※この作品はR-18です。

聖娼館ハルトゥム   作:Anacletus

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第十三節

第十三節「怪しい影」

 

 夜の森において最も危険な行為は自分の居場所を教える事だと言われている。

 

 動植物にしても敵対する何者かにしても、位置が分からなければ殆ど仕掛けようがない。

 

 相手との距離を詰める術に長けていても、相手の居場所が分からないのでは意味もないのだ。

 

 そういう意味でイルト達四人のパーティーは一見して静かな方だ。

 

 先頭を往くリュオは過去の探索者としての経験から足音や気配を消すのに長けていたし、イフィーは七教会からの逃亡生活で同様の技能を身に付けている。

 

 イルトにしてみても探索者としての心得くらいは師から教えられていたし、ピアリにしても静かな声で会話をするくらいには周辺に気を使っていた。

 

 だが、それでも不意打ちに近い形で剣獣(ソーディアス)達は四人を襲われるのは回避出来ない。

 

「イフィー!!」

 

 イルトの両手にある金属棒が短剣の形となって二本の黒い剣を受け止める。

 

 掌に伝わる衝撃に痺れる手も無視して。

 

「櫛剣(ソード・ブレイカー)!!」

 

 短剣の形が変わっていく。

 

 変化は刹那。

 

 一瞬で別の形態を取って、短剣―――今は剣を受け止め叩き折る形となったソレが剣獣の刃を寝かせて地面へと払った。

 

「この!!?」

 

 イルトが片足を踏み抜いた。

 

 合金でコーティングされた靴裏が剣を半ばから圧し折り、一本を破壊する。

 

 続いて二本目の剣に取り掛かろうとしたイルトが前のめりにつんのめった。

 

 仲間が圧し折られるのを見たからか。

 

 抑えられていた一本は背後へと引いたのである。

 

 その力は人一人を引きずるに足る。

 

「おわ!?」

 

「てぇええい!!」

 

「ピ、ピアリ!?」

 

 三人に守られるように背後に避難していたピアリがガッと以外に強い力でイルトの両脇を掴んで引く。

 

 引いた剣獣が翻った。

 

 まるで剣術を習った者が振ったような見事な斬撃が慌てて構えたイルトの前で火花を散らす。

 

 ガギンッ。

 

 そう櫛剣の歯が何本か欠ける。

 

「直すの大変なんだぞ!!」

 

 受け止めた片方を刃から引き離したイルトが叫びを上げた。

 

「槌(ハンマー)!!」

 

 ギュルッ。

 

 渦巻いた合金が剣を叩き折るのに丁度良さそうな大きさの槌を形成する。

 

「りゃぁぁあ!!!」

 

 勢いよく振り抜かれた鋼の塊が黒い剣を叩き折った。

 

「やりましたよ!! イルトさん!!」

 

 ピアリが歓声を上げると同時に周辺でイルトの十倍程の剣を相手していたリュオとイフィーが同時に声を上げる。

 

「【六軍縛鎖(セクスタンス・カテナム)】」

 

 イフィーの周囲の地面から豪風が吹いた。

 

 すると姿がまるで薄い影に覆われたように黒くなる。

 

 周辺にいる剣獣達の動きが一斉に止まった。

 

 六軍とは過去の大陸において皇帝を名乗る者が率いた軍の名だ。

 

 一個師団で12500の兵であった事から総勢で75000の大軍団であったとされる。

 

 少女が数秒の内に練り上げた術式は大地に広がる方陣として高速で珪素を抽出、分子を連結して極小の輪の繋がり、つまり鎖として精製したのだ。

 

 非常にねばり強い非晶質(アモルファス)である極小のソレは光を吸収する事でエネルギーを生み出し、際限なく自己を複製しながら対象を束縛する。

 

 正に時間さえあれば、75000の軍団を束縛する事すら可能な高度魔術だった。

 

 ギィィィィィイイイイイイイイイイイイイイイ。

 

 絡め取られた剣達が身動きしようとして。

 

 ビギッ。

 

 極小の鎖が生み出す束縛の圧力によって砕け散った。

 

「【金剛九会(ソルディウム・フェロー)】」

 

 リュオが数十にも及ぶ剣の突撃を受ける寸前。

 

 己の肉体に小さな豆粒程の湿布を両手の親指で貼り付けた。

 

 ドガガガガガガガガガガガ。

 

 正に剣山で貫かれたにも等しい。

 

 剣先で姿が埋まった。

 

「し、師匠!!?」

 

「煩悩を絶つ我が叡智。無欠也」

 

 イルトが目を見張る。

 

 リュオの肉体に剣先を突き込んでいた全ての剣獣達が先端から奔る罅にのたうちながら、地面へガタガタと落ちて砕けていく。

 

「ふぅ」

 

 その様子を見て外套をバサリと翻した青年が三人の方へと戻ってくる。

 

「す、すげぇ!!? 今のどうやったんだ師匠!! 合金とか使ったにしては皮膚の色が普通だったし!!」

 

 大量に密碑(キャラクト)が散らばる周辺でソソクサと回収を開始するピアリを他所にイルトの目がキラキラと尊敬の眼差しとなった。

 

「いえ、肉体を少し硬くしただけですよ」

 

「す、少しって、此処ら辺の剣獣(ソーディアス)が上より硬いから気を付けろって言ったの師匠だぜ!!」

 

「はは、ちょっとした概念魔術の応用です。まぁ、僕自身の魔力形質は純粋波動型に近いので、多少それっぽいだけの技法なんですけどね」

 

「謙遜するではないか。あれは神々の一柱が言うところの業を断つ智慧。つまり、智識の無欠さと肉体の強度を連動させる概念魔術系統に近いだろう?」

 

 イフィーが感心したようにリュオの首筋。

 

