレ!!? こういう時は深呼吸だ。ひっひっふーひっひっふー)
やはり頭の何処かの螺旋が締まっていないまま。
心を落ち着け、昨夜というか意識が落ちる前の記憶をイルトが探った。
(茸(キノコ)と野苺を食べて。それで……そうだ。ピアリが倒れたんだよ。めっちゃ身体が熱くなってて。雨も降り出してきて。オレも何か頭がモヤモヤし始めて。それで……確か、休める場所を探してたような?)
曖昧な記憶の中で自分が何とか見つけた避難先。
それが樹木の虚(あな)だったとイルトはようやく思い出した。
「一応。もう雨上がってるんだな……って、ピアリ!?」
ようやく高熱に倒れた少女の容態へと思い到り。
その腕の中の少女がジッと観察される。
額に手を当てるものの、熱は既に下がっていて、危機的な状況は一時的とはいえ過ぎたとイルトには分かった。
「はぁ、大丈夫そうだな……」
安堵の息を吐いたのも束の間。
グゥ~~~と腹が鳴る。
「そういや、さすがに途中で食うの止めたんだっけ……」
どんな環境下だろうと人間、時間が経てば腹が減る。
(何かあったか?)
ゴソゴソと衣服を漁ってみるも成果は無し。
「う……ちょっと失敬」
そっとイルトが罪悪感に駆られながらもピアリの衣嚢(ポケット)を漁った。
すると一つだけ出てくるものがあった。
「これって樹の皮、だったよな?」
さすがに食べられない。
が、グゥグゥと空気を読まない腹の音にイルトがゴクリと樹の皮を見つめる。
「……茸とか野苺がアウトなら別に樹の皮の方がマシかもしれないだろ?」
自分に言い聞かせたのは何故か。
思考に胡乱さが残っていたのか。
どちらにしろ夢の中で何やら弁当を食べたような気分だった口寂しさは隠せず。
「しゃ、しゃぶるく、くらい、なら……ふ、ふへ……」
男は度胸。
明らかに空腹で正気を失った瞳。
ハムッとペラペラの皮が噛まれた。
「~~~~~~~~~!!?」
脳天を突き上げる渋さにブホッと噴出したイルトはゲホゲホ急き込みながら、ようやく悟る。
「鹿になれない限り、オレの空腹は満たせないらしい……うぅ」
そんな一人漫才で気力が萎えようとしていた時。
その耳に微かな声が届く。
『――ト――ん』
「!?」
『イ――く――』
イルトはゆっくりと近付いてくる声を聞き取って。
大声で叫び返した。
「オレは此処だぁああああああああああああ!!!!」
すると、声が急速に二人へ近付いてくる。
『イルト君。何処にいるんですか!!?』
「師匠!! うぉおおお!!!? 此処!! 此処だぁあああ!!!?」
二人でこのまま遭難。
どちらに行けばいいのかも解らず暗い森の中で朽ち果てる。
そんな良からぬ妄想に半ば取り憑かれていたイルトにはリュオの声が天の助けに思えた。
「イルト君ッッ!!?」
「師匠~~~!!!」
涙目なイルトとピアリを見つけたリュオが夜の森の中、駆け寄ってくる。
「ふぅ。ようやく見つけました。随分と頑張りましたね」
リュオの笑顔にハッとしてイルトが顔を横に振った。
「そ、それよりピアリの事を見てやってくれ!! 昨日、野苺食べてから高熱出しちまって!!」
「何ですって!? 解りました!!」
イルトに抱かれたままのピアリを医師でもあるリュオが触診していく。
「脈は正常。腕や喉元、背中にも発疹は無し。何かしらの毒物を取り込んだとすれば、血液検査も必要ですね。ですが、さすがに此処では……」
「ピ、ピアリは大丈夫なのか!?」
「今のところは。ですが、詳しい検査には落ち着ける場所が必要です」
「なら、オレが付近を捜してくる!!」
「イルト君。君の方は大丈夫なんですか?」
「ちょっと腹が空いてるけど、問題ない。それよりピアリの事を頼む!!」
