第十五節「君知るところを知らざるや」
「ふぁ~良いところですね……」
ピアリは思わず呟いていた。
パーティーの他の三人は北部の田舎造り。
伝統的な煉瓦に土壁を合わせた牧歌的な家々の間を慎重に歩いている。
人の気配が無いか探索しているものの、未だその様子は無い。
「此処は……」
僅かに視線を細めたイフィーが扉の開いている家々の中を覗き込んでは難しい顔をしていて。
その横でリュオは今まで各地の遺跡を回った経験から建造物が大陸北東部のものであると察していた。
「北に多い造りですね。誰かが【密碑(キャラクト)】で作り出したのかもしれません」
「……そうであればいいが」
灰金の少女が警戒を解かない様子にイルトは此処に何かあるのかと周囲を見回す。
「あ、教会がありますよ。イルトさん!」
「おい!? ピアリ?! 一人で先に行くなって!!」
いつの間にか先行していた桃色髪が揺れながら駆けて行く。
その後を追うのはイルトに任せ、残った二人は周囲の気配を探りながら慎重に歩を進めた。
「ほら!! やっぱり教会ですよ!! 誰かいませんか~」
今までになく興奮気味な少女に呆れた視線を向けつつ。
イルトも半開きになっている扉の中を覗き込む。
「やっぱり教会は何処も綺麗なもんなんだな」
大陸中央諸国では珍しくない色硝子を張り合わせる技法。
少年は目の前のステンドグラスも【密碑】で造られたものなのだろうかと感心する。
「でも、これ……見た事無いモチーフな気がする」
「ああ、これは旧教会派のものですね」
「師匠。知ってるのか?」
ようやく追い付いたリュオが二人の後ろから説明を加えた。
「七教会の【意匠】やモチーフと言えば、言わずと知れた七つの剣が突き立つ丘か。聖少女。ハティア・ウェスティアリアを聖母と見立てるものが多いですが、昔の教会では唯一神と天使達だったんですよ」
教会の最奥。
壇の後ろで光りを透かして輝くのは大きな光の玉と複数の翼。
それは過去の教会の奉じていた図に他ならない。
「へぇ。知らなかった」
「まぁ、若い世代は真新しい教会ぐらいにしか行った事が無いから、そうでしょうが。五千年続いた歴史からすれば、現在の教会のシンボルはつい最近出来たもの。使われるようになってせいぜい数十年でしょう。大昔の教会が迷宮奥に置かれていたりするんですが、そういう場所だと必ず巨大な光りの玉と天使達が何処かしらに描かれているものなんですよ」
「何か実感湧かないというか何というか」
「どういう事ですか?」
首を傾げたリュオにイルトが思い出しながら頭を掻く。
「いや、教会って言うとさ。いっつも優しいシスターさんがニコニコしてて、道徳の授業してくれたり、奉仕活動を一緒にしたり、くらいの場所だったんだ。神様に付いて聞いた事ってあんま無かった気がする」
「そうだろうな。現在の教会は神そのものへ比重を置かない」
「イフィー?」
ようやく三人の後ろにやってきた少女が教会内部を覗き込みながら付け加える。
「【近代化(レボリュション)】以後、教会の福祉活動はフルー・バレッサの資本を元手にした経済政策の側面を強化した経緯がある。これは七聖女ハティア・ウェスティアリアの掲げた福祉理念の骨子を肉付けし、予算的な裏付けを行うものだった。今の教会と聖女が現われる以前の教会では教義や内容の路線、要は中身がまったく違うと言っていい」
「詳しいんだな。イフィー」
イルトが思わず感心した声を上げる。
「これでも教会相手に大立ち回りをしてきたからな。当然だ」
「ちょっとした豆知識ですが、七つの剣が突き立つ丘のモチーフは実際に存在する場所なんですよ。何でも聖凱王都アルヴィッツの何処かだとか」
リュオが補足する。