 小さな湿布を摘んで裏側を見る。

 

「ふむ。やはり【金剛(バジュラ)】の意匠。東部では【陰陽】にも使われるものだが、東部の神々にも詳しいのか。リュオ先生は……」

 

 イルトが犬の如く尻尾を振らんばかりの眼差しをリュオに向けた。

 

「探索者として昔は【乂羅(がいら)】の遺跡も回りましたから。南部の魔術結社じゃ異端扱いでしたっけ……」

 

 懐かしそうな笑みにイフィーは思っていたよりも案内役が力強い事に安心感を覚える。

 

「やっぱり、師匠ってすげーんだな」

 

 照れた様子でリュオが頬を掻いた。

 

「業界入りが子供の頃だったので、それなりに出来る自負はありますが、家としては庶子の出。やはり、魔力形質や血統による超常の力が強くないと魔術師としては二流以下ですよ」

 

 イフィーはその辺の魔術師事情に詳しい事からリュオの謙遜の内容が手に取るように理解出来た。

 

 総合魔術理論である【魔導技術(ハイ・クラフト)】が七聖女ハティア・ウェスティアリアに勃興されて以降。

 

 大陸の魔術師達の多くは廃業の憂き目にあった。

 

 それは秘匿していた様々な魔術の智識が教会によって一般化され、同時にその家々や流派毎にしか受け継がれなかった技能の統合で魔導が飛躍的発展を見せたからだ。

 

 そんな流れが数十年前から続いている旧き魔術師の業界は今や衰退の一途。

 

 だからと言って今まで己がやってきた生業を已める決心も出来ず。

 

 権威と地位を振りかざす者は多い。

 

 【近代化(レボリュション)】で貴族や王族、皇族が廃滅寸前なのに威張り散らしているようなものだ。

 

 実際、両者のような存在の反応は似通っている。

 

 庶子の出である魔術師が結社に入るというだけで並みの才能では不可能。

 

 それから更に名を馳せるまでに成るとすれば、尋常ではない苦労と研鑽が必要だろう。

 

「そうか。だから、探索者、なのだな」

 

「ははは、お恥ずかしい」

 

 リュオが片手を頭に当てた。

 

「終わりましたよ」

 

 ピアリがトテトテ両手に服や両手一杯に密碑(キャラクト)を持ってやってくる。

 

「イルト君」

 

「おう」

 

 イルトが自らの外套を開くようにして内側の衣嚢(ポケット)を開く。

 

「じゃあ、入れますね。イルトさん」

 

「零さないようにな」

 

 ドザァァァァァ。

 

 大量の密碑が明らかに入らないだろう衣服の奥へと消えていく。

 

 空間制御は魔術師にとっては高位階梯に上がるには必須の技能。

 

 錬金術師にしてもそれは同じだ。

 

 しかし、自らの服に大量の物資を隠し持つだけの技量をイルトは持っていない。

 

 外套は師であるリュオの贈り物。

 

 その弟子への保護的姿勢は少し過剰かもしれない。

 

「イルト。良き師を持ったな」

 

「あったりまえだろ? へへ」

 

 師に迷惑を掛けぬようになれ、と暗に言われた事にも気付かず。

 

 イルトが得意満面となる。

 

 その様子にやれやれを肩を竦めながら。

 

 リュオは視線だけは鋭く遠方に向けていた。

 

(かれこれ泉を出てから十時間近く。そろそろ距離的には下層域を二周半したくらいでしょうか。近付いてはいる。それは確かのようですが、何かを見落としているような……)

 

 思考は空転していない。

 

 だが、幾ら歩いても辿り着かないような感覚が纏わり付いている事も確かで。

 

 リュオがそろそろ本格的に疲労し始めている仲間達(パーティー)の度合いを見て目を細めた。

 

「おし。終わったな」

 

 大量の密碑(キャラクト)を外套の内側に消したイルトがパンパンと埃を払った。

 

「それにしてもあの月とか星とか、どういう仕組みになってんだろうな。かなりデタラメに歩いたけど、何処からでも見えるし……」

 

 さすがにずっと夜という事では気が滅入るのか。

 

 イルトが嘆息する。

 

「“何処からでも見える”ですって?」

 

 リュオが思わず月を見上げて思わず目を見開いた。

 

「ど、どうしたんだ師匠!?」

 

「……そういう事、ですか。見え過ぎていて気付かないわけだ……」

 

 クイッと眼鏡の蔓が押し上げられる。

 

「し、師匠?」

 

「イルト君。この下層域の構造が大体把握出来ました」

 

「ほ、本当か!?」

 

「ええ、君のおかげです」

 

「ど、どういう事だ!?」

 

 リュオが月を指差した。

 

「イルト君。我々が物凄い距離を渡っているとすれば、あの月……見えるものでしょうか?」

 

「え、あ、そういや、此処って天蓋蒼星(メイズ)の中、なんだよな。月が内部の上に固定されてるとしたら、見えなくなってないとおかしい?」

 

 イルトも気付いた。

 

「何処からでも見えるのは明らかに不自然です。本当の月があるわけじゃない。しかし、月が沢山あるわけでもない。一つの月が延々と上に掛かり続けるなんてどう考えてもおかしい。距離間が狂っているせいで気付きませんでしたが、数万km以上を踏破している我々が同じものを見続けるには“特定の区域内”を歩くしかない」

 

 イフィーがリュオの推理に瞳を細めて。

 

 足元に落ちていた樹の枝を月に向って投げた。

 

 ヒュンッと遥か遠ざかっていくかと思われた瞬間。

 

 コツン。

 

『?!』

 

 まるで、天井がすぐ上にあるような早さで音が返ってきた。

 

「上に行ってみましょう。月の正体を調べれば、この下層域の未探査領域の鍵がきっとあるはずです」

 