虚(あな)の中からピアリを出してリュオに預けたイルトが立ち上がる。
「そう言えば、言って聞くような玉でもありませんでしたね。コレを……」
「あ、干し肉!?」
「ええ、さっき半日ぶりに食事をしてので。残りものですが」
受け取ったイルトがまともな食事に喰らい付き。
「……皮に比べたら天地の差だな」
先程までの自分の行為を反省した。
やはり人間は人間らしいものを食べるのが一番である、と。
「じゃ、師匠は此処でピアリを見ててくれ」
リュオが僅かに逡巡した後。
掌を緑色に輝かせて幾何学模様の術式を掌に具現化する。
「通信用の魔導の準備ならあります。持っていって下さい」
イルトが首を横に振った。
「いや、いい。師匠やイフィーがどうして便利なのに使わないのかくらいオレにも解るさ」
七教会の情報収集能力はずば抜けている。
通信用の魔導や魔術が放つ波動や内容は天蓋蒼星(メイズ)では殆ど傍受されていると見ていい。
「イルト君……」
「これでもオレはリュオ・クルミナスの弟子だぜ? 信用しろよ師匠!!」
「ふ、そうですね。君はもう一人前。差し出がましい事をしました」
「はは、そうなれる様に頑張るよ。じゃあ、今度こそ行ってくる」
森の中を軽やかにツナギ姿が駆け抜けていく。
その背中を頼もしく思ったリュオはピアリの容態の確認へと戻った。
今、生徒は仲間で、彼の頼るべき相手だと信頼して。
*
第一層【夜の帳】。
一般ルートでは第二層【明星の檻】へと直通する迷宮が解放されている為、殆どの人間が天蓋蒼星(メイズ)表層を呼ぶ名だと勘違いしているが、事実は異なる。
第一層は地表を含めた地下世界の事であり、夜が終わらない地下階層は常に人が少ない。
七教会が半ば情報を封鎖するような形を取っている理由。
それを知る者は七教会の中ですら殆どいないだろう。
そんな場所に彼女達はその自前の優秀さで独自に辿り着いていた。
七教会側も別に来たから追い返すような事はない。
意図的に情報を出していないだけなのだ。
わざわざ暗い夜の迷宮に迷い込もうという輩を押し留める理由もない。
となれば、後は野となれ山となれ。
エーレイン。
エリザリド。
皇帝の側近達は現地集合の男を待っていた。
事前にリュオ・クルミナスが練った探索計画通りに。
「ハイランさんが手配した人。一体どんな人なのかしらね」
真昼に辿り着いた迷宮の内外の落差に驚きながら。
エリザは七教会が設ける関所。
天井の巨大な白亜の門。
その真下にある小さな丘に腰掛けてつつ、相棒に訊く。
蟲の鳴き声もしない世界。
紛い物の月と星だけの夜。
それでも互いの顔を見て話せるくらいには不自由ない光量が世界をみたしている。
「話では【藩落(はんらく)】東部の英雄だそうだ」
エーレインは小さく呟きながら、エリザの横で帯剣を素振りしていた。
「英雄?」
「ああ、五年前に陛下が立ち寄った後。我が国と藩落の玄関口である【双來(そうらい)】には正式な同盟が結ばれた。その後の宣言で藩落中の国々と戦争になったのは知っているな?」
「内戦で国土はボロボロ。それでも結局は八回の侵攻に全て耐えたってアレ?」
「そうだ。裏から陛下が手を回していたとはいえ、都市国家レベルの最下層辺境国家が八度の内戦を潜り抜けたのは“彼”の役割が大きい」
「それって侵攻軍の殆どを急拵(きゅうごしら)えの部隊で迎え撃ったって“兜の男”の事かしら?」
「相手の戦略を全てを見越した上で手を打ったという逸話は情報局の分析によって事実だと判明している。そうでなければ色々と説明の付かない事が多かったらしい」
「へぇ、超人て何処にでもいるもんなのね」
「知己の方の計画に沿うなら、“彼”との合流を急ぎ、一週間以内には第二層まで行く必要がある」
