第十四節「変転する世界」
煌々と照らす月夜の下。
星為らぬ星。
輝く岩塊の群れの表層に彼らはいた。
イルト・イナーシタ。
イフィー・ファサルトス。
リュオ・クルミナス。
イクスピアリ。
若き【星潜者(アイム)】達である。
「師匠。これ、どうなってんだ?」
イルトが光る岩塊を足場にして首を上向け地表を見る。
「どうやら重力が働いているようですが、これは中々に興味深いですね」
星々を模る巨大な輝石の上で繁々と地表を眺めた後、リュオが足場に触れた。
「ふむふむ。あまり硬くはなさそうだ」
「綺麗……」
ピアリが光る石の大地に顔を輝かせる。
「さて、これからどうするか。そうだな……月にでも行くか?」
一人周辺に危険が無いかと警戒していた灰金の少女が遥か彼方に見える巨大な光りを見て呟いた。
「それがいいかもしれません。此処に来れば何か起こるかとも思いましたが、重力が反転しているだけのようです。とりあえず、この輝石を採取してから向かいましょう」
「そうしてくれ」
「では」
おもむろに懐から小槌を取り出したリュオが足元の岩肌を叩いた。
すると簡単に罅割れ、欠片が剥離する。
袖から試験管を取り出して内部にカランと放り入れて蓋がされた。
カラカラと試験管を振って輝きが持続している事を確認した後、袖へサンプルが回収される。
「終わりました。月に向かいましょう。何はともかく歩いてみる事が先決でしょう」
「ああ、同感だ。石の解析は後でいいだろう」
四人が再び暗闇。
否、今は足元からの光りに照らされながら移動を開始した。
「これまで以上に何があるか分からん。必ず隣に誰かを置くように移動してくれ」
「ああ、分かった」
イルトが今にもまたフラフラ何処か幻想的な世界に駆け出して生きそうなピアリの隣に付く。
リュオとイフィーが互いを左右に見ながら先行。
密集しながらの移動は遅いものだが、人の気配も無い岩肌を歩くのに無理をする必要も無い。
それでなくとも移動距離が実は恐ろしい事になっているのだ。
四人は気を付けながら、少しずつ進む事としたのも当然だろう。
「イルトさん。とっても綺麗ですね。此処」
「そうだな。さすがに重力が逆に掛かってるのには驚いたけど」
「ピアリ的にはこういう綺麗な場所が一杯在ると嬉しいです。空のお星様って、こんな仕組みだったんですね!!」
「え?」
「知りませんでした。お星様が実は光る岩場だったなんて!? 衝撃の事実です!!」
「いや、あのな。ピアリ……」
思わずツッコミを入れようとしたイルトだったが、自分の住んでいた国が大陸でも恵まれている中央諸国である事を意識して、少女の幻想を壊すかどうか悩んだ。
と、言うのも【近代化】と呼ばれる七教会の文明の進展を得ている国は増えつつあるものの、未だ世界が神の手中にあるとか、星が人々の魂なのだとか、本気で信じている人々がいると知っていたからだ。
中央諸国の幼等部の子供達でさえ、星は遠い場所にある太陽、天体だと知っている。
だが、その知識をひけらかして相手を未開と侮り、ただ現実と真実の乖離を大人気なく正すというのもイルトには出来なかった。
「興奮気味のところ悪いんだが、必ずしもそうとは言えないんだぜ?」
「お星様はこういう場所じゃないんですか?」
「いや、なんつーか。実はお星様って言われるものの種類には遠くにある太陽みたいなもんもあるんだよ」
「遠くにある太陽?」
「ああ、物が遠くにあると小さく見えるだろ?」
「それくらいピアリにだって分かります」
「実は太陽にも種類があって、遠くにある太陽は近くにある太陽より小さく見えるんだよ。いつもは近くにある太陽が見え過ぎて昼間見えないだけなんだ」
「そ、そうだったんですか!? 衝撃×2な事実です……」
驚いた様子になった少女にホッと理解してくれたようだと汗を拭って、少年は何となく今の自分の気持ちが自分に物事を教えている師の気持ちなのだろうと苦笑した。