「ふむ。つまり、“月が出ていない領域”か」

 

「はい」

 

 リュオが頷いた。

 

「ピアリ。イルトにしっかり掴まっていろ」

 

「は、はい。イルトさん。しっかり掴まっていいですか!!」

 

 ヒシッとイルトの後ろからしがみ付いて、ピアリが元気に訊ねる。

 

「いや、なんつーか。その……ピアリ……せめて、言ってから抱きつこうぜ?」

 

 天然発言はまだいい。

 

 しかし、女の子が背中に胸を当てるのは青少年的にはアウトな行為だった。

 

 それでもイフィーの手前、グッと湧き上がりそうな喜び。

 

 主に青少年的なリビドー反応を抑えつつ、イルトが照れ隠しにそっぽを向く。

 

「では、行こうか。案外早く着くかもしれん」

 

 白金の髪の少女。

 

 その細い指がイルトやリュオの胸辺りに幾つかの文字を描く。

 

 魔力の残滓が細く青白い線となって残った。

 

 全員の身体が浮き上がる。

 

「【虚構神(メンダックス・ルォキ)】」

 

 空飛ぶ靴を履く神の名を冠した術式が起動した。

 

 四人は森を照らすモノへと突き進んでいく。

 

 *

 

 天蓋蒼星の月へとイルト達が向った頃。

 

 修道女が一人。

 

 人の良い笑顔で明らかに荒くれと思われる男達に微笑んでいた。

 

 第二層へと降る場での事である。

 

 もし人々が迷宮というものを想像するなら、まさしく彼女達がいる場所こそがそれだ。

 

 苔生した石造りの入り口からして古めかしい意匠に彩られ、整然と切り出された岩が積み重ねられた道は四方からヒンヤリと冷気を放つ。

 

 出てくる化け物が死霊や住み着いた獣、おどろおどろしい生物ではなく、剣の獣である事を除けば、正しく其処は迷宮というに相応しい所だった。

 

「いらっしゃい。いらっしゃい。はい。今日は安いよ安いよ~~~何とアルドストリアル製の細胞増殖式の回復薬、塗り薬と飲み薬×20を何とお手軽価格イチキュッパ!! イチキュッパでご提供だ!! 他社には真似出来ない価格の秘密は自社用の密碑確保部隊と早々にドロップアウトしたオバサン探索者が高濃度魔力を密封する熟練の手技だ。従来の波動魔力に加え、大源(マナ)から抽出した純粋魔力はオーガニック指定で身体への親和性もバッチリだ!! これはアルドストリアルならでは!! 妖精から魔力内包系の人工生物(ホムンクルス)、果てはゴーレムや魔術具の欠損にまで効くって触れ込みは伊達じゃない!! 更にな、な、なぁああんと!! 今、この商品を五箱お買い上げの方には大陸中央諸国じゃ話題沸騰中の積層魔力内燃機関式【自動駆輪(バイク)】までおまけするってな剛毅っぷりよ!! 是非、回復薬、血清、星潜者御用達の日常雑貨がご入用の際はアルドストリアルに御用命を!!」

 

「てやんでぇ!!? 何が魔術具にまで効く、だ!! こちとら大陸南部(イグニシア)式ぃ!! 完全浸潤型にした積層魔力の浸透回復用術式だ!! 護符一枚を背中に張るだけ!! 今はこれがトレンド!! 更に一度使い切っても自己魔力の精製術式も付けてるから心配いらねぇ!! 何度でも時間と魔力源さえあれば、繰り返し百回まで使用可能だ!! 背中に張る際も自分からペッタリ張り付いてくれる自動式ってなもんよぉ!!」

 

「馬っ鹿言うなよぅ? こういう時はやっぱり西部機械式ぃ!! ブラザー価格で今なら何と五割引なっちゃうんですよコ・レ・が!! 知ってるだろぉ? この世で最も偉大なる科学者にして世界最高の大金持ち。そう、七聖女フルー・バレッサ様の【電子噐械学(エレクトロニクス)】製が効くんだって!! 使い方は簡単だぁ!! ちょこぉっと手の甲にこの球体(オーブ)を埋め込むだけ!! 個人魔力と生命力、更に周辺魔力を精査して自動で置換してくれるってな品なんだぜぇ!! 埋まってる間は各種基礎能力を二割増し(個人差があります)効果が発動しぃつーつ、回復力や免疫力まで高めてくれるってな寸法だぁ!!! これで今年の天蓋蒼星(メイズ)ライフはイタダキだぜぇ!! ヒィィィハァァアア!!!」

 

 どれも厳つい顔の男達だった。

 

 というか暑苦しい事この上ない。

 

 格好が商人風か、南部風の薄着か、ギラギラしたラメ入りの服か、くらいしか三人の男達を見分ける方法はない。

 

「さぁ、どう致しましょうか?」

 

 首を傾げる戦闘修道女アイネス・ラッシュバルトはじぃ~っと半眼で三人の男達の持つ品を見つめていた。

 

 第二層へと降る迷宮。

 

【ヒールジン鋼窟】

 

 近くの街【アール・ヴォイド】から半日程の場所にある其処は今や商人と露天商と怪しいものをガッツリ売り付けようとする客引きが屯(たむろ)する市場になっていた。

 

 全長12kmにも渡る長い下り坂は殆ど人で埋まっている。

 

 途中の路端には無数の食事処が乱立し、ギルドの出張所が軒を連ね、第二層からの引揚者や傷病人、それから第二層以下の深層域から大量の資材を持ってノースポール・アガスタへ向う者が旅の疲れを癒している。

 

 時折出てくる剣獣(ソーディアス)等は良い鴨で。

 

 金に餓えた野獣の如き星潜者達に八つ裂きにされるしかない。

 