「気持ちいーですぅ~」
ふにゃぁっとした声が教会内部に響く。
三人が向いた方角ではピアリが飴色の長椅子に寝そべってご満悦の表情を浮かべていた。
「ピアリ……さすがに気ぃ抜き過ぎだろ」
溜息を吐いたイルトも教会内部に足を踏み入れる。
中はひんやりとしていて、硝子から注がれる偽りの陽光が身体を仄かに温める為、丁度良い具合になっていた。
「でも、ホント気持ちいい場所だな……探索の拠点にするなら、丁度いいかも」
身体を弛緩させるピアリの横に座って欠伸が出そうになったイルトが目を細めて涙を拭おうとした時、カツンと明らかに足音が壇の奥から響いた。
小さな扉の先に全員の視線が向く。
すぐに緊張を取り戻してピアリを背後に庇うよう立ち上がった少年の傍にリュオが音もなく寄った。
一人壇手前に立っていたイフィーは手に小さな魔術方陣を待機状態で浮かび上がらせる。
カツン、カツン、カツン。
音は続けて近付いてくる。
「師匠。これって……」
「気を抜かないで下さい。人とは限りません」
「ああ、分かってる」
イルトが懐から金属棒を取り出していつでも形態変化出来るよう構えた。
近付いて来た足音が扉の手前で止まって。
ピアリ以外の全員が注視する中、扉が軋んで開く。
―――何、だと?!!
最も驚いた顔になったのはイフィーだった。
イルトが今まで見た事も無い程に厳しく焦燥に駆られた少女の顔と扉の奥から出てくる者の姿を見て、疑問符を脳裏に浮かべる。
何故、壮絶な魔術を行使する少女が目の前に出てきた老婆にこれ程の表情を作るのか、と。
額に汗を浮かべたイフィーは扉の奥から現われた老女から瞬間的に跳躍して距離を取ると、その手にした魔術方陣の密度を最大源まで引き上げた。
しかし、リュオが横手に少女を庇いつつ諌める。
「もし違えたなら申しわけない。ミス」
講壇の前に立って振り向いた顔が微かな笑みを模る。
普通、笑みというのは温和なものを思い浮べるだろう。
けれども、彼女の浮かべる笑みは何処か威圧的。
否、挑発的ですらあったかもしれない。
「貴女は……いえ、貴女様は七教会主聖クラル・リテル殿でしょうか」
「え!? クラ―――それってまさか!?」
イルトも思わず目を丸くした。
そして、同時に灰金の少女が険しい顔付きを崩さない理由もすぐ理解する。
彼の知識が正しければ、主聖とは教会の代表者に付けられる位だ。
つまり、奥から出てきた老女は大陸を変革した七人の超越者の一人に他ならなかった。
紫色の上品なドレスを鋼の鎧で肉体に縫い留めたような衣装。
少なくとも尋常ではない姿。
そんな相手が鋭い視線を自分の相対する少女へ向けた。
「安心なさい。私は限りなくオリジナルに近いけれど、貴女の味方です」
イフィーの瞳が冷たい輝きを宿す。
「限りなくオリジナルに近いならば、我の敵になる可能性を否定出来ない」
「ふふ、そうね。でも、戦うのはまだ先の事になる。まずはその物騒な手を下ろして頂戴。ちなみに本物なら、何も言わずに今頃貴女を物理的な凍結や魂魄の停止においやっているはずよ」
聖女クラル・リテルらしき者の声にイフィーが手の方陣を消した。
それを了承と受け取ったか。
老女が壇上から飛び上がって四人の前に降り立つ。
「まずは名乗りましょうか」
「……」
一人険しい顔を崩さない少女に老女は唇の端を歪めた。
「私はクラル・リテル。この階層の守護者よ」
「イフィー。こちらにも分かるように説明してくれませんか?」
リュオが困惑した様子で後ろに庇ったイフィーに呟き。
少女はかなりの面倒事になったと自覚しながら、仕方なく頷く。
「じゃあ、扉の奥の部屋で待ってるわ。色々と話さなきゃならない事が貴女達の側にもあるでしょうから、纏まったら来て頂戴」