錬金術師として未熟な弟子に高等な理論を如何に分かりやすく師が解いてくれていたか。
これから講義される事があったら真剣に聞こうと思いを新たにする。
「どうやらピアリさんは僕の孫弟子になってしまったようですね」
ふふふっと微笑ましいものを聞いた様子でリュオが笑む。
「し、師匠?! からかうなよ……恥しいって」
「いやいや、随分と堂に入っていましたよ? さっきの説明。僕も君にあれくらい分かりやすく教えるべきなのかもしれませんね」
「勘弁してくれ」
イフィーを初めとして全員に笑いが広がった。
「親睦を深めるのもいいが、そろそろ準備した方がよさそうだぞ。先生」
「ええ、そのようですね」
「師匠?」
「イルト君。そろそろ付きます。思っていたより早い。すぐにでも“月”の領域に入ります。何があるか分かりませんから、ピアリさんを」
「ああ、了解!」
四人がとある場所を踏み越えた時。
瞬時に景色が変わった。
「ふぁ~!?」
ピアリが目を輝かせる。
今まで暗い岩肌にポツリポツリとあった明るい星とは違って。
月の領域内部は一面の輝きに満たされ、まるで花畑の如く彼方まで果てなく光っていた。
「まるで麦畑みたいです!!」
(麦畑か……やはり、田舎娘のような装束といい。大陸の地方出身なのかもしれないな……)
イフィーがはしゃいでイルトに止められているピアリの言動にそんな事を思った。
「リュオ先生」
「今、やっています。月の欠片も先程の星で採取したものと同じ石のようですが……少しだけ光りは月の方が強いかもしれません」
「つまり、何かしらの含有物の量が違うという事か?」
リュオが頷く。
「まだ断定は出来ませんが、恐らくは」
二人が試験管内部の石の欠片を見比べる。
「あ、あそこに何方かいるみたいですよ。イルトさん」
「そんなわけ―――」
二人がピアリの指し示した方角を振り向いた、途端。
―――ニィッと歪んだ唇がリュオとイフィーの目の前にあった。
「?!」
瞬間的な判断で二人が左右に別れ、戦闘態勢に入るも、地面が揺れて爆圧が四人を散り散りに吹き飛ばした。
「うぁああああああ!?」
「きゃぁああああああああ?!!」
「くッ」
リュオが衝撃に身を晒されながらも片腕を力一杯に引く。
すると、刹那消えたかと思われた仲間達全員が彼の前に忽然と姿を現した。
勢いもそのままにごっちゃりと全員が積み木のように倒れる。
「大丈夫ですか?!」
「し、師匠――今のは!?」
「ピ、ピアリは大丈夫ですぅ……」
イルトが何とか応え、ピアリがグルグルと目を回しながら返事をする。
「お前は何者だ!!」
ピアリに背中預けるようにして前を向いていたイフィーが光りの中で振り向いた誰かに問い掛ける。
四人の横には数m程のクレーターが出来ていた。
『痘痕も笑窪。笑窪も痘痕。顔の変わるものなーんだ♪』
キャラキャラと姦しい耳障りな声が響き。
立ち上がったイフィーが三人の前に僅か出て瞳を細めた。
その先にいるのは明らかに布面積の少ない革製の衣装。
要は何処かの特殊性癖御用達な紅のボンテージファッションに身を包んだ年齢不詳の女だった。
その頬には満月の紋様が刻まれている。
顔のパーツの一つ一つが鋭角的で何処か遠近法を無視した絵画のような顔。
肉体が常識的な人型であるのに対して異質な頭部はまるで作り物めいて見える。
しかし、顔の質感と明らかに人間ではない喉下まで割けた唇が艶やかな桜色をしているのを見れば、その襲撃者が“そういう生物”なのだろう事は疑わなくても感覚的に理解出来るだろう。
「痘痕も笑窪。笑窪も痘痕。顔の変わるものなーんだ♪』
再びの質問。
楽しげな問いとは裏腹に恐ろしい顔の女が地面に拳を叩き付ける。
陥没。
クレーターが瞬間的に出来上がり、爆風が四人の方へも押し寄せてくる。
「くッ!? まさか、これが守護者か」
「しゅ、守護者って何だ!?」