 人間のイザコザで怪我する確率の方が高いくらいのだ。

 

 猥雑を通り越し、今正に活気と活力に溢れた場所は新たなる新参者(ニューカマー)を迎えて更なる発展を遂げる最中のようでもあった。

 

「で、お姉さん」

 

「どれを」

 

「買うんだい?」

 

 ズイッと鴨のようにも思えた修道女に男達が顔を寄せる。

 

 その気迫は戦場さながらだ。

 

 鬼気迫るとは男達の顔の事に違いない。

 

「あら、あちらにも……」

 

 アイネスが惹かれたのは奥の方で必死に何かを売り込んでいる白い亜人だった。

 

「クゥヲ~~~♪ ククヲクークヲククックヲ!! クヲーヲク!! クヲヲ~~~!!?」

 

 何語を喋っているのか定かではない。

 

 しかし、その亜人の少女が道端で広げているモノを一目見て、キラリとアイネスの瞳が輝いた。

 

「クックク、クヲゥクヲ!!」

 

 『太鼓判押します!!』とでも言っているのか。

 

 大仰な身振り手振りで必死に商品アピールするその亜人。

 

 十代程の少女の方へアイネスが歩き出した。

 

「あ、ちょ、ちょちょぉおおッ!! お客さん!!?」

 

 男達がフラリと亜人の少女の方へ向うアイネスを引き止めようとするものの。

 

 スルリと間を抜けられた。

 

 さすがに一人の客へいつまでも構っているわけにはいかないらしく。

 

 全員が同じような口上を並べては新しい客へと突撃し始める。

 

「あらら。可愛らしい」

 

 三十路を越える年齢でも乙女は乙女。

 

 可愛いもの。

 

 綺麗なもの。

 

 そういう乙女趣味は棄てられないらしく。

 

 アイネスはその少女の姿にちょっぴり胸をトキめかせた。

 

「クゥ~~~」

 

 自分を見つめる修道女の姿が珍しいのか。

 

 キロリと菫色の瞳がアイネスに向く。

 

 人間には在り得ない白過ぎる滑らかな肌。

 

 巨大な海月に食われたような頭部。

 

 その海洋生物系頭蓋から髪の毛の代わりに幾つも海月の足のようなものが垂れ下がっている。

 

 両腕の肘から先には飛べない翼のような柔らかな皮膚が垂れ下がったヒレ。

 

 尾てい骨辺りからは大陸東部で年始に食される餅(モチ)を引き伸ばしたような尻尾がプラプラ揺れていた。

 

 整った貌(かんばせ)は人が浮かべるにはあからさま過ぎる天真爛漫と無垢に満ちて。

 

 肌と同じ色のキュロットと袖無しブラウスの亜人少女は愛らしく小首を傾げる。

 

「クゥーヲ?」

 

 何語かアイネスはまったく分からなかったものの、ニュアンス的に客かと尋ねられたのだと理解する。

 

「そうです。こんなに可愛らしい子が一人で売っているものがどういうものか。少し興味がありまして」

 

「クゥーヲ!? ク、ククヲヲー!!」

 

 ようやく捕まった客。

 

 逃がしてなるものかと慌てた少女が露天の果物が入っていたらしき木箱の上で。

 

 革布の上に広げていた品を持って掲げた。

 

「クヲヲー!! クックヲクッ!! クヲクヲクヲーヲ!! クヲークク!!」

 

 必死にアピールしているものの、さすがに詳細な内容をクとヲだけで説明するには至らない。

 

 野次馬達は天真爛漫な少女の賢明さにほんわ~と癒されているものの、現実的に何を売っているのか分からない為、アイネスとのやり取りを一歩下がって見ているだけだった。

 

「まぁ、とっても綺麗な……薬、でしょうか?」

 

「クーヲ」

 

 ウンウンと人外少女が頷いた。

 

 その手にあるのは小さなキラキラと輝く液体が入った小瓶が一つ。

 

「これは……この銀白色。ああ、銀金(ミスリル)でしょうか?」

 

「クヲヲー♪」

 

 正解とでも言いたげな頷き。

 

 更に小瓶を呑む真似をした少女がフゥッと虚空に吐息を吐く。

 

 すると、光っぽい槍が突如として少女自身に襲い掛かった。

 

「クヲックヲ!!」

 

 普通に光るだけの槍が少女の身体に直撃して、簡単に砕ける。

 

 それから片腕を上げて力コブを強調した少女がバーンと小瓶を見物人達に向けて突き出す。

 

「ええと。つまり、それを呑むと魔力形質自体に耐性が出来て魔術を無効化する、的な?」

 

「クヲ♪」

 

 コクコク少女は頷いた。

 

「耐性の時間は何時間程でしょうか?」

 

 指が三つ立てられる。

 

「三時間?」

 

 フルフルと首が横に振られる。

 

「三日間?」

 

 やはり首は横に振られる。

 

「三週間?」

 

 首は横に振られっぱなしで。

 

「……三十分?」

 

 オシイ!!的な指を弾くジェスチャーで少女が首を横に振る。

 

「三分、でしょうか?」

「クゥ~~~♪」

 

 正解とばかりに大きく首が立てに振られた。

 

 今の今まで商品の説明を一応聞いていた野次馬達がゾロゾロと解散していく。

 

 今日日(きょうび)、三分で切れる魔術耐性の薬なんて端にも棒にも引っ掛からない、と言うか。

 

 怪しさ満載亜人少女が見知らぬ言葉で売っている時点で相当アレである。

 

 きっと悪い商人辺りが背後から操っているのだろうと見るのが妥当だ。

 

「まぁ、ちなみにそれってどれくらいの魔力形質を防げるんです?」

 

「クーヲ」

 

 少女が腕を開いて一杯というジェスチャーで応える。

 