そう言い置くとクルリと背を向けて老女はスタスタ扉の奥へと歩いて行った。
「少し場所を移そう。此処では何かと落ち着かないだろう。先程の家々で話しておきたい事がある」
イフィーが三人に真剣な瞳を向けた。
「分かりました。イルト君。いいですね?」
「あ、ああ。何が何やら分からないからな」
「綺麗なおばーちゃんでしたね。イルトさん」
「……ああ、うん。そうだな。ピアリは……まぁ、いいか」
マイペースを崩さない桃色少女は少年の何やら諦めた様子に頬を膨らませた。
「イルトさん!? 今、何か馬鹿にしましたね!? ピアリの事、馬鹿にしましたね!?」
「キノセイダヨ?」
「あ~~!!? 今、棒読みにしましたね!? しましたね!!?」
「何でもいいから往くぞ」
緊張感の欠片も無い二人のやり取りを見ていた少女は溜息を吐き。
三人を近くの空家へと促した。
*
四人が腰を落ち着けたのは教会から程近い場所にある一軒屋。
大きなテーブルと四つの椅子が備えられた場所だった。
今は【密碑】で出したお茶の最中。
一通り温かいものを口にして落ち着いた彼らにイフィーはゆっくりと語り始めた。
「さて、まずは事の起こりから話すべきかな」
「そうですね。さすがに僕もあいつからこんな事態は聞いてませんでしたから」
リュオの言葉に頷いて少女がパチンと指を弾いた。
「うぉ?!」
イルトが驚いている間にも周辺に暗闇が降り、テーブルの上に複数の球体が映し出される。
「これってもしかして」
「うわぁ。綺麗ですね。イルトさん!!」
「あ、うん。そうだな。ちょっとだけ、静かにしててくれるか? ピアリ」
「は~い」
再び蚊帳の外に置かれている事も自覚せず。
桃色少女はニコニコと三つの球体を見つめた。
星系内部の一区画。
本星と月と天蓋蒼星の天球儀。
三連星とも見える模型を前に灰金の少女が話し出す。
「二人が知る通り。この【天蓋蒼星(メイズ)】は五年前を境に現われた。これを七教会がすぐさまに封鎖して調査してきたのは大陸なら誰もが知る通り。だが、その理由に付いては知っているか?」
「え? 教会が大陸を守る為に出動したんじゃないのか?」
イルトの世間的な智識からの解答に少女が頷く。
「違うな。そもそも大陸を守るとは片腹痛い。この星が出来る切っ掛けを造ったのは他ならぬ七聖女だ」
「七聖女が?」
イルトが目を瞬かせた。
「そうだ。そして、切っ掛けを作った故に七教会はこの星が完成する前から何とか封印しようと躍起になって調査や干渉を行おうとしていた。だが、結局は全て徒労に終わり、仕方なく管理しなければならなくなったのだ」
「一つ、いいですか?」
リュオが手を上げる。
「今、貴女はこの星が完成する前からと言った。という事は、この星は自然発生や転移による移動で此処に存在するのではなく、誰かが造ったという事ですか?」
「ああ、この星は一個人が創造した惑星だ」
「んな馬鹿な!?」
イルトの言葉に賛同こそしなかったが、リュオも俄かには信じられない様子となる。
「まぁ、無理も無い。常識的に考えれば並みの超越者でも不可能な事だからな。だが、事実だ」
「何か。ドンドン話がデカくなってないか?」
イルトの言う事は最もだ。
しかし、リュオはイフィーの真剣な様子に嘘の一つもないと感じていた。
「リュオ先生。五年前の騒乱時。南部と中央の間。東側の藩落での出来事を知っているか?」
「五年前……それはもしかしてクラウゼン公爵家とアーズトリテの?」
「ああ、その一件だ」
「話が見えないんだが、一体どういう事だよ?」
リュオがイルトに向き合うと五年前の事を淡々と話し始める。