ピアリを受け止めていたイルトの問いに答えず。
イフィーが片手に腰から短剣を抜き放った。
「この【天蓋蒼星(メイズ)】にはな。内部の層に必ず一人。守護者が置かれているのだ。我の目的の一つは最奥部への到達だが、守護者の討伐もそれに含まれる」
「これがあいつの言っていた……」
何とか立ち上がったリュオがイフィーの横に立った。
「話は通してあると言われていたが、戦えそうか? リュオ先生」
「ええ、まぁ。迷宮にそういうのは沢山いましたから。それよりも先程からの謎掛けが気になります。もし、これが重要な問い掛けだった場合、話を間違えただけで即死、みたいな事にならないといいのですが」
「そのような場合は想定して然るべき、か」
「老婆心ながら、昔の話をすれば、こういう問答をするタイプの番人は特殊なものが多い。何かを間違えると致命的な事が多々あります。解答する場合は気を付けてください」
「ああ、承知した」
二人の後ろにいたイルトがピアリを何とか立ち上がらせる。
「ピアリ!! おい!! ピアリ!! 目ぇ回してる場合じゃねぇって!!?」
「はぅ~あばたーもえくぼーも顔~?」
まだ目を回して頓珍漢な事を言っているピアリがハッと気付いた様子になった。
「分かりました!? 答えはお月様!!!」
「ちょ!?」
「なッ?!」
「えっ!!?」
二人の話を聞いていたイルトが顔を引き攣らせた。
リュオもイフィーも同様である。
「お月様♪ ふふ、ふふふ、いひひひひひひ!!!!?」
ボンテージの女が不気味に笑い始めた。
途端、轟々と大地が鳴動していく。
「ピ、ピアリ!!!? なんつー事を!!?」
イルトの声も虚しく。
頭に疑問符を浮かべて何か間違っただろうかとピアリは首を傾げた。
「イヒィィィイイイヒヒヒヒヒヒヒ。オツキサマ。セイカイ」
「何か拙そうですね!? 此処は一端逃げましょう!!」
「同感だ!! ピアリ!! イルト!! こちらへ!! すぐに魔術で地上に戻るぞ!!」
「ああ、了解だ!!」
ピアリを抱えてイルトが二人のすぐ傍まで駆け寄った。
物体を動かす動魔術が瞬時に四人を揺れる月から地表へと運んでいく。
急激に重力が変動し、頭上に落ちていく四人は縮尺もおかしい世界の空にもう遠ざかった月を見て。
絶句した。
「お月様が柱になってます?!」
ピアリが目を丸くする。
空に掛かっていた月の領域がまるで後ろから押し出されるようにして長い棒飴の如く迫り出し、地表に迫っていた。
ズッッッッッド――――――。
衝撃波が四人を飲み込んだ。
その最中でもイフィーだけは瞳を開けたまま。
何がどうなっていくのかをしっかりと目に焼き付ける。
月の柱が落下したかと思うと大気が鳴動し、同時に何かが嵌るような音。
「東の方を見ろ!!」
その少女の言葉に三人がそちらを向くと何事かと思うような速度で世界に光りが満ちていく。
それと共に下りてからまったく見えなくなっていた巨大な竜巻【大流空壁(グレート・ダウナー)】が東の果てから近付いてくる。
「これどうなってんだ!?」
「あの月が【天蓋蒼星】内部階層を回転させているのかもしれませんね。そんな事が可能かどうかは置いておくとしても、これは随分と壮大な……」
呆気に取られた様子でリュオが呟き。
滞空する彼らの目の前で日の光が世界を覆っていく。
それと共に月の柱が遠ざかって西の果てへ消えていく。
「これが月の出ていない領域か……」
真昼の如き照らしようで空に光りが満ちていく。
鬱蒼と茂った森は消え失せ。
彼らの下には草原が広がっていった。
「下りるぞ。気を付けろ。何があるか分からないからな」
イフィーが動魔術でゆっくりと全員を地面に降下させた。
柔らかな草原の上に四人が着地する。
辺りはすっかりと様変わりしていた。
何処まで続くかも分からない丘陵地帯。
山岳らしきものや大河。
蒼い空。
白い雲。
正に其処が惑星内部とは思えない長閑な景色が広がっている。