「まぁ、とっても良い品そうですね。ちなみにお幾ら?」

 

「ククヲッ!!」

 

 『何とッッ!!』と言っているか定かではない。

 

 が、それっぽい仕草で指が五本アイネスの前に突き出された。

 

「ん~~~金貨五枚でしょうか?」

 

「クヲ、ククヲ~~~♪」

 

「約金貨四千八百枚だクヲ。と言われています」

 

「え?」

 

 アイネスが瞬きをする。

 

 人混みの中からトコトコと十歳程に見える子供が亜人少女の横にくっ付いた。

 

「貴方はこの子のお付きの人かしら?」

 

「クヲ~~!! クヲクヲックク?」

 

「何処に行ってたんだクヲ? と言われています。ちなみにこちらはマヲン。こっちはディア子とお呼び下さい。お客様」

 

 まるでワカメのように頭どころか顔全体まで覆う紫の髪。

 

 マヲンと呼ばれた人外少女の三分の二くらいしかない背の少女はお屋敷に仕える女給の姿だった。

 

 とある国ではメイドさんと呼ばれるだろう。

 

「クヲヲ~~~」

 

 ディア子と名乗った少女の上にマヲンが顎を乗せてピッタリ寄り添う。

 

「迷子になっちゃダメじゃないかクヲ。と仰っています」

 

「ふふ、可愛らしいメイドさんですね。それで値段は金貨四千八百枚、だったかしら?」

 

「クヲ~~」

 

「そうだクヲ。これ以上はまけられないクヲ。だそうです」

 

「そうなのですか。でも、今は密碑(コレ)しかなくて。もう少し安いものないかしら?」

 

 明らかにボッタクリ価格だったものの、懐から密碑で一杯の皮袋を出してアイネスが訊ねる。

 

「クヲック!!」

 

「そんな時はこちらクヲ」

 

「クーヲヲ。クーククヲ。クヲヲー♪」

 

「驚きの新商品“何でもヨクナールー”一度打てば人間も亜人も神様だって人生投げ出したくなる薬物だクヲ」

 

「クヲーヲ!!」

 

「これを敵に打てば、もう誰もが『どうでもいいよ。どうでも。けッ』と全部投げ出して戦闘は終了。剣獣(ソーディアス)だってグッタリしちゃう優れものだクヲ。だとか」

 

「まぁ、そじゃあ、それを一つ下さいな。可愛い売り子さん♪」

 

 密碑で一杯の皮袋が手渡されるとロクに確認もせず受け取ってディア子が置かれていた小瓶の中から一つ取ってアイネスに渡した。

 

「ククーヲー♪」

 

「まいどありだクヲ」

 

 明らかに変な少女達から明らかに怪しい薬を皮袋一杯の密碑で買う修道女の図、である。

 

 あまりの光景に修道女の背後には『可哀想に……』とか『カモられたな……』とか『近頃の詐欺はひでぇなぁ……』とか同情の視線が雨霰(あめあられ)と降り注いだ。

 

「うふふ。此処には二人で?」

 

「クゥーヲ」

 

「そうだクヲ」

 

 まだ十代の少女が二人旅。

 

 本当かどうかも分からない話にアイネスが何やら事情を察して微笑む。

 

「そうなのですか。大変な時はいつでも七教会に駆け込んで下さいね。貴女達のような無垢なる子羊が困窮する事を我々は見過ごしません。ええ、例え亜人でも人外でも餓えは辛いものですから。では……」

 

 頭を下げ、小瓶一つをホクホク顔で携えて。

 

 アイネスが長い下り坂を降りて行った。

 

「クゥ~~~」

 

 その背中を見ていた人外少女マヲンが呟く。

 

「そうですね。優しくて、それでいて危険な香りがする方でした。貴方のお腹が空いている事なんて聖女や神様くらいしか分からないはずですから」

 

 ポツリと漏らしてディア子が去っていく背中から視線を逸らした。

 

「クックヲ。クゥ」

 

「彼女の位置は捕捉出来ていませんが、予測では第一層下層域にいるはずです。現在、七教会の各部署の足止めは順調だとの報告が手紙で来ました。同時に幾つかの不確定要素が動いているとも……」

 

「クゥ~~ヲ」

 

「では、予定通りに」

 

 二人の少女が店仕舞いして明るい観光地化された迷宮を降りていくのは夕方になった頃だった。

 

 トコトコと歩く真白の海洋系亜人の噂は程なくして天蓋蒼星七不思議に認定される事となる。

 

 曰く。

 

 白い少女が売るソレは間違いなく本物であるとか。

 

 神々の攻撃すら防ぎ切る真正の秘薬であるとか。

 

 値段に見合う品は裏市場に回せば数倍の値が付く劇薬であるとか。

 

「クァ~~~………zzz」

 

「頭の上で寝ないで下さい」

 

 天蓋蒼星開放によって日に日に増える星潜者(アイム)達の波の中。

 

 少女達は下へ下へと降って行った。

 

 先に何が待ち受けるのか。

 

 全てを知りながら……。

 

 *

 

―――大海洋七教会海底支部。

 

『夢と希望が君を待ってる!!』

 

『さぁ、君も世界の果てまで航海しよう!!』

 

『リゾート支部? いえいえ、人類の未来を担う部署です』

 

 標語やら広報ポスターに塗れた海底4329m地点。

 

 世界最大。

 

 七教会唯一の海底資源開発施設のロビー。

 

 防水艦用整備ドッグ。

 

 天蓋蒼星の宙域航行艦が使うものとほぼ同じ施設の最中。

 

 ポケーッと七聖女ミュルト・ジオバトスは呆けた抜け殻のようになっていた。

 

 周囲に人はいない。

 

 というか、見えない。

 

 それもそのはず。

 

 こんな様子の七聖女を現在の教会には見せられないという配慮は正しい。

 