「五年前、大陸各地で教会の襲撃やら転移テロやら色々あったのは知ってますよね? イルト君」
「あ、ああ、忘れもしねぇよ。その時にオレの家族も死んじまったからな」
「……すいません。少し軽率でした」
「いいって別に。それより話を進めてくれ」
「ええ。あの当時、ほぼ同時期に南部と中央の間くらいにある小国家群藩落において一つの都市国家が七聖女に焼かれたんですよ」
「え?」
イルトが目を丸くしたのも仕方ない。
七聖女と言えば、大陸中央諸国では神より信仰を集める聖人なのだ。
それが国を焼いた、なんて言われても信憑性が全く無かった。
「瞬間的に流れた情報はすぐ消去されましたが、後に藩落の紛争…その火種の一つとなったのが、都市国家アーズトリテの崩壊でした。全てが終わって数か月後に再建中のアーズトリテから大陸全土へ情報が発信されましたが、大半の国は……七教会相手の醜聞に見て見ぬふりをした。また、教会の情報操作と印象操作によって公になったにも関わらずあらゆる情報機関が沈黙を保った為、かなり詳しく調べないと大陸中央では事実を知る事も出来ないでしょう」
「ま、待ってくれ!! 本当に? 本当に七聖女様が国を焼いたって言うのか?」
「これは教会の広報がひっそりと官報にも載せた紛れも無い事実です。ただ、その情報の書き方は恐ろしい実験を行っていた施設を聖女が破壊した際に戦いの火の粉が飛び火した、というものでしたが」
「恐ろしい実験って何なんだ? そもそも聖女様が出向くような一件て……」
「藩落の都市国家群は古くから続く【血統信仰(スティンマ)】の影響が強い土地として知られています。彼らは自分達の血統の優秀さを誇る人々で、アーズトリテはその中心地。都市を束ねる家は嘗て【大皇(ディヴス・プリンシプス)】と呼ばれた強大な王から拝命した爵位を誇っていて、今もクラウゼン公爵家と呼ばれています」
「クラウゼン公爵家?」
「はい。で、そのクラウゼンの血統の合理化技術が問題になったんです。この技術は動物の家畜改良を人に当て嵌めたようなもので、少なからず百年単位で実験が行われていたとか。ここからは眉唾になりますが、その実験の成果として七聖女にすら届き得る成果が生まれたとも言われています。聖女がアーズトリテを崩壊させたと言うよりは、その都市管理者だったクラウゼンを潰した余波が都市を襲った、と言うべきでしょう」
「そんな事が……」
「非道な実験から人々を救う為の行為だったと教会は情報を公開していますが、一つの都市が焼かれ、多数の難民が出たのは事実です。藩落は旧くから教会とは疎遠な地域でしたから、救援や援助は相手方が拒絶されたとか。本来なら死者が多数出るはずでしたが、南部を纏めるイグニシアの【皇帝(インペレータ)】が遊説に来ていた為、事なきを得た。それ以来、藩落は教会不可侵の土地として荒れに荒れましたが、ようやく紛争も終結して今では南部との交易で少しずつ元に戻っているそうです」
存外詳しいリュオの説明にイルトが感心しつつも視線を少女に向ける。
「……この一件がどうして【天蓋蒼星(メイズ)】と関連があるんだ? イフィー」
最もな問い。
遠い目をして。
静かに紅茶が口にされる。
「その当時、七聖女はクラウゼン公爵家を襲撃したが、争い自体がもう一つ存在した。その戦いのせいでアーズトリテは完全に崩壊したのだ」
「もう一つの?」
「七聖女筆頭。フルー・バレッサ。相対するは世に不幸を運びし者。嘗て、この世の全てと戦った男」
リュオが目を見開く。
「―――まさか?!」
イフィーが頷いた。
「そうだ。現魔王と聖女の一騎打ちが五年前、アーズトリテで行われた」
「もしやとは思っていましたが、貴女の所属する組織は……」