「此処も綺麗な所ですね。イルトさん!」
「ピアリ。お前なぁ……」
ドッと疲れた様子で草原にグッタリと手を付いたイルトは田舎娘の笑顔に咎める気も失せた。
「リュオ先生。どうやら上手く領域を移動出来たようだが、周辺の特性は変わっているか?」
眼鏡を押し上げて地面や空を見上げていた青年は懐に持っていた【密碑】を一つ投げた。
しかし、今までの森の中とは違って、すぐに物体が遠ざかっていく事もなく。
数m先にコロコロと転がる。
「大丈夫のようですね。とにかく情報を整理しましょう。まずはそれからです」
「そうだな。まだ周辺に【剣獣】の気配も無い。また宿を出し―――」
「あ、イルトさん。イルトさん」
「何だ今度は? もう何を言っても驚かないぞ。オレ」
「ほら、あっちの方にお家が沢山見えませんか?」
「何? 家?」
三人がピアリの指差した方角を見ると確かに期の屋根らしきものが複数確認出来た。
丘陵地帯から3km先くらいだろうか。
「まさか、此処にもう誰かが?」
リュオが驚いた様子になる。
自分達の他にあんな思いをして夜の領域を越えて来た者がいるとは思えない故の呟きだった。
「行ってみれば分かるだろう。我が先頭を往く。リュオ先生は殿(しんがり)を頼む。先程のような奇襲が無いとも限らない。ここはとにかく慎重にな」
「分かりました」
「何だか半年分くらいドッと疲れた気がする……」
「何を言っているのだ。隊列を組む。イルト。お前はピアリの前で我の後ろだ」
「あ、ああ、了解」
四人が遠方に見える集落らしき屋根の群れへと歩んでいく。
彼らが去った後。
パタパタと上空を羽ばたいていた蝶が一匹、空の彼方へと消えていった。
*
―――大陸中央諸国アルヴィッツ第五都市トゥラットゥリア。
大陸における文化という単語が実によく理解出来る都市の1位をわざわざ決めるとするなら、それは大陸中央のど真ん中にあるアルヴィッツの首都……ではなく。
第五都市トゥラットゥリアを上げる者が多いだろう。
お綺麗な文化を聖凱王都アルヴィッツに求めるのは間違っていないが、大衆文化。
特に民間に出回っているあらゆる娯楽、享楽に関するものならば、トゥラットゥリア以上に進んでいるところはない。
大陸最先端の技術と大陸最先端の娯楽が同義となる都市においては極めて多様な媒体が極めて大量のコンテンツを供給してくれる。
紙、映像、画像、機械、音声、魔術、魔導、法術、その他etc。
とにかくあらゆる情報が人類が知り得る限りの媒体で発信されているのだ。
新聞から雑誌から無線通信や魔術を使った放送からと幅広い文化的な情報とやらは極めて他国にとって魅力的で有害だ。
七教会広報部門。
つまり、大陸の情報を一手に仕切る実務者達が多く集まる本拠地として、また彼らの実験的な広報の舞台として使われる為、かなり工作員にとって危ないのだ。
何でも無さそうな情報の発信が実は一国の支配を揺るがす情報工作の事前演習だったりする場合もあるくらいなのだから。
文化的な親善普及活動。
これが他国の情報部にとって見れば、頭の痛い単語。
文化的な侵略活動に置き換わるとなれば、その怖ろしさが分かろうというものだろう。
言語、宗教、人種を超えて、あらゆる者達が愉しめるエンターテインメントとやらが、濁流の如く国内へと流し込まれれば、それだけで若い世代から旧い世代まで、あらゆる層の精神性が変質する。
全中央諸国が泣いた!!
中央諸国歴代ナンバーワンヒット作!!?
大陸中央諸国同盟総合映像部門ノミネート作品。
来場者数満足度99%。
とりあえず、こういう文言が前置きされている作品は特に警戒される。
大陸中央式の“常識”とやらが不断に取り込まれた物語は各国情報部門の検閲者達にも中毒患者が多い“害毒”の類だ。
先進性。
自由。
平等。
諸々の道徳的な背景。
ああ、素晴らしき哉―――民主主義!!!
こういうのが未だ非文明的で人道とは掛け離れた政治スタイルで未だ人々に不自由を強いる事で強権を奮う権力者達が大量に住まう国々では倦厭される。
いや、そういう者達こそが高価な媒体でそういう物語を好んで読んでいたりもする。
実情と心情と娯楽は別という事だ。
なので、各国の諜報関係者はあまりトゥラットゥリアには長期滞在しない。
本国からもそう指示される。
都市は郊外に映像撮影、収録、録音スタジオ群やら新式芸術を飾る博物館群やらニッチからピンまで扱う出版社群やら極めて大量の箱物を擁しており、此処で一山当てようという作者志望の若者達が集う芸術と文化の都市は今日も大陸中央からしても先進的で刺激的過ぎるモノを量産しまくりだ。
が、こんな都市だからこそ。
中央諸国では保守派、格式ばかり高いという認識が浸透しつつある劇場型文化もまた未だに盛んで衰退している様子は無い。
大陸地方ならば、総合芸術の最高峰と言われて久しい歌劇も此処では旧い文化として見なされる。
しかし、そう見なされるからこそ、地方にとっては安心して輸入出来る第一の娯楽として関係者が訪れない日はないという盛況振りが実現されてもいるわけだ。
巨匠イルゼ・イグナフィア主催!!
歌劇団【魔王決闘場(デウス・コロッセオ)】と言えば、大陸規模で有名な一座だ。
地方には分派させた劇団を送って興行させ、多い日には大陸全土で300万人以上が同じ劇を粗末な場末の劇場から大きな歌劇場まであらゆる桟敷席で見るという。
主催者であるイグナフィア卿。
地方各国において文化功労者として貴族階級を得た女の書く物語は小金が溜まった庶民なら、一年に一度は見る事のある作品だ。
基本的に冒険モノ、恋愛モノ、友情モノ、感動モノを軸にしながらも、彼女の生み出した幾多の物語には旧い時代から続くお約束というのが連綿と受け継がれている。
その最たる骨子が魔王だ。
数千年前から歌劇というのは何処の国でも規模や程度の差こそあれ、大量に演じられてきた。
その中でも魔王モノというジャンルは極めて庶民に分かりやすい勧善懲悪と娯楽用の素材として正しく王道として残ってきた代物だ。
この数十年の内に魔王関連の情報は幾多も量産された。
現実にソレを物語として組み込み。
爽快さとジャンル毎の味付けに合わせてあらゆる魔王を創作した彼女の物語は大陸でも有数の高級娯楽として地方では扱われた。
現在言われている現実の魔王像が人々の欲望の代名詞たる淫魔王として定着しても、歌劇の魔王像は昔から変わらず。
否、昔よりも確実に多様な価値観で作られており、一部の人々にとっては格好良いもの。
もしくは一人の人格ある悪者として認められている。
フィクションの中だけとはいえ。
それでも七教会の近代化著しい中央諸国で魔王が良い奴とか人格を有する個人として悪の記号以上の意味で存在出来るのは彼女の努力の賜物だろう。
良い魔王もいれば、悪い魔王もいる。
こういう話が物語の中だけとはいえ、罷り通るようになったのだ。
「僕が君を守るよ……それが君にとって不幸なんだとしても、ね」
本来醜い姿の魔王が魔術で少年に化けた存在がそう言えば。
「そんなの……不幸なわけないじゃない。だって、私の伴侶は貴方なんですもの」
美しい亡国の姫君がそう少年に微笑む。
しかし、それを引き裂くのは―――。
「はーい。やり直し~~もう少し練習しましょうよ~~此処はお遊戯会じゃないのよ~~」
四十代程の女監督である。
舞台の上の役者達がイソイソ助監督から演技指導を受ける傍ら。
グレーのスーツを着崩しグラサンをした女がどっかり劇場の最前列に座りながら、近頃の役者は~~と溜息がちに説教を始める。
大陸地方なら今も着られているだろうお姫様御用達の地方ブランドを着込んだ二十代の女は年上の監督に頭の上がらない様子で落ち込んでいた。
逆に十代後半の魔王役はまた始まったよ~という顔。
相手役の沈んだ様子に監督そろそろその辺で~と声を掛けようとした。
が、途中で他の出演者達から止められる。
若い子には厳しい。
若干、若さへの僻みも入っていると評判らしく。
何か言ったら、百倍になってお小言が帰ってくる云々。
不憫そうに相手役を見た魔王役の青年はどうしようか迷っていたが、途中でポンポンと後ろから肩を叩かれる。
「?」
振り返った彼が見たのは少し古びれたフリルが多用される黒いドレス姿の少女だった。
「相手役でしょ? フォローしてあげないと」
「あ、いや、その……お嬢ちゃん誰?」
「魔王に為り切れとか言わないから。せめて貴女の恋人が年上の上司にいびられてるのなら、助けてあげて」
「劇の上での話なんだけど」
「この作品の魔王なら、ちゃんと助けて、その上で自分が頭を下げるくらいはしてあげると思うけどなー」
「……」
関係者の娘さんだろうかと。
強くも出られず。
しかし、一理あるかと彼が監督の前に歩いていき。
頭を下げる。
フォローし切れていない自分の責任も幾分かあるから、もう一度リハーサルをさせて欲しいと。
その魔王役の青年の姿にちょっとだけ姫役の女が微笑み。
そうして、もう一度同じシーンが始まる。
それを横目に少女は監督の横に歩いていく。
劇の途中を突っ切っているが誰も気付かない。
「で、どう?」
「ッ!? だ、団長?! あ、いや、いえその!?」
今までふんぞり返っていた女監督が固まった。
未だ、顔すら満足に覚えられない怪物の類である女主人の声に脊髄反射でオドオドするのは劇団の中高年アルアルだ。
「今年は豊作?」
「少し演技力に難アリくらいかと」
「へ~~でも、怒るのは短くっていつも言ってるよね?」
「ッッ、今後は気を付けます」
「よろしい。では、是非是非公演を成功させて。期待してるよ?」
「は、はい!!」
女監督がビシッと最敬礼で席の後ろに抜けて行く少女を見送った。
助監督が僅か団長の後姿を最後に視認して、イソイソと女監督の横に付ける。
「お叱りですか?」
「ぁ~~~怖かった」
「正直ですね。監督」
「あの方には一生頭が上がらないとだけ」
「……新人の事で?」
「新人教育をする新人監督を育てに来たと言われたら、納得するしかないでしょうよ」
「大変ですね」
「……昔から声も変わっていないし……魔術師か魔族か。あるいは何処かの錬金術師が造った人形か。なんて噂があるくらいだから」
「ウチの劇団、何処の国でも公演出来るのって、全部団長のおかげなんですよね? 確か」
「神様よりも神掛かった交渉してくるから。ウチの団長」
「はぁ……いつかご尊顔を拝したいところですね……」
「魔王に劇をさせた女って渾名は伊達じゃない……見る前に心臓麻痺で死ぬかも」
「初めて聞くんですけど。その渾名」
「ああ、貴女ウチに入って何年?」
「十五年くらいですが」
「これは四十年くらい前までに入った人間じゃないと知らないかも」
「魔王に劇って、冗談ですよね?」
「本当……」
「ええ?!」
女監督が苦笑した。
「先輩から聞いた話では……団長が劇団を立ち上げる切欠となった公演には……本当に魔王が魔王役として出てたんだとか」
「は、はぁ……随分と眉唾な……」
「大陸の南西部。少し貧しい国の貧民街。相手は娼婦に流れ者。桟敷は長椅子、舞台は教会。一人の女が娼婦達に夢みて欲しいと一夜の席を設けた。彼女は相手役となる旅人の少年に魔王役を頼み。己は姫を演じた。襤褸のドレスに錆びた剣。番いも初心な恋物語。斬った張ったは荒くれ者。さて、その結末は悲恋か否か……」
「あ、それって魔王劇集の第一作の文句じゃないですか?」
「ええ、ソレ」
「なぁんだ。劇中劇ですか」
「馬鹿ね」
「は?」
「実話よ。アレ」
「ええ?!?」
「もう焚書されて久しいけれど。アルヴィッツの公営図書館の記録書庫になら、まだ保存されてる本があるわ。この数十年の魔王の足跡を書いた本なんだけれど。ソレの中にも載ってる。魔王がとある国で劇の真似事をして日銭を稼いで、娼婦達を魅了の術に掛けましたって」
「……それ術なんですよね?」
「劇は魔術」
「……団長ってもしかして伝説?」
「伝説じゃなかったら、この劇団作ってないし」
「そのぅ。もしかしなくても大偉人?」
「何だと思ってたのよ」
「いやぁ、凄い人らしいってのは聞いてました」
「はぁぁ……文化功労賞が350個くらい倉庫の肥やしになってるから、今度見てみたらいいわ。一つ売れば、此処の劇団員の半分くらいを連れて飲みにいけるって覚えておけばいいんじゃない」
「は、半分?!」
「全部、純金や純銀より価値のある銀金(ミスリル)だから」
「どれくらい凄いのか。とってもよく分かりました」
「ああ、後。間違っても七教会の人とかに会わせようとか。あるいは紹介しようとか。一緒に活動しようとか誘っちゃダメ」
「へ? な、何でですか?」
「ウチ、魔王教だから」
「え、ええぇっと。魔王教って何です?」
「魔王に食わせて貰ってるから、魔王に仇為す事は禁止って事」
「それ本気で言ってます?」
「ウチの協賛に七教会からの直接支援は一度も入った事無いわ。迂回してたり、一度国や個人を通してからなら幾らでもあるけど。七教会から直は一度も無い。経理の子に聞いたら分かる」
「うわぁぁ……今から転職した方がいいような気分に……」
「でも、劇で食べていきたいんでしょ?」
「ま、まぁ、好きですから」
「なら、止めときなさい。ウチの団長に睨まれたら、何処も雇ってくれないわよ。七教会系以外」
「ウチの団員、大抵七教会信者ですよ? 絶対」
「信者はいいのよ。信者は」
「は、はぁ……なら、何がダメなんですかね?」
「行事。特に大戦後に始まったやつ。それから七聖女関連。七教会主催。七教会後援。それ全般。もしソレもやってたら、ウチはきっと今の十倍くらい大きくなってて、関連会社沢山で、ついでに娯楽業界牛耳ってて独禁法に掛かっててもおかしくないって、コレ先輩からの受け売り」
「知らなくていい事を今知った子供の気分です」
「じゃあ、知らないフリしときなさい」
「そうします。団長パワーの凄まじさを垣間見ました」
「あの方……今も本当は好きなのよ。魔王」
「は、はぁ、まさか本物を?」
「それ以外ないでしょ。じゃなくて、どうしてあんなに魔王モノしか書かないのかって。説明付かない」
「もしかしなくても魔王信者?」
「魔王の国が出来たら、絶対其処に住んで、毎日魔王との恋愛ものを自分で演じた挙句。魔王に出演オファーするくらいには、ね」
「ぁ~~あ~~き~こ~え~な~い~」
「そうそう。それでいいのよ。それで」
「でも、そうなったら、さすがに付いていきます?」
「貴女は?」
「いやぁ、ウチ子供いるんで」
「たぶん。付いていく、かな……団長には世話になって長いし」
「年季入ってますね」
「これでも劇団員としてお姫様役もやったのよ?」
「え、最初から作家や監督志望じゃなかったんですか?」
「昔、一度だけペーペーの頃にあの方が自分でやる劇を見たの。魔王を愛した憐れな女役。とても綺麗だった……泣いた……忘れられなかった……恋しちゃったのかもね」
「一度、見てみたいですね」
「今度、魔術の記録で良ければ、貸してあげる。三日で返して」
「いや、一日で返しますよ。絶対」
女監督が僅かに唇の端を曲げた。
その数日後、二度とその貸し出された記録は戻って来ない事が確定した。
助監督の幼い娘が死んでも記録を離さないと泣き喚いて近所迷惑どころの騒ぎではなくなってしまった故に……数週間後、劇団に入ってきた子役志望の少女は目をキラキラさせながら、その団長を前にして訪ねる事となる。
―――どうしたら、あんなに綺麗になれますか?
答えは単純に。
―――本物の魔王に恋すればいいよ。
そう返されたのだった。