 あの七教会本部の崩壊から時間がそれなりに経った。

 

 連続200時間ぶっ通しの会議、会議、会議、会議、会議、会議。

 

 これが平均睡眠8日毎に5分という状態で延々と行われていたのだ。

 

 超絶有能事務方トップという頭の悪そうな肩書き筆頭だったマディクト・ナシエの不在は七聖女の事務負担の激増を招いた。

 

 彼の有能な部下がちらほらと復帰し始めていたが、それにしても七教会は天下分け目の大戦だとばかりに中央不在の大混乱中。

 

 完全独裁を敷いて七聖女不在中の問題を強攻策で薙ぎ倒して何とか持たせているバルガがいて、これなのだから、聖女一人でどうにかなるわけもない。

 

 今まで一番事務とかとまったく接点の無かったミュルトに極端に重要案件が集中したのだ。

 

 これを消化するには勉強、現状の認識、基本的な知識と叩き込まれる事は山の如く。

 

 それを魔術で誤魔化して何とか行ったのが最初の数週間。

 

 そして、ようやく即座決めねばならない案件が途絶えたのは一時間前。

 

 最後の仕事。

 

 大陸中央諸国の雄であるアルヴィッツの元王様。

 

 七教会の政治的な後ろ盾の一人である銀獅子陛下。

 

 マシア・ミクニス・アルヴィッツに教会の幾つかの権限と仕事を臨時で任せ終わった後。

 

 ミュルトはもはや口を半開きにして人形のようになって停止したのだ。

 

 その横では今もエシュが次々に持ち込まれる案件を他の部署に振り分ける作業……虚空に魔術で出した窓の中にある書類をあちこちへ送る仕事に没頭している。

 

 それがようやく終わった彼は七教会の制服姿で席から立ってグッと伸びをすると。

 

 横のまだ呆けているミュルトをチラリと見て。

 

 まだ、ダメそうだと声を軽く掛けてからすぐ傍にある自販機で幾つかの缶飲料を買った。

 

 それを己の主人の横において珈琲を一口啜った彼は脳裏で受信するプラットフォームから大型の重要案件がまた出てこないかと監視しつつ、ドッカリとロビーの椅子に腰掛けた。

 

(ようやく……終わった……超人が切に羨ましい職場と言われて久しい七聖女のお付役……その最たるブラックな部分をやり終えた自分に拍手を送りたい……いや、本当に……本当に……)

 

 心折れそうな量の“残業”とは言うまい。

 

 自分で選んだ人生だ。

 

 仕事と言うには私事が絡みまくったお付としての時間に文句など無い。

 

 しかし、人の処理能力には限界がある以上。

 

 彼にだって休みは必要だ。

 

 それが自分の仕える少女の手前言い出せなかった事は心の中に仕舞っておくべき話だろう。

 

 身体が疲れない聖女でも心は疲れる。

 

 魂が損なわれずとも、傷付きはする。

 

 出来る限り、ミュルトにそういう一般人と自分の違いに思い悩むような事が無いよう配慮してきた彼だからこそ、この処理限界を超えた仕事量を消化し切ったと言える。

 

 魔術や薬物によるドーピングに一日の終わりには肉体の体調のみを復元までしてやり切った姿は実際、そこらの仕事の鬼と言われる七教会の重鎮達も一目置いた。

 

 抜け殻なミュルトが復帰するまで後、数時間はあるだろうと踏んで。

 

 彼は次の仕事に取り掛かる。

 

 それは己の主が判断を誤らぬよう大仕事になりそうな案件の情報を頭に叩き込むという更なる苦行だ。

 

 今まで大海洋で一日中延々とよく分からない超越者達の巣を行ったり来たりとか。

 

 バカンスまっしぐらで聖女と海底遺跡探検ツアーとか。

 

 そういうのとは違った極めて人類社会に貢献する公な類の難行である。

 

 これを素直に喜べない事こそ彼がまだ七教会の重鎮達に未熟者と呼ばれる由縁である。

 

 人類社会に貢献出来る!!

 

 聖女様の為に働ける!!

 

 さぁ、君も僕と一緒にお仕事しようよ(アルカイック・スマイル)。

 

 と、狂人よりも超人的に笑顔で他者に働かせる事の出来る人材こそ至高。

 

 もはやカルト教団も真っ青な超絶ブラック濃ゆめ人材こそ七教会上層部の正体である。

 

 聖女達は『良い人ダナー』と思考停止して自分の部下達の働き振りを眺めているかもしれないが、それは彼女達が限りなく“世間知らず”で何処か“ズレている”為であり、実際にはそういった聖女周辺の超人より超人してる【聖女中毒患者(セイント・ホリック)】達が日夜格闘しているから、七教会は真に人類中最強の組織として成り立っているのだ。

 

 聖女様達の為なら死ねるは初級者。

 

 聖女様達の為なら死なずに生涯残業する、が中級者。

 

 聖女様達の為なら魔導生物になって永遠にお仕えする、が上級者。

 

 聖女様達の為なら人間已めずに邪神だって働かせてみせる、が最上級者。

 

 このような論を持ってしてようやく一人前というのが暗黙の了解なのである。

 

 まだ駆け出しに過ぎない聖女様のお付人材(仮免)くらいのエシュには分かりようも無い世界だ。

 

(それにしても……今のままじゃ……)

 

 ミュルトが精神的に磨り減っているのは彼も感じているが、それを分かっていても決済する人材が極めて足りていない。

 

 本部が消滅した場合の代替プランというのは緊急措置的な観点から策定されていたのだが、それにしても一番仕事をしていた本部の地表施設勤め達が離脱したのだ。

 

 ゆっくりと人材が死の淵から帰ってきて仕事に従事し始めたとはいえ。

 