「エトの時間稼ぎもさすがに限界って事、か。替え玉見抜かれたって話だったっけ?」
「ああ、どうやら聖女は騙せなかったらしい。それにしても近頃の七教会の動きは妙だ。階層突破部隊の進捗状況を鑑みても何かがおかしい。剣獣(ソーディアス)の動きも活発になっていると聞く。七聖女が降りてくるまでに何としても第二層まで突破するぞ」
「でも、それなら何で第二層直通の迷宮を使わなかったの?」
「出発前夜に陛下から手紙と小包があった」
「エトから?」
「ああ、コレが反応を示した場所から進んでいけと」
「……羅針盤(コンパス)?」
エーレインが掌に乗る小さな懐中時計程のソレを懐から取り出して、エリザに見えるよう開いた。
「これは七聖女の一人が五つだけ造った謹製の品だそうだ」
「物凄い品って事?」
「ああ、そうだ。陛下が奴隷都市の街角で見つけたものだ」
エーレインが目を細める。
「この地下階層の存在は陛下も知らなかったようだが、手紙には“順路が指定されているかもしれない”との旨が書かれていた。安易な道を選ばず、出発地点をコレで探したのは正しかったと言えるだろう」
「で、ハイランさんが手配してくれてた人との合流が三日も遅れてる、と?」
「ぐ……仕方ないだろう。迂闊に通信するわけにもいかないとなれば、我々は常に“手紙待ち”だ。我々の後を追ってくるよう手紙を出したのが五日前だぞ?」
「まぁ、全部筒抜けになるよりはいいだろうけど」
「と言っている間にも来たようだな」
「ようやく?」
「ああ、敵だ」
エーレインがザッと帯剣を平原の方角へと向けた。
「紛らわしい!?」
エリザも立ち上がって両手に小さな短剣(ダガー)を構える。
「数は―――八十四体」
瞳の奥。
エーレインの網膜に魔術の輝きが凝る。
触媒による魔力の変換や置換、術式による演算回路の形成だけが魔術の全てではない。
過去、それらをよくも分からず使っていた者もあったが、今の時代……そんなお粗末さでは何事も為し得ない。
彼女の使用する魔力形質はそれそのもので肉体の制御を行うだけでも十分な能力を発揮するが、それ以上に理論体系化されていなかった概念論的過去の魔術的遺産を使う女の徹底的な自己鍛錬による肉体の制御がこの数年で大きく身を結んだのだ。
大陸十本の指に入るイグニシア・クルシスの魔術開発の系譜は赤髪の女丈夫を超人、超越者にするが、その上の領域へと彼女を誘うのは彼女自身の決意に違いないのだ。
魔導全盛、唯物論的魔術の台頭する時代に概念論的魔術を敢えて使う理由。
神秘を解き明かすのではなく、深めていく力。
それは高いレベルであらゆる不可思議を平均化、均質化する魔導とは正反対であり、才能と努力と血と汗と人生の結晶が、不条理で絶大なる結果を生む。
「先行する。援護を」
「はいはい。道を歩む者に陛下の栄光在れってね」
動き出したエーレインの肉体が躍動した。
大地を踏み締めた次の動作がエリザには見えない。
グリッと数mも踏み込んだ地面を後ろに吹き飛ばして。
人間を刺し貫かんとして迫る刃の群れが突風に煽られた。
疾駆する身体一つ。
その肉体内部には魔力の色すら見えない。
エーレインの着る衣装は一種の魔術具。
人間の肉体を最高のパフォーマンスで運用するソレは殆どの人間にとっては拷問器具のようなものとして機能している。
体内ホルモンの調整。
脳内視床下部の高次活性化。
運動野の限界解除。
前頭葉の倫理感排除。
どれもこれも人間を一種の戦闘機械にする為に欠かせない機能だ。
しかし、最も怖いのはその能力に使われるのではなく。
“使い潰して”戦闘を行う女がいるという事である。
常人が使えば廃人コースまっしぐらな力はまだ本当に軽微な魔力しか走らせていない肉体を魔術で強化したように見せてしまう程の力へと誘う。