「さすがだな。リュオ先生。皇帝の片腕が薦めるだけの事はある」
納得した様子の師に弟子が思わず待ったを掛ける。
「ちょ、師匠!? オレにも分かるように教えてくれ!! それと魔王ってあの魔王の事か?!」
驚きを隠せない様子で師と少女の間に視線を泳がせて。
少年は思わず叫んだ。
「イルト君。僕はイフィーが反七教会派である事は知っていましたが、一体どんな組織の人間なのかは聞かされていませんでした。でも、この五年で名を上げた魔王関連の組織は一つしかないんですよ」
「それって革命闘士みたいなテロ組織じゃないのか?!」
「君も少しは耳にした事があるでしょう。中央諸国でこそ名高い……【聖王同盟(サクラム・フェデレイションズ)】の名を……現魔王に仕える正体不明の彼女達の話を……」
「それって新聞を時々賑わせてた……イフィーがそのサクラなんとかの?」
大陸中央諸国で発行される新聞や教会の広報は民間には大きな影響力を持つ情報媒体だ。
此処数年、凶悪な犯罪組織として名が挙がっていたものの一つを政治に興味も無いイルトが覚えていたのは大々的に特集が組まれていた事があるからだった。
五年前から活動を開始したとされる魔王の側近集団はまるで七教会に喧嘩を売るようにして教会の機密、軍事情報、果ては様々な地方諸国との関係を引っ掻き回した。
これによって中央諸国と地方の関係は悪化したとされている。
暴露された教会の秘密も多い。
それは教会の治世に漣のように小さな波紋を起こす程度の事ばかりではあったが、反七教会派の蔓延る土壌を育てたと言っても過言ではなく。
決して些細と断じられるようなものではなかった。
「話を戻すが、一騎打ちの後。聖女は敗北したが、同時に魔王へ対して致命打に成り得る傷も負わせた。その結果、傷付いた魔王はこの地に己を封じる結界。いや、世界を生み出す事となった」
「ま、まさか、この【天蓋蒼星(メイズ)】は!!?」
イルトの前で少女は頷く。
「そう、傷付いた魔王の成れの果てだ」
衝撃の事実に固まった二人の横で「むにゃむにゃ、もう食べられないですよぅ。イルトさ~ん」と幸せな寝言を呟きながらピアリが寝返りを打つ。
「サラッと言いますね」
苦笑したリュオに少女は肩を竦めた。
「少しは推測していたのだろう? そして、この事実を知ろうと決して下りない。いや、下りられない者を我は頼んだ。さっそくで悪いが、一応は返答を聞く。まだ共に往くか?」
「もしも、僕がNOと言ったらどうしますか?」
「どうもしない。ただ帰り支度が出来るまでは一緒に行動するだけだ」
「答えましょう。僕には此処でやるべき事がある。それが果たせるなら、例え貴女がどんな者だろうと最後まで付いて行きます。それが契約の全てですから」
「了解した」
「ただ、イルト君に付いては少し時間が必要でしょうから、先にあちらの方へ行って来て下さい。信号弾でも打ち上げてくれれば、すぐ駆け付けます」
「……そうだな。では、我は先に」
「あ……」
思わず少女の袖を握って引き止めようとしたイルトだったが、何を言えばいいのかも分からないままではその行為に何の意味も無いのだと気付く。
「ピアリの件もある。記憶喪失のままでは判断のしようもないだろうが、拾った責任くらいは取るつもりだ。本人には起きたら我は極悪人だが、付いて行くかどうかと聞いておいてくれ」
「律儀ですね」
「事前に提出して貰った計画から言えば、部外者でしかないが、少なからず共に歩んだ仲間だ。それくらいはな」
「分かりました。こちらで言っておきます。守護者との折衝はお任せしても?」
「ああ、あの様子ではいきなり襲い掛かってくる事も無いだろう。何がどうなっているのか聞いてくる。もし、そちらに何かあったら同じく信号弾を撃ってくれ」