 それでもまだまだ処理能力は戻っていない。

 

 バルガは緊急事態だからと旧教会派人材を一部受け入れ、人類規模案件に対処する実行戦力を整備中……その独裁スタイルが一部から反発を食らって、七教会内部は従来のスタイルでやっていこうという勢力が大陸中央諸国同盟との連携に傾き。

 

 現在、その議長たる元王様に一部の権限と義務と仕事が貸与されたわけだ。

 

 元々中央の政治的な力に乏しいミュルトは海洋や沿岸部の支持が厚い為、何とか大半の七教会支部を纏めたものの。

 

 中央諸国は荒れ模様。

 

 あちこちで今回の一連の騒ぎの発端であるテロに関して様々な事態が巻き起こっている。

 

 テロ首謀者と目される人物の特定。

 

 その特定された人物の情報の開示。

 

 開示された情報内にあるその相手の所属。

 

 これだけでも本来ならば、七聖女は秘匿するべきだったのだが、実務経験0のミュルトに掌握出来ない勢力はこれを開示。

 

 あちこちで戦乱の気配が漂い始めた。

 

 何せ教会本部を落とすような戦力を保持している存在が公然と存在するというのだ。

 

 これが邪神だとか。

 

 小さな組織や小さな勢力だとか。

 

 極々例外的な超越存在だとかなら……まだやりようがあっただろうに。

 

 テロ首謀者と目されるのは大陸北部に位置する大国の元国家最大戦力と謳われる存在で。

 

 ついでに魔術師として聖女クラスと目される実力を備えた人物であり。

 

 大陸北部に七教会の影響が及び難い理由。

 

 その最たるものであるという事実が暴露されてしまってはどうにもならない。

 

 数十年前より北部では戦乱の度に北部三国と呼ばれる国家が地域の安定に寄与し、自分達以外の勢力の干渉を直接間接問わずに阻止してきた経緯がある。

 

 勢力圏内の国家は我々の管轄であると暗に七教会へ仄めかし。

 

 先回りして事態に介入。

 

 御呼びじゃないと追い返したりするのが彼らの手口だった。

 

 中でも今回のテロ首謀者と言われた相手はとにかく情報が早く。

 

 どんな場合でも先手を打ってくる優れた相手で。

 

 七教会の古株などは忸怩たる思いがあったのだとか。

 

 このような背景を軸として回り出した北部テロ支援国家征伐という大義を掲げた勢力が大陸中央諸国では日増しに発言力を伸ばしつつある。

 

 それを押さえているのが表向きはマシア・ミクニス・アルヴィッツ。

 

 銀獅子と呼ばれる老人なわけだが、元々教会事務方トップであるマディクト・ナシエと老人に確執があるというのは一部教会官僚達には知られた話だった。

 

 若い頃からマシアを警戒していたと言われるマディクトは極めて単純に「七教会に貴方の力は必要ない」と自分達の優秀さを誇示する事で国家に多大な影響力を持つ相手からの干渉を防いでいた。

 

 それが今は七教会からお願いして仕事をしてもらう立場となったのだ。

 

 これで国家と七教会の垣根は低くなり、独立性が揺らぐ。

 

 それはつまり七教会の持つあらゆるテクノロジーとノウハウが国家に干渉され得るという事だ。

 

 しかも、その力が圧倒的に軍事力という目的で行使されるかもしれないという状況。

 

 七聖女不在で求心力が低下した七教会にとって、コレ程に厄介な事態もないだろう。

 

 喉元をマシアに握られたに等しいのだから。

 

「………」

 

 そっとまた珈琲を啜って。

 

 横のミュルトを見ようとしたエシュが自分を見上げる視線に気付いて、少し慌てた。

 

「あ、起きてましたか?」

 

「うん。エシュ、大丈夫?」

 

「大丈夫です、と言えれば、格好付くんですが……」

 

「お休みいる?」

 

「要らないと今はまだ言えるので大丈夫です」

 

 ミュルトがいつもの金木犀色のワンピースをポンポンと払って立ち上がる。

 

「戦争、止めなくちゃね……」

 

 その言葉に『ああ』と戦争や戦争に近い出来事ばかり起っていた故郷を持つエシュは理解する。

 

 自分の主は一番大切な事は何があっても守る気でいるのだと。

 

 それが例え自分達が手塩に掛けてきた組織との対立になるとしても、そうするのだろうと。

 

「まだ、そうとは決まってません」

 

「うん。でも、昔みたいにはしたくない……皆で決めたの……この大陸にもう自分達が知ってる戦争は起らないよう頑張ろうって」

 

「そうなんですか?」

 

 コクリとミュルトが頷いた。

 

「昔の戦争はね。赤子を材料にして敵の軍隊を滅ぼしたり、占領した街を生贄にして呪いを作ったり……それ以外だって……とても酷い事ばかりだった……エシュは自分の子供を殺して敵を沢山殺そうって思う親の人がどんな顔をしてるか知ってる?」

 

 その言葉に思わず。

 

 本当に思わず。

 

 エシュは少女を抱き締めそうになった自分の手を自制した。

 

「いいえ……」

 

 言わせたくは無い。

 

 だが、きっと聞かずして。

 

 目の前の聖女の事を少しでも理解した等とは口が裂けても言えないのだと理解した故に。

 

「戦争で手足を失くした兵隊さんが家族から見捨てられたり、何も罪の無い女の人が必要だからって理由で浚われて、死ぬまで肥溜めの横で使われて棄てられたり……ガリガリに痩せた我が子を食べて生き残った家族がどんな顔で生きていくのか……教えてあげる……」

 

 まだ自分が生まれる前。

 

 ずっと前というには陸続きのたった数十年前の話。

 

 それを語る聖女の瞳は今まで見た事も無い程に清んでいて。

 