ヒュッ。
浅い吐息を吐きながら、その手の帯剣が振られた。
一刀の下に剣獣(ソーディアス)の一体が真っ二つに断ち割れる。
「!!!」
足を踏み込んだエーレインの拳が真下から剣獣の平たい部分を打ち上げた。
ベキン。
折れたのは当然の如く金属光沢の剣獣の方だ。
「武帝式の短剣術(クロス・アサルト)だって相応に出来るって見せなきゃねッ!!」
エーレインの速度には及ばないものの。
十分に疾風と評していい戦速で戦いの場に踊り込んだエリザが跳躍し、両手の短剣を振り下ろした。
剣獣が斜めに折れて密碑となって転がる。
後にはギィィンと震えた刃が振り抜かれたままあるだけだ。
刀剣における斬鉄(ざんてつ)の技術は何も珍しいものではない。
だが、その殆どは両手持ちの刃での技能が殆どと言える。
短剣のような間合(リーチ)が短い武器では十分な加速が得られず。
重量の軽さ故に鉄を断つのは難しい。
その常識をエリザは軽く上回っている。
エーレインと同じに魔術も魔力も殆ど使っていないのにだ。
「う、筋肉痛になりそう……」
そう呟いている間にも剣獣が三体輝きとなって散っていく。
切り裂き終わった短剣は刃毀れ一つない。
その戦い方は近接格闘術(クロス・コンバット)のお手本のような形だ。
攻められれば、一本で防戦を。
相手の攻めの後にやってくる機会にもう一本が滑り込む。
「魔力消費の効率はいいんだけどなぁ」
エリザが愚痴るのも無理はない。
エーレインはエリザが四体目に取り掛かろうという時にもう二十体近くを片手の帯剣と拳で屠り終えている。
「小手先の技能に頼るからだろう」
エーレインの瞳には短剣の刃の頂点。
切っ先に僅かな動魔術が乗せられ始めたのが見えている。
魔力や魔術を使った戦闘における常識(セオリー)では単純に身体の強化や武器の強化が多い。
だが、エリザの短剣はそのような大雑把な強化方法とは異なる力を得ている。
魔力そのものや魔術による直接的な威力や切れ味の強化は大陸では多くの武芸術者にとって必須の技能だ。
「こんな敵相手に勿体無いとは思わないのか? この身体もこの魔力も陛下の恩寵で作られているというのに」
支点、力点、差用点を十分に考慮した上で短剣の一部分を動魔術で加速、振るうだけの簡素な一撃は労力や魔力消費の効率を考えても十分過ぎるコストパフォーマンスを発揮している。
長時間どころか数日の連続戦闘が可能な程だ。
それでも相棒の戦い方にエーレインの口からは不満が漏れた。
並みの探索者なら一戦闘で魔力の大半を消費し、次にやってくる剣獣(ソーディアス)達の餌食になっていてもおかしくないのだから、もっと褒めていいくらいだろう。
「はいはい。そうですね。でも、あたしアンタみたいに体力お化けじゃないのよ」
喋っている間にも多数の敵を捌き続けているエリザの実力は高い。
咄嗟の計算力と胆力もかなりのものだろう。
しかし、エーレインは溜息を一つ。
五十体以上を軽く屠り終えたにも関わらず息一つ乱さずジトッとした瞳でエリザを見た。
戦闘に資する武官と文官の違いは大きい、という常識さえも二人の間には関係ないかのように話は進んでいく。
「そもそもねぇ。小手先を馬鹿にする奴は小手先に負けるわよ。これでも故郷(くに)じゃ『姫様は大そう強いですね』って言われてたんだから!!」
エーレインが鼻で笑った。
「ち、近頃、あんた性格悪くない!!?」
「ふ、陛下の為に武を磨き、陛下の為に血を流し、陛下の為に朝から番まで最低四回はお祈りをし、陛下の為に毎日剣を研いでいる私に勝てるものか」
「いや、毎日砥いでたら、剣無くなるから」
冷静なツッコミが飛ぶ。
エーレインも跳ぶ。
気分が乗ってきたのか。
口数が指数関数的に増加していくようかのようだった。
「陛下の為なら、この十年ローンで帝国技術研究部の本局から無理やり買ってきた剣を全部研いでも惜しくなど無い!! いや、むしろ研ぐのが当然だろう!!!」
「まさか!!? それであんた技研から出禁喰らったの?!!」
「あの分からず屋共は陛下の為に最高の剣を献上するべきだと言うのに最新式の正式採用品しか寄越さなかった!!! 陛下の為なら至高!! 究極!! 待った無しの魔剣くらいポンと寄越せばいいものを!!!」
「ぅぁあ……」
ドン引きな様子になりながらも、軽やかな短剣が八本目の剣獣を一刃の下に切り裂く。
「使ったら精神高揚がどうだの、精神侵食がこうだのと!! その程度でこの陛下への愛と忠義と忠誠心に一辺の曇りも出るものか!!? 近頃、ちょっと陛下との幸せな夢を見る以外に何の問題もない!! いや、むしろ戦っているのに陛下ときゃっきゃうふふな夢を見れるなんて褒美そのものではないか!!!」
「ちょ、それ大丈夫じゃなくない!!? それと精神昂揚とか侵食ってあんた……も、物凄い勢いでヤバい精神状態になってんじゃないの!!? ねぇ!!? ちょっと!!」
「ふふ、ふふふふふ、何を馬鹿な事を。意思を持っているだの、魔族の魂を込めただの、過去の魔王の側近だの、その程度で私がどうにかなるわけあるか!! 馬鹿にするのも大概にして欲しいな!!! 毎日のように陛下の素晴らしさを説いたら、今では『はぁはぁ、陛下!! 可愛いよ!!! 陛下!!! ああ、最高だよ!! 陛下!!!』と、逆に陛下の事を心底に信奉するようになったのだぞ!!? こいつは陛下談義に付き合ってくれる優しいやつへ生まれ変わったのだ!!」
キラリとエーレインの帯剣が輝く。
見た目にはただの長剣(ロングソード)。
魔剣とかそれっぽい禍々しさは微塵も感じられない。
「こ、怖いんだけど!!? ね、ねぇ!?? 本当にそれ大丈夫になったの!?! 逆に悪化したんじゃないの!!?」
精神侵食どころか。
魔剣の精神を捻じ曲げて侵食していると断言したエーレインの様子にエリザは『もうイクとこまでイッちゃってるんじゃない!!?』と茫然自失の体である。
「一週間で真っ黒かった剣が真っ白になった事からも、こいつの心根がよく解る。陛下のご威光はもはや魔族のような不浄の輩すら浄化する伝説。いや、信仰となったのだ!!! ああ、陛下!! このエーレイン一生付いて往きます!!!」
ペッカァアア。
もはやイッてしまっているようにしか見えない笑顔にエリザはゴクリと唾を飲み込んだ。
「ま、まぁ、任務に支障が無いなら構わないわよ。でも、陛下馬鹿も程々にしときなさいよ? いや、ホント。悪い事は言わないから……あんた疲れてんのよ。エーレイン……」
精神を病んだ人間に対するような優しさでエリザが労わる。
「そうか? 近頃、妙に感情の起伏が激しくて疲れやすいとは思うのだが」
最後の剣獣(ソーディアス)達が砕け散ると辺りには密碑(キャラクト)が無数散らばっていた。
「ふぅ。回収したら戻ろう」
「あ、うん……大丈夫?」
「何がだ?」
ケロリとしたいつもの顔でエーレインがエリザに首を傾げた。
「……いや、いいんだけどね。あんたがいいなら」
二人の女はどちらも少し疲れた様子で文字を模った石を拾い始めた。
彼女達が待ち合わせた男と合流出来たのはそれから三日後。
天蓋蒼星(メイズ)上空で行われていた式典が全て終了し。
七聖女が艦隊の一部と共に降下した当日の事だった。
エーレインが夜な夜な自分の剣相手にブツブツ喋っている事はエリザの心の中だけに留め置かれる秘密となったが、それはまた別の話である。
*
―――イグニシア・クルシス帝国首都アウテーナム・レクレス技術研究部本局倉庫。
この世の全ての兵器が集められた、と称される場所がこの大陸には三つ存在する。
一つ目は七教会の技術開発を行う者達が集うオカシな都市。
二つ目は西部の何処かに存在すると言われる古の宝物倉。
三つ目がイグニシア・クルシスの技術研究部本局だ。
一つ目以外はどれも眉唾とされているのだが、事実としてイグニシア・クルシスの技研と呼ばれる其処には七聖女フルー・バレッサが秘匿している兵器以外、有史以来人間が生み出してきた兵器の大半が死蔵されている。
無論、実物もあるが大抵は概念魔術で抽出された模造品だ。
この世の全てを司る因果律の流れ。
その導線に干渉出来る階梯の大魔術師達が様々な伝手や時には時空を超えて過去からの情報を入手する事でコツコツと溜めてきたヴィンテージでレトロで強力極まるソレらは大半が本物では無いのに本物にも近しい性能を発揮する。
中には世界を滅ぼす的な代物までも含まれており、それらの研究は現在もエトの許可の下で進められていて、研究結果は常に帝国の新兵器開発にフィードバックされているという。
そんなヤバイものが大量に空間制御結界内部の迷宮で死蔵されている領域。
仮に“大きな箱”と存在を知っている者達からは言われる倉庫で深夜も丑三つ時を過ぎた頃。
傾く月灯かりの下、声がひそひそと何かに話し掛けていた。
『―――ヴァラードゥ・ラー閣下、お迎えに上がりました』
【………】
『新しき我らが王の選抜と侵攻。ご存知の事かと思います』
【………】
『魔王如きの為、閣下が五千年前よりこちら側へ酷界より門を開き続けた事、お歴々の方々は感謝しておられました』
【………】
『ですが、天が消え、遺されていた異相も殆ど消えた今……出口たる次なる大門は北部より奪う事が決定し、現在侵攻作戦が最後の魔王……我らが新しき主によって進められております』
【………】
『どうぞ、そのような人間の作りし粗末な座よりお出で下さい。閣下のご帰還を酷界230の国々がお待ちしております』
【………】
『閣下……?』
その声が世闇に響いた時。
世界に歓声が響いた。
それは歌だ。
何と言っているのかは聞き取れない。
しかし、それが勇ましき軍歌である事は声の主にも分かっただろう。
【我ら魔族は全てに勝り、我ら魔族は全てを越える。偉大なる者達の墓標よ!! 我らに力を与えたまえ!! 邦を讃えよ!! 我を讃えよ!! 全ては御世の果てまで天より高く!! 抗せし者すら仰ぎ見る!! それこそ祖国よ!! 永久の翳りに我ら在り!! ハハハハハッハハハハハハハハハハハハッ―――】
『―――ッ』
アウテーナム・レクレス全域が震えた。
そう、震えたと形容するのが正しいだろう。
一歩間違えば、振動のままに全ての生物が、固形物が、物質が、クォークまでも分解してしまいそうな危うい淵に立ったのである。
声を掛けた者がその歓喜の歌と歓声を上げる“ソレ”に喉を干上がらせた。
純化済みのミスリル製の台座。
それに突き立つ白き魔剣。
その内部に内包された“お歴々”に名を連ねるに足る大魔族。
彼の逸話は人類種と魔族が交わり、血族種《ブラッディー》が勃興した頃まで遡る。
それこそ数十万年以上前の話だ。
その人型の魔族が珍しいという時代。
何故か。
新たな種族に魅せられた一体の大母子《フィリー》が形を人に変えた。
そして、人型魔族達を導くように酷界で今も最大の領土を誇る国家の建設に尽力。
以来、人の世に向かう魔族達の為、その極大の主神と同等以上の力を各界との連結に費やし、五千年前よりは初代魔王とその下々を送り続ける為、大陸に封ぜられ、行方知れず。
彼こそが格で言えば、ファルティオーナ最大の魔族。
そんなのがどうして人の作り出した粗末な剣に封じられているのか。
迎えの者は知らされていないが……それでも気を付けろと言われた事は幾多ある。
その中でも最大の事柄は彼が内包する者達の事。
基幹異種(バルバロス)達が大陸に生を謳歌していた頃より、無数の種族の繁栄と滅亡を数億年に渡り見てきた本物の古き魔族は旧き時代の理として、敗者を己の内に飲み込み続けていたという。
その数は計測不能。
現在も爆発的に増え続ける人型魔族達の総数すらも上回るかもしれないと囁かれていた。
飲まれた亡者達は今も腹の中、彼を讃え続け、その命に従う。
何か一つを間違えれば、大陸そのものが、星そのものが、崩れる可能性すらあった。
『か、閣下!! どうか気をお静め下さい!! か、身体が崩れ―――』
声の主が揺れる世界の只中で懇願するように声を絞り出し、軍歌がピタリと已んだ。
【ん? 何だ?】
『閣下。起きていらしたのでは……』
【好い夢であった】
その言葉に声の主が今のは寝言だったのかと顔を引き攣らせた。
【ところで塵芥のような若輩よ】
『は、はい!? な、何でしょうか!!?』
魔剣がフワリと浮いて、声の主の前に瘴気染みた青黒く耀く魔力を僅かに励起させながらスゥッと空間を裂く。
【新しい感動を見つけたのだ。貴様もエトたん陛下を共に崇めよう】
『は、は? エ、エト、たん……?』
何を言われているのか。
まるで分からないと声の主が困惑する間にも剣が空間内部に没入していく。
【ああ、いや、貴様だけでは足らんな。我が同志エーレインの為、この感動を酷界に遍く広げようではないか!! あの絵描きの坊主が未来に消えた今!! 夜を塗り潰すのは我が役なれば!! ハハハハハハハッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ―――】
剣が哄笑を響かせながら、虚空へと消えていく。
それに思わず血の気を引かせた声の主は……自分が何も出来ない事を知った。
相手は直接的に世界を裂き、超えているのだ。
そんな“門”に飛び込めば、高位魔族と言えど生身ならば即死。
本来、最後の魔王たる者。
主の為に最大戦力に為り得る者を開放しに来たのに……当事者が意味不明の言葉を口走りながら酷界へと帰還してしまうとなれば、大失態どころの話ではない。
自分の命は風前の灯。
帰れば、処分される。
かと言って、相手は他者の話を聞くような輩では無い。
ならば、どうするか。
どうすればいいのか。
答えは一つだろう。
『か、閣下!! と、共に参ります!! ど、どうか御身の力で“門”を超える加護を頂けませぬか!!?」
【よいぞ!! 共に往こう!! 我が建国の家城(やしろ)に今どれだけいるのだ!!】
『は、ハッ!! 五千年前より離散集合を繰り返してはおりますが、現在約2乂個体程!!』
【我が帰ると伝えい!!】
『は、ははぁぁぁぁッッッ!!!』
土下座する勢いで声の主が空間に開いた“門”へ飛び込む。
その日、北部大門を征する為の切り札。
大母より直接産まれた最古の魔族の一体が大陸より故郷へ帰る事となる。
だが、極大の報はしかし異相と各界を繋いでいた者の消失により、酷界から魔王軍に届く事は無かった。
酷界側の門が閉ざされた事で補給路と退路をも失った魔王軍が異相内部において孤立。
是が非でも大陸への侵攻を成功させなければならなくなるが、それはまたいつかの話。
一人の皇帝馬鹿(エトダイスキ)が世界を救った日。
『陛下ぁあああああああああああ!!!! これからもエーレインはッッ!! 陛下の為にぃいいいいいッッッ―――』
旧き魔族すら洗脳(かんゆう)した何も知らない同志本人はいつもの日課を心の中で叫んでいたのだった。