首肯したリュオを視線の端でチラリと見て、少女が扉を開けて再び教会へと向かった。
最後までイルトは掛ける言葉を見つけられず。
それでも背中を視線で追う事だけは止められないまま。
バタンと扉が閉まって。
周辺に明かりが戻り、星が消える。
何も言えずに少女を見送った弟子に師は何も言わなかった。
「……師匠はさ」
「彼女の事は何となく分かっていました。少し推測していた程度ですが」
「今の話。嘘じゃねぇんだよな」
「イルト君。嘘と思いたい気持ちは分かりますが、最初に君は聞いていたはずです。彼女自身から自分はテロリストだと」
「でも、普通さ……犯罪者とかテロリストって言ったって、イフィーくらいの歳で何か重大事になるような事をしてるとか想像付かないって……」
「それには部分的に同意します。あの歳で反七教会派の急先鋒たる組織に身を置く事は確かに尋常ではない。でも、大陸中央を離れれば、あのくらいの歳で戦争をしていた子供なんて昔は五万といました」
「戦争……なぁ、師匠……イフィーって戦争みたいな事してるのか? オレ、あんまり新聞とか詳しくみないからさ……分からないんだ……」
「戦争みたいな事、というよりは形態や規模は小さいですが、戦争そのものをしていると考えていいはずです。今まで反七教会派が出来なかった七教会への諜報活動、破壊活動、広報活動、どれも大規模にやってのけたのは南部のイグニシアや北部三国以外では此処数年で【聖王同盟】以外にありません」
澱みなく応える師に唇を噛んで。
思わず声を荒げそうになった少年は途中で力なく項垂れた。
「魔王を助けてるって事は……あの魔王を、って事なんだよな?」
大陸中央諸国の歴史教育において必ず習う。
十数年前から加わった項目。
それは俗に大戦と呼ばれる戦争の話だ。
正式名称。
黄昏の悠久戦争。
大陸全国家と人類種及び異種、亜人、人を守護せし神々。
殆ど大陸に住まう全ての存在がたった一人の相手に戦いを挑んだ。
魔王。
それが如何なるものであるかは諸説あるが、歴史上の実態は無数の国家の運命を捻じ曲げた災厄そのもの。
その大戦の最中に生まれた英雄達は今でも中央諸国では崇拝の対象になっている。
男の子ならば、寝物語に騎士物語をねだるのは今も昔も変わらない。
絵本の中の騎士達が常に戦うのが魔王であり、歴史上必ず打倒されてきた魔王達は永遠の悪役として子供心に焼き付く。
現魔王は大戦後、力を失いつつも逃げ延びているという。
それは大陸中央でも比較的知られている話だったが、誰もがいつか討たれるに違いないと思ってもいる。
何故なら七聖女。
魔王を打ち負かした人類の守護者や神々の事を讃えるのが中央では常だからだ。
大戦の終結日。
中央諸国で行われる鎮魂祭は戦時に失われた者達を弔い、多くの人々が七聖女に感謝の祈りを捧げる一大行事として今も続いている。
物心付いた頃から大きな祭りが始まったイルトは両親が死ぬまで毎年毎年祭りを楽しみにしていた。
祭囃子とパレードを見ながら、チープな騎士の剣と面を買って貰って、よく父に騎士ごっこを頼んで困らせていたのは良い思い出だ。
いつも正義の騎士は自分で悪の魔王は父で。
我が死んでも第二、第三の魔王が、なんて小芝居をさせていたのである。
だから、信じられはしなかったのだ。
今までテロリストだ何だと言いながら、少女の善良さと愛らしさを見つめていたから。
少女が大陸中央諸国。
否、七教会に叛旗を翻し続けている旗手、組織の構成員だなんて。
自分達の国の平和を本当に脅かしている存在だなんて。
魔王という御伽噺の悪役に仕えているだなんて。
「イルト君。僕が昔に言った事をまだ覚えていますか?」
「昔?」
「ええ、二人で大陸北部に修行がてら旅行に行った時の事です」
「あの時、何か師匠に言われたっけ……」
「如何にも貧しい国の路地裏で君は声を掛けられた」
イルトの顔色が変わる。
「―――師匠。それは……」
「君より幼い歳の少女が花を買ってくれと手押し車で傍まで来た時、君は善意で花を五本買おうとした。僕はそれを止めて……君はどうしてだと僕に食って掛かった」
「オレはあの時、何も知らなかったから!!」
「君はまたそう言い訳しますか?」
「言い訳じゃないって!!? 本当にあの時は意味を知らなくて!!」
「僕が言っている事はそういう事じゃありません。イルト君」
リュオの視線が少年を射抜く。
「あの時の少女とイフィーの何が違うと思いますか?」
「―――」
完全に言葉を失ったイルトに新たな言葉が突き刺さる。
「君は君の常識で物事を考えて行動した。その過程に善意があるとしても、もし僕が教えなければ、君は真逆の事を少女に請われていたでしょう。イフィーもあの子と同じです」
「そんな事!!?」
思わず否定しようとした内心を見透かすようにリュオが続けた。
「常識が違うんですよ。イルト君。僕らと彼女の常識には大きな隔たりがある。智識の有無は確かに重要ですが、それよりも僕はあの時言ったはずです」
「………君の善意や好意が本当に相手にとって善意や好意に当たるのか……」
イルトの苦しげな声と表情に眼鏡を弄りつつ青年は頷く。
「僕はさっき、色々と暈(ぼ)かしましたが、イフィーがいるとされる組織の情報には君が悩むだけの理由が数多くあります。エロ本の一つも持っている健全な男の子なら、分かりますね?」
「イフィーはそういう子じゃねぇ!!」
思わず叫んだイルトが怒りとも焦燥とも付かない瞳でリュオを睨む。
「そう、それです」
「?!」
「君は君の常識を押し付けて今まで彼女に接して来た。でも、それで問題が起こらなかったのは全て彼女が君の常識へ合せていたからです」
「な、何だよ!! ソレ!!?」
「彼女は自分の常識が君の常識とは異なる事をちゃんと知っていた。その上で君がそういう差異をあまり感じないように接して来た。僕もどちらかと言えば、中央諸国より南部や大陸の地方にいた時間の方が長かった。ですから、両方の価値観と常識がある程度は分かります。でも、だからこそ、君に教えておくべきだった」
「な、何を、だよ!? 師匠!!」
瞳を伏せた青年の姿に僅か少年が後ろへ下がる。
「大陸中央諸国の人間は圧倒的に善意や道徳的な部分で素晴らしい理念と常識を備える。ですが、一方でその善意や道徳が相手を傷付ける刃なのだと知らず、圧倒的に常識の食い違いに疎く、傲慢だ。いや、相手にとってそれが傲慢であるという事実にすら鈍い」
何もイルトは言い返せなかった。
「さっき、君が彼女の話を聞いていて。どんな顔をしていたか教えてあげましょう。それはそれは立派な“被害者面”でしたよ。まるで裏切られたとでも言わんばかりに」
「――――――ッッッ?!!?」
イルトが目を剥いた。
その口から次の言葉が飛び出る前にムックリとテーブルに涎を垂らしていたピアリが起き上がる。
「ふぁ……難しいお話終わりましたか?」
目を覚ましたばかりで目をしょぼしょぼさせていたものの。
傍らの二人の気配がおかしいと気付いたのか。
桃色髪の少女は小首を傾げる。
「どうかしたんですか? イルトさん? 先生?」
無言で少年が立ち上がり、そのまま家の扉から出て行った。
「イルト、さん……?」
「今はそっとしておいてあげて下さい」
「?」
「時間が必要なんですよ。誰にも、きっと僕にだって……」
「何だかよく分かりませんけど、先生何処か痛いんですか?」
「何故でしょうか」
「だって……その……」
チラリと言い難そうにリュオを見ていたピアリが呟く。
何だか苦しそうだから、と。
「教師って言うのはやっぱり難しい職業なんですよ。ええ、それが楽しいところでもあるんですけど」
灰金の少女は未だ帰らず。
麗らかな日差しはゆっくり暮れようと傾き始めていた。
小さな不和を孕みながら……。
*
今日も見える蒼き天蓋の星。
眺め、一献を煽る風流に翳るものがあるとすれば。
それはきっと穏やかな明かりと優しい影の下。
瞳を閉じる人だろう。
光差さぬ記憶。
懐古の中にある穏やかで美しき何か。
思い出す度に人はそれもまた自分の大切な一部なのだと思い起こす。
闇とは決して徒に怖ろしいものではないのだ。
―――♪
薄ら碧い湖の畔(ほとり)。
鮮やかに白けた月下の野花は逞しい葉を茂らせ。
見る者に力強さを思わせる。
浮遊大陸ハルトゥム。
その山岳にも程近い場所で酒宴は開かれていた。
響く音色は弦楽。
途切れる事なく雄壮なるもの。
合わせられるのは同じ弦に寄りながらも力強き腕が織り成す鼓動のような旋律。
対照的な二つの奏法が互いを一つと為して、聞く者に鮮やかな寂寥と遥か天を目指すような高揚を抱かせる。
その最中に踊り子は世の儚さよと幽玄を帯びて妖精の如く舞い。
人々の最中を指先一つで通り過ぎていく。
馨(かおり)立つのは酒でも肴でもない。
女の肌が夜気に零れたような。
初恋と果実を思わせる爽やかで耽け入りそうな程に芳しい香気。
―――♪♪
踊れ。
踊れ。
回れ。
回れ。
世界の果てがやってきて。
世界の果てがすぎてゆく。
一夜を写す空の下。
此処は小さな桟敷席。
何方も何方も。
何方も何方も。
呑めや謳えや。
大騒ぎ。
―――♪♪♪
正に東部の先人曰く。
桃源郷と聞いたならば、納得も出来ようだけの宴。
人々は拍子に揺れて。
その踊り子と楽士が治まるまではと酔いに午睡む。
ようやく弦から指が離れ、弓が離れ、舞台と化した人々の合間から女性(にょしょう)が元来た道の先へと戻ると。
大きく一礼する一同。
それに観た者誰もが拍手喝采。
世の終わりまで続けと。
歓声と笑みが溢れた。
人が知るには少し過ぎた夜を与えた当人が、その超大に過ぎる胸元を揺らしつつ。
魔族の己を曝け出したまま。
飛び上がって空を駆ける。
めでたい日。
久方ぶりの遊びを終えた彼女。
一児の母となって久しく感じなかった高ぶりに一時の小休止を入れた彼女。
アルメイア・ゼオストスは揺れる羽も大きな尻尾もそのままに大陸の夜を泳ぐ。
未だ少年が大陸を得る前。
話していた夢は幾多。
そのほんの少しが目の前にある。
誰かと分かち合う事。
誰かと共に在る事。
何よりも簡単で難しく。
少年にとっての奇跡が其処にあった
だから、僅かな己の力を添えて。
永遠のものが無いと知っていても、彼女はこの夜が善く在れと望む。
『いつか、また見せてくれない?』
共に踊った名も知らぬ村の夜。
伴侶と決めた少年は彼女にそう笑った。
幾多の年月が、彼女にとっての刹那が、過ぎ去っても。
今も熱く胸を焦がす。
消えない約束が、今日は滲んで。
灰火の皇女は踊る。
いつの間にか。
横には娘がいて。
誰かに見せるように。
一番見て欲しい人が来たら、褒めてくれるように。
そう、共に足先が虚空に薄く魔力の軌跡を描き出していく。
初めての事。
しかし、危うげなく。
母娘は踊る。
祝福するように。
全てが愉しみの内に終わるように。
静かに静かに。
祭りは時の深けゆく中で思い出を刻んでいく。
それは夢のように幸せな夜だった。
誰にとってもきっと………。