 その戦争の全てを見てきたかのような悲惨を震えなく語るにはどれだけの積み重ねた想いがあるものか……分かるはずもない。

 

 まだ30年も生きていない。

 

 生まれた時から恵まれている方な自分に分かる事はない。

 

 それだけは彼にだって理解出来た。

 

「みんな大半はね。仕方なかったって言うんだよ。そう言えない人は暗い顔で死ぬのを選ぶか。何もかも忘れようとしてお酒や異性みたいな何かに執着したり、溺れるか。少なくとも……この人はもう長くないって分かるくらいに荒んじゃうの……」

 

 ミュルトが虚空に大陸中央諸国の映像を。

 

 放送されているニュース番組をあちこちから引っ張ってきて、周囲に並べる。

 

 無線放送は今や映像を送り合い。

 

 あらゆる出来事を伝えてくれるようになった。

 

 その中には人々の生活が、沢山の顔が何気なく映し出されている。

 

 道を行き交う誰もが今日を生きていた。

 

「平和は最初から尊いものじゃない。平和はみんなで尊くしていくものなの……戦わなきゃならない時はある。正義だって守りたい。家族、財産、社会、幾らだって戦う理由は転がってる。誰もがそれを失わない為に頑張ったり、戦ったり、少なくとも……行動を起こすから、争いは根本的に無くならない……でも、必要以上に敵を蹂躙したり、憂さ晴らしに敵国の人を殺したり、いたぶったり……そういうのを失くしていければって、みんなで戦争を止めようって行動を起こす時、決めたの。戦争にルールが無いなら、人が決まりや人の道を守れないなら、それが守られなければならない世界にしようって……」

 

「七教会が戦争介入を始めた頃のお話しですか?」

 

「うん。戦争はまだこの大陸でも無くなってない。形を変えて、姿を変えて、幾らでも起ってる。でも、昔よりは少し前進したと思うんだ……フルーが沢山のお金と戦争を止める理由を造って、ハティアがみんなに戦争をしたって絶対に守ってくれるだけの道徳を説いて、クラルが色んな宗教を無理やり納得させて、ユアンが誰よりも力が強い事をあらゆる存在に示して、ソィラが絶対に超えられない壁となる事で反対意見を黙らせて……それだけしてようやく少しだけ……進んだと……そう思う……」

 

 聖女とは頚城。

 

 人類が知る限り。

 

 これには絶対叶わないと理解出来るだけの存在。

 

 そうなってこそ。

 

 そうしてこそ。

 

 ようやく彼女達は自分達が見てきた悲惨さを少しだけ変えられたと理解したのか。

 

 そうならば、それがどれだけの血と汗と人生を捧げた末の出来事なのか。

 

 真に聖人と呼ばれる女を前にして未だ若輩の彼が語り合う事など出来なかった。

 

「メルフと一緒に色々してきたけど、結局はみんな任せだった……こうやってみんながしてきた仕事を引き受けてみて、それがようやく分かったと思う……だから、みんなが帰ってくるまで戦争なんて起こさせないって決めた……今……」

 

 言いたい事は色々有った。

 

 しかし、決意した顔は笑んでいた。

 

 だから、彼に言える事は一つだけで。

 

「休みが貰えるまでお供します。お邪魔でなければ」

 

「ぁ……うん!!」

 

 花が綻ぶように金木犀の少女が頷く。

 

「それと」

 

「?」

 

 自分がこれから言うのはやはり青臭い何も分かってない人間の戯言なのかもしれない。

 

 そう思いつつも、彼は目の前の女の子に伝える。

 

 己の気持ちを。

 

 少なくとも、此処に一人その仕事ぶりを認める者がいるのだと。

 

「君だって、ちゃんと仕事をしてきたとオレは思う。だって、あんなに海辺の人達から親しまれてる君が聖女らしい仕事をしてないと言うんだったら、他の聖女様達の誰も仕事をしてないって事になるだろ?」

 

 目を丸くして。

 

 しかし、すぐに優しく細めて。

 

「―――エシュって時々……キザ、かな?」

 

 聖女は少しだけ照れくさそうに頬を掻いた。

 

『『『『『『『『『『『『『『『………』』』』』』』』』』』』』』』

 

 得たいの知れない悪寒を感じたエシュが後ろを振り返ると。

 

 時計が目に入る。

 

 そして、通路の角から生暖かい視線が多数。

 

 チラチラ自分達を覗いていると理解する。

 

(もう時間過ぎて―――)

 

 エシュが支部の人間に外して欲しいと言った時間はいつの間にかとっくの昔に過ぎていた。

 

 老若男女で十数名。

 

 支部の各部門のトップ達が知らないフリをしつつ、口笛やら互いに話し合うような素振りでイソイソと何も見てませんよアピールをしつつ、角からやってくる。

 

「あ、みんな♪」

 

 それに気付かない寝起きに等しいミュルトがいつもの人懐っこい笑みを浮かべて、もう元気一杯ですと部下達に示しながら歩いていく。

 

 その背中を見つめながら、新米聖女付きの青年は主の視界から外れた男女の頑張れよ的なサムズアップやらニヨニヨ笑い、ウィンク等々を受け……額に手を当てた。

 

(母さん。どうやらオレ、まだまだ帰省出来ないみたいだ)

 

 彼は知らない。

 

 母親からの早くお見合いするか良い人作って初孫見せてという要求が、ただの女上司と嘘を付いて説明しているミュルトの話に飛び火し……戦々恐々の日々を送る事になるとは……。

 

「エシュ!! 行こう?」

 

 手を引っ張って走っていこうとする上司に抗えず。

 

 青年もまた走り出す。

 

 戦いは……人の尊厳と生活と人生を守ろうとする聖女の戦争は……まだ、始まったばかりだった